2023年09月02日

自衛隊の戦場医療認識に欠けている第一線での救命の取り組み。正しい処置ができていれば防ぎ得た死をできるだけ減らそうという世界的潮流に遅れをとるワケ

自衛隊の戦場医療認識に欠けている第一線での救命の取り組み。正しい処置ができていれば防ぎ得た死をできるだけ減らそうという世界的潮流に遅れをとるワケ
9/1(金)  集英社オンライン

『「自衛隊医療」現場の真実』
日本では予測することが難しい自然災害に加えて、紛争やテロのように「人が発生させる危機」による平時医療体制の破綻にも備えなければならなくなってきている。
しかし有事医療体制に関する自衛隊の認識は世界的なスタンダードから程遠いというが、問題はどこにあるのか。
『「自衛隊医療」現場の真実 - 今のままでは「助けられる命」を救えない -』(ワニ・プラス)より、一部抜粋・再構成してお届けする。

「世界で最も安全な国」の医療が破綻する時
平時の日本は世界で最も安全な国であり、世界中で好印象を持たれている国でもある。
救急医療についても、119番通報の覚知から救急車が現場に到着するまでに「平均7分程度」であるように、その体制が整えられた国のひとつに数えられる。
しかし現在、私たちが享受している救急医療体制はあくまでも「平時」ゆえに機能しているものであり、「有事」となれば脆くも破綻してしまう危機が発生する。
しかも「有事」に至る蓋然性が意外にも高いこともまた、日本の特徴と言える。

これまで「災害大国・日本」と呼ばれるように、平時医療体制が破綻する「有事」に至る要因の最たるものは、自然災害だった。
今もその優先度は変わらないが、台湾有事に関連した日本の南西諸島方面での衝突や、全国の在日米軍基地へのテロの危険性も考慮せざるを得なくなっている。
こうした危険性が、安全保障や危機管理の専門家だけでなく一般の人々にとっても「他人事ではない」と感じられるようになった要因のひとつには、2022年2月24日から始まった、ロシアによるウクライナへの侵攻が挙げられる。
そしてもうひとつが、同年7月8日に発生した、安倍元総理銃撃事件だ。

「個人的な恨みであって、テロではない」という解説もあるが、本来、警護担当者によって安全が確保されているはずの要人が、日本では想定外の銃撃を受けたことは、国内外に大きな衝撃を与えた。
つまり、これからの日本は、予測することが難しい自然災害に加えて、紛争やテロのように「人が発生させる危機」による平時医療体制の破綻にも備えなければならなくなった。

実は日本でも、安倍元総理の銃撃やロシアによるウクライナ侵攻前から、「一般人が有事に巻き込まれ、複数の傷病者が発生し、通常医療が破綻する」ケースは想定されてきた。
例えばメディアでは、当初2020年に予定されていた東京五輪(実際はコロナの影響で1年延期となり、2021年に開催)に向けたテロ対策として、厚生労働省が爆発物や銃器、刃物による外傷治療に対応できる外科医養成に乗り出すことが報じられていた。
テロが世界で多発する中、日本国内ではこうした外傷治療の経験がある医師は限られているため、不測の事態に備えるのが狙いだ。
銃創や爆傷に対して行う手術は、通常の外科手術とは別の専門性が必要とされる。
特にテロ発生現場では患者の容態が不安定なことが多く、術前に十分な検査をする余裕がないまま、メスを入れて初めて損傷した臓器がわかるような緊急手術が大半だ。
執刀医には、速やかに適切な手術法を選び、あらゆる臓器損傷に対応できるだけの技量が求められる。

平時医療体制が破綻するいずれのケースも、医師が最大の治療能力を発揮できるような体制づくりが重要であることは共通しており、そのための戦術を持たなければならない。
「手術」も「作戦」も英語では同じく「operation」と表現する。
それらを効率よく実行するための「tactics」(戦術、戦法)が重要で、今の日本はここが決定的に欠けている。

自衛隊に欠けている「戦傷医学」の戦術
特に自衛隊がTCCC(米陸軍旅団戦闘傷病者救護後送指針)について認識を誤っていることが致命的だ。
TCCC(ティートリプルシー)とはTactical Combat Casualty Careの頭文字を取ったもので、日本では「戦術的戦傷救護」や「戦術的第一線救護」と言われるが、どちらも誤認である。

1996年に米軍が始めた第一線の救命の取り組みで、「戦闘による死者の90%は、治療施設に到着する前の戦場で亡くなっている」こと、さらに「大動脈の損傷によって起こる大量出血は、通常は非常に性急で、おびただしいため、負傷者は助けが来る前に亡くなってしまう」ことを踏まえ、大量出血を負傷から短時間のうちに防ぐことで、死者を大幅に減らすことができることから始まり、世界的なスタンダードになりつつある。

現代の戦闘外傷では同時に手足を2本、3本失うもので、1人の治療には交通事故による外傷治療の2倍、3倍もの医療従事者が必要となることがあるからだ。
しかも戦傷病者は同時多発する一方で、現地のインフラは破壊されるなど機能不足に陥っている。
そこで、軍隊では作戦地域では戦闘傷病者の決定的治療は行わず、生命または機能維持のための処置だけを行い、治療能力を有する後方地域へと引き継ぐSOP(Standard Operating Procedure=作戦実施規定)が定められる。
NATO軍も採用している米軍のTCCCは国際標準となった。

Tactical:軍事用語では作戦基本単位、機能集合体による戦闘及びその部隊、2023年現在の米陸軍では「旅団」を意味する Combat(戦闘):軍事用語ではTacticalは「作戦単位」を指すため「戦闘」を表現するためには「Combat」を用いる。例としてCAT(Combat Application Tourniquet=戦闘時に適用する救命止血帯)がよく知られる。

Casualty(傷病者):医師の診察を受ける前の人を意味する。診察を受け、医師の治療の管理下にある人は「患者(Patient)」だ。
Care(処置):医師以外が行う救護や治療に繋げるために施されるものである。
医師が行うものは「Treatment(治療)」である。

台湾有事となれば、日本国内の病院を中継することもあるが… TCCCとは、平時の医療では現場から救急病院に直行して決定的治療を施すことに対して、戦場では治療をせず、救命または機能維持のための処置にとどめ、必要最少の応急治療によって設備の整った病院治療を受けられるまでの間を中継するための取り決めだ。
図2-3「TECCとTCCCの地域的概念図」にあるとおり、テロや戦闘が局地的であり医療インフラが機能している場合は、上半分のTECC(テックシー)が適用される。
武力侵攻を受けている状態であれば下半分のTCCCの適用となる。 TCCCには図2-4「米軍の治療・後送体制」にあるとおり、Role1から4の段階があり(Roleについては第四章で詳述)、イラク・アフガニスタンの戦闘では決定的治療はドイツで行われ、制服を着て帰国できる状態になるまで治療を受けてから、ワシントンDC近郊にある、日本で言えば防衛医大と自衛隊中央病院を合わせたようなWalter Reed Army Medical Centerにて専門的な高度医療を受けることになっていた。

台湾有事となれば、ハワイに送られることになるが、ベトナム戦争時のように日本国内の病院を中継することもあるだろう。 逆に言えば、こうした対策が徹底されなければ戦死者は増える。
正しい処置ができていれば防ぎ得た死を、できるだけ減らそうというのが世界的潮流なのだ。
だが自衛隊の戦場医療には、こうした観点が欠けている。
「戦術、戦法」を組み立てるためには「諸元」、つまり目安が必要となり、時間的目安は特に重要なのだが、考慮されているとは言い難い状況にある。 文/照井資規

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照井資規(てるい もとき)
軍事・有事医療ジャーナリスト
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福山雅治さんも交通取り締まりに「異議」…違反する前に警察官が注意しないワケ

福山雅治さんも交通取り締まりに「異議」…
違反する前に警察官が注意しないワケ
9/1(金) ドライバーWEB

■違反する前になぜ注意しない?
「福山雅治、交通違反取締りに異議『どうして途中で止めてくれなかったんですか』共感の声が続々!」と、なんとも私向けな記事が8月29日、「おとなカワイイWebマガジン COCONUTS」というサイトに。
読ませてもらった。そこに、こんな部分があった。

◆◆◆◆◆
一時停止や矢印信号などの違反は、あらかじめ警察官が柱の陰から見張っているケースも多いもの。
福山さんは「見てるわけだから。曲がり切る前に注意すれば、注意で済むじゃないですか。
でも、曲がり切って、出てくるでしょ?」「どうして途中で止めてくれなかったんですか?」と、警察官に異議申し立てすると言います。
◆◆◆◆◆
同様に思う方は、ほんと多いようだ。
じつは私も昔、同じことを思い、かつその疑問を警察官にずばりぶつけたことがある。

裏通りで交通量が少なく、30mかそこらだけが一方通行のところを、私はバイクでゆっくり逆走。
待ち伏せていた若い警察官に止められた。
私は言った。

今井 
「入り口で立ってればいいのに」 すると警察官は答えた。

警察官
「(入り口に立っていると)誰も違反しないから」

「うわお!」と私は思った。正直な若者だ。
警察官は「しまったことを言ったなあ」と気づいたようで、しばし黙った。

今井 
「で、どうするの、切符、切るの切らないの?」

警察官
「う〜ん…」

なんだか可哀想になり、私はこんなことを言った。

今井 
「じゃあね、あなたがいいと思うようにやりなさいよ」

警察官
「じゃ、切符、切ります」

切るんかーい。って切るでしょ普通。
切符を切るために、隠れて待ち伏せていたんだから。
違反切符のサイン欄(事件原票の供述書甲の欄)に「私が上記違反をしたことは相違ありません。事情は次のとおりであります」と小さな不動文字がある。
そこに私は、不服を書いてからサインした。
警察官はサイン欄を呆然と見てから、あたふたと去った。
その後、私は検察官により不起訴とされた。

交通取り締まりの警察官は、なぜ隠れて待ち伏せるのか。
「運転者の皆さんの普段の運転を見ているのです。警察官がいるから違反しない、いなければ違反する、ということでは困ります」などと警察は言う。なるほど、確かに。

■具体的に危険かどうかは関係ない?
しかし、約40年間にわたり交通違反・取り締まりを取材・研究してきたところからは、要するにこういうことかと思える。

1、交通の安全と円滑、交通事故(以下、事故)防止のために道路交通法(以下、道交法)はある。
2、道交法を守れば事故は起こらない。守らないから事故が起こる。
3、事故を防ぐには違反を取り締まるべし。 この論法がまずがっちりある。さらにこういう考え方がある。
4、道交法違反は抽象的危険犯である。 要するに、「危険防止のため定めた道交法に違反する行為はすなわち危険なのである。具体的に危険かどうかは関係ない」という考え方だ。
これは刑事裁判の法廷で裁判官も言っていた。

そして、警察の側にこんな事情があるのだ。

5、現場の警察官は実績を上げなければならない。現場の実績は上司の実績にもなる。
6、実績は数字で計る。努力目標の数字を達成すべく頑張る。 この「数字」は、件数のこともあるし、点数のこともある。たとえば、青切符の違反よりも、酒気帯びなど赤切符の違反のほうが点数は断然高いとか。2人で協力して取り締まったなら点数を半分ずつ分けるとか。 交番勤務のある警察官は、職務質問が得意で、窃盗や覚醒罪の犯人をときどき検挙する。そっちの点数がどかんと高いもんだから、しょぼい交通取り締まりなんかぜんぜんしない、なんて話も聞こえてきたりする。

逆に、「実績低調者」は肩身が狭いという。
「お前は無能者か! 違反を1本取るまで戻ってくんな!」とか怒鳴られたりするそうだ。

■違反者の署名押印を取れないと、警察官は嫌がる
さあ、そんな組織にいて、あなたならどうします? 

具体的な危険性などない違反を、多くの運転者がつい犯しそうな場所で、姿を隠して待ち伏せる、そうなってしまうんじゃないですかね。

  職務質問が苦手で、しょぼい待ち伏せ取り締まりでこつこつ実績を稼ごうとする、そんな警察官にとって嫌なのは、運転者が反則金を払わず争うことだと聞く。
反則金が不納付だと、刑事手続きへ移行し、検察へ送致(いわゆる書類送検)することになる。
その書類の作成がめんどうなのだそうだ。
上司から「お前が取り締まったのは否認ばっかだな。どうなってんだ!」と叱られたりもするだろう。

元警察官氏からこんな話を聞いたことがある。
「違反切符に違反者の署名押印を取れないと、否認事件の扱いになる。それが嫌だから、まず署名押印を求める。
拒む違反者はさっさと行かせる。
途中まで作成した違反切符は、次の違反者に使う、なんて奴もいるんです(笑)」
でも、そういう「奴」は少数派らしい。

署名押印を拒みさえすれば逃れられる、というものではないと思いますよ。
警察庁のデータによれば、反則金の納付率は毎年100%に近い。
2020年は98.4%だ。取り締まりに対し「ずるい、汚い」と文句を言う人、疑問を持つ人はけっこういるが、ほぼすべての人が反則金を納付する、警察官は手間をかけずに実績を上げられる、そうしたこともちらっと考えてみてもいいんじゃないでしょうか。

文=今井亮一 肩書きは交通ジャーナリスト。
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海外記者が見た「日本のジャニーズ報道の異常さ」

海外記者が見た「日本のジャニーズ報道の異常さ」
「弱きを挫き、強きを助ける」歪みまくった構造
レジス・アルノー :
『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員
2023.9.1 東洋経済オンライン

温泉のお湯を6カ月間入れ替えなかったことと、50年間何百人もの子どもたちを触ったり、口腔性交したり、肛門性交を強要すること、どちらが重大な罪だろうか。
日本のメディアにとって答えは明白のようだ。
日本のテレビ局の幹部らは、今すぐ自分の名刺にこう刷るべきだろう。
「弱きを挫き、強きを助ける」。
テレビ局に対して長きにわたって娯楽を提供してきたジャニー喜多川という男が、世界最悪級の連続児童性加害者の1人であったということに対して、日本のジャーナリズムはことごとく「無力」だった。
人的、財務的、物質的資源が豊富にあるにもかかわらず。 バックのない弱いものばかり過剰に報道する 海外のテレビ局が日本のテレビ局についてつねに驚くのは、日本の同業者がヘリコプターを惜しげもなく使うことだ。

東京都庁前での50人規模の東京オリンピックに対する反対デモや、各大臣の靖国神社参拝、カルロス・ゴーンの釈放などを撮影するためにヘリコプターを使う。
だが、ジャニー喜多川の被害者には金を使って取材をしようともしない。
昨年、福岡の温泉経営者である山田真は、半年間ホテルのお湯を入れ替えず、温泉の衛生記録を改ざんしていたとして摘発された。
テレビカメラは、まるで彼が麻薬組織のリーダーであるかのように、段ボール箱の撤去を伴う警察の家宅捜索を取材した。
この国民的嫌がらせ(コクハラと言っていい)、緩慢な大衆リンチは、山田が自ら命を絶った時ようやく収まった。

すぐさま、メディアは次のターゲットを見つけた。
それは、寿司をなめる自分の姿を愚かにも撮影したティーンエイジャーだ。
メディアは彼を赤軍の一員であるかのように「寿司テロリスト」とのレッテルを貼った。
次のターゲットは誰だろう?
仕事中に同僚の運転手に「こんにちは」と言ったバスの運転手? 鼻に指を突っ込んだ少年? いずれにせよ、次なるジャニー喜多川や、統一教会の創始者、文鮮明ではないだろう。

メディアは不倫をした有名人を容赦なく攻撃する。
それなのに、有名人が何百人もの子どもに対して性加害したことはスルーするのか。
発展途上国においては報道の自由が保障されていなかったり報道の質が高くなかったりするために、自国の出来事を理解するために先進国のメディアに頼らざるを得ないことが多い。
これと同じことが日本でも起きた。

3月にイギリスのBBCのドキュメンタリー番組で日本語を話せないイギリス人ジャーナリストがジャニー喜多川の行為を暴露したことで、多くの人がようやく実態を把握し、目を背けることができなくなったのだ。

報告書が「解明しなかったこと」
今回、林眞琴氏率いるジャニーズの再発防止特別チームが、報告書でジャニー喜多川の60年にわたる性加害の実態を最も生々しい形で暴露したことは評価されるべきである。
下は8歳から14、15歳の少年たちが触られたり、肛門性交を促されたりしたことは地獄の旅としか言いようがない。
だが、報告書では”喜多川システム”が完全に解明されることはなかった。

つまり、誰が彼に少年たちを提供したのか?
誰が被害者を黙らせたのか? 誰が? 誰が?
メディア業界でこのことを知っていて、しかも、報じずに無視したのは誰なのか?
子どもたちの魂が殺され、夢が打ち砕かれたにもかかわらず、国民全体が見て見ぬふりをできたのはなぜか?
こうした疑問は未解決のままである。

今回の報告書は、イギリスの連続性犯罪者ジミー・サヴィルを想起させる。
サヴィルは、喜多川とほぼ同時期に何百人もの人々に性的暴行を加えた人気司会者である。
2022年の『ガーディアン』紙の記事で、元BBC記者のマーク・ローソンは、サヴィルの疑惑に対してイギリスのメディアと権力が消極的だったことを認めている。
「本当の物語は、彼の被害者たち、そしてBBC、保健省、保守党、カトリック教会、警察、地方議会、名誉毀損法がいかに被害者らを失望させたかである。
(中略)政治、王室、放送、教会、医療、慈善など、イギリスの体制がまばゆいばかりの盾を提供した怪物だったのだ」。
同じことが、今日の日本のメディアや社会全体にも言える。

23年前にNYTが報道してた不都合な真実
日本でも以前から勇気を持ってジャニー喜多川の行為の暴露を試みた人や、メディアがあった。
『週刊文春』は、雑誌の評判と財務を危険にさらして喜多川の行為を報じ続けた。
この時、文春の報道や、日本のメディアの姿勢について報じているのがアメリカのニューヨーク・タイムズ紙だ。
同紙は2000年1月30日付の記事で、文春の報道にもかかわらず、日本のメディアが同件を扱っていない理由を報じている。同記事では日本の芸能記者が、「ジャニーズ事務所に従わないと、ジャニーズの人気タレントを番組に出させてもらえず、バラエティ番組の視聴率が下がる」「出版社も同じだ」と語っている。
また、同記事ではニューヨーク・タイムズ紙の記者が、文春の記者帯同のもと、被害を訴える1人のほか、喜多川の弁護士、矢田次男にも取材(ジャニー喜多川にも取材依頼をしたが断られている)。
この時矢田は、依頼人に対する性的虐待疑惑は「完全なでっち上げ」であり、「ジャニー喜多川氏は素晴らしい評判を持つ善良な人物であり、誰も掲載された嘘を信じていない」と語っている。

今回、改めて矢田に報告書についてコメントを求めたところ、「(コメント)できない」と回答。
ニューヨーク・タイムズ紙による取材は覚えていないが、「当時そう答えたならそう考えていた」とするが、現在については「答えられない」と話した。
ニューヨーク・タイムズ紙は同年4月1日に、自民党の阪上善秀議員(当時)が、「少年問題に関する特別委員会」で喜多川に関する性的虐待に対して厚生労働省などに意見を求めたことを報じている。
同紙によれば、阪上議員が「児童から信頼を受け、児童に対して一定の権力を持っている人物が、その児童に対して性的な行為を強要する。もしこれが事実とすれば、これは児童虐待に当たるのではないか」と質問したのに対して、厚労省の担当者は「性的な行為を強要した人物がこの手引き(「子ども虐待対応の手引き」)に言う親または親にかわる保護者などに該当するわけではないので、手引で言うところの児童虐待には当たらないというふうに考えている」と回答している。

ニューヨーク・タイムズ紙は阪上議員が本件を取り上げたことについて「主要メディアがこの特別委員会や調査について取り上げるか定かでない中でのギャンブル」と書いている。
「この委員会がメディアで取り上げられることは、小渕首相(当時)の心臓麻痺よりショッキングなことだろう」。

サヴィル死後に報告書が出された理由
サヴィルの場合、彼の死後に疑惑が浮上すると、イギリスメディアは複数のドキュメンタリー番組を制作した。
BBCは現在、彼のドラマシリーズを準備中である。
当局の対応については、ロンドン警視庁(MPS)が小児性愛者や重大犯罪捜査の経験を持つ警官30人を動員し、児童保護チャリティーの大手NSPCC(全英児童虐待防止協会)と連携して、独立した透明性の高い報告書を発表した。
「当然のことながら、ジミー・サヴィルが死んだ以上、彼に対する刑事訴追は不可能であり、被害者の証言は法廷で争うことができないという問題が提起されている。
しかし、MPSとNSPCCが、我々の共同報告書に含まれる情報を公開すべきだという見解を示したのは、このような刑事訴訟の欠如、そして被害者のための正義の欠如のためである」と報告書は述べている。

報告書はサヴィルが単独で犯した犯罪、サヴィルの周囲の人々が関与した犯罪、サヴィルに関する公表の結果、名乗り出た人々への犯罪という3つの柱に焦点を当てた。
「最も早く報告された事件は1955年のマンチェスターで、最後に報告された犯罪は2009年である(中略)。
名乗り出た被害者の年齢層は、8歳から47歳(虐待当時)」と報告書は記している。600人が名乗り出た。

一方、今回再発防止特別チームの報告書がヒアリングをしたのは23人だけだった。
そもそも、ジャニーズ事務所が調査員を人選しているような組織をどれだけ信用できるのだろうか。
同組織は藤島ジュリー社長にジャニーズの代表を辞任するよう勧告したが、100%株主である同氏がこのまま辞任したとて、同じような権力構造は残るだろう。
日本のメディアはイギリスのメディアのように責任を取らない。

テレビ局はChatGPTを使って声明を書いているのだろうか?
 報告書が出された翌日、各局は同時に同じような薄い水割りのような空文を発表した。
よく「日本のBBC 」と表現されるNHKはこう書いている。
「『人権、人格を尊重する放送を行うこと』を定めており、性暴力について、『決して許されるものではない』という毅然とした態度でこれまで臨んできたところであり、今後もその姿勢にいささかの変更もありません」。
では、5冊の著書、国会傍聴、そして文春の度重なる報道にもかかわらず、なぜジャニー喜多川の破滅的な性犯罪をもっと取り上げないのだろうか?
一方、テレビ朝日はこう書いている。「テレビ朝日グループでは従前より、人権尊重を明確に掲げて事業活動を行っておりますが、調査報告書に盛り込まれたマスメディアに対する指摘を重く受け止め、今後ともかかる取り組みを真撃に続けてまいります」。
現在、テレビ朝日では毎週土曜日午後4時から、子を持つ親なら誰もが戦慄する『裸の少年』というタイトルの番組を放映している。
テレビ局はすっかり鈍感になってしまったのだろうか?
子どもたちが目の前で性的虐待をされないと行動を起こさないのだろうか?
この国には親はいないのか?

23年前から何1つ変わっていない
「私を含むマスメディアが、特に最初に本が出た時、被害者の訴えについてかなり前からきちんと調査をしていれば、他の少年が性的被害に遭うことを避けられたかもしれない」と、2000年にニューヨーク・タイムズ紙にコメントしている前述の芸能記者は語っている。
今から23年の前ことである。
今に至っても薄っぺらな反応しか示さないことで、日本のテレビ局はジャニー喜多川のような人物を守る沈黙の陰謀に加担しているのだ。
ここでメディアが変われない限り、日本の芸能界が、彼のような怪物にとって理想的な遊び場であり続けることは間違いない。
              (敬称略)
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