2024年01月05日

迷惑客にならないために。“クレーム対応”のプロが明かす「正当な意見」と「カスハラ」の境界線

迷惑客にならないために。“クレーム対応”のプロが明かす「正当な意見」と「カスハラ」の境界線
2024年01月05日 SPA!

SNSの普及により、十数年前よりも「迷惑客」や「クレーマー」の存在を目にする機会が増えた。
「カスタマーハラスメント」と呼ばれる、店舗や企業に対する理不尽な要求・クレームも頻繁に話題に上がる。
そこで今回は店舗や企業などに常駐スタッフを派遣し、“クレーム対応”を行っている株式会社エス・ピー・ネットワークの森田久雄氏に思わず耳を疑った事例や、カスタマーハラスメントの実情を聞いた。
 消費者の立場としては、受けたサービスに対してなんらかの不満がある際に、一言いいたくなる気持ちもわからなくはない。
自分自身が「迷惑客」や「クレーマー」にならないためには……?

◆クレーム対応によって通常業務に支障が出る場合も
 株式会社エス・ピー・ネットワークは、いわば業務上の“火消し担当”として、企業の危機管理を総合的に支援する。
 24時間電話でリアルタイムに相談に乗ったり、現場に常駐スタッフを派遣し、クレーム対応を行ったりしているという。
常駐型のサービスを利用している企業は、飲食店や小売店から車のディーラーまで幅広い。

 常駐までする必要があるのか……と思ってしまうが、あまりにもクレーム対応の多い店舗では責任者や店長がクレーム対応により延々と拘束されてしまい、通常の業務に支障をきたすことも少なくないためだ。
 研修やマニュアル作成だけでは不慣れなクレーム対応がうまくできなかったり、メンタルをやられてしまう従業員も。店舗にとって大きなロスになるため、入り込んで対応に当たるというのだ。
例えるならば、110番や119番で駆け付ける警察官や救急隊の「クレーム・カスタマーハラスメント版」という感じだ。

◆「ご意見」と「カスタマーハラスメント」の違いは“不当な要求”かどうか
 気になるのは「正当な意見・クレーム」と「迷惑行為・カスタマーハラスメント」の定義。
どちらも紙一重で区別しがたいが、エス・ピー・ネットワークでは「クレーム」と「不当要求」に分けて考えているという。 「なにかしら企業が不手際やミスをしてしまった場合、お客様が怒るのは当然です。
本来得られるサービスを受けたいと申し出たり、受けた損害の原状回復をしてほしいと要求したりすることを、私たちは正当な『クレーム』と呼んでいます。
 しかし、正当なサービスの提供や原状回復の対応をしたにもかかわらず、“それ以上”を求めてくるのは『不当要求』と捉えています」(森田氏、以下同)

 クレーム/不当要求のどちらであっても大声を出す・暴言を吐く・暴れるなどして無理やり通そうとするのは「カスタマーハラスメント」になるのだとか。

◆客側から“原状回復”以上の誠意を要求するのはNG!
 とはいえ、ファストフード店などのテイクアウトで、注文した商品が入っていなかったなどの経験は誰でも一度はあるはず。
 ミスに対して企業が補填するのが「原状回復」だとしても、それによって時間を無駄にしてしまったり、クレームを言うために電車賃をかけて再来店しているわけだから「迷惑をかけたぶんの誠意を見せてほしい」「せめて交通費分くらい出してくれないのか」と思って当然だが……。
「現場からは線引きが難しいとよく言われますが、企業側が自ら誠意としてやるのはまったく問題がありません。
ですが、その誠意を客側から要求するのは不当要求です。

『料金を払った人が標準のサービス・商品を受け取る』というのが対等な関係であり、それ以上を客側が求めるのは違います」 「時間が無駄になった」というのは実際の損害には含まれず、『余計な電車賃がかかった』というのも自らの意思で行っている。それを「わざわざ来たんだから金払え」と口にすれば不当要求になってしまうのだ。

◆不当な要求をする人に「40代以降の男性」が多い理由
 これまで数多くの不当要求・カスタマーハラスメントを見てきたエス・ピー・ネットワークだが、傾向としては「40〜60代の男性」からのものが多いというデータがあるのだとか。
「まずは昭和の経済成長を支えてきた世代による、今の時代との価値観のギャップがあるのではないでしょうか。
昔は店舗側が“過剰なサービス”を良しとしてきたので、近年の普通の対応がそっけなく見えてしまうこともあります。
ここ数年では、むしろフレンドリーな接客をする店も増えてきていますが、『教育がなっていない!』と感じる方も多いようです。
 また、40代以上になると自由に使えるお金が増えてきて、高価な商品を購入したりサービスを受けたりする機会が増えてきます。
そこに慣れてしまうことで期待値があがり、日常の些細な不満がクレームにつながりやすくなる。

 あとは、会社内では管理職などの立場になってくる方も多い年代ですが、自分の仕事のストレス発散の手段にしてしまうこともあるようです」
 ここ数年では、40〜60代男性のみならず、SNSの普及により誰でもスマホでリアルタイムにクレームを発信できるようになった。
他人の発信を見て「自分も」と書き込む人は増えたそうだ。
さらにSNSで発信をするようになり、リアルでも気軽にクレームを言うようになった人も多いという。

◆「もらった薬を飲んだら体調が悪くなった」と10万円要求
 実際に森田氏が相談を受けた「不当要求」について聞いてみると……。
「ふだんは仕事でクレーム対応をしている人が『自分はいつもこれだけの神対応をしているから』と、不当な要求を求めてきたケースがありました。
 コロナ禍のコンビニでは、お客様の横を通る際に『いらっしゃいませ』と言ったら、『コロナがうつる』と激怒されたり、『売り場に(特定の)商品がないのは私が来るとわかっていたから、わざと全て売り切れにしたんだろう』とカウンターの備品を壊されたりしたそうです。
 ただ、これはまだ可愛いほうで、フィルムカメラの写真を現像していた頃、お渡しした写真に対して『もっと空は青かった』『フィルムが無駄になったから、新しいフィルムをよこせ』と言ってきた方もいました。
どんなにこれ以上は対応できないとお伝えしても諦めず、最終的にはフィルムメーカーに『自宅まで22時に謝りに来い』と言ってきて……。
 ほかにもひどいものでは『母親が病院でもらった薬を飲んだら体調が悪くなった』と息子さんが怒鳴り込んできて、あまりの大騒ぎっぷりにその病院が10万円を手渡してしまったケースがあります。
味を占めた息子さんは、たびたび調剤薬局を訪れ、『病院では10万包んだぞ、お前らも払わねえのか』と脅してきたそうです。
 これは言うまでもなく不当要求ですよね。
体調が悪くなった原因が薬かどうかもわかりませんから、まずは病院が母親を再度診察するなどの事実確認をする必要があります」
 結局、これは刑事事件となり、警察の調査が入ったところ、その息子はあちこちの病院で言いがかりをつけ、金品をせしめていたことがわかったという。

◆自分が迷惑客にならないために…
 前述の例は極端だが、無意識のうちに自分も「不当要求」をして迷惑客になってしまわないためには、何に気を付ければいいのだろうか。
「まずは自分が被った損害について『この店でこれを買った結果こうなっていた』と証明できるものを用意しましょう。
その損害について、レシートなどを提示して原状回復してほしいと“冷静に”話すよう心掛けてください。
企業側ではなく自分に問題がある可能性もあるので。

 ポイントとしては疑問形で聞くことです。
たとえば、『買ったばかりなのに壊れてしまったのですが、何が問題だったのでしょうか?』といった要領で、『要求』は出さないこと。
『こうしてほしかったのに残念です』という表現で『要望』は伝えられるので、あとはそれを受けるかどうかは企業の判断です」

 クレーマーやカスタマーハラスメントが取り沙汰される中、森田氏は「企業側がその存在を作り出してしまっている背景もある」と指摘する。
「店舗などでクレームが入った際、“言い訳”から入る人がいます。
『お待たせして申し訳ございません』とか『ご迷惑おかけして申し訳ございません』といった言葉だけで構わないのに、『人手不足で〜』などの余計な言い訳から入ってしまうと、客からするとそんな内情は関係ない話なのでイライラするわけです。

 不当要求に対して、過剰な対応をしないことです。
ちょっとしたクレームに過剰な贈り物をすれば、味を占めて何度もそういった要求をしてくる『クレーマー』を生み出してしまう
基本的に対応できない要求には最初から『できません』ときっぱり断ることが大切なんです」
「お客様は神様」という言葉の意味は、決して「お金を払っている客は何をしたっていい」わけではない……のは有名な話だが、あくまで店と客は対等な関係であることを改めて意識するべきだろう。

            <取材・文/松本果歩>
posted by 小だぬき at 11:05 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

現代人が時間に追われないようにするための5つのヒント。

現代人が時間に追われないようにするための5つのヒント。
2024.1.3 3949 views

永遠に走り続けなくてはならないアリスのウサギのように、私たちは毎日、時間に追われて生きている。
それとも追われているのは自分自身に、なのだろうか?
柔軟にテキパキといつでも対応できることをよしとするのが現代社会で支配的な価値観だが、それは同時に私たちの精神的負担を増やしている。

 哲学者のエティエンヌ・クランは両手首に腕時計をはめている。
スイスへ講演に向かう前、駅を待ち合わせ場所に指定してきた。
それも時計の真下で。
時間の専門家である彼の周りには、時間があふれている。本人を圧迫するほどに?

「時間とは、私たちがいまを生きることを妨げるものだ」と哲学者は言う。
時間に対するこのような厳しいものの見方はいまの時代ならでこそ。
現代人の日々が、絶え間ない時間との競争で、切迫感に彩られていることをずばり言い表している。

今日、私たちの時間に対する態度が前向きであることは滅多にない。
時間が足りない、もっと時間があったなら、時間が過ぎるのが早すぎる......やらなくてはならないTo
Doリストは長くなるばかり、すぐにやらなければならないことが山積している。
仕事も思考も細切れに積み重なる。
だからいつでもたくさんのことを抱えているような気分で常に「追いかけられている」気分になる。

気を散らすことで負荷がかかる。
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場する白ウサギは、「お別れを言う暇がない、遅刻だ、遅刻だ」と叫ぶ。
私たちは白ウサギの言葉を聞き過ぎて、そのペースが普通だと思うようになってしまったのだろうか。
生活にデジタル技術が入りこんでから、哲学者が「複数の現在の重層構造」と呼ぶ状態が生じた。

哲学者はこれを次のように説明する。
「私はあなたと一緒にいるけれど、同時にほかのことをいろいろすることもでき、それらはあなたとの時間に寄生する」。
それはたとえばスマホの画面に表示された記事を読んだり、自分の研究所にメールを送ったり、今日泊まるホテルが駅から何m離れているかをグーグルマップで調べたりすることだったりする。
「このように気を散らすことはスケジュールに負荷がかかる主要要因であり、物事が遅延する原因になることが多い」そうだ。

スマホやパソコンがあればより多くのタスクを処理できるはずだが、実際にやるとなると、それなりに時間を食う。
それは手際がいいかどうかという問題ではない。
「日々受け取るデータの量は加速度的に増えていく」 「そして私たちの脳はそれに対応できない」と考えるジョナタン・キュリエルは、これをテーマに1冊の本『Vite! Les Nouvelles Tyrannies de l'immédiat ou l'urgence de ralentir(早く! 即時性と言う新しい暴君または速度を緩める緊急性)』(Plon出版)を2020年に書いた。

フランスのM6TV局の番組編成担当副社長であるジョナタンは、長年マスコミ業界で働いてきた。
しかしながらいまやこの業界もスピードが命となり、次から次へニュースを追いかけるような「まるでひきつけをおこしたかのように絶え間ない情報の流れ」となっていることに違和感を覚えている。

今日、人間は時間のスピードに追い越されてしまったのだろうか?
「それより、スピードはいまや社会のあらゆる分野に影響を及ぼしている」とジョナタンは言う。
政治から私生活、そしてもちろん仕事の世界でも、あらゆるものが加速している。
誰もがいっぱいいっぱいになっている。

「職場でどれだけそういう会話が交わされているかを見ればわかる。
"仕事漬けだ"、"ボロボロ"、"月末まで全力投球"等々、働き過ぎを表現する言葉がいくつもある」とジョナタンは嘆く。
これが標準になったのだろうか。
あるいはこれが社会的ステータスや優秀さの証なのだろうか。

やりがいから病みつきに
いずれにせよ、優秀な学生はすぐに、この「スーパーブースター」状態に病みつきになる。
「優秀な人の場合、仕事に埋もれる感覚はすごい効果がある。
このような状態が心底大好きで、すぐにフルタイム2人分ぐらいの仕事をこなすようになる」と、コーチング会社「ウーマン・インパクト」の創設者シーヌ・ランズマンは言う。
「仕事を素早くうまくこなしている時の、無限に働けそうな感覚、有能感ほど楽しいものはありません」とも言う。
それは自分が評価されるための一手段だったりする。

「評価なしには死んだも同然です。なので私たちは徐々に、自分の行動でどんな評価が得られるかに基づいて時間を使うようになるのです」
対応力が評価される経済社会では、通常の仕事に加え、急ぎの仕事やギリギリの仕事を積み重ねることが、評価を得る最も確実な方法とさえなっている。
育児と仕事の両立を目指す働き盛りの女性の多くは仕事をきちんとこなせているか悩み、こうした仕事の状態に陥りがちだ。 映画プロデューサーのポーリーヌもそのひとり。
「朝起きた段階からもう遅れています。
いろんなことを引き受けすぎて、前日の24時間では到底片付かない仕事量なのです」と言うと、少し前をこう振り返る。
「コロナ禍のロックダウンの時期が懐かしくなることがあります。
当時は緊迫した情勢でしたが、社会的な要求がなくなり、自分のプロジェクトにじっくり長期間取り組む時間がずっとあったからです。
そうしたことがわかっていても、何らかの要請があればまっさきに手を挙げてしまうのです」

時間を楽しむ。
哲学者のエティエンヌ・クランはこのような状態を「人生に酔っている状態。忙しいと生きている実感がするからだ」と説明する。
しかしながら予定を詰めこみ過ぎるとレッドゾーンに足を踏み入れることになる。
「すべてが順調な間は、効率的に働き、締め切りも守れる。
しかしこのような状態がずっと続き、ストレスを感じるようになると逆効果になる。
そして私たちはたいていそのことに気付かない」と哲学者は指摘する。

働きすぎでアドレナリンを出し切ってしまうと「物事をじっくり考える時間がなくなり、間違った決断をして壁にぶつかってしまうこともある」とシーヌ・ランズマンも言う。
最悪の事態を避け、時間を取り戻し、さらには一歩先んじる喜びを得るために、シーヌ・ランズマンはコーチングを受けにやってきた客に、付加価値のない仕事は断って別な人に任せることをアドバイスする。
やってみれば「とても簡単なこと」なのだそうだ。

しかし、それは本当に簡単なことなのだろうか?
遅刻をやめるには、まず遅刻を受け入れること、と哲学を大学で教える精神分析医のエレーヌ・ルイエは言う。
彼女が2020年に上梓した著書『Éloge du retard(遅刻礼賛)』(Albin Michel出版)では、パスカル的なパラドックスが説明されている。

「時間がないと思い、私たちはそのことを嘆くけれど、その実、私たちが一番恐れるのは時間が余ることなのです」
だから私たちは時間を楽しむ方法を学び直す必要がある。
メールの返信をすぐさま出さねばという気落ちに抗い、一呼吸おく。
退屈すること、予想外の展開を受け入れる余裕を持ち、読書する楽しみを取り戻すことがそのための道となる。

エレーヌ・ルイエは「瞑想の中にこそ、創造性と喜びが生まれるのです。時間の喪失を受け入れることが真の喜びの前提条件だとさえ言いたい」と語る。
電車の時間(ぎりぎりまで)取材を受けていたエティエンヌ・クランは、前向きな結論を出そうとした。
「時間が足りないと私たちがイライラする。それは私たちが幸福というものを信じ、それを無駄にしたくないからだ。
やりたいことが全部できたらどんなに幸せだろう、と誰もが思っている」のだ。

だからこの幻想を捨てること自体が、時間を取り戻すことにつながる。

自分にゆとりを与える5つのヒント
自分の範疇ではないことはすべて任せる。
分け方は4つ。
自分ができないこと、できること。できることはさらに、まあまあこなせることと、得意なことに分かれる。

理想は
できないことに費やす時間を0%、
まあまあこなせることに費やす時間を20〜30%、
得意なことに費やす時間をできるだけ多くすることだ。
そうすればあなたは非常にうまく、簡単かつ楽に仕事ができる。

仕事は早く片付ける方が良いというものではないことを理解しよう。
自分のスケジュールの中に、集中して仕事をするための時間を確保し、一つのテーマを徹底的に掘り下げる。
そんな時は電話を断ち、ドアを閉め、忙しいことをアピールする。
理想は3時間×2回、または週に1日。

緊急時や不測の事態のための時間を確保する。
例えば、年間スケジュールに1日1回昼食後に1時間、あるいは週に2回、2時間の時間を組み込む。
こうすることで、アングロサクソン系諸国で言うところの「魔法の時間」(存在しない時間)で処理しなくてはならないハメに陥らずに済む。
節約した時間を利用して、前倒しで行動することを学び直そう。

会議や約束の10分前に到着し、コーヒーを飲んだり一息ついたりしてから、ゆとりをもって臨むのだ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする