2024年05月03日

多くの現代人が陥っている「意外な罠」…なぜ私たちは「最適解」を求めてしまうのか

.多くの現代人が陥っている「意外な罠」…なぜ私たちは「最適解」を求めてしまうのか
5/2(木) 現代ビジネス

 なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手…….。

 12万部ベストセラーとなっている『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。
 ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

 〈心労には「気にするから気になる」という側面がある。
ゴールではなく細かいプロセスに目が向いてしまっているのである。
 そこで、目的だけに集中して、他に気になることがあっても初手は「気のせいか」で済ます。
相手が怒っているのか、助けが必要なのかなど、気になることは本人に直接きいた後に心配するよう心がけるといった手があるだろう。
 プロセスに気をとられると目的への満足解ではなく最適解を求めすぎてしまい、それがまた心労を生み出す。
 しかも日常生活で我々は最適解など求めていないし、そもそも最適解を求めるとかえって馬鹿なことになる。
最適解など現実には存在しないと割り切る方が合理的だ。〉(『世界は経営でできている』より)

 〈何か気になることがあっても、周囲が最適な行動をとっていないように思えたとしても「そもそものゴールに到達できるのならば別にいい」と吹っ切ってしまうのである。
そして、「ゴールに到達できない可能性がある場合だけ、自分から何かアクションを起こせばいい」とあらかじめ決めておけば、意識すべき対象が絞られ、気も楽になり成果も出やすくなるだろう。〉(『世界は経営でできている』より)

 『世界は経営でできている』では、ランチにおける最適解を例に挙げている。

 〈まずは予算制約を考える。
今、財布には五千円入っているとする。
しかしこの五千円をそのまま予算制約にはできない。
この五千円であと一週間ランチを食べる必要があるからだ。
いや土日は自炊するためランチ代が必要ない。
となると千円が予算制約か。
しかし今日のうちに五千円全額を使って、あとは絶食した方が満足できるようなランチもありうる。
いや、待てよ、クレジットカードを使えば……と、予算制約ひとつ決まらない。

 仮に予算制約が決まったとしても、次に世界中に存在するすべての飲食店をピックアップする必要がある。
とはいえ店に移動するための交通費や労力を考えると、ほとんどの店は考慮対象外だ。
ふう、店を絞れそうだ。いや違う。
もし巨額の交通費と途方もない労力を払って余りあるほどの満足度(効用)を得られる店があった場合、そこでランチを取るのが正解になる。……いや、それでは予算制約を決めた意味がない。

 さらに満足度にも、料理の美味しさや店内の雰囲気などその日その場で得られるものと、経験価値や健康リスクなど将来にわたって正負それぞれに働くものがある。
 このように厳密に/ストイックに食事の最適解を探していたら、我々はランチを食べることはできない。
飢え死にするまで計算を続ける生ける屍になってしまう。〉(『世界は経営でできている』より)


 なぜか多くの人は、こうした「最適解の罠」にいつの間にか陥っている。

 「生活や仕事における最終的なゴール=目的を常に意識する」ように心がけたい。
posted by 小だぬき at 15:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「3年続けなさい」は無視していい…精神科医が「我慢しないで逃げる人こそツヨツヨ」というワケ

「3年続けなさい」は無視していい…精神科医が「我慢しないで逃げる人こそツヨツヨ」というワケ
5/1(水) プレジデントオンライン

自分の心に素直に生きている人は何をしているのか。
精神科医の藤野智哉さんは「他の人からバカにされようが否定されようが、とにかく逃げたから、今、生きているという人は少なからずいる。
自分を守るために逃げられたのなら、むしろ自分を褒めてあげるといい。
自分の心を大事に考えるなら、『逃げない』選択が『逃げ』ということもある」という――。
 ※本稿は、藤野智哉『「そのままの自分」を生きてみる 精神科医が教える心がラクになるコツ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

■自分を守るために逃げられたのなら、自分を褒めてあげる

 ピンチになったら、「がんばる」ではなく「逃げる」ことも知ってほしいなと思います。

 世の中が「逃げグセ」に厳しすぎるせいで、みんな「逃げないグセ」がつきすぎなんですよね。

 たとえば、僕ら精神科医のところにこられる患者さんやご家族の中には「転職なんてもってのほか」という人も少なくないのですが、僕らはそれもつねに選択肢の1つに入れていますし、実際にそうしてうまくいった人も見てきています。

 仕事の中には「向き・不向き」「合う・合わない」もあります。
 企業の中には、「ブラック企業」だってあります。
それなのに「つらいから転職する」を「逃げ」だと思って、罪悪感をもってしまう人も多かったりするんですよね。
 「逃げる」。いいじゃないですか。

 自分を守るために逃げられたのなら、むしろ自分を褒めてあげてください。

 人生を続ける、自分の人生から逃げないために、今逃げる。

 そもそも「何を『逃げ』と呼ぶのか」という問題もありますよね。

 自分の気持ちがつらいのに、無理して会社に残るのは、自分の気持ちから「逃げてる」ともいえます。
 自分の心を大事に考えるなら、「逃げない」選択が「逃げ」だったりするんです。

■今がつらい自分に我慢をさせない

 他の人からバカにされようが否定されようが、とにかく逃げたから、今、生きているという人は少なからずいます。

 「逃げる」ことを無責任な言葉で邪魔する人は、逃げようとする人の人生の責任をとってくれるわけじゃないですからね。

 「3年続けないとどこも雇ってくれないよ」とか「転職ばかりしてると職歴に傷がつくよ」なんていう人もいるかもしれませんが、そんなふんわりした理由で、今がつらい自分に我慢をさせないでくださいね。

 自分の人生を好きに生きるのには、誰の許可もいらないのです。

 もちろん100%、好きに生きるのが難しい人も多いです。

 「子どもがいるから、そんな自由になんて無理です」
「貯金もぜんぜんないし、自分の生活の安定もあるから、そんな自分勝手には生きられません」

 その気持ちも状況もわかります。好きに生きるってなかなか難しい部分もありますから。

 でも、100%好きに生きるのは無理だったとしても、10%くらいなら好きに生きられると思えませんか?

 「子どもがいてなかなか自由にはできないけど、夜30分だけ好きな本を読む時間をつくろう」
「お金に余裕はないけど、週1回だけはカフェで好きなコーヒーを飲もう」

 というように「好きに生きる」時間をちょっぴりもてるといいですよね。

 時には「逃げる」こと、「好きに生きる」ことも大切なんですよ。

■助けを求めるのは弱いどころか「つよつよ」

 何かトラブルがあったとき、がんばろうとしすぎてしまうことがあります。

 たとえば、仕事の納期が間に合わないとき、「自分がなんとかしなきゃ」「私ががんばらなきゃ」と自分を追いつめてしまったり。
 コミュニケーションの行き違いから親戚ともめてしまったときに、「私が悪いのかも」「もっとこうすべきだったかも」と行動すればするほどこじれたり。

 冷静に考えれば、助けを求めたほうがいいのに、自分で抱え込んでしまうのはなぜでしょう。
 それは「助けを求める」のに慣れてないからかもしれません。

 小さいころからがんばりやさんだった人は、とくに「助けを求める経験」が足りていません。

 あるいは助けを求めて叱られたりした経験から「助けて」と言えなくなってしまった人もいるでしょう。

 ひょっとしたら、「助けを求めるなんて恥ずかしい」「できない人、弱い人がやること」なんて思い込んでいませんか?

   助けを求めるのは弱いからじゃなく、なんとかしようって意志があるから。
 あきらめてないんです。逆につよつよでしょ?
 だから「自分で抱え込んでしまっているかも」と感じる人は「助けを求める練習」をしてほしいなと思います。

■「ちょっと助けて」を言う練習を

 自分でがんばるだけではどこかで限界があるものです。
「がんばる練習」をするのは、しんどくなるだけだったりします。

 「がんばる練習」よりずっと大切なのは、「助けを求める練習」です。
 日々の生活の中で、「ちょっとだけ助けを求める」「ちょっとだけ誰かに頼る」を意識してやってみてください。
 なんでもいいです。

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「部長から頼まれた書類のコピー、手伝ってもらえませんか?」
「そのお店の予約、代わりにお願いできないかな」
「今、ちょっと体調が悪くて。明日まで待ってもらえると助かります」
「(SNSなどで)○○に詳しい人っていますか? 教えてほしいです」
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 こんなふうに「ちょっと助けて」を言う練習をしてみてください。

 意外と、「わかりました。一緒にやりましょう」「手伝いますよ」「全然、明日で大丈夫です」なんてことがあったりするんですよ。

 慣れないうちは「助けて」と言うのは怖いかもしれません。
 実際に言ってみたら断られたり、イヤな反応をされることもあるかもしれません。
 でも、「助けて」って言わなかったら、どんな反応になるかもわからないですよね。

 だから、つらいなーと思ったら「今、思いきって助けを求めるのもありかも?」と発想するクセをつけてほしいですね。

 「助けて」と言うのは、全然恥ずかしいことじゃないんですよ。

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藤野 智哉(ふじの・ともや)
精神科医
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする