誰かと無理に繋がらなくていい。私が「冬眠」をしたことで気づいたこと
6/16(日) saifa
潜在意識インタビュアーkahoのコラム【良い人生は後から】 「良い花は後から」ということわざがあります。
先に咲いた花よりも、後に咲いた花の方が美しいという意味を持つこの言葉。
人生も同じだと思いませんか?
酸いも甘いも経験した40代頃からのほうが人生の豊かさを感じられるようになります。
そんなことを意識しながら生きているkahoが日々思うことをお届けします。
心が鎖国中?
昨年の夏が終わった頃から、「心が鎖国している」という感覚がある。
もともとは人が好きで、時間さえあれば友人とランチに行ったり、お茶をしたりするのが大好きだった。
コロナ禍、家族以外の人と会えない時期が続き、思うように外に出ることもできない状況の中、私のことをよく理解している夫は、「お前は外に出て人に会ってこそパワーが出るタイプなのにな。この生活はきついだろう」とよく言っていた。
たしかに、会いたい人に会えない生活は何か物足りなさを感じるもがのあったし、「コロナ禍が終わったら、思いっきり友達と会いまくろう!」と思っていた。
ところが、そんな生活が3年ほど続いて、いざ「いつでもだれにでも会えるよ!」となった途端、以前のように人と頻繁に会いたいという気持ちが消えてしまった。
鎖国ではなく冬眠?
誰とも会わないわけではないし、気持ち的に落ち込んでいるということもない。
気の合う友人とは毎日のようにLINEをするし、会話があまりにおもしろすぎてスマホを見ながら笑い泣きしていたら、その姿を見た娘が呆れているくらいだ。
マインドは常にポジティブ。
年々、怖いもの知らずになっていく自分が頼もしいくらい。
けど、以前のように、誰かと会おう! ランチにいこう! 喋ろう! みたいな気持ちになれない。
以前はよく自分から誰かに連絡をしてスケジュール帳を埋めるようなことをしていたのに、最近のスケジュール帳は仕事の予定か娘の予定ばかり。
今年一番ランチに行っているのは夫だったりする。
とは言え、この期間にも「ランチに行きましょう!」と声をかけた人はたくさんいる。
それは心からそう思って誘っているけど実現しないことが多い。
「行きたい!」という気持ちはあるけど、そこから先に進まない。
こんな話をしておきながら、「会おうか」と連絡をとってサクッと予定が決まる友人もいる。
先日、久しぶりに会った友人に、「どうも、心が鎖国しているのよね」という話をした。
「ん〜。それは、鎖国というより冬眠って感じだよね。
これまでずっと突っ走って生きてきたじゃん。
自分のことより他人のことを優先して。
そうやって生きることが当たり前になってたのが、コロナ禍をきっかけに「自分のことも大事にしなよ」って、他の誰でもなく自分自身が内側から伝えてきてるんじゃないのかな」
さすが、我が友! 深いこと言うよね〜!
なにより、「冬眠」という言葉がすごくしっくりきた。
自分のことより他人のことを優先なんて、そんなできた人間ではないけども、コロナ禍で人とできた距離が、今は少し心地良いことも実はどこかで感じていた。
つながる縁・切れる縁
以前の私は、一度縁があった人とは永遠につながっていくと思い込んでいるところがあった。
けど、必然的に人と距離を作らなくてはいけないという環境に置かれたことで、「不自然に縁をつなぎ続けること」を手放せたように思う。
友人が冬眠と言った今の私の状態は、無理に頑張ってきた自分を解放するための時期なのかもしれない。
感じるよりも先に頭で考えがちな私。
「理論的に思考につなげるのではなく、内側から感じたものにそのままつながる」
今、私に必要なことがだんだん見えてきている。
ここまで自分の状況を把握するより前から自然に切れていく縁があった。
意図せず、気づいたら切れていた縁。
以前の私だったら、切れかけた縁をどうつなぎ留めるかを必死で考えたはず。
でも今は、その流れを受け入れることができる。
生きている限り縁は続く。
つながる縁もあれば、切れる縁もある。
必要なご縁は、無理に何かをしなくても自然につながるということもわかってきたから、がんばってつながろうとかつなぎ続けようとすることをやめた。
私はこれまでの人生、自然な流れを人工的なものに変え過ぎていたのかもしれない。
それが必要なときもあったかもしれないけど、今の私は自然な流れの中で生きていく方が心地が良い。
ここまでたどり着けたら、うっすら目を開けてみたくなった。そろそろ冬眠にも飽きてきたのかもしれない。
大切にするべきものに気づけたら、もっと素直に人生が楽しめるようになる気がする。
潜在意識インタビュアーkaho/ライター