2024年06月01日

新紙幣、なぜ登場する? どう新しくなる?

新紙幣、なぜ登場する? どう新しくなる?
5/30(木)  文化放送

ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務めるラジオ番組「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日〜金曜日15時30分〜17時)、5月30日の放送で、20年ぶりのデザイン刷新となる紙幣について日刊スポーツ文化社会部記者の久保勇人が解説した。

鈴木敏夫(文化放送解説委員)
「(新紙幣の発行が)7月3日です。およそ1ヶ月後に迫ってきました。千円、5千円、そして1万円札が20年ぶりにデザイン刷新となりました」

長野智子
「まず『なぜいま?』という。世の中はキャッシュレス時代に突入しようとしている中で、どういうことなんでしょうか?」

久保勇人
「紙幣は日本の場合、国立印刷局というところがつくって、日本銀行が発行しています。
日銀や財務省は、なぜ変えるのか、という疑問に対して『いま流通している3種類のお札が、発行してから相応の時間が経っている』と。(前回の刷新から)20年になるわけですね。
この間、印刷技術はかなり発達していて、悪いことを考える人の偽造のリスクが高まっていると。
それを防止するために、日銀の方々は『偽造抵抗力』を確保していく必要があるので、20年というタイミングで新しいお札を出すことにした、ということです」

長野
「理由として納得できますね! 具体的に変更されるのはどういうところですか?」

久保
「日本の印刷技術は世界トップクラスなんですけど、その中でも最先端の技術が、いろんなところに盛り込まれています。
いちばん大きな変更は肖像ですね。
1万円札は渋沢栄一さん、5千円札は津田梅子さん、千円札は細菌学者の北里柴三郎さんに変わります。
裏面は1万円札が東京駅、5千円札が藤の花、千円札は北斎の波の浮世絵です」

長野
「こういう肖像ってどう決めるんですか?」

久保
「肖像を使うのが日本の基本なんですけど、誰を選ぶかというと、やはり国民が世界に誇る日本人として広く認識していることがひとつ。
教科書なんかにも取り上げられている、評価が定まっている、ということですね。
それから実物と間違えてはいけないので、写真やしっかりした絵画が残っている、そういう人から選んでいるそうです」

長野
「そうなんですね!」

久保
「もう1個、大きな変更点として、世界初の偽造防止技術として、1万円札と5千円札はこれまで四角いホログラムがついていたんですけど、今度は短冊型のストライプ型のホログラムになります。
なぜ世界初かというと、紙幣を傾けると角度によって、1万円札の場合は渋沢栄一さんの顔の角度が変わって見えるんです。そういうのを使うのは世界で初めてということですね」

鈴木
「3Dホログラム……」

久保
「千円札にはこれまでなかったんですけど、今回の新しいお札にはパッチ型、これまで5千円札や1万円札についていた四角い小さなホログラムがつくことになります。
そのほか『10000円』という数字がすごく大きくなったり、様々な変更点があったりします。
それは日本銀行さんや国立印刷局さんのホームページで詳しく解説してあるので見てください」

鈴木
「(『10000円』の表記を見て)字が大きすぎて本物のお札に見えないぐらいですね」

久保
「子供銀行券かな、と一瞬思ってしまうんですね(笑)」

長野
「手触りも違うんですか?」

久保
「違うんです。いちばん大きな点はユニバーサルデザインといって、いろんな方が等しくお札を使えるようにということで、視覚障害者向けに触ってわかるものであるとか。そういう工夫が今回のお札ではされているそうです」
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落ち込み時、無気力時、ネガティブ時にはどうしたらいい? 自己肯定感を高める5つの方法

落ち込み時、無気力時、ネガティブ時にはどうしたらいい? 自己肯定感を高める5つの方法
2024.5.31 anan

自己肯定感は ana、日々揺れ動くもの。
そこで、考える前にとにかく“アクション”で自己肯定感を貯めていける方法をご紹介!
手軽に行えるので、その時どきの気分に合わせてやりやすいものから取り入れてみて。
心理カウンセラーの中島輝さんが教えてくれました。

【落ち込み時】自己信頼感を育めば、回復も早くなる!

出典 ananweb 編集部

仕事で失敗したり、うっかり失言をしてしまったり…。落ち込むことは誰しもあるはず。

「たとえ落ち込んだとしても、自己肯定感が高い状態であればすぐに気持ちを切り替えられますが、そうでなければ自己肯定感の中でも“自己信頼感”が足りていないと考えられます。
自己信頼感とは、自分を信じられる感覚のこと。
自信がないと、ちょっとしたことでも落ち込みやすいし、リカバーできる根拠がないため、なかなか浮上できないんです。
そんな時は、心身の緊張感を緩めるアクションで、まずは浮上しやすい土台を作りましょう。
そこから、『落ち込んでも私は大丈夫』と自信が持てるようになるはずです」

action1 目を温める
電子レンジで温めた蒸しタオルや、ドラッグストアなどで手に入るホットアイマスクで、5分ほど目元を温めよう。
目の周りの血流が促され、目と繋がる脳の疲れが回復。心のモヤモヤも解消へ。
単純に心地よく、落ち込んだ気持ちを癒してくれるアクションでもある。

action2 パン! と手を叩く
気持ちを切り替えたい時に有効なアクション。
どんよりした思いを抱えたまま浮上できない…という時は、胸の前で「パン!」と手を叩こう。
悔いても変わらない過去の失敗や、考えても仕方がない未来の不安は、これで一区切り。
一気に、「今、ここ」の自分に立ち返ることができる。

action3 空を見上げる
自己信頼感が落ちていると、無意識のうちに背中が丸まり、うつむきがちに。すると気道が狭まり、呼吸が浅くなってしまう。この状態が続くと心身に緊張感とストレスがもたらされるので、空を見上げるように意識して、背筋をシャキッと。気がかりも、空の向こうへ追いやるイメージで。

action4 ハンカチにアイロンをかけ
心理学には、涙や笑いでモヤモヤを解消する「カタルシス効果」という理論がある。
一般的には映画観賞などから得ることが多いが、身近なところでは、ハンカチにアイロンをかけるだけでもその効果を引き出すことが可能に。
シワがピシッとのびるのを見るにつれ、気持ちがスッキリ。

action5 体をぶらぶらさせる
気持ちの落ち込みからくる緊張や疲れは、体をぶらぶらさせることで緩和。
足を肩幅に開いて立ち、両手を頭上で交差させたら、ゆっくり深呼吸。
上体を倒して、体を左右にぶらぶら動かそう。さらに上体を左回し、右回しと円を描くように大きく回す。体の力が抜けて、リラックスできる。


【無気力時】やる気を上げるなら自尊感情をアップ。

出典 ananweb 編集部



朝なかなか起きられない。仕事も身の回りのことも、とにかく何もやる気が起きない! そんな時はどうすれば?

「自己肯定感の中でも“自尊感情”が低いと、こうした気持ちに陥りがち。自尊感情とは、自分には価値があると思える感覚のこと。
そもそも自分に価値があると思えていないと、そんな自分に何かしてあげようという気力がわかないのも当然です。
また、自尊感情が低いと、自分の価値を他者に認めてもらいたいという気持ちが強くなります。
承認欲求は誰にでもあるものですが、自己と他者でバランスよく満たされることが大事。
自分を大切にするようなアクションで、自尊感情を育みましょう」

action1 自分に「グッジョブ!
予定していた電車に乗れたなど、小さなことでいいので、やりたいことがうまくいった時には自分に「グッジョブ!」と声をかけよう。
たとえ本心ではなくても、口に出すことで自分を励ます効果は抜群。
モチベーションアップに繋がり、無気力から抜け出すきっかけになるはず。

action2 毛布やクッションを抱きしめる
肌ざわりのいい毛布やクッション、ぬいぐるみをギュッと抱きしめよう。
安心感が不安を遠ざけ、自尊感情を高める後押しとなってくれる。
モフモフした見た目や、香りなど、自分が“心地よい”と思えるものを選ぶと、触感以外の五感も刺激され、さらに自尊感情の回復度がアップ。

action3 顔を両手で包み込む
顔は、自分はもちろん他者からも、目につきやすいパーツ。そんな顔を両手で優しく包み込むと、自分を大切にしている感覚が育まれる。ついでにヨガの「パーミング」を行うのがおすすめ。両手をこすって手のひらを温め、くぼみを作って両目に当てれば、深くリラックスできる。

action4 太陽の光を浴びる
朝起きて太陽の光を浴びると、体内時計がオンになり、自然と行動が活発に。
また、太陽光で幸せホルモンのセロトニンも分泌する。
「やる気が起きない…」という人は、まずはカーテンを開けて朝日を浴びることから始めよう。できれば朝散歩でリズム運動も取り入れセロトニンをさらに活性化。

action5 8秒間、セルフハグをする
自分で自分をギュッと抱きしめながら、「大丈夫」と声をかけましょう。
これを、人が深呼吸する時にだいたいかかる時間と考えられる8秒間行うのがポイント。
次第に、幸福感をもたらす神経伝達物質のセロトニン、エンドルフィン、オキシトシンが分泌。自分に優しくなれるはず。


【ネガティブ時】ポジティブへの道は自己決定感がカギ。

出典 ananweb 編集部


何に対しても悪いほうへと考えてしまうネガティブ時。どんな“感”が足りていないのだろう。

「それは“自己決定感”だと思います。
自己決定感は『どんな状況でも自分の意思で決められる』という感覚です。
これが高ければ、自らの手で人生を切り拓くことができます。
そもそもネガティブな時は、どんな選択をしてもよくないことが起こりそうな気がして、自分の意思ではなかなか決められません。そのため他者の意見に振り回されてしまうことも多々あります。そんな状況から脱却するには、自分の意思力を鍛えるアクションが有効です。また、ネガティブ思考から距離を置くアクションも取り入れるといいでしょう」

action1 寄り道をする
寄り道は、自分へのちょっとしたご褒美時間を作るイメージ。
好きなコーヒーショップに立ち寄ったり、ウィンドーショッピングをしたりと、何でもOK。
刺激となる時間を自分で作って、やりたいことを実行しよう。自分で決めたという充足感とご褒美の相乗効果で、自己決定感がアップ。

action2 ガムを噛む
ネガティブ思考のループから抜けられない! そんな時は、ガムを噛んで気分転換しよう。
しばらくの間アゴを動かすことで、ストレスホルモンのコルチゾールが減少。
気持ちが緊張状態から弛緩状態へ。
何かを決めなければいけない時にも、リラックスして自己決定ができるはず。

action3 本をジャケ買いする
これも自己決定感を促すアクション。
本は、内容や作家の好みで買うことが多いと思うが、それだと趣味嗜好が偏りがちに。
そんなマンネリを、ジャケ買いで一新! 単純な自己決定ではなく、直感で選ぶという新たな試みが刺激となり、自己決定感を大きく育む一助となるはず。

action4 トイレをピカピカにする
トイレ掃除を自分から率先してやりたいという人は、なかなかいないのでは。
だからこそ、「やる」という意志力が鍛えられる場といえる。
それを週に数回などではなく、毎日1回。自分の意思で毎日ピカピカに磨き上げると、意志力はもちろん、決断力、行動力、自制心のアップも期待できる。

action5 黄色を身に着けて出かける
ネガティブな気持ちの時は、黄色いアイテムを身に着けて出かけよう。
色彩心理学の中でも黄色は、明るく活動的なイメージ。
自分自身、気分が明るくなって、活力もわいてくる。周りの人にも、そんな印象を与えてくれる。
洋服やバッグなどの小物でもいいので、黄色のパワーを借りよう。

中島 輝さん 心理カウンセラー。
「自己肯定感アカデミー」代表。独自の自己肯定感アップ法が支持を集める。
著書に『毎日みるだけ! 自己肯定感365日BOOK』(SBクリエイティブ)など多数。


※『anan』2024年6月5日号より。イラスト・山中玲奈 取材、文・保手濱奈美
(by anan編集部)
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2024年06月02日

悪意ゼロの「老害」と上手につきあう2つのコツ

悪意ゼロの「老害」と上手につきあう2つのコツ
お互いに歩み寄れる「妥協点」は必ずあるはず
平松 類 : 眼科医/医学博士
2024/06/01  東洋経済オンライン

「ついつい『いや』と答えることがある」
「気がつくと自分の話をしている」
「いつの間にか大声になっていることがある」。
どれかに心当たりがあるあなたは、立派な「老害」予備軍かもしれません。
ですが、そうした「老害の人」が招くトラブルの多くは、けっして悪意から生まれてくるわけではないと、医学博士で医師の平松類氏はいいます。
※本稿は平松氏の著書『「老害の人」にならないコツ』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

見当違いのアドバイスはかえって迷惑
私は高齢者に関する情報を得るために、チャンスがあれば性別や年代を問わず、いろいろな人から話を聞くようにしているのですが、先日は、とあるご縁で知り合った20代男性のNさんから、次のようなエピソードを聞かされました。

Nさんは1カ月ほど前から、家の近くにあるジムに通い始めました。
ジム初心者ながら、事前にネットでトレーニングの基礎知識を学び、別のジムでインストラクターをやっている大学時代の友人からアドバイスをもらい、万全の態勢を整えていました。

数回利用して、自分のペースをつかめてきたし、少しずつトレーニングの効果を実感できるようにもなったそうです。
そんなある日のこと。常連さんたちからOさんと呼ばれている高齢男性が、Nさんに話しかけてきました。

「違う違う。そのマシンは20回2セットよりも、10回3セットのほうが効果的なんだよ。
ほら、やってみな。お兄ちゃん、初心者だよな?」

そのほかにも、使用するマシンの理想的な順番や、自分に合ったベストの負荷(重り)の探し方など、次から次へと助言をしてきたといいます。
Nさんからは、何も尋ねていないのに。

Oさんは満面の笑みを浮かべ、「わからないことがあれば、なんでも俺に聞きな」と"ダメ押し"をしてきました。

「Oさんのアドバイスが的確かつ、僕自身も納得のいくものであれば問題なかったのですが、どれもこれもピントがズレている印象で、現役インストラクターの友人の話と違う点も多々ありました」

これがNさんの正直な心境です。
だからといって、状況的に無視をするわけにはいきませんし、「それは間違っています」とシビアに反論することもできません。

Nさんは「あ、ありがとうございます」と答えるしかなく、Oさんの視界のなかにいるときは、言われたとおりにトレーニングしている"ふり"をするしかありませんでした。
ペースが乱されてしまい、トレーニングには身が入りません。
はっきりいって、うっとうしかったそうです。

「100%善意の老害」ということもある
若い人からしてみたら、Oさんは「老害」以外のなにものでもないでしょう。
おせっかいにもほどがありますからね。なかなかの老害レベルです。

でも、これだけは理解しておく必要があります。
Oさんはおそらく100%善意でやっています。悪意はゼロ。
若者を助けてあげようという親切心に満ちあふれているはずです。

仮に相手が若い女性だったとしても、下心はいっさいなしに、同じようにアドバイスを送っていたことでしょう。
Oさんのような人は、まさにそういうタイプなのです。

今の若い人たち、とりわけデジタルネイティブといわれる世代は、あらゆる情報を自分で調べ、そのなかから有益なものを選び抜くスキルを持っています。
キャリア豊富な年長者よりも詳しかったり、最新最適の情報を持っていたり、というケースも珍しくありません。

これに対しOさんの世代は、仕事も趣味も遊びも、上の世代から教えてもらい、下の世代に伝えていくのがあたりまえという価値観のなか、人生を送ってきました。
それゆえに、同じ組織やコミュニティにいる若者に対しては、「自分のほうがよく知っているから、教えてあげる義務がある」と自然に思っています。

この感覚の違いが大きな齟齬を生み、両者の間に「壁」をつくってしまうのです。
そしてこの構図は、とても面倒な状況をまねくことになります。
たとえ一方的であっても、年長者から教えられた若者は、その行為をないがしろにできないため、その場しのぎの社交辞令で頷いたり、感謝の念を示したりします。
すると教えた側は、これを成功体験ととらえて調子に乗り、勢いを増してまた同じことをくり返すのです。

その結果、高齢者は善意が実ったと(勘違いして)満足する一方で、若者は彼らを「老害」と呼ぶシーンが増えるという、なんとも残念すぎる循環が生まれてしまいます。

「自分たちの常識=若者の常識」は成立しない
自分はOさんタイプかもしれない……。
そう思った人は、若者と自分たちの世代との意識の違い、常識や社会構造そのものの変化に目を向けるようにしましょう。

今の若い人たちは、個性を重視し、ステレオタイプな手法や思考を、歓迎しない傾向にあります。
誰もがみな、年長者から何かを学び取りたいと思っているとは限りませんし、そもそも学ぶ必要がないかもしれません。
もしかしたら、持っている知識はあなたより上回っている可能性もあります。

会社における仕事もそうです。
昔はがんばれば給料が上がり、やりがいのある仕事を与えられ、上司に気に入られれば出世しやすい――そんな構造でしたし、それを目指している人たちばかりでした。

ところが、今はがんばっても、上司の話を聞いても、給料が大きく上がるわけではないので、そもそも出世を望まなかったり、最初からあきらめたりしている若者が大半を占めるようになりました。
だから、たとえ上司が部下のことを思っていたとしても、過剰に指導すると煙たがられてしまうのです。

「飲みニケーションが大事」
「一対一のほうが腹を割って話せる」

これも通用しません。

部下を飲みに誘っただけでアルコールハラスメント(アルハラ)やモラルハラスメント(モラハラ)と扱われてしまいますし、男性の上司が女性の部下と一対一で話す状況をつくったら、セクハラといわれかねません。

事実、一部の外資系企業などでは、男性社員と女性社員が同じ部屋で一緒になるときは、必ずドアを開け放つというルールを採用しているほどです。

相手の同意や感謝を鵜呑みにしてはいけない
すべて親切心でやっているのにどうして。そう思うかもしれませんが、相手はそれを親切とは受け取ってくれない可能性がある(というよりその可能性が高い)ということを、今一度、強く心に刻みましょう。

笑顔で「わかりました」「ありがとうございます」と返してくれたとしても、それが本心ではないかもしれません。内心では「嫌だなぁ」「面倒くさい」と思っているのが、今の若者です(もちろん、そうではない人もいますが)。

飲みに誘った部下がついてきてくれたことに気をよくし、「本当は早く帰りたいんだけど、お前のためだからしかたねーか(笑)」などと軽口をたたいている裏で、じつはあなたよりももっと早く帰りたがっている部下を引き留めてしまっている――この現実を理解しましょう。

若い世代の人たちと良好な関係を築き、「壁」を解消するためには、常識や社会構造の変化を受け入れる必要があります。

若い人たちも、年長者を「老害」と決めつけて、いっさい耳を貸す気がないわけではありません。
押しつけがましくなく、納得のいくことであれば、ちゃんと話を聞いてくれるでしょう。

お互いに歩み寄り、妥協点を見いだしながら、うまく付き合っていくことを目指せば、状況は大きく改善するのではないでしょうか。

自分の周りにOさんのような高齢者がいる場合は、何より彼らに悪意はなく、100%善意でやっていることを理解しましょう。

結果的にズレが生じているだけで、若い人たちのことを思ってくれているのです。
一生懸命になりすぎているだけなのです。

その大前提を念頭に置いたうえで、私は2つの対応策をご提案します。

まずは、周囲からの信頼が厚く、なおかつ発信力のあるキャラクターになること、もしくはそう思われるようにすること。
これを目指してください。
相手の老害力をダウンさせる効果があります。

会社で一定以上の役職に就いている人などは、同じ組織内で自分の悪い噂が流れることをとかく嫌います。
信頼度も発信力も高い部下への接し方を誤り、ハラスメントがあったなどという話を広められたら、たまったものではありません。

そんなキャラと認識させることができたら、おそらく向こう(上司)のほうが距離を置いてくるはずです。
飲みにも誘ってこなくなるでしょう。

酔っ払いの「武勇伝」も受け入れてみる
続いておすすめするのは、いっそのこと面倒な相手の懐に入ってしまうという方法です。

その相手が自分の敵になり得るのなら話は変わってきますが、感覚のズレがあるだけで、全力で味方になってくれようとしているわけですからね。

その善意を全身全霊で受け入れて、仲良くなりすぎるくらいの関係を築くのも悪くはないでしょう。
喧嘩をしたり、敵対したりするよりははるかにましです。

とことん聞き役に徹し、酔っぱらって同じ"武勇伝"が飛び出しても「それ、前にも聞きました」とは言わず、相手が違うと思うことを口にしても反論はせず、気持ちよくしゃべってもらいましょう。

「そのスタンスでいく」と決めたら意外にストレスは溜まらないものですし、相手の意外ないい面が新たに見えてくるかもしれません。
"平和外交"で「壁」をなくすことができれば、まさに願ったり叶ったりではないでしょうか。

平松 類 眼科医/医学博士
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お風呂につかると得られる三つのメリット 十分に健康効果を得られる入り方は?

お風呂につかると得られる三つのメリット 十分に健康効果を得られる入り方は?
6/1(土) 読売新聞(ヨミドクター)

風呂やサウナと健康について考える「浴なび」

 風呂やサウナの医学的な効用、注意点などを専門家らの談話やエピソードを交えながら紹介します。
岩盤浴、足湯など、様々な温浴方法の効能についてもお伝えします。

 大型連休に広島県尾道市を旅行しました。
街歩きをしてラーメンを味わうと、いつの間にか夕暮れに。
街の一角で見つけた温泉施設で風呂に入った後、海を望む椅子でひと休みしました。
 街の明かりが水面を彩り、近くで中年の男性がギターで奏でるビートルズの楽曲が聞こえてきて、そよ吹く潮風がゆっくりと体を冷ましてくれました。本当に良い夜でした。

お風呂の主な健康効果
 「お風呂は健康にいい」とよく言われますが、どういう仕組みでしょうか。
医師として25年以上、入浴医学を研究してきた東京都市大教授の早坂信哉さんに聞きました。

 主な健康作用としては
〈1〉温熱作用(血流アップ)
〈2〉水圧作用(むくみを取る)
〈3〉浮力作用(筋肉や関節を緩める)――があるそうです。

 体が温まると血流が良くなり、栄養分が体中に運ばれ、老廃物も回収されます。
水圧で全身がもみほぐされる効果があり、むくみが取れます。

 さらに浮力で関節や筋肉にかかる体重の負荷は10分の1ほどに軽減され、緊張が緩みます。
尾道の温泉施設で広い浴槽の底に両手をつき、足を伸ばして浮いてみると、とても解放感がありました。

 こうした効果を十分に得られるのは全身浴の場合。

早坂さんは「入浴の基本は全身浴です。
毎日、40度のお湯に10分つかるのがお勧めです」と話します。
半身浴では効果が低くなり、シャワーは体の汚れを落とす効果しか期待できないそうです。

 ただ、心肺機能に懸念がある人の場合、全身浴の水圧では体に負担がかかることがあり、半身浴がお勧めです。
また、長時間の入浴を楽しみたい人には半身浴の方が適しています。うまく使い分けましょう。

 温泉地でよく見かける足湯は、温熱作用などは弱いのですが、長い時間つかることができ、旅先で友達とおしゃべりを楽しむには最適と言えそうです。(竹井陽平)
posted by 小だぬき at 17:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月03日

寿司屋で“恥をかかない”作法7選。「あがり」「おあいそ」はカッコ悪い

寿司屋で“恥をかかない”作法7選。「あがり」「おあいそ」はカッコ悪い
2024年06月02日 SPA!
そろそろカウンター寿司デビューしたいけれど、自信がない。
そのようなモヤモヤ感を抱えている方はいませんか?
 寿司屋の基本作法がわからない、請求金額がわからないから怖いと感じているは、少なくないでしょう。
そこで私は考えました。それは、高級寿司店の基本マナーや食べ方をわかりやすく整理し、安心して楽しんでいただくためのコツをお伝えしようというものです。
前編では、寿司の聖地東京・銀座で高級寿司店「佐たけ」を営む佐竹大(さたけたけし)大将に、寿司店に行く際の衣装や事前の心得についてご紹介しましたが、後編では本番の「食べる」にフォーカス。「寿司を食べる際の基本作法や、知っておくべき留意点」について7つに整理しましたので、早速ご紹介していくことにしましょう。


◆まずは「おまかせ」を味わう
はじめに、「自分の好みや要望をどこまで伝えるか?」という疑問について。
「私たちのような寿司店では寿司を握る職人技を堪能していただきたいので、まずはおまかせを味わっていただきたいというのが願いです」と大将は言います。
事前にアレルギー情報は伝えて、ネタの指定などを細かくしない方が、断然に楽しめるそうです。

◆手を使って一口で食べるが基本
次に、「手で上手に食べる自信がないので、箸で食べても大丈夫か?」という質問について。
シャリをふわりと握るような本格寿司の場合、箸では寿司が崩れてしまうリスクがあります。
そのため基本は手で食べた方が良く、一口で食べた方がキレイに食べることができるでしょう。
箸を使いたい場合は、タテではなくシャリをヨコからすくい上げるようなイメージが良いそうです。

◆握りたてを味わうべし、理想は5秒
食べる上で重要なのは、おいしさのためになるべく早く食べるということ。
寿司は目の前に置かれた瞬間から劣化がはじまるので、SNS投稿のための写真撮影はおいしさと引き換えになってしまうんだとか。
理想は5秒以内で食べること。
まずは寿司を最高の状態で食べることを体験してみましょう。
◆ひじをついて食べる、途中で電話やタバコは控える
あまり気持ちよく感じない客の言動を聞いたところ、「肘をついて召し上がったり、電話などで途中席を立たれることは、周りのお客様のことを考えても決して気持ち良いものではない」と教えてくれました。
さらに「外でタバコを吸いに行き、戻ってきた時のタバコ臭は想像以上に強い」そうです。
◆あがり、おあいそ、むらさき。職人が使う言葉は使わない
店とのやり取りの中で、「あがり」や「おさいそ」という、一見ツウを思わせるような用語を使う客がいるそうです。
これらのワード、実は店側の符丁(合言葉)であり、客が使うものではありません。
普通に「お茶」や「お会計をお願いします、しめてください」でOKなのです。
◆褒め方としてうれしいのは、シャリやコハダ、そして…
店とのやり取りの中で、「寿司をどう褒めるか?」という点については、「〇〇がおいしかった」と具体的に褒めてくれることが喜びにつながるようです。
中でも、寿司屋の命ともいわれるシャリやコハダを気に入ってもらえることは、職人冥利に尽きるのだとか。
そして、おいしかった以上に嬉しいのが、「楽しかった」という称賛。
そのために緊張感を盛って真剣に寿司を握り、客と対話をしているそうです。
◆会計は明朗なケースがほとんど。事前決済もオススメ
やっぱり気になるのが、お会計。
「最近の寿司店ではおまかせコースであればサイト等で価格が明示されているので、想定外の請求になることはまずありません」と佐竹大将。
もう少し具体的な数字を教えてもらうために、2人で来店して飲み物を2杯ずつ注文した想定で請求額を教えてもらったところ、65300円という回答をもらいました。
これなら心の準備がしやすくなるかもしれません。

◆寿司屋での最大の心得は、「ヒト対ヒトの関係を楽しむこと」
「おいしい寿司を味わっていただくのは最も重要だと考えていますが、店としてはお客様が会話を楽しんでいただいて、信頼関係を作っていただけるような努力をしています」と、しっかりとした口調で答えた大将。
どの寿司職人も、人間力の強い板前を目指して日々研鑽を重ねているそうですから、客としても“ヒト対ヒトの関係性を楽しむ”意識を持つことこそが、高級寿司店を存分に堪能することにつながるようです。
さあ、皆さんも心配せずに高級寿司店を楽しみましょう!

<取材・文/スギアカツキ>
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「警察は謝らない」“人質司法”で犠牲に…当事者たちの訴え【報道特集】

「警察は謝らない」“人質司法”で犠牲に…当事者たちの訴え【報道特集】
2024年06月02日 TBS NEWS DIG

不正輸出の疑いで社長らが逮捕された大川原化工機事件。
その後、無実が明らかになりました。
「人質司法」ともいわれる捜査で、多大な被害を被った、当事者たちの声です。

「人としての尊厳のある死に方をさせてあげたかった」がん見つかるも保釈認められず…
横浜市の機械メーカー「大川原化工機」の大川原正明社長(75)が、何度も訪れる墓がある。
ここに眠るのは、元同僚の相嶋静夫さんだ。

大川原化工機 大川原正明 社長
「ちゃんとした治療ができてればこんなことにならなかった。
こういう状態になるのであれば、(罪を)認めてしまうのも、そのときの選択にはなかったつもりだが、人の命はかえられないという感じもして、しゃくだけどね」

大川原さんと相嶋さんは2020年3月、元取締役の島田順司さんと共に警視庁公安部に逮捕された。
生物兵器の製造に転用可能な噴霧乾燥機を無許可で中国に輸出した疑いだ。

だが検察は、「犯罪にあたるか疑義が生じた」として、「起訴取消し」という異例の判断を下した。

相嶋さんはすでに胃がんでこの世を去っていた。
亡くなるまでの11か月間、何度も保釈を求めたが、裁判所は一度も認めなかった。

大川原社長
「病院ではもう手遅れのような状態。
相嶋さんが亡くなったのは7日だが、私が聞いたのは10日。 
   葬儀も行けなかったし、本当に残念です」

遺族は“人質司法”の犠牲になったと話す。

相嶋さんの妻
「早く安らかに休める日が来るといいですね。
まだあの世で、心配でたまらなくてウロウロしてるんじゃないですか」

相嶋さんの妻は、「最愛の夫が適切な医療を受けられず死期を早められ、かけがえのない時間が奪われた」として、国を相手取り損害賠償を求める訴えを起こした。

金平茂紀特任キャスター
「『正義は勝つ、真実は一つ』と書かれていますが、これは?」

相嶋さんの妻
「主人といつもこういうふうに話していたので、主人の名前で私が書きました」

胃がんが見つかった後も、保釈は認められない形で外部の病院に入院した。

入院中の相嶋さん
「みなさん元気ですか。じいじはあまり元気ないけど頑張ってるよ。早く元気になってみんなに会いたいです」

相嶋さんの妻
「病気がわかってからはもっともっとつらくて、どうしたら助けられるかなって毎日そればかり考えてました」

相嶋さんが逮捕後に書き残したメモには…

相嶋さんのメモ
「あらかじめ作ってあったシナリオにうまく乗せようとしていた」

取り調べた捜査員
「黙秘はあなたの為にならない」
「早く話して会社に戻ってあげなくては」
「長くなる、後悔するよ」

相嶋さんのメモ
「私が今さら逃亡したり、あるいは関係者に対して不当な働きかけを行うはずはありません」

妻と長男は、相嶋さんの死をどう受け止めたのか。
相嶋さんの妻
「本当に生きているのが嫌になるくらい心がボロボロになってしまって、(本人も)『何も悪いことしてないのに』、『なんでこんな目に遭うのだろう』って」

相嶋さんの長男
「人としての尊厳のある死に方をさせてあげたかったですよね。
検察も警察も決定的な証拠を持ってなかった。
持っていないから、父や社長や島田さんが自白してくれないと困るわけですよね。
想像するに、父が体調を崩したときに、検察官は自白のチャンスだと思ったんだと思います。
その取り引きに父の病気を使ったというふうに今となっては思います。それが“人質司法”の姿だと思う」

「人質司法」は警察や検察だけの問題ではなく、「裁判所の不作為」の結果だと遺族は感じている。

相嶋さんの妻
「せめて裁判官が保釈請求を見て保釈をしてくれていたら、主人はまだ生きてたかも知れない。もう体全身で悔しかったと思う」

相嶋さんの長男
「裁判官は逮捕状を発付する権限、勾留を認める権限、保釈を決める権限があるので、その権限を正しく使ってほしい。
多分どこかで怠けてたのだと思う、今回のケースは。
そういう怠け心をあなた達裁判官が持つと、これだけ不幸なことが起こることを、今回のケースを直視して今後の仕事に生かしてもらいたい」

警察官「まあ、捏造ですね」ずさんな捜査に、省令の不備も…

警視庁公安部のずさんな捜査も明らかになった。

逮捕から8か月後、内部告発の手紙が会社に送られてきた。
手紙には、捜査の問題点を知っているある捜査員を、法廷で証言させるべきだと書かれていた。

手紙の差出人
「彼は貴社側に立った見解を持っており、警察組織の意向とは関係なく、自分の意見を貫くタイプの人間です。
警察側に不利益となる情報が明らかになると確信しています」

大川原社長
「我々にとって非常にありがたい言葉。
裁判を戦っていく中で、後ろで支えてくれてる人がいるんだなということで、我々としてはより頑張れる」

社長らが国などに賠償を求めた裁判では、捜査を担当した警察官が法廷に立ち、異例の証言をした。

警察官
「まあ、捏造ですね」

別の警察官
「捜査幹部がマイナス証拠をすべて取り上げない姿勢があった」

また、輸出規制を所管する経産省が省令の不備を認め、捜査に消極的だったことが警視庁のメモから明らかになった。

経産省担当者の発言
「本当に情けない話だが、この省令には欠陥があるとしか言いようがない」
「警察が都合の良い事実のみを経産省に伝えているのではないかと感じることが多々あった」

だが経産省は、急に強制捜査を容認する姿勢に転じた。

経産省担当者の発言
「ガサ(家宅捜索)をやること自体は悪いことではない」
「公安部長が盛り上がっているというのは耳に入ってきている」

そして、公安部は…

捜査関係者
「あれが、強制捜査に至るきっかけだった。経産省がお墨付きを与えてくれた。明確な根拠もないのにガサをすべきではなかった」

さらに、元取締役の島田さんを取り調べていた捜査員が調書を廃棄していた。
この捜査員が部内の報告書に、「調書を誤って廃棄した」などと記したことついて、別の捜査員がこう書き加えた。

別の捜査員のコメント
「完全なる虚偽報告」
「よくこんな報告書が作成できるよな。どっちが犯罪者か分からん」

2023年12月、裁判所は国などに約1億6000万円の賠償を命じた。しかし、国などは判決を不服として控訴した。

警視庁のコメント
「起訴が取り消しになったこと自体については真摯に受け止めています」

だが、ある捜査関係者は私たちの取材に対し…

捜査関係者
「大川原は昔から中国とズブズブで真っ黒な会社。世界のトップ企業だから摘発した。
捜査は完璧ではなかったが、別の切り口から犯罪を立証できたかもしれない」

一方で、別の捜査関係者はこう本音を吐露した。

捜査関係者
「責任を感じている。正しい情報を把握出来ていれば、捜査の中止も検討すべきだった」

良心の呵責に苛まれていた捜査関係者もいた。

捜査関係者
「組織には3種類の人がいる。
『間違った事をやる人』『沈黙する人』『声を上げる人』。
特定の捜査員が間違ったことをやり続けた。誰も声を上げることができなかった。被害者の方に本当に申し訳ない」

大川原社長(2023年12月・判決後の会見)
「自分たちは跳ね返して名誉回復できたからいいんだけども、そうではない人は沢山いるんだろうと思うんです。
謝罪がないと検証もない、それが何とかされるまでは言い続けたい」

「警察は謝らない」袴田巌さんの姉・ひで子さんと大川原社長語る“取り調べに抗う難しさ”

人質司法の問題を訴える人が、静岡県にもいる。
袴田事件で再審公判中の袴田巌さんの姉・ひで子さん(91)だ。弟の無実を信じて戦ってきた。

金平特任キャスター
「いわゆる袴田事件の再審裁判はきょうで結審です。原告団がひで子さんを真ん中にして入廷するところです」

袴田巌さんは1966年、静岡県で一家4人を殺害したとして逮捕され、その後死刑が確定。
しかし、2014年に静岡地裁の決定で再審、裁判のやり直しと釈放が認められた。

2023年10月、再審公判が始まったが、巌さんは長期間の勾留生活で精神を病み、十分に会話ができないことから出廷が免除された。

5月22日の裁判では、姉のひで子さんが法廷に立つことになった。

袴田巖さんの姉・ひで子さん
「巖の裁判ですので、巖は今は話はできないから、巖に代わって巖の言いたいことを申し上げるつもり」

検察は改めて死刑を求刑する一方、弁護側は無罪を主張し、ひで子さんが最終の意見陳述を行った。

ひで子さんの意見陳述
「巖は47年7か月、投獄されておりました。
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2024年06月04日

「高齢者にとって1日1万歩は歩きすぎ」脚とひざを守る正しい歩き方や姿勢を専門医が解説

「高齢者にとって1日1万歩は歩きすぎ」脚とひざを守る正しい歩き方や姿勢を専門医が解説
6/3(月) 介護ポストセブン

健康にいい歩き方を身につけて健脚寿命を延ばそう

 人生100年時代といわれる昨今、筋力が低下し、歩き方、姿勢の乱れなどで不健康になってしまう高齢者も多い。
1人で歩くことが難しくなり、寝たきりの生活になるのは避けたいところだ。
健康的に毎日を過ごすためにも「一生涯歩けること」を目標にしたい。
ひざや脚を痛めにくい歩き方や食生活について専門家が徹底解説する。

教えてくれた人
●戸田佳孝さん/戸田整形外科リウマチ科クリニック院長
●笹原健太郎さん/リーフはりきゅう整体院代表

名医が教える「100年歩ける脚と膝」歩き方のコツ
 年齢を重ねるにつれて、立ち上がる時や階段の上り下りでひざに痛みを感じる人も増えていく。
歩行時にひざに痛みの出る変形性膝関節症に悩む人は、患者のうち65才以上が55%を占め、女性の方が男性よりも多いという。

100年歩くための脚とひざ作りは、思い立ったいまから始めること。

「脚の筋肉は何才になってもトレーニングをすれば太くなります。
アメリカでは80代や90代の超高齢者がジムで熱心に筋トレをしています。
1990年代にはすでに96才以上でも鍛えることで筋肉は太くなるという研究結果も報告されている。
いくつになっても始めるのに遅いということはありません」(戸田整形外科リウマチ科クリニック院長の戸田佳孝さん)

リーフはりきゅう整体院代表の笹原健太郎さんも重ねる。
「寝たきりや認知症になってしまってからでは、脚を鍛えるのはとても難しい。
むしろ40〜60代で痛みが出るというのは、“いまから正しくトレーニングすれば寝たきりにならないよ”という体からのSOSであり、アラートです。
いま脚やひざに痛みを感じているならば、100年歩ける脚を作るいいタイミングだと思ってください」(笹原さん・以下同)

 毎日行うトレーニングの延長線上には、歩くときの姿勢がある。背筋を伸ばし、あごを引いて頭が前に出ないように歩くことで、ひざが伸びるようになる。

「ひざが曲がっていると、地面からの反発をすべてひざが受けることになる。それを防ぐために、ひざがまっすぐ伸びる姿勢をとることを意識してください」(戸田さん)

 笹原さんも上体を起こすことの重要性を説く。
「ひざが痛いとかばうように前かがみになって歩く人が多いのですが、余計に痛みが悪化します。
しっかり上体を起こすことでひざにかかる重みが軽くなる。
バンザイしながら歩くと、上体がぐっと持ち上がります。
家の中だけでいいので、続けると姿勢もよくなるし、上体を起こす感覚が身につきますよ」

ひざを痛めにくい歩き方
<1>背筋はしっかり伸ばす

<2>頭が前に出ないようにあごをひく

<3>ひざが曲がらないようにまっすぐ伸ばす

<4>歩幅が狭くならないように意識する


食生活にも注意「ブロッコリーとアボカドは最強」
 筋肉を鍛えるためには、食事も大切。
脂肪が少ない鶏胸肉をはじめとした、たんぱく質の摂取はマストだ。

「高齢になると食べられる量自体が減ってくるので、炭水化物や野菜を食べるよりも、たんぱく質を摂ることを優先してほしい。
肉もいいですが、魚にはDHAやEPAといった良質な脂がたっぷり含まれているので青魚を積極的に食べてください」(笹原さん)

 戸田さんが推すのは、アボカドとブロッコリー。
「アボカドには痛みを抑え、すり減ったひざ軟骨を修復するなど損傷した組織回復を促すTGF-βが豊富に含まれています。
また、有効成分が胃や腸で分解されずひざまでしっかり届いて、痛みの改善が期待できる。

 サプリメントで摂るグルコサミンやヒアルロン酸は経口摂取しても胃や腸で分解されてしまうので、なんの意味もありません。
ブロッコリーには、関節の痛みに悪影響を及ぼす病的血管が作られるのを防ぐスルフォラファンが多く含有されている。
特に新芽であるブロッコリースプラウトは含有量がさらに多い」

1日1万歩は歩きすぎ!健康的な歩数とは?

 痛みや炎症は、戸田さんが話すように血管の老化と切り離せない問題。
その点で、健康な血管を維持するため、“食べてはいけない”ものもある。

「特に気をつけてほしいのは白砂糖です。
白砂糖は血糖値を急激に上昇させて、血管を傷つけやすくする。
そうなると、動脈硬化などのリスクが高くなるのはもちろん、筋肉など体の組織に栄養が行き届かなくなってしまいます。白砂糖が含まれるスイーツなども極力避けるようにしましょう」(笹原さん)

 また、よかれと思ってやっていたことが、効果をもたらさないばかりか、逆効果になっていることもある。
2人は、「1日1万歩は歩きすぎ」と声を揃える。

「健康のためには1日1万歩とすり込まれている人も多いですが、医学的見地からすると高齢者にとっては歩きすぎです。
最新の研究では、1日4000歩であらゆる原因の死亡リスクが下がり始めることがわかっている。
歩けば歩くほど効果は上がるものの、無理に1万歩歩く必要はまったくありません。
むしろ歩きすぎることでひざを痛めたり、水がたまってしまっては本末転倒です」(戸田さん)

 笹原さんは、「1万歩歩くくらいなら足踏み運動をした方がいい」と続ける。
「1万歩歩いていても、姿勢や歩き方が間違っていたら脚の老化は進行するだけ。
それなら、いすに座って足踏みするだけの簡単な運動ですが、上体をしっかり起こすことを意識してやればウオーキング以上の効果があります」

湿布よりも湯船につかって血行をよくして

 痛みが出たからといって、すぐに湿布を使ったり電気治療で緩和させるのも、長い目で見れば意味がないという意見も一致した。
「温湿布と冷湿布、どちらがいいかと聞かれることもありますが、痛みに作用しているのは鎮痛成分でそれはどちらにも入っています。
結局のところ、湿布や電気治療は対症療法にすぎず、痛みを一時的にやわらげるだけです。
だったら湯船につかるなど患部を温めて血行をよくした方がいい。

 温泉も、副交感神経を高めることによるリラックス効果から痛みがやわらいでいるだけで成分が影響しているわけではありません」(戸田さん)

 前述の通り、痛みは体からのサインなので、それを無視して一時的に黙らせるだけでは根本解決には至らないということ。

「もちろん、痛みがあるのはつらいので一時的に緩和させることは必要だと思いますが、決して治療ではないということをわかってほしい。
原因をしっかり見極めたうえで関節をしっかり動かす、ひざを伸ばすなど適切な治療を受けてください」(笹原さん)

 今日の自分の行動が、明日の自分、10年後の自分を作っている。100年歩くための脚を作れるのは毎日の習慣の積み重ね。健脚への一歩を踏み出そう。

※女性セブン2024年5月23日号
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2024年06月05日

「本当はあの時こうしたかった」と後悔しない「やりたいこと100リスト」の書き方を解説

「本当はあの時こうしたかった」と後悔しない「やりたいこと100リスト」の書き方を解説
6/4(火) 婦人公論.jp

中高年がキャリアや健康などの不安に陥りやすくなってしまう「ミッドライフクライシス(中年の危機)」という言葉が、近年話題になっています。
このような中年期特有のモヤモヤ感を「40歳の壁」と表現しているのは、音声メディア「Voicy」のトップパーソナリティとして活躍しながら、ヨガスタジオやスキンケアブランドの代表も務める「ワーママはる」こと尾石晴さん。
今回は、尾石さんが「40歳の壁」を越えて自分らしく生きるための方法をまとめた著書『「40歳の壁」をスルッと越える人生戦略』から、一部ご紹介します。

* * * * * * *
◆人生後半の目的を言語化してみる
本記事では、あなたにとって「お金」「つながり」「健康」を満たす「自分業」を始める前の準備として考えておきたいことをお伝えしていきます。

まず、あなたの人生後半の「目的」を言葉にする練習から始めましょう。

「40歳の壁」を越えた未来すら見えていないのに? そうです。
見えていないからこそ、「どんな風に年を重ねたいのか」を考えるために言葉にするのです。

もちろん、いきなり「あなたの人生の目的は?」「死ぬ前にどんな人生だったら満足?」「*年後にどうなりたい?」「これから何がしたい?」などと問われても、「焦るわ」「正直、人生の目的なんてわからない……」と、戸惑う人が多いと思います。

アラフォーまでの前半「40年間」ですら、環境はどんどん変わるし、自分自身の経験や価値観、考え方も毎年アップデートされてきた。

たとえ今考えられる「目的」を言葉にしたとしても、正直それが「最適解かどうか」なんてわからないですよね。

◆人生の目的は探すものではなく導き出すもの
最近は時代の変化が速いので、「人生の目的なんて決めなくていい。
やりたいことをとにかくやって、それが積み上がれば人生が決まっていく」という考え方も広まっています。
私も、この考え方にはおおむね賛成です。

「人生の目的は何か?」を考えて足が止まってしまうより、とりあえず行動して前に進んでいったほうが何倍も学びがあります。

しかし、どの方向に進んでいくのかは、ある程度決めておく必要があると考えています。

何を「おもしろそう! やりたい!」と思うか。

これがはっきりわかる人は、自分が大事にしているものや価値観、つまり「現在の行動や選択の基準」が明確です。

人生の目的がわからなくても、進むべき方向ははっきりしています。

この「現在の行動や選択の基準」がはっきりしていないから、みんな「人生の目的って? 進むべき方向って?」と悩んでしまうのではないでしょうか。

ちなみに「人生の目的」は探すものではありません。
自分の価値観に基づいて選び取ってきた過去の経験から導き出すものです。

自分の中に「眠っている」ものだったり、すでに「わかっている」ことだったりします。

「**が好きだ」
「**な場所が楽しい」
「**な人が好きだ」
「**を成し遂げたい」
「**なモノに囲まれたい」

これらの**が集まることで、あなたが「幸せと感じる状態」がつくられます。


みんな不幸になるために生きているわけではありません。
この「幸せと感じる状態」にたどり着くために人生を歩んでいます。

つまり、「幸せと感じる状態」を言語化したものが「人生の目的」です。

◆目的地を言語化することでたどり着ける
人は、言葉にできないことは意識することができず、行動に移せません。
ぼんやりと流れていってしまいます。

「どんな人生を送りたいのか」「どんな時間を過ごしたいのか」を言葉にすることは、人生の目的を決めることにつながります。

カーナビに目的地を入れたら、たとえ道を間違えても、遠回りしても、時間をかければいつかはゴールに到達します。

ところが、目的地が決まっていないと迷走しますし、そもそも発進できないこともあります。

しかし、「人生の目的、どこへ向かいたいかなんて聞かれても……」と、はっきり答えられない人もいます。

環境がどんどん変化しているので、未来の展望を描けない人がいるのも当然です。

その場合は、目的地を入れることができなくても「西に行きたいのか、東に行きたいのか」「行きたいのは海側なのか、山側なのか」、それくらいの方向性は決めておく必要があります。

人生の時間は止まることなく進んでいくからです。

なんとなく毎日を過ごし、なんとなく困難を乗り越え、なんとなく楽しみながら、時間が経ってたどり着いた先は「山」だった。

「いやー、本当は海方面が良かったんだよね」では笑えません(いるよ、意外と)。

本当はあのときにこうしたかった」と言いながら余生を過ごす人はたくさんいます。

時間は有限であり、かつ巻き戻すことができません。

だからこそ「目的地=どんな人生を過ごしたいのか」を、方向性だけでもいいから言葉にしておく必要があるのです。

つまり、人生の目的を決めるとは「自分が大事にしたいことを言語化する」、もっと言えば「言語化するための時間をつくる」のが最初の一歩です。

◆言語化するための具体的な方法
では、どうやって人生の目的を言語化していくのか?

「言語化」と聞くと難しそうですが、つまりは「どんな人生だったら満足か」を満たす項目を言葉にしてみるということです。


「やりたいこと100リスト」を書いたことはありますか? 手帳術の一環としてよく使われている手法です。

『人生の100のリスト』ロバート・ハリス著(講談社刊)が出版された2004年あたりから活用されているようです。
私は毎年、年末から翌年の年始にかけて新しい手帳を開き、「やりたいこと100リスト」を書いています。

これを書き始めてから、人生の目的の形が見え始めました。

最初は全然書けません。30個くらいで止まります。それでも毎年書くのです。

・なんでもいいから書く……「ぼーっと過ごしたい」でもOK。
・一気に書かない……急には思いつかないので、のんびり1カ月くらいかけて書く。
・似たことを書いてもOK……運動したい、走りたいなど。

書き始めてから10年くらい経っていますが、年を追うごとに具体的に言語化できるようになりました。

・初年度……「海に行きたい」
・現在……「**島の**ビーチに8月に行きたい」(具体的になっていく!)

この「やりたいこと100リスト」から人生の目的を具体化していく方法として、まずはリストの中でジャンルが似ているものに同じ色のマーカーを引いたり、丸をつけたりして色分けします。

そうすると、「あれ? 仕事系は全然ないけど、行き先系がたくさんあるな」
「家族系が多くて、ほかの人間関係系があんまりないな」といった気づきがあります。

そのうえで、項目数が少ないジャンルで「ほかにもやりたいことはないかな」と考えてみたり、逆に項目数が多いジャンルで「もっと具体化できることはないかな」と考えてみたりします。
すると、頭の中の問いに答える形で、少しずつ言葉になって出てきます。

◆人生のカーナビに目的地をセットする
やりたいこと=人生の目的(かなえたいことに近い)のため、だんだんと自分にとって「幸せと感じる状態」を言葉にできるようになっていくのです。

人生の目的の言語化は、人生のカーナビに目的地をセットするようなものです。

1回や2回では言葉にできないかもしれませんが、回数を重ねるうちに「どの方向へ行きたいのか」は見えてくるようになります。

これができたらシメたもの! あとは時間をかけて「具体的な言葉」に落とし込んでいくだけです。

「やりたいこと100リスト」を毎年書いていると年々具体化していくので、最終的に「人生の目的」に近づくことができるようになります。

※本稿は、『「40歳の壁」をスルッと越える人生戦略』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

尾石晴
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2024年06月06日

孤独死は理想的な死に方である…和田秀樹「ベタベタとした人間関係をさっぱり捨てる」ことの意外な恩恵

孤独死は理想的な死に方である…和田秀樹「ベタベタとした人間関係をさっぱり捨てる」ことの意外な恩恵
2024年06月05日 PRESIDENT Online

孤独に対する不安を解消するには何をすればいいか。
精神科医の和田秀樹さんは「孤独が怖いと感じている人も、いずれ孤独になるときが来るかもしれない。
いまのうちから、1日の中に、誰ともつながっていない時間を意識的につくるなど、孤独な時間を楽しむことに、少しずつ慣れておくといい。
ひとりの時間に親しむうちに、孤独に対する怖れが薄らいでくるはずだ」という――。

※本稿は、和田秀樹『65歳からのひとりを楽しむ「いい加減」おつき合い』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■孤独死はある意味で理想的な死に方とも言える
「孤独になりたくない」という声がよく聞かれる一方で、孤独が好きな人もいます。

ひとりで映画を観たり、本を読んだりするのが好き。
人と関わるのが煩わしくて、ひとりでいるのが一番ほっとする。そんな人は少なくないと感じます。

脳の老化予防という観点では、人と会って話すことは大事なのですが、孤独が好きな人が、無理にでも友達づき合いをしたほうがいいなどとは思いません。
いわゆる「孤独死」はしたくない、と言う人も多いのですが、私は孤独死が悲惨なものだとはまったく思っていません。

一人暮らしで誰にも看取られず亡くなり、死後数日経って発見されるということは、死の直前まで元気だったと推測されます。

いまは要介護認定を受けた高齢者であれば、ほぼ例外なく何らかの福祉サービスにつながっていて、日常的に介護ヘルパーなどの訪問を受けます。
したがって、病気で寝たきりの高齢者などは、孤独死したくてもできません。

そう考えれば孤独死は「ピンピンコロリ」、つまり直前まで比較的元気に生きて最期を迎える、理想的な死に方とも言えるのです。

■孤独に対する怖れが薄らいでくる方法
ただ、「自分は孤独が好きだから、絶対に人とは交わらない」とか、反対に「自分は友達がいないとダメだから、人と交流しなければいけない」などと、決めつけることはしないほうがいいと思います。

誰しも、ひとりが気楽だと思えるときもあれば、ふと人恋しくなることもあります。
ずっとひとりでいる必要もなければ、つねに誰かとベタベタ一緒にいる必要もありません。
寂しいと感じたときに会える相手がいれば、それでいいのではないでしょうか。

孤独が怖いと感じている人も、いずれ孤独になるときが来るかもしれません。
それなら、いまのうちから、孤独な時間を楽しむことに、少しずつ慣れておいてもいいかもしれません。

1日の中に、誰ともつながっていない時間を、意識的につくってみてください。

ひとりで街を歩き、公園でぼんやりしたり、書店に入り浸ったりしてみる。
夜の10時以降はひとりの時間と決めて、自室で好きな映画のDVDや動画を観る。

そんなふうに、ひとりの時間に親しむうちに、孤独に対する怖れが薄らいでくるはずです。

■誰かと濃密につき合っていると、他人が入り込む余地はなくなる
いまの人間関係で、「離れるのが不安」と感じる相手、もしくはグループは存在しますか?

その人、あるいはそのグループから離れたら、自分はひとりになってしまう。
それが不安だから離れられないのだとしたら、少し考えてみてください。

その人(たち)と一緒にいれば、不安がないかといえば、そんなこともないはずです。

相手が離れていってしまったらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。
自分だけ仲間はずれにされたらどうしよう。

結局、いつもそんな不安がつきまとっているのではないでしょうか。
それはとても不自由で、窮屈な状態でもあると思います。

誰かとベタベタとくっついていると、そこに他人が入り込む余地はなくなります。

四六時中くっついているカップルのことを、他人は遠巻きに眺めて、誰もわざわざその間に割り込もうとはしません。
それと同じで、誰かと濃密につき合っていると、ほかの人は入り込めないものを感じて、あえてこちらと関わり合いを持とうとはしてこないものです。

すると、おのずと人間関係は固定されてしまいます。
新しい出会いもなく、自分の世界が広がることもありません。

■孤独という自由が、相手を受け入れるゆとりをつくる
離れるのが不安な相手から離れる。それは、とても勇気のいることです。
それでも、離れれば、そこに必ず新鮮な空気が流れ込んできます。

ベッタリとくっついていたところから離れれば、必然的に隙間(すきま)が生じます。
そこに、何かしらのものが流れ込みます。

それは必ずしもいいものばかりではなく、たとえば寂しさや不安といったものかもしれません。
でもそれは、新鮮な寂しさであり、新鮮な不安であるはずです。

「ひとりになったらどうしよう」。
いままでそんなふうに怖れていた、「ひとりになる」ことを、自分から選び、向き合ってみる。
それによって、初めて感じられるものがあります。

ひとりの時間ができて、誰にも気兼ねせず、好きなことができる。
特定の人に気を遣う必要もない。どんな人間関係も、自分の意志で選べる。
そんな自由や解放感、ワクワクした気持ちを味わえるはずです。

「ひとりになったらどうしよう」という不安は、ひとりになれば消えます。
ひとりになることでもたらされる、心と時間のゆとりが、新たな人との出会いを受け入れる素地になるのです。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
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「誰に何を聞くか」しだいで人生は大きく変わる

「誰に何を聞くか」しだいで人生は大きく変わる
知りたいことがあれば、臆せず聞きに行こう
多田 智裕 : AIメディカルサービスCEO
2024/06/05 東洋経済オンライン

今、世界的に注目されている医療AIスタートアップ「AIメディカルサービス」。
内視鏡AI(人工知能)という技術で世界に挑もうとしている。
創業者の多田智裕氏は、東京大学病院を30代で辞め、埼玉にてクリニック開業後、スタートアップという別世界に身を投じた。
そうした人生の転機にあたり、いろいろな人に話を聞きに行ったことが役に立ったという。
他人に学び、自分の力とするにはどうすればよいのか?
2024年5月に発売した著書『東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話』から抜粋・編集してお届けする。

経験していない人に話を聞いても意味はない
東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話

あまりご存じないかと思いますが、日本には、クリニックを開業しようとする医師のために、たくさんの開業コンサルティング会社が存在しています。
物件選びや資金繰り、看護師やスタッフは何人雇えばいいか、広報はどうしたらいいかなど、わからないこともたくさんありますから、開業コンサル会社にお願いする人も少なくないようです。
しかし、私は使いませんでした。なぜでしょうか。

実はずっと以前から、ファイナンシャルプランナー(FP)に資産運用を相談する人がいると聞くにつけ、私は不思議でなりませんでした。
そのFPが自分の資産運用に大成功した人であるのであれば、そのやり方を聞くのに私にも疑問はありません。
ただ、そんな人はFPとして働くことをとっくに辞めて、投資家になるなり悠々自適に暮らすなりしているはずです。

実際は、相手のファイナンシャルプランナーの運用実績さえ知らないまま、大切なお金についての相談をする人が多いのではないか。私はそれが疑問だったのです。

開業コンサルも同じです。実際にクリニックを開業して成功した人が開業コンサルをやっているのならいいのですが、ほとんどはそうではありません。
開業で成功した経験のある医師が行うコンサル会社もあるにはありますが、数えられるくらいしかありません。

開業コンサルは、普通のビジネスパーソンです。
開業してきた人たちをかたわらでたくさん見てきたかもしれませんが、実際に開業した経験があるわけでは決してありません。実際にすべてやったのと、脇からその一部を見ているのは雲泥の差があります。
コンサートの歌手と観客くらい身につく実力が違うでしょう。

そういう人たちの言いなりになり、アドバイスをもらうだけならまだしも、大切な判断を任せるというのは、私には理解ができませんでした。
場合によっては数百万円にもなる高額の手数料を払って、アドバイスをもらう意味がどうしても見出せませんでした。

すでに成功している先輩に話を聞きに行った
では、私はどうしたのかというと、クリニックの開業に成功している大学の先輩方に会いに行ったのです。

「ちょっと話を聞かせてもらえませんか」とお願いすると、多くの方が快諾してくださり、すぐに会ってくださいました。

もちろん手土産くらいは持っていきますが、それで1〜2時間、いろいろためになる話を無償で聞くことができたのです。
皆さん実際の経験者であり、開業に成功している人たちですから、コンサルよりはるかに学びになったと思います。

当時はまだ東大卒の開業医が少なかったこともあって、「こっちの世界に来るの? ようこそ、おいでよ」という雰囲気でした。
「こっちの世界」と言いましたが、医師にとって勤務医から開業医になるということは、鏡の反対側に行くようなものです。

どういうことかというと、給料をもらう側から払う側になるということです。
ボーナスももらう側ではなく、支払う側になるわけです。

給料を払う側になれば、いろいろなリスクも発生しますし、カバーする業務範囲も増えますし、雇われているときには必要とされなかった税務や会計の知識も学ばねばなりません。

その一方で、大学で雇われている医師にはできない医療ができます。
自分がこだわった医療機器をそろえるのも、最高のスタッフを時間をかけて厳選して採用するのも、思いのままです。

自分のやりたい医療ができる。
先輩方の経験談を聞くにつけ、開業への意欲はますます高まっていきました。

成功者はいつもウェルカム
お願いすると、すぐに会ってもらえたと言いましたが、私は別に強力なコネクションを持っていたわけではありません。
もし勝因があるとしたら、「頼んでも、きっと教えてくれないだろう」と尻込みせず、まず門をたたいてみたことでしょう。

自分が本当に話を聞きたいと思うような人物だったら、門前払いなどせず、きっと門戸を開いてくれるはずだ!
 そう信じて、まずはメールでも電話でもしてみることです。
意外に相手はすんなりと応じてくれるはずです。

のちに起業するときも、このスタンスで通しました。
実際に起業し、数十億の大型資金調達を成し遂げた人に会いに行って、起業のやり方のアドバイスをもらいました。

その中には、それまで会ったこともない方も多くいました。

なぜ面識も何もない人間が、聞きに行って教えてもらえるのでしょうか。
私も、自分から話を聞きたいと言っておいてなんですが、彼らが私と会うメリットがどこにあるんだろうとは思っていました。

しかし、実際に話をしてみて感じたのは、「こんなふうに会ってくれるような人だからこそ、成功しているのだ」ということです。
損得抜きに、同じ業界に入ってくる後進の面倒を見るような人だからこそ、成功をつかんでいるのです。

逆に言えば、人をむげに扱ったりするようでは、成功はおぼつかない、ということなのでしょう。

ですから皆さんも、何か知りたいことがあったなら、恐れず聞きに行くべきです。
礼儀さえ守ればあなたが思う以上に門戸は開かれている

「そうはいっても、自分は、相手に役立つ情報を何も持っていない。
本当にアドバイスを聞くだけの面会になってしまって、失礼ではないだろうか」という人もいるかもしれません。

それでも、「私はこういう現場で、こういうことを実践しています」とか、「僕はこんな研究をしていて、今のところこんな結果が出ています」とか、少なくとも「私はこのようなことをやりたくて、このような計画をしています」ということくらいは話せるでしょう。

私も今、話を聞かれる立場になって思いますが、そういう新しい取り組みの話を聞くだけで、相手は十分なのです。
それで年代の違う人からの視点や、最新情報を得られるだけで十分対等な取引になると思います。

ただし、一度会ったあとは、その後どんな展開や進捗があったかを連絡したり、報告したりしておくのが礼儀です。
聞きっぱなしで、「その後どうしたんだろう?」と思わせるのが一番失礼です。

特に、誰かを紹介してもらったときは、会ってどうだったかももちろん報告してください。
紹介した先との関係もありますから、こちらが思う以上に首尾を気にしているものです。
こうした礼儀さえ守れば、会いに行くことを恐れないことです。
あなたが思う以上に門戸は開かれています。
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2024年06月07日

【危険!】「楽しいことが何もない」と感じたらヤバい…。極限状態に陥る前にやってほしいこと

【危険!】「楽しいことが何もない」と感じたらヤバい…。極限状態に陥る前にやってほしいこと
6/6(木) with online

こんにちは。人生や人間関係を上手くいかせたい共働き女性に向けて本質思考をアドバイスする、リアライフカウンセラーの藤本シゲユキです。

僕がかつて別の仕事をしていたときの友人と最近話す機会があったので、そのころ仲良くしていた経営者の男性が今どうしているのか聞いてみたんですね。

そしたら衝撃の答えが返ってきました。
「あの人、1年ほど前に自殺してん」

「自殺するような人には見えなかったのに、いつも元気で冗談ばかり言ってたあの人が亡くなったのか…」とものすごく複雑な気持ちになり、今年に入ってから一番驚いてしまいました。

そういえば当時彼は、「睡眠薬がないと寝れへんねん」と言ってたのですが、表の顔は明るく振る舞っているけど、その頃から裏ではいろんな悩みや葛藤を抱えていたのかもしれないなと思いました。

「死ぬ勇気があれば」という理不尽な励まし
何が原因で、彼が自死を選んだのかは分かりません。

「男は金と仕事のことで自殺し、女は男と恋愛のことで自殺する」なんて言いますが、詳細は分からないけど、死にたいぐらいつらいことが立て続いて、生きる意味を見いだせなくなってしまったのは間違いないのだろうと思います。

よく、「死ぬ勇気があるんだったら生きる方がましでしょ」と言う人がいますが、自死を選ぶ人は生きていくことに疲れて希望を見いだせないから、勇気云々の話じゃないんですよね。
苦しいし痛い思いをするのを分かって死を選ぶのだから、それ以前の話だということです。

なので、苦しまずに死ぬ方法を探している間は、まだ生きることに多少の執着があるのかもしれません。

「もう死にたい」と言ってる人はなかなか死なないけど、本当に死ぬ人って誰にも言わずにこの世から去るとよく言われています。

自殺しそうな人を止めるのには、生きていることを約束させるのが一番なんだとか。
たとえば、「3日後にまた会いに来るからね。絶対約束だよ」というように。

の中には、「自殺する人の意味が分からない」という人が一定数存在していて、かつての僕もその中の1人でした。

でもそれは、生きることへの希望がある人の意見であって、「何も楽しいことがなく嫌なことしかない」という状況が立て続いたら逃げたくもなるし、逃げられなかったら死にたくなることもあるはずです。

なので、逃げられる状況って実は恵まれているし、それを選択できる自我があるという証拠でもあるんですよね。

勘違いを防ぐために補足させていただきますと、この場合の「逃げる」というのは、劣悪な環境から抜け出すためのルート変更のことであって、都合の悪いことをなかったことにする「逃げ癖」のことではありません。

人が無力感に苛まれるのは、一体どのようなときなのか?
どうやっても逃げられないという状態が続いたとき、人は学習性無力感に陥ります。

学習性無力感というのは、何をやっても無駄だ、無意味だと思うようになって、自ら何も行動を起こさない状態のことです。

サーカスで飼われている象が、その気になれば杭と鎖を破壊して逃げ出せる力があるのにそれをしないのは、この学習性無力感が一つの理由であると言われています。

学習性無力感に陥ってしまったとき、そこに衝動性が加わると自殺を考えてしまうというわけです。

言うまでもありませんが、生きていくことは大変です。
楽しいことばかりじゃないし、ときにはつらいことも苦しいこともあります。

物価や電気代が上がり、以前よりも国全体の治安が悪くなったと感じるのは、きっと僕だけではないはずです。

それでも、できるだけ楽しい毎日を送ることに全振りしていれば、生きていく希望をなくすことはないんですよ。
楽しみがあれば人間は死ねないし、死にたいと思わないのです。

極限状態に陥る前にやっておいた方がいいこと

そして、今からお話することが一番大切なので、どうか忘れないでください。

●「何も楽しいことがない」「何もする気が起きない」という状態が立て続いたとき、自分はかなりよくない状態にいるのだと自覚することを。

●その次に、昔の自分を思い出してください。
楽しく生き生きと過ごしていた頃の自分をまず思い出してみましょう。

●次に、何が原因で何も楽しいと感じなくなっているのか、その理由を突き止めて、離れることができるなら離れることを目標にして動くことです。

その原因を作っているのは、職場かもしれないし、家族や友達の皮をかぶったエネルギーバンパイアかもしれない。

離れる時期を逃してしまったばかりに、そこからどんどん病んでしまい、自死を考えてしまうケースってものすごくよくあるんですよ。

自己肯定感や自信は、自分が原因で下がったりなくなったりするものだと思っている人が多いですが、それは大きな間違いです。

関わっている人や環境のせいで、自己肯定感を下げられてしまい、自信をなくしてしまうのです。

つまり、ずっと劣悪な環境な身を置き、あなたを否定してくる人間と関わっている限り、自己肯定感が上がることはないし、自信を身につけることもできないんですよ。

しかも下げられ奪われてしまうのは、自己肯定感や自信だけではありません。
目に見えて運気も下がります。

そういった理由から、あなたが楽しくないと感じる原因を突き止めることができたら、できることならその対象から離れましょう。

なので、「最近何も楽しいことがないなあ」とぼんやり考えることや、何もやる気が起きないことが立て続いたら、今お話した内容を実践してみてください。

「やる気出ないのに、離れる元気はどこから出るの?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、そのために、今の自分の状態は「よくない・ヤバい」と自覚することが必要なんです。

人間は、自分に対して危機感を持つことができれば、勝手に動いているので、そのためにまずは今の自分の状態を客観視することが大切なんですね。

そのときやらないといけないことは、楽しいことを探すことではありません。

自分の活力や好奇心を奪っている対象から離れることなんです。

もちろん今お話している内容は、自分で自分の機嫌が取れない人が言う「何も楽しいことがない」ではないので、追い詰められすぎた人限定になります。

自分のことを人に話すという大切さ
それから、自分がそのような状態になったときに抜け出すことも必要ですが、周りに「全然楽しいことがない」「何もする気が起きない」と言ってる人がいたら、気にかけてあげた方がいいかもしれません。

話し相手になるとか、それだけでも救われることってありますし、このコラムをご覧いただいているあなた自身もそれは同じです。

自分の話ができるだけで気持ちが楽になることは沢山ありますし、前述した経営者の男性は、もしかすると誰にも相談できなかったのかもしれません。

「何も楽しいことがない」という状態になる前は、死ぬほどつらいという状態が訪れます。

このコラムを読んでくださっているあなたが、そんな状態にならないことを切に願っておりますが、1人で抱え込みすぎてどうしてもつらいときは、思い切って信頼できる誰かに気持ちを打ち明けてみましょう。

「この人になら話してもいい」「この人なら受け入れてくれそう」と思える人であれば、誰だってかまいません。

もしそういう人が周りにいない場合は、無料のカウンセリングサービスを受けてみるとか、匿名でできるチャット相談を利用してみてはいかがでしょうか。

ほかにも、現代ならではの心の拠り所づくりで、ライバーの生配信に参加してみるという手もあります。

「あの人も頑張っているから自分も頑張ろう」と思えるような「推し」ができれば、きっと死にたいと思うことはないはずです。

ちなみに推しにする対象は、現実に存在する人間じゃなく、二次元のキャラクターでもOKです。
むしろ、その方が裏切らないかもしれません。

「しんどい・つらい」という感情は、自分基準であることが重要
「もうちょっとだけ頑張ろう」「世の中捨てたもんじゃない」と少しでも思うことができれば、生きる希望は湧いてきます。

日本人はとくに、自分のストレスや心の状態に鈍感な人が多いので、「つらい」「しんどい」という状態が続いたときに、「すでに自分は無理をしすぎているのかもしれない」と疑ってみてください。

「周りは頑張っているから」とか「これぐらいでへこたれたら笑われる」とか、そんなことはどうだっていいのです。

人それぞれ何にダメージを受けて何にストレスを感じるかはバラバラなので、あなたの「つらい」と「しんどい」は他者基準であってはいけないのです。

これは大事なことなので、絶対に忘れないでください。

そして、これも大事なことですが、楽しいことや楽しみにできることは、元気なうちに沢山作っておきましょう。

うつ病になった人に推奨される行動は、元気なときじゃないとできないことがほとんどだと言われているように、普段から楽しみにできることを作っておかないと、いざとなったときにすがるものがないという状態になりかねません。

それに、楽しいことがあればあるほど、極限状態に追い込まれることを回避できる場合が多いので、抑止効果にもなるんですよね。
なぜなら、楽しいことを守るために、自分を苦しめる環境や人から距離を置こうとするからです。

もうすでに頑張りすぎている人は、これ以上頑張る必要はないし、できるだけ楽しい毎日を送ることに全振りしてみてください。

日本人は、もっと休んでいいし、もっと遊んでいいのです。

このコラムを読んでくださっているあなたが幸せであることを、僕は心より願っております。
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2024年06月08日

「記憶」は想像以上に曖昧…容易に真実と塗り替えられる【科学が証明!ストレス解消法】

「記憶」は想像以上に曖昧…容易に真実と塗り替えられる【科学が証明!ストレス解消法】
6/7(金)  日刊ゲンダイDIGITAL

【科学が証明!ストレス解消法】

「サブリミナル効果」という言葉があります。映像の中に、見ている本人が気づかないような速さで刺激となる映像を見せると、見ている人は無意識にその隠された映像によって影響を受けてしまう効果です。

 こうした効果は、会話の中にも潜んでいることがあります。
次の実験は、実際に私が学生たちを対象に行ったものですが、「言葉のサブリミナル効果」とも呼べる効果を発揮しています。

 学生たちに、とある学園ドラマの映像を見せた後、その映像に出てきた教頭先生役の人について、私は「さっきのバーコード頭の教頭先生が」という具合に、意図的に教頭先生の悪口を言いながら映像を振り返りました。
その後、映像で見た教頭先生の特徴を提出用のプリントに書いてくださいと伝えました。

 すると、半分以上の学生が頭髪の薄さについて書いていました。
ところが、実際の映像の教頭先生の髪の毛はちっとも薄くなかったのです。
言葉の中にもサブリミナル効果のように、虚偽の情報をちりばめることで印象を操作することができてしまう。
記憶というものは、簡単に言葉によって変えられてしまうことが分かると思います。

 また、アメリカの認知心理学者であるエリザベス・ロフタスは、長年、変わってしまう偽りの記憶(虚偽記憶)の生成について研究しています。一例を挙げて説明します。

 まず被験者に、交差点に進入した自動車が別の自動車に接触し、玉突き事故を起こしてしまった映像を見せます。
その後、「車Aは一時停止標識を通り過ぎたとき、どれくらいの速さで走っていましたか?」と質問しました。

 実は、映像には一時停止標識はなかったのですが、意図的に質問内容に入れることで、被験者の反応を調べたのです。
興味深いことに、「一時停止標識は見ましたか」と被験者に尋ねると、なんと半分以上の人が見ているはずがない一時停止標識を「見た」と答えた。
まさに、虚偽記憶を生成したというわけです。

 私たちの記憶は、思っている以上に曖昧です。
かつて、故・志村けんさんが「亡くなった」というウワサが流れたことがありました。
海外でも似たケースがあり、1994年から1999年まで南アフリカ共和国の大統領を務め、2013年に95歳で死去したネルソン・マンデラさんが、「1980年代に獄中死した」という誤った記憶を多くの人が持っていたという事実もあるほどです。
こうした単なる記憶違いではなく、多数の人が共通した虚偽の記憶を持つ現象を「マンデラ効果」と呼ぶのですが、インターネットスラングとしてこの言葉は拡散された背景を持ちます。

 現代は、ネットによってさまざまな情報が飛び込んできます。
しかし中には、意図的に印象を操作するような情報も潜んでいます。「マンデラ効果」は、まさにネットの“良くない”面が表れた現象でしょう。

 記憶は容易に変わりやすく、そして伝播する。
与えられた情報をうのみにせず、自分でいったん整理するなど、立ち止まることを忘れないようにしましょう。

(堀田秀吾/明治大学教授、言語学者)
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『80歳の壁』和田秀樹が提唱する、感情に振り回されないための「確率や数字で考える」習慣

『80歳の壁』和田秀樹が提唱する、感情に振り回されないための「確率や数字で考える」習慣
6/7(金) GOETHE

「感情の動物」と呼ばれる私たち。喜びや楽しみがあるからこそ、人生は豊かになります。
ところが怒りや不安といったネガティブな感情や、自分でも気づかない服従、同調、損失回避といった感情のせいで、どんなに知的な人でも「バカな判断」をすることがあります。
そんな「感情バカ」のメカニズムを解き明かし、バカにならないコツを教えてくれるのが、精神科医・和田秀樹さんの『感情バカ』です。その中でも、私たちがとくに陥りやすい感情をご紹介しましょう

身につけたい「この考え方」
感情に振り回されて間違った判断をしないためには、確率や数字で考える習慣を身に付けることも大切です。

北朝鮮が暴発する確率であれ、原発事故が起こる確率であれ、あるいは発がん性物質を摂取したときにがんになる確率であれ、人々が気になっているものや恐れているものの多くは、その確率を調べてみると、1万分の1であったり、10万分の1であったりというように、意外に低いことがけっこうあります。

たとえば、確率的に10万年に1度起こるようなものだとしたら、10万年も生きる人はいないのですから、起こらないものと見てもいいわけです。
あるいは10万日に1度起こるようなことであっても、閏年を除いて単純計算をすれば、10万日は約274年なので、少なくとも自分が生きているうちにまず起こるものではないと考えることができます。

もちろん、不幸なことに、10万分の1の確率で起こる災いに遭遇することもありますが、無視できる確率のものは無視しないと、生きていることが不安だらけになってしまいます。

逆に心配しなければいけないのは、85歳を過ぎたら半分の人が認知症になるといった、高い確率で起こる悪いことです。

生活保護の問題も同じです。

厚生労働省のデータによると、2016年1月の時点での生活保護の被保護者は約216万人です。
日本の人口がだいたい1億2600万人で、そのうち成人の人口が1億人くらいなので、大人100人のうち2人ぐらいが生活保護を受けている計算になります。

これでも「自分は無関係」と言えるか?

世帯数で見ると、生活保護を受けている世帯は約164万世帯で、日本の総世帯数がだいたい5700万世帯ですから、100世帯あれば3世帯くらいは生活保護を受けているということになります。


要するに、50人に1人(50分の1)、30世帯に1世帯(30分の1)という確率で生活保護を受けている実態があるのですから、全く縁遠い数字ではありません。

人生、明日のことはわからないものです。
高給取りで裕福に暮らしていたとしても、明日には会社が倒産してしまうかもしれませんし、リストラに遭うかもしれません。
急な病気で仕事ができなくなるかもしれません。

たとえばうつ病の生涯有病率は、女性の場合は4人に1人、男性の場合は6人に1人と言われています。
大きな災害に巻き込まれて財産をすべて失うことだって、あるかもしれません。

この確率を知りながら、「自分とは関係ない」と言い切れる人は、よほど想像力が欠けていると言えるでしょう。

感情論で「“働かざる者、食うべからず”(これももともとは、レーニンが働かないで贅沢をしている富裕層に対して使った言葉なのですが)だ。
生活保護のシステムなんかやめてしまえ!」と言うのは簡単です。

しかし、自分が生活保護を受けなければならなくなる確率を考えると、弱者を救済するための非常にありがたいセーフティネットであることは、すぐわかるはずです。

こういう例を見てもわかるように、確率論で考えることは、感情に振り回された判断を避ける良い方法だと言えるわけです。


TEXT=和田秀樹
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2024年06月09日

人と揉めたとき「悪化させる人」「丸く収める人」の決定的な違い

人と揉めたとき「悪化させる人」「丸く収める人」の決定的な違い
6/8(土) ダイヤモンド・オンライン

 『おじいちゃんが教えてくれた 人として大切なこと』という一冊の本が刊行される。
手の付けられない乱暴な子に育った著者が、思春期の頃、おじいちゃんに教わった「人生の教訓」について書いたものである。そして実は、タイトルにある「おじいちゃん」とは、かの有名な「ガンジー」のことなのだ。
12歳だった孫の人生を変えたガンジーの教えとは?
世界中の人々が「自分」と向き合うきっかけとなった本書の邦訳を記念して、その一部を特別に公開する。

● もともとガンジーも怒りっぽかった
 そもそもバプジ(「祖父」の意味)は、怒りの正しい使い方をどこで学んだのだろうか。
私は本人に直接尋ねてみることにした。

・「バプジ、一つ聞いてもいいですか?」
◎「もちろんだよ」
・「バプジはどうやって怒りの正しい使い方を習ったの?
怒りが役に立つことや、怒りに力があることを最初に知ったのはいつ?」

 バプジは糸車を回す手を止めると、声を上げて笑った。
◎「おまえのお祖母さんから教わったんだよ」
・「そうなの? どうやって? いったい何があったの?」

◎「私はほんの子どものうちに結婚したから、妻をどう扱っていいのかまったくわかっていなかった。
だから学校が終わると図書館へ行って、結婚生活についての本を読んで勉強したんだ。
ある日、おまえのお祖母さんと喧嘩になったとき、私が大声で怒鳴ると、お祖母さんは静かな声で冷静に答えた。
それで私は何も言えなくなってしまった。

 後になって、この出来事について考えてみた。たいていの人は、怒ると冷静に考えられなくなり、バカなことをしてしまう。でもおまえのお祖母さんは、そんな状況を丸く収める天才なんだ。

 もしお祖母さんも怒鳴り返していたら、そのまま大喧嘩に発展してしまっただろう。そこからとんでもない結果になっていたかもしれない。
そのことについて考えれば考えるほど、すべての人が怒りを正しく活用しなければならないと確信するようになったんだよ」

● 怒りに、怒りで応えてはいけない
 私の祖母は、私がインドに来る少し前に亡くなっていた。
バプジと一緒に市民的不服従の罪で逮捕、投獄され、牢獄の中で息を引き取った。
バプジはとても悲しみ、追悼の祈りを毎月行っていた。

 バプジの話を聞いて、怒っている人に冷静に対応することの大切さを理解することができた。

 たいていの人は、怒りには怒りで応えてしまう。
怒鳴られたら怒鳴り返し、双方の怒りのレベルがどんどん高くなる。
しかし反対に、自分を傷つける人、自分を怒らせる人に優しく対応すれば、状況を一変させることができるのだ。

 (本記事は、『おじいちゃんが教えてくれた 人として大切なこと』(アルン・ガンジー著、桜田直美訳)の一部を抜粋・編集したものです)
アルン・ガンジー


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2024年06月10日

後悔したくないとき、正しい判断をしたいとき、自分に問いかける「黄金の質問」

後悔したくないとき、正しい判断をしたいとき、自分に問いかける「黄金の質問」
6/8(土) ライフハッカー・ジャパン

あなたは本気で仕事を辞めたいと思っていました。
何ヵ月もかけて慎重に計画を立て、副業を本格的なビジネスにする方法を見つけ出し、それを実行する勇気を築き上げました。
そして、辞表を出しました。

すぐに上司は大幅な昇給を約束してあなたを引き留めようとします。
魅力的な提案に心が揺れます。

気が変わりはじめます。

どうしたらいいのでしょうか。

数年前、私はこのような困難な状況で自分の感情をコントロールして、より良い決定を下すのに役立つ実践的な方法を学びました。
それを実践するには、私が「黄金の質問」と呼んでいる質問を自分に問いかける必要があります。

黄金の質問とは?
黄金の問いかけは、実は5つの質問が1つになったものです。具体的な例をあげてご説明します。

感情が高ぶった状況で決定を下さなければならないときは、自分自身に次のように問いかけてみましょう。

「私はこのことについてどう感じるだろうか?」

この質問が役立つ理由は、脳が感情を処理する方法と大いに関係があります。

より高次の実行機能(計画し、組織し、自制する能力など)に関しては、通常、脳の最も大きな部分である前頭葉が働きます。
しかし、感情的な脅威を感じると、扁桃体と呼ばれる脳の別の部分が脳を「ハイジャック」し、しばしば「戦うか逃げるかすくむか反応」を引き起こします。

感情のハイジャックは、ある種の状況では有効です。
しかし、それが原因で後悔するようなことを言ってしまうこともあります。

ここで、黄金の質問の出番です。

この決断が自分の将来にどのような影響を与えるのか自分に強制的に考えさせることで、扁桃体を使うことから前頭葉を使うように切り替えます。

つまり、ハイジャックを「ハック」するのです。

例えば、冒頭のシナリオに戻ってみましょう。

上司の申し出に承諾する前に、自問します。

「1日たったらどんな気分になっているだろう?」
かなり気分がいいな。自分の仕事が評価されているとわかって嬉しい。

「..1週間後は?」
悪くない。そろそろ昇給分をどう使うか計画しよう。

「...1ヵ月後は?」
うーん。給料が上がるのはいいことだけど、それだけの価値があるかどうかわからないな。

「...1年後は?」
うう。この仕事は大嫌いだ。

「...5年後は?」
あのビジネスをはじめなかったなんて信じられない。
もしはじめていたら、今頃どうなっていただろう?

もちろん、この黄金の質問の効果は、仕事上のことだけではありません。

たとえば、あなたがパートナーと幸せな関係を築いているとしましょう。
誰でもそうですが、2人にもいろいろなことがあります。
しかし、乗り越えられなかったことはありません。

しかし、今日は2人にとって最悪の日です。
パートナーが辛辣なことを言い、あなたは相手を傷つけるような言葉を返したくなります。

でも、そうする前に、自分に問いかけます。

「1日経ったら自分はどう感じるだろう?」
気分は悪いけど、彼女だって自業自得だ。

「1週間後は?」
わぁー。これは、今までで一番長い喧嘩だ。

「...1ヵ月後は?」
あんなこと言わなければ良かった。

「...1年後は?」
2人が別れることになるなんて信じられない。

「...5年後は?」
あの日に戻れたらどんなにいいか。

もちろん、誰でも間違いを犯します。
そして、過去にこだわるべきではありません。


しかし、黄金の質問が特別なのは、未来を垣間見ることができるからです。おかげで今、「2度目の」チャンスを手に入れることができます。

ですから、次に感情的な状況で決断を迫られた時には、この問いを使って感情を管理してより良い判断を下し、後悔の少ない人生を送りましょう。

──2021/10/07公開記事を再編集して再掲しています。
Originally published by Inc. [原文]

Copyright c 2021 Mansueto Ventures LLC.

春野ユリ
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2024年06月11日

セールスを断る時、絶対に言ってはいけないNGワードとは?

セールスを断る時、絶対に言ってはいけないNGワードとは?
川添 愛:言語学者、作家
2024.6.7 ダイヤモンドオンライン

ささいな言葉の行き違いで、SNS上ではしばしばトラブルが発生しているし、リアルでの対人コミュニケーションでも簡単に誤解が起きるもの。
言語学者の筆者によれば、人と人との間で飛び交う言葉には、本来、複数の解釈があるのが当たり前なのだとか。
ふだんの言葉遣いで気をつけるべき点を解説してもらった。
※本稿は、川添 愛『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)の一部を抜粋・編集したものです。

混乱必至の「止められますか」
受け身、尊敬、可能、自発のどれ?

「意図している語義とは違う方」に取られるとやっかいな助動詞の代表格は、「(ら)れる」でしょう。
たいていの辞書には、「(ら)れる」の語義として(1)受け身、(2)尊敬、(3)可能、(4)自発という、四つの意味が列挙されています。

 社会言語学者の井上史雄さんは、エッセイの中で次のようなエピソードを挙げています。

(前略)ある会社の部長が部下を乗せて車を運転していたところ、駐車場を見付けた部下が「部長、あそこに止められますか?」といいました。すると部長は「私の運転技術を疑うのか!」と怒ってしまった。
部下にしてみれば「お止めになりますか?」という尊敬の意味でいったのに、部長には「止めることができるか?」に聞こえてしまったんです。(強調筆者)

このエピソードの誤解の原因は、話し手が「尊敬」の意味で「(ら)れる」を使ったのに、聞き手は「可能」の意味に取ってしまったことにあります。
「(ら)れる」に多くの意味があることを考えると、こういう取り違えが起こるのも仕方がないような気がします。
この言葉の曖昧さを実感するため、次の例題を考えてみてください。

例題:次の各文の「(ら)れる」は、複数の解釈が可能です。
(1)受け身、(2)尊敬、(3)可能、(4)自発の四つから、少なくとも二つずつ選んでみてください。

〈1〉山田先生は道行く人に駅の場所を尋ねられた。
〈2〉犯人がこの中にいると思われる。
〈3〉山田先生は初日の出を見られた。

〈1〉は、「受け身」と「尊敬」の解釈が可能です。
受け身の場合は「道行く人が山田先生に駅の場所を尋ねた」と同じ意味になり、尊敬の場合は「山田先生は道行く人に駅の場所をお尋ねになった」と言い換えることができます。
また、人によっては取りづらいかもしれませんが、「可能」の解釈もあります。その場合は、「山田先生は道行く人に駅の場所を尋ねることができた」と言い換えられます(↑ちなみに、この「られます」も「可能」の「られる」です)。

〈2〉は、「受け身」と「自発」の解釈が可能です。受け身の場合は「犯人がこの中にいると(誰かに)疑われてしまう」、自発の場合は「犯人がこの中にいると思うのが自然である」という意味になります。


〈3〉は「尊敬」と「可能」の解釈ができます。尊敬の場合は「山田先生は初日の出をご覧になった」、可能の場合は「山田先生は初日の出を見ることができた」と言い換えることができます。

 以上のように、可能の「(ら)れる」は「〜することができる」、尊敬の「(ら)れる」は「お〜になる」などの尊敬表現に言い換えれば曖昧さが消えます。

 ちなみに「(ら)れる」が「られる」という形で出てくるのは、「見る」のような上一段活用の動詞、「止める」のような下一段活用の動詞、「来る」のようなカ行変格活用の動詞に付くときです。
これに対し、「行く」のような五段活用の動詞、「する」のようなサ行変格活用の動詞に付くときは「れる」になります。
ただし、可能の「(ら)れる」については、「来られる」を「来れる」、「見られる」を「見れる」などと言う場合があります。これがいわゆる「ら抜き言葉」です。


 ら抜き言葉は「言葉の乱れ」と言って嫌がる人もいるので、どういった場面で使うかは気をつけた方がよいでしょう。しかし、ら抜き言葉を使うことで、可能の意味がはっきりし、「られる」の曖昧さが軽減する効果があることは事実です。

 余談ですが、井上史雄さんは著書『日本語ウォッチング』(岩波新書)の中で、「筆者はラ抜きことばを使っていないつもりだった。(中略)ところが、同僚が研究データとして録画した自分の講義のビデオテープをあとで見たら、なんと自分でも使っていた。
(中略)「見れる」とはっきり言っていて、すっかり自信をなくした」と書いておられました。
専門家にとっても、「使わないようにする」のは難しいようです。ちなみに、私も日常では「ら抜き」をよく使っています。


「大丈夫です」は大丈夫ではない?
承諾なのか、断っているのか

 私たちの日常には、物事を遠回しに言う「婉曲的な言い方」がたくさんあります。
しかしそれだけに、すれ違いも多いようです。次の会話例をご覧ください。

佐藤さん: 鈴木さん、なんか悩みがあるんだって? 私で良かったら、話聞くよ。
こっちは明日の七時以降だったら空いてるけど、どう?

鈴木さん: (どうしよう。佐藤さんには相談したくないなあ。よし、断ろう)あ、大丈夫です。

佐藤さん:じゃあ、待ち合わせは駅前でいい?

鈴木さん:あの、大丈夫です。

佐藤さん:じゃ、明日7時に駅前で。

鈴木さん:(断ってるのに、なんで通じないんだろう……)

 皆さんにも、こういった「断ったつもりなのに通じない」という経験はないでしょうか。
日本語の「大丈夫」には「それでOKです」という肯定の意味の他に、「そんなことをしてもらう必要はありません」と断りを入れる意味もあります。
「大丈夫」はこういった正反対の意味を持つため、日本語を外国語として勉強している人々にとっては難しい表現だと言われています。

  私も以前、セルフサービスのカフェで食器を下げるときに、食器を返却する場所が分からず迷ったことがありました。「たぶん、すぐそこのカウンターに返却すればいいんだろうな」と思ったのですが、いまいち自信がありません。
そこで店員さんに「食器はそこに返却すればいいですか?」と尋ねたところ、「あ、大丈夫ですよ〜」という返事が返ってきました。
私は、これが「そこに返却してもらってOKです」という意味なのか、「私たちが運びますので、お客様に返却していただかなくても結構です」という意味なのか、分かりませんでした。

 ちなみにたった今、私は説明の中で「OKです」と「結構です」という言葉を使いましたが、これらも実は曖昧です。以前、雑誌に載せる文章の校正をしているときに、編集者から「ここの数字の.表記を、漢数字から洋数字に変えますか?」という問い合わせがありました。私は「変えていいです」という意味で「OKです」と言ったのですが、相手は私が「そのままでOKです」、つまり「変える必要はない」と言ったと解釈しました。

書影『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)
『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)
川添 愛 著

 最近は、「大丈夫です」や「OKです」を単独で使うのはやめて、「ご提案のとおりでOKです」とか「お気遣いいただかなくても大丈夫です」などと言うようにしています。
このように、より具体的な言葉と一緒に使えば曖昧さが消えます。
また、こうすることで、「大丈夫です」「OKです」といったやんわりした言葉の真価が発揮されるような気がします。
というのも、「ご提案のとおりにしてください」とか「お気遣いは要りません」などのように命令文や否定文の形で言い切ってしまうよりも、「OKです」「大丈夫です」などを付けた方が印象が柔らかくなるからです。

「結構です」にも、「それで良いです」という意味と、「要りません」という意味があります。
こういった曖昧さが、電話を使った詐欺の手口にも使われることもあります。
たとえば、電話口のセールスで「これこれこういう商品がありますが、いかがですか?」と質問されたときに「結構です」と断ると、「承諾した」とみなされ、勝手に商品や契約書が送り付けられることがあるそうです。
こういうときは、「要りません」とはっきり否定の形で言いきるのが有効でしょう.
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クレカの引き落とし「15万円」大後悔…なんとなくの使い過ぎが危険!節約主婦がしていること

クレカの引き落とし「15万円」大後悔…なんとなくの使い過ぎが危険!節約主婦がしていること
mamari2024.6.9 mamari

どんどんクレジットカードやキャッシュレス決済が増えて、便利でポイントが貯まってお得な支払いが選べるようになりました。
通信販売サイトで購入する時もクレジットカード払いならスピーディーで、ポイントも貯めて買い物ができます。
手元にお金がない時も使える便利なクレジットカードですが、便利すぎたゆえに使いすぎてわたしはクレジットカードでよく後悔をするようになりました。
この記事ではインスタグラムで節約や家計などの情報発信をしているあめこ(@ame.320)がクレジットカードの利用回数などを減らして管理するポイントをご紹介します。

主婦のわたしがクレジットカードで失敗したこと
この月、クレジットカードで失敗したことは2か月連続で15万円も使ってしまったこと。
手元や通帳にお金がなくても使えるクレジットカードは簡単で便利です。
使いすぎた結果、毎月支払いで貯金ができなくなり大赤字になりました。

このままでは家計が破産してしまうと気づき、クレジットカードを管理することができないのでなるべく使わないようにしました。

しかし、便利なクレジットカードを止めるのはなかなか大変です。
わたしのようにクレジットカードで後悔しないために、自分で管理する方法を次にご紹介します。

自分でクレジットカードを管理する方法

使っていないクレジットカードは解約してしまうのも1つの方法です。
しかし、クレジットカード払いが増えている便利な世の中で、減らすことは難しいかもしれません。
私の場合は、クレジットカードを減らす以外の2つの方法が効果的でした。

•クレジットカード使用の記録をして把握する
•クレジットカード使用した分お金をよせておく

さらにわたしなりの工夫があるので次に解説していきます。

クレジットカード使用の記録をして把握する
クレジットカード記録をして把握ame.320

まずは、クレジットカードのひと月分を紙にまとめて把握します。
わたしが行った方法は、紙に日にち、使用用途、金額、合計金額を書くことです。

さらにその書いた紙を家族が見えるところ、わが家では冷蔵庫に貼ってみんなに見えるようにしました。
明細を家族に見られているので変なものが買えず、無駄遣いができません。

どうしても無駄遣いがやめられなかったわたしはカードの明細を書いて貼りだすことにより、無駄遣いを激減させることに成功しています。

クレジットカード使用した分お金を寄せておく

次にクレジットカードで使ったお金はわかるところに寄せておきましょう。
わたしはポーチや封筒に寄せています。

お金を寄せることによって、残金が減るので、買い物しすぎを防げます。


残金がない場合は、クレジットカードも使ってはいけないなどのルールを決めています。
その寄せておいたお金はクレジットカードの支払いに使います。

物理的にお金の動きをわかるようにすることで、クレジットカードの支払いによる家計の赤字を減らすことができました。

クレジットカードの使用を減らして節約に

わたしはクレジットカードによる無駄遣いを減らしている最中です。
現在、クレジットカードの無駄遣いを減らすだけで月に2万円の節約につながり、メリットを感じています。

自分でも驚いており、もっと早くに気づけば良かったなと反省しています。
クレジットカードの明細を貼り出すことにより、見られているから無駄遣いできないと気を引きしめています。

少しでも浮いたお金を貯金に回せるようにがんばります。
一緒に無駄遣いを減らして、暮らしを豊かにしていきましょう。
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2024年06月12日

専門家が「専門外」についても語る社会は健全か

専門家が「専門外」についても語る社会は健全か
「数値を出さなきゃ意味がない」が逃す利得
舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師
2024/06/11 東洋経済オンライン

コロナ禍を経てより多くの人々が、社会で流布される主張に数値や根拠(エビデンス)があるのか、関心を払うようになっている。
こうしたエビデンス重視の傾向が強まると、数値やエビデンスがなければ説得力を欠く主張だと切り捨てられるようになり、また特定の分野で専門家とされる人であっても、非専門分野のことには言及できないようになっていく。

しかし、エビデンスのない主張、あるいは非専門家の意見はまったく価値がないのだろうか。
本記事では、『Z世代化する社会』を上梓した経営学者の舟津昌平氏が、「非」専門分野に対して専門家が言及する意義を、専門「知」という概念を交えて解説する。

「あなたの専門は何ですか」に対する答え
世の中にはさまざまな専門家であふれている。
テレビをつければ、経済や政治について見解を述べる学者たちが目に入るだろうし、SNSを眺めれば、○○コンサルなどの肩書で情報を発信する人たちを簡単に見つけることができる。

Z世代化する社会: お客様になっていく若者たち

しかし、「専門とは何か」を深く考えると、そう簡単には規定できないことがわかってくる。
かくいう私は「経営学者」である。
専門家と呼ばれる同僚たちに対して、「あなたは何の研究をしているんですか」とか「あなたの専門は何ですか」と聞いたとき、答え方は一様ではない。

パターンとしては、知識創造理論やSCPパラダイムなどの「理論」、イノベーションやリーダーシップなどの「現象」、統計分析や実験などの「方法」の3つのどれかで答える人が多い。

ただ経営学の中でも、たとえばイノベーションマネジメント論は「理論」に位置づけられることが多い。
しかしイノベーション自体はどう考えても「現象」である。
つまり、上に挙げた3つのうちどれか1つで必ず専門性を説明できるわけではなく、専門性を理解するための一部分にすぎないものであろう。

そして、拙著『Z世代化する社会』も、専門性の不確かさによって書店員さんに混乱を与えているようだ。
本書は、本屋さんによって置かれる場所がかなり異なっている。
たとえば現代社会論とか、若者論、人材マネジメントといった本棚。とある本屋さんでは「日本論」にジャンル分けされていた。
読み手によっては、面白かったけど何のジャンルなのかわからなかった、と思われるかもしれない。

そして、本書が混乱を与えているのは人間だけではないようで、進歩が著しいAIもその被害者らしい。
Amazon.comではAIによって「心理学の参考図書・白書」や「総務・人事・労務管理の参考図書・白書」にカテゴライズされている。まあ、まだわからなくはない。

驚いたのは「妊娠・出産ガイドブック・マニュアル」に分類されていることだった。
本書はもちろん妊娠や出産に関係のない本だ。何らかの情報を基に、AIが「誤読」しているわけである。

何の話をしているかというと、ジャンルというのはなかなかに難しい概念で、だから「専門家」のジャンル分けも難しいのだ。
加えて現代は、専門性がますます細分化している。
拙著に対しては「経営学者が書いた本には読めないね」というフィードバックもいただいた(中身は面白かったらしい)。
非専門家が書いているエビデンスのない本だ、という非難を浴びる条件は、正直揃っている。

専門家が出す「エビデンス」の背景
ここで、私が最近調査している「AI創薬」について紹介したい。
AI創薬とは、AIの技術を創薬に生かす取り組みだ。
ある講演を聞いた際に、登壇者の方に「正直なところ、AIと創薬それぞれの専門性について、ひとりの先生はどれくらい理解されているのですか」と質問したことがあった。

つまり、講演の題材の論文にはAIの知識と創薬の知識が両方含まれているはずで、それらをすべて理解されているのですかと尋ねたのだ。
どちらも非常に高度な専門性が求められるし、分野がかなり異なっている。ひとりが両方修めるのは並大抵ではない。

すると、「率直に言うと、理解できていない部分はあります」と答えられた。
「高度化しすぎていて、両方の専門性を完璧に会得するのは無理じゃないかな」とも。
理解できない部分については、AIの専門家と創薬(なお、創薬もバイオや低分子といった小分類が存在する)の専門家が緊密に議論し、互いに補い合いながら論文を執筆されるとのことだった。

互いに理解できない部分が存在しながらも1本の論文として発表できるのは、個々が高度な専門性を有するからこそである。
しかし専門性が高まりすぎると、共著者同士ですら何をしているのか理解できなくなるという現象さえ起こりうるのだ。

こうした背景をふまえると、「専門家に聞けばわかるだろう、論文出してるし」と、そんなに簡単には言えなくなってくる。「AIのとこは自信がありますけど、創薬のほうは正直わかってなくて……」という「専門家」が、創薬に関する「エビデンス」を創出している、とも言えるからだ。

うなぎ屋はうなぎしか出すべきでないのか
ここで一つ「うなぎ屋問題」というクエスチョンを提起したい。
将棋が好きな方ならご存じであろう「藤井システム」で知られる、棋士・藤井猛さんの発言から着想を得たものだ。
藤井さんは振り飛車(四間飛車)という戦法を最も得意とし、「こっちは、うなぎしか出さないうなぎ屋だ。ファミレスのうなぎに負けるわけにはいかない」という有名なフレーズを残している。

つまり、さまざまな戦法やスタイルがあるなかで、藤井さんは一つの戦法に専念している。
自分はうなぎ屋(振り飛車党)なので、うなぎ(振り飛車)しか出さないし、うなぎ屋以外(振り飛車党でない人)が出すうなぎ(振り飛車)には負けたくない、という考え方である。

この話は専門家にもあてはまる。
たとえば、私がイノベーションの専門家だとしたら、イノベーション「だけ」論じるべきなのか。そして他分野の人がイノベーション研究を発表した場合、どうリアクションすべきなのか。
専門家は、いかに専門性を限定する(しない)べきか。これがうなぎ屋問題である。

この問いについて、ヒントとなる論文がある。
経営学のトップ専門誌である『Academy of Management Annals』にて今年発表された論文で、タイトルは「経営学研究における専門知」(主題を筆者が邦訳)。

つまり、「エキスパート」や「プロフェッショナル」と称される専門「家」ではなく、“expertise”、つまり専門「知」に着目しているのだ。
専門知とは専門家から生み出された知識であり、専門性のない素人でも活用できると一般的には考えられている。

「風呂に水をためる専門家」はどこにいる?
一つ例を示してみたい。
「災害時にお風呂に水をためる」という慣習を耳にしたことがあるだろうか。
日本ではかなり浸透度のある慣習だ。
これに対して「災害の専門家」がSNS上でそれはやめましょうと発信し、炎上とまではいかなくとも、大きな注目を集めた。その際に、専門家のポストと同じくらいバズっていたのが、「専門家の意見を聞きたい。誰か、風呂に水をためる専門家を呼んできてほしい」というポストだった。

それ、誰やねん、という話である。
ただ、発信者にとってみればおそらく専門家自体が誰であるかはどうでもよくて、論文やデータ、つまり専門知さえ提供されればよいのだろう。
自身が専門家になるのは難しくても、専門知を得れば専門家のように物事を考えられるし、現実に活用可能である、と思われているようなのだ。

これは非常に現代的なテーマであり、「ポスト・トゥルース」や「もう一つの事実」、そして科学的否認主義といった議論に関連している。
「真実」「事実」がますます相対化されるのと軌を一にして、自説の補強のために専門知を得ようとする。
そして専門知が主にネットを介して自由にやり取りされるため、だれもが専門家のように振る舞えるようになってもいるのだ。

とはいえ、専門的トレーニングを受けていない人が専門知を役立てることは簡単なことではない。
たとえば「上司がこうすれば何%の部下がどうなる」という専門知を得たとする。
しかし、それは限定的で微々たる効果しか持たない可能性が高い。

また、現実として専門知は「上司は部下に対してこう接するべき」など極端な規範として単純化され、原典の論文が読まれることはほとんどない。
SNSの140字すら読めない人に、10ページ以上の文章を読みこなせと言うのは酷であろう。

なおそれは、多少言葉は悪いかもしれないが、論文を読む程度の力がない人でもエビデンスに興味を持ち、「自分は簡単に騙されない」という態度を取るようになったとも言える。
とりわけコロナ禍が契機となって、人々はより自分で考えようとしている。その変化は無視してはいけないし、そのエネルギーを良い方向にむけられるよう専門家も助力すべきであろう。

専門家はエビデンスの自販機なのか
以上を踏まえたうえで、うなぎ屋問題に戻ろう。
専門家は専門のことしか語るべきでないのか。
結論を述べると、私はそうではないと考えている。
専門家が果たすべき役割は、自身が研究する(狭い)領域の中で、一般の人たちにとって役立つ知識を、数値やエビデンスをもって裏付けること「だけ」ではないはずだ。

そう言える理由はいくつかある。まず、「特定の専門家による専門知の伝達」という流れのみを支持してしまうと、ますます専門の狭隘化が進むからだ。
風呂に水をためる専門家とか、「どこに存在するかわからないけど、それには詳しいだろう人」しか頼るべきでないという流れは、きわめて危なっかしい。

研究者の世界は、そんな超特殊な専門性を形成するようには本来できていない。
反面、それがウケることを察知して、メディアに向けて専門性を「詐称」する人も生まれるだろう。
なお、私は別にZ世代の専門家ではないと、この場を借りて断っておく。

また、専門知が求められる社会課題は往々にして複合領域であり、単一の専門知だけで解決不可能である、ということにも注意すべきだ。
風呂に水をためる問題を本気で考えるなら、誰に問うべきか。災害の専門家か。災害の専門家とは、どこで何をしている人々か。

私は、土木工学などを思い浮かべた。
実際、土木工学者の方が防災を研究しているのを知っていたからだ。という話を建築士の方にしたところ、風呂の話なら土木って感じではないですね、建築学のほうが近いのでは?と意見をもらった。
「ちなみに水をためると波を起こして振動を吸収できるので、私は意味あると思いますよ」とも仰っていた。

元々の発信者は災害時にためた水でトイレを流すことの危険を訴えていたようなので、そうなると大学の先生よりメーカーの技術者のほうが専門家としては詳しいかもしれない。
ただそういう方々は業務上論文を書かないこともあり、「専門家の論文がほしい!」と素人が叫んでも、そんなもの世の中に存在しない可能性すらある。

コロナ禍にせよ、解決がめざされる困難な社会課題は、たとえば医学者、疫学者、医療者、経済学者、公共政策学者など、それぞれのプロが集まって、慎重な合議のうえで意思決定する必要があったはずだった。
専門知は集合知なのだ。ただ一般的には、どこかに存在するたった1人の専門家のたった1本の論文が日常のお悩みに答えを与えてくれる、それが専門家の使い方だ、と思われつつある。
はっきり言って、危険な誤解である。


研究者の能力を世の中に還元するために

そもそも研究者が有する能力には、特別な観察力、分析力、表現力が含まれる。論文やエビデンスの産出のために思考し、少なくとも一般人よりは精緻に仮説や主張を打ち出すことができるだけのトレーニングを、研究者は日々行っている。そういった意味で研究者は「知」の専門家なのであり、分野をとやかく区切るのみならず広いスコープをもってよい。研究者は素人に専門知を供出してくれる「専門知の自販機」なのでなく、知そのものの専門家だとして、社会でもリスペクトされるようになってほしいと願う。

これは別に研究者の言うことなら正しいと思えということではなく、専門が狭くなりすぎた研究者が少しでも世の中で役立つ機会を増やせるように、という思いからの提案でもある。
ファミレスのうなぎが駄目だと言うよりも、旨いうなぎ屋は中華料理を作らせても美味しいんだよ、と言えるほうがはるかに建設的ではないだろうか。


舟津 昌平 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師
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2024年06月13日

【人生に響くガンジーの教え】今すぐやめるべき「究極の無駄づかい」とは?

【人生に響くガンジーの教え】今すぐやめるべき「究極の無駄づかい」とは?
6/12(水) ダイヤモンド・オンライン

 『おじいちゃんが教えてくれた 人として大切なこと』という一冊の本が刊行される。
手の付けられない乱暴な子に育った著者が、思春期の頃、おじいちゃんに教わった「人生の教訓」について書いたものである。
そして実は、タイトルにある「おじいちゃん」とは、かの有名な「ガンジー」のことなのだ。
12歳だった孫の人生を変えたガンジーの教えとは? 世界中の人々が「自分」と向き合うきっかけとなった本書の邦訳を記念して、その一部を特別に公開する。

●ガンジーが捨てた「役人からの手紙」

 バプジ(「祖父」の意味)はどんなものでも粗末にしなかった。
とはいえ、そんなバプジから見ても、「価値のないもの」は存在する。

 バプジのところには、毎日のようにたくさんの手紙が届いていた。
その手紙がいっぱい詰まった袋を受け取り、それぞれ封を切るのも私の仕事の一つだった。
それは重要な任務だった。
封筒をきれいにはがして解体し、裏返してまた封筒を作るのだ。
そうすれば、紙を無駄にすることなく、返事を書くことができる。
当時はまだリサイクルという発想はなかったけれど、バプジが私に与えた仕事は、まさにリサイクルそのものだった。

 当時、バプジはインド独立運動の中心にいた。
独立には、いろいろと厄介な問題もつきまとう。
一九三一年、インドの未来を話し合う円卓会議に出席したとき、バプジはイギリスの役人から分厚い封筒を受け取った。

 その夜、バプジは封筒を開けて中の手紙を読んだ。
手紙の内容は、誤解や中傷ばかりだった。
しかも紙いっぱいにぎっしり書かれているので、返事を書くのに使えそうな余白もない。
そこでバプジは、分厚い手紙をすべて捨ててしまった。

 翌朝、バプジはあの役人に会うと、手紙の感想を尋ねられた。
「あの手紙の中で、もっとも大切なものを二つだけとっておきました」とバプジは答えた。
「封筒と、便せんをとめていたクリップです。あとは全部ゴミなので捨ててしまいましたよ」

●「本当に大切なこと」だけに心を向けなさい

 私たちはみなこの話を聞いて笑ったが、ここには深い真実も隠されている。
バプジは、「精神の無駄づかい」も嫌っていた。
本当に大切なことを考えず、どうでもいいことに思考を使ってしまうのが「精神の無駄づかい」だ
バプジには、くだらない誹謗中傷に付き合っている時間などなかったのだ。

 自分がいつまで生きるかは誰にもわからない。
バプジにはそれがよくわかっていたので、時間を一秒たりとも無駄にしなかった。
究極の無駄づかい、もっとも破壊的な無駄づかいとは、自分の時間を浪費することだろう。

 (本記事は、『おじいちゃんが教えてくれた 人として大切なこと』(アルン・ガンジー著、桜田直美訳)の一部を抜粋・編集したものです)
アルン・ガンジー
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人の名前がすぐ出てこない人必見…【集中力アップ!「脳活」の効果的な方法4選】|美ST

人の名前がすぐ出てこない人必見…【集中力アップ!「脳活」の効果的な方法4選】|美ST
6/12(水) magacol

「集中力が低下してきた」「会話中のふとした瞬間に適切な言葉が出てこなくて困った」「最近、物忘れが増えた」……。
こんな困り事を抱えている人は、「脳活」を始めてみては?脳活のメリットや、日常生活のなかで手軽に続けられる方法を紹介します。

1.なぜ脳活をしたほうがいいの?
引用元:美ST

他愛ない会話や仕事でのやり取りなどのふとした瞬間に適切な言葉が出てこなくて困ったことはありませんか?
 年を重ねると脳の一部が萎縮して、脳内に記憶されている情報を引き出したり情報同士を適切に組み合わせたりするのが難しくなる場合があります。
だからこそやってほしいのが「脳活」です。

脳活とは「脳を活性化させて健やかな状態に保つための活動」のこと。
継続的な脳活は脳への刺激となり、脳血流の改善や記憶力・集中力アップに効果的だといわれています。

暗算やクイズ、間違い探しなどのほか、運動や食事、趣味、会話といった日常的な活動のなかにも脳活になる行動はあります。
たとえば、運動や趣味といったアクティビティや会話によるコミュニケーションは、心身をリラックスさせるためストレスを軽減させることが可能。
ストレスは記憶を司る「海馬(かいば)」という脳の部位を委縮させてしまうので、ストレスをやわらげることは脳の健康を維持する上で大切な「脳活」の一種です。

2.脳活は何歳から始めてもムダじゃない!?
引用元:美ST

脳の大きさは20代をピークとして加齢とともに萎縮していきます。
そのため「自分の年齢で今さら脳活をしてもあまり意味がないのでは?」と考える人もいるかもしれません。
しかし脳は何歳になっても成長させることが可能です。

なぜなら成長のピークを過ぎてからも、脳には新しい細胞が生まれ続けているから。運動や生活習慣の改善などは脳を活性化させて脳細胞の成長を促すことに繋がります。

意識的に脳を働かせたり体を使ったりすることなく年齢を重ねていくと、脳は衰えていく一方。
今から脳活を始めて年齢に負けない脳を育てましょう。

3.脳を活性化させる5つの方法
脳を活性化させたり集中力を高めたりしたい人におすすめの方法を紹介します。
無理なくできることから日々の生活習慣に取り入れていきましょう。

【(1)適切な栄養を摂取する】

食事をきちんと摂取して脳が必要とする栄養を補いましょう。

脳の活動にはブドウ糖(グルコース)が不可欠です。
ブドウ糖は炭水化物を構成する「単糖」の一種であり、脳がエネルギー源として利用できる唯一 の物質。
脳は1日に約100g のブドウ糖を必要としており、ブドウ糖が不足すると集中力や判断力が低下してしまいます。

ブドウ糖の過剰摂取は肥満に繋がるため要注意ですが、脳へのエネルギー補給のためにも日頃から適量の炭水化物を摂取するようにしましょう。
集中力が落ちているときはブドウ糖不足による低血糖状態になっている可能性があり、その場合には干しぶどうやバナナ、プルーンなどブドウ糖を豊富に含む食品を摂取することをおすすめします。

また、ブドウ糖からエネルギーを生み出すにはビタミンB1が不可欠であるため、ビタミンB1の豊富な豚肉やナッツなどを日頃の食事に取り入れるのもおすすめです。

【(2)運動をする】

脳を活性化させるには、軽めの有酸素運動が効果的。ウォーキングやヨガ、ストレッチなどの有酸素運動を行うと、脳や全身の血行が改善して、血液中に含まれる栄養や酸素を各組織に送り届けることができます。そのため脳の働きが良くなって集中力や判断力の向上に繋がるのです。

脳を活性化するには激しい運動を行う必要はありません。
散歩などのちょっとした運動でも良いので継続的に運動を行うと脳に刺激を与えることができます。

また運動にはストレス発散効果があり、心身のリラックスや睡眠の質の改善などにも効果的。リラックスや睡眠も脳の活性化に不可欠な要素。ぜひ運動を習慣化しましょう。
引用元:美ST

【(3)新しいことに挑戦する】

読書や音楽鑑賞といった趣味の活動を行うと、脳の活性化に繋がります。
普段から行っている趣味に加えて、新しいことに挑戦するのもおすすめです。

これまで気になっていたのに試せなかった習い事を始めてみたり、行ったことのないカフェに行ってみたり、普段と違う色やデザインの服を着てみたり。
英会話やパズル、アロマセラピーなどどのようなものでもいいので、自分の興味のあるものに挑戦してみるとよいでしょう。

ちょっとしたチャレンジをして、心をワクワクさせてみましょう。楽しさや喜びは、脳を健やかに保つ上で欠かせない感情です。

【(4)しっかり睡眠を取る】

睡眠には、脳の働きを高める役割があります。
眠っている間に記憶が整理・保持されるので、記憶力を高めるために良質な睡眠を取りましょう。
さらに睡眠によって起きている間に溜め込んだ疲労物質が取り除かれるため、睡眠不足だと疲れが抜けずに集中力が低下してしまいます。

質の良い睡眠を取るためには、就寝前はスマホやタブレットなどのブルーライトを浴びないようにする、日中は運動をして体を適度に疲れさせる、毎日同じ時間に寝起きして睡眠のリズムを整えるなどの工夫が効果的です。
引用元:美ST

教えてくれたのは…「あんしん漢方」薬剤師 碇純子さん
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2024年06月14日

「コレステロール=悪玉とうそぶく奴こそ悪玉だ」和田秀樹が指弾するフェイク情報で儲けるTV界の裏の2大ワル

「コレステロール=悪玉とうそぶく奴こそ悪玉だ」
和田秀樹が指弾するフェイク情報で儲けるTV界の裏の2大ワル
2024年06月13日 PRESIDENT Online

■健康サプリで死者が出るという矛盾

間違い1 サプリは健康にいい
社会を震撼させた「紅麹コレステヘルプ事件」は、皆さんの記憶にも新しいことでしょう。
紅麹コレステヘルプは、家庭用医薬品や生活用品などで知られる小林製薬のサプリメントで、常用していた人の腎機能障害などの健康被害報告が相次いだのです。

厚生労働省の発表によれば、2024年4月23日時点で延べ252人が入院し、紅麹コレステヘルプが原因と疑われる死亡例も、5件発生しているようです。
小林製薬が、紅麹コレステヘルプを含む5製品の自主回収を余儀なくされたほか、同社から紅麹成分を供給された食品メーカーが調査に追われるなど、日本中が混乱に陥りました。

問題となった紅麹とは、中国酒の「紅酒」や沖縄県の特産品「豆腐よう」の製造、食品の「赤い色素」などに使われている「麹」の一種。
成分には、脳梗塞や心筋梗塞のリスクを高める「LDL(悪玉)コレステロール」を、減らす効果があるとされています。
紅麹コレステヘルプは、その成分を含んでいるため、「コレステロールの低減が期待できる」と謳(うた)っていたわけです。

健康のために摂っていたサプリが、逆に死を招いてしまったというショッキングな事件ですが、実は、「サプリなら何でも、健康づくりに役立ち害がない」という、日本人が信じ込んできた「健康常識」が、“幻想”だったことを示す、象徴的な事件とも言えるでしょう。

紅麹コレステヘルプは、「機能性表示食品」で、国が有効性や安全性を認めた「特定保健用食品(トクホ)」ではありません。
機能性表示食品は、有効性や安全性の根拠に関する情報などを消費者庁に届け出れば、事業者の責任で機能性を表示できます。
言い換えれば、「コレステロールを減らす」という効果についても、安全性についても、国は「お墨付き」を与えていないわけです。

医療用医薬品であれば、処方した医師が、服用後の患者さんの健康状態をチェックしますが、サプリの場合、1日の摂取目安量は表示されていても、ユーザーが「自己判断」で量も増やせるし、使い続けることもできるので、健康状態が悪化するまで気づかないことが多く、危険なのです。

■健康常識はなぜ、疑うべきか

にもかかわらず、紅麹コレステヘルプは、累計100万個以上を売り上げたというヒット商品でした。大々的なCMで、「コレステロールが減りそう」というイメージを刷り込まれ、健康診断のせいでコレステロール値を気にしている人が、多く買い求めた結果でしょう。

とはいえ、もっと罪深いのは、サプリメーカーから巨額の広告費をゲットし、国民を洗脳する「お先棒」を担いだテレビ局です。
小林製薬を批判する資格はありません。

テレビ局などのマスコミの多くが垂れ流す健康情報は、スポンサーによる「カネの力」で歪められています。
鵜呑みにしないでください。
正しい健康情報を自分で見極め、わが身を守るしかありません。

さらに言えば、そもそも「健康を守るため、コレステロールを減らす」という健康常識そのものが、大いなる誤りなのです。そのことについては、次の章で詳しくご説明しましょう。

新常識1 安全性は保証されていない。
死亡事故も■“悪玉”という言葉に騙されてはいけない


間違い2 コレステロール値は下げるべき
死者まで出したサプリメント「紅麹コレステヘルプ」がヒットしていたのは、そもそも「LDLコレステロールは悪い物質であり、体内から減らすべき」という、間違った「健康常識」が定着していたからでしょう。

小林製薬は、被害状況の情報開示に消極的であるため現在、詳細は不明なのですが、まだ調査中にもかかわらず、青カビ由来の「プベルル酸」という有害物質の混入が「原因である可能性が大きい」と、厚生労働省は早々と発表しました。
どう見ても、“不審”です。

というのも、実は、紅麹に含まれる「スタチン類」という成分そのものに、有害な作用があるかもしれないからです。
スタチン類は、脂質異常症の治療薬にも用いられ、腎機能障害などの副作用があることがわかっています。
つまり、「コレステロールを減らす成分」が、被害をもたらした事実を隠蔽(いんぺい)しようとしている疑いがあるわけです。

では、命を削ってでも、減らさなければならないコレステロールとは、どんな物質なのでしょうか。
実はコレステロールは、がんや病原性ウイルスを退治してくれる「免疫細胞」の重要な原料です。
つまり、コレステロール値が下がると、がんや感染症を発症しやすくなります。
性ホルモンの原料でもあるので、コレステロールが少ないと、男性はEDになったり、女性は骨粗鬆症になったりします。

■コレステロール値は高いほうがいい理由

たしかに、「LDL」というコレステロールには、動脈硬化を促進するマイナス作用もありますが、一方で、傷ついた血管を修復して、頑丈にする働きもあります。
LDLコレステロールを豊富に摂れば、血圧が高くても、血管が破れにくくなるのです。
循環器系の医師がLDLの一側面だけをとらえ、“悪玉”呼ばわりするのは、不勉強な偏った見方です。
総合的に見れば、LDLコレステロールは医学上、とても有効な物質なのです。

1993年に発表された、世界的にも有名な米国の「フラミンガム研究」の追跡調査によって、コレステロールの効果は、すでに明らかでした。
血清総コレステロールが1mg/dl上がるごとに、がんの死亡率は40歳以上ですべて減り、総死亡率も60歳以上の全年代で低下しました。
日本の研究でも栄養状態が良くなり、コレステロール値が高くなるほど脳出血、脳梗塞の発生率が減少傾向になることがわかっています。
コレステロールには、血管を強くするだけでなく、血管のつまりを防ぐ作用もあると推察されます。

国民のコレステロール値を「上げたほうがいい」というのは、もはや世界のコンセンサスです。
にもかかわらず、日本では、厚労省が音頭を取って、必死に「下げよう」としています。
がん死亡率の高い日本では、「愚の骨頂」としか言いようがありません。

コレステロール悪玉論というフェイク情報をまき散らし、製薬業界とともに利権をむさぼる、循環器系の医師たちの責任も重いと言えます。
残念ながら、利権まみれの医者が30年は医学部に居座るので、現状は改善しないでしょう。

新常識2 コレステロールは「日本人」の死亡率を下げる
■薬の副作用が事故を増やしている

間違い3 高齢者は免許返納すべき
高齢者による自動車暴走事故が相次ぎ、「高齢者に車を運転させるのは危険」という世論が高まっています。
その結果、シニアドライバーは、「実車試験の義務化」や「免許自主返納の推奨」といった“迫害”を受けています。

たしかに、日本では悲しいことに、高齢者の自動車事故が多発しているので(ただし、減りつづけている)、事故を減らす対策は必要でしょう。
しかし、マスコミが報道しているように、加齢による「認知機能低下」が事故の要因というのは、本当なのでしょうか。

諸外国の事例を調べると、高齢者の自動車暴走などの事故が多いというエビデンスは見当たりませんでした。
加齢が事故の要因というのなら、欧米など日本以外の国でも、同じように高齢者の自動車事故が問題にされているはず。
怪しいとは思いませんか。高齢者の精神医療に長年携わってきた私は、むしろ「薬の副作用」が事故の要因ではないかと、疑っています。

高齢者の自動車事故の状況を検証してみると、「普段は安全運転だったのに、事故のときだけ暴走してしまった」といったケースが目立ちます。
つまり、何らかの原因で、高齢者が急に「意識障害」に陥り、アクセルを急に踏み込んだり、逆走したりするなどの運転ミスにつながったと推察されます。

そして、高齢者の多くが常用している治療薬には、意識障害を引き起こすものが少なくありません。
例えば、高齢者は、体内の血糖値の調整がうまくいかないので、糖尿病の強い薬を服用していると血糖値が下がりすぎて、よく意識朦朧となります。

HbA1cを6%未満に抑えた人の16%、7.0〜7.9%に抑えた人の5.8%が、意識障害などを引き起こす重症の「低血糖」になったデータもあります。
私も、血圧や血糖値が下がりすぎて、頭がボーッとしたり、体が重くなったりしたことがあります。
車を運転するので、HbA1cを9%ぐらいにコントロールしています。

2019年に東京・池袋で起こった自動車暴走事故でも、高齢の運転者がパーキンソン病の治療を受け、幻覚やせん妄の副作用がある「運転禁止薬」を飲んでいた可能性があります。
血圧や血糖値を下げる薬の大半も運転注意薬です。
ところが、日本のマスコミの多くは、大スポンサーである製薬会社に忖度してか、「薬が自動車事故の要因」とは口が裂けても言いません。

高齢者の自動車事故を減らすなら、免許返納より「減薬」を議論すべきでしょう。
私は、むしろ「高齢者こそ車を運転すべき」と考えています。
なぜなら、車の運転をやめると、要介護状態の発症を促す可能性もあるからです。

車の運転を続けた高齢者と免許を返納した高齢者を分析した研究によれば、車の運転をやめると、要介護になるリスクが2〜8倍も高まるそうです。
「寝たきり高齢者」を量産し、財政が破綻する前に、「シニアドライバーいじめ」の愚かしい論調や政策を即刻、封じ込めるべきでしょう。

新常識3 薬の副作用が交通事故の原因
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年6月14日号)の一部を再編集したものです。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
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2024年06月15日

和田秀樹「“真犯人”は警察、行政、建設業者の可能性大」…タバコ喫煙率激減したのに肺がん死増加の背景

和田秀樹「“真犯人”は警察、行政、建設業者の可能性大」…タバコ喫煙率激減したのに肺がん死増加の背景
2024年06月14日 PRESIDENT Online

■喫煙者は減っているが肺がんが増えているワケ

間違い7 禁煙すれば肺がんにならない
少量の酒が「百薬の長」と評価されている一方で、タバコは、約200種類の有害物質を放出するなど、「健康被害をもたらす」というマイナス評価で一致しています。
とはいえ、「百害あって一利なし」とまでは断言できないのではないかと、私は考えています。

タバコにも「一利あるかも」と考える背景の一つに、私自身のこんな経験があります。
私の友人の祖父は愛煙家で、82歳で肺がんが見つかって、医師からも「手遅れ」と匙(さじ)を投げられました。
家族からも喫煙を反対されましたが、「タバコをやめて、ストレスをためるくらいなら」と一時やめさせられていた喫煙を再開したところ、見違えるほど元気になって、92歳の長寿を全うしたのです。

私が勤務していた医療機関に併設した老人ホームでも、高齢者を10年追跡調査しましたが、喫煙者と非喫煙者で死亡率に差はありませんでした。
「タバコをやめるべきかどうか」と相談された場合、60歳よりも若い人なら、生存する可能性も考慮して、禁煙をおすすめするかもしれません。
しかし、子どもが独立した人なら、余生を自由に生きる選択をしてもいいでしょう。

人生はただ長生きすればいいわけではありません。質も重要です。
「タバコで一服」という「憩いのひと時」が人生でかけがえのないものなら、余命と引き換えにしても、タバコを吸い続けたい人はいるでしょう。

ところで、皆さんは、タバコよりも厄介な「肺がんのリスク」が、知らぬ間に忍び寄っていることをご存じでしょうか。
日本人の肺がんはかつて、ほとんどが「扁平上皮がん」でした。
扁平上皮がんは、主に気管支に発生する肺がんの一種で、タバコが要因です。
そのため、日本人の喫煙率が下がりだすと、それを追うように、10〜15年で扁平上皮がんによる死亡者数は約3分の1に減ったのです。

それなのに、肺がん死全体は減るどころか、右肩上がりに増える一方です。
中でも、目立って増加したのが「腺がん」という種類の肺がん。
気管支の先端に無数にあって、酸素と二酸化炭素のガス交換を行う「肺胞」という微細な器官に多発します。
タバコの煙に含まれる発がん物質は、気管支の奥の肺胞までは届きにくいので、“真犯人”は別にいるようです。
まだ解明されていませんが、「PM2.5」や自動車の排気ガスの微粒子といった大気汚染物質が、おそらく要因でしょう。

日本では、行政や建設業者が癒着して、既得権益を守るために必要とは思えない道路工事を繰り返し、大気汚染物質を拡散させています。
警察は過剰な交通規制によって、至るところで車の渋滞を引き起こし、大量の排気ガスを発生させています。
それらこそが、毎年7万人以上もの日本人の命を奪っている肺がんの要因かもしれないのに、野放し状態です。

新常識7 大気汚染由来の肺がんが深刻
■早期発見・治療は必ずしもよくない


間違い8 がんは早期発見・早期治療
がんになると、増殖したがん細胞が正常組織を圧迫したり破壊したりして、激しい痛みや苦しみに苛(さいな)まれた挙げ句、死に至る――日本人の多くは、がんと聞けば、そうした恐怖のイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。

しかし、医師として長年、高齢者のがん医療に向き合ってきた私に言わせれば、日本人のがんの“常識”も、マスコミがつくり上げた虚構にすぎません。
たしかに、がんも末期になると、重い症状に苦しむケースが多いのですが、かなり進行しないと、自覚症状がほとんど現れない病気なのです。
「余命3カ月になるまでピンピンしていた」というがん患者さんは少なくないのです。

そこで、「がんは、自覚症状がないうちに、早期発見・早期治療すべし」という話になるのですが、裏を返せば、「がんによる痛みや苦しみは、実際にはあまりない」とも言えるわけです。

私は、高齢者医療を中心とする浴風会病院に勤務していた頃、1年に100人ほどの解剖結果を見ていました。
すると、85歳以上の患者さんの場合、必ずと言っていいほど、体内からがんが見つかったのです。

ところが、そうした患者さんの死因の大部分はがんではなく、苦しむこともなく、穏やかに余生を送っていました。
患者さんと共存していた、いわゆる「天寿がん」だったわけです。
高齢になると、がんの進行が遅くなるため、自分でも気づかずにがんを抱えたまま、普通に暮らし続け、あの世に旅立つ人が、実際には多いのです。

とはいえ、がんで壮絶な苦しみを味わう患者さんもいるのは事実です。実は、それは「がん細胞」というよりも、主として「がん治療」のせいなのです。

がんの根治を目指すなら、手術、薬物療法、放射線療法の「3大療法」が行われます。
特に抗がん剤治療では、正常細胞も強いダメージを受け、ひどい副作用に苦しむケースが少なくありません。
がんと戦うための免疫力が、かえって低下してしまうこともあります。

ちなみに、放射線療法も、がんのまわりの正常細胞まで傷つける、強い副作用を伴う治療法でしたが、最近では技術が発達し、「トモセラピー」のように、副作用を最小限に抑えられるようになってきました。

治療が終わった後に、がん治療に起因する苦しみが続くこともあります。
例えば、がんの手術で胃を3分の2以上切除した結果、がんの病巣がきれいに取り除かれ、5年生存できたとしても、食事を満足に摂れなくなれば、低栄養状態のため体力が落ちて、予後の生活の質が失われてしまいます。

高齢者ががんの手術を受けると、そこで「健康寿命」が終わってしまうことも少なくないのです。

若いがん患者さんは、生き残るため、「苦しい治療に耐えて、がんを根治させる」という道を選ぶ人が多いでしょう。
しかし、高齢のがん患者さんの場合、積極的な治療を選ぶ必要はありません。
「がんと共存しつつ、最低限の治療にとどめる」という選択肢も「あり」だと、私は考えています。

そのほうが、がん治療で苦しむことはないし、健康寿命を保ちながら、最期まで自分らしく生きられるからです。
ちなみに、私も65歳以降は、がんを発症したとしても、積極的な治療はしないつもりです。

新常識8 がんは治療するから辛い。ケアの選択も
■なぜ認知症を悲しむ必要がないか

間違い9 認知症になったら地獄
がんとともにいま、日本人に最も恐れられている病気が、高齢化に伴って急増している「認知症」でしょう。
たしかに、進行すれば、家族の顔を見ても誰だかわからなくなったりするので、「人間が、人間でなくなってしまうのでは」と嘆いたり、絶望したりする認知症患者さんもいるかもしれません。
しかし、そうしたとらえ方も、認知症に対する“誤った常識”が、独り歩きした結果と言えるでしょう。
実は、認知症になるのは、「それほど不幸なことではない」と、私は考えています。

はじめにわかっていただきたいのは、誰でも「認知症になる」という事実です。
高齢になれば、物忘れがひどくなったり、思考能力が鈍ったりします。
実際に、私が勤務していた病院では、病理解剖をした85歳以上の人のほぼ全員に、「アルツハイマー型認知症」に特有の所見がありました。

つまり、85歳以上の人は、程度の差こそあれアルツハイマー型認知症と、推察されるわけです。
認知症は、がんと同じように、人間にとって避けられない老化現象と言ってもいいでしょう。
認知症になってしまったら、無駄に抗ったりせず、「宿命として受け入れ、余生を精一杯充実させる」という生き方も選択肢になると、私は思うのです。

実は、高齢者の認知症は、急速に進むケースがほとんどなく、アルツハイマー型認知症の場合、発症から5年くらいは、通常通りの生活を送れるのです。
例えば、米国の「名大統領」と呼ばれたロナルド・レーガン氏も、退任後にアルツハイマー型認知症だと明らかになりましたが、大統領在任中に発症していたと言われています。

皆さんは、「認知症患者さんに一人暮らしをさせる」と言えば、「危険ではないか」と疑問に思うかもしれませんが、軽い認知症であれば、独居のほうが悪化しにくく、元気に日常生活を過ごせる可能性が大きいのです。
一人暮らしでは、自分で家事をこなしたり、家計を管理したりしなければならないので、心身をフル稼働させるからです。

自分で買い物に行ったり、病院に通ったりすることで人と交流すれば、脳も活性化されます。
見守りは欠かせませんが、日常生活に支障がなければ、認知症患者さんには、できるだけ一人暮らしをすすめましょう。

認知症がたとえ進行してしまっても、悲しむことはありません。
意外かもしれませんが、私が勤務していた高齢者専門の医療機関では、末期の認知症患者さんたちはいつも機嫌が良く、ニコニコしていたことが印象的でした。
おそらく世間体などのしがらみから解放され、悩み事がなくなるので、幸福感に包まれているのでしょう。

ただし、末期の認知症患者さんの場合、ケアの負担が大きいので、自宅で患者さんと一緒に住んでいるご家族は、無理をしないで、スキルやノウハウを備えた介護のプロに頼ってください。

新常識9 認知症でも名大統領になれる
間違い10 大学病院であれば安心安全
日本人の大半は、「大学病院」と言えば、「優秀なスタッフ、設備が揃っていて、最善の高度医療を提供してくれる」と、期待しているのではないでしょうか。しかし、残念ながら、それは大いなる“誤解”です。

大学病院は、原則として循環器内科、脳神経外科、精神科といった診療科の「専門医」の集合体。心臓のカテーテルなら循環器内科、脳卒中の手術なら脳神経外科といった具合に、年代から始まった「臓器別診療」を行うのが基本スタイルです。

専門医はもちろん、専門領域には詳しいのですが、専門外の領域には疎い人がほとんど。
言い換えれば、大学病院は、特定の部位や病気を治療するのは得意だが、患者さんを“人間全体”で診るのは苦手だという医者ばかりになってしまったのです。

大学病院は、巨大組織であるがゆえの弊害も少なくありません。
分業が進みすぎて、点滴や採血は看護師、検査は技師に任せきりにするので、担当の患者さん自身のこともよくわからない医師が大勢います。
さまざまな診療科がある総合病院なのに、診療科同士の交流が少なく、連携も不十分。
だから、複数の病気を併発した患者さんが、同じ院内なのに、診療科を「たらい回し」にされるといった現象も起こるわけです。
研修医の教育機関、先進医療の研究機関でもあるため、実は、「経験の乏しい新米医師が新薬を投与する」といった、リスクの高い治療も行われています。

■有名大学病院より近所の「名医」を

若い患者さんの場合は、病気の完治を目指すために、大学病院で高難度の先進医療にトライするといった選択をしてもいいでしょう。
しかし、高齢の患者さんには、大学病院は適していません。
高齢者の場合、複数の病気を抱えているケースが多く、全身状態の良し悪しも個人差が大きいので、一人ひとりに応じた総合診療が求められるからです。

そこで、高齢の患者さんなら、高齢者医療の経験が豊富で、話をよく聞いてくれる、地域の「かかりつけ医」を見つけましょう。

例えば、薬物療法では、患者さんとしっかり向き合わない大学病院の医師の場合、検査データの数値しか見ないので、データを“正常値”にするための「多剤投与」に走りがちです。
正常値は“平均値”でしかありません。
すると、薬の副作用が強くなり、検査データが改善しても、患者さんの体調が悪化するケースがよくあります。
一方で、いいかかりつけ医なら融通がききやすく、「薬を飲んだら体調が悪くなった」と伝えれば、薬の量を減らしてもらいやすいでしょう。

新常識10 高齢者はかかりつけ医が大切
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年6月14日号)の一部を再編集したものです。



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和田 秀樹(わだ・ひでき)

精神科医
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2024年06月16日

老後の後悔「生きるのがしんどい」を解決する“たった1つの習慣”

老後の後悔「生きるのがしんどい」を解決する“たった1つの習慣”
2024年06月15日 ダイヤモンドオンライン

世界的名著『存在と時間』を著したマルティン・ハイデガーの哲学をストーリー仕立てで解説した『あした死ぬ幸福の王子』が発売されます。
ハイデガーが唱える「死の先駆的覚悟(死を自覚したとき、はじめて人は自分の人生を生きることができる)」に焦点をあて、私たちに「人生とは何か?」を問いかけます。
なぜ幸せを実感できないのか、なぜ不安に襲われるのか、なぜ生きる意味を見いだせないのか。
本連載は、同書から抜粋する形で、ハイデガー哲学のエッセンスを紹介するものです。

■もし明日死ぬとしたら、今までの日々に後悔はありませんか?

【あらすじ】
本書の舞台は中世ヨーロッパ。
傲慢な王子は、ある日サソリに刺され、余命幾ばくかの身に。
絶望した王子は死の恐怖に耐えられず、自ら命を絶とうとします。
そこに謎の老人が現れ、こう告げます。
「自分の死期を知らされるなんて、おまえはとてつもなく幸福なやつだ」

ハイデガー哲学を学んだ王子は、「限りある時間」をどう過ごすのでしょうか?

【本編】

「死を忘却した人間、すなわち『人生とは何かを問いかけない非本来的な人間』はどのように人生を過ごすのか? 

 ハイデガーの答えは『おしゃべりと好奇心に満ちた生き方』だ。
おまえ自身はどうだったかな?」

 じっくりと思い返すまでもない、ほんの一週間ほど前の、自分の生き方そのものだ。
刺激的で豪華絢爛なパーティを繰り返す日々。
そして、そこで出会う貴族の友人たち―と言っても死ぬことがわかってから誰も会いに来なくなり、もはや友人の名に値しないが―彼らと話すことと言えば、流行りの服やアクセサリーについて、それから興味をそそる時事ネタやニュース、あとはどうでもいい人間関係の噂話ぐらいだった。

■死など忘れて、面白おかしく生きてはいけないのか?
「しかし、人にはいろいろな生き方の選択があっても良いと思います。
死など忘れて面白おかしく、ただおしゃべりだけをして人生をまっとうする―それも幸福な生き方のひとつではないでしょうか?」
「その選択が、本当に自己の固有の生き方、つまり『自分オリジナルの存在のあり方』として自分で選び取ったものであれば、かまわないさ
しかし、そうではないのなら―つまり、おしゃべりと好奇心の熱に浮かされて、薄ぼんやりとした意識の中でなんとなくそういう行動をしているだけだとしたら―それは選択とは言わない。

 判断能力を失った酔っ払いが、酔いの勢いで何か行動をしたとしても、それは決して選択ではないだろう?
そんな判断能力に欠けた状態での行動に基づく生き方は、幸福でもなければ、かけがえのないおまえの人生でもない」

「ということは、逆に言えば自分できちんと判断したのであれば、おしゃべりをして楽しく人生を過ごしても良いのですね?」
 私は必死に食らいついた。

■「人はいつか、必ず死ぬ」この事実と向き合うしかない
「ああ、そうだな。ただし『おしゃべりだけをして人生を生きるのだと選択する』すなわち『自分の固有の生き方はこれなのだと判断して選ぶ』のだとしたら、やはり死を意識する必要があるがな」

 私の目論見に反して、先生はどうあっても死を意識させることを肯定するつもりのようだった。
私は思わず不満をもらす。

「……先生はことさら死を突きつけようとしているように感じます」

■「死」がなければ、人は自分の人生と真剣に向き合わない
「はっはっは、それは仕方がないさ。
ハイデガーの哲学とはそういうものだからな。

『本来的に生きる=死を意識して生きる』ということが定式化されている以上、死を意識せずに済まそうなんて発想はそもそもない。
繰り返すが、本来的に生きる―自己の固有の生き方を問いかける―ためには、死と向かい合わなくてはならないのだ。

 実際の話、仮にこの世から死がなくなり無限に生きられるとしたら、人は自分の人生を真剣に考えたりはしないだろう?
それこそおしゃべりをしながら、何百年、何千年とぼんやりと生きていくのではないだろうか。
そんな頭に霞がかかったような日常からは抜け出さなくてはならない。
だからこそ、ハイデガーは『死の先駆的覚悟(せんくてきかくご)』が必要だと言っている」

(本原稿は『あした死ぬ幸福の王子ーーストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」』の第5章を抜粋・編集したものです)
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2024年06月17日

恥かきました〜!読み間違いあるある

恥かきました〜!読み間違いあるある
6/16(日) たまひよONLINE

●6月16日は「和菓子の日」

西暦848年の平安時代。
日本では疫病がはやっていたため、当時の天皇が6月16日に16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて、疫病を除け健康をお祈りしました。
厄を払って福を招くこの行事は、室町〜江戸時代くらいまで盛んに行われていました。
豊臣秀吉が恒例行事として祝っていたという記録もあるそうです。
この行事を由来に、和菓子の日が制定されました。

おいしい最中=おいしい、さいちゅう??

和菓子には季節を感じさせるものも多く、その名前も風情や赴きがあります。

たとえば、雪の下から新芽が萌え出る様子を表現した「芽吹き(めぶき)」、11月には茶色に白い粉糖を振った「初霜(はつしも)」などなど。そんな和菓子の名前ですが、昔から伝わっていることもあり、どう読めばいいのかわからないものが多々あります。

その代表的なのが「最中」。
さいちゅうと読んでしまった人もいるのではないでしょうか?
口コミサイト『ウィメンズパーク』でも、間違えて読んで恥ずかしい思いをしているママや、子どものおもしろい読み間違いが並んでいました。

「娘がスーパーで『お正月に食べ過ぎたから、“だんしょく”した方がいいかも』と。男色? なぜ男色?とビックリしましたが、断食(だんじき)の事でした。周りのおばさまに笑われてしまいました」

「チラシの求人募集を見た息子、『オネエを募集してるよ』。
男女募集中でした。おとこおんなと、読んだらしい(笑)」

「幼稚園の息子がテレビの教育番組を観ていて『小学生なまものって何?』と。 “小学生、生物(せいぶつ)”と書いてありました」
確かに小学生はなまものですが(笑)。

「子どもが『“だいにんきない”ってなに?』と聞いてきて、???。正解は“大人気ない(おとなげない)”でした」

言われて気付きましたが、だいにんき と おとなげ って同じ字なんですね。

「中学3年生の娘が『友だちの履いてるニケの靴、買って〜』。はい、NIKE(ナイキ)のことです。
友達の前で言わなくてよかったね、と思う母でした」

大丈夫!ナイキが日本に上陸した頃は、そう読んでしまった大人がとてもたくさんいましたよ。

大人だって間違えます(恥)


「天気予報を見て、私が『明日は、さむけが強いんだって』と何の疑いもなしに言うと『えっ?ママ、マジで言ってんの? それ、カンキやし…』と呆れられました」

「『ねぇ、“こまめ”って何の豆かな?』と夫に言うと、『いや、あずきやから…、恥ずかしいから大声で言うのやめて…』と言われましたぁ〜」

「英語のテスト用紙のnameの欄。『おお、“なめー”かあ、先生、江戸っ子かい?』と思ってたら“ネーム”だったよ…。テストの結果は、推して測るべし(泣)」

“愛猫”を“あいねこ”と読んでました。正しくは“あいびょう”ですよね。人前で口にしなかったのが唯一の救いです」

ゲッ!知りませんでした!

「まだマルイが東京にしかない頃、上京してマルイを探していたんですが、『オイオイならあるけどマルイはないなぁ』とすっとぼけたことを友だちに言ったら目の前に。OIOIをオイオイって読んでました」

上京あるあるですね。

カタカナの“”ってまぎらわしい!
口(くち)を、カタカナのロと混乱するパターンも。

関口メンディーを、“せき ろめんでぃー”と読んでました〜」

「お菓子を勝手に開けて食べていた息子を注意すると『だって、あけロ(あけろ!)って書いてあるから』と逆ギレ。いや、あけ口(あけくち)なんだけどね。4歳にして確信犯です」

「ある日、駐車場から車を出す際、誘導表示に従っていたときのこと。
私が『この駐車場なんで命令口調なわけ?感じ悪っ!『出口(でろ)って書いてある』と夫に言うと、『……出口でしょ』。
夫には呆れられましたが、私はツボにはまってしばらく笑いが止まらなかったです」

コントか!?

「ハガキが来て、担当者の名前を見たらシエロさん?外人か?江口さんでした

髪染め液のシエロありますよね。売り出し広告を見て“江口”と読んでいました
「鶏肉のパッケージ。ロ”(ももモモ一口”(ももひとくち)を、“モモろ-)と読んで、ずっと新種の鶏肉かと思っていました」

日本語って難しい!

読み方に自信のないときは、声に出して言わないようにしないといけませんね。
特に、子どもの前では特に。

(文・井上裕紀子)

■文中のコメントはすべて、『ウィメンズパーク』(2022年1月末まで)の投稿からの抜粋です。
※記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります
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2024年06月18日

誰かと無理に繋がらなくていい。私が「冬眠」をしたことで気づいたこと

誰かと無理に繋がらなくていい。私が「冬眠」をしたことで気づいたこと
6/16(日) saifa

潜在意識インタビュアーkahoのコラム【良い人生は後から】 「良い花は後から」ということわざがあります。
先に咲いた花よりも、後に咲いた花の方が美しいという意味を持つこの言葉。
人生も同じだと思いませんか?
酸いも甘いも経験した40代頃からのほうが人生の豊かさを感じられるようになります。
そんなことを意識しながら生きているkahoが日々思うことをお届けします。

心が鎖国中?
昨年の夏が終わった頃から、「心が鎖国している」という感覚がある。

もともとは人が好きで、時間さえあれば友人とランチに行ったり、お茶をしたりするのが大好きだった。

コロナ禍、家族以外の人と会えない時期が続き、思うように外に出ることもできない状況の中、私のことをよく理解している夫は、「お前は外に出て人に会ってこそパワーが出るタイプなのにな。この生活はきついだろう」とよく言っていた。

たしかに、会いたい人に会えない生活は何か物足りなさを感じるもがのあったし、「コロナ禍が終わったら、思いっきり友達と会いまくろう!」と思っていた。

ところが、そんな生活が3年ほど続いて、いざ「いつでもだれにでも会えるよ!」となった途端、以前のように人と頻繁に会いたいという気持ちが消えてしまった。

鎖国ではなく冬眠?
誰とも会わないわけではないし、気持ち的に落ち込んでいるということもない。
気の合う友人とは毎日のようにLINEをするし、会話があまりにおもしろすぎてスマホを見ながら笑い泣きしていたら、その姿を見た娘が呆れているくらいだ。

マインドは常にポジティブ。
年々、怖いもの知らずになっていく自分が頼もしいくらい。

けど、以前のように、誰かと会おう! ランチにいこう! 喋ろう! みたいな気持ちになれない。
以前はよく自分から誰かに連絡をしてスケジュール帳を埋めるようなことをしていたのに、最近のスケジュール帳は仕事の予定か娘の予定ばかり。

今年一番ランチに行っているのは夫だったりする。

とは言え、この期間にも「ランチに行きましょう!」と声をかけた人はたくさんいる。
それは心からそう思って誘っているけど実現しないことが多い。

「行きたい!」という気持ちはあるけど、そこから先に進まない。

こんな話をしておきながら、「会おうか」と連絡をとってサクッと予定が決まる友人もいる。
先日、久しぶりに会った友人に、「どうも、心が鎖国しているのよね」という話をした。

「ん〜。それは、鎖国というより冬眠って感じだよね。
これまでずっと突っ走って生きてきたじゃん。
自分のことより他人のことを優先して。
そうやって生きることが当たり前になってたのが、コロナ禍をきっかけに「自分のことも大事にしなよ」って、他の誰でもなく自分自身が内側から伝えてきてるんじゃないのかな」

さすが、我が友! 深いこと言うよね〜!
 なにより、「冬眠」という言葉がすごくしっくりきた。
自分のことより他人のことを優先なんて、そんなできた人間ではないけども、コロナ禍で人とできた距離が、今は少し心地良いことも実はどこかで感じていた。

つながる縁・切れる縁
以前の私は、一度縁があった人とは永遠につながっていくと思い込んでいるところがあった。
けど、必然的に人と距離を作らなくてはいけないという環境に置かれたことで、「不自然に縁をつなぎ続けること」を手放せたように思う。

友人が冬眠と言った今の私の状態は、無理に頑張ってきた自分を解放するための時期なのかもしれない。

感じるよりも先に頭で考えがちな私。

「理論的に思考につなげるのではなく、内側から感じたものにそのままつながる」

今、私に必要なことがだんだん見えてきている。

ここまで自分の状況を把握するより前から自然に切れていく縁があった。
意図せず、気づいたら切れていた縁。

以前の私だったら、切れかけた縁をどうつなぎ留めるかを必死で考えたはず。

でも今は、その流れを受け入れることができる。

生きている限り縁は続く。
つながる縁もあれば、切れる縁もある。
必要なご縁は、無理に何かをしなくても自然につながるということもわかってきたから、がんばってつながろうとかつなぎ続けようとすることをやめた。

私はこれまでの人生、自然な流れを人工的なものに変え過ぎていたのかもしれない。
それが必要なときもあったかもしれないけど、今の私は自然な流れの中で生きていく方が心地が良い。

ここまでたどり着けたら、うっすら目を開けてみたくなった。そろそろ冬眠にも飽きてきたのかもしれない。

大切にするべきものに気づけたら、もっと素直に人生が楽しめるようになる気がする。

潜在意識インタビュアーkaho/ライター
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2024年06月19日

「インボイス制度」は百害あって一利なし!? 消費税のウソとホントを暴き出す!

「インボイス制度」は百害あって一利なし!? 消費税のウソとホントを暴き出す!
6/18(火) 週プレNEWS

「インボイス導入は、支持基盤となる業界に『軽減税率』というエサをまきつつ、ヨーロッパ諸国並みの20%を超える高い消費税率を実現させるための方策だと考えています」と語る犬飼 淳氏

多くの自営業者やフリーランスの反対の声もむなしく、昨年10月から開始されたインボイス制度(適格請求書等保存方式)。自分とは無縁と思っていた会社員など給与所得者でも、経費精算などの事務作業が面倒になったと感じている人は多いだろう。

実は、この制度は税の公平性を保障しないばかりか、社会を支えていた事業者の多くを苦境に追い込み、しかも20%超の消費税率の呼び水になる可能性が高いという。
そう喝破する『インボイスは廃止一択 消費税の嘘がよくわかる本』の著者である犬飼淳さんに、その真相を聞いた。

* *  * *
――事業者にもしっかり納税させて、税負担の不公平を是正するためといわれていますが、違うのでしょうか?

犬飼
 それは「事業者は消費者から消費税を預かっている」という認識に基づくものですが、正確ではありません。

国税庁が「消費税は預り金」などと啓発するポスターを何度も作製していますから、ある意味で"教育"がよく効いてしまっているのでしょうが、実は国と自民党が違うと認めています。
消費税導入直後の1989年に起こされた裁判で、国は「消費税は消費者からの預り金ではない」と断言しているんです。

――しかし、買った商品のレシートには、私たちが払った税額と税率が明記されていますよね?

犬飼
 レシートに消費税額が記載されているのは、総務省がそのように義務づけているからに過ぎません。
商店などの事業者が消費税額を見越した価格に設定するかどうかは、あくまでも事業者の裁量にかかっています。

事業者は売り上げにかかる消費税から、仕入れや経費にかかった消費税を差し引く「仕入額控除」を行なって消費税を納税しているので、レシート記載の消費税額をそのまま納めているわけではありません。

89年の裁判で、国は「事業者が取引の相手方から収受する消費税相当額は、あくまでも当該取引において提供する物品や役務の対価の一部」であり、結果として免税事業者の手元に消費税相当額が残ったとしても、それは「取引の対価の一部」であり、「税額の一部を横取りすることにはならない」と明言し、裁判所もおおむねこの主張を認めています。
「消費税は預り金」という言い分は、当の政府によって否定されていたんです。

――19年の増税時に始まった軽減税率によって、仕入額控除の計算が複雑化したために、インボイス導入が必要になったともいわれています。

犬飼
 軽減税率導入からインボイス方式開始までの4年間で、税務処理が破綻をきたしたという話を聞いたことはありません。
また、政府が「旧来の帳簿形式による税務処理で適正な課税ができていない」というデータを出したこともありません。

むしろインボイス導入で企業の経理担当者に重い負担がかかるようになり、市民団体による意識調査では経理担当者の33%が転職や退職を検討しているという結果が出ています。

――「預り金」でないばかりか、実務の負担が増しているのであれば、インボイス導入の根拠が崩れてしまいますね。

犬飼 
ええ。それに、導入前は「インボイスで影響を受けるのは零細事業者やフリーランスだけ」という声もよく耳にしましたが、実際は営業や仕入れに関わる部署の方でも、経費や仕入れ額の精算が煩雑化しているはずです。

また、長年にわたって信頼関係を築いてきた取引先がインボイス発行事業者でないばかりに、泣く泣く取引を停止しなければならなくなった、そんなケースもあちこちで起こっています。会社員の方にとっても、利益のない制度であることがわかるのではないでしょうか。

そもそも零細事業者にとってインボイス方式は、実務上の負担が大きくなるだけではなく、納税額の減免がなくなることで事実上の増税となり、事業の継続を難しくさせています。
かといってインボイスに登録しなければ、取引を打ち切られる可能性も高い。
まさに地獄のような選択を強いている制度なのです。

――複数税率化といっても8%と10%の2種類ですから、インボイス方式を導入しなければならないほど複雑な税制でもないように思えます。なぜ政府は導入を急いだのでしょうか?

犬飼
 国会でも何度も答弁されていますが、政府や財務省から導入の根拠は示されず、複数税率による「不適正な課税」への調査すらされていないことも明らかになっています。

私自身は22年10月の首相会見で、フリーランス記者として岸田首相に「不適正課税以外の導入根拠があるならご説明ください」と質問していますが、首相は「ちょっと今、私、手元で承知しておりませんので」と言った後、質問とはほぼ無関係の回答をしどろもどろにするだけでした。

軽減税率にもインボイスにも、政府の説明とは別の導入理由があったと考えざるをえません。

――それはなんでしょうか?

犬飼
 さらなる増税です。
例えば、インボイスが導入されているフランスでは、標準税率が20%、レストランでの食事は10%、書籍は5.5%、新聞は2.1%などと、税率が細分化されています。

日本におけるインボイス導入は、支持基盤となる業界に「軽減税率」というエサをまきつつ、ヨーロッパ諸国並みの20%を超える高い消費税率を実現させるための方策だと考えています。

日本では新聞にすでに軽減税率が適用されており、そのエサが効いているのか、各社ともインボイスについては政府見解の垂れ流しか、あからさまなミスリードに終始しています。
インボイスの導入根拠などについての公式見解を求める公開質問書も送りましたが、ほぼすべての社が大半の回答を避けました。

――すでに導入から半年以上が過ぎましたが、今後も「廃止一択」を貫かれるのでしょうか?

犬飼
 市民団体「STOP!インボイス」が集めたオンライン署名は、現時点で57万筆を超えています。
署名の広がりは「30万筆持ってこい」と鼻で笑っていた議員たちを慌てさせ、ついには首相秘書に署名を手渡すまでに至りました。

「数の力」を改めて実感しましたし、インボイスの実態を周知させていくことで、もっと大きな力を得られると確信しています。

●犬飼 淳(いぬかい・じゅん)
1985年生まれ。2018年より、国会答弁を中心に政治に関する論考を発表。
2021年からメールマガジン「theLetter」で『犬飼淳のニュースレター』を開始。
前職の約10年に及ぶITコンサル経験を生かして、一般市民の生活に影響する政策や報道の複雑な問題点を直感的・視覚的に理解できるように工夫したスライドで解説している。
直近では国立大学法人法、能登半島地震、共同親権など、インボイス以外にも多岐にわたる分野の記事を発表している

■『インボイスは廃止一択 
消費税の嘘がよくわかる本』皓星社 2200円(税込)導入以前から数々の問題点が指摘され、日本最多のオンライン署名を集めた市民運動「STOP!インボイス」も起こったインボイス制度。
2023年10月1日の開始以降、影響はフリーランスに限らず、煩雑化した経理作業などに悩まされている会社員も多いことだろう。
実はこの制度、働く人には百害あって一利なしの増税政策でしかないという。
2年間にわたってこの問題に取り組んできた筆者が、わかりやすく解説する

取材・文/柳瀬 徹
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2024年06月20日

「有名人の不倫報道」はなぜ“蜜の味”なのか?他人の不幸を喜ぶ人の悲しい末路

「有名人の不倫報道」はなぜ“蜜の味”なのか?
他人の不幸を喜ぶ人の悲しい末路
6/19(水) ダイヤモンド・オンライン

 芸能人のスキャンダルや、知人の失敗や失恋などの不幸話を聞いて、誰もが大なり小なり「蜜の味」を経験しているはず。
しかし、エスカレートすると他人に不信感を抱かせたり、心を傷付けたりすることもあるので要注意。
そうならないための解決策を、チャンネル登録者数66万人超の人気“YouTuber和尚”が教えてくれる。
※本稿は、大愚元勝『これでは、不幸まっしぐら 今すぐ変えたい30の思考・行動』(株式会社佼成出版社)の一部を抜粋・編集したものです。

● 他人の不幸を消費することで 自分の劣等感をごまかしている
 週刊誌の「文春」が芸能人のスキャンダルを報道し、それが「文春砲」として注目されてからというもの、芸能人のスキャンダルに対して世間の目が向く機会が増えたように感じます。
いままでは、中吊り広告の見出しを見て、雑誌を手に取った人だけが読んでいた情報が、ネット上で非常に強い拡散力をもつようになったからでしょうか。

 こうしたスキャンダルに関心を寄せる人は、昔も一定数はいたのでしょうが、現代ほど、それが露骨にあらわれている時代はなかったように感じています。
また最近では、謝罪会見だけでは済まず、芸能界引退に追い込まれるなど、世論の影響力ははかりしれなくなりました。

 もちろん、スキャンダルとして取り上げられるようなことをした本人に非があることは間違いありません。
しかし、冷静に考えてみれば、会ったこともない芸能人の不祥事など、多くの人の人生にはなんの関係もないことです。

 そうであるにもかかわらず、なぜ関心が寄せられるのかといえば、「他人の不幸は蜜の味」だからです。
失敗した人、不幸のどん底にいる人を見て、「自分はあの人に比べたらまだ幸せなほうだ」と、相対的な見方で安心感を得たい――そんな感情が背景にはあります。

 このことは脳科学の分野でも証明されています。
たとえば、家族や親しい友人に不幸があったとき、多くの人は「なんとか支えになれないか」と心を配るのですが、相手に対して日頃から劣等感があったり、自分よりも優れているものをもっていて、妬たましく思っていたりする相手だと、その人の不幸が蜜の味になると言われています。

 芸能人の不祥事に関心が寄せられるのは、芸能人がテレビやドラマの第一線で活躍するなど、多くの人が憧れる人生を生きているからかもしれません。

 他人とはいえ、充実している人を見て「うらやましい」という気持ちが無意識に生じているため、不祥事でその地位が失われる姿を見て、「この人にも不幸はあるんだな」と安心感を得ている。
別の言い方をすると、自分の劣等感を、他人の不幸を見ることでごまかしているのです。

 しかし、近年のスキャンダルがこれまでと違うのは、不祥事を起こして危機的状況にある人を見て安心するだけにとどまらず、SNSを通じて、匿名で誹謗中傷するという行動にエスカレートしていることです。

 他人からバッシングを受ける気持ちは、想像を絶する苦痛だと思います。
誹謗中傷で追い詰められ自ら命を絶つ人もいるなかで、責められる人の気持ちにまで思いが及ばず、さらにおとしめるような行動に出てしまう背景には、深刻な劣等感がはびこっているのではないかと思えてならないのです。

● 身近な人の不幸に関心を持つ ようになったら心の危険サイン
 芸能人のスキャンダルは、あくまで「他人の不幸は蜜の味」の代表的な例にすぎません。
最も注意しなければいけないのは、職場の同僚や知人など、現実の生活のなかで他人の失敗や不幸に関心をもっている人です。

 身近にいる人に対してさえも、他人の評価を下げることで、相対的に自己評価を高めたいという心理的な欲求が働いているのは非常に危険です。
本人が自覚しているとは限りませんが、このケースでも他人の不幸に関心を寄せることで自分自身が抱える劣等感を一時的に忘れようとしているに過ぎないからです。

 あたりまえの話ですが、他人の不幸を見て一時的に劣等感から気を紛らわせられたとしても、自分自身の劣った部分が根本的に解消されるわけではありません。
本当に劣っている部分があるならば、克服していくための努力が必要です。
ですが、他人の人生や不幸に踊らされているうちは、本質的に変えなければいけない自分自身のことを直視できないため、成長することができなくなります。

 そしてこの蜜の味は劇薬で、刺激に慣れてくるともっと強烈な刺激を求めるようになります。
すると、いままでは自然と入ってくる情報に踊らされていただけだったのに、コメントで誹謗中傷するがごとく、誰かを失脚させようと画策するなど、次第に行動がエスカレートしていきます。
劣等感を克服し、自尊心を高めるために使うべき時間や労力を奪われる悪循環に陥っていくのです。

 また、いつも他人の失敗や不幸の情報を触れまわる人に対して、周囲は警戒するようになります。
「自分のことも、あることないこと言われるかもしれない......」と思えば、安易に相談事もできなくなります。
プライベートだって共有したくなくなり、孤立への道をひた走る末路が待っているのです。

 残念ながら、他人の不幸を見て安心感を得るのは、人間がもつ本質的な欲求です。
現代のように、拡散力をもったネット上で、他人の不幸に興味関心を寄せる人が増える状況が続けば、人々の欲求に応じてマスコミはスキャンダルを追い求めることになるでしょう。
やがて、失敗が許されない、生きづらい世の中を、自分たちでつくっていってしまうのです。

● 他人の痛みや苦しみに共感し 自分ごととして捉えてみる
 そもそも自分とは全く関係のない人の人生に、影響を受けること自体が愚かなことです。
しかし、残念ながら人間は、他人の幸せや成功をうらやみ、失敗や不幸を好奇な目で見てしまう生き物なのです。
その習性を理解し、上手に付き合っていくことが求められています。

 お釈迦さまが説かれた、人々を救うための四つの徳目「四摂法」の一つに「同事」があります。
これは、「同じはたらきをともにすること」という意味があります。

 他人の不幸に触れたとき、それをさげすんで自分と比較するのではなく、見方を変え、「自分も同じ状況になるかもしれない」と共感することで自らを省みる機会にする。
あるいは、「やむに止まれぬ事情があったのかもしれない」と、痛みや苦しみに共感してみる。

 このように、とらえ方を変えるだけで他人の人生が自分ごととなり、清らかな自分をつくっていくきっかけにすることができます。

 資本主義社会では、あらゆる情報やサービスがお金を生み出すために考えられています。
人の不幸すら誰かが儲けるための商品になっている事実を、まずはあなた自身が自覚することから、試みていただきたいと思います。

 そして、その情報に踊らされ、自らの低い自尊心を、他人をおとしめることで満たそうとしている愚かさから脱却し、自らを高める時間を取り戻してもらいたいと願います。

大愚元勝
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2024年06月21日

近寄るな! あなたの周囲にいる、恐ろしき時間泥棒であるテイカー(奪う人)について。

近寄るな! あなたの周囲にいる、恐ろしき時間泥棒であるテイカー(奪う人)について。
竹内成彦心理カウンセラー(公認心理師)
6/20(木)  YAHOO!ニュース

こんにちは。
精神医学と性格心理学に詳しい
心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。

今日のテーマは、「あなたの周囲にいる、恐ろしきテイカー(奪う人)の実態について」です。

テイカーとは、テイクする人のことです。
テイクとは「取る」「奪う」という意味です。
ギブ&テイクのテイクです。
「与える」の反対語、「取る」「奪う」です。

そう、テイカーとは、自分の利益のために、人から何かを奪おうとする人のことを指して言うのです。

さて、世の中には、ギバーとテイカーとマッチャーがいます。

ギバーとは、与える人のことです。
マッチャーとは、バランスを取る人のことです。
テイカーとは、取る人、奪う人のことです。


組織心理学者のアダム・グラント氏いわく、「世の中には、25%のギバーがいて、56%のマッチャーがいて、残りの19%がテイカー」とのことです。

私(竹内成彦)は、典型的なマッチャーです。

ギバーって言いたいところですが、私はギバーではないし、ギバーにはなれません。←人からは、ギバーって言われることが多いです。恐縮です。

テイカーは、意識的・無意識的に、人から時間やお金やモノを奪っていきます。

この無意識的というのが曲者で、たとえば私は、今、あるオンライン講座に参加しているのですが、セミナー講師から、「今からシェアタイムをします。
5人で15分、差し上げます」と言われたにも関わらず、ひとりで10分以上も、自己紹介も交え、長々と喋る人が少なからずいます。
そんな人が1人でもいると、まぁ、実際いることが多いのですが…、残りの4人は、1人1分ちょっとしか喋ることが出来なくなってしまいます。

これは、非常に不公平なことです。そして、せっかくのシェアタイムが台無しです。
もっと言うと、セミナーそのものも、意味のないものにもなりかねません。

長々と喋った人に悪気はありません。
「自分は気さくで朗らかなおばさんだ」ぐらいに思っていたりしています。
そう、自分が多くの人の時間を奪ったことに気付いてないのです。
そういう時間泥棒のテイカーは、世の中にたくさんいます。

また私のカウンセリングルームに、お気軽に電話をかけてくる人がいます。
そしてわざわざ私に尋ねるのです。
「そちらのカウンセリングルームは、カウンセリング料金はおいくらなのですか?」と…。
そして、ついでに自分の悩みごとまで喋り始めます。

私の予約専用の電話番号は、ホームページにしか載っていません。タウンページにも載せていません。ホームページを見れば、カウンセリング料が幾らか? 書いてあります。見れば幾らか? わかる筈です。
それを、ろくに見もしないで、電話をかける…という行為に及ぶのです。

電話をかけている人には、「自分は、相手の手を煩わせている」「自分は、相手の時間を奪っている」という意識がありません。
だから悪気なく、電話をかけることが出来るのです。

私が、ホームページにも、そして私が発行しているメルマガにも、「お気軽にお問い合わせください」と書いてないのは、書いたことが1度もないのは、テイカーの餌食になりたくないからです。
私のカウンセリングルームに通ってくださっているクライアントとの時間を、何よりも大切にしたいと思っているからです。

長い行列が出来ている駅の切符売り場で、長時間並び、やっとのこと、切符購入場所まで辿り着いて、そして初めて財布を開けて、運賃を確かめるおばさんは、残念ながら、後ろに並んでいる人のことを考えない時間泥棒のテイカーです。

混んでいるマクドナルドに行って、店員の女の子に、「今日は、どのハンバーガーが美味しい?」「俺の口に合うハンバーガーはどぉれ?」等と尋ねるおじさんも、立派な時間泥棒のテイカーです。

ちなみに私(竹内成彦)は、銀行のATMの操作は、メチャメチャ早いです。世界一速いのではないかと思うくらい早いです。それは、後ろに並んでいる人を待たせてはいけないと思うからです。

皆さん、人のお金を取ったり、人のモノを取ったりすることに関しては、自覚があることが多いのですが、人の時間を奪うことに関しては、案外無頓着だったりします。

と、ここまで言うと、「竹内は、なんてせっかちな、神経質な奴だ」と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
私は結構のんびり屋で、店員さんがゆっくり作業していても、イライラしたり急かしたりすることはありません。
私自身も、急かされたりするのが大嫌いだからです。

ただ私は、自分の時間を不必要に奪われたくないし、人の時間も不必要に奪いたくないと考えているだけなのです。

喫茶店に行って、「相手の話を聞かず、自分ばっかり話して、お勘定は割り勘」とおっしゃる人は、自分がテイカーだという自覚を持ったほうがいいです。

男性におごってもらってばっかりで、「ありがとう」も「ごちそうさま」も言わない女性は、自分がテイカーだという自覚を持ったほうがいいです。

テイカーは、一時的に見れば、得しているように見えるかもしれませんが、長い目で見ると必ずと言っていいほど損しています。
人望を失い、不幸な人生を歩むことが多いからです。

この記事をご覧のあなたが、テイカーでないことを、私は心から祈ります。

今日も最後までお読みくださって、どうもありがとうございます。
心から感謝申し上げます。


この記事を書いた人は、心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です
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2024年06月22日

気づかぬうちに陥る「現代の情報弱者」とは誰か

気づかぬうちに陥る「現代の情報弱者」とは誰か
「だまされる人が愚か」だと言い切れない事情
佐々木 俊尚 : 作家・ジャーナリスト
2024/06/21 東洋経済オンライン

現代は、人をだますことがかつてないほど容易な時代。

そして人は誰しも、多少なりともやすやすとだまされてしまう性質を秘めている。
*世界でベストセラーになった『全員“カモ”』

毎日といっていいほど報道される特殊詐欺のニュースは決して他人事ではないのだ。

今、もっとも詐欺のカモになりやすいのは、どのようなタイプなのか。
人間の「だまされやすい性質」を克服するにはどうしたらいいのか。

「起こらなかったこと」に目を向ける重要性

全員“カモ”: 「ズルい人」がはびこるこの世界で、まっとうな思考を身につける方法
時代を問わず、ステレオタイプ的なものの見方をする人はたくさんいます。
特にX(旧ツイッター)などを見ていると、いわゆる大衆の感情や思考の傾向がよくわかる。
本書には、大衆がどういう認知の歪みに陥りやすく、いかにして詐欺の手のうちに落ちてしまうのかという考察と事例が多く載っており、日ごろSNSをウォッチしている身としても「たしかに」と首肯するところが多くありました。

たとえば本書には、「洪水を防ぐための予防策は成功しても称賛されないが、堤防が決壊すると市民の怒りを買う」という話が出てきます。
「何らかの行動によって悪いことが起きるのを防いだとき、私たちはめったに覚えていない」、ゆえに「起こらなかったことに目を向けること」の重要性を指摘しているのですが、そこで思い出されたのは、反ワク派――つまり新型コロナウイルスのワクチンに反対していた人たちです。 

ワクチンが開発され、世界中で10億人以上に接種されたことで、パンデミックはようやく収束に向かいました。
ところが、そういう話をXにポストすると、必ずといって「私はワクチンを打っていないけど一度もコロナにかかっていない」「本当は新型コロナワクチンなんて不要だ、製薬会社の陰謀だ」というリプ(返信投稿)が山ほど届く。でも、その人たちがワクチンを打たずに元気でいるのは、まわりの大半の人たちがワクチンを打ったことで感染拡大が食い止められ、ウイルスに曝露する確率が低くなったからでしょう。

大勢のワクチン接種という行動によって、感染拡大という悪いことを防いだ、その事実が反ワクの人たちには見えていないわけです。
もう少し世の中を俯瞰的に見て「もし世界の誰もワクチンを打たなかったらどうなっていたか」などと考えてみれば、ワクチンの有効性がわかるはずなのに、「“自分は”ワクチンを打たなくても大丈夫だった」という視野狭窄に陥っている。
このように自分のことしか見えない、考えられない人は存外に多いという現実を、コロナ禍で改めて思い知りました。

SNSで「現場の声」が可視化されている
人は往々にして「現場意識」を見過ごしがちです。
「お客さん意識」が強く、何かを実際に運用している側にはなかなか想像が及ばない。
先ほど挙げた本書の「堤防」の例からも、国や自治体に怒ることばかりに役割意識を感じ、現場で予防策のために力を注いでいる人たちには目が行かない、そんな人々の姿が垣間見られます。
「権力VSか弱き市民」「システムVS非システム」みたいな二項対立でものを考えがちなのです。
そういう構図で物事を描いて発信してきたメディアの責任も大きいでしょう。

そんな中、SNSが普及して誰もが発信できるようになったことで、いわゆる「中の人」的な現場のありようにも目を向ける人が増えてきました。

たとえば数年前に、車椅子の人がバリアフリー非対応の映画館に行き、スタッフにスクリーンまで運んでもらったところ、「次からはバリアフリー対応の設備に行ってくださいね」と言われたというエピソードがXで話題になりました。
「障がい者を排除するな」という批判の声が上がる一方、「車椅子をかついで運んだスタッフが気の毒」「現場の判断で、そこまで対応したのは親切」という声も多く見られました。

どちらが正しいという話ではありません。
何やら強固で強大なシステムに一般市民が物申すという二項対立ではなく、その狭間にいる「システムを実際に運用している現場の人々」の存在が可視化されてきた。
かつて見過ごされてきた「現場」に目を向ける人が出てきたことで、世間一般のものの見方のバランスが変わってきたと感じています。

視点の長さを伸び縮みさせる
ただ、現場の視点とは、言い換えれば、かなり絞り込まれたミクロな視点ですから、あまりにもそこに偏ると、今度は俯瞰的にものを考えられなくなってしまうでしょう。

最近の事例でいうと、北陸新幹線の未着工区間、敦賀〜新大阪間のルートを巡る議論です。
当初は京都を経由することが決まっていました。
ところが、ここへきて環境保全の観点から京都府が難色を示し始めたこともあり、新大阪までの延伸計画は暗礁に乗り上げています。
地元民の間でも「京都に北陸新幹線が通っても地元にメリットはない」「そもそも東京から金沢あたりまで行ければ十分。新大阪まで延伸する意味はない」などと紛糾していますが、どれも俯瞰的な視点を欠いていると言わざるを得ません。

そもそもなぜ北陸新幹線の区間が東京〜新大阪になったか。
それは、古くにつくられた東海道新幹線がコンクリート製の陸橋ではなく、盛り土の上に敷かれた線路を走っているため、ちょっとでも強い雨や雪に降られると、線路の土台が崩れて走行できなくなる恐れがあるからです。

つまり北陸新幹線には、東京と新大阪を結ぶ大動脈である東海道新幹線が機能しなくなったときのセーフティネットという意味合いがある。
「北陸新幹線が新大阪まで延伸する」という話に接したときに、こうした背景について考えが至らない人ほど、「地元のメリット」「自分にとって便利か、不便か」というミクロな視点でしか見られないわけです。

一事が万事で、ある物事について考えるときには、俯瞰的な視点も持ち合わせていないと、事の本質を大きく見誤る可能性があります。
近くで見たら、今度は一歩引いて遠くからも見てみる。
マクロ的な見方とミクロ的な見方を行き来する。一方から見たら反対側からも見てみる。いろんな意見に接してみる。このように、ものの見方の「射程」を伸び縮みさせることが大切です。

メディアが仕掛ける「情報エンタメ」のしくみ
ものの見方の射程を伸び縮みさせる重要性について述べてきましたが、視野が狭いものの見方をする危険性は、そのまま「だまされやすさ」にも通じていると言っていいでしょう。
人はいかにだまされるか。その事例が鋭い考察と共に紹介されている本書を読んでいると、そんな「カモにされやすい人」の類型が想起されます。

まず、「情報弱者」は間違いなくカモられやすい。
たとえば、テレビのワイドショーに乗じて怒ったり騒いだりしているような人たちです。

ワイドショーは、たいてい「おもしろい人」「キャラが強い人」「ズバリ言い切る人」「何か含蓄に富んでいるように見える人」などを瞬発的に選んでコメンテーターに据えているだけで、「その道の本当の専門家であること」「まともな知見にもとづいていること」「一貫性があること」といった信憑性の優先順位は実は非常に低いのです。
そのため昨日と今日とでは論調が真逆であることもしょっちゅうです。

そういうものに飛びついて安易に怒ったり騒いだりする人は、総じて真実を知ろうとする姿勢に欠け、大きな声に流されやすい。
いってしまえば、ワイドショーは「情報弱者の人たちをいかにカモにするか」というビジネスモデルであり、しかも、それがしっかり的中してしまっているという意味で秀逸なビジネスモデルと言えます。
ワイドショーだけでなく、SNSで過激な意見を発信しているインフルエンサーも同様。

また、YouTubeを見て「9割の人が知らない世界の真実」といった、いわゆる陰謀論にハマる人も「カモにされやすい情報弱者」の類型に入るでしょう。
それこそ反ワク派の多くは、情弱であるがゆえにワクチン陰謀論にからめとられている、要はカモにされているわけです。

私は、現代は「専門家の時代」であると思っています。
玉石混淆の情報が膨大に溢れているからこそ、「玉」の情報を発信する専門家の存在価値が高まっており、情報を受け取る側である私たちは、常に「信用できる専門家かどうか」を見極めなくてはいけません。
手始めにテレビに出ているような「自称・専門家」の言うことを鵜呑みにせず、むしろテレビにはあまり出ていない複数の専門家の発信を並列的に眺めるようにすることで、「カモにされやすい情報弱者」にならずにすむでしょう。

無邪気なだけに危険
世の中には「成功者が成功の秘訣を説いた本」があまたあります。
しかし結局のところ、成功とは「時の運」によるところが大半です。
たまたま、自分のアイデアが世の中のニーズにマッチした。
たまたま、いい協力者に巡り会えた。
こうした偶発的なラッキーが積み重なった結果に過ぎません。
したがって、仮に、その成功者と同じことを同じように実践したとしても、同様に成功できるとはかぎらないわけです。

成功と失敗は紙一重であり、一握りの成功の陰には幾万の失敗例があるはずです。
では、その一握りの成功に必然性があったかというと、そうとは言えないでしょう。
にもかかわらず「自分はこれをしたから成功できた」と断言するのは、決して悪気はないだろうとはいえ、一種の「成功者バイアス」でしかありません。

その人がどんな苦労を経たのか、どのように立ち上がり、新しいことを発想し、まわりの人たちも巻き込んで成功するに至ったのか。成功譚は読むだけで気持ちが高揚し、その人が示す教訓を取り入れたくなるのはわかります。
その「信じたい気持ち」「夢見る気持ち」が、成功譚をノウハウ化して売り物にしている成功者のカモにされていると見ることもできるのです。

知人の経営コンサルタントが、以前、こんなことを言っていました。
「ものが売れる理由というのは存在しない。ただし売れない理由は必ずある」――成功には再現性がないが、失敗には再現性があるということです。
ならば、成功した経営者の話ではなく、失敗した経営者の話を読んだほうが、よほど有意義な教訓を得られるに違いありません。

もっと話を広げれば、有名な成功者をかたった詐欺メールやロマンス詐欺に引っかかる人も、同じ類型に入ります。
「なぜ、縁もゆかりもない有名人が自分にメールを?」「なぜ、こんなに素敵な人が急に自分を好きになった?」と疑うことなく、「自分こそ選ばれた人なのだ」と考えてしまう。
でも、そんな降ってわいたような甘い夢物語は、まず現実には起こりません。カモにならないためにも、そう肝に銘じておいたほうがいいでしょう。

自分も笑っている場合ではない
『全員“カモ”』を読んだうえでXを眺めていると、「カモになりやすい予備軍」の人たちがたくさんいることに改めて気づくかもしれません。

特殊詐欺のニュースなどに接したとき、多くの人は「だまされるほうがバカだ」と笑うでしょう。
しょせんは他人事なので嘲笑し、エンタメの1つとして消費してしまう。
でも本当は、決して他人事ではありません。

いつ、自分も同じ落とし穴に陥るかわからないのです。
エンタメ化するのではなく、「どうして、この人はだまされてしまったんだろう」と一歩引いて考えてみることが、多種多様な「だまし」がはびこっている今、自分の身を守るためには必要だと思います。

(構成:福島結実子)
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2024年06月23日

「そこまで税金使って何故やる」マイナ保険証

「そこまで税金使って何故やる」マイナ保険証普及で「病院へインセンティブ倍増40万円」窮余の策に「お金とかポイントで釣るような政策は止めませんか」批判殺到
2024.6.22 c SmartFLASH

マイナ保険証のトラブル続発で「総点検本部」を設置した河野太郎デジタル相

マイナンバーカードに保険証の機能を持たせる「マイナ保険証」の利用率が7.73%(2024年5月時点)と伸び悩むなか、厚生労働省は「なりふり構わないニンジン作戦」(経済ジャーナリスト)を発表した。

「現行の紙の健康保険証は2024年12月で発行を終了します。
そのため厚労省は、マイナ保険証利用促進のポスター掲示、患者への利用の呼びかけなどで利用者が一定数増加した病院には最大で20万円、診療所と薬局には最大で10万円の支援金を支払うことで利用者数アップを図ってきました。
しかし利用率は低いまま。
そのため、この支援金を2倍に増やす方針を固めました。
病院は最大40万円、診療所と薬局は最大20万円です。
一方、窓口で現行の保険証を受け付けないなどによる、トラブルも発生している模様です。
万策尽きたとは言いませんが、カネのばら撒きにすがるしかないという感じすらします」(前出・経済ジャーナリスト)

マイナ保険証が普及しない背景には、「読み取り機で窓口負担割合の誤表示がある」「情報のひもづけに誤りが発生する」「個人情報の漏洩、マイナカードが偽造される心配」などがある。
さらには12月以降、マイナ保険証を保有していなくても保険者から「資格確認書」の交付を受ければ、これまで通り保険診療が受けられるということもある。

「しかも当初、政府は国民に『マイナカードの所有は任意』と説明していましたが、最近はどんどん『強制』になってきています。
先日は、携帯電話契約時にICチップ付きマイナカードの提示が義務付けられることが決定しました」(週刊誌記者)

Xにも今回の「支援金倍増」に対し、疑問の声が寄せられている。

《お金とかポイントで釣るような政策は止めませんか》

《こういう余計な事してるから予算がないとか消費税とか増税必須とかいうんじゃない》

《患者が使用したら病院へお金を配るって変な政策。 使用した患者に払えって感じ》

《支援金を増やせば増やすほど不信感が強くなる。そこまで税金使って何故やるの??》

「行き当たりばったり」の政策に国民の不信はマックスになっている。
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2024年06月24日

「ありったけの地獄」沖縄戦とは何だったのか

「ありったけの地獄」沖縄戦とは何だったのか
6/23(日) 朝日新聞デジタル

 米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼んだ。
爆弾の降り注ぐさまは「鉄の暴風」と形容された。
いまから79年前、日米最後の地上戦が沖縄であった。
どのような戦いだったのか。何をもたらしたのか。
6月23日は、沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」。解説します。

■なぜ、沖縄が戦場になったのか
 日本は米国などと戦争をしていた。
太平洋の島々を奪った米軍は、日本本土を攻めるための前進基地として沖縄占領を目指した。
日本はすでに敗色濃厚のなか、沖縄の日本軍は、日本本土を守るため、米軍を沖縄にひきとめて時間をかせぐ「持久」作戦をとった。

■「沖縄戦」とはどういうものなのか?
 沖縄で最初の大きな被害は1944年10月の「10・10空襲」だ。
死者は軍人と民間人あわせて668人とされる。
45年になって、航空機で軍艦に体当たりする日本軍の「特攻」攻撃も始まった。
特攻による死者は数カ月間に約2500人ともいわれている。

 米軍は45年3月末、空襲や海上の軍艦からの砲撃につづき、慶良間諸島に上陸。
4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸した。
このころから約3カ月にわたる戦いを一般に、沖縄戦と呼ぶ。

 沖縄本島の上陸地から本島北部にかけては約2週間で、米軍に占領された。
日本軍がおもに待ち構えていた本島中部では、約40日間にわたって激しい戦いがあった。
しかし、追い詰められて、首里城地下にあった司令部を捨て、日本軍は本島南部へしりぞく。
大きな戦いはその後約1カ月間続いた。

■住民の被害は?
 沖縄戦は、軍隊と軍隊、軍人と軍人が戦う、というだけではなかった。
沖縄戦では、子どもも含む住民が、足りない軍人の代わりや手伝いをさせられたりした。
軍人も住民も、混在したまま地上戦がつづいた。
日本軍が南部に追い詰められてからは特に、米軍の無差別な攻撃に、軍人も、住民も次々と命を奪われていった。
こうしたことから、沖縄戦では、軍人よりも住民の命が多く失われたといわれる。
かつて日本が統治していたサイパンやテニアン、サハリン、満州などでも地上戦はあったが、いまの日本で、このような体験をしたのは沖縄だけだ。

 沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれている。
日本兵に命を助けられた人はもちろんいる。
でも、日本兵に命を脅かされたり、スパイとみなされ、実際に命を奪われたりした人たちがたくさんいる。

■地上戦の特徴とは?
 太平洋戦争の間、日本本土では、飛行機から爆弾を落とされる空襲で大変な思いをした人がたくさんいる。
一方、沖縄には米軍が上陸し、住民が暮らしていた場所で、米軍と日本軍が戦った。
空からの攻撃にくわえ、陸からは銃や大砲、火炎放射器で襲われ、海からは艦砲射撃で狙われた。
爆弾が大嵐のように降り注いだことから「鉄の暴風」とも言われる。
米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼んだ。

 とくに多くの住民が犠牲になった沖縄本島南部の喜屋武半島では、1カ月間に約680万発、住民1人あたり50発ほどが撃ち込まれたともいわれている。

■どれくらいの人が戦った?
 米軍は後方支援も含めておよそ55万人、日本軍はおよそ10万人。
武器の量や性能をあわせた戦力の差は米国が日本の10倍以上だった。
そのうえ日本軍の10万人のうち、2万数千人は、沖縄にいる一定の年齢の男子を急きょ兵隊として集めてつくられた「防衛隊」や「義勇隊」、いまの中学生や高校生くらいの生徒たちでつくる「学徒隊」だった。

 防衛隊の年齢は17歳から45歳というが、実際にはもっと幼い子どもや高齢の人もいたといわれる。
軍隊の訓練も受けず、武器もないまま戦いに参加させられることもあった。
学徒隊では「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊」がよく知られている。

■いったい何人が亡くなった?
 米国側は1万2520人。日本側はその15倍、18万8136人が亡くなったとみられている。
このうち沖縄県出身以外の日本兵は6万5908人。
沖縄県出身の軍人・軍属(正規の軍人、防衛隊や学徒隊など)は2万8228人。
一般の住民は9万4千人。
沖縄県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなったといわれている。

 ただ、いずれも推計した数字だ。
戸籍も焼けてしまって、亡くなった人の数ははっきりわかっていない。
家族全員が死んでしまった家もたくさんある。名前もわからないまま、戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」には、○○さんの「長男」とだけ彫られている人さえいる。
当時子どもだった人のなかには、両親が亡くなって自分の生年月日も、名前さえわからない人もいる。

 米軍の砲弾や銃弾を受けただけでなく、自ら命を絶つ「自決」で亡くなった人や、餓死や栄養失調、マラリアで死亡した人もたくさんいる。
沖縄から疎開(避難)したのに亡くなった人もいる。
沖縄戦前年の1944年8月、九州へ向かっていた船「対馬丸」が米軍に攻撃されて、多くの児童が海で溺れて亡くなっている。

■自決とは?
 軍人が自ら命を絶つ、つまり自殺することを「自決」といった。
当時の日本軍には「戦陣訓」という教えがあり、「生きて虜囚の辱めを受けず」、つまり捕虜になるくらいなら死を選べ、という考えが大切にされていた。
沖縄の日本軍のトップ、牛島満司令官は、本島南部においつめられて「自決」している。
大けがを負って洞窟内に寝かされたたくさんの軍人に、毒が入った飲み物が配られて死に追いやられたことを「集団自決」ということもある。

 一方で、住民の「集団自決」もあった。
米軍の激しい攻撃が続くなかで、家族や近所の人たちがガマ(自然洞窟)の中や森でまとまって命を絶つといったことが、慶良間諸島や伊江島、沖縄本島各地で起きた。
「集団死」と呼ばれることもある。
日本軍は、住民も、役所も、兵士と同じように命をかけて国を守れという「軍官民共生共死」という指導方針をとって、住民が米軍に投降することもゆるさなかった。そうしたことが背景にあった。

■歴史教科書でなにが問題になった?
 住民の「集団自決」については高校の歴史教科書を更新するときに、文部科学省と教科書をつくっている会社とのやりとりで「日本軍が強制した」という記述が削除されたことがある。
それに対して「集団自決」を体験したり、体験を聞いたりしてきた沖縄県のたくさんの人たちが、大切な歴史を消さないで、と声をあげた。
結果、「軍によって集団自決に追い込まれた住民も出た」「軍により集団自決を強いられた」といった表現が復活して盛り込まれた。

 削除された背景の一つとして、ノーベル文学賞作家の故大江健三郎さんが書いた「沖縄ノート」という本をめぐる裁判があった。
日本軍が「集団自決」を命じた、という本の記述について、当事者の元軍人らが命じていないと訴えた。
結果的には、最高裁判所が、個々の元軍人が直接命じたという証明はないと判断する一方で、「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で日本軍が深くかかわっていることは否定できないと結論を出した。
全体として、日本軍の強制や命令とする見方もありえる、ともいっている。

■沖縄戦はどうやって終わった?
 沖縄の日本軍のトップだった牛島司令官が自決したのは6月23日(22日説もある)でこの日をもって、日本軍という組織での戦いは終わった。
このトップは自決の前に「最後迄(まで)敢闘し悠久の大義に生くべし」と命令を出したと言われている。
つまり、降伏するのではなく、死ぬまで戦いつづけろ、と。

 6月23日は、沖縄で「慰霊の日」として休日になっている。
ただ、実際はトップの自決も知らずに、おびえながら逃げたり、隠れたりしつづけていた人もたくさんいて、6月23日以降に亡くなった人も多い。
久米島では8月にかけて、日本軍が住民を殺している。
米軍が沖縄戦を終えた、と宣言したのは7月2日。沖縄など南西諸島の日本軍が全面降伏に調印したのは9月7日だ。

■その後の沖縄は?
 米軍は日本全体を占領し、全国各地に基地をつくった。
1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立したが、沖縄は切り離され、72年の本土復帰まで米軍統治下におかれた。
その間、日本各地の米軍基地はどんどん減らされたが、沖縄ではあらたにつくられたり、広げられたりした。
その結果、日本にある米軍専用の基地の7割が沖縄に集中し、いまに至っている。

 一方、いまも地中には、沖縄戦で亡くなった何千もの人の骨が埋まったままだ。
撃ち込まれた爆弾で、たまたま爆発しなかった不発弾も約2千トンが地中に残っていて、戦後何十年もたってから爆発して亡くなった人もいる。

 不発弾が爆発する。遺族のもとにかえれない遺骨が新たに見つかる。
米軍基地も大きくは減らず、さまざまな被害が続く。
「まだ戦は終わっていない」という人が少なくない理由はこうしたことにある。
トラウマといって、何十年たっても、米軍機をみたり、戦争のニュースを聞いたり、花火の音をきいたりすると、怖い体験を思い出して眠れなくなったり、気分が落ち込んでしまったりする人もいる。(木村司)
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2024年06月25日

女子高生の冗談が招いた「豊川信用金庫事件」…銀行への「預金」が必ずしも安全とは言えないワケ

女子高生の冗談が招いた「豊川信用金庫事件」…銀行への「預金」が必ずしも安全とは言えないワケ
6/24(月) Wedge(ウェッジ)

 加速する「貯蓄から投資」、迎えた「金融政策転換」、景気回復の実態を伴わない「冷たいバブル」…ここ最近、経済に関するニュースが大きな話題を呼んでいます。
この身近でありながらも複雑な経済問題について、私たちはどのように向き合えば良いのでしょうか。

 今回の記事では、「銀行」が果たす役割について解説しています。
一般的に、銀行におカネを預けることは安全であると考えられています。
しかし、銀行も「株式会社」の形態を冠する企業のひとつであり、様々な安全策がとられているとはいえ、倒産のリスクはゼロではありません。
仮に銀行が倒産してしまった場合、預金者のおカネはどうなるのでしょうか?

*本記事は帝京大学経済学部教授の宿輪純一氏の著書『はじめまして、経済学 おカネの物差しを持った哲学』(ウェッジ)の一部を抜粋したものです。

おカネを循環させる「銀行」が果たす役割
 銀行の役割について整理してみましょう。
銀行の基本業務は、大きく2つに分類することができます。
ひとつは「預金・貸出」業務、そしてもうひとつは「為替」(決済)業務です。

(1)「預金・貸出」業務

 銀行は、顧客からおカネを「預金」(Deposit)として預かり、そのおカネを元手にして「貸出」(Loan)を行う、というサイクルを繰り返しています。
先ほど、金融とはおカネの融通をつけることであると述べましたが、このように銀行を中心とする金融機関が貸し手と借り手の間を仲介することによって、必要なところにおカネが回っているのです。

(2)「為替」(決済)業務

 為替とは、手形・小切手・振込など、“現金以外”で行われる決済手段のことです。
たとえば、給料の振込や家賃の引き落としなど、個人や企業との間におけるおカネのやりとりを銀行が仲介しています。
銀行の為替業務によって、遠方との取引であっても直接現金のやりとりをすることなく、瞬時に決済を完了することができます。

「預金」の仕組み

 では、それぞれの銀行業務について詳しく見ていきましょう。
まず、銀行業務における「預金」とは、銀行が預金者の口座(Account)を作り、おカネを預かることです。
また、預金者は銀行におカネを預けることで、その金額に応じた「利息」を銀行から受け取ることができます。

 一般に銀行は、預金者から預かった(借りた)おカネを元手にして個人や企業におカネを貸し出し、その利息を受け取ることで収益を得ています。
そのため、預金者が銀行におカネを預けるということは、銀行に対しておカネを貸し出している状態を意味しているのです。

 ちなみに、預金者が銀行におカネを預けた際の入金伝票は「赤色」、預金者が銀行からおカネを引き出した際の出金伝票は「青色」です。
これは、銀行にとって預金者からの入金は負債(赤字)となり、出金は負債の減少となることを表しています。
なお、「ゆうちょ銀行」はかつての郵政省の名残からか、入金伝票は「青色」、出金伝票は「赤色」と逆になっています。

 一般的な傾向として、日本人は銀行におカネを預けることは安全であると考える人が多いようですが、それは誤解です。
銀行も「株式会社」の形態を冠する企業のひとつであり、様々な安全策がとられているとはいえ、倒産のリスクはゼロではありません。

 実際、ここ最近ではアメリカ国内の銀行破綻が続いています。
2023年5月には、経営不振に陥っていた中堅銀行「ファースト・リパブリックバンク」が破綻し、米連邦預金保険公社の管理下に置かれました。
これは、同年3月に破綻した「シリコンバレーバンク」、「シグネチャーバンク」に次ぐ3行目の破綻となり、資産規模で見るとリーマン・ショック以降最大のものとなりました。

 相次ぐアメリカの銀行破綻は決して対岸の火事ではありません。
現在、日本の銀行は安定的な経営を行っているように見えますが、あくまで「預金」は銀行への貸出であると認識しておくことが大切です。

銀行が倒産したら、預金者のおカネはどうなるのか?

 一般的に「銀行破綻」は、融資先企業の経営が悪化し、銀行に貸出金が返済されないことによる焦げ付き(損金)が原因となって発生します。
該当エリアの焦げ付き比率が高まれば、その地域の景気が落ち込んでいることを意味しています。
このような状態が深刻化し、銀行が預金者の返金要求に対応できないなどの事態に陥れば、それこそ銀行の「信用問題」となります。

 また、実際には預金者への払い出しに影響がなくても、たとえば銀行に対する疑惑・不信感が高まれば、預金者が預金の払い戻しを求めて銀行支店(窓口)に殺到する「取付騒ぎ」(Bank Run)へと発展する危険性もあります。

 現に1973年には、日本でも「豊川信用金庫事件」と呼ばれる取付騒ぎが起こっています。
当時の女子高生が電車内で交わしていた冗談から、「豊川信用金庫は危ない」という誤った内容の情報が拡散され、パニック状態に陥った人々が豊川信用金庫に殺到し、取付騒ぎを引き起こしたという事件です。
現在でも、非常時にデマ情報が拡散されるなどの事例が多数見られますが、情報の扱いには十分に注意が必要です。

 ちなみに、実際に銀行が倒産した場合、私たちの大切な「預金」はどうなるのでしょうか?
預金保護(預金保険制度)については、各国で制度が異なりますが、日本では以下のように3つに分類して処理されています*1。

(1)決済用預金
 当座預金や利息の付かない普通預金などは全額保護されます。

(2)一般預金
 利息の付く普通預金や定期預金などは、金融機関ごとに1人あたり「元本1000万円まで」と「利息」が保護されます。

(3)対象外預金
 外貨預金・金融債などは保護の対象外です。
預金保険制度の対象外預金については、破綻した金融機関の財産(資産)状況に応じて支払われることとなるため、当然ですが一部カットされる場合があります。
*1 米銀の預金保護システムでは、1口座あたり25万ドルまでとなっています。

銀行で重視される「安全性・利便性・効率性」

 銀行預金の暗証番号(PIN:Personal Identification Number)は、どの国でも4桁に定められています。
これは、イギリスの名門銀行バークレイズ(Barclays)が、1967年に世界で初めて導入した「現金自動支払い機」(CD:Cash Dispenser)の暗証番号が4桁であった名残からです。
なお、CDの開発に携わった人物が自身の妻で試したところ、4桁を超える数字の羅列は記憶に定着しにくいと判断したそうです。

暗証番号は、数字の羅列が長ければ安全性が高まりますが、その分利便性は下がります。
4桁であれば1万分の1の確率で適合しますが、銀行のキャッシュカード等では数回間違えるとCDのシステムがロックされるように仕組まれています。
また、これは銀行によって異なりますが、基本的に「0000」や「1234」といった分かりやすい羅列や、誕生日などは使用することができません。

 このように、銀行の事務システムでは、「安全性・利便性・効率性」という3つの視点が重視されています。
そして、これらの視点に基づいて厳格なルールを定めることで、暗証番号の安全性は実用的なレベルに達していると考えられているのです。

「貸出」の仕組み
 「貸出」とは、銀行が個人や企業におカネを貸し出すことです。
もちろんですが、おカネを借りる側は定められた利子をつけて返済しなければなりません。
そのため、銀行が貸出を行う際には、借り手がきちんとした返済能力を持っているかを審査する必要があります。
審査の内容や基準は銀行によって異なりますが、個人では一般的に年収や勤務先、勤続年数などから総合的に判断されます。
なお、金額が大きいほど、あるいは期間が長いほど銀行が抱えるリスクは高くなります。

 社会が発展するためには、適切な融資を促すことは重要です。
融資を受けた個人や企業が事業をはじめたり、投資を拡大させたりすることで経済が成長するからです。
そのため、銀行をはじめとする金融機関には積極的な融資が期待されています。

 しかし、現在の日本経済は「老齢期」に入ってきており、おカネを借りて事業を拡大するような若い企業は少なくなってきています。
預金のうちで貸出に回る比率を「預貸率」(Loan-Deposit Ratio)といいますが、地方銀行の預貸率で7割程度、メガバンクだとなんと3割を切っています。
そのため、銀行に預けられたおカネが“余る”ようになり、国債の購入(政府への貸出)等で運用する金額が増えてきているのが現状です。

債務者を保護する「利息制限法」

 銀行融資には、銀行側のリスクもありますが、一方でおカネを借りる側のリスクもあります。
計画的な運用ができなければ、個人や企業の「信用」を低下させてしまいます。

 また、融資制度によっては自己資金や担保、保証人が必要となるため、返済が滞ってしまうと今後の生活に大きな支障をもたらす可能性があります。
場合によっては、自己破産や人間関係の悪化を招くかもしれません。
融資を受ける際は、しっかりとした事業計画や管理体制を整えることが大切です。

 なお、2010年には「利息制限法」が施行され、いわゆる金利の上限が定められています。
この上限金利を超えて金利が設定されている場合、テレビCMでよく流れているような「過払い金請求」の対象となります。

【利息制限法で規定された金利の上限】

・10万円未満 : 年20.0%
・10万円以上100万円未満 : 年18.0%
・100万円以上 : 年15.0%

 この法律の制定によって、いわゆる「闇金」が厳しく取り締まられるようになりました。
闇金とは、上限金利を超える金利で金銭貸付を行う違法な金融業者のことです。
闇金業者のなかには、そもそも免許すら取得していない業者も存在しています。

 闇金をテーマにした漫画に『闇金ウシジマくん』*2がありますが、この作品に登場する主人公・丑嶋馨も「利息制限法」の対象です。
丑嶋が経営する金融会社「カウカウファイナンス」が適用する金利は「十五」と呼ばれ、「10日で5割」というまさに法外なものでした。
それでも、通常の消費者金融(サラ金)では借り入れができない人による利用が後を絶ちません。
しかし、もちろん返済ができるわけはなく、違法で暴力的な取り立てが始まります。

 ちなみに、闇金で高利のおカネを借り入れるということは、個人破産・企業倒産の第一歩と言われています。
というのも、たとえば『闇金ウシジマくん』のように10日で5割という金利を、通常の経済行為で支払うことは困難だからです。
個人はもちろん企業でも、利益率はそれほど高くはありません。
闇金での借り入れは、まさに「終わりの始まり」と言えるでしょう。

*2 著者・真鍋昌平、『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて連載。暴利の金貸し業を通じて、社会の闇を描いた作品。2010年にはTVドラマにもなり、その後4本にわたって映画化されました。

「自己破産」と「ブラックリスト」

 闇金に限らず、借り入れた借金を返済できなかった場合には「自己破産」(Personal Bankruptcy)という制度を利用することができます。
裁判所に支払不能であることを認めてもらい、できる限りの財産を処分してもなお上回る借金を帳消し(免責)にする制度です。

 原則として、ギャンブルや風俗などの享楽が原因で借金が膨らんだ場合、自己破産の許可はされません(免責不許可事由)。また、自己破産を許可された場合であっても、税金や国民健康保険料などの債務は帳消しされません(非免責債権)。

 なお、自己破産すると、資産を差し押さえられ生活の一部が制限されるなどのデメリットがあります。
まず持ち家や車などの個人資産が回収され、住所・氏名が「官報」に掲載されます。
さらにブラックリストに載るので、クレジットカードの利用や新規の作成ができなくなります。
他にも、手続き中は一部の職業が制限されたり、引越しや旅行にも制限がかかります。
郵便物は破産管財人に管理されます。

 また、自己破産をはじめとして、口座振替不能など金融関係で事故を起こしても、約5年程度はブラックリストに名前が残ります。
ブラックリストに載ると、その期間は個人の信用情報に“傷”が付いた状態となり、自己破産ほどではないものの、借り入れやクレジットカード等の金融(信用)取引ができなくなります。

 個人の信用情報を記録・管理している「信用情報機関」(Credit Bureau)は、日本に3つ存在しています。
それぞれ銀行や消費者金融会社、カード会社、信販会社などが加盟しており、加盟社同士は情報を共有しています。

宿輪純一
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2024年06月26日

これからの時代に必要な人の特徴7選

これからの時代に必要な人の特徴7選
えらせん作家 6/25(火)

こんにちは、えらせんです。
今回は「これからの時代に必要な人」というテーマで話していきます。
社会が大きく変化する中、どんな人材が求められているのでしょうか。
AIに淘汰されない人になるために。
これからの時代を生き抜くために必要な資質について考えてみましょう。

@コミュ力が圧倒的

これからの時代、コミュニケーション能力は欠かせません。どんな人とも効果的にコミュニケーションをとり、良好な関係を築くことができる人は、仕事でも私生活でも活躍できます。
「聞く力」「伝える力」「共感する力」を磨くことが大切です。

A フットワークが軽い

変化を嫌う人は、時代に取り残されてしまいます。
「このままでいいか」ではなく「もっと良くできないか」と常に考え、行動できる人はチャンスを逃しません。
重い腰を上げて、時代の変化についていくフットワークの軽さが重要です。

B 問題解決能力が高い

社会はどんどん複雑化していきます。
問題を的確に把握し、解決策を見出せる人は、これからの時代に欠かせません。
自分て考えて物事に対応していく力を身につけ、困難な状況でも前に進んでいける人が求められています。

Cチームをまとめる力

個人の力だけでは限界があります。
チームの力を最大限に引き出し、目標に向かって全員で取り組む環境を作れる人は、これからの時代のリーダーとして活躍できます。
モチベーション管理のスキルを磨いておきましょう。

D嫌われる事を恐れない

「嫌われたくない」と思うあまり、自分の意見を言えない人は、なかなか成長できません。
自分が嫌われものになってでも、チームをよくしようと思える人は一流。
建設的な議論ができる人は、チームの成長にも貢献できるはずです。

E柔軟性と適応力がズバ抜けている

変化の激しい時代には、柔軟に対応できる適応力が求められます。
「今までのやり方」にこだわらず、新しい方法にチャレンジできる人は、時代の変化に対応できるでしょう。
固定観念にとらわれず、柔軟な思考ができる人が必要とされています。

F当たり前と思わず全てに感謝する

何事にも感謝の気持ちを持てる人は、どんな時代でも人間関係に恵まれます。
「当たり前」と思わず、周りの人への感謝を忘れない姿勢が大切です。
感謝の気持ちを持つことで、自分自身も幸せを感じられるはずです。

まとめ

あなたはできていましたか?
時代に取り残されないよう、自分自身のスキルアップを怠らず、常に成長することが求められています。
一つ一つの経験を大切にし、自分らしく生きていくことが、これからの時代を生き抜くためのカギとなるでしょう。
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2024年06月27日

「騙されていい嘘」と「絶対に騙されてはいけない嘘」の見抜き方

残念ながら「嘘をついたことがない人」はいない…
「騙されていい嘘」と「絶対に騙されてはいけない嘘」の見抜き方
2024年06月26日 PRESIDENT Online

ウソを見抜くにはどうすればいいのか。
小説家の真山仁さんは「ウソを見抜けるようになるには、たくさん騙されるしかない。
アガサ・クリスティー作品のような良質なミステリー小説は、騙される訓練としてうってつけだ」という――。
※本稿は、真山仁『疑う力』(文春新書)の一部を再編集したものです。

■「良質なミステリー小説」が最高の教科書と言える
小説、とりわけミステリーを読むことを薦めているのには、別の大きな理由もあります。
それは、日本人が文章を肯定的に読み、受け止めることに対する警鐘です。

たとえば、「台湾有事が深刻だから、日本は防衛の備えが必要だ」という記事があったとします。
読んだ人は、「大変だ!」「日本の安全保障はどうなるのか」「アメリカはどう考えているのか」などと反応する。

一歩引いて、「それって本当?」「日本は中国とそれほど仲が悪かったっけ?」という問いを持つ人は、ほとんどいません。
中国と仲が悪いのはアメリカで、日本は関係ないんじゃないのという疑問を誰も持たない。
中国が敵であるという認識を前提にして、話が進んでいってしまいます。

そもそも、戦争が正しいはずはない。
ちょっと待てよ、と考えられるようになるためには、筆者が読者に植え付けようとしているイメージ、つまり先入観を見抜く必要があります。
そのための訓練の一つが、クリスティー作品のような良質のミステリーを読むことです。

嘘や先入観に対して「ちょっと待てよ」「何かがおかしい」といったん立ち止まって違和感を持てるようになるためには、騙されて、痛い目に遭うという経験が必要です。

とはいえ、実際の人生でひどく騙されてしまうと、二度と立ち上がれないほど心を傷つけられるかもしれません。
それを安全な場所にいながら疑似体験できるのがミステリーなのです。

■ウソが上手な人は99%の真実に1%のウソを混ぜる
嘘をつく時は、99%は真実を言った方が、人を騙すことができます。

たとえば、「昨日どうしていたの?」と聞かれて「日比谷で映画を見て、その後日比谷公園を散歩したよ。
夕飯は銀座でイタリアンを食べた」と全て真実を話し、「誰と行ったのか」だけ嘘をつく。
そうすると、百回聞かれても、間違えずに同じように答えられます。

嘘をつくのが下手な人は、全部を作り話にしてしまうので、どこかでボロが出る。
「あれ、さっきと話が違うけど」と突っ込まれてしまいます。

警察が容疑者を取り調べる際に何度も繰り返し同じ話をさせるのは、繰り返す中で嘘がバレることを知っているからです。

だから、本当に徹底的に騙し通したいときには、大事な一カ所だけで嘘をつくのが正解ですこんなことを教えるのも
どうかと思いますが(笑)。

クリスティーは、「あなたはきっとこの人を疑うでしょうね」と、読者の思考を想定しながら話を進めていきます。
(編注:ここでは『葬儀を終えて』(ハヤカワ・クリスティー文庫)を題材にしています)

読者は「もしかして、私、作家の意図がわかったかもしれない」などと、ほくそ笑む。
その時点で、完全に罠にはまっている。

そして、嘘のオンパレードが続きます。

■誰を信用していいか分からなくなる
徐々に、登場人物全員が、何らかの嘘をついていたことがバレ始めます。
お金に困っている、夫婦であってもお互いを実は信用していないなどの事情も明らかになります。

アリバイに関しても、最初はアリバイがあれば疑わしくないと思っていたのに、逆に、アリバイを主張する人の方が怪しく見えるようになっていく。
どいつもこいつも、ろくでもない中途半端なやつばかり。
聖人君子なんていない。誰に対しても、怪しさが増していきます。

この作品は名探偵エルキュール・ポアロシリーズの一つなので、中盤あたりからポアロが登場します。

そして、登場人物たちが、他者の嘘を言い立て始める。

だんだん誰もが不信感のかたまりになっていく。
「あなた、あの時本当はいなかったじゃないの」と夫婦が揉(も)める。

隠しごとが露わになっていきます。

いい人だと思っていた人にも、実は問題があることが判明する。

ある人物を疑っていたのに、別の場面になると、別の人物が怪しく見えてくる。
場面づくりの順番にも作者の意図があります。

次第に、誰を信用していいのか分からなくなっていきます。

■アガサ・クリスティー作品の登場人物は嘘つきが多い
そして、ラスト百ページほどになったところで、クリスティーは犯人にある発言をさせます。
「ここで分からなきゃだめよ」とでも言わんばかりに。

その後、カードが一枚ずつ開いていくかのように、全体像が見え始めます。
最後には、この人しか犯人ではあり得ないという納得の結論に至ります。
ポアロは、この作品に限らず、嘘を見抜くということについて重要なことを語っています。

「人を長いあいだしゃべらせれば、どんな話題であっても、遅かれ早かれ正体を現わすというのが、私の確たる信念です」

長くしゃべると、ボロが出る。つまり、嘘のほころびが出てくるというわけです。

クリスティー作品の登場人物は嘘つきが多い。
この小説の中で嘘をついていない人はほとんどいません。

日本人の感覚では、嘘は悪い人がつくもの、よこしまな気持ちや後ろめたい隠し事のある人がつくものだと思い込みがちですが、中には善意でつく嘘もあります。

また、こういう嘘もあります。

事件の夜にアリバイがなくて疑われて困っていたら、「あの日、散歩途中で会ったよね」という知人が現れる。
そんなはずはなかったと思いはしても、疑いを晴らしたい一心でその言葉に縋(すが)りつき、アリバイ成立。
わざわざ証言してくれるとは、なんていい人なんだろうと感謝する。

■ウソは悪い人がつくとは限らない
だけど、これは実は、その知人が自分のアリバイを証明するために利用していただけだった、というケース。
非常にうまく嘘を利用しています。

聞いた話をすぐに自分の体験のように言う人を出してくるというのもクリスティーがよく使う手法です。
実社会でも、自分の経験ではないことを、自分の話として語る人は結構多いですよね。

「○○さんから聞いたんだけど」「○○さんが見たらしいけど」という断りを入れずに「私が見た」「私は知っている」という話に変えてしまう。

その人に、騙そうという悪意はありません。
本人も、すっかり信じ込んでいる。その話を聞いた第三者は、その事実は間違いないと考えるようになります。

この場合、嘘をつきたかったのは誰なのか。いかにも他人(ひと)の話を見てきたように言う癖のある人物に対して、わざと耳に入るように作り話をした人、そこに嘘の意図があります。

■人間の外面と内面のギャップも「ウソ」になる
イギリスのミステリー小説の特徴でもありますが、最初から湧き出るように人がたくさん出てきて、徐々に性格付けがされていきます。

その中では、「あの人は嘘つきだ」という話も出てくる。
ここで面白いのは、ミステリーの場合、「嘘つき」だと言われている人の証言は案外正しくて、「あの人は正直者だ」と言われている人の証言の方が疑わしい。あるいは、いつも弱々しい人が、実は芯は強かったり、強そうな人がもろかったりします。

人間には両面性があって、常に表に見せているのは、自分がなりたい自分です。
ところが、ミステリーではその人の真の姿を描き出し、そのギャップを嘘として使います。

小説家は、最初は本人が見せたい自分を描写します。
次に、視点登場人物にその人物を置いて、内面を見せる。

強気の男だと見えていた人が、内心ではずっとドギマギ震えている。
読者はそのギャップに驚きます。
そんな風に、書き手がリードするストーリーに、読者は誘導されていきます。

小説の世界だけでなく、先ほど例に挙げた台湾有事でも同様です。
メディアや政治家が一斉に「台湾有事に備えろ」と言い出すと、なぜ日本が中国と闘うことが前提となっているのかという問いを持つことなく、その論の中に誘導されてしまう。

この種の誘導は、日々、ある意味ミステリー作品よりも巧妙に行われています。

■騙される経験を小説で積む
情報には意図がある。
「正しさ」をさりげなく押し付けてくる。
その結果、知らない間に「NO」と言えない構図が出来上がってしまいます。

これが正義だ、これが正しい、あるいは犯人だと言われてしまうと、そうかなと思ってしまう。

しかし、そこで強い流れに巻き込まれずに、必死に足を踏ん張ってほしい。

クリスティー作品を読んで何度も騙されているうちに、「この人が嘘をつきそうだ」というのも分かるようになります。

どういうシチュエーションで嘘がつかれるのか、どういうタイプの人がどういう時に嘘をつくのかが、見えてくる。
そうすると、実生活でも、「このタイプには気をつけよう」「こういうシチュエーションでの発言は要注意」と思えるようになります。

以前、勉強会で、嘘を見抜けるようになるためにミステリーを読みましょうという話をしたとき、参加していた学生がこう言ってきました。

「真山さんは人が信じることを信じないひねくれものだから、なんでも疑えるんです。普通は無理です」

だけど、嘘を見抜くことや前提を疑うことが特殊な人にしかできない才能のようなものならば、騙されやすい人たちは一生騙されたままです。

そんなことがあってはいけない。
ぜひ、訓練してほしいと思います。

決して難しくはありません。
素振りのようなものです。
たくさんひどい目に遭うと、もうだまされたくないと決意します。
経験値が上がると、いつもならすぐに飛びつく情報を一歩下がって見ることができたり、恋愛で一気に熱が上がりそうな時にも「本当に自分のことを大事にしてくれる人なのかどうか、様子を見よう」と冷静になれたりします。

でも、そういう経験値を実人生で上げるのは非常に長い時間がかかる上に、相当な傷を負うことにもなります。

それならば、小説で、ミステリーで、疑似の人生経験を積めばいい。

■騙されていいウソ、巻き込まれてはいけないウソがある
クリスティー作品からは、殺されない方法や、殺人を犯してもバレない方法、疑われた時のごまかし方なども学べますが(笑)、もっとも重要な学びは「世の中は嘘にまみれている」と知ることです。

みんな嘘をつく。

「自分は嘘なんてついたことがない」という人ほど、大嘘つき。
様々な嘘まみれの中で、騙されていい嘘があり、巻き込まれてはいけない嘘があります。

これだけは絶対に巻き込まれてはいけないという嘘を見抜けるようになるには、たくさん騙されるしかありません。

小説を読むことは、感情移入をしながら他人の人生を生きることです。
一冊の小説で、視点登場人物の数だけ、人生を経験できます。
それぞれが、別々の価値観を持っている。
立場や状況によって、つかざるを得ない嘘もあるし、意図せず嘘に荷担している場合もある。
どんなシチュエーションに嘘があるのかを経験値として積んでいくことができます。

本講義の通しテーマは「正しいを疑う」ですが、正しさは絶対的なものではなく、何を信じているかによって変わることもあれば、正しさを押し付けたくて嘘が混ざる場合もあります。

世の中はこれほどまでに嘘にまみれているのかと、深刻に悩み過ぎないでください。

自分でそれに気づけるのであれば、心配はいりません。
それどころか、かえって世の中の在り様がクリアに見えるようになります。
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真山 仁(まやま・じん)
小説家
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2024年06月28日

「保険証を廃止すれば事故は増える」 マイナ保険証で死亡トラブルが…河野大臣は厚労省に責任転嫁

「保険証を廃止すれば事故は増える」 
マイナ保険証で死亡トラブルが…河野大臣は厚労省に責任転嫁
6/27(木) デイリー新潮

保険証を廃止すれば事故は増える

 第16代アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカーンは「40歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」と語ったという。
マイナ保険証が引き起こしているさまざまな問題に頬かむりを続ける河野太郎デジタル大臣(61)は、鏡でご自身の相貌を一度よくご覧になってはいかがか.
 ***
 政府は5月から7月までの3カ月間を“マイナ保険証利用促進集中取組月間”に指定。
新聞広告やTVCMを大々的に展開している。
しかし一方で、医療現場ではマイナ保険証にまつわるトラブルが続出。
とりわけ、本誌(「週刊新潮」)が6月20日号で報じたある死亡事例が波紋を広げている。

診療を諦めて帰宅
 改めて事案を振り返ろう。
今月4日、岐阜県在住の高齢女性(78)が搬送先の総合病院で亡くなった。
死因は心筋梗塞だった。
女性は亡くなる前日、胸痛の症状を訴えて地域のクリニックを訪れていた。
女性は軽度の認知症で、付き添った夫が彼女の代わりに病院の窓口にマイナ保険証を提示したという。
カードリーダーの顔認証による本人確認の手続き自体はスムーズだったが、

「最終段階で資格確認端末に“資格情報なし”と表示されて、保険資格が認められなかった。
窓口の事務員は10割負担の方法か被保険者資格申立書の提出(それにより、保険資格者と同じ負担割合での診療が可能)による受診を勧めました。
ですが、ご主人は女性の症状が落ち着いたことに加えて、“10割を支払う持ち合わせもない”などの理由で彼女の診療を諦めて、帰宅してしまったのです」(医療関係者)

 夫は窓口に“明日(紙の)保険証を持って出直します”と告げていたが、翌日未明に再び女性の容体が悪化。帰らぬ人となってしまったのである。
後日、夫は周囲に対して「(紙の)保険証を持って行かなかったことを後悔している」と語ったという。

「紙の保険証なら起こり得なかった」

 デジタル庁や厚労省は本誌の取材に対して、システムに起因する不具合を否定した。
だが、仮に患者側の申請段階に不備があったとしても、こうした事態は予見できたはずだ。

「現場では通信エラーや機械の不具合が起きている。
紙の保険証であればこんなことは起こり得ませんでした」(前出・医療関係者)

 もっとも、マイナ保険証利用促進の旗振り役である当の河野大臣は14日のオンライン記者会見で、フリーのジャーナリストから「死亡事例が岐阜県で起きている。それについての報告を受けていないのか」「(マイナ保険証を)進める立場で死亡事例を知ろうとしないのか」などと重ねて問われた際、

「厚労省にお尋ねいただきたいと思います」
 との回答に終始。仏頂面でわれ関せずの態度を貫いた。

「ひどい答弁は日常茶飯事。
質問の最中に話を打ち切り、木で鼻をくくったような答えばかりをします。
今回が初めてではなかったので、別に驚きませんでした」

 とは、質問をしたジャーナリストの横田一氏である。

 河野大臣は横田氏から本誌6月20日号の記事を読んだかと聞かれて、「読んでおりません」とも答えているのだが、

「紙嫌いの河野大臣ですから、紙の新聞・雑誌を読む習慣がなく、ネットの記事しか読まないのかもしれません。
いずれにしても、ほかの大臣では考えられない対応です」

改めて本誌はデジタル庁に、河野大臣の他省に責任転嫁する姿勢について質したところ、

〈本件につきましては、事実関係不明確のため回答をお断りいたします〉
 とのみ、メールで返事があった。

責任転嫁は無責任

 大阪府保険医協会の井上美佐副理事長が言う。

「河野大臣は会見で(死亡事例について)“厚労省にお尋ねいただきたい”と述べておられますが、デジタル庁がマイナ保険証を推進している以上、その過程で起きた事故を厚労省に責任転嫁するのはあまりにも無責任です。
デジタル庁が所管外なのであれば、なぜ河野氏は保険証の廃止を推進しているのでしょうか」

 そしてこう指摘する。

「『マイナポータル』の利用規約には免責事項として“利用者本人又は第三者が被った損害について、デジタル庁の故意又は重過失によるものである場合を除き、デジタル庁は責任を負わないものとします”とする条項があります。
デジタル庁は常に、自分たちに責任が及ばないように振る舞ってきたのです」

 さらに続けて、

「現状ではマイナカードの取得は国民の義務ではありませんが、デジタル庁は12月にマイナ保険証を事実上義務化します。
そのマイナ保険証は厚労省、総務省、デジタル庁の3省庁が協力して進めている事業。
その問題について、どこも責任を取らずにここまできたのは、制度上の欠陥では」

「保険証を廃止すれば、事故がより増える」

 先の横田氏が言う。

「窓口でマイナ保険証の読み取りがうまくいかなかった患者が大声で怒鳴り、警察沙汰になった事例もありました。
患者が読み取りに手間取り、行列になれば、なかには診察を受けずに帰ってしまう人もいるかもしれない。
結果、今回のように死亡事例につながる可能性も十分にある。
半年後に保険証を廃止すれば、事故がより増えるのは火を見るよりも明らかです」

 河野大臣の聞く耳を持たぬ、その鉄面皮には国民もいい加減、へきえきしている。

「週刊新潮」2024年6月27日号 掲載
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2024年06月29日

突然の【こむら返り】激痛の原因は?正しい対処と予防方法も紹介

突然の【こむら返り】激痛の原因は?
正しい対処と予防方法も紹介
ココカラネクスト
2024年6月28日

 皆さんは、寝ているときに突然足がつって目が覚めてしまった経験はありませんか?

運動中や就寝中に突然起こる激痛に悩まされるのはつらいですよね。

「足がつる」とは、足の筋肉の痙攣のことで、「こむら返り」ともいいます。

この記事では、こむら返りが起きたときの対処方法と予防方法についてご紹介します。

「こむら返り」は体からの危険信号からの危険信号

1.こむら返りの原因

こむら返りとは、筋肉の過度な収縮によって痛みを伴う痙攣が起きていること。
つまり、筋肉が縮みすぎてしまっている状態です。
では、なぜ筋肉が痛いほど縮んでしまうのでしょうか。

以下の原因が考えられます。

(1)筋肉の疲労
(2)水分不足
(3)ミネラルバランスの乱れ
(4)冷え(※1)
(5)自律神経の乱れ(※2)
(6)糖尿病や甲状腺機能低下症など何らかの病気

その他、加齢やストレスもこむら返りの原因となることがあります。

1-1.春はこむら返りが起きやすい?

筋肉の疲労やミネラルバランスの乱れなど、さまざまな原因で起こるこむら返り。
実は、とくに春はこむら返りが起こりやすいと考えられています。

私たちのからだは、暑さや寒さを感じると、自律神経を働かせて体温を調節します。
そのため、寒暖差が激しい春は自律神経のバランスが乱れがちになるのです。(※3)

また、春は就職、引っ越しなど身の回りの大きな変化がありストレスもたまりがち。
ストレスもまた、こむら返りの原因のひとつであるため、春はこむら返りのリスクが高まる季節と考えられます。

2.こむら返りの正しい対処法

こむら返りが起こったとき、あまりの痛みにあわててしまうこともしばしば。
できるだけ早く痛みを軽くしたいですよね。
そこで、こむら返りが起こったときの正しい対処法と、普段からできる予防方法を合わせてご紹介します。

2‐1.痙攣が起こったとき

(1)筋肉を伸ばすストレッチをする

こむら返りが起こったとき、筋肉は縮んでいる状態です。
そのため、筋肉を優しく伸ばしてあげると、痛みがやわらぎます。

例1:つま先をつかんで、ゆっくりすねの方に引いてふくらはぎを伸ばす
例2:立った状態で壁に両手をつき、体重をかけながら痛い方の足を伸ばす

(2)痛いところをさする

すぐにストレッチをするのが難しいときは、痛いところをさするだけでも痛みがやわらぎます。

2‐2.日常的な予防方法

こむら返りが起きたときに対処することも必要ですが、そもそもこむら返りが起こらないように予防することも大切です。

普段の生活のなかで、予防のためにできることをご紹介します。

(1)水分補給を心がける:運動前や就寝前はとくに意識する
(2)足を冷やさない:寝るときに靴下を履く
(3)ミネラルを摂る:海藻類、ナッツ類、乳製品、大豆製品などを摂(4)筋肉をほぐすストレッチをする:ふくらはぎや
太ももの筋肉をストレッチする

取り組みやすい予防法から実践し、少しずつ習慣化していけるといいでしょう。

3.こむら返りの対策には漢方薬もおすすめ

予防法を試しても、こむら返りが何度も繰り返されてつらいという方には、漢方薬の服用もおすすめです。

漢方薬は対症療法だけではなく、体質の改善に働きかけることで、つらい症状の根本的な解決にも役立ちます。

また、セルフケアを毎日続けるのは苦手という方でも、お薬を服用するだけなので手軽に継続できるというメリットがあります。

こむら返りの対策には、「血液や水分の循環をよくして筋肉をゆるめる」「筋肉に酸素や栄養を届け、疲労を軽減する」「からだを温めて筋肉をゆるめる」などの働きがある漢方薬を選びます。

<こむら返りの対策におすすめの漢方薬>
●芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
:筋肉の緊張をゆるめて、痙攣で生じた痛みをすばやく緩和するため、こむら返りが起きたときに頓用で使用されます。

●疎経活血湯(そけいかっけつとう)
:栄養を補って血液や水分の循環を改善し、冷えている部分を温めて、関節痛や神経痛、筋肉の引きつりや痛みをやわらげます。

4.予防と対処のダブルで撃退!こむら返りはもう怖くない

とても痛いこむら返り。普段からできる予防法と、起きたときの対処法のダブル対策でこむら返りに苦しまない生活を目指しましょう。

漢方薬を上手に取り入れて、万全の対策を!


参考サイト
(※1)倉敷平成病院だより栄養科通信 vol. 135「『こむら返り』を予防するポイント」http://www.heisei.or.jp/blog/?p=9425  

(※2)一般社団法人公衆保健協会 検査室「検査室だより」https://www.hoken-k.or.jp/kc/files/bulletin/202205.pdf

(※3)一般社団法人 新潟県労働衛生医学協会 新潟ウェルネス「春と自律神経の乱れについて」https://www.niwell.or.jp/news/health/000052.html

[文:あんしん漢方]

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
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2024年06月30日

"老後に貯金が必要"は大嘘か

"老後に貯金が必要"は大嘘か
2024年06月29日 PRESIDENT Online

老後に必要なお金はどのくらいか。
医師の和田秀樹さんは「世間の人々は、不安、不安という言葉に惑わされて、必要もないのに貯金に励んでいるように見える。しかし、厚生年金がもらえる予定なら、老後の資金としての貯金は500万円あればいい。

将来的に年金の受給額が減るという噂もあるが、年金が国の制度である以上、これから20〜30年は、食べるのに困るほど減らされることはないはずだ」という――。
※本稿は、和田秀樹『死ぬまでひとり暮らし 死ぬときに後悔しないために読む本』(興陽館)の一部を再編集したものです。

■「年金+500万円」、これだけあれば生きていける
世間では、老後の心配を煽って、ことさらに貯金をすすめる風潮があります。
しかし、これは間違いです。
実際のところ、老後にはほとんどお金がかかりません。

誤解を恐れずにいえば、現在、そこそこの大企業に勤めていて、定年まで大過なく過ごす自信があれば、老後に備えた貯金は1円たりとも必要ありません。

なぜなら、生活費を賄えるだけの年金がもらえるし、退職金ももらえます。
企業年金にまで入っている場合は、生活費を賄ってもお釣りがくるくらいです。

さらにいえば、介護保険を使えば、寝たきりになったときに入る有料老人ホームの入居費用もひとり当たり500万円程で済んでしまいます。
今は、これさえ取らないホームも増えているくらいです。

ここで、老人ホームに入る場合にかかるお金の話を少し説明します。

有料老人ホームに入居する場合、介護保険が使える要介護認定の下りた人であっても、月々のホームの家賃や食費は全額自己負担になります。

額は、夫婦で入居したとしても、一般的なホームの場合、月に20〜25万円というところなので、年金で賄える額です。

「立ち上がりや歩行などが自力では困難で、支えが必要。排泄や入浴、衣服の着脱などに全面的な介助が必要。
いくつかの問題行動や理解の低下が見られることがある」という要介護3の人の場合、介護保険の利用限度額は月27万円前後なので、自己負担は約3〜9万円でかなりのレベルの介護が受けられることになっています。

■要介護でなければ老人ホームは意外と安く済む
では、なぜ入居費用が500万円で収まるのかというと、有料老人ホームの価格破壊です。


ホーム側からすると入居者からの家賃や食費に加え、介護保険からも安定した収入が得られることになります。そこで、最初の入居時の費用を抑えめに設定したというわけです。老人ホームも過当競争に勝たなければならない時代なのです。

ただし、これは「特定施設入居者生活介護」の指定を受けた「介護付有料老人ホーム」の場合の話です。
そのほかの施設は「住宅型有料老人ホーム」、「グループホーム」があります。

住宅型有料老人ホームは、介護サービスを使っただけ自己負担額が増えるシステムなので、介護がほとんど必要ない高齢者は安く済みます。

対して、寝たきりなどで多くの介護が必要になってくると、費用もかかってくることになります。
それでも、介護保険の範囲内のサービスなら、要介護5になって限度額いっぱいまで使っても、自己負担額はもっとも低い場合3万6000円程度です。

公的機関が運営する特別養護老人ホーム(特養)は、待機者が全国で27.5万人といわれているので、かなりの入居待ちを覚悟しないといけません。

それを考えると、民間の老人ホームを視野に入れておいたほうがいいでしょう。
立地やサービスがそれなりにいい老人ホームでも入居費用が500万円前後で済むところはたくさんあります。

■不安という言葉に惑わされて、必要もないのに貯金に励む人たち
さらに高齢になり、ひとり暮らしが難しくなってきたとしても、このくらいなら、生活費を差し引いた年金の余りと退職金ですべて賄えるはずです。
そんなわけで「老後に備えた貯金は1円たりとも必要ない」のです。

「大企業には勤めてないし」。こう不安に思った人も、安心して下さい。

結局のところ、寝たきりになったときに必要なお金は、やはり500万円です。

ヨボヨボになるまでひとり暮らしを続けたとします。
いよいよ立ちいかなくなった。
そうなったときには、旅行に行くわけでもないし、習い事をするわけでもありません。

普段の生活ができればいいのです。
厚生年金がもらえる予定なら、老後の資金としての貯金は500万円あれば大丈夫です。心配は、杞憂に過ぎません。

将来的に年金の受給額が減るという噂もありますが、年金が国の制度である以上、あなたが受ける頃であれば(つまりこれから20〜30年は)、食べるのに困るほど減らされることはないはずです。

私には、世間の人々が、不安、不安という言葉に惑わされて、必要もないのに貯金に励んでいるように思えてなりません。

■生活保護は元をとるだけのこと、活用すればいい
それでも、万が一、生活が成り立たなくなったときには、生活保護を活用すればいいのです。

「生活保護を受けるなんて恥ずかしい」などと思う必要はまったくありません。
私たちは、これまで相当な額の税金を払ってきました。ただ、その元をとるだけです。

開き直ってセーフティネットを活用しましょう。

これは知らない人も多いのですが、年金の額が厚生労働省の定める最低生活費に満たなければ、その差額がもらえます。

年金暮らしで貯金がゼロという人は、積極的に申請するべきです。
また、車や持ち家も、それが「どうしても生活に必要」とみなされれば、生活保護受給者も特例で所有できるようになっています。覚えておいて損はありません。

生活保護を活用すれば、医療費もタダになります。
入院費用も基本的にタダです。
もちろん、個室入院などはできませんが、タダはかなり大きなメリットでしょう。

世界的に見ても、日本は福祉が充実しています。
遠慮深い日本人は、国のお荷物になってはいけない、などと遠慮して、当然の権利を手放しているのです。

こんなにもったいなく、為政者にとって都合のいいことはありません。


繰り返しになりますが、老後に必要なお金は、年金の不足分の生活費と、500万円です。そのほかに、趣味に使うお金を確保できたら、充実した余生が送れます。

寝たきりになるまでには、まだまだ時間があります。
やりたいことをガマンしなくてもいいように、自分の趣味に見合った金額を、各自で判断して貯金しておきましょう。

■70代から「高額サプリや健康食品」では遅い

60歳は分岐点です。

容や審美歯科、ホルモン補充療法、サプリメントと、これからも若さを保とうと思ったらお金がかかります。

服を新調したり、美味しいものを食べに行ったり、旅行や趣味にいそしむのにもお金がかかる。
脳の老化予防のために勉強するのにも、恋愛や遊びをするのにもお金は必要になってきます。
かけられるお金があるなら、今こそかけるべきです。

ヨボヨボになってから高額なサプリメントや健康食品を買い込む高齢者はたくさんいますが、はっきりいってちょっと遅い気がします。
70代になってから慌てても、効果はそれほど期待できません。

それよりは60代、いやもっと若い頃から小出しにメンテナンスを行っておくほうが、若さを長く保てるし、病気や老化も防げます。

老化を遠ざける生活を今から送っていれば、いきなり体や脳にガタがくることもありません。
結果的に老人になってからもお金がかからないのです。

ガマンは老化を早めます。
老後に備えてお金をとっておこうと、ガマン生活、節制生活を送っている人は、気をつけたほうがいいです。

ガマンの積み重ねで、ストレスがたまり、いざ老後がきてみたら、不健康で気力が湧かず、見た目もヨボヨボ、何もやる気が出ないということになってしまう可能性があります。

「老後のために」と考えたはずが、それによって肝心の老後が灰色になってしまっては、意味がありません。

最後の最後まで充実した人生を送るためには、ここがお金のかけどころなのです。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
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