待合室を見るだけでわかる…医師・和田秀樹「高齢者が絶対に罹ってはいけない」医者を見抜く方法
2023年12月17日 PRESIDENT Online
いい医者を見極めるにはどうすればいいか。
医師の和田秀樹さんは「医者選びには相性が重要だが、それ以前に誰にでも感じの悪い医者というのもいる。待合室がドンヨリとして暗い医院は要注意だ。
逆に待合室が賑わっていて明るいのは、真摯に患者さんと向き合う『いい医者』がいる証拠である」という――。
※本稿は、和田秀樹『病気の壁』(興陽館)の一部を再編集したものです。
■どんな医者とめぐり合うかによって運命は大きく変わる
病気は原則としてさまざまな要因が絡み合って発症します。
たとえばがんは遺伝的な要因もあれば、食生活のみだれやアルコールの飲みすぎなど生活のみだれも関係しているとされています。
さらに不幸な出来事や忙しさ、人間関係のトラブルなどからくるストレスによって起こる免疫の低下のために、身体のなかでできた出来損ないの細胞を掃除しきれず、がん細胞になってしまうこともあります。
遺伝的な要因は同じ親から生まれても個人差があるし、どんな出来事によって免疫が落ちるかわかりません。
つまり病気になるかならないかは「運」に左右されるといえるのです。
とはいえ、病気になった時点で運に見放されたと落胆するのはまだ早いといえるでしょう。
その先に待っている出会いの運に恵まれれば、人生のピンチから逃れることのできる可能性がグンと高まるのですから。
勘のいいかたならおわかりだと思いますが、どんな医者とめぐり合うかによって運命は大きく変わってきます。
では、どんな医者と出会うことが良縁なのかといったらわたしの考えでは、元気にしてくれる医者です。
あたりまえじゃないかと思う人がいるかもしれませんが、名医といわれる人が担当医になったからといって、縁に恵まれたとは限らないというのがわたしの意見です。
■「自分は偉い存在なのだ」と勘違いしている医者も多い
医者選びにおける大切なことの一つに相性があると思います。
相性によって、誰かにとっては名医でも、自分にとっては精神衛生上悪い医者だということがあるのです。
たとえばわたしは血圧の数値が高くなって、いくらなんでもこれはマズイということで紹介された病院で、医師からいきなり説教をされてカチンときてしまいました。
「叱られにきたのではない」「なんだこの偉そうな態度は」などといら立ちを覚え、その医者のいうことを素直に聞く気になれなかったのです。
医者に会うと血圧が上がるなんて馬鹿なことがあってはいけません。
その医者に会うと、なんだかホッとする、そればかりか元気をもらえると思えるような医者とめぐり合えたらラッキーです。 相性以前に誰にでも感じの悪い医者というのもいます。
医者であるところのわたしがいうのもヘンですが、たいていの医者は小さいころから成績優秀で周囲の人たちから一目おかれているうえに、若いころから「先生」と呼ばれることも相まって「自分は偉い存在なのだ」と勘違いしていることが少なくないのです。
待合室がドンヨリとして暗い医院は要注意。
逆に待合室が賑わっていて明るいのは、真摯(しんし)に患者さんと向き合う「いい医者」がいる証拠だというのがわたしの持論です。
医者によって患者さんが元気になるから待合室も賑わうのです。
逆に元気のない患者さんばかりだと、薬の出しすぎなどの問題があるかもしれません。
■年よりの医者が信頼できる理由
加齢によってさまざまな不調が出やすい高齢者は、何かあったときに気軽に相談できるかかりつけ医(主治医)を決めておくとよいでしょう。
風邪だと思っていたら、検査の結果、深刻な病の可能性があると判明したといった場合も、専門医を紹介してくれたり、大学病院への紹介状を書いてくれるなど、速やかに治療を始めるための橋渡しをしてくれるはずです。
働き盛りの40代、50代の医者が望ましいと考えてしまいがちですが、そうとも限りません。
同年代だからわかってもらえる不調があると思います。
それに、昔の医者は聴診器を胸に当てながら、その人の顔をよく見て、傾聴を通して「こういう可能性がある」と目星をつけていました。
この、経験から培われた「勘」が侮れないのです。
一方、今は数値至上主義で、パソコンの画面しか見ていない医者が増え、患者さんが不調を訴えても、数値が正常なら「問題ありません」などと告げられてしまうことが多くなりました。
でも問題がなかったら病院へはいきません。
数値的に問題がなくても具合が悪いものは具合が悪いのだから、そこに寄り添ってくれる医者を選ぶべきだと思います。
■大学病院の多い都道府県ほど平均寿命が短い
総合診療(当時は内科診断学と呼ばれました)のトレーニングを受けた世代の町医者と、受けていない世代の開業医がいるということも念頭においておく必要があるでしょう。
総合診療のトレーニングというのは、自分の専門分野だけでなく、患者さんの身体を総合的に診るための教育のことです。
周知のとおり、大学病院には「内科」という科はなく、「呼吸器内科」「消化器内科」「循環器内科」などにわかれています。
こうして細分化することによって、高度医療を提供しているのです。
医学部の医者たちは、それぞれが専門の臓器に特化して学び、研究を通して専門性を高めているのです。
1970年代に各大学で開始された「臓器別診療」による専門性の高い医療のおかげで多くの難病患者さんたちが命を救われてきたのですが、多くの病気を抱える高齢者には不適切な治療である可能性が高いとわたしは考えています。
高齢化が進んだ現在では、大学病院の多い都道府県ほど平均寿命が短い傾向があるのです。
さて、大学病院で専門医として働いていた医者も、通常は、地域で開業する場合、どんな病状の人でもある程度、診ることのできるスキルが求められます。
ところが現在、63歳であるわたしが医者になる以前から医学の専門分化が進み、現在50代より若い医者はほとんど総合診療の教育を受けていないまま開業するのが現実です。
■頭のかたいヘボ医者にはご用心
欧米には「ファミリープラクティス」といって、乳児からお年寄りまで家族全員の健康相談、病気の発見、診断、治療など総合的なケアを学ぶための機関があります。
イギリスでは医師全体の約半数が総合診療医だとされています。
日本には総合診療医の教育をする機関がほとんどありません。
近年になって注目され始めたというのが現状ですが、教える人がいないうえ、スタッフの数が多くないのでうまく機能していないのは事実です。
こうしたことから40代、50代の町医者の多くが、開業する直前まで大学病院や大病院で呼吸器とか消化器といった特定の臓器の専門医として治療にあたっていたと思われます。
それなのに開業するにあたって「内科クリニック」という看板を掲げて、「老人歓迎」「訪問診療もやります」などと掲げるわけです。
といっても、わたしはそういう医者のすべてがヘボだといっているわけではありません。
開業医になった当初は自分の専門分野以外の知識に乏しくても、さまざまな症状の患者さんと向き合うなかで総合診療のプロフェッショナルになっていく人もいます。
問題は頭のかたい医者。
狭い知識だけでわかったようなことをいうヘボ医者は素早く見抜いて回避しなくては、命を縮めることになりかねません。 ----------
和田 秀樹(わだ・ひでき) 精神科医