2024年06月06日

「誰に何を聞くか」しだいで人生は大きく変わる

「誰に何を聞くか」しだいで人生は大きく変わる
知りたいことがあれば、臆せず聞きに行こう
多田 智裕 : AIメディカルサービスCEO
2024/06/05 東洋経済オンライン

今、世界的に注目されている医療AIスタートアップ「AIメディカルサービス」。
内視鏡AI(人工知能)という技術で世界に挑もうとしている。
創業者の多田智裕氏は、東京大学病院を30代で辞め、埼玉にてクリニック開業後、スタートアップという別世界に身を投じた。
そうした人生の転機にあたり、いろいろな人に話を聞きに行ったことが役に立ったという。
他人に学び、自分の力とするにはどうすればよいのか?
2024年5月に発売した著書『東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話』から抜粋・編集してお届けする。

経験していない人に話を聞いても意味はない
東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話

あまりご存じないかと思いますが、日本には、クリニックを開業しようとする医師のために、たくさんの開業コンサルティング会社が存在しています。
物件選びや資金繰り、看護師やスタッフは何人雇えばいいか、広報はどうしたらいいかなど、わからないこともたくさんありますから、開業コンサル会社にお願いする人も少なくないようです。
しかし、私は使いませんでした。なぜでしょうか。

実はずっと以前から、ファイナンシャルプランナー(FP)に資産運用を相談する人がいると聞くにつけ、私は不思議でなりませんでした。
そのFPが自分の資産運用に大成功した人であるのであれば、そのやり方を聞くのに私にも疑問はありません。
ただ、そんな人はFPとして働くことをとっくに辞めて、投資家になるなり悠々自適に暮らすなりしているはずです。

実際は、相手のファイナンシャルプランナーの運用実績さえ知らないまま、大切なお金についての相談をする人が多いのではないか。私はそれが疑問だったのです。

開業コンサルも同じです。実際にクリニックを開業して成功した人が開業コンサルをやっているのならいいのですが、ほとんどはそうではありません。
開業で成功した経験のある医師が行うコンサル会社もあるにはありますが、数えられるくらいしかありません。

開業コンサルは、普通のビジネスパーソンです。
開業してきた人たちをかたわらでたくさん見てきたかもしれませんが、実際に開業した経験があるわけでは決してありません。実際にすべてやったのと、脇からその一部を見ているのは雲泥の差があります。
コンサートの歌手と観客くらい身につく実力が違うでしょう。

そういう人たちの言いなりになり、アドバイスをもらうだけならまだしも、大切な判断を任せるというのは、私には理解ができませんでした。
場合によっては数百万円にもなる高額の手数料を払って、アドバイスをもらう意味がどうしても見出せませんでした。

すでに成功している先輩に話を聞きに行った
では、私はどうしたのかというと、クリニックの開業に成功している大学の先輩方に会いに行ったのです。

「ちょっと話を聞かせてもらえませんか」とお願いすると、多くの方が快諾してくださり、すぐに会ってくださいました。

もちろん手土産くらいは持っていきますが、それで1〜2時間、いろいろためになる話を無償で聞くことができたのです。
皆さん実際の経験者であり、開業に成功している人たちですから、コンサルよりはるかに学びになったと思います。

当時はまだ東大卒の開業医が少なかったこともあって、「こっちの世界に来るの? ようこそ、おいでよ」という雰囲気でした。
「こっちの世界」と言いましたが、医師にとって勤務医から開業医になるということは、鏡の反対側に行くようなものです。

どういうことかというと、給料をもらう側から払う側になるということです。
ボーナスももらう側ではなく、支払う側になるわけです。

給料を払う側になれば、いろいろなリスクも発生しますし、カバーする業務範囲も増えますし、雇われているときには必要とされなかった税務や会計の知識も学ばねばなりません。

その一方で、大学で雇われている医師にはできない医療ができます。
自分がこだわった医療機器をそろえるのも、最高のスタッフを時間をかけて厳選して採用するのも、思いのままです。

自分のやりたい医療ができる。
先輩方の経験談を聞くにつけ、開業への意欲はますます高まっていきました。

成功者はいつもウェルカム
お願いすると、すぐに会ってもらえたと言いましたが、私は別に強力なコネクションを持っていたわけではありません。
もし勝因があるとしたら、「頼んでも、きっと教えてくれないだろう」と尻込みせず、まず門をたたいてみたことでしょう。

自分が本当に話を聞きたいと思うような人物だったら、門前払いなどせず、きっと門戸を開いてくれるはずだ!
 そう信じて、まずはメールでも電話でもしてみることです。
意外に相手はすんなりと応じてくれるはずです。

のちに起業するときも、このスタンスで通しました。
実際に起業し、数十億の大型資金調達を成し遂げた人に会いに行って、起業のやり方のアドバイスをもらいました。

その中には、それまで会ったこともない方も多くいました。

なぜ面識も何もない人間が、聞きに行って教えてもらえるのでしょうか。
私も、自分から話を聞きたいと言っておいてなんですが、彼らが私と会うメリットがどこにあるんだろうとは思っていました。

しかし、実際に話をしてみて感じたのは、「こんなふうに会ってくれるような人だからこそ、成功しているのだ」ということです。
損得抜きに、同じ業界に入ってくる後進の面倒を見るような人だからこそ、成功をつかんでいるのです。

逆に言えば、人をむげに扱ったりするようでは、成功はおぼつかない、ということなのでしょう。

ですから皆さんも、何か知りたいことがあったなら、恐れず聞きに行くべきです。
礼儀さえ守ればあなたが思う以上に門戸は開かれている

「そうはいっても、自分は、相手に役立つ情報を何も持っていない。
本当にアドバイスを聞くだけの面会になってしまって、失礼ではないだろうか」という人もいるかもしれません。

それでも、「私はこういう現場で、こういうことを実践しています」とか、「僕はこんな研究をしていて、今のところこんな結果が出ています」とか、少なくとも「私はこのようなことをやりたくて、このような計画をしています」ということくらいは話せるでしょう。

私も今、話を聞かれる立場になって思いますが、そういう新しい取り組みの話を聞くだけで、相手は十分なのです。
それで年代の違う人からの視点や、最新情報を得られるだけで十分対等な取引になると思います。

ただし、一度会ったあとは、その後どんな展開や進捗があったかを連絡したり、報告したりしておくのが礼儀です。
聞きっぱなしで、「その後どうしたんだろう?」と思わせるのが一番失礼です。

特に、誰かを紹介してもらったときは、会ってどうだったかももちろん報告してください。
紹介した先との関係もありますから、こちらが思う以上に首尾を気にしているものです。
こうした礼儀さえ守れば、会いに行くことを恐れないことです。
あなたが思う以上に門戸は開かれています。
posted by 小だぬき at 14:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

孤独死は理想的な死に方である…和田秀樹「ベタベタとした人間関係をさっぱり捨てる」ことの意外な恩恵

孤独死は理想的な死に方である…和田秀樹「ベタベタとした人間関係をさっぱり捨てる」ことの意外な恩恵
2024年06月05日 PRESIDENT Online

孤独に対する不安を解消するには何をすればいいか。
精神科医の和田秀樹さんは「孤独が怖いと感じている人も、いずれ孤独になるときが来るかもしれない。
いまのうちから、1日の中に、誰ともつながっていない時間を意識的につくるなど、孤独な時間を楽しむことに、少しずつ慣れておくといい。
ひとりの時間に親しむうちに、孤独に対する怖れが薄らいでくるはずだ」という――。

※本稿は、和田秀樹『65歳からのひとりを楽しむ「いい加減」おつき合い』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■孤独死はある意味で理想的な死に方とも言える
「孤独になりたくない」という声がよく聞かれる一方で、孤独が好きな人もいます。

ひとりで映画を観たり、本を読んだりするのが好き。
人と関わるのが煩わしくて、ひとりでいるのが一番ほっとする。そんな人は少なくないと感じます。

脳の老化予防という観点では、人と会って話すことは大事なのですが、孤独が好きな人が、無理にでも友達づき合いをしたほうがいいなどとは思いません。
いわゆる「孤独死」はしたくない、と言う人も多いのですが、私は孤独死が悲惨なものだとはまったく思っていません。

一人暮らしで誰にも看取られず亡くなり、死後数日経って発見されるということは、死の直前まで元気だったと推測されます。

いまは要介護認定を受けた高齢者であれば、ほぼ例外なく何らかの福祉サービスにつながっていて、日常的に介護ヘルパーなどの訪問を受けます。
したがって、病気で寝たきりの高齢者などは、孤独死したくてもできません。

そう考えれば孤独死は「ピンピンコロリ」、つまり直前まで比較的元気に生きて最期を迎える、理想的な死に方とも言えるのです。

■孤独に対する怖れが薄らいでくる方法
ただ、「自分は孤独が好きだから、絶対に人とは交わらない」とか、反対に「自分は友達がいないとダメだから、人と交流しなければいけない」などと、決めつけることはしないほうがいいと思います。

誰しも、ひとりが気楽だと思えるときもあれば、ふと人恋しくなることもあります。
ずっとひとりでいる必要もなければ、つねに誰かとベタベタ一緒にいる必要もありません。
寂しいと感じたときに会える相手がいれば、それでいいのではないでしょうか。

孤独が怖いと感じている人も、いずれ孤独になるときが来るかもしれません。
それなら、いまのうちから、孤独な時間を楽しむことに、少しずつ慣れておいてもいいかもしれません。

1日の中に、誰ともつながっていない時間を、意識的につくってみてください。

ひとりで街を歩き、公園でぼんやりしたり、書店に入り浸ったりしてみる。
夜の10時以降はひとりの時間と決めて、自室で好きな映画のDVDや動画を観る。

そんなふうに、ひとりの時間に親しむうちに、孤独に対する怖れが薄らいでくるはずです。

■誰かと濃密につき合っていると、他人が入り込む余地はなくなる
いまの人間関係で、「離れるのが不安」と感じる相手、もしくはグループは存在しますか?

その人、あるいはそのグループから離れたら、自分はひとりになってしまう。
それが不安だから離れられないのだとしたら、少し考えてみてください。

その人(たち)と一緒にいれば、不安がないかといえば、そんなこともないはずです。

相手が離れていってしまったらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。
自分だけ仲間はずれにされたらどうしよう。

結局、いつもそんな不安がつきまとっているのではないでしょうか。
それはとても不自由で、窮屈な状態でもあると思います。

誰かとベタベタとくっついていると、そこに他人が入り込む余地はなくなります。

四六時中くっついているカップルのことを、他人は遠巻きに眺めて、誰もわざわざその間に割り込もうとはしません。
それと同じで、誰かと濃密につき合っていると、ほかの人は入り込めないものを感じて、あえてこちらと関わり合いを持とうとはしてこないものです。

すると、おのずと人間関係は固定されてしまいます。
新しい出会いもなく、自分の世界が広がることもありません。

■孤独という自由が、相手を受け入れるゆとりをつくる
離れるのが不安な相手から離れる。それは、とても勇気のいることです。
それでも、離れれば、そこに必ず新鮮な空気が流れ込んできます。

ベッタリとくっついていたところから離れれば、必然的に隙間(すきま)が生じます。
そこに、何かしらのものが流れ込みます。

それは必ずしもいいものばかりではなく、たとえば寂しさや不安といったものかもしれません。
でもそれは、新鮮な寂しさであり、新鮮な不安であるはずです。

「ひとりになったらどうしよう」。
いままでそんなふうに怖れていた、「ひとりになる」ことを、自分から選び、向き合ってみる。
それによって、初めて感じられるものがあります。

ひとりの時間ができて、誰にも気兼ねせず、好きなことができる。
特定の人に気を遣う必要もない。どんな人間関係も、自分の意志で選べる。
そんな自由や解放感、ワクワクした気持ちを味わえるはずです。

「ひとりになったらどうしよう」という不安は、ひとりになれば消えます。
ひとりになることでもたらされる、心と時間のゆとりが、新たな人との出会いを受け入れる素地になるのです。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする