2023年07月24日

マイナンバーカードでトラブル続出。政府は勇気を持って運用を一時停止すべきだ

マイナンバーカードでトラブル続出。
政府は勇気を持って運用を一時停止すべきだ
7/23(日) mi-mollet

マイナンバーカードに関する深刻なトラブルが相次いでいますが、河野太郎デジタル大臣が名称を変えるという話まで持ち出すなど、まさに制御不能の状況となりつつあります。
政府はマイナンバーカードの普及を目標として掲げており、健康保険証や自動車免許証との統合化を進めていく方針です。

保険証については来年の10月に紙の保険証を廃止することが決まっており、マイナカードに一本化するスケジュールになっていますから、これは事実上のマイナカードの義務化と考えて良いでしょう。
しかし、実際にマイナカードの運用が始まると、あちこちで深刻なトラブルが発生しており、このままのスケジュールで運用するのは危険な状況となっています。

一部の論者は、システム開発に失敗はつきもものであり、大目に見る必要があるといった主張をしていますが、今回の件には全く当てはまりません。
一連のトラブルは本来、あってはならないものであり、システム全体に深刻な欠陥があることを示唆するものです。

今、発生している一連のトラブルは、複数のデータを連携する際の重複チェックや書式の統一が十分に進んでいない中、無理にデータ連携を図ろうとしたことに起因しています。
これまで個人情報データというのは、多くの機関が様々な書式で保有していました。
例えば銀行では漢字の名前に加えてふりがなを使って本人を特定していますが、一方で戸籍にはふりがなという概念はなく、漢字でしか本人を特定できません。

そうなると戸籍のデータと銀行のデータをシステム上で連携させる場合、誰と誰が同一人物であるのか、機械的に完全一致させられない状態となります
(さらに細かいことを言えば、フリガナはひらがななのかカタカナなのか、姓と名は一文字空いているのか、番地の表記は統一されているのかなど、様々な問題があります)。

こうした問題を回避するために導入されたのがマイナンバー制度です。
全国民に対して、ただ一つの固有番号を振り、すべてのデータにその番号を反映させれば、誰がどの人物であるか確実に示すことができ、住民票のデータと戸籍のデータを結びつけたり、銀行の口座情報を連携させる場合でも、間違いなく個人を紐付けることが可能となります。
しかし、それぞれの機関が持つデータをしっかりとチェックせず、誰にどの番号を振っているのか十分に確認しないまま一気にデータを連携すれば、あちこちで深刻なエラーが発生するのは当然の結果といえるでしょう。

自分の住民票を請求したら他人のものが出てきたといったトラブルはその典型です。
こうした事態を防ぐためにこそマイナンバー制度があるわけで、一連のトラブルが発生していることが自体が問題であり、本末転倒な状況といって良いのです。

政府はかつてマイナンバーカードを普及させないと行政のデジタル化が進まないといった趣旨の説明をしていましたが、これは正しくありません。
カードの保有というのはマイナンバー制度全体のごく一部分でしかなく、カードがなくてもマイナンバーシステムは何の問題もなく運用することができます。
カードがあれば利便性が多少、向上するというだけの話に過ぎません。

しかし政府は、どういうわけかカードの普及ばかりを最優先し、本来、実施しておくべきデータ整備をおざなりにしたままシステム連携に邁進し、惨憺たる結果を招いているのです。
一部報道では、政府がここまでカードの普及を急ぐことの背景には、何らかの政治的・ビジネス的利権があるといった指摘も出ているようです。
本当のところは分かりませんが、これだけ多くのトラブルが発生することが分かっていながら、カードの普及だけをゴリ押ししている状況を見ると、何かウラがあるのではないかと疑われても仕方のないことだと思います。

マイナンバーは行政デジタル化のカギ握る制度であり、各国にIT化で後れを取った日本にとって、重要な政策であることは間違いありません。
この大事な制度をしっかりと運用するためにも、杜撰な状態でカードの普及を進めることだけはやめるべきでしょう。

政府は勇気を持ってプロジェクトを一旦停止する決断を行い、問題を解決してから再スタートすべきだと筆者は考えます。
その方が結果的にはトラブルは少なくなりますし、行政のデジタル化もうまくいくはずです。
河野氏は突破力や指導力のある政治家と言われています。もしその力量がホンモノなのであれば、たとえ政治的に難しい状況であっても、一旦立ち止まるという決断を下せるはずです。
河野氏の政治的力量がまさに試されているといえるでしょう。

加谷 珪一
posted by 小だぬき at 10:29 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何年続くかわからない「老後」。還暦を迎え「一回引退」と思ったら気がラクになりました

何年続くかわからない「老後」。
還暦を迎え「一回引退」と思ったら気がラクになりました
7/22(土)  クウネル・サロン

〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーで、整理収納アドバイザーの青木美詠子さんは、先日60歳のお誕生日を迎えられました。
「還暦」という節目を迎えて、心に去来することとは??

60歳を迎えて、「残りの人生」について考えてしまいます
今月、還暦を迎えました。
自分でも驚きです。
50歳になる時も「わー、50かあ」という感慨がありましたが、60歳はさらに。一言では言えませんが、「私が還暦か。本当に60年も生きてきたんだな」と思ったり、「残りはどれくらいあるんだろう」と考えたりします。

この頃、芸能人から知人、親戚、さまざまな方の訃報も、より身近に感じるようになりました。
今年70歳、71歳で連続して亡くなったミュージシャンの訃報には、なぜかぐっときて「え。もし70歳だったら、あと10年?すぐだ」と愕然。
いっぽうで「人生100年時代」と言われていて、「本当にそんなに生きるのなら、健康もお金も持つのかな」と思います。

老後というのは、考えてもわからず、相反する可能性の中で漂うようなところがありますね。
そんなことを考え続ける中、最近ひとつ思うことがありました。
それは「誰でも平等に旅立っていくのだ」ということ。
有名な俳優、歌手、小説家、経営者、スポーツ選手などなど、どんな偉業を成し遂げた人も、死なない人はいなくて、そして少しずつ忘れられていくのです。
残酷な言い方ですが。

そしてその手前では、どんな人でも衰えを感じたり、人気や仕事が減ったり、引退とかを味わっているのです。
一握りのそうではない人もいますが、そんなトップの人も、トップゆえの凄い情熱があるはずで、その気持ちに比べると、最後まで意欲通りに活躍できていないのでは。
それを表明していないだけで、私達にはわからない苦しみがあるのだと思います。

歳をとると、気力は衰えるもの?
私も衰えを感じます。
この歳で「また本の出版ができたら」とか考えているのに、ままならず、実力不足で成果が出ていないと思ってしまいます。世の中から見たらもう十分なのかもしれないけれど、もっとやりたい人にとっては、ただ足りないのです。
でもいっぽうで、今までずっと長く頑張ってきたので、ここにきて気力の衰えも感じ、「もういいのかな」と思うことも。
同世代の友達と「気力って衰えるね」話で盛り上がったこともありました。

完全に引退して田舎に帰る同級生もいて、しみじみ「そういう歳か」と認識します。
それで私も心の中で「一回引退」と思ってみると、状況は変わらなくても、気もラクになったりします。
でもまた、ふと気力が湧いて、「やっぱりこれはやりたい」なんて思う時もあります。
そうすると「この歳になってもまだ願望が強いなんて、その仕事が好きなんだな」とも思え、その気持ちを持ったまま、成果が出なくとも、最後まで行くのは、幸せなことかもしれないと思えました。

いい結論は出ませんし、これからも複雑な気持ちを持ったまま、揺れ動いていくことだけがわかります。
そこに健康や老後資金の悩み、夫婦や介護のことなどが絡み合って、より重たい状況になっていくのですよね。
この世代は、そういうすべてを抱えたまま、悩んだあげく「楽しく日々をやっていくしかない」という結論に達し、明るく過ごしているんだとわかりました。

人生はうまくいかないことが起こるからこそおもしろい
最近なぜか、このふたつの歌詞をよく頭に思い浮かべます。
「全てが思うほどうまくはいかないみたいだ」 (「夜空ノムコウ」作詞:スガシカオ)
「人生はあなたが思うほど悪くない」 (「元気を出して」作詞:竹内まりや)

人生はいくら努力しても、自分が思ったように、全部の夢が叶っていくわけじゃない。
でも、そんなにすごく悪いものではないということ。

逆に全部の願望が自動的に次々と叶う天国のような場所なら、面白みはなく、退屈でノイローゼになるかも。
ちっともうまくいかないから、叶った時がとびきり嬉しいのだと思います。
だから辛いことも味わいながら、叶ったことに感謝し、この人生を送っていく、ということなのでしょうか。
私もあきらめつつ、あきらめないで、楽しんだり、苦しんだりしながら、暮らしていけばいいですかね。
そんなことを思う還暦でした。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする