有事に向けた避難訓練は太平洋戦争の時の竹槍訓練と同じ、インフラ整備を隠れ蓑にした戦争準備の現実
3/24(日) JBpress
台湾有事はいつ起こるのか。台湾の隣国である日本に住む人のもっぱらの関心事である。
有事を口実にした自衛隊配備も着々と進んでいる。
しかし、ミサイル配備が進む島の実情を知る人は少ない。
例えば宮古島。ミサイルの弾薬が保管された弾薬庫は、住宅地からわずか数100メートルしか離れていない。
米軍基地、自衛隊の部隊配備はどうなっているのか、現地の人はどのように感じているのか。
『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』(集英社)を上梓した映画監督でジャーナリストの三上智恵氏に話を聞いた。
(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──2022年11月末に与那国島で島民避難訓練が、2023年1月には那覇市でミサイル避難訓練が行われました。
これらの訓練を、第二次世界大戦中、非戦闘員が行ったバケツリレーや竹槍訓練になぞらえて、「それこそが戦争を動かす原動力である」としています。
三上:
津波に備えて、どこに逃げるか訓練しておく必要があります。
これには、誰も反対しないでしょう。
けれども、太平洋戦争で、バケツリレーで火を消すことはできませんでしたし、米兵を竹槍で刺したという手柄話は一つも残っていません。
なので、バケツリレーや竹槍訓練にどのような意味があったのかを考える必要があるのです。
「空襲に備えて、バケツリレーの練習をしましょう」と国防婦人会が呼びかけた時に、バケツリレー訓練に参加しなかったらどうなるでしょう。「あの人は非国民だ」となる。
「バケツリレーなんかで空襲の火を消せるわけないじゃない」と言って村八分にされるよりも、とりあえず国防婦人会の呼びかけに応じておこうと考えた人もいたのではないでしょうか。
夫や息子を戦場に送り出した女性たちは、銃後の守りと言って戦争を支え、訓練を行い、戦争に油を注いでいた。
もちろん、当時の彼女たちには、そのような認識はなかったと思います。
バケツリレー訓練をやってしまったら、竹槍訓練の時にはもう何も言うことはできません。
「竹槍でチャーチルを刺せるわけがない」「落下傘で降りてきた米兵を竹槍で刺すなんて無理」。
そういう話が、もうできなくなってしまったのです。
そうなったのも、バケツリレー訓練の時に「とりあえずやっておこう」と思って参加してしまったからに他ならない。
現在の沖縄だけでなく全国で行われている、ミサイルを想定した避難訓練も同様です。
日本が戦争をするはずがない、と思っている日本人が、なぜ有事に備えた避難訓練に参加する必要があるのか。
今すべきことは「戦争を止めるため」の努力です。
戦争準備が進めば進むほど、戦争に加担しないことが難しくなっていきます。
戦争協力しなければ、スパイ呼ばわりされたり、非国民と呼ばれて地域で生きていけないようになる。
だからこそ、今、「住民避難訓練」が戦争協力の第一段階であることを認識する必要があるのです。
それに対して、自分たちがどのように行動すべきかを考えてみてほしい。
──2023年3月、2024年1月30日に、沖縄県は台湾有事などを想定し、先島諸島の住民や観光客、約12万人を避難させる想定の図上訓練を国や関係市町村と共同で開きました。
このような動きは、沖縄県ではどのように受け止められているのでしょうか。
■ 戦争協力に対する危機感が足りない沖縄
三上:
図上演習は県庁内で実施されるので、沖縄県内でも詳細を知っている人はわずかです。
ローカルニュースで取り上げられたりはしますが、映像的にはインパクトがないので、印象に残りにくいと思います。
図上演習のことを知っている沖縄県民は1割くらいではないでしょうか。
2004年に、武力攻撃等を受けた際に国民を保護することを目的に、「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(以下、国民保護法)が施行されました。
その流れを受けて「武力攻撃予測事態」と政府が判断した場合、沖縄県全体が要避難地域になります。
その中でも、島外避難区域となるのが先島諸島です。
沖縄本島の人口は120万人以上です。
それだけ多くの人を、どこか別の場所に移動させることは非現実的です。
そのため、有事の際には「屋内避難」が推奨されますが、ミサイルが飛来した時、屋内避難で命を守れるとは到底思えません。
そして、与那国島、石垣島、西表島、宮古島などの先島諸島には観光客を含め約12万人の人がいると試算されています。この12万人は、いざ戦争が始まるという状況になった場合、島から出ていかなければなりません。
これは、簡単にできることではありません。
家畜を飼っている人もいれば、船や畑を簡単に放置できない人もいる。
そういうものをすべて投げ出して、見知らぬ土地への移動を余儀なくされるのです。
戦争が終わって故郷に帰れたとしても、もとの生活に戻ることは容易ではありません。
どこかに行ってしまった家畜を飼いなおすことはできません。
荒れてしまった畑ですぐに作物を育てることはできません。
そういうことをわかっているはずの沖縄県知事の玉城デニーさんが、国の図上演習に協力してしまうことも悲しいです。
県の上層部は、国が沖縄を戦場にしてでも、とごり押ししてくることに抵抗しきれていません。
国の「訓練をしろ」「図上演習をしろ」という要請に応えれば、日本政府は、沖縄自身が、再び戦場となることを覚悟したと都合よく解釈するでしょう。
沖縄県の一般の方々もそうですが、沖縄県のリーダーたちは、戦争協力に対する危機感がまだ足りないと感じています。
──2023年11月26日の朝日新聞にて、防衛力強化に向けた政府の「公共インフラ整備計画」を進めるため、政府が全国の空港14施設と港湾24施設の計38施設を選定していることが報じられました。
今回、沖縄県内にとどまらず、自衛隊や海上保安庁が有事に民間施設を使用できるよう、公共インフラである空港や港湾などの整備や機能を強化する仕組みを創設したことについて、三上さんはどのように感じていますか。
■ インフラ整備を隠れ蓑にした戦争準備
三上:
本当に怖いです。全国が「沖縄化」している、なんてことが10年ほど前から言われていますが、本当にその通りです。
全国の人は、沖縄が先に戦場になる、沖縄はかわいそうだ、とまだ吞気に考えているかもしれません。
でも、事実は違います。中国と米国の覇権争いの中で、米国が戦争に使おうとしているのは日本全国です。
公共インフラ整備計画に政府が選定している施設数も、変化しています。
現在進行中で、政府が動いているということでしょう。
それは、政府がある程度長い期間の闘いを覚悟しているからだと私は思えてなりません。
中国と米国が戦争になれば、米国は世界各国に配置した米軍を、台湾周辺に招集しなければなりません。
それまでの間、日本が耐えなければならない。
米国と日本政府はそう考えているから「国土強靭化」「抗堪化」などという戦前のような言葉が出てくるのだと思います。
ただ、多くの自治体が公共インフラ整備計画を喜んでいます。
国のお金で、ぼろぼろの港を強化してくれる、小さい空港を大型飛行機が来られるような空港にしてくれる、ということなので、悪い話ではないように感じられます。
特に、沖縄の離島にとって、港と空港の整備はとてもありがたい話です。
ただ、このインフラ整備計画は軍事優先の計画です。港や空港に米軍や自衛隊が集結したら、民間人が避難する途中であろうがなかろうが、そこは攻撃対象になります。
「いざという時に使います」という名目で、公共インフラ整備計画という名の戦争準備が、着々と進められているのです。
2024年2月時点で、沖縄県の玉城知事は県内のインフラを特定重要拠点として使用することに反対しています。
でも、各離島の保守派のリーダーたちが玉城知事に圧力をかけています。
島のインフラを国のお金で整備する千載一遇のチャンスにイデオロギーを振りかざして反対をするな、と。
──米軍基地、自衛隊の部隊配備などに揺れる沖縄を長きにわたり取材され、2013年に『標的の島』、2015年に『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』、2017年に『標的の島 風(かじ)かたか』、2018年に『沖縄スパイ戦史』、と多くのドキュメンタリー映画を世に出してこられました。この中で、今回の『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』はどのような位置づけになるのでしょうか。
「私自身、反対運動を撮っているという認識はない」
三上:
今まで私は、辺野古や高江、そして南西諸島など、その場その場で戦争準備に巻き込まれていく人たちが必死で抵抗する姿をメインに撮影をしてきました。
沖縄全体が米軍や自衛隊によって要塞のように扱われているという事実を伝えなければいけない、と思ってやってきました。
ただ、2015年、2016年頃から、抵抗の現場にあるドラマに頼った映画をつくることに限界を感じるようになりました。
沖縄を要塞化しようとするのは、米国や日本といった「国」です。
そして、それを無意識のうちに支持するのは、日本全国の人々です。
この大きな力、無意識の力に立ち向かわざるを得なくなるのは、少数派の人々です。
それを映画や書籍にすると、反対運動の話ばかりと言われてしまいますが、私自身は、反対運動を撮っているという認識はありません。
まさに今、普通の生活が誰によって壊されようとしているのかを、少数派の目線から世の中に提示していかなければいけないと思っていたのです。
ただ、2015年、2016年頃から、抵抗の現場にあるドラマに頼った映画をつくることに限界を感じるようになりました。
大きな反対運動には喜怒哀楽がありますそのダイナミズムは魅力的ですが、この数年は「喜」と「楽」が欠落していき、怒りと涙がどうしても際立ってしまう。
胸が苦しくなるようなシーンだけを並べた暗い映画を、誰が1800円も払って観てくれるんだろうと思うようになりました。
胸が苦しくなるようなシーンだけを並べた暗い映画を、誰が1800円も払って観てくれるんだろうと思うようになりました。
私は10年前に27年間勤めた放送局を辞めました。2013年から5年間で4本の映画をつくりました。
ただ、2018年以降の5年間は1本も映画をつくれなかった。
映画をつくっていない期間も、現場には通っていました。
こんなシーンばかり並べても映画はできないと思いながら、カメラを回していました。
今回の『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』(集英社)は、映画をつくれなかった頃の私の撮影日記です。
現場にいる方々が追い込まれていく様子や、そこに居ても何も助けてあげられない私のような取材者の苦悩が詰まっています。
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2024年3月中旬から、同じタイトルの映画を公開しますが、映画の内容と書籍の内容は全く別物です。
書籍の章タイトルの下には、動画にとべるようにQRコードを付けました。書籍から観られるシーンは映画ではほとんど使っていません。
あのシーンをカットして、こういう映画をつくったんだなと賛否含め、皆さんにジャッジしていただければと思っています。
──米軍基地、自衛隊の部隊配備に関する問題を現場から発信していった先の目標や夢がありましたら教えてください。
三上:
10年後も20年後も、与那国の人たちも石垣の人たちも、当たり前に先祖から受け渡してもらった土地や海を大事にして、今の生活を続けていてほしいと思っています。
そして、子や孫に、その豊かな生活を豊かなまま、渡していってほしいです。
戦争する必要がなくなっても、島に自衛隊員が災害救助隊として残り続ける。
豊かな島で救助隊として活躍して、ドクターヘリが不要な離島になればいい。
自衛官の方の鍛え抜かれた身体や正義感が、いいかたちで地域に使われて、「救助隊がいてくれてよかったね」と皆が口を揃えて言う。
地元の人も自衛隊の人も、一緒にお祭りをやって、子どもがどんどん増えて、人口も増えて。台湾からたくさん人が来て交流が続いて──。
そういう妄想を持たないと、実現はしません。想像できないことは起こりません。
政府が落とすお金に頼るしかないという痩せた発想から、自分たちで想像を膨らませて新しい世界を創るというビジョンに切り替えられたらいいなと思います。
関 瑶子(せき・ようこ)
早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。
素材メーカーの研究開発部門・営業企画部門、市場調査会社、外資系コンサルティング会社を経て独立。You Tubeチャンネル「著者が語る」の運営に参画中。