置き去りにされる「6割以上の人々」<著述家・菅野完>
2023年04月29日 SPA!
◆「サル発言」は波紋を呼んでいるのか
立憲民主党の小西洋之議員による「サル発言」が波紋を呼んでいるそうである。
「いるそうである」と書いたのは、観察する範囲において当該発言を問題視しているのは、一部の新聞とネット世論だけのように見受けられるからだ。
統一地方選挙前半戦、全国各地の選挙区をそれなりに巡って取材を重ねたが、現場の有権者の中に「小西議員のサル発言問題」を知っている人などほとんどいなかった。
たしかに取材中、関東某県の地方都市議会に立候補した候補者に「小西のサル発言をどう思うんだ!」と詰め寄る有権者と名乗る人物を目撃することはした。
奇特な人もいるものだと思い、詰め寄られた候補者ではなく、詰め寄った側の有権者と名乗る人物をずっと観察し、当該人物が街頭演説の現場を去り付近の駐車場に帰るまでを見届けたが、当該人物が乗り込んだのは黒塗りの街宣車であった。
街宣右翼各位の意見に価値などないと言いたいのではない。よしんばこの人物の意見に従順かつ完璧に従ったところで、この人物が立憲民主党の候補に投票するとは到底考え難いと言いたいだけだ。
このわずか一例を除いて、相当の時間を費やして全国各地の有権者と話をしたものの、「小西議員のサル発言」の存在そのものを知らない人が圧倒的大多数であった。
さらに立憲民主党にとって悲しい現実がある。
「小西議員の問題発言」だけでなく、そもそも「立憲民主党という政党が存在していること」を知っている有権者が圧倒的に少ないのだ。
注意深く読んでもらいたいのだが「立憲民主党を支持する有権者が少ない」ではない。「立憲民主党を知っている有権者が少ない」であり、つまるところ、支持率の前に、そもそもの認知度が圧倒的に低いということだ。
このあたりの平仄は、おそらく立憲民主党の議員や立候補者などの当事者には理解できまい。
立憲民主党に限らずどの政党でもそうだが、議員や立候補者は、常に、「支持してくれる人」「支持してくれそうな人」そして「クレームを入れてくる人」の三種の人々と対峙している。
当然この三者は、議員や立候補者の「存在」を知っていればこそ、支持をするなり支持しそうになったり、あるいは悪罵を投げかけたりするわけだ。
言い換えれば、議員・立候補者の前に現れる人々は「その議員なり立候補者なりの存在を知っている人」ばかりだということになる。
◆クレームに左右される立憲民主党
一方で、統一地方選挙前半戦の投票率を見てみよう。
4月9日に投開票が行われた、9道府県知事選の投票率は、統一選として過去最低だった2015年の47・14%を0・36ポイント下回り、46・78%にとどまった。
41道府県議選の投票率は41・85%であり、過去最も低かった前回19年の44・02%から2・17ポイント落ち込むという惨憺たる状況となっている。
市町村議会選挙の投票率については手元に正式な統計を持ち合わせていないものの、知事選や道府県議選の低投票率を踏まえれば、さらなる低さであることは想像に難くない。
つまり世の中の6割近くの人々は、そもそも選挙に行かないのだ。
選挙でさえそうなのだから、普段の政治の動きになど興味を持つはずがない。
そうである以上「選挙にさえ行かない世の中の6割近くの人々」が、「支持してくれる人」「支持してくれそうな人」あるいは「クレームを入れてくる人」として、議員や立候補者の前に立ち現れることなどありえない。
結果として、議員や立候補者などの当事者には、「世の中に6割以上存在するそもそも選挙にさえ行かない人々」の感覚は伝わらないということになる。
つまり立憲民主党の議員や候補者各位は、「世の中の6割以上の人々」を除外した母数の中にだけに存在する「立憲民主党を支持してくれる人」「立憲民主党を支持してくれそうな人」あるいは「立憲民主党にクレームを入れてくる人」を相手にしていることになる。
大量に存在する「そもそも立憲民主党という政党が存在していることさえ知らない有権者」になど気づけなくて当然だろう。
そんな中で今般の「小西洋之の処分」は断行された。
事の経緯や処分の軽重を論ずるまでもなく、「『世の中の6割以上の人々』を除外した母数の中にだけに存在する『立憲民主党にクレームを入れてくる人』に左右される」というその姿勢には、失笑を禁じ得ない。
◆「世の中の6割以上の人々」を直視せよ
一方の自由民主党。自民党はそもそも「世の中の6割以上の人々」を相手になどしていない。
自民党が選挙に強いのは、畢竟、この点に尽きるだろう。
かつて森喜朗が「無党派は寝ていてくれればいい」と発言し物議を醸したことがある。
今回の統一地方選挙に際しても、自民党の栃木県連副会長を務めている板橋一好県議(当選13回!)が昨年12月の県議会委員会のなかで「投票率を上げなくていい。関心のない人に投票させたら、ろくな結果にならない」
「関心のない人には投票してもらいたくないのが本音だ」との趣旨の発言をしたことが発覚した。
確かにこれらの発言は不謹慎ではあろう。
しかし「選挙に勝つ」という、その一点において、これほど賢明な発言もない。
なんとならば、森や板橋の発言は「結局、『支持してくれる人』『支持してくれそうな人』『クレームを入れてくる人』の3者しか選挙にこないのだから、そのうち『支持してくれる人』『支持してくれそうな人』の二者を固め『クレームを入れてくる人』を切り捨てるのが選挙というゲームに勝つ秘訣である。
その戦略を完遂するためには、よくわからない人々はそもそも母数に入ってほしくないのだ」と、勝負師のような冷徹さで「勝つことだけ」に照準を定めて「ゲームのルール」を解説したに過ぎないのだから。
こうした自民党の冷徹さを踏まえれば、例えば玉木雄一郎代表率いる国民民主党の情宣活動がいかに愚かしい児戯に等しいものであるか理解できるはずだ。
玉木氏は「ネット世論」とやらに鋭敏である。
確かにSNSでの玉木氏のプレゼンスは高いし、彼に対する賞賛の声や国民民主党への支持の声はSNS上で極めて目立つ。 が、政党支持率を見てみればいい。
今や国民民主党の政党支持率は、共産党にはるか及ばず、れいわ新選組に追い抜かれ、調査によっては参政党やN国党にさえ抜かれるという極めて情けない状態にある。
当然の結果だろう。
「『世の中の6割以上の人々』を除外した母数の中にだけに存在する『国民民主党を支持してくれそうな人』をターゲットにする」というものである以上、ジリ貧になるのは初歩的な四則演算でわかるはずだ。
◆「世の中の6割以上の人々」の不幸
しかし不幸なのは「世の中の6割以上の人々」である。
政権与党たる自由民主党は、そもそもそれらの人々を相手にしていない。
連立与党の公明党は、それらの人々を除外した母数の中に存在する創価学会信者だけを相手にしている。
野党第一党たる立憲民主党は、それらの人々を除外した母数の中にだけ存在する
「立憲民主党にクレームを入れる人」の意見に戦々恐々としており、共産党もそれらの人々を除外した母数の中に存在する「支持してくれる人」だけを相手にしている。
国民民主党は、世の中の6割の人を除外した小さい母数の中に存在する本来的には極小の存在にしかすぎない「支持してくれそうな人」だけを相手にしている。
そして余後はそもそも特殊な政党ばかり……というのが、いまの「国政政党の分布図」だ。
誰一人として「世の中の6割以上の人々」を見据えていない。
もちろん、純戦略的に言えば、「世の中の6割以上の人々」を切り捨てる自民党の戦略が正しい。
そうであればこそ選挙に勝てる。選挙にくる人の層が決まっている以上、その層自体がいかに微少なものであっても、その中で過半数を獲りさえすればヘゲモニーは握れる。
効率よく勝つために層そのものを小さくし続けようとするのは極めてクレバーな動き方とさえ言える。
しかし同時にこれは勝者のみが採用できる戦略でもある。
勝者であればこそ、層そのものを小さくし続けることができる。
挑戦者にはそれができない。
挑戦者に残されたものは、もともと小さい層のうち、勝者が過半数を取り去った、いわば「食べ残し」である。
その食べ残しの中に存在する「支持してくれる人」「支持してくれそうな人」「クレームを入れてくる人」のあいだに立ち、右顧左眄(うこさべん)し狐疑逡巡の態度を見せていては、一生、勝機など訪れようはずがない。
ならば「世の中の6割以上の人々」を直視する他ない。
その具体的なありようが、勧誘なのか啓蒙なのかはともかく、置き去りにされた「世の中の6割以上の人々」に飛び込むしか手段はなかろう。
そうしてこそはじめて、改選前わずか10議席であった立憲民主党が一躍15議席までに飛躍した、小西洋之の地元・千葉県議会議員選挙のような勝利を、手にすることができるだろう。
初出:月刊日本2023年5月号