日本の相対的貧困率は先進国で最悪の15.4%「一億総中流社会」が崩壊し「身分社会」に逆戻りした“近未来の日本”で確実に起こること
2024年04月04日 集英社オンライン
1970年代に生まれた「一億総中流社会」という言葉。
大半の国民が中流の暮らしができているという概念だが、いまやその認識は崩れ去り、相対的貧困率は先進国の中で最悪だという。
こうした社会の歪みが未婚社会として顕れていると指摘する書籍『パラサイト難婚社会』より一部抜粋し、日本が身分社会に変容していくさまを解説する。
■未婚社会は「中流脱落恐怖」の化身
日本の結婚生活は、「不幸の共同体」に陥りかけているのではないでしょうか。
高度経済成長期には、「今は不幸でも、これから幸せになれる」と多くの人が夢を見られたのに対し、今の日本は、「現在、不幸」なら「今後もずっと不幸」と思うしかない社会状況であるように見えます。
人生のステップアップを望めない非正規雇用者がこれだけ多い日本で、しかし現在いちおうの安定を享受している中流層も、不安から逃れることはできません。
わずかに気を抜けばすぐさま現状のステイタスから下流に滑り落ちてしまう恐怖に、特に現役子育て世代はからめとられています。
「自分だけなら、どうにか無事に人生を送れそうだが、我が子は自分と同じランクの人生を歩めるだろうか?」
その不安が、昨今の塾歴社会に表れています。
幼少期から学習塾に通い、小学校高学年ともなれば、弁当持参で夜学を日常とする姿を年配者は理解できません。
「子どもは子どもらしく、外遊びをしていればいいのに……」
内心はそんな思いの親もいるはずですが、それでも100万円近くかかる塾代・習い事代を捻出しようと必死で働くのは、そうでもしないと「我が子が脱落してしまう」という危機意識ゆえです。
中学受験の教育費で破産するという、「中受破産」という言葉も生まれているほどです。
では、何から「脱落」するのでしょう。
「中流層からの脱落」です。
拙著『希望格差社会│「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(ちくま文庫)で、日本社会が上流と下流に二極化している現実に警鐘を鳴らしたのは2004年のことでしたが、あれから20年が経ち、現状は改善されるどころかますます悪化しています。
■先進国の中で最悪の「相対的貧困率」
かつて「一億総中流社会」と言われた日本で、今も「自分は中流」とみなす国民は多いのですが、実態はすでに「下流」であるケースは少なくありません。
2023年に厚生労働省が発表した「国民生活基礎調査」では、21年の日本の相対的貧困率は15.4%で、先進国中最悪の値でした。
「相対的貧困」とは、等価可処分所得(世帯可処分所得を家族人数で割った数字)が中央値の半分未満で暮らす人々のことです。日本の場合は1人当たり127万円未満がそれに当たります。
「相対的貧困」は、目に見えにくいのも特徴です。
食べ物や衣服にも事欠き、飢えや無学に苦しむ「絶対的貧困」と比べれば、いちおう屋根のある家に暮らし、何とか食べるものはあるし衣服もある。
しかも、格安スマホも持っているとしたら、その人のリアルな経済状態などは傍からはなかなか窺えません。
それでも日本で暮らすにあたり、年間127万円という数字は厳しいのが現実です。
公立学校には通えても、制服やランドセル、修学旅行費用を捻出できない、冷蔵庫や洗濯機を買えない、冠婚葬祭のためのお金の用意やスーツの新調ができない、皆で楽しむ旅行や飲み会に参加できないなどなど、経済的理由から「皆と同じ」生活水準を得られない状況です。
そういう人々が、およそ6〜5人に1人の割合でいる国が、今の日本なのです。
自己責任論が跋扈する日本では、病気や怪我、うつ病やいじめなど、人生の蹉跌のきっかけは本人の力が及ばない部分にも潜んでいます。
就労においては、起業や転職、自分探しなどの空白の期間〞も高リスクです。
多様性の時代とはいえ、日本はまだまだ「新卒一括採用社会」であり、王道の「高学歴・高収入企業への就職」「公務員としての安定」「医師や看護師など手に職」をつけさせた方が、人生の保険となる。
こうした通念こそが塾歴社会の過熱を招き、同時に「下流には落ちたくない」「自分よりひどい不幸がある」ことを確認したい欲求、もしくは他人へのマウンティング行為にもつながっているのではないでしょうか。
私が日本を「不幸の共同体」とみなすのは、「人間は差別したい生き物である」ことに加え、「差別することでようやく安心できる」「下流を見下すことで自分は正しい、自分は下流に落ちないと思える」という心理的な脆弱性が社会の根底にあるからです。
結婚相手に学歴と職歴と高身長と顔面偏差値を求める若者の心理にも、「わがまま」「夢見がち」「ないものねだり」以上に、極めて怜悧な「現実主義者」が隠されています。
今はかろうじて「中流」の体を装い生活していても、いつ「下流」に落ちるかわからない、もしくは自分の子も「中流」でいられるかわからない恐れ。
だからこそ結婚相手には、人生の保険をかけられる十分な資質がなくてはならないとなるのです。
■「一億総中流社会」から「格差固定社会」へ
重要な点なので、「格差」をめぐる話を続けます。
歴史上、少数の貴族階級が世代を超えて、「富」や「教育」、「生活・結婚」環境を継承していく社会を「アリストクラシー」(身分社会・貴族社会)と呼びます。
本書でも繰り返している通り、江戸時代までの日本はまさに「身分社会」であり、本人の出自に応じた生活環境と教育レベルが厳然としてありました。
成人後も同じ身分の人間と結婚し、家庭を築き、次世代を生み育ててきたのが日本の歴史です。
明治維新以降、その「身分社会」が崩壊し、建前上は「個人」の努力で人生を切り拓いていく社会になったことも、すでに見てきた通りです。
さらに、太平洋戦争後は国土が焦土と化す中、それまでの社会秩序や階級も崩れ去り、人々は新たなスタートラインに立ったように見えました。
「アリストクラシー」から「メリトクラシー」(能力・業績主義)への移行です。
生まれ持った知能と、本人の努力次第で成功をつかむことも可能。
意欲さえあれば誰もが働ける時代には、学業も就職も結婚もかなりの部分を「努力」で補い、障壁を突破することができました。
「やる気さえあれば、仕事はある」し、「結婚したいと望めば、結婚できる」「頑張れば給料も上がっていく(男性限定ですが)」前提が高度経済成長期を通じて続きました。
団塊世代が今も「自己責任論」を語るのは、こうした背景が影響しています。「人生の成功も失敗も、本人次第」ということです。
しかし今、日本社会で「メリトクラシー」は通用するでしょうか。「俺は小学校しか出ていないが、最終的に日本国の総理になった」実体験は、リアリティを持って若者の心に響くでしょうか。「裸一貫で、財を成した先人たちに続いて、俺も(私も)」と夢を見られる人が、今の日本社会にどれだけいるでしょうか。
世の中は明らかに「アリストクラシー」の時代に逆戻りしています。
あるいは教育学者の志水宏吉さんが『ペアレントクラシー「親格差時代」の衝撃』(朝日新書/2022年)で明晰に論じているように、親の経済状態や成育環境もしくは教育計画が、子の成長に決定的な影響を及ぼす時代に変容しているのです。
親の「経済状態」と「願望」が、親子の「選択肢」を増幅させる社会。だからこそ親に「経済状態」の欠落があれば、どれほど「願望」があれど、子の「選択肢」は限られてきます。
そうした社会背景的文脈を無視して、「最近の若者は結婚に対する意欲がない」「子を生み育てる気がない」と、安易に嘆くことはできません。
パラサイト難婚社会(朝日新聞出版)
山田昌弘