2023年06月27日

マイナカード問題「本当の失策」とは?

河野太郎デジタル相は「ヒューマンエラー」を強調するけれど…マイナカード問題「本当の失策」とは?
6/27(火) 文春オンライン

 今年もあっという間に上半期が終わります。
上半期に印象深かった言葉を振り返ると「あの問題」は今年の流行語としても有力かもしれない。
たとえばこちら。 「マイナトラブル」
 ポイントではなくトラブルがひもづけされてしまった。
マイナンバーカードをめぐるさまざまなトラブルは現在も報道中。

『マイナカード巡るトラブル、岸田首相「コロナ並み臨戦態勢」で対応へ』(読売新聞オンライン6月21日)
『マイナ、混乱収束せず』(毎日新聞6月21日)

  もうひとつの流行語候補
 臨戦態勢とか混乱収束せずとか、とても物騒なマイナンバーカード。
今回の問題では次の言葉も流行語候補では?
「ヒューマンエラー」
 マイナトラブルの釈明として出てきた言葉である。
使用例をみよう。
『河野太郎氏、マイナカードめぐるトラブルで謝罪「ヒューマンエラー反省しなければ」情報番組出演』(日刊スポーツ6月1日)
 河野太郎デジタル相はテレビ番組で今回の問題について「デジタル庁がきちんとしていれば防げたヒューマンエラーだったことを反省しなければいけない」など「ヒューマンエラー」を強調。
岸田文雄首相も6月6日のデジタル社会推進会議で「ヒューマンエラーを防ぐデジタル化を徹底するなど対策を強化してください」と河野氏に指示した。

本当のヒューマンエラーは…
 しかし、本当のヒューマンエラーとは河野氏をデジタル相にしたことではないか?
『国民の不信はマイナカードよりも河野太郎』(日刊ゲンダイ6月24日付)
『河野失態 マイナ大混乱』(夕刊フジ6月22日付)
 今回の騒ぎの発端は、昨年10月13日に行われた河野デジタル相による記者会見だった。
そこで河野大臣は突如、「保険証、24年秋廃止」と言い放ったのである。
現場は混乱するに決まっている。
それをヒューマンエラーと言ってみせるのは見事なほどの他人事、無責任ではないか。

 岸田首相は河野氏の「突破力」に期待していたという。
その「突破力」については、
《強引さ、拙速、杜撰さと他人事、これが「突破力」の正体ではないか。
河野太郎のすべてが「ひもづけ」されていたのがマイナンバーカード問題なのである》( 当コラム6月13日 )
 と今でも思う。

「他人には厳しく自分には甘い」
 日刊ゲンダイの公式ツイッターアカウントは、 《なぜ任意のカードを健康保険証にひも付け、保険証の廃止をいきなり上から宣言したのか。
傍若無人を絵に描いたようなやり口、その後の説明のいい加減、子供じみた答弁拒否、薄気味悪いナルシスト的発言、自分が大好きなエゴサーチの異様 》(6月23日)  とつぶやいてバズっていた。

ツイートに添付された記事には、 《直接絡んでいない人までエゴサーチ(自分の名前で投稿を検索)してブロックしまくってるのだから異様。
どんだけ自分が大好きなのか。
他人には厳しく自分には甘い。絶対に自分の非を認めない。》

 河野太郎のツイッターでのエゴサブロックを解説。
いやー、「突破力」すごいなぁ。
 夕刊フジにはこんな見出しも。
『大混乱マイナ “底なし状態”政権不信に直結』(6月22日付)
 底なしってすごい。

新聞社説を読み比べたが…
 さて、私が新聞読み比べが好きなのは、同じテーマなのに新聞によって論調の違いがあるからだ。
それぞれを読み比べたうえで自分の考えをまとめるときに役立てるのが面白いのだが、マイナ問題ではどの社説もほぼ同じというのがポイント。まさにマイナポイントです。

『保険証の廃止 見直しは今からでも遅くない』(読売新聞6月7日)
『マイナ混乱で総点検 保険証廃止時期の再考を』(毎日新聞6月23日)
『マイナカード 白紙に戻して再考せよ』(東京新聞6月21日)
『マイナカード混乱 「普及優先」を見直す時だ』(産経新聞6月10日)
『マイナ保険証 「一本化」強行許されぬ』(朝日新聞6月9日)

 読売、毎日、東京は保険証廃止を「見直し」「白紙」「再考せよ」とはっきりと言っている。
《岸田文雄首相はトラブルを謝罪する一方で、マイナンバー制度を「やり抜く」としている。
こうした強硬姿勢は、国民生活の安定に不可欠な既存の制度や民主主義のルールを損ないかねない。》(東京新聞)
《現在、何ら不都合なく使えている保険証を廃止し、事実上、カードの取得を強制するかのような手法が、政府の目指す「人に優しいデジタル化」なのか。》(読売新聞)

世論調査の結果の衝撃
 そうそう、「人に優しいデジタル化」と言えば、私は初代デジタル相の平井卓也氏の演説を現地(香川1区)で聞いたことがある。
2年前の衆院選のときだ。
 平井氏は「人に優しいデジタル」「格差を生まないデジタル」「困っている人を助けるデジタル」など、多いときは3秒に1回ぐらいの割合で演説にデジタルという言葉を入れていた。
いろんなデジタルがあるんだなと思ったが、今の状況は「人に優しくないデジタル」である。

 そして週明けの月曜日、読売新聞の世論調査の結果が発表された。
『内閣支持急落41% マイナ対応「不適切」67%…本社世論調査』(6月26日)

 岸田内閣の支持率は41%と、前回(5月20〜21日調査)の56%から15ポイントも下落。
なかなかの衝撃である。
その大きな理由はこれだ。
《マイナカードのトラブルについて、政府は適切に対応していると「思う」とした人は24%にとどまり、「思わない」が67%と多数を占めた。
現在の健康保険証を24年秋に廃止し、マイナカードに一本化することに「反対」は55%で、「賛成」の37%を上回った。》

 やはりキーワードは「マイナトラブル」である。
このまま保険証廃止を押し切るのだろうか。どうする岸田首相。 
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河野デジタル相「マイナンバーは民主党政権がつくった」愚痴発言に蓮舫氏参戦「問題噴出されたのはどなた?」

河野デジタル相「マイナンバーは民主党政権がつくった」愚痴発言に蓮舫氏参戦「問題噴出されたのはどなた?」
2023.6.26 SmartFLASH

6月21日、政府は「マイナンバー情報総点検本部」を立ち上げた。
デジタル庁、総務省、厚生労働省が中心となり、省庁横断で他人情報の紐づけが判明したマイナ保険証など、マイナカード取得者向けサイト「マイナポータル」で閲覧できる全29項目を検証するという。
データの誤りについて、秋までに洗い出すことを決定している。

岸田文雄首相は同日、官邸で開いた初会合で「新型コロナウイルス対応並みの臨戦態勢で、国民の信頼を1日も早く回復するべく、一丸となって全力を尽くしてほしい」とハッパをかけたが、早くも小池百合子東京都知事は、6月23日の定例記者会見で「秋までは難しいんじゃないか」と疑問を呈している。
この検証の司令塔になるのが、河野太郎デジタル担当大臣。
その河野氏が、6月25日に新潟県新発田市で講演した。
「(マイナンバーカードの問題で)いろいろとご迷惑をおかけしている」と陳謝したのち、「原因を特定したので、(ミスを)防ぐためにひとつひとつ対策を打っている」と語ったが、その後はよほどフラストレーションがたまっていたのか、愚痴とぼやきの連続だった。

「大臣は、なぜ『紐づけミス』が起きたのかについて『銀行口座の名前はカタカナ表記だが、住民票や戸籍は漢字表記のみであったり、住所で『1丁目2番地3号』を『1―2―3』と省略したりすると、コンピューターは同じ人か判断できない』と指摘していました。
そして、国会などで野党議員から批判されていることについては『マイナンバー制度は民主党政権がつくった制度。
おまえが始めたんだろ、と言い返したくもなる』と、苦笑まじりに愚痴をこぼしていました」(政治担当記者)

この発言に、立憲民主党の蓮舫参院議員がすぐさま参戦。
6月26日のTwitterで 《はい? 確かにカードを始めたけれど、その後の制度設計や運用は自民党政権。
協力できることはしてきましたが、間違いは常に指摘と改善の提案。 が。
昨秋、突然紙の保険証を廃止と言い出して地方自治体にカード普及を急がせた上に丸投げ。問題噴出されたのはどなたですか?》 と、猛反発した。

ネットニュースのコメント欄にも 《だったら白紙に戻せばいいし、そもそも健康保険証などの強制廃止なんてなかっただろ》 《河野氏はやっぱり何も理解していないということを、この愚痴から読み取れる》
《何年前に話を戻しているのかね?》 と、河野氏に分が悪いコメントばかりが目立った。

河野氏の今後について、政治アナリストの伊藤惇夫氏に聞いた。
「岸田首相は『突破力』に期待して、情報総点検本部のトップに就けたのでしょうが、河野大臣にとっては“大きなつまずき”になりかけています。
この問題をうまく処理できれば、将来、首相になる展望がありますが、しくじれば責任を一身に背負うことになる。
岸田首相も河野大臣に責任を取らせるでしょう。
国民的人気が頼りの大臣ですから、それが低下すると苦しいでしょうね」

“貧乏くじ”をつかまされては、イライラするのも仕方ない?“
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スマホ片手の現代人がそうなるのは必然だった…ネット世界がやたらと攻撃的になる4つの理由

スマホ片手の現代人がそうなるのは必然だった…ネット世界がやたらと攻撃的になる4つの理由
2023年06月26日 PRESIDENT Online

なぜネットでは頻繁に「炎上」が起きるのか。
心理学博士の榎本博明さんは「スマホだといつでもどこでも瞬時に反応できるため、衝動のままに攻撃的な内容を書き込めてしまう。
ネットに限らず現実世界でも、衝動的に行動する人が増えている」という――。
※本稿は、榎本博明『思考停止という病理』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

■ネットになると攻撃的になってしまう人たち
そもそもネット空間には攻撃的なやりとりが非常に多いと言われる。
実際、ツイッターを使っている人たちは、攻撃的なツイートをしている人をよく見かけるという。
自分の書き込みに対して攻撃的な批判や中傷的な書き込みが返ってきたという人も少なくない。
自分自身も、ネットになるとつい攻撃的なことを書き込んでしまうという人もいる。
ネット空間でのやりとりを見ていると、相手の反論を許さないような雰囲気が漂う。
建設的な議論によってより良い結論にたどり着こうとか、気づきを得ようといった感じではなく、相手を打ち負かすことで自分の優位を誇示しようといった感じがある。
また、普段は遠慮気味でおとなしく穏やかな感じの人物が、ツイッターやオンラインゲームになると、口汚くののしったり、攻撃的な発言をしたりするというのも、しばしばあることだ。

■「幻想的万能感」と「自己誇大感」で好戦的に
ネット空間でつい攻撃的になってしまう理由として、
まず第一に、ネット上のやりとりでは相手に配慮する必要性が低いということがあげられる。
対面の場合は、こちらが攻撃的なことを言った場合、相手の傷ついた様子や腹を立てた様子、困った様子、あるいは悲しそうな様子が、表情や声の調子で伝わってくるし、言い返してくることもある。
だが、ネット上のやりとりでは、相手の様子が伝わってこない。
まずは一方的にこちらの言いたいことを書き込むだけである。
目の前に相手はいないので、対面と比べたら、相手をそれほど意識せずに言いたいことを言いやすい。

第二に、ネット上では幻想的万能感をもつ人たちが発信していることが多いということがあげられる。
ネット社会になって、その気になればだれもが不特定多数に対して発信することができるようになった。
不特定多数への発信は、社会的に大きな影響力をもつため、自分は大きな影響力を行使できる、自分は何でもできる、といった幻想的万能感をもつ人たちが出てきた。
また、ネットで積極的に発信している人は、幻想的万能感をもち、自己誇大感を抱えているため、自分が絶対正しいと思い込み、人の意見に耳を貸さない傾向がある。
そのため、反論されたりすると、ムキになって応戦する。

■スマホが冷静さを取り戻す時間を奪った
第三に、匿名性が保たれるということがある。
自分がだれだか相手にも周囲にも知られないわけだから、自分は安全な場所に身を置きながら人を攻撃できる。
匿名性が攻撃行動を促進するというのは、だれもが経験的に納得できるはずだが、心理学の実験によっても証明されている。

第四に、スマホによって瞬時にネット上で反応できるようになったことがあげられる。
パソコンの時代には、ネット環境があっても、家に帰ってパソコンを起動しないと書き込めなかった。
そのため、学校や職場で、あるいは帰り道とかで腹立たしいことがあって、「書き込んでやりたい」「こき下ろしてやりたい」という攻撃的衝動に駆られても、その場ではどうにもならず、帰ってからということになる。
だが、家に着くまでに頭が冷えて、「もう、いいや」といった気分になる。あるいは忘れてしまう。

パソコンの時代には、いやでも冷静さを取り戻すための時間が与えられていたのである。
ところが、スマホの時代になって、攻撃的な書き込みをしてやりたい衝動に駆られたら、その瞬間に書き込んで発信することができるようになった。
冷静な判断抜きに衝動に任せて発信してしまうため、現実的な配慮を欠くことが多く、衝動的かつ攻撃的な発信がそこらじゅうで猛威を振るうようになっている。

■現実世界でも自己中心的な行動が目立つように
ネット炎上がしばしば話題になるが、そのような衝動的に反応する傾向が、ネットのみならず現実世界でもよくみられるようになってきた。
幼稚園や小学校の運動会などで、わが子や孫の晴れ姿を撮影しようとする保護者たちの最前列の場所取りが過熱化したり、後ろの人に配慮せずに三脚を立てて撮影していてトラブルになったりと、自己中心的な行動が目立つようになってきた。
そんななか、学芸会や校内合唱などで、わが子が主役に抜擢されないと、 「なぜ、ウチの子が主役じゃないんですか?」 「どうして、ピアノの担当はウチの子じゃないんですか?」 などとクレームをつける保護者が増えてきたため、幼稚園も学校も、みんなが主役となるような演出に配慮するなどといったおかしなことが起こっている。

■桃太郎を16人の生徒が演じる不思議
たとえば、学芸会において、何人もの主役が入れ替わるというような不自然なやり方がとられることもある。
桃太郎を16人の子が演じたといったケースさえある。
それは、「なぜ、ウチの子が主役じゃないんですか?」といった保護者のクレームを恐れてのことだという。
でも、だれもが主役でなければならないのだろうか。
サポート役は負け犬であり、犠牲者なのか。
主役になれなかった人の人生は価値がないのか。
そうだというなら、そのような価値観が多くの人たちに挫折感を抱かせることになる。
そうした価値観でいけば、俳優のなかでも主演俳優だけが価値があり、脇役の俳優はみんな負け組で価値がないということになる。
演劇や映画の世界でも、俳優や監督だけが価値があり、それをサポートする道具係や照明係、メイク担当などの裏方は価値がないというのだろうか。

スポーツ観戦に行くと、応援団もチアガールも必死に応援している。
主役はあくまでも選手だし、いくら応援団やチアガールが頑張ったところで、チームの勝敗には関係ないかもしれない。
たとえ勝っても、選手と違ってヒーローにもヒロインにもなれない。
だが、一生懸命に応援している人は、自分が主役かどうかといった自己中心的な構図でものごとを見ているわけではない。
そんな打算よりも、一体感と役割意識で充実し燃焼している。
そのように冷静に振り返ってみれば、わが子が主役に抜擢されなかったからといって大騒ぎする必要などないことに気づくはずだ。

■わが子を注意するより学校にクレームをつける
夏になると、どこの学校でも熱中症になる生徒が出てくる。
そこで、一定の温度より気温が高いときは戸外での運動をやめるとか、水分補給を心がけるなどの対策を取るところが多い。それでも、たまに熱中症気味の生徒が出ることがある。
その保護者が冷静であれば、本人に水分補給に気をつけるように注意したり、家でも塩分の補給を心がけたりといったことをして、いちいち学校にクレームをつけるようなことはない。
クレームをつけるとしたら、部活の先生や先輩が部活中の水分補給を許さないとか、炎天下で長時間運動させるというような特別な事情がある場合に限られる。

ところが、そんな特別な事情もないのに、わが子が熱中症気味になったといって学校にクレームをつける保護者がいる。
すると、学校側は、とくに落ち度があったとは思えないのに、戸外での部活を制限したりする。
一人、あるいはほんの数人が熱中症気味になったというだけで、何の問題もなくふつうに部活をしていた数百人の生徒たちの行動が制約を受けるのである。
このような学校側の対応も、まさに過剰反応と言ってよいだろうが、保護者からの過剰反応とも言えるクレームを恐れるあまり、過剰な対応をしてしまうのである。

■「子どもが可哀想」で田植え体験をやめてしまう
ゲームやインターネットなど、人工的な空間で遊ぶことが多い今どきの子どもたちは、自然から離れた生活を送っているため、自然体験を与えるのは非常に大切なことである。
自然体験教育の一環として、田植えを経験させたり、芋掘りを経験させたりということが、しばしば行われている。
だが、そこでも保護者の過剰反応があり、それに対して幼稚園や学校側も過剰な対応を取りがちとなっている。
たとえば、田植え体験に対しても、うちの子は泥水に入るのを嫌がっているから、このような活動はやめてほしいといったクレームや、あんな足腰を酷使する重労働をさせる必要はないだろう、可哀想だといったクレームがつくことがある。
そんな軟弱なクレームにいちいち屈することはないと思うだろうが、 「教育委員会に訴えるぞ」 というような脅し文句を、保護者だけでなく生徒までが口にする時代であり、保護者からのクレームを過剰に恐れるため、田植え体験という貴重な教育をやめてしまう学校が出てくる。

■保護者も学校側も思考停止状態になっている
芋掘りというのは、田植えよりもっと多くの子どもたちが昔から体験してきたものであろう。
ところが、芋掘り体験に対しても、保護者からのクレームがあるようなのだ。
たとえば、子どもによって掘って家に持ち帰る芋の大きさが違って不公平だといったクレームがあるらしい。
わが子が持ち帰った芋が小さすぎて不満なら、 「もっと大きいのを掘れなかったのか。今度一緒に行って芋掘りのコツを教えてやろう」 などと、わが子に言うべきであって、先生に文句を言うようなことではないだろう。

だが、今の幼稚園も学校も、保護者の過剰反応的なクレームにも過剰に対応する。
困った先生から相談を受けた農家の人が、つぎからはそのような不公平が起こらないようにと、小さな芋を間引きし、できるだけ均一な大きさの芋を掘れるように配慮することさえあるようだ。

このように、非常識で自己中心的な保護者からの理不尽なクレームがまさに思考停止による過剰反応であり、それに対して学校側が過剰に対応することも思考停止と言える。
ごく少数の非常識なクレームにビクつき、いちいち対応するために、過剰反応的なクレームが後を絶たず、それによって良識ある多くの生徒たちに不利益が生じることになるのはいかがなものか。
そこには思考停止による不適切な反応の連鎖がみられる。

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榎本 博明(えのもと・ ひろあき) 心理学博士
posted by 小だぬき at 02:06 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする