医師への謝礼・心付けは不要? 医師に袖の下を渡すと悪印象を与えるリスクも
2023年07月11日 PRESIDENT Online
医師への謝礼・心付けを断る病院がほとんどだが、本当に不要なのか。
内科医の名取宏さんは「昔、医師や看護師などに心付けを渡す慣習があったけれども、今では不要どころか、かえって迷惑になるのでやめたほうがいい」という――。
■注目を集めようと意図的に炎上させた可能性大
少し前、SNSのひとつであるTwitterに自称研修医が「お医者さんへの謝礼・心付けは絶対に渡した方がいい」「対応やオペの丁寧さに必ず差が出る」「謝礼があると対応がガラッと変わる」などと書いて炎上しました。
医師を名乗って、対応やオペの丁寧さが変わるからと謝礼を要求するようなことをツイートするのは、ありえないことです。
実際には、医師への謝礼・心付けは不要です。
たいていの病院は「謝礼や心付けはお断りします」と明示しています。
日本には医師が30万人以上もいますので、謝礼の有無で対応を変える医師が一人もいないと断言することはできませんが、私が医師として働いてきた25年ほどの経験の範囲内では、そういう医師と一緒に働いたことはありません。
この自称研修医は「麻酔科医に渡すと金ドブなので要注意。渡しても五千円」といったことも書いているので、注目を集めるために意図的に炎上させようとしたと私は考えます。
万が一、医師の対応が謝礼の有無で変わるとしても、手術中の呼吸や循環動態を管理し、患者さんの安全に重要な役割を果たす麻酔科医を軽視するのはおかしいでしょう。
「麻酔科医にも忘れずに十分な謝礼を渡せ」としたほうが、多少は信憑(しんぴょう)性が上がったと思います。
本当に研修医かどうかさえ疑わしいです。
■医師に袖の下を渡すと悪印象を与えるリスクあり
それでも読者のみなさんのなかには、「謝礼お断りはあくまで建前であって、本音ではない。医師も人間だから、袖の下を渡すことで扱いが変わるのでは」とお疑いの方もいるかもしれません。
でも、謝礼を渡すことでなんらかの便宜を図ってもらえるどころか、悪い印象を持たれるリスクさえあると私は思います。
ちょっと考えてみてください。
よりよい対応を期待して謝礼を渡すということは、医師に対して「あなたは謝礼の有無で患者への対応を変えるような医師だ」と言っているようなものです。
ですから医師に謝礼を渡すなら「なんて失礼な人だ」と思われるリスクもあると覚悟した上で渡してください。
私自身、患者さんのご家族に「いやいやまあまあ」などと言いながら白衣のポケットに無理やり謝礼をねじ込まれそうになり、正直言って大変無礼だと思ったことがあります。
一方、「私が謝礼を渡した医師はスッと受け取ってくれた」と言う読者もいるでしょう。
でも、その医師が喜んだとは限りません。
「受け取れません」「そんな固いことを言わずに」「そういうわけにはいきません。お気持ちだけちょうだいします」「いえいえ、そんなことおっしゃらずに」「規則ですから。申し訳ありません」などと押し問答するのが面倒なので受け取っただけかもしれないでしょう。
特に外来が混み合っているときは、そんなことで時間を浪費し、他の患者さんたちを長時間お待たせしては多大なご迷惑になります。
■退院時にお礼の品をいただいていたのも今は昔
もちろん、医師に謝礼を渡そうとする患者さんやご家族の多くは、特別扱いしてほしいわけではないでしょう。
古くからの習慣やマナーだと思っていて失礼がないよう、あるいは純粋に厚意でお礼をしたいだけだと思います。
もう時代遅れの習慣で、今では受け取ることはできませんが、昔は確かに金品ではなく、お礼の品をいただくことがよくありました。
退院時の菓子折りは最たるものでしょう。
入院前や手術前なら対応をよくしてほしいという下心があるのかもしれませんが、退院時なら純粋に感謝の気持ちの表れでしょう。
私が研修医の頃のエピソードですが、変わったものをいただいたことがありました。
同僚がパン工場にお勤めの患者さんから段ボール箱いっぱいの菓子パンをもらったのです。
研修医はだいたい腹ペコでしたので、医局に置いていたら1日も経たずになくなりました。
そのほか、一人では食べきれないほど大量の生エビをいただいた同僚が、自宅で食事会を開いて研修医仲間に料理をふるまったこともありました。
その食事会がきっかけで結婚した同僚もいます。
ご遺族からお礼をいただくこともありました。
長らく私が診ていた年配の男性が亡くなられたあと、ご家族がご挨拶に来てくださった折、故人の持ち物であった洋酒をいただきました。
病気がよくなったら飲もうと思われていたのでしょう。
私には洋酒の良しあしはわかりませんが、おそらく高価なものです。
これは突っ返せるわけがありません。ありがたくちょうだいしました。
やはり長く診ていた年配の女性が亡くなったのち、故人の作品である刺繍(ししゅう)をいただいたこともありました。
光栄なことです。
桜の咲く風景を描いた心のこもった素敵な刺繍です。今でも家に飾っています。
■患者さんの贈り物を受け取るという「臨床医の極意」
日赤医療センターの化学療法科部長の國頭英夫(ペンネーム:里見清一)先生の著書『偽善の医療』のなかに「贈り物は喜んで受け取るべきである」という章があります。
医師は、患者さんからの贈り物を「受け取ってもよい」のではなく「より積極的に受け取るべき」だというのです。
この本には、たとえば診察室や病室で患者さんから菓子や果物をすすめられたときに医師は「決して断ってはならず、礼を言ってもらった上で、その場で食べなければならない」と書かれています。これが「臨床医の極意」なのだそうです。
どうして極意なのかというと、患者さんの立場に立って考えてみるとよくわかります。
自分が差し出した食べ物をお礼を言って快く食べてくれる医師と、せっかくの厚意をむげに断る医師とでは、どちらが信頼できるでしょうか。患者さんからの厚意を断るのは、ある意味では失礼です。
気を悪くするどころか、怒り出す患者さんもいらっしゃるぐらいです。
お菓子でもお金でも、厚意を断るのは失礼であることは変わりありません。
昔は、孫にお小遣いをあげるような感じで謝礼をくださるお年寄りがいらっしゃいました。
医師がにっこり笑って嬉しそうに受け取れば、患者さんも幸せを感じたことでしょう。
■「なぜ謝礼を断るべきなのか」に対する本質的な答え
それでは、なぜ現在では、ほとんどの病院で医師や看護師に対する謝礼をお断りしているのでしょうか?
「公立病院の職員は公務員にあたり、患者さんから謝礼を受け取ると収賄罪に問われる可能性がある」「税法上は雑所得という扱いになり、申告しないと脱税になる」という理由がよく挙げられます。
もちろんそれも正しいのですが、本質的な理由とはいえません。
「私立病院の医師は、あとで確定申告をすれば、患者さんからの謝礼をもらってもまったく問題ない」と言えるかどうかを考えてみればわかります。
謝礼を断らなければならない一番の理由は、医療従事者が謝礼を受け取ることが習慣化すると、他の患者さんに「謝礼を出さないと不利益を被るかもしれない」という危惧を抱かせてしまうからだと私は考えます。
ときに知人から「今度、手術を受けることになったけど、医師への謝礼はいくら包めばいい?」と相談されることがあります。
当然、謝礼は不要であることを伝えるのですが、本来このような疑問が生じることがあってはいけないのです。
大事なことなので繰り返します。病院の窓口できちんと決められた治療費などの金額を支払えばよく、医療従事者に金品を贈る必要はありませんし、贈るべきではありません。
もはや、マナーでも習慣でもありません。かえって迷惑をかけることもありますし、他の患者さんに余計な気を遣わせることになりかねません。
■感謝の気持ちは会話または手紙で伝えるのがいい
医療従事者へのお礼の品は、ささやかなお茶やお菓子も控えたほうがいいと思います。
病院内で診察・回診中の医師なら「臨床医の極意」としていただいてもいいかもしれませんが、たとえば訪問看護ではそういうわけにいきません。
きわめてまれなケースですが、訪問した介護福祉士の女性が睡眠薬入りのお茶を飲まされた事件がありましたから、飲食物を口にするのは危険です。
あっちの家ではお茶をいただき、こっちの家では断るというわけにもいきませんから、一律でお断りしている施設が多いそうです。
どうしてもお礼の気持ちを表したいのであれば、手紙やハガキがおすすめです。
封筒に手紙を入れて直接手渡すと要らぬ誤解を招きますので、病院宛てに郵送するのがいいでしょう。
私は、患者さんからいただいた手紙は全て保存して、時折読み返しています。私の宝物です。
患者さんのお孫さんから「将来の夢は医者になること」というお手紙をもらったこともあります。
嫌なことがあって落ち込んでいても、患者さんやそのご家族からの手紙を読むとやる気が湧いてきます。
長い文章でなくて構いません。
「おかげさまで元気です。その節はありがとうございました」だけで十分です。
そもそも文章にしなくても、言葉でご挨拶していただくだけでも、十分に気持ちは伝わっています。
見返りを求めるためのお金をもらうよりもずっとありがたいです。
言葉を伝えるだけでは物足りないようでしたら、院内の投書箱に「医師の○○さんに親切にしていただいた」「看護師の○○さんのケアが素晴らしかった」などと具体的に書いて投書してください。
よりよい医療やケアにつながるでしょう。
どうしてもお金を渡したいなら医師個人ではなく、病院や医療関係の非営利団体に寄付してくださいね。
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名取 宏(なとり・ひろむ) 内科医