“復興”とは程遠い現実。「無人の町で、家畜と暮らし続けた男性の10年」を描いた理由
2023年03月11日 SPA!
3月11日で東日本大震災から12年が経った。
原発再稼働の動きも出始めている中、震災後、全町避難で無人地帯となった町に家畜や動物と共に一人で暮らし続ける松村直登(ナオト)さんの10年間を追った映画『ナオト、いまもひとりっきり』が公開中だ。
なぜ、ナオトさんは人のいなくなった町で置き去りにされた牛や馬、犬猫と暮らし続けたのか。そして、この10年間の復興の現実とは――。
監督の中村真夕さんに製作の経緯や原発事故後、福島で起きていたことなどについて聞いた。
◆映画だからこそできた作品
――ナオトさんを取材しようとしたきっかけについてはどのようなことだったのでしょうか。
中村真夕監督(以下、中村):
当時、テレビ局で被災地の石巻や女川に行って番組を制作していたのですが、新しい視点で番組を作りたいと思って情報を集めていた時に、海外メディアでナオトさんのことを知りました。
「なんでこんな人がいるのに、日本のメディアは誰も取り上げないのか」と思い、早速、テレビ局の上層部に提案したところ、「あなたに健康被害があっても責任が取れないから」といのことで却下になりました。
ただ、それは表向きの理由だったのではないかと…。
当時ナオトさんの住む富岡町は、福島第一原子力発電所から20Km以内の「警戒区域」として立ち入り禁止に指定されていましたが、その地域に留まる行為自体が「違法行為」という扱いでした。
そういう人をテレビで取り上げるわけにはいかない、という雰囲気を強く感じました。
ちなみに、ナオトさんは某局の震災記録番組に登場していたんです。
ただ、どこに住んでいるのかはわからない見せ方でした…。
私は「ナオトさんがなぜここに住むのか、そこに撮るべき何かがあるのではないか」と感じました。
テレビ局の職員だったらこの企画はできないけれど、自分はフリーランスだし、番組ではなく映画にすれば発表できる。
そう思って、この企画を映画にしようと決意しました。
◆避難区域に一人で残っているおじさんがいる
――取材を申し込んだ時のナオトさんの反応はどのようなものだったのでしょうか。
中村:
ナオトさんに会いにいった時に、たまたま現地でチェルノブイリに潜入したフランス人ジャーナリストから「あの避難区域にずっと一人で残っているおじさんがいる」と聞いたんです。
海外のジャーナリストは上層部の指示など聞きません。
立ち入り禁止区域でも、真実に近付くためにはズカズカと入っていきます。
そこで、自分も興味を持ってナオトさんに会いに行ってみたところ、開口一番「日本のメディアは取材に来てもどうせ出せないんでしょ、だから答えても仕方ない」と言われました。
というのも、ナオトさんのドキュメンタリーはBBCなどの海外メディアでは放送や配信がされましたが、日本の若い記者が取材に来ても、上層部が却下して記事なり放送なりを発表できなくなっていたとのことで…。
「フリーランスなので、取材しても発表できないということはない。映画としてやりたい」と言ったら、「ふーん、どうせできんだろう」みたいな感じだったんですけど、ペーパードライバーだった私が免許を取り直して、車に若葉マークを付けて通うようになったら、奇特な人だと思ったらしく、そこからだんだん心を開いてくれました。それが2013年夏ぐらいでしたね。
◆「放射能」は使わないように言われて
――ちなみに、3.11当時はどこにいたのでしょうか。
中村:
成田空港にいて、1日空港から出られませんでした。
アメリカのグリーンカード(永住権)を持っているのですが、その手続でニューヨークに戻らないといけないので、飛行機に乗ろうとしていたんですね。
それで、やっとの思いで翌日の12日にニューヨークに着いたのですが、現地のタブロイドには「既に福島第一原子力発電所はメルトダウンしている」と大きく出ていました。
一方、日本の政府発表では「メルトダウンはしていません」と宣言されていて、おかしいと思っていました。
当時は、フリーランスとして某局のニュース番組を担当していましたが、帰国直後から毎日、震災のニュースを全部英語に翻訳して海外に出さなければなりませんでした。
英語のニュースの見出しに「レディオアクティブ(Radioactive)/放射能のある」「ラジエーション(Radiation)/放射線」という言葉は使わないようにする指示があったんです。
理由は「不安を煽るから」と。
ただ、「放射能」と言えなかったら、「では、何て言えばいいの、これ?」と悩みましたね…。
◆「除染している」という行為
――取材開始直後の2013年9月にオリンピックが決まりました。
中村:
「福島のことは忘れ去られるね」と言いながら、ナオトさんと一緒にオリンピック開催決定のニュースを見ていました。
そこから復興事業が凄まじいスピードで始まりました。
そして、政府はオリンピックを「復興」の象徴として使いたいということが露骨にわかる動きがありました。
まず、「復興五輪」のために2015年の春ごろ除染が急ピッチで始まりました。
屋根や壁を拭いたり、土を変えたりしていましたが、土はともかく、屋根や壁は雨水で洗い流されているので、拭いてもさほど変わりません。
また、さすがに山は木を全て切らないと除染できませんが、風の強い日に線量計で放射能の量を測ると数値がブワッと数値が上がってしまいます。
でも、国としては「除染している」という行為をアピールすることが大切だったみたいで…。
当時は除去された土が詰められた黒いフレコンバックがいたるところに置いてあって、本当に不気味でした。
そこに何十億もかけて作られた鹿島建設と三菱重工業の大きなプレートが掲げられた仮設焼却炉があって、放射能に汚染された土はそこで焼いていました。
今はもう仮設焼却炉もフレコンバックもありませんが、結局、全部燃やし切ることができなかったので、残りは全部双葉町と大熊町に運ばれました。
◆「復興五輪」のアピールのために
――劇中には再築された夜ノ森駅も登場しますが、駅舎の中には放射線量を表示する電光掲示板がありました。
中村:
あれは「除染したから大丈夫です」とアピールするためのものなのですが、その瞬間の空間線量が表示されるだけなので、もちろん、風が吹けば花粉のように山から放射能が降ってきて、数値は上がります。
そもそも夜ノ森駅周辺は期間困難区域なのですが、2020年3月に、東京オリンピックに合わせて駅舎が完成し、駅に行く車道だけが開通されました。
東京の日暮里駅から夜ノ森駅まで常磐線を通すことによって「復興五輪」をアピールしたかったのかもしれませんが、そこだけ無理矢理線路を通している、という印象は拭えませんでしたね…。
しかも、2017年4月に町の一部が帰還宣言をしましたが、戻ってきたのは高齢者がほとんど。
2018年4月には富岡駅が開通し、町の小学校と中学校が再開しましたが、新たに入学した子どもたちは数名だけでした。
町の中は「復興」とは程遠い状態でした。
――結局、五輪はコロナで延期になってしまいました。
中村:
福島から聖火ランナーが走り、「復興五輪」は華々しく開催される予定でしたが、コロナ禍でそうはなりませんでした。
実際は、翌年に街頭の人たちが見守るわけでもなく、警察官とランナーの人だけがひっそりと走っていました。
まるで「警察の運動会」でしたね…。
もちろん、コロナ禍もあって見物客は入れないことにしていましたが、それにしても人がいなくて。そもそも双葉町と大熊町はほとんど人がいないんです。
誰のための「復興五輪」「聖火リレー」なのかと。 東京オリンピック開催決定以来、この10年間で感じたのは「人が置き去りにされた復興」ということでした。
安倍元首相が東京五輪招致に向けた国際オリンピック委員会(IOC)総会の場で「アンダーコントロール」いう言葉を使ったことは有名ですが「福島は大丈夫ですよ」ということを言うためだけに、実施されたことが多かったような気がします。
そして、その大義名分のためにものすごいお金が使われました。でも、多くの元の住民は戻って来ていません。
◆ゴミを掃除してゴミをばらまく
――除染はほぼ完了し、福島は復興へ向けた次の段階に入っているというニュースを耳にします。
中村:
2013年から定期的に福島に通っていましたが、北海道から沖縄まで県外のナンバープレートはたくさん見ましたし、外国籍の人もかなりの数いました。
みなさん、除染作業をしており、高額な報酬も支払われたと聞いています。
にもかかわらず、除染土を農業に再利用しようとしていることに驚いています。
放射性物質が完全に取り除けているのかどうかもわからないのに、放射性物質を拡散させるような行為をしようとしています。
ゴミを掃除して、またゴミをばらまくというような行為に何十憶という税金が使われている。
また、除染土の扱いについては、2011年8月に成立した放射性物質汚染対処特別措置法に定められていますが、ここに、再利用に関する規定はありません。
なぜ、こんなことが許されるのか…。理解に苦しみます。
災害公営住宅もたくさんありますが、3分の1ぐらいしか入っている様子がありません。
3分の2は人が住んでいない、つまり無駄なのです。除染も災害公営住宅の建設も然り「復興対策をした」というパフォーマンスが重要なのかもしれません。
誰のための復興なのか、ということは強く考えさせられました。
◆バブル崩壊、原発事故に翻弄されて
――ナオトさんは高校卒業後の70年代後半、鉄筋工として原発建設に関わっていたとのことでした。
中村:
そうなんです。
それで「あんなもん、雑に作ってあるから簡単にぶっ壊れる。作った本人が行っているのだから間違いがない」とナオトさんは冗談交じりによく言ってました。
原発稼働には、冷却水を循環させることが必要なので海辺に設置されていますが、排水溝に貝が付着して詰まるのだそうです。
さすがに現在は、細部にも配慮して設計されているとは思いますが、高度経済成長期の当時、一気に作られていれば、雑な作りになってしまうのも仕方がないのかもしれません。
その後、ナオトさんはバブル期に関東近辺に出稼ぎに行き、フィリピン人の妻と結婚、2人の男の子をもうけます。
その後、東京で建設会社を経営しますが、90年代にはバブル崩壊で会社が倒産。
家族を連れて生まれ故郷に富岡町に戻りますが、ささいなことで奥さんと上手く行かなくなり、彼女は息子2人を連れて出て行ってしまいます。
そして、離婚後、実家に戻り、両親と暮らすようになります。
ナオトさんにとって原発事故は、バブル崩壊に続く、理不尽だったのかもしれません。
富岡町に留まり、家畜と暮らし、自給自足生活をしているのは、「悪いことをしたのは国で、自分は何もしていない」という憤りがあったからなのですが、自分の生き方は自分で決めたいという思いもあったからなのかもしれません。
もちろん、除染作業などの求人もありました。でも、もう東電からお金を貰う仕事はしたくなかった、とのことで…。
◆原発地域が抱える矛盾
――劇中の「福島に日本社会の矛盾が凝縮されている」というコメントが印象に残りました。
中村:
福島だけでなく、原発のある地域全てに言えることのような気がしています。
父の実家は原発が15基もある福井県の出身ですが、毎年「日本の幸せ度ランキング」の1位2位を争う県で、子育て支援も手厚いです。
そしてそのことは原発を受け入れたことと無関係ではありません。
産業がなく、貧しい地域に「お金をあげるから危ないものを引き受けて欲しい」という姿勢があるのではないかと。
福島、福井、柏崎原発のある新潟もそうで…。
ナオトさんも「金を貰う代わりに政府から捨てられている」と言っていましたが、「棄民政策」と呼んでいいぐらいに、そのスタイルが定着しています。
お金を受け取ると政府や電力会社を厳しく批判することはどうしても難しくなってしまう。
ある意味、お金に毒されている地域と言っても過言ではありません。
◆避難指示が解除された先には
――映画の終盤では、原発の存在を否定しない地元の人たちの姿も描かれます。
中村:
原発は「産業」なので、できてしまえば、雇用も生み出しますし、事故があれば、当然賠償金も出ます。
町全体が原発に頼らざるを得ない構造ができあがっていくというか…。
事故から10年以上が経ちましたが、福島の人たちも原発に頼らずに新しい産業をすぐに生み出せるかと言うとそうではありません。
確かに、原発によって奪われたものは大きい。かと言って、全て否定できるかというとそうではないです。
また、あまり表沙汰にはなっていませんが、賠償金が原因でトラブルも発生しています。
同じ道路を挟んで賠償金の額が全く異なる地域もあります。
なぜ道路を挟んでこちら側が避難指示解除準備区域で、向こう側が帰還困難区域なのか、と。前者は制限時間内であれば、立ち入りは自由ですが、後者は許可証がないと立ち入ることはできず、後者の方が空間線量が高いという認定がされているので、当然賠償金は高いです。
どこかで線引きしなくてはならないことは事実ですが、それにしても根拠に乏しいというか…。
賠償金を一律にしてしまうと、地元の人は団結しやすくなってしまう。
なので、わざわざ異なる額にしているのではないかと…。そんなことまで考えてしまいます。
この春、富岡町における避難指示は解除されようとしています。
でも、実際には富岡町には3分の1しか帰還していません。
避難指示が解除されればもっと多くの人が戻って来るのでしょうか。それは誰にも分かりません。
ただ、「帰れる場所なのに、あなたたちが選択的に外にいるのであればお金を払う必要がない」という論理が成り立つので、避難指示が解除されれば、東電が支払わなくてはならない賠償額が下がることは確かなんです。
◆原発再稼働の動きがある今
――原発再稼働の動きが活発になっています。
中村:
公開に向けて映画の宣伝をしていて感じたことですが、事故から10年を過ぎて、新聞もWebメディアも明らかに注目度が落ちていると感じています。
また、新しい産業を見つけ出せず、賠償金に頼らざるを得ない実情や苦悩を描いているという意味で、明確に「反原発」ではないこの映画は上映しにくいと言った劇場関係者もいました。
ただ、原発に反対=左の人、原発に賛成=右の人、というポジショントークには意味がありません。
メディアは現地の人たちが置かれている本当の姿を伝えるべきだし、それを全国の人に知ってもらってこれから福島をどうすればいいのかを考えるべきなんです。
確かに、現地では賠償金をもらっているせいか、批判的な声はさほど上がって来ません。
「他に産業がないので原発再稼働は仕方がない」と考えている人も多い。
また、他の地域の人たちは、電気代が高いので、再稼働はやむなしと考えているのかもしれません。
しかし、震災は天災ですが、原発事故は起こるべくして起こった人災です。
そして、事故から10年以上経った今でも、「復興」や「収束」とは程遠い現実があります。
にもかかわらず、そのことは忘れ去られようとしている気がしてなりません。
過去にあった過ちをきちんと後世に伝えることは大切なことだと思ってこの映画を作りました。
福島の問題は終わってはいません。
今の復興に向けての施策が適切なのか、そして、本当に原発を再稼働させて良いのかについてもっと議論すべきではないでしょうか。
トルコで大地震が起こった時、安倍元首相はトルコに原発を売ろうとしていました。
日本が原発を売った後、トルコで原発事故が起こっていたら、日本も責任を問われているかもしれません。
そして、トルコの地震から程なくして、日本では運転開始から60年を超える原発の再稼働が、国会で決定しました。
私はそのことに驚いています。
震災大国である日本でもトルコの大地震のような地震がまたいつ起こるか分からないのに、なぜ60年超えの原発を再稼働させることが安全だと言えるのか。
想像力の欠如なのか、過去の惨事をみんな意図的に忘れようとしているのか…。
今、一度いいので、この映画を見て、原発事故からの12年が何だったのかを考えて欲しいです。
<取材・文/熊野雅恵>