2023年11月17日

じつは「日本」は「完全な属国」だった…日本が米国と交わした「ヤバすぎる3つの密約」

じつは「日本」は「完全な属国」だった…
日本が米国と交わした「ヤバすぎる3つの密約」
11/17(金)  現代ビジネス

 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
*本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。

大きな歪みの根底
 ここまでは、問題を調べ始めてから、四年ほどでわかったことでした。
 つまり「戦後日本」という国が持つ大きな歪みの根底には、日米のあいだで結ばれた「法的な関係」が存在する。
しかしその姿が、日本人にはまったく見えていない。

 最大の問題は、そもそも1952年に日本の占領を終わらせた「サンフランシスコ平和条約」が、じつは普通の平和条約ではなかったことだ。
 たしかにそれは、「政治」と「経済」においては占領状態を終わらせた「寛大な」条約だったが、逆に「軍事」に関しては、安保条約と連動するかたちで日本の占領を法的に継続し、固定するためのものだった。
 その結果、「戦後日本」という国は21世紀になってもなお、  「軍事面での占領状態がつづく半分主権国家」  であり続けている──。
 多くの著者のみなさんとの共同研究により、そのことはほぼ証明できたと思っています。

これまで精神面から語られることの多かった「対米従属」の問題を、軍事面での法的な構造から、論理的に説明できるようにもなりました。
 けれども最後までどうしてもわからなかったのは、  「なぜ日本だけが、そこまでひどい状態になってしまったのか」  ということでした。
 「戦争で負けたから」という答えは明らかな間違いです。
 世界中に戦争で負けた国はたくさんある。
けれども現在の日本ほど、二一世紀の地球上で、他国と屈辱的な従属関係を結んでいる国はどこにも存在しないからです。  そのことは第三章で紹介した、イラクが敗戦後にアメリカと結んだ地位協定の条文を読めば、誰にでもすぐにわかってもらえるはずです。

「密約の歴史について書いてくれ」
 その点について、ずっとモヤモヤしたものが残っていました。
もうひとつウラの構造があることはたしかなのですが、それが何かが、よくわからなかったのです。
 そんなある日、  「密約の歴史について書いてくれませんか」  という出版社からのオファーがあったので、よろこんで引き受けることにしました。
以前からずっと、調べてみたいと思っていたことがあったからです。

 じつは戦後の日本とアメリカのあいだには、第五章で書いた、  「裁判権密約」 「基地権密約」  のほかに、もうひとつ重要な密約のあることが、わかっていたのです。
それが、  「指揮権密約」  です。
その問題について一度歴史をさかのぼって、きちんと調べてみたいと思っていたのです。

 指揮権密約とは、一言でいってしまえば、  「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」  という密約のことです。  
「バカなことをいうな。そんなものが、あるはずないだろう」  とお怒りの方も、いらっしゃるかもしれません。
 しかし日米両国の間に「指揮権密約」が存在するということは、すでに36年前に明らかになっているのです。
その事実を裏付けるアメリカの公文書を発見したのは、現在、獨協大学名誉教授の古関彰一氏で、1981年に雑誌『朝日ジャーナル』で発表されました。
 それによれば、占領終結直後の1952年7月23日と、1954年2月8日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官と、口頭でその密約を結んでいたのです。

「指揮権密約」の成立
 次ページに載せたのは、その一度目の口頭密約を結んだマーク・クラーク大将が、本国の統合参謀本部へ送った機密報告書です。
前置きはいっさいなしで、いきなり本題の報告に入っています。
 「私は7月23日の夕方、吉田氏、岡崎氏〔外務大臣〕、マーフィー駐日大使と自宅で夕食をともにしたあと、会談をした」  まずこの報告書を読んで何より驚かされるのは、米軍の司令官が日本の首相や外務大臣を自宅に呼びつけて、そこで非常に重要な会談をしていたという点です。
占領はもう終わっているのに、ですよ。
 これこそまさに、独立後も軍事面での占領体制が継続していたことの証明といえるようなシーンです。
しかも、そこに顔を揃えたのは、日本側が首相と外務大臣、アメリカ側が米軍司令官と駐日大使。まるで日米合同委員会の「超ハイレベル・バージョン」とでもいうべき肩書きの人たちなのです。

 「私は、わが国の政府が有事〔=戦争や武力衝突〕の際の軍隊の投入にあたり、指揮権の関係について、日本政府とのあいだに明確な了解が不可欠であると考えている理由を、かなり詳しく説明した」
 つまり、この会談でクラークは、  「戦争になったら日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入って戦うことを、はっきり了承してほしい」  と吉田に申し入れているのです。
そのことは、次の吉田の答えを見ても明らかです。  
「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。
同氏は続けて、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィー〔駐日大使〕と私はその意見に同意した」

 戦争になったら、誰かが最高司令官になるのは当然だから、現状ではその人物が米軍司令官であることに異論はない。
そういう表現で、吉田は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認めたわけです。
こうして独立から3ヵ月後の1952年7月23日、口頭での「指揮権密約」が成立することになりました。

徹底的に隠された取り決め
 ここで記憶にとどめておいていただきたいのは、吉田もクラークもマーフィーも、この密約は、  「日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきである」  という意見で一致していたということです。
 結局その後も国民にはまったく知らされないまま、これまで60年以上経ってしまったわけですが、考えてみるとそれも当然です。
 外国軍への基地の提供については、同じく国家の独立を危うくするものではありますが、まだ弁解の余地がある。
基地を提供し駐留経費まで日本が支払ったとしても、それで国が守れるなら安いものじゃないか──。
要するに、それはお金の問題だといって、ごまかすことができるからです。

 しかし、軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」ですので、絶対に公表できない。
 そもそも日本はわずか5年前(1947年)にできた憲法9条で、「戦争」も「軍隊」もはっきりと放棄していたわけですから、米軍のもとで軍事行動を行うことなど、公に約束できるはずがないのです。
 ですから、1951年1月から始まった日本の独立へ向けての日米交渉のなかでも、この軍隊の指揮権の問題だけは、徹底的に闇のなかに隠されていきました。
 この「戦時に米軍司令官が日本軍を指揮する権利」というのは、アメリカ側が同年2月2日、最初に出してきた旧安保条約の草案にすでに条文として書かれていたもので、その後もずっと交渉のなかで要求し続けていたものでした。
 しかし、日本国民の目にみえるかたちで正式に条文化することはついにできず、結局独立後にこうして密約を結ぶことになったのです。

 その後アメリカは、占領中の日本につくらせた「警察予備隊」を、この指揮権密約にもとづいて三ヵ月後、「保安隊」に格上げさせ(1952年10月15日)、さらにその2年後には2度目の口頭密約(1954年2月8日:吉田首相とジョン・ハル大将による)を結び、それにもとづいて「保安隊」を「自衛隊」に格上げさせ(同年7月1日)、日本の再軍備を着々と進めていきました。
 それほど重大な指揮権密約ではありましたが、古関氏が雑誌に発表したときは、とくに反響らしい反響もなく、ただ編集部に、  「そんな誰でも知っていることを記事に書いて、どうするんだ」  などという嫌みったらしいハガキが、一枚来ただけだったそうです。
 その2年前(1979年)にやはり公文書が発掘された「天皇メッセージ」(昭和天皇が1947年9月、側近を通してGHQに対し、沖縄の長期占領を希望することなどを伝えた口頭でのメッセージ)のときもそうだったようですが、問題が大きければ大きいほど、スルーされる。
あまりにも大きな問題に対しては、そういうシニカルな態度で「なんでもないことだ」と受け流すしか、精神の安定を保つ方法がないということなのでしょうか。

 しかしすでに述べたとおり、この密約を結んだ日米両国の要人たちは、それが日本の主権を侵害する、いかに重大な取り決めであるかをよくわかっていたわけです。
 事実私も、戦後の日米関係のなかで最も闇の奥に隠された、この「指揮権密約」の歴史をたどることで、それまでわからなかった日米間の法的な関係の全体像を理解することが、ようやくできるようになったのです。

 さらに連載記事<なぜ日本はこれほど歪んだのか…ヤバすぎる「9つのオキテ」が招いた「日本の悲劇」>では、日本を縛る「日米の密約」の正体について、詳しく解説します。 矢部 宏治
posted by 小だぬき at 11:07 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

70歳からこれをやめたら一気に老け込む…医師・和田秀樹「体と頭を使い続けるために必要な活動の種類」

70歳からこれをやめたら一気に老け込む…医師・和田秀樹「体と頭を使い続けるために必要な活動の種類」
精神科医 和田 秀樹
2023年11月16日 PRESIDENT Online

中高年になっても若々しさを保つにはどうすればいいか。
医師の和田秀樹さんは「70歳から一気に老化するか、はつらつとしたままでいられるかは、体と頭を使い続けることが重要になる。
その意味で意外に重要な鍵となるのが自動車の運転だ。
筑波大学の調査だと、免許を返納すると5年後に要介護になる確率が2.2倍ぐらいになるという。
絶対に免許を返納してはいけない」という――。
※本稿は、和田秀樹『和田秀樹の老い方上手』(ワック)の一部を再編集したものです。

■正常値まで下げる「引き算医療」より「足し算医療」を
いまのご時世、60代ではまだまだ現役で働いている方は多いし、ルックスも頭も若々しい方がたくさんいらっしゃいます。
ところが、元気に60代を過ごしてきたとしても、70代になると、さすがに体のあちこちに異常を感じるようになる。
そこで検査を受けてみると、血圧が高い、血糖値が高い、コレステロール値が高いなどと医者に言われ、あれやこれやの薬が出されて、それらの高い数値を「正常値」まで下げる、いわば“引き算”の治療をされることになります。

私は、それにはいささか異論があって、1年ほど前に出した『70歳から一気に老化する人 しない人』(プレジデント社)という本の中で、「年をとったら引き算医療をやめて、足し算医療にしよう」という提案をしました。
どういうことかというと、塩分の取りすぎはだめだとか、糖質のとり過ぎはよくないとか、血糖値が高ければ下げましょう、血圧が高ければ下げましょう、コレステロールが高ければ下げましょうと言われます。
私はこれを「引き算の治療」と呼んでいるわけです。

高齢者の医療をずっとやってきた私の経験から言わせてもらうと、血圧や血糖値がやや高めのほうが元気だし、コレステロールは高めの人のほうがむしろ長生きしている。
そのほうが癌にもなりにくいというのが、ある種の疫学調査みたいなことでもうわかっているわけですね。
それはなぜかといえば、年をとればとるほど、「あり余っている」害より「足りない」害のほうが大きくなるからです。
つまり、血圧を下げすぎると(足りなくすると)頭がふらふらする。そうすると転んで骨折して、そのまま寝たきりになる恐れもある。
血糖値とか、ナトリウム(塩分)を下げすぎて(足りなくして)しまうと、意識障害を起こして頭が朦朧(もうろう)としてくる。
つまり「足りなくなった」ための害が高齢者の交通事故の大きな原因になっていると思うのです。

■老け込むか、溌剌としているか。70歳が運命の分かれ道
高齢者の交通事故の場合、動体視力が落ちているから、飛び出してくる子供が避けられなかったとかいう話だったらわかるけれど、報じられている事故のほとんどはいわゆる暴走とか逆走です。
ということは、意識が朦朧としていたのが事故の原因ではないかと考えられる。
たとえば低血糖の状態を起こすと、ボケたようになって失禁したりすることがわかっています。
そのように、意識障害を引き起こすのは、何かを下げたり、何かが足りなくなった場合であることが多い。

年をとるといろいろなものが足りなくなってくるんです。
ずっと頭痛がするという患者さんがいたので血液を調べてみたら、思ったとおり亜鉛が足りなかった。
それで亜鉛を摂取するようにしたら、頭痛はすっかり治ったこともありました。
男性の場合、年をとればとるほど足りなくなってくる最たるものが男性ホルモンです。
男性ホルモンが足りないと、まず性欲だけでなく意欲そのものが落ちる。
それから人付き合いがおっくうになる。
同じだけ肉を食べて同じだけ運動していても、筋肉が落ちてくるので足腰が弱る。
だから男性ホルモンを足してやると頭も冴えてくるし、意欲も出てきて筋肉もついてくるから、要介護になるリスクが減るわけです。
年をとったら、検査データが異常に高くて「余っている」からって無理に薬で下げるなんてバカなことはしないで、たとえば食べ物の品数を増やすとかして、逆に足りないものを足していくほうが老化は防げるということです。
そういう足し算医療をするかしないかで、70歳から一気に老化するか、はつらつとしたままでいるかが決まる。

■70歳からの自動車の運転は重要な鍵に
同じ70代でも、すっかり老け込んだおじいちゃんおばあちゃんにしか見えない人と、若々しさを感じさせる人に分かれてしまうんです。
たとえば女優の吉永小百合さんは、もう70代後半のはずですが、とても若く見えますよね。
だから70代という年代はとても大事で、この時にもっともっと体や頭を使い続けると若々しくいられるし、そうでないとどんどん老け込んでしまう。
そういう意味で、70歳になったからといって、たとえばずっと続けてきた体を動かす趣味とかをやめたりせずに、ずっとやり続けていくことが、足し算医療とともに、重要になってくる。
というのは、体も頭も若くとも、やはり70代になると意欲や好奇心が衰える人が多いからです。
だから、50代、60代の時に、趣味でも何でもいいんですが、70歳以降はこういうことをしようって決めておくといいんです。
その意味で言うと、先ほど自動車事故について触れましたが、実は自動車の運転というのが意外に重要な鍵になります。
東京のような大都会では公共交通が発達しているから、クルマは別になければないですむし、もともと運転していない人も多いけれど、地方では、いったん免許を返納してしまうと外に出る回数が激減する人や、めったに外出しなくなる人がすごく増えてしまいます。
それに、東京の人はあまりイメージが湧かないかもしれませんが、地方に行くと、高齢者も含めて地元の人が運転していく場所というのは、だいたいイオンモールのような大きなショッピングセンターなんですね。
大きいショッピングセンターに着くと、広い駐車場から入り口まで歩かなければならないし、店の中を歩き回るので、けっこう運動になるんですよ。
そういう意味で実はクルマを運転するということは高齢者にとって非常に大切で、筑波大学の調査だと、免許を返納すると5年後に要介護になる確率が2.2倍ぐらいになってしまう。
もっと過激なものでは8倍になるというデータさえあるんですね。
だから免許を返納したら最後、要介護にまっしぐらというわけです。

マスコミは長きにわたってコロナ自粛を叫び続けていましたが、それも多くの高齢者を家に閉じ込める結果になりました。
にもかかわらず、そのせいで要介護高齢者がものすごく増えてしまったことに対する責任なんて、新聞もテレビもいっさいとろうとしない。

■年寄りの暴走事故はそんなに多くない
私がいちばん気になったのは飯塚幸三さんという元通産省技官の偉い研究者が、2019年4月に池袋で起こした衝突事故です。 母子2人が亡くなったのに逮捕されなかったのは「上級国民」だからだとか、ずいぶん非難されました。
だけど飯塚さんは当時88歳で、本人もケガをしている。
そんな高齢者は普通、逮捕しないのが日本の司法ですから、それほど特別扱いされたとは思えませんが、仮にひいきされていたとしても、彼は別にふだんから暴走族みたいな危険運転をしていたわけではありません。
本人も奥さんも怪我をしているわけですから、まあ、不注意というか、ブレーキとアクセルを踏み間違えたのでしょう。

だけど、彼が事故を起こしたことについて多くの人が「年寄りのくせに運転したからだ」みたいな言い方をするのはちょっと違うと思う。
実は年寄りの暴走事故というのはそんなに多くないんです。
なぜ年寄りが運転すると危ないかといえば、動体視力が落ちてきて、子供が飛び出してきても気づくのが遅れるとか、いわゆる運転技術が衰えてくると考えられるからです。
にもかかわらず、マスコミが盛んに取り上げるのは、年寄りが暴走したり逆走したりする事故ばかり。
なぜならそれはめったにない珍しい例だからです。
しかも死亡事故となるとさらに少ない。

「上級国民」である飯塚氏の事故がことさら大きく取り上げられたから、高齢者の自動車事故の代表みたいな話になったというだけのことです。
ニュースを見たり聞いたりするときに必ず考えなくちゃいけないのは、それが珍しいからニュースになるということです。

■わけのわからない運転をした要因に目を向ける
犬が人間を嚙んでもニュースにならないが、人間が犬を嚙むとニュースになるというのがニュースリテラシーなんです。
高齢者の暴走事故そのものもめったにないし、それによって人が死ぬ事故なんてもっと珍しいわけですね。
ふだん普通に運転している人が突然、暴走するというのは、我々老年精神医学に携わっている人間から言わせると、実は意識障害を起こしていた可能性が高い。
つまり意識が朦朧としているのに体は起きている状態だから、わけのわからない運転をしてしまうということです。
その時たまたまアクセルを踏んでしまうと暴走になるし、方向感覚がわからなくなると逆走になる。それだけのことです。
昔のマニュアル車と違って、いまはほとんどのクルマがオートマチックだから、そういう状態でも運転できちゃうんですよ。

その意識障害の原因なんですが、年をとってくると、たとえば血糖値のコントロールがうまくいかなくなって、ちょっと強めの糖尿病の薬を飲んでいると、血糖値が下がりすぎて意識障害を起こす。
あるいは昨日眠れなかったので睡眠薬を飲んだために頭がボンヤリする。それから、塩分を控えすぎて低ナトリウム血症を起こし、意識が朦朧とするケースもあります。

■「要介護にまっしぐら」高齢者の免許返納は絶対ダメ
やはりお年寄りにあまり薬を飲ませすぎるのは危険だというような話にならないと、事故の再発は防げないでしょう。
若者の暴走族のような意図的な暴走による事故なら、厳罰化すれば防げるかもしれませんが、意識が朦朧として事故を起こすのであれば、まずそういう状態にさせないことです。
高齢者に薬を飲ませすぎないということも含め、根本的な対応が必要になります。
ところがテレビ局はスポンサーである製薬会社に忖度(そんたく)して、そんなことは言ってくれません。

いずれにしても、高齢者が事故を起こすとすぐにほかの高齢者まで免許返納という話になりますが、免許を返してしまったら、あとは要介護にまっしぐらです。
運転はできる限り現役で続けてください。
少なくとも地方に住んでいる方は絶対に早まって免許を返してはいけません。

本稿では老け込む人、若い人の分岐点について述べましたが、本書にはこのほか健康、医者や病院との付き合い、老いを楽しむなど、面白くてためになる全32編が掲載されています。是非ご一読ください。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする