2023年11月20日

誠と忠義に生きた新選組 結成160年、京都でゆかりの寺院巡る

誠と忠義に生きた新選組 結成160年、京都でゆかりの寺院巡る
11/19(日) 毎日新聞

 幕末の動乱期、藩主が京都守護職だった会津藩の預かりとなって、京都の治安維持に当たった新選組。
1863年の結成以降、尊攘(そんじょう)派を襲撃した池田屋事件などで名を上げた。
「誠」と「忠義」に生きた男たちは、どんな景色を見たのだろうか。
京都市内にある、ゆかりの寺院を巡った。【塩路佳子】

 新選組の屯所だった「壬生」から、会津藩の訓練場があった「聖護院」、京都守護職の本陣が置かれた「黒谷」へ向かった。
この3地域にある壬生寺、聖護院門跡、金戒光明寺は2021年に「京都守護職 新選組巡礼会」を設立。
新選組の結成160年となる23年は、11月21日から隊士が着たとされる「だんだら羽織」を連想させる特別なご朱印台紙を用意して幕末ファンを迎える。

 阪急大宮駅から西南へ歩を進めると、新選組が訓練場として使った壬生寺に着く。
境内の壬生塚には近藤勇の胸像や髪を祭る遺髪塔があり、初代局長の芹沢鴨や池田屋事件で命を落とした隊士の墓が並ぶ。
7月には土方歳三の胸像が完成した。
土方と言えば洋装の肖像が有名だが、像は和装で、男前の総髪姿だ。
「壬生にいた頃の姿を思い描いてほしい」と松浦俊成・録事(25)は話す。

 新選組は毎月6日間(4と9の付く日)、剣術などの訓練に励んだとされる。
馬での乗り入れや大砲の使用は禁止されていたが、大砲の衝撃で本堂の瓦が落ち、障子も破れるなど守られていなかった実態も浮かぶ。
寺側が訓練の改善を御所に訴えた嘆願書が残っている。
沖田総司が境内で子どもと遊んだり、隊士が池のスッポンを力士に振る舞ったりした逸話も伝わる。

 聖護院門跡までは市バスで約30分、祇園を抜けてバス停「熊野神社前」で降りた。
草分俊顕・庶務主事(39)は「寺の北西に位置する鴨川沿いに会津藩の訓練場があった」と話す。
広さは約12万平方メートル。
かつての寺領に当たり、寺には「会津藩に練兵場の敷地として渡した」とする書面が1枚残っている。
 会津藩主・松平容保(かたもり)は当初、京都守護職の就任を固辞したが「徳川家への忠誠」から拝命。
1862年12月、1000人の藩士を率いて入京した。
練兵場では、洋式兵法の訓練が行われていたとされる。
長州藩と砲火を交えた「禁門の変」では、京の町が大火に包まれたことが知られる。

 聖護院門跡から東へ徒歩約10分。金戒光明寺を訪ねると、なぜここに京都守護職の本陣が置かれたかがわかる。
小高い地形は自然の「要塞(ようさい)」のようで、町を一望できる巨大な山門がそびえていた。
御所にも近く、当時は1000人が泊まれる大小あまたの宿坊があったというから驚きだ。

 新選組隊士も目にした山門を抜け、橋本周現・執事長(67)に大方丈(1934年に焼失、36年再建)を案内してもらった。容保が近藤や芹沢らと会った「謁見の間」は、いわば新選組発祥の地。
上覧試合をした前庭も再現され、歴史の中に身を投じた感覚になる。
 境内には会津藩の殉職者墓地があり、容保の石像が立つ。

橋本執事長は、新政府軍から「賊軍」の汚名を着せられた会津藩の運命に心を寄せ「最後まで武士道を貫いたのは立派だった」とたたえた。
容保は晩年、徳川家康を祭る日光東照宮の宮司になっている。
 新選組が活動したのは実質5年ほど。
にもかかわらず、今なお人々を引きつける理由は何なのか。
巡礼会の広報担当、古賀文子さん(44)は「若い人たちが私利私欲の為でなく、国の未来を思って立ち上がり、潔く散っていった。その崇高さに引かれる」と熱っぽく語っていた。  

◇京都守護職 新選組巡礼会
 壬生寺(075・841・3381)▽聖護院門跡(075・771・1880)▽金戒光明寺(075・771・2204)――の3カ寺を中心に結成。特別ご朱印の台紙は各寺で受け取れ、ご朱印代込み1500円。
1863枚限定。
A5サイズのクリアファイルが付く
。詳細は巡礼会のホームページhttps://www.kyotoshugoshoku-shinsengumi.com/で。
posted by 小だぬき at 14:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【精神科医・和田秀樹の「口グセ」にしたい言葉】「そんなはずはないだろう!」

【精神科医・和田秀樹の「口グセ」にしたい言葉】「そんなはずはないだろう!」
11/18(土) サライ

精神科医の和田秀樹さん(63歳)が高齢者の新たな可能性について綴った『シン・老人力』。
読めば勇気と元気がわくと話題の同書から、高齢者がいつまでも若々しく自分らしく生きるために、「口グセ」にしてほしい言葉について、和田さんが紹介します。

文/和田秀樹
扇動的な情報には迎合しない
「頑固ジジイ」という悪口があるように、歳をとると頑固になってきます。
前頭葉が老化してくるため、変化に対応できなくなるからです。
その一方で、テレビが発信する扇動的な情報や、自分が信奉している人の発言をうのみにしてしまう傾向が強くなってきます。
これは「曖昧さに耐える能力」が低下してきて、明快に決めつけられたほうが安心するからです。
やはりこれも前頭葉の老化が背景にあり、ものごとを複雑に捉える力が弱まっているゆえの変化です。
そのため、テレビのコメンテーターたちが断定的に正しそうなことや立派なことを言うと、ものすごく素直に「そうだったのか」と納得してしまうのです。

水戸黄門が印籠(いんろう)を出すと解決するような、単純な「勧善懲悪ドラマ」を好むようになるのはご愛敬ですが、占い師に頼って財産の管理まで任せてしまうようなケースも起こります。
思考の老化を防げる コメンテーターなどの歯切れのいい物言いに、すぐに「そうだったのか」と納得してしまうのは思考が老化している証拠です。

ヘンだと思うことには「そんなはずはないだろう!」とツッコミを入れ、自分なりに考える習慣をもつべきです。
思考の老化を防ぐ効果的なトレーニングにもなります。
何にでもケチをつけろという意味ではありません。
テレビの情報番組にありがちな決めつけを、漫才のボケのセリフとして捉えて、 「それは言い過ぎだろう」 「例外があるはずだ」 などとツッコミを入れるわけです。

疑問を抱くだけでも十分ですが、「こうかもしれない」「あんなふうにも考えられる」と考えられるようになれば、さらに思考の老化を防ぐことができます。
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『シン・老人力』(和田秀樹 著)小学館
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする