利用者の不都合これだけ増大〜健康保険証を廃止して、いいことがあるのか?
野口 悠紀雄
12/4 :現代ビジネス
政府は、健康保険証を廃止して、マイナンバーカードに切り替える方針だ。
しかし、これによって重大な問題に直面する人たちがいる。
切り替えより、現在のシステムで可能なことを実行すべきだ。
マイナンバーカードは、余計な事務負担を増やし、効率化を阻害している。
健康保険証が使えなくなる!!
政府は、現在使われている健康保険証を2024年の秋に廃止し、マイナンバーカードに一体化すると、10月13日に発表した。 マイナンバーカードの取得は任意とされているのだが、これによって、事実上、その取得を強制化されることになる。
河野デジタル大臣は、「マイナンバーカードがなくても健康保険医療が受けられるように措置する」としているが、具体的にどのような措置がなされるのかは、未定だ。
これは、国民生活や医療機関にきわめて重大な影響を与える制度改正だ。
このまま進んでよいのかどうか、十分な国民的議論が必要とされる。
カードの取得・更新に行かれない人もいる
この制度変更によって、大きな困難に直面する人々がいる。
それは、要介護者、長期入院者などだ。
こうした人々にとって、マイナンバーカードを取得するのは簡単なことではない。
健常者にとっては何でもないことが、大きな負担になってしまうのだ。
まず写真を撮る必要がある。
健常者なら、駅にある証明写真ボックスで、あっという間にできてしまう。
しかし、寝たきり老人がこれを行うのは、大変なことだ。
写真を撮ったあとは、申請のために市役所に出向く必要がある。
出向くこと自体が大変だが、パスワードなどを入力する必要がある。
これを1人で行えない人は、かなり多いはずだ。
しかも、それだけで終わるわけではない。
電子証明書の期限は5年なので、5年ごとに役所に出かける必要がある。
10年に1回は、写真を取り替える必要がある。
「申請は代理人でもできる」と言われるかもしれないが、身寄りのない人は、代理人もいない。
いまは、何もしなくても健康保険証が届く。
しかし、マイナンバーカードとなれば、こうした苦難の行程が必要になるのだ。
しかも、こうした手続きのなかには、本当に必要なのかどうかが疑わしいものがある。
5年に1回電子証明書の更新が必要とされるのは、秘密鍵の更新が必要だからだ。
同じ秘密鍵を何度も使っていると、解読される危険があるからだというのだが、それは、秘密鍵を頻繁に利用している場合のことだろう。
多くの人は、マイナンバーカードの電子証明書など、1度も使ったこともないと思う。
1度も使っていないのに解読されるはずはないと思うのだが、それにもかかわらず、5年に1度は役所の窓口まで出向かなければならない。
何とも不思議なシステムだ。
健康保険証の枠内で、やるべきことは山ほどある
健康保険証を廃止してマイナンバーカードに切り替えれば、どんないいことがあるのか?
政府のサイトをみると、「より良い医療が可能に」「自身の健康管理に役立つ」など、いくつかのことが書いてある。
しかし、私は、どれも納得できなかった。
より良い医療や健康管理は確かに重要なことだ。
しかし、それらは、マイナンバーカードを導入しないとできないことなのだろうか?
現在の健康保険証システムの中でも、できることは沢山あるはずだ。
例えば、持病の治療のためにいつも同じ薬を服用している場合、同じ薬を貰うのにも、いちいち病院まで出かけて医師の診断を受けて処方箋を出してもらわなければならない。
仮にこうしたことが電話でできるようになれば、患者の状況はずいぶん改善するだろう。
そしてこれは、現在の健康保険証のままでも十分実行可能なことだ。
あるいは異なる医療機関間のカルテの共有化がなされれば、「より良い医療が可能」になるだろう。
しかし、これをマイナンバーカードなしに行なうことは、可能なのではないだろうか?
患者の立場から見れば、こうしたことのほうが、マイナンバーカードへの切り替えより、はるかにありがたいことだ。
医療現場からも、マインナンバーカードのシステムに切り替えれば、これまでより負荷がかかったり、混乱が生じたりする可能性があるという声が上がっている。
利用者の利便ではなく、カード普及だけが目的
以上のことを考えると、健康保険証からマイナンバーカードへの切り替えは、患者や医療機関のためのものではなく、マイナンバーカードの普及そのものを目的としたものだとしか考えようがない。
政府がマイナンバーカードの普及に躍起となっていることは、これまでの様々な施策を見ても言える。
その典型がマイナポイントだ。
仮にマイナンバーカードが便利なものであれば、国民は進んでカードを作成するだろう。
ポイントを出してまでマイナンバーカードを普及させようというのは、普及率向上だけが目的であることを、はっきり物語っている。
だから、国民生活が不便になることなどお構いなしに、健康保険証を廃止するという暴挙に及んだのだとしか考えようがない。
国民の便利になるようなシステムが開発されず、かえって不便をもたらすような利用法が導入されるというのは、なんとも納得がいかない。
データシステムが対応していない マイナンバーカードの問題が露呈されたのは、2020年の定額給付金の際だ。
申請をマイナンバーカードで受けつけようとしたところ、地方自治体のデータシステムとうまく接続せず、現場で混乱が生じた。
そして、結局、マイナンバーカードを用いる申請は停止された。
これは、マイナンバーカードの普及率が低かったために起こった問題ではない。
原因は、マイナンバーカードを使う仕組みが確立されていなかったことだ。
つまり、地方公共団体のデータシステムがマイナンバーカードと接続していないことから問題が生じたのだ。
そして、マイナンバーが金融機関の口座と紐付けられていなかったために、紐付け作業をいちいち手作業でやるという問題が生じたのだ。
この問題は、その後、是正されたのだろうか?
何も報道されていないのだが、混乱が生じた時点と同じ状態なのではないのだろうか?
銀行預金口座との紐付けは、現在でも任意のままだ。
そうであれば、いかにマイナンバーカードの保有者が増えたとしても、再び同じ問題が生じる。
同じような事態が生じたときに、マイナンバーカードが使えないということになる。
銀行口座とマイナンバーが関連付けられていたとすれば、給付金の際の混乱は起きなかったはずである。
だから金融機関の口座番号とマイナンバーの関連付けは、様々の事務をデジタル処理するために、大変重要なことだ。
マイナンバーはマイナンバーカードとは別ものであり、国民の誰もが持っている。
だから、銀行預金との紐付けは、それが必要という国民的合意がなされれば、技術的関連だけからすれば、今でも可能なことだ。
ところが、日本ではこれに対する抵抗感がある。
そうすると資産保有状況が国に補足されてしまうという危惧をもつ人々がいるからだ。
マイナンバーカードの前身であった住民基本台帳カードは、導入はされたものの、このような反対にあって、途中で挫折してしまった。
この根底にあるのは、政府に対する国民の不信感だ。
それが解決されないかぎり、マイナンバーカードの保有者がいくら増えても、本当に便利なシステムを構築することは不可能だ。
余計な事務が増えた。
マイナンバーカードの導入によって、生活がどのように変わったか?
私の場合には、出版社や新聞社など原稿料収入があるところから、マイナンバーの提示を求められるようになった。
これがないと、原稿料などの支払ができないのだそうだ。
この手続きは、デジタルでは行えず、アナログ処理を要求される。
先方から送られてきた書類に番号を手書きで記入するだけでなく、マイナンバーカードのコピーが要求される。
写真を撮ってメールで送るのは許されず、紙のコピーをとって郵送する必要がある。
マイナンバーカードは、手続きをデジタルで完結させるための仕組みであるはずだが、実際には、手書きとかコピーという、超アナログ操作が必要とされるのだ。
この手続きは、あまりに馬鹿げたものだとしか言いようがない。
なぜ紙に番号を手書きしたり、カードの紙コピーを提出したりする必要があるのか、まったく理解できない。
大した手間ではないが、従来は必要なかったことが必要になったことは間違いない。
そして、これによって私の生活条件が向上することなど、もちろんない。
原稿料の支払者側でも、これによって能率が向上することはない。
むしろ、余計な事務が増えている。
この事務はすべて紙ベースで行なっているので、提示を求める書類を発送するにも、送られてきたマイナンバーカードの紙コピーを処理、保存するためにも、多大の手間がかかっているだろう。
紙ベースの事務処理を改善するために導入されたはずのマイナンバーカードによって、紙べースの事務処理が増えているのだ。 このことほど、日本のDX事情を雄弁に物語るものはない。 日本のDXとは、事務負担を軽くすることなく、重くすることだ。