2023年01月15日

自分と他人を比べて荒んだ気持ちになる人の不幸

自分と他人を比べて荒んだ気持ちになる人の不幸
まじめで有能、でも特定の人とうまく付き合えない
トマス・J・デロング : ハーバード・ビジネススクール ベイカー基金教授
2023/01/13 東洋経済オンライン

「仕事に実直に取り組む人ほど、ほかの人の評価や成果を過度に気にする傾向にある」と話すのは、『命綱なしで飛べ』の著者でハーバード・ビジネススクール教授のトマス・デロング氏。
仕事で成果を挙げたのもつかの間、すぐに同僚(大抵は特定の人物)が頭をもたげ、嫉妬ですさんだ気持ちになることも。
長年に渡る組織と個人の研究から、まじめな人を悩ます「すぐ人と比べてしまう癖」と対処法を解説します。

「一部」との関係が難しい
私たちには、「社会的相対性」という性質が備わっている。
これは、自分のことを常に「他者との関係」で把握しようとする習性で、仕事・プライベートあらゆる面で他人を尺度に自己評価を下しがちだ。
私が以前勤めたモルガン・スタンレーも例外でなく、マネジング・ディレクターたちは絶えず互いに比較しあっていた。
賃金、オフィススペース、部下の人数……ひたすら互いにどれだけ優れているか、そして優れているべきか、常に気にして争っていた。

「人と比べる罠」は、私たちの生活に深く浸透している。
仕事で結果を強く求める人は、とくにかかりやすい傾向にある。
職業問わず野心的に仕事を進める人が、自分の仕事をほかの人の仕事と比べて判断しようとし、「比較の罠」にはまってしまう光景を何度となく見てきた。

ある病院の幹部から、「医師同士がうまくやれていない科がある。そこ(外科)は険悪なムードで、互いに口を利かない医師もいる」と打ち明けられたことがある。
この幹部は私に尋ねた。
「人とうまく付き合えないということではないと思うのです。
どの医師も患者と患者の家族とは親身になって話します。
ですが、病院内の自室やほかの外科医の部屋に近づくと、まるでジキルからハイドのようにおそろしく変貌するのです。
若い医師は、年上の医師たちの接し方を見て、この部署への配属を希望しません。どうしたらいいでしょう?」

医師を一人ひとり観察すると、なぜほかの医師に強い嫉妬を覚えるかといえば、自分こそが病院の最高位の医師になりたいという強い思いがねじれた結果、自分以外の人間の成功やその兆しにすら苦い思いを抱くようになっていたことがうかがえた。 ある日、手術室前の廊下に今後の手術予定リストが貼り出されていた。
手術が終わった医師はリストの前に来て、その手術にチェックを入れる。
そのあと何をするかというと、ほかの医師がどれだけ手術を執刀したか数えていた。

医師のひとりに、「何を確認しているのですか?」とたずねると、「誰がどんなオペを執刀したか、そのオペはどれくらい時間がかかったか、どれくらいむずかしかったか、確認します」とのこと。
最後の「どれくらいむずかしかったか」と言ったとき、顔をゆがめて苦しそうな笑みをうかべていた。

「興味のなさ」でマウントをとろうとする
私たちは、じつにさまざまな方法で人と自分を比べる。
ほかの人の仕事と比較する基準を見つければ、常に自分の仕事と比べてみる。
プライベートでも比べるものが目に入れば、たちまち比較せずにいられない。
つねに比較の基準に囲まれ、新しい比較対象をどんどん見つけていく。
比較競争ゲームは刷新が随時はかられ、終わることなく続く。
そういう人ほど、他人に関心がない素振りを見せることがある。

これもまた、人間関係において他者より優位に立とうとして取る「最小関心の力」と呼ばれる現象で、人間関係においては「関心の少ない者」が、「関心の大きい者」を支配するとされる。
たとえば、あなたは私のことを知りたいが、私はあなたに興味がないとなると、「私」が力を持つようになる。
なぜこうした態度を取るかといえば、誰もが人間関係の不平等を常に不安に思っているから。

私たちは他者との1対1の関係において、常に釣り合い以上を見いだそうとするのだ。
私たちはあらゆる関係において対等以上でないと不安を感じてしまう“社交的”な生き物といえる。
だが、いつも自分を人と比べるようなことをしていれば、一歩下がって自分の仕事を客観的に見られないし、やがて比較が「人を非難する」ことにつながりかねない。

人と比べた結果、そこから導かれるのはたいてい「不満」や「不安」だ。そんな気持ちを打ち消すように、あらゆることを自分に有利なように解釈しようとする。
根底にあるのは、私たちのほとんどが抱く「自分は人と違う」という思い。自分は特別でもなんでもない、ごく普通の人間であることに不安を感じる。
そして人よりずっと繊細で、他人のこともよく理解できると思い込んでいる。
そんなときに仕事でうまくいかないことがあれば、スケープゴートを探し求め、非難の対象をすり替えようとする。

批判を受け入れなければ、自分は特別でも何でもない人間で、間違いをよく犯すという不安な気持ちと距離を置ける。
また、自分以外に罪を着せ、自分は他人の欠陥を正確に突く才能を備えているという思いもこれまで通り維持できる。

「小さなミス」で認める練習をする
言うまでもなく、人と比べたり、人を非難したりするのは非生産的で、仕事の質を低くする。
どうすればこの罠にとらわれずにすむだろう?

自ら間違いを認める勇気と覚悟が求められる。
自分は悪くないと膨大な証拠を探して自分を守るロジック突きつける前に、謝ってしまうのだ。
小さなミス、たとえばプレゼンがうまくいかなかった、メールの送信を忘れたといったことがあったとき、言い訳せずに自分のミスを認めよう。

それを重ねれば、あなたは正直で隠し立てしない人だと思われるし、何 よりミスを認めることで自分が解放される。
「人を非難する罠」から抜け出すことができる。
そして、時には普段やっている「ルーティンワーク」からはみ出してみる。
普段と違うチームを手伝ってみたり、別の部署の人たちと積極的に話してみたりする。
そうやってまわりにどんな世界が広がっているかを知れば、「人は自分にないものを持っているかもしれない」と真っ先に空想せずにすむ。

他人が置かれた状況を体感すれば、人をうらやましがる自分の創作シナリオに固執することもなくなるだろう。
特定の人が頭をもたげる機会も減っていくことが期待できる。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする