2023年06月07日

改革すべきは「普通学級」=小国綾子

改革すべきは「普通学級」=小国綾子
2023/6/6 毎日新聞

<私たちの社会の中で、ある一部の集団がまるまる他の集団から分離されるようなことがあれば、民主主義の基礎は揺らぐ>。
これは米国の障害者当事者運動のリーダー、ジュディス・ヒューマンさんの半生記「わたしが人間であるために」の一節だ。

 なぜ分離がいけないか。
他者の立場を想像できない社会となり、不平等や貧困や差別が制度の問題ではなく、自己責任にされてしまう、とヒューマンさんは説く。
今の日本はそうではないか。
すべての子が同じ教室で学ぶ教育を私が求める根っこもここにある。

 中学時代、近所の養護学校(当時)に友だちができた。
一緒に遊びながら「なぜ同じ教室で学べないのだろう」と悩んだ日々が私の原点だ。

障害のある友だちが一人もいないまま大人になる人が多数派の社会が良いとは思えない。
 先日、東京都国立市教育委員会が東京大大学院教育学研究科と「フルインクルーシブ教育」の実現に向けて、共同研究・実践を行う協定を結んだ。
地域のすべての子どもが障害の程度にかかわらず小中学校の普通学級で学ぶことを目指すという。

国連は昨秋、障害に応じて学びの場を特別支援学校・学級に分ける日本の教育を「分離教育」と指摘し、廃止に向けて取り組むよう勧告した。
今回の自治体の独自の取り組みには、大きな期待を感じる。
 どの子も同じ教室で――。

このテーマで、過去にも記事を何度か書いてきた。
そのたび発達障害の子を持つ親御さんから不安の声が寄せられた。
「特別支援学級でやっと安全な学びの場を得られたのに」「普通学級ではいじめられる」「少人数で静かに学べる場をなくさないで」と。
 当事者の声は重い。と同時に、問題の所在を的確に言い当ててもいる。
今改革すべきは「普通学級」の方だ。
さまざまな障害の特性を持つ子がいじめられる教室は、すべての子にとって理想的な学びの場と言えない。

分離するほどに教室の同質性は高まり、必ず誰かが排除され、いじめや不登校は増えていく。
今や学校が、この国の「分離」装置となり、民主主義を足元から崩してはいないか?
 国立市は「丁寧に対話を積み重ね、普通学級をインクルーシブな場にしていきたい」と語る。
応援したい。
     (オピニオン編集部)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする