生活保護は「権利」ではないのか
3/26(火) 毎日新聞
生活保護は誰でも受けられる権利ではないのか。
なぜ受給者の人権を無視するような行政の「指導」がたびたび起きるのか。
立教大学コミュニティ福祉学部教授の木下武徳さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
◇ ◇ ◇ ◇
◇バッシングに乗った自民
――自民党は2012年の衆院選で、生活保護給付水準を10%引き下げると公約しました。
◆12年のお笑い芸人の親族の生活保護受給をめぐる報道など、生活保護バッシングが影響したと思います。
自民党はそれに乗ったのでしょう。
自民党の生活保護に関するプロジェクトチーム(世耕弘成座長)は、12年4月に生活保護給付水準の10%引き下げと同時に、食費などの現物給付を進めるとする提言をまとめています。
それぞれの世帯への食事の現物給付など、現場からすればあまりにも非現実的です。
――対立をあおることが目的のように見えます。
◆日本では最低賃金と生活保護給付水準とは、ほとんど変わりません。
本来であれば、最低賃金を上げるべきなのですが、この時は、逆に生活保護を下げると公約していました。
生活保護を受給している人は200万人ぐらいです。
少数の人、しかも弱い立場にある人を攻撃して支持が増えるならそのほうがよいと考えたのでしょう。
◇権力関係がある
――群馬県桐生市は受給者に1日1000円ずつ手渡しするなど、異常な対応をしました。
◆生活保護の担当職員がみな、おかしな人であるはずはありません。
ただ、生活が安定した公務員の立場にあるために、生活困難にある受給者を同じ市民として見ていない時があります。
そのうえ、職員には事実上の生活保護の決定権があり、受給する側は生活保護がなければ生きていけません。
そこには権力関係があります。外部から見ればおかしいことでも、自分たちは悪いと思えなくなっています。
一方で、生活保護バッシングと近い考え方をする職員が一部ですが、いることも確かです。
そのような一部の人の影響が大きいということはあります。
◇毎朝7時に電話
――桐生市もそうですが、細かい指導をします。
◆生活保護法には指導をできる条文がありますが、同時に「被保護者の自由を尊重し、必要の最少限度にとどめなければならない」などの規定もあります。
抑制的であることが想定されています。
ところが、指示に従う義務も規定されていて、従わない場合は、「保護の変更、停止または廃止をすることができる」ともされています。
――強圧的になりませんか。
◆高齢者にせよ、障がい者にせよ、児童にせよ、福祉の分野では、以前は生活指導が重視されていました。
しかし今は、自己決定権が重視されるようになっています。
ところが生活保護の分野には自己決定権の考え方がなかなか入ってきません。
受給者は一方的に指導、指示を受けるだけの消極的な立場に置かれています。これは大きな課題です。
私の聞いた例ですが、就労支援だとして、毎朝7時に働けと電話をかけているところがありました。
電話をかけるだけでは支援にはなりません。大切なのは協力関係を作ってアドバイスすることです。
生活保護行政にはこのような視点が欠けています。
◇安心できない
――生活保護は誰でも受けられる権利のはずです。
◆生活保護は権利だと政府も言っているのですが、困ったら誰でも生活保護を受けられる体制にならなければ権利として認識されません。
桐生市だけではなく、どこにでも細かな抑制装置があります。私が知っている例では、相談ブースの壁に「不正受給はダメ」という、脅すようなデザインのポスターが張ってありました。
みんなが安心して生活保護を受けられると思えない状況が張り巡らされているから、権利だと思えないのです。
◇まず公助
――生活保護は恩恵なのでしょうか。
◆自立とは人の助けを受けないことではなく、人の助けをかりて主体的に生きることだ、という考え方があります。
まず自助、次が共助、最後が公助というのは誤りです。
政府は生活保護は最後という考え方です。
権利とはほど遠い考え方です。
生活保護のような公助が基本にあるから、共助や自助が成り立つのではないでしょうか。
家(住所)がないのに就労自立を求めても、まともな仕事を得ることが難しいことは容易に想像がつくでしょう。(政治プレミア)