2024年04月01日

【いつも仕事がギリギリになる人】が自動的に変わる「締切解像度」のマジック

【いつも仕事がギリギリになる人】が自動的に変わる「締切解像度」のマジック
2024年03月31日  イヤモンドオンライン

「短時間で成果を出す人」がいる一方、「頑張っているのに成果が出ない人」もいる。
この違いは何だろう?
経営の最前線で20年以上、成果を上げられる人・上げられない人の差を研究してきた人物がいる。
東洋経済オンライン「市場が評価した経営者ランキング2019」第1位、フォーブス アジア「アジアの優良中小企業ベスト200」4度受賞の木下勝寿社長だ。

注目の最新刊『チームX』は「世界的にみても極上レベルのビジネス書」(神田昌典氏)と評され、デビュー作『売上最小化、利益最大化の法則』は「20年に一冊の本」(人気会計士)と絶賛された。
そして今、「やる気に頼らず楽しく続けられる」と話題になっているのが、ベストセラー『時間最短化、成果最大化の法則──1日1話インストールする“できる人”の思考アルゴリズム』だ。

本稿では、「がっちりマンデー!!」(TBS)公式SNSで「ニトリ」似鳥会長や「食べチョク」秋元代表が「2022年に読んだオススメ本3選」にも選抜した本書を深堀りすべく、働く人のさまざまな「お悩み相談」を木下社長にぶつけてみた。
今回は「ついつい時間を無駄遣いして約束に遅れがちな人」にとっておきの仕事術をご紹介する(構成/藤田悠)。

■「時間の無駄遣い」以前に解決すべきこと

【今日のお悩み相談】

企画書づくりやプレゼン資料のブラッシュアップ、会社への書類提出など、いろいろな仕事が約束のタイミングに間に合わないことばかりで、いつも頭を下げてばかりいます。
やるべきことがあるのに、ついついスマホを触ってしまって、SNSを見ているうちに気づいたら夕方、なんてことも…。
「時間の無駄遣いをするクセ」を断ち切りたいのですが、何から始めればいいでしょうか?

A. 時間を無駄遣いしてしまう原因は「仕事の締切を決めていないこと」。
 これに尽きます。
「いついつの何時までにこれをやる」とスケジュールを自分で設定できていないわけです。
 結局、仕事は成果です。
 締切を守れてちゃんと成果が出るなら、時間の無駄遣いをしようがしまいが関係ない。
 自分の時間なので、好きなように使えばいいのです。
 ですから、この相談者の方はまず、「時間の無駄遣いグセをやめよう」ではなく「締切を決めて守るクセをつけよう」というふうに意識を変えるべきです。

■仕事ができない人ほど「今週中にやります」と言う
「締切を決めるのが下手な人」には共通点があります。
 それは「締切の解像度が低い」ということ。

「この件、いつまでに終わりますか?」と聞いたときに、「今週中には必ず!」というように答える人がいます。
 こういう人は、自分の仕事が終わるまでに、どれくらいの時間がかかるのか、そしてそれをいつやるのかを克明にイメージできていません。

 ですから、月曜日に聞いても水曜日に聞いても、いつも「今週中には!」と繰り返すわけです。
 それで金曜日に「どうなりました?」と聞くと、「週明けにはなんとかします」に変わっている。

「月末までにはまとめます」
「来週末までに相談しましょう」
「明日いっぱいには終わらせます」
「午後イチに連絡します」

締切を設定するときには、こういう曖昧な言葉を避けるべきです。

■「締切の解像度」を高めるシンプルなワザ
 そのために有効なのが「具体的な日時」を決めてしまうことです。

 締切を「週単位、月単位、日単位」ではなく、必ず「何月何日の何時まで」を設定する。

 部下が「明日の昼までにやります」と言ってきたら、私は必ず「昼って何時ですか?」と聞きます。
 こうすることで、その人は「ん…? 実際、どれくらいの時間がかかるかな?」と考え始めるわけです。

 こちらが「明日の12時ってことでいいですか?」と聞けば、部下はさらに頭を回転させます。
 すると「…ちょっと待ってください。すみません、やっぱり15時でもいいですか?」と、より現実的な締切が再設定される。
 この人はきっと翌日の締切を守れるでしょう。

 他人からの問いかけがなくても、自分で締切の解像度を高められるのが理想です。
 これができるようになると、時間の使い方がかなりうまくなります。

■数字が具体的だと、人は行動したくなる
 ある会社に訪問することになったとき、相手の方から「◯◯ビルのエレベーターの前で、11時47分に待ち合わせましょう」と言われたことがあります。

「この人は人間の心理をよくわかっているな〜」と感じました。
 そう言われたら、ほとんどの人はまず遅刻しないですよね。

 その気づきをもとに、私の会社でも面白い実験をしてみたことがあります。

 ある商品を1000個限定で先行販売することになったのですが、購入サイトでの発売開始タイミングを「◯月◯日 昼12時7分」と告知しておいたのです。

 すると発売直後、サイトには顧客が殺到し、わずか58秒で1000個が完売しました。
 これも「締切解像度のマジック」です。

 もしも「◯月◯日 12時より販売開始」と告知していたら、12時5分とか10分とかにサイトを訪れた人も多かったでしょう。
 しかし、あえて「12時7分」という時刻に設定することで、かなりの人がそれよりも前から待ち構えている状態をつくることができた。

 人間の認知の仕組み上、締切の数字が細ければ細かいほど、忘れにくくなります。

 当然、そこに間に合わせようとする意識も高くなる。
 絶対に納期を外せない仕事があるときは、あえてキリがよくない時刻を締切にしてみましょう。
 一気に緊張感が高まって、その仕事に集中できるようになるはずです。

(本記事は『時間最短化、成果最大化の法則──1日1話インストールする“できる人”の思考アルゴリズム』著者による特別寄稿です)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月03日

「6月議会をもって辞する」“職業差別”発言の静岡県・川勝平太知事が辞意表明 物議を醸した「訓示」の詳細は…

「6月議会をもって辞する」“職業差別”発言の静岡県・川勝平太知事が辞意表明 物議を醸した「訓示」の詳細は…
4/2(火) 静岡放送(SBS)

「6月議会をもって職を辞する」静岡県の川勝平太知事が4月2日午後6時15分ごろ、辞意を表明しました。
会見は午後6時に始まりました。

物議を醸した「訓示」の詳細は…

<静岡県 川勝平太知事>
「職業差別は皆無です、ありません。職業に貴賤はないのが基本的な考え方です。きのうの新規県庁職員への歓迎の言葉、励ましの言葉がこんなことになって何か問題発言があったかの如き状況になって本当に驚いています」

Q.SNSを中心に批判の声が上がっていますが?

「それぞれ仕事は違いますね。
どれも大切なもので、しかもそれぞれの能力に応じて一生懸命仕事をされている。
様々な事情で様々な仕事に就かれている。
全部必要なものですね、そこにこちらは尊い、こちらは卑しい、それは全くないというのが私の基本的な考え方です。
そして公務員としては公僕として人の役に立つようなことを考えてしなくてはいけない。
したがいまして、しっかり勉強しなくてはいけません。
知性を磨いてください。それはですね、農業をやっているとか、商売をされているとか、あるいは物づくりをされている方とは違う仕事ですから、従って知性をしっかり磨いてくださいと、そういう意味のことを言った訳です。
おそらく、そのようにとってくださったと思っております」

■開始から15分後の電撃発言「職を辞そうと思う」
川勝知事は4月2日午後6時から記者団の質問に「差別は皆無」だと答えました。
その後、自身の進退について触れました。

<静岡県 川勝平太知事>
「原稿を作った訳ではなく新入職員の顔を見ながら話しておりまして、話す内容は励ます、歓迎する、この2つ以上は述べたことは無かった」

Q.今後の対応で考えていることは?

「ここまでこういう風潮が充満していることに対しては憂いをもっています。
そして、どうしたらいいのかと思っておりまして、よく考えたんですけれども、準備もありますからね。6月の議会をもって、この職を辞そうと思っております。以上です」

この問題は、静岡県の川勝平太知事が4月1日、新規採用職員に対し行った訓示の中で、職業差別とも受け取れる発言をしたものです。
川勝知事の物議を醸す発言は、これまでにも度々、県議会などで問題となっていてます。

■“職業差別”発言 どんな内容だったのか...訓示の詳細
4月1日午後1時、県庁で行われた川勝知事の訓示は全部で20分あまりで、危機管理や心構えについて述べる中で、以下のような発言をしました。

<静岡県 川勝平太知事>
「皆さん優秀ですから、なかなかものが分かってくれない人がいるかもしれない。
そういうときにですね、情理を尽くすってことが大切です。
理屈ではですね、分かってても、あの腹にストンと落ちない場合があります。
ですから、Heart to Heartで心からこうすると本当にいいというように言って差し上げると、ストンと落ちる場合がある。ですから情と理、情理を尽くして、自分が正しいと思う信念を貫くということが大切です」

「はい。そしてですね、そのためにはですね、やっぱり勉強しなくちゃいけません。
実は静岡県というのを県庁というのはですね、別の言葉で言うとシンクタンクです。
毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとかということと違ってですね、基本的にその皆様方は、頭脳、知性の高い方たちです。
ですから、それを磨く必要がありますね。それは磨き方はいろいろあります。知性を磨くということ」

「それからですね、やっぱり感性も豊かにしなくちゃいけないと、体がしっかりしてないといけませんね。
ですから文武芸、三道鼎立と、文武両道というのがあるでしょう。
しかしですね、美しい絵を見たり、いい音楽を聞いたり、映画を見たり、演劇を見たりしたときにですね、感動する心というものがあると望ましい。
ですから、自分の知性が、あの人は動かないなと思ってもですね、知性というのを大切にするということが大事ですね。
そのためには勉強しなくちゃいけません」

「それから体を鍛えると。
しかし、スポーツが苦手な人もいらっしゃるでしょう。スポーツを楽しむことはできますね。
見て楽しむことができます。
まあ無芸大食の人もいるでしょう。
しかし、芸術を愛することはできますから、文武芸、三道鼎立ということでですね、豊かな人間になっていただきたいと思います」

この発言の翌日に飛び出した電撃的な辞意表明。
川勝知事は「励ましの言葉がこんなことになって、何か問題発言があったかの如き状況になって本当に驚いてる」と語りましたが、少なからず、表現には問題があったのではないでしょうか。

静岡放送
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「自公政権の交代」望む声42%の一方…日本維新の会が《この政党だけはダメ》と言われるワケ

「自公政権の交代」望む声42%の一方…日本維新の会が《この政党だけはダメ》と言われるワケ
2024年04月02日  日刊ゲンダイDIGITAL

 至極当然の民意が示されたのではないか。
JNNが3月30〜31日に行った世論調査で、次期衆院選で「政権交代をのぞむ」との回答が42%に上り、「自公政権の継続をのぞむ」(32%)を大幅に上回ったという。

 自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件では、発覚から5カ月近く経った今も、何ら実態が明らかになっていない。裏金議員らの説明はこの間、「適正に処置していた」から「派閥から政策活動費なので収支報告書に書かなくていいと言われた」に変わり、ダンマリを経た後、「不明ばかりの収支報告書訂正」に。

 さらに「キックバックされた全額を能登半島地震で被害を受けた被災地に寄付」といった仰天案が飛び出したのかと思えば、「説明責任を果たしたい」と言って自ら出席を志願したはずの政治倫理審査会では、安倍派幹部が揃って「知らなかった」「秘書に任せていた」を連発して知らぬ存ぜぬ。
市民団体などから脱税を指摘されても誰一人として納税しない。

 もはや今の自民党には自浄能力が欠落しているのは明らか。国民の血税を預かる政権与党の座にこのまま居座り続けていいはずがない。

■万が一にも維新が政権を取ったら、批判する国民は皆排除される?
 政権交代が必要なのは民意として当たり前の反応とはいえ、一方で、《野党と言えども自公政権に代わる政党としては適切なのか》
《政権交代でもこの政党だけはダメだ》と指摘する声が出ているのが「日本維新の会」だ。

 ネット上で批判の意見が拡散されているのが、3月末に大阪府茨木市で開催された「維新タウンミーティングin茨木」に出席した維新共同代表の吉村洋文知事(48)の動画だ。

 吉村氏はこの動画で、2025年開催の「大阪・関西万博」のシンボルとなる木造の大屋根(リング)に対し、建設費用の約350億円が無駄ではないかといった論評が出ていることを踏まえつつ、こう発言していた。

「今、批判している、名前言えませんけどもモーニングショーの玉川徹
今、批判するのはいいけど、入れさせんとこと思って。
『入れさせてくれ』『見たい』といっても、もうモーニングショーは禁止。玉川徹禁止と言うたろうかなと思う」

 吉村知事は、万博を催す「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」の副会長(理事)だ。
多額の税金を投じられる行事について、本来は国民らに協力、理解を求めるべき立場の人間が個人を名指しし、「出入り禁止」(出禁)を訴えるのはいかがなものなのか。

《これが維新の真の姿。バレてしまいました。権力志向、絶対王政、差別主義が出てしまいました》

《万が一にも維新が政権を取ったら、批判する国民は皆排除されるだろう。恐怖政治だ》

 SNS上では自公とともに維新の政治姿勢を問題視する投稿が目立つが、なぜか関西メディアでそうした意見が取り上げられないのか不思議だ。
posted by 小だぬき at 02:17 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「研修所で素っ裸に」メガバンク新入社員のトンデモ行動。近隣住民から大クレームも

「研修所で素っ裸に」メガバンク新入社員のトンデモ行動。近隣住民から大クレームも
2024年04月02日  SPA!

4月は新社会人が街にあふれる季節。
新卒一括採用のメガバンクでは、毎年多くの新入社員が入社する。
無難な人材が多数を占める中で、トンデモない新人が混じっていたりもする。

筆者(綾部まと)は新卒でメガバンクに入行し、地方や都内の営業店で法人営業を経験した。
営業店には毎年必ず新卒の社員が配属されるため、彼らの破天荒な行動を見てきた。
今回はそんなメガバンクにおける、トンデモない新入行員のエピソードをご紹介する。

◆@「新人芸」に耐えられない、名家のお嬢様
メガバンクでは支店の新人歓迎会で、新人たちが出し物をする文化がある。
半月ほどの準備期間があり、それなりのクオリティを求められる。
二年目の先輩たちが、出し物の監修をさせられることもある。
そのため、新人たちは業務後や週末に集まり、練習を繰り返していく。筆者も新人の頃はカラオケに同期と集まり、練習していた。

新人芸のほとんどは男性行員たちの漫才に始まり、女性行員も混じって全員でアイドルグループのダンスで終わる。
よくある宴会芸だが、これに耐えきれない新人も中にはいる。

都内の支店に配属された女性の新入社員は、断固として新人芸を拒否した。
慶応出身で某有名企業の社長のお嬢様には、屈辱に耐えられなかったのだろう。
しかし組織力を重視する銀行では、一人だけ不参加は許されない。その結果、彼女は驚くべき行動をとった。

◆業務が開始する前に退職
彼女は早々に退職届を出して、銀行を去っていった。
当時の銀行では総合職も、まずリテール部門で研修をした後に、法人部門に正式配属されていた。
彼女は法人部門で採用されたにもかかわらず、法人に配属される前に退職をしてしまったのだ。

筆者が彼女の同期である新人の男性に「残念だったね、あの子が辞めて」と声をかけると「別に……多分、一緒に仕事してても『これは私の仕事じゃない』『あれはやりたくない』とか言ってきそうですから」と返された。
「それに、あんまり可愛くなかったですし」とも呟いていた。
どちらが本音かは、定かではない。

◆A研修所で素っ裸になり、アレを振り回す
新入行員は一か月おきに、研修に参加しなくてはならない。
新人の頃は特に、研修所に泊まり込むことも多い。
上司や先輩と離れて、新人同士で愚痴を言い合える研修は、ちょっとした息抜きだ。

社会人とはいえ、大学を卒業してからまだ日が浅い彼らである。
気が緩むと、学生時代のノリに戻ってしまう。
講義中は人事部が目を光らせているのだが、そうではない時に、事件は起こる。

中部地方の研修所にて、男性の新入行員たちが大浴場で入浴していた時のこと。
ある新人が窓を開けて、ふざけて“アレ”を振り回し始めた。
周囲の新人たちも楽しくなったのか、次々と窓を開け、同様にアレを振り回し続けた。

◆住民からクレーム、人事部は菓子折りを持って謝罪
異変に気づいたのが、近隣の住民である。
研修所の近くに住んでいた“頑固おやじ”が、彼らに向かって怒鳴り声をあげた。
しかし彼らは無視して、その遊びを続けてしまった。

案の定、翌朝銀行へクレームが来た。
人事部はすぐさま菓子折りを持って、謝罪しに行った。
当時は『品格のある銀行』を目指したはずが、品格も何もあったものじゃない。
後にその研修所は閉鎖になり、銀行の黒歴史を抱えて幕を閉じたのであった。

◆B三種の神器である「行章、印鑑、行員証」
銀行で物をなくすことは、ご法度とされている。
電車の中に個人情報を置き忘れたり、出張先のタクシーで重要書類を紛失してしまうと、厳重に処罰される。

名札である「行章」は普段は使うことはないため、机の鍵を収納するキーボックスにしまう者が多い。
紛失のリスクを避けるためだ。しかし印鑑は、そうはいかない。

銀行では、稟議書や回覧物に、自分の名前が書かれたシャチハタ印を押す。
印鑑がないと仕事にならないが、小さいし頻繁に持ち歩くので失くしやすい。
先輩は「支店長代理に昇格すると、新しい印鑑をもらえる。
サイズが少し大きくなるからな。印鑑を2つ持つことができるから、それまでは頑張って失くすなよ」と語っていた。

しかし銀行員生活を通じて最も失くしてはならないものは、社員証である「行員証」だ。
印鑑のように新しく発行されることはなく、退職まで使わなくはならない。かつて、それを紛失した新人がいた。

◆配属2日目で行員証を紛失
「行章、印鑑、行員証」という三種の神器のうち、最も神格化されている「行員証」。
社員通用口から店に出入りしたり、異動明細を見るためのパソコンを操作したり、金庫に入ったりする時には、必ず行員証が必要になる。ログの履歴を残すためだ。

こんなことがあった。
支店配属の初日に飲みに行った新入行員が、飲み会の帰りにクラブへ行き、行員証の入ったカバンを紛失した。
上司は激怒し、人事部に反省文を提出することになった。
その反省文も、何度も書き直しを命じられたという。

◆会社や上司からの評価は散々だが、大化けすることも
今回ご紹介した二つ目と三つ目のエピソードを引き起こした新人は、同一人物である。
彼はビットコインが出始めた頃に投資を始めて数億円を稼ぎ、早々に銀行を辞めていった。
銀行ではトンデモない新人として悪名高かったが、今や銀行員が一生かかっても稼げない程のお金を持っていることになる。トンデモない新入社員たちだが、いつか大化けする日が来るのかもしれない。

<文/綾部まと>

posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月04日

「小学校のときにいたクズは?」に対する絶妙すぎる回答・ベスト1

「小学校のときにいたクズは?」に対する絶妙すぎる回答・ベスト1
4/3(水) ダイヤモンド・オンライン

 「小学校のときにいたクズは?」に対する絶妙すぎる回答は…。

そう語るのは、これまでX(旧Twitter)上で8年間365日、毎日欠かさず大喜利のお題を出題し、累計で200万以上の回答を見てきた「坊主」氏だ。
いまや空前の「大喜利ブーム」。
大喜利のように「斜め上の発想を出す」というスキルは、「面接での一言」「LINEでのうまい返し」「意中の相手を口説く言葉」「新企画のアイデア」などに使える“万能スキル”でもある。

そんな大喜利について、世界で初めて思考法をまとめた話題の著書『大喜利の考え方』では、「どうすれば面白い発想が出てくるのか」「どんな角度で物事を見ればいいのか」などを超わかりやすく伝えてくれている。
まさに「面白い人の頭の中」が丸わかり。
そこで、この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、大喜利的な思考法を詳しく解説する。(構成/種岡 健)

● 学生時代の「ある一日」
 芸人さんのネタの影響によって、「あるある」は日本中に浸透しました。

 その中でも、学校の思い出は、あるあるネタの宝庫です。
 さて、目をつむってみてください。
 あなたは実家のベッドで朝を迎え、学校に行かなくてはいけません。

 「いつもの朝食は何でしたか」
「テレビは何をつけていましたか」
「通学は自転車だったでしょうか、それとも徒歩でしょうか」……

 こんな感じで、ある一日を追いかけてみましょう。

 ちなみに、私はチャリ通でしたが、通学途中でいつもすれ違うおじさんがいたことを思い出します。
 ある日、そのおじさんといつもより早くにすれ違ったとき、
 「うわー、遅刻だ!」
 と焦ったものです。
 自転車を漕いでいるときは、そんなことばかり考えていました。

 そして時を経て現在、逆に私が誰かの目印になっているかもしれません。
 いまは坊主ですから、「あのハゲだ」と思われているかもしれない。

 そんな記憶が、あなたにもないでしょうか。

 そういう想像力を、ヒマなときに一度、働かせてみてください。

 こうやって学校時代のあるあるを読んでいたら、嫌な記憶も出てくるでしょう。
 体育の時間の嫌な思い出は、誰もが持っていると思います。

 〈お題〉

「小学校のときにいたクズは?」選手権


 〈最優秀賞〉
 大縄跳び失敗した子に「えっ」って言う

 こういう人がいませんでしたか。

 もしくは、あなた自身がそのタイプだったかもしれません。

 いずれにしても、よくない思い出ですよね。
 私がここで成仏させておきましょう。

 小学校や中学校時代、「運動神経のいいやつ、悪いやつ」「モテようとしていたやつ」「ウザかったやつ」などに、敏感だったはずです。
 大人になったいま、ネタとして話せるときが来たのです。

 素材としていつでも引き出せるようにしておきましょう。

 (本稿は、『大喜利の考え方』から一部抜粋した内容です。)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「俺の金は俺の金、家族の金も俺の金」ズルい夫の"手口"…厳格デジタル家計管理に見つけた意外な"抜け道"

「俺の金は俺の金、家族の金も俺の金」ズルい夫の"手口"…厳格デジタル家計管理に見つけた意外な"抜け道"
2024年04月03日 PRESIDENT Online

「家族カード」のウェブ明細や家計簿アプリの機能によって、収支の明細をスマホ上で確認し、しっかり管理している家庭は多いが、逆に家計管理に役立てるはずが浪費を招いてしまうケースもある。
どういうことか。
家計再生コンサルタントでFPの横山光昭さんに実例をもとに聞いた――。

クレジットカードの「家族カード」は本会員である所有者と、その家族が利用できます。
利用明細をネット上で見られるように設定しておけば、いつどの店でいくら使ったかが分かるシステムになっています。

他方、「家計簿アプリ」は、スマートフォンで家計簿を入力し、家計管理できるアプリ。
クレジットカード会社や銀行などの金融機関と連携することで、銀行の入出金履歴やクレジットカードの利用履歴がひと目で分かるものもあれば、レシートをスマホで撮影すれば購入商品の内容や金額などが自動入力されるものもあります。

近年、30、40代の共働き世帯から相談を受けていると、こうしたツールを使ってしっかり家計管理しようとする方が増えているように思います。
ただ、うまく使いこなせば最強の管理ツールになる一方で、使い方によっては浪費を招いてしまうことも。
今回は、残念ながら逆効果になってしまったケースをご紹介します。

■家族カードと家計簿アプリは万能ではない
半年前に夫婦で相談に来た上山タケルさん(仮名・39歳会社員)、ミチコさん(仮名・37歳会社員)は、埼玉県都市部の賃貸物件に、長女(10歳)、長男(8歳)と4人で暮らしています。
夫婦の世帯月収は手取りで約50万円ですが、毎月3万5000円ほどしか残らず、貯金残高は250万円程度。

私共は、貯金は「手取り月収の17%」が理想と考えていますが、上山家の場合、1割にも達していません。
手取り月収が50万円程度なら月8万5000円、現状でシミュレーションすると教育費も貯めたいなら10万円を貯金に充てないと先行きは厳しい。

妻のミチコさんは危機感を持っていました。
「このままでは教育費も老後資金も不足する。
そもそもなぜ手取り月50万円なのに、3万円台しか残せないのか。家計簿アプリで支出を管理しているのに……」とこぼします。

上山さん夫婦は、ミチコさんの提案で、家計管理はデジタル化しています。
共働きで忙しくて時間がないため、夫婦でクレジットカードを利用し、お小遣いから出す支出ではない個人の支出も全て家計用の家族カード(クレジットカード)で決済。
その家族カードは家計簿アプリとも連携させています。
「アプリで収入と支出が分かれば家計管理はできているようなもの。細かい誤差があっても、なんとなく管理できていればOK」と、数年前からこの形を取っていたと言います。

しかし、「家計管理している=資産形成が順調」というわけではありません。
実際、毎月の黒字は収入の1割にも満たないのですから。果たして、何が問題だったのか。

■家計簿アプリの意外な落とし穴
話を聞き進めていくと、いくつか問題点が見えてきました。

1つ目は、ブラックボックスの存在。
原則、カード決済している夫婦ですが、カード支払い不可の店では現金で払っており、その際は自己申告で家計支出として精算します。
ただし、タケルさんの場合、レシートがあったりなかったりする。
つまり、タケルさんの嗜好品のタバコなど、明細を見られたくないものは、現金払いにして支出品目名はうやむやにして精算できる“抜け道”があったのです。

また、家族カードで決済していても、“抜け道”はありました。
もともと上山家には、個人的な趣味や嗜好品は各自3万円ずつの「小遣い」から支払うルールですが、タケルさんは本来「小遣い」で払うものを「家のお金だ」と言い張ることも多かった。
それがミチコさんにとって悩みの種になっていたのです。

例えば、タケルさんは漫画や本を「小遣い」ではなく、家計費の中の「娯楽費」から出していました。
ミチコさんが明細を見て「この“書籍代”は何? 漫画は自分の趣味だから小遣いで払うべきだよね?」と問うと、「どうせ家に置いておく漫画は家族全員が読むんだから、家のお金でしょ」と主張。

他にも、タケルさんが「食費」として買った、主に自分が好きで食べているスナック菓子も「リビングで食べていれば、子どもたちも一緒に食べるでしょ」。
「被服費」に入っていたタケルさんの美容院のカット代に至っては、「身だしなみは収入に直結するから、どう考えたって経費でしょ。
俺、営業マンだし」など、挙げればきりがありません。

確かにそうかもしれないけれど、なんでもかんでも家族カードで決済するのはいかがなものか。
少なくとも漫画、お菓子、ヘアカットは小遣いに該当するのではないか。
――ミチコさんがそう反論しても、タケルさんは自分の考えは正しいと思い込んでいるからか、聞く耳持たず。
挙げ句には、「収入を共有している以上、(個人的な)支出も共有して当然だ」と、理解に苦しむ持論を展開。
まるで、「俺の金(小遣い)は俺の金、家族の金も俺の金」のような身勝手な話です。

話し合いをしようとしても平行線で、業を煮やしたミチコさんが、客観的アドバイスを求めに我々のところに来たわけです。

私はここで、3つめの問題に気づきました。
夫婦間で話がかみ合わず、意見の擦り合わせができていないことです。
これが上山家の家計の最大の問題点ではないでしょうか。

■“支出のブラックボックス”は小遣い増額で解決
さて、上山家の家計はどう改善すべきか。
私は3カ月の家計見直しプログラムを開始するにあたり、次の2点をお願いしました。

@これまで通り、買い物はいったんカードで決済する。
Aただし、自分の意志で使った支出であることが分かるようにしておくこと。

そして3カ月後。タケルさんは、記録を見て愕然としていました。
「自分の意志で使ったお金はこれほどあったのか」と。
今まではし沸は自動的に家計簿に計上、把握していたけど、内容を振り返るまではしていなかったのです。
この事実を認識できただけでも、大きな一歩です。

次に、枠組みを整えてもらいました。
まずは通信費をキャリアから格安スマホに見直すこと。
つい余計なものを買ってしまうという日用品はよく行くドラッグストアのプリペイドカードに1万円だけチャージして、1万円以上使えないよう予算管理をすること。

さらに、タケルさんの小遣いを2万円増額。
それまでタケルさんがラクだからと自分都合で車で仕事に行く際に使っていた駐車場代、勝手にカード決済して買っていたお菓子やアイス、娯楽費を、お小遣いの中で自由に使ってもらうことにしたのです。ただし、カード決済は禁止。

小遣いが増えると家計も膨らむように見えますが、実際は他の費目の支出が減りました。
これまでいかに「小遣い」を他の費目に振り分けていたかが分かりますね。

トータルで見ると、支出は3万1000円下がっていて、3万5000円の黒字だった家計が、6万3000円の黒字にUP。
青天井だったブラックボックスを小遣い枠に移動し、その枠に収めることで、黒字に転化できたのです。

■夫婦仲改善という副次効果も
このご家庭は、3年未満に住宅を購入する予定も二人のお子さんが中学受験をする予定もなく、近々大きな支出予定はありません。
貯金は、まだ生活防衛費となる手取り世帯月収7.5カ月分(350万円程度)まで到達していないのですが、毎月黒字になっていること、ボーナスが手取りで年160万円あることから、ボーナス分を貯蓄に回し、黒字部分の6万3000円を半分ずつ、NISAで積み立てていくことにしました

上山さん夫婦のケースでは、夫のブラックボックスがクリアになったことが分かりやすい勝因でしたが、その裏で、お金の使い方に対する夫婦の気持ちを擦り合わせていけたことは、大きかった。

夫婦といえど、お金の使い方は違うのが当然。どちらが正しいとか、どちらに合わせることを強制するのではなく、妥協ではないですが、やはり足並みを揃えて協力していかないと資産は増えていきません。
逆に言えば、経済的に余力がある家庭であれば、足並みさえ揃えば、お互い気持ちよく家計を共有でき、貯めていけます。
すると、自然とご夫婦の仲もよくなります。
こうしたケースは決して珍しくないんですよ。

----------
横山 光昭(よこやま・みつあき)
家計再生コンサルタント、株式会社マイエフピー代表
posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月05日

「健康のため」にサプリを飲む人が知らない"真実"

「健康のため」にサプリを飲む人が知らない"真実"
自己判断で飲むことで重い病気を見逃す危険も
平地 治美 : 薬剤師、鍼灸師。 和光鍼灸治療院・漢方薬局代表

健康食品やサプリメントについて、正しい知識をお持ちでしょうか

連日報道されている小林製薬の健康食品による「紅麹問題」で、「サプリメントは安全で気軽に摂取できるもの」という神話は崩壊しました。
まだ原因とされる物質や健康被害との因果関係は明らかになっていませんが、本件に関係して亡くなられた方や健康被害に遭われた方が多数、報告されています。

この問題を教訓に、今回はサプリについて解説したいと思います。

そもそもサプリメントって何?
健康食品やサプリメントは国が定めたものではなく、一般的に使われる言葉です。

具体的には、
「健康によいとされる成分を添加している加工品」を健康食品
そのうち「カプセルや錠剤・顆粒のような形状をしているもの」をサプリメントといいます。

supply=補う、という意味から、サプリメントは「不足を補うもの」という意味で使われ、一定の基準を満たした「成分」を、摂取できるように工夫されています。
食品ですから「医薬品」のように病気を治すことを目的とするものではありません。

参考までに、医薬品とは別に「血圧が高めの方に」「ピント調整機能を改善」「糖の吸収抑制」といった機能性の表示が認められているのは、「特定保健用食品(トクホ)」「栄養機能食品」「機能性表示食品」の3種だけです。

機能性表示食品
出典:「機能性表示食品って何?」(消費者庁)

高濃度の成分を摂ることの問題
そもそも、サプリメントのような成分を濃縮してぎゅっと詰め込んだものを毎日摂るのは、栄養バランスを考えても大きな偏りを生むと考えます。
食材では、同一の成分を大量に摂ることはできませんが、濃縮した錠剤なら、難なく摂れてしまいます。

「レモン100個分のビタミン」などとうたっているものがありますが、よく考えれば一度にレモン100個も食べるということが、体にとって良いことであろうはずがありません。
ビタミンCの場合は水溶性であるため、不要な分は尿として排出されますが、成分によっては体に蓄積していくものもあります。

口から入り、胃腸で吸収されたものは、すべて肝臓に運ばれて代謝や解毒され、腎臓で濾過されて体外に出ていきます。
肝臓や腎臓の負担を増やせば、体の負担になるだけです。

もう1つ、サプリメントや健康食品で筆者が問題と考えるのは、「自己判断で購入する」という点です。
体に合わないことで体調を崩す可能性が大きいだけでなく、重大な疾患を見落として治療の機会を逃す可能性もあるのです。

例えば、貧血だと思って鉄のサプリメントを購入したとします。
しかし貧血の原因はもしかして「がんなどの重大疾患による消化管からの出血」の可能性もあるわけです。

言うまでもなく、医薬品とサプリメントの間には大きな違いがあります。

まず、サプリメント食品であるため、医薬品ほど厳しい審査を経て世に出るわけではありません。
もしご自身がサプリメントや健康食品を購入されているのであれば、そのパッケージをチェックしてみましょう。副作用や危険性の記載が十分ではないことに気付くと思います。

連日報道されている紅麹も、内閣府の食品安全委員会によると、10年前にはヨーロッパで健康被害が報告されています。
その危険性から、フランスは摂取前に医師に相談するように注意喚起しており、スイスでは2014年から販売が禁止されています。

このような情報を知ったうえで摂取していた方は、ほとんどいないのではないでしょうか。

「魅力的な宣伝文句」で購入
サプリメントを買う人が後を絶たない理由の1つに、「お腹いっぱい食べてもやせる」「飲むだけで疲れが吹き飛ぶ」など、“魅力的な宣伝文句”にあると筆者は考えています。

「やせたい」「関節の不調を取りたい」「髪を増やしたい」など、病院を受診するほどではないけれど解消したい悩みがある場合、体験談とともに紹介される商品は魅力的に感じられます。
また、そういう人の中には、生活習慣を見直して規則正しい生活を実践するのはたいへんだから、手っ取り早くサプリメントで済ませようと考える人もいるかもしれません。

事実、厚労省による調査「令和元年 国民健康・栄養調査」によると、健康食品を摂取している人の割合は、男性が約3割、女性が約4割います。

健康食品
厚生労働省「令和元年 国民健康・栄養調査」より

別の問いを見ると、男女ともに肥満度を表すBMIが普通、および肥満に該当する人で、「関心はあるが、運動習慣や食事習慣を改善するつもりはない」と回答した人の割合が最も高くなっています。

このような人にとって、摂取するだけで問題を解決してくれるような宣伝文句のサプリメントは、救世主のように映るはずです。

繰り返しになりますが、サプリメントは病気を治すものではありません。
血糖値や血圧、コレステロールの値が高いことを気にするのであれば、まずは生活習慣を見直すことが大事です。

それでも値が改善されなければ、自己判断で健康食品やサプリメントを飲むのではなく、病院を受診すべきです。
効果が明確で、かつ副作用についても明らかになっている医薬品を、専門の医師に処方してもらうほうが安全です。

天然由来の成分=安全、ではない
今回の紅麹問題とは少し違うかもしれませんが、健康食品、サプリメントで筆者が特に注意喚起したいのは、「生薬、天然物(薬効のある食材含む)由来」のサプリメントです。

薬草、野草、天然の成分などは、“自然のものだから体に優しい”“食品に使われるもので安全”というイメージが強いかもしれません。
しかし、天然成分には何万という成分が含まれていて、そのすべてを把握することは不可能です。
主成分以外の成分に有害なものが含まれていることもあります。

例えば、副作用報告件数が多いものに、スパイスとして料理にも使われる「ウコン(ターメリック)」があります。
ウコンはその薬効の大きさからスーパーフードとして有名になりましたし、二日酔い対策としても知られています。
こうしたメリットがある一方で、肝障害をはじめとする副作用報告も出ています。
料理に使う程度であれば問題なくても、高濃度のサプリメントを摂取すれば問題が起こることもあります。

何かおかしい、と感じたら即座に服用を中止し、専門家に相談すべきです。
ここでいう専門家とは、具体的には、サプリメントを販売した人ではなく、かかりつけの医師や薬剤師です。

また、摂取したいサプリメントがある場合、薬局で相談することをお勧めします
かかりつけ薬局で処方箋の薬、自分で購入した市販薬、サプリメントを一括で管理してもらうことで、安全性は高まります。店頭で、服用している薬やアレルギー情報を記入したお薬手帳を見せて、相談するのがいいでしょう。

口から取るものは薬であれ、サプリメントであれ、食品であれ、「飲み合わせ」があります。
似たような成分を摂ることで効果が強く出すぎてしまうものもあれば、逆に打ち消してしまうものもあります。
そういった問題をチェックしてくれるのも、薬局の薬剤師です。

そして病院を受診する際は、「医師に内緒で健康食品やサプリメントを飲み始めたことを言ったら怒られる」などと考えず、どんなサプリや健康食品を、どれくらいから飲んでいるかを、しっかり伝えることが大事です。

平地 治美
薬剤師、鍼灸師。 和光鍼灸治療院・漢方薬局代表
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本「身分社会」に逆戻りか

日本の相対的貧困率は先進国で最悪の15.4%「一億総中流社会」が崩壊し「身分社会」に逆戻りした“近未来の日本”で確実に起こること
2024年04月04日 集英社オンライン

1970年代に生まれた「一億総中流社会」という言葉。
大半の国民が中流の暮らしができているという概念だが、いまやその認識は崩れ去り、相対的貧困率は先進国の中で最悪だという。
こうした社会の歪みが未婚社会として顕れていると指摘する書籍『パラサイト難婚社会』より一部抜粋し、日本が身分社会に変容していくさまを解説する。

■未婚社会は「中流脱落恐怖」の化身
日本の結婚生活は、「不幸の共同体」に陥りかけているのではないでしょうか。
高度経済成長期には、「今は不幸でも、これから幸せになれる」と多くの人が夢を見られたのに対し、今の日本は、「現在、不幸」なら「今後もずっと不幸」と思うしかない社会状況であるように見えます。

人生のステップアップを望めない非正規雇用者がこれだけ多い日本で、しかし現在いちおうの安定を享受している中流層も、不安から逃れることはできません。
わずかに気を抜けばすぐさま現状のステイタスから下流に滑り落ちてしまう恐怖に、特に現役子育て世代はからめとられています。

「自分だけなら、どうにか無事に人生を送れそうだが、我が子は自分と同じランクの人生を歩めるだろうか?」

その不安が、昨今の塾歴社会に表れています。
幼少期から学習塾に通い、小学校高学年ともなれば、弁当持参で夜学を日常とする姿を年配者は理解できません。

「子どもは子どもらしく、外遊びをしていればいいのに……」

内心はそんな思いの親もいるはずですが、それでも100万円近くかかる塾代・習い事代を捻出しようと必死で働くのは、そうでもしないと「我が子が脱落してしまう」という危機意識ゆえです。
中学受験の教育費で破産するという、「中受破産」という言葉も生まれているほどです。

では、何から「脱落」するのでしょう。
「中流層からの脱落」です。
拙著『希望格差社会│「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(ちくま文庫)で、日本社会が上流と下流に二極化している現実に警鐘を鳴らしたのは2004年のことでしたが、あれから20年が経ち、現状は改善されるどころかますます悪化しています。

■先進国の中で最悪の「相対的貧困率」
かつて「一億総中流社会」と言われた日本で、今も「自分は中流」とみなす国民は多いのですが、実態はすでに「下流」であるケースは少なくありません。
2023年に厚生労働省が発表した「国民生活基礎調査」では、21年の日本の相対的貧困率は15.4%で、先進国中最悪の値でした。
「相対的貧困」とは、等価可処分所得(世帯可処分所得を家族人数で割った数字)が中央値の半分未満で暮らす人々のことです。日本の場合は1人当たり127万円未満がそれに当たります。

「相対的貧困」は、目に見えにくいのも特徴です。
食べ物や衣服にも事欠き、飢えや無学に苦しむ「絶対的貧困」と比べれば、いちおう屋根のある家に暮らし、何とか食べるものはあるし衣服もある。
しかも、格安スマホも持っているとしたら、その人のリアルな経済状態などは傍からはなかなか窺えません。

それでも日本で暮らすにあたり、年間127万円という数字は厳しいのが現実です。
公立学校には通えても、制服やランドセル、修学旅行費用を捻出できない、冷蔵庫や洗濯機を買えない、冠婚葬祭のためのお金の用意やスーツの新調ができない、皆で楽しむ旅行や飲み会に参加できないなどなど、経済的理由から「皆と同じ」生活水準を得られない状況です。

そういう人々が、およそ6〜5人に1人の割合でいる国が、今の日本なのです。

自己責任論が跋扈する日本では、病気や怪我、うつ病やいじめなど、人生の蹉跌のきっかけは本人の力が及ばない部分にも潜んでいます。
就労においては、起業や転職、自分探しなどの空白の期間〞も高リスクです。

多様性の時代とはいえ、日本はまだまだ「新卒一括採用社会」であり、王道の「高学歴・高収入企業への就職」「公務員としての安定」「医師や看護師など手に職」をつけさせた方が、人生の保険となる。
こうした通念こそが塾歴社会の過熱を招き、同時に「下流には落ちたくない」「自分よりひどい不幸がある」ことを確認したい欲求、もしくは他人へのマウンティング行為にもつながっているのではないでしょうか。

私が日本を「不幸の共同体」とみなすのは、「人間は差別したい生き物である」ことに加え、「差別することでようやく安心できる」「下流を見下すことで自分は正しい、自分は下流に落ちないと思える」という心理的な脆弱性が社会の根底にあるからです。

結婚相手に学歴と職歴と高身長と顔面偏差値を求める若者の心理にも、「わがまま」「夢見がち」「ないものねだり」以上に、極めて怜悧な「現実主義者」が隠されています
今はかろうじて「中流」の体を装い生活していても、いつ「下流」に落ちるかわからない、もしくは自分の子も「中流」でいられるかわからない恐れ。
だからこそ結婚相手には、人生の保険をかけられる十分な資質がなくてはならないとなるのです。

■「一億総中流社会」から「格差固定社会」へ
重要な点なので、「格差」をめぐる話を続けます。

歴史上、少数の貴族階級が世代を超えて、「富」や「教育」、「生活・結婚」環境を継承していく社会を「アリストクラシー」(身分社会・貴族社会)と呼びます。
本書でも繰り返している通り、江戸時代までの日本はまさに「身分社会」であり、本人の出自に応じた生活環境と教育レベルが厳然としてありました。
成人後も同じ身分の人間と結婚し、家庭を築き、次世代を生み育ててきたのが日本の歴史です。

明治維新以降、その「身分社会」が崩壊し、建前上は「個人」の努力で人生を切り拓いていく社会になったことも、すでに見てきた通りです。
さらに、太平洋戦争後は国土が焦土と化す中、それまでの社会秩序や階級も崩れ去り、人々は新たなスタートラインに立ったように見えました。

「アリストクラシー」から「メリトクラシー」(能力・業績主義)への移行です。
生まれ持った知能と、本人の努力次第で成功をつかむことも可能。
意欲さえあれば誰もが働ける時代には、学業も就職も結婚もかなりの部分を「努力」で補い、障壁を突破することができました。

「やる気さえあれば、仕事はある」し、「結婚したいと望めば、結婚できる」「頑張れば給料も上がっていく(男性限定ですが)」前提が高度経済成長期を通じて続きました。
団塊世代が今も「自己責任論」を語るのは、こうした背景が影響しています。「人生の成功も失敗も、本人次第」ということです。

しかし今、日本社会で「メリトクラシー」は通用するでしょうか。「俺は小学校しか出ていないが、最終的に日本国の総理になった」実体験は、リアリティを持って若者の心に響くでしょうか。「裸一貫で、財を成した先人たちに続いて、俺も(私も)」と夢を見られる人が、今の日本社会にどれだけいるでしょうか。

世の中は明らかに「アリストクラシー」の時代に逆戻りしています。
あるいは教育学者の志水宏吉さんが『ペアレントクラシー「親格差時代」の衝撃』(朝日新書/2022年)で明晰に論じているように、親の経済状態や成育環境もしくは教育計画が、子の成長に決定的な影響を及ぼす時代に変容しているのです。

親の「経済状態」と「願望」が、親子の「選択肢」を増幅させる社会。だからこそ親に「経済状態」の欠落があれば、どれほど「願望」があれど、子の「選択肢」は限られてきます。
そうした社会背景的文脈を無視して、「最近の若者は結婚に対する意欲がない」「子を生み育てる気がない」と、安易に嘆くことはできません。

パラサイト難婚社会(朝日新聞出版)
山田昌弘
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月06日

荻原博子氏が解説「新年度 生活防衛のツボ」株価史上最高値でも庶民は投資をやめるべき

荻原博子氏が解説「新年度 生活防衛のツボ」株価史上最高値でも庶民は投資をやめるべき
日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 

新年度になって、幅広い商品で値上げが続く。
日銀のマイナス金利解除を受けて普通預金金利が上昇するのはうれしいが、住宅ローン金利はどうなるか。
生活を支える制度については、さまざまな変更がある。どうやって生活を守るか。経済ジャーナリストの荻原博子氏に聞いた。
◇ ◇ ◇
帝国データバンクの調査によると、4月に値上げ予定の飲食料品は2806品目に上る。
主な食品メーカー195社を対象に価格改定の動きを調べたところ、4月の値上げはハムやソーセージ、冷凍食品など「加工食品」が最多の2077品目。そのほか、「調味料」(369品目)、「酒類・飲料」(287品目)なども目立つ。

飲食料品以外にもさまざまな商品やサービスの値上げが予想される。
たとえば佐川急便やヤマト運輸の宅配料金も、4月から2〜7%ほど値上げだ。
ドライバーの時間外労働が上限960時間に制限されると、1人当たりの輸送量や収入が減る。
その分が転嫁されるためだ。

値上げラッシュに見舞われるが、日経平均株価は先月22日に史上初の4万1087円をつけた。
その後も一進一退の攻防が続き、4万円前後で推移している。
今年から始まった新NISAでは、非課税枠が拡大したことで、個人投資家が株式市場に集まったことも株価を押し上げる要因とされる。

一方で日銀は、マイナス金利を解除。
これを受けてメガバンクの普通預金金利は、0.001%から0.02%と20倍に上昇した。
そんな金利上昇の動きから、経済誌には、インフレ時代到来を印象づける見出しが並ぶ。
株式市場は好調でインフレ局面を踏まえると、積極的に株式投資を考えるべきなのか。
荻原氏はそんなムードにクギを刺す。

「まず大前提として、日銀はまだデフレ脱却宣言をしていません。
その状況で、インフレと解釈するのは間違いで、その誤った解釈を基に株式投資を、という議論は根本的におかしい。
株式投資は常にリスクを伴いますから、慎重に見極めるべきです」

そもそも好調な株式相場は、日銀と海外の機関投資家が大量に資金を投入することで成り立っている。
そこに政府は新NISAのメリットをPRすることで、個人投資家も押せ押せムードにのっているわけだが、プロがシノギを削る“鉄火場”にシロウトが“参戦”するのは危険だという。
その根拠のひとつが、株価が上昇し、時価総額が増えても、日本経済はよくなっていないことだ。どういうことか。

「GDPの個人消費は3期連続マイナスで、株式相場のイメージほど日本全体の景気はよくなっていないのです。
年度替わりを挟んだ調整局面という見方もありますが、平均株価は4万円前後で停滞しています。
史上最高値に向かったときの勢いはなく、相場は必ずしもよくない。
何より、今後の世界がどうなるか、まったく予測できません。
株式投資は、未来を予想するものです。この国内外の状況では、個人が手を出すべきではありません」

■11月の米大統領選が波乱の火種に
振り返ると、米国でバイデン大統領が誕生したのは2021年1月だった。
翌年2月にロシアがウクライナに侵攻したことで、世界に原材料高の嵐が巻き起こった。
それが値上げの一因にもなり、いまも続いている。荻原氏が続ける。

「こうした世界情勢の流れをだれが予想できたでしょうか? できませんよね。
それと同じような世界情勢の激変が、秋の米大統領選をキッカケとして起こるかもしれません。
共和党の指名候補争いではトランプ氏がスーパーチューズデーを制して、バイデン氏との世論調査でも有利な情勢です。
しかし、トランプ氏の元側近は米議会襲撃事件に関与したとされる極右のスティーブ・バノン氏で、娘婿のクシュナー氏はガザ地区をめぐって過激な発言をした過去があります。
米大統領選の状況によっては、その先がまったく見えません。
予測できないことが毎日、繰り返されているのが世界なのです」

■従業員より株主重視は東インド会社時代のまま
平均株価は上昇した。企業の収益も改善した。
ところが、この30年間、実質賃金は変わらないどころか、減っている。
厚労省の「毎月勤労統計」(23年版)によると、20年の実質賃金を100とすると、23年は97.1。30年前からほぼ右肩下がりで、15.3ポイントも下落している。
ここにきて大手企業だけでなく中小企業にも賃上げの動きは見られるが、どうなのか。

「企業はこれまで利益の多くを株主への配当に回し、従業員への還元は二の次でした。
資本家(株主)がリスクを取って企業に出資して、利益を生んだ企業は資本家に還元する。
資本主義とはそういうもので、株式会社の原点といわれる東インド会社の時代から受け継がれています。
商法を改正した日本がグローバル化した以上、仕方ないことです」

実質賃金が上がらず、生活が八方塞がりのままとなると、沸騰する株式市場に魅力を感じる人もいるだろう。
やっぱり株式投資は控えるべきなのか。

「日本の人口構成は、富裕層とそれ以外に二極化してきています。
投資ができるのは、資金に余裕がある富裕層で、多くの庶民は生活が大変で株式投資に回す余裕資金はないはずです。
失ってもいいと思える資金で面白いと思えれば、株式投資に回すのはいいのですが、そうするとそれは投資ではなく、投機になります。
そのスタンスで株式投資初心者のシニアが、今後の生活資金である退職金などを株式投資につぎ込んで失うと、取り戻すのが難しい。
老後の生活に困るので、シニアの初心者はやらない方がいいです」

若い人なら、株式投資もありだという。
損失を回収できる時間があるのがひとつ。
もうひとつは、少額投資でヤケドを負った経験は将来、生きる可能性もあるためだという。

変動金利の125%ルールで元本が減らず…

金利についてはどうか。今後、長期金利が上がれば、住宅ローン金利の上昇も予想されるだろう。
「フラット35をはじめとする固定金利の方は金利上昇でも問題ありませんが、変動金利の方は要注意。
その根拠が、変動金利に設けられている125%ルールです」

変動金利には、5年ルールと125%ルールがある。
どちらも激変緩和措置で、前者は契約から5年間は金利が上昇しても毎月の返済額が変わらない仕組みだ。
後者は、6年目からの毎月の返済額は、それまでの金額に対して125%までしか上げられないというルールである。
125%ルールの落とし穴が怖いという。

「125%ルールは毎月の返済額を抑える仕組みですが、総返済額を減らす仕組みではありません。
金利が上昇すると、返済額に占める利息部分が増える。
ところが、返済額が125%で抑えられていると、元本の返済が進まず、未払いの利息が発生する恐れがあるのです。
変動金利の人はとにかく元本を減らす、あるいは返済年数を減らすことを考えるべきです」

東京都と大阪府では4月から高校授業料の実質無償化が始まった。
これまで設けられていた年収制限がなくなり、授業料が実質タダになる。都立や府立のほか、私立高校も対象だ。

「たとえば神奈川や千葉から東京の私立高校を目指す場合、受験前に引っ越して授業料無償化の恩恵を受けるのは生活防衛のひとつ。
しかし、私立の場合、入学金や設備費、修学旅行の積立金なども公立より高いので、そこは頭に入れておくべきでしょう」

こうしてみると安くなるのは高校の授業料くらいで、生活への逆風は強くなりそうで困る。対策は?

「家計の引き締めが一番です。
各種保険の見直しや解約をしたり、通信費の節約で格安スマホに変更したり。
ポイントの利活用も大切で、できることはなんでもやって生活防衛につなげる意識が必要です。
経済が不安定のまま、庶民の購買力が改善しなければ、デフレに戻る可能性もあるとみています」


生き残るには、もがき続けるしかない
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「91.4%起こらない」のに不安が消えない根深い理由「心配ばかりで苦しい」を今すぐ取り除く方法

「91.4%起こらない」のに不安が消えない根深い理由「心配ばかりで苦しい」を今すぐ取り除く方法
4/5(金) 東洋経済オンライン

 生きていれば不安はつきもの。
とくにビジネスの現場では、ちょっとミスをしただけでも必要以上に落ち込み、不安に苛まれることになってしまうかもしれない。

■なぜ、小さなことに悩んでしまうのか? 
 しかし、そういった不安の多くは、あとから振り返れば「なぜこんな小さなことで思い悩んでいたのだろう」と感じることだったりもする。
にもかかわらず、なぜ私たちはことあるごとに不安にとらわれてしまうのだろう? 

『あやうく、未来に不幸にされるとこだった』(堀内進之介、吉岡直樹 著、東洋経済新報社)の著者は、その理由を「私たちの心の独特な働き」とひもづける。
 人の心はほとんどの場合、つねに「いま」ではなく「未来」のことを捉えているというのだ。
しかも未来を見据える心の動きは、悲観的であることが圧倒的に多い。


 たしかに私たちはしばしば未来に対し、「もし〜だったらどうしよう。そんなことになったら、もう取り返しのつかないことになってしまうかもしれない」などと考えてしまいがちだ。

 実際にそんなことは起こりえないのに、「ほんのわずかな可能性」を無意識のうちにたぐりよせては、あたかも「確実な未来」であるかのように思い込んでしまうのである。

 そうした不安へとつながっていく心のあり方を、著者は次のようにまとめている。

❶心配……わからない、確実ではない、ありえない、未来を想像して心配してしまう。
❷無理・無駄を繰り返す……そして、自分の勝手な思い込みで判断し、未来をなんとか自分の望み通りにしようと無理・無駄を繰り返す。
❸失望からの不安……しかし、不確かな未来に向かってもがいても何も変わらない。だから結局は疲れ果て、停滞し、不安なまま未来を悲観的に考えて自分に失望する。(「はじめに 未来が自分を不幸にする」より)

 だから必然的に、不安のループに巻き込まれていくということだ。
しかしそうなると、「いまを楽しく生きる」ことが困難になっていくに違いない。

 そこで著者は本書において、「未来を手放し安心して生きる」ための方法を提案しているのだ。
具体的には自信、関係、モノ、時間、お金、成長という6つのテーマごとに、「なにを、どのように解決するべきか」、その方法を明らかにしているのである。
 ところで偉そうなことを書いてはいるが、じつをいうと私も、いままさに大きな不安の渦中にある。
自分のミスを発端とした不安が、ずっしりと心にのしかかっているのである。

 そこで、ここから先は、同じように不安を抱えた方々と歩調を合わせつつ、本書のなかから解決のためのヒントを探していきたい。

■未来を心配するのは、もうやめよう
 未来について心配するのは、無意味で愚かしいことだと著者は断じている。
それはなんの利益も生まず、ただ自分の心を苦しめるだけのことなのだと。
 そんなことは百も承知で、だから困っているわけだが、いずれにせよ「未来への不安はほぼ実現しない」という研究結果も出ているのだという。

 2020年に、ペンシルバニア州立大学で実施された研究がそれだ。29人の参加者にそれぞれ10日間にわたり、心に浮かんだ心配ごとを記録してもらい、それらに根拠があるかどうかを調べたというのである。
結果、心配ごとのうち最も多かったのは「まったく根拠のない心配ごと」でした。
さらに「なんらかの根拠がある心配ごと」についても、30日間にわたって追跡調査をしたところ、その91.4%は実際には起こりませんでした。(114ページより)

 この結果からわかるのは、「私たちが日々心を悩ませている心配ごとは、かなり的外れで、ほとんど現実化しない」という「事実」だ。

 心配ごとに取りつかれ不安の渦中にいるときは、それがとてもリアルに感じられるだろう。
しかし、単に不安がそうさせているだけなのだ。
 つまり大切なのは、「心配ごとの多くには根拠がなく、悪い予測のほとんどはハズレる」という「事実」を知っておくこと。そうすれば、気持ちは格段に楽になるはずだからだ。

 とはいっても(つまり、理解しているつもりでも)、私たちの心は不安からなかなか抜け出すことができない。
 だから困ってしまうのだ。
しかも、なんとか抜け出したいと思っているからこそ、心は「心配が現実化するわずかな可能性」を無意識に探し続けてしまう。悪循環だ。

 その結果、私たちはいつしかそれを、あたかも「確実に起こること」であるかのように受け止めてしまうのである。
本当は、たちの悪い錯覚でしかないのに。
そうなると、私たちは「到底起こりえないような不安」を、「確実な未来」だと信じ込み、おびえてしまいます。
「取り越し苦労」で、人生を浪費してしまい、「いまを楽しみながら生きること」ができなくなるのです。(115ページより)

やはりそれは、なんとかしなければならない。

■どうやって、91.4%の不安を無視するか
 不安の91.4%が無駄だとわかっているのなら、あとはそれを無視すればいいだけだ。
簡単な話だが、それは心にとってはなかなか難しいことでもあるようだ。
 その理由を著者は、「心は不安にフォーカスしたがるから」だと説明する。

 怖いとわかっているからこそホラー映画を観てしまうのと同じように、私たちの心は不安の存在に気づくと、それをじっと見続けてしまうというわけだ。
 事実、ここまでお読みになって、「残りの8.6%」が気になっているという方もいらっしゃるのではないだろうか? 

 「すべての心配ごとのうち、91.4%は無視してよい」といわれて気持ちがラクになったはずなのに、気がつけば今度は「残りの8.6%」が自分に当てはまるのではないか、と心配になっている可能性があるということだ。
かつては著者もそうだったという。

でも、それって、めちゃくちゃ疲れませんか? 
そして、あまりに悲観的だと思いませんか? 

楽しくないまま、いまを過ごす生き方なんて、やめちゃいましょう。
大げさに聞こえるかもしれませんが、命の無駄遣いです。(116ページより)

 厳密にいえば、「いま感じている不安」は「未来の不安」ではないと著者は断言している。
それは、未来に対して、いま「わざわざ起こしている不安」にすぎないのだと。

どうなるかわからない未来を変えることは大変ですが、「いま」ならすぐに変えられます。
つまりその不安は、いますぐ取り除けます。(117ページより)

■「未来も、ほぼ100%大丈夫」
 そもそも、未来のわずかな可能性のせいで心が不安だらけになってしまうのだとしたら、それは明らかに不健康である。
 少ない可能性は小さくしたほうが合理的だし、なによりそのほうが心を穏やかに保てることだろう。

幸い、そのためのよい方法があります。
心のバランスを取り戻すテクニックなのですが、やり方は簡単。
「いま」に集中して、不安な気持ちを次のように言い換えるだけです。

「未来も、ほぼ100%大丈夫」

この呪文は未来を追い払って、現在に集中するためのものです。(117〜118ページより)

 いささか気恥ずかしいが、とはいえこれは説得力に満ちた考え方でもあるだろう。
それに、わざわざ言語化しなくても、このように意識しているだけでも効果は望めるはずだ。

 どんな物事も、どこを強調して表現するかによって印象はがらりと変わる。
そしてそれが、大きな意思決定にまで影響することがある。

 心理学では「フレーミング効果」と呼ぶそうだが、つまり上記はその応用だということだ。
「未来も、ほぼ100%大丈夫」という呪文のどこが「フレーミング」なのかというと、「心が無意識にフォーカスするポイント」をズラしている点です。

私たちは、ともすると未来ばかりを見てしまいがちです。
つまり、視点があまりに先すぎるので、心穏やかに過ごすためには、視点をときどき手前に引き戻さないといけないのです。(119ページより)
 だからこそ、「いま」にフォーカスできるようにするべきなのだ。

■現在が残念なときほど「いま」に集中する
 さて、ここで2つの感じ方を比較してみよう。

@ 「思っていたのとは違う状態」を、残念に思うか
A 「予想しなかった出来事」を、ラッキーと思うか
(123ページより)

 一般的に、@の考え方をする人は「予想したとおりのことが起こってほしい」人なので、未来に対するフォーカスも強いといえる。
 一方、Aの考え方をする人は、現在の「受容度」が高いタイプだろう。
「いま」を「いま」として受け入れられるということだ。

 総じてAのほうが、幸福度は高くなるようだ。
なぜならそういう人は、つらいときにフォーカスをより手前に引き戻すことができるから。

「フォーカスを手前に引き戻す」という小技は、誰でもすぐにできる、最も簡単にして最強のテクニックです。

例えば、マラソン大会に向けて毎日ランニングを続けているとしましょう。
努力が思うように実らないときでも、「なかなかタイムが伸びない」とがっかりする(=「いま」の状態を残念に思う)のではなく、いま、大会に向けて走っていること自体を楽しむべきです。(119ページより)

 つまり、「ああではない」と嘆くのではなく、「いまこうである」を楽しむべきだということである。

■「いまやりたくない仕事」はどうするか? 
 もちろんそれは、仕事についてもあてはまる。
 たとえば、どうしても気持ちの乗らない仕事があった場合には、誰かに代わってもらえないか掛け合ってみるのもひとつの手だ。

 なによりまずいのは、自分で「やらないといけない」と思い詰めてしまうこと。
あえて周囲の力を借りることが、よりよい結果につながるケースもあるのだ。

 それでも避けられないのなら、フォーカスをもっと手前に引き戻し、意識的に楽しむべき。嫌な仕事は長く感じるものなのだから、どうせならその作業中に感じられる楽しみをいち早く見つけ、それを味わいながら仕事をこなすほうがいいわけである。
 また、「嫌な仕事」を次のように脳内でポジティブ変換することも、精神衛生上、大きなメリットがあるそうだ。

「仕事でミスをした」(ポジティブに言い換え→)「これは何か他の大きな失敗と引き換えに先取りしたのだな。この程度でよかった!」

「明日までにどうせ選ばれないアイデアを100個考える」(ポジティブに言い換え→)「次の1個で人生変わるかも!」
「たった一度の会議のためだけに、大量のコピーを用意する」(ポジティブに言い換え→)「これは疲れた脳を休ませるチャンス到来!」
(119ページより)

 言語化すると軽く感じられるかもしれないが、これも先述の「フレーミング」と同じく重要なスタンスであるという。
 もちろんポイントは、未来にフォーカスするのではなく、「いま」に集中することだ。

秘訣はすべて「いまを楽しもう」と試みること。無理は決してしないこと。

そして「私は、それが嫌なのだけど」と自分に言う代わりに、あえてその中に楽しみを見出すようにすると、楽しく感じられるものです。(128ページより)

 先述したように、人生に不安はつきもの。だとしたら、その渦中でもがき続けるより、楽しみながら乗り越えるほうがいいということである。

印南 敦史 :作家、書評家
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【どうする仏壇&墓じまい】「実家の片付け」で悩んでいる人はやってみて!

【どうする仏壇&墓じまい】「実家の片付け」で悩んでいる人はやってみて!
2024年04月06日 ダイヤモンドオンライン

「実家の片付けにおける心の問題として、意外に大きなこと」が今回のテーマです。

「空いた実家をそのまま貸せばいい」とお話しすると、「リフォームが必要なんでしょう?」とか「そもそも大都市近郊だと可能な話で地方では無理なんしょう?」という反応がかえってくることが多いと語るのは、不動産投資家で空き家再生コンサルタントの吉原泰典さん。
その質問に対しては「古くても地方でも大丈夫! 貸せます」と多くの方が驚かれるそうです。
本連載では、「貸すか売るか自分で使うか」判断の分かれ目はどこなのか?
なぜ「そのまま貸す」ことがお勧めなのか? などを解説し、「誰もすまなくなった実家」をそのまま貸すためのノウハウを話題の書『「空いた実家」は、そのまま貸しなさい』の中からご紹介していきます。

■仏壇と位牌の扱いについて

 実家の片付けにおける心の問題として、意外に大きいのが仏壇と位牌の扱いです。
遺品や家財とは少し違いますが、やはり右から左へと処分するわけにはいきません。

 私の場合、岡山の実家にあった仏壇はとりあえず倉庫に預けておくとともに、位牌は東京の自宅マンションに持ってきて自分の書斎に置き、毎日線香をあげています。
 これらを移す際は岡山の実家の菩提寺の住職に相談して、アドバイスをもらいました。

■僧侶に来てもらって行われる「魂抜き(閉眼供養)」や「魂入れ(開眼供養)」
 仏壇や位牌は先祖の霊の依り代であったり崇拝や供養の対象です。
それらを移したり、処分したり、新しく調達する際にそれなりの扱いをするのは当然のことで、具体的には僧侶に来てもらっていわゆる「魂抜き(閉眼供養)」や「魂入れ(開眼供養)」を行うのがよいとされます。

 私としては将来、普段生活している東京のマンションに小さな仏壇を購入し、そこに入るように位牌も一回り小さいサイズにするつもりです。
その際にはまた僧侶を招いて「魂入れ」を行う予定です。

■お墓はどうする?
 仏壇と位牌とともに、地方の実家ではお墓の扱いも気になるところです。
自分の代まではそのまま置いておくのでもいいのですが、子どもの代になったとき果たしてそのまま維持できるかどうかは気になるところです。

 仏壇と位牌を移す際、合わせてお墓の移転を考えるのも自然なことでしょう。
こうしたお墓の移転のことを最近は「墓じまい」と呼んだりします。

 具体的には、元のお墓にあった先祖の遺骨を新たなお墓に移し、元のお墓は撤去します。

 そして、お墓が立っていた土地は墓地を経営するお寺や団体に返却します。
子どもがいない人の場合は、先祖の遺骨を永代供養がセットになった樹木葬や合祀墓に移してしまうケースもあります。

■「改葬」の手続きはこうして行う
 元のお墓から先祖の遺骨を取り出す際や新しいお墓に遺骨を入れる際などには、先ほどと同じように僧侶に来てもらって「魂抜き」や「魂入れ」を行います。
 また、注意したいのは「墓じまい」は法的には「改葬」と呼ばれ、勝手に行うことはできません
墓地の管理者や役所への届出などの手続きが必要です。

(本原稿は、吉原泰典著『「空いた実家」は、そのまま貸しなさい』を抜粋、編集したものです)
posted by 小だぬき at 19:48 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月07日

川勝氏だけじゃない「失言を繰り返す人」3つの特徴

川勝氏だけじゃない「失言を繰り返す人」3つの特徴
上昇志向が強い人、自己肯定感が高い人も要注意
木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者
2024/04/06 東洋経済オンライン

4月3日、静岡県の川勝平太知事が会見を開き、前日に突然、辞意表明した理由などを語り、その発言が再び物議を醸しています。
事の発端は1日に行われた静岡県庁入庁式での新人職員への訓示。
川勝知事の「静岡県の県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンクです。
毎日毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいは物を作ったりとかいうことと違ってですね、基本的にみなさま方は頭脳・知性が高い方たちです。
ですからそれを磨く必要がありますね」などの発言は、すぐに「職業差別だ」という批判が殺到しました。

これを受けた川勝知事は2日に突然、辞意を表明。
しかし、辞任の理由を話さず、記者たちの呼びかけを振り切って立ち去ったことで批判はさらに過熱しました。
そして3日に会見を開いたのですが、発言を謝罪したものの、辞任の主な理由に「リニア問題が大きな区切りを迎え、仕事が一段落したこと」をあげたほか、「発言は撤回しないか」と聞かれてうなずき、「私の心も傷ついている」と語るなどの言動に疑問の声があがっています。

地域、主張、容姿などにおける偏見

ただ川勝知事の失言は今回だけではありません。
2009年の初当選から4期15年の任期中、その発言が何度も物議を醸してきました。

「(県と静岡市、浜松市との首長サミットで)静岡市は政令市の失敗事例」
「(知事の計画に賛同しない県議らに)やくざもいる。ごろつきがいる」
「(女子大学生に対して)顔のきれいな子は賢いことを言わないときれいに見えない」
「(選挙の応援演説で声を張り上げて)あちら(御殿場市)はコシヒカリしかない! ただメシだけ食ってそれで農業だと思っている!」
「磐田は文化が高い。浜松よりもともと高かった」
「(サッカー強豪校の)藤枝東はサッカーするためにやってきている。
学校もボールを蹴ることが一番重要なことなんですよ。勉強よりも何よりも」

これらの発言をするたびに、何度となく撤回し、「生まれ変わる」などと誓ってきたにもかかわらず、今回も繰り返してしまいました。
誰がどう見ても辞職は妥当であり、「自分は川勝知事のような失言をしない」と片付けてしまいがちですが、程度の差こそあれ決して他人事ではありません。

あらためて川勝知事の言動をチェックしていくと、多くのビジネスパーソンに当てはまるかもしれない、失言に至る“3つの意外な落とし穴”が浮かび上がってきます。

周囲との関係性を客観視する習慣

1つ目の意外な落とし穴は、周囲との関係性を客観視する習慣。

周囲との関係性を客観視できる人は、「自分は他人と比べて何ができるのか、どんな立ち位置でどんな言動をするべきか」などを考える傾向があります。
それ自体は人間関係を円満に保つうえでよいことなのですが、問題は周囲の人々との関係性に上下、優劣、勝敗などを持ち込んでしまいがちなこと。
「自分の立場や影響力は彼より上か下か」「このグループではどれくらい優れているか」「自分はあの人より稼げているか」などと考えるほか、しばしば特定の人を敵とみなして攻撃的になってしまうときがあります。

これを川勝知事の発言に置き換えると、「県庁の職員は農家や製造業の人と比べたら、頭脳・知性の面では勝っているからそこを磨いてほしい」という思考回路だったのでしょう。
しかし、そのような勝敗づけは必ずしも正しいとは限らないうえに、不必要な軋轢を生んでしまうだけ。
勝手に比べられて「上下の“下”、優劣の“劣”、勝敗の“敗”」におとしめられた人が不快な気持ちになるのは当然であり、心の中で思うことですらやめたほうがいい考え方です。

とりわけ自分の客観性や分析力に話術が追いついていない人は要注意。
言いたいことのニュアンスが伝わらずに誤解を招き、相手から失言する人というレッテルを貼られかねません。

実際、川勝知事は「新規県庁の職員として入庁された方々への歓迎の言葉が、また、励ましの言葉がこんなことになったというか、何か問題発言があったかのごとき状況になって本当に驚いています」と語っていました。

普段から周囲との関係性を客観視していても、それがマウントを取るような思考回路につながってしまうと、このような他人事にしか聞こえないような釈明をして火に油を注いでしまうケースがよくあります。
ある意味、正直な人とも言えますが、特に社会的な地位の高い人ほど「そんなつもりはなかった」では許してもらえず、立場を追われてしまうでしょう。

モチベーションの高さとその自負

2つ目の意外な落とし穴は、仕事に対するモチベーションが高く、それを自負していること。

こちらも、それ自体はポジティブなことですが、上昇志向が強い人や、意識的に自己肯定感を高めようとしている人は要注意です。

川勝知事は辞任宣言する直前に、「ここまでこういう風潮が瀰漫(びまん)しているということに対しましては憂いを持っています」と語ったほか、その他でも「誤解も甚だしいというか、曲解も甚だしいと思います。しかしそういう人がいたことは誠に残念で、ぜひその誤解は解いていただきたい」などのコメントもありました。

さらに、広聴広報課に苦情が入ったことを指摘されたときも、「それは(発言を報じた)読売新聞のせいだと思っています」「切り取られたんだと思いますね」などとメディアに責任転嫁。
いずれも「(世間の風潮、誤解する人、メディアなどに)足を引っ張られたくない」という感情が人一倍強いと思わせる発言であり、上昇志向が強い人ほどこのような思考回路が見られます。

また、本来は自己肯定感の高い人ほど、異なる価値観の人に対して寛容になることができ、組織の中でポジティブな影響を与えられるものです。
しかし、「自分を肯定しよう」という意識が強すぎる人は、それを優先するあまり、他者に不寛容な言動になってしまったというケースが少なくありません。

「ありのままの自分を肯定しよう」という考え方は素晴らしいものの、その意識が強くなりすぎて「自分のプライドを守ろう」という防衛意識につながったときは危険信号。
「つい言いすぎてしまった」「余計なひと言を加えてしまった」などの失言につながりやすく、しかも自分への意識が高まった状態だけに、素直に謝罪できず誰かに責任転嫁してしまいがちです。
川勝知事が辞任理由にリニア問題を持ち出したのは、この典型的なケースと言っていいでしょう。

これをビジネスパーソンに置き換えると、たとえば出世したあとやプロジェクトを成し遂げたあとなどは自己肯定感を過剰に意識しやすく、なかでも努力や才能への自負がある人は、それだけ失言のリスクが高いため注意が必要です。

話し好きでサービス精神がある

3つ目の意外な落とし穴は、話し好きでサービス精神があること。

これも本来はポジティブなことですが、「聞く人が引きつけられるような話をしよう」「わかりやすくなるようにたとえ話を入れよう」「何かためになる情報を入れよう」などの意識がある人は失言につながりやすいところがあります。

川勝知事は入庁式の際、ほぼ原稿などを読まず、新人たちを見て堂々と話していました。
「威張る人がいたら反面教師にしてください
上にへつらってはいけない。
下に威張らない。言葉づかいはとても大切です」とも語っていましたが、こちらは新人たちにとって参考になる言葉でしょう。

しかし、「引きつけるために」「わかりやすくするために」「ためになるように」などの意識が、無用なたとえ話や比較対象のピックアップにつながってしまうことがよくあります。
事実、前述した川勝知事による過去の失言は、大半がそのような意識を感じさせるものでした。

さらに、話し好きでサービス精神がある人の中には、「自分が何を言うか」ばかりに意識が向けられ、「それを聞いた人がどう感じるか」への注意が欠けてしまう人が少なくありません。
政治家であれ、企業の管理職であれ、組織の主導的な役割をする人は、ハラスメントと同じように「聞いた人がどう感じるか」という意識は重要です。

たとえば、「いいことを言ったはずなのに手応えがないな」と感じたときは、「それを打ち消すくらいの失言をしていた」のかもしれません。
こういう人は「言わなくてもいいリップサービスで墓穴を掘ってしまった」という失敗を繰り返して信頼と立場を失っていくので、自分の話術レベルを過信しないほうがいいでしょう。

周囲に止める人がいない哀しさ

そして、話し好きな人の失言リスクが高いもう1つの理由は、周囲に止めてくれる人、止めようとする人がいないこと。
コミュニケーションのベースが「自分が話すこと」になっているため、助言を与えることはできても、助言を得ることは難しいところがあるのです。

表面上はうまくつき合えているように見えても、実際は「向き合ってもらえていない」「関わり合いを持とうと思われていない」というケースが少なくありません。
しかも組織の中でこのように距離を取られた関係性が続くほど孤立化が進み、失言リスクは高まっていくのが怖いところです。

ここまであげてきた「周囲との関係性を客観視する習慣」「仕事に対するモチベーションが高く、それを自負している」「話し好きでサービス精神がある」という3つのポイントは、いずれもビジネスパーソンにとってポジティブなものでしょう。
しかし、紙一重で失言という落とし穴にはまり、立場を追われることもありえるだけに、川勝知事の辞任は決して対岸の火事ではないのです。

木村 隆志
コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月08日

人はなぜ霊感商法に引っかかるのか? 「現代の魔女」が語る「オカルトとの付き合い方」

人はなぜ霊感商法に引っかかるのか? 「現代の魔女」が語る「オカルトとの付き合い方」
4/7(日)  デイリー新潮
魔女・魔術師・占い師・神秘家の肩書きを持つヘイズ中村さん

 2月に出版された『ガチ魔女って普段何しているんですか?』(二見書房)は、魔女・魔術師・占い師・神秘家の肩書きを持つ日本人女性、ヘイズ中村さんによる「魔女」の解説書だ。
「オカルト」のジャンルに属する本だが、語られている「現代の魔女」は大きな鍋で怪しい薬を作ることも、不思議な杖を振って願いを叶えることもない。
むしろ、魔女に向いているのは「疑り深い現実主義者」だと説く。

 ヘイズさんは現在、本の出版や講座などを通じてオカルトの世界を解説している。
怪しいモノに騙されないためにも、まずオカルトの正しい知識を身につけるべきという意識が強い。
日本のオカルト界で騙す側と騙される側を長く間近で見てきたヘイズさんに、「日本人とオカルト」について話を聞いた。

魔女は「不思議大好き」な人たちではない
――まず「現代の魔女」とはどんな人たちなのですか? 

 現代の魔女の定義や歴史には諸説ありますが、共通しているのは、目に見えない世界を信じ、地球や自然と一体化したライフスタイルを提唱する“生き方”です。
近年のスピリチュアルブームで増えている「不思議大好き」な人たちではないんですよ。

――「不思議なこと」を積極的に信じるタイプではないと。

 私自身はほとんど信じません。
でも、世の中には「不思議なこと」がたくさんありますよね。
それらの皮を剥がした結果、99%がオカルトでなかったとしても、どうしても解明できない何かが1%は残る。
それを見極め、自分や周囲のために生かしたいと考える人は魔女に向いています。

――そうした魔女が使う魔術とはどんなものなのですか? 

 現在の西洋儀式魔術は「近代西洋復興魔術」などと呼ばれ、そこから枝分かれしたのが「魔女術」です。
儀式魔術は精神修養的な側面が強いのですが、魔女術は平たく言うと、願いが実現するように自分の心と体を動かして、環境や自分自身を変えることが特徴。
その過程を効率良く進めるために、行動を起こす際に月の満ち欠けを確認したり、エネルギーをうまく回したりと、「目に見えないもの」の仕組みや力を使います。

――たとえば「エネルギーを回す」という魔術はどんな内容ですか? 

 細かいコツや方法を省いて説明すると、具体的な行為は、願望の成就に必要な現実の作業の途中で成就までを一度イメージすることです。
願望が“本の出版”なら、資料集めの途中で「次は構成を考えて、その次は原稿を書いて……」とイメージします。
こうして1日1回エネルギーを回し続けると、渦が起こって周囲を巻き込めるようになる。さらにそこで大きく行動すると、渦がまた大きくなって、成就に向かう波も大きくなり、成就しやすくなるわけです。
ただし、実際の行動という努力なしでは成立しません。

騙される経験を繰り返す人は多い
――魔女の修行はどのように始められたのですか。

 80年代前半、魔術や魔女術に関する著作で有名な英国の作家に紹介され、東アジアを中心に活動する魔術団体に参加しました。
そこの構成メンバーの大半は、ヨーロッパから現地の大学に招聘されてきた大学教授たち。
皆さん知的でしたから教える内容も理論的で、非常にアカデミックな環境で修行の一歩を踏み出せました。
その後も海外の団体と交流したり、関連書を原書で読んだりしながら、実際の修行を続けています。

――様々な修行があるそうですが、魔術に理解があるパートナーとご結婚もされるなど、現在の日常生活は意外と普通だそうですね。

 単純に言うなら、あまり不自然なことをしない生活ですね。
日が落ちた頃に食事をして、早めに寝て、太陽が出た頃に起きる。
地元で生産されたものを食べる。
あとは地球にあまり迷惑をかけないように、ガソリンを無駄に使わないといった感じです。

――オカルト関連の著作家や占い師としても日本のオカルト界を長く見ています。そこで気づくことはありますか? 

 今の日本でオカルトに惹かれる人には、一発逆転を狙うというか、社会の閉塞感から逃げているような部分があると思います。
パワースポットに行っても何も変わらないからと、魔術の世界に来る人もいますが、そこで修行法などを紹介すると、これを数年やらなきゃいけないのかとまたパワースポット巡りに戻る。
あるいは高額のグッズを購入するなど いろいろなものに飛びついては騙される経験を繰り返す人はとても多いです。

大きく騙されてしまう人の傾向

――不安が多い今の時代、オカルトやスピリチュアルを名乗る怪しいモノに騙される人が増えているように見えます。

 増えたのではなく、SNSなどで可視化されてきたのだと感じます。
「できれば簡単に一発逆転」という心の弱い部分はどの年代にもありますから。
ただ、騙し騙される様子を何十年も見ていると、騙されてしまう側には一定の傾向があるように思えます。
頑張って真面目に生きているのに人間関係や仕事に恵まれない、といった境遇にある人たちです。
「それは社会が悪い」と言ってくれるところに引き寄せられてしまった人は多いですね。

――そうした怪しいモノを見分ける方法はありますか。

 たとえば“お告げ”の場合、一般的なイメージは「神からのお告げが!」と突然言い出す人たちですよね。
でも実際は、訓練や修行を経て発揮される能力です。
そういう血筋の方も多い。
私の周りにも幼い頃から修行を始めて何十年も続けながら、一定の術式に則って“お告げ”を受け取っている人もいます。
また日本でも海外でも、そうした人たちは『神』と『自然』をきっちり分ける傾向があまりないんですよ。

 また、生涯未婚だったり金銭の富は持っていなかったり、みなさんそれなりの代価を支払っています。
人間が持てるエネルギーの量は誰でもあまり変わらないので、エネルギーを大きく受け取って能力を発揮するなら、家族や私財は持てなくなるわけです。私自身は“お告げ”で大金を得ている人を見ると「ふぅん」と思いますね。

成功者はなぜ占いを信じるのか

――政治家や企業のトップなどに「お抱えの占い師」がいるという話も耳にします。

 見えない世界を強く感じる瞬間が一般の人より多いのだと思います。
たとえば弁護士だと、何年も揉めている遺産相続の案件が、当事者である兄弟全員の夢に彼らの亡くなった母親が現れ、『争わないで』と言ったとたんに解決する。
医師だと、死期の近い患者が、離婚した配偶者が帰ってきた瞬間に大きく持ち直す、といった経験です。

 そういう状況を目の当たりにすると、「目に見えない世界」を否定し続けるより「あるのかもしれない」と思った方がつじつまは合う。
ただ、その世界を自分で研究すると、本を読むだけで何十年もかかりますから、きちんと訓練した、実績のある占い師などに頼むという選択も生まれます。

――日本ではなぜ、あらゆる層が「目に見えない世界」を意識するのでしょうか。

 大晦日に除夜の鐘を聞けば「今年が終わる」と感じますよね。
亡くなった人がお盆に帰ってくる話が本当かはさておき、そう思ってお線香をあげることで、現実の人間関係がスムーズにいくこともあります。
日本ではそんな風に、宗教体験と慣習が一体化しているわけです。
だから、意識せずとも「見えない世界や現実以外の何かがあるのでは」という感覚を持っている人が潜在的に多いんですよ。

デイリー新潮編集部
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「まぁ」「はい」「なるほど」は要注意ワード…無意識に相手を不快にする「使うべきでない相槌」の正しい使い方

「まぁ」「はい」「なるほど」は要注意ワード…無意識に相手を不快にする「使うべきでない相槌」の正しい使い方
2024年04月07日 PRESIDENT Online

相手の話を聞くときには「相槌」に注意したほうがいい。
テレビ東京「ワールドビジネスサテライト(WBS)」キャスターの山川龍雄さんは「『まぁ』『はい』『なるほど』といった相槌は使いすぎるとよくない。
私は録画で自分の発言をみて、考えをあらためた」という――。
※本稿は、山川龍雄『「話す・聞く・書く」伝え方のシン・常識 半分にして話そう』(日経BP)の一部を再編集したものです。

■猫背、首が曲がっているとだらしなく映る
Q
山川さん自身が番組に出演する際に、見た目の印象で気を付けているところはありますか。

A
自戒を込めて申し上げられる教訓はたくさんあります。
10年前、テレビの仕事を始めて最初のうちは、自分の出演番組を録画にとってよく「一人反省会」をやりました。
まず、姿勢ですが、猫背で両方の肩の高さが同じではありませんでした。
これはだらしなく映ります。
首の角度も曲がっていることに気づきました。

Q
確かに、姿勢がピシッとしているかどうかでずいぶん印象は変わります。

A
あとフリップやモニターを指す時に、手がゆらゆらと揺れていました。

Q
手先が動いていると落ち着きがないように映りますし、見る側は気が散りますね。

A
それに情報番組などではたくさんモニター画面やフリップで図表を示す時がありますが、説明する内容と指すところが違ったりしていると、頭に入ってきません。
今は、読む内容に合わせて、適切なところを指示棒で指すことを心がけています。

■訃報を伝えた自分が「冷たい感じ」に映っていた
Q
話す時の表情についてはいかがですか。

A
これはいまだに悩みの1つです。
テレビ慣れしていない人は全般的にそうだと思いますが、私も表情が薄かった。
前向きな話をしている時は明るい表情を、悲しい話を聞いている時は悲しい表情をするのが自然です。
特にテレビでは表情は少し大げさなくらいがちょうどいい。

ある時、経営者の訃報を伝えるニュースについて解説する機会がありました。
その経営者には取材でずいぶんお世話になったこともあり、本心からお悔やみを申し上げていたのですが、後で録画を見てみたら、悲しいというよりも、冷たい感じに映っていました。

Q
自分の思いが必ずしも表情と一致していなかったわけですね。

■芸人の「ワイプ芸」の反射神経はすごい

A
特にテレビでは自分が思った以上に、無表情に映ります。
この点は、たまに特番などでご一緒しますが、芸人さんはうまいですね。
VTRを流している最中に、画面の一部が小窓のようになって出演者を映すことがありますが、表情が豊かで反射神経が素晴らしい。
あれは本当に「芸」だと思います。いまだに自分にはできません。

Q
声のトーンについてはいかがですか。

A
最近の若い人には多いですが、私も少し語尾のイントネーションを上げる癖がありました。
これは番組のチーフプロデューサーから「発言が軽く感じられるので直した方がいい」と指摘を受けました。
しかし一度付いた癖をなくすのは難しいですね。
それに私の場合、語尾のトーンを落とすと、今度は聞き取りにくくなってしまい、画面を通して弱々しく映ってしまうのです。

Q
語尾が「ごにょごにょ」とフェードアウトしていくタイプの人は自信がなさそうに映ります。

■「と思います」の濫用はやめたほうがいい

A
弱々しく映るという点では、語尾に「と思います」とか「と言われています」などを連発する人がいます。
自分の発言が間違っていた場合のリスクを回避しているように見えるので、あえて使う必要のないところにまで、この表現を使うのは避けた方がいいです。

よく仕事の現場で「善処します」「対処します」を連発する人がいますが、聞いている側は「お前、何もやる気はないだろう」と受け止めますよね。
それと同じで、「と思います」「という可能性もあります」などをあまり連発すると、発言から責任を感じ取れません。

Q
「あのー」とか「えーと」など、話の継ぎ目に口癖のある人もいます。

A
本人は無意識に使っていて、気づいていないことが多いです。
聞いている側は気になって話に集中できないので、できるだけ減らすよう努めてください。

それに、「と思います」といった婉曲表現を使う人も、「あのー」「えーと」と連発する人も、その瞬間、体が揺れていたり、目が泳いでいたりすることが多い。
メラビアンの法則に従えば、視覚情報、聴覚情報、言語情報すべてを使って、まさに「自信のなさを表現」しているわけです。

■「まぁ」「はい」「なるほど」は要注意ワード

Q
他にも目立つ口癖はありますか。

A
私はテレビに出演したての頃、「まぁ」という言葉をよく使っていました。
録画で見て、「こんなに使っていたのか」と驚きました。
「まぁ」の連発は、聞く側に不遜な印象を与えますから、今はできるだけ使わないようにしています。

あと、聞き手を不快にする点では、テレビやラジオでよくあるのが、緊張で口の中が乾燥して、話し始めに「くちゃっ」という音をマイクが拾うことです。
これの対策としては、番組中に用意された水を飲むなどして、口の中を湿らせておくことをお勧めします。

Q
話を聞いている時の相づちの打ち方にも、人それぞれ特徴がありませんか。

A
私は当然のように「はい」「なるほど」といった言葉を挟むのがいいと思っていました。
ところが録画で聞いてみると、私の「はい」はマイク越しだと少し甲高くて耳障りが悪い。
以来、少し「はい」の回数は減らすようにしました。
「なるほど」も本当に「なるほど」と思えるところで言わないと、逆に相手の話を理解できていないように映りますから、要注意ワードです。

----------
山川 龍雄(やまかわ・たつお)
テレビ東京解説委員 「ワールドビジネスサテライト」キャスター
posted by 小だぬき at 14:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月09日

介護度を決める「主治医」は患者のどこを見ているのか…実情より軽く評価されてしまう人がやりがちなこと

介護度を決める「主治医」は患者のどこを見ているのか…実情より軽く評価されてしまう人がやりがちなこと
2024年04月08日  PRESIDENT Online

介護保険制度のサービスを利用するには、介護認定を受ける必要がある。
このとき、患者の介護度は「認定調査」と「主治医意見書」が非常に重要になる。
高齢者の在宅医療を行っている医師の木村知さんは「『とくになにも困っていません』『なんでも自分でできます』という態度だと、実情より軽く評価される恐れがある」という――。
※本稿は、木村知『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■「最近、お父さんがボケてきたみたい」
例)あなたの両親は、父親が87歳で母親が84歳。2人とも血圧の薬は飲んでいるものの、ADL(日常生活動作=編集部注)はほぼ自立
集合住宅の3階に2人で住んでいます。
先日、あなたに母親より電話が入り「最近、お父さんがボケてきたみたいなの。どうしたら良いかしら」との相談を受けました。
話を聞くと、同じことを何度も言ったり、しまっておいたはずのお金を誰かに盗まれたと言ったりすることがあって困っているとのこと。
加えて最近は持病の腰痛の悪化だけでなく下肢の筋力も弱ってきており、かかりつけ医への受診も、これまでのように歩いて行けなくなりつつあると言います。

このまま歩けなくなってしまったら、寝たきりになって母親だけでは介護しきれない状況は目に見えています。
あなた自身も実家に住み込んだり、家に引き取ったりということはすぐには考えられません。

■まずは地域包括支援センターに相談しよう
この事例は介護を意識し始めた頃にあたります。
初期段階ですが躊躇(ちゅうちょ)することなく早急にかかりつけ医に相談しつつ、並行して居住地の地域包括支援センターに連絡することに着手しましょう。

地域包括支援センターとは、いわゆる高齢者の生活を支えるための相談窓口で、介護サービスや日常生活の相談に専門の職員が応じるほか、介護保険の申請窓口としての機能を持ちます。ここに相談することが第一歩といえます。

家庭内の事情を他人に言いたくない、家庭内に他人がずけずけ入って来るのは勘弁してほしい、あるいは自分はまだ介護の世話になどなりたくない、という方も少なくないとは思いますが、事態が切迫してから動いても、すぐに介護サービスがはじめられるわけではありません。

「いま困っていること」がある場合はもちろん、今はまだ困っていなくとも「将来困りそうなこと」が見えてきた時点で、先手先手で動き出すことがとても重要です。

相談の結果、要介護認定の申請をした方がよいとのアドバイスを受けた場合は、躊躇することなく流れに乗って申請をしましょう。
申請書類が受け付けられると、自宅に自治体の介護認定調査員が来訪して現状の聞き取り調査をおこないます。
並行してかかりつけ医には医師の目から見た介護の必要度が記される「主治医意見書」の作成依頼が自治体から出されます。

■細かく正直に言わないと、軽く評価されてしまう
介護認定にかんする詳細はここでは説明しきれませんが、これらの調査と意見書を踏まえて、まず一次審査でコンピュータ判定がおこなわれ、その後、二次判定において、専門家らによる「介護認定審査会」のもと要支援、要介護のレベルが決定されます。
つまり介護保険制度のサービスを受けるにあたっては、この認定結果を左右する認定調査と主治医意見書が非常に重要なのです。

その人の実情にあった介護認定がなされることで、居宅介護や施設介護、住宅改修さらに福祉用具の貸与や購入費の支給といった介護サービスを、一定の自己負担のもと受けることが可能になります。

ただこの認定調査の際に注意しなければならないのは、調査員を前にして取り繕わないようにすることです。
身体機能や認知機能の低下を初対面の人に知られたくない、言うのは恥ずかしいという気持ちは理解できます。
しかし「とくになにも困っていません」「なんでも自分でできます」などと言ってしまうと、実情よりも軽く評価されてしまい、必要かつ十分なサービスが受けられなくなる可能性があります。

■自治体の介護認定は厳しくなっている
主治医意見書を記載してくれる医師には、ふだん当事者が困っていることだけでなく、介護している家族が何に困っているのかも伝えましょう。
家族が腰痛や持病などで十分な介護がおこなえず、重い負担を感じているのであれば、その具体的な事がらをしっかり伝えて記載してもらうことも重要です。

要介護度は、「介護にかかる手間」を評価するものと言えるので、当事者の重症度のみならず主介護者の介護力も、認定の際に重要なファクターとなり得るからです。

介護需要の増加にともない自治体の財政を圧迫する要介護者の数を増やさないようにする動きが、この要介護認定にも及んでいます。
主治医意見書と大きな齟齬(そご)のある過度な訴えや虚偽の演技は問題ですが、認定調査の際には、どんなに些細なことでも「困っていること」「できないこと」を具体的に、一つでも多く挙げることをおすすめします。
それが、より当事者の実情に見合ったサービスを組み立てていくことに繋がるからです。

要介護度は、非該当(自立)、そして介護までは必要ないが要介護状態にならないための支援が必要なレベルと判断される「要支援」が1〜2、そしてなんらかの介護が必要な状態である「要介護」が1〜5という8段階に分けられ、それぞれ数字の大きい方が、より重い判定となります表1図)

■認知症の症状が疑われたら、専門医の確定診断を
先ほどの事例では父親に認知症の症状も疑われるため、まずはかかりつけ医において可能な範囲で診察および検査をおこなってもらい、必要に応じて専門医による確定診断をつけてもらうことが必要でしょう。
ケースバイケースですが、認知症の診断が確定すると要介護1以上の判定が出る可能性があるからです。

介護度が決まれば、担当のケアマネジャーと相談してサービスを組み立てていきます。
ケアマネジャーとは自治体が認定している介護支援専門員のことです。
要介護者や要支援者の相談に応じ、訪問介護、デイサービスといった介護サービス等の提供にかんする計画(ケアプラン)の作成、そして市町村・サービス事業者・介護施設等との連絡調整を担当します。

■配偶者の負担を軽減するためでもある
このケースでは、まだ母親に大きな健康上の問題がなさそうなことから、まずはこれ以上、父親の状態が悪化しないよう身体機能を維持向上させるサービスが優先されるべきではないかと思います。

また、母親の負担を軽減させる意味でも、常時2人が顔を突き合わせている状況に少し変化をつけることも選択肢として考え得るでしょう。
たとえば父親には、週に2回でも通所リハビリテーションを利用してもらうと、下肢筋力トレーニングはもちろんのこと、他者との人的交流による気分転換も期待できます。

それによって母親もひととき介護から解放されるというメリットもあるでしょう。
その一歩を踏み出すことは、人によっては困難な場合もありますが、このまま引きこもってしまえば、事態が悪化することも危惧(きぐ)されます。

なにより大切なのは、あなたを含め周りの人たちが、無理強いではなくできるだけ本人たちが自発的に意欲を持って前向きに意思決定できるよう、サポートしていくことです。
そうすることで当事者も介護者も、それまで見出せなかった有意義な時を過ごすことができるようになるでしょう。

■高齢者にも健康診断が必要な理由
ところで、高齢になってからも健康診断は必要なのでしょうか。
基礎疾患があり、かかりつけ医に定期的に受診している方であれば、あえて受けに行く必要はないかもしれません。
しかし、疾患がなくかかりつけ医を持たない高齢者については、私はとくに注意して問診するようにしています。

診察室に入ってくるところから医師側は健康診断を始めています。
家族など誰かに付き添われて入ってくるのか、それとも介助なく、杖などの歩行補助具も使わず、独歩で診察室に入って来ることができるのか、これは重要な観察点です。
歩行補助具を使わずともしっかりとした足取りなのか、それともすり足やよろけなどがあるにもかかわらず杖を使っていないのか、という点も注意して見ます。

また言語コミュニケーションがスムーズにおこなえるのかも確認します。
話が噛み合わないときは、認知症を疑うべきか、それとも難聴なのかといった鑑別もおこないます。

そして身なり。高級品かどうかではもちろんなく、食べこぼし汚れやズボンに排泄物のシミなどはないか。
もしこれらがあり、汚れや臭気が強い場合は、家庭環境に問題を抱えている可能性も考えなければなりません。
そして退室時にはイスからスッと立ち上がれるのかも、転倒リスクの存在を見逃さないために注目します。

このような観察を踏まえて、身体・認知機能のあらましを把握するとともに、食事、排泄、睡眠、入浴など日常生活動作をどの程度おこなえているのか、さらには独居なのか、老老介護の状況に置かれているのか、いざとなったときに相談できる身内は近くにいるのかといった家族構成まで聴取することさえあります。

■かかりつけ医はどう選ぶといいのか
つまりまだ要介護には至らない状態ではあっても、フレイルやサルコペニアに移行しつつあることを自覚していない人を早めに発見することが、健康診断の重要な機能の一つなのです。

かかりつけ医を持たない高齢者こそ、健康診断が年に一度の極めて貴重な機会であるというのは、こういった理由によるものです。

健康診断を利用してかかりつけ医を作るという手もあります。
健康診断で訪れた医療機関の医師と会話を交わして、いろいろ相談に乗ってくれそうかどうか品定めしてみるのも良いでしょう。

では、かかりつけ医はどのような医師が良いのでしょうか。私もよく聞かれます。
最も重視したいのは、あなたの話をよく聞いてくれるか、そしてあなた自身もその医師の話を聞いても苦痛とならないかという点、つまり「相性」です。

話をよく聞いてはくれても、聞くだけでなんら提案がない無口な医師では意味がありませんし、逆に話したがりで一方的に説明するばかり、言いたいことも言わせてくれずに、あなたが聞き役に徹しなければならないのであれば、それは苦痛以外の何物でもありません。

医師―患者関係といっても、所詮(しょせん)、人と人とのかかわり合いです。
たがいに話しづらかったり、いつも話が噛み合わなかったりするのでは、両者ともに不幸だと思います。

■相性が合わなければ、気にせず病院を変えていい
かかりつけ医と合わないと感じたらどうしたら良いでしょうか。
「かかりつけ医を変えると気を悪くされないか心配」などと、相性が合わないのに我慢しながら通院を続ける必要もありません。
主治医変更の理由は人それぞれ異なりますから、もし主治医を変えたいと思ったときには躊躇なく申し出ましょう。
もちろん「先生とは相性が良くないので」などと、本当の理由をストレートに言う必要もありません。

「これまで通院していた曜日に用事ができてしまった」「自宅から近いところに変えたい」などを理由として挙げれば良いのです。
一般的な医師であれば、患者さんから通院先を変えたいとの申し出があった場合に無理矢理引き止めるということは、まずしません。

「かかりつけ医を変えたい」と考えている人は、必ず現在の主治医に転医したい旨を伝えたうえで、転医先宛てに「診療情報提供書」を作成してもらうよう依頼してください。
手間をかけるだとか、申し訳ないなどと思う必要はまったくありません。
これは医師どうしで日常的に取り交わされている、ごく当たり前の書類のやり取りだからです。
どうか気兼ねしないでください。

■一番やってはいけないのは「黙って変える」こと
医師の立場から一番やってはいけないと思うのは、これまで診療を担当していた医師に黙って通院先を変えてしまうことです。

外来診療をしているとお薬手帳だけを持参して、「今まで通院していた先の先生と相性が良くないので、今度からこちらで処方をお願いします」と頼まれることがたびたびあるのですが、これはこちらも困ってしまいます。
患者さんからすれば、先方に言いにくいという理由があるのでしょうが、お薬手帳の情報だけでは、診療を引き継ぐにあたってあまりにも情報が少な過ぎるのです。

たしかに処方内容がわかれば同じような薬を出すことはできます。
しかしその処方がおこなわれてきた経緯や既往症、主治医が今まで何に留意して診療してきたのかはまったくわからないのです。
これは引き継ぐ医師にとってはもちろんですが、それ以上に患者さん本人にとって大きな不利益となってしまいます。

■「患者を取った、取られた」の恨み合いはない
とくに高血圧や糖尿病といった慢性疾患、さらに過去に心筋梗塞や脳梗塞、がんといった大きな疾患の既往歴を持つ人の場合、その患者さんの背景も把握しないまま、現在の処方をただ漫然と継続することは極めて無責任な治療とならざるを得ないばかりか、危険さえ生じさせかねません。

私が患者さんによく言うのは、かかりつけ医を変えるのは、恋愛のふったふられたとはまったく違うということです。
「患者を取った、取られた」などと医療機関どうしでの恨み合いなどはありません。

そういう意味のない気遣いよりも桁違(けたちが)いに重要なのは、患者さんが診療情報とともに移動することなのです。
私たち医師はその重要性を熟知しているので、患者さんが転医を希望された場合には、なんら拒むことなく診療情報提供書を転医先に書くわけです。
かかりつけ医を変えたい場合は、ぜひこのことを思い出してください。
----------
木村 知(きむら・とも)
医師
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

100均で「買ってはいけない」5つの商品!避けるべき理由と賢い選択のコツ

100均で「買ってはいけない」5つの商品!避けるべき理由と賢い選択のコツ
シュフーズ の意見 • 1 か月

100均はなんでもあって便利だけど…

100均は、税抜き100円で豊富な品揃えのものが気軽に購入できるとても使いやすいお店です。
いくつかの店舗があり、お店ごとに商品のラインナップやデザインが異なるため、趣味が100均巡りという人もいます。

便利で品ぞろえ豊富な100均ですが、実は買うべきであるではない商品はあるので注意しましょう。
どのような商品が買うべきではないかを、確認してみてください。

100均で買うべきではない5つのアイテム
100均で買うべきではないものとは、どんなものがあるのでしょうか。

1.文房具
100均で買うべきではない文房具は、以下の通りです。

・10本セットのボールペン…使用中インクが出にくくなることが多々
・ノート類…スーパーや文房具屋さんで安く売られている
・ガムテープ…耐久性に問題あり

上記のものはよく使うものなので、すぐに使えないとストレスが溜まりやすくなるかもしれません。

2.からだに触れるもの
からだに直接触れるものだからこそ、耳慣れないメーカーのものを使うのは危ないです。

・コスメグッズ
・ハンドクリーム
・ボディーソープやハンドソープ、洗顔料など

無名のメーカーでも、成分表示を確認して問題なければ購入しても問題ありません。
体に直接使うものは、成分とメーカー双方を確認して購入するか判断しましょう。

3.洗剤、せっけん類
洗剤やせっけんなども、コスメなどと同様に肌に触れるものの一種といえます。

・柔軟剤
・衣類用洗剤
・食器洗い用洗剤
・靴を洗うせっけんなど

肌に負担をかける成分を含まれていると、敏感肌だと肌荒れなどのトラブルが起きるかもしれません。

4.食品類
100均は、数多くの食品が販売されています。
100円だと、どことなくお得感がありますよね。
しかし、スーパーやドラッグストアでは、同じ商品が100円より安値な価格で購入できることが多いです。

・お菓子類
・チューブの薬味類など

食品を購入する際、内容量を確認してみてください。
スーパーのものと内容量が同じで、価格が安いときはお買い得です。
ついで買いを控え、お買い得かを考慮して購入に踏み切りましょう。

5.工具類
工具などの複雑な構造のものは、安価なものの場合、なん回か使うと劣化する可能性があります。
長く使いたいものは、ホームセンターなどの専門店で素材などを厳選して工具を購入しましょう。

100均のおすすめアイテム
100均のおすすめアイテムは、以下の通りです。

・収納グッズ
・タッパーなどのキッチン用品
・かわいらしいデザインの雑貨…クッションやシールなど
・ラッピングシート
・食器類

100均にはさまざまな商品がありますが、メーカーがはっきりしていない商品や、すぐに壊れてしまいそうだと感じたものは購入しないよう注意しましょう。
ネットの口コミなどを参考にしつつ、おすすめ商品を手に取ってみてください。

店舗によって、購入したかった目当ての商品がないことがあります。
そういった場合は、店員さんに取り寄せを依頼するか、取り寄せできないときはほかの店舗に出向いてみましょう。

まとめ
100均は便利で魅力的な商品が溢れていますが、購入する際は品質やコストパフォーマンスを見極めることが肝心です。
特に文房具や化粧品、食品、工具などは慎重に選びましょう。

また、お店によっては欲しい商品がないことも。そんな時は店員さんに相談したり、他店を訪ねてみるのも良いでしょう。
お店を利用するときは、お買い得品を見つける楽しみを味わいながら、賢く商品を選びましょう。
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月10日

日本人の美徳"自己犠牲""滅私奉公"は絶対ダメ…仏教がすべての「利他」は「私」から始まるべきと説く理由

日本人の美徳"自己犠牲""滅私奉公"は絶対ダメ…仏教がすべての「利他」は「私」から始まるべきと説く理由
2024年04月09日 PRESIDENT Online

幸せに生きるにはどのような精神が必要か。
僧侶の松波龍源さんは「仏教ですべてのものごとは、自分の認識によってのみ成り立っているから、利他を考えるには起点を『私』にしなければいけない。
つまり、日本で美徳とされがちな自己犠牲や滅私奉公の精神は、本来の仏教的な意味では利他といえない」という――。
※本稿は、松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

■利他のために、まず「私」を考える
現代でもよく使われる「利他」という言葉を仏教的な意味で理解するには、仏教の基礎的な世界観を把握しておく必要があります。

まず、仏教で利他を考えるときには「私」を起点とします。
他者の利益を考えるのになぜ「私」目線なのかと、不思議に思う方もいるかもしれません。
しかし、思い出してください。
すべてのものごとは、自分の認識によってのみ成り立っているのでしたね(唯識)。
「あの人にとって、私はこういう存在だ」と思ったとしても、その認識は「私」のもので、他者の認識は推量することしかできません。

しかも万物の本質は「空」であり、あらゆるものは縁起であって、目の前の現象は因果関係の結果として、自分の心というスクリーンに映写された像のようなもの(中観)。
その像に、「私」が自分の認識で意味づけをしているのです。

つまり言葉で「利他」「他者」といっても、その認識は自分の中にしかありません。
だから利他を考えるには、起点を「私」にしなければいけないのです。

では、その「私」とは何なのでしょうか。
「私」の存在は他者があって初めて成立します。
なぜなら、全宇宙に自分しかいなければ「私」は認識されないし、そもそも「私」の概念も必要ないからです。
この時点で、【私=「私以外のすべてのもの」ではないもの】という等式が成り立ちます。

仏教は関係性の哲学です。
あらゆるものは、因果関係・相対関係がなければ「空」からこの世界に現出することができません。
「私」も、自分以外の他者との関係があるからこそ特定されるのです。

すなわち「私」を含めたあらゆる存在は、それ以外のすべてのものに担保される事実がある。
「私」と他者は、相互依存関係にあるのです。
このように考えると、先ほどの等式から一歩進んで【私=私以外のすべてのもの(他者)】ということができます。

なんだか不思議な等式が出てきましたが、この等式は「釈迦牟尼が『こうだ』と言ったから」という宗教的な“教え”ではなく、論理を積み上げた結果として導かれた、客観的な一つの視座であるということが、おわかりいただけたと思います。

■自己犠牲は利他ではない
この等式を前提に、もう少し現実的なレベルで考えてみましょう。

すべての生命は「より良く」「有利に」生きようとします。
これは、理屈ではなく根源的に備わっている本能のようなもので、生まれた瞬間に「ああ死にたい」と思う命はないはずですよね。

人間であれば、幸せを求め、苦痛から離れようとします。
根源的な本能ですから、「私」も他者も、誰もが幸せになりたいという欲求を持っていることになります。

ここで、先ほどの等式を思い出してください。
【私=私以外のすべてのもの】とイコールで結ばれているので、「私」の幸せのための行為は他者の幸せにもなるし、他者の幸せは「私」の幸せにもつながります。

利他的な発想や行為が良しとされるのは、この論理があるからです。
大乗仏教は、自利と利他が両立した状態「自利と利他の一致」を理想としています。

ですから実は、日本で美徳とされがちな自己犠牲や滅私奉公の精神は、本来の仏教的な意味では利他といえません。
なぜなら、自分が犠牲になったら、自分とイコールでつながる他者も犠牲になってしまうからです。

仮に自己犠牲による利他が成立しているように見えても、それは一時的な場合で、長期的にはバランスが崩れてしまいます。

反対に、他者を犠牲にして自分の利益だけを考える我利我利亡者も、論理的にあり得ません。

自分が幸せになりたいのであれば、自分とイコールでつながっているすべての他者の幸せを考え、その実現のために判断・行動する。これが、大乗仏教における利他の真理です。

■自分以外の他者が消滅すると、自分も成り立たなくなる
このように話すと「では、自分と他者を区別せずに考えるのですか?」という質問をいただくことがありますが、区別すべきかどうかは場合によって異なります。

仏教では、さとりの境地やその真理を「勝義諦(しょうぎたい)」、世俗一般の世界やその真理・真実を「世俗諦(せぞくたい)」といいます。
しかし耳慣れない言葉なので便宜上、本書では西洋哲学の形而上、形而下という言葉を使います。
厳密に一致しているわけではありませんが、おおむね「勝義諦≒形而上」「世俗諦≒形而下」として差しつかえないでしょう。

形而上世界(さとりの世界)と形而下世界(私たちが生きる現実世界)は一緒にしてはならず、分けて考える必要があります。

まず、形而上世界はさとりの境地であり、「空」の世界ですから、先ほどお話しした通り「私」と「私以外のもの」に区別はありません。
すべてのものは関係性で成り立っており絶えず変化していくので、自分以外の他者が消滅すると、自分も成り立たなくなります。

自分と他者に本質的な区別を見いだすことはできない、「あれ」と「これ」が違わない、というのが、形而上の真理です。

一方、私たちが実際に生きている形而下世界においては、私とあなた、コップとマイクなどと、それぞれの存在が物質レベルで区別されますね。

形而上では区別しないけれど、形而下では区別する。このように形而下と形而上は分けて考える必要があるのですが、両者は別個に存在しているのではなく、互いに矛盾しつつ、それでいてぴったり一致しています。

目の前のものは、形而上(空)を本質とし、因果関係の作用の一つの現れとして形而下に存在するのであって、形而上の真理の現れでもあるからです。

それゆえに仏教では、形而上でも形而下でも、そこにあるものに価値の優劣はないと考えます。

■小さな虫を弾き飛ばしてはいけない理由
ですから、ときどき耳にする「この世は虚像の世界だから意味がないんだ」「真理が『空』なのであれば、私たちが生きる形而下世界には価値がない」というような言説は、正しくありません。

たしかに「私」は、目の前にいる牛やカマキリとは別の存在です。
しかし本質は「空」で区別されないこと、そしてその価値に優劣がないことを合わせて考えると、「ただの虫けらだ」と指で弾き飛ばすなどの行為は、やはり慎むべきでしょう。

「触角を抜いたらどうなるんだろう」と興味本位でいたずらをしてしまった子ども時代を、今は深く反省しています。

たとえ小さな生き物でも、自分と同じように「より良く生きる」という本能を持っており、その本質(空)は自分と平等なのだ。
私たちに問われるのは、この認識を持って他者に向き合えるかどうかではないでしょうか。

しかも、他者と向き合っている自分も「空」であり変化するので、そのときどきの状況や環境、他者との関係に応じて、何をすべきかを判断しなくてはいけません。

このあたりが、仏教の厳しいところだと感じます。
唯一絶対の神がいる宗教であれば、「神様が言ったこと」を絶対的な行動基準にすればいいでしょう。
しかし仏教はそうではなく「あなたが自分の責任で判断し、行動しなさい」と言うのですから、厳しいですよね。
けれども、まぎれもない真理でもあります。

そのときに正しい判断ができるよう、私たちは智慧をつけなければいけません。
先人が積み上げてきた知の体系や身体を使った修行は、そのためにあるのです。

■すべてのものは関係性のネットワークで成り立つ
現代の日本で利他といえば「利他的な振る舞いをすれば、回りまわってメリットが自分にも返ってくる」といったところでしょうか。
「情けは人のためならず」ということわざもあります。

資本主義社会における即物的な考え方のように思うかもしれませんが、仏教的な意味の利他とも、おおむね同じように使われていると私は感じます。

これは、弘法大師がもたらした密教の曼荼羅で説明することができます。
曼荼羅を再度、ごく簡単に説明すると、すべてのものは関係性のネットワークで成り立ち、「私」という認識主体がそれを認識していることを示す模式図のようなものです。
万物の根源的な本質はネットワークそのものであり、それは常に揺れ動いていると考えます。

この論理に基づくと、「私」も他者もネットワークの一部で、大きな構造体を構成する結節点の一つだと考えることができます。

ということは、他者という結節点にポジティブな働きかけをすれば、その影響はネットワーク全体に及び、同じネットワークの結節点の一つである自分にもポジティブな影響があるというわけです。

これは、「利他的な振る舞いをすれば、回りまわってメリットが自分にも返ってくる」という現代の一般的な使い方とよく似ていますね。

ただ、それをあまりにもツール的にとらえて自分の利益を目的にしすぎると、「自利と利他の一致」ではなく、自利が勝ってしまいます。
すると全体のバランスが崩れたときに、かえって自分に悪影響が及ぶことにもなりかねないので、気をつけたいところです。

■「空」の思想は争いを回避するヒントになる
一例を挙げると、日本では多くの企業が商品を売るために「消費者も喜ぶだろう」と価格の安さを追求した結果、社会全体の給与が下がってしまう現象が起きていますね。

消費者が安く買えて商品も売れるのは、一見すると自利と利他の一致のようですが、自分も他者も同じネットワークの一部であるという視点が抜け落ちてしまっています。

「私」も他者も同じネットワークの住民である。
もっといえば、ネットワークそのものが「私」であり、他者でもある。
このような認識を持ち、自利と利他を同じものとして考え行動することが、結局のところ、リスクを最も低く抑えられると思うのです。

それに、自分と他者を切り離した考え方は、究極的には争いを生んでしまいます。
なぜなら、形而下世界に生きる私たちは、時空間を共有することができないからです。
ある人が座っている場所に自分も座りたければ「どいて」と言うしかありませんよね。

そのとき、自分も他者も本質は平等だという「空」の真理を思い出せば、争いを回避し、何とか折り合いをつける方向に向かえるのではないでしょうか。

■欧米の寄付文化を仏教的に見ると
余談になりますが、欧米、とくにアメリカでは寄付文化が顕著ですよね。
経済的に恵まれた人が寄付をすることが、ある意味で社会的義務のようなカルチャーがあります。

もちろん彼らの行動原理は、仏教ではないものに基づくでしょうから、その心理を私が語ることはできません。
ただ寄付という行為そのものを見ると、これも仏教の利他とよく似ていると感じます。
富を持つ人がその一部を、それがなくて困っている人に向けて放出する行為は、彼らが自身を(無意識のうちに)ネットワークの一部だと考えていると思うからです。

悲しいことですが、犯罪やテロ行為は、犯人の貧困が遠因になっていることがあります。
その社会に生きる人々にとって、犯罪の発生はハッピーではありませんから、お金や力を持つ人が、その一部を社会に分けることで偏りを減らそうとするのは、彼ら自身を含めたネットワーク(社会)全体にとってプラスになることです。

洋の東西を問わず、(自己犠牲ではない)利他的な行為は、ネットワーク全体を少しでもポジティブにするものだということでしょう。

私たちは「より良く生きたい」という本能を持った生物ですから、自分の利益を考えること自体が悪いわけではありません。
大切なのはその際に、自分は他者と切り離せない存在であり、大きなネットワークの一部である事実を忘れないことです。

----------
松波 龍源(まつなみ・りゅうげん)
僧侶・思想家
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【Excel】うっかり上書き保存&閉じるで消えてしまった大事なデータを復活させる方法

【Excel】うっかり上書き保存&閉じるで消えてしまった大事なデータを復活させる方法
4/10(水)   窓の杜

◆ さっきの上書き保存をなかったことにしたい!
 データの更新漏れがないように、上書き保存を習慣にしている人は多いですよね。
無意識に[Ctrl]+[S]キーを押していることもあるでしょう。
しかし、間違って“上書き保存”して、そのままファイルを閉じてしまった時はどうしましょう?
 嫌な予感がしてファイルを開き直したら案の定、エラー表示……。
データ入力を担当していたので、表の構造はわからない、[Ctrl]+[Z]で元にも戻せないといった状況です。

 例えば、表示されたエラーをよく見ると、入力済みの数式を削除してファイルを閉じていたことが判明。
データ入力を担当していたので、表の構造はわからない……、といった状況です。

 一度閉じたファイルを上書き保存前に戻したい場合、「自動回復用データ」に頼るのが定番ですが、自動的にバックアップファイルを生成させるテクニックもあります。
もし、作業前に手動でバックアップする手間をかけているならオススメです。
“間違った”上書き保存の回避方法を2つ覚えておきましょう。

■ [ブックの管理]から以前のファイルを回復する

 [ファイル]タブにある[情報]を表示します。
[ブックの管理]の項目に自動保存の一覧が表示されるので、間違って上書き保存したと思われる時間より前のファイルを復元します。

 ただし、そもそも自動回復用データが保存されていなければ、上記の方法は使えません。
設定を確認してみてください。
また、保存の間隔が広い場合、巻き戻し過ぎてしまって作業のやり直しの手間がかかります。
適度な間隔に設定しておくといいでしょう。ここでは、3分間隔に設定しましたが、1分でも、5分でも構いません。

■ 自動的にバックアップファイルを作成する
 ファイルの保存時にバックアップファイルを自動的に作成するように設定しておくと安心です。
[名前を付けて保存]ダイアログボックスから[全般オプション]を呼び出して設定します。

 設定後はファイルの保存場所と同じフォルダーに「.xlk」という拡張子のバックアップファイルが自動作成されます。

 開いたバックアップファイルを最新のファイルとして保存する場合は[名前を付けて保存]ダイアログボックスでファイル名を入力して、通常のエクセルファイル(XLSX形式)として保存してください。

 なお、上記の方法は“ローカル保存”、つまり自分のパソコンにのみファイルを保存している場合の設定です。
OneDriveと同期しているフォルダーにファイルを保存している場合、バックアップファイルは作成されません。
[ファイル]タブにある[バージョン履歴]からファイルを復元可能なためです。

■ 万が一に備えて設定しておこう
 [Excelのオプション]にある“自動回復用データ”の設定は、パソコンを新調した時などに見直しておきたいポイントです。
また、突然ファイルが壊れてしまう可能性もゼロではありません。
自分のパソコンにしか保存されていないファイルを編集する際には有効でしょう。

窓の杜,今井 孝
posted by 小だぬき at 17:56 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月11日

「無罪の推定」を無視する日本のマスコミ報道には違和感しかない

「無罪の推定」を無視する日本のマスコミ報道には違和感しかない
4/9(火) ニューズウィーク日本版

<容疑者逮捕の場面をテレビで流し、顔写真を新聞や雑誌にそのまま掲載することが冤罪に加担するかもしれないと認識している記者はどれぐらいいるのか>

最近、4歳の次女を殺害した疑いで、父親および母親が逮捕された。
逮捕の場面はテレビカメラで撮影され、放送された。

何十年にもわたり、日本のテレビや新聞で何度も同じような場面が放送されたり、写真が掲載されたりしているので、多くの視聴者や読者は全く違和感を覚えないかもしれない。
でも、私からするとあり得ない報道の仕方だ。【西村カリン(ジャーナリスト)】

今回も、「無罪の推定」を全く無視するマスコミに対して腹が立った。

「『無罪の推定』とは犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人や刑事裁判を受ける人について、刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければいけないとする原則」と日本弁護士連合会は説明している。

逮捕された人の顔、住んでいる場所の情報や名前を大きく報道するのは、「犯罪者」と断言するのと同じ。
その後、その人が不起訴や無罪になったとしても、普通の生活に戻れない可能性がある。
インターネットに情報がずっと残ることもあり、世の中からは永遠に犯罪者として見られてしまう。
こういった問題は日本だけのものではないけれど、日本では特に深刻だと私は思う。

なぜならば日本の警察や検察は、行動を起こす前に記者に情報をリークするからだ。
誰かを逮捕する際にテレビ局がいなければ、その場面は撮影できない。
情報をもらったマスコミは何も考えずに撮影し、放送する。
これは検察や警察に誘導されているだけの無責任な行為だ。

半面、容疑者の近所に住む人にインタビューする際には、その人の名前も顔も出さない。
ダブルスタンダードではないか。

■捜査当局の言い分をそのまま報道
マスコミは警察や検察に利用されている意識はなさそうだが、結果的に冤罪の場合はマスコミの責任も重いと言っても過言ではない。
その責任を認識する記者はどれぐらいいるのか。
戦後、死刑判決が確定した4人が再審で無罪になっている。
現在の取り調べや捜査の在り方も、冤罪を生んでいる可能性がゼロとは言い切れない。

逮捕されたのは確かに疑いがある人だ。
ただ、疑いは証拠ではなく、報道する際にそれを忘れてはいけない。
問題は取材の仕方で、冒頭の事件もそうだが、警察や検察からリークされた内容だけが報道されてしまう。

世の中の関心が高い事件なら、マスコミは独自に調査をしてバランスの取れた報道をすべきだろう。
マスコミが無罪の推定という原則を守らないと、非常に危険な社会になってしまう。
捜査当局が言うことをそのまま事実として報道するのも危ない。

■弁護団がもっとマスコミに説明すれば
ほとんどの場合は「警察や検察が説明したこと」ではなく、「捜査関係者への取材で分かったこと」といった表現で報道され、誰が、どの状況で語ったかは曖昧にされる。
警察や検察はリスクを取らないからだ。

捜査中だが報じても問題のない情報がある場合は、警察や検察がどのマスコミも参加できる記者会見を開き、責任を持って説明するのが正しい方法だろう。
「捜査中だから無理」と反論する人もいるかもしれないが、海外で行っていることを見れば無理ではないと分かる。

また、日本の弁護士は一部を除いて、ほとんどマスコミに話さない。
世論に理解されないリスクがあると彼らは思っているのかもしれないが、結果的に警察・検察側の見方しか報道されない状況になっている。
弁護団がもっと早い段階でマスコミに出れば、冤罪を防ぐことができるのではないか。

私は去年から、死刑が確定している袴田巌さんの再審を傍聴しているが、もし袴田さんの弁護団が数十年にわたってこれほど積極的にマスコミに説明してこなかったら、再審はなかったと思う。
逮捕された人が必ずしも犯罪者ではないと理解されないのは、非常に危険なことだ。
************************************
西村カリン
1970年フランス生まれ。
パリ第8大学で学び、ラジオ局などを経て1997年に来日。
AFP通信東京特派員となり、現在はフリージャーナリストとして活動。
著書に『不便でも気にしないフランス人、便利なのに不安な日本人』など。
Twitter:@karyn_nishi
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

部屋にゴキブリが出たらしてはいけない『4つのタブー』NGな理由と正しい退治方法とは?

部屋にゴキブリが出たらしてはいけない『4つのタブー』NGな理由と正しい退治方法とは?
シュフーズ によるストーリー
• 7 か月 • 読み終わるまで 3 分

様々な菌を持ち込む「ゴキブリ」は夏に活発化する傾向あり

多くの人にとって、ゴキブリはあらゆる意味で大敵です。
生命力が強く、素早い動きで家の中を這い回るその様子は、見た瞬間にゾッとする人も多いでしょう。
また、ゴキブリは様々な細菌や感染症を持つと言われています。そのため、放置していると家の中に菌をばら撒いてしまうため、衛生的にも問題が生じます。

そんなゴキブリたちは、1年を通して現れる害虫ですが、中でも夏場は活発化する傾向が見られます。
高温多湿な環境を好むゴキブリにとって夏は活動しやすく、それゆえに部屋で見かける機会が増えることも…。

部屋にゴキブリが出たらしてはいけない『4つのタブー』
部屋にゴキブリが出現したら、皆さんはどのように対処していますか。
ここでは、部屋にゴキブリが出たらしてはいけないタブー行為とその理由について解説します。

1.叩いて潰す
昔はゴキブリを見つけたら、新聞紙やスリッパで叩いて潰すという人も多くいました。
しかし、ゴキブリは先にお話ししたように、多くの細菌を持っています。

ゴキブリを叩いて潰してしまうと、ゴキブリが持つ細菌や不衛生な体液が辺りに飛び散ってしまうため、家の中が不衛生になってしまう恐れがあります。

最近などは空気を漂い家中に広がってしまう可能性が考えられるため、免疫力の弱いお子様やご高齢のご家族がいるご家庭では、特にこの退治方法はやめましょう。

2.弱ったゴキブリをそのまま見逃す
ゴキブリは生命力が強いので、一度スプレーを噴射しただけでは退治できないことも多いですよね。
しかし、ヨロヨロと弱りながらも逃げるゴキブリを見て、「そのまま死んでくれるだろう」と見逃すのは厳禁です。

ゴキブリは弱った状態であっても本能的に子孫を残そうと隠れた場所に卵を産もうとする習性があります。
もしも見えない場所に卵を産みつけられてしまった場合、卵が孵る時に多くのゴキブリが大量発生してしまう原因になる恐れも…。

ゴキブリは弱っているからとそのまま見逃さず、きちんと死んだことを確認するまで退治を諦めないでください。

3.掃除機で吸い取る
「殺虫剤をかけることも怖い」という人の中には、掃除機で吸い取るという強硬手段をとる人もいます。
しかし、掃除機で吸い取ってもゴキブリは死なず、そのまま掃除機内で生きていることが多いので要注意です。

掃除機の中にはゴキブリにとって餌となるゴミもたくさん残っているため、それらを食糧にして生き延び、さらに成長してしまう可能性すらあります。

掃除機の中にあるゴミを取り除こうと開けたらゴキブリが出てきた…なんて、考えるだけでもゾッとしますよね。
このような事態に陥らないためにも、掃除機で吸い取るという退治方法は絶対にやめましょう。

4.殺虫スプレーを床に撒布させて予防する
ゴキブリを1匹見かけると、たくさんのゴキブリが潜んでいると聞いたことはありませんか。
産み付けられた卵から一斉に孵化している場合、多くのゴキブリが家に棲みついている可能性は否定できません。

しかし、だからと言って予防のためにと殺虫スプレーを床に撒布させる予防法は無意味です。
効果がないだけでなく、住んでいる人が吸い込んでしまい、アレルギー症状や不快感に襲われてしまう危険性があるので、置き餌や燻煙タイプの殺虫剤を使って予防しましょう。

ゴキブリが出た時の正しい対処法は?
ゴキブリが部屋にいることを確認した場合、どのような退治方法が効果的なのでしょうか。
細菌を家中に撒き散らすことなく、確実に退治する方法は以下の通りです。

・スプレーを直接噴射

・60℃以上の熱湯をかけて中性洗剤で退治する

・死んだゴキブリをティッシュなどで取り除き袋に入れる

・袋を完全に密閉して捨てる

・他のゴキブリも退治するために置き餌を設置する

基本的には市販されているゴキブリ用の殺虫スプレーを直接噴射する方法が最も手っ取り早く確実です。
もしもスプレーがない場合は、60℃以上の熱湯をかけて弱らせ、中性洗剤で退治するという方法も効果が見込めます。

ゴキブリが死んだことを確認した後は、すぐにティッシュなどで取り除き、ビニール袋に入れます。ビニール袋の口は細菌が発生しないよう、完全に密閉してから捨ててください。

また、他にもゴキブリがいることを想定し、置き餌タイプの殺虫グッズや燻煙タイプの殺虫剤を活用しましょう。
燻煙タイプの殺虫剤を使用する場合は、必ず部屋の換気が必要になるので、時間帯や部屋の環境に合わせて選びましょう。

ゴキブリには正しい対処法で立ち向かって!予防対策も忘れずに
いかがでしたか。ゴキブリを見かけてしまうと、つい焦って叩き潰しそうになる人もいるかと思いますが、細菌を撒き散らしてしまう危険性があるのでNGです。
紹介したような正しい対処法で退治し、予防対策まで徹底的に行いましょう。
posted by 小だぬき at 12:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月12日

【読み解く】4月から始まった「後期高齢者の保険料増加」 負担額増加の背景や具体的な増加額は? 

[読み解く】4月から始まった「後期高齢者の保険料増加」 負担額増加の背景や具体的な増加額は? 
4/11(木)  日本海テレビ

気になる話題を取り上げる「読み解く」のコーナーです。
今回テーマは「後期高齢者の保険料増加」。
去年成立した改正健康保険法などに基づいて、今年4月から75歳以上の人が支払う公的医療保険料が上がります。

■なぜ後期高齢者の保険料が増加するのか?
理由は2つありまして、まず1つ目は少子高齢化で医療費が膨らんでいるため。

75歳以上である約2000万人が該当する後期高齢者医療制度の医療費は、現役世代の保険料によって支えられています。
「後期高齢者1人当たりの保険料」と「現役世代1人当たりの後期高齢者支援金」は、少子高齢化により、制度導入時の2008年に比べ、後期高齢者は1.2倍、それに対して現役世代は1.7倍に増えていて、現役世代の負担がより重くなっています。

そこで、現役世代の負担上昇を抑え、持続可能な仕組みにするため、「後期高齢者1人当たりの保険料」と「現役世代1人当たりの後期高齢者支援金」の増加率が同じとなるよう見直されました。

出産育児一時金の費用
理由の2つ目は出産育児一時金の費用の一部を後期高齢者の保険料から支援するためです。
出産育児一時金に必要な費用のうち、7%を後期高齢者の保険料から支援することで、少子化に歯止めをかけ、全世代で支え合う仕組みになるということです。
物価も高騰する中で、法改正による保険料の増額。街の声を取材しました。
◇ ◇
高齢者
「いろいろ上がる時期だけど…。年金も上がったらいいねえ」
「我々は年金生活ですから、年金が目減りするのがいけない。
上がった物価とスライドして一緒に上がらなきゃいけないけど、上がらずに物価だげどんどん上がって、介護保険なんかもどんどん上がっていくでしょ」
「やっぱり人口が減ってるから、特に鳥取県なんか一番人口少ないじゃないですか。だから子育てに使われるのは良いと思いますよ」

戸惑いの声と、未来への期待の声。さまざまな意見がありましたが、物価の高騰に加え、高齢世帯の家計には大きな打撃となりそうです。
具体的にはどのように増額が行われるのでしょうか。専門家に話を聞きました。

鳥取県後期高齢者医療広域連合 池口栄夫 業務課長
「今回の国の制度の改正によって増加する保険料につきましては、賦課限度額の引き上げや所得割率を引き上げる形で負担能力に応じた負担としております。
また、負担の急激な増加を和らげるために、令和6年度は激変緩和措置が講じられています」

■「激変緩和措置」とは?

激変緩和措置とは

この緩和措置によると、”負担能力に応じた負担”ということで75歳以上の方全員が対象になるわけではありません。
年収153万円が基準となり、これよりも収入が少ない全体の約6割の方は今回の改正による増額はありません。
対象となる年収153万円を超える人たちも2年かけて、段階的に引き上げることになっています。
多くの方が増額対象ではないといえ、保険料のベースが年々上がっているため今後も負担は増えていくこととなりそうです。

少子高齢化が進む中、どのように健康保険の体制を維持していくのかが、引き続き大きな課題となりそうです。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これが小池百合子の恐ろしさ...窮地におちいった“女帝”が一発逆転を狙う「衝撃の秘策」

これが小池百合子の恐ろしさ...窮地におちいった“女帝”が一発逆転を狙う「衝撃の秘策」
4/12(金) 現代ビジネス

次期衆院選のサプライズ

 「まだあの女は死んじゃいない……!」
 永田町の住人たちが、小池百合子都知事の動向に引き続き目を光らせている。

 4月28日投開票の衆院東京15区補選に小池が出馬するのではないか―とまことしやかにささやかれていたが、結局うやむやに。
ところが自民党都連幹部は「まだ油断はできない。小池はもっと大きな秘策を考案している」と警戒心を隠さないのだ。

 「岸田総理が6月に衆院を解散すれば、小池さんが衆院選に出馬するとの噂が流れているんです。

 7月7日に行われる都知事選の告示日が6月20日。総理が解散を決めるタイミング次第では都知事選ではなく衆院選に出ることもできるのです」

 都知事選を投げ出して衆院選に出るとはアクロバティックな手法だが、小池氏にはどうしても出馬したい理由が二つあるという。

女性初の総理大臣という野望

 一つ目はシンプル。「女性初の総理になる」という野望を叶えるためには、このタイミングしかないということ。
 もう一つは「政敵」を叩きのめす絶好のチャンスだからだ。

都連幹部が続ける。
「小池さんは東京11区に狙いをつけています。ここは自民党の重鎮・下村(博文・元文科大臣)さんの選挙区ですが、裏金問題で1年間の党員資格停止となった下村さんは、自民党の公認をもらえない。選挙に出ても、大苦戦するでしょう」
 そこに、小池氏が割って入る隙が生まれる。

 「そもそも下村さんは小池知事のコロナ政策などを事あるごとに批判してきた。
都知事にとっては政敵同然。
『文藝春秋』が都知事の学歴詐称疑惑を再び追及するなか、衆院選に転戦すれば、有権者の目を逸らし、『裏金議員を成敗するため、小池が立ち上がった』と注目され、圧倒的な勝利を収められる」

 「まさか」を「もしや」と思わせる。そこに小池百合子の怖さがあるのだ。

 「週刊現代」2024年4月20日号より
posted by 小だぬき at 18:59 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月13日

「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」で人を叩く行為が気に入らない。

「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」で人を叩く行為が気に入らない。
4/12(金)   Books&Apps

功利主義に向き合う
いきなりだが、どうもおれは功利主義者らしい。
反出生主義などの持論を述べていたら、そう指摘された。
なるほど、反出生主義論者のベネターの考え方は功利主義的かもしれない。
とはいえ、おれは功利主義をよく知らない。「最大多数の最大幸福?」くらいのものだ。
なので、おれは本を読んでみることにした。

たとえば、有名なJ.S.ミルなどはなんといっているのだろう。
『功利主義』の冒頭はこんな文章で始まる。

正と不正の判断基準をめぐる論争は、解決に向けた進展が少しも見られない。
人間の知識の現状を作り上げている環境要因のうちで、これほど期待はずれなものはほとんどない。

最も重要なテーマに関する思索でありながら、長いあいだ立ち後れたままであり、期待はずれという点でここまで際立っている環境要因はほとんどない。

哲学が誕生して以来、最高善に関する話題、あるいは同じことになるが、道徳の基礎になる問題は、抽象的な思想の中での主要問題として考えられてきた。
才能に最も恵まれた識者たちがこの問題に没頭し、教派や学派に分かれて活発に戦い合ってきた。

二千年以上を経た後でも同じ議論が続き、哲学者たちは依然として、相変わらずの旗印の下にそれぞれ陣取っている。
思想家も世間一般の人々も、この問題に関する意見の一致には近づいていない。

なんとまあ、正・不正の問題は長年論じられてきたが、期待はずれでしかないという。
教派や学派に分かれてきたという。それはなんだろう?

……とか、白々しく書いてみたが、この本より先に功利主義についての本を一冊読んだ。

『功利と直観 英米倫理思想史入門』、これである。
功利主義の初心者が読む本なのかはわからない。
わからないが、入門と書いてあるのだからいいだろう。
というか、ちょっと読んでみて、「これはおもしろいぞ!」と思った。

この本の「はしがき」はこう始まっている。

現代英米の論争では、功利主義と義務論という二つの理論が大きく対立していると言われる。

功利主義(utilitarianism)とは、行為や政策が人々に与える結果を重視する立場であり、最大多数の最大幸福に役立つ行為が倫理的に正しいとする考え方である。
一方、義務論(deontology)は、そのような結果の善し悪しにかかわらず、世の中には守るべき義務や倫理原則があるという考え方である。

 たとえば、「政治家は公約を守るべきだろうか」と質問されたとしよう。
一般的に言えば、政治家が公約を守ることは正しく、公約を守らない政治家は非難されるだろう。

では、なぜ公約を守るべきなのか。
この質問に対しては、「人は自分がした約束を守るべきだから」と答えられるだろう。
では、なぜ人は約束を守るべきなのか。
この問いに対しては、功利主義者と義務論者で答え方が異なる。
功利主義者は、「人々が約束を守るべきことによって初めて協力関係が成り立つ。
そこで、人々が約束を守らず協力関係が成立しない場合よりも、約束を守ったほうが、社会全体の幸福が増すからだ」と答えるだろう。

一方、義務論者は、「約束を守るという行為が正しいのは、それがまさに人の守るべきルールだからだ。約束を守ることによって社会の幸福が増えるかどうかという結果の善し悪しには依存しない」と応えるだろう。

したがって、功利主義では、(たとえば政治家が数年前に発表した公約が現在の実情に合わなくなった場合など)約束を守ると社会全体の幸福量が減ってしまうと考えられるならば、約束を破った方がよいことになる。
それに対して義務論では、たとえどのような結果が生じるとしても、約束は約束であるがゆえに果たされるべきことになる。

タイトルにある「直観」はいろいろあって「義務論」と現代では呼ばれるようになっている。
二十世紀に入る前は、「功利と直観」であった。

この本では、近代における直観主義のはじまり、それに対するベンタム、ミル親子による批判からはじまり……。それぞれの陣営で百家争鳴というか、いろいろな理論が主張され、批判され、あるいは調停されようとする現代までの流れが書かれている。

同じ派でも意見の相違はある。
なので、おれは功利主義どころか、高卒の無学なので本書を十全に理解した、覚えたということはできない。

ただ、「功利と直観」という根底の対立というものは現代までありつづけているものだとなんとなくわかった。
わかったうえで、どうしてもおれは、やはり「功利主義者」だな、と思った。

しかし、どうも、「功利主義」というのはある種の汚名のようなものであり、先の子ミルの翻訳者もイメージの悪さから『効用主義』というタイトルにしようかと考えてみたとあとがきで書いている。
本書でも「功利的」とか「功利主義」は誤解を受けやすい言葉であり、「公益主義」、「公利主義」、「大福主義」などの訳語が提案されていると指摘している。大福主義?

おれにはあまりそんな意識がなかったが、そういうところもあるのだろう。
そんなのは知らないおれは、自分を「功利主義者(の見習い)」くらいの自己規定をしたといっていい。

そこに正義はあるんかい?
精神の外にある真実が、観察や経験の力を借りることなく直観あるいは意識によって認識できるという考えは、現在、誤った諸学説やよからぬ諸制度の大きな知的な支えになっていると私には思われる。

こういう理論の力を借りて、起源もはっきり思い出せないような根深い信念や強烈な感情の一つ一つが、道理によっておのれの正当さを立証する義務をまぬがれることができ、おのれの正当さの証人はおのれ自身だけで十二分だとばかりに傲然とおさまりかえっているのだ。

『功利と直観』より子ミルの『自伝』
道徳的真理がア・プリオリなものかどうか。
すごく雑に言えば、功利主義はそれを認めないし、直観主義はそれを認める。

すごく雑にいえば、おれは直観主義が主観主義にすぎないと感じるし、外的な基準なしに正・不正が決められてたまるかという感じがする。
いきなりシジウィックという人の話になるが、こういうことだ。

その一方でシジウィックは、(功利主義と対比される倫理学の一方法としての)教義的直観主義は、倫理学の方法としては不十分であると主張した。
善意、正義、約束、誠実など、常識道徳が支持する様々な道徳概念は、一見すると自明な(prima facie)道徳規則を提示しているように思われる。

だが、科学的な公理が満たすと考えられる四つのテスト(明白で正確な言葉で述べられている、注意深く反省しても本当に自明である、他の真理と衝突しない、「専門家の意見の一致」が十分に得られている、の四つ)をクリアできるほどの自明性は持たない。

『功利と直観』
このあたり、もう西洋哲学はよくわからないが、子ミルのカント批判に乗ってしまうところもある。
むずかしいのでカントなど読めないが。

どうもおれは、ア・プリオリな道徳を信じていない。
「道徳器官」のようなものはない。
「本当に大切なことには説明が必要ない(説明ができない)」という立場には立てない。心底そういうところがある。

上タン功利主義
おれがこのような功利主義者だな、と思った具体例が先日あった。ネット上の論争みたいなものだ。

もう、忘れている人も多いだろうが、「焼肉屋の食べ放題で上タン50人前頼んだら止められた」問題だ。

これは一部のネット上で賛否両論の意見がたくさん出た。
曰く、「食べ放題なのだからいくら注文してもよい」。
曰く、「品がないし、他のお客さんのことを考えていない」。

おれはこの、どうでもいいといえばどうでもいい話題に、非常に敏感になった。そして、二度も自分のブログで記事にした。

上タンばかり頼んでなにが悪い? 暗黙の了解があるというなら見せてみろ / 関内関外日記

こんな話題があった。おれはこれは完全に店側の落ち度だと思った。それが食べ放題というものだろう。店と客との契約だろう。

そう思ってはてなブックマークを見てみたら、賛否両論というか、ひょっとしたら客を批難する声が多いようにも見える。

要約する。おれの立場は「食べ放題なら上タン50人前注文しようが問題ない」派ということになる。
一度に50人前頼んだわけでもない、他の注文もしている、ちゃんと完食している。
そういう前提ならば、なにが悪いのか、ということだ。

まず、契約の問題。店側に上限を設ける自由も上タンを食べ放題から外す権利もある。
それをあえてしないでおいて、客側に非があると考えるのは不当だ。

次に、マナー、常識、暗黙の了解について。これについておれは「暗黙の了解があるなら見せてみろ」と書いた。

だれも「常識的には3人前(5人前、10人前……)である」と言わない。あえて口をつぐんでいるかのように、ただただ50人前の非をあげつらう。

後者だ。おれは、この後者の物言いに、大きな疑問を持った。

たとえば、朝日新聞が「エビデンスがないと駄目ですか?」という記事を出したときは、大きな批判が巻き起こった。

何をするにも合理性や客観性が求められ、数値的なエビデンス(根拠)を示せと言われる時代。
そのうち、仕事でもAI(人工知能)が導く最適解に従うことになるのかもしれない。

それなのに、なにをエビデンスに50人前を非常識とするのか。マナー違反とするのか。

この件については、焼肉屋の内情から推論するでもなく、ただただ、「品がない」だ。
なので、おれは、あえて自分の日記でも煽り気味に「出してみろ」と書いた。
それなりにコメント(ソーシャルブックマーク)が寄せられたにもかかわらず、これに答える人は皆無に近かった。

おれは、根拠のない「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」、これによって人が人を叩く行為が気に入らなかった。
そこに敏感になった。おれはそれを批判した。

むやみに救急車を呼ぶなって明文化されている。
そして、人はいつどこで最悪の無知蒙昧になるかわからない弱い存在だ /関内関外日記

了見があるなら、それを述べろ。あいまいな空気に委ねるな。金がないというなら、金がないといえ。金がほしいというなら金がほしいといえ。おためごかしはやめろ。「察して」ちゃんはやめろ。それはおれがずっと思ってきたことだ。

先の記事を読んで、単にルールに書いてないことはなんでもやっていいと思っている野郎だと思われたので、その誤解も解いておいた
ルールは書かれるべきだと。明示されることにより、世界の風通しはよくなると。

どうもこれは、直観的に「上タン50人前」を「道徳的でない」とする人と、そういう感覚のない人の対立ではないかと思った。
おれは後者に属するというわけだ。

上タン問題まだ擦る
……「擦る」って言葉、なんなんだろうね。
「同じ話題を繰り返す」という用法での「擦る」。

たぶん、芸人の業界用語が流れてきたものだと思うが、まあいい。まだ続ける。

で、功利主義的に見てみると、おれの考えでは「暗黙の了解を前提とした世界」より、「ルールが明示されている世界」のほうが不幸は少ないということになる……のだと思う。

「だれかが過剰な注文をすることで、他の人が食べられなくなるのでは?」
「焼肉屋が食べ放題をやめてしまい、他の人の迷惑になるのでは?」

という意見もある。

そういった意見は、単なる「暗黙の了解の強制」ではない。
考えるに値するし、正しい面もある。そういう批判はあってよい。

だが、おれはこう考えた。
究極的なところで客と店との契約の信頼性が損なわれることは社会にとって不幸である。
それにともなって客と店、客と客の間に疑心暗鬼と不信感、憎悪の感情が増えることも社会にとって不幸である。
ゆえに、この条件で上タン50人前を注文する行為を批難することは、社会の幸福を増やすことではない。

解決策は、店が困るのであれば、店の自由な権利によって困らないようにシステムを設定すればよい。
それだけのことだ。おれはそうジャッジした。

たしかに、細かい部分を見ると、問題となった書き込みは露悪的な部分もあって、それに品があるかないかといえば、ないと思われてもしかたない表現だった。

それならそれで、単に「おれはこの人が嫌いだ」、「この書き込みが嫌いだ」と気持ちを表現するだけにすればいい(もちろん、「したほうがいい」とは思わない)。

そこに暗黙の了解の衣をかぶせたり、それを武器にして叩いたりすることに対して、おれは批判的になる。
おれが根拠のない(根拠を設定すべきでない)とする「正義」を信じていないがゆえであろうし、それは危険ですらあると思うのだ。

人間は不完全なものだから
いずれにせよ、おれはア・プリオリな道徳、あるいは真理というものを信じていない。
なにか信心でも持っていれば、その宗教の教えによってそれを得ていたかもしれないが、そういうこともない。

人間という愚かな存在、愚直に、試行錯誤していくしない。そう思っている。
たとえば、焼肉上タン50人前をチートやハックだという意見もあるだろう。

だが、そんなレベルではなく、法律の隙間をついてグレーゾーンをついて巨万の富を得たベンチャー、現大企業なんてものもあるだろう。

その行為そのものは、批判的に見ることはできるだろう。
しかし、愚かな人類の流れとしては、バグの発見者であり、システムの改善のきっかけであると言えるかもしれない。
あるいは、旧来のシステムの弊害が大きくなりすぎていたのかもしれない。

上タンでいえば、ほかの焼肉屋が「上タンには制限をつけよう」とか考えるきっかけだ(まあ、どんな大食いの人がふらりと現れるのかわからないのが食べ放題のリスクであると、わかっていないでやっているとしたら、それは店の責任と言わざるを得ないが)。

このように、「人間は過去、現在、未来、バカ」という立場で物事を考えていく、社会を成立させていくのを中島岳志は「リベラル保守主義」と言った。

保守主義って、本来どういうものなのだろうか。

功利と直観においては「理性」を直観より信頼するが、まあそのあたりはズレがあるかもしれない。
でも、おれは、愚直に効用を考えていく理性を信用する。
ベネターの反出生主義、ピーター・シンガーの安楽死論、一見自明に「おかしい」と思うことも、考えていくべきだ。一歩一歩。

そもそも、いろいろな文化、文明、宗教、人種、言語……多様性の時代だ。
グローバルな社会だ。わかりあえないのは前提だ。
そんな中で、「普遍的な道徳」というものを前提とすることは難しい。
暗黙の了解は成り立たない、と考えたほうがいい。

……すべての個人を保護する道徳は、各個人が最も気にかけている道徳でもある。
それとともに、各個人は、この道徳が言葉と行為を通じて周知され、きちんと遵守されることに、最も強い関心を寄せている。


J.S.ミル
(強調は引用者による)


たとえば、かなり同質的な人間集団である日本人の間でも、牛タンを巡って一つの普遍的な常識を示すことすらできない。
一見自明なことがら。これについて、一呼吸おいて考える必要がある。
たとえば、おれが思い浮かべるのは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という話題だ。少年が発したこんなテーマが話題になったことがあった。
これについて、いろいろな識者がいろいろな意見を述べた。
なかにはこんな自明なことは、問題ですらないとはねつけた人もいた。

だが、それは誠実な態度とはいえない。
そんな「自明」は存在しない。
なぜならば、この国には死刑という「人を殺すこと」が倫理の先の法律として成立している。
そして、それを八割の人間が支持している。

この現状で「人を殺してはいけない」とは、常識でもなんでもない。社会の道徳判断ということはできない。
「人を殺してはいけない」なんて一見自明な道徳(自明であることに「圧倒的多数な例外」なんてないですよね?)も成立しない。
ゆえに、自明の顔をしたことには疑いを持たなければいけない。面倒くさいが熟慮が必要だ。おれは直観的にそう思うが、あなたはどうだろうか?
***

【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月14日

「もしもし」は実はNG?【ビジネスマナー】電話応対の基本とNGマナー

「もしもし」は実はNG?【ビジネスマナー】電話応対の基本とNGマナー
2024年04月13日 ananweb

社会人になり一番苦手なのが電話応対という話をよく聞きます
便利なコミュニケーションツールが増え電話をする機会も減ったため、どう応対をしたらよいのか戸惑ってしまうかたも多いのではないでしょうか。
しかし、ビジネスシーンにおいて電話応対を避けることはできません。
そこで今回は、苦手意識をなくすための「電話応対の基本マナーとNGマナー」について、秘書歴約15年でマナーに詳しい、能美黎子さんが説明します。

電話応対の基本マナーとNGマナー
【元社長秘書のマナー講座】vol. 32

新社会人が最初に身につけるべきマナーのひとつとして挙げられるのが、電話応対ではないでしょうか。
しかし、ビジネスに限らず、現在はメールやチャットなど便利なコミュニケーションツールが増え、電話の使用頻度が減り、苦手意識があるという声を多く聞きます。
「お客様から電話が来ただけでドキドキしてしまう」
「この言葉使いで合っているのかな」など不安を抱えているかたも多いようです。

特にビジネスシーンでは、電話応対は会社の印象を大きく左右するので、失礼のないようしっかりとマナーを心得ておく必要があります。今回は、電話応対の基本マナーとNGマナーについてご紹介します。苦手意識があるかたはもちろんですが、そうでないかたも今一度確認していきましょう。

これだけ押さえておこう! 受電の基本手順5つ

電話応対の正しい基本手順は5つです。
これさえ覚えておけば、あとは実践するだけ!
苦手意識の克服は、慣れるのが一番です。
ぜひ、積極的に電話に出てみてくださいね。

1. 電話が鳴ったら3コール以内に出るのが鉄則
電話がかかってきたら3コール以内に受話器を取るのが基本マナー。
3コール以上の場合は「お待たせいたしました」と一言添えましょう。

2. 会社名と自分の名前を先に名乗る
電話をとったら、相手が名乗る前に自分から「会社名」と「自分の名前」を伝えます。
注意点は「もしもし」という言葉を最初に付けないことです。
例) お電話ありがとうございます。株式会社の××でございます。

3. 相手の名前を復唱・確認してメモを取る
相手が名乗り終わったら、復唱しすぐにメモを取るようにしましょう。
復唱することで名前の聞き間違いを防ぐことができます。
例) いつもお世話になっております。株式会社の××様でいらっしゃいますね。

4. 相手が電話を切ったことを確認してから受話器を置く
電話はかけたほうが先に切るのが基本マナーです。
相手が切ったことを確認できてから受話器を置きましょう。
相手から電話を切ってくれない場合は、「お電話ありがとうございました。失礼いたします」などと伝えましょう。

5. 忘れないうちに伝言メモを書く
担当者が不在などで伝言を残す場合は、電話を終えたらできるだけ早く担当者のデスクに電話があったことを伝える伝言メモを残しておきましょう。
伝言メモには「相手の会社名と名前」「電話があった日時」「用件」「折り返しの可否」「電話を受けた人の名前(自分の名前)」の5つを必ず書きましょう。担当者が戻り次第、口頭でも電話があったことを伝えておくとよいでしょう。

電話応対のNGマナー 
やりがちな電話応対時のNGマナーを5つご紹介します。
NGマナーの電話応対をしていないか、ぜひチェックしてみて下さいね。

1. 「もしもし」はビジネス電話ではNG
「もしもし」はビジネスシーンにおいてはNGです。
元々は「申す、申す」の略語であり、略語を目上の相手に対して使うのは失礼であるというのが理由です。
基本手順の2つ目で説明したように、ビジネスの電話を取るときの最初の一言は「お電話ありがとうございます。株式会社の××でございます」と伝えましょう。

2. 「よろしかったでしょうか?」はNG
現在のことを聞いているのに、過去形の「よろしかったでしょうか?」と訊いてしまうのはNGです。
「〇〇でよろしいでしょうか?」が正解です。

3. 「お電話をお回しします」はNG
「電話を回す」という表現は、「たらい回し」を連想させ相手に対して失礼になるためNGです。
「お電話をおつなぎします」が正解です。

4. 「お名前を頂戴してもよろしいでしょうか」
相手の名前や電話番号を聞くときに使いがちな「〜を頂戴する」という表現ですが、実はNGです。
「頂戴する」という言葉は「もらう」の謙譲語です。
名前は、もらったりあげたりする物ではないため、「聞く」の謙譲語である「伺う」という表現を使いましょう。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」が正解です。

5. 「お声が小さくて聞き取れません」
相手の声が聞き取りにくいとき、「お声が小さくて聞き取れません」と話してしまいそうになりますが、聞こえにくいことを相手のせいにしている失礼な言い方となるためNGです。
「お電話が少々遠いようです」と言うのが正解です。

おわりに
電話応対におけるビジネスマナーは、会社全体の印象を決める重要なものです。
顔が見えない分、電話での応対が良いかどうかで印象は大きく変わります。
電話が苦手というかたも、苦手意識を克服するには慣れるのが一番の方法です。
言い回しや敬語など、つい間違えてしまいがちな電話応対のマナーですが、日頃から意識をしておきましょう。
相手を思いやるおもてなしの心を忘れずに行動することが大切です。

<筆者情報>ライター:
能美黎子大学卒業後、新卒にて最大手保険会社にて約7年秘書の経験を経て、ITコンサル企業の社長秘書に転職。
その後、数社の社長秘書を経験し秘書歴約15年となる。
秘書検定準1級を取得。
今までの経験を活かし、接遇や礼儀作法、マナーなど“品格”を大事にした執筆作業を行なっている。
ita/Adobe Stock

文・能美黎子
posted by 小だぬき at 03:49 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月15日

老後を幸せに生きるためにはルールがあった!…定年した多くの人が見落としがちな「意外な法則」

老後を幸せに生きるために はルールがあった!…定年した多くの人が見落としがちな「意外な法則」
4/14(日) 現代ビジネス

------------
元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。
仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。
『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。
※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。
----------
突然、足が動かなくなる恐怖
ガクンと体調が悪くなる

 「日本のシニア世代の多くは、七〇代半ばから緩やかに“健康自立度”が低下していきます。
この低下のタイミングを遅らせることが重要です」と言うのは、ニッセイ基礎研究所上席研究員の前田展弘さん。
ジェロントロジー(Gerontology)の研究を約二〇年間続け、東京大学高齢社会総合研究機構のメンバーとしても活動されています。

 ジェロントロジーは、ギリシャ語で「高齢者」を意味する“Geront”に「学」を表す“ology”が付いた造語で、日本では「老年学」「加齢学」「高齢社会総合研究学」などと訳されています。
加齢にともなう心身の変化を研究し、高齢社会における個人と社会のさまざまな課題の解決を目指す、比較的新しい学問です。

 日本の高齢者約六〇〇〇人(同一対象者)を二〇年間にわたり追跡調査し、健康状態(特に生活の自立度=健康自立度)の高さを三点(完全に自立した状態)〜零点(死亡)に数値化したうえで、歳をとると健康状態がどのように変化するかを分析した研究もあります。
その結果を見ると、男性の約二割、女性の約一割は、六〇歳を過ぎてガクンと健康状態が低下しています。
多くの場合、生活習慣病に起因しているということです。

 七〇代半ば頃から緩やかに健康自立度が低下していく人の割合は、男性が約七割、女性は約九割で、多数派を占めています。男女とも、健康自立度が落ちるタイミングをできるだけ後ろにずらすことが肝心ですね。

 また、男性には八〇歳以上になっても元気溌剌の「スーパーシニア」が約一割いますが、女性の場合は少ない。
これは女性は男性に比べて骨筋力が弱く、運動機能(足腰の機能)が下がってしまうからだそうで、「女性は五〇歳を過ぎたら足腰を鍛えて、移動能力をできるだけ低下させないことが非常に重要」(前田さん)とのことです。

 健康長寿の延伸には、適正な睡眠・食事・運動などの基本的な生活習慣のほかに、外出頻度、他者との交流頻度や会話の量、生きがいや自立意欲の強さ、精神的自立(依存や不安のない状態)、円滑な人間関係、趣味の多さ、自信の強さ、社会参加の頻度などが影響するという研究結果が、国内外には多数存在します。]

もうジタバタしない…!
 特に、高齢期における社会性の維持は、フレイル(低栄養や筋力の衰えによる顕著な虚弱状態)や認知症の予防にとって、きわめて重要だとされています。

 また、「令和五年版高齢社会白書」(内閣府)によれば、健康状態が「良い」と回答した人ほど、生きがいを感じる程度が高くなっており、健康状態と生きがいには非常に強い相関関係があることがうかがえます。

 とはいえ、七〇代、八〇代の方たちは、「今日は腰の調子はいいが、膝に違和感がある」「予想もしなかったところが痛くなった」といったことが多くなっていると思います。
どんな人でも老いは避けられないのですから、加齢にともなうこうした身体の変調は、受け入れるしかありません。
私自身もそうでした。

 「老いを受け入れる」とは、「今の自分を肯定する」ということです。
けっしてネガティブにとらえる必要はありません。

 「これまでの長い人生、自分は本当によく頑張ってきたな。この歳になれば、身体のどこかに不調があっても当然だ。
これ以上悪くしないために、どうすればいいだろう」
 と考えるほうが、老いに抵抗してジタバタするより、よほど前向きな気持ちになれるのではないでしょうか。
要するに、「健康状態が維持できれば十分。今日の調子はまあまあかなと思えればベスト」ということ。まさに、今の私そのものです。

丹羽宇一郎
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月16日

老後のために「暮らしを小さくするコツ」。出費を減らしたいときに“注意すべきこと”

老後のために「暮らしを小さくするコツ」。出費を減らしたいときに“注意すべきこと”
4/15(月)  ESSE-online

周囲の話に惑わされないことが大切。自分の暮らしのサイズに合わせて前向きに準備を
老後のために暮らしをサイズダウンするコツを紹介します。

節約するなら、まずは予算立てを。
また、出費を減らす費目は、1つではなく複数から設定しましょう。
ファイナンシャルプランナーの畠中雅子さんが、出費にまつわるポイントを詳しく教えてくれました。

まだ間に合う!プロが教える老後のための暮らしのサイズダウン
必要な老後資金について、「最低でも2000万円」「5000万円はないと安心できない」など、メディアなどにはさまざまな数字があふれています。

「それぞれの家庭で年金額も生活費も異なるのに、ひとくくりに『いくら必要』と決めつけても意味がありません。
うのみにして、一喜一憂するのはもうやめませんか」と語るのは畠中雅子さん。

「60歳にもなれば、自分が貯められる資金はある程度目安がつくはず。重要なのは、そのお金で安心して暮らしていくために生活設計を立てることです」
今の生活費はいくらで、老後はどれくらいになりそうか、年金はいくらもらえて、貯蓄はいくらあるのか…ひとつずつ数字を書き出し、この先の暮らしをシミュレーションしてみて。
もし、赤字になりそうだったら、減らせる支出がないか検討してみましょう。
なにから手をつければいいか、見直しアイデアを紹介します。

いたずらに老後を不安に思わない
老後はいつまで元気でいられるのか、病気や要介護になるのか、不確定要素が多いだけに不安が募りがち。

「不安は、数字にして“可視化”することで解消されます。
いたずらに不安がるのをやめ、現状を知ることが老後の安心への第一歩です」

基本の生活費は、1か月に受け取るお金の範囲内に収める
老後は、普段の生活費をできるだけ年金の範囲に収め、貯蓄は特別支出やいざというときのお金に充てるのが基本。
年金額に合わせて、まずは家計設計を見直しましょう。

老後に必要なお金の計算方法
(A)基本的な生活費
1か月の基本の生活費×12か月×30年(95歳-65歳)

(B)特別支出
年間にかかる特別支出×30年+その他の特別支出(リフォーム、旅行、病気や介護に備えるお金)

真っ先に準備したいのが、生活費の赤字補てん分と固定資産税など年間の特別支出。
生活費の赤字を抑えれば、レジャー費などに回す資金を増やせる。

節約のために、まずは予算立てを。無計画での実践はNG
出費を減らしたいとき、「とにかく節約する」という人は多いようです。
でも、やみくもな節約は労力の割に効果が薄く、ストレスがたまるだけ。

「出費減のために、まず予算を立てましょう。
使えるお金の枠が決まれば、『月2回の外食は楽しみだから削らないで、その分お総菜を減らす』などと出費にメリハリがつけられます。
月末の黒字をごほうびに、ゲーム感覚で出費を削るのも楽しいですね」

出費を減らす費目は1つではなく複数から
60代は、50代より出費が減ったり、年金生活が始まって、すでに生活費をきり詰めている家庭が多いもの。
出費を減らしたいとき、1つの費目で無理に大きく削る必要はありません。

「各費目で節約できる余地を見つけて、1000円単位で削りましょう。食費の週予算を500円減らして月2000円カット、月1000円のサブスクを解約するなど、少額ずつ削り、無理なく出費を引き締めて」

ESSEonline編集部
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月17日

実は思考停止してる人の特徴7選

実は思考停止してる人の特徴7選
えらせん作家 4/16(火) 

こんにちは、えらせんです。
今回は「思考停止してる人」というテーマで話していきます。
「思考停止」という言葉、聞いたことありますか?
それは、物事を深く考えずに、習慣や先入観に基づいて行動してしまうことを指します。
「え、それって私かも…」と心当たりのある方も多いのではないでしょうか。
今回は、代表的な特徴」を7つピックアップしてみました。

1いつも行動パターンが決まっている

「いつもの場所で、いつもの物を注文する」という人、周りにいませんか?
習慣に頼りすぎると、新しい発見や刺激を逃してしまいます。
「今日は違うことに挑戦してみよう」と柔軟な姿勢を持つことが大切です。

2:この24時間以内に一度も「なぜ?」と思わなかった

「なぜ?」と疑問を持つことは、思考を深めるために重要。
でも、その習慣がない人は、物事の本質を見逃してしまいがち。
「常に疑問を持とう」と意識することが、思考力アップのカギです。

3:講演を聞いて質問したことがない

講演会で「質問はありますか?」と聞かれた時、沈黙していませんか?
どんな話を聞いても、自分の頭で考える人は「疑問」が湧くモノです。
なので、質問が全く思い浮かばないときは、要注意。
自分で何も考えていないか、ちゃんと理解できてない可能性があります。

4:「ブランド品」であれば間違いないと思っている

「有名ブランドだから、品質は保証されている」と思い込んでいませんか?
この考え方は「誰かに全乗っかりして考えない」とも言えます。
ブランドに頼りすぎると、自分の判断力が鈍ってしまい「本当にいいものを選ぶ」感性がなくなってしまうでしょう。

5:「どれが大事?」と聞かれると「すべて」と答えがち

優先順位を付けられない人は、思考停止していると言えます。
すべての選択肢が並列であることはありえません。
自分で「本当に必要なもの」を判断することで、情報は整理されていくでしょう。

6:自分の経験から判断することが多い

「前にうまくいったから、今回も同じやり方でいこう」と考えていませんか?
でも、状況は常に変化しています。
考えることができる人は、他人の経験からも学び、それを次回に生かします。
経験だけで判断するのは「俺は宇宙人を見たことないから、宇宙人は絶対にいないんだ」と言うようなものです。

7:上司や先輩に言われたとおりにしている

「上司の言うことは絶対」と思っていませんか?
でも、盲目的に従うだけでは、自分の成長は望めません。
「なぜそう言われたのか」と背景を考える習慣を持つことが、自立した人間への第一歩です。


ま と め

いかがでしたか?
「私も思考停止してるかも…」と気づいた方も多いのではないでしょうか。
でも、大丈夫。
今日から意識を変えれば、きっと思考力は鍛えられます。
思考力は、人生を豊かにする大切なスキル。
「今日から、思考力を鍛えよう!」そんな前向きな気持ちを持って、日々の生活に取り組んでいきましょう。

えらせん
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月18日

「食品値上げ」が6月に家計を直撃!インフレ経済の“深刻なデメリット”とは?

「食品値上げ」が6月に家計を直撃!
インフレ経済の“深刻なデメリット”とは?
真壁昭夫:多摩大学特別招聘教授
2024.4.16 ダイヤモンドオンライン

4月、わが国の主要な食品メーカー195社は、2806品目の商品価格を引き上げた。
7月までの価格改定予定を含むと、年間の平均値上げ率は19%にも達する。
実は、6月に再び値上げを予定する企業も多く、その分野は対企業向けの資材から食品まで幅広い。
円安の進行や原油価格の上昇リスクが増しているため、今後も国内企業による値上げは増えそうだ。(多摩大学特別招聘教授 真壁昭夫)

インフレは社会全体の格差を拡大する傾向

 2024年も「値上げの4月」が到来した。
ハムやソーセージなど加工食品、調味料などの飲食料品を中心に、約2800超の品目の値段が引き上げられた。
異常気象や地政学リスクなどもあり、原油や穀物などの原材料価格は上昇している。
また、円安も輸入物価を押し上げている。

 さらに人手不足も深刻だ。
規模の大小を問わず、企業は賃上げに取り組まざるを得ない状況に直面している。
働き方改革の一環で物流に支障が出るなどの、いわゆる「2024年問題」も人件費を押し上げる。
増えたコストを販売価格に転嫁する企業は増え、広い範囲でモノやサービスの価格が上昇している。

 わが国の物価は当面、上昇圧力がかかる可能性が高い。
堅調な米国景気を反映して、ドル高・円安が続くことも予想される。
中東情勢の混迷や一部産油国の自主減産などもあり、原油などエネルギー価格はさらに上昇する可能性が高そうだ。

 わが国経済がデフレから脱却するのは良いことだが、短期的には、物価が賃金を上回って上昇すると、私たちの生活は苦しくなる。
特に、所得水準が相対的に低い世帯では生活の負担感が増すだろう。
一般的に、インフレは社会全体の格差を拡大する傾向がある。
デフレ脱却に伴い政府は、“持たざる者”の生活苦が過度にならないようセーフティーネットの構築が急務である。

食品で値上げラッシュ!値上げ率平均19%

 24年4月、わが国の主要な食品メーカー195社は、2806品目の商品価格を引き上げた。
7月までの価格改定予定を含むと、年間の平均値上げ率は19%にも達する。
背景にはまず、原材料コストの上昇が挙げられる。

 欧州では異常気象でオリーブの不作が深刻化し、オリーブオイルの価格が高騰した。
葉物野菜などの値段も高い。
また、中東情勢の緊迫化も物価の上昇につながった。
原油価格は、サウジアラビアが自主減産を延長などにより上昇した。
紅海では武装組織フーシ派による商船への攻撃が激化し、スエズ運河の航行が困難になったことから、喜望峰を経由する船舶が増えている。
異常気象による水不足でパナマ運河の通航制限も続いていて、タンカーの運搬コストは上昇の一途だ。

 また、4月から国内ではトラックドライバーの時間外勤務時間の上限が、年960時間に規制された(いわゆる物流の2024年問題)。
物流大手企業はドライバーの賃金水準の維持、コスト転嫁のために配送料金を引き上げたことも食品価格の上昇要因につながった。

 春闘で多くの企業が賃上げに踏み切ったのも、モノやサービスの価格を押し上げた。
24年春闘でベースアップ(基本給の底上げ)を表明する企業は増え、全体の賃上げ率は5.28%に達した(連合の第1次集計)。
中小企業や非正規雇用者の賃上げも進みつつあり、人件費の価格転嫁を強化する食品メーカーも増えた。

 わが国の消費者物価指数を構成する品目において、食料品の価格上昇率は高い。
総務省によると、3月中旬時点で東京都区部の消費者物価は前年同月比2.6%上昇したが、食料の上昇率は同4.9%と全体を上回った。

 電力料金も値上がりする。
4月使用分の電力料金は、一般家庭で前月から441〜579円高くなる見通しだ。
これは、再生可能エネルギーの普及に向けて政府が電気代に上乗せする「再生可能エネルギー賦課金」の上昇によるものだ。

6月には再び大規模な値上げが…

 実は、6月に再び値上げを予定する企業も多く、その分野は対企業向けの資材から食品まで幅広い。
一例として、神戸製鋼所は6月納入分から溶接材料を10%程度値上げする方針だ。
また、カルビーは「じゃがりこ」などスナック菓子68商品を値上げする。店頭での価格は3〜10%程度上がる見込みだ。

 原材料やエネルギー、物流費が上昇した分の価格転嫁は依然として十分ではない。
24年問題に対応するために全国各地でバスの運賃も上昇している。
外国人観光客(インバウンド)需要が旺盛なこともあり、飲食や宿泊分野でも値上げの勢いは強い。
円安の進行や原油価格の上昇リスクが増しているため、今後も国内企業による値上げは増えそうだ。

 食品や日用品の価格が値上がりする一方、実質ベースの賃金は伸び悩み気味だ。
2月の実質賃金(速報)は前年同月比1.3%減少し、23カ月連続のマイナスとなった。
賃金の上昇ペースは物価上昇に追い付いていない。

 24年春闘で大手企業を中心に賃上げの機運が上昇し、一部で大幅なベースアップが実現したことは、個人消費を下支えする重要な変化だった。
しかし、中小企業の賃上げは容易ではない。
また、基本的にわが国の大幅な賃上げ交渉は年1回だ。
賃上げの持続性を判断するには時間がかかる。

 短期間で名目の賃金上昇ペースが食料品と同程度か、それを上回る水準に到達する展開は期待しづらい。
6月に再度、大幅な値上げが起きると、節約志向を強化する家計は増えるだろう。
すると、個人消費の停滞や景気低迷への懸念が高まる。
現在のわが国経済にとって、値上げの負の側面が、賃上げ効果を上回る可能性は高い。

デフレ脱却のプラス面とマイナス面

 現在、わが国は本格的にデフレから脱却する重要な局面を迎えている。
それに伴い、経済にプラス面とマイナス面、両方の影響が出ている。

 短期的には、家計の負担が増加することによるマイナス面の影響が懸念される。
食料品の価格や電気料金の上昇で、家計は旅行や外食などの支出を減らすことが想定される。
所得水準が相対的に低いほどその傾向は顕著だろう。
そうした結果、消費が伸び悩み、景気の本格的な回復が遅れることが懸念される。

 一方、長い目で見ると、デフレからの脱却によって景気回復の可能性は上がる。
株式や不動産などの資産価格が上昇することへの期待も高まる。
また、デジタル技術の導入や新商品開発などで企業の収益性が上がり、賃金上昇の持続性が高まれば個人消費は活発化するはずだ。

 安定した所得の基盤を持ち、不動産や金融資産などを“持つ者”のメリットは増す。
資産価格の上昇は“持つ者”の支出意欲を高め、高額商品の売れ行きが伸びるチャンスを増やす。

 反対に、“持たざる者”にとっては、マイナス面の影響が増大する。
特に、非正規雇用者など、賃金水準が低位の層にとって食料品や家賃の上昇は大きな痛手だ。

 4月からは高所得の高齢者の介護保険料が増えた。
高齢化の進行により、家計の社会保険料負担は増加しており、その中で物価上昇が定着すると、これから社会に出る新卒者などの生活苦が増す懸念がある。

 インフレのマイナス面の影響が大きくならないよう、政府は、低所得層への経済的な支援や、社会保障制度の改革を強化することが必要だ。
また、政策を駆使して、多くの国民が自律的に高所得を目指す環境を整備すべきである。
それらが、わが国全体でインフレの経済環境に対応するために不可欠な要件だといえる。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月19日

紅麴サプリ事件は、安倍政権の「機能性表示食品」導入のせい? 日本の「歪んだ規制緩和」問題の本質とは

紅麴サプリ事件は、安倍政権の「機能性表示食品」導入のせい? 日本の「歪んだ規制緩和」問題の本質とは
4/17(水) ニューズウィーク日本版
【加谷珪一(経済評論家)】

小林製薬の健康被害問題で、規制緩和によって導入された「機能性表示食品」が被害を拡大させたとの指摘が出ている。
確かにこの制度が悪影響をもたらしたのかについて検証する必要があるが、これをもって規制緩和そのものを否定するのは早計である。

●日本だけ給料が上がらない謎…その原因をはっきり示す4つのグラフ

日本における規制緩和というのは、特定企業の優遇策にしかなっていないことが多く、本当の意味で企業間競争を活性化させる役割を果たしていない。
機能性表示食品も本来の規制緩和とは方向性が異なるものだった可能性が高い。

現代の資本主義社会において、規制緩和が経済成長に果たす役割は大きい。
なぜなら政府の保護で特定大企業による独占や寡占が行われると、適切な競争が阻害され、経済全体の効率が著しく低下するからである。

消費者にとっても、保護された企業のシェアが大きすぎると、価格を一方的に決められてほかに選択肢がなくなり、その価格を受け入れざるを得ないという不都合が生じる。
とりわけ市場メカニズムを重視するアメリカ社会では、大企業による独占や寡占、あるいは政府による過剰な保護というのは排除すべき存在と見なされている。

■機能性食品の導入で安倍首相が語っていたこと

一方で、単純に企業の負担を軽減し、消費者のリスクを高めるだけの改革は、本来の意味での規制緩和には該当しない。
そのようなことをすれば、当該分野に強い大企業をさらに潤わせ、消費者を危険にさらすだけだからである。

当然のことながら、こうした間違った規制緩和政策の下では企業の新規参入も促進されない。
単純な企業負担の軽減策では、市場において既に高いシェアを持ち、体力のある大企業がさらに有利になる可能性が高く、健全な競争環境は構築されない。

機能性表示食品制度は2015年、安倍政権が進める成長戦略の一環として導入された。
この制度では、国による審査はなく、届け出のみで製品を製造・販売することが可能であり、導入当初から安全性への懸念が相次いでいた。

安倍晋三首相(当時)は食品に関する規制について「中小企業・小規模事業者には、チャンスが事実上閉ざされているといってもよいでしょう」とスピーチしている。
つまり機能性表示食品制度には、中小企業やベンチャー企業の活動を活性化させる役割があると認識していたようだが、この考えは誤りといってよい。

■規制緩和そのものを否定することの間違い

本来、ベンチャー企業というのは、大企業が取り組まないニッチな市場を狙うべきものであり、単純に規制だけを取り払って企業の負担を軽くすれば、体力のある大手企業が当該分野を総取りするだけの結果に終わる。
規制が存在することで特定企業による独占もしくは寡占になっている市場に競争原理を取り戻すという、本来の規制緩和とは質的に異なると考えてよい。

安倍氏がこの仕組みを理解できず規制緩和を実施したのか、実は規制緩和に名を借りた特定企業の優遇策だったのか定かではないが、方向性として間違っていたのは事実である。
もしそうであれば、間違った規制緩和で発生した健康被害問題を取り上げ、規制緩和そのものを否定するというロジックもまた成立しない。

本来、政府による規制緩和には、消費者の利便性向上と適切な競争促進という2つの意味がある。
機能性表示食品はどちらにも該当しない可能性が高く、制度の見直しは必至だろう。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月20日

「失敗を怖がって行動できない」人に伝えたいこと

「失敗を怖がって行動できない」人に伝えたいこと
坂東眞理子さん「挑戦して気付くこともある」
坂東 眞理子 : 昭和女子大学総長
2024/04/19 東洋経済オンライン

ほんの小さなことからでいい。
「自分に何かできることはあるかな」と考え、少しだけ利他的に行動する。
それが、自分にも多くのよろこびや、幸せをもたらしてくれる――。

新著『与える人「小さな利他」で幸福の種をまく』では、『女性の品格』の著者、坂東眞理子さんが、自分中心主義からちょっと離れ、周囲や他者の問題にもう少し目を向けることがいい人生をつくるコツだと説きます。
本稿では、同書から一部を抜粋、編集してお届けします。

人生「8勝7敗」のすすめ
大相撲は一場所15日、それぞれの場所で8勝7敗だと「勝ち越し」です。
それを続けていけば昇進します。

どんなに強くても15勝全勝はとても難しく、優勝力士でも13勝ほどです。
野球選手の打率も3割行けば上々。
あの大谷翔平選手だって7割は三振したり、凡打で打ち取られたりしているのです。
人生も同じだと思います。

うまくいったことと、うまくいかないことが混在するのが人生。
だから、うまくいったことが、うまくいかなかったことより少し多い程度でも十分に幸せなのではないかと思います。

うまくいったことばかりで、何も失敗しない人生はあり得ませんし、失敗しないのはリスクを取っていない、つまり、うまくいく可能性の高いことしかしていないということです。

失敗したらおしまいだ、失敗しないようにしなければ、という気持ちが強すぎると、小さく縮こまった人生になってしまいます。

失恋が怖いから恋愛しない、離婚するのが怖いから結婚に踏み切らない、落第するのが怖いから試験を受けない、業績評価が怖いから外資系企業にはいかない、落選が怖いから選挙に出ない、事故が怖いから旅行に行かない、倒産が怖いから起業しない、という人はたくさんいます。

たしかに、チャレンジしなければ失敗はないし、安定した生活が維持できるかもしれません。

また、失敗すると周囲に迷惑をかけてしまう、人に迷惑をかけないようにしなければならないから失敗する可能性のあることには手を出さない、という人もいます。

しかし失敗して迷惑をかけても、そのあと倍返しで、かけた迷惑を取り戻すこともできるのです。
チャレンジしてはじめて、それまで気がついていなかった自分の力に気がつくこともあります。

失敗しても人生は終わらない
失敗で迷惑をかけるのを恐れるのは、自分が迷惑をかけられたくないという気持ちが強く反映しているのです。

「少しぐらい迷惑をかけられてもお互いさま」と思えれば、自分も適度に迷惑をかけるのを恐れなくなります。

「失敗したらおしまいだ」と思い込んでいる人はたくさんいますが、現実には失敗しても、そこから立ち上がった人はたくさんいるのです。
けっして失敗で人生が終わるわけではありませんし、失敗すると一生みじめな状態が続くわけではありません。

たとえば1997〜98年の金融危機で、日本長期信用銀行、三洋証券、北海道拓殖銀行など、日本の大銀行や大証券会社がいくつか倒産したり、合併されたりして、多くの人が転職を余儀なくされました。

私も当時は「定年まで働くつもりで就職した大銀行が倒産するなんて、なんて運が悪い、気の毒な人たちなんだろう」と同情したものです。

しかし、転職して苦労された方も多かったでしょうが、その後四半世紀たってみると、彼らはそれぞれ新しい職場で頑張って、成功しています。

大銀行で定年まで働くより、むしろいろいろな分野で新しい経験を積み、充実した職業生活を送ったのではないか、そう思える方がたくさんいます。

定年まで働くつもりだった安定した職場がなくなって、否応なく転職・求職せざるを得なくなったときは大変で不運だと、嘆いていたかもしれません。

でも、数年すると、力のある人たちは新しい職場で新しいチャレンジをはじめています。
多くの人は組織が固まっていた大企業より、自分の能力を発揮しているのです。

利己心を捨てる広がる世界
もちろん、安定した仕事について収入を得て、安定した家庭を築き、そこそこの生活を送るというのも幸せな人生です。
8勝7敗でいろいろ苦労するより、勝負をしないほうがよいという考え方も否定しません。

しかし、あまりに安定を求めすぎると失敗を怖がるようになります。

失敗を恐れると何もできず、何もしないで終わってしまう。
それでは人生に不完全燃焼感が残ります。
失敗するかもしれないけれどチャレンジしてみると、うまくいかなくても納得できるはずです。
ヒットは打てなくても、打席に立ち続けましょう。

そして、失敗することで多くの人は人間的に成長します。

状況判断、能力・スキル、何が足りなかったか、いやというほどわかります。
失敗するつらさ、悔しさ、恥ずかしさ、自信喪失、絶望を経験すると、そうした状態にある人の悔しさ、つらさがよくわかってきます。

どん底に陥ったとき、人からかけられた温かい一言がどんなにありがたいか、身に沁みます。

また新たに失敗したり苦労したりすることがあっても、以前に一度失敗を経験していると、自分はあの苦しさに耐える力があったのだから、今度もなんとか乗り越えられるだろうと考えることができ、「大丈夫、何があってもやっていけるさ」という自信につながります。

失敗を恐れない気持ちになるには、このような「失敗しても自分はなんとかなる」という自己肯定感が必要なのです。  

「誰かのために」が勇気のもと
それだけではありません。

自分が持っているものを失いたくない、損したくない、苦労したくないと失敗を恐れるのは、自分の利益を守ろうとする「利己心」にとらわれているからです。

そんな利己心にとらわれていると、失敗を恐れすぎてしまいます。

そこで、少しだけ利己心から解放されるように意識してみましょう。
すると、もう少し柔軟にいろいろなことに挑戦できます。
それによって人生の可能性が広がっていくのです。

自分の利益のためだけでなく、社会がよくなるように、困っている人に役に立つように、もっと人々の暮らしが便利になるように、など、少し利他的な気持ちを持つようになれば、挑戦する意欲が湧いてきて活動範囲が広がります。

失敗を恐れすぎるのは、利己心にとらわれているからです。
利他心にスイッチを入れれば、リスクを取る勇気も湧いてきます。

坂東 眞理子 昭和女子大学総長
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月21日

【思考力チェック!】天使は必ず真実を言い、悪魔は必ず嘘をつき、人間はランダムに真実や嘘を言う。A「私は天使ではない」、B「私は悪魔ではない」、C「私は人間ではない」。それぞれの正体は?

【思考力チェック!】
天使は必ず真実を言い、悪魔は必ず嘘をつき、人間はランダムに真実や嘘を言う。
A「私は天使ではない」、B「私は悪魔ではない」、C「私は人間ではない」。それぞれの正体は?
野村裕之(のむら・ひろゆき)
都内上場企業のWebマーケター
2024年04月20日 ダイヤモンドオンライン

「天使は必ず真実を言い、悪魔は必ず嘘をつき、人間はランダムに真実や嘘を言う。A、B、Cの発言から、それぞれの正体がわかるか?」
これは知識や計算はいっさい不要で、「考える力」のみが問われる「論理的思考問題」のひとつ。
論理的思考問題はGoogle、Apple、Microsoftといった超一流企業の採用試験でも出題され、「スティーブ・ジョブズ超えの天才」と言われたあのピーター・ティールも自社の採用試験に取り入れた。
これまでの正解が通用しない時代に必要な「思考力」を鍛える「最高の知的トレーニング」でもある。

そんな論理的思考問題の傑作を世界中から収集し、解説した書籍が『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』だ。
「論理的思考」「批判思考」「水平思考」「俯瞰思考」「多面的思考」が身につく67の問題を紹介。
「頭のいい人の思考回路」がわかり、読むだけで、一生モノの武器となる「地頭力」が鍛えられると話題。
この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「論理的な思考ができる人」だけが解ける問題を紹介する。(構成/石井一穂)

■矛盾のない真実を導けるか?
 論理的に考える感覚をつかむために、まずは論理的思考問題で最もオーソドックスな問題を考えてみましょう。
 次のページで、正解と考え方をお伝えします。

*************************************
<正解>
 A:人間 B:悪魔 C:天使

 いつも本当のことを言う「天使」と、いつも嘘をつく「悪魔」。
 彼らが登場するこの形式は「天使と悪魔のクイズ」とも呼ばれ、さまざまな類問が存在します。

 今回は最もシンプルで、難易度はかなりやさしいレベル。
 小学生でも解けるためヒントはありません。

 1人ずつ順を追って、発言とその特徴に注目していきましょう。

仮定からはじめよう
 問題文を読んで「1人ずつ地道に正体を考えていくしかないのかな……」「めんどくさいな」と思った方もいるのではないでしょうか?

 ええ。残念ながら正解です。

 論理的思考とは一瞬で何かを解決してくれる魔法ではなく、正しい答えを地道に導くための武器です。

 よって論理的思考の基本は、
「もし○○だったら……」と、仮定と検証を繰り返すことです。

 というわけで考え方としては、「もしAが天使だとしたら」「悪魔だとしたら」「もしBが」「もしCが」と仮定して、矛盾が起きるパターンを消していきます。

 さて、基本はこれで大丈夫なのですが、この問題をややこしくしている「人間」という存在には注意が必要です。
「人間」はランダムに真実や嘘を言うため、発言がヒントになりにくく、消去法で見つけるしかありません。

 そこで、まずは発言がつねに一貫している天使や悪魔について考えていきましょう。

1人目の正体は?

 まず、Aが天使だと仮定した場合。

「私は天使ではない」の発言は「真実」となります。
 つまり、Aは「天使ではない」ということに……。

 Aを天使だと仮定すると、仮定と発言に矛盾が生じてしまいました。
よって、Aが天使ということはありえません。

 では、Aは悪魔なのか?

 その場合、Aの「私は天使ではない」の発言は「嘘」となります。
つまり、Aは「天使である」ということに……。
 Aを悪魔だと仮定すると、仮定と発言に矛盾が生じてしまいました。

 つまりAは悪魔でもありません。

 残された可能性はたったひとつ。
 Aは「人間」です。


2人目の正体……?

 次に、Bの正体を考えてみます。
 Bが天使だった場合、「私は悪魔ではない」の発言は「真実」ということになります。
ここに仮定との矛盾はありません。

 ではBが悪魔だった場合は?
「私は悪魔ではない」の発言は「嘘」であり、Bは悪魔だということになります。

 ここにも仮定との矛盾はありません。

 つまり、
Bが天使か悪魔のどちらかは、まだ特定できません。


3人目の正体へ

 Bが特定できないため、Cについて考えてみます。

 Cが天使だった場合、「私は人間ではない」の発言は「真実」ということになり、「Cは天使である」という仮定との矛盾はありません。

 では、悪魔だった場合はどうでしょう。
「私は人間ではない」の発言は「嘘」であり、Cは人間だということになります。
これでは、「Cは悪魔である」という仮定と矛盾します。

よって、Cは「天使」でしかありえません。

 そして、最後に残ったBが「悪魔」ですね。


「思考」のまとめ

 とてもシンプルですが、「仮定して考え、矛盾のない真実を導く」という、論理的思考のエッセンスが詰まった良問です。
わかっていることから思考をはじめて、論理がつながるかどうかを確かめていく。
 これが論理的思考の基本となります。

 加えてこの問題では、「正体がわからない人物」をいったん排除して考えることも重要なポイントでした。
「不確定な情報」を見抜くことも、論理的に考えるうえで大切なので、覚えておくとよいでしょう。


 ・わかっている情報を手がかりに考えるのが「論理的思考」の基本
  ・ひとつずつ仮定しながら、論理が成り立つか考えていく

(本稿は、『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』から一部抜粋した内容です。)

posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月22日

階段で手すりを使う、人の名前が出てこない…自分は老いたと感じ、落ちこんだときの対処法

階段で手すりを使う、人の名前が出てこない…自分は老いたと感じ、落ちこんだときの対処法
4/21(日) 婦人公論.jp

人生100年時代、現役世代を駆け抜けた後はどのように過ごせばいいのでしょうか。
精神科医の保坂隆先生いわく、人生後期は無理をせず「ほどほど」をキーワードに過ごすことが大切とのこと。
『精神科医が教える 人生を楽しむ ほどほど老後術』より、日常生活を元気で楽しく暮らすための知識をご紹介します。

* * * * * * *

◆「60%主義」でいこう
懸命に生きてきた人ほど、年をとってから、理想と現実のギャップに悩むことが多いようです。

ちょっと前までは簡単にできたことに手間取る、体力や気力の衰えを感じる……。
そうした瞬間に自分は老いたと感じ、悩んだり、落ちこんだりしてしまうのです。

たとえば「階段の上り下りに手すりを使う」「電車の中で座席に座りたくなる」「物を置いたまま忘れる」「人の名前が出てこない」といったことも、深刻な老化現象ととらえてしまうのでしょう。
しかし、それは避けて通れない道です。

気持ちだけは若くて、いまも昔と変わらないはずと頑張ってみたところで、衰えから逃れることはできません。

◆ほどほどの60%でいい

ここはスパッと気持ちを切り替えて、「できないことはしない」「できることを、できる範囲でやる」と決めたらどうでしょう。
いわば完璧主義からの脱却で、「100%は無理、ほどほどの60%でいい」と考えるのです。

「常に全力投球、ストレート一本で勝負」というプロのピッチャーでも、ベテランの域に達してくると、技巧派に変身するのはよくある話です。

いまの自分にできることが若い頃にくらべて60%だったとしても、それに対して100%で取り組めば十分だと思います。

保坂隆
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【思考力チェック!】それぞれ「E」「R」「2」「9」と書かれた4枚のカードがある。「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?

【思考力チェック!】
それぞれ「E」「R」「2」「9」と書かれた4枚のカードがある。
「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?
2024年04月21日 ダイヤモンドオンライン
************************************
【思考力チェック!】
それぞれ「E」「R」「2」「9」と書かれた4枚のカードがある。「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?
*************************************
「“母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である”というルールが成立しているか確認するには、どの2枚を裏返せばよい?」

これは知識や計算はいっさい不要で、「考える力」のみが問われる「論理的思考問題」のひとつ。
論理的思考問題はGoogle、Apple、Microsoftといった超一流企業の採用試験でも出題され、「スティーブ・ジョブズ超えの天才」と言われたあのピーター・ティールも自社の採用試験に取り入れた。
これまでの正解が通用しない時代に必要な「思考力」を鍛える「最高の知的トレーニング」でもある。

そんな論理的思考問題の傑作を世界中から収集し、解説した書籍が『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』だ。「論理的思考」「批判思考」「水平思考」「俯瞰思考」「多面的思考」が身につく67の問題を紹介。
「頭のいい人の思考回路」がわかり、読むだけで、一生モノの武器となる「地頭力」が鍛えられると話題。
この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「慎重な判断ができる人」だけが解ける問題を紹介する。(構成/石井一穂)

■証明にひそむ罠に気づけるか?
 これまでとは少し毛色の違う、「証明」についての問題です。
 確実な答えを得るために確認すべきことを、直感を疑って考えてみましょう。

<正解>
「E」と「9」を裏返す

 またしてもカードの問題ですが、今回は確率の問題ではありません。
 どちらかというと、純粋な論理力が試されます。

 かなりシンプルな答えになりそうですが、ちょっとした発想の転換が必要になります。

直感で答えると……

「E」と「2」を裏返せばいいのでは?
 そう思った方が多いかもしれません。

 先に言ってしまうと、「E」は正解ですが「2」は間違いです。

「E」を裏返すことが正しいのは明白です。

「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」というルールが成立するには、当然、母音である「E」の裏に偶数が書かれていなければいけません。
 なので、このカードを裏返すのは確定です。

 そして多くの人が「2を裏返して、そこに母音が書いてあればルールを証明できる」と考えます。
 ですが……残念ながら不正解です。

 ここで見落としがちなのが、「9」の存在。

 仮に「2」の裏に母音が書かれていたとしても、
「9」の裏にも母音が書かれていたら、ルールは成立しません。 

ルールの見落とし
「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数」
 このルールが成立しているかどうかを確かめるのが本問の趣旨です。

さて、ここからが重要なのですが、
「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」
というルール、これは「偶数が書かれたカードの裏もかならず母音である」という意味ではありません。

 たとえ偶数の裏が子音であっても、「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数」というルールには違反しません。

 すなわち、
 偶数が書かれたカードの裏は母音でも子音でもかまわないのです。

確認すべき2枚目は「9」
 一方で、奇数が書かれたカードの裏はかならず子音でなければいけません。

 奇数のカードをめくって、そこに母音が書かれていたら、「母音が書かれたカードの裏はかならず偶数である」のルールが破綻するからです。
 よって、裏返して確認すべきなのは奇数である「9」です。

 以上より「E」と「9」を裏返すことで、この4枚のカードにおいてルールが成立しているかどうかを確かめられます。


「思考」のまとめ
 世界的に有名な認知心理学者ウェイソンが考案した「ウェイソンの4枚カード問題」がもとになった問題です。
 当時、正解率は10%未満だったことでも知られています。

 この問題、じつは過去に習ったことが役に立ちます。

 高校の数学で習った「対偶」を覚えているでしょうか。
「AならばBである」が成り立つとき、「BでないならばAではない」も成り立つという法則です。

 たとえば「人間ならば動物である」が成り立つとき、「動物でないならば人間ではない」も成り立つということです。

 この対偶の概念を、今回の問題に当てはめて考えてみましょう。


 命題:片面が母音ならば、その裏面は偶数である
 対偶:その裏面が偶数でないならば、片面は母音ではない


 こうしてみると、「偶数でないカードの裏を確かめる必要がある」と、わかりやすいですね。
学生の頃、「こんな勉強が何の役に立つんだろう」と思った人は多いと思います。
 ただ、いっけんあまり役に立ちそうにない知識でも、思わぬかたちで役に立つものです。

 私たちが一生懸命努力して勉強してきたことは、将来にも何かしらの力になっていくはずです。


 ・「何が確認できればいいのか」だけでなく、「何が確認できなければいいのか」という視点で考えることも大事


(本稿は、『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』から一部抜粋した内容です。)


野村裕之(のむら・ひろゆき)

都内上場企業のWebマーケター
posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月23日

自民党はボロ負け必至…追いつめられた岸田首相が手を組む「意外な相手」

自民党はボロ負け必至…追いつめられた岸田首相が手を組む「意外な相手」
4/22(月)   現代ビジネス

 岸田文雄首相が4月14日午後、1週間の米国訪問を終えて帰国した。
バイデン大統領に大統領専用車の“ビースト”に同乗させてもらい、米国連邦議会上下合同会議での演説で大喝采を受けるなど、アメリカから受けた厚遇にすっかりご満悦の様子。
だが日本では過酷な政治日程が待っている。

 まずは4月28日に投開票される衆院補選だ。
自民党が公認候補を擁立できたのは島根1区のみで、長崎3区では早々と不戦敗を宣言。
東京15区ではなんとか乙武洋匡氏を推薦しようと模索したが、それも諦めた。

 それでも永田町では「6月解散説」が消えない。
岸田首相が9月に予定される自民党総裁選を乗り切るには、その前に衆院選を行い、党内の求心力を高める必要があるが、肝心の内閣支持率がここ最近は伸びていない。
これでは9月に予定される総裁選どころか、「岸田降ろし」も起こりかねない。

 以上は誰もが懸念することだが、意外なことに岸田首相は衆院補選を楽観していると伝わっている。
ある自民党関係者は、「もし衆院補選で最悪な結果になったとしても、岸田首相はそれを『ガス抜き』ととらえているようだ。自民党が惨敗すれば国民の不満が解消され、その後は内閣支持率が上昇すると見ているらしい」と語った。

 そして今、永田町で流れているのは「内閣支持率が3ポイント上がると、岸田首相は衆院を解散する」という噂だ――。

 実際に4月の内閣支持率は、ANNの調査では前月から5.4ポイント上昇の26.3%で、共同通信の調査でも23.8%と3.7ポイント上昇。自民党政権に厳しい数字が出ることで知られる毎日新聞の調査も5ポイント上昇の22%と、3か月ぶりに20%台を回復した。

 しかしこれらの数字は、過剰な演出が盛り込まれた訪米の影響が多分にある。
一方で調査の具体的な内容を見ると、たとえば自民党の「政治とカネ」問題で岸田首相が自らを処分しなかったことについて、ANNの調査では66%、共同通信でも78.4%が「納得できない」と回答し、毎日新聞の調査では62%が「政権交代してほしい」とするなど、岸田政権に対する根強い不信が感じられる。

 よって11日に発売された週刊文春4月18日号が「自公83議席減!」と報じた記事は、自民党に大きな衝撃を与えた。
同記事によると、自民党は現有議席の259議席から186議席と激減し、公明党も22議席しか獲得できず10議席も減らし、208議席となった自公は政権を維持できなくなるというものだ。

自民と維新の蜜月

 一方で同記事では、立憲民主党は52議席増の147議席、日本維新の会も21議席増の62議席を獲得すると予想している。
ここで「自公維連立論」が浮かび上がる。
3党を合わせれば270議席となり、衆議院(定数465議席)で過半数を維持できるからだ。
そしてそれを意識するかのような行動が、最近の日本維新の会に見ることができる。

 日本維新の会の馬場伸幸代表は4月16日、東京15区の補選の応援で、「立憲民主党に投票しないでください」と有権者に訴えた。
馬場氏はまた18日に国会内で開かれた会見でも、「立憲民主党は叩き潰す必要がある」と述べている。

 さらに同党の三木圭恵衆院議員は18日に開かれた衆院憲法審査会で、立憲民主党を「立憲共産党」と揶揄して、立憲民主党の逢坂誠二野党筆頭幹事を激怒させた。
もっとも維新側のこうした行動の背景には、改憲に消極的に見える立憲側が審査会を仕切ることに対する改憲積極派である維新側からの不満がある。

 そうした“対立”はこの度の衆院補選でも見ることができる。
日本維新の会は長崎3区と東京15区に公認候補を擁立し、いずれも立憲民主党と闘っている。

 一方で維新は島根1区で独自候補を擁立していない。
同党の藤田文武幹事長は4月17日の会見で島根1区での「自主投票」を言明し、自民党にも立憲民主党にも与しない姿勢を示している。

立憲が勝つのは困る……

 要するに衆院補選については、自民党と維新は相反する立場にないことになる。
そこで立憲民主党の躍進を阻止したい自民党は、思わぬ「禁じ手」を講じるかもしれない。
ある自民党関係者は次のように打ち明けた。

 「東京15区は立憲民主党の公認候補が優勢だが、彼女が当選して立憲民主党が勢い付いてしまっては、我々が困る。
そこで15区内の自民票を“2位の候補”に集中させることで、なんとか挽回をはかりたいところだが、都連上層部からの具体的な指示はまだ来ていない」

 そもそも東京15区は自民党系の牙城で、小選挙区制度が導入されて以来「反自民」の候補が当選したことはなかった。
また2023年4月の江東区議選で自民党公認候補が獲得した票の総数から、15区の「自民票」は約5.5万票と推定され、2人続けて自民党議員が逮捕されたという不祥事が続いたとはいえ、これらの票が東京15区補選の結果に大きく影響することは間違いない。
 ならば、立憲民主党を厳しく批判し始めた馬場氏らの一連の言動は、こうした票を狙っての自民党へのアピールも含んでいるのかもしれない。
そうした彼らのシグナルを、政権延命を何よりも優先する岸田首相はどのように受けとめているのか――。

 空気の読めない首相の“仁義なき戦い”は、これからも続いていくのだろうか。

安積 明子(政治ジャーナリスト)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月24日

実は令和に通用しない昭和の考え5選

実は令和に通用しない昭和の考え5選
えらせん作家 4/23(火)

こんにちは、えらせんです。
今回は「令和に通用しない昭和の考え」というテーマで話していきます。
時代の変化とともに、価値観も大きく変わってきました。
昔は当たり前だったことが、今では通用しないことがあり、生きづらさを感じている人もいるかもしれませんね。

1.「辛い仕事も我慢して続けるべき」
昔は「仕事をすぐ辞めることは恥ずかしい」という考えが強かったですよね。
でも今は、自分に合わない仕事を無理に続けるよりも、新しいチャレンスに挑戦することが大切だと思います。
僕の知り合いにも、転職して新しい分野で活躍している人がたくさんいますよ。

2.「飲みに行けば団結力が強まる」
確かにお酒を飲みながら話すと打ち解けやすいかもしれません。
でも、お酒が苦手な人もいますし、飲み会だけが団結力を強める方法ではありません。
最近は、ランチミーティングやチームビルディングのイベントなど、お酒に頼らない交流の機会も増えていますよね。

3.「途中であきらめることは恥」
時には勇気を出して方向転換することも必要です。
あきらめることは恥ずかしいことではなく、新しい可能性を見つけるチャンスになるはずです。

4.「全員と仲良くするべき」
職場や学校で、全員と仲良くなろうとするのは難しいですよね。
それよりも、自分と価値観が合う人と良い関係を築くことが大切だと思います。
「人付き合いが苦手」という人も、無理に合わせる必要はありません。自分らしさを大切にしていきましょう。

5.「上司や先輩の言うことは絶対」
上司や先輩の意見は参考にはなりますが、絶対とは限りません。
時代とともに変化するビジネスの現場では、新しいアイデアや発想が求められています。
若手の意見も積極的に取り入れる柔軟性が、これからの組織には必要だと僕は考えています。

6.「家事や育児は女性がするもの」
昔は「家事は女性の仕事」という風習がありましたが、今は男性も積極的に家事や育児に参加する時代になりました。
共働きが増え、ワークライフバランスが重視される中で、家庭内の役割分担は柔軟に考えるべきですよね。

7.「プライベートより仕事が優先」
仕事を頑張ることは大切ですが、プライベートの時間も大切にしたいです。
家族や友人との時間、趣味の時間など、リフレッシュする時間があってこそ、仕事でも力を発揮できると思います。
メリハリをつけて生活することが理想ですよね。

8.「お金を多く稼げば幸せになれる」
お金は大切ですが、幸せの全てではありません。
充実した人間関係、やりがいのある仕事、健康など、お金以外にも幸せを感じられるものはたくさんあります。
「欲しいものを買えば幸せ」という考えから、「自分らしく生きることが幸せ」という考えに変わってきているのかもしれません。

9.「仕事は聞かずに見て覚えろ」
昔は「背中を見て覚える」という考えが美徳とされていましたが、今は「聞いて確認する」ことも大切だと思います。
分からないことがあれば、遠慮せずに質問することが、ミスを防ぎ、効率的に仕事を進めるコツです。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉もありますしね。

10.「お金は銀行に預けろ」
昔は「銀行に預ければ安心」という考えが主流でしたが、今は投資やiDeCoなど、お金を増やす方法が多様化しています。
自分に合った資産運用の方法を探してみるのも面白いかもしれません。
とはいえ、投資にはリスクもあるので、慎重に考える必要はありますよ。

まとめ
いかがでしたか?
昭和の考え方は、現代社会に合わなくなったものもありますが、時代が変わっても、真面目に働くこと、人を思いやる心、助け合いの精神などは変わらない大切な価値観です。

古い考え方にとらわれず、自分らしい生き方を見つけてほしいです。
時代に合わなくなった「常識」に疑問を持つことから始めてみるのはどうでしょうか?
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月25日

【同調圧力の正体】昭和と令和の価値観が混在する現代社会の問題を読み解く!

【同調圧力の正体】
昭和と令和の価値観が混在する現代社会の問題を読み解く!
4/23(火) yoi

価値観が大きく変化し続ける現代。
多様性がキーワードになりつつあるものの、依然として「同調圧力」は存在しています。
さまざまな価値観が混在する“今”だからこその同調圧力とは?
 そして、今の社会で、yoi読者にも多い30代が置かれている状況とはどんなものなのでしょうか?
 社会学者・貴戸理恵さんにお話を伺いました。

*同調圧力…集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。
*「同調圧力」を生む現代の価値観は「伝統的な価値」「リベラルな価値」「市場的な価値」による三つ巴のモザイク状になっている
yoi

──日本には、多くの同調圧力があるといわれており、SNSなどでは同調圧力に悩む人の声が散見されます。
少数派の価値観を抑えこむことが多い同調圧力ですが、価値観が移り変わる真っ只中の現代では、同調圧力の特徴も変化しているのでしょうか?

貴戸先生:
現代では価値が多様化している一方で、根強い同調圧力があります。
この「多様なのに同調を迫られる」という不思議な状況について考えるとき、3つの価値を腑分けしてみることがヒントになります。

まず「伝統的な価値」
戦後の高度経済成長期に広まった「日本型」の家族や企業、教育などに根差した価値を、そう呼ぶことができます。
男は仕事・女は家庭という性別役割分業、痴漢やセクハラが当たり前の環境、滅私奉公の奨励、「仲間である」ことを認識するための非合理な慣行……。これらは差別や偏見を含んでいたり時代に合わなかったり、見直す必要があるものも多いです。

次に、多様性を肯定する「リベラルな価値」
これはマイノリティの権利の尊重や共生の思想などいろんなものを含んでいます。
女性だからといって妻や母という役割に閉じ込められなくていい、LGBTを含む性的マイノリティの権利を尊重すべき、障害の有無や国籍の違いにかかわらず共に生きる社会をつくる、というものですね。
日本では1970年代頃からのマイノリティ運動のなかで主張され、グローバルスタンダードに合わせる必要もあって、次第に制度に組み込まれていきました。

もうひとつは「市場的な価値」です
これは競争に勝つ、能力を高める、個性を生かして生産活動をする、消費を通じて承認を得る、などを重視する考え方です。

現代では、この「伝統的な価値」「リベラルな価値」「市場的な価値」が三つ巴のモザイク状になっています。
そして、人々は属するコミュニティや状況により、これらの価値観それぞれから──特に「伝統的な価値」と「市場的な価値」から──「こうであれ」という同調圧力を受ける可能性があり、身動きが取りづらくなっていると考えられます。
同調圧力を生み出す3つの価値観は対立するだけでなく、結びつくこともある

──同調圧力のもととなる価値観は3種類あるんですね。
ところで、三つ巴の“モザイク状”とはどういうことでしょうか。

貴戸先生:
異なるものが隣り合わせに共存する、ということです。
まず、「伝統的な価値」と「市場的な価値」は結びつきやすいです。

個々の人びとの行動や考えの水準でも、このふたつはよく隣り合わせになっています。
例えば、性別役割分業。
近年では共働き世帯が多くなり、女性も男性並みに稼ぐパワーカップルが増えました。
それでも、子どもが生まれれば女性がキャリアを調整しつつ家事育児を多くやるケースは多いです。
ただ、その性別役割分業は「伝統的な価値」に基づいているとは限りません。

実際、女性よりも男性のほうが稼いでいるカップルが多数派です
すると、収入の多い男性が仕事を調整して家事育児をするよりも、女性が調整したほうがよいと考えられがちです。
「夫に出世レースから降りてほしくない」というエリート妻のプライドがあったりもする。

当事者たちに「男が働き、女が家を守る」という伝統的な価値観がなくても、世帯年収を最大化するための合理的な選択の結果として、伝統的な価値観に近づくことがあるのです。
実際、そのような夫婦に考えを聞くと、「男は仕事、女は家事」という価値観をそれほど持っていないことも多いです。
これが「市場的な価値」が「伝統的な価値」と結びつくパターンのひとつですね。

──では、「市場的な価値」はどのように「リベラルな価値」と結びつくのでしょうか。

貴戸先生:
「リベラルな価値」は「市場的な価値」と足並みをそろえてやってくる面があるんです。
「市場的な価値があれば多様性を認める」というように、結託する場合も多い。

例えばプラスサイズモデル。
痩せていることだけでなく、多様な体型の美しさが認められるのは大事です。
けれども結局、受け入れられるのはプラスサイズモデルの方たちのように「おしゃれで美しくて個性として売り出せる」ものだけで、普通の人は「太っている自分はダメ」と思わされがち。
相変わらずダイエット関連商品は巨大なマーケットをなして、女性を追い詰めています。
プラスサイズモデルの方の仕事は、多様なボディイメージに貢献しており大事だと思います。しかし社会の受け入れ方を見ると、多様性というより、「売れるならよい」という市場の原理に基づいているように見えます。

さらにこの例だと、結果的に「女は若くて美人がいい」という「伝統的な価値」を強化している面もありますね。

このように「リベラルな価値」が「市場的な価値」に横すべりし、その結果「伝統的な価値」を強化することもあります。まさにモザイク状の複雑な関係ですよね。

同調圧力はコミュニティやシチュエーションによって異なり、とくに30代が受けやすい?

──現代の同調圧力は「伝統的な価値」と「リベラルな価値」によって板挟みになっており、そこに「市場的な価値」からのプレッシャーも加わっているという背景があるのですね。

貴戸先生:
仕事でたとえるなら、「みんなが残業しているのだから自分も残業すべき」という「伝統的な価値」と、「ワークライフバランスを重視すべき」という「リベラルな価値」のあいだで引き裂かれるということはあるでしょうね。
「市場的な価値」からの「定時退社したいなら結果を出せ」というプレッシャーが加われば、がんじがらめです。

──確かに、どの価値観からの圧力も経験があるという人は多いのではと思います。
価値観が混在している今だからこその同調圧力の特徴ですね。
同じ会社でも、部署によって3つの価値観のバランスが違ったりして、その場その場でどのように振る舞うのがいいのか悩む……ということもありそうです。

貴戸先生:
コミュニティやシチュエーションによって、どの価値が強いか変わるので、動きづらいですよね。
特に30代くらいの世代だと、昭和的な価値を振りかざす上司と、Z世代の部下のあいだで板挟みになることもありそうです。恋愛・仕事・子育てなど、さまざまなことで現役世代ですので、「こうあるべき」という規範と「そうはできない」という現実、「こうしたい」という自分の思いのあいだで調整が難しく、もやもやするでしょう。
30代は特に大変……かもしれないですね。

取材・文/東美希   
企画・構成/木村美紀(yoi)

posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「自衛隊全体が疲れ切った状態」…ヘリ衝突事故から見えた海上自衛隊の「課題」 任務が増え過ぎた理由とは

「自衛隊全体が疲れ切った状態」…ヘリ衝突事故から見えた海上自衛隊の「課題」 任務が増え過ぎた理由とは
2024年4月24日 東京新聞特報部

 海上自衛隊のSH60K哨戒ヘリコプター2機が墜落し、1人が死亡した事故。
潜水艦を探知する「最重要任務」の訓練中に衝突した可能性が高いとされ、異常な接近を防げなかった原因が焦点となっている。
ヘリ同士の衝突事故は国内外問わず相次いでおり、通常の飛行機と異なるリスクがあるとの見方も。中国や北朝鮮への対応で訓練時間が足りないとの指摘もあるが、どのような対処が必要か。(西田直晃、山田祐一郎)

◆「通常よりも実戦に近い訓練」

 「通常よりも実戦に近い訓練をしていた」。
23日午後の記者会見で、海自制服組トップの酒井良海上幕僚長はこう語った。
事故は20日夜に発生。ヘリ3機が潜水艦を探知する対潜水艦戦(対潜戦)の訓練中、それぞれ4人ずつが乗る2機が空中で衝突したとみられる。
見つかった1人の遺体は横須賀基地に搬送された。

 厚木基地に運ばれたフライトレコーダー(飛行記録装置)の解析では、22日時点で機器の異常は確認されていない。

◆接近時の警報システムは遮断

 注目されているのが、複数機が無線を通じ、機体の位置情報を共有したり、接近時に警報を鳴らしたりする「僚機間リンク」というネットワーク構築のシステムだ。
SH60Kから導入された機能だが、衝突した2機は切られていた。

 海幕長の会見によると、このシステムは任務や状況によって活用しない場合もあるという。
2機が別の任務を担っていた可能性も浮上しているが、元海自幹部で軍事評論家の文谷数重氏は「今回に関しては、互いのヘリが至近距離に入り込む形での対潜戦訓練が行われていたと思われる
警報は鳴りっ放しになるので、切断することが許されていたのでは」とみる。

◆従来の訓練より「衝突の危険性が高い」

 今回の訓練では、音波を発信し、反響音から潜水艦の位置を調べるソナーを2機が海中にぶら下げていた。
文谷氏によると、以前は音を集めるソノブイを投入し、潜水艦が発する雑音を聴取する探索法が一般的だったが、1990年代以降には潜水艦が高性能化し、音を出さなくなり、今回のような手法が使われるようになっているという。

 「3機で海面に『の』という字を、渦巻き状に描いていく形だと推測される。
それぞれが順番に次のポイントに移動し、ソナーを海中にぶら下げる。
その際は海面に近い高さをとる必要があるので、あまり高度を変えず、僚機の脇を抜ける形となる。
ソノブイを用いる訓練よりも衝突の危険性は高い」

◆夜間の超低空飛行

 2機にはそれぞれ、機長と副操縦士、2人の航空士が搭乗していた。
それでも、「互いに衝突コースに位置してしまっても、気付けないケースはあり得る」と文谷氏。
「夜間、しかも超低空飛行なので、操縦かんを握る機長と副操縦士は、操縦に加え、海面衝突や(方向や速度を把握できなくなる)空間識失調への警戒などで余力がなくなりがちだ。
航空士も必要な作業が多く、僚機の見張りに注意力をあまり割けなかったのかもしれない」

 僚機間リンクが接続されていなかった点について、軍事ジャーナリストの清谷信一氏は「運用上の問題、整備上の問題いずれも考えられるが、防衛省は機密扱いとして発表せず、推測の域を出ない」と話す。

 事故当時は幹部が部隊の作戦遂行能力を確認、評価する訓練査閲中だったが、「定期的に行われ、普通の訓練よりも気合が入る程度のものだ」と首をかしげる。
「海自パイロットは中途退役が目立ち、人手が圧倒的に足りない。
規模を縮小しないと成り立たないはずなのに、実際はその逆で隊員にしわ寄せが来ている。疲労蓄積もあったのでは」

◆民間、軍用問わず国内外で相次ぐ衝突

 今回の事故の詳しい原因はまだ不明。だが、ヘリコプター同士の衝突事故は民間、軍用問わず国内外で起きている。

 民間機では、1996年4月、長野市で発生した山林火災で、取材のため現場を飛行していた地元テレビ局2社のヘリが接触して墜落し、6人が死亡。
運輸省航空事故調査委員会(当時)の報告書で、両機が同じ現場上空にいた防災ヘリの動きに気を取られたか、その他の理由で十分な間隔を保てずに接触したと結論づけた。

◆取材や観光のヘリが…

 2007年7月には米アリゾナ州で、警察とトラックのカーチェイスを生中継していた地元テレビ局2社の取材ヘリ同士が衝突、墜落して4人が死亡した。
23年1月には、オーストラリア・ゴールドコーストで観光用ヘリが墜落し4人が死亡した。

 航空評論家の青木謙知氏は「固定翼機同士よりヘリ同士のほうが事故が多いかどうかは不明」としつつ、「民間ヘリは操縦士が自分の目で確認できる有視界飛行の条件下であれば、どこを飛行するかは自由。
ただ、同じ目標を目指し、現場上空に密集する場合は注意が必要だ」と指摘する。

 ヘリの空中衝突は、軍用機でも相次ぐ。
米軍では、01年にハワイ州で、23年にケンタッキー州でヘリ同士が衝突する事故があり、いずれも死者が出た。
国内では、02年に大分県九重町で陸自ヘリ同士が衝突して4人が死亡。21年7月には鹿児島県奄美大島沖で、今回墜落した機と同型のSH60K同士が接触、損傷した。

 これらの事故はいずれも夜間の訓練、演習で発生している。
青木氏は「計器を使う軍用機も、訓練で編隊を組む際は距離が近くなる。特に夜間は、難易度は高くなる」と強調する。

◆背景に緊迫する対外情勢?

 今回の事故の背景として、近年の緊迫する対外情勢を指摘する声もある。
米外交・安全保障専門誌東京特派員の高橋浩祐氏は「特に海自は、北朝鮮による相次ぐミサイル発射への対応や尖閣諸島周辺での中国船の領海侵入に対する警戒など実任務が増加している。
現場の隊員からは、訓練機会や期間が圧迫されている現状を問題視する声が聞かれる」と明かす。

 米国をはじめとする他国との共同訓練も増えている。23年版防衛白書によると、自衛隊が参加した多国間共同訓練は22年度は46回で、13年度の19回の2倍以上に増えた。
その一方で、海自や自衛隊全体の人員は定員割れが続き、人手不足にあえぐ。

◆「現場にしわ寄せ」の指摘も

 高橋氏は「任務増加が直接、影響しているかは分からないが、現場はしわ寄せを感じている。
仕事が増えているのに人が入ってこない現状は組織にひずみをもたらす。
隊員の安全確保を何より最優先すべきだ」と訴える。

 軍事評論家の前田哲男氏は「本来、自衛隊は専守防衛で外敵からの攻撃に対する『拒否力』だった。
それが安保法制によって『抑止力』と位置付けられて敵基地攻撃能力も認められることになり、能力を超える任務を抱えている。
自然災害の際の対応への期待も無視できず、自衛隊全体が疲れきった状態だ」と現状を言い表す。
人員や予算を増やすよう求める声も上がるが、「日本全体の人口や社会が縮小する中、防衛力で中国に対抗し続けるのは困難だ」とする。

 山口大の纐纈(こうけつ)厚名誉教授(政治学)は「今回の訓練が軍事的にも政治的にも必要性・妥当性があるのか」と疑問を呈した上でこう訴える。
「いたずらに国家間の緊張を高めるのではなく、恒常的な和平への道を模索・提案することで緊張関係を軽減することに全力を挙げることが必要だ」

◆デスクメモ

 遠く離れた海域で起きた事故。
深海に沈んだ機体の引き揚げも容易ではない。
加えて、「海の忍者」とも呼ばれる潜水艦を探知する訓練は秘中の秘だ。
それでも今は捜索と原因究明に手を尽くし、結果を公開してほしい。
同じ事故を繰り返さない教訓として。後進の人たちのために。 (本)
posted by 小だぬき at 11:46 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月26日

財務省の悪知恵「ステルス増税」 子育て支援金負担、健康保険料で徴収 こんなデタラメ通ればどんな理屈でも増税可能に

財務省の悪知恵「ステルス増税」 
子育て支援金負担、健康保険料で徴収 
こんなデタラメ通ればどんな理屈でも増税可能に
4/24(水)   夕刊フジ
森永卓郎氏

【ニュース裏表 田中秀臣】

最近、獨協大学の森永卓郎教授とネット配信の討論番組で同席した。
森永教授は「財務省にとって『増税は勝ち』で、日銀にとっては『利上げが勝ち』」と日本経済の最大の問題点を的確に指摘していた。さすがである。
すでに日銀は3月にマイナス金利をやめて利上げ路線に転じた。
秋口には追加の利上げが市場関係者の間で噂されている
日本経済を不安定化させる動きだといえよう。

財務省の「増税」路線の方は手が込んでいる。
いわば見えない=ステルス化された増税を財務省は生み出そうとしている。
その典型が、「少子化対策は待ったなしの瀬戸際である」という岸田文雄首相の危機意識を背景にした「子育て支援金」だ。

「子育て支援金」は、少子化対策の財源を、健康保険料に上乗せして徴収しようという制度設計だ。
政府の説明はコロコロ変わり、初めは「実質負担額はゼロ」や「国民1人当たり平均で月500円の負担」を強調していた。
だが国民には赤ちゃんや児童まで含まれている。
それを指摘されると今度は、世帯収入による負担額を渋々公表した。
それによると2028年度で、年収600万円世帯で月1000円の負担になる。

このケースでは独身者が想定されているので、独身者にはつらい負担になるだろう。
また共働き世帯だと平均年収が800万円なので、単純に計算すると負担額は年間1万6200円になる。
働く世代には追加的な負担になり、子供を新たに産みたい、育てたいという動機付けを経済面から低下させる可能性があるだろう。

なお、子育て支援金の負担は労使折半になるが、経済学の初歩からいえば、この経営者側の負担は労働者側に転嫁可能である。もしそうなれば、共働き世帯で年間3万2400円の負担増だ。
現役世代はただでさえ税と社会保険料の国民負担率が50%近くあり、森永教授いうところの「五公五民」状態だ。
現役世代への負担増は限界にきている。

しかも「子育て支援金」の負担は健康保険料で徴収するという。
健康保険は病気のリスク分散を図る枠組みであり、子育て支援とは関係ない。
つまり取れそうなところから取っているだけだ。
これは財務省の悪知恵だろう。
こんなデタラメがまかり通れば、どんな理屈でも増税が可能になる。

いま、消費税について減税を主張しても「社会保障の財源に響く」と否定されている。
同じことが、今後「子育て支援の負担を減らすべきだ」といっても「健康保険制度に響く」とされてしまうかもしれない。
そして、効果があるかどうか分からない少子化対策の名目で、どんどんステルス増税が増えていく可能性がある。

まさに亡国ものの「増税」法案である。
残念ながら衆院を通過してしまったが、断固、見直すべきものだ。(上武大学教授・田中秀臣)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月27日

GWのディズニーで"修羅場"に

GWのディズニーで"修羅場"に
GWでディズニーに行ったら…「浮気がバレた」人たちの修羅場。妻は怒り心頭――大反響GWトップ10
2024年04月27日 :SPA!

大事件ばかりがニュースではない。
身近で巻起こった仰天ニュースを厳選、今回は「ゴールデンウイーク」にまつわる記事に注目し反響の大きかったトップ10を発表する。
第9位の記事はこちら!(集計期間は2018年1月〜2023年12月まで。初公開2023年5月10日 記事は取材時の状況) *  

*  *
 今年のゴールデンウィークは行動制限がなく、観光地や行楽地は多くの人で賑わった。
SNSには、家族や恋人たちの楽しそうな姿で溢れているが、それがきっかけで自分の嘘や悪事がバレてしまうこともある。
今回は「浮気」に励んでいた2人の男性が修羅場を迎えるまでのエピソードを紹介する。

◆既婚者同士のカップルでディズニーランドに…

 妻と2人の子どもがいながら、2年間にわたって既婚者の女性と関係していたという進藤央さん(38歳・仮名)は、今年のゴールデンウィークにバレてしまい、「修羅場だった」という。

「浮気相手の彼女は、仕事の取引先の社員で12歳も年下の子なんです。
グループLINEでしか繋がってなかったんですが、何回か飲み会で会ううちに……」

 進藤さんは6歳と5歳の子どもがいるが、彼女にはいない。

「旦那と仲がいいし別れる気はないけど、結婚前から“レス”だったらしいです。
ちょっと僕には感覚がわかりませんが、お互い既婚者なので付き合うにはちょうどよかったんです」

◆夢の国に行く絶好のチャンス

 ふだんは行きつけのレストランまたはBARで軽く飲み、それからシティホテルという流れだったが、今年のゴールデンウィークはディズニーランドに行くチャンスが訪れた。

「僕はゴールデンウィークも仕事があったので、妻は子どもを連れて実家に帰ってくれたんです。
彼女も旦那が友人と海外に行くとかで。せっかくだからディズニーにお泊りで行くことになったんです」

 彼女とはパパ活ほど年の差はあるが、現金などは一切渡していないという。
そのぶん、食事などでは「オッサンに付き合ってもらってるんで、そこそこ贅沢させている」そうだ。

◆妻からものすごい量の着信

「子連れじゃないディズニーは新鮮でした。
待ち時間はとんでもなかったですが、年甲斐もなく耳をつけたりして楽しかった(笑)。
これだけ人がいたら知り合いに会ってもわからないだろうと、腕を組んだり指を絡めたりしてました」

 1日中はしゃぎ、近くのホテルにお泊り。
そろそろ寝ようかというときに、奥さんからものすごい量の着信があった。
子どもに何かあったのかもしれない、そう思って慌てて電話を折り返してみると……。

「嫁が『あんた今どこいるの? 千葉にいるんでしょ?』『誰とディズニーいるの?』と凄んできました。
“なんで知ってるんだ……”と思いながらもしらばっくれましたが、会話にならず、電話を切られました」

◆ハッシュタグから検索すると…

 妻から送られてきたTikTokのURLを開いてみると、はしゃぐ高校生グループの動画があった。
彼女も一緒にそれを覗き込みながら「やばい!」と叫んだ。

「僕らがイチャイチャしているところが、ガッツリ写り込んでいたんです……血の気が引きました。
モザイクもなく、完全に僕でしかない。もう言い訳できませんでした」

 なんでも、子どもが「ディズニーに行きたい!」と言い出した。
妻はひとりでも家族サービスとして連れて行ってあげられないものかと、混雑状況などを見るためにハッシュタグで検索をしてみた。
すると、鼻の下を伸ばした進藤さんの姿をたまたま見つけてしまったそうだ。

 ゴールデンウィーク終盤に帰ってきた妻は当然、怒り心頭。
「あの女は誰よ!」と、彼女について追及してきたが、「仕事関係の人たちとよく行くキャバクラの子。同伴だよ」と言って、一応、納得してもらえたというが……。

「彼女とは、お互い家庭を壊す気はないから別れました。
仕事関連以外の連絡先はすべて消すことになって、嫁には20万円のバッグを買わされました。正直、散々でしたね……」

◆ゴールデンウィークは家族サービスしていたが…

都内の制作会社で働く鈴木英介さん(36歳・仮名)も、Instagramがきっかけで浮気がバレた。

「僕の場合は、彼女が独身。自分は既婚であることを内緒にしていました」

 32歳の彼女とはマッチングアプリで出会い、交際半年。
鈴木さんは仕事柄、職場で寝泊まりすることもあり「月に数回は外泊していたし、既婚ということはバレていませんでした」と話す。

「基本、彼女の家でお泊りしてました。
クリスマスイブは仕事と嘘をついて過ごせましたが、ゴールデンウィークはさすがに家族サービスをしないといけなくて……」

◆弁解の余地がなかった

 2泊3日で家族旅行に行くことを彼女には「男友達と旅行に行く」と伝え、なんとかごまかせていたはずだったが……。

「休み明けに彼女とご飯に行ったら『結婚してたんだね』と泣かれました。
嘘をつくときに真実を混ぜたほうが辻褄を合わせやすいと思って、本当の行き先を教えていたのがあだとなりました。
伊豆に行ったんですが、ハッシュタグから妻のInstagramのアカウントを発見されてしまい、弁解の余地がなかったです」

妻のInstagramには、家族と楽しそうに過ごす鈴木さんの写真が……。
もはや謝るしかなかった。
鈴木さんは「もう悪いことはできないですね」と肩をおとした。

<取材・文/吉沢さりぃ>
posted by 小だぬき at 20:02 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月28日

50代になったら「仕事の責任」は脇に置け…和田秀樹が「老後に楽しみをとっておく人はバカ」と説く理由

50代になったら「仕事の責任」は脇に置け
…和田秀樹が「老後に楽しみをとっておく人はバカ」と説く理由
2024年04月27日 PRESIDENT Online
*小だぬきは今71歳、71歳に置き換え読みました。

50代から豊かな老後を送るにはどうしたらいいか。
医師の和田秀樹さんは「50代になったらこれまでの『常識』は捨て去り、仕事の責任やお金の心配は脇に置いてでも、自分の人生を楽しむべきだ。
そのほうが結果的に、仕事や家族も含めたトータルの人生が豊かになっていく。
老後に楽しみをとっておくなんてバカな考え方は、しないほうがいい」という――。
※本稿は、和田秀樹『老後に楽しみをとっておくバカ』(青春出版社)の一部を再編集したものです。

■50代で「まだまだ自分のことはガマンして頑張る」は大間違い

人生100年時代などといわれますが、そう考えると、50代はちょうど折り返し地点と言えるでしょう。

年齢的にだけでなく、仕事や人生のステージにおいても、登山で言えば、すでに上り坂を過ぎて、頂上を経験し、今や下り坂を歩み出していると感じている人も多いと思います。

そのいっぽうで、今の50代が背負う荷物は、決して軽くありません。

会社で責任ある仕事をまかされる機会は多く、組織全体や部下のことを最優先に考えるべき管理職でもある場合がほとんど。
住宅ローンや教育費といった大きな支払いがまだ続いている方も少なくないでしょう。

両親に会うたびに体も声も小さくなっていて、近い将来、介護でお金や労力がとられることを想定しておく必要もあるかもしれません。

「だから、まだまだがんばらなければ!」

「自分のことはガマンしても、会社のため、家族のために働こう」
「老後の生活のことを考えると、今は仕事優先で、お金を貯めておかないと」
「好きなこと、やりたいことは、仕事人生が一段落してからゆっくり楽しもう‼」

そんなふうに考えている人が少なくないのではないでしょうか。

でも、その考え方は、今すぐ捨てたほうがいいと私は思います。
誤解を恐れずに言えば、それは大きな間違いだ、とも。

■やりたいことの先送りは、残りの人生においてリスクそのもの

本稿を読んでいる人は、50代か、あるいは50代を目前にした人でしょう。
50代こそ、自分がやりたいことをやるべきなのです。

そう言うと、

「今は仕事や家族に対する責任がある」

「老後の生活を考える必要がある」

「忙しくて時間がない」

「体力も衰えを感じるようになってきたし」

といった反論が返ってきそうです。
でも、だからこそ、ずっとやりたかったこと、いつかは試してみたかったことを「今」始めるべきです。

それは、スポーツやダンス、旅、グルメといった趣味でも、資格の勉強でも、仕事のスキルアップでも、なんでもかまいません。

50代で、やりたいことを先送りしていることは、残りの人生においてリスクそのものです。

あえてきつい言い方をすれば、老後に楽しみをとっておくなんてバカな考え方は、しないほうがいい。

その理由をこれからつまびらかにしていきたいと思います。

■定年退職したら、子供が自立したら……では遅い理由

ピカピカだった新車も何万キロメートルも走り続ければ、あちこちが故障し始めます。

私たちの心身も50代にもなれば、少しずつガタついてきます。
まずは筋力。
筋肉は40歳あたりを境にじわじわと落ち始めます。
加齢によって細胞が劣化するため、肌も内臓も劣化していきます。

腰や膝などの痛みも出てきて、激しい運動をすると腰や膝に負担がかかり、スポーツを楽しむのが難しくなります。

「65歳の定年を迎えたら、世界中の雪山をめぐってスキーを楽しもう」
そんな夢は今だからまだ抱けるのです。

実際に65歳になったら、衰えた筋力やガタのきた膝では、スキーのようなハードな運動が困難になっているかもしれません。

「そうか。でも私は文化系だから関係ない。会社を辞めて落ち着いたら、好きな本や映画にどっぷり浸って過ごすつもりだ」
「自分もだ。会社人間の荷を下ろしたら、大学に入り直してずっと勉強したかった世界史を学び直してみたい」
「自分は起業に挑戦したい。今いる会社ではできなかった夢を叶えたい」

なるほど。
しかし、老化は何も体力だけに表れるわけではありません。

むしろ深刻なのは、脳の老化=感情の老化です。

■40〜50代で「意欲」をうながす前頭葉が老
脳にはさまざまな部位がありますが、なかでも私たちにとって重要なのは前頭葉です。
大脳皮質と呼ばれる脳の表面部分のうち、40%程度を占める前頭葉は「人間らしい機能を担う部位」ともいわれます。

それは前頭葉が「感情のコントロール」、つまり怒りや不安などを処理してくれる役割を担っているから。
加えて、もう1つ前頭葉には「意欲」をうながす役割があります。

脳の中でもこの前頭葉が老化すると、意欲が低下し、感情のコントロールに不調をきたします。

この前頭葉の老化も40代後半から表れ、50代で本格化する人がほとんどです。
画像診断をすると顕著ですが、40〜50代で前頭葉がどんどん縮んでいきます。

そう考えると定年を迎える65歳頃には、その劣化具合がどうなっているかは想像に難くないでしょう。

前頭葉が縮めば、意欲がなくなる。
「好きな本や映画にどっぷり浸かる」のも億劫になるかもしれません。
感情も劣化するのだから、新たな創作や物語にワクワクし、感動する機会も減っていきます。

「大学に入り直して、学び直す」のは、意欲が衰えていたら、なかなか面倒なことです。
新たな学びの場に飛び込むハードルもうんと高く感じるでしょう。

「起業」のため、ビジネスシーズ(ビジネスの種)を探し、市場のニーズを掘り起こし、仲間を見つけて資金を集める、などという一連の活動も、確実に困難になっているはずです。

「65歳になった定年後に……」

「仕事が落ち着いたら……」

「いつか……」

のんきなことを言っているうちに、老化によって体力も意欲も感性も衰える。

気がつけばただただ年老いた自分の姿に愕然として、こう思うのではないでしょうか。

「もっと早く、やっておけばよかった」

やり残すことなく、一度きりの人生を存分に楽しみたかったら、65歳になってから始めるのでは遅い。

やりたいこと、少しでも気になっていることがあれば、まだ体力があり、脳が縮み切らず、意欲も感性も残っている50代の「今」始めるべきなのです。

■リカバリーできる期間があるのも50代の強み

人生は実験である、と私はよく言います。

実験とは、それまでやったことがない何かを試す挑戦のことを指します。

失敗したら別の方法を試してみる。
失敗したらまた別の方法。
それでも失敗したら、さらにまた別の方法――。

こうして失敗を繰り返す中で、実験の精度が少しずつ上がり、成功に近づいていけます。

つまり、限られた人生という時間の中でやってみたいこと、成し遂げたいことがあるならば、あれこれ実験してみるのが正解です。
言い方を換えると、充実した人生には、挑戦して失敗を繰り返すことが不可欠なのです。

失敗して、また新たな実験を試みるのには体力が必要です。
まだ体力と意欲がある50代のうちに「やりたいことを始める」必要があると言ったのは、そのためです。

やりたいことをやり切る充実した人生を送るためにも、また、定年後の時間を存分に楽しむためにも、今から実験を繰り返して成功の精度を上げる。

失敗してもリカバリーできる50代のうちに、やりたいことを始めて、備えておきたいのです。

■お金の心配よりもはるかに大切なこと

「言っていることはわかった。けれど先立つものがない」
「人生は定年してからも長い。だから老後生活に必要な資金を、今のうちに稼いでおかないと」

そんなふうにお金の心配をする人がいるかもしれません。

しかし、50代ともなれば、余剰資金は多少なりともあるはずです。

もとより、お金は天国まで持って行けません。

その手前、70〜80代になったとき、いくら巨万の富があったとしても、それを使って楽しむ体力や気力はどれくらい残っているでしょうか?

たとえば、同じヨーロッパを旅するにしても、50代ならばレンタカーを借りてドイツ・バイエルンのアウトバーンを疾走し、フランス・パリで思う存分ワインとフランス料理を楽しみ、坂の多いスペイン・バルセロナの町並みを上り下りしながら街歩きしたりできるでしょう。
興味の赴くまま、やりたいことがまだまだ存分にできます。

しかし、同じ料金をかけたヨーロッパ旅行のタイミングが、80歳であったらどうでしょう? 
速度無制限のアウトバーンを運転するのは好奇心より恐怖心が先立ちます。
疾走する醍醐味やスリルはもう味わうことはできません。

パリで良さそうなビストロに立ち寄っておすすめメニューを頼んでも、脂がたっぷり乗ったグリルやソテーは胃もたれして楽しめません。

バルセロナの坂道をそぞろ歩きたくても、膝や腰が弱っていたら、喜びよりも苦痛が勝りそうです。

■体力や意欲、感性は、人生の大切なリソース

体力や活力が残っていなければ、時間も好奇心も満たせないかもしれない。
すばらしい異国を旅したとしても、すばらしい体験ができないかもしれない。

そして、思うのです。
「もっと早く、旅に出ていたなら……」

体力や意欲、感性は、人生の大切なリソースです。

同じお金を使うのでも、いつ使うかで、その価値は大きく変わってきます。

最大限にそれら人生のリソースを使える絶好のタイミングが、多くの社会経験や知識があり、多少なりとも自由に使えるお金を持っている50代なのです。

50代のうちにお金や体力、意欲や感性をどう使って、何を得るか。

それこそが、本当にやりたいことをやり、なりたい自分になる人生を送るコツであり、定年後の人生を豊かにしてくれる、実りの多い自分への投資なのです。

私はかれこれ30年以上も65歳以上の高齢者を専門に精神科医をしてきました。

たくさんの高齢者の方々に会ってきたからこそ、確信して言えるのが、「満足そうな老後、幸せそうな定年後を歩んでいる人のかなりの部分が、50代からその準備をしたり、やりたいことを始めたりしていた」ということです。

■50代に入ったら「常識」は捨て去ろう

体力・気力がまだ残っているうちに、自分のやりたいことに挑戦し、練習を積めば、さらに歳をとったとき、たっぷりと経験や知識、仲間が増えています。
年老いてから「よっこらしょっ」と立ち上がったのでは、なかなかそうはうまくいきません。

今、あなたが50代ならば、手掛けている仕事や、会社の立場や責任、老後の備え、お金などに縛られるのはもったいない。
むしろ、あえてそれを脇に置いてでも、その分の時間やお金、労力を、自分の人生を豊かにするための投資に振り分けるのです。

「仕事の責任やお金の心配は脇に置いてでも、自分の人生を楽しむ? 少し非常識なのではないか」
はい。そのとおりです。

非常識、大いに結構。

50代に入ったら、これまでの「常識」は捨て去りましょう。
そのほうが結果的に、仕事や家族も含めたトータルの人生が豊かになっていくはずです。
そんな例を私はたくさん見てきました。

だから、体が動くうちに、遠慮することも躊躇することもなく、思い切って旅立ちましょう。

----------
和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月29日

冗談が通じなくて正論で論破した子ども時代。冗談を楽しめる大人を目指す

冗談が通じなくて正論で論破した子ども時代。冗談を楽しめる大人を目指す
2024.4.28  views

私は子どもの頃、冗談があまり通じない人だった。
とにかく真面目に生きていた子ども時代。
先生に言われたことは守り、校則も守る。
小学生の時の、午後の授業がない日には、夕方まで自宅にいること、という謎のルールがあった。
それすらも疑問に思わず、自宅にいたくらい真面目だった。
言われたことをその通りに行動する私。
真面目過ぎて、友人から遊びに誘われることはほとんどなく、遊びたいときは必ず自分で許可を取らなければいけないほどで、周囲からは興味のない存在だっただろう。

◎ ◎

渋々でも仲間に入れてくれた当時のクラスメイトには、感謝しなければいけないくらいなのかもしれない。
こんな生真面目な子どもは、きっと私くらいしかいない。
そう思うほどに堅物だった。
そのため、友達付き合いで生まれる冗談への耐性がなかった。
冗談でも、とある男子と女子が付き合っていると言われたら信じてしまう。
顔を見て、嘘っぽい顔をしていても、文章として受け取ると文字通り受け取れてしまうので、嘘が見抜けない。
そんな子どもだった。

一方で、コミュニケーションが完全に取れなかったわけではない。
会話は成立するので、言葉のキャッチボールは行える。
おそらくどこかですれ違いを起こしながらではあるけれど。話をしていくうちに、私の素が姿を現す。
友人と、想像で話が膨らむことがあると、理想を語っていたはずが急に現実的なことを言い出すのだ。話が冷める。自分でもわかった。しかし、口に出してから「しまった」と思うには時間がかかるので、しらけた空気を察知してから自分のした過ちに気づくのだ。現実的なこと、正論、ルールでは違反だとか、そんな類の大前提を言い放ってしまう。余計なことを言ってしまうとわかっていても、話が盛り上がり、私もヒートアップしていると、考える余地をなくしている。

◎ ◎

「それはそうなんだけどさ」や「正論言わないでよ」と笑い飛ばしてくれたらありがたいほうだ。
こいつとは話が通じない、と思われて、距離を取られてもおかしくないくらいに論破してしまう。
こちらとしても、申し訳ない気持ちが勝るので、とりとめのないような負のオーラをまとって気配を消す。
話に参加して悪かった、と自己嫌悪に陥るくらいだ。
もちろん、そのあとの話は続かない。気まずい雰囲気のまま時間がすぎて、気づけば話し相手は違う人と話している。これが常だ。

誤解しないでほしいのは、私がものすごい正義感を持っているからではないこと。
この世の中を是正しなければ、と思うほど強い正義は持っていない。
冗談は楽しみたいと思っている。
しかし、どうしても子どもの頃は特に、正論を突きつけてしまう。
現実的に物事を考えてしまう。
いいところなのだろうが、ここばかりは状況を考えてほしいものだ。
気がつくのは、だいたい言い終えてから。論破してしらけた雰囲気になるか、大人に論破され返して自分が言い返せなくなるかのどちらか。

◎ ◎

その後の反省として、これから発言する内容を、一旦考えるようになった。
それはそれで会話のテンポが遅いので、話についていけなくなる。
話しても大丈夫だと判断し、話を始めようとするときには、すでに違う話題で賑わっている。
こうして沈黙の私が出来上がる。
身体が勝手に動くときを反省すると、何もできなくなっているのだ。

大人になって、ようやく冗談も楽しめるようになってきた。
会話の中であることないことを言い合えるようになった。
こうして話がはずんでいるときはとても楽しい。
やはり、正論や現実的な思考は、ときにやりにくさを感じてしまう。
今でも出てきてしまうときはあるものの、結構頻度は減ったのではないかと思う。
これからは、会話についていきながらも冗談を楽しめる人になりたい。
そんな器用な人になれたら、きっと人生は楽しくなるだろう。
誰かと話すことも、きっと楽しいと感じるだろう。

■kanon.のプロフィール
自分らしさ、今を楽しむためには、を考える駆け出しの社会人。
HSPの持ち主。強みに変えられる生き方を探し中。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「とうとう夢の世界に」岸田首相「30年ぶり経済の明るい兆し」投稿に吹き荒れる憤慨…メーデーでは「帰れ」ヤジ飛んでもスルー

「とうとう夢の世界に」岸田首相「30年ぶり経済の明るい兆し」投稿に吹き荒れる憤慨…メーデーでは「帰れ」ヤジ飛んでもスルー
2024.4.28 SmartFLASH

岸田首相、さらなる賃上げへの決意示すもヤジられる

衆院3補選の選挙戦の最終日となる4月27日、岸田文雄首相は島根1区で、自民党新人の錦織功政氏の応援演説をおこなった。直後、首相はXでもこう訴えた。

《いま日本においては30年ぶりに経済の明るい兆しが出てきました。
大企業だけではなく中小企業、そして地方、農林水産業、介護、福祉、建設等様々な分野で幅広く賃上げを広げていかなければならない。
そのためにも島根一区補選【にしこりのりまさ】さんを国政に送り込んで下さい》

しかし、首相の思いとは裏腹に、国民からは怒涛の批判が押し寄せた。Xを見ると、
《明るい兆し?! 増税が?? 全く中小企業は経済的に明るくないですよ? 何を見て明るいのか?》

《34年ぶりの円安で地獄なんですけど》

《どこをどう見れば明るい兆しなんだよ?
円安放置で燃料費は今後更にあがるだろうし、電気代等も上がる。
日本の富が海外にどんどん吸い取られて行っている
円安で日本の土地や企業買収も海外から見れば割安感、格安感満載だろうよ
究極の売国奴政権とはあんたらのことだ!》

《とうとう夢の世界に入ってしまいましたか…。》

など、首相の投稿への返信は6時間後でおよそ7000、24時間後で1万2000と、大量の反論や憤慨であふれた。
それは、ネット上だけでなく、リアルでも同様だ。

27日午前、首相は島根入りに先立ち、連合のメーデー中央大会に出席。
2024年中に物価上昇を超える賃上げを実現させると語ったのだが――同日配信の「産経新聞」によると、参加者の一部から「帰れ」などのヤジが飛んだという。

式典後、連合の芳野友子会長は、記者団に対して「来賓に組織内からやじが飛んだということは、非常に申し訳ないと思う」と述べたが、Xでは、識者から「ヤジは当然」という声が寄せられている。

《労働者の祭典であるメーデーに労働者の生活を破壊してきた岸田総理を呼んで「帰れ」とヤジられたのは当たり前な話で、歓迎されると本気で思ってたらしい芳野は連合という労組の会長として完全にどうかしている》(映画評論家・町山智浩氏)

《搾取される日本の労働者が、搾取側の岸田首相に「帰れ」と野次を飛ばすのは普通でしょう》(戦史研究家・山崎雅弘氏)

《無問題。むしろ健全》(ジャーナリスト・江川紹子氏)


そんな国民の怒りもヤジもどこ吹く風。岸田首相は、5月1日から6日間の日程で、フランス、南米のブラジル、パラグアイを歴訪する。
これにも、《なんで被災地には足を踏み入れず海外にばかり》《海外旅行でお大尽の真似をするために総理大臣になったのか》といった厳しい声が。

岸田首相、本当に「夢の世界」で生きてなければいいのだが……。
posted by 小だぬき at 08:22 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月30日

SNSで話題 みどりの窓口減少問題 キオスク、ごみ箱、時計……利用者に聞く、駅から消えて困ったものは?

SNSで話題 みどりの窓口減少問題 キオスク、ごみ箱、時計……利用者に聞く、駅から消えて困ったものは?
4/29(月) リアルサウンド

■みどりの窓口が減らされている
日常生活で利用する駅。
近年、駅から様々なものが消滅していることはご存じだろうか。
その代表格は「みどりの窓口」だ。
JR東日本はみどりの窓口を続々と減らしているが、インバウンドの増加もあって、窓口は慢性的に混雑している。
特に4月の定期券の発売時期は、窓口に長蛇の列ができた。

JR東日本は指定席券売機や、えきねっとなどのサイトでも切符が購入できると案内している。
それに、日常的な乗車であればSuicaなどのIC乗車券で事足りるし、利用者も多いはずだ。
それでもなぜ、みどりの窓口が混雑するのか。
シンプルな理由で、みどりの窓口に行かなければ買えない切符が多いためである。
ある鉄道ファンはこう嘆く。

「僕たちが作るような、東京発東京行きのような“一筆書き乗車券”は、指定席券売機ではなかなか発券しにくい。
最終列車や一番列車、寝台特急などの指定券は確かに券売機でも買えるのですが、タイムラグがあるため窓口が確実。
せめて、券売機の機能をプロ仕様にしてくれれば、鉄道ファンのほとんどは券売機で買うと思います。
ただ、切符を買いなれていない方々にとっては、窓口がなくなるのは不親切ですよね」

■駅ビルや駅前にある書店も徐々になくなっている
駅からなくなって困るものはまだある。
駅前、もしくは駅ビルの中にある書店だ。
地方の書店の減少は深刻な問題になっているが、首都圏の駅前からも相次いで書店が消滅している。
駅の構内にあったキオスクや書店もひっそりとなくなっている。
電車の中でも漫画本を広げる人はほとんどいなくなったし、多くの人はスマホで漫画や小説を読んでいると思われるが、それでも寂しいものがある。

ゴミ箱も次々に撤去されている。
駅のセキュリティなどの問題であると鉄道会社は説明するが、実際はゴミの処理費用が負担だからであろう。
確かに、家庭ゴミの持ち込みなど利用者のマナーの悪さは目立っていたと思うが、駅の中で食べ物やジュースを売っておきながら、ゴミを捨てる場所がなくなるのはおかしいのではないだろうか。
結果、空き缶のリサイクルボックスに紙ゴミが捨てられていたり、駅前のコンビニのゴミ箱があふれていたり、駅のトイレがゴミで溢れるケースも目立っているようだ。

駅や駅舎までなくなっているケースがある。
留萌本線や根室本線の一部などがどんどん廃線になっているJR北海道では、併せて利用者が少ない駅が次々と廃止になっている。
さらに、JR四国では“駅舎”がなくなるケースも出ている。
立派な木造駅舎の維持が難しいということで、簡素なバス停のような構造物に改築される例が増えている。
これは到底、駅舎と呼べるものではないが、厳しい懐事情がうかがえる。

極めつけは時計である。
駅にある時計を、JR東日本は撤去しているのだ。
時計の維持に費用が掛かるうえ、スマホで問題ないから、という理由らしい。
しかし、スマホを持っていない人も多く、時刻くらいはスマホを使わずにサッと確認したい。
そんな時に駅の時計は便利なものであった。
鉄道と時計は切っても切れない関係であるはずだが、それすらなくしてしまうとは、いったいどういうことなのだろうか。

近年、鉄道会社は鉄道よりも不動産業の方が重要になってきている印象を受ける。
駅ビルはどんどんきれいになるし、高級さを増している。
インバウンドを意識したような店も増えた。
その反面、鉄道のサービスの低下が著しくなっていることは、間違いないのではないか。
駅で突然こんなものがなくなった、というケースは他にもありそうだ。

竹下浩二
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする