「相手の信頼を一瞬で失う絶対NGな話の聞き方」
話を聞くのは100%受け身の行為ではない
10/27(金) 東洋経済オンライン
昨今、仕事でもプライベートでも、「話の聞き方」や「相談の乗り方」がコミュニケーションにおいて重要視されています。 20代の頃はゲイバーで、現在はX(旧ツイッター)で相談を受けることが多く、生きづらさをテーマにした書籍『つらいと誰かにいうことが一番つらいから』を上梓した作家のもちぎさんに「話の聞き方」のコツを聞きました。
■合理的に見えて非合理的なコミュニケーション
まず大前提として、「話を聞く」というのは100%受け身の行為ではありません。
普段、私たちが表情や仕草から多くの情報を読み取るように、聞く側の振る舞いから相手に伝わるものはたくさんあります。
たとえひと言も言葉を発していなくても、ちらりと時計を見たり、スマホを気にしたり、沈黙を嫌うような表情を見せれば、「時間がないのかな?」と話す側にも焦りが伝わります。
だから、まずは「話を聞く準備ができている」ことを、言葉だけでなく振る舞いで示すのが、コミュニケートしやすい空気づくりの第1段階です。
たとえば、いきなり本題に入るのではなく、他愛のない雑談をしたり、お茶をしたりする時間を取る。
それも時間を気にせず、ゆっくりと。
時間が決まっていたり、どちらかが忙しかったりすると、ビジネス的な話はできても、普段どおりリラックスして話すことは困難です。
「相手の都合に合わせなきゃ」と思った瞬間、他人本位になって、どうしてもかしこまってしまう。
だから、私の場合はまず、時間など余計な制約がないことを態度で伝えるようにしています(言葉で改めて伝えると、それはそれでかしこまった空気になってしまうケースもあるので)。
■対話の場で「急がない」意識を共有することが大切
職場でないなら、ただゆっくりお酒を飲んだり、カラオケを歌ったりするのでもいい。
今は焦ったり急ぐ必要はなくて、自分が話したいことを、自分のリズムで話してくれていい。そうした意識を対話の場で共有することが大切だと思います。
仮に予定があったとしても、その瞬間の心の持ちようは相手に伝わるものです。
焦ることなく、時間がきたら「じゃあ、また今度」でいいんです。
その日に話を終わらせなきゃいけない決まりなんて、どこにもありません。
私がゲイバーで働いていた頃も、日をまたいで話が進んでいくことは珍しくありませんでした。
限られた時間の中で解決しようなんて、それこそ聞く側の都合でしかありません。
「はい、話を聞く時間をつくりました! じゃあ、この時間の中でどうぞ!」という場や意識の設け方は、合理的なように見えて、逆に浅い話しか生まれない非合理的なコミュニケーションの取り方ではないでしょうか。
日をまたげば、「前の話、ちゃんと覚えていてくれたんだ」と連帯感が生まれることもあるし、場所を変えれば行き詰っていた話が進むこともあります。
対話を“解決すべき課題”として捉えず、あくまで“2人の関係性”だと考えれば、無理に終わりを意識する必要もありません。
■一気に信頼を失う「聞いている振り」
実は、私がこの「話の聞き方」の難しさを改めて痛感したのは、初めてルポルタージュに取り組んだことがきっかけです。これまで私小説的に漫画やエッセイを描いてきましたが、今回執筆した『つらいと誰かにいうことが一番つらいから』では、それぞれの生きづらさを抱える人たちに、その“つらさとの向き合い方”について取材をしました。
そもそも決して話しやすいテーマではないうえに、取材となると「ちゃんと話さなきゃ」という意識が芽生えて、なかなかリラックスできません。
そうやって互いの距離が離れたまま聞いた話は、言葉として整っていたとしても、読み返してみると深いところまで届いていないのです。
繰り返しになりますが、話を聞いたり相談に乗るときは、話す側に自分のリズムで、自分本位で話してもらうこと。
そして同時に、聞く側は「この人はどこまで話したいのかな?」と意識を向けておくことが大切だと思います。
深いところまで踏み込むことと相手を傷つけてしまうリスクは、表裏一体です。
その一方で、私が絶対にすまいと肝に銘じているのが「聞いている振り」です。
一般的に上手な話の聞き方は「理解と共感」で、自分の意見をぶつけるのは控えたほうがいいと思われています。
ですが、意見があるというのは、「話をちゃんと聞いている」という証でもあります。
もちろん、いたずらに論戦を仕掛けたりマウントを取るのはNGですが、フラットに意見を出し合えるなら、そこまで敏感になる必要はないでしょう。
むしろ最悪なのは、“情報をかいつまんで安易な一般論に接続する”ような「聞いている振り」です。
たとえば「人それぞれだから」「好き好きだから」「あなたが考えることじゃないから」なんて、大人ぶっているように見えて、何の中身もない受け答えです。
話す側がせっかく本音で話していても、安易な一般論で一刀両断された瞬間、「話すんじゃなかった」という失望がその場を覆い、聞く側は一気に信頼を失います。
どんなに「なんでも話して」と懐の深さを見せていたとしても、「結局、薄い一般論しか出てこない」なら、それは単なるポーズでしかなく、余計に信頼できなくなります。
そして、「この人に真面目に話しても意味がないから、話すなら別の人にしよう」となり、上辺のコミュニケーションしか生まれなくなります。
信頼を失うのは一瞬ですが、取り戻すのはとても困難です。
■一歩ずつ距離を縮めていくことが、一番身近なコツ
逆に、信頼される人の特徴として、「簡単に結論付けたりしない」ことがあります。
たとえば、明石家さんまさんがゲストの話を「まあ、人それぞれやから」と切り捨てているところをほとんど見たことがありません。
「○○はこう思ってんねやろ」「でも、こういうこともあるわけや」と、きちんと“それぞれ”の中身を自分の言葉にして場に戻し、ときには「○○ちゃうか?」と意見を付け加えながら話を進めている印象があります。
「聞いた振り」をせずにちゃんと受け止めてくれるから、話す側にも熱が入り、信頼感につながっているのでないでしょうか。
ただ、じゃあそれをマネすれば信頼されるかというと、対話はそれほど簡単ではありません。
最近、芸人さんの“回し”という言葉が一般化したり、ビジネスシーンでは「仰るとおり」などの常套句が定着したりしていますが、“誰かのマネ”で目の前の生きた相手と向き合うのは、基本的に無理があります。
“回し”にしても、ある程度のテクニックはあるにせよ、そのうえで芸人さんは何年も修業して空気や間を身につけているわけで、素人がマネしても空回りするだけです。
はやりの常套句も、相手によっては「薄い一般論」と同じくらい、適当な受け答えだと感じることがあります。
付け焼き刃は、いつか見透かされます。
やはりコミュニケーションの土台は、自然体です。
普通にしていれば「仰るとおり」といったん常套句で区切られるところも、「仰るとおりで〜」と続いていくはずです。
テクニックやはやり廃りよりも、まず目の前の相手と自分に素直になること。
難しい相談には、解決を急ぐのではなく、素直に「むずいな〜」でいい。いま1つ共感できなければ、「自分にはわからないけど、あなたがそう思ってるのは理解できた」で十分。
相談に乗るのがしんどければ、「ごめん、自分もしんどくてちゃんと聞けるかわからない」と伝えればいい。
人生はto be continuedです。
そうやって互いに無理せず、一歩ずつ距離を縮めていくことが、一番身近なコミュニケーションのコツだと私は思います。
もちぎ :作家