2023年04月01日

「65歳を過ぎたらラクなことだけやりなさい」和田秀樹が定年後は遊び半分で生きることを勧めるワケ

「65歳を過ぎたらラクなことだけやりなさい」和田秀樹が定年後は遊び半分で生きることを勧めるワケ
2023年03月31日 PRESIDENT Online

定年後の人生を楽しむための秘訣は何か。
医師の和田秀樹さんは「『定年を迎えた』ということは、仕事に対する最大最強の『かくあるべし思考』から完全に解放されることだ。
何ごとも遊び半分と、胸を張って無責任のまま生きればいい」という――。
※本稿は、和田秀樹『70代からの元気力』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

■70代になったら「かくあるべし思考」を捨てなさい
70歳を過ぎたら、「好きなことだけをする」という選択もあります。
「遊んで暮らす」のが、70代人生の理想だと私は思っています。
ですから、やりたくない仕事や役割はムリして続けるのは、時間がもったいないと思います。

そしてこれがいちばん大事なことですが、高齢になればなるほど、「いろいろなものから自由になる、解放される」といった気持ちを大切にしたほうがいいのです。
心を伸びやかにして、残された人生を楽しむためにも、どういうものであれ自分を縛るようなことはしないほうがいいのです。

まず捨てたいのは「かくあるべし思考」。
たとえば、会社勤めの間は、とにかく「定年までは働くべきだ」いう気持ちがあったはずです。
この「かくあるべし思考」があったからこそ、仕事で嫌なことや、苦しいことがあっても、我慢して働いていたわけです。
また、仕事に対する責任感とか義務感といったものも、考えてみれば、「かくあるべし思考」が根本にあります。
「どんな仕事であれ、逃げ出したり、放り出したりせずに取り組むべきだ」と思うからこそ、責任感、義務感が生まれるわけです。

■「70歳になる」とは「自由になる」ということ
ただ、仕事がうまくいっているうちはいいのですが、うまくいかなくなると、その責任感や義務感に追いつめられることになります。
それに耐えられる人もいるでしょうが、心が病んでしまう人もいます。
そんなときは「かくあるべし思考」を捨ててもらうと、ラクになることが少なくありません。
実際、職場でうつに苦しむ人は、医者の診断書をもらって休職が認められただけで、ずいぶんラクになるものです。
実際の治療に入らなくても、医者の診断書をもらったことで、「かくあるべし思考」からいったん解放されるので、それまでの苦しさが消えてしまうことがあるのです。

「定年を迎えた」ということは、仕事に対する最大最強の「かくあるべし思考」から完全に解放されるということです。
人によっては「あと5年は働かないといけない」といった拘束があるかもしれませんが、定年前ほどの縛りは消えています。「かくあるべし思考」から解放されているので、「いざとなれば、我慢して働く必要もない」という意識が、どこかにあるからでしょう。 それでいいのです。

仕事だけではありません。 子どもの教育とかマイホームのローンなど、いままで自分を縛っていたものが1つずつ消えていくのが、60代。気がつけばどんどん身軽になっているのが、年齢を重ねるということなのかもしれません。
70代からは、その「身軽さ」を楽しみたいものです。
「70歳になるということは、自由になること」なのかもしれません。 そう考えれば、こんなに楽しく嬉しいこともないはずです。

■「何ごとも遊び半分」が、脳を老化させないコツ
70代は「自由の時代」――と考えていいでしょう。
そう考えれば、何ごとも、いままでのような拘束力はありません。
地域の活動だって、ボランティアだって、自分がやりたいと思ったらやればいいし、時間がもったいない、ムダなことだと思ったらやめたほうがいいのです。
趣味も、つき合いも、すべて同じ。

「つまらないな」と思ったら、やめていいのです。
と言うより、「つまらないな」と思ったら、やめたほうがいいのです。
「何ごとも、中途半端に終わらせてはいけない」という考えは、会社員時代に長く染みついてきた「かくあるべし思考」に過ぎません。
「別に仕事じゃないんだし」と思って、つまらないと感じたら、その場でおしまいにしてしまいましょう。
そうしないと、70代のせっかくの貴重な時間をムダにしてしまいます。
昔であれば、そのような態度は、「遊び半分」と思われて、否定的に考えられたものです。嫌悪感を抱く人さえいました。

とくに、団塊の世代は、真面目な努力家が多いので、その傾向があるように思います。
実際、会社員時代、仕事が中途半端に終わってしまったときなど、「まるで遊び半分じゃないか!」と、反省していた人もいるのではないでしょうか。
でもこれからは、すべて「遊び半分」にしたほうがいい年齢なのです。

■責任感や義務感を押しつける人とは距離を置く
それに地域の活動やボランティアをやめたところで、周りはそれほど気にしないもの。
「つまらないな」と思っていたわけですから、周りもそれとなく気がついているものです。
「和田さん、最近姿が見えないね」と地域活動やボランティアの仲間が言ったとしても、「まあ、そんな予感はしてましたよ」「まあ、当てにしないで待ってましょう」くらいで終わってしまいます。
もちろん、どの世界にも、「かくあるべし思考」でしか考えられない人がいるものです。そして相も変わらず、昔ながらの責任感だの義務感だのを、人に押しつけてきたりします。 70代になったら、そういう人とは距離を置くことです。
放っておけばいいのです。
70代は、そういう気ままさが許される世代なのです。
それに「何ごとも遊び半分」とばかりに、最初から何ごとにも深入りしないと決めておけば、それが自然と自分のキャラクターになってきます。
周りの反応など、気にすることもなくなります。

■「胸を張って、無責任に生きる」は、70代の特権
齢をとると、何を始めるにしても、おっくうに感じるもの。
それには理由があります。 65歳を過ぎても、60歳までの価値観、人生観を引きずっている人が多いので、何かを始めるとき、どうしても不安や懸念を感じてしまうのです。
「始めても、だんだん辛くなるかもしれない」「ひょっとしたら、自分に向いてないかもしれない」などなど、ついつい不安を感じてしまうわけです。
さらには「長続きしなかったら、みっともない」「やるからには、中途半端なことはできない」と、見栄から生まれる懸念もあります。
このような価値観、人生観は、長い会社勤めや、組織の人間関係の中で身についたもの。
それをそのまま、65歳からの人生に当てはめても、意味がありません。
どんな世界でも、いざ飛び込んでみると「勝手が違う」「通用しない」「体がついていけない」といったことはいくらでも起こり得ます。
前項でお話ししたように、「何ごとも遊び半分」という気持ちで始めれば、気分もラクなもの。「勝手が違う」「通用しない」「体がついていけない」と思ったら、のんびりマイペースに持ち込んでしまえばいいだけの話。
65歳を過ぎたら、ラクなことだけやる。 誰からも文句は言われないはずです。
また、ラクだと思っていても、「やっぱり、自分に向いてない」ということもあるでしょう。それなら、「やーめた!」と放り出せばいいのです。
65歳からは、万事がこんな調子のほうが、うまくいくと考えてください。

団塊の世代なら、クレージーキャッツの植木等さん主演の映画『無責任』シリーズを覚えていると思います。
その映画の中で「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」というとても痛快なセリフがありました。
70歳からは、まさに「無責任一代男」「無責任一代女」でいいのです。
「やっぱり、自分に向いてない」と思ったら、「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」とばかりに放り出す。
70代になったらもう、胸を張って、無責任のまま生きていいと思います。
70代は、何十年もの間、ひたすら責任だけを果たしてきた世代なのですから。

■「外に出て町を歩く」だけでも、必ず若返ります
外に出て町を歩くだけで、気分が華やいでくるときがあります。
70代になったら、このような気分から生まれてくる高揚感を大事にしたいものです。
と言うのも、このような高揚感は、老化の防止にとてもいいのです。
晴れの日はもちろんのこと、曇りの日でも雨の日でも、外を歩いて風を感じたり、人とすれ違ったり、店先を眺めたりする。また、気が向いたら、しばらくご無沙汰の飲食店や居酒屋に顔を出したりする。 それだけでも、「こういう気分もいいな」と思うときがきっとあります。 それが脳にとって、とてもいい刺激なのです。

また、町には同世代の男性や女性たちがいます。
快活で楽しそうな同世代がいれば、いやがうえにも刺激になります。
ファッションにも目が行くでしょう。
「ああいうチェックの柄のジャケットなら、私も欲しい」と思ったりします。
「派手な色だけど、あの歳でも案外、様になるんだな」と気がついたりします。

あるいは逆の場合もあります。
「同じくらいの歳だと思うけど、地味な服のせいか、年寄りくさく見える」 「不機嫌そうな表情をしているな。あれじゃ家の雰囲気も悪いだろう」 といった具合です。
町を歩くと、つい同世代に目が行ってしまうのはいくつであっても同じだと思います。
そのたびに、いろいろな刺激を受けるのです。
「あのようなジャケットが欲しい」「あのような表情はよくない」などと、勝手な刺激を受けているうちに、不思議な元気が出てきます。
何をどうするというのでもなく、前向きな気分になってくるものです。
それだけでも出かけた甲斐があります。
目的などなくてもいいから、とにかく外に出てみる。 それだけでも若返りの刺激を受けるのです。

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和田 秀樹(わだ・ひでき) 精神科医
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2023年04月02日

【増税大国日本】国から殺されずに生き抜く方法

【増税大国日本】国から殺されずに生き抜く方法
2023年04月01日 ダイヤモンドオンライン

「このまま」今の仕事を続けても大丈夫なのか?
あるいは「副業」をしたほうがいいのか?
それとも「起業」か、「転職」をすべきなのか?
このように感じたとしたら、それは皆さんの考えが正しい。

なぜなら、今感じているお金に対する不安は、現実のものとして近づいているからです。
無収入となる65歳から70歳、もしくは75歳までの空白期間を、自己責任で穴埋めしなければならなくなる未来が、相次ぐ法改正でほぼ確定しました。
そんな人生最大の危機がいずれ訪れますが、解決策が1つだけあります。
それはいますぐ、「稼ぎ口」を2つにすること。
稼ぎ口を2つにすれば、年収が増えて、節税もでき、お金が貯まるからです。

『40代からは「稼ぎ口」を2つにしなさい 年収アップと自由が手に入る働き方』では、余すことなく珠玉のメソッドを公開しています。
受講者は6000人に及び、その9割が成功。さぁ、新しい働き方を手に入れましょう!

■自分と家族は自分で守るしかない
 4月1日はエイプリールフールですが、最近は感覚が麻痺してしまい、実感がありません。
なぜなら毎日が、エイプリールフールのようなものだからです。
「えっ! そんなバカな! うそでしょ!」と絶句するような、ありえないことばかりが続きます。
政治も経済も、国際情勢もマーケットも、何もかもが嘘まみれのオンパレードです。

 お金まわりについては、さらなる「うそでしょ!」のオンパレードです。
 たとえば政府は、憲法を改正せずに軍事予算を5年で43兆円に引き上げるウルトラCをやってのけました。
しかも、財源がないので増税するとのこと。
日本人の潜在的な税金負担率(国民負担率)は60%なのに、もっと引き上げるなんて、それこそ「うそでしょ!」と言いたくなります。
 インド太平洋地域にも10兆円をばらまくことを決めました。
財源がないはずなのに、いったいどこから捻出するのか。まさかそれも税金なのでしょうか。
 相続税も一気に増税されて、マイナンバーとの合わせ技で逃げ道が完全に塞がれました。
2021〜2022年の法改正により、もらえる年金が平均で2634万円減ることも既成事実化されました(*1)。
 その一方で年金納付期間が5年も延長されて、2025年以降には年金掛金負担が夫婦で約200万円増えます。
その他、児童手当が2022年から削られるなど、「うそでしょ!」はとどまるところを知りません。

 ここまで「うそでしょ!」のオンパレードが続くと感覚が麻痺してしまい、何が嘘で何が本当かわからなくなります。
もしかしたら、それが狙いなのかもしれませんね。
そうなら、自分と家族のことは自分たちで守るしかなさそうです。

■勤め先からも経済的に自立しよう
 今まで頼りにしてきた勤め先だって大変です。
国からのしわ寄せを受け止めるだけの余裕がありません。
 おまけに、物価高の影響は、家計だけでなく企業をも直撃します。
万策尽きて、ステルス値上げで消費者に転嫁したり、従業員にしわ寄せするしか策がなくなりました。
 どうやら私たちにも、観念して自立しなければならない時期が近づいてきたようです。

特に喫緊なのが、経済的な自立です。
 社会人になったとき、私たちは親から経済的に自立しました。
とはいえサラリーマンは、経済的には勤め先頼みです。
20代や30代であれば勤め先に頼ってもよいと思いますが、40代や50代ともなれば、そうもいきません。
勤め先から経済的に自立しなければ、人生100年時代を生き抜けないことが、ほぼ確実になりつつあるからです。

■いきなり独立せずに、予行演習から始めよう
 だからといって、いきなり独立することは危険です。
 そこで安全策として、本業を続けながら、2つ目の稼ぎ口を見つけて育ててみてはいかがでしょうか。
前もって予行演習をするのです。
これを「稼ぎ口二刀流」といいますが、副業禁止には違反しないし、数十万円規模の節税が可能なのでお金も貯まります。
節税とは日本のGDPを引き上げる社会貢献ですから、一石二鳥です(*2)。

 経済的に自立すれば、「うそでしょ!」まわりの心配も減るかもしれません。
少なくとも、家族と自分を守り切れることだけは、確かだと思います。

 では、いつ始めるのか? もちろん、いまでしょ!
「うそでしょ!」の呪縛から逃れるタイミングとして、エイプリールフールは絶好のチャンスです。
そこで、4月1日をわが家の独立記念日と定めて、経済的な独立を決心しませんか。
そのための最初の一歩として、2つ目の稼ぎ口候補となる「やりたいこと」を探すことから始めるのです。
それだけであなたとご家族には、健全な未来が見えてくるはずですよ。

*1 「増税」「年金削減」「老後不安」の三重苦を乗り越える方法
*2 なぜ、節税すると景気がよくなるのか?

**本記事は、『40代からは「稼ぎ口」を2つにしなさい 年収アップと自由が手に入る働き方』著者による書き下ろしです。
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2023年04月03日

マスク生活「負の影響」じわり 子どもの「顔の認識能力」に変化が

マスク生活「負の影響」じわり 子どもの「顔の認識能力」に変化が
2023年04月02日 TBS NEWS DIG

いよいよ新学期。
感染対策のため必要だったマスクだが、学校でのマスク着用も基本的には不要になる。
そんな中、マスク生活が子どもに負の影響をもたらした可能性が指摘されている。

子どもたちにとってこの3年間は、“顔のない世界”になってしまっていたというのだ。
目元しか見たことがない同級生は問題か?

マスク外すと別人の可能性
コロナ禍、マスク生活が3年続いたことで、学校での対人関係のあり様は大きく変わった。
ある民間会社の調査(※1)によると、小、中、高校生で、目元しか見たことがない同級生がいると答えたのは、小学生で70%、中学生、高校生では90%近くに及ぶ。
これが具体的に、子どもたちの将来にどのような影響を与えるかは、推測の域をでない。

しかし、顔認知が専門の心理学者で、顔について科学的に研究を続ける中央大学の山口真美教授は、子どもたちの将来に大きな影響を与えかねないと指摘する。
「顔っていうのは、目・鼻・口が揃った全体のバランスでその人なんです。
例えば、親しい人を思い浮かべてください。お母さんの顔、ボーイフレンド、ガールフレンドの顔…、目だけ思い出してくださいと言われても難しいはずです。
私達は、目元だけで人を覚えられないし、口元だけでも覚えられない。
目や口が合体した全体の印象で人の顔を覚えるというのが、今までの顔研究のポイントでした。

しかし、マスク生活で、下半分そだけ隠されてしまうという、全体のバランスがない状態が続いたわけです。
それによって、いったいどういう記憶になるか、実際に顔をどれだけ区別できているのかは、未知の世界なんです」
目元だけでも、顔を覚えられると感じている人も多いかもしれない。しかし、人間が顔全体で特徴を把握し、部分的にでは顔を認識することが難しいことは様々な研究で示されている。

山口さんによると、人間の頭の中には平均的な顔の印象があり、“顔の物差し”になっているという。
目だけで覚えているつもりでも、実際はマスクで隠れた下部分を、平均的な顔で補って見ているという。
もちろん、実際には下半分にも個性があり、平均顔とは違うわけで、その人の素顔とはギャップができてしまうわけだ。

顔のインプットが足りない?
コロナ禍の3年間は“顔のない世界” イギリスで行われた研究(※2)によると、人間は平均で約5000人の顔を識別できるという。
しかし、今の子どもたちは、親しい人を除いたほとんどの人の顔をマスク姿で見続けてきた。
そのため、識別する能力自体はあっても、平均の数には達しない可能性があると、山口さんは危機感を示す。

ーー顔を識別するというのは、本来どういうものなんですか?

「人間は、生まれてから約30年間、たくさんの顔を見て、頭にインプットし続けます。
親しい人だけでなく、その背景にあるたくさんの顔を見ていることが必要なんです。
自分では気づいてないかもしれませんが、道ですれ違ってる人、歯医者さんの受付ですとか、いろんなところで、いろいろな人たちの顔がインプットされていて、それがいつの間にか顔の学習になっているわけなんです。

ところが、コロナ禍ではマスクで下半分が隠され、背景にあるべきたくさんの顔が“ない”状態が続きました。
小、中、高校生たちは、本来はクラスメイトにたくさん会って、ノーマスクで、それぞれの顔の違いを頭の中にインプットしていくことが重要です。
ところが、その経験がすっぽり3年間なくなっているわけです」

ーー顔のインプットが少ないと、何が困るのでしょうか?

「たくさんの顔を見て、インプットする中で、これは美しいとか、自分の好みだ、などを学習していくことになります。
例えば、日本で生活していると、外国人の顔を区別しにくいという感覚があると思います。
でも、海外で暮らしてみると、最初のうちはわからなくても、一緒に生活していくうちに、それぞれの区別ができていくようになっていくものです。
これが顔の学習の効果です。

つまり、背景にあるたくさんの顔を、頭の中にデータベースとして入れて、区別できるようになっていくのです。
そういう細かい差異への印象が、マスクばかりの世界だと作りづらいのです。

また、人間関係にも変化が起きるのではないかと思います。
私たち大人世代では、たくさんの人に囲まれて、クラスメイトがいて、その後の同窓会でばったり会って、楽しいねってなりますよね。
でも、今の学生たちは、友達、クラスメイトとの関係がマスク姿だけで、クラス全体の印象が覚えられないまま卒業になってしまいます。

背景にたくさんの顔があるということが、私達にとって必要な世界なのに、それがなかったわけです。
子どもたちは違う感覚の世界にいるかもしれないということを考えてあげる必要があると思います」

マスク依存の苦悩
 若者が忘れてしまった本来の顔の魅力
顔の学習は30歳くらいまで続くのだとすると、もちろんここから学習を再開し、顔のインプットを増やしていくことは可能だ。
しかし、マスク着用は個人の判断となったが、いまも多くの学生がマスク姿だ。

民間が行った、小学生から高校生300人への意識調査(※3)によると、子どもたちの約9割が「“脱マスク”に抵抗がある」と回答している。
その理由の上位には、「自分の顔に自信がない」「恥ずかしい」「友達にどう思われるか不安」など、感染対策とは別の、心理的な理由が並んでいる。
山口さんはマスク生活によって若者の感覚に変化がおき、顔の魅力が動的から静的なもの中心になってしまっていることにも懸念を示す。
「江戸時代の日本人だったら、周りの顔しか見なかったけれども、今の日本人は、インターネットなどでセレブの顔ばかり見ていて、どんどん基準が高くなって、自分に厳しくなっているんじゃないかとおもいます。
でも、顔の魅力っていうのは、実は写真でパチッて撮ったものではなくて、もっと動的で、どういう表情していて、どういう問いかけをして、どういう話し方をしたかという、動きを含めたトータルで魅力なんです。

本当だったら、表情を動かすことによって自分でいろいろ変えられるし、そこで自分なりの魅力っていうのを見つけられるのです。
しかし、それをマスクでストップさせ、忘れさせてしまったことが、若い人たちの辛さにつながっているようにも感じています。
コロナへの対応で、感染対策、つまり、今をどうするかということが続きました。

でもこれからは、もう少し長いスパンで、子どもの将来のために、マスクは必要なのかを考えていく段階ではないかと思っています」 (3月16日放送・配信『』より)

※1 ※3『現役の小・中・高校生「マスク需要」に関する意識調査』東京イセアクリニック 2023 年 2 月 17 日
※2 Jenkins R., Dowsett A. J. and Burton A. M. 2018『How many faces do people know?』 Proceedings of the Royal Society B
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2023年04月04日

老後の貯蓄がない人の対処法

老後の貯蓄がない人の対処法
2023年04月03日 All About

■貯蓄のない老後生活を想像してみて!
老後の貯蓄がない人、貯蓄していない人は、「そんなに長生きしない」「何とかなる」「考えても仕方ないので考えないことにしている」など、現実逃避としか思えないことを言います。
今は、90歳超は普通で、100歳超もあり得る長寿時代です。

「そんなに長生きしない」より、長生きした場合のことを考えるべきですし、「何とかなる」で何とかなるほど老後資金準備は甘くありません。
「考えないようにしている」は、自分の未来から目を背けることです。

貯蓄がないまま老後に突入したらどうなるかを直視して想像してみてください。
貯蓄がないと、老後は公的年金だけで暮らすことになります。
現状でも、公的年金だけで生活費を賄えている人は、現役時代に高収入で年金額が多い人か、夫婦ともに長く会社員を続けていて2人分の年金をもらっているなど少数派です。
多くの人は年金だけでは足りていません。

仮に年金で最低限の生活費は賄えたとしても、レジャーや趣味、ちょっとした贅沢を楽しむ余裕はないでしょうから、ただ生存しているだけの老後になりそうです。
それに、持ち家の人は家のメンテナンスにお金をかけられない、入院したら医療費の自己負担分が払えない(保険の給付金で賄えればその限りではない)、要介護になったら生活費がさらに足りなくなるなど、深刻なことが起きそうです。
これら、足りない分や突発的な支出に対応できる貯蓄がないと、どこかから捻出しなければなりません。
子どもが補填してくれればいいですが、それが期待できなければ大変なことになりそうです。

■老後の貯蓄がない人は働き続ける覚悟を持って!
老後の貯蓄がない人は、厳しい老後生活になることは容易に想像できますね。
そんな人は少しでも貯蓄をする、働き続ける必要があります。
現役で働いているうちは、生活と家計を見直して貯蓄するお金を捻出して積み立てを。 そして、定年退職後の継続雇用または再就職は当然として、それが終了しても何らかの方法で働き続ける覚悟を持つこと、その準備をしておくことを念頭に置いて現役時代を送りましょう。

長く働けるよう技術を身に付ける、資格を取得することを考えてください。
「好き」を仕事にすると、長く働けるそうですよ。
なお、雇用保険の教育訓練給付金の対象になる講座を受講して修了すれば、受講料や入学金の一部を払い戻されるので、こういった制度を活用して技術や資格を取るといいでしょう。
※All About生命保険ガイド・小川千尋さんの記事を編集部が最新情報に加筆 (文:小川 千尋)
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2023年04月05日

「認知症予防」今すぐ始められる脳を守る12の対策

「認知症予防」今すぐ始められる脳を守る12の対策
脳ドックは受けたほうがいいか、専門家が解説
森 勇磨 : 産業医・内科医
2023/04/03 東洋経済オンライン

予防医学における「最後の砦」とも言える認知症。
元気はつらつで若々しい人でも、司令塔である脳の機能が低下してしまうと、健康な体を維持することは難しくなります。
一方で、肉体の自由がきかなくなり寝たきりになると、認知症の発症リスクを高めてしまいます。
つまり動けるように体を維持することが認知症予防なのは間違いなく、みなさんご存じのことと思います。

登録者数48万人超の人気YouTube「予防医学ch」を運営する現役医師でもある森勇磨氏。
このたび『怖いけど面白い予防医学』を上梓した同氏がみなさんに知っておいてほしい「エビデンスに基づいた効果的な認知症予防」を本記事でお伝えします。

認知症は、それ自体が「死」につながる病気であることは意外に知られていません。
もっとも、認知症自体が直接私たちの命を奪うというよりも、食事が摂取できなくなったり、「むせ」により異物が気道に入り込むことで起こる肺炎(誤嚥性肺炎)になりやすくなったりと、さまざまな原因がかけ合わさった結果、ゆるやかに「死」に向かっていくことになります。

一般的に認知症発症からの生存期間は、7〜10年といわれています。

認知症になる前の予防が大事
認知症は、一旦なってしまうと根治するための治療薬はなく、進行をやや遅らせる薬しかありません。
つまり、誰もができるだけ認知症になる前の「予防」に注力する必要があります。

では、認知症を予防するためには具体的に何をすべきなのでしょうか?
実は、科学的データに裏付けられた具体的な方法があります。
2020年に認知症には12種の原因があり、その対策を打つことで、なんと最大で40%も認知症を予防できるという論文が、世界的に著名な医学誌『ランセット』に発表されました。

その12種類の原因とは以下になります。
1 教育
2 難聴
3 高血圧
4 肥満
5 喫煙
6 うつ病
7 社会的孤立
8 運動不足
9 糖尿病
10 過度の飲酒
11 頭部外傷
12 大気汚染

これらの原因は一見バラバラに思えますが、よくよく見るとある「共通項」が浮かんできます。
実は、この12種類の原因に関して大部分を占める対策は、「動脈硬化予防」になります。
たとえば喫煙や肥満、過度な飲酒や高血圧、糖尿病といった要素はすべて動脈硬化を促進させます。
そして運動不足も同様に肥満や高血圧に直結します。

血管のはたらきは全身に過不足なく血液を行き届かせることなので、当然脳にも血管が張り巡らされています。
つまり脳を守ることは血管を守ることと同義といっても過言ではないのです。

補聴器で「社会的孤立」を防ぐ
血管と同様に「五感」を守ることも重要です。 12の原因の1つに難聴があります。
老化で耳が遠くなるのは自然現象ということは、みなさんも感覚的に理解されていることと思います。
こうした耳の聞こえが悪くなっていくことに対しては、とくに予防策はありません。
強いて言えば、騒音環境は聴力低下のリスクになるので、一部のバンド好きや騒音作業に従事する工場員などは注意すべきでしょう。
この聴力問題に関しては、耳が悪くなってからの対応のほうが重要です。
というのも、高齢になると「耳が悪くなるのはしょうがない」と当たり前に受け入れられ、とくに対策をするわけでもなく、老化現象の一貫として放置されがちだからです。

しかし、耳の聞こえが悪くなったときに、できることがまったくないわけではありません。
代表的な対策が補聴器です。補聴器は適切なタイミングでつけたほうがよいでしょう。
難聴の状態になると、音の刺激から人を遠ざけてしまいますし、人とのコミュニケーションも希薄になってしまいます。

さらに注目したいのが、12の原因の1つに「社会的孤立」があること。
社会的孤立とは、普段の生活のなかで、自分が接点を持てるコミュニティー・居場所がなくなってしまうことを意味します。この社会的孤立を防ぐための対人コミュニケーションは、認知症予防に非常に重要な要素になります。

つまり、補聴器をつけることで聴覚からの刺激が強まり、聞こえがよくなることで、家族や友人とのコミュニケーションが円滑になり「社会的孤立」を防ぐことができます。

ウォーキングをして外の景色の変化を感じる、足の筋肉を刺激し活性化させる――。
12の原因を因数分解してみると、いかに「体」と「脳」を刺激するかが認知症予防に重要であると、再確認できます。
少し論理が飛躍するかもしれませんが、何歳になってもチャレンジ精神を持って、前向きに生きていくことが一番の認知症予防かもしれません。

脳ドックは認知症予防に有効か
ちなみに、みなさんは「脳ドック」を受けられたことがあるでしょうか?
脳ドックは、豪華な人間ドックの検査項目に必ずといっていいほど含まれている項目です。
認知症対策のために脳の状態をチェックしておきたい、という理由で脳ドックを受けている方も少なからずいらっしゃいます。
しかし、認知症予防として正直なところを申し上げると、脳ドックはそれほど期待できないだろう、というのが私の本音です。
そもそもの話になりますが、実はこれほど脳ドックを一般的に行っている国は、世界中見渡しても日本だけなのです。
脳ドックでは、脳のMRI(磁気共鳴画像)の撮影や、頸部血管エコーと呼ばれる首の超音波検査をセットで行います。
これらの検査では血管が狭くなっていないか、あるいは脳腫瘍や脳動脈瘤(りゅう)がないかを調べます。

一見すると、認知症をはじめ、脳の病気の早期発見に有益に思える脳ドックですが、なぜ世界ではスルーされてしまっているのでしょうか?
脳ドックのルーツは、1980年代の北海道・札幌にさかのぼります。
札幌では1980年代に現代の脳ドックの先駆けとなる「脳動脈瘤検診」を行う取り組みをはじめており、この取り組みは当時、非常に好評でした。

それもそのはずです。恐ろしいくも膜下出血を引き起こす脳動脈瘤を事前に見つけられるセンセーショナルな検査が日本ではじまったとなれば、一度は受けてみたくなるでしょう。
以降、この脳動脈瘤検診は全国各地へ広がっていきます。
1992年には「日本脳ドック学会」が誕生します。
こうして脳ドックは人間ドックのスタンダードな検診としての地位を完全に確立しました。
しかし、それだけ素晴らしいものであれば、日本発信で世界中に広がっているはずですが……。
残念ながら世界では取り入れられる気配がまったくありません。

それどころか、アメリカにいたっては無症状の人に首の血管の超音波検査を行うのはグレードD、つまり「デメリットのほうが大きいから受けないほうがよい検査」という扱いになっています。
なぜ、検査を行わないほうがよいという判断にいたったかというと、間違って血管に異常があると判断され、必要のない手術を受ける方が一定の割合で生まれるためです。

このように脳ドックの検査だけではなく、一見メリットのありそうな検査でも、実は科学的に解釈すると受けると逆に健康を害する場合もある、ということは覚えておきましょう。

もちろん、認知症予防に関しての有効性が証明されているわけではないといった事実や、検査のメリット・デメリットをしっかり踏まえたうえで、脳ドックを受ける選択肢を持っておくことは悪いことではありません。
現状は勇んで推奨するほどの検査ではない、というのが正直なところです。

むしろ認知症予防のためには、先述した12の種類の原因を1つでも多くなくすために、日々の生活習慣の改善に取り組んでいくことのほうがとても重要です。
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2023年04月06日

高齢者の不安や孤独に「寄り添う」悪徳商法10選

高齢者の不安や孤独に「寄り添う」悪徳商法10選
90万円のリフォーム工事で321万円請求の驚愕
井艸 恵美 : 東洋経済 記者
2023/04/05 東洋経済オンライン

「オレオレ詐欺」をはじめとする特殊詐欺の被害に遭うのは、大半が高齢者だ。
なぜ高齢者が狙われるのか。
4月3日発売の『週刊東洋経済』の特集「狙われる高齢者 喰い尽くされる親のカネ」では、高齢者が詐欺や悪徳商法に狙われる社会的構造と、加害者たちの実像に迫った。

親の資産防衛マニュアルも収録。
家族を被害から守るための完全保存


住宅の床下に潜りながら、男はまくし立てた。
「もうジュクジュクでございま〜す。湿り気たっぷり。カビだらけ! こんなんほったらかしたら、ほんまに体も悪くなります」
床下点検に来たリフォーム業者の男だ。
この点検をきっかけに、大阪府在住の吉永慶子さん(仮名、73)は約300万円の工事を契約させられた。
経緯はこうだ。
吉永さんの家に電話があったのは、2019年1月のこと。「床下の点検に来たいという電話でした。数年前にしてもらったシロアリ予防工事の点検だと思い、そう尋ねると相手は否定しませんでした」と吉永さんは言う。
放置すれば病気になる 訪れた業者は以前の工事業者とは無関係だった。
床下に潜り、中の映像をテレビに映しながら「放置すれば病気になる」と不安をあおった。

吉永さん宅は築52年の木造2階建て。軽度の障害がある40代の息子と2人暮らしだった。
「このまま放っておいて家が傾いたら困る。私がおらんようになっても、息子がこの家で暮らしていけるようにと思って」 業者が提示した工事費用は約90万円。
一括で支払うつもりで契約書にサインした。
工事当日の朝、業者はトラック2台と軽自動車2台という大所帯で訪れた。
その日現れた社長が床下に入ると、「大変や。このままだと家がガタガタになる」と言って、調湿剤の散布や床下換気扇の設置など追加工事を勧めた。
吉永さんは「お金がない」と断るも、社長は「来年はもっとお金がかかる。分割で払えばいい」と食い下がる。
トラックには900キログラムもの調湿剤を含む大量の機材が積まれていた。
7人ものスタッフに囲まれた吉永さんは工事を断り切れなかった。

「後から考えればおかしいと思うけど、そのときはあっという間に話が進み、娘に連絡する時間もありませんでした」と吉永さん。
業者が契約書を作り直したのは、工事が進み、日も沈んだ頃だ。
吉永さんに以前作成した契約書を出させると、その場で破いて持ち帰った。
作り直された契約書は調湿剤以外に外壁やベランダ、防水の工事まで含まれ、総費用は321万円に上った。
工事から4日後、吉永さんは友人に相談し、クーリングオフを行おうとした。
訪問販売は契約日から8日以内であればクーリングオフができるからだ。

ところが、業者が工事当日に作り直した契約書の日付は、最初に点検を行った日付(14日前)になっていた。
それを理由に業者はクーリングオフに応じなかった。
吉永さんは不法な勧誘で契約を余儀なくされたとして、業者に損害賠償を求める訴訟を起こした。
大阪地方裁判所は2022年9月、客観性に欠ける点検や工事内容の拡大を不法行為と認め、吉村さんはすでに支払った90万円も取り戻した。

個別の被害回復には限界
吉永さんの代理人を務めた川本真聖弁護士は、「契約書に署名押印があれば自己責任だと考える裁判官もいる。証拠が手薄なことや裁判の負担から泣き寝入りしてしまう高齢者は多く、個別の被害回復には限界がある」と言う。

国民生活センターが注意喚起をする高齢者に多いトラブル10選の中でも、トップに挙げられているのが住宅修理だ。
一軒家では屋根や床下、マンションでは給湯器、つまり住民には見えにくい部分が狙われやすい。 東京都は今年1月、給湯器の点検を持ちかけ工事を契約させたリフォーム業者に、業務停止命令を下した。
相談件数は73件で、最高契約額は1450万円だった。

処分された業者はマンションの定期点検だと思わせ、「給湯器が水漏れしている」とうそを伝えていた。
東京都消費生活部の西尾由美子担当課長によると、被害者宅は築20〜30年のマンションが多く、高齢者単身世帯か、昼間は高齢者しか家にいない世帯だった。
「電話で訪問アポイントを取り付けていることから何らかの名簿があるとみている」(西尾課長)

元警官が架空請求被害に
詐欺被害者の心理に詳しい立正大学の西田公昭教授は、「後で客観的に考えればありえない状況なのに、その場にいる人の判断を重視してだまされることは、誰にでもある」と指摘する。
まさに「ありえない」と思える事件が起きた。

福岡県暴力追放運動推進センター(福岡市)は3月20日、業務に使うパソコンが一時乗っ取られるという被害に遭った。
暴力団とのトラブルを抱えた相談者など、延べ3500人の個人情報が外部に漏れた可能性がある。
60代前半の職員がパソコンを操作していたところ、「ウインドウズセキュリティーサービス」を名乗る案内が表示された。「ウイルスに感染してしまった」と焦った職員は表示された番号に電話をかけ、パソコンを操作したところ、遠隔操作に切り替わった。
電話口の男は2万円を請求したことから、架空請求詐欺未遂とみられる。
職員は、住民の相談を受ける県警OBだ。
同センターの事務局長は「普段は不審なメールは開かず、本当に用心深い人だ」と話す。
パソコンのサポート詐欺や架空請求も高齢者がよく遭う被害だが、暴力団や詐欺の手口に詳しい元警察官ですら見抜けなかった。

インターネットに関連する高齢者の被害は増加している。
顕著なのがネット通販の定期購入だ。
スマートフォンの画面に「初回無料」「サンプル」と大きく表示された商品を購入すると、2回目以降から高額になる定期購入品だったという手口だ。
東京都消費生活総合センターの村淳子課長は、「解約期間が短く設定され、解約するのも難しい」と指摘する。

ネット通販の被害相談では化粧品についてが最も多く、次いで健康食品が多い。
同センターによると、魚介類の購入を強引に勧める電話勧誘も増えているという。

毎月カニが送られる
全国消費生活相談員協会に寄せられた相談では、一人暮らしの高齢女性に毎月カニが送られていた。
納品書もなく、契約した経緯もわからなかったという。
こうした被害に遭いやすい一人暮らしの高齢者は増え続け、女性の単身世帯は2割を超えた。

認知症など判断力が不十分な高齢者からの相談のうち、訪問販売と電話勧誘販売が約半数を占める。
消費者被害に詳しい釜井英法弁護士は、「被害の現状に合わせて特定商取引法を見直す必要がある」と指摘する。
特商法では、訪問販売業者は「契約を締結しない旨の意思」の表示があった場合、再度勧誘してはならないことになっているが、意思表示の対象や内容が明確になっていない。

日本弁護士連合会は、電話勧誘を拒否する消費者を事前に登録する制度の導入や、訪問や電話勧誘販売を行う事業者を登録制にするといった改正を国に求めている。
前出のネット通販についての消費者相談は販売形態別で27%(2021年)と最多だが、現行法ではクーリングオフの適用外だ。

日弁連は、SNSなどネットを通じた勧誘にも適用すべきだとしている。
全国の消費生活相談件数は2004年度をピークにいったん減少するも、2008年以降は高水準で推移している。
消費者庁の推計によると、消費者被害やトラブルで支払われた金額の総額は約5兆9000億円(2021年)に上る。
この推計値には高齢者の「潜在被害」も上乗せされている。

高齢者の被害は本人が被害と気づかず、相談しないことが多いからだ。
実際、高齢者の場合、家族や周りの人が被害に気づくことが多い。

貴金属を低価格で買い取り
九州地方で一人暮らしをする男性(80代)は、訪問買い取り業者に、時計1本と貴金属6点を合計3万円という安値で買い取られた。
妻の形見の指輪も含まれていたという。
偶然、介護ヘルパーがその場を目撃したことから発覚した。
貴金属を不当に安く買い取る「押し買い」は、「何でも買い取る」と伝えて訪問、最終的に高価な貴金属を出させるという手口だ。
その男性の生活支援を担う家族代行サービス会社・LMNの遠藤英樹代表は、「ヘルパーが気づかなかったら、被害はわからないままだったはず」と言う。
押し買いというと乱暴なイメージがあるが、買い取り業に精通した業界関係者によると、訪問営業マンの特徴は「感じがよくて優しい、高齢者に寄り添ってくれるような人」だ。ゆえに「だまされた」とは感じにくい。

「悪徳商法や詐欺は相手の不安をたきつける。
誰でも1つは当てはまる健康やお金、親子関係の不安、そして孤独だ」(西田教授)
高齢者を孤立させれば、不安や孤独に「寄り添う」悪徳業者の思うつぼだ。
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2023年04月07日

「買わずにいられない」精神状態に導く催眠商法

「買わずにいられない」精神状態に導く催眠商法
あの手この手で高齢者の「心」を奪い去る
井艸 恵美 : 東洋経済 記者
2023/04/06  東洋経済オンライン

「オレオレ詐欺」をはじめとする特殊詐欺の被害に遭うのは、大半が高齢者だ。
なぜ高齢者が狙われるのか。
4月3日発売の『週刊東洋経済』の特集「狙われる高齢者 喰い尽くされる親のカネ」では、高齢者が詐欺や悪徳商法に狙われる社会的構造と、加害者たちの実像に迫った。
親の資産防衛マニュアルも収録。家族を被害から守るための完全保存版だ。

ある日、コンビニの空き店舗に「健康食品」と書かれたのぼり旗が立つ。
閉め切った会場にはパイプいすが並び、続々と集まる高齢者たち。
販売員の小話で盛り上がり、無料で洗剤やトイレットペーパー、おコメや卵など日用品や食品がもらえる。
暇潰し、お土産目当てに通っていたはずの来場者が高額商品を買わされる。

会場の雰囲気で高齢者の判断能力を鈍らせ、商品を売りつける「催眠商法」の手口だ。
国民生活センターが集計する相談者の支払金額は平均170万円に上り、「2カ月で500万円以上を契約した」という相談事例もある。
「普段は家族に冷たくされているお年寄りが、若い販売員に優しくされるとうれしいもの。
孫のように販売員をかわいがり、期待に応えようと商品を買う人もいる」

2カ月ごとに各地を転々
そう明かすのは、実際に催眠商法に携わっていた男性(50歳)だ。
男性は2002年に関西地方に本社を置く健康食品販売会社に入社。
6年間販売員を務めた。
2カ月ごとに各地を転々とする販売会場には、商品の魅力を伝えて会場を盛り上げる「講師」と、合いの手を入れて客と契約を取り付ける「アシスタント」の販売員がいた。

催眠商法の販売員をしていた男性と表彰状
20代後半に催眠商法の販売員をしていた男性(活動名はロバート・熊)。
成績優秀者として社内で何度も表彰された
現在は関西の食品スーパーで働いている
「帰りに無料で商品を配ると感謝してくれ、人当たりのいいおばあちゃんは、少し押せば財布を開く『見込み客』」だったという。
販売員の中には、高齢者から関心の高い健康の話題を振りまいたり、「母親をがんで亡くしている」と語って客の涙を誘う人もいた。

販売員には約26万円の基本給に加え、販売成績に応じた臨時ボーナスが支給される。
金払いのよい客を囲ったり、見込み客の取り合いをしたりと社員間の競争は激しかったという。
客側は、毎日話をするうちに情が湧き、特定の販売員を応援する気持ちが芽生える。
消費生活センターに寄せられた相談では高齢者が借金を負うなど、支払い困難になるまで追い詰める例もある。
だが、家族の心配をよそに、本人には被害に遭ったという自覚が乏しいケースが目立つ。
男性は「販売員はあの手この手で客の心をつかみ、最終的に『買わずにはいられない』という精神状態に持ち込む。
納得して買っているから、だまされたとは感じ切れない」と話す。

予防策は趣味を持つこと
催眠商法の予防策は、趣味を持つことだと男性は強調する。
「熱中できる対象がないから、販売会場が生きがいになってしまう」。
男性は催眠商法の被害撲滅を訴え、2018年に『あやしい催眠商法 だましの全手口』を出版。
手口を理解することが対策になると指摘する。
高齢者の心を操るその手法は、“詐欺”とも思わせないという意味で、被害を認知しやすい特殊詐欺以上に巧みだ。
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2023年04月08日

介護保険料、「月額2,075円」から今や「3倍近く」に 特養の空き待ちは27万5,000人

介護保険料、「月額2,075円」から今や「3倍近く」に 特養の空き待ちは27万5,000人 000人
2023年04月07日   幻冬舎ゴールドオンライン

「死」と距離が生まれてしまった現代では、自分の死について考える機会がめっきりと減ってしまいました。
ですが、死は誰にでも確実に訪れます。
50万部超の大ベストセラー『80歳の壁』の著者、高齢者専門の精神科医である和田秀樹氏が、35年以上の高齢者診療で辿り着いた「極上の死に方」について、新刊『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)より解説します。

特養の空きを待っている人は“27万5000人”
2025年までにすべての団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になります。
団塊の世代とは、1947〜49年に生まれた人たちで、この世代だけで約600万人います。
大量の後期高齢者を支えるために、社会保障、主に医療・介護、年金などが限界に達し、社会全体に負の影響がもたらされてしまう──といわれています。
この「2025年問題」を控え、在宅医療・在宅介護の重要性が認識されて、厚労省が「在宅医療・介護推進プロジェクトチーム」を設置したわけですが、訪問診療や訪問介護サービスを提供する体制はまだまだ不十分です。
本書の中で、介護保険制度が変節してきたと言いましたが、2000年に始まったとき、「措置から権利に」というスローガンがありました。

どういう意味かと言うと、それまでの高齢者福祉は、本人の意思とは関係なく、その人が福祉サービスを受ける要件を満たしているかどうかを行政が判断して提供する「措置制度」でした。
たとえば、この人はもう一人暮らしは無理だから施設に入れましょうとか、いや、まだまだ大丈夫なようだからご家族で頑張ってくださいね、とかいう形で行政が牛耳ってきたわけです。

それが介護保険制度を導入することによって、「措置」から「権利」になった。
つまり、毎月、保険料を徴収する代わりに、だれでも要介護と認定されれば介護を受ける「権利」を与えます、というものです。
権利をもらったわけですから本来、子育てが大変なので親の施設介護を選びたいとか、あるいは親の介護をしていたら会社を辞めなくてはいけなくなるので特養に入所させたいという要望があれば、それに応えなくてはならない。
ところが、国はその要望に応えられるだけの十分な数のホームをつくらなかった。
前述したように20年以上経ってもいまだに特養の空きを待っている人が27万5000人もいる。
2年待ち3年待ちというのは、権利でも何でもありません。
介護保険制度は3年ごとに見直されることになっていて、2025年には要介護3以上でなければ特養に入れないなどと勝手にルールを変えてしまいました。
そして先に言ったように、在宅看取りと在宅介護をごちゃまぜにして、在宅死のほうがいいですよ、と嘘をついて回ったわけです。

上がり続ける介護保険料、金額は3倍近くに跳ね上がり…
介護保険料が上がり続けているのは、ご存知ですか?
介護保険料は市町村(東京23区は区)ごとに決められます。
各市町村では、3年ごとの改正のタイミングで保険料の基準額を見直します。

介護保険の被保険者は、65歳以上の「第1号被保険者」と、40〜64歳までの医療保険に加入している「第2号被保険者」とに分かれています。
「第2号被保険者」の介護保険料は、事業者との労使折半で、各医療保険者(健康保険組合、共済組合)ごとに計算方法が異なります。
厚生労働省老健局の発表では、2000年の全国平均は月額2075円(事業主負担分、公費分を含む)でしたが、20年には5669円と3倍近くに跳ね上がっています。
2000年当初は月額2911円だった「第1号被保険者」の介護保険料も、18〜20年までの全国平均は5869円に上がり、21年には6014円で、初めて6000円を超えました。

値上がりの要因は、高齢化の進行と介護保険サービスを提供する事業所に支払う介護報酬の引き上げです。
すでにサービス利用者の自己負担割合も、所得に応じて1〜2割から1〜3割へ引き上げられています。
60歳で払い終わる年金とは違い、健康保険と同じく、介護保険料は65歳以降も払い続けなくてはなりません。
あまり意識されていないかもしれませんが、介護保険料は一生払い続ける保険なのです。
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2023年04月09日

"朝風呂"に3つの健康リスク

"朝風呂"に3つの健康リスク
池谷 敏郎 : 医学博士/池谷医院院長
2023年04月08日 東洋経済オンライン

生活習慣病、血管、心臓など内科・循環器系のエキスパートで「血管の名医」として知られ、日々多くの患者と接する医学博士の池谷敏郎氏。
テレビ番組『あさイチ』(NHK)、『世界一受けたい授業』(日本テレビ)やラジオ番組などに多数出演し、楽しくわかりやすい解説が好評を博している。

過去15キロ以上の減量に成功し、その減量メソッドを全公開した15万部のベストセラー『50歳を過ぎても体脂肪率10%の名医が教える 内臓脂肪を落とす最強メソッド』に続き、『60歳を過ぎても血管年齢30歳の名医が教える 「100年心臓」のつくり方』を上梓した。

「人生100年時代」を最期まで元気に満喫できるかどうか健康長寿のカギを握る「『心臓の健康』にいい生活」を、運動、食事、メンタルなどなどあらゆる観点から解説し、「100年もつ心臓」を作るための秘訣を全公開した1冊だ。
同書は発売わずか6日で3刷2万部を突破するなど、大きな話題を呼んでいる。

その池谷氏が「シャワーも危険『朝、風呂に入る人』が知らない3つの健康リスク」について解説する。

実は「健康リスク」が潜んでいる「朝風呂」
「起きてすぐシャワーを浴びる」「お風呂は夜ではなく朝に入る」など、「朝風呂」をしている人は少なくありません。
私は長年、血管、血液、心臓などの循環器系のエキスパートとして数多くの患者さんたちと接してきましたが、そのなかにも同じように実践している人もいます。

お風呂やシャワーで体を温めるから、「体によさそう」と思われがちですが、実はその「朝風呂」で、かえって心臓に負担をかけてしまっていることがあるのです。
では、シャワーも含めた「朝、風呂に入る人」が知らずにいる「健康リスク」とはどのようなことでしょうか。
多くのリスクが考えられますが、ここではそのなかの3つを紹介します。

ひとつめは、「油断すると『脱水』『立ちくらみ』を起こす」ということです。
「入浴前」と「入浴後」は「水分補給」が必要
【リスク1】油断すると「脱水」「立ちくらみ」を起こす 入浴前と入浴後で注意が必要なのが「水分補給」です。
入浴中はかなりの汗をかくので、きちんと水分補給をしないと「脱水症状」を起こしてしまうからです。
外出するときなど、普段の生活では注意する人も多いですが、入浴時は意外と見落としがちです。
また、お風呂から上がった瞬間、ふっと「立ちくらみ」がしたという経験をされた方も少なくないと思います。
熱いお風呂に入ったり長時間湯船につかったりして、血圧が下がった状態で急に立ち上がると、脳に十分な血液が行きわたらず、立ちくらみのような状態になるのです。
とくに夏場のお風呂では、「脱水」と「立ちくらみ」になりやすいので、注意が必要です。
これらは「朝風呂」に限ったことではありませんが、これから1日の活動を始めるという朝に、体に不調をきたさないよう十分気をつける必要があります。

【リスク2】「空腹時」は「めまい」も起こしやすい 「空腹時」にお風呂に入ることも「めまい」を引き起こしやすいのでNGな行為です。「空腹時」にお風呂に入ると、血圧が下がりやすくなるからです。
「空腹時」は「脱水状態」にもなりやすくなります。血管内を流れる血液の水分量が少なくなることで、血管内圧である血圧が低下します。
血圧の低下は、体の上に位置する脳への血流不足を招きます。
この状態は「めまい」だけでなく「失神」も起こしやすいので注意が必要です。

朝から飲酒する人はほとんどいないと思いますが、これに関連して付け加えると、血圧が下がってしまうということでは「飲酒直後」もNGです。
アルコールには「血管拡張作用」があるからです。
「空腹時」や「飲酒直後」の入浴は、季節に関係なく注意しなければいけません。1年中の注意事項です。

3つめは、「実は『朝風呂』は『ストレス』をかけている」ことです。
【リスク3】実は「朝風呂」は「ストレス」をかけている これまで「血圧を下げてしまう」ということで「朝風呂の入り方」の注意点を紹介してきましたが、「血圧の急上昇」も要注意です。
そして、これは「ストレス」にもつながるので、心臓に負担がかかります。
たとえば、とくに冬場は、朝の脱衣所や洗い場は寒く、「血圧が上昇」します。
続いて熱い湯船に入れば、力みと湯の熱さの刺激で「血圧が急上昇」してしまいます。
冬は寒い脱衣所から急に熱い湯船に入れば、力みと湯の熱さの刺激で「血圧が急上昇」し、心臓に大きな負担がかかる。
夏の冷たいシャワーも寒冷刺激で「血圧を急上昇」させやすいので要注意。

「朝風呂」は入り方ひとつで、心臓に「やさしく」もなり「ストレス」にもなる(イラスト『「100年心臓」のつくり方』より)
また、夏は暑いからと冷たいシャワーを浴びがちですが、寒冷刺激は「血圧を急上昇」させやすいので注意が必要です。
つまり、「朝風呂」の入り方ひとつで、心臓に「やさしく」もなり「大きな負担」にもなるということです。

「朝風呂」の入り方には、行動一つひとつを気をつける必要があります。

では、心臓に負担の少ない、「心臓にやさしい入浴法」とは、どのようなものでしょうか。

【おすすめの入浴法】
2つの「池谷式入浴法」で健康リスクを回避
私がおすすめしている方法は、「オヤジっぽく入る」「年寄りっぽく出る」というものです。

「オヤジっぽく入る」とは、湯船につかるときは「あ゛〜〜〜〜♪」と言いながら、脱力して入ることです。
よく温泉などでおじさんが言いながら入っていますよね。あんなイメージです。
勢いよくドボンと入ると、血圧が急に上がってしまいます。ゆっくり入ることで、血圧の急上昇を防ぎます。

「年寄りっぽく出る」とは、お湯から上がるとき「どっこいしょ」と言いながら、ゆっくり出ることです。
膝に片手を当て、他方の手で浴槽のふちか手すりをつかみ、軽く腰を曲げ、頭を下げ、「どっこいしょ」と言いながらゆっくり立ち上がって、お風呂から出ます。

湯船から立ち上がるときに、「立ちくらみ」の症状を起こす人もいます。
お湯で温まって血管が拡張し、血圧が下がった状態でいきなり立ち上がると、頭に血液が行かずに「脳の血流不足」を起こしてしまうのです。
魅力的ではない方法かもしれませんが、「心臓にやさしい入浴法」として、ぜひ試してみてください。

「心臓にやさしい入浴法」で「心臓の健康」を保とう
「血圧の急上昇」は、血管と心臓に負荷をかけ、「血圧の過度の低下」は、血管内を流れる血液を停滞させ、血栓のリスクを高めてしまいます。
このような「リスクを回避する方法」を知り、心がけていけば、「心臓の健康」も維持できます。
みなさんも「心臓にやさしい入浴法」を実践して、人生100年時代を最期まで満喫できる「100年心臓」を、ぜひ手に入れてくださいね。
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2023年04月10日

環境保護団体がテロ活動に走る根本原因

世界はもうすぐ終わるのに、バカなみんなはわかっていない…環境保護団体がテロ活動に走る根本原因
2023年04月09日 プレジデントオンライン

地球温暖化防止をうたう環境保護団体の活動が、欧米を中心に過激化している。
明星大学准教授の浜野喬士さんは「世界が終わるかどうかの瀬戸際なのだから、一切の現行の法は無効、あるいはより高い目的のために『踏み越え』ていいと、彼らは考えている」という――。

■「環境的黙示録」という強い思い込み
「市民的不服従」を解説した前編に続き、後編の本稿では、ラディカルな活動を展開する「ジャスト・ストップ・オイル(JSO)」や「最後の世代(LG)」といった環境団体の行動を読み解くもうひとつの鍵として「環境的黙示録(Environmental Apocalypse)」という概念を導入してみたい。

黙示録(Apocalypse)あるいは終末論(Eschatology)とは、私たちが世界が終わるその直前、瀬戸際にいる、という思想である。
これにはさまざまなバージョンがある。
環境的黙示録とは、おおむね次のように説明できる。
「気候変動によって、この現在の世界は終わる/あるいはその瀬戸際に私たちはいる。
待っているのは完全な破滅か、救済かである」という主張だ。

環境的黙示録にはさまざまなバージョンがある。
第一の分岐点は、世界が終わった後に何が来るのか、についての考え方である。
完全な無、あるいは絶望に満ちた新しい世界が来ると説く者もいれば、化石燃料から解放され、あらゆる差別や抑圧が消滅し、肉食が廃止され菜食が普遍化した「真の環境的ユートピア」が来ると主張する者もいる。
さらにそれぞれが描く未来に応じて、「世界の終わりは阻止すべきだ」「いやむしろ加速すべきだ」「人類全体を救うべきだ」「目覚めた一部の民だけを救えばいい」といった、運動の方向性の違いが生じてくる。

しかしいずれにせよ、現在のこの世界がこのままの状態で続くことはない、という認識では、環境的黙示録論者は一致している。
われわれに残されているのは、大変革か破滅かの二択であり、かつ世界が終わるかどうかの瀬戸際なのだから、一切の現行の法は無効となる、あるいはより高い目的のために「踏み越え」が可能になると、彼らは考える。

■活動家たちのただならぬ切迫感
JSOやLGのメンバーの証言には、こうした環境的黙示録の傾向が散見される。
2022年3月にプレミアリーグのピッチに乱入し、自分をゴールポストに縛りつけた20歳のJSO活動家は、ただならぬ切迫感とともに次のようなコメントを残した。
「もし私たちが気候の制御を失うならば、そして私たちは今まさにそこに向かっているわけだが、私たちはすべてのものを、そしてすべての人を危険にさらすことになる」。

同年10月、モネの『積みわら』にマッシュポテトの粥をかけたLGのメンバーは、絵の前で次のようにアピールした。
「人々が飢えています。人々が凍えています。人々が死んでいます。私たちは気候のカタストロフィの中にいるのです。(中略)
あなたがたが耳を傾け、これまで通りのことを続けなくなる時はいったいいつ来るのでしょうか?」。

JSOやLGは、欧州やアメリカ、オーストラリアなどの9団体とともに、「A22ネットワーク(A22 Network)」という連携を作っている。
このA22ネットワークの「宣言文」(2022年4月)も、徹頭徹尾、環境的黙示録の雰囲気に満ちている。
「われわれは旧世界の最後の世代(Last Generation)である。
(中略)旧世界は死にかけている。
私たちは最後の時間のうちに、最も暗い時間のうちにいる。
(中略)私たちがいま為すことが、この世界と次の世界の運命を決する」。

■過去の環境運動でも見られた思想
いずれにせよJSOやLGのメンバーたちは、ある意味で「感受性」が強く、また「真剣」であるため、ただならぬ形で切羽詰まっている。
この切羽詰まり感、危機が目前に迫っているという感情を、ここでは「窮迫性」と呼ぶことにしよう。
この窮迫性は最近になって見られるようになったものではなく、核実験反対運動から出発した初期の「グリーンピース」や、木に釘を打ち込むことで伐採コストを高め(伐採の前に一本一本調査が必要となる)、開発に抵抗するという手法で一世を風靡(ふうび)したラディカル環境団体、「アース・ファースト!(Earth First!)」の環境的選民思想などのうちにも見られた現象である。

■法の踏み越えがむしろ「道徳的義務」に?
さて、「市民的不服従」として許される「法の踏み越え」の範囲は、「窮迫性」の度合いに比例する(少なくともJSOやLGのメンバーの一部はそう考えている)。
気候変動をめぐる危機的状況が『旧約聖書』「創世記」の「大洪水」にも相当するものだとすれば、法の踏み越えは、むしろ道徳的義務ないし神学的義務となる。

JSOやLGを批判的に見る人(そこには私も含まれる)は、彼らを「おかしな人」たちと考える。
しかし気候変動を並々ならぬ「窮迫性」で捉えるJSOやLGのメンバーからすれば、環境的カタストロフィを前にして自分たちと同じような行動をとらぬ人たち(社会の多数派としての「われわれ」)こそが「おかしな人」である。
彼らの目には「われわれ」は、「箱舟」を作るノアを「嗤(わら)う」人々、つまりノアの周りに存在していたであろう人々――最終的に大洪水にのみ込まれた人々――のように映るのである。

■運動のキーパーソンの人物像
ロジャー・ハラムについて考えることは、環境的黙示録が市民的不服従をいかに「汚染」しているのかを見極めるための好例になるだろう。
彼はXRの実質的創設メンバーの一人であると同時に、JSOの主要メンバーの一人である(彼はTwitterで1万3000人ほどのフォロワーを持ち、YouTubeに自分のチャンネルも開設している)。
1966年生まれのハラムは、もともと小規模な農業経営者だったが、彼の言うところによれば、気候変動により家業は破綻し、その後、環境・平和活動家として運動に関わりつつ、キングス・カレッジ・ロンドンで市民的不服従を研究をしたという。

2019年、彼はヒースロー空港拡張反対運動の一環として、ドローンを空港上空に飛ばそうと計画し、逮捕された。その獄中で書いたのが『若者たちへのアドバイス、君たちは全滅に直面している(Advice to Young People, as you Face Annihilation)』というパンフレットである。
このパンフレットでハラムは市民的不服従やキング牧師などに言及しつつ、自身の来歴についても語るのだが、気候変動とその帰結を語る段になると、記述はまさに環境的黙示録というべきもの、しかもそのもっとも極端なバージョンに変化する。
気候変動の破滅的帰結、海面上昇による世界の沿岸部の破綻、食料危機といったかたちで、世界の終わりが窮迫性とともに描かれる。
さらに彼は、政府や企業、中産階級はもちろん、「グリーンピース」やリベラル左派、さらには急進的左派も総否定する。

とにかくハラムの考えるかたちでの直接行動以外はすべて滅びの道、全滅の道なのである。

■預言者的な語りで学生を扇動
「人々は店や家に押し入り、持てるだけのものを持ち去り、立ちはだかる者を殺すだろう。
社会の崩壊の終着点は、あらゆる都市で、あらゆる地域で、あらゆる通りで演じられる戦争である。
これが君たちの世代に起こるであろうことである」――。

ハラムがこうした預言者的な語りで引き出そうとしているのは、若者の理性や熟慮ではなく、気候変動への直観的な恐怖、怒り、「窮迫性」なのである。
ハラムはその後、実際に複数の大学で講演活動を行い、JSOに大学生を勧誘した。
また2022年1月のグラスゴー大学での講演では、学生たちに対して、気候変動と戦う「革命家にならねばならない」と述べ、扇動したと言われる。

■「法を超えた正義はある」という主張にどう反論するか
JSOやLGを批判するならば、「あなたたちのやっている行為は違法行為だ」という言葉では届かないだろう。
というのも彼らは「違法行為上等、法を超えた正義はあるのだ」というスタンスだからである。
むしろこう言うべきである。
「あなたたちの活動は市民的不服従の正当化の範囲と歴史を逸脱している、あなたたちの行動は市民的不服従を僭称する偽物だ」と。
このように批判しないと、私たちには、法に抗う余地がなくなる。歴史の各所で見られるように、法も時には暴走する。
市民的不服従というカードをまるごと捨ててしまえば、私たちは「悪法もまた法なり」の言葉だけが支配する世界を生きなければならなくなる。

マハトマ・ガンディーは1930年に有名なデモ、「塩の行進」を行い、数万人の逮捕者を出したが、その際彼は伝統的な仕方で塩を作るパフォーマンスを行い、公然とイギリスの塩の専売に反逆してみせた。
しかしこの行為も、当時の法律では「犯罪」だったわけである。

私たちが自分たちの世界に、きちんとした形で不正への抵抗の余地を残したいのであれば、市民的不服従の範囲を丁寧に定めつつ、それを確保していくことが必要である。
そのためにはJSOやLGに漂う環境的黙示録などの危険な傾向や、市民的不服従の濫用などをきちんと指摘し、彼らの主張に軽々しく共感してみせることや、彼らの行動を擁護することを慎まなくてはならない。

■極論に引き裂かれる社会を救うには
今回の問題について、私は次のことが重要だと考える。

1.まずは議会の中の民主主義にまだできることがあると信じ、立法、政策といった民主主義の王道で粘ってみることを重視するべきだ。
2.次に議会の中の民主主義が機能不全に陥っている場合にやむを得ず行われる、自己抑制的で非暴力的な市民的不服従、つまり、つねに自己が誤っている可能性を疑い、自己点検を怠らない市民的不服従については、正当に評価するべきだ。
3.そして抑制を欠き、自分たちの正義の無謬性を狂信し、カルト的な要素すら含む活動については、そこに市民的不服従の名を認めず、距離をとるべきだ(JSOやLGらの思想的背景を研究することは、ここに貢献することになる)。

これらはすべて「凡庸な」提案である。
たが、世間やネットの意見が両極端に振れ、それに埋め尽くされる場合には、「凡庸」は「中庸」に姿を変え、よりよき社会の実現のための一助となるかもしれない。

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浜野 喬士(はまの・たかし)
明星大学准教授
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2023年04月11日

J-CASTニュース 統一地方選「ひとり負け」の共産党、除名騒動が影響か 次期衆院選に「大ダメージ」の可能性

統一地方選「ひとり負け」の共産党、除名騒動が影響か 次期衆院選に「大ダメージ」の可能性
J-CASTニュース  2023.4.10

2023年4月9日に投開票された統一地方選の前半戦では、41道府県議選の改選定数2260議席のうち自民党が1153議席を確保した。
前回19年の1158議席は下回ったものの、過半数は維持した。
日本維新の会が大幅に議席を伸ばす一方で、立憲、公明は微増。そんな中で「ひとり負け」の様相を呈しているのが共産党だ。

議席の4分の1近くを失い、所属議員がいない「空白県」も多数生まれた。
共産党では2月から3月にかけて、党首公選制を書籍で主張したベテラン党員2人が「分派」活動を行ったとして、党規約で最も重い除名処分を相次いで受けている。
この対応には批判も多く、統一地方選に影響するとの見方が出ていた。

1つだった「空白県」が5つに増える
共産党は41道府県議会で99議席を持っていたが、改選後は75議席に。およそ4分の1を失った。
41道府県の内訳をみると、千葉や愛知など8県で議席を増やした。
愛知は県議会に共産党議員がいない唯一の「空白県」だったが、解消された。
ただ、19道府県で議席を減らした。
このうち、新潟、福井、静岡、福岡、熊本の5県からは1人も当選することができず、空白県に転落した。

最も多い12人がいた京都は9人の当選にとどまった。
除名された松竹伸幸氏(68)と鈴木元氏(78)が所属していた「震源地」でもある。
残る14県では横ばいだった。

 衆参補選は23日投開票
 機関紙「しんぶん赤旗」は4月10日の紙面で、「愛知で議席空白を克服」の大見出しで選挙結果を伝えた
2番手の見出しには「道府県議選 大阪・吹田 議席守る」。
3番手の見出しで「福岡、熊本など新たに空白」と、退潮ぶりを伝えた。

松竹氏は4月10日午前に更新したブログで、大きく二つの敗因を指摘している。

ひとつが、これまでどおり党勢拡大にリソースを投下したために「地域住民の気分とか何を求めているかを探り、それに見合った政策や宣伝という点で不十分な結果」になった、という点だ。

もうひとつが、除名問題をメディアが批判したことについて、共産党側が「反共は戦争の前夜」というフレーズを使って反発し、統一地方選で争点化しようとしたことだ。
「反共」批判は次第にトーンダウンしたものの、それでも有権者の間には「共産党に対する違和感が沈殿」してしまったとみる。

共産党は21年の衆院選で唯一の小選挙区の議席を守る一方で、比例は11議席から9議席に後退している。
衆院議員の大半は比例票で議席を得ている構図で、統一地方選の余波で衆院選の比例票が減れば議席数に直結する。

除名された鈴木氏は3月17日に開いた記者会見で、統一地方選の結果によっては、衆院選で「大ダメージを受けることになる」と警告している。
   (J-CASTニュース編集部 工藤博司)
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2023年04月12日

圧倒的に多い「自宅転倒」おひとりさまの重大危険

圧倒的に多い「自宅転倒」おひとりさまの重大危険
高齢期の前に進めておきたい片づけのポイント
杉之原冨士子 : サマンサネット社長
2023/04/11 東洋経済オンライン

「おひとりさま」と聞くと、「独身の人」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、離婚したり、配偶者が亡くなったりすることで、既婚者でもおひとりさまになる可能性は十分にあります。
「将来に備えて何かしなければ」と漠然とした不安を抱えることなく、「準備は整った、もう大丈夫」と、残りの人生を安心して過ごすためにはどうすればいいのでしょうか。
『おひとりさま最後の片づけ やるべきこと・やらなくてもいいこと』より一部抜粋・再構成のうえ、片づけに動くべきタイミングとポイントについてご紹介します。

体力が落ちる前の準備が大切
皆さんは「プレシニア」「アクティブシニア」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
この言葉は国土交通省の資料(「高齢期の健康で快適な暮らしのための住まいの改修ガイドライン(平成31〈2019〉年3月28日公表」)の中で用いられた言葉で、プレシニア(50〜64歳)、アクティブシニア(65〜74歳)と記載されています。

今50歳の方が「プレシニア」の枠に入るなんて! とショックを受けるかもしれません。
けれども、これからの片づけは高齢期に入る前に意識することと、準備することがとても重要なのです。
住まいは人が生きていくための基盤です。
幸せになるための条件です。

日々買い物に行き、食事をつくり、掃除をする。普通の日常生活を送ることのできる暮らしの中で、夢や希望は生まれてきます。
それは、住まいが快適な状態であるからこそできることなのです。

高齢期の住まいは安心・安全で快適な部屋であることがベースになります。
そうでないと、家の中でケガをして入院したり、ゴミ屋敷化して最終的に空き家になったりという最悪のケースにつながるのです。
だからこそ「プレシニア」の段階での快適な暮らしを意識した片づけが「シニア」世代の、豊かで自分らしい暮らしにつながるのです。

重要なのは、何も置かない殺風景な部屋にすることではありません。
シニア世代を見据えつつ、本当にやりたかったことが今こそできる、ポジティブな部屋にしていきましょう。
まずは「人生を楽しむための片づけ」のポイントをいくつかまとめてみました。

ポイント@ 片づけなくていい場所を把握する
突然ですが、おひとりさまになったときにあなたは「これからどんな部屋で、どのように過ごしたい」と思いますか?
自分好みの部屋を想像するとワクワクして、自然とニヤニヤしてしまいますよね。
もちろん、その部屋の中に、使っていないモノやあなたが好きではないモノは決して存在していないはずです。

あなたの部屋の中で、気になっている場所はありませんか?
誰にでも片づけたいモノや片づけたい場所があるものです。
思い浮かんだモノや場所があれば、まずはそこから片づけましょう。
きっとそれは、自分の理想の部屋にするために必要な作業なのだと思います。
もし、どこから片づければいいかわからない場合、最初に片づけるのは、いつも使っている場所です。
使っていない場所を、わざわざ片づける必要はありません。

また、天袋は数年間まったく使わなかったモノが入っていることが多いです。
つまり、これまで開けなくてもまったく不自由を感じなかったわけです。
このような場所は、片づけなくていい場所と言えます。せっかくモノが収まっているのに、天袋からわざわざすべて引っ張り
出して、整理し直す必要はないのです。

理想の部屋にするためには、すべての場所を整理する必要はありません。
おひとりさまの片づけは、重点的に片づけるべき場所や、わかりやすく整理するべきモノがあり、そこをおさえて片づければいいのです。

ポイントA 何よりも「安心・安全」が大切
おひとりさまの片づけのそもそもの目的は何でしょうか?
それは、シニア世代に向けて「ずっと元気で楽しく暮らせる部屋にすること」です。
そのためには、安心して暮らせる、安全な部屋にすることが大切です。
「安心・安全な部屋」と聞くと、「うちは危険な部屋なんかないから大丈夫!」と思われるかもしれません。
けれども、下の東京消防庁のデータを見てもらうとわかるように、実は、多くの高齢者が自宅内で転んで救急搬送されているのです。

「ころぶ(転倒)」「落ちる」「おぼれる」「やけど」など、日常生活の事故の理由を調べると、高齢者では「ころぶ(転倒)」が約8割を占め、発生場所は「居住場所」、つまり自宅内59.4%と6割近くに及んでいます。
私が「おひとりさまの片づけでは、何よりも安心・安全が大事です」と口を酸っぱくしてお話しする理由は、こうしたデータが根拠になっています。

高齢になると、体力や筋力の低下により敷居などのほんの小さな段差でもつまずいて転んでしまいます。
このほか、コタツのコードやコタツ布団、階段など、家の中には実は危険なものがいくつもあるのです。
しかも、高齢者の「ころぶ」事故で怖いのは、大腿骨骨折など大きなケガにつながりやすく、入院しなければならなくなることです。
2020年のデータでは、救急搬送された高齢者の38.3%と4割近くが、入院の必要がある「中等症以上」と診断されています。
歳をとるとケガの治りも遅くなります。
入院生活が長く続くと、心身の機能が一気に衰えるため、「ころぶ」事故がきっかけで車イス生活になったり、寝たきりになったりしかねません。
そうならないためにも、「安心・安全」を第一に部屋を点検することはとても重要です。

ポイントB 完璧を目指さない
おひとりさまの片づけを始めるにあたり、ぜひ知っておいて欲しいことがあります。
この時期の片づけは、若い頃の片づけとは大きく違うことです。
それは、すべての場所を整理して、完璧な片づけをする必要はなく、今、「使っている場所」と「使いたい場所」を優先して片づければいいのです。

すぐに始めなければと焦りがちですが、まずは優先順位を決めて、片づけることがポイントです。
おひとりさまの片づけに、新しい収納のノウハウなどは不要です。
これまで長い間こなしてきたあなた流のやり方でいいのです。

「きれい」かどうかではなく、「あなたが使いやすい」かどうかで整理すればいいのです。
モノと向き合うには、時間がかかり、途中で面倒になるかもしれません。
だからこそ大事なことは、すべての部屋を完璧に片づけることではなく、自分のために自分の好きな場所を片づけることだと知って欲しいのです。 面倒だと思う方はできる場所からでかまいません。この段階でいやになり、片づけを投げ出してしまうことのほうが問題です。

おひとりさまの片づけは、使っているモノをざっくり残すだけ、収納するだけと大雑把でかまいません。
使っていないモノは処分や移動をして物量を減らします。
たとえば、カトラリー(食卓用のナイフ・フォーク・スプーンなど)は種類やサイズなどをきっちり分けて収納しなくても、大まかに分けられていればOK。
衣類もあなたのたたみ方で引き出しに収納します。
それでは片づかない……と思うかもしれませんが、実は、使っているモノはそれほど多くはありません。
量をしっかり減らせば、収納術など気にしなくても、何がどこにあるかわかるように収納できます。

片づけをスムーズに進め、途中で投げ出さないためには、「完璧を目指さないこと」が大切です。

ポイントC 「いる」「いらない」をわかりやすく分ける
おひとりさまの片づけで意識して欲しいのは、次の3つです。

(1)転んでケガをしないよう、床に置いてあるモノを取り除く
(2)必要なモノがどこにあるかわかり、すぐに取り出せるようにする
(3)思い出の品を整理して、すぐに見られるようにする

(1)の「転んでケガをしないよう、床に置いてあるモノを取り除く」ですが、敷居、絨毯など段差でつまずく、玄関のマットで滑る、浴室で滑る、階段・脚立からの転落、布団やコードに足がからんで転倒するなど、実は、自宅の中には危険がたくさんあります。
それだけではありません。日常生活をする上で住まいの中を動く線をつないだものを生活動線と言いますが、特に頻繁に移動するリビングやキッチン、トイレなどの生活動線上にモノが置いてあると、転倒の可能性が高くなります。

おひとりさまの片づけは床面をできるだけ広くすることで、動線をスムーズにすることが重要です
使用しているモノや大事なモノ、これら「いる」モノは動線上から移動させます。

(2)の「必要なモノがどこにあるかわかり、すぐに取り出せるようにする」ですが、ここで言う「いる」モノは主に2種類あります。
一つは、「日常生活に必要なモノ」で、キッチン用品や生活雑貨、衣類など、生活の中でよく使うモノです。
もう一つは「重要なモノ」で、通帳や印鑑、契約書類、保険証書、年金手帳、マイナンバーカードなどです。
こうしたモノを必要なときにすぐに取り出せるようにしておきます。

(3)の「思い出の品を整理して、すぐに見られるようにする」ですが、「思い出の品」とは、「自分にとって大切なモノ」のことです。
これまでの人生の中でさまざまな思い出のモノ、大切なモノがあるはずです。
ちなみに、私は息子が幼稚園に入園するときにパッチワークで作ったレッスンバッグを思い出のモノとして箱に入れています。
ボロボロだし息子はもういらないと言っていましたが、これは私にとっての大切な思い出のモノ、頑張って子育てをしていたときのことを思い出し幸せな気分になるモノなのです。
その箱を開ければいつでも見ることができます。

あなたは大事な写真をどのように整理していますか? アルバムに整理していますか? お菓子の箱などにそのまま保管している方も多いと思います。
スマートフォンに保存している人も多いでしょう。
大事な写真のはずですが、整理していないと取り出して見ることも少ないでしょう。
厳選してポケットアルバムに入れたり、写真をフォトフレームに入れて飾ったりして、お気に入りの写真を手元に置いていつでも見ることができるようにするのもいいでしょう。
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2023年04月13日

「年金の繰り上げは損」というけれど、減額以外に“損になること”って?

「年金の繰り上げは損」というけれど、減額以外に“損になること”って?
2023年04月12日 All About

繰り上げ受給は本当に損なのでしょうか。
繰り上げ受給の減額率や繰り上げ受給が「損」といわれる理由などをご紹介します。

■繰り上げ受給すると1カ月ごとに0.4%減額される
老齢年金は原則65歳が受給開始年齢ですが、60歳から65歳になるまでの間、1カ月単位で繰り上げ受給することができます。
その場合、1962年(昭和37年)4月2日以降に生まれた人は1カ月繰り上げるごとに0.4%減額、同年4月1日以前に生まれた人は1カ月ごとに0.5%減額されます。 例えば、減額率0.4%で5年繰り上げると、24%(=0.4%×12カ月×5年)が一生涯カットされるわけです。
減額率0.5%では30%(=0.5%×12カ月×5年)です。
いったん繰り上げ受給を申請すると取り消すことはできません。

■老齢基礎年金と老齢厚生年金は同時に繰り上げになる
老齢基礎年金と老齢厚生年金を受給できる人が、老齢基礎年金を繰り上げ請求する時には、原則として老齢厚生年金(共済も含む)とセットで同時に行うことになります。
老齢厚生年金にも同じ減額率が適用されます。
+ただし「特別支給の老齢厚生年金」を受給する人の繰り上げ請求には、別のルールがあります。
複雑ですので、年金事務所や専門家の説明を受けることをお勧めします。 +

■繰り上げ受給の損益分岐年齢は「受給開始年齢+20年10カ月」
繰り上げ受給で最も気になることは、俗にいう損益分岐年齢(=65歳受給開始で受け取る合計額が繰り上げ受給のそれに追いつく年齢)でしょう。
繰り上げ受給の損益分岐年齢は、減額率0.4%の場合「受給開始年齢+20年10カ月」(例:受給開始年齢60歳の損益分岐年齢は80歳10カ月)、減額率0.5%の場合「受給開始年齢+16年8カ月」(例:受給開始年齢60歳の損益分岐年齢は76歳8カ月)です。

令和3年簡易生命表によると、60歳の平均余命(*)は、男性24.02(推定寿命84歳)、女性29.28(推定寿命90歳)です。
年金を繰上げして60歳で受給開始するとして、平均余命まで生きると仮定して考えてみましょう。
損益分岐年齢は80歳10カ月ですから、84歳まで生きる男性は約3年、90歳まで生きる女性は約9年も超えてしまいます。
繰上げによって年金が生涯にわたり、減額されてしまうと家計へのダメージは大きいといえます。

*平均余命:年齢ごとに算出した「あと何年生きられるか」という期待値 繰り上げ受給のダメージは年金の減額だけではありません。詳しく見ていきましょう。

■繰り上げ受給でなくす権利は大きい!
繰り上げ受給を選択すると、年金の減額だけでなく次の権利を失います。

・障害基礎年金を受けることができない
・寡婦年金(*)の受給権を失う
・配偶者が死亡した時、65歳になるまでには遺族厚生(共済)年金と併給できない

*寡婦年金:国民年金の第1号被保険者として保険料を納めた期間(免除期間を含む)が25年以上ある夫が死亡した時に、10年以上の婚姻関係があり生計を維持されていた妻に60歳から65歳まで支給される年金。
ただし、夫が障害基礎年金や老齢基礎年金を受給していた時には支給されない

これらの権利は、本人が障害状態になる、配偶者が死亡するなど家族環境が急変した時に、効果を発揮します。
ある意味その後の活の支えになるものです。
それを失権するわけですから、大きなダメージを受けることになります。

■繰り上げ受給の「損・得」の判断は難しい
将来的に年金給付の水準が低くなっていくのは明らかですが、とはいえ年金が老後の収入の柱の一つであることに変わりありません。
年金の制度は、ますます複雑になっています。
繰り上げ受給の損益分岐点の年齢予測も、雇用や経済状態、出生率、死亡率、労働者人口などさまざまな不確実要因の影響を受けます。
つまり繰り上げ受給は、損・得をベースにするのではなく、金融資産や退職金、企業年金、自分の健康状態、健康寿命(*)、税制、社会保障制度などを基にキャッシュフロー表を作成して、判断するといいのではないでしょうか。
そうすれば損をしても後悔することはないでしょう。

*健康寿命:健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間。
2019年の日本人の健康寿命は、男性72.68歳、女性75.38歳

文:大沼 恵美子(ファイナンシャルプランナー、年金アドバイザー)
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2023年04月14日

年金支給開始年齢「再度引き上げ」は必至、やはり“虚構”の年金財政

年金支給開始年齢「再度引き上げ」は必至、やはり“虚構”の年金財政
一橋大学名誉教授 野口悠紀雄
2023.4.13 ダイヤモンドオンライン

単純化したモデルで 年金財政の本質を見る
 個人が老後のためにどれだけ自分で蓄積しなければならないかは、高齢化が進む日本では一大関心事だが、それは公的年金がどうなるかによって大きな影響を与える。
 だから、年金財政の長期見通しは大変重要だ。
 ただし、年金財政の見通しはさまざまな要素が関連するので複雑だ。

 政府による直近の財政検証(2019年)は、人口や労働参加、物価や賃金などの経済の状況などで6つのケースを想定して、収支計算をしているが、これでは、想定の妥当性を評価するのは難しく、いかなる要因がどのように影響するかも判別しがたい。
 しかし、もっとも重要なポイントを抜き出して、できるだけ単純化した形で年金財政の今後を考えてみれば、悲観的にならざるを得ない。
 2000年の法改正で老齢厚生年金の支給開始年齢の60歳から65歳への引き上げが決められて、現在、段階的に実施されているが、再度の引き上げが避けられそうにない。

「ゼロ成長経済」想定すると 1人当たり年金額23%削減必要
 重要なポイントを単純化して考えることは、問題の本質を理解しやすい。

 最初にゼロ成長経済を想定しよう。
 つまり物価上昇率も賃金上昇率もゼロだとする。そして2020年から40年の20年間を考える。
 また、ある年齢階層での総人口に対する保険料・税負担者と年金受給者の比率は、どの年齢階層でも同一と仮定する。
 したがって以下では、保険料・税負担者数と年金受給者数でなく、人口を考えることにする。
また、15〜64歳人口が保険料や税を負担し、65歳以上人口が年金を受給するとする。

 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、20年から40年の期間に、15〜64歳人口は、7405.7万人から5977.6万人へと、0.807倍になる。
 他方、65歳以上人口は、3619.1万人から3920.6万人へと、1.083倍になる。
 これは、出生中位、死亡中位の推計だ。

実際の出生率はこの想定より低くなっているが、40年頃までの15歳以上人口を考える限り、この数字にはほとんど影響はない。
 20年における負担総額(保険料+税負担)をCとする。政府は、保険料率を現状より上げないとしている。国庫負担率も変わらないとすると、40年における負担総額は15〜64歳人口が減少するのに伴って、0.8Cに減少する。

 一方、20年における年金給付総額をBとする。そして、40年における一人当たり年金給付は、20年のb倍になるとする。すると、40年における給付の総額は1.1bBとなる。
 したがって、20年後をバランスさせるには、0.8C=1.1bBとなることが必要だ。
 単純化のため、負担総額と給付総額はバランスすると考える。
つまりB=Cだとする(正確にいうと、運用益を除く収支はマイナスだ。2020年度の厚生年金勘定では、収入が47.2兆円、支出が48.1兆円)。
 すると、b=0.8/1.1=0.73とならければならない。

つまり、一人当たり年金額を23%カットしなければならない。
 これをどうやって実現するのだろうか?

マクロ経済スライドだけでは 年金財政はバランスしない
 現行制度で、その手段として考えられているのが、「マクロ経済スライド」だ。
 少子高齢化のもと将来の現役世代の保険料負担が重くなる過ぎないように、政府は保険料水準の上限を決めるとともに、上限に達するまでの毎年度の保険料水準を決めたが、この収入の範囲内で年金を給付するため、現役世代の人数の変化や平均余命の伸びに伴う給付費増加に応じて給付水準を自動的に調整する。

 この仕組みは2004年に導入されたが、これにより一人当たり給付を毎年r%カットする。すると、20年後には、一人当たり給付は、(100-r/100)^20倍になる。
 rは0.9%と設定されているので、この値は0.83になる。
つまり、一人当たり給付を約17%カットすることが予定されているのだ。

 しかし、年金財政をバランスさせるには、上記のように一人当たり給付を23%カットする必要があるので、これだけでは足りない。

実質賃金が上昇すると 年金財政は大きく好転
 以上ではゼロ成長経済を想定したが、つぎに、その想定を変更し、物価上昇率はゼロだが、実質賃金が対前年比でw%だけ上昇するとしよう。
 すると、その年の保険料総額は、ゼロ成長の場合に比べてw%だけ増える。
 他方で、その年の新規裁定者の年金も同率だけ増える。
ただし、既裁定者の年金額は影響を受けない。

 保険料の増加は、15〜64歳の人口すべてについて生じることだから、新規裁定による給付増加の約50倍の効果があることになる。
 つまり、実質賃金が上がることの効果としては、保険料収入が増加することのほうが圧倒的に大きい。

 そこで、以下では、新規裁定者の年金増加は無視し、保険料総額増加だけを考えることにする。
 実質賃金が毎年w%上がると、20年後には賃金は、(1+w/100)^20倍になる。
 w=1.1%の場合、20年後に現在の1.244倍になる。
したがって、20年後の負担総額は、0.8×1.244=0.995倍になる。
給付は上述のように、1.1×0.83=0.913倍になるので、収支は好転する。
 このように、実質賃金上昇の効果は大きい。

不自然に高い実質賃金を想定 支給開始年齢引き上げが不可避
 ところで、2019年財政検証では、不自然に高い実質賃金伸び率を仮定している。
 経済成長や労働参加が最も進んだケース1では年率1.6%だ。
ケース2からケース4でも年率1%台を想定している。

 年金財政が均衡するという結論になる最大の要因は、このように高い実質賃金上昇率を仮定しているからだ。
 しかし、日本経済の現実の姿を見ると実質賃金は減少している。
 19年財政検証の際には、高い実質賃金の想定の問題が十分議論されることはなかった。

 22年に歴史的な物価上昇による大幅な実質賃金低下を経験した国民は、実質賃金の見通しに敏感になっている。
 だから、今回の財政検証で、前回と同じような虚構を押し通すのは難しいのではないだろうか。
 さらに、実際には、マクロスライドは物価が下落したり上昇分が小さかったりしてこれまで十分に機能していない。
今後も機能しない可能性が強い。

すると、支給開始年齢引き上げが不可避になるだろう。
 それは、人々が自力で準備すべき老後資金に大きな影響を与えることとなる。

自己責任で準備必要な老後資金増大
極めて重大な問題なのに議論されず  以上をまとめると次の通りだ。
 公的年金の財政見通しに影響を与える要因としては次のものがある。
 第一は保険料・税の負担者数と年金受給者数だ。  これらは年齢階層別の人口によってほぼ決まる。
そして2040年までの期間に関する限り、もはや動かすことができない。
 ゼロ成長経済を想定し、一人当たり給付が現在と変わらないとすると、20年後の給付総額は保険料総額を大きく上回る。

 第二の要因は、マクロ経済スライドだ。
 これによって一人当たり年金額が削減される。
ただし、これによっても20年後の収支バランスは達成できない。

 第三の要因は実質賃金の上昇率だ。
 年率1%程度の上昇が実現できれば、収支バランスが実現できる。
 2019年財政検証は、高い実質賃金上昇率を仮定することによって、年金財政が破綻しないとの結論を導いているのだ。  しかし、この見通しは非現実的と言わざるを得ない。

 かつ、マクロ経済スライドの実施には物価上昇率が0.9%を上回ることが必要だ。
この制約があるため、これまでも機能しない年が多かった。今後もそうなる可能性がある。

 すると、受給開始年齢の再度の引き上げが必要とされる可能性が高い。
そして仮にそうなると、個人が自己責任で用意すべき老後資金の額は増大する。
 これが極めて重大な問題であるにもかかわらず、いまのところ政府はこのことを取り上げようとしないし、野党やマスメディアも問題にしていない。
 しかし正面から向き合わねばならない日がいつか訪れるだろう。

   (一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)
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2023年04月15日

「結婚も消費」あなたはなぜ、意味のない消費をするのか

「結婚も消費」あなたはなぜ、意味のない消費をするのか
2023.4.14 ZUU OnLiIne

本記事は、荒川和久氏の著書『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

■ エモ消費という概念
エモとは、エモーショナルの略で、わかりやすく言えば「感情消費」と言ったらいいだろうか。
感情を消費するのではなく、消費によって自己の感情を満たすということだ。

「エモい」という言葉がある。
「何となく心が動いた時に」使う言葉だ。

語源としては1980年代から音楽用語のひとつとして使われていた古いものであるが、メディアアーティストの落合陽一さんがツイッターなどで使いだして広まった。
落合さんの定義がまた的を射ている。
彼によれば、「エモい」とは「ロジカルの対極にあるもの」であり、古語にある「もののあはれ」に近い感情のことを指す。「うまく言葉では表現できないけれどなんかいい」というようなものだ。

ちなみに、ネット上では「エモい」とは「えもいわれぬ」という古語の略だという書き込みもあったが、本来の語源ではないが、これもなかなかの解釈である。
つまり、消費の目的が、モノを持つことでも体験することでもなく、自分たちの「精神的な安定や充足」にシフトしていったものがエモ消費なのだ。
所有価値でもなければ、体験価値でもない、それらは手段としてのパーツに過ぎず、それを通じて得られる「精神価値」に重心が移行していった。
これは、群から個の消費の比重が高まるソロ社会化において重要な視点となる。
なぜなら、心の欠落を多く感じているのが、ソロたちだからである。

人間としての根源的な欲求の中には、承認欲求と達成欲求がある。
この欲求は、帰属欲求に紐づくもので、仕事のみならず家族生活でも感じられるものだが、ソロには配偶者も子どももいない。
家族が得られる「家族によってもたらされる日常的な幸せ」は物理的に感じようがないのだ。

あわせて、根強い社会の結婚規範によって、ソロは「結婚していない状態の自分」に欠落感を感じがちでもある。
そうした欠落感を払拭するための代償行為が無意識に消費行動において、「承認」や「達成」という心の満足を求める方向へつながっているのである。
つまり、彼らが買っているのは、モノでもコトでもなく、それを通じて得られる自分自身の幸せでもあるのだ。

既婚者の中でも「わかる」と感じてしまう人もいるかもしれない。
それは、多分「家族がいても疎外感」を感じているからではないだろうか。

エモ消費の特徴は、「何を買うか」という消費対象が先にあるのではなく、自己肯定や精神的充足という「欠落感の穴埋め」欲求が動因として存在し、そのツールとしてモノやコトが機能していくことになる。
消費によって「承認」と「達成」という感情の欲求を満たし、その結果生まれる「刹那の社会的帰属感や社会的役割」という精神的充足感を得るのだ。

「モノ消費」とは、所有価値消費である。
「コト消費」とは体験価値消費である。

「エモ消費」とは、大袈裟に言ってしまえば、自身の「存在価値消費」と言っていいかもしれない。
なぜ彼らがソーシャルゲームの課金をするか、といえば、あれは「疑似出世」に近い。ゲームの中では課金をすればするほど強くなるわけで、強くなれば強くなるほど一緒に遊ぶゲームメンバーの中では、一目置かれる存在になるし、尊敬もされていく。
みんなから頼りにされるし、リーダーにもなれるわけだ。
たとえ、リアルな世界では出世できていないが、ゲームの世界では課金をすることによって「出世した自分」という立場を手に入れられるのだ。
ただし、何事も度が過ぎれば依存症になる。
アルコールやギャンブル同様、ゲームやゲーム課金も依存症がある。
世界保健機関(WHO)は2019年、病名や症状を示す「国際疾病分類」に「ゲーム障害」を加え、新たな依存症として認定した。
あくまで「疑似」的なものであり、1日の間で費やす時間やかけるお金の額を自分で認識した上で続けてもらいたいものである。

もうひとつ、なぜ彼らがアイドルを応援するのか。
今までであれば「疑似恋愛」なのではないかという説が唱えられてきたが、確かにそういう側面の当事者もいないことはないだろう。
しかし、恋愛というよりももはや子どもを育てているようなものに近いのではないかと思うのである。
「疑似子育て」なのだ。
まだ無名で、売れていないアイドルの子に、本当に心から売れてほしいということを願って応援する。
それが至上の喜びと化しているアイドルオタクは多いはずだ。

2022年11月に、アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の高城れにさんがプロ野球の日本ハム・宇佐見真吾捕手と結婚したが、アイドルの応援が「疑似恋愛」なら、そこで終わってしまうだろう。
しかし、結婚してもファンであり続ける、応援し続けるというのはまさに「子育て」の領域に近いのではないかと考える。

自分の娘が結婚したからといって応援しない親はいない。
そういう意味では、アイドルの応援をすることで、結婚したことも子どもを産んだこともない未婚のソロでも、もう子育てしているような「自己の社会的役割」という「エモさ」を実感しているといえる。

だからあんなにお金を払っても、全然もったいないとも思わないのだ。

■ 幸福を買う?
このように、「エモ消費」とは、消費を通じて得られる自己の社会的役割によって、代替えとしての幸福感を買っているようなものなのである。 消費でしか幸福を得られないなんて、なんて寂しい人たちだと思う人がいるかもしれない。しかし、すべからく消費なんてものはそういうものである。

何のために、フェラーリなどの高級車を買うのか、何のために何百万円もする腕時計を買うのか、何のためにヴィトンやエルメスのバッグを買うのか。
それもまた、消費を通じての幸福の購入に過ぎない。

そういう意味では、「結婚も消費」である。
結婚することで自己の社会的役割は明確になる。
結婚は夫、妻、父、母になるための手段である。
また、子どもを育てることは、経済的な維持コストを必要とするものの、自分の社会的役割をより確かなものにする。
以前の皆婚時代は、結婚が人々のそうした欲求を満たす唯一の手段でもあった。
貧しい人ほど結婚によって帰属意識と社会的役割を得て精神的充足が得られたものだ。
それが現代では、もはや「結婚は贅沢な消費」と化した。
富裕層を中心とした贅沢品消費のようになってしまった。

男性にしてみれば、婚活アプリや結婚相談所で一番に確認されるのは自分の年収である。
結婚という買い物をするためにまず「年収いくら以上」という壁が用意されているようなものである。
一方で、結婚しても子育てやら何やらでお金がかかる。
1回お金を払ったら終わりという消費ではない。
いわば絶対解約のできないサブスクのようなもので、家族にとって日々の消費行動は、「結婚消費」の一部として含まれているものである。

ソロと家族とでは消費する内容が異なるが、家族の場合、もっともコストがかかるのは「家族の維持」そのものである。
家族の消費は「現状維持消費」で、ソロ消費は「現状変革消費」であると書いたのはそういうことである。
同じ「幸福感を買う」のでもOSが違うのである。

「モノ消費からコト消費へ、さらに次なる消費源流が出てきた」という言説は雨後の筍のように多くある。

「トキ消費」「ヒト消費」「イミ消費」などというものである。
ここでこれらの内容を紹介することは割愛するが、気になった人は検索していただきたい。
しかし、上記どの言説も的は射てはいない。
「トキ消費」や「ヒト消費」は対象物が物理的に存在する概念である以上、いわば「モノ消費」の範疇でもあり、「コト消費」の中の一形態であるに過ぎないとしか私には感じられない。

提唱したご本人からは異論があるのかもしれないが、私には伝わっていない。
「イミ消費」は、ホットペッパーグルメ外食総研エヴァンジェリストの竹田クニ氏が「変『質』する外食市場〜マーケットの読み方と付加価値の磨き方〜」と題した講演の中で提唱したもので、その中で「同じ物を買うなら、健康維持、環境保全、地域貢献、他者支援、歴史・文化伝承などが付加されているものに価値を感じるようになる」としてそれを「イミ消費」と言っている。

今流行りのパーパス経営にも通じるような内容で、かつ「モノやコトではなく、その背景にあるイミなのだ」という観点では、私の言う「エモ消費」に近いものがあるかもしれない。
が、消費に意味が必要なのか。意味のない買い物はしないのだろうか、という疑問がある。
そんなことはない。多くの人が「何でこんなの買ったんだっけ」という消費をしているはずである。
しかも、そのわからない消費は決して無駄でも無意味でもない。

「エモ消費」とは、意味などなくてもいいのである。
「何かよくわかんないけど良いから買う」という、合理性を超越したところにあるものだからだ。
手段が目的化してしまうことはよくあることだ。
もっともわかりやすい例は「お金」である。
本来「お金を稼ぎたい」という思いは、「稼いだお金があればああいうことしたい、こういうことしたい」という本来の目的のための手段だったはずだ。
しかし、ある程度のお金を稼ぐようになると大抵こう思うようになる。
「もっとお金を稼ぎたい」と。

お金とはそもそも何かを消費するための単なる共通言語的なものであり、それは使うためにこそあるわけなのだが、ある程度のお金を稼ぐ目標に到達すると、そのお金を使うことより、それを貯めこむことが目的化してしまう。
スマホ上の電子通帳のデジタルの数字があがることだけが目的化してしまうようになる。
500万貯めたら、次は1,000万、その次は1億と……際限がない。
手段が目的化してしまうある種の欲望行動である。
もちろん、本人は「私がお金を稼ぐのにはかくかくしかじかの目的があって…」と理屈付けするかもしれない。
しかし、その目的は一体いつになったら、もっと言えば、一体いくら貯めたらやるのか? という話だ。
そうした人たちは、お金を稼いで貯まっている間は何ひとつ欠落を感じないだろう。

欠落を感じないということは不幸ではないのかもしれない。
しかし、果たして彼らは幸福なのか。
我々は、人間の行動においては、合理的判断では説明のつかないことが山ほどあるという前提を踏まえないといけない。

荒川和久
独身研究家/コラムニスト
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2023年04月16日

「ストレス多い人」は"4つの考え"を捨てるべきだ

「ストレス多い人」は"4つの考え"を捨てるべきだ
怒り・ストレスを消す「魔法の言葉」も紹介!
池谷 敏郎 : 医学博士/池谷医院院長
2023/04/15 東洋経済オンライン

生活習慣病、血管、心臓など内科・循環器系のエキスパートで「血管の名医」として知られ、日々多くの患者と接する医学博士の池谷敏郎氏。
テレビ番組『あさイチ』(NHK)、『世界一受けたい授業』(日本テレビ)やラジオ番組などに多数出演し、楽しくわかりやすい解説が好評を博している。
過去15キロ以上の減量に成功し、その減量メソッドを全公開した15万部のベストセラー『50歳を過ぎても体脂肪率10%の名医が教える 内臓脂肪を落とす最強メソッド』(東洋経済新報社)に続き、『60歳を過ぎても血管年齢30歳の名医が教える「100年心臓」のつくり方』を上梓した。
「人生100年時代」を満喫できるかどうか健康長寿のカギを握る「『心臓の健康』にいい生活」を、運動、食事、メンタルなど、あらゆる観点からアドバイスする1冊で、発売後わずか6日で3刷2万部を突破するなど、大きな話題を呼んでいる。
その池谷氏が、「『心臓の健康』に大きな悪影響を及ぼす『ストレス』との付き合い方」について解説する。

ストレスは「心臓の健康」に直結「心疾患のリスク」に
4月から職場や人間関係など新しい環境での生活がスタートした人もいらっしゃるかと思います。
慣れるまで何かとストレスを感じる毎日かもしれません。
社会生活を送るうえでストレスはつきものですが、過度なストレスは心疾患を引き起こす危険があるので、十分な注意が必要です。

ストレスと心臓の関係について、簡単に説明しましょう。
私たちはストレスを感じると、体内で「ノルアドレナリン」 というホルモンが放出されます。
このホルモンの作用で、血圧が上昇したり、心拍数が増えたりします。
これは、ストレスに対抗して活動に適した状態になるという、体の自然な反応でもあるわけですが、血圧・心拍数が上昇すれば当然、「心臓への負荷」は増大します。血管が動脈硬化を起こしていれば、心血管事故も引き起こしかねません。

詳しくは拙著『「100年心臓」のつくり方』をお読みいただきたいと思いますが、要は「ストレスは『心臓の健康』と直結している」のです。
  「うつ病」と心不全が関係するとの研究結果もあり、心不全を予防するためには、メンタルを良好に保つことも大切なのです。
今回は、私たちが日常生活の中で知らず知らずのうちにもストレスを強め、心拍数を上げてしまっている「4つの考え方・思考のクセ」を、私が実践している「ストレスを切り抜ける思考法・対処法」とともに紹介します。

ひとつめは、「いやなことをつい思い出してしまう」ということです。
心拍数が上がって、心臓に「大きな負荷」
【NG@】いやなことをつい思い出してしまう
たとえば、いやなことがあったとき、いつまでも思い出してクヨクヨする人がいますよね。
しかし、それがため込まれていくと、慢性的に「ストレス過多」の状態になってしまいます。
心拍数は「いやなことを思い出す」たびに上がってしまうのです。

一方で、いやなことがあってそのときは腹を立てても、すぐに忘れてしまう人、あるいは発散できる手立てをもっている人は、ストレスがリセットできて心臓にもいいのです。
仕事がキツいとか、人間関係がしんどいとか、いろいろあっても、帰宅後や週末などに休養したり、趣味に没頭したりして、「いやなこと」をリセットし、ストレスを上手に発散する工夫をしましょう。

特別なことでなくても構いません。家でゆっくりお茶を飲むとか、友達と会っておしゃべりをするとか、何か自分がリラックスできること、心が休まることがあれば、それでOKです。
できれば、その方法が「複数」あったほうがいいですね。
「血圧・心拍数を下げる手立て」をひとつ増やせば、その分、「心臓を休める」ことができるからです。

【NGA】相手を変えようとする
家族や家庭がストレスになっている人も少なくありません。
毎日顔を合わせる相手だけに、そのストレスはどんどんたまっていき、じわじわと心臓に負担をかけていきます。
対処方法として重要なのは、「相手を変えよう」としないこと。
「相手を変えよう」とするから、思いどおりにならなくてイライラしてしまうのです。

当院にいらっしゃる患者さんにも最近多いのが、テレワークで旦那さんが1日中家にいてイライラするという人。
そういう場合は、ウォーキングに出かけたり、カフェに避難したりするなど、とにかく外に出かけることで、一緒にいる時間を減らしましょう。
気分もリフレッシュできるので、一石二鳥です。

「魔法の言葉」で「無駄な怒り」がスッと消える
【NGB】「不必要な怒りの感情」をもつ
怒ることは「心臓に悪い」ばかりか、「冷静な判断」ができなくなるし、人間関係を損なうなど、いいことはまずありません。
もちろん、時には怒っていいこともあるし、いい意味で怒りが前進するエネルギーになることもあるでしょう。
しかし、私たちが日常生活で感じる多くは「怒る必要のない怒り」とも言えるのではないでしょうか。
そうであれば「心臓の健康」を考えて、なるべく怒らず、おだやかな気持ちで過ごしたほうがいいに決まっています。

私がいつも言うのは「その怒りやイライラは、あなたの大切な心臓や血管を代償にするほどの価値があるものか?」というもの。
「この人のために怒ることで、自分のかけがえのない心臓や血管を犠牲にしてもいいですか?」と自分自身に問いかけてみると、「もう放っておこう」「まあいいじゃないか」 という気持ちになるのではないでしょうか。

心身が病むほどのストレスを抱える人には、「発想の転換」もおすすめします。
【NGC】いまいる場所・人間関係にしがみついてしまう
私のクリニックには中高校生の患者さんも多く来院されます。
訴えは腹痛とか胸が痛いといったことですが、話を聞いてみると、「友達関係で悩んでいる」「学校になじめない」といった悩みが出てきます。
いじめや不登校で悩んでいる子どもたちに私はいつも「無理にその場所にいることはないんだよ」とアドバイスしています。 進学を考えるなら、高校をやめて高卒認定試験(旧・大検)を受けて大学に行ったっていいのです。
これは大学生にも、社会人にも言えることです。

会社にも、いじめや上司からの理不尽なパワハラなど、いろいろあると思います。
体を壊してまで、大事な心臓を痛めつけてまで、「合わない場所」に無理にいる必要などありません。
「極度のストレス」が続くなら「しがみつく必要はない」のです。

過労や職場のストレスなどを苦に自殺してしまう人が後を絶ちませんが、そんな悲惨なことになる前に、自分を解放してあげたほうがいい。
その場所を捨てて 「新しい世界」に飛び込めば、そこで「新たな自分の可能性」が花開く場合だってあるのです。
家庭とて例外ではありません。

「心臓をいたわる生活」で「100年心臓」を手に入れる
自分では「この程度のストレスは、たいしたことないだろう」と思っていても、心臓は悲鳴を上げているかもしれません。
ストレスは本当に怖いのです。
つらいのを我慢しているのは自分だけではない。あなたの「心臓」もまた、必死に耐えているのです。
くれぐれもそのことを忘れないでください。

「不要な怒りやストレス」を抱え込まず、「心臓の健康にいい生活」「心臓をいたわる生活」を送ることが、結果として、人生100年時代を満喫できる「100年心臓」を手に入れることにつながる、私はそう確信しています。
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2023年04月17日

子育て政策の為に「健康保険料」引き上げる大問題

子育て政策の為に「健康保険料」引き上げる大問題
筋違いのところに負担を求めようとしている
野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授
2023/04/16 東洋経済オンライン

子育て政策の財源として、健康保険料を引き上げる案が浮上している。
とんでもない筋違いの発想だが、実は、同じ制度がすでに年金制度に存在している。
今回の案は、不合理な財政制度を拡大しようとするものだ。
昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──

野口悠紀雄氏による連載第92回。
子育て政策財源に、とんでもない筋違いの発想    
3月末に公表された政府のこども・子育て政策には、数兆円の財源が必要であり、その大枠は、6月の「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)までに示される予定だ。

4月7日に「こども未来戦略会議」が発足し、議論が始まった。
政府部内では、健康保険に財源を求める考えが浮上しているようだ。
しかし、これはとんでもない発想だ。
およそ筋違いのところに負担を求めようとしている。

こども・子育て政策の内容を考えれば、その財源は税でなければならない。
税は、特定の便益を得られるから負担するのではなく、国民の義務として負担しなければならないものだ。

ところが、社会保険料は、これとは性格が異なる。
医療保険制度は、将来あり得る医療費支出のリスクを加入者でプールするための仕組みだ。
したがって、ここで集められた保険料を他の用途に用いることは許されない。

「子育て政策によって将来若者が増えれば、医療制度を支えられる」と言われることもあるが、そうした論理は成り立たない。
仮に子育て政策で出生率が上昇しても、その人たちが保険料を負担できるようになるのは、何十年も先のことだ。
それに対して、医療費の支出は明日にでも起こることである。
医療保険の保険料を医療費以外の目的に使えば、医療保険制度を根底から破壊することになる。

残念なことに、以上で述べたことは、日本では「書生論」とみなされる。
つまり、現実を無視した原則論に過ぎないとされる。
いまの日本では、原則論では物事は進まない。
財源問題については、とりわけそうだ。
子育て政策のために本来使われるべき財源である消費税について、岸田文雄首相が「消費税は10年程度は上げることは考えない」と明言しているからだ。
消費増税の議論が封印されたままでは、財源探しは迷走せざるをえない。
他の税目にしても、増税を提起すれば大反対が生じるのは、目に見えている。
だから、できるだけ目につかない方法で財源を調達しなければならない。
社会保険料の引き上げは、あまり注目を集めないので、やりやすいと判断されているのだろう。

本来、国民の間で十分な議論が行われるべき重要な問題について、できるだけ議論がされない方法を探っている。
書生論を繰り返せば、これは財政民主主義の根幹にかかわる大問題だ。

子ども・子育て拠出金という大問題の制度がすでにある 現実の日本の財政制度には、以上のような大問題を抱えた財源が、子育て予算にすでに使われている。
健康保険の保険料に上乗せしようとするのは、この延長線上にある発想なのだ。

大問題を抱えた財源とは、「子ども・子育て拠出金」である。
これは、会社や事業主から「社会全体で子育て支援にかかる費用を負担する」という名目で、従業員の厚生年金保険料とともに徴収されているものだ。
これは保険料なのかといえば、年金給付の財源になるわけではないので、保険料ではない。
では税なのかといえば、税法に基づいて徴税機構が徴収するわけではないので、税でもない。
性格がまったくはっきりしない。

拠出金額は、従業員数から計算される。
従業員に子どもがいるかどうかは関係ない。
独身であっても、厚生年金加入者全員が対象となる。
社会保険料は雇用者と従業員が折半で負担しているが、この拠出金は、全額を雇用者が負担する。
なお、国民年金ではこのような負担はない。
だから、公平性の点でも大いに問題だ。

この拠出金は、以前は「児童手当拠出金」という名称だった。
児童手当制度が始まった1972年から存在する。
拠出金率は、2014年度には0.15%であった。
子ども・子育て支援改正法が施行された2015年度以降、「子ども・子育て拠出金」という名称に変更された。

料率も段階的に引き上げられ、2018年度には0.29%になった。
2019年度には0.34%に引き上げられた。現在は0.36%となっている。
0.45%までは、政令で引き上げが可能だ。
拠出金は、年金保険料とともに日本年金機構によって徴収され、年金特別会計の「子ども・子育て支援勘定」で経理される。2022年度では、拠出金0.65兆円のほか、一般会計からの受け入れ2.49兆円などがあり、児童手当交付金1.26兆円、子ども・子育て支援推進費1.63兆円などの財源となっている。
これは、結局のところ、法人税と同じようなものだ。

法人税の増税とすると目につくので、こうした方策が取られたのだろう。

法人の活動に影響がないとは言えない
このように極めて問題が多い仕組みなのだが、料率もそれほど高くはないし、直接に負担するのが事業主や会社であることから、あまり大きな問題にはならなかった。
しかし、法人の活動に影響がないとは言えない。
厚生年金の雇用主負担が重すぎることが、従業員を増やさない大きな原因になっていることは否定できない。
それに加えて、なぜ負担しなければならないのかがはっきりしない拠出金を求められては、従業員を増やす意欲はさらに削がれるだろう。

中小企業や零細企業の場合にはとくにそうだ。
このように全く正当化できないおかしな制度が、日本の財政制度の中にすでに入り込んでしまっているのだ。

これと同じような拠出金を健康保険にも導入するとした場合、どのような制度になるだろうか?
日本には、公的健康保険として、3つの制度がある。
健康保険組合、国民健康保険、後期高齢者医療制度だ。

年金保険の場合と同じような制度にするのであれば、これらのうち、健康保険組合の事業主負担分の保険料率を引き上げるという形になるのだろうか?
それとも、他の保険制度も対象とし、かつ本人負担分も対象とするのだろうか?
現時点では、こうした詳細については、何も分かっていない。
ただ、このような方策によって、増税論議を避けつつ財源を確保することは、不可能ではない。
しかし、それは、以下で述べるような日本の財政が抱えている本当の問題を解決するものではない。
むしろ、日本の財政制度が抱える歪みをますます拡大させるものだ。

財源問題に正面から取り組め
政府は、この機会に、増税問題に正面から取り組む必要がある。
それができなければ、少子化対策の内容を見直すべきだ。
高齢化が進行することは避けられないので、医療、年金、介護の給付は増加せざるをえない。
だから、社会保障制度そのものの財政が問題になる。

消費税の増税は、避けて通れない課題なのである。
今回、増税を避けて財源を調達しても、一時的なことに過ぎない。
それは、未来に対する責任を回避すること以外の何物でもない。

なお、少子化対策財源とは別に、防衛費増額の財源確保も緊急の課題だ。
歳出改革と増税が本来あるべき財源だが、反対が強いため、決算剰余金の活用と税外収入の積立という「筋の悪い」財源が優先して検討されている。
4月6日に「防衛財源確保法案」が国会で審議入りしたが、これは、国有財産売却収入などを貯めるために「防衛力強化資金」を新設しようとするものだ。
その一方で、増税や歳出削減については、議論がなされていない。
増税や歳出削減は、誰にとっても不愉快なテーマだ。できることなら避けたい。

しかし、正面からそれに立ち向かうことこそが、政治の役割なのである。
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「外干しはダメ?」「どう乾かせばいい?」 花粉シーズンの悩みに、洗濯研究家がズバリ回答

「外干しはダメ?」「どう乾かせばいい?」 花粉シーズンの悩みに、洗濯研究家がズバリ回答
2023年04月16日 grape編集部

気温が暖かくなる頃、春の訪れとともに花粉の季節がやってきます。
外出する際はマスクやメガネなどで、対策している人も多いのではないでしょうか。
しかし、身にまとう衣服にも花粉は付着してしまうもの…。
そこで本記事では、洗濯専門家の平島利恵さんに、洗濯時にできる花粉対策についてうかがってみました!

■花粉シーズンに気を付けるポイントは?
―――花粉が増える季節、洗濯時に気を付けるべきポイントは? 花粉が多い3〜4月は、洗濯物を外に干さないことが一番の花粉予防になります。
屋内で洗濯物を乾かすのにはいくつかの方法があります。
平島さんから教えてもらった屋内で乾かすポイントは、以下の3つです。

■浴室乾燥を使う
温風を浴室内に循環させて短時間で乾かすため、生乾き臭も防げるおすすめの乾燥方法。
洗濯物はハンガーなどに干して乾かすので、シワにならないのも浴室乾燥のメリットです。

■乾燥機を使う
乾燥機能付き洗濯機など、高温で乾かせる乾燥機を使うと時短洗濯が叶います。
だたし乾燥機の使用ができない素材があるので要注意。
乾燥が終わった後に、そのまま長時間放置すると、衣類にシワがついてしまう場合があるので気を付けてくださいね。

■部屋干しをする
通常、部屋干しをする際は部屋の空気の入れ替えが必要となりますが、花粉対策としては窓を開けての換気は避けたいですよね。
その代わり、「除湿機がある場合は積極的に使いましょう」と平島さんはいいます。
除湿機がない場合は、エアコンとサーキュレータを併用して、部屋の空気を循環させる工夫をするのがおすすめです。

屋内で洗濯物を乾かすポイントを3つ紹介しました。

とはいえ、屋外で干せるかどうかも気になったので聞いてみたところ、平島さんは次のようにアドバイスします。

浴室乾燥や部屋干しが難しいという場合は、洗濯の時間を変えて外干しすることで花粉対策ができますよ!
花粉は気温が上昇するのに合わせて舞い上がりやすくなるため、11〜19時頃がもっとも飛散量が多いといわれています。 そのため、夜20時以降に洗濯をして、翌朝取り込むことで洗濯物に付着する花粉量の減少に期待ができます。
取り込む際にブラッシングや洗濯物を優しく振って花粉を落としてから家に入れるといいでしょう。

―――夜干しするだけでも効果があるとは!使用する洗剤を選ぶポイントはある?
花粉の飛散が多い3月と4月は、まだまだ乾燥する季節。そのため衣類に静電気が起こりやすく、花粉が付着しやすいという悪条件が重なっています。
そこでおすすめなのが柔軟剤の使用です。柔軟剤は衣類の繊維の表面をコーティングするため、繊維の摩擦による帯電を抑え、静電気を防止する効果があります。
中でも、『静電気の防止効果』をうたっている柔軟剤は特に効果が期待できるので、普段あまり柔軟剤を使用しない人も花粉対策として取り入れてみてください。

ほかにも「綿、シルク、麻など静電気の起きにくい素材を選ぶことも効果的」と語る平島さん。
それだけではなく、外出後に玄関の外で衣類用ブラシを使って、付着している花粉を除去することも重要だと教えてくれました。
平島さんが教えてくれたテクニックは、すぐに実践できるものばかり。
ちょっとした工夫を積み重ねていけば、苦しい花粉の季節を乗り越えられるかもしれませんね!
Instagram:riehirashima YouTube:@LaundryCHANNEL
    [文/キジカク・構成/grape編集部]
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2023年04月18日

三流は、いきなり頭が真っ白になり、二流は、いきなり説明しはじめ、一流は、いきなり何をする?

三流は、いきなり頭が真っ白になり、二流は、いきなり説明しはじめ、一流は、いきなり何をする?
2023.4.17 ZUU Online

本記事は、桐生稔氏の著書『説明の一流、二流、三流』(明日香出版社)の中から一部を抜粋・編集しています。

■ 話しはじめにやること
三流は、いきなり頭が真っ白になり、二流は、いきなり説明しはじめ一流は、いきなり何をする?
人前で話しているとき、聞き手が興味なさそうにしている、説明を聞かずに資料をペラペラめくりだす、眠たそうにしている……こんな経験はありませんか?
せっかく気合を入れて準備したのに、こんな状態だと心が折れるかもしれません。

しかし、これはやむを得ないこと。
人間は自分にとって興味があることしか聞かないからです。
心理学者コリン・チェリー氏が提唱した「カクテルパーティー効果」を簡単に解説します。
騒がしいパーティーでは、誰が何を話しているかなど、まったく耳に入ってきません。
しかし、自分が気になるワードがでた瞬間、急に耳に入ってきます。
自分の名前がでた瞬間、「えっ、私のこと?」と振り返ったりします。

不要なものには耳を傾けないし、必要なものには聞き耳を立てる。これが人間の特性です。
それを踏まえると、本題に入る前に必ずしなくてはいけないことがあります。
それは、「この説明は自分にとって重要である」と認識させること。
つまり聞いてもらう態勢を作ることです。
聞いてもらう態勢を作るには、人間の「快楽原則」にアプローチします。

快楽原則とは、心理学者グスタフ・フェヒナーが作りあげ、フロイトが取り入れた概念で、人間は、「快楽を得るために」または「苦痛を避けるために」行動するというもの。
快楽とは、楽しいこと、うれしいこと、得すること。
苦痛とは、嫌なこと、恐怖を感じること、損をすること。

人前での説明に当てはめると、こうなります。
快楽=自分にとって得する情報 苦痛=聞かないと損失をこうむる情報 これを本題に入る前に聞き手に認識してもらうのです。 例えば、最近よく聞く、「ビッグデータ」という言葉。これを説明する際、「ビッグデータは、データベースソフトウェアが把握し、蓄積し、運用し、分析できる能力を超えたサイズのデータを指すもので、事業に役立つ知見を導出するためのデータとして問題解決や業務の付加価値向上を……」 なんてはじめられたら、おそらく聞き手は興味を失います。
聞く態勢を作るには、こんな感じです。

○ 快楽=自分にとって得する情報 「ビッグデータを使うと、コンビニなら1時間かけて売れ筋商品を分析して発注していたのが、1分で済むようになります。余った時間は、接客に力を入れたり、商品のポップを作ったりと、売上を上げる施策に使えるようになります」
○ 苦痛=聞かないと損失をこうむる情報 「多くの企業がビッグデータを活用しています。その結果、人件費を1,000万円削減し、削減したコストで新商品を開発しています。これからの新商品は、ビッグデータを活用している企業が80%を占めるという予測もでています。活用しない企業は完全に取り残されます」

話しはじめのほんの1、2分のトーク。これがあるかないかで、聞き手の前のめり感が変わってきます。
だからこそ一流は、冒頭に全集中します。
まずは注目してもらい、聞いてもらう態勢を作ること。
そして、聞いてもらう態勢ができたら説明を開始する。
これが身につくと、あなたの説明はいつもの何倍も相手に届くようになります。

□ Road to Executive 一流は、聞いてもらう態勢を作る 話しはじめに快楽原則にアプローチする

桐生稔
株式会社モチベーション&コミュニケーション代表取締役
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2023年04月19日

健康数値を正常に近づける努力をした方が死亡率が高まる…エラい医師ほど無視したがる"衝撃データ"

健康数値を正常に近づける努力をした方が死亡率が高まる…エラい医師ほど無視したがる"衝撃データ"
和田 秀樹 精神科医
2023年04月18日 プレジデントオンライン

高齢者は健康状態を示す数値とはどのように向き合うべきか。
医師の和田秀樹さんは「フィンランドの保健局が15年にわたって行った大規模調査では、介入的な健康管理によって血圧やコレステロール値などが数値的には改善していた人たちが、逆に死亡率が高くなっているという結果が出た。
医者のいう正常値は平均値であり、長生きできる根拠があるわけではない」という――。
※本稿は、和田秀樹『70歳からは大学病院に行ってはいけない』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。

■9割以上の医者が陥る「正常値絶対主義」という問題点
先の記事では、大学病院の医師たちの多くが、臓器別診療という専門分化の弊害により、「臓器は診れども人は見ず」といった診察になりがちで、トータルでみると高齢患者のリスクを高めるような治療・投薬に陥りやすいことを指摘しました。
なぜそのような「患者のリスクを高めるような治療や投薬」が平然と行われているのか。

その背後にあるのが、9割以上の医者が陥っている「正常値絶対主義」とでもいうべき現代医療の問題です。
とかく、私たちは何かというと「正常値(基準値)」以下、「正常値」以上というように、自分の健康状態のバロメーターを正常値で判断しようとします。

多くの人がせっせと受けている健康診断もそうですね。
基準値が常に示されて、それよりも高かったり低かったりするとC判定やD判定がついたりします。
血圧が高いとか、コレステロールが高いとなると、医師から運動や食事についての厳しい指導をされたり、薬を処方されたりします。
あるいは、厚生労働省が2007年に義務付けて翌2008年からスタートしたのがメタボ健診ですが、このメタボ健診において肥満度の尺度としてたびたび持ち出されるのがBMIという数値です。
体重(kg)を身長(m)の二乗で割ったもので、世界保健機関(WHO)の基準では「18.5〜25未満」に収まるように指導されます。

しかし、世界中のさまざまな統計においても、実はBMIが基準値の25を少し超えたあたりが一番長生きだという結果が出ています。
2006年、アメリカで29年にわたって国民の健康栄養を追跡した調査結果が発表されました。
これによると、いちばん長生きなのはBMI25〜29.9の「太り気味」の人たちで、一方、18.5未満の「痩せ型」の死亡率はその2.5倍も高くなっていました。

日本でも、厚労省の補助金を受けたある研究結果によると、40歳の時点での平均余命がもっとも長かったのは、男女ともにBMI25〜30未満の「太り気味の男性が41.6年、女性が48.1年でした。
一方、もっとも余命が短かったのは18.5未満で、こちらは男性が34.5年、女性が41.8年。痩せ型よりも太めの人の方が、平均で7年ほど長生きするという結果が出たのです。

そうなると、そもそものBMI「18.5〜25未満」という基準値にどのような根拠があるのか、ということになってきます。
メタボ健診とは真逆になりますが、ややぽっちゃりめのほうが、よほど長生きできるという結果が出ているのですから。 数値のことばかり指摘してくる医者に、振り回されてはいけないのです。

■正常値とはあらゆる世代を含めた「平均値」
多くの人が疑いを持たずに健康のバロメーターとしている「正常値(基準値)」ですが、実際には、「この値がもっとも健康を維持できる」あるいは「長生きできる」という根拠があるわけではありません。
では正常値とは何かというと、「平均値」のことなのです。
しかも多くの場合、年代別の平均値ではなく、あらゆる世代をひっくるめた平均値が「正常値」として設定されています。

しかし、平均値が正常値となってしまうなど、本来はおかしな話です。
たとえば、成人男性の身長の平均値はおよそ170センチ。
では、その前後10センチを加えた160センチから180センチを「正常値」にしましょう。
それ以下とそれ以上は正常値から外れた異常な数値です、と決めてしまうようなものです。

さらには、全世代における平均値ですからさまざまな機能が低下してきた高齢者が、そのように決められた「正常値=平均値」から外れやすくなってくるのも当然といえば当然です。
高齢者の場合、血管の弾力性が失われてくるため血流が悪くなり、血管に対して血流の圧がかかりやすくなってきて数値としての血圧は高くなる傾向にあります。
しかし、その人の健康を本当に考えるのならば、正常値まで下げることを優先するよりも、血管を太く元気にすることを考えたほうがいいのに、「正常値絶対主義」に陥った医師たちには、血圧という数値を下げることが主目的化してしまうのです。

もちろん、糖尿病におけるヘモグロビンA1cのように、病気のリスクを高めるという根拠がある程度明確になっている正常値もあります(それであっても、後述するように、正常値が必ずしも死亡率を下げるわけではないという試験結果が出ているわけですが)。

繰り返しになりますが、正常値というのは多くの場合、全世代の平均値から導き出された数値でしかなく、そのうえ、さまざまな機能が低下してきた高齢者にとって何を「正常値」とすべきかというのは、実は「よくわからない」というのが正解なのです。 高齢者の場合はとくに、数値に過度に惑わされることなく、その人の暮らしやすさ、人生の晩年をいかに快適に過ごせるかということをもっと優先した治療を行うべきです

■糖尿病の正常値に関する欧米の調査
ところで、前述した糖尿病の治療におけるヘモグロビンA1cの正常値の扱いについても、「正常値」を厳しくコントロールしすぎることの弊害を明確に示した試験が存在します。
米国の国立衛生研究所の下部組織が主導して2001年に開始したアコード(ACCORD)試験です。計1万人の糖尿病患者に対して行われた大規模なものでした。
ヘモグロビンA1cを、当時正常値とされていた6%に抑える「強化療法群」と、それよりも少し緩い基準の7.0〜7.9%までに抑える「標準療法群」という2つの群に分けて調査をしたところ、わずか3年半の観察期間で、死亡率に有意な差が出たというもの。
それも、正常値の6%に抑えた「強化療法群」のほうが死亡率が高いという驚くべき結果が出たのです。

当時、糖尿病治療の権威というべき医師たちをはじめ、日本の医学部の教授たちはこの試験結果を見事に無視しました。
しかし、正常値まで数値を下げたほうが死亡率が高くなるなど、どう考えてもおかしなことと思われることでしょう。
実際、このアコード試験の結果を見て、欧米の研究者たちは同様の調査を実施してさらなる検証を試みました。
エビデンスに基づいて合理的に治療をすべきだと考えるならば、当然の反応だと言えます。

なかでも本格的な調査を行ったのが、イギリスのカーディフ大学のブレイク・ハリー博士でした。 ハリー博士は4万8000人を対象に調査を実施、その結果、死亡率がもっとも低くなるのは、ヘモグロビンA1cが7.5%の時であるという結果を得ました。
この数値を比較基準としたとき、11.0%まで上昇すると死亡率が79%上昇することがわかりましたが、一方で、6.4%まで下げてしまっても死亡率が52%上昇することが判明したのです。
のちに日本では、厳格にヘモグロビンA1cをコントロールしすぎると重症低血糖を起こしやすくなり、これにより心不全などの合併症リスクが高まるようだと分析され、やみくもに数値を下げればいいのではなく、コントロールの質が重要なのだという認識につながっていきました。
「正常値絶対主義」がいかに危ういものであるかを思い知ることになった調査結果だったのです。

しかしいまだに、糖尿病の権威として君臨しているような医学部の先生方のなかには、正常値になるまでインスリンを打たせ続けるような治療をしている人も少なくないようです。

■正常値の「基準」を上げることに反対する医師
かつて、血圧の基準や血糖値の正常値(基準値)をもう少し上げても大丈夫であるということが、人間ドックを受けた人たちの予後調査から見えてきたと人間ドック学会が発表した時も、循環器学会などがその発表をデタラメ扱いして基準を上げることに反対したということがありました。

日本の医師の世界というのは、きちんとしたデータを持っている人よりも肩書のほうが勝ってしまうというおかしな世界なのです。
人間ドックの医者が言っていることが、大学医学部の教授の言い分よりも正しいなどということがあってはいけないというわけです。
「正常値絶対主義」に凝り固まって人間を見ない医師、患者の死亡率を上げてしまうかもしれないというエビデンスに対し、謙虚になろうともしない医師たちが一日でも早く引退していくことを願うばかりです。

■「放置した健康管理をしない方が健康」というエビデンス
もうひとつ、興味深い調査研究があります。
「フィンランド症候群」に関するものですが、この名前を出そうものならば、日本の多くの医者は「デタラメ」だと怒り狂うことでしょう。
自分たちのレゾンデートルが脅かされかねないからです。
しかし、デタラメだと主張するのであればまず、自分たちも同規模の調査研究を日本で行うべきだと思います。

この調査研究は、1974年から1989年までの15年間にわたってフィンランドの保険局が行った大規模調査のことです。
循環器系が弱く血圧やコレステロール値などが高めの40〜45歳の男性1200人を対象に、きちんと健康管理をする介入群600人と、健康管理に何も介入しない放置群600人に分けて、15年かけて健康状態の追跡調査を行いました。

介入群には最初の5年間、4カ月ごとに健康診断を行い数値が高い人にはさまざまな薬が処方され、アルコールや砂糖、塩分の抑制を含めた食事指導や運動などの生活指導も行われました。
一方の放置群のほうは、定期的に健康調査票に記入するだけで調査の目的も知らせずに、文字どおり放置しました。
6年目からはどちらのグループも健康管理を自己責任に任せたうえで、15年後にその健康状態の追跡調査を行いました。
その結果は、多くの人の予想を裏切る衝撃的なものでした。

がんなどの死亡率、自殺者の数、心血管性系の病気の疾病率や死亡率などにおいて、きちんと健康診断を受けて投薬治療や食事制限をされた介入群のほうが、放置群よりも高いという結果が出たのです。
とくに、介入群には数名の自殺者がいましたが、放置群では皆無に等しいものだったようです。

つまり、介入的な健康管理によって血圧やコレステロール値などが数値的には改善していた人たちが、逆に死亡率が高くなっているという結果が出たのです。
この研究結果は非常に示唆的でした。

数値的な改善が死亡率の低下にはつながらないという1つのエビデンスが示されたといえます。
つまり、治療の常識を根本から問い直すようなものだったのです。

ところが、この調査結果が発表されたとき、日本の医学部の医師たちはほとんどまともにとりあおうともしませんでした。
それはそうでしょう。
自分たちが健康管理に介入しないほうが長生きできるなどと言われてしまっては、立つ瀬がありません。
しかし、頭ごなしに「こんな調査はインチキだ」と否定するのではなく、そこから学ぶべきものを学んで自分たちのよりよい治療に生かしていくべきではないでしょうか。
もし「インチキだ」と主張するのであれば、自分たちも同じように15年もの年月と費用をかけて、こうした大規模調査を行うべきでしょう
反証できる結果を示して「どうだ、きちんと介入したほうが死亡率は下がるではないか」と主張すればよいのです。
それをせずに、自分たちの常識と反するものが出たからといって、頭ごなしに「インチキだ」と否定するのは、科学者が科学を否定するにも等しいことです。

■太っている人は誰もが不健康とは限らない
「正常値絶対主義」は、医療界の随所で見られます。
厚労省の旗振りのもと、社会全体でメタボリックシンドローム対策に取り組んでいますが、この背後には「メタボの人はリスクが高くなって医療費がかさむ」ということが定説としてあるわけです。
そうなるとすぐ、メタボな奴は医療費をたくさん使うからけしからん、という論調になりがちです。
でも、なぜそういうことになってしまうのか、その根本を真剣に考えてみたことはありますか。
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2023年04月20日

「子どもの前で死ぬな!」信仰では救われず泣き暮らした末に命を絶った母に宗教2世の娘が抱いた怒り

「子どもの前で死ぬな!」信仰では救われず泣き暮らした末に命を絶った母に宗教2世の娘が抱いた怒り
漫画家・宗教2世 菊池 真理子
2023年04月19日 プレジデントオンライン

日蓮聖人を信仰する法華経系の仏教団体であり、公称約800万世帯の在家信者がいる創価学会。
聖教新聞や大学などの教育機関を有し、公明党の支持母体にもなっている。
漫画家の菊池真理子さんは「母親は“学会”の活動に奔走するあまり、私たちをネグレクトした上に、自殺してしまった。
大人になっても母のことを可哀そうな人だと思っていたが、今は改めて怒りを感じている」という――。
※本稿は、横道誠(編)『信仰から解放されない子どもたち』(明石書店)の一部を再編集したものです。

■信仰熱心な母と入信しなかった父の間に生まれて
母が創価学会員でした。岩手県の出身で、母が中学校2年生ぐらいのとき、母の兄、つまり私の伯父がもう治らないかもしれないと言われるような大怪我を足に負いました。
それで伯父が創価学会に入信して、勤行をしていたら、怪我が治ったそうです。
母はそれを見て、これは本当に信じていいものだと思ったらしくて、自分でも創価学会に入信して、そのあとに自分の兄弟姉妹や親を折伏(しゃくぶく)して創価学会に入れたという経緯があります。

中学時代から、黒板に雲の絵を描いて、そこから雨が降っている様子の絵にして、「ご本尊様というのはこの恵みの雨のようなものです」とクラスで発表するような熱心な信者だったようです。
世俗的なことには興味がない人で、西城秀樹のファンだったという側面はありますが(笑)、
ほかには何が好きかはほとんど聞いたことがありません。
創価学会の信仰にまっしぐらです。
この母の娘として、私は宗教2世でした。

■両親の結婚式に父の親戚は誰も来ていなかった
父と母は同じ中学校の出身です。母は父より学年がひとつ下でした。
父は学校でわりと目立っていて、生徒会長をやっていたので、母は父を知っていて、父は母を知らないという状況だったんです。
そのあと父は進学校の高校に進んで、母は商業高校に通ったと聞きました。
そのまま離れてしまったわけですが、おとなになって東京に出てきたときに偶然再会しました。
父が勤めていた会社に母も事務員として入ってきて、それで母のほうが「生徒会長の先輩だ!」とびっくりして、母からアタックしたという経緯があります。
それから、いったいどんな事情があったかは知らないのですが、父は母の言うことを聞かなくてはいけないような状況になったらしく、父には恋人がいたのになぜか母と結婚することになりました。

母は父に創価学会に入信してくれと頼んで、一度は父もそうすると約束したらしいんです。
なので、おそらくそのせいだと思うのですが、両親の結婚式の写真を見ると、父方の親戚は誰も来てないんですね。
母方の親戚、親戚というか家族兄弟だけが来ている。
ふたりは結婚しましたが、結局、父は約束を破って入信せずに、母だけが熱心で、父は母の信仰に反対するというのが、私が生まれた段階での夫婦の関係です。

私は東京で生まれましたが、3歳のときに埼玉県に引っ越して、それからいまに至るまでずっと埼玉です。
3歳下の妹がいて、いまでも姉妹一緒に住んでいます。

■母は宗教活動で家を空けネグレクト状態で育った
子どもの頃は座談会という行事に連れて行かれて、一緒にご本尊様のまつられている仏壇にお祈りを捧げる、お題目するということを日常的にやっていました。
母はほとんど宗教活動に時間を取られていたため、私と妹はほぼネグレクトのような状態でした。
私もまだ幼かったから、記憶違いもいろいろあるかもしれないのですが、母は夜にほとんど家にいませんでした。
学校から私たちが帰ってくる時間には不在です。
ご飯を作りに一度は帰ってきてくれるのですが、食べおわると、また母は一人で出て行く、たまに私と妹も連れられていく、というのが基本的なスタイルです。

でも多くの夜は、私と妹とふたりだけで過ごしていました。
父は仕事人間、プラスお酒の飲み会があると絶対に参加して、帰ってくるのはほとんど「午前様」状態だったので、小さい頃は父に会う時間が少なかったです。
週末になると、父の友だちがうちに集まってきて、土曜日と日曜日はずっと麻雀をしながらお酒を飲んでいました。
麻雀をしている横でも母がお題目をあげているという奇妙な状況の中で、私と妹はふたりで部屋にこもってマンガを描いていました。これが小学校時代です。

■「池田先生」と崇拝する母にはついていけなかった
母は熱心に池田大作さんを信仰していました。
仏や日蓮ではなくて、なんといっても池田さん。
座談会では、御書の勉強といって日蓮さんの勉強をしていたはずですけど、でもみんな、ちゃんと勉強していたのでしょうか……。
うっすら勉強はしていた記憶もあるのですが、基本的にはいつも「池田先生、池田先生」でしたね。

池田先生を称える歌を、私たちも無理に歌わされていました。
勤行をあげろとか、題目しろということは、いつも言われていました。
ただ正座をして30分とか1時間とか、お題目をあげるのは子どもにはとてもきつかったので、私はすごくサボっていました。ですから、宗教活動をもっとしっかりしろと、ほかの宗教2世ほど言われていないのかもしれません。

母からは、「絶対に人の悪口を言ってはいけない」とか「誰かに対して怒ってはいけない」「嘘をついてはいけない」「姉妹喧嘩はだめ」などとしつけられました。
わりと普通のことなので、逆にそれは宗教の教えなのか母の教えなのか、私には区別がついていない点が多いんです。

■納得できる答えをくれない学会のおとなたちにもやもや
日曜日になると、少年部という集まりに連れて行かれて、時間を取られる。
午前中だけだったので、そんなに長時間を潰されたということでもないんですが、とても嫌でした。
学年があがって、集まりでおとなたちが話していることに反論すると、すべて宗教用語で丸めこまれるのはおかしいと思っていました。

創価学会のいわゆるご本尊様は紙なんですが、私が「ただの紙じゃないんですか?」「なんで紙に力があるんですか?」と質問したら、「うっ」とみんな言葉に詰まったあとで、「普通の紙とお金は違いますよね。紙幣は違いますよね。それと同じようなことです」と返答するわけです。
ちゃんとした答えをくれないことに、もやもやしました。

私の中にも、いまだに罰があたるという考えは残ってしまっているんですね。
アダルトチルドレン、つまり親子関係がうまくいっていない機能不全家庭で育った人の周囲では、親から逃げろという原則が流通していますが、宗教が関わっていると親から逃げるのも大変だし、親や教団との関係を切って、家族としての交流は続けることもできない。

親と自分という一対一の関係だけではなくて、背後に教団があるから何100万人対1ということになる。
自分の心のうちにも罪とか罰とかの考えを取りこんでしまっているから、自分の人生を立てなおすのに、ものすごい余計な力を使わなくてはいけない。
宗教2世は大変なことだらけです。

■父との不和もあり母は1日中泣いて暮らすように
母が言っていたことは、「悪いことをするな」とか、言葉のうえではすごく良いことを言っていたのですが、私はそれに縛られすぎてしまって、過剰に善人になろうとしてしまっていたので、生きていくうえでは、つらかったなと思います。

とはいえ、いろいろな呪縛がかなり解けたいまでは、やはり悪人よりは善人でいようかなっていうふうには思いますし、差別的なことを教えこまれなかったのは良かったと思います。
母自身も、私たちに言い聞かせる内容のようなすばらしい人であろうと努力していました。
でも、父の麻雀仲間に対して、非常に怒ったり嫌ったりしているのは、子どもの私にも伝わってきたんです。
でもそれを言葉にしないから、母は結局、私が小学校高学年ぐらいから毎日毎日、ほんとうに24時間中で20時間ぐらいは泣いているような人になってしまいました。

■そして中学生のとき母はみずから命を絶った
私が中学2年生のときに、母は結局、自殺をしてしまうんです。
ですから、信仰のために良い人間であろうとしているのはわかるんですが、結局、そんなふうに人間はなりきれないという問題で、すごく葛藤していた人じゃないかという気がします。
母の不満のおもな原因は、父にありました。
「信じるって言ったくせに一緒に信仰してくれなかった」ということは、ずっと恨みに思っていたようです。
あとは、やはり母がお題目をあげていると、父は「そんなものを拝むんだったら、俺を拝め」と、酔っぱらっているからなんですけど、邪魔したりしていました。
母はそれがすごく嫌そうでした。

私が見る父の姿は、つねに酔っぱらいでした。
とにかく父と母がまともに会話しているのを私はほとんど見たことがなくて。
冷えきった夫婦だったと考えています。

■母に殴られても「可哀そう」としか思えなかった
宗教2世には親を恨んでいる人も多いですが、私の母があまりにもいつも泣いていたから、どうしても悪く思えませんでした。母に突然、タオルを振りまわされ、殴られたことがありますが、母のほうが「とにかく被害者です、私は」という態度を見せてくるので、私は母のイメージ通りに自分が加害者のような気がしてしまって、良い子になれない自分が悪いと考えて、お母さんが可哀そうで可哀そうでしょうがなかったんです。
それに、母はなんでこんな不幸なんだろう、母は可哀そうだと思っていた矢先に死んでしまったので、本当に可哀そうなのが確定してしまったんです。
ですから、母に対して嫌いというマイナスの感情を持つことに時間がかかりました。

母の被害者感情は父の不信仰だけに由来していません。教団内も関わっています。
母は、「聖教新聞」を自分で配達する係だったり、あと、人前に立ってしゃべったりする役割だったんですが、そんなふうに仕事を押しつけられて、教団の活動が嫌で泣いていることもありました。
そういうのを見ると、結局この人は学会を信じてもいないんだなとわかって、それで私はびっくりして。
なんで信じてもいないのにそこにしがみつこうとするんだろうか、というのをずっと不思議に思っていました。

■母親は学会を信じていないのにしがみついていた
母に対して「全部やめて、結婚もやめて、この人、逃げればいいのに」と思ったんです。
でも教団外に人間関係がなかったんでしょうね。
実家の家族も学会員ばかりになっていましたし。自殺する直前、母は毎日ひたすら泣いて、家出したこともありました。でも父がまったく「我関せず」で、平然と生きていたんですよね。
だから私もあえて「お母さん大丈夫?」と声をかけるとか、母を気遣うとかといったことをせずに、何もなかったように過ごすという選択をしてしまいました。
その結果、母が亡くなったあとに、私が選んだ道はすべて間違いだったんだと思って、私が母の死に直接関わっているかのように感じて、とにかく苦しみました。

■母の死後も公明党への投票を要請された
創価学会員たちは、当然お葬式にも来ていました。
死後に信者は誰でももらえるらしいんですけれど、賞状みたいなのを渡してくるという茶番がありました。
「母は創価学会のせいで苦しんできたのに、こんなものをもらって何になるんだろう、まったく救ってくれなかったこの宗教ってなんなのか」と私は悩みながらお葬式に参列していました。

そのあとは、学会員がしょっちゅう、うちに来るんです。
なんとかの会合に行こうとか、聖教新聞をもう一回とってくれとか言うんですが、父がいると激怒して追いかえすんですね。 父は家庭の外では、人当たりはそんなに悪くなかったですが、学会員に対してだけは「帰れ帰れ」と叫んで。そのうち学会の人たちは、父が不在にしていそうな時間をねらって来るようになりました。

私は母の死を経て、この信仰は誰も幸せにしないと思ったので、なんだかんだと理由をつけて拒絶しました。
中学生だったので「宿題があります」とか、「夜は出られません」とかです。
でも、おとなになったあとも、ずっと来ていましたね。
選挙前は特にそうです。「公明党に入れてください」と。適当にあしらうこともあれば、その政党の政策に私は賛成できないからと言って帰ってもらうこともありました。
でもそれでもしょっちゅう来ていました。あとは池田さんが配ったお米をくれるとか、いろんなものを持ってうちに訪ねてきていました。
私の心は何があっても動きませんでしたけれど。

■公明党が与党となったことに衝撃を受けた
おとなになってくると、公明党絡みでひどいことがたくさん見えてきて、公明党が自民党と連立政権を組んだり、いろんな戦争に関わりかねない法案に賛成したりしているのを見たときに、そして、創価学会員が足並みを揃えてついていっていることに、衝撃を受けました。
うちの母も生きていたら、ここに投票するんだろうと思ったら、びっくりしてしまって。

創価学会という組織を見る眼はネガティブになりました。
母のお葬式のことを思い出すと、母の死んでいる顔が記憶によみがえってきます。
でも何ひとつ感じられないんです。悲しみも何もない、本当に無の心の状態になってしまって、それ以上思い出そうとするときっと良くないな、精神衛生上、良くないと思って、母のことをあまり考えないようにしていました。
いまもその無になってしまうんです。

■「死んだ母が可哀そう」という気持ちを乗り越えて
でもマンガ家になってから、いつか母のことを描きたいとは思っていました。
あまりにも傷がなまなましいし、自分の技量的に描けないかもと思って保留にしつづけて。そのうちに父のことを描くことになって、ついでに母も宗教やっていましたという描写を、ちらっと入れたんです。

そうしたら、その直後、夜寝ていたら突然、それまでは母のことをずっと可哀そう可哀そうと思ってきたんだけど、急に「子どもの前で家の中で死ぬな!」と、すごい怒りが湧いてきました。
「そんな死ぬにしても子どもが第一発見者になるようなところで死ぬな!」と。
そこから母のことも「可哀そうな人」じゃなくて、冷静にどんな人だったのか見つめなおしてみたいと考えはじめて、そうしたらやっぱり宗教の問題は避けられません。
そこから、宗教2世に関するマンガをぼんやりと考えるようになりました。

■普通の親子と混同されると宗教2世の苦しみはわからない
宗教2世のみなさんと自助会をしたり、インタビューをしたりして思ったのは、いまはまったく公助がなくて、すべて自助に任されている状態だということです。
政治がやってくれることは充分ではありません。
ならば民間がまずは頑張ってやっていくしかないのかなという状況ですが、絶望の反面、頑張るぞという気持ちもあります。

福祉職・心理職の人たちや精神科医といった、支援職の方々は、一度この宗教2世問題を知ってほしいなとは思います。
宗教2世が置かれている現状について、新しい観点から見てほしいです。

普通の親子関係の問題と混同されると、宗教2世の苦しみはなかなかわかってもらえないんじゃないかと思います。
私は、宗教2世のためのオープンチャットをLINEで作っているのですが、やっぱり宗教に全然接点のない友だちが、「大丈夫なの? 宗教の人って怖いんじゃないの?」と心配してきたんです。
宗教2世のことを、私自身は被害者だと思っているんですけれど、普通の人から見たら宗教1世も宗教2世も一緒なんだと実感しました。
なんか知らないけどやばそうな人、怖そうな人、関わらないほうがいいよ、と世間は見ている。
そこの誤解はなんとかして解いていきたいと思っています。
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2023年04月21日

「脳科学はマスコミが作り出した幻」一大"脳ブーム"を生み出したベストセラー本を精神医療の権威が完全論破

「脳科学はマスコミが作り出した幻」一大"脳ブーム"を生み出したベストセラー本を精神医療の権威が完全論破
精神科医、昭和大学附属烏山病院院長 岩波 明
2023年04月20日 プレジデントオンライン

テレビ番組のコメンテーターとしてしばしば登場する“脳科学者”たち。
しかし、昭和大学医学部精神医学講座主任教授で同大学附属烏山病院長の岩波明さんは「堂々と脳科学者を名乗る人たちの大部分は科学者とも言えないし、『脳』の研究を自らしたこともない人たちが多い」という――。
※本稿は、岩波明『精神医療の現実』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■医学部に「脳科学科」はない
脳科学という言葉が世の中に浸透するようになったのは、1990年代ころのことだと思われる。
そう遠い昔のことではない。
現在では、「脳科学者」を名乗っている人が、テレビ番組のコメンテーターなどに登場することはまれなことではなくなっている。
それでは脳科学とは何かというと、そもそも日本の医学部に「脳科学科」という名称の部門は存在していない。
大学において、脳に関する研究をしているのは、基礎医学の部門に加えて、神経内科、脳外科、精神科が相当している。
けれども、いずれの部門も、世の中に浸透している「脳科学」のイメージとはピッタリ一致していない。

■実際の脳科学は一般のイメージからはほど遠い
例外的な存在は、日本の代表的な研究機関である理化学研究所である。
ここには、「脳神経科学研究センター」という部門がもうけられている。
研究所のホームページによれば、このセンターの理念は以下のように述べられている。
脳は人間らしく生きるための「心」の基盤であり、その機能障害によって心の病気が引き起こされます。
脳神経科学研究センターは日本の脳科学の中核拠点として、医科学・生物学・化学・工学・情報数理科学・心理学などの学際的かつ融合的学問分野を背景に、遺伝子から細胞、個体、社会システムを含む多階層にわたる脳と心のはたらきの基礎研究と革新的技術開発を進めています。
これらの研究・開発を通じて脳機能ネットワークの全容解明や精神神経疾患の克服を目指し、社会に貢献します。

実際の研究チームをみてみると、「学習・記憶神経回路研究チーム」「意思決定回路動態研究チーム」「時空間認知神経生理学研究チーム」「シナプス可塑性・回路制御研究チーム」「神経細胞動態研究チーム」などといった、基礎医学的な研究の羅列になっていて、一般に浸透している脳科学のイメージからはほど遠い(※組織名称は執筆当時のもの)。

■脳ブームの火付け役は1冊のベストセラー
実は「脳」という言葉が魅力的なイメージを持つものと認識され、脳に関するブームを引き起こしたのは、1995年の『脳内革命』(春山茂雄、サンマーク出版)の出版がきっかけだった。
著者の春山氏は東京大学医学部を卒業後、消化器外科医として研鑽(けんさん)を積み、本の出版当時においては、自らが設立した田園都市厚生病院の院長を務めていた。
この本の内容は、アマゾンのサイトには次のように説明されている。
どんなに嫌なことがあっても、事態を前向きに肯定的にとらえると脳内には体に良いホルモンができる。
プラス発想こそが心身にとって最高の薬となることを、医学的・科学的に明らかにした画期的な書。
しかしながら、専門家からはこの本の内容について批判が相次いだ。
『医者からみた「脳内革命」の嘘』(永野正史、データハウス)という本も出版されている。
批判者によれば、春山氏が述べている「楽しいことを考えれば、気持ちを前向きに持っていれば、脳内モルヒネが出てさまざまな病気が治る」という説は、医学的に実証されていないことが指摘されている。

■『脳内革命』の著者は脳科学の素人
けれども、不思議に感じられるのは、一般の人たちやマスコミのこの本に対する態度である。
上記のような批判があるにもかかわらず、『脳内革命』への支持は熱狂的なものがあり、今でもこれに傾倒している人は少なくない。
アマゾンの読者レビューを見ると、比較的好意的な反応が多い。
春山氏が食事、運動、瞑想(めいそう)の重要性を述べている点などについて肯定している意見もみられ、医学的な観点と一般の人の感覚は大きく異なっていることを実感した。

筆者の春山氏は東大医学部卒の高学歴の人ではあり、東大病院、東京逓信病院などの有名病院で診療を行っているものの、専門は消化器外科の臨床医で、「脳科学」やそれに関する研究とは無縁の存在である。
日本の医学関係のデータベースである医学中央雑誌を検索してみても、春山氏の研究論文は外科時代のものが数本あるのみで、脳機能などに関連しているものは皆無である。
つまり春山氏は、能力の高い高学歴の医師ではあるが、この本のテーマである「脳科学」に関する点では、素人といっても差支えがない。
この本の中に実証的な検証データがほとんど含まれていないことはたびたび指摘されてきたが、春山氏自身そういった知識はあまり持っていなかったので、書きようがなかったのかもしれない。

■「疑似科学」に無防備なテレビ業界
それにもかかわらず、脳という未知の領域が容易に理解できそうだと思うと、多くの人が安易に飛びついてしまった。
慎重であるべきマスコミ、特にテレビ業界はこういった「疑似科学」に無防備である。
一方、多くの「真っ当」であると考えられる脳の研究者たちは、普通の人々に語る言葉を持っていない。
彼らは、自分が専門とするごく狭い研究領域の知識しか知らないので、「脳と心」や「脳と人生」について述べることはできないのである。

一般の研究者が日々励んでいることは、実験動物を使った基礎研究を行い、いかに多くの英語論文を書くかということである。
それが彼らの業績となり、自らの昇進や研究費の獲得につながる。
一般向けの書籍を書いても、「アカデミック」な世界では業績とはみなされない。
バラエティ番組に出演してしたり顔で発言したりすると、逆にせせら笑われる。

■似非科学で儲ける健康食品業界
堂々と脳科学者を名乗る人たちの大部分は科学者とも言えないし、「脳」の研究を自らしたこともない人たちが多い。
彼らの語る脳や心の話は裏付けのない「ファンタジー」であり、時には宗教じみたオカルト話になる。

つまり、「脳科学」はマスコミの作り出した幻であり、似非科学なのである。
けれどもテレビ番組などのジャーナリズムは、内容を検討することもなく、似非学者たちの「学説」を何年にもわたり垂れ流してきた。
番組の制作者たちは、世の中に受けの良さそうなストーリーを「脳科学」というレッテルを貼って送り続けたのが実態であり、彼らもそれをわかっているのである。

似非科学である脳科学を、マスコミが利用するのは、話題づくりや視聴率のためであったことは明らかだ。しかしさらに悪質であるのは、似非科学を利用して必要もなければ効能もない食品やサプリメントを売りさばいている健康食品業界である。

特に似非科学が大きな威力を持っているのは、代替医療の世界である。
効果が不明なサプリメントや食品を、がんや慢性疾患に対する治療法として勧める代替医療は後を絶たない。
ナチュラル志向のマスコミや著名人が、これに拍車をかけている。

■「うつ病にセロトニンのサプリ」は根拠なし
脳科学を根拠にした食事療法も数多くマスコミで取り扱われている。
だがその多くが、根拠のない妄説である。
クスリを批判するマスコミもサプリに対しては不思議と無批判である。

たとえば、うつ病からの回復がみられると、神経伝達物質セロトニン関連のサプリの摂取を勧める業者は数多い。
これにも根拠はない。
それにもかかわらず、少しでも病気が改善するならばと、ワラにもすがろうとする患者や家族は、高額のサプリを買い求める。
今や「健康」は、巨大なビジネス市場となっている。

健康食品はクスリと異なり科学的な根拠が不要なため、新規参入は容易だ。
キノコでもこんにゃくでもビタミンでも、ほとんど有効成分のないサプリメントでも、科学者風の人物かタレントを連れてきて宣伝すればいい。

■似非科学が引き起こす悲劇
欧米においてもわが国においても、人々の健康志向は高まるばかりである。
このため医療費に加えて、代替医療にかける費用は高騰している。
テレビではほとんどのチャンネルで、栄養セラピストたちが脳や身体に「良い」食品を自信たっぷりに推奨し、健康食品やサプリの購入をあおっている。

こうした似非科学の裏側では、救いようのない悲劇も起きている。
1998年にイギリスで予防接種が自閉症を引き起こすという論文が発表された。
これはまったく根拠のない説だったが、その結果予防接種の接種率が著しく低下し、かえって小児の感染症がまん延した。

最近でも抗うつ薬の副作用が過大に宣伝された結果、逆にうつ病の薬物治療が十分に行われず、自殺率が高まったという報告がある。
健康を人質に商売に励む企業はもちろん、それをあおるマスコミや似非科学者たちを注視する必要がある。
ただ難しい点は、こういった話題においては、エビデンスに基づいて議論をする科学者、医学者よりも、印象や思いつきで論じ、感情に訴えるナチュラリストやジャーナリストの方が、一般の人の共感を得やすい点にある。

日常臨床においても、通常の向精神薬には過剰に反応する一方で、漢方薬はウェルカムという人を時々みかける。
漢方薬といっても、いくつかの化学的な成分を集めたものであり、副作用も一般的な薬物と同様にみられ、死亡例もあることを説明しても、製薬会社の回し者に見えるようである。
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2023年04月22日

心理テストで自分の弱点診断

心理テストで自分の弱点診断
2023年04月20日 シンリ

心理テストの質問
質問】
あなたは、友人と美術館に出かけました。 そこにはいろいろな絵画が展示されています。
あなたはどの絵画に一番惹かれましたか?
次のA〜Dのなかから選んでください。

性格診断!
心理テスト 絵画.jpg 
この質問では、「あなたの弱点」が分かります。
それでは、診断結果を見ていきましょう。

A 剣を持った戦士
B 弓で戦っている騎兵
C 魔法の杖を振り回している一般市民
D 壺を持った天使

心理テストの診断結果
A 剣を持った戦士と答えたあなたは…、
「人に頼るのが苦手です」
あなたは、自分で未来を切り開いていける強者です。
あなたのことを頼りないと思う人はいないでしょう。
誰が見てもしっかり者のあなた。
そのため、何でも自分で解決してしまいがち。
しかし、あなたも人間です。
頑張りすぎるとやはり、疲労は溜まってしまいます。適度に人を頼りましょう

B 弓で戦っている騎兵と答えたあなたは…、
「じっくり物事に取り組むのが苦手です」
あなたは、臨機応変に行動できるのでフットワークの軽さが魅力です。
しかし、1つのことにじっくり取り組むのが苦手で、すぐに飽きてしまいそう…。
器用貧乏なところがあるので、何をやっても人並み程度の成果は出せます。
でも、あなたならばこれ!のような、突出した何かが無いのが悩ましいところです。

C 魔法の杖を振り回している一般市民と答えたあなたは…、
「柔軟に対応するのが苦手です」
あなたは、計画を立ててコツコツと実行するのが得意な人です。
そのため、想定外のことが発生するとソワソワしてしまって対応できません。
落ち着いて対応するのが苦手なので、ピンチのときに実力を発揮できないタイプ。
あなたの相棒は、ピンチのときに強い人にしましょう。

D 壺を持った天使と答えたあなたは…、
「物事にすぐに取りかかるのが苦手です」
あなたは、温和な性格でみんなの癒し系です。
普段の仕事ぶりものんびりマイペースなので、先を見越して取り組むことをまずしません。
そのため、締め切りギリギリになって仕上げることがしょっちゅうあります。
1日でも早く取りかかることを習慣にしましょう。


ライター : シンリ編集長
心理学を学び、さまざまな診断に関する造詣が深い。
恋愛診断から性格診断などまで幅広い見識を備え、現在は心理系記事のライター、編集長として活動中。

編集 : シンリ編集部
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2023年04月23日

「親に頼れず生きてきた人」によくある、大人になって驚くほど難しく感じてしまうこととは?<心理カウンセラーが教える>

「親に頼れず生きてきた人」によくある、大人になって驚くほど難しく感じてしまうこととは?<心理カウンセラーが教える>2023.4.22 ダイヤモンドオンライン

周りの誰もがうまくやっているのに、いつも自分だけがうまくいっていない気がする。
何とかしようと自分なりに頑張って努力しているつもりなのに……。
そんな生きづらさを感じて、つい自分を責めてしまいがちな人に、人間関係、親子問題、アダルトチルドレン(AC)専門のカウンセラーであり、『あなたはもう、自分のために生きていい』の著者であるPoche(ポッシュ)さんが、今より少し心をラクにして、自分を守れるようになるコツを特別な書き下ろしマンガで紹介します。
勇気をだしていう.jpg

「休みたい」 「辛い」 「もう無理」 「本当は嫌」  勇気を出して気持ちを伝えた時に、次のようなことを言われてしまうことがあります。
勇気を出していったのに反応1.jpg
  あなたのせいでは ありません  このようなことを言われてしまうと 「すぐに言わなかった自分が悪いのでは」 「自己管理できていない自分が悪いのでは」  ……と自分を責めてしまうことがあります。 

言いたくとも言えない1.jpg
自分を褒めてもいいんです

 だってあなたは、言いたくても言えるような環境ではなくて、ここまで耐えるしかなかったのですから。
「こんな環境でよく頑張った」と自分を褒めていいのです。


自分を責めなくていい1.jpg
自分を責めることをやめるだけで、ストレスは軽減します。
 自分のせいではないことで、自分をそんなに追い込まないでくださいね。


※本稿は、Poche著『あなたはもう、自分のために生きていい』(ダイヤモンド社)から再構成して漫画化した書き下ろしです。
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2023年04月24日

「自分に隠された闇」を診断

「自分に隠された闇」を診断
2023年04月22日 シンリ

心理テストの質問
今回の心理テストのテーマは、あなたに「隠された闇」についてです。
自分の中にあっても、意外に気づけていない…、そんな深い部分にある心の闇を暴いていきます。

【質問】2人は何の話をしていると思いますか?
何を話している 心理テスト.jpg

イラストに描かれている女性2人は、何の話をしていると思いますか?
A〜D の中から、直感で1つを選んでみてください。

 この質問では、あなたに「隠された闇」がわかります!友達同士などで、楽しんでみてくださいね。

A. お気に入りのアイドルの話
B. この後お茶するカフェの話
C. この後買いたいモノの話
D. 気になっている男性の話

心理テストの診断結果

A.を選んだあなたは…、
周囲の人と比較をしてしまう傾向が!
あなたの心の奥の方に広がっているのは、自分が一番でないと気が済まない…!といった闇です。
人間には色々なファクターがあるので、全てで一番を取ることなどできないでしょう。
しかし、たとえば収入であったり、学歴であったり、恋人のルックスであったり、心の中で周囲と自分のレベルを、無意識のうちに比較してしまっているのではないでしょうか?
そして、マウントを取られそうだと感じたら、その相手とは咄嗟に距離を取るようにもしていそうです。

B.を選んだあなたは…、
孤独感で葛藤しつつ悩んでいる傾向が!
あなたは、一人で過ごす休日に寂しさを感じてしまうタイプ。
予定が入っていないと孤独を感じてしまい、人知れずため息をついていたりするのではないでしょうか?
…かといって、自分から相手のことを誘うと、断られた時に傷ついてしまいそうで嫌だったり、話が合わない相手とまでは一緒にいたくないと考えていたりします。
そのため、なかなか孤独感を解消することができずに苦労してしまいやすいタイプと言えるでしょう。

C.を選んだあなたは…、
枯渇感や不足感を持っている傾向が!
あなたは、対象が人であれモノであれ「○○さえ手に入れば幸せになれるのに…」と考えてしまう傾向があり、そこに闇が広がっているタイプ。
理想を持つのは良いことですが、枯渇感や不足感を持ち、それを埋めて幸せになるために何かを手に入れようとしても、感情が満たされるのは一時的になってしまうでしょう。
欲しいモノが手に入ったとしても、そうでなかったとしても、今この瞬間が幸せ!と思えるようになれれば最強でしょう。

D.を選んだあなたは…、
自分の価値判断を他人に委ねる傾向が!
あなたは、誰かに愛されること、承認されることで、ようやく自分に高い価値があると認められる、そんな心の闇を抱えているタイプ。
対象となる相手がいて、その人の判断に自分の価値を委ねてしまっているような状態と言えるのではないでしょうか?
誰が何を思おうと、自分の価値は自分で決める、そのスタンスを取ることにより、あなたの心の中に広がっている闇は、美しいオーロラのような輝きを放ち始めるでしょう。

ライター : 十田リコ
フリーライター、占い師、ミュージシャン
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2023年04月25日

心理テストでわかる!あなたの異性からの好感度。同僚への接し方は?

心理テストでわかる!あなたの異性からの好感度。同僚への接し方は?
2023年04月23日 シンリ

【質問】 
あなたは、不器用なあまり、仕事がなかなか上手くこなせない入社同期と一緒に勤務しています。
その同僚は今日も上司から指導を受けていました。
指導の後、同僚と廊下ですれ違ったあなたはどうしますか?
効果度 あいさつ.png効果度 あいさつ.png
A〜Dのなかから選んでください。
この質問では、「あなたの異性からの好感度」が分かります。
それでは、診断結果を見ていきましょう。

A 何もしない
B 「お疲れさま」と声をかける
C チョコレートを1粒渡す
D 「今度飲みに行こう」と声をかける

心理テストの診断結果

A 何もしないと答えたあなたは…、
「異性からの好感度20%です」
あなたは、チームワークを良くするよりも、個人で結果を出すほうが大切だと思っているのでしょう。
だから同僚をフォローするつもりはあまりなく、声かけも積極的には行いません。
その姿は自分が思っている以上に見られているので注意しましょう。

B 「お疲れさま」と声をかけると答えたあなたは…、
「異性からの好感度70%です」
あなたは、どのように声をかければ良いのか分からなかったのかもしれません。
でも、同僚が落ち込んでいるかもしれないので声をかけたのでしょう。
心は優しいあなたなので、その姿を異性も見て少しキュンとしているかも。

C チョコレートを1粒渡すと答えたあなたは…、
「異性からの好感度90%です」
あなたは、自分には何もできないかもしれないけど、せめてこれくらいならば、と思ったのでしょう。
控えめながら献身的なその姿勢は異性からの高評価に繋がります。
ガツガツ前に出ることなく、後ろや隣からサッと支えてくれるあなたに夢中になっている人は多いかもしれません。

D 「今度飲みに行こう」と声をかけると答えたあなたは…、
「異性からの好感度40%です」
あなたは、明るくて爽やかな性格なので、同僚を飲みに誘ったのでしょう。
やや男前の印象を与えるので、意外と異性からの好感度は低めという結果に…。
恋人よりも、友人や妹として見られることが多いあなたは、恋愛している期間のほとんどの時間が片思いになっているでしょう。

ライター : シンリ編集長
心理学を学び、さまざまな診断に関する造詣が深い。
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2023年04月26日

相次ぐ値上げで「管理費UP」マンション住民の悲鳴

相次ぐ値上げで「管理費UP」マンション住民の悲鳴
さらなる「物価高騰」に備え今から対策が必要
長嶋 修 : 不動産コンサルタント
2023/04/23 東洋経済オンライン

総務省が発表した2023年(令和5年)3月の消費者物価指数によると、天候などの自然の影響を受けやすい生鮮食品をのぞいたコアCPIは104.1で、前年同月と比べると3.1%上昇した。
原材料の高騰や急激な円安、また長引くロシアのウクライナ侵攻などが要因となり、「値上げラッシュ」「物価高」が家庭や企業を直撃している。
もはや、あらゆるモノの「値上げ」が当たり前の時代に突入してしまったともいえるだろう。

管理費・管理委託費の値上げが決定したマンションも
もちろん、マンションの管理費や修繕積立金も例外ではない。
マンション管理組合の会計が逼迫していることについては昨年来からお伝えしている通りだ。
実際、管理組合に対し、管理会社から管理費の値上げの要請が行われるケースも増えている。
交渉の結果、すでに管理費・管理委託費の値上げが決定したマンションも少なくないという。

マンションの管理組合の収支に影響する大きな「値上げ」の筆頭となるのは、やはり電気料金だろう。
コロナ禍からの回復によるエネルギー需要の高まり、混乱するウクライナ情勢の影響による化石燃料価格の高騰で電気料金は大幅に値上がりした。
マンションの場合、共用部の照明や設備にも電気を使うため、電気料金アップは収支に大きく関わってくるのだ。
また共用部分の補償をカバーするマンション総合保険(火災保険)や地震保険なども軒並み値上げしている。
さらには警備員や清掃員など、マンションに関わるすべての人件費も大幅に上昇している状態だ。
管理費・管理委託費の値上げはまさに「待ったなし」の状況を迎えつつある。

マンションの管理組合の収支に最も大きな影響を与えているともいえる電気料金。
高騰が続いて久しいが、実際のところどの程度値上がりしているのだろうか。
そもそも電気料金は、電気を使用した量のほか、燃料調整額によっても大きく変わってくる。
燃料調整額とは、火力発電に用いる燃料である原油・LNG・石炭、おのおのの価格変動に応じて算出され、毎月変動するものだ。

毎月の電気料金(基本料金 + 電力量料金 + 再生可能エネルギー発電促進賦課金)のうちの電力量料金に含まれる。
燃料価格の変動により、燃料調整額が加えられたり、差し引かれたりして調整されるしくみだ。
国際的なエネルギー需要の拡大やロシアによるウクライナ侵攻の影響、また急速な円安などによって燃料価格は高騰するばかりだ。
それが燃料調整額にも反映され、電気料金も高騰の一途をたどっているのである。

東京電力の電気料金を例に挙げて見ていこう。
昨年2022年(令和4年)1月の低圧供給、つまり一般家庭の燃料調整費単価(税込)は▲0.53円/kWhだった。燃料調整額が1kWh当たり53銭差し引きされたということを意味する。
ちょうどロシアのウクライナへの侵攻がはじまる前のタイミングだ。

予算の確保が必要
ところが今年2023年の1月には、燃料調整費単価は12.99円/kWhへと大幅に上昇している。
燃料調整費が10円上がることで、大規模マンション、特にタワーマンションなどでは1日当たりの電気料金が数万円レベルで違ってくるという試算も出ているほどである。
エネルギー価格高騰に終わりが見えない中、国は電気・ガス料金負担の激変緩和措置の実施を決定した。
激変緩和措置とは、月々の請求金額から使用量に応じた値引きを行うもので、2023年2月分(1月使用分)より開始した。 これにより2023年4月の低圧供給の燃料調整費単価(税込)の10.25円/kWhが、緩和後に3.25円/kWhまで下がった。
しかしながら、大手電力会社はすでに電力料金の値上げを国に申請しており、今後、どこかのタイミングで値上げする可能性は高い。

そのため、管理組合総会での予算案をどうするか考える必要がある。
前年度ベースでの予算確保にとどまれば、不足することは疑いようのない事実だろう。
電気料金の高騰を視野に入れず、前年のままで予算を組めば会計は赤字となってしまう可能性が高い。
もちろん、赤字発生は避けたいところだが、赤字決算に関する既定は管理規約に記載されていない。
つまり、赤字決算でも管理規約には抵触するわけではないのだ。

標準管理規約 第61条2に以下のように記されている。
管理費等に不足を生じた場合には、管理規約に定める負担割合によりその都度必要な負担を求めることができる

つまり、予算が不足した場合、マンションの区分所有者が負担割合に応じて負担しなければならない、というわけだ。
管理組合によっては、不足分を予備費で補うケースもある。
しかしながら、そもそも予備費という費目を予算に含んでいない場合も少なくない。
いずれにせよ、最初から「不足する」ことがわかっているのに、前年度ベースで考えるのには無理がある。
では、電気料金の高騰に備えた予算案はどのように考えておくべきだろうか。

共用部分にも目を向けることが必要
国際情勢の変化が大きい昨今、的確な判断は難しい。
しかしながら、ある程度のアップを予測し、その分予算を確保しておくことが重要になってくる。
特に建物の内部に廊下がある内廊下を採用するタワーマンションなどは、照明など共用部の電気料金が大幅に上昇することを見込んでおく必要がある。

予算を厚くするのはもちろん、その他の値上がりに備えて予備費も準備しておきたい。
電気料金など「値上がり」に応じた予算決めは大切だ。
しかし予算を決めるだけにとどまらず、管理組合の財務体質改善に向けて踏み込んだ対策を練っておくことも必要だ。
例えばマンションの組合員・居住者の中で、共有部分のコストを意識している人はどのくらいいるだろうか。
専有部分に関しては細かくチェックしていても、共用部分については知らないという場合も少なくないはずだ。

共用部分にかかる月額の電気料金をマンション全体で共有し、それぞれがまずは必要なコストを認識することをおすすめする。
共有部に関するコスト意識が高まれば、照明器具の間引きなどを含め、節電の余地があるものをピックアップしていくことも可能になる。
また現行電力会社の料金プランの見直しに取り組むのも有効な方法だ。
自身のマンションにマッチした契約となっているのか、基本に立ち返って再考してもいいのではないだろうか。

この機会にマンション管理の将来に目を向けることも重要だ。
現行徴収されている管理費・修繕積立金で今後も運営可能なのか。
今後も健全な組合運営ができるのかということを、真摯にかつ冷静に見直してみる必要がある。
先述の通り、赤字決算でも管理規約に抵触するわけではない。
ただし、赤字が明確に見通せるのに、そのままにしておくわけにはいかない。

物価高騰は負の側面が強調されるが、ある意味で収支見直しのチャンスでもある。
資産であるマンションを健全に運営していくためには、マンションの組合員・居住者皆での問題共有、検討が大きな意味を持ってくる。
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2023年04月27日

「いい年をして」「年甲斐もなく」…高齢者を縛る“呪いの言葉”が世の中にあふれている現実

「いい年をして」「年甲斐もなく」…高齢者を縛る“呪いの言葉”が世の中にあふれている現実
和田 秀樹 2023-4-26 現代ビジネス

「年をとったら質素であるべき」「欲は持たずに淡々と生きるべき」……。
みなさんは、こうした根拠のない思い込みにとらわれていないだろうか?
 著書『70代から「いいこと」ばかり起きる人』(朝日新書)を上梓した、精神科医で老年医学の専門家でもある和田秀樹氏は、「年をとったら、やりたいことは我慢しないでやったほうがいい」と勧める。

その医学的根拠と、高齢者を縛る「エイジズム」について解説してもらった。

自由な人生をなぜみずから手放すのか?
なぜか世間には、「年をとったら質素であるべき」「欲は持たずに淡々と生きるべき」といった、根拠のない押しつけがあります。
それに反する行動をしようものなら、「いい年をして」「年甲斐もなく」と言われてしまいます。
さらに問題なのは、高齢者自身も、その押しつけを「そういうものか」と受け入れてしまっている点です。

好き勝手に、やりたいことをやればいいのに、みずから自由な人生を手放してしまっているのです。
私は患者さんに、よくこうお伝えしています。
「したいことは我慢せずに、どんどんやってオーケーです」
お酒だって、自分でコントロールできる範囲でしたら、ビールでも、日本酒でも、焼酎でも、気にせず飲んでもらってかまいません。
もし、医師の立場からおすすめするとしたら、赤ワインでしょうか。
赤ワインには抗酸化作用のあるポリフェノールが豊富にふくまれており、動脈硬化などの生活習慣病や、認知症の予防、アンチエイジングなどに効果があると言われています。

肝臓は昼間のほうが元気ですから、近所のイタリアンのお店でランチコースを楽しみながら、赤ワインをいただく、というのも楽しいかもしれません。

お酒もたばこも我慢しなくていい
言うまでもなく、朝から晩までお酒を飲みつづける「連続飲酒」状態におちいったり、酔って人に暴力をふるったりするのは論外です。
しかし、それは若い人だろうが、高齢者だろうが関係ないでしょう。

ようするに、「高齢者だからお酒を飲んではいけない」という道理はない、と言いたいのです。
たばこも同じです。最近ではすっかり悪者扱いですが、たばこに含まれるニコチンには、イライラ解消に役立つ作用があると言われています。
自殺のリスクを下げるという説もあります。
また、私が長年勤務した、高齢者医療を専門とする浴風会病院(東京都杉並区)に付属する高齢者施設のデータでは、「高齢者は、たばこを吸っても吸わなくても、生存曲線は変わらない」という結果が出ています。
決して「たばこに害はない」と言っているわけではありません。

よく知られているように、肺がんなどのリスクが高まるのは事実です。
ただ、たばこを吸って早死にする人は、高齢になる前に亡くなっているのです。
つまり、高齢になったら、いまさらたばこを吸おうがやめようが、寿命には関係ないということです。
「お父さん、もう年なんだから、たばこはやめたら?」 家族からそんなことを言われた経験のある、愛煙家の方もいるでしょう。
ところが実際には、たばこをやめたほうがいいのは高齢者ではなく、むしろ若い人のほうだったのです。

高齢者を縛る「エイジズム」という呪い
「いい年をして」 「年甲斐もなく」 こうした言葉に代表される、年齢による偏見・差別のことを「エイジズム」といいます。

アメリカ国立老化研究所の初代所長をつとめたロバート・バトラー氏が、1969年に提唱した概念です。
からかうつもりで「もう年なんだから」と言ったり、派手な服を着ている人に「年相応にしなさい」と言ったりすることはもちろん、高齢者はスマートフォンやパソコンが使えないと決めつけたり、運転免許の返還を迫ったり、年齢を理由に雇用契約を結ばなかったり、賃貸住宅への入居を拒否したりすることも、エイジズムに該当します。

エイジズムは、レイシズム(人種差別)、セクシズム(性差別)につづく、3番めの重大な差別であるとされています。
しかし、世の中を見ていると、レイシズムやセクシズムには敏感すぎるほど敏感なのに、なぜかエイジズムは許容されているように思えてなりません。
実際、米オクラホマ大学の調査によれば、対象者(50〜80歳の男女、2035人)のうち93.4%が、日常生活の中でたびたびエイジズムを経験していることが明らかになっています。
研究チームはこの結果を受けて、「エイジズムはもっともありふれた形の差別であり、またもっとも社会的に容認されている差別」かもしれないと指摘しています。

ポリティカルコレクトネス(人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること)が浸透し、もし差別的な発言をしようものなら一発で社会的地位を失うようなアメリカでさえこの結果なのです。
もし日本で同じような調査をしたら、目を覆うような結果になることは間違いありません。

やりたいことは我慢しないでやりなさい
エイジズムの根底には、高齢者に対するステレオタイプ(固定観念、思い込み)があります。
アメリカの心理学者、スーザン・フィスク氏は、若い人が高齢者に期待する行動として、典型的な3つのパターンがあるとしています。

(1) 継承 年配の人は、若い世代のために道を譲るべきだ。
(2) 消費 限られた資源を、年配の人ではなく若い人のために使うべきだ。
(3) アイデンティティ しゃべり方や服装など、若い人のアイデンティティを盗まないでほしい。年をとったら、相応にふるまうべきだ。

みなさんにも思い当たるふしはないでしょうか?
エイジズムのいちばん怖いところは、自分で自分を差別してしまうことです。
「もう自分は年だから、若い人のために会社を退こう」 「自分のような年寄りが、ぜいたくをするのは申し訳ない」 「着てみたい服があるけれど、年相応にふるまうことにしよう」 こんなふうにです。
心理学ではこれを「内面化」といい、外側にある価値観やルールを、自分のものとして受け入れてしまうことを指します。

エイジズムを内面化して、自分を制限してしまうと、行動範囲がどんどん狭くなり、身体も脳も衰えていきます。
自信や意欲を失うことで、最悪、うつ病などの精神疾患にもなりかねません。
そうならないためにも、人の目を気にすることなく、やりたいことは我慢しないでやったほうがいいのです。

みなさんは、本当はしたいのに我慢していることはありませんか? 
もしあるのなら、すぐに実行に移してください。
そんなのないよという人も、心の奥底を探ってみれば、自分でも忘れていた「したいこと」が出てくるかもしれません。
少しの間、考えてみてください。

「いい年をして」 「年甲斐もなく」 こうした言葉は、あなたを縛る「呪いの言葉」です。
死ぬ前に「あのときやっておけばよかった」と後悔しないためにも、したいことは我慢しないでください。
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2023年04月28日

「休日は家でのんびり過ごす人」ほど疲れやすい…現代人がいつもぐったりしている医学的理由

「休日は家でのんびり過ごす人」ほど疲れやすい…
現代人がいつもぐったりしている医学的理由
梶本 修身,東京疲労・睡眠クリニック院長
2023年04月27日 プレジデントオンライン

疲れを取るにはどうすればいいのか。
東京疲労・睡眠クリニックの梶本修身院長は「疲れを解消するには、家で1日まったく何もしないで過ごすより、軽い運動をしたほうがいい。
また、スマホは脳疲労の原因になるので、リフレッシュ時間には使わないほうがいい」という――。
※本稿は、梶本修身『疲労回復の専門医が選ぶ 健康本ベストセラー100冊「すごい回復」を1冊にまとめた本』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

■「何もしないでのんびり」はかえって疲れる
平日にがんばって働いてようやく迎えた週末、あなたはどうやって過ごしますか?
「まずは疲れを癒したいから、とにかく休む!」 「何もしないでのんびり過ごす!」 そんな声が聞こえてきそうです。
でも、それではかえって翌日、翌週に疲れを持ち越すことになりかねません。
24歳までプロスキーヤーとして活動し、アメリカでスポーツ医学やスポーツマネジメントを学んだ後、現在はスポーツの名門大学でもあるスタンフォード大学でアスレチックトレーナーとして活躍する山田知生さんは、著書『スタンフォード式 疲れない体』のなかで、「『動かない1日』が疲れを助長する」と指摘しています。

■人は動きつづけているのが本来の姿
“今感じている疲れ”を対症療法的にすばやく解消する手段として、山田さんが取り入れているのが「動的回復法」というメソッドだそうです。
これは、文字どおり、体を動かして回復をはかるという方法。
「体を動かせば疲れないの?」 「そもそも疲れている日に、体を動かしたくないよ」 と思うかもしれません。
でも、「1日まったく体を動かさないのはよくない」のは事実です。

その理由を次のように説明しています。
「『疲れないために、じっとしている』よりも、体を軽く動かしたほうが、血液の流れが促進されて脳と筋肉にたくさん酸素を送ることができ、疲労物質の滞留を防ぐことができるのです」
「脳(中枢神経)はそもそも『体を移動させる』ためにできていて、原始時代からその構造はあまり変わっていないそうです。
つまり、人は動きつづけているのが本来の姿ということ。

(中略)『働きすぎて疲れた日』は、『体を動かせていない日』であることも多いはず。
だからこそ、軽い運動で疲れを取るのが効果的です」
『スタンフォード式 疲れない体』より

■軽めの有酸素運動20〜30分がちょうどいい
ここで大切なのは、“軽く”体を動かすということ。
まったく動かさないのもよくないですが、やりすぎもよくありません。「ほどほど」が大事です。
どのぐらいが「ほどほど」かというと、一例として「『ゆっくり走る』『泳ぐ』という軽めの有酸素運動を20〜30分すると、血行がよくなって、筋肉のこりがほぐれていく」と山田知生さんは紹介しています。

私がよく一般の方にアドバイスするのは、「隣の人と会話ができる程度の軽い運動がいいですよ」ということ。
ハードな運動よりも、そのぐらいの軽い運動のほうが圧倒的に健康によく、健康長寿につながることがわかっています。

■「幸せホルモン」は疲労回復にも効く
体を動かすことの大切さを「セロトニン」という脳内物質の観点から説明しているのが、『医者が教える疲れない人の脳』です。
著者の有田秀穂先生は、セロトニン研究の第一人者で、セロトニンに関する本を50冊以上書かれています。
セロトニンとは、脳内で分泌される神経伝達物質のこと。
感情や精神面、睡眠などの大切な機能を健全な状態に保つために重要な役割を担っていて、セロトニンの分泌が減ると元気や意欲がなくなったり、うつにつながったりすることから、「幸せホルモン」とも呼ばれます。

脳の疲れとの関連でいえば、自律神経の働きを調節してくれる作用があるので、セロトニンがしっかり分泌されると、疲れをやわらげてくれるともいえます。
有田秀穂先生が提唱する、セロトニン神経(セロトニンをつくり、脳内に分泌させる神経)を活性化する方法、すなわち「セロ活」の極意はシンプルです。
太陽の光を浴びること、そして、リズム運動をすること。
リズム運動といっても、難しく考える必要はなく、リズムよく歩くことも、立派なリズム運動とのこと。
ですから、スロージョギングやウォーキングのような“ほどほどの運動”は、脳内でセロトニンを増やして、疲れた自律神経の働きを調節する意味でも疲労回復におすすめです。

■脳を癒すオキシトシンを出す方法
それともう一つ、有田秀穂先生が「脳内のストレス解消の秘薬」として紹介しているのがオキシトシン。
これも脳内で分泌される神経伝達物質の一つで、脳内のストレス中枢を鎮める作用があります。
つまり、オキシトシンが十分に出ると脳の疲れも癒されます。

オキシトシンを分泌する方法として、よく知られているのは「心地よいスキンシップ」です。
例えば、子どもと遊ぶ、ペットとたわむれる、心地よく誰かとおしゃべりする、など。あたりまえですが、おしゃべりといっても、頭をフル回転させなければならないような小難しい仕事の話などでは、疲労回復にはなりません。
大切なのは「心地よさ」です。

運動も「ほどほど」が大事で、スキンシップも「心地よさ」が大事。
疲労回復には、適度な刺激が大切なのです。

■現代人の脳を刺激するスマホ、SNS
ところで、みなさんは今、手元にスマホがありますか?
 ほとんどの人が肌身離さず持ち歩き、こまめにチェックしているのではないでしょうか。
これは、脳を休めるという点では大問題です。
TwitterやYouTubeのようなSNSにしても、ネットサーフィンにしても、リアルタイムで更新が続けられているので、半永久的にそれらの情報を追いかけることができます。
その間、脳は交感神経優位の興奮状態がずっと続くので、自律神経が疲れて脳疲労を起こす大きな要因になります。

脳を鍛える“脳番地トレーニング”を提唱する、医師の加藤俊徳先生も、著書『脳とココロのしくみ入門』でスマホ依存の問題に触れています。
スマホが手元にないと不安になるようだと危険。
それは麻薬中毒やアルコール依存とまったく同じ依存症状のはじまりだ、と指摘し、なぜスマホを手放せなくなってしまうのか、その理由を解説しています。

脳は、あることをして楽しさを感じると、それを学習して繰り返す性質がある。
スマホ依存もまさにその典型です。
スマートフォンにハマる脳は、ちょっと新しい情報に触れることを楽しいと感じる脳です。
ニュースアプリ、SNS、動画サイトで絶え間なく更新される最新情報にわくわくするのです。
『イラスト図解 脳とココロのしくみ入門』より

■眼精疲労は「目の疲れ」だけではない
また、交感神経を高ぶらせた状態で手元の画面を見るという行為自体、疲れを生みます。
眼精疲労を招くのです。
眼精疲労が、目の疲労だと思っている人は多いでしょう。
ところが、眼精疲労にも自律神経が深くかかわっていることがわかってきたのです。
肉食動物は、獲物を獲るとき、交感神経を高ぶらせながら、遠くを見て獲物を探します。
だから動物は、交感神経優位で緊張状態を維持している間は、目のレンズを薄くして遠くを見るように設計されているのです。

ところが、デスクワークが主流となった現代人は、交感神経を高ぶらせながら、近くの画面を見て仕事をしなければいけなくなりました。
つまり、デスクワークをするために脳を交感神経優位に保ちながら、一方で目のレンズに対しては副交感神経優位にして近くを見なければならない矛盾。
それが眼精疲労の正体なのです。

スマホもパソコンも現代ではなくてはならないツールなので、手放すわけにはいきません。
でも、仕事や家事の合間にリフレッシュのためにスマホを見る、ネットサーフィンをする……といったことが、かえって疲れを増幅させていることはわかっていただけたでしょうか。

■悩みの種になる人間関係を整える
最後にもう一つお伝えしたいのが「環境」の大切さです。
つまり、安全・安心で快適な環境をつくること。
嫌いな人が近くにいたり、不快な場所、危険な場所にいたりしていては心も体も休まりませんよね。
交感神経が興奮しっぱなしになり、副交感神経優位のリラックスした状態にはなりません。
現代人にとって、日頃、悩みの種となる環境といえば人間関係ではないでしょうか。
職場“環境”も、家庭“環境”も、結局のところ人間関係の問題です。

2013年に出版され、世界累計で500万部を超える大ベストセラーとなった『嫌われる勇気』では、「すべての悩みは『対人関係の悩み』である」と断言します
哲学者と青年の対話を通して、「どうすれば人は幸せに生きることができるのか」というアドラー心理学の考え方を教えてくれる、この本。安全・安心で快適な人間関係を築くためのヒントを得られると思います。
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洗剤、柔軟剤「ボトル」より「詰め替え用」の方が割高のケースあり 逆転現象なぜ?

洗剤、柔軟剤「ボトル」より「詰め替え用」の方が割高のケースあり 逆転現象なぜ?
2023.4.27 BSS山陰放送

洗剤やシャンプー、ボディソープなど、様々な日用品に存在する詰め替えパック。
お得、エコだからという観点から多くの人が購入しているかもしれません。
しかし、その販売価格をよく見てみると…実は詰め替え用の方が割高な場合もあります。
一体なぜこのような逆転現象が起きてしまうのでしょうか?

街で聞きました。
日用品の「詰め替え」使っていますか?
街の人は 「ヘアーシャンプーとボディソープ、台所の詰め替え用とかですかね、選びます。そんなにお得という気持ちではないですけど、気持ちほど」
「食器洗剤とか洗濯洗剤とか柔軟剤とか購入します。ゴミが少なくて済むからいいかなと思います」
多くの日用品に存在する詰め替え品。 ドラッグストアの売り場を見てみると、大容量でお得な場合がほとんどですが、実はなかには、ボトル入りの方が割安で、詰め替え品の方が逆に割高な商品もあります。

例えば鳥取県米子市内のドラッグストアで調べてみると… A社のボディソープは、ボトル入りが550ミリリットルで547円。詰め替え用が440ミリリットルで547円で販売されていました。
100ミリリットルあたりだと、ボトル入りが99.5円で詰め替え用が124.3円。
ボトル入りの方が24円以上安くなっています。

また柔軟剤でも、B社はボトル入りが480ミリリットルで327円、詰め替え用が850ミリリットル767円で販売されている商品がありました。
100ミリリットルあたりだとボトル入りが68.1円、詰め替え用が90.2円。ボトル入りの方が20円以上安くなっています。

容器代が含まれない分、詰め替え用の方が割安に買える気がするのですが…なぜ、ボトル入りの方が安い場合があるのでしょうか。

なぜ、「詰め替え用」の方が割高な場合ある?
公立鳥取環境大学 経営学部 竹内由佳 副学部長 「皆さんも洗剤とかシャンプーとかは、あまり考えないで買いたいものの一つに挙がっているので、基本消費者の行動はルーティン化していると言われています。
ルーティンを断ち切って、なんとかして自社に引っ張らないといけないわけですよね」

実はこれ、日用品の買い替えを促すメーカー側によるマーケティング戦略の1つだと専門家は指摘します。
公立鳥取環境大学 経営学部 竹内由佳 副学部長 「限定ボトル、安くなっているものを出したりすると、今までA社の商品の詰め替えを買っていた人が、なんとなくA社で満足していたけど、ちょっと安かったり、ちょっと面白かったり、ちょっとパッケージが違っていたり、色んな見せ方でボトルも売っていくと思うんです。
そういう時には詰め替えではなく、ボトルを選んでしまうという消費者の心理が結構あると思います」

自社商品に乗り換えてもらうため、購入のきっかけを作ったり、購入のハードルを下げたりする。 裏を返せば、詰め替え用が割高なのではなく、ボトル入りが割安という場合があるということになります。

柔軟剤の方が乗り換えのハードルが低い
公立鳥取環境大学 経営学部 竹内由佳 副学部長 「乗り換えた方の一定数は、乗り換えた後に次に乗り換えるのは酷だと考える人も多くて、そのまま次はB社の詰め替えをしばらく買っちゃおうかなという気持ちになります。
それこそA社からB社に乗り換えた人が、そのままB社の商品を使い続けることということができれば、それがルーティンになり、しばらくB社は買ってもらえることになりますよね」

竹内副学部長によると、食器洗剤やシャンプーなどと比べると、柔軟剤の方が乗り換えのハードルが低い傾向にあるとのこと。 また、購入するタイミングで価格が違うケースがあるということで、お得、という観点で見ると、消費者の選択肢は広がると言えそうです。
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2023年04月29日

「神」「ヤバい」…現代人の言葉の貧困化が招く末路

「神」「ヤバい」…現代人の言葉の貧困化が招く末路
言葉が「減っていく」ことは何を意味するのか
奥野 宣之 : 著作家・ライター
2023/04/28 東洋経済オンライン

「神」「ヤバい」――。
日々無数に投稿されるSNSだが、実は同じような言葉であふれかえっている。
言葉が貧困化する先には何があるのか。
本稿では出版社・新聞社勤務を経て、読書や情報整理などを主なテーマとして執筆や講演活動などを行う奥野宣之氏が、「読むこと」を通して言葉を育てる重要性について説く(本稿は、『ちゃんと「読む」ための本』より抜粋・編集を加えたものです)。

「1984年」で描かれた世界
「難しい話なんてわからなくても大丈夫。スマホで検索すればいい」と主張する人がいます。
私はこの意見に反対です。
使える言葉が少なくなれば「考えられること」も少なくなっていくから。
よって、知識や語彙は増え続けるよう、学びながら生きていかねばならない。
でなければ、そのうち検索ワードすら思い浮かばなくなってしまうでしょう。

もう少しだけ言葉をめぐる現代社会の問題について考えてみましょう。
『1984年』という有名な小説があります。
1948年にイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、(年号の下2桁を入れ替えた)未来社会を描いたものです。
1984年のオセアニア国では、独裁者のビッグ・ブラザーが「テレスクリーン」という機械で家の中まで見張っている。
そして寝言ひとつ漏らすだけで思想警察に逮捕される。
よく「現代のIT監視社会を先取りしていた」と評価される作品です。

作中のオセアニアでは、ニュースピーク(新語法)と呼ばれる「言語」が使われています。
特定の言葉の使用を禁じたりするのは古今東西の専制国家がやってきたことですが、ビッグ・ブラザーは、検閲どころか言語体系を丸ごと作り替えようとしているのです。
目的は国民の肉体だけでなく精神まで支配すること。

「ニュースピークは思考の範囲を拡大するのではなく縮小するために考案された」(『1984年【新訳版】』)というわけです。

私は、今の社会を考えるうえで注目すべきなのは「テレスクリーン」ではなく、こちらの「ニュースピーク」だと思っています。
ニュースピークの基本原理は、言葉を徹底的に刈り込んで最小化することです。
たとえば、作中でニュースピークの辞書を作っている真理省調査局の担当者は、「bad」という言葉は不要だと指摘しています。
理由は「good」に否定の「un」を付けて「ungood(よくない)」と言えばいいから。同様に「excellent」も「amazing」も不要です。
「plusgood」「doubleplusgood」と言えばいい。

「自由という言葉」がなくなれば「自由という概念」もなくなる。
そうなると民主化を求めるデモや大衆運動も起こりえない。
究極の全体主義は、監視や洗脳ではなく言語によって完成する――。

オーウェルはべつに未来を予言したかったわけではありません。
ただ、元ジャーナリストの作家として、こう忠告したかったのでしょう。
言語と思考は、じつは同じもの。
つまり表裏一体であって、「言葉を大切にしないと何も考えられなくなるよ」と。

SNSで使われている言葉の大問題
さて、ここで現代のSNSに目を移せば、膨大なユーザーの書き込みで埋め尽くされています。
パッと見たところ自由で豊かな言語空間のように感じます。
ところが、実際に1つひとつ見ていくと、内容や表現のバリエーションは意外に乏しいのです。
商品やサービスの評価は「神」か「ヤバい」か。
ニュースのコメント欄も一見すると「議論」に見えるものの、実際のところバズワードをみんなでぐるぐる回しているだけだったりする。

幸いにして、現代にビッグ・ブラザーはいません。
少なくとも日本では、インターネット上に明らかな情報統制や検閲、監視システムはなく、表現や思想の自由があります。
にもかかわらず、私たちは自ら進んで言葉を刈り込み、思考の範囲を縮小する道を選んでいるように見える。
ある意味で『1984年』より恐ろしい状況です。

それでも、ネットニュースやSNSのトレンドと無関係に生きていくのは難しい。
そのため一日中、インターネットばかり見ている。
これではじっくり何かを読みながら考えたり、街を歩き回って見聞を広めたりする時間はありません。
先日も「書き手として、こんなことでいいのでしょうか」と相談されたのですが、いいわけがない。
ネット空間で受信と発信を繰り返しているだけでは、言葉が貧困になり、思考も衰退する――。

情報社会で遭難しないためにも、私たちは「ちゃんと読む」習慣を身につける必要があるのです。
ここで、「言葉を扱う力」を伸ばしたいなら、ブログやSNSを「書く」ほうがいいんじゃないの? と思う人もいるかもしれません。
もちろん書くのはいいことです。言語能力が鍛えられるのは間違いない。
ただ、毎日の習慣にするのはハードルが高すぎるのでは? というのが私の意見です。
すみずみまで神経の行き届いた文章を書くのはひじょうに骨が折れるし、だからといって手抜きではトレーニングにならない。
また本気を出すには、題材も「書くに値すること」である必要がある
そんなものを毎日のように見つけられるのか。 というわけで、「××でランチを食べた」とSNSに投稿したり、月に何回か「△へ行った話」といったブログを書くより、毎日コツコツと「ちゃんと読む」ことを習慣化したほうが、効果が望めるのです。

  また「書く力」は、読むことで養えます。
アウトプットの土台に「読む」があり、表現に優れた人はちゃんと読む習慣を持っているーー。
ライター志望者向けのセミナーで講師をやっていると、このことを痛感します。
たとえば、受講生の中にはライター志望ではない人がちらほらいる。
「書くスキルを業務に役立てたい」と考えている会社員などです。
彼らは発信したいわけではないから、ブログやSNSもやっていなければ、文章を書いた経験もほぼありません。
ところが、そういう人に限ってライター志望者より味わいのある文章を書くのですね。
で、少し話してみると、その人から私も聞いたことがないような書き手の名前がポンポン出てくる。

つまり、腕の立つ読み手は「いい書き手」の予備軍なのです。

読む人のほうが仕事ができる
仕事においても、ちゃんと読む人のほうがデキる印象です。
私の業界でいうと、メジャーな雑誌で活躍しているライターや全国紙でコラムを書いているような記者は、ネット上のトレンドに限らず、幅広くいろんなものを読んでいます。
しかもただの情報通ではなく、しっかり腹に入れて自分のものにしている。

私もたまに取材やインタビューを受けるのですが、雑談ひとつでも引き込まれて、つい話に熱中してしまいます。
組織を率いる人にも同じことが言えそうです。
土曜日の『日経新聞』には、トップが愛読書を語る「リーダーの本棚」という連載が載っています。
それを見ていてよく思うのは、やはり「やり手」は読んでいるなあ、ということ。
普段から経済誌のインタビュー記事などで「この社長はちょっと違うな」「この人は何か持っていそう」といった感じで名前をチェックしていた人物は、だいたいバックボーンに独特の読書遍歴があります。

愛読書リストの中に、有名な歴史小説だけじゃなく大学時代の恩師に勧められたアカデミックな文献が紛れ込んでいたりする。
「ああ、どうりで」と膝を打つわけです。
つまり、「書く」前に「読む」が大切なのです。
何かを書いたり話したりするためのもっとも基本的なトレーニングは「ちゃんと読む」ことであって、書かなくても土台は固められる。
「読む」をすっ飛ばして表現しようとするのは、相撲取りが四股を踏まずに番付を上げようとしたり、ボクサーがロードワークをサボってタイトルを狙うようなものです。
言い換えれば、自分の感じていることや考えたことをSNSに書いたり、だれかに話したり、人前でプレゼンしたりといった「発信」は、後回しでいい。
「読む」というトレーニングを通じて力を付け、自分の軸を作り上げてからでいいのではないでしょうか。

読みたいものを読めばいい
ここまで読んで、「読み方を身につけないといけない理由はわかったけれど、じゃあ何を読めばいいの?」と戸惑う人も多いでしょう。
読む対象は、身の回りにある普通のものでOKです。
「××新聞じゃないとダメ」「この名著リストを上から順番に」なんて、うるさいことは言いません。
ただし、手に取るなら「本気で書かれたもの」にしてください。
つまり、だれかが頭をひねり汗をかいて作り上げた文章です。

本でもネットでもいいけれど、「手抜き仕事」にはなるべく関わらないようにする。
目の前にあるテキストは、自らの時間とエネルギーを費やして読むに値するものかどうか――。
この意識をつねに持ち続けてください。

そのうえで、これから皆さんにやってもらいたいのは、日常的に触れる文章との関わり方を変えることです。
ちゃんと読むことで表現の土台となる「文字を扱う力」を養っていくのは、同時に何かを真剣に考えることでもあります。
最終的な目標は、自分の頭の中にあることを自分で納得のいくかたちで表現できるようになること。
何か文章を書いたり、人前で考えを発表したりといったとき、「自分で考えたことを自分の言葉で表現できた」と思えれば、それで十分です。

「いいね」や閲覧数より、自らの感覚を大切にしてください。
「今回の表現は、以前より確実に前に進んでいる」 「目的に合わせて中身のある発言ができたと思う」 「ほんとうに書くに値することを自分の言葉で書けた」 このような手応えが得られれば、間違いなく自信になる。
そんな意識や心の余裕は、読む側・聞く側にも伝わるもので、周囲の反応や評価も変わってきます。
このことは、私たちを取り巻くネット空間の知的退廃、それにSNSでの受信と発信の繰り返しに空虚や閉塞を感じ取っている人にとって、「人生が変わる」といっていいほどのインパクトがあるでしょう。
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2023年04月30日

置き去りにされる「6割以上の人々」<著述家・菅野完>

置き去りにされる「6割以上の人々」<著述家・菅野完>
2023年04月29日 SPA!

◆「サル発言」は波紋を呼んでいるのか
 立憲民主党の小西洋之議員による「サル発言」が波紋を呼んでいるそうである。
「いるそうである」と書いたのは、観察する範囲において当該発言を問題視しているのは、一部の新聞とネット世論だけのように見受けられるからだ。

統一地方選挙前半戦、全国各地の選挙区をそれなりに巡って取材を重ねたが、現場の有権者の中に「小西議員のサル発言問題」を知っている人などほとんどいなかった。
 たしかに取材中、関東某県の地方都市議会に立候補した候補者に「小西のサル発言をどう思うんだ!」と詰め寄る有権者と名乗る人物を目撃することはした。
奇特な人もいるものだと思い、詰め寄られた候補者ではなく、詰め寄った側の有権者と名乗る人物をずっと観察し、当該人物が街頭演説の現場を去り付近の駐車場に帰るまでを見届けたが、当該人物が乗り込んだのは黒塗りの街宣車であった。

 街宣右翼各位の意見に価値などないと言いたいのではない。よしんばこの人物の意見に従順かつ完璧に従ったところで、この人物が立憲民主党の候補に投票するとは到底考え難いと言いたいだけだ。
 このわずか一例を除いて、相当の時間を費やして全国各地の有権者と話をしたものの、「小西議員のサル発言」の存在そのものを知らない人が圧倒的大多数であった。

さらに立憲民主党にとって悲しい現実がある。
「小西議員の問題発言」だけでなく、そもそも「立憲民主党という政党が存在していること」を知っている有権者が圧倒的に少ないのだ。

 注意深く読んでもらいたいのだが「立憲民主党を支持する有権者が少ない」ではない。「立憲民主党を知っている有権者が少ない」であり、つまるところ、支持率の前に、そもそもの認知度が圧倒的に低いということだ。 
 このあたりの平仄は、おそらく立憲民主党の議員や立候補者などの当事者には理解できまい。
立憲民主党に限らずどの政党でもそうだが、議員や立候補者は、常に、「支持してくれる人」「支持してくれそうな人」そして「クレームを入れてくる人」の三種の人々と対峙している。
当然この三者は、議員や立候補者の「存在」を知っていればこそ、支持をするなり支持しそうになったり、あるいは悪罵を投げかけたりするわけだ。
言い換えれば、議員・立候補者の前に現れる人々は「その議員なり立候補者なりの存在を知っている人」ばかりだということになる。

◆クレームに左右される立憲民主党
 一方で、統一地方選挙前半戦の投票率を見てみよう。
4月9日に投開票が行われた、9道府県知事選の投票率は、統一選として過去最低だった2015年の47・14%を0・36ポイント下回り、46・78%にとどまった。
41道府県議選の投票率は41・85%であり、過去最も低かった前回19年の44・02%から2・17ポイント落ち込むという惨憺たる状況となっている。

 市町村議会選挙の投票率については手元に正式な統計を持ち合わせていないものの、知事選や道府県議選の低投票率を踏まえれば、さらなる低さであることは想像に難くない。
つまり世の中の6割近くの人々は、そもそも選挙に行かないのだ。
 選挙でさえそうなのだから、普段の政治の動きになど興味を持つはずがない。
そうである以上「選挙にさえ行かない世の中の6割近くの人々」が、「支持してくれる人」「支持してくれそうな人」あるいは「クレームを入れてくる人」として、議員や立候補者の前に立ち現れることなどありえない。
 結果として、議員や立候補者などの当事者には、「世の中に6割以上存在するそもそも選挙にさえ行かない人々」の感覚は伝わらないということになる。

つまり立憲民主党の議員や候補者各位は、「世の中の6割以上の人々」を除外した母数の中にだけに存在する「立憲民主党を支持してくれる人」「立憲民主党を支持してくれそうな人」あるいは「立憲民主党にクレームを入れてくる人」を相手にしていることになる。
大量に存在する「そもそも立憲民主党という政党が存在していることさえ知らない有権者」になど気づけなくて当然だろう。  
  そんな中で今般の「小西洋之の処分」は断行された。
事の経緯や処分の軽重を論ずるまでもなく、「『世の中の6割以上の人々』を除外した母数の中にだけに存在する『立憲民主党にクレームを入れてくる人』に左右される」というその姿勢には、失笑を禁じ得ない。

◆「世の中の6割以上の人々」を直視せよ
 一方の自由民主党。自民党はそもそも「世の中の6割以上の人々」を相手になどしていない。
自民党が選挙に強いのは、畢竟、この点に尽きるだろう。
 かつて森喜朗が「無党派は寝ていてくれればいい」と発言し物議を醸したことがある。

今回の統一地方選挙に際しても、自民党の栃木県連副会長を務めている板橋一好県議(当選13回!)が昨年12月の県議会委員会のなかで「投票率を上げなくていい。関心のない人に投票させたら、ろくな結果にならない」
「関心のない人には投票してもらいたくないのが本音だ」との趣旨の発言をしたことが発覚した。
 確かにこれらの発言は不謹慎ではあろう。
しかし「選挙に勝つ」という、その一点において、これほど賢明な発言もない。

 なんとならば、森や板橋の発言は「結局、『支持してくれる人』『支持してくれそうな人』『クレームを入れてくる人』の3者しか選挙にこないのだから、そのうち『支持してくれる人』『支持してくれそうな人』の二者を固め『クレームを入れてくる人』を切り捨てるのが選挙というゲームに勝つ秘訣である。
その戦略を完遂するためには、よくわからない人々はそもそも母数に入ってほしくないのだ」と、勝負師のような冷徹さで「勝つことだけ」に照準を定めて「ゲームのルール」を解説したに過ぎないのだから。

 こうした自民党の冷徹さを踏まえれば、例えば玉木雄一郎代表率いる国民民主党の情宣活動がいかに愚かしい児戯に等しいものであるか理解できるはずだ。
 玉木氏は「ネット世論」とやらに鋭敏である。
確かにSNSでの玉木氏のプレゼンスは高いし、彼に対する賞賛の声や国民民主党への支持の声はSNS上で極めて目立つ。  が、政党支持率を見てみればいい。
今や国民民主党の政党支持率は、共産党にはるか及ばず、れいわ新選組に追い抜かれ、調査によっては参政党やN国党にさえ抜かれるという極めて情けない状態にある。
当然の結果だろう。
「『世の中の6割以上の人々』を除外した母数の中にだけに存在する『国民民主党を支持してくれそうな人』をターゲットにする」というものである以上、ジリ貧になるのは初歩的な四則演算でわかるはずだ。

◆「世の中の6割以上の人々」の不幸
 しかし不幸なのは「世の中の6割以上の人々」である。
 政権与党たる自由民主党は、そもそもそれらの人々を相手にしていない。
連立与党の公明党は、それらの人々を除外した母数の中に存在する創価学会信者だけを相手にしている。
野党第一党たる立憲民主党は、それらの人々を除外した母数の中にだけ存在する
「立憲民主党にクレームを入れる人」の意見に戦々恐々としており、共産党もそれらの人々を除外した母数の中に存在する「支持してくれる人」だけを相手にしている。

国民民主党は、世の中の6割の人を除外した小さい母数の中に存在する本来的には極小の存在にしかすぎない「支持してくれそうな人」だけを相手にしている。
そして余後はそもそも特殊な政党ばかり……というのが、いまの「国政政党の分布図」だ。

誰一人として「世の中の6割以上の人々」を見据えていない。
 もちろん、純戦略的に言えば、「世の中の6割以上の人々」を切り捨てる自民党の戦略が正しい。
そうであればこそ選挙に勝てる。選挙にくる人の層が決まっている以上、その層自体がいかに微少なものであっても、その中で過半数を獲りさえすればヘゲモニーは握れる。
効率よく勝つために層そのものを小さくし続けようとするのは極めてクレバーな動き方とさえ言える。

 しかし同時にこれは勝者のみが採用できる戦略でもある。
勝者であればこそ、層そのものを小さくし続けることができる。
 挑戦者にはそれができない。

挑戦者に残されたものは、もともと小さい層のうち、勝者が過半数を取り去った、いわば「食べ残し」である。
その食べ残しの中に存在する「支持してくれる人」「支持してくれそうな人」「クレームを入れてくる人」のあいだに立ち、右顧左眄(うこさべん)し狐疑逡巡の態度を見せていては、一生、勝機など訪れようはずがない。

 ならば「世の中の6割以上の人々」を直視する他ない。
その具体的なありようが、勧誘なのか啓蒙なのかはともかく、置き去りにされた「世の中の6割以上の人々」に飛び込むしか手段はなかろう。
 そうしてこそはじめて、改選前わずか10議席であった立憲民主党が一躍15議席までに飛躍した、小西洋之の地元・千葉県議会議員選挙のような勝利を、手にすることができるだろう。

     初出:月刊日本2023年5月号
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする