2024年08月01日

高齢者がお金をかけず老後を楽しむ!「知識」を深めるための方法3つ

高齢者がお金をかけず老後を楽しむ!
「知識」を深めるための方法3つ
7/30 あるじゃん(All About マネー)

昨今の急速な物価上昇を受け、年金暮らしの世帯では「家計管理が大変……」と感じている方が多いかもしれません。
そんな中、節約は大事ですが、日々を楽しむのも大切なこと。

人が楽しいと感じることはそれぞれ違いますが、中には「知識を深めること」が喜びという人もいます。
今回は、お金をかけずに「知識を深める」取り組みにはどんなものがあるのかご紹介します。
知識を深めることは、自分の可能性を広げること。心豊かな生活を送ることができるでしょう。

◆方法1:図書館などの施設で学ぶ

シニア世代の方々が「知識を深める場」として最適なのは地元の図書館です。
図書館は静かで集中できる環境なので、落ち着いて読書や学習ができます。

図書館には、多様なジャンルの本や雑誌、新聞などがそろっており、最新の情報から専門的な知識まで幅広く学ぶことができます。

また、本を読むことに疲れたら、音楽鑑賞、動画視聴で気分転換もできます。
さらに、図書館が開催する読書会、シニア向け講座などにも参加すれば、同じ興味を持つ人々との交流が生まれ、新しい人間関係を築くこともできるでしょう。

とくに、地域の歴史を学ぶことはおすすめです。
地域の歴史や遺跡を知るために、地域のコミュニティーセンターや図書館が主催する地元の歴史を知る勉強会やディスカッションに参加してみましょう。

シニア世代の方々が地域の歴史を知ることには、いくつかの大切な意味があります。
まず、自分の住んでいる場所の過去を理解することで、地域への愛着や誇りが生まれます。
昔の出来事や人物について知ることで、街の変遷や発展の過程を感じることができ、日常生活が一層豊かになるでしょう。

また、地元の歴史について詳しくなると、観光ガイドや地域のイベントの企画など、さまざまな活動に参加する機会が増えるかもしれません。
地域をよく知り、その知識を多くの人々と共有することで得られる充実感は日常生活をより豊かなものにしてくれるでしょう。

◆方法2:放送大学を受講する

放送大学は、テレビやラジオ、インターネットを通じて学ぶことができる、日本の私立の通信制大学です。
放送大学には6つのコースがあり、文理を問わず300科目以上が開講されています。
幅広い分野から選べるので、自分の興味やキャリアに合わせた学びが可能です。

受講に関しては特に厳しくなく、18歳以上であれば書類審査のみで入学できます。
学費は入学料が7000〜2万4000円。授業料は履修する単位によって決まりますが、1単位あたり6000円(放送授業の場合は教材費も授業料に含まれる)であり、個々の受講スタイルによっては比較的リーズナブルに学べます。

放送大学の2024(令和6)年度第1学期の受講者数は約8万人で、そのうち60代の割合は約30%を占めています。
柔軟な学習スタイルで学べる点がシニア世代の方々にとって、学びやすさにつながるのでしょう。

◆方法3:無料のアプリで学ぶ

無料のスマホアプリを活用すれば、さまざまな学習ができます。
たとえば外国語をマスターしたいと常々思ってきた方はアプリで学習を始めてみてはどうでしょう。

例えばNHKの「NHKゴガク」という語学講座アプリ(無料)を使えば、NHKのラジオ第2で放送中の語学講座を「まるごと」聴くことができます。
英語だけでなく、中国語、ハングル、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、ロシア語なども学習できます。

新しい言語を学ぶことは、脳を刺激し、認知機能を向上させる効果があります。
これにより、記憶力や集中力の維持、さらには認知症の予防にもつながると言われています。
また、語学学習をとおして、異文化の理解が深まれば、海外の友人を作ることもできるかもしれません。

文:舟本 美子(ファイナンシャルプランナー)
3匹の保護猫と暮らすファイナンシャルプランナー。
会計事務所、保険代理店や外資系の保険会社で営業職として勤務後、FPとして独立。
人と比較しない自分に合ったお金との付き合い方、心豊かに暮らすための情報を発信しています。

あるじゃん(All About マネー)
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夏の疲れは“時間差”でやってくる?「夏バテ」の先の「秋バテ」に今からご用心!予防のための8つのチェックポイント

夏の疲れは“時間差”でやってくる?「夏バテ」の先の「秋バテ」に今からご用心!予防のための8つのチェックポイント
8/1(木) FNNプライムオンライン

今年も蒸し暑い夏がやってきた。
ちょっと動くだけでも汗ばむが、疲れているのに仕事や家事を頑張ったり、遊びに出かけたりしていないだろうか。

「そうした生活を続けていると、夏を乗り切れても“秋バテ”になることがあります」

こう話すのは体の冷えに詳しい、医師の川嶋朗さんだ。
夏の疲れを軽くみると9月以降にだるさや食欲不振などを抱えることがあるといい、川嶋さんはこれを20年ほど前から“秋バテ”と呼んでいる。

秋は暑さがやわらいで過ごしやすくなるイメージもあるが、心身の不調はどんな流れで起きてしまうのか。
夏バテと秋バテの違い、それぞれの原因を聞いた。

バテるのは自律神経の乱れが原因

そもそも「バテ」はどうして起きるのだろう。
川嶋さんによると、呼吸・血管・内臓の働きなど生きるために欠かせない機能は、全身に分布している「自律神経」によって、無意識にコントロールされている。

自律神経には、心身を活発にさせる「交感神経」、リラックスさせる「副交感神経」があり、このふたつがうまく切り替わることで「日中は活動的に頑張る、夜はリラックスして休む」といった生活リズムを整えているという。

逆に自律神経のバランスが乱れると、頑張りたいのにやる気が湧いてこなかったり、休みたいのに眠れなくなったりする。
これがバテで、次のような症状が出るという。

・疲労感(疲れ)

・倦怠感(だるさ)

・食欲が湧かない

・眠りが浅い、眠れない

・めまいや立ちくらみ

・頭痛や肩こり

この状況に陥りやすいのが、夏から秋にかけての“季節の変わり目”なのだ。

暑さや寒暖差でヘトヘトになる

私たちにはもともと体温を一定に保つ機能が備わっていて、自律神経は体温調節の役割も担っている。
暑いところにいると汗が出てくるのも、熱を逃がそうとしているからだ。

ただ、夏の暑さが続いたり、暑い屋外と冷えた屋内を頻繁に行ったりきたりすると、自律神経が振り回されてヘトヘトになってしまう。これで体調を崩すのが「夏バテ」だ。

「昔は単純な暑さが原因でしたが、今は冷房の効かせすぎも影響しています。
暑さに負けないよう体温を下げる、冷房に負けないように体温を維持することで、体力を使い果たしてしまうんですね」(以下、川嶋さん)

夏の疲れと秋の気候が“引き金”に

では、涼しくなる秋にバテるのはなぜか。
こちらは夏の過ごし方が関係してくるという。
暑いと冷房をガンガンにつけたくなるし、冷たい食べ物や飲み物も欲しくなるが、こうした生活が続くと「知らず知らずのうちに体が冷え、体力が奪われていく」というのだ。


そこにやってくるのが、秋の寒暖差や気圧。晴れたり雨が降ったりと天気が変わりやすく、日中は暑くて朝晩はぐっと冷えることもあるので、自律神経のバランスが乱れやすい。

さらに「低気圧」が近づいてくると、夕方や夜に高まるはずの副交感神経が昼に高まってしまうことも。
こうした要因が重なることで「秋バテ」が起きるという。

「秋の気候の変化に心身が負けてしまうんですね。
夏バテをそのまま引きずることもあれば、夏の疲れがたまっていることに気づかず、秋の気圧や寒暖差が引き金となって、心身の調子を崩すこともあります」

秋バテも夏バテも症状はほぼ同じだが、秋バテは「精神的なだるさ、気持ちの落ち込み」も出るという。
メンタルの不調も加わるので、よりつらく感じることも多いのだとか。
家事や育児に忙しく、冷えを感じやすいママたちは特に注意が必要という。

当てはまったら注意!チェックポイント

自律神経は不規則な生活を送ったり、疲れやストレスをため込んだりすると乱れやすいとのこと。
次のチェックポイントに当てはまるほど、秋バテになる可能性は高まるという。

【秋バテになる可能性 チェックポイント】

・冷房を27℃よりも低く設定することが多い

・冷たいものを習慣的に飲食している

・夏なのに体の冷えを感じる(体温が35℃台なら要注意)

・疲れていても、仕事や家事などを頑張りがち

・運動をあまりせず、体力があまりない

・天気が悪くなると頭痛などの不調を感じる

・疲れやすい

・下痢がちである


もしチェックポイントにひとつでも当てはまったなら、川嶋さんは「入浴法の改善」や「軽めの運動」を始めてみてほしいとしている。


川嶋朗
医学博士。北海道大学医学部卒業、東京女子医科大学大学院修了。
内科、腎臓病学、血液浄化、膠原病、高血圧が専門で、近代西洋医学と補完・代替医療を統合した医療を目指している。
冷え性対策や温活のエキスパートとしてメディアに多数出演。
現在は神奈川歯科大学特任教授、統合医療SDMクリニック院長を務める。
『どうせ一度きりの人生だから 医師が教える後悔しない人生をおくるコツ』(アスコム)など、著書多数。


プライムオンライン特集班
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2024年08月02日

なぜ私たちは何でも「誰かのせい」にしてしまうのか「その根本原因」

なぜ私たちは何でも「誰かのせい」にしてしまうのか「その根本原因」
8/1(木) 現代ビジネス

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。
ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

今回は、「健康」の観点からお話ししましょう。

いま世間の風潮としてはワーク・ライフ・バランスが重んじられるようになり、企業も社員が心身ともに健康な状態で働けるように配慮することが求められています。

しかし、いくら企業風土が変わろうとも、私たち自身が経営に失敗すれば、個人の健康はいとも簡単に損なわれてしまうのです。

例えば、塩分や糖分の摂りすぎは身体によくないということはよく知られています。
しかし、過度に心配し過ぎて塩分や糖分を我慢しすぎると、その反動で大盛りラーメンをドカ食いしてしまったりしたらどうでしょうか。


1週間分の塩分と糖分を1日でドカ食いしてしまえば、プラスマイナスゼロどころか、血糖値や血圧の急上昇によって血管を痛め、別の病気を引き起こす危険性が高まります。つまり、部分的な合理性を追求して行動した結果、全体的な合理性を欠いてしまうのです。

また、1週間に1~2日でも休肝日を設けるだけで健康にはすこぶるプラスになるのに、「やっぱり今日も酒が飲みたい」という感情に流されて毎日飲酒してしまう(私も何度もこうした経験があります……)。

すると、やがては肝臓を壊して、大好きなお酒が全く飲めない生活になってしまうのです。
短期的な利益を追求するがあまり、長期的な利益を損なっているのです。

あるいは「健康のために」と始めたランニングに没頭するあまり、腰や膝を痛めてしまうという人も珍しくありません。
これはまさに手段が目的化してしまい、本来の目的であった健康を失ってしまう本末転倒ぶりです。

このように、部分に気をとられて全体を見失う、短期利益を重視して長期利益を逸する、手段にとらわれて目的を忘れるなど、健康をめぐる問題はそのまま経営の問題と同一であることがわかるでしょう。

そこで、自らの心身両面の健康という価値を経営課題として、問題解決の対象として捉えなおしてみるとどうなるでしょうか。

たとえば「醤油の味を楽しみたい」と「塩分摂取量を控えたい」という相反する要望を両立させるために、どのようなことが考えられるでしょうか。

醤油は舌の表面にある「味蕾」と接することで味覚として意味をもちます。
ならば、味蕾と接しないほどの大量の醤油は、「醤油の味を楽しむ」ためには無意味なのです。

いま高級寿司店などでは、醤油を刷毛で塗ったり、スプレーで散布したという調理法が用いられています。これらは醤油の味を楽しみつつ、塩分摂取量を抑えるための知恵です。

飲酒についても同様です。アルコールを一切断つのが不可能であれば、ビールを飲むグラスを細いものに代えたり、焼酎の氷を多めにするなどによって、飲酒を楽しみながらもアルコール摂取量を抑えることができるでしょう。

このように健康も経営課題として捉えれば、自分の中にある要求と健康という対立を解消するための方法を編み出していけるのです。

価値は有限ではなく、無限に創造できる

以上、家庭・仕事・健康という3つの側面から、正しい経営概念によって価値創造できる例を説明してきました。

この「価値創造」ということについて最後に付言しておきます。

本書『世界は経営でできている』の底流にあるもう一つのテーマは、
「価値は有限ではなく、無限に創造できる」
ということでした。

価値が有限であるという観念に囚われている限り、自分と他者とのあいだで「価値の奪い合い」に終始してしまいます。
それでは、誰もが豊かな社会など実現できないでしょう。

世にあふれるビジネス書も、「いかにして他者との競争に勝つか」という、「価値有限思考」の論理によって綴られた内容がほとんどです。

残念ながら日本は「価値は有限である」という誤った概念が普及してしまったため、現状を誰かのせいにする言説が流行しています。

若者/高齢者が悪い、男性/女性が悪い、労働者/経営者が悪い、政治家/有権者が悪い……。
このように対立を煽る言葉が飛び交っているのがいまの世の中です。
他者は自分から価値を奪う敵だと思い込んでいるからこそ生まれる言説です、まさに価値は創り出せないと思い込む「価値有限思考」の弊害といえるでしょう。

しかし、対立するように見える人間関係にも、「価値無限思考」で向き合っていくならば、問題解決の糸口は見いだせます。
そして価値無限思考に立脚するならば、他者は奪い合いの相手ではなく、共に価値を創造する仲間となるのです。

『世界は経営でできている』は、「すべての人が経営人材となるべきである」との私の信念をストレートに注入した一冊です。学生時代に文学サークルに所属していた私の趣向が出てしまい、各章タイトルや小見出しをすべて既存の文学作品や映画作品のパロディで作成しました。無謀な試みの結果として、執筆には膨大な時間と労力を費やしてしまったのですが……。

その甲斐あって、15のテーマそれぞれ単体で読んでも、経営エッセイとして十分に楽しんでいただけることでしょう。
そして最後まで読み通していただければ、「価値は無限に創造できる」という裏テーマが表れてきて、さらなる楽しみと学びを体験できることを保証します!

『世界は経営でできている』を読んだ人がその内容をどんどん広めていただければ(そして友人知人にも買っていただければ)、価値創造によって共同体全体の幸福を実現できる「経営人材」が世の中にたくさん生まれることは間違いありません。
それこそが、この社会を真に豊かにする道だと信じています。

現代新書編集部
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2024年08月03日

「マイナ保険証」政府のやり方に不満多数 

「マイナ保険証」政府のやり方に不満多数 
8/2(金) 毎日新聞

 マイナンバーカードを利用した「マイナ保険証」への移行に伴い、現行の健康保険証が今年12月に原則廃止される。
政府が進めるデジタル化の一環で利便性向上などが期待されるものの、情報漏えいへの不安などから反対する声も大きい。
有権者の本音は期待か、不安か。
しかし、7月20、21日に実施した毎日新聞の全国世論調査の自由記述から探ると、意外にもマイナ保険証そのものよりも「政府の取り組み方」への批判が目立った。

 調査は、携帯電話のショートメッセージサービス(SMS)機能を使う方式と、固定電話で自動音声の質問に答えてもらう方式を組み合わせて実施。
携帯電話で回答した507人を対象に現行の健康保険証の廃止について自由に書いてもらうと、401人が意見を記入した。
自由記述の意見をみると、半数以上が反対や懸念を示す意見だったが、賛成の立場の意見も一定数あり、反対と賛成が入り交じるものだった。

 ◇用途拡大に期待

 現行の健康保険証は12月2日から新規発行が停止され、原則廃止となる。
ただ、廃止後も最長で1年間は発行済みの健康保険証は使えるほか、同日以降もマイナ保険証に切り替えない人に対しては、健康保険証の代わりとなる資格確認書が発行される。
資格確認書の有効期限は最長5年。

 賛成の立場の意見からは、保険証だけでなく、より多くの機能をマイナンバーカードに持たせることへの期待が伝わってくる。
「運転免許証もマイナカードと統合して、総合的な身分証として使いたい」(男性40代)、「できれば、給付金や確定申告、年金手続きなど一元管理ができるとよい」(50代女性)などの意見が並ぶ。
また「紙の保険証の方が不正利用などのリスクが高い」(40代男性)、「顔写真すらない紙の保険証が本人確認書類になっていたことが異常」(30代男性)など「セキュリティー向上」の側面を強調するものもあった。

 ◇情報漏えいリスク

 一方、反対や懸念の理由で多かったのは「情報漏えい」のリスクだ。
「なんでも一つにまとめればいいというものではない。
個人情報が漏えいした場合、リスクが大きくなる」(70代男性)、「個人情報の漏えいを防止するにはリスク分散が基本。
個人情報のマイナンバーカードを通じた一括集中管理には反対だ」(50代男性)などの声が相次いだ。

 また、「(パスワードなどを巡り)高齢者や障害者のことがほとんど考えられていない」(40代男性)など「デジタルデバイド(情報格差)」の問題を指摘する声もある。
80歳以上女性は「現行の紙の保険証は残すべきだ。個人の自由でマイナ保険証、紙の保険証を選べるようにしたらいい」と訴えた。

 ◇準備不足

 マイナ保険証の制度自体には賛同しつつ、現行保険証の廃止は「時期尚早だ」との立場の人も多い。
50代女性は「廃止自体には異論はないが、説明不足で納得感がない」と苦言を呈し、40代男性は「信頼のおけるシステムが構築されるまで現行の紙の保険証も残すべきだ」と書き込んだ。
周知徹底や医療機関の対応などのため「あと3年は準備期間がいるのではないか」(30代女性)と廃止時期の延長を提案するものもあった。
厚生労働省によると、マイナ保険証の利用率は6月時点で9・9%と1割に満たない。

 ◇任意のはずなのに

 ただ、最も目立ったのは、マイナ保険証そのものではなく、政府の進め方への批判だ。

 「(マイナンバーカード取得は)任意だと言いながら健康保険証を廃止することには政策の一貫性が全くない」(40代男性)
「強制ではないはずなのに、強制の方向へ進んでいることが納得できない」(50代男性)
「問題点が多く解決していないまま、強引に押し切ろうとしている点に憤りを感じる」(60代女性)
「多様性を認める社会をうたう一方でマイナ保険証への移行を強制すべきではない」(60代男性)――。

情報漏えいの懸念などが残る中、生活を支える「健康保険」を利用し、任意であるはずのマイナンバーカードを「実質強制」する政府の姿勢に反発を覚える人は多いようだ。

 60代男性は「マイナンバーカードは任意だと言いながらこういうことをする。政府に不信感しかない」と嘆いた。
行政のデジタル化への期待は大きい。

だが、現行保険証の廃止は、移行措置があるとはいえ、国民生活に影響を及ぼすため丁寧な説明や対応が必要だ。マイナ保険証の普及の最大の壁は、政府への「不信感」かもしれない。
                【野原大輔、大隈慎吾】
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2024年08月04日

お金がないからこそできる「子どもに伝えたい大切なこと」3つ

お金がないからこそできる「子どもに伝えたい大切なこと」3つ
8/2 あるじゃん(All About マネー)

貧乏だからこそ、子どもに伝えられる大切なことが3つあります。
それはハングリー精神、時間をムダにしないこと、そしてお金をムダにしないことです。

◆1:ハングリー精神を育てる

お金持ち研究の第一人者、トマス・スタンリー博士によれば「移民」はお金持ちになることが多いそうです。
筆者が考えるに、移民はハングリー精神が強いからではないでしょうか。
筆者の身近でも、貧乏家庭で育った友人で成功している人が多い気がします。
困難な環境に育ったからこそ、「成り上がってやる」という強い意志が育まれたのでしょう。

子どもは親の影響を強く受けます。
親が自分の将来を諦めていると、子どもも自分の未来を諦めてしまうでしょう。
事実、子どもは親の生活習慣を受け継ぎやすいようですから、子どもに成功してほしいなら、まず親自身が成功しようと努力し、「背中で語る」のが大事でしょう。

◆2:タイムマネジメントを学ぶ

お金がないときは、まずは時間を有効に使う必要があります。
親子で時間を賢く使う方法を考え、自己成長やスキルアップに励むことが重要です。
一緒に図書館から本を借りて勉強したり、計画を練ったりして、時間をうまく使う方法を学びましょう。

◆3:マネーリテラシーを身につける

子どもに金銭的に豊かになってほしい場合は、ロバート・キヨサキ著『金持ち父さん 貧乏父さん』など、わかりやすくマネーリテラシーが身につく本を読むのもよいでしょう。
さいきんは、金融知識のない人でも理解しやすい本も増えてきていて、お金の管理や投資の基本を学べます。
親子で一緒に読むことで、お金の価値や管理方法について話し合う良い機会にもなるでしょう。

また、お金がないときは「倹約」を学びやすいです。
お金が「あって当たり前」と考える人は、金遣いが荒くなりがちです。
お金が余っている人に、お金の大切さはわかりません。
子どもの頃、あるいは、社会人になりたての頃の金銭感覚は人生に根付くものですから、若いうちに倹約を知り、限られた資源をどう使うかを学んだり工夫できたりすることは、大きな財産だと思います。

◆まとめ

お金がなくても、「お金がない状況」を活かした子育てはあるはずです。
事実、昔はそれが当たり前でしたし、だからこそハングリー精神を持った人が多く育ち、かつては日本にも高度経済成長が訪れたのだと思います。

まずは親が模範となって、粘り強く努力する姿を背中で語ること。
次がタイムマネジメント。
そして最後がマネーリテラシーです。
子どもと一緒に学び、親子で一緒に成長したいものです。

参考:トマス・スタンリー著「となりの億万長者」

文:中原 良太(個人投資家・トレーダー)

あるじゃん(All About マネー)
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「暑い!」猛暑を回避する"旅行術"を考えてみた

「暑い!」猛暑を回避する"旅行術"を考えてみた
交通機関の利用法、時間の使い方、グッズなど

橋賀 秀紀 : トラベルジャーナリスト
2024/08/03 東洋経済オンライン

全国で猛暑が続いている。これは今年に限った話ではなく、これからも毎年夏になれば、多少の差はあっても猛烈な暑さに巻き込まれることは不可避だろう。

家から出ない、という選択肢ももちろんある。
だが、猛暑であってもそれをある程度回避する術はある。
そこで猛暑に打ち勝つための旅行術を考えてみたい。

旅は「自分の行きたいところを目指す」のが本来あるべき姿だろう。
だが、日中の気温が体温をも上回る状況では、その考え方を変える必要もあるだろう。

気温が低いのは奥日光

猛暑を避ける旅、として誰もが考えるのが、北海道や高原など、気温の低いところに行くということだ。

だが気象庁が7月25日に発表した北海道地方の「向こう1か月の天候の見通し(07/27〜08/26)」によると、「暖かい空気に覆われやすいため、向こう1か月の気温は高い」「特に北海道太平洋側では、期間の前半は気温がかなり高くなる見込み」という。

7月末の札幌は最高気温が25℃台の日もあったようだが、8月は再び厳しい暑さに見舞われる予想となっている。
北海道といえども、熱中症には気をつけなければいけない。

では首都圏から比較的近い避暑地についてはどうだろう。

気象庁のデータで、2023年8月の東京での日最高気温の平均は34.3℃だったが、奥日光(栃木県)は24.7℃と10℃近い差がある。
ほかにも草津(群馬県)は25.6℃、田代(群馬県)25.9℃、野辺山(長野県)26.3℃、菅平(長野県)27.1℃と、いずれも30℃には届いていないだけ涼しく感じられるかもしれない。

気温だけでなく、アクセスも重要視するなら、東京駅から北陸新幹線なら1時間強で到着できる軽井沢の優位性は揺るがない。

なお、2024年8月30日から9月12日までの14日間限定だが、北陸新幹線「あさま」の普通車指定席をえきねっとの「トクだ値スペシャル21」で予約した場合、東京駅から軽井沢駅まで50%引きで2910円となる。

ただし、このきっぷは販売数が少なく、出発30日前の午前10時と同時に売り切れてしまう。
この激戦をくぐり抜ければ、格安で軽井沢への避暑旅を楽しめるだろう。

涼しいのは山だけではない。海沿いも、気化熱やヒートアイランド現象の影響を受けないことなどから、気温がやや低くなる傾向がある。
また南国の沖縄県も、夏のピーク時は首都圏や関西などより涼しいことが少なくない。

たとえば今年7月31日の最高気温を比べてみると、東京は35.6℃、大阪34.9℃だったのに対し、前回の記事でとりあげた千葉県の勝浦は31.1℃、日本最西端の与那国島は32.3℃だった。

交通機関の工夫

暑い場所へ行かなければいけない、という場合には、まず交通機関の選択を吟味したい。
一番理想的なのはマイカーないしレンタカーだが、それがかなわない場合には、タクシーをこまめに使うか、短い距離でもバスを使いたい。

鉄道で移動する場合も、地上を走る鉄道と地下鉄が選べるなら、地下鉄を利用する。
地下鉄なら、コンコースやホームでもほぼ冷房が効いており、地上の鉄道での暑いホームなどでの消耗を回避できるからだ。

また鉄道やバスを利用するときは、炎天下のホームや停留所ではなく、エアコンが十分に効いた待合室などで待機し、定刻直前に乗車場所へ行くようにする。

電車は、降りる駅のエスカレーター位置に近い場所を事前に調べて乗るようにすれば猛暑のホームを歩く時間を減らせる。

飛行機や鉄道やバスに乗るときは座る位置にも注意が必要だ。

たとえば日中に東海道新幹線や飛行機で東京から大阪に向かう場合、進行方向左側の窓際に座ると、南側から長い間直射日光を浴びる可能性がある。

もちろんシェードを閉めたら回避できるが車窓がまったく楽しめない。
素直に右側をおさえたい(新幹線の場合、対向列車とのすれ違いによる風圧の衝撃はあるが)。

朝7時までが勝負の時間

次に1日の時間の使い方だ。

まず、早朝からの行動を旨としたい。
幸いこの時期は日の出が早く、日本の多くで朝5時には明るくなっている。
気温も7時くらいまでなら比較的過ごしやすいはずだ。

観光施設が開いていないじゃないかという声もあるだろうが、拝観料をとらない神社仏閣や公園、さらに街歩きなら時間の制約がない。
多くの店が閉まっているというマイナス点はあるが、最近は朝食を提供するカフェなども少しずつ増えてきており心強い。

なお、朝食が食べられるところを探すときに便利なのが、Googleマップだ。
レストランというタブ→他のフィルタ→カスタムで営業時間を選ぶ。ここで曜日と時間を指定すると、そのときに空いているレストランだけが表示されるという仕組みだ。

「食べログ」で検索する際に「朝食」に絞り込むという方法も有効だ。

猛暑のピークとなる日中はどう過ごせばよいのだろうか。

まず、原則として外での観光は回避したい。
そして、メインを美術館や博物館、屋内での買い物などに限定する。
少し奮発して贅沢で時間のかかるランチにしたり、あえて日中を移動時間に回して、涼しいところで車窓を楽しむ時間と割り切るのも「あり」だろう。

また、近くに銭湯や日帰り入浴が可能な温泉があれば、一度、汗を流すのも手だ。
入浴後は、リフレッシュした状態で午後の観光にのぞめる。

朝早く起きたぶん、眠気が襲ってくるはずなので午後を「シエスタ」としてホテルで仮眠するのもいい。
「シエスタ」とはスペイン発祥と言われる、長い昼休憩のこと。

暑い日中は外出先からホテルに戻り、汗ばんだ身体をシャワーで流すだけでもかなり快適だ。
こうした使い方をするためには、観光の合間にすぐ立ち寄れる場所の宿泊施設を選択することが重要だ。

「シエスタ」を取ったら、日が暮れ始める時間から再始動する。
夕方以降に閉まってしまう施設は少なくないが、飲食店をはじめとした繁華街は夕方からがむしろ本番だ。

たとえば京都なら祇園や先斗町は暗くなってからでないと風情がない。
ルーフトップバーやテラス席も夜風なら許せるレベルに気温が下がってくることもある。
また、最近はライトアップや夜間拝観など、「夜活」できるところが増えてきているのもありがたい。

それでも日中灼熱のなか、歩かなくてはならないケースも出てくるだろう。
その場合、まずは地下道やアーケードを探して移動するようにしたい。
ショッピングモールなどのなかには通り抜けができる施設もあるので、あらかじめ調べておけば、涼しい中を移動することができる。

屋外の道しか選択肢がない場合、日陰を歩くのは多くの人が実践していると思う。
狭い道の場合、日陰を選べばよいが、歩道が左右に分かれている場合は歩く前に日陰ができる方角を想定しておいたほうが無難だ。

街路樹がある場合にはその陰も利用できる。信号待ちなどの際はわずかな時間でも日陰を見つけるようにしたい。

歩く距離が少し長いときは、エアコンが十分に効いたコンビニエンスストアなどで、買い物がてら体の熱を冷まさせてもらう。冷たい飲み物を購入すれば、のどを潤すだけでなく、それを首や腕、額などにあてることで熱を冷ますこともできる。

暑さを乗り切るグッズは?

最後に防暑グッズについても触れておこう。

まず男女問わず用意したいのが傘だ。これは紫外線除けのためというよりも、強い日射を避けるためのものと考えたい。
昨今はゲリラ豪雨も多くなっている。
折り畳み傘のなかには軽量のものも少なくないので、日帰りで降水確率がゼロであってもカバンにいれておきたい。

ネッククーラーや冷感タオルなど、最近はさまざまな防暑グッズが出ているが、筆者が強く勧めたいのが扇子だ。
うちわとちがってかさばらず、しかも軽い。まさに旅行にうってつけの防暑グッズといえる。

手洗い場など、水が得られるところがあったら、こまめに腕や顔、首回りを洗ったり、汗を拭きとったりするだけでも快適度は大きく異なる。

その程度ではこの猛暑に耐え切れない、という場合は洗濯したTシャツを絞り、干さずにそのまま着てしまうという選択肢もある。
屋外では気化熱で、しばらくは涼しさを感じることができるだろう。

好むと好まざるにかかわらず、この異様ともいえる夏の猛暑に付き合わざるをえない。
となれば、ただ単に耐えるのではなく、それをいかに回避するのか、旅行者一人ひとりの創意工夫が問われている。

橋賀 秀紀 トラベルジャーナリスト
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2024年08月05日

もう騙されない! 嘘つきの特徴7選&上手な見破り方4選

もう騙されない!
嘘つきの特徴7選&上手な見破り方4選

私達の周りには、大なり小なり嘘をつく人がいます。
時には善意の嘘もありますが、悪意のある嘘は人間関係を壊しかねません。

この記事では、嘘つきの特徴7選と、嘘を見抜く方法を分かりやすく解説。
ぜひ人間関係改善のヒントにしてください。

恋学コラム
やまだうめ2024.08.03


嘘つきな人の7つの特徴

嘘つきには、いくつかの共通した特徴があります。
まずは、嘘つきに多く見られる特徴を7つ紹介します。

常に自分を正当化する

嘘つきは、自分の行動や言動を常に正当化しようとします。
他人の批判や指摘を受け入れず、言い訳や弁解を終始続けます。

基本的に自分の非は認めず、常に自分が正しいと主張するのも、嘘つきの大きな特徴です。
これは、自己防衛メカニズムの一種で、嘘がばれることへの恐怖から生じる行動です。

話の細部が曖昧、または変化する

嘘をベースに、細部まで一貫した話を作り上げるのは難しいもの。
そのため嘘つきの話は、時間が経つにつれて話の細部が変化したり、曖昧になったりする傾向にあります。

同じ出来事について何度か聞くと、微妙に内容が変わっているのもよくある話。
これは、嘘の記憶を維持するのが困難なために起こることです。

質問をはぐらかす

嘘つきは、直接的な質問に対して明確な回答を避ける傾向があります。
質問をされても答えをはぐらかしたり、話題を変えたりして、核心に触れることを避けようとするでしょう。

これは、嘘がばれることを恐れているためです。
質問に対して即座に答えられない、または答えを躊躇する様子も、嘘をついている可能性を示唆します。

非言語コミュニケーションに違和感がある

嘘をつく際、多くの人は無意識のうちに体の動きや表情に変化が現れます。
例えば、視線を合わせない・体を相手から遠ざける・腕を組む・口や鼻に手をやるなどの行動が見られます。

また、声のトーンや話すスピードが普段と異なることもあります。
これらの非言語コミュニケーションの変化は、嘘を見抜く重要な手がかりとなるでしょう。

過剰に感情的になる

嘘をついている人は、自分の嘘が疑われていると感じると、過剰に感情的になることがあります。
怒りや攻撃性を示したり、逆に極端に悲しんだりすることで、相手の注意をそらそうとするのです。

この過剰な感情表現は、嘘がばれることへの不安や罪悪感から生じる防衛反応です。冷静さを失い、常識から外れた反応を示すのも特徴的です。

他人の信頼を利用する

嘘つきは、しばしば他人の信頼を巧みに利用します。
過去の信頼関係や実績を盾に取り、自分の嘘を信じ込ませようとするケースも珍しくありません。

「今まで嘘をついたことはないでしょう?」「私を信じてくれないのか」といった言葉で相手の良心につけ込み、心理を思うままに操ろうとするのです。
この手法は、長期的な人間関係において特に効果を発揮します。

約束を頻繁に破る

嘘つきは、約束を守ることが苦手です。頻繁に約束を破ったり、延期したりします。

これは、現実とかけ離れた約束をしてしまうことや、約束の重要性を軽視していることが主な原因。
約束を破った際の言い訳も、往々にして嘘であることが多いのが特徴です。

嘘を見抜く4つの効果的な方法

嘘つきの主な特徴を知ったなら、次に知りたいのが具体的な嘘の見抜き方です。

以下で解説する4つの方法を組み合わせることで、より確実に嘘を見抜くことができるでしょう。

詳細を尋ねる

嘘つきの嘘を見抜くには、詳細な情報を引き出すことが重要です。
オープンエンドの質問を使い、相手に多くを語らせましょう。

例えば、「それで、その後どうなったの?」「もう少し詳しく教えてくれる?」といった質問です。
嘘をつく人は細部まで一貫した話を作るのが難しいため、矛盾が生じやすくなります。
また、予期していない質問をすることで、嘘をつく準備ができていない部分を突くこともできます。

矛盾点を探る

相手の話に注意深く耳を傾け、矛盾点を見つけ出すよう心がけましょう。
時系列や登場人物、場所などの情報に矛盾がないか確認します。

矛盾を見つけたら、すぐに指摘するのではなく、さらに質問を重ねて確認するのが効果的。

「さっきの話と少し違うように聞こえたんだけど、もう一度説明してくれる?」といった形で尋ねると、嘘をつく人は混乱し、さらなる矛盾を生み出す可能性があります。

非言語コミュニケーションを観察する

相手の体の動き、表情、声のトーンなどの非言語コミュニケーションを注意深く観察しましょう。
普段の様子と比較して、違和感がある場合は嘘をついている可能性があります。

ただし、非言語コミュニケーションだけで判断するのは危険です。
文化的背景や個人の特性によっても異なるため、他の要素と合わせて総合的に判断することが大切です。

直接的なアプローチで真実を求める

最後の手段として、直接的に真実を求めることもおすすめです。

「正直に話してほしい」「嘘をついていないか心配なんだ」といった形で、相手の誠実さに訴えかけてみましょう。

このアプローチは、相手との関係性や状況によっては効果的ですが、逆効果になる可能性も。
慎重に判断して使用する必要があります。

嘘つきとの上手な付き合い方

嘘つきの特徴を知り、嘘を見抜く方法を学ぶことは、健全な人間関係を築く上で重要です。

しかし、全ての嘘が悪意あるものとは限りません。
大切なのは、自分の直感を信じ、必要に応じて適切な行動を取ること。
信頼関係を築くには、お互いの誠実さが不可欠です。

相手の言動に疑問を感じたら、まずは対話を通じて理解を深めていくことから始められるといいですね。

Written by やまだうめ
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2024年08月06日

仕事で燃え尽きた状態から、じわじわ回復するための6つの対策

仕事で燃え尽きた状態から、じわじわ回復するための6つの対策
8/5(月) ライフハッカー・ジャパン

仕事の燃え尽き症候群というのは、身体的、精神的、情緒的に疲弊した状態で、無気力や目的意識やアイデンティティの喪失感も特徴です。

仕事の燃え尽き症候群は必ずしも病気とは限りませんが、長く放置している場合、医療的なケアが必要になるかもしれません。

長期間続くと、さらに悪化し、うつ病や薬物乱用、高血圧など他の問題を引き起こす可能性があるからです。

今回は、仕事の燃え尽き症候群を撃退するためにできる6つの対策をご紹介しましょう。

1. 充実した休暇を取る

燃え尽き症候群のよくある原因のひとつが、ワーク・ライフ・バランスの乱れです。

仕事の負担が大き過ぎて、リラックスしたり、個人的にやりたいことを追求したり、家族と過ごしたり、趣味や興味のあることをしたりする時間がないと、すぐに燃え尽きたり疲弊したりします。

不健康なワーク・ライフ・バランスのせいで燃え尽き症候群になっているかもしれないと感じたら、休みを取るのが効果的で回復につながるかもしれません。

そんなに長い休みでなくてもいいですが、仕事からきちんと離れ、心穏やかに過ごせるくらいの期間はあった方がいいです。

また、休暇を取ることで、自分の状況を見つめ直す時間と心の余裕もできます。

2. 仕事とキャリアどちらに問題があるのか見極める

仕事やキャリアのせいで燃え尽き症候群になっているのでしょうか?

その違いを見分けられるかどうかによって、対応が変わってきます。

簡単に見分ける方法として、仕事でワクワクすることと、仕事で消耗することのリストをそれぞれ作成。実際にやっている仕事全般にワクワクすることがある場合は、仕事自体ではなく、仕事環境に問題がある可能性が高いです。

これが当てはまる人は、燃え尽き症候群が転職するタイミングだと報せるサインのひとつかもしれません。
一方で、仕事を離れている時も、仕事自体に疲弊したり、消耗したりしている場合は、キャリア全体を変えた方がいいのかもしれませんね。

しかし、大事な決断はまだしないでください。燃え尽き症候群の原因も解決策も、他にもあるかもしれません。

3. 基本的なライフハックを試してみる

仕事でストレスを感じていても、原因は必ずしも仕事やキャリアとは限らないです。
たとえば、私生活から仕事にまたがる何かしらの問題など、何か別のことが単にストレスなのかもしれません。

これが当てはまる人は、大変な時期を乗り切るための簡単なライフハックをいくつか試してみてもいいでしょう。
短期間で結果が出る優秀なものをいくつかご紹介します。

運動を日課にする

米国心理学会によると、運動には日々の気分を良くする可能性が非常に大きいです。

運動をすることで、エンドルフィンやドーパミンのような「幸福を感じる脳内物質」が放出され、その後数時間は気分が上がります。

一番良いのは、スポーツジムに行ったり、5km走ったりする必要がないこと。

自宅や職場にいながら、パーソナルトレーナーも付いているオンラインのアプリなどを使って、気軽に運動することもできます。

朝に適度な量のコーヒーを飲む

コーヒーは、心臓の健康にも多くのメリットがありますが、精神的に元気になることも証明されており、仕事に行くのが辛い人にも助けとなります。

全米コーヒー協会によると、コーヒーは脳の受容体がアデノシンと結合するのを防ぎ、うつや疲弊(仕事の燃え尽き症候群の症状として一般的な2つ)に効果が期待できます。

朝、コーヒーを1〜2杯飲めば、元気に出かけられるはずです!

十分な睡眠をとる

十分な睡眠がとれていないと、燃え尽き症候群の原因となる可能性が。

「Scientific American」の睡眠不足に関するレポートでは、睡眠不足によってコルチゾールなどのストレスホルモンのレベルがより高くなる可能性があります。

コルチゾールのレベルが上がると、肥満など他の影響に加えて、仕事で燃え尽きたような感覚を引き起こす可能性もありますよ。

適切な睡眠や休息がとれていない場合は、数多ある睡眠記録アプリが役に立つかもしれません。

4. アプリの力を借りる

先ほど紹介したような睡眠記録アプリは、仕事の燃え尽き症候群に効果があります。
燃え尽き症候群に効果がある可能性のある、便利なアプリは他にもあります。

特に、自分の気分を記録することができるアプリはたくさんあり、それを使うと、燃え尽きたと感じる原因は何なのか、理解するのに役立ちます。
例えば、「Sanvello」や「MoodFit」などのアプリは、自分の気分と生産性を管理するのに便利です。

他にも「MindFi」は、健康的なワーク・ライフ・バランスを維持しながら、生産性を上げるのに役立ちます。

5. 専門家に相談する

燃え尽き症候群の根本的な原因が、医療行為で解消したほうがいいうつ病やストレスなど、より深刻な病気にあることもあるのです。

燃え尽き症候群の原因が判然としないのであれば、原因が仕事とはまったく関係がない可能性もあります。
そのような場合は、メンタルヘルスの専門家やセラピスト、キャリア・アドバイザーなどに相談しましょう。

Facebookなどにあるオンラインの支援グループに参加するのもいいでしょう。

常に心に留めておいて欲しいのは、日々燃え尽き症候群と闘っている人たちはたくさんいるということです。
ですから、躊躇せずに相談してください。

6. 小さな変化を起こす

すべてを一度に変えることはできません。
一気に大きな変化を起こそうとすると、あまりにも大変なことに思えて、やる気を削がれてしまうこともよくあります。

しかし、習慣や日課を少し変えるのは有効です。
何か助けが必要であれば、先ほど紹介したアプリのうち1つを使ってみることから始めてみてください。


新しい趣味を始める、スポーツジムやクラブに入会する、新しいスキルを習う、エネルギーを消耗する活動を辞めるなどもいいです。


何でもいいので小さくても確実にできることから始めれば、すぐに大きな変化があることに気づくはず。


仕事で燃え尽き症候群になってもあきらめないで

私たちは絶え間なく進化する世界に生きており、誰もが好きなように進化していいのです。
仕事で充実感を感じるための変化を起こすのに、遅すぎるということはありません。

仕事で燃え尽き症候群になったら、上記の方法をいくつか試して、心身両面で回復するかを見てみてください。
くれぐれも小さなことから始め、燃え尽き症候群の症状が長引いたり、酷いようであれば専門家に相談しましょう。

燃え尽き症候群になったら、まずは自分のこと、特にメンタルヘルスを一番に考えるのを忘れないでください。

──2022.03.16公開記事を再編集して再掲しています。

Source: APA,ncausa,scientific american,sanvello,moodfit,mindfi
Original Article: Feeling Burned Out From Work? Here Are 6 Steps to Take by MakeUseOf

的野裕子
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2024年08月07日

国連グテーレス事務総長挨拶【全文】「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」

国連グテーレス事務総長挨拶【全文】
「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」
8/6(火) 広島ニュースTSS


広島平和記念式典に寄せる国連事務総長挨拶 
代読:国連軍縮担当上級代表 中満泉

79年前の8月6日、1発の原子爆弾によって、この街は破壊されました。
あの日の恐怖が二度と繰り返されぬよう、世界は思いを一つに、あらゆる努力をしなくてはなりません。

この式典は、核兵器の惨劇に完全な終止符を打つべく、より一層の覚悟を持つ場なのです。

核兵器、そしてその使用の威嚇は、歴史の教科書上だけの話ではありません。

これらは現実の国際関係において、日常的なレトリックとして再び姿を現しています。

これらは私たちにとって、今まさに、現実世界で起きている脅威なのです。

このことは紛れもない事実です。

かつて、私たちを軍縮と平和に向け、集団的な努力に導いた広島の教訓が、今や隅に追いやられつつあるのです。

しかし、ここ広島では、核兵器のもたらす真の代償、そして真の愚かさについて、至る所で気づかされます。

私たちは記念碑を前に、被爆者の方々の言葉に耳を傾けます。
そうすることで、今後も絶えず、この追悼の式が毎年行われていくことの意義を確信出来るのです。

広島の皆さまは、何十年にもわたって、核兵器が二度と使用されぬよう、たゆまぬ活動を続けてこられました。

私たち国連は、皆さまが献身的に活動を続ける姿に感銘を受け、1945 年の惨事から学んだ教訓を、生かし続けなくてはならないと、痛感しています。

核兵器のいかなる使用も、壊滅的な人道的結末をもたらすということ。

核兵器の脅威をなくす唯一の道は、核兵器の完全な廃絶であるということ。

核兵器のいかなる使用も容認できないということ。

「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」ということ。

そして今こそ、軍縮が必要だということ。

昨今、世界的な不信と分断は深まる一方です。

核戦争を起こさずに冷戦を終わらせることができたのは、単なる幸運に過ぎなかったという事実に、あまりにも多くの人が気づいていません。

私たちは、同じような「運試し」をすることはできません。

しかし無謀にも、一部の人々が再び、核による威嚇を行っています。

世界は声を一つに、この決して容認できない行為を非難しなければなりません。

そして私たちは、軍縮を実現するための、新たな解決策を見つけなければなりません。

来月ニューヨークで開催される「未来サミット」は、各国が、多国間主義、持続可能な開発、そして平和に向けた取り組みを今一度新たにし、実行可能で将来を見据えた「未来のための協定」を採択する重要な機会となります。

紛争防止、軍縮、そして核兵器のない世界の実現は、これらの取り組みの中心に据えられなくてはなりません。

国連はこれからも絶えず、広島の人々、そして被爆者の皆様とともに歩み続けます。

私たちは 1945 年 8月 6日の教訓を、決して忘れません。

ノーモア・ヒロシマ。ノーモア・ナガサキ。


2024年(令和6年)8月6日

国際連合事務総長 アントニオ・グテーレス

広島ニュースTSS
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「平和宣言」【全文】「希望を胸に行動し、核抑止力に依存する為政者に政策転換を」広島市長・松井一実

「平和宣言」【全文】「希望を胸に行動し、核抑止力に依存する為政者に政策転換を」広島市長・松井一実
2024年8月6日 テレビ新広島

平和宣言

皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。
また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。
ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。
こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。
こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。
不可能ではないでしょうか。

平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。

戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。
この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。

また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。

1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。
かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。
このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。

皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。
そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。

争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。
そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。


昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。
これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。
世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。
そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。

NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。
同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。
さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。
また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。

令和6年(2024年)8月6日
広島市長 松井 一實


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2024年08月08日

「三公七民に地税なし」羨ましすぎる江戸の税事情

「三公七民に地税なし」羨ましすぎる江戸の税事情
農民は「隠し田」による脱税も黙認されていた
大村 大次郎 : 元国税調査官
2024/08/06 東洋経済オンライン

「脱税」という言葉は「税を逃れる行為」の全般を指すものだが、税を逃れる行為というのは必ずしも「税法違反」だけではなく、法の抜け穴を突くことも含まれる。
こう語る元国税調査官の大村大次郎氏によれば、江戸時代には、為政者と庶民のあいだに税逃れをめぐる「持ちつ持たれつ」の関係があったそうです。
※本稿は、大村氏の著書『脱税の日本史』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

かなり充実していた江戸時代の「社会保障」

江戸時代は、災害が起きたときの支援制度などがかなり充実していました。
日本では、古代から各地域の災害用の蔵を設け、米などを備蓄するという社会システムがありました。
戦国時代になっても各地域にその習慣は残っていたと見られます。

また、戦国時代から諸大名は城に非常用の米を備蓄しておくのが常でした。
その備蓄米は、本来は籠城時のためのものでしたが、災害のときには被災民に支給されることもあったのです。

そして、江戸時代になると、制度として災害時のための米の備蓄が行われるようになりました。
これは「囲米(かこいまい)」と呼ばれるもので、年貢の一部を非常用として別途補完するものです。

幕府はこれを江戸時代の初期から行っていました。
囲米は「囲籾(かこいもみ)」とも呼ばれました。
米は籾のまま保管すると長期保存が可能なので、籾の状態で備蓄されたのです。

そして、天和3(1683)年には、幕府は諸藩に対しても「囲米」をするように命じました。
囲米などの制度により、災害が起きたり飢饉になっても、日本ではそれほど死者は増えませんでした。

旧幕臣で、明治新政府の海軍大臣などを歴任した勝海舟によると、幕府の蔵には何十年も前の囲籾が保管されていたそうです。それだけ非常時備蓄の観念が徹底していたのです。

囲米は、江戸時代の中ごろになると米価の調整にも使われるようになりました。
米の価格が安いときは囲米を増やして米の価格を上げ、米の価格が高いときには囲米を放出して米の価格を下げたのです。

当時、米は金銭に匹敵するほど、社会の最重要物資でした。
幕府や諸藩は米の収入が財政の柱だったので、米の価格が安いと財政が悪化してしまいます。
そうかといって米の価格が上がりすぎると、庶民の生活が苦しくなります。
また、米の価格というのは、ほかの物価にも大きな影響を与えていました。

そのため、幕府は囲米によって、米の価格や米以外の物価の調整をしていたのです。
つまり、幕府は囲米の売買を行うことで、現代の中央銀行のような役割も果たしていたことになります。

年貢の税率は、おおむね「三公七民」程度

農民たちがこのような豊かな生活を送れたのには、税がそれほど重くなかったことがあります。
江戸時代の年貢は、通説では五公五民などと言われていますが、現実の収穫量などを検討すると三公七民くらいだったようです。

江戸時代の初期はインフラ整備の費用がかかったので、四公六民くらいでしたが、それが一通り終わると、三公七民くらいに落ち着いたようです。
また、インフラ整備のときに多めに取られていた年貢も、その多くは人夫として雇われた農民などに支払われました。

年貢の決め方には、「検見(けみ)法」と「定免(じょうめん)法」がありました。

検見法というのは、その年ごとに収穫具合を見て年貢を決めるというものでした。
この検見法では、その村落であまり収穫のよくない田んぼが基準とされました。
なので、農民にとってはかなり有利となったのです。

また、検見に来る役人(武士)に対して、村は丁重にもてなし賄賂を贈るなどして、年貢を低く抑えてもらうこともありました。

定免法というのは、過去の収穫量をもとにして一定期間同じ量の年貢にするという方法でした。
あまり手間がかからないし、賄賂などの不正も生じないことから、江戸時代の後半はこの方法が採られることが多くなっていました。

定免法では、領主の側は一定の年貢が毎年入って来るというメリットがあり、農民の側は一定の年貢さえ払えばそれ以上に収穫したものは自分たちの物になるので、生産意欲がわくというメリットがありました。

定免法には、自然災害や天候不順などで収穫量が落ちた場合、農民の負担が大きくなるというデメリットがありましたが、そういう場合は、その年だけ検見法に切り替えられたり、例年よりも年貢量を減らすなどの方法が採られました。

つまり、どっちに転んでも農民の負担が大きく増えないようにされていたのです。

「隠し田」による脱税が黙認されていた農民たち

しかも当時は、どこの農村にも「隠し田」と言われる、簿外の田がありました。
この隠し田には、年貢はかかりませんでした。

役人たちも隠し田の存在は、ある程度知っていましたが、多くの場合、見て見ぬフリをしていたのです。
二宮尊徳も、年貢の課せられていないあぜ道などに作物を植えて、稼ぎの足しにしていたそうです。

もちろん、領主は農民の隠し田を把握し、年貢を増やしたいと思っていました。
そのため、検地と呼ばれる「土地調査」を行おうとします。
しかし、土地調査というのは実はそう簡単なものではありません。
全国の土地を測るという実務的な困難さもありますが、農民の反発という大きな障害があるのです。

検地(土地調査)をすれば、隠し田が見つかってしまいます。
また、農地を正確に把握されることは、課税が厳しくなるということにもなります。
だから、検地というのは、昔から非常に難しいものだったのです。

この検地は、豊臣秀吉の時代に本格的なものが行われましたが、それ以降は、全国的な検地は行われていなかったのです。

たとえば、天保13(1842)年に近江地方で幕府が幕領の検地を行おうとしましたが、農民の反対に遭い、中止されてしまいました。
農民が検地をさせないということは、現在で言えば税務調査をさせないようなものであり、「自分たちは年貢を誤魔化していますよ」と言っているようなものです。

領主側もわかっていながら、農民の反発が怖くて検地を強行することはできなかったのです。
江戸時代の農民は、それほど領主から恐れられていたのです。

明治時代になって地租改正のために全国の農地を計測しましたが、江戸時代の記録では日本全国の収穫量は3222万石となっていたのが、実は4684万石もあったことがわかりました。
実際の石高は、名目の1.5倍もあったわけです。つまり、隠し田が相当あったと思われます。

町民は、農民よりもさらに生活が楽だったと見られます。
特に江戸の町民は非常に恵まれていました。

まず、江戸の町民には税金らしい税金は課せられていませんでした。
中世以降、町民は「地税」という税を納めるのが普通でした。
これは土地税のようなもので、江戸時代においても、江戸以外の地域では普通に徴収されていました。
しかし、江戸の町民だけは地税を払っていなかったのです。

江戸の町民たちが幕府を大好きだった理由

なぜ江戸の町人だけが税金を免れていたのかというと、天保13(1842)年に勘定奉行の岡本成は、次のように述べています。

「町民が地税を納めるのは当然のことながら、江戸の場合は、徳川家が江戸に入ったときに、寛大さを示すために地税を取らなかった。
そのため、江戸の町民は地税を納めなくていいものと思い込み、これまで地税を徴収できなかった」

なんともお人好しというか、呑気な話ではあります。
おそらく、家康が秀吉による国替えで江戸に入ったとき、江戸に人を呼び寄せるために、最初は地税を取らなかったのでしょう。
それがそのまま、町民の「既得権益」となってしまったのです。
この発言があった天保13(1842)年というと、江戸時代の最後期です。
つまりは、江戸時代を通じて、江戸の町人たちは地税を払わずに済んだのです。

そのため、江戸の町民たちは、江戸幕府が大好きでした。
戊辰戦争で官軍が江戸を占領したとき、江戸の町民たちは官軍から求められた御用金の拠出にはなかなか応じませんでした。
江戸の町民が、江戸幕府に対して恩義を感じていたからなのです。

このように、かなり恵まれた境遇にあった江戸時代の町人たちでしたが、そうかといって、商人への過度な富の集積も起きませんでした。

当然ながら、長い江戸時代の間には大商人も生まれ、大名の中には商人に頭が上がらない者が出てきていました。
しかし、中世や近世のヨーロッパ諸国のように、国王が国土を担保に金を借りたり、商人や銀行家に振り回されたりというような事態は生じなかったのです。
これは、あくまで幕府が政治経済を主導し、管理していたからだと考えられます。

江戸時代はかなり自由な商業活動が許されており、富の蓄積も認められていました。
ただ、あまりに強欲な商売をしている商人や、贅が過ぎるような商人は財産を没収されたり取り潰しに遭うこともあったのです。

たとえば、大阪で米の先物取引を始めたとされる豪商の淀屋は、5代目のときに「豪奢を極めた」ということで咎を受け、全財産を没収されています。

また、富豪にはそれなりの社会的な責任も求められました。

江戸時代から昭和初期にかけて、日本一の地主と言われていた山形・酒田の本間家なども、防風林の植林や飢饉対策などのために多額の自費を投じ、幕末には藩に巨額の御用金を供出しています。

武士も「祖父の代からの借金」は背負うことがない

江戸時代の中ごろから武家の生活はかなり苦しくなっていましたが、没落してしまう武家はあまりいませんでした。

武家の主な収入源は年貢で徴収した米だったのですが、江戸時代も中ごろになると、様々な商品が市中に出回るようになり、米の価格が相対的に下がりました。そのため、武家の生活は苦しくなったのです。

しかし、没落して武家の身分を放棄してしまうような者は、それほど多くはありませんでした(もちろん一部には存在しましたが)。
これは、幕府の巧妙な経済政策によるものと思われます。幕府は定期的に、武士への救済処置を行っていたのです。

江戸時代には、享保、寛政、天保という3回の大きな改革が行われています。
この3回の改革にはそれぞれに特徴がありますが、1つだけ共通点があります。
それは、「武士の借財を帳消し」にしたことです。
そして、武士の借財の帳消しは、享保の改革以来、だいたい50年周期で行われています。

そのため、「父親の代からの借金を背負うことはあっても、祖父の代からの借金は背負うことがない」という状態だったのです。

また、幕府は商人側にも配慮しました。
武家の借財帳消しを行うたびに、札差(金貸業者)に対し特別融資を行うなどをして、金融不安が起きないようにしたのです。高圧的に借金を踏み倒すだけじゃなく、それなりの手当も行っていたのです。

だから、札差(金貸業者)も極端な貸しはがしに走ることはなく、江戸期を通じて武家との持ちつ持たれつの関係を保っていたのです。

大村 大次郎 元国税調査官
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2024年08月09日

コメだけじゃない!食材不足からの「和食危機」

コメだけじゃない!食材不足からの「和食危機」
「令和のコメ不足」に陥っている4つの要因
阿古 真理 : 作家・生活史研究家
2024/08/08 東洋経済オンライン

全国で、コメ不足が深刻化している。
8月1日に東京・高円寺のスーパーを見て回ったところ、西友はコメの棚の半分ほどが空で、コメ袋を積んであるところも少なめ。
「入荷状況が不安定なため、品薄や欠品が発生」、とおわびの紙も貼ってあった。

業務スーパーにはそこそこ積んであったが、オーストラリア米やカリフォルニア米も置かれていた。
アキダイは8割ほどコメ袋が置かれていて供給は足りているようだった。
各社の報道によると、購入制限をかける、価格が上昇している店もあるという。

1993年は1年続いたコメ不足

要因は、昨年夏の酷暑やインバウンドの急増などが伝えられている。
しかし、こぞって買い占めに走ると、社会的混乱に陥りかねない。1993年の平成コメ騒動がまさにそうだった。

当時の状況を整理した『週刊東洋経済』2011年9月10日号の記事によれば、騒動は1993年秋から翌年初夏まで続いたが、1994年夏に猛暑で早めに大量の新米が市場に出回ると、嘘のようにコメ不足が解消した。

一方、日本が突然大量にコメを輸入したことで国際相場が大きく上がり、備蓄米を日本へ提供したタイのコメを嫌って捨てる消費者が続出し、タイの人々を大いに傷つけたなど、反省点は多い。

あわてて騒動を起こすのは避けたいが、やがては落ち着く、と楽観視できる状況でもないかもしれない。

コメはここ数年、人気者だった。
ロシア-ウクライナ戦争で小麦価格が上昇し、質が上がっていた米粉がブームになった。
昨年、ぐるなび総研の「今年の一皿」に「ご馳走おにぎり」が選ばれるなど、おにぎり専門店が各地に増え、おにぎりブームが起きていた。

が、足元のコメ不足を受けて、おにぎり専門店などでは卸売業者などと定期的な契約をしている店でも、4月からコメ不足を感じており、中には今月に値上げする店も一部出てきそうな状況だと、おにぎり協会の中村祐介代表理事は語る。

「猛暑で品質の低下も起こっていることもあり、別の品種に切り替える、炊飯に工夫を凝らすなど、臨機応変に対応しおいしさを担保する努力をしている店もあります」(中村代表理事)

コメ不足を助長する4つの要因

背景にある「コメの需給バランスについては、今年は転換点と言えそうです」と中村代表理事は語る。

そのポイントは4つ。
1つは長く続いた減反政策の影響が今も残り、作付け面積が減少していたこと。
2つ目は生産者の高齢化で、コメの生産に携われる人が減っていること。
ところがコロナ明けで、外食・中食の需要が増加し、インバウンド客の急増も加わって、消費が増加していることが3つ目の要因だ。
4つ目は輸出が増えていること。生産は減っているが、需要は増えているのだ。


農林水産省が発表した6月末時点での2024年産主食用米の作付け意向調査によれば、16道県で前年実績より作付け面積が増加する。

「とはいえ昔と違い、コメは価格が低迷し、生産者にとって利益が低い商売になってしまっています。
近年は飼料用米のほうが需要もあり、補助金なども多かったんです。
今は一部見直しされましたが、今需要があるからといって、生産者がすぐ単純に主食用米に転換しよう、とはなりづらいかもしれません」(中村代表理事)

増産の見通しが楽観視できないのは、近年新規参入者が増えた野菜生産と異なり、「生産・流通がかなりシステマチックなコメは、野菜のように付加価値をつけにくい。
稲作単一経営であれば、生産規模を大きくしていかないと、利益を取りにくいんです。現実的には広い水田を確保しづらいので、多くの農家は複合経営になっています」と、中村代表理事は補足する。

「足りない」のはコメだけではない

また、近年は具材のバラエティが豊かになったおにぎり以外にも、現代的にアップデートされ、脚光を浴びる和食は多い。
しかし、和食に不可欠な他の食材でも、生産者の高齢化や気候の不安定化で不足が問題になっている。

おにぎりでコメの相棒とされる海苔も、不作で価格が上昇している。
食品新聞3月27日付の報道によれば、主産地の有明海で2年連続不作だったことが要因で、主だったメーカーが値上げに踏み切る。

同記事は不作の要因を、海水温が高いうえ雨が少なく、プランクトンが海中の栄養塩を食い尽くしたこととしている。
栄養塩とは、海中の植物が栄養源にする、窒素を含む硫酸塩やリンを含むリン酸塩などを指す。

中村代表理事はこの点についても、「海苔養殖は海の環境で生産量や質が決まるので、気候変動の要因は大きい。しかしそれだけでなく、海苔の養殖漁師も高齢化が進んでいます。漁業は新規参入がしづらい産業だということも相まって、収穫量が減少する問題に向き合うための、リソース不足も問題です」と話す。

実は、海苔を取り巻く厳しい環境は、もっと前から始まっていた。2015年2月12日付の朝日新聞によると、瀬戸内海で栄養塩が減り過ぎる貧栄養化が、1990年代から問題になっていた。2年後の12月2日付の日経新聞でも、栄養不足で海苔生産量が落ち込んでいる、とある。

どちらの記事も、高度経済成長期の赤潮による富栄養化対策として、排水処理能力を上げ過ぎたことを問題視し、各地の漁協が処理能力を下げたことも伝えていた。
栄養塩を増やしても、今は不作なのである。日経は合わせて海水温の上昇も要因の1つとしていた。

昆布やカツオ、サンマの不漁も、たびたび報じられる。
昆布については、産経新聞ウェブが3月18日、国産昆布生産の約9割を占める北海道で、ここ20年で生産量が半減したと報じた。
要因は漁業者の高齢化や昆布の減少で、海水温の上昇も、要因の1つではないかとしている。

梅も今年は暖冬などが原因で、不作が報じられている。
さらに豆腐や納豆、醤油、味噌といった和食の核になる食材の大豆も、自給率が長年1割を切っており、農水省も生産量を増やす取り組みをしているが、輸入に頼らざるを得ない状況は続く。

暑さに強い品種で対応する生産者も

このように、コメ以外にも和食の要となる食材の多くが、不足する状況が続いてきたのだ。
もちろん、すでに対策を打っている現場もある。

コメについては7月30日放送の『WBS(ワールドビジネスサテライト)』(テレビ東京系)で、暑さに強い品種の作付けを増やした生産者が紹介されている。
おにぎり協会の中村代表理事は「地球温暖化にとどまらず、さまざまな需要に対応した生産効率が高い品種が生まれています」と話す。

持続可能な社会を築き、来るべき未来の食料難も防ぐことが、SDGsの目標の1つである。
環境意識が低いと言われる日本の私たちも、すでに足元まで迫った食料難時代を前にひとごとのように構えてはいられない。
改めて、自分たちに何ができるか、これから何を食べ続けたいのか、考えなければならないのではないだろうか。

阿古 真理 作家・生活史研究家
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2024年08月10日

今改めて「あの戦争」をどう見るか?日本人の戦争観を問う。

【太平洋戦争への道 1931-1941】
今改めて「あの戦争」をどう見るか?
日本人の戦争観を問う。
8/9(金) NHK出版デジタルマガジン

 昭和史研究のスペシャリストである半藤一利さん、加藤陽子さん、保阪正康さんの鼎談に、保阪正康さんの解説を加えて刊行した『太平洋戦争への道 1931−1941』は、昭和日本が先の戦争に至った道筋を6つの転換期から検証したロングセラーです。
本記事では、改めて「あの戦争」をどう見るかを問うた序章を抜粋・再構成して公開します。

太平洋戦争とは何か

加藤
 本日は「太平洋戦争への道」というタイトルでお話ししていますが、実は50年前、このタイトルで本が出ています。
日本国際政治学会編の『太平洋戦争への道』という7冊の歴史研究書です。
ということは、かなり長い間、我々はこの「太平洋戦争への道」という見方でこの時代を考えてきたわけですね。

半藤
 「太平洋戦争」か「大東亜戦争」かという議論がありますね。
戦争というのは、戦争相手の国名を入れる場合が多い。
たとえば「日露戦争」とか「日清戦争」など。
あるいは「関ヶ原の戦い」のように戦争の場所を入れる場合もある。
そういう意味で言うと、「あの戦争」は太平洋で戦ったわけですから、私は「太平洋戦争」でいいと思います。

 一方の「大東亜戦争」というのは、大東亜共栄圏をつくるという大目的からの名づけですが、戦争目的を戦争の名前にするのはおかしいと私は思いますね。
日本の国は太平洋を舞台にして英米と戦ったので、一番正しいのは「対英米戦争」かなとも思いますが、自分自身の中では「太平洋戦争」でよいと、そういうふうに捉えております。

 それとあえて言うならば、「日中戦争」と「太平洋戦争」は分けて考えたほうがいいと思っていますけれどね。

保阪
 太平洋戦争は日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して始めたわけですが、その4日後の12月12日に「この戦争の名称を大東亜戦争とする。そして、これはすでに始まっている支那事変(日中戦争)なども含む」と政府が発表し、それ以来、「大東亜戦争」が使われてきました。

 これに対して戦争が敗戦というかたちで終わった後、アメリカを中心とする連合国が、1945年(昭和20年)12月8日から、今度の戦争については「太平洋戦争」という言葉を使って全国の新聞に連載記事を載せるようにと命じます。
これはGHQのスタッフの戦争観、つまりはアメリカの戦争観を載せるようにということですが、そのときに「太平洋戦争」という言葉が使われた。

「大東亜戦争」も「太平洋戦争」も、かたちとして言えば、権力者が決めた名称です。
私は1946年に小学校に入りましたが、そのときからアメリカの政策に忠実に「太平洋戦争」という呼称を使ってきました。
そして今も「太平洋戦争」と言いますが、それは「日中戦争」も含めての意味で使っています。

保阪
 ただ近年は、この「太平洋戦争」をいろいろ変化させて、「十五年戦争」とか「アジア太平洋戦争」といった呼称を用いる人もいます。
私はその呼称に反対するわけではありませんが、そこにある種の政治的な意味を持たせていると感じます。
私としては若干の疑問は持ちながらも、この言葉を使ってきた世代だという意味も加味して、「太平洋戦争」という言葉を最後まで使おうかなと思っています。

加藤
 これは大事な問題だと思います。私たちが「先の戦争」と言うとき、1945年8月15日の終戦記念日で終わった戦争を指すのは確実なのですが、ではその始まりは1941年からの「対英米戦争」なのか、それとも1937年の「日中戦争」からなのかというところを比較的曖昧にして話をしているわけですね。

 ただ政府の、たとえば戦没者追悼式典などにおける「遺族」の定義を見ると、1937年の日中戦争からの戦没者ということになっています。
つまり、「いつからなのか」「どの地域で戦われた戦争なのか」というのが、いつも曖昧なままに議論されてきたわけですね。

 一つ例を挙げたいのですが、2015年(平成27年)4月18日付の「朝日新聞」に、こういう世論調査があります。
「日本がなぜ戦争したのか、自ら繰り返し説明する努力を十分にしてきたのか」という設問に対し、「十分にしてこなかった」と答えた方が65パーセントもいる。
ということは、「あの戦争、先の戦争というものは何だったのか」ということがまだ明らかになってないということでもあると思います。

戦争体験と戦争観

保阪
 なぜ、日本人の太平洋戦争観、日中戦争観、あるいはそれを含めての大きい意味での戦争観というのは、ぐらぐらと揺れているのか。
それはつまり、一つのかたちがつくりえないということだろうと思います。
私たちの国は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変というように、ほぼ10年おきに近代戦争を戦ってきましたが、すべて外地での戦争です。
1944年(昭和19年)の10、11月から米軍による都市爆撃が始まり、そのときに初めて多くの人が戦争を肌で実感します。

 私は戦争体験の話をたくさん聞いてきました。
多くの人が「戦争は嫌だ。二度と嫌だ」と言います。
さらによく聞いてみると、その嫌だという気持ちの底には、アメリカの爆撃機が来て、爆弾を落としていった記憶がある。
私はその記憶だけでは「厭戦」「嫌戦」と言うべきであって、「反戦」「非戦」ではないと思います。

保阪
 私たちの国で、「戦争観」というものが国家的、あるいは国民レベルできちんと定着せず、ぐらぐらと揺れているのは、もちろんアジアの国々との関係もあるにしても、私たちが戦争を肌身で知った戦争体験が、わずか1年足らずの空襲体験に多くを拠っているためではないか。
そうした限定的な体験で戦争観をつくっているとするならば、基本的に想像力が不足しているし、戦争というものに対する考えの幅が狭いのではないか。
「厭戦」や「嫌戦」というのは、戦争観をつくりうる因子としては弱いのではないかと私は思うわけです。

 やはり「反戦」「非戦」というかたちにして、戦争の内実を理解するためには、想像力や検証する力というのを持たなければいけませんが、その点がこの社会全体に欠けているのではないか─そんな感じがしますね。

1930年代という時代

加藤
 本日は太平洋戦争に至る10年を振り返るという趣旨で話を進めていますが、1930年代とはどのような時代だったとお考えでしょうか。

保阪
 世界史的には、1910年代は第一次世界大戦の時代で、その結果として1920年代は国際協調の時代となります。
その国際協調の中で、1931年(昭和6年)の満州事変が最初の軍事的行動として国際協調を破ることになりました。
そういう意味で言うと、1930年代は国際協調が崩れていく、世界史的に見ても、軍事が前面に出てくる時代だと思います。

 私たちの国は、満州事変という、国際協調路線に異を唱えたかたちの軍事行動を起こし、それ以降、軍事行動が国策の中心になっていきました。
1930年代とは、ひとことで言えば「政治が軍事に隷属していく時代」ではないかと思いますね。

加藤
 当時「ヴェルサイユ・ワシントン体制」ということが国際協調の言葉で言われましたけれども、それに反対を唱える国内勢力などが出てくる「テロの時代」であるとも言えると思います。

 1929年の世界大恐慌によって、世界で金本位制という安定した相互依存の経済関係がダメになる。
それに対して、国際連盟が有効に機能するかというと、それも難しい。
経済がダメになった後に、政治のまとまりがうまく制御できるシステムができていない。
それがこの1930年代だというふうに私は思っています。

半藤
 日本が軍事的に表へ出ていくのを後押ししたのは、実は日本のマスコミなんですよ。
それまで日本は軍縮ブームで、軍部を縮小しろと、日本のマスコミは軍に対してものすごく厳しい目で見ていた。
ところが、この満州事変が起きてから、新聞はがらりと論調を変えてしまった。

 簡単に言えば、よその国へ軍隊を出して、それがどんどん占領地を拡大していくという動きに対して、マスコミがものすごく応援したんです。
がそれに煽られ、乗っかっていった。
日本は軍事的になりつつあったとされますが、その後ろの国民的支持が非常に大きかったということに私は一番注目しますね。

NHK出版新書『太平洋戦争への道 1931−1941』2021年7月12日発売 定価 968円(税込)
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著者情報

半藤 一利
作家。1930年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋に入社し、「週刊文春」「文藝春秋」などの編集長を歴任。2021年1月逝去。著書に『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』など。


加藤 陽子
東京大学大学院人文社会系研究科教授。
1960年埼玉県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。
著書に『それでも日本人は「戦争」を選んだ』『昭和天皇と戦争の世紀(天皇の歴史8)』『戦争まで』『とめられなかった戦争』など。


保阪 正康 [編著]
ノンフィクション作家。1939年北海道生まれ。
同志社大学文学部卒業。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。著書に『昭和陸軍の研究』『昭和の怪物 七つの謎』『あの戦争は何だったのか』『陰謀の日本近現代史』など。
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2024年08月11日

男性は72.6歳、女性は75.3歳でやってくる…和田秀樹「ヨボヨボ老人と元気ハツラツ老人」を分ける決定的違い

男性は72.6歳、女性は75.3歳でやってくる…和田秀樹「ヨボヨボ老人と元気ハツラツ老人」を分ける決定的違い
2024年08月10日 PRESIDENT Online

体や脳の老化を防ぐにはどうすればいいか。
医師の和田秀樹さんは「身体と頭を使えば使っただけ、老化を遅らせることが可能だ。
逆に、体が動かないとき、体調がすぐれないときに『もうだめだ』と落ち込むと、いよいよ体や脳の老化を速める。
マイナス思考に陥りそうになったときは、『なんとかなるさ』とつぶやいてみるといい。
たったこれだけのことで、脳内にドーパミンという『やる気ホルモン』が出る」という――。
※本稿は、和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。

■80代からは老いの成り行きを味わう
「人生100年時代」という言葉が現実味をおびてきました。

いま日本には、100歳以上の人が約9万人います。2050年には、日本の女性の平均寿命は90年を超えるとも予測されています。

しかし、いまよりさらに若返りが進んで、寿命が延びていくわけではありません。
栄養状態の改善はもうピークを迎えていますから、ここまで進んできた若返りも頭打ちになるでしょう。

栄養状態の改善が老化を遅らせ、日本人の寿命の延びを牽引する時代は終わり、これからは医学の進歩によって、「死なない」から「より長寿」になるのです。

つまり、人生100年時代とは、老いを迎えてから死ぬまでの時間が長くなったということです。
この引き延ばされた高齢期をいかに元気に楽しく、そして自分らしく生きられるか――。

私は、「老い」を2つの時期に分けて考えることがカギだと考えています。

ざっくり言えば、70代は「老いと闘う時期」。
そして、80代以降の「老いを受け入れる時期」です。

老いを受け入れるとは、老いるままにショボくれていくという意味ではありません。
衰えを素直に認めて、それぞれに対応しながら上手に賢く生きようということです。

■私も愛用する「日本製のオムツ」の凄み

たとえば、耳が遠くなっているのなら素直に補聴器を受け入れる。
そうすることで少しでも長く人との会話を楽しむことができます。
補聴器を拒否して会話から遠ざかっていると、あっという間にボケたようになってしまいます。

杖にしても、シルバーカーにしても、拒否して転倒骨折ということになると、寝たきりに直結する可能性が高いし、歩くのが面倒になって外出しなくなると、歩行困難になるだけでなく、脳の機能低下にもつながります。

高齢者がもっとも嫌がるものの一つにオムツがありますが、日本製は吸収力がすごくいいので活動の幅が広がります。
実は、私も愛用者の一人です。

数年前に心不全と診断されて、利尿剤を飲む羽目になり、トイレが近くなって困っていました。

そこで思い切って長距離ドライブのときには、尿漏れパッド付きのパンツを使うようになったら、運転中に、また出張先でトイレを探し回らなくても済むようになり、安心してドライブできるようになりました。

素直に「文明の利器」を受け入れられるかどうかで、高齢者のQOL(生活の質)は大きく変わると思います。

■「この老いを生きているのだ」と考えられるか

どんなにあらがおうと、老いを受け入れざるをえない時期が、80代以降にやってきます。
個人差はあっても、遅かれ早かれ必ずやってくるのです。

そのときに、自分の老いをありのまま認めることができなければ、その後の10〜20年を生きていくのはひどく辛いものになってしまうでしょう。

100歳近くになると、寝たきりで老衰死するケースが一般的になります。
だれもが高い確率で、穏やかな自然死を迎えることができるのです。

80代以降は、老いていく自然の成り行きを味わいながら、事故や大病で命を落とすこともなく、天寿をまっとうしつつあるからこそ、この老いを生きているのだ、と考えてもいいのではないでしょうか。

■70代はヨボヨボ老人と元気ハツラツ老人の分かれ道

一方、70代はまだまだ老いと闘える時期だと言えます。

長い老いの期間を健やかに過ごすためには、脳の機能をいかに80代以降も保つか、同時に70代のときに持っている運動機能をいかに長持ちさせるかということが大切になってきます。

そのポイントとなるのが、70代の過ごし方です。

70代前半までであれば、認知症や要介護となっている人は1割もいません。
ケガをしたり、大病を患ったりしていなければ、中高年の頃のように、たいていのことはできるはずです。

努力すれば、効果も得られますし、日々の積み重ねが80代のあり方を大きく左右するものとなっていきます。

人生終盤の活動期と言える70代を努力して過ごすことで、身体も脳も若さを保つことができ、さらに要介護となる時期を遅らせることもできるのです。

がんの罹患率や死亡率、要介護になる率、あるいは認知症になる率を見てみると、70代で急増しています。

元気に自立して暮らせる「健康寿命」を見ても、2019年時点で、男性が72.68年、女性が75.38年です。
ヨボヨボしたりボケたりする高齢者と、元気ハツラツとした高齢者に分かれるのは、まさに70代と言えます。

80代になっても活力を保ちたい、生活の質を維持したい。
体も動けるほうがいいし、頭もはっきりしているほうがいい。
そう思うなら、70代は老いと闘える最後のチャンスと心得てください。

■とにかく体や頭を使い続けているか

加齢とともに身体能力や脳機能が低下してくるのは間違いありませんが、そのスピードや度合いは人それぞれです。

同じ70代、80代でも、認知症が進んで会話もままならない人がいる一方で、これまでの仕事を続けられる人もいれば、ノーベル賞をもらって素晴らしいスピーチができる人さえいます。

寝たきりになったり、日常の生活に介助が必要になったりする人もいれば、水泳やゴルフなどスポーツを楽しめる人もいます。

個人差の原因は、体や頭を使い続けているかどうかの違いです。
しかも、高齢になればなるほど、その差は広がります。

若い人が骨折して1カ月ほど入院したとしても、骨がくっつけば歩けるようになります。
たとえその間、寝たきりで何もせず、ぼーっとしていたとしても、IQがどんどん落ちてしまうということもありません。

しかし、70代後半ともなると、そうはいきません。

骨折して入院し、本も新聞も読まず、1カ月も天井ばかり眺めて寝ていると、理解力が急速に低下して、ボケたようになってしまうこともめずらしくない。

退院したものの筋肉が衰えて、その後まったく歩けなくなってしまうということもよくある話です。

■マイナス思考に陥りそうになったとき“つぶやくべき言葉”

頭や体を使わなかったときの機能低下は、高齢になるほど激しくなります。

寝込むようなことがなくても、コロナ自粛のように活動的でない生活が長く続くと、足腰がかなり弱って、認知症も悪化してしまう。

それほど高齢者にとって、脳機能、運動機能を維持するためには「使い続ける」ということが重要なのです。

とにかく動く、とにかく頭を使う。身体と頭を使い続けることを心がけてください。
使えば使っただけ、老化を遅らせることが可能です。

逆に、体が動かないとき、体調がすぐれないときに「もうだめだ」と落ち込むと、いよいよ体や脳の老化を速めます。

マイナス思考に陥りそうになったときは、「なんとかなるさ」とつぶやいてみるといいでしょう。
たったこれだけのことですが、脳内にドーパミンという「やる気ホルモン」が出ます。

脳は思いのほか単純にできていて、自分の言葉を信じる性質があるため「なんとかしよう」と奮起して、意欲が高まるのです。だまされたと思ってやってみてください。
----------
和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医

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2024年08月12日

鈴木おさむ氏、少数の批判がネット世論形成する現状「千人の意見が100万人の意見に見えるのが怖い」

鈴木おさむ氏、少数の批判がネット世論形成する現状「千人の意見が100万人の意見に見えるのが怖い」
8/10(土) スポニチアネックス
鈴木おさむ氏

 元放送作家・鈴木おさむ氏(52)が10日、カンテレ「ドっとコネクト」に出演。
衣料品チェーン「しまむら」のベビー、子供用品専門店「バースデイ」の商品が“炎上”した件について話した。

 同店が販売した「パパはいつも帰り遅く」「パパは全然面倒みてくれない」「ママがいい」などと文字がプリントされた靴下やTシャツに、SNSで「露骨なママアゲ・パパサゲ」「育児を頑張ってる父ですが、もうバースデイでは買いません」などと批判の声が殺到。
事態を受け、バースデイは謝罪し、商品の販売を中止を発表した。

 同件についてスタジオのゲスト、鈴木氏や弁護士・橋下徹氏が「ジョークか、性差別か」をテーマに語り合った。
橋下氏は「全然いいと思う。この商品買うのはある程度うまくいってる家庭ですよ…シャレの通じる」と話した。

 鈴木氏も「面白いと思った」とし、「今、世の中の10%ぐらいの人が嫌だと思う事が、世の中から消えていく。
面白くないって言う人は昔からいたけど、(最近は)ネガティブな意見が強くなって消えてくのがどうなのかな、と思う」と嘆いた。

 橋下氏に「鈴木さん、テレビ作ってる時に大人気番組って当然反発も多かったでしょ?」と問われ、「多かったんですけど、90年代はそれが届かなかった」と返答。
「今はSNSとかで…。調べていくと実は1000人ぐらいしか言ってないようなことが、100万人の意見に見えてしまう。それが怖いですよね」と語った。

 専門家も同様のことを指摘。
「ネット上では誰かが批判されると、そこに他人も同調し炎上を引き起こす」(公認心理師)
「炎上している事件に実際に批判のコメントを投稿する割合は40万人に1人」(国際大学准教授・山口真一博士)とし、わずかな人の声が「ネット世論」を形成しているとの見方を示した。

 鈴木氏は「こういう40万人に1人みたいな人が、アカウントを10個取ったりとかするんで、そういう1人のパワーが100人、1000人に見えるようになる」と吐露。
「その人たちがそれ書いてうわーっと盛り上がって、ものすごいドーパミンが出てくる…」と続く石井亮次アナに、「だからやるんですよね…」とうなずいた。

 橋下氏は「一部の声を無視するのは良くないかも分からないけど、それに全部引っ張られるってのも考えものですよね」と首をかしげた。

 鈴木氏は、「あなたのイチ意見で世の中動いちゃうことで気持ちいいっていうのもあると思うけど、もっと責任持ってほしい」と訴えていた。
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2024年08月13日

「絶対にあり得ない」内閣府が公表した生活満足度「過去最高」に集まる怒りと疑いのまなざし「詐欺的」指摘まで

絶対にあり得ない」内閣府が公表した生活満足度「過去最高」に集まる怒りと疑いのまなざし「詐欺的」指摘まで
8/11(日) SmartFLASH

 8月9日に、内閣府は「満足度・生活の質に関する調査報告書 2024」を公表した。

 これについて、共同通信が《生活満足度が過去最高 3年連続上昇 内閣府調査》の見出しで報じると、調査結果と実態との乖離ぶりに、インターネット上では怒りの声が続出している。

 同調査は、2024年2月に約1万人を対象にインターネットでおこなわれ、現在の生活に、どの程度満足しているかを0〜10点で自己評価する形だった。
「総合的な生活満足度」の全体平均が、前年比0.1ポイント上昇の「5.89」と、過去最高だったという。

 共同通信の記事内では、内閣府担当者の分析として《新型コロナウイルス禍からの脱却や賃上げが影響した可能性がある》との見方も紹介されていた。

 経済部記者はこう話す。

「調査報告にある『最も高い水準』や『過去最高』という文言を見ると、いかにも景気がよさそうな印象を受けますが、実際にはツッコミどころがいくつもあります。

 まず、厚生労働省の毎月勤労統計調書で、2024年6月の実質賃金は27カ月ぶりにプラスに転じましたが、2月の段階では実質賃金は前年同月比でマイナスが続いていました。

 そうした状況のなかでの調査で『生活満足度が過去最高』と言われても、実感が湧きませんし、内閣府の調査をなかなか鵜呑みにはしづらいような気もします」

 これだけではない。

「『過去最高』といっても、この調査が初めておこなわれたのが、2019年2月ですので、『過去6年間のうちで』ということにすぎません。
さらに言うならば、報告書の概要では『年齢階層別では、すべての階層で上昇したが、40歳-64歳は2020年の水準には至っていない』と認めていて、この部分については、過去最高でも何でもないのです。

 とくにその年代は、子どもが高校、大学へと進学する時期のため、教育費負担などが大きいわけですから、実質賃金が下がっているなかで、とても生活満足度が過去最高になるはずがないといえます」(同前)

 たしかに報告書を見ると、40〜64歳の生活満足度は2020年の5.70が過去最高。2024年は5.57となり、2023年から0.09ポイント上昇したが、微増に過ぎない。

 結果に対する反応は冒頭のとおりで、X上では調査を疑う声すら聞かれている。

《絶対にあり得ない。とうとう政府は統計操作までやるようになったのか…》

《不思議な結果ですね。調査が偏っているとしか思えない結果》

《「過去最高」と言っても調査開始は2019年ですし、「3年連続上昇」というのも主にコロナ禍で下がった後に上がっているっていうだけの話なので詐欺的ですね》

 6年間で過去最高と胸を張る内閣府は、国民の生活が苦しい現状を把握できているのだろうか。
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2024年08月14日

なぜ日本軍は特攻隊を生み出したのか 昭和19年に黒島亀人が特攻用の兵器開発を発案

なぜ日本軍は特攻隊を生み出したのか 昭和19年に黒島亀人が特攻用の兵器開発を発案
2024年08月13日 PRESIDENT Online

太平洋戦争の末期、日本軍は飛行機で敵戦艦に体当たりする「特別攻撃隊」(特攻隊)を編成した。
パイロットになった10代の若者が数多く犠牲になった。
なぜ日本軍が特攻隊を生み出したのか。
半藤一利さんと保阪正康さんの著書『失敗の本質 日本海軍と昭和史』(毎日文庫)から、2人の対談を紹介する――。

■戦局を打開するために考案された「新兵器」

【半藤一利】
マリアナ沖海戦が始まる四カ月ほど前の昭和十九年二月に、黒島亀人が、これからの戦は思い切った新兵器を導入しないと勝てないと、「特攻」用の兵器開発を発案します。
徐々に海軍の頭が決死の特攻的な方向に向いていく。
これがのちに回天とか震洋(しんよう)といった人間魚雷となるのですが、この段階ではあくまでも兵器でした。

【保阪正康】
侍従武官だった城英一郎(えいいちろう)大佐が、体当たり攻撃を目的とする特殊攻撃隊を考案して、軍需省の航空兵器総局にいた大西瀧治郎中将に提案していますね。
これが昭和十八年六月末頃のことです。
大西から「まだその時期でない」と退けられていますが。
いずれにせよ、ここまできたら人間爆弾で戦わざるを得ないという意見は、各所から出てきていた。

石川信吾がこう言っています。
マリアナ沖海戦が済んでからだったと思うが、かつて私が第二三航空戦隊司令官当時の岡村基春(もとはる)司令がやって来て、特攻攻撃の必要を力説した。
そこで、私は「飛行機の特攻攻撃はこれがほんとに最後と云う時ならよい。さもなければ、必ずこれから軍紀が乱れてくる。俺は反対だが二階の大西(航空兵器総局次長)に聞いてみよ」と言った。
当時は大西中将も私の意見に同調していた。

■「特攻」が国策になった瞬間

【半藤】
ですから「海軍は命令ではなくて、澎湃たる下からの要望によって、特攻に踏み切った」ということになるのですが、はたして本当にそうなのか。

昭和十九年六月、サイパン島を奪われてマリアナ諸島がいよいよダメということになり、天皇が何とか奪還できないかと下問します。
大本営の結論は奪還不可能ということになったのですが、天皇は元帥会議を開くといって、伏見宮と閑院宮、永野修身と杉山元の四人の元帥を呼び、特別元帥会議を行いました。

閑院宮は病気で欠席するのですがね。
そこで天皇が、なんとかサイパンを奪還しないと国の命運が尽きてしまう、というような発言をするのですが、陸海軍総長の説明を聞き、やっぱり無理だということになった。

ついにマリアナ諸島放棄を天皇も納得します。
その後、天皇が退室して残った三人が話をしているときに、伏見宮が、「ここまできたら、もう特別な攻撃方法によってやるよりしようがない」ということを言うのです。

伏見宮という、現役の海軍大将による判断が間違いなくそこにはありました。
それが六月二十五日です。
その発言後、ほかの二人の元帥ももっともだと承知してしまう。
それで軍令部も参謀本部も、かねてより検討していた「特攻攻撃」が認可されたと了解するわけです。

■特攻を推し進めた大西瀧治郎・海軍中将

【保阪】
その瞬間に特攻が国策になったわけですね。
昭和十九年十月の捷一号作戦で、大西瀧治郎がフィリピンのマニラに赴任したとき、マニラにいたのが福留繁でした。
福留はこのとき第二航空艦隊司令長官。
大西の第一航空艦隊は台湾沖航空戦でかなりやられて戦闘機が三十数機になってしまっていました。
それでとうとう大西は特攻を指示する。

福留がこのときのことを詳しく語っています。
大西と私は防空壕の中でベッドを並べて寝起きしていた。
二三日夜大西は「特攻以外に航空攻撃の方法は立たない。第一航空艦隊は特攻一点張りでゆく第二航空隊もやれ」とさかんに口説いた。
これに対して、私は「特攻はうまくゆくかも知れない。しかし、特攻で戦局を左右するような戦果は到底望めないと思う。
私は部下の練度からみて、編隊集団攻撃の外自信がない。
第二航空艦隊はこれで行く」と答えた。
……二五日レイテ沖海戦の当日は、今日こそはと全力攻撃を企図したが、敵を発見し得ないのでまたも不成功に終わった。

この日第一航空艦隊では、関行男(ゆきお)大尉の指揮する敷島(しきしま)特攻隊が、敵特空母に対し初の特攻攻撃に成功した。
後日アメリカ側の発表によると、この特攻第一日は全く敵の意表に出たもので、六機の体当たり命中があり特空母一隻を撃沈している。
同夜、大西は「それみたことか、特攻に限る」とまた執拗に口説き、とうとう第二航空艦隊も爾後特攻攻撃に転換することに踏み切った。

大西はずいぶんあっけらかんと、そしてイケイケで特攻を推し進めたようなニュアンスですね。

■「大西次長は実践家で玉砕式、私は合理主義」

【半藤】
最初の特攻で華々しい戦果をあげてしまった。
これ以降一、二艦隊が合体となって、福留は合体した部隊の司令官になるのですが、実質は大西が指揮していました。
特攻を指揮するには福留は弱いとされて、昭和二十年一月からは第一南遣艦隊に異動となっています。
そのため彼はけっきょく戦後も生き残ることになります。

【保阪】
昭和十九年十二月に軍令部第一部長になった富岡定俊が、敗戦直前の様子にからめて大西について語っています。
大西は昭和二十年の五月に、小沢治三郎に代わって軍令部次長になっていました。

大西次長は実践家で玉砕式、私は合理主義で、作戦指導上の意見が合わず、六月頃私は任に堪えず辞任を申し出たこともある。戦争指導は、これまで軍令部の戦争指導班(班長末沢大佐)で受け持っていたが、和平のことも考慮しなければならない時期になったので、軍務局長[保科善四郎]が総合部長となり、その下に移して、軍令部は作戦一式とすることにされた。
戦局はグングン悪化して、本土に対する空襲の被害は日々に激増し、遂に八月六日、八日[実際は九日]の広島長崎に対する原爆の投下となり、九日ソ連が参戦して日本の進退は茲(ここ)に窮(きわ)まった。

かくて、八月九日の最高戦争指導会議は、条件付でポツダム宣言を受諾するに一致し、翌十日午前会議[ママ]は開かれ、陸相[阿南惟幾(これちか)]、参謀総長[梅津美治郎]、軍令部総長[豊田副武]は反対の旨上奏したが、陛下から外相[東郷茂徳]の受諾意見に同意の旨聖断が下った。
ところが、一二日両総長は相携(あいたずさ)えて拝謁、再び反対の旨上奏した。

■天皇の聖断が下り、8月16日に自決した

一三日夜大西次長は、米内大臣及び永野元帥の説得方を高松宮殿下に依頼し、作戦部員は手分けして永野元帥、及川[古志郎]、近藤[信竹]、野村(直邦)各大将を訪問して尽力を懇請したが、効果は無かった。
かくて、一四日の御前会議となり、ポツダム宣言受諾の旨最後の聖断は下った。

大西次長は一六日官邸において自決した。
八月十日頃のことだったと思う。私と大西次長は豊田総長室で激論した。
私は「本土決戦で敵の第一波だけは何とかして撃退できるが、第二波に対しては目算が立たない」と言明したところ、大西次長は「君の計算は悲観に過ぎる」として、飽くまで精神論を固辞(ママ)する。
大西次長は今まで陣頭に立って、飛行機の特攻攻撃を強調して来た関係もあり、今突如として無条件降伏と云うことでは、まことに苦しい立場にあったと思う。
甚だ浮かばない顔をしておられた。
大西次長は、あくまで降伏反対玉砕論で「天皇と雖も時に暗愚の場合がなきにあらず」とまで極論された。
その翌日であったか、大西次長は部員を集めて、一席玉砕論を弁じた上、「俺について来るか」と念を押された。
私は言下に「次長がその積もりならついて行きます。誓います」と即答した。
然し情況は二、三日の内にがらりと変わって、最後の御聖断となり和平に決した。

富岡は、大西が「あくまで降伏反対玉砕論」で、聖断を下した天皇のことを「時に暗愚の場合がなきにあらず」と評したと言う。
おそらく大西さんは実際そういうことを言ったのだと思うのですが、半藤さん、いかがですか。

■生き残った将官による弁解

【半藤】
特攻作戦については、自決した大西にその責任を皆がなすりつけた印象があって、少々気の毒にも思えます。
富岡の発言で私が気になるのは、天皇についての件も本当かなと思えますが、それよりも戦艦大和の沖縄特攻について「私の知らない間に……小沢[治三郎]次長のところで承知したらしい」と言っているところです。
仮にも軍令部の作戦部長という立場にあったのですから、そんな責任逃れのような言い方はすべきではないです。
どうも富岡さんは自分を正当化しすぎる傾向が強い。

【保阪】
富岡定俊は長生きしたためか弁解が多過ぎる。
その著書、『開戦と終戦』とかを読むと腹が立ってきますよ。
このときの経緯を軍令部作戦部長だった中沢佑少将は、短くサラッと語っているんです。

大西第二航空艦隊長官は、レイテ沖海戦において始めて飛行機の特攻戦法を実施した。
その前に一度大西中将が軍令部に来て、伊藤[整一]次長と私の前で「戦況かくなる上は、飛行機の特攻以外に方法はないと思う、中央の承認を得たい」と申出されたことがある。
これに対して「中央としては特攻をやれとは言われない。
しかし、当事者がやると言うならば涙をふるって認める」と返事した。

こうとでも言っておかないと軍令部の立つ瀬がないというような感じと言いますか、中沢もまた、逃げているような印象を受けました。

■戦後を生き抜くための言い訳が「特攻作戦の父」を作り上げた

【半藤】
明らかに自分たちの責任逃れ。
責任は大西にあり、という典型的なもの言いだと思います。大西瀧治郎だけが最後まで徹底抗戦特攻派にされてしまっているので、かなり注意して見なければいけないところです。

【保阪】
これはどうなのでしょうか。

富岡定俊が、「人命の尊重」と題された項で、こんなことを言っているんです。
アメリカ人は非常に人命を大切にする。
……そこへ行くと日本人は潔癖すぎて、艦を沈めたら理由の如何を問わず、艦長は引責自決しなければならないように思われていた。
これは日本軍人の伝統的美点であるが、まことに勿体ないことである。
私は、かつて具体的に勘定したことがあるが私を少将にまで育て上げるに、日本海軍は実に時価三億円を要している。
精神問題を別にしても、いざ戦さとなったら最も有効に人を使うようにしなければなるまい。

要するに艦と運命をともにするなんてまったく意味がない、と。
一人の少将を育てるのに三億円。「時価」とあるので戦後の取材当時の金額で、ということでしょうけれど、本当にそんなにかかるものなんですか。

【半藤】
現在のサラリーマンでも、平均生涯賃金は三億に届かないでしょう。
たしかに兵学校はタダ、食うものも着るものも全部支給、少尉以上は月給が出る。
それで船に乗っていると手当てがボンボン支給される。
しかし、そうは言っても三億円はなんぼなんでも多すぎるような気がします。

【保阪】
誇大に見積もって、自分たち将官は無駄に死んではいかん逸材だったのだと言いたかったのかもしれないですね。

【半藤】
生き残ったことへの後ろめたさをふっ切るような言い訳が、他者にも自分にも必要だったのかもしれません。

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半藤 一利(はんどう・かずとし)
作家
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保阪 正康(ほさか・まさやす)
ノンフィクション作家


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身内の性犯罪を隠蔽し、告発者を逮捕…戦前よりひどい警察の実態を大マスコミと裁判所はなぜ見逃すのか

身内の性犯罪を隠蔽し、告発者を逮捕…戦前よりひどい警察の実態を大マスコミと裁判所はなぜ見逃すのか
2024年08月13日 PRESIDENT Online

ストーカー、強制性交、盗撮……鹿児島県警の警察官による不祥事が相次いでいる。
勇気をもって真実を告発した元警官二人が逮捕され、真実を伝えようとしたジャーナリストが家宅捜索を受けた。
県警本部長の処分は「訓戒」で終わりでいいのか。
警察も大新聞もテレビも裁判所も忖度だらけの日本の現状に「黙っていられない」元文春編集長が声をあげた――。

■戦前でも実行しなかったジャーナリズムへの弾圧

雑誌の後ろには「編集人」と「発行人」という二つの肩書が印刷されています。
読者も、いや出版社の社員も、なぜ「発行人」が必要なのか知らない人が多いでしょう。
発行人の役目とは、以下のようなものです。

戦前、特高警察の検閲が烈しくなると、編集人が警察署に引っ張られ拘禁されることが相次ぎました。
そこで、出版社は発行人という、編集長より重責(ということになっている)職責の人間をたて、彼らが犠牲になって編集人の作業が中断されないよう、代わりに拘束されたり尋問されたりしていました。

警察もこのカラクリはわかっていても、自由にしていたようです。
こんな昔話を持ち出したのは、戦前の警察でさえ、ジャーナリズムには一定の自由を認め、拘束や家宅捜索は慎重にしていたという事実も知ってほしいからです。

その、暗黒の戦前でもほとんど実行しなかった、ジャーナリズムへの弾圧を、鹿児島県警が平然と行いました。
記者を任意(実際には強制)で警察署に連れてゆき、家宅捜索令状をだして「証拠物品」を押収、PCは複製したあと返却されたといいます。
公務員の守秘義務違反の証拠押収という名目です。

ここにいたった、事件の経緯をまずまとめてみましょう。

2024年3月下旬、「HUNTER」というウェブメディアに所属していた記者に、その証拠物件は郵送されてきました。
すると、その翌月の4月8日に、鹿児島県警曽於署の藤井光樹巡査長が、内部文書を第三者に漏洩した容疑で鹿児島県警に逮捕されました。
さらに、同日に鹿児島県警は、「HUNTER」を運営する代表者の自宅を家宅捜索したのです。

押収したデータの中に、藤井巡査長からの告発とは別に、県警の生活安全部長だった本田尚志・元警視正による「告白書」もありました。
そこには以下のような内容の事件がもみ消されそうになっていることが記されていました。

2023年12月に、鹿児島県枕崎市でトイレに侵入して女性を盗撮した事件が起き、容疑者として枕崎署の警察官が浮かびます。
県警の生活安全部長として本田尚志・元警視正は「早期に捜査に着手し、事案の解明をしよう」と考え、上司の野川明輝・県警本部長の指揮を仰いだところ野川本部長は、「最後のチャンスをやろう」「泳がせよう」と言い、強制捜査にゴーサインを出さなかったというのです。

それ以外にも、捜査上知り得た住所などをもとにストーカー行為を行っていた警察官や、ストーカー事件が2件起きているのに、事実上もみ消した霧島署の前署長が、こともあろうに本田元警視正の後任として、ストーカー事件を扱う県警生活安全部長に昇進している事実が告発されていました。
これらのストーカー行為は本部長指揮の事件となりましたが、明らかにされることはありませんでした。警察を定年退職した直後の本田元警視正が、これらの事実を広くジャーナズムに告発したいと、資料を「HUNTER」の記者に送っていたわけですが、本田元警視正は5月31日にいきなり、国家公務員法違反で逮捕されたのです。

■5カ月も「泳がせていた」容疑者を慌てて逮捕

盗撮容疑の枕崎署の巡査部長は5月13日に逮捕されましたが、12月の事件発生から、内定に実に5カ月もかかって容疑者を「泳がせていた」事件なのに、「HUNTER」の運営者の家宅捜索からわずか1カ月間で逮捕になったというのは実に不可解です。
「本当は事件をもみ消そうと思っていたのに、告発書がでたため」事実関係を隠蔽(いんぺい)するために仕方なく「解決」したとしか思えません。

さすがに、この問題を重視したのか、警察庁は特別監察を実施すると宣言しましたが、野川鹿児島県警本部長は、内部告発した本田警視正を内部通報者として保護すべき対象ではないと答え、いまだに国家公務員法違反としています。
その上、犯人隠避で刑事告発されていた野川本部長は早々に不起訴と判断されました。

組織の幹部が外部メディアに通報したことを理由に職員を処分して、さらに隠蔽しようとした行為は、兵庫県知事の手法にそっくりです。
兵庫県知事に対しては、議会による百条委員会が設置され、市民の中からはリコールといった動きもでています。
ところが、警察は基本的に閉鎖的な組織。警察庁は7月21日、申し訳のように、「鹿児島県警枕崎署員による盗撮事件で、捜査状況をきめ細く確認し、指示すべきだった」として、野川明輝本部長を長官訓戒としましたが、なんとかこれでおさめようとする態度がミエミエで、百条委員会についても、現状鹿児島県議会は消極的な態度をとっています。

私は、この問題は重大事だと事件発生時から注視していましたが、大手の新聞や報道機関の反応は鈍感でした。
「ただのフリーライターだから、いい加減な取材をしているから、警察に家宅捜索を受けたのだろう」といった安易な考えがあるようにみえます。
本来は、この鹿児島県警による隠蔽事件と、ジャーナリストに対する家宅捜索という弾圧に対して、新聞協会も日本民間放送連盟も、大々的に取材しキャンペーンを張るべきなのです。

もちろん国防上の機密など国家公務員が絶対に守秘義務を遵守すべき機密もあるでしょう。
その漏洩事件で国益を損なう恐れのある事案であれば、報道機関に対する家宅捜索も完全に否定するものではありません。
しかし、この事件は本部長のクビを守るという以外にこんな荒っぽい捜査をやる必要がないことなのです。

■保身が最優先で性被害事件をもみ消し続ける

ストーカー、強制性交、盗撮など……鹿児島県警の警察官が、相次いで性加害の不祥事を起こしていることは、確実に野川本部長の責任問題につながります。
もし、自分のクビを最優先に考えて「もみ消し」をし続ける本部長の不正に直面し、良心に耐えかねて、退職後に「告発」にいたった行為だとしたら、本田・元警視正の行動は、むしろ公益通報保護制度によって保護される対象として扱われるべきものなのです。

なんでも秘密にしたがるのが警察。
なんでもキャリア官僚がエライのが警察という組織の特徴です。

私自身、かつてジャーナリストの江川紹子さんと、当初からオウム真理教の関与が疑われていた「坂本弁護士一家行方不明事件」を追いかけているとき、神奈川県警が絶対に、この事件を「拉致事件」と認めず、「失踪事件」として押し通していたことに、愕然とした体験があります。

当時の県警本部長は、人事異動まで数カ月、拉致事件なら未解決事件となり、彼の経歴に傷がつく。これが警察の本音です。「拉致」と「失踪」では、捜査体制も捜査陣の意気込みもスピード感もちがいます。
あのとき、大々的な捜査をしてオウム真理教を徹底的に捜査しておけば、松本サリンも地下鉄サリンも防げた可能性さえあるのに、一キャリア官僚の経歴を守るために、その機会を自ら放棄したのです。

その結果、オウム真理教という怪物は、あの時点で「何をしても大丈夫」と自信を持つようになってしまいました。
今回、明るみになった一連の警察の「もみ消し」未遂事件の中には、強制性交事件の容疑者が警察OBの息子という事件もあります。
絵に描いたような隠蔽策です。こんなことを許しておいていいのでしょうか。

社団法人日本新聞協会と社団法人日本民間放送連盟は「報道機関で取材活動に従事するすべての記者にとって、『取材源(情報源)の秘匿』は、いかなる犠牲を払っても堅守すべきジャーナリズムの鉄則である。
隠された事実・真実は、記者と情報提供者との間に取材源を明らかにしないという信頼関係があって初めてもたらされる」としていますし、最高裁は「取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有する」と述べています。

たしかに、鹿児島県警とモメ事になれば、地元の新聞社は記者クラブに依存しているだけに困るでしょう。
それでも、地元の新聞社は頑張って記事にしています。
だからこそ、新聞協会や日本民間放送連盟といった、もっとも大きな組織こそ、鹿児島県警および警察庁に対して強烈に抗議し、二度とこのようなことが起こらないように徹底的に問題を報道すべきなのです。
また、これは、日本国憲法によって保障されている自由に対する侵害なのですから、国会の場でも、野党を中心に厳しく追及するべき問題です。

■新聞協会はなぜ抗議しないのかと思ったら…

警察庁長官は国会答弁で、「特別監査をいれる」と釈明しましたが、身内の調査がどれほど大甘になるかは目に見えています。ましてや、相手はキャリア官僚です。
私の知人の警察キャリアは、「一生で一回しか手錠をかけたことがない」と言っていました。
それも部下が被疑者を制圧し、いつでも手錠が嵌められる段階になってから、「○○さん、手錠をどうぞ」という世界です。
本部長に逆らえない警察官も大勢いることでしょう。
しかし、まずは冷静に考えてみてください。
これは公務員法違反に関わるような重大機密ではなく、野川本部長のキャリアにとってのみ不都合な真実であったことを通報されたにすぎないという事実なのです。

私自身、事件の取材の過程で得た資料が欲しくてやってきた警察官に対して、資料の拠出を断ると、「家宅捜査礼状を出しますよ」と脅された経験があります。
また、脱北者を日本に連れてきて、講演をさせたときは、警察から「ホテルを教えてくれ、その廊下の警備をしたい」と言ってきました。
もちろん、このときも断りました。
われわれの手で十分に警備できる自信があったのと、警察に接触されると何をされるかわからないという疑いの念があったからです。

なぜ、新聞協会は今回の事件で抗議しないのかと思っていたら、案の定、読売新聞にこんな記事がでました。
コメントしているのは、なんと警察大学校の元校長の田村正博・京都産業大教授(警察行政法)。

6月18日付のこの記事には「県警の最高幹部だった前生活安全部長が重要な個人情報を意図的に漏えいした事実は深刻な問題だ。
警察への不信感が高まっており、県警には徹底的な調査と説明責任が求められる。
警察庁や公安委員会の対応も重要だ」というふうに、情報を漏洩したことのみに論点をすりかえる意図をもって書かれており、情報源を特定して、ジャーナリストに対して家宅捜査したことなど問題にもしていない記事になっています。

さすがに、最近になって朝日新聞、毎日新聞などが社説などで取り上げていますが、新聞界全体の動きにはなっていません。
しかし、小さな積み重ねが大きな言論弾圧につながってゆきます。
一番心配なことは、この暴挙には裁判官も加担しているという事実です。
裁判所から家宅捜査礼状がでたということは、裁判所も本田・元警視正が機密を漏洩したという見方をして、その証拠を確定するためにジャーナリストへの家宅捜索令状の発行を認めたことになるのです。
これは、重大な意味をもちます。裁判所は警察以上にこの問題に神経を配るべき組織だからです。

のちに検事総長となる松尾邦弘・法務省刑事局長は、取材源の秘匿について「大変重要なこと」「最大限尊重する」と国会で答弁し、捜査にあたって「そういう重要性も当然念頭に置きまして、それを最大限尊重するような運用をする」と約束し、したがって、「報道機関が取材の過程で行っている通信につきましては、基本的には通信傍受の対象としない」と明言しています。
今回、はたして裁判所は、こういう前例を調べて令状をだしたのでしょうか。

■「法に触れない言論の自由」

私が今回の司法・治安機関の暴走を危惧するのは、それが私利私欲のために発揮されているという点でした。
最悪といわれた戦前の東条内閣の憲兵隊による国家全体への監視体制の中でさえ、司法機関は相当慎重な態度をとっていました。

東条内閣倒閣に動き、結局非業の割腹自殺を遂げた中野正剛という政治家がいました。
彼は1943年の元旦、古巣の朝日新聞に「戦時宰相論」という論文をかきました。
中身は、東条英機首相を名指したものでさえありません。
しかし東条は、政敵・中野(彼は東条による大政翼賛会に所属せず当選した数少ない議員の一人でした)のこの論文が気に障ったらしく、以降、中野の言動を見張り、治安紊乱罪に問えないかと、逮捕を治安機関全員に相談しました。

ところが、中野の起訴を指示された検事総長・松阪広政は、中野の言動は大日本帝国憲法第29条による「法に触れない言論の自由」の範囲内に収まっているとして、「こんな証拠ではとても起訴はできない」と反論したのです。

また、中野を議会出席停止させるよう東條に呼び出された国務大臣の大麻唯男(東條のイエスマンとして議会統制をおこなっていた)も「憲法上の立法府の独立を侵害しかねないのでできません」と反論しました。
中野の国会登壇によって自分に対する弾劾をおそれた東条は、憲兵隊という行政組織に命じて、中野を拘束します。
そして、拘束した上で、国会開院前に勾留したいと判事に要求しました。
しかし、憲兵隊といえども、逮捕状は裁判官の令状執行が必要です。
しかも、国会議員には国会会期中には不逮捕特権があります。
国会は召集されているが開院式までは時間があるという場合があり、この時も召集はされていても、開院式はまだという状態でしたから、不逮捕特権が適用されるか微妙な状態でした。

■「内部通報者の保護」を即刻命令せよ

しかし、議員の不逮捕特権は重大な言論問題です。
当直の若い裁判官たちは、書類を読み漁り、「国会の会期とは召集のあと閉会までをいう」という伊藤博文著『憲法義解(けんぽうぎげ)』の文言をみつけてから、逮捕は不可能であることを法的に明確化し、令状の発行を待っていた検事に「国会会期中の議員の拘束は憲法違反になる」と伊藤博文の著作を根拠に令状発行を拒否しました。
検事たちも歓声をあげて帰ってゆきました。
彼らも、実はこの拘束に反対だったのです。戦時中、暗黒政治の中でも司法関係者は勇気を奮って、憲法を守ったのです。

中野は、警視庁から憲兵隊に連行され、再び警視庁に戻り、それから地検思想部を経てさらに予審にまわされ、地検思想部にまた戻されたあげく釈放になりました。
しかし、帰宅したその夜、割腹自殺をとげました。
その理由は定かではありませんが息子を最前線に送るといった脅しがあったという説が有力です。

古い話になりましたが、今の日本はその頃に比べたらまだまだ自由です。
なのに、鹿児島のケースといい、兵庫県のケースといい、権力に逆らえず忖度(そんたく)する人々が増えました。
これがいずれ、日本をまた奈落の底に落とすことにならないか。それが私には心配です。

岸田総理、あなたはいろんな場所で国民の信頼を裏切っています。
ここは、警察の身内による単なる特別監査ではなく、本部長と警察庁長官の停職、第三者機関による調査、本田警視正などの内部通報者としての保護を即刻命ずるべきだと考えます。

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木俣 正剛(きまた・せいごう)
元週刊文春編集長
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2024年08月15日

【お盆休みに直面】将来「墓じまい」する人へ警告

将来「墓じまい」する人へ警告
実際やってみて「甘くはなかった」嘆く人が続出
松尾 拓也 : 行政書士、ファイナンシャル・プランナー、相続と供養に精通する終活の専門家
2024/08/10 東洋経済オンライン

「驚くほど面倒な手続き」が待っている

最近「墓じまい」という言葉を耳にすることも多くなりました。
お盆の帰省で「実家のお墓、将来どうしよう……」と改めて考える人もいらっしゃるかもしれませんね。

「墓じまい」とは、現在あるお墓を解体・撤去し、墓地を更地にすることをいいます。
少子高齢化が進み、

・お墓を承継してくれる子どもや孫、親族などがいない人
・遠方にある実家のお墓を整理したいと考える人

が増え、「そろそろ墓じまいを……」と考える人が増えています。

そこで「墓じまいなんて、2〜3日もあればできるだろう」と考えていると、手続きの煩雑さに驚くことになるかもしれません。

実際に、遠方の実家の墓じまいをするのに「こんなに大変だとは思わなかった」という人が続出しています。

「墓じまいをするために、何度も東京と実家のある北海道を行き来した」

「墓じまいを終えるまで、最終的に数年かかった」

といった声もよく聞きます。

墓じまいでは、「いまあるお墓を解体撤去すること」と「そこに納骨されていたお骨を別の施設に移すこと(改葬)」の2つを同時に行います。

さまざまな届け出や書類の提出、業者とのやりとりなどが必要になってくるため、そう簡単なものではないのです。

今回は、墓じまいの基本的なルールと方法について解説します。

墓じまいに必要な「準備」と「手順」は?

@名義の確認・変更

古いお墓だと、墓地使用者の名義が故人のままになっているケースが多いです。
故人の名義のままでは各種の申請ができないので、名義を現在生きている人に変更する必要があります(墓地の承継手続き)。

届け出のみで済む場合もあれば、これまでの使用者とこれからの使用者の関係性を証明するために、戸籍謄本などの提出を求められることもあります。

A墓地の返還とお墓の解体工事に関する手続き

墓地の管理者によって必要な手続きは異なりますが、多くの場合、次の届け出が必要です。

・墓地の返還に関する届け出(墓地返還届など)
・お墓の解体に関する届け出(墓地工事施工届など)・お骨の移動に関する届け出(改葬許可申請)

ここで注意が必要なのは、これまでお墓に入っていたお骨をどこに移すかが決まっていないと、改葬許可申請を行えない点です。

わかりやすくいえば、お骨の引っ越し先(新しいお墓、納骨堂、合葬墓など)を事前に決める必要があるのです。

B石材業者への依頼

石材業者にお墓の解体工事を依頼します。
長く離れていた実家などの場合、土地勘のないところで石材業者を探さなければならず、一苦労するケースもあります。

@〜Bに加え、墓から遺骨を取り出す前に「閉眼供養」(魂抜きともいいます)を行う場合は、僧侶の手配も必要です。

事前の知識ゼロで墓じまいをはじめて「こんなにやることがたくさんあるのか!」と驚く人も多いようです。

墓じまいの手続きに関しては、石材業者が相談に乗ってくれる場合もあります。

また、改葬手続きを得意とする行政書士などに委任する方法もあります。

このように、一口に墓じまいといっても、各種届け出や書類の提出、改葬先の準備、お墓の解体、閉眼供養と、さまざまなプロセスが必要です。

お墓の解体に立ち会う場合は、改葬先への移動も行うことになるため、日程に余裕をもたせた検討が必要です。

「思った以上」に大変なので「準備」が重要

墓じまいの大切なポイントのひとつに、親族への相談があります。

先祖代々受け継がれてきたお墓の場合、多くの親族にとっても、自分たちのご先祖さまが納骨されているお墓なのです。

「お墓参りをしようとしたら、知らないうちにご先祖さまのお墓がなくなっていた!」「勝手に遺骨を移すなんて許せない!」というようなことにならないように、事前に墓じまいの意向を伝え、相談しておくことが、トラブル防止につながります。

親戚に相談し、了承を得るために長い時間を要するケースもあるようです。

墓じまいには、事前の準備やさまざまな関係者との調整が欠かせません。

思った以上にやらなければいけないことが多いので、じっくりと腰を据えて「準備」に取りかかることをおすすめします。


松尾 拓也 行政書士、
ファイナンシャル・プランナー、
相続と供養に精通する終活の専門家

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終戦(敗戦)記念日

このような時代は 二度と繰り返してはならない。



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2024年08月16日

社説:終戦の日に 新たな「戦前」に進まぬよう

社説:終戦の日に 新たな「戦前」に進まぬよう
8/15(木) 京都新聞

 79年前のきょう、正午に始まった天皇の肉声を伝えるラジオ放送で、日本人は敗戦を知る。

 皇居前広場で人々がひざまずき号泣する映像の印象が強いが、受け止め方は一様でなかった。
平和の訪れに安堵(あんど)したり、虚脱する者、明日からの生活に思いを致す者、怒りに震える者…。

 日本の降伏を信じようとしなかった人も実は大勢いたと、半藤一利著「十二月八日と八月十五日」は伝える。

 先の戦争では310万人もの兵士と民間人が亡くなり、旧日本軍が侵攻したアジア各地などで幾多の命を奪った。
その深い悔悟から、戦争放棄と戦力不保持を定めた新しい憲法がつくられた。

 揺らぐ平和の土台

 70年前には、連合国の占領政策の転換で自衛隊が発足したが、冷戦下で日本は高度成長を遂げ、曲がりなりにも戦没者を出すことなく、豊かさを追い求めた。

 だが、そうして守ってきた「平和」の前途が危うくなっている。

 「日本が今後、戦争をする可能性がある」と答えた人は48%-。

 今月4日に掲載された世論調査である。2020年の3割台と比べると、21年以降は4割台で高止まりしている。

 戦争は絶対にしてはならないという歴史の教訓とは裏腹に、現実には紛争に巻き込まれるかもしれないとの不安や危機感が広がっている。

 背景にあるのは、世界で起きている二つの戦争や、東アジアでの緊張の高まりに違いない。

 ロシアのウクライナ侵略はまもなく2年半が経過し、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃は10カ月以上に及ぶ。
いずれも収束の糸口が見えず、市民らの犠牲者が増え続けている。

 東アジアでは中国が南シナ海などで権益拡大の野心を隠さず、台湾統一に武力行使も辞さぬ構えを崩さない。
北朝鮮は核開発やミサイル発射実験を強行している。

 こうした状況に対し、国際社会による停戦や緊張緩和の働きかけは効果を上げられないでいる。

 国連安全保障理事会では、ウクライナ侵略への制裁決議で、常任理事国ロシアが拒否権行使を繰り返し、国際法を踏みにじる行為に対して機能不全をさらした。

 国際司法裁判所(ICJ)は1月、ガザでのジェノサイド(民族大量虐殺)を防ぐようイスラエルに警告したが、一顧だにされていない。

 大国間の分断が深まり、協調の上に国際秩序を維持する理想は遠ざかるばかり。
そんな中、話し合いで紛争の解決を目指すより、まずは自国の軍事力を高めるほうが現実的との考えが強まっているようにみえる。

 危うい軍拡への傾斜

 しかし、と思う。
最小限の自衛の重要さは理解した上で、軍拡に傾斜する危うさを共有し、多国間で問題解決を目指す外交に足場を置かねばならない。
むしろ危機に際し、武力以外の解決策をあきらめないことこそ、焦土で日本人が世界に誓ったのではなかったか。

 その証しとしての平和憲法をとび越えるかのように、政府は自衛隊の増強へとひた走る。

 10年前に安倍晋三政権が従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をして以降、「専守防衛」の原則は空洞化が進む。

 岸田文雄首相は22年、「防衛力の抜本的強化」を掲げ、安保関連3文書を閣議決定で改定。他国への反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や、防衛予算の「倍増」を打ち出した。自衛隊と米軍の一体的運用も加速している。

 政府はこれらを「自衛の範囲内」と説明するが、長距離ミサイル配備は、周辺国のさらなる軍事強化を招き、日本攻撃の口実を与えるリスクを増大しかねない。

 さらに今年3月、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国への輸出解禁を決めた。
殺傷兵器そのものであり、長く堅持してきた「武器輸出禁止三原則」を骨抜きにするものだ。

 問題なのは、国の針路に関わる重大な政策転換にもかかわらず、国民への説明も、国会審議も十分にないまま、与党合意や閣議決定だけで既成事実化する姿勢だ。

 先の大戦では、帝国議会は軍部のいいなりとなって、戦争拡大を追認してきた。
現憲法では三権分立を明記するが、平和憲法の根底を揺るがす近年の安保政策に対して、国会のチェック機能がどれほど反映されているだろうか。

 岸田首相、来月退陣へ

 岸田首相がきのう、次期自民党総裁選への不出馬を表明した。

 岸田氏は被爆地・広島の選出であることをアピールし、先進7カ国(G7)広島サミットを開いた。
だが、核軍縮では「核保有国と非保有国の橋渡し」を強調するだけで、実際には核抑止への依存を強めた。

 秋には新しい自民党総裁、首相が決まる。衆院任期は残り1年となり、来夏に参院選も控える。

 来年迎える戦後80年は政治の季節ともなろう。
平和と経済発展を享受してきた私たち主権者が、新しい「戦前」の道を進まない決意と選択を問われることになる。
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2024年08月17日

失敗は「恥」…現場の意見顧みず盲進した日本軍 現代に通じる教訓

失敗は「恥」…現場の意見顧みず盲進した日本軍 現代に通じる教訓
8/16(金) 産経新聞

「『この方針は無理だ』との思いを共有し、皆がやめたいと思っていても、言い出せない。
今の時代、私たちにも思い当たることはありませんか」。防衛省防衛研究所の松原治吉郎主任研究官はこう問題提起する。

「失敗から学ぶべきことは多いが、日本軍は失敗を『恥』ととらえて隠蔽した。
国家の存亡がかかるとき、どこかで原因を考える必要があった」

米海兵隊は「失敗したら修正する」をモットーにしている。
プランAがだめなら、Bで行くという柔軟性を示している。

日本軍の場合、いったん決めたことは修正や変更がきかず、抜き差しならない事態まで突き進む傾向が強かった。
「戦略面でまとまった方向を示す人がおらず、結局は『玉虫色』で決着した。
上層部の現場軽視から、思い付きともとれる作戦も発動された」

意見する人が皆無だったわけではない。
ガダルカナル島の戦いでは、十分な補給がない中での作戦発動は控えるべきだと陸軍第17軍参謀長が進言。
無謀な作戦の代名詞とされるインパール作戦でも第15軍参謀長らが中止を求めたが、いずれも顧みられなかった。

「組織からみれば(意見する人は)ルールを守らない人。『やる気がない』とみられ、『空気が読めない』存在として左遷された」

貴重な人材を有効活用していたとも言い難い。
松原氏は航空機の搭乗員養成を例に「野球でいえば日本は4番バッターやエース級に頼り切り、裾野が広がらない欠点があった。
一方、米軍は合格点に達すればよいと考え、平均的な搭乗員を量産した」と指摘する。

「日本軍の問題点は、今のわれわれが抱える問題と通底している」。
松原氏は「過去にふたをするのではなく、現代に生かす。
今に照らし合わせて客観的に検証することが必要だ」と話した。(池田祥子)
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2024年08月19日

森永卓郎「もうすぐ死ぬ人は、何でもやれる」ステージ4末期がんでも100m走者のように全力疾走できるワケ

森永卓郎「もうすぐ死ぬ人は、何でもやれる
」ステージ4末期がんでも100m走者のように全力疾走できるワケ
2024年08月18日 PRESIDENT Online

■思わず唖然……テレビ局社員が放った言葉

いまやる、すぐやる、好きなようにやる。それが、社会に出てから44年間、貫いてきた私の信条です。
周りに忖度(そんたく)せずに、自分が正しいと思うこと、好きなことをする。
私はお金を稼ぐ手段というよりも、「遊び」に近い感覚で仕事に取り組んできました。
だからかもしれません。末期がんを宣告されたいま、やり残したことはほとんどないと言い切れるのは――。

「来年の桜は見られないと思います」

昨年11月23日、私にステージ4の末期がんの疑いがかかりました。
ただ当初は自覚症状がまったくなかったので、自分ごととして受け止められませんでした。
専門医にセカンドオピニオンを求めましたが、2人とも同じ見立て。
その後、年末にがんが確定し、抗がん剤治療で体調が一気に悪化しました。
考えられない。しゃべれない。飲めない。食べられない……。
朦朧(もうろう)とするなか、はっきりと死を意識しました。

がん宣告を受けた多くの人が延命を望み、長らえた時間でおいしい物を食べたり、旅行に出かけたりしたがるそうです。
しかし死を意識した私にそうした欲求は一切わきませんでした。
その代わり真っ先に、何が何でも未完成の新著を刊行し、真実を世に問わなければ、と強く思ったのです。

運良く「気付薬」のような点滴が効き思考能力が戻り、会話ができるようになると、息子に口述筆記してもらいました。
完成した『書いてはいけない』で、私は「ジャニーズの性加害」「財務省のカルト的な財政緊縮主義による国民の洗脳」、そして「日本航空123便墜落事故の闇」という日本の3つのタブーに切り込みました。

私がメディアに出演しはじめて四半世紀が経ちます。
私はコメンテーターの役割を「本当のことを言うこと」と受け止め、仕事をしてきました。

しかし現場では政権やテレビ局に都合がよく聞こえのいい発言をする識者が重宝されます。
逆に、本当のことを言えば、疎まれ、干されてしまう場合もあります。
近年、この傾向が顕著になってきました。
2〜3年前ですが、あるテレビ局のプロデューサーに「本当のことを言うコメンテーターは使わない」と直接言われ、唖然(あぜん)とした覚えがあります。
実際、本当のことを書いた『書いてはいけない』は、発売3カ月で24万部を超えるベストセラーになったにもかかわらず、大手メディアからは軒並み無視されました。

それでも私が本当のことを言い続ける原点は、毎日新聞の記者だった父の存在です。
私が大学生だった1977年に、毎日新聞が事実上倒産し、父は退職しました。
失業後、生活が一気に苦しくなった。そんな時期に父に大きな仕事が舞い込んできました。
世界的に有名な作家の作品の翻訳を依頼されたのです。
大金が転がり込んでくる。これで貧乏から脱却できる。家族みんながホッとしましたが、ぬか喜びに終わりました。
父が編集方針で出版社と対立して話が流れてしまったのです。
父は何カ月もかけた手書きの原稿用紙の束を焼却炉に放り込むという暴挙に出ました。
隣で原稿が燃える様を見ながら私は、父はお金よりも自分の信念や正義に従って、正しく生きようとしているのだろうと感じたのです。
そんな父の姿に私は影響を受けたのでしょう。

■年収3000万円で“悪行”に勤しんだ過去

しかし残念ながら、信念を貫き通せたわけではありません。
いま声を大にして「お金よりも正義」と訴えるのは、悪行を続けた反動でもあるんです。

私は銀行の子会社のシンクタンクで長く働きました。
年収は3000万円近く。まともな仕事をしていては、そんな大金を稼げるわけがありません。
ロクでもない仕事のほうが給料が高いのが、世の中の大原則です。

たとえば、特定の産業の利益になるようなレポートを書いたり、クライアントの望む結果をあたかも予測モデルから算出されたようにシミュレーションするような悪行に手を染めてきました。
原発を推進する講演を行って、一度で100万円のギャラをもらった経験もあります。
さすがにそれは反省してすぐに手を引きましたが……。

このままではいけないとはわかりつつ、何度煮え湯を飲まされても歯を食いしばってガマンしてきたのは、子育てにお金が必要だったからです。
そして二十数年前、子供たちが成人してシンクタンクを辞めました。
ようやく足かせから解き放たれ、お金より正しさを優先できる状況になりました。
もちろんその信念はがんを宣告されても変わりません。
いえ、死が間近に迫り、ただでさえ外れかけていたタガが、完全に外れました。

健康だったときは、マラソンを走る感覚で仕事をしていました。
マラソン走者はペース配分を考えたり、水分補給のタイミングを意識したりしなければなりません。
しかし余命宣告後は100メートル走のランナーになったような感覚で仕事に取り組んでいます。
短距離走者は、余計なことを考えず走ることだけに集中します。
それと同じで、残された短い時間で、やりたいことを好きなようにやるぞという心境です。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。
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森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
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2024年08月20日

昨日から18時前まで光電話、ネット不通

 昨日 早朝ネットサーフィンをしようと パソコンを起動したものの 全く反応せず。
あれこれとルーターなどの接続機器の設定をしてもダメ。
生活していく上で ネットが大きな役割をしていることを痛感。

設定を見直すために説明書を読んでいると 問い合わせなどは ドコモ、niftyのホームページへと。
ネット不通なのにどうしたらホームページにいきつけるのか・・・。
また「出前館」や「ガスト」で昼を頼もうかと思って 携帯の小さい画面で四苦八苦。

今日は ドコモとniftyの 相談窓口へ携帯から電話。
計4時間近くの通話で リモート設定を試みるが 結局はダメで ドコモの故障担当にまわされ 機器交換ということに。

何となくもやもやの気分転換に 中山千里さんの小説を読み始めたら、ドコモ修理担当から電話。
なんと「別件でそのビルに伺ったのですが、ビル内の親機が 経年変化のため故障していて、今 新品と取り換えたのですが。インターネットに繋がるか試してみていただけませんか?」と・・・・

な、なんと無事 ネット開通。ひかり電話開通。
ルーターをはじめ接続機器も正常に。

私の1日と3/4日はなんだったのか!!
携帯料金も結局はムダな出費に。

小だぬきの悪戦苦闘の2日間でした。


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2024年08月21日

「ほとんどの人が勘違いしていることは何?」というお題で出てきた、わかりみが深い回答・ベスト1

「ほとんどの人が勘違いしていることは何?」というお題で出てきた、わかりみが深い回答・ベスト1
2024年08月20日 ダイヤモンドオンライン

「とにかく面白い!」「頭の体操になる!」

それくらい話題になっている「大喜利」。
大喜利のように「斜め上の発想を出す」というスキルは、「面接での一言」「LINEでのうまい返し」「新企画のアイデア」などに使える“万能スキル”でもある。
そんな大喜利について、世界で初めて思考法をまとめた話題の著書『大喜利の考え方』では、「どうすれば面白い発想が出てくるのか」「どんな角度で物事を見ればいいのか」などを超わかりやすく伝えてくれている。
そこで、この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、大喜利的な思考法を詳しく解説する。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)

■「大喜利」に取り組んでみよう

 世の中は大喜利ブームです。
 そして、みなさんにもぜひ大喜利に取り組んでほしい。

 そうはいっても、どうやって大喜利に取り組めばいいのか、わかりませんよね。

 ここで、1つの補助線を引きましょう。
 それが、「お題 → 素材 → 加工」というステップです。

 まずは、「お題から連想する素材」をどんどん出すことです。

<お題>

「ほとんどの人が勘違いしていることは何?」選手権
 というお題を元にしましょう。

 どんな回答を思いつきますか?

 まずはなんでもいいから思いついたものを出してみてください。
 それらが大喜利の「素材」になります。

<回答>

 ニュースでの「乗客の中に日本人はいませんでした」というコメントは、「日本人さえ無事ならいい」という意味ではなく、大使館などに問い合わせが殺到するのを防ぐため

 いかがでしょうか。

 このように、世の中で「けしからん」と言われていることにも「ちゃんとした理由」があるはずです。

 それをあらためて考えてみると、このお題に対して、「いい回答」が出てくるはずです。

 大喜利で大事なのは、いきなり面白いことを考えることではなく、とにかく素材の「数を出す」ということです。

 その素材を上の例のように加工することで、回答に出すことができます。

 世の中で勝手に「けしからん」とされていることを伝えながら、正しいことを言う。

 そんな「1つだけひねりを加える」という方法が隠れていますね。

 こういうテクニックには、いくつかパターンがあるので、ぜひ身につけてみましょう。


(本稿は、『大喜利の考え方』から一部抜粋した内容です。)
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2024年08月22日

「いつお迎えがきてもいい」85歳以上が死を恐れず、自然に受け入れられる能力を備えている納得の理由

「いつお迎えがきてもいい」85歳以上が死を恐れず、自然に受け入れられる能力を備えている納得の理由
2024年08月20日 PRESIDENT Online

■55歳前後で死ぬはずのヒトが長命になったワケ

死は、他者を生かすための、最も利他的な行為とも言えるでしょう。
私たちは、人類の先祖の死と引き換えに生かされてきたのであり、死ぬことによって、将来の人類に「恩送り」ができるというわけです。
そう考えれば、自分の死が意味のあるものとわかり、慰めになるのではないでしょうか。

ご存じのように、ほとんどの生物は、子どもの誕生や成長を見届けると死んでしまいます。
例えば、サケは、自分が生まれた川に戻ってきて産卵すると、力尽きたように息絶えます。
そうした姿を、皆さんも、TVの映像などでご覧になったことがあるはず。
しかし、「万物の霊長」を自称する人類は、いささか特殊と言えるでしょう。

ヒトは、陸上動物の中でも屈指の長生きです。
ただし、生物学的なヒトの寿命は本来、55歳前後だったと考えられます。

根拠の1つ目は、ゲノム(生物の遺伝情報)がヒトと約99%同じであるチンパンジーやゴリラの寿命が、40〜50年だからです。

根拠の2つ目は「心臓の寿命」。
ヒトだけは例外的に少し長いのですが、基本的に哺乳動物の心臓は、約20億回しか拍動できません。
拍動回数の限界と1回当たりの拍動の時間から計算すると、ヒトの寿命も50年前後という結果になるのです。

3つ目の根拠は「細胞の劣化」です。
細胞の分裂回数には限界があり、ヒトの細胞の場合、約50回分裂すると分裂をやめて、死んでいきます。古い細胞と「幹細胞」によってつくられる新しい細胞は、絶えず入れ替わっており、約4年で体のほぼすべての細胞が刷新されます。


ただし、心臓を動かす心筋細胞と、脳や脊髄の神経細胞は入れ替わりません。細胞が傷ついたら、それきりです。細胞のDNAは、紫外線や放射線、活性酸素などによって傷つくと、ゲノムが変異します。ゲノムの変異は分裂のたびに蓄積され、細胞増殖のコントロールに関わる遺伝子が壊れると、がん化してしまうのです。


ヒトの場合には、細胞のがん化が、55歳くらいから顕著になります。がん細胞や病原菌から体を守る免疫機能も、その頃から大幅に低下します。


それでは、なぜヒトの寿命は延びたのでしょうか? 一つの推論として挙げられるのが、人類が、長期間の「老後」を生きるという選択をして、“進化”したということです。


生物学的には、動物が子どもを産めなくなった段階、雌の閉経が「老化」、それ以降の時期が「老後」と定義されています。ところが、老後がある哺乳類は、人間以外ではシャチ、ゴンドウクジラくらいしかいません。

チンパンジーは寿命が40〜50年ですが、死ぬ直前まで生殖可能なので、“老後”はありません。
それに対して、ヒトの女性の場合、50歳前後で閉経を迎えても、さらに、30年以上生きるケースが一般的です。

■シニアこそ重要という「おばあちゃん仮説」

ヒトに老後がある理由の一つとして、「おばあちゃん仮説」が提唱されています。
ヒトの先祖は、全身を体毛に覆われていたと考えられていますが、進化の過程で多くの体毛を失っていきました。
そのため、ヒトの赤ちゃんは、チンパンジーやゴリラの赤ちゃんのように、親にしがみついて移動することができなくなってしまったのです。

ヒトの赤ちゃんは、親が「抱っこ」をして世話をしなければならず、育児に大変な時間と労力がかかるようになりました。
そこで、母の母=「おばあちゃん」の寿命が長く、若い母親の子育てをサポートしたり、母親の代わりに孫の世話をしたりできるヒトの種族が選択され、勢力を伸ばしたというわけです。
ちなみに、シャチやゴンドウクジラにも、シニアが子育てを手伝う習性があります。

人間の場合、コミュニティを形成して社会生活を営むので、孫の世話は、母の父=「おじいちゃん」も担うようになったのでしょう。
飢饉で困った村人が老いた母親を殺そうとする「姥捨て山」という昔話もありましたが、実は、人間のシニアには、もともと生き続けなければならない“ミッション”があったと言えるでしょう。
さらに、人間のシニアは、社会をまとめるという重要な役割も果たしていました。
そのおかげで、若い世代は仕事に集中できて、豊かになり乳幼児の生存率もアップし、生き延びるのに有利な集団をつくれたのではないかと、私は推察しています。

若者は、チャレンジングで社会を革新するパワーがありますが、欲望のままに暴走する危険性も持ち合わせています。
それに対して、シニアは「保守的」とよく批判されますが、若者の暴走を抑え、社会基盤を安定させるのに貢献しているのです。

そうした若者とシニアの二層構造がうまく機能してきたからこそ、人間社会は生産性が高まり、発展できたとも、私は考えています。

それだけではありません。自らの手で寿命の壁を突破し、長生きできるようになった生物は、ヒトだけと言っていいでしょう。

■115歳超の人類はなぜ70人程度なのか

知能の高い人類は、医学を目覚ましく発達させ、がんなどの生死に関わる重病も治療できるようになりました。
最近では、アンチエイジングの技術も進展しています。
その結果、ヒトは、死までのモラトリアムが、とても長くなってしまったのです。
そうした社会の背景も、死を受容しにくくしているかもしれません。

日本人の平均寿命は、直近100年間でほぼ2倍に延びました。栄養状態がよくなったことと、公衆衛生の改善によって、乳幼児の死亡率が劇的に下がったことが要因です。
高齢者の寿命も徐々に延びており、いまでは我が国だけでも100歳以上の人が9万人近くもいます。
ところが、115歳を超えて生きた人は、世界全体でもこれまでに、わずか70人程度しか知られていません。
その辺りが、ヒトの最大寿命なのでしょう。

人類は有史以来、3つの壮大な夢を抱いていました。
そのうちの2つは、「賢くなりたい」「宇宙に行きたい」ということでAIや宇宙ロケットの実用化によって、ある程度かなえられたと言えるでしょう。
しかし、3つ目の「不老不死になりたい」という願望だけは、どんなに科学が発達しても、いまだに実現できていません。
将来的に、再生・移植医療などで「若い臓器への更新」ができるようになれば、人類の寿命は、飛躍的に延びるかもしれません。
とはいえ、神経細胞を再生する技術が確立されない限り、自我の主体である「脳の死」という壁は越えられないので、不老不死は「果たせない夢」であり続けるでしょう。

■85歳以上になると「老年的超越」が起きる

生物学的な観点から、死を受け入れる手立てについてご説明してきましたが、「頭ではわかっても、死は怖いよ」という人も多いでしょう。
でも、ご安心ください。
ヒトには、なんと死を自然に受け入れるようになる能力まで備わっているようなのです。
死にゆく人の往生際をよくして、世代交代をスムーズにしたり、看取る若い世代の負担を軽減したりするため、進化の過程で獲得したシステムかもしれません。

専門的には「老年的超越」と呼んでいますが、85歳以上の人の多くが、死を恐れなくなると考えられています。
皆さんも、超高齢の方が「もう、いつお迎えが来てもいい」とおっしゃるのを聞いたことがあると思いますが、そうした心境の変化が訪れるのです。

老年的超越の心理状態では、「自分はいいから、ほかの人にあげて」といった具合に、とても利他的になるのも特徴.
また、周りへの感謝の気持ちが強くなったり、自己肯定的で後悔をしなくなったり、欲がなくなったりする傾向にあります。「人生を全うした」という人が到達できる境地、「人生のゴール」と言えるのかもしれません。

もちろん、死は本人にとって、いいことは一つもありません。
「死が怖い」という人は、人生に未練や欲があるわけなので、一生懸命に生きる努力を続けるべきでしょう。
健康に気をつけながら、自己実現を目指してください。
「自殺」も、生物の中でヒトだけの特徴だとよく言われますが、私はそう考えていません。
進んで死を選ぶ生物は、原則としているはずがないからです。
ヒトの自殺は、鬱などの精神疾患が主たる原因でしょう。
動物園でもストレスでエサが食べられなくなり、「餓死」する個体がいるのですが、それと似た病態と言えます。
したがって、社会的には、病気の原因を取り除くことも含めて精神疾患を治療し、自殺を防ぐ取り組みをするべきなのです。

死を恐れながら、全力で人生を生き抜き、晩年には老年的超越の心理状態で、自然や宇宙とのつながりを感じながら最期を迎えるというのが、私が理想と考えるヒトの生と死です。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。

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小林 武彦(こばやし・たけひこ)
東京大学定量生命科学研究所教授
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この5文字を脳に焼きつけるだけ…「睡眠の質改善」をすぐに実感できる人が最初に取り組んでいること

この5文字を脳に焼きつけるだけ…「睡眠の質改善」をすぐに実感できる人が最初に取り組んでいること
2024年08月21日 PRESIDENT Online

睡眠の質を上げるコツは何か。数多くのビジネスパーソンのスリープコーチを務める角谷リョウさんは「誰にでもできる身近な方法がある。それは“幸せホルモン”と呼ばれるセロトニンの分泌を促すこと」という――。※本稿は、角谷リョウ、サトウ未来『働く女子のための睡眠革命』(光文社)の一部を再編集したものです。

■幸福は「3段重ね」でできている

まずは結論からお伝えします。

あなたの人生のモヤモヤを振り払い、元気ハツラツで幸せな毎日を手に入れるたったひとつの答え。

それは、「セロトニンを出す」。

ただこれだけ! 今日からつらいとき、眠いとき、何かにチャレンジしているとき、幸せってなんだっけ? と遠い目で思ったら「セロトニンを出す!」と唱えてください。とにかく基本にして最大の目標、そして最適解である「セロトニン」の5文字を脳に強く焼きつけましょう。

さて、いきなりですが「幸福には種類があり、3つの段階を順に追うことではじめて得られる」とご存じですか?

簡単にいえば、種類の違う3つの幸福を3→2→1と順を追ってかなえていくことで、はじめてすべてが手に入る――これは精神科医・作家の樺沢(かばさわ)紫苑(しおん)氏が提唱した考え方で「幸せの三段重理論」と呼ばれています。

「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」はそれぞれ脳内の神経伝達物質で、別名“幸せホルモン”とも呼ばれます。これら3つのホルモンがしっかりと分泌されてこそ真の幸せを感じられている状態で、それをかなえるためには優先順位があるというわけです。

■“自分ファースト”に生きるのが最短ルート

仕事ができても、家庭が崩壊していたら意味がありません。家族と仲よしでも、健康をないがしろにしていたら長い時間をともに過ごせません。そもそも健康でなかったら、人間関係を築く余裕も仕事に精を出す底力も生まれません。

真の幸福を手に入れたいなら、何をおいてもあなたの心身をリカバーすることが最優先なのです。

多くの人が間違いやすいのが、この「順序」。

現代女性の多くは、今おかれた環境で「仕事の結果を出したい」「忙しくても家族を大事にしたい」……そう願っています。

だからといって「私が身を削って仕事・家事・育児・介護をがんばりさえすればいい」は、本当の解決策にはなりません。

「自分が心身ともに健康である」ことこそが第1段階で、それをクリアしなければ、家族との関係も、仕事での成功も手に入れることはできない。

つまり、すべての幸せを手に入れる最短ルートは“自分ファースト”に生きることなのです。

■無理なく始められる“セロトニン生活”

セロトニンは精神を安定させるなど、心身の健康に重要な働きをします。また“睡眠ホルモン”と呼ばれる「メラトニン」の材料にもなる=「しっかりと寝て心身をリカバーする」のに欠かせない存在でもあります。

そしてなにより「セロトニンは出しやすい」!

じつはセロトニンは、環境や食生活を少し意識するだけで簡単に分泌されます。なんなら「あ〜、お風呂って気持ちいい〜♥」程度でもちゃんと顔を出してくれる、律儀な(?)ホルモンなのです。

●寝室を真っ暗にする
●アロマを楽しむ
●ぬいぐるみを抱きしめる
●整腸剤を毎日飲む
●朝の光を浴びながら歩く
●ゆっくりとお風呂に入る

こんなレベル。ぶっちゃけ「意外と簡単じゃん?」と思いませんか? だから“セロトニン生活”は無理なく始められるうえに、効果も感じやすいのです。

■セロトニンは“友”を連れてくる

さらに、セロトニンを分泌させる生活は、ほかの2つのホルモン「オキシトシン」「ドーパミン」の分泌をも引き連れてきます。

たとえば「アロマを楽しむ」「ぬいぐるみを抱きしめる」などのリラックス効果をもたらす行動は、そもそもオキシトシンの分泌にも深く影響していますし、オキシトシンが分泌されると、やる気をみなぎらせるドーパミンまで伴うという好循環に突入するのです。

先述の例のように「セロトニンが少ないのにドーパミンだけが先走っている」と、体力が気力に追いつかず疲れはててしまいますが、セロトニンもしっかりと分泌されたうえでなら話は別。何かの依存症に陥ったりメンタルダウンしたりすることなく、ドーパミンのメリットだけを受け取ることができます。

セロトニンの分泌だけを意識して生活すれば、オキシトシンとドーパミンも勝手についてくる。お得ですね(笑)。

3つの幸福すべてを手に入れる第1歩こそがセロトニンだという意味が、わかっていただけたでしょうか。

■セロトニンを出すには「順序」がすべて

そんなセロトニンを分泌しやすくするポイントは3つ。「環境づくり」「腸活」「温活」です。

前節で挙げたのはほんの一例ですが、これから紹介するアイデアは、おそらく目新しいものではないはず。なんなら過去に試したことがあるかもしれませんね。

でもそれ、今も継続できていますか? できているとしたら、それらのおかげでぐっすり眠れていますか?

「健康によさそうだからやってはみたけど、効果がよくわからないからいつの間にかやめてしまった」……たいていはこのパターンではないでしょうか。

なぜいまいち変化を感じられなかったのか。それは「順序」を気にしていないからです。

またもや出ました「順序」!

先ほどの「幸せの三段重理論」と同じように、じつは「セロトニンを出すための3つのコツ」にも優先順位があるのです。

この順で行わなければ意味がありません。期待した効果も出にくいでしょう。

■3〜4割は「環境づくり」で解決する

まず真っ先にすべきは、ぐっすり眠れるような「環境づくり」。

なぜなら「モノを買い(替え)さえすればいい」のですから。心身ともに疲れていても、着手できそうですよね。

眠れる環境が整って気力・体力が少し回復したら、次は「腸活」へ。腸は脳と密接に結びついているため、早い段階で腸内環境を整えることが、セロトニン分泌のカギとなります。

そうしてさらに体力・気力が復活してきたら、いよいよ「温活」。体温を調節する機能を取り戻し、体内リズムにメリハリをつけて、セロトニンをしっかりと出せるようにするのです。

この「順序」を知らないと、どれも中途半端に終わるパターンにハマってしまいます。幸福への道すじは“点”ではなくつながった“線”で、進むべき順序があるととらえてくださいね。

セミナーでお伝えすると、睡眠に不調を抱える人の3〜4割がこのSTEPだけで安眠できるようになる、まさにお手軽にして最強のエントリーコースが「環境づくり」。

しかも正直、このSTEPがいちばん楽しいし、いちばんラク。ここだけの話――「健康のためだから!」と堂々とモノを買えるって、オイシくないですか? ここではまず“楽しさ”をじゅうぶんに味わってください。

すると、次のSTEPに進む気力がわいてきます。セミナーを通しても、疲れはててゾンビ状態の女性が環境を整えていくうちに笑顔に変わる、その過程をたくさん見てきました。くり返しますが、これがセロトニン分泌の第1歩です!
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角谷 リョウ(すみや・りょう)
スリープコーチ
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サトウ 未来(さとう・みく)
スリープコーチ
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2024年08月23日

河野太郎氏の「都合のいい情報」で医療現場は大混乱…医師が「マイナ保険証は使えない」と断言する3つの理由

河野太郎氏の「都合のいい情報」で医療現場は大混乱…医師が「マイナ保険証は使えない」と断言する3つの理由
2024年08月22日 PRESIDENT Online

河野太郎デジタル担当大臣が進める「マイナ保険証」に批判が集まっているのはなぜなのか。
医師の森田洋之さんは「河野太郎氏および政府はマイナ保険証のデメリットを伝えず、都合のいい情報だけを発信している」という――。

■「12月で紙の保険証が廃止」はデマ

マイナンバーカードを保険証として利用する「マイナ保険証」の導入にともない、「今年12月で紙の保険証が廃止になる」という話が広まり、医療現場に混乱が生じています。

ただこの話は実は半分は本当、半分はデマです。
12月に紙の保険証の新規発行がストップするだけで、それ以降も紙の保険証を使うことは可能です。

■河野太郎大臣の情報発信に原因

なぜこのようなデマが広まったかと言うと、ひとえに河野太郎デジタル担当大臣の情報発信に原因があると言っていいかと思います。

2022年10月に河野大臣は記者会見で「2024年秋に現在の健康保険証の廃止を目指す」と表明し、「マイナ保険証のかわりに紙の保険証が廃止」という誤解の「素地」を作りました。

またその後2024年4月には、「デジタル大臣 河野太郎」名義で、「自民党所属国会議員各位」あてに送った文書が問題になりました。

その中で河野大臣は「マイナンバーカード保険証の利用率が低迷しています。その原因は、医療機関の受付での声掛けにあると考えられます」と決めつけ、さらに「マイナンバーカード保険証での受付ができない医療機関があれば、マイナンバー総合窓口にご連絡くださいますよう」と、暗に「通報」を促すような文面で、マイナ保険証普及を訴えていました。

この問題がメディア・国会で追及され始めると、河野大臣は2024年6月11日の定例記者会見において、「何事もやりすぎということにならないように気をつけていただく必要はある」と発言。まるで「混乱の原因は医療機関の説明にある」とも取れるもの言いに、ネット上には「責任逃れだ」という批判が相次いで投稿されました。

■厚労省から送られてきた「不都合なことは隠したポスター」

私が運営するクリニックにも、厚労省から下記のポスターが送られてきました。

「本年12月2日から現行の健康保険証は発行されなくなります」という文章が書かれていますが、「発行」が「紙の保険証の新規発行」を指すなら、確かに間違いではありません。

既存の「紙の保険証」が引き続き使えることも書かれていますが、かなり小さな文字で、不親切な見せ方と感じる人もいるでしょう。

その一方、「マイナンバーカードをご利用ください」「今回お持ちでない方は次回ご持参ください」は大きく書かれています。

■「紙の保険証」は12月以降も使用できる

ちなみに、「※12月2日時点で有効な保険証は最大1年間有効です」と書かれていて、「現在使用している紙の保険証はあと1年で使えなくなる」かのように読めますが、これも事実ではありません。

マイナ保険証の利用登録をしない人には、紙の保険証の有効期限が切れたのち、保険証の代わりに下記の「資格確認書」が送られてくる予定です。

内容は現行の保険証とほぼ同じですね。

要するに、今後も紙の保険証を使えるということです。

なのに、厚労省のポスターにはそういう説明が一切ありません。不安をあおる情報発信であり、非常に問題だと思います。

■河野氏および政府の情報発信は問題

河野大臣および政府がマイナンバーカードの普及を目指すのは理解できます。マイナンバーカードの普及により、手続きの簡素化や行政の効率化ができれば、社会全体に大きなメリットがあるでしょう。

ただ、情報発信の仕方は問題です。政府に都合のいい情報しか出さない、という手法は、国民の代表たる政治家が採用してはいけないものだと思います。

■マイナ保険証の「3つのデメリット」

そもそもマイナ保険証の普及とは、国民を騙すような情報発信をしてまで達成すべき目標なのでしょうか?

私は鹿児島でクリニックを経営していますが、その経験から申しますと、マイナ保険証には3つの大きなデメリットがあり、現状はメリットを上回っているのではないかと思います。

まず、マイナ保険証だと「災害時・通信障害時に対応できない」のが問題です。

マイナ保険証とは要するにマイナンバーカードそのものです。マイナンバーカードを病院に置いてある機械にピッと通すと、番号などが病院に通知される仕組みになっています。

そのため、マイナ保険証には「保険証番号」が記載されていません。

ということは、災害時・停電時などで機械が動かない場合、医療機関には保険証番号がわからない、ということになります。その場合当然ながら病院も患者さんも困ってしまいます。

■「災害時は無料受診」のウソ

この問題について、政府は「災害時は保険証がなくても特別に無料受診できるようにするから大丈夫」と答えています。

ただ、政府が医療費を負担してくれるのはおそらく大地震や洪水といった大規模災害の場合に限られるでしょう。

マイナンバーを読み取る機械はちょっとした停電でも使えなくなります。
台風で数時間にわたり停電になることもありますが、その際も政府が医療費を負担してくれるのでしょうか?
 残念ながらその可能性はまずないでしょう。

災害時でなくとも、「通信障害」や「機器の不具合」は発生します。
その際にいちいちマイナ保険証が使えないのは大きなデメリットと言えるでしょう。

■「非常時のためにアナログを残しておく」発想は重要

災害時にも使えるように、カードに保険証番号を記載する等の対策が必要ではないでしょうか。

「すべてをデジタル化するのではなく、非常時のためにアナログを残しておく」
という発想は重要だと思います。

マイナ保険証の2つ目のデメリットとして、「電子カルテの統一化は無理」という問題もあります。

政府は、マイナ保険証の導入などのデジタル化で、病院と薬局で薬剤情報を共有したり、病院同士で電子カルテなどの情報を共有したりして国民の健康管理に貢献する、といった主張をしています。

しかし、これはほぼ不可能です。

■「電子カルテ」はいまだに「CD-R」でやり取りしている

というのも、未だに病院間の情報のやり取りは「CD-R」が主流だからです。これだけ
インターネットが普及しリモート化が進んでいる中でも、インターネットを介した情報共有はほとんど行われていないのが現状です。

この原稿を執筆している最中にも、私のところに他院からCD-Rが届きました。
そこには、患者さんのCT画像、MRI画像などが閲覧ソフトと一緒に入っており、また採血・血圧・薬剤データなどの情報がPDFファイルで入っていました。

■「データのフォーマットが不統一」で共有できない

病院がこうしたデータをネット経由で共有しないことには理由があります。
「ネット経由で個人情報が漏洩することを防ぐ」というセキュリティー問題もありますが、もっと大きな問題として、「データのフォーマットが不統一」で共有できないのが現状だからです。

病院・診療所の電子カルテの「システム」は、さまざまな会社が独自の仕様で作っています。
会社ごとにCT画像のファイル処理の仕方、採血データのファイル処理の仕方がまったく違うため、データをそのまま送ってもまったく読み込めないということが起こります。

電子カルテ自体はここ20年ほどで導入が進み、いまではほぼすべての病院に配備されていますが、フォーマットが全く統一されていないのが現状なのです。

「マイナ保険証」に切り替えてもこの問題が解決されるはずもありません。
おそらく今後も当分は「病院間の電子カルテ情報の共有は無理」なままでしょう。

もちろん、電子カルテのフォーマットが統一化されている国もありますので、絶対に無理ということはありません。
ただ、統一するのはかなりの大ごとで、壮大なシステム構築が必要になります。

■そもそも政府が信用されていない

最後に「そもそも政府が信用されていない」という問題もあります。

マイナ保険証に限らずマイナンバー制度全般に言えることですが、個人番号に銀行口座や保険証番号など諸々の個人情報を紐づけることは、国家による国民生活の統一管理にも繋がります。

病院受診や買い物など生活の至る所にマイナンバーカードが必要になれば、やろうと思えば政府は国民の諸々の権利を制限できるわけです。それに不安を感じる人がいるのは自然なことではないでしょうか。

もちろん、手続きが簡略化されたり、生活が便利になったりするのは良いことです。

それに、デンマークやスウェーデンなど北欧の国々のように、国政選挙の投票率が高く政権交代も頻繁で政治家と国民の距離が近い国家、つまり政治への信頼度が高い国家なら、国家による情報管理も問題ないかもしれません。

■「都合のいい情報しか出さない政府」では信用されない

しかし、記事冒頭のポスターのように、「都合のいい情報」しか出さない政府に対して、情報の統一管理を許すのは危険だと感じる人が出てくるのは当然です。

「政府がそんなことをするわけがない」という意見もあると思います。

ただ、実際にカナダではトルドー政権がコロナワクチン接種義務への抗議デモに参加した人の銀行口座を凍結し、大きな騒ぎになりました。

こうした強硬手段をとられると、自由な議論などできません。
全体主義・ファシズム化に向かう、国家による言論統制と言っていいでしょう。

私達はいまそうした大変な時期を迎えており、いろいろな意味で政府の行動をしっかり見定めていく必要があると思います。

決して他人任せにせず、ましてや国任せになどせず、国民全員でしっかりと考えていきたい問題です。

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森田 洋之(もりた・ひろゆき)
医師/南日本ヘルスリサーチラボ代表
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2024年08月24日

非常識な「子持ち様」にイライラが止まらない。子持ちじゃない勢“心の中”の攻防

非常識な「子持ち様」にイライラが止まらない。子持ちじゃない勢“心の中”の攻防
 更新日:2024/08/23 日刊ゲンダイ

 最近よく耳にするワード「子持ち様」。
「特別扱いされて当たり前」「子持ちの方が偉いでしょ」と勘違いした態度を取っている親を揶揄するニュアンスで使用されます。
 こんな言葉がある通り、独身なら正直「これだから子連れは…」と心の中で毒づいたことは一度くらいあるのではないでしょうか。

 ここでは、よくある非常識な子持ち様エピソードを5つ紹介します。独身や・子なしの方なら頷けるはず!


1. 公共交通機関で大騒ぎ

うるさいなあ(C)コクハク

 電車や飛行機、新幹線などの公共交通機関で、ギャーギャーワーワー騒いでいる子ども、よくいますよね。
「子どもだし、まあ仕方ない」と思えるのは、親が騒いでいる子どもにしっかり注意している場合。

 騒いでいる子どもを放置もしくは一緒になって大騒ぎしている子持ち様には、「早く注意しろよ!」とイライラしてしまいますよね。

2. 暴れる子どもをほったらかし

危ないなあ(C)コクハク

 ショッピングモールや旅館などを公園と勘違いされるのも困りもの。

 人が大勢いるなか、全力で鬼ごっこをしたり床に寝転んでみたりして、大はしゃぎしている子どもたち…。
周りが迷惑そうにしていても、我関せずと知らん顔を貫く親もいます。

「子どもなんだから迷惑かけても仕方ないでしょ」と言わんばかりの態度で暴れる我が子をほったらかしにしている子持ち様を見ると、「この親にしてこの子あり…」と言いそうになります。

3. ベビーカーで歩道を通せんぼ

通りにくい…(C)コクハク

 ベビーカーを押しながら横に並んで歩いている子持ち様にのも、正直イラッ!
青山・表参道ぐらい広い歩道ならまだしも、幅狭めの歩道でベビーカーを並走させていたら、それはもはや通せんぼです。

 さらに許せないのが、後ろから「すみません、通らせてください」と声をかけると「はあ?」と訝しげな表情をしてくる人。これは子持ち様といわれても仕方ないとうなずけます。

4. 広い席=子持ちの席の認識

 以前話題にもなりましたが、カフェなどで1人で広めの席に座っていると「こちらは子どもがいるので、その席譲ってください」と声をかけてくる子持ち様もいるんだとか。

 いや、独女だって小さい子に譲ったり育児に協力したりする気持ちは持っているんですよ?
でも「広い席=子持ち専用席」かのような認識で声をかけられるのは、なんか違う〜!
上から目線で言ってくるのは非常識極まりないですよね。

5. 土足だっこ

靴は脱がせてほしい(C)コクハク

 最近、とあるパン屋さんが子どもを土足のまま抱っこした状態での入店を禁止して話題になりました。
この“子どもの土足抱っこ”も非常識な子持ち様の代表例です。

 混んでいる電車やショッピングモールなどで土足の子どもを抱えていると、靴底が付近の人に触れてしまうのに…。

 誰だって他人の靴が自分の肌や服に触れたらいい気はしません。ましてや、食べ物屋さんでは衛生面に気を配ってほしいものです。

子持ち=非常識と思われない行動を

 子どもに手がかかるのもわかります。
「子どもはみんなで育てる社会の宝」たしかにごもっとも。
独身や子どものいない夫婦だって、子どもとママ・パパが嫌いなわけではないんです!

 でも「こっちは子連れで大変なんだし、大人だけのそっちが少しくらい我慢してよねッ!」という態度でこられると、「でたでた、また子持ち様か」とうんざりしてしまうのが本音。

「子持ち様」と子持ちじゃない勢の攻防は、まだまだ終わらなさそうな予感です…。

(コクハク編集部)
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「米不足」本当の理由がわかった…!食糧安全保障を軽視する「日本の農政」の責任

「米不足」本当の理由がわかった…!食糧安全保障を軽視する「日本の農政」の責任
朝香 豊(経済評論家)
2024.8.24  :現代ビジネス

作況指数「101」で米不足?

現在、米不足が大きな問題になっている。
この問題を考えていくと、今年だけの一過性の話として済ますことができるものだとは思えず、今後もっと厳しい米不足が起こりかねないことを心配すべきではないかと思う。

今回の米不足の原因として一般的にメディアで説明されているのは、
1.昨年の猛暑と雨不足による不作、
2.おにぎりブームとインバウンドなどによる需要増、
3.南海トラフ地震臨時情報の発表による買いだめ行動といったものだ。

まずはこれらの要因一つ一つが、今回の米不足にどの程度関係しているのかを具体的に見ていこう。

まず、昨年は猛暑と雨不足で不作だったという話からいくが、これは本当なのかと疑うべきだ。

というのは、昨年の米の作況指数は、平年を100とした場合に101だったからだ。
平年よりも1%ほど多い収穫量ということになるのであり、昨年は「不作」といえるほどの話では断じてなかったのが実際である。

ちなみに平成5年(1993年)に起こったいわゆる「平成の米騒動」の時には、北海道の作況指数が40、青森が28、岩手が30など、東北・北海道が壊滅的な打撃を被っていた。
日本全国の作況指数で見ても74であり、まさに大不作であったことがわかる。

これと比べた場合に、作況指数101の去年の収穫が「不作」でなかったのは明らかだ。

去年はお米の品質は全体的にはそれほどよくなくて、精米の過程で削らなければならない部分が多かったということも指摘されているが、それはおそらく決定的なダメージをもたらすものではなかったと見ていいのではないかと思う。

今年の6月末時点の米需要に対する在庫の割合は22.2%で、2008年の18.8%や2011年の22.0%を上回っていたからだ。

精米の過程で削らなければならない部分が、昨年収穫分については米不足を引き起こすほど決定的に多いのであれば、在庫水準も2008年のレベルをさらに下回っているに違いないからだ。

とにかく作況指数101でも米不足が生じているということの重みを、わたしたちはしっかり受け止めるべきではないだろうか。

なお数十年に1回は平成5年のように作況指数が80を切るようなこともあり、終戦の年である昭和20年(1945年)には、作況指数は67まで落ち込んだ。平成15年の作況指数も90まで落ち込んでいる。

直近20年だけでみても、作況指数が98以下になったのは、平成16年、平成18年、平成21年、平成22年、平成30年と5回もある。

今年のこの米不足の騒ぎからすると、今後はちょっとした不作となるだけで、米不足のパニックが繰り返されることになりかねないことがわかる。


次にインバウンド需要などによって米の消費が増えたとされている点について見てみよう。
インバウンド需要による米消費量は、前年と比べ約3.1万トン増えたと推計されている。

現在の日本の年間の米の消費量は700万トンほどだから、3.1万トンというのは、実は0.4%程度のことにすぎない。
これが原因で米不足が発生したといえるほどのことでは断じてないのは明らかだ。

なお、このインバウンドによる需要増におにぎりブームなどによる需要増も加わって、本年度は前年度より11トンほど需要量が増えたとされている。
この11トンの伸びにしても、需要量の増加はわずかに1.6%にすぎないのであり、決してそれほど大きなものではないのだ。

この程度の需要の伸びで米不足が社会問題化するようになっている状態こそ、今の日本の米の生産のあり方の大問題を反映しているというべきではないか。


もう一つの要因としての、南海トラフ地震臨時情報は、短期的とはいえ、確かにかなり大きな影響をもたらしたとはいえるだろう。
現実には宮崎での地震のあと1週間で巨大地震が起こる確率は、地震前の0.1 %程度が、地震後に0.5%程度に高まったに過ぎなかったようだ。
つまり99.5%は影響ないと推測されていた。
にもかかわらず、南海トラフ地震臨時情報が出たことで、首相が外遊を中止する、海水浴場が遊泳禁止に動く、特急列車を運行停止にするといった過剰反応が相次いで報道され、国民の中の不安を加速させた。

この不安に煽られた買いだめ行動によって米が品薄になり、米の在庫がなくなったことに不安を覚えて買いだめに走る人が増え、コメを見つけたら購入しようとする動きが今でも続いていると見るべきだろう。

実際南海トラフ地震臨時情報が出てから、スーパーの実感としては米の販売量は例年の1.5倍程度になっているとの報道もあった。

結果として例年並みの供給ではこの需要増加に追いつかず、「米不足」が継続しているということなのだろう。

世界的穀物不足の中での減反政策の愚

しかしながら、この程度のことで米不足が意識されるあり方のほうが、実はおかしいんじゃないかという問題提起をしたい。

この問題は根本的には、日本政府が長年にわたって進めてきた減反政策の影響が非常に大きいと見るべきではないか。

しかも減反政策は、もともと極めて望ましくない結果を生む政策だとも言える。

減反政策とは、多額の税金を使って減反奨励金を支払い、米の生産・供給を減らすことで、需要と供給の関係から米の価格を引き上げ、農家を経済的に支えようというものだが、この政策のバカバカしさをよく考えてもらいたい。

政府が多額の税金を投入して、国民の米の購入価格を高め、国民の懐を痛める政策が、まともな政策なんだろうか。

しかもそうやって値段を高めにしておいた上で、外国からの米の輸入に高い関税を課すことによって輸入を防ぎ、そんな関税を課すことを認めさせるために、諸外国に他の点で譲歩するようなことまでやっているのだ。

さらに、それによって主食たる米の生産量を減らそうというのだから、経済安全保障の観点から見ても、実に由々しき事態だと言わざるをえない。

目下ウクライナとロシアの戦争によって、穀物の輸出が滞り、肥料の原料供給にも支障が出ている中で、世界規模で穀物不足が問題になっている。

世界最大の米輸出大国であるインドが2023年9月から米輸出を禁止したことで、他の米輸出国も国内の米価の上昇を懸念して、輸出に制限を加えるようになった。

なお、2018年度で減反政策は廃止になっていると思っている人もいるだろうが、実は廃止したのは毎年の減反の数量目標だけにすぎない。
生産を減らせば補助金を出すという減反政策の中心部分は依然として残っていることは見逃すべきではないだろう。

農家に米を作りたいだけ作らせて、生産・供給が増えることで米の値段を引き下げて、余ったお米は海外にどんどん輸出する方向に、抜本的に政策転換すればいいのではないか。

日本の米には十分輸出競争力があるぞ

こういうと、日本の値段の高いお米が海外で売れるはずはないとの反論がやってくるかもしれない。

では、海外で短粒種であるジャポニカ米はどのくらいの値段で売られているのだろうか。

これをネットで検索していたら、シカゴ在住のよないつかささんという方が、「アメリカでも購入できる日本米(短粒種)を食べ比べてみました」というレポートを上げてくれていることに気づいた。
このレポートは2023年3月のもので、レポートが出たのは1年ちょっと前のことだ。

このレポートに、カリフォルニア州サクラメントで収穫された「こしひかり」の値段として、2kgで21.47ドルという記載があった。これはアメリカのアマゾンの販売価格だ。

これを1ドル=145円で計算すると、3113円となる。
1kgで1550円程度、5kgで7780円程度となるが、これは日本と比べてかなり高いと言えないだろうか。

今は日本国内は品薄で若干高めになっているが、普段であれば5kgで2500円、1kgあたり500円くらいで、大半のお米は買えるのではないか。
テレビを見ていたら5kgで2000円を超えるとお米は買わないと言っている人もいたので、米不足が報じられるようになる前には、この程度で売られているお米もあったのだろう。

だから、関税で保護しなくても、日本のお米はすでに輸出できるくらいの競争力があると見ていいのではないか。

店頭価格ではなく、卸売価格になると、当然ながらもっと安い。
今年の米の卸売価格は1万5865円になったと報じられていたが、この1万5865円というのは60kgの値段である。1kgあたりでは264円ということになる。

これまで日本は減反政策を進めてきたために、反収を増加させるような品種改良をほとんどやってこなかった。
カリフォルニア米の場合、同じコシヒカリでも、今や反収は5割くらい多いはずだ。
反収を増加させる品種改良を今後日本で進めていけば、それだけでもお米の生産量はかなり大きく増やすことができるはずだ。そしてそれは米価の低下にも当然繋がる。

そしてこの価格低下に対しては、生産量に応じた所得補償を政府が農家に支払うようにすれば、農家は増産による価格低下のダメージを吸収できるはずだ。

同じ農業保護を行うなら、減反ではなく、こういうやり方で農業保護をすればいいのではないか。

そして国内で余った米は海外にどんどん輸出するということを考えるべきではないか。

こうしたやり方に変えた場合、品種改良にしても味とか育てやすさとかだけでなく、収量の多さも重視されていくことになるだろう。

仮に米の生産性が上がって、これに伴い60キロ1万円まで値段が下がり、年間600万トンの輸出ができるようになるとしよう。この場合には輸出金額は1兆円になる。

こうしたやり方をやれば、国内の米の店頭価格も当然下がることになる。
小売価格が4割近く下がったら、パンなどの小麦製品から米に乗り換える動きは強まることだろう。

食料安全保障が重要だというなら、こういう方向に農政を転換すべきではないだろうか。
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2024年08月25日

かえって体力消耗?酷暑の食事•入浴の落とし穴

かえって体力消耗?酷暑の食事•入浴の落とし穴
しばらく続く暑さを乗り切るための漢方の知恵
平地 治美 : 薬剤師、鍼灸師。 和光鍼灸治療院・漢方薬局代表
2024/08/24  東洋経済オンライン

残暑による体力消耗を回復させる方法を、東洋医学の視点からご紹介します。

厳しい暑さが続き、熱中症にかかる人も少なくありません。
気がついたときには救急車を呼ぶような事態になっているケースもあり、突然、発症するのが熱中症の怖いところです。

頭痛や吐き気を伴う中等度以上の熱中症は、医師にすぐに診てもらったほうがいいですが、予防や軽度の熱中症はセルフケアや漢方薬で対応が可能です。
今回は夏バテや熱中症を防ぐ養生と、薬局やドラッグストアで購入できる漢方薬をいくつか紹介します。

残暑が長引いて体力が落ちていると、熱中症にもなりやすくなります。
こんなときこそ漢方の知恵でうまく乗り切りましょう。

江戸時代から夏は過ごしにくかった?

『養生訓』をはじめとする書物には、「四季のうち最も注意すべき季節は夏であり、夏の養生は冬よりも難しく重要」といった意味の記載があります。
江戸時代は現代の夏よりもだいぶ涼しかったと思われますが、夏は当時でも過ごしにくい要注意な季節だったわけです。

酷暑が続く現代は冷飲食を控え、体力を温存することが大切です。
東洋医学に基づいた、暑さを乗り切るポイントをご紹介しましょう。

まずは食養生です。
食べる内容も大事ですが、食べる量も大切です。

筆者は薬局を営んでいますが、当院に来られる方を見ていると、夏バテしないように、熱中症にならないようにと、食べすぎている方が多いです。

夏は冬ほど体温を上げる必要がないので、基礎代謝量が下がり、体は省エネ状態になっています。
このような場合は食欲が少し落ちるのがふつうなのですが、エアコンの効いた部屋だと食欲が維持されたままになり、ガッツリと食事をしてしまいがちです。

その結果、栄養過多になり、余った栄養を体外に排出するために下痢をしやすくなったり、反対に余った栄養が体に蓄積することで、夏やせどころか夏太りになったりするのです。

夏太りでは胃腸に不要なものがたまったままになるので、体に熱がこもりやすく、余計に暑さを感じます。
また、体が重だるく、疲れやすくもなります。

「お腹がすいていないのに食べる」はNG

こういう症状があったら、まずは朝食を見直してください。

起きたばかりでそれほど空腹でもないのに、朝食に結構な量を食べている方が多くいらっしゃいます。

理想的な食事は、朝と夜は軽め、昼に多め。
「昼になってもお腹がすかない」と言う方に何を食べているか聞いてみると、パンにコーヒー、バナナ、ヨーグルト、卵……と、けっこうな量を召し上がっています。
意外と、胃腸の調子が思わしくない方にかぎって、食べすぎていることが多いのです。

暑い時期の朝食は、お粥がおすすめです。
『養生訓』でも「1日のどこか1食をお粥にすると、胃腸の負担が減り、調子が良くなる」と書かれています。
梅干し入りのお粥は適度な塩分があるため、脱水予防にもなります。

朝食を見直せたら、昼食の摂り方も変えてみましょう。

リモートワークなどで自宅にいる方によく見られるのは、昼はパンや麺類で軽くすませ、夜はいろいろ作ってたくさん食べるというパターンです。

しかし、麺類やパンが中心のランチだと糖質が多く、昼食後は眠くだるくなるうえ、夕方ごろに血糖値が急激に下がるので、無性に甘いものが食べたくなってしまいます(これも夏太りにつながります)。

昼は、肉や魚を中心とした定食をしっかり食べて、夜は軽くすませます。
昼食をしっかりとると夕方に空腹にならず、おやつを食べなくても夕食まで過ごせますし、万が一昼食を食べすぎても、夕食で調節することができます。

仕事などで夕食が遅くなる場合(具体的には夜8時以降)は、夕方に主食のおにぎりやサンドイッチなどを食べ、遅い時間の食事は汁物だけにする「分食」をするとよいでしょう。

夕食に食べすぎると、質の良い睡眠を得ることができません。
寝ている間に食べたものの消化でエネルギーを使ってしまい、疲労物質や老廃物を処理することができないからです。

とにかく、寝るときに胃腸の中にどっさり食べたものが詰まっている状態を避け、すっきりした状態で就寝するのが望ましいです。

続いて、夏バテしない食べ方のポイントです。

まず、熱い食べ物を汗をかきながら食べるのを好む方がいますが、熱々のものは熱が体にこもるのでよくありません。
反対に、冷たい飲食物も消化に負担がかかるので、おすすめできません。

一番よくないのは、熱いものと冷たいものを同時にとること。例えば「熱々のラーメンや辛いカレー+氷水などの飲み物」の組み合わせです。
両方の刺激がダブルで胃腸に負担をかけてしまいます。
なるべく体温に近い温度の飲食物を選びましょう。

「熱い湯で汗をかく」もおすすめできない

食事の次は、夏バテを防ぐ入浴法です。

『養生訓』では、過度な入浴によって汗が吹き出て、毛穴から気が漏れることを戒めています。
まず見直したいのは、お湯の設定温度です。

夏でも冬と同じ設定温度で入っている方が多くて驚きますが、40〜42℃の熱い風呂に入っている方に話を聞くと、入浴後は汗が止まらず、必ず冷たい飲み物をとっています。

お風呂上がりの冷えたビールや牛乳を飲むのが習慣になっている人は、お湯の温度を今一度見直してみるといいかもしれません。理想は36〜38℃です。

熱すぎる湯の影響は、睡眠にも及びます。

寝付くときにも体の中の深部体温が下がりきらないので、質の良い睡眠を得ることができず、寝苦しさで睡眠不足や疲労の原因を作ってしまいます。
かといって、シャワーだけですますと、下半身に水がたまりっぱなしになり、むくみや冷えがとれません。

夏の入浴は、36〜38℃ぐらいの湯に10分ぐらい浸かる。こうすると発汗することなく、日中に冷房で冷えた下半身もほどよく温まります。
そして、入浴後の1時間〜1時間半後位に就寝するのが理想的です。

夜の暑さも体力を奪うので、しっかり冷房をつけて眠ることが大切です。

設定温度は個人差もありますが、筆者は脳疲労を解消する就寝時の室温は24〜25℃がベストと知ってから、そのくらいの温度になるように設定しています。

具体的には、就寝の3時間ぐらい前になったら寝室の布団をめくり、設定温度23℃にして冷房をつけます。
同時に水がたまるタイプの除湿機を作動させます。
寝具を乾燥させて冷たくするのが目的です。

そして寝るときには設定温度を24.5℃に上げ、除湿の設定にして朝までつけっぱなしにします。
体が冷えないように、秋冬用の布団をしっかりかけます。

冷え性の方は長袖長ズボンのパジャマにすると、冷房の寒さで目が覚めてしまうといったことが防げます。
筆者は数年前からこの方法にして夏バテ、秋バテはしなくなりました。

夏の不快な症状を緩和する漢方薬3つ

こうした養生だけでも夏バテや熱中症を予防できますが、それでも調子が悪くなってしまったら、漢方薬の登場です。
3つの処方を紹介します。

まずは清暑益気湯(せいしょえっきとう)です。
夏バテで胃腸が疲れ、体力が低下することで起こる症状や、熱中症に使用します。

軽症の熱中症には、白虎加人参湯(びゃっこかにんじんとう)がいいでしょう。
白虎とは含まれている生薬の1つである石膏を指します。
石膏で熱を冷まし、体内の水分を増やして体に潤いを与えます。

漢方薬は、体を温めるというイメージが強いかもしれませんが、白虎加人参湯は冷やして潤す、氷のような働きをする漢方薬です。
配合されている人参や粳米(こうべい)は、石膏を補って潤いを増やします。

ただし、石膏は冷やす作用が強く、胃に障る場合もあるので、冷え性の人や胃が弱い方は注意して使用してください。

3つめは五苓散(ごれいさん)です。

熱中症の初期によく使われる漢方薬で、体内の水の偏りを正す働きがあります。
必要なところに水を蓄え、不要な水を排出してくれるのです。
熱中症になると脱水気味になるため、体内に水をとどめる働きをします。

なお、今回紹介した漢方薬を購入する際は、薬局やドラッグストアにいる薬剤師や販売登録者に一度、相談することをおすすめします。
また、こうした漢方薬を用いても症状が治まらない場合は、医療機関に受診するようにしましょう。

平地 治美
薬剤師、鍼灸師。 和光鍼灸治療院・漢方薬局代表
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共産党で相次ぐ除名・除籍、中で今何が? 「ルールを守ってきた。逸脱しているのは組織側だ」「これまでの党の役目は終わった」 当事者に聞く

共産党で相次ぐ除名・除籍、中で今何が? 「ルールを守ってきた。逸脱しているのは組織側だ」「これまでの党の役目は終わった」 当事者に聞く
8/24(土) ABEMA TIMES

 野党の一角で確かな存在感を見せる日本共産党が、党に対し意見や批判をした党員を次々と除名・除籍処分にし、議論になっている。

 今月6日付で除籍処分を受け、不服を訴えているのは、漫画評論家で2018年には福岡市長選に立候補したこともある神谷貴行氏。
共産党側は理由として、神谷氏が委員会の議論の内容を独断でブログで公表、これが党内での自由な発言討論を保障した党規約の精神を踏みにじる行為だとしている。

 去年も党委員長を選挙で選ぶ党首公選制の導入を求めるなど、改革を主張したベテラン党員でジャーナリストの松竹伸幸氏らが除名処分に。
志位和夫委員長(当時)は「異論を党内の正式なルートにルールに基づいて表明するという努力を一切しないまま、いきなり外から攻撃した。これはルール違反だ」と述べていた。

 神谷氏の除籍処分につながったのも、松竹氏の除名処分に対し異議を申し立てた中での議論を公開したため。共産党で今何が起こっているのか、『ABEMA Prime』で神谷氏を交え議論した。

■神谷氏「私はずっとルールを守ってきた。向こうが逸脱している」

神谷氏 除籍・解雇の経緯

 除籍処分について神谷氏は、「私はずっとルールを守ってやってきた。逸脱しているのは向こうだ」と反論する。

「去年の2月、松竹さんの処分について『これはおかしいんじゃないか』『見直したらどうか』と会議の場で発言した。
提案は否決されたが、『その決定に従って私は頑張る』と、ごく常識的なことをブログに書いたところ、組織側が違反だと突然言い始めた。
よっぽど肩を持ったように見えたのか、地方幹部がそういうことをやって憎かったんだろうとしか思えない。本当に納得がいかない」

 共産党が「違反した」とした党規約第五条の5では「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」としている。
これにも、「党の決定そのものを紹介しただけなのに、その最初の部分がいけないという。決定を発表したらいけないとはどこにも書いていない。
完全に悪意、狙い撃ちだ。
これまでの運用と全然違うことをやっているし、私よりひどいブログを公開している人はいっぱいいる」と訴えた。

 神谷氏は「これまで好きだった共産党ではない」と感じているという。
「松竹問題を境に、他の党との関係がガタガタし始めた。この時期と前後して、締め付けが急に強くなった印象がある」

■「『党内の内部問題は、党内で解決する』の規約を党が違反している」

松崎いたる氏
 著書に『日本共産党 暗黒の百年史』がある、8年前に共産党から除籍処分を受けた元板橋区議団幹事長の松崎いたる氏は、「『自由にものが言えない』とよく外の人は言うが、党員からするとそんなことはなく、『自由にしゃべれる』と言う人がほとんどだ。
私も規約は知っているので、十分気をつけながら書いたりしゃべったりする。
ところが、ある日突然、『こんなことを書いただろう』と言われる」と、自身の除籍を振り返る。

 今回の事例については、「福岡県委員会のほうが違反していると思う」と指摘。
「規約上、除名は処分だが、除籍は処分には当たらない。
党内の処理の問題なのに、福岡県委員会は公式ホームページで『神谷さんを除籍した』、雇用関係についても『解雇した』と表に出してしまったわけだ。これは党規約第五条8の『党内の内部問題は、党内で解決する』に違反している」との見方を示す。

神谷氏除籍・解雇 福岡県委員会の発表

 さらに、「『外に言うな』の“外”というのは、共産党の組織外という意味だけではない。
僕は板橋区議団にいたが、その中の話を別の支部にも言ってはいけない。
中央から『こういう発言はやめろ』と言われたことを、『今こういう指導を受けている』と地元の支部に相談したら、“外に言うな”の規約に引っかかる。もっと言うと分派活動、反党活動とされる。意見を言い合って変えていけばいいというのはそのとおりだが、『僕はこう思うが、君はどう思う?』『それは賛成』と、党を変えようとすることの賛同を募っただけで分派活動になる」とも続けた。

 日本共産党福岡県委員会は、神谷氏の除籍について「規約を自分勝手に都合よく解釈しているのであって、実際には規約を守って活動する意思がないものと判断」としている。

■低迷続ける党員数・機関誌購読者数 これからの“役目”は

「日本共産党」とは
 共産党の党員数はピーク時の50万人から現在は26万人に、機関誌『赤旗』の購読者数は355万人から90万人に減少。政党支持率は4.0%と低迷している。

 そんな党の役割として、神谷氏は3つあると語る。
「1つ目は、弱者や困っている人を救うネットワークがあり、支部も1万数千ある。これは他の党にはない。
2つ目は、裏金問題などでもそうだが、赤旗記者など不正を追及する力があること。
私は地方議員の秘書だったが、それを深掘りする作業を一緒にやっていた。
3つ目は、今の社会と別の社会を構想すること。政策集団や学者集団がいっぱいいて、大きなリソースがある。
これらをメンテナンスして、日本社会でもっと良い役割を果たすということでもっと頑張ってほしい」。

 共産党は今年1月、2000年から委員長を務めていた志位和夫氏が退任し、田村智子氏が新たに就任した。
しかし、松崎氏は「委員長の交代というが、志位さんが議長になっただけで、中身は変わっていない」と指摘。

 また、共産党から離れて思うこととして、「神谷さんがおっしゃったような役目がある時期もあったが、もう終わったと感じている。
いろいろ頑張っている人はいるし、議員も真面目だが、別の方向で頑張ってもらいたい。
正直、『赤旗』を拡大する時間をもっと政策活動に使えば、もっと良くなると思う」と述べた。

 これに対し、神谷氏は「党の中にルールがあり、そのとおりに時間をかけてやっていけば、元に戻る力はある。
しかし、ルールを無視するやり方、王政を取り除かなければ、改革はできないだろう。
私は党員に戻りたいと思っているので、この問題を明らかにするために世の中にも訴えるし、裁判も含めて考えたい」とのスタンスを示した。(『ABEMA Prime』より)

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2024年08月26日

"老害"になるかどうかは50代が分かれ道…「仕事がデキる人」から「キレる高齢者」に変わってしまう人の共通点

"老害"になるかどうかは50代が分かれ道…
「仕事がデキる人」から「キレる高齢者」に変わってしまう人の共通点
朝倉 千恵子(あさくら・ちえこ) 新規開拓社長
2024.8.25 プレジデントオンライン

年齢を重ねると感情がコントロールできず、怒リやすくなる人が一定数いる。
こうした“老害”にならないためにはどうすればいいのか。
社員教育コンサルタントの朝倉千恵子さんは「年齢に関係なく学び続けることが重要になる。学ぶことをやめてしまうと、脳がどんどん老化していき、幼い子どものようにワガママになってしまう」という――。

すぐキレる「老害化」は他人事ではない

「ベビーカーが邪魔だ!」「レジが遅い!」

街中で理不尽に怒り散らす高齢者の姿をあなたも見たことがあるのではないでしょうか。
いわゆる“老害”。
SNSでは職場、公共スペース、飲食店などさまざまな場所での老害エピソードが毎日のように炎上しています。

「老害なんて一部の人で、自分には関係のないこと」だと思っていませんか?
 そんなことはありません。
むしろよほど意識をしない限りほぼ全ての人が老害化すると言っても過言ではないかもしれません。もちろん、私も含めてです。

老害化し周囲からは疎んぜられ、いつも不満をいっぱい抱えながら過ごすのか。
周囲からも愛され自らも充実した人生の後半戦を送れるのか。ターニングポイントはずばり、50代です。

優秀だった人が悪い意味で変わってしまう

先に結論からお伝えすると、老害化を防ぐためには「学び」しかないと私は考えています。

20歳だろうが80歳だろうが、学ぶことをやめてしまった者は老人である。

学び続ける者は、みな若い。

これは自動車王として名高い、ヘンリー・フォード氏の言葉です。
この言葉が全てを表していると言ってもいいかもしれません。
学びを止めた瞬間に、私たちの成長は止まり、あとは衰退するのみです。

私はこれまでに20万人以上のビジネスパーソンと出会ってきました。
その中で若いころにものすごく優秀だった人、活躍していた人が年を重ねてから悪い意味で変わってしまったケースもたくさん見てきました。
過去の栄光に酔いしれ、自分の成功体験を上書きできず、何度も同じ話をして、他人の意見には耳を貸さない。そんな人があなたの周りにもいませんか?

学ぶことはどの世代にとっても大事なことですが、私があえて50代がターニングポイントだとお伝えしている理由は2つあります。

前頭葉が老化し、感情が制御できなくなる

1つは脳機能が衰えるからです。
何もしなければ年齢とともに身体が弱ってくるように、脳も使わなければどんどん衰えていきます。
脳の老化というと認知症をイメージしやすいですが、老化は感情からはじまるとも言われています。

感情のコントロールを司るのは脳の前頭葉と言われる部分です。
幼い子供が感情的な言動をとってしまうのは前頭葉が未発達だから。
そして早い人では40代を超えると、前頭葉が萎縮していくそうです。
前頭葉が老化すると感情のコントロールが鈍り、自分でも気づかないうちに昔より気難しくなったり、イライラしたりするようになってしまいます。
放っておくと、幼い子どものようにワガママになってしまうものです。

ではそうならないためには、どうすればいいのでしょうか?
 それは、脳に刺激を与えることです。
つまり、学ぶこと。学びを通してさまざまなことを感じ、脳を稼働させ続けることは、脳の筋トレをしているのと同じこと。身体以上に脳は何歳になっても鍛えることができます。

50代がターニングポイントとしたもう1つの理由は、周囲からのフィードバックの量が減ってしまうからです。
50代にもなれば、会社の中でもそれなりのポジションについている方も多いでしょう。
若い頃であれば周囲の方から逐一フィードバック(時に耳の痛い指摘も含め)をもらえますが、年を重ね、立場や肩書きが上がっていくと誰もなにも言ってくれなくなります。

かなり強く意識をしない限りは、自分を客観的に振り返る機会が減ってしまい、裸の王様になってしまいます。
裸の王様になることほど、怖いことはありません。

歳の離れた若い友人を持つ効用

年齢からくる脳の衰え。加えて周囲の人々との関係の変化。
これらを踏まえて、50歳以上の方々に強くオススメしたいのが「歳の離れた、若い友人を持つ」ことです。

私も若い頃には、父世代の方々にたくさん可愛がっていただきました。
いま自分がその年齢になり、今度は逆に20〜30代の若い世代の方々とたくさん交流をさせていただいております。
年齢の離れた方から学ぶことはたくさんあります。
私とは全く違う価値観を持ち、私が知らないことをたくさん知っている彼らの話はとても刺激的です。

ただし、私がどれだけ「年齢の離れた友人が欲しい」と思っていても、彼ら・彼女らが私に対して同じような好意を持ってくれたり、興味を持ってくれたりしなければ、それは単なる自己満足の独り相撲になってしまいます。
歳の離れた友人を持つということは、その人たちにとっても魅力的な自分であり続ける努力とセットなのです。

学ぶとは「自分は未熟だ」と知ること

年を重ねてからの学びの最大の効果は「謙虚さを覚える」ことだと私は考えています。
学ぶプロセスの中では、分からないことやできないことに直面して落ち込むことがあったり、失敗して反省したりすることも多々あります。

「学ぶ=知っていることやできることが増える」と思っている方も多いかもしれませんが、むしろ学べば学ぶほど自分がいかに未熟で、まだまだなのかを思い知らされることのほうが多いものです。

学び続ける中で謙虚さを身につけると、くだらないことに腹が立たなくなります。
自分の思い通りにいかずにイライラするのは、単にその人が学んでおらず未熟だからです。

自分が未熟であると気づいても悲観する必要は全くありません。
それはあくまでも現状を把握したにすぎないからです。
人は気づいたときからがスタート。
あるべき姿に向かって、昨日よりも今日、今日よりも明日と一歩ずつでもいいから進んでいくそのプロセスこそが、人を成長させ人生をより豊かにしていくと私は思います。

日本は先進国一「大人が学ばない国」

ここまで学び、学びと連呼してきましたが、そもそも日本の大人たちには学び癖がありません。
「学び=学校の勉強」と勘違いしている人も少なくなく、学校を卒業してから止まってしまっている人もいます。

日本は世界と比較しても「大人が学ばない国」です。
会社は従業員の学びに投資をしないし、個人でもあえて学ぼうとする人は少数です。
これは様々な調査データからも明らかになっています。

OJTを除いた企業の人材投資額をGDPと比較すると、日本はわずか0.1%。
それも年々減少傾向にあります。もちろん先進国の中では最低です。
アメリカの人材投資額のGDP比は2.08%。その差は歴然です(厚生労働省「平成30年版 労働経済の分析」)。

また、パーソル総合研究所の「APAC就業実態・成長意識調査(2019)」によると、日本の社会人で社外学習・自己啓発を行っていない人の割合は46.3%。
他国に圧倒的な差をつけて、ぶっちぎりのワースト1です。読書さえしない人が大半です。

同じ調査でベトナムはわずか2.0%。つまり98%の人が何かしらの学習や自己啓発を自分でやっているということです。

「今のままで十分」と思ったら終わり

より最近の調査では、業務外の学習は何もしていないと答える人が過半数を超えたとする結果もあります。

学習意欲や学習時間は、男性は40代以降、女性は30代以降に大きく減少しており、その背景には「学びは若い人や新人だけがやるもの」といった思い込みや、「今のままで十分」という現状維持バイアスがあるとも指摘されています(パーソル総合研究所「学び合う組織に関する定量調査」)。

私たちは誰しも環境に適応しようとする性質があります。
学ばない人ばかりの環境にいれば、自分も学ばなくなる人のほうが多いでしょう。
本稿のテーマは「老害化したくないなら学びましょう」というシンプルなものですが、年を重ねて学び続けるというのはよほど強く意識をしないと、実は難しいのです。

学んでいるつもりが偏っていく“落とし穴”

さらに、学ぼうという意欲がある人でも陥ってしまいがちな落とし穴があります。
それが偏った情報に左右され、知らず知らずのうちに思想が固まってしまうことです。
具体的には「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」という現象があります。

エコーチェンバーとは、SNS上で自分と似たような価値観の人から発信された情報や同じようなニュースや情報ばかりが増幅することを言います。
実際には価値観が多様化しているはずなのに、SNS上では自分と同じような意見を発信している人ばかりに見えてしまいます。

また、フィルターバブルとは、検索サイトなどのアルゴリズムによって、こちらの意思とは関係なく自分の趣味嗜好や価値観に合った情報が優先的に表示される現象のことを言います。
知らないうちに、自分とは関係のない情報や見たくない情報からシャットアウトされてしまいます。

自分で情報を拾いにいく重要性が増している

昔であれば多くの人が同じ新聞やニュースを見て情報収集をしていました。
それぞれ思想の違いはあれど、自分と違う意見の人の声を見聞きする機会もありました。
サッカーに興味がない人であっても、大きな試合があればその勝敗がどうなったかは自ずと耳に入ってきたでしょう。

しかし、今では情報が個人に合わせて配信されるので、AさんとBさんで同じSNSを使っていてもそこに流れてくる情報は全く違います。

実際にはそんな閉鎖的な環境の中に身を置いているのに、「どんな情報にもアクセスできているし、幅広く情報収集している」と思い込み、自分のスマホに流れてくる情報が全てで世の中のことが分かったような気持ちになってしまっている人も大勢います。

本当の意味で学びを深めるためには、あえて自分が興味のない分野や自分とは違う意見の人の声を積極的に拾いにいかなくてはいけません。その重要性はSNS時代の今、さらに増しています。

「学ぶ」を始めるかんたんな第一歩

「学ぶ」とはとても意味の広い言葉であり、セミナーを受けたり、学校で勉強したりすることだけが学びではありません。
本腰を据えた勉強も大事ですが、それ以上に毎日の暮らしの中に小さな学びをたくさん積み重ねていくことがより重要だと私は考えています。

そのためにもぜひ取り入れていただきたいのが「サムシング・ニュー」という習慣です。
毎日1つ新しいことに挑戦してみてください。
新しいお店に入ってみる、食べたことのないメニューを頼んでみる、行ったことのない場所に行ってみる、などどんな小さなことでも構いません。

年齢を重ねるにつれて、新しいことに挑戦する意欲も減退していきます。だからこそ、あえてやるのです。現状維持は衰退のはじまり。
50代を超えたら、心も身体も頭も、努力をしてようやく現状維持。その先の成長を目指すためには、常に新しいことに挑戦し、学び続ける姿勢が欠かせません。

世の中にはまだまだあなたの知らないことがたくさんあります。たくさんの驚きや発見が、きっとこれから先のあなたの人生をより豊かなものにしてくれるでしょう。
posted by 小だぬき at 09:54 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月27日

「憲法9条」でも「人員不足」でも「サイバー領域」でもない…私が考える日本の防衛上の最大の弱点

「憲法9条」でも「人員不足」でも「サイバー領域」でもない…私が考える日本の防衛上の最大の弱点
2024年08月26日 PRESIDENT Online

日本の防衛上の最大の弱点とは何か。
国際法・防衛法制研究者の稲葉義泰さんは「防衛上のシステムも兵器も揃った。法律上の問題もない。あとは為政者の決断だけだ」という――。(前編/全2回)(インタビュー・構成=ライター・梶原麻衣子)

■相手のミサイル発射拠点を叩く「反撃能力」の大きな意味

――2022年12月、政府は、防衛費の大幅な増額や反撃能力の保有などを盛り込んだ新たな「安保3文書」(「国家安全保障戦略」・「国家防衛戦略」・「防衛力整備計画」​)を決定しました。

【稲葉】
そのなかで注目すべきは相手のミサイル発射拠点をたたく「反撃能力」です。
これは、これまで国会で長く議論されてきたものです。
政府は「反撃能力の保有は国際法上も、憲法上も許される」としながらも、世論の反対を考慮して実際にその能力を持つことはしてきませんでした。

状況が変わったのは、2020年に退任後の安倍元総理が反撃能力について問題提起してからです。
その後、菅政権、岸田政権が着々と準備を進めてきて「能力の保有を目指す」ことを決断し、2022年末に文書に書き込んだという流れになります。

反撃能力の保有は北朝鮮の核・ミサイル能力の向上に対抗するものであることはもちろんですが、中国の軍事力の拡大を意識したものでもあります。ミサイルの数で言えば、圧倒的に中国の方が多く保有していますから。

――しかし今なお、誤解に基づく解説や「相手のミサイル発射の兆候をとらえた時点で敵基地を叩くというが、そんなことは不可能だ」「それは事実上の先制攻撃だ」といった反対の声があります。

「ともすれば先制攻撃になりかねない」との問題点については政府も把握しており、よく見ていただくと「安保3文書」にもきちんと明記されています。

文書中に〈我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合〉とあるように、認められるのはあくまでも「反撃」です。

■「反撃=事実上の先制攻撃」ではない

相手が撃ってきたミサイルに対し、日本はミサイル防衛でこれを撃ち落とし、2発目、3発目のミサイルを相手に撃たせないように、反撃力によって出元を叩くことになる。
その能力を持って抑止力とする、ということです。

もしこれができない、やらないということになれば、相手からのミサイルをミサイル防衛で撃ち落とすことしかできず、次々とミサイルが発射され、日本は甚大な被害を受けてしまいます。
これを避けるために出元を叩き、発射装置を破壊することで追撃させない状況を作ろうというものです。

当然、「兆候を察知して」「撃たれる前に」こちらから撃つことはできません。

反撃能力の行使はあくまでも「リアクション」です。

相手からの攻撃の「おそれ」があるという段階で攻撃を加えれば先制攻撃になってしまいますので、相手が攻撃に着手し実際に攻撃がなされた後、リアクションとして「反撃」を行うという順序です。
その点で先制攻撃とは全く異なるものですから、論じる際には言葉の定義をきちんと確認する必要があると思います。

以前は反撃能力を「敵基地攻撃能力」と呼んでいたこともあって、「敵基地を先に攻撃するなんてとんでもないことだ」と解釈する人もいたようです。
また「着手」という言葉が「攻撃の着手はしたけれどまだミサイルを撃っていない状態」という解釈から、誤認があり得る、または先制攻撃になりうるとして反対する意見もありました。

■法的にはまったく問題ないが…

しかし「反撃能力」という言葉になって、このあたりの誤解は生じにくくなったのではないでしょうか。

また各国との関係を見ても、日本が単独で反撃を行うことはなく、アメリカはもちろん、韓国とも連携して判断することになりますから、日本が「危ないと思って撃たれる前に勝手に撃った」というようなことにはなりえません。

まかり間違えば中国や北朝鮮から核ミサイルが飛んでくることになりかねないわけですから、相当な歯止めがあったうえでの話です。

――となると、かなりクリアな話ですよね。それでも反対論、慎重論が出るのはなぜなのでしょうか。

いろいろな観点があると思います。
当然のことながら、法と能力というのは大前提であって、法的に可能でも能力がなければ反撃できず、能力があっても法的にできなければ、やはり反撃することはできません。
どちらか一方が欠けていても、反撃はできないところ、その二つはそろったことになります。

しかしさらにその大前提の先に、「実際にその能力を使うかどうか」という政治判断が存在します。
法的に許された能力を持つことが、即、反撃に相当することを実施するという話になるわけではない点は、明確に分けて検討しなければなりません。

あるいは、そもそも日本は軍事力を一切持つべきではないと考える方なら、自衛隊そのものの存在が許されないことになりますし、日本の領土領海を超えて相手国の基地に届く能力を持つことに対する懸念もあるでしょう。

■感情が先か、論理が先か

もう少しロジカルな憲法学の理屈を考えてみると、「そもそも憲法は国の暴走を止めるためにある」という前提があり、政府も憲法上の制約から、自衛隊の能力を「国を守るための必要最小限度の実力にとどめるよう制限しなければならない」としています。

しかし、「自衛隊が持てる実力は必要最小限度」という言い方は、なかなか考え方が難しいのも確かです。

実際には、相手国の軍事的水準や周辺の安全保障環境の動向によって「どの程度が必要最小限度なのか」は変動するのですが、憲法が国の暴走を抑えるための「枠」だと考えると、枠が変動してしまうのはどうも心もとないんですね。

「状況次第で日本が持てる軍事力が上下するようでは、枠を嵌めていることにはならない」と。これはこれで、その理屈はわからないではありません。

――相手国の軍事増強を口実に、日本がものすごく軍拡を行うのではないかという疑いがある、と。

蟻の一穴で、少しでもその枠の拡張を許せば際限がない、と捉えている人もいるでしょうし、周辺国の軍拡は事実でも、それに付き合っていたら軍拡競争になるとの懸念もあります。

しかし軍事的には、相手が力を持っている以上、拮抗状態を保たなければ、いつかそのバランスが崩れて軍事侵攻が起きるとも考えられます。

また日本の場合、政府が攻撃的兵器は持たないという一線を引き、守っています。
枠という意味で言えば、この枠は機能していますよね。

■攻撃的兵器ではない根拠

――軍事や兵器の素人には、攻撃的兵器とそうでないものの区別がつきません。
「反撃とはいえ、敵基地を攻撃できるのに『攻撃的兵器ではない』とはいかに?」と。

確かにそれはあって、例えばいずも型護衛艦が多用途護衛艦に改修されるとなった際にも、「攻撃型空母になる。憲法違反だ」という意見が相当出ました。

しかしこれも定義に照らせば誤りで、攻撃型空母というのは攻撃機を多数搭載し、相手国の領土にもっぱら壊滅的な打撃を与えるためのものです。
いわば核搭載可能な航空機を多数、載せられるものを指します。ですが、改修後もいずも型はこれには当てはまりません。

詳しくない方からすると「兵器はどれも攻撃を行うもの、だから自衛隊が保有するのは憲法違反だ」となってしまうのは仕方がないかもしれませんが、国家の防衛政策を論じる際には、きちんと区別する必要があります。

■盾(日本)と矛(米国)の関係の変化

――日米同盟についてもうかがいます。「安保3文書」について、メディアなどでは日米同盟が「新たな段階に入った」「盾(日本)と矛(米国)との関係から、日本が矛の一翼を担うようになった」とする解説もありました。どのあたりが変わったのでしょうか。

構造的には必ずしも変わっていないと思います。
いわゆる矛としての米軍というのは、言ってみれば核を含む圧倒的な軍事力で相手に対して打撃を加える能力を持つ、ということですよね。これは今も自衛隊は持っていませんし、持つこともできません。

反撃能力については国会で岸田総理も仰っていたように、「盾の役割は変わらない」。

有事になった際に自衛隊は盾として国民や本土を守るのに加え、米軍が作戦を展開する拠点、沖縄、岩国、横須賀などの防衛も担います。
拠点を守ることで米軍が打撃力を行使できる状況を守る。
つまりミサイルを撃たれるままにしていては、国民はもちろん、拠点も守れないので、反撃能力によって拠点を守る能力を高める。これはいわば「盾の補強」です。

――憲法議論になると、改憲派は「自衛隊は9条に手足を縛られていて何もできない!」という意見になりがちなのですが、実際のところはどうなのでしょうか。

もちろん、今の憲法解釈ではできないこともあります。
ただ『ここまでできる自衛隊』(秀和システム)にも書いたように、あくまで我が国を防衛するだけであれば、相応のことはできるようになってきてはいます。

■「自衛隊は9条に縛られて何もできない」は本当か

現時点での問題は、集団的自衛権をフルでは行使できないことです。
政府は2014年に閣議決定で集団的自衛権の行使を一部容認し、2015年に平和安全法制を成立させましたが、これは極めて限定的なものであり、その後の議論はあまり進んでいません。

国際法上の集団的自衛権とは「一国に対する武力攻撃について、その国から援助の要請があった場合に、直接に攻撃を受けていない他国も共同して反撃に加わるための法的根拠」ですが、日本の場合は援助要請だけでは武力を行使できないことになっています。

日本が現行憲法の下で武力行使ができるケースとして、日本の国土を侵され、国民の生命や財産が脅かされる事態から守るためである、との見解が1972年に出されています。
しかし当時は他の国が攻撃されたときに日本国民の安全も脅かされるという事態は想定されず、ゆえに集団的自衛権は認められないとされてきました。

2014年の閣議決定で集団的自衛権の限定的な行使は認められる、と憲法解釈の変更が閣議決定されたのは、日本以外の国が攻撃されたからといって、日本国民の生命財産が脅かされないとは言い切れないのではないか、という観点からでした。

こうした事態に何もしなくていいのか、いや何とかしなければいけないということで、集団的自衛権は限定的であれば行使できるというロジックを編み出して、憲法上も問題ないということにしたのです。

■日本の一番の弱点とは

ただこれは論理としてはなかなか難しくて、日本が攻撃される前に、先に第一目標の国がやられ、次は日本が標的になるという場合に、第一目標の段階で攻撃を止めなければならない。
日本への波及を止める必要があるということで、これを「存立危機事態」とし武力行使を容認することとしました。

しかし実際にはこういう理屈で現実に対処できるのかという問題は残っています。
専門的には「接着事態」というのですが、個別的自衛権行使の事例と、非常に密着しているけれど個別とはいいがたい、というギリギリのところを「存立危機事態」として武力行使ができるようにしたもので、本来の集団的自衛権そのものに触れたかと言えば、そうは言いづらい面があります。

――集団的自衛権ひとつとっても、まだまだ決めなければならないことはたくさんある。日本の一番の弱点はどのあたりにあるのでしょうか。

率直に言って、実のところ一番心配なのは「いざというときに迅速に政治決断を下せるの」という点です。

尖閣を例に考えてみると、今は中国海警の船などに海上保安庁が対応していますが、その能力を上回るような行動をとってきた時に、対処する主体を海保から海上自衛隊に切り替える、その判断・決断ができるのか。

■次の自民党総裁が担う重責

仮に、尖閣に海上民兵や海警局の人間が上陸してきた場合、現状では海上保安庁が警察権で対処することになります。
不法入国として、入国管理法に基づく法執行活動として逮捕する。法的にもそういう整理ができます。

しかし、「我が国の領域に、他国の官憲が明らかに領有権を主張する目的で侵入してきた」となった場合、これを単なる不法入国としての位置付けで対処していいのかどうか。

本来なら国防の問題として対処しなければならないことを、世論その他を懸念して国防としてとらえたくない、自衛隊を出したくないというような判断で、海保に託し続けることになったら、それは健全なのかどうか。

映画『シン・ゴジラ』で描かれたように自衛隊はやれと言われればやります。
ですが、やれと言われなければ一切動けません。
為政者が国家として決断を下せるのか、が問われる局面になります。

――まもなく総裁選が行われますが、「その時」に誰がトップにいるかが大きく左右しそうです。

リーダーの下した決断が、向こう100年の国の安全を守ることになるかもしれないし、逆に安全を脅かすことになるかもしれない。
しかしそれをすべて背負って「決める」ことができるのかどうか。世論はどちらへ動くのか。この点について非常に強い懸念を抱いています。

安全保障の問題は政治家の問題だけではなく、政治家を選ぶ国民の問題でもあるのです。
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稲葉 義泰(いなば・よしひろ)
国際法・防衛法制研究者、軍事ライター
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2024年08月28日

自分を肯定する情報だけを正しいと思う人の結末 考えを修正できる人とできない人とで広がる格差

自分を肯定する情報だけを正しいと思う人の結末
考えを修正できる人とできない人とで広がる格差
8/27(火) 東洋経済オンライン

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。

本記事では、著者の舟津昌平氏と組織開発コンサルタントの勅使川原真衣氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。

■すぐに結論を出さない誠実な態度

 勅使川原:
『Z世代化する社会』は、Z世代を通して社会を読み解いた本で、中には若者をディスっているところはありますが、それは先に社会の構造があって、その中で合理的な判断をした結果だということを論じていますよね。
若者が悪いと断定せずに、なぜそんな言動をするのかをまず問う。その丁寧なひもときが、僭越な表現ですが、秀逸でした。と同時に、研究者の方らしいなとも思いました。

 舟津:
ありがとうございます。
ディスるのと、きちんと観察することは別なんですよね。
ある同業者の方からは、「学生の生活世界を誠実に見ようとしている」と評価していただきました。

 すごくうれしいと同時に、仮に私が少しでもそうできていたとしたら、やっぱり自分が誠実でないことがわかっているからだと思うんです。
わざとらしいほどに不誠実であることを自覚して誠実にやろうとしないと、不誠実になってしまう。

 勅使川原:
大学の先生は、いろんな意味で特権階級ですもんね。

 舟津:
そうなんだと思います。
私も含めて多くの人は誰かを悪者にしたがるし、傷つけたくなる。
われわれはつねに自覚なく、何らかの差別をしていると思います。
だからこそ、そのことに気をつけてつけすぎることはない。
若者のことは何も知らない、だから知ろうとするんだ、と。若者論の多くは、わかった感が出すぎているように思います。
もちろんそれはセールストークだということを前提としても、いかにも私は若者をわかっていますよ、という売り方をされるじゃないですか。

 勅使川原:
その瞬間に、理解から離れてしまっているのに。

 舟津:
そうなんですよ。勅使川原さんの問題意識でいえば、「能力とはこういうことで、このテストで完璧にスコア化できますよ」と言った瞬間、能力とは別のものになっているし、理解を離れているんですよね。
そういうツールにはもちろん意味もありますけど、完璧でないことを理解しないと、それを絶対視する傾向が強まってしまう。

 勅使川原:
ご著書でも、現代社会に対する処方箋を出されてはいますが、ないよりはましだから書きました、ってただし書きがありますね。そこの潔さが特にかっこいいと思いました。

 舟津:
その点はすごく悩みました。現代はYouTubeやTikTokに象徴されるように、強い効果音と刺激的なサムネイルで引きつける「アテンション・エコノミー」がますます強まっています。
強くてわかりやすい答えが要求される。
だから本書でもやはり何らかの「答え」を示す必要はあると思ってはいて、ときに強い言葉を使わないといけない。
「三行でまとめてくれ」という人にもこれがポイントだ、とわかるように。

 ただ、そうすると「何々が重要という話『しか』書いていない」と受け止められることもある。
読者の要望すべてには応えられないのです。
だからこそ、ある読者の方に「小さな子どもが見ているYouTubeのように刺激的な映像で伝えるのではなく、丁寧に畳みかけてくる」と言っていただけたのがとても嬉しかったです。

■ファストに伝わらない「知の形」のよさ

 勅使川原:
若者を論じた本って、「今の若者はこう」「だから、こう接するべき」みたいにさっさと結論を出すことが期待されるジャンルだと思うんですよ。
逆に、丁寧に畳みかけているという感想は、きちんと読まないと絶対に出てこない。
そういうふうにじっくり読んでくれる人がいらっしゃるのは、希望が持てますね。
それに、発売から結構時間が経っていると思いますが、いまだに売れている印象です。

 舟津:
これは本を出してみての気づきなんですが、知り合いの本だとか、自分がものすごく興味があるという本でない限り、買った本っておそらく1カ月ぐらい経ってから読みますよね。
4月に出た本をお盆に読んでいる人もたくさんいるはずです。

 勅使川原:
たしかに。私もそうです。

 舟津:
もちろん、すぐに読むこともあると思うんですけど、普通はそうじゃない。
だとすると、自分の思ったことが詰め込まれた本が他の人に伝わったり、反響が生まれたりするには、実は最低で2、3カ月はかかるんですよね。
全然ファストじゃない。でもそれが、あるべき知の形だとも思うんです。

 勅使川原:
それ、すごくわかります。私の友人におそらく誰もが聞いたことのある商品や企業のキャッチコピーを考えた人がいるんですけど、5秒で言えるコピーを5秒で考えていると思っている人があまりに多すぎるっておっしゃっていました。
本来、書くこと・考えることと同じくらい、ないしはそれ以上に読み取るって大変なことなんですよね。

 舟津:
元々、アウトプットってインプットに長い時間をかけて生まれるものなんですよね。研究論文はその最たる例です。
1つの論文を書くのに1、2年は絶対にかかります。
国際的にも著名なある先生は、「この論文は9年寝かせた」とおっしゃっていましたし、そういうことってざらにある。
だから、何もしていないように見える人が実は悪戦苦闘していて、次の年に2、3本ポンポンと論文を出すことも当然あるんですよ。

 という意味では、もちろん性質の違いが当然あるとはいえ、YouTubeは強いサムネイルと派手な効果音で瞬間的に伸びることが重要なコンテンツです。
それは理解できるし、そこで勝負している人たちもいる中で、出されてから10年後くらいに「こんなこと言ってた人がいたんやな」って受け取られるメディアや知の形も存在するほうが健全だと思うんです。

 勅使川原:
ほんとうにそうですね。
本書の中にも、アウトプットの価値が過剰に持ち上げられているという指摘がありましたね。
わかりやすくガクチカをまとめるみたいなのとか。それって、結局空っぽのコミュニケーションですし、空虚な成長、自己実現もそうなのかなと。

■インプットが地味すぎてみんなやりたがらない

 舟津:
たしかに、アウトプット過多になっている部分があるんですよね。学者はよく「インプットしないとアウトプットなんか出ないよ」と言いますけど、最近は誰にも見えないインプットは地味すぎて、みんなやりたがらない傾向があると感じます。
今では、インプットも全部見せるようになっていますね。こんな本を読みました、こんな勉強をしましたって。

 勅使川原:
本当に。この風潮が続いちゃうと、格差を助長するような気がしてるんですよね。
というのが、目に見えるものだけがリアルだと信じすぎている人と、そうじゃないことに気づいている人との差。
気づいている人は、とことん影練、影勉しているのかなと。杞憂ですかね。

 舟津:
いや、わかります。
強い言葉を使うと、まともに考えられる人とそうじゃない人の差がものすごく開いていく。
これも本を出して気づいたこととして、本や記事のレビューとかコメントとか、最初はチェックしていたんです。
読むのしんどいので、もうやってませんが(笑)。そこで気づいたのが、自分の説を補強するためだけに本や記事を読んでいる人がいることです。

 勅使川原:
えーっ、そうなんだ。1人、2人じゃなく。それはコメントで読み取れたんですか。

 舟津:
ええ。そういう人は少なくない印象を受けました。
私の本に限らず、ですね。たとえば、会社を変革するうえで「社内の抵抗を和らげてやりくりする」という本に対して、「抵抗を無視しないと変革はできない」と信じる人たちは、その本に低評価をつけるんです。

 気持ちはわかるし、実際に反対派を排除してうまくいくこともあるとは思うんですよ。
でも、その人自身の信念は絶対に揺らがないので、信念に合う本ならいい本だと言うし、合わなければダメだと言うわけです。
読書の手間をかけて、思い込みに近いことをただひたすら強化している。

 勅使川原:
違う視点を取り入れていないんですね。セルフエコーチェンバーだ。

 舟津:
まさしく。自給自足でエコーチェンバーできるという。信念を強化するためだけに読書をしている。
読書って賢くなるためにするものなのに、まったく賢くなれていない。

 かつ、やっぱりエコーチェンバーという言葉がこれだけ浸透するように、SNSやネットメディアって、もう自己強化の場になってるじゃないですか。車に例えるなら、車輪が歪んでいて、歪んだままに自己強化を重ねて現実の路線からずれていく車と、フィードバックできてまっすぐ走れている車とで、二極化が起きるというか。つまり、自分の考えていることを修正できている人と、できずに自己強化していく人との二極化。

■われわれは都合のいい欲望を肯定してほしい

 勅使川原:
うわー、ほんとそうだ。ディストピアですね。
もちろん、書き手側の努力も必要だとは思いますが、レビューを見ていると、わかんない部分は飛ばして、わかったところだけを都合よくつなげて理解している人もいるように思うんですよね。
これもファスト化の影響かもしれませんが。

 舟津:
そうですね。以前、鳥羽和久さんとの対談で、われわれは都合のいい欲望をかなえたがるようになった、という話をしました。
世の中はますます、あなたの都合のいい欲望を認めてあげますよ、というビジネスであふれているので。

 勅使川原:
ああ、そうか。共感とかまでいやらしく言わなくても、肯定されたいんだ。あなたは間違っていない、頑張ってると。

 舟津:
そうです。気持ちはわかるんですよね。やっぱり自分の考えを否定されるのって誰でも嫌ですし、逆に、そのとおり、あなたは真理に気づいていますね、って言われるとすごく気持ちがいいです。
もちろんそれを支えるロジックが雑すぎると、さすがに嬉しいとはならないかもしれませんが、都合よく、あなたは正しくて他の人が間違っている、みたいな本がより好まれている。

 勅使川原:
なるほどなあ。ご著書で書かれていた、「楽しい仕事に就くことを目的にするのではなく、楽しさを見つけるように生きることで、われわれは簡単に消費されない楽しさを享受することができる。
教育とは、楽しさを発見する過程を支えるためにあるものだ」というところにとても共感したんですけど、今のお話だとかなり難しいことだと感じますね。

 学校へ行っても、もしかすると、10歳ぐらいでも自説を強化するために先生のインプットを受けているかもしれない。
私の息子も12歳ですけど、いい/悪いをはっきり決める傾向にあるんですよね。親としては、なんとかしたいと思ってしまうんですけど。

 舟津:
根本的に人にはそういう性質があるんだと思います。
たとえば、学歴こそが唯一の価値だと思っている人は、それを肯定する事実に触れるたびに嬉しくなって自己強化していく。
でも逆に、明らかにすごいなと思う人が実はあまり学歴のない人だったりしたら、フィードバックが起きて考えを修正する機会がうまれる。
少なくとも、学歴は大事だけど絶対ではないね、くらいには思えるようになるはず。それこそが多様性の意味ですよね。

■「Aでもあり、Bでもある」を受け入れる難しさ

 勅使川原:
そうですよね。私は組織コンサルタントをやっているので、「結局、どっちなんですか」みたいな、何かを二項対立的に配置したうえで、唯一解を提示するように求められるような質問をよく受けるんですが、それに通ずるところがありそうです。
1つに答えを決めたがる反応がなんでこんなに多いんだろうと思っていたので。
ただそれが人間の性だとわかりつつも、性を超えたいですよね。性って超えちゃいけないのかな。

 舟津:
どっちか選べという2択に帰結していくのは、根深い問題ですね。
2という数字がカギでしょうか。アマゾンのピラハ族という部族には、数の数え方が1、2、たくさん、しかない、という論文が2004年に発表されて、話題になったそうです。

 勅使川原:
エジプトの壁画みたいな話ですけど、面白いですね(笑)。

 舟津:
そうなんです(笑)。
ちなみに2008年に、その研究が間違っていたことが発表されて、実際はピラハ族の言語には正確に数を表す概念がなかったそうです。
何が言いたいのかというと、たぶん3から急に認知が複雑になっていくんですよね。
専門家に怒られそうな雑な話ですけど、数学でも三次方程式から急に複雑になる。つまり、二元論を超えること、3以上の可能性を考慮することは相当難しいんですよ。

 勅使川原:
うん、そうだ。でも、複雑性は大事なテーマですよね。
一度受け入れるカラクリとして1つに決めることが有効だとしても、複雑さを受け入れないとどうしようもないところもある。

 舟津:
おっしゃるように、シンプルにすることで、たとえば組織のスローガンをはっきり言い切ることで、みんなが団結できることはある。
ただ、それ以外の可能性をちゃんと踏まえていないと、それはリスクになりうる。

 勅使川原:
そういう意味では、『Z世代化する社会』はすごく現実的な本だなと思いました。
Z世代の映えとか、ハレの日のようなものではなく、ごくふつうの日常に徹底的にこだわっているように読み取れました。
そこから出てくる結論は、もしかすると理想論じゃないか、と言う人もいるのかもしれないけど、そうした反応ってものすごく現実的なものを見せられたときのものなんじゃないかなと思うんです。

 舟津:
たしかに、現実的であることはかなり意識しました。学生たちや若者は、基本的に私に気を遣って演技する部分があると思うんです。
でも、そうじゃない素の部分も見たい。演技されると、いろいろな誤解を招きますから。

 たとえば、若者がものすごくお行儀よくしていると、若者の未来は明るいと思い込むし、逆に無能を演じて相手を上機嫌にさせることもできます。
そういう意味では若者は賢いし、演技ができるんですよ。
だから、「最近の若いやつはダメだ」と決めつけるのもフィクションなんです。
私は、できるだけそのフィクションを剥いで、真実の姿を書きたかった。

■「先生がいると、学生は正直に答えないですよ」

 勅使川原:
その姿勢はすごく表れていると思います。目次で言うと、私が一番好きなのは、「面接で猫を抱く」というところですね。
わかりやすさを重視すると、このエピソードを抜いてしまう人もいると思います。
若者のしたたかも含めて多角的に描くと、ぶれるとか、わかりにくくなるとか言われることもありますが、それをちゃんと拾っているところに舟津先生の意志というか、覚悟のようなものを感じました。

 舟津:
実はこの話、卒業した学生たちの卒論がベースで、本人らの協力と許諾を得て私が論文にまとめ直したものが出典なんです。
で、調査する際に私が直接聞き取りしようかと言ったら、学生たちは嫌がったんですよ。
先生が来るとみんな正直に答えないんじゃないかって。
それで友だちに聞くような感じで、素のままを引き出したんです。
そしたら、猫を抱いていたとか、友だちが部屋にいたとか、そういうリアルなエピソードが出てきました。

 勅使川原:
それは稀有な調査になりましたね。

 舟津:
真の若者像は一種類だけしかなくて、その一種類を自己強化するように、エビデンスがありました、やっぱりそうでした、とは書けないと思ってて。
だからこそ、突然ニュアンスの違った話も入れたんですよね。人によっては、わかりにくいからやめてくれとか、どっちなんだって聞きたくなるような話を。

 勅使川原:
でも、どっちもなんですよね。

 舟津:
本当にそうなんです。どっちも事実である。


勅使川原 真衣 :組織開発コンサルタント/
舟津 昌平 :経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師
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「自衛隊=レスキュー隊」という認識が強すぎる…ロシア・ウクライナ戦争でわかった日本の大きな課題

「自衛隊=レスキュー隊」という認識が強すぎる…ロシア・ウクライナ戦争でわかった日本の大きな課題
8/27(火) プレジデントオンライン

ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続いている。
国際法・防衛法政研究者の稲葉義泰さんは「軍事的に非合理的な戦争でも起きてしまうことが露わになった。
そんな時代の中で自衛隊は何のためにあるのかを、いま一度考えるときに来ている」という――。
(後編/全2回)(インタビュー・構成=ライター・梶原麻衣子)

■「ロシア・ウクライナ戦争」における最大の衝撃
 (前編8/27より続く)

 ――ウクライナ戦争が勃発してから2年半。内戦や紛争ではなく、国家間の大きな戦争が起きてからの過程を目の当たりにして、日本国民の安全保障意識に変化はあったのでしょうか。

 【稲葉】確かに何らかの変化はあったのだと思います。ただし「戦争は本当に起きるものなのだ、それに備えなければならない」というところまで行っているかと言えば、それはわからないところで、やはり無関心の方が大きいのではないでしょうか。

 無関心、というのは必ずしもニュースを見ない、全く知らないということではなく、「情報に接してはいるけれど、自分とは関係のないことだととらえている」姿勢を指します。例えば岸田政権はウクライナ支援策にかなり力を入れていますが、国民からの評価にはつながっていません。

 ウクライナ戦争に関する報道量は多いのでしょうし、今はネットでも情報を得られます。SNSでも、言及している人は少なくありませんが、しかしその中身はどうかと言えば、「ロシアもウクライナもどっちもどっち、喧嘩両成敗」といったものも少なくありません。しかしこれは実際には「国際法を破ったのは誰か」という非常にクリアな話で、どっちもどっちにはなりえないのです。

 また、さらにその先に進んで「我が国も当事国になるかもしれない。準備しておかなければ」という意味で意識している人はそう多くはないように思います。どこか他人事。やはりウクライナは地理的に遠すぎたのかもしれません。

■専門家は「まさかやるはずがない」と思っていた

 ――実際にはロシアという日本の隣国が、反対側の隣国であるウクライナに侵攻したという話なのですが、そういう捉え方はできていないですね。

 ウクライナ戦争の衝撃は何かと言えば、軍事的合理性から考えれば起こさないはずの戦争を、国家の指導者の決断一つで起こしてしまったことです。

 軍事の専門家からしても、当初は「まさかやるはずがない。脅しだろう」と思っていたものが、「あれ、まさか本当にやるつもりか」と言っているうちに、本当に始まってしまいました。

 我々はどこかで「そうはいっても国家の指導者は合理的な判断を下すだろう」と思っていたのですが、ロシアの場合はそうではなかった。ましてや21世紀に入ったこの世界で、あれほど原始的なやり方で戦争をするのかと。大量虐殺まで行っていますし、現代の常識では考えられないような事態になっています。

■戦争でわかった日本の3つの課題

 確かに国際社会は「アメリカ一強」の時代ではなくなっています。しかしNATOという強力な同盟関係があり、ウクライナは加盟していないもののヨーロッパにあれだけの拠点を持って、ロシアに対峙してきたのも事実。

 しかしそれでも止められなかったという現実がある以上、「起きてしまったらどうするのか」を考えないわけにはいきません。もちろん、習近平や金正恩が必ずしもプーチンと同じ行動をとるわけではありませんが、可能性がないわけではない。

 ――ウクライナで起きていることを目の当たりにしているにもかかわらず、日本では抑止力強化にさえ反対する世論があるのが現状です。ウクライナ戦争で明らかになった日本の課題とは何でしょうか。

 ひとつは継戦能力、というか「弾の数」です。ウクライナ戦争では、「どれだけ弾を撃てるか」が如実に状況を左右しています。ウクライナの場合は榴弾砲(りゅうだんほう)や砲弾を使っていますから比較的安価で、だから数十万発を撃てるという状況があります。

 一方、日本の場合は海に囲まれていますから、対艦ミサイルや対地誘導弾などの精密誘導のものが必要になるため、「1発数億円」するものを、数多く備えておかなければなりません。

■ウクライナの高い広報力

 ウクライナ戦争は2年半を過ぎましたが、日本が同程度の長期戦を戦えるかというとかなり難しい。弾薬数も、人の数も、燃料もそうですし、産業構造としても長期戦を支えられる形にはなっていません。

 ミサイルに関しては予算が割かれていますが、「外国から買うのではなく、国産ミサイルを持つべきだ」と主張する人たちもいます。これに対しては「いざというときに効率的に使えるものはどれなのか」を念頭に判断すべきではないかと思います。

 また、義勇兵の問題も考えておかなければなりません。ロシア・ウクライナ戦争でも両陣営に日本を含め各国から義勇兵が渡っていますが、日本がどこかの国と戦争状態になった場合、「日本のために戦いたい」という人たちが世界中からやってくるかもしれません。

 ウクライナの場合はそのまま義勇兵部隊を組織して戦争に協力してもらっていますが、今の自衛隊法では義勇兵という存在を想定していません。もしもの場合、義勇兵志願者をどうするのか。空港に留め置くのか。これは考えておかなければいけないでしょう。

 もうひとつ、大きなものは「国際世論への広報」です。ウクライナは非常にうまくやってきていますが、国際世論をどう味方につけるかはよく学んでおく必要がありそうです。

■「自衛隊=レスキュー隊」ではない

 ――有事の際に心配なのは「自衛隊の本来任務」が国民に理解されているかという点です。自衛隊に対する国民の信頼度は高まっていますが、それは「侵略してくる敵と戦う自衛隊」では必ずしもないのではないか、と。

 そこは私も強い懸念を抱いているところです。国民にとって、自衛隊は災害派遣のイメージがかなり強くなり、「何かあったときに助けに来てくれる」というレスキュー隊のように感じている人が多いのではないでしょうか。

 実際には、災害派遣は副次的な任務であって、主たる任務は国防です。他国からの侵略を受けた場合に対処するのが自衛隊の仕事であって、もしもの場合にはそちらに能力を振り向けるので、災害派遣時のような国民への直接の支援は難しい。

 この違いに対する理解がどこまで国民の間に浸透しているか……。これはかなり気がかりで、有事の際に「自衛隊に期待していたことと違うことをやっている」という批判が出るのではないか、という懸念はあります。

 ――災害派遣自体は被災者も助かるし、自衛隊自体も訓練の成果を発揮でき、やりがいがあって隊員の士気を高める、国民からは感謝されるという、大事な仕事ではあるのですが。

 広報効果という意味でも大きいでしょう。しかし前提としては災害時には地方自治体と警察・消防が第一に対応に当たるのが大前提であり、それでもキャパシティが足りないところを自衛隊が補う形になっています。

■災害時のように国民を助けるとは言えない

 災害対応の手が足りないのであれば、本来は自衛隊に頼るのではなく、担当の行政機関の能力を底上げしなければなりません。

 また、有事と災害時の違いについても知っておく必要があります。災害派遣は発生時点が最も状況が悪く、もちろん余震などもあり得ますが、状況がそれ以降、劇的に悪化することはほとんどありません。綿密な計画を立てておけば、二次被害、三次被害は生じにくいといいます。

 一方で戦争は、始まってしまうと状況は二転三転しますし、隊員数も死傷などによって損耗していきます。その中で自衛隊が国民保護までを災害派遣時のように実施するのは無理です。

 ただでさえ人員が足りないという状況を鑑みても、自衛隊は本来の任務に専念した方がいいのかもしれません。

 あるいは大きく体制を変えて、災害派遣専門の部隊を作るか、実戦担当部隊を切り離して待遇を変えるなどの対策を打ち、国民にも「自衛隊は何のためにあるのか」を、いま一度、振り返ってもらう必要があるのではないでしょうか。

■話し合いでは解決しない

 ――国民意識もアップデートが必要ですが、何から始めればいいのでしょうか。

 それぞれの分野ごとに当然違った面が必要になるとは思うのですが、一丁目一番地で言えば、国民に安全保障に対する関心を持っていただく、ということになるのではないでしょうか。

 つまるところは教育の話にならざるを得ないのだと思いますが、現状では安全保障と言っても何のことだかわからず、戦争と言えば第二次世界大戦のイメージで止まってしまっています。

 沖縄戦は悲劇だ、東京大空襲は悲惨だというのは全くその通りで、悲惨でない戦争はありません。必ず誰かが命を奪われるのですから。しかし「悲惨だね」で終わってしまっては、何の教訓にもなりえません。「悲惨だから、もう二度と起こさないように戦争について考えるのをやめよう」という思考停止に陥ってはいけないのです。

 「軍事力がなくても、話し合いで何とかすべきだ」という声も根強くありますが、話し合いだけで解決しないからこそ難しいのであり、そもそも話し合い(外交)と、いざというときの備え(軍事)は対立関係にはありません。

 そのあたりのことを、まずはきちんと理解して、そのうえで自衛隊という組織がなぜ必要なのか、「戦える自衛隊」であることにどんな意味があるのかというのを考え続けていかなければならない。それは防衛省や自衛隊をどんな時も擁護するというのとは違って、やはり健全な批判も必要になります。

■やっぱり改憲すべきなのか

 ――「抑止力強化というが、抑止が破られたらその後は軍事力の行使になるんだ! だから抑止力強化そのものに反対する」というような意見を目にするとこちらも「話し合いの余地がない」と思ってしまうのですが、それではいけませんね。

 今必要なのは、紋切り型の言葉で相手を批判することではなく、相互のリスペクトではないかと思います。政治的な立場はいろいろあっても、平和な暮らしを願っている点では一致しているはずなので……。国家間でも抑止と対話は対立関係にはないのだから、同じ国民同士、意見が違っても互いをリスペクトして話し合うところから始めるしかないと思います。

 憲法議論もどうにも低調ですが、やはり憲法9条があることで対処が難しくなっていることはさまざまあります。憲法に自衛隊を組み込まないまま、解釈で幅を持たせてここまで来てしまった。本来なら改正すべきですが、国民も解釈で幅を持たせるという方針を受け入れてきた。そのせいでひずみはどんどん大きくなっています。

 一方で、憲法9条の実績というものも無下にはできないし、改憲論も手段と目的をはき違え、「変える」こと自体が目的化したような議論もあります。

■改憲派、護憲派双方がやるべきこと

 私は国際法専攻ですが、昨年1年間は憲法学者の先生と2人で延々と9条研究をやっていました。その時に気付かされたのは、確かに9条研究には教条的なところがないではないのですが、きちんとした理屈、ロジックが存在することです。これは外から見ているだけではわからなかったことです。

 改憲派も護憲派も、お互いのロジックを理解したうえで、「ここはそのままでいい」「ここは変えたほうがいい」と、お互いに妥協策を見出していく。そういう作業が必要なのではないでしょうか。

 平和論を重視する人、改憲や保守的な思想を持っている人達両方がお互いこうした作業をやるべきで、攻撃ではなく対話してみることがまずは重要だと気づかされました。

 自衛隊だけでは対処できない、特に認知戦の問題はこのあたりの対立ともかかわる、国民にとっての大きな課題です。

 真剣に、いま日本が置かれている安全保障環境を考え、対立ではない形で、さまざまな立場の人たちが話し合える場が必要です。
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稲葉 義泰(いなば・よしひろ)
国際法・防衛法制研究者、軍事ライター
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2024年08月29日

本当にコメは品薄か? SNSで指摘される「令和の米騒動」のウラにTVメディアの“煽り報道”

本当にコメは品薄か? SNSで指摘される「令和の米騒動」のウラにTVメディアの“煽り報道”
2024/08/28 日刊ゲンダイ

「消費者の立場に立って、コメの流通不足の懸念に対処するよう」
 大型スーパーなどの店頭に並ぶコメが全国的に品薄状態になっている「令和の米騒動」で、岸田文雄首相(67)は27日、首相官邸で開いた食料安定供給・農林水産業基盤強化本部の会合でこう言い、坂本哲志農林水産相(73)に対応を指示した。

 品薄状態が続いているコメを巡っては、大阪府の吉村洋文知事(49)が政府備蓄米の放出などを含む流通状況の改善を求めている。
だが、坂本農水相は同日の閣議後会見で、備蓄米の放出については「慎重に考えるべきものだ」として、消費者に対して必要な量だけを買うといった対応を求めている。

 ネット上では《岸田さん遅いよ。コメが食べられないよ》《品薄状態なのに放出しないなら備蓄米の意味がないじゃない》といった意見が散見される。

 だが一方では、《コメ農家ですが、ふつうに出荷しています。品不足の理由が分かりません。みなさん冷静に》
《長距離トラックの運転手です。私だけで125トンの玄米を精米工場へ納入しました。
それが何百台も全国の精米工場へ納入しているのですから、店頭からお米が消えるという事が全く理解出来ません》との投稿もある。

 果たして テレビメディアが「米騒動」と大騒ぎするほど、コメは品薄なのか。

■懸念されていたのは「米騒動」ではなく、価格高騰による消費者離れ

 農水省は1カ月前の7月30日、コメの需要や生産に関する現状や見通しを公表。
それによると、6月までの1年間の主食用のコメの需要は前年比11トン増の702万トンで、10年ぶりに増加。
民間在庫は同月末の時点で同2割減の156万トンだったという。

 背景には、パンや麺など他の主食品と比べて値上がり幅が緩やかなコメの需要が高まった事や、訪日外国人の増加に伴う日本食ブームがあるとみられている。
ただ、林芳正官房長官(63)は7月末の会見で「現時点で食用米の全体需給はひっ迫している状況ではないと認識している」と説明。
この時、政府内で懸念されていたのは、コメを奪い合う「米騒動」ではなく、むしろ価格高騰による消費者離れだったという。

 それがなぜ、あっという間に全国の店頭からコメが消える事態となったのか。
SNS上でささやかれているのはテレビメディアの“煽り報道”だ。

《コメ需要の増加は5月くらいから言われていたが、誰も品不足を心配していなかった。
パリ五輪が終わった8月から急に テレビで「品薄」と大騒ぎに》

《商品棚にコメがないという映像を TVで繰り返し見せられると焦る。
周りの人も「いま買いに行かないと」と言っている》

《TVが騒いだコロナ禍のマスク騒動を思い出す。
そのうち、コメの転売ヤーも出てくのでは》

 1918年に起きた「米騒動」は、群衆がコメを求めて販売店に押し掛ける地方の事件を伝えた新聞報道によって全国各地に暴動が拡大。
「ビリケン内閣」と呼ばれた当時の寺内正毅首相が総辞職に追い込まれる事態となったが、新聞とTVの違いはあれども状況は似ているとも言えるだろう。
いずれにしても消費者は冷静に考えた方がいい。
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このままでは「令和の米騒動」が繰り返される…コメ不足を放置して利権を守る「農水省とJA農協」の大問題

このままでは「令和の米騒動」が繰り返される…コメ不足を放置して利権を守る「農水省とJA農協」の大問題
2024年08月28日 PRESIDENT Online

コメが不足している原因は何か。
キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「猛暑の影響やインバウンド消費の増加といわれているが、根本原因は減反によるコメの生産量減少だ。
高価格を維持するために農水省はコメの供給量を減らし続けており、わずかな需要増でも不足する事態になっている」という――。

■コメ不足の根本原因は「減反政策」

コメの値段が上がっている。棚からコメが消えたスーパーもある。
それなのに、農林水産省は「コメの需給は逼迫していない」という。
コメ不足について、マスメディアで言われている原因は本質的なものだろうか? また、農林水産省はなぜコメ不足を否定するのだろうか?

コメ不足の原因として二つのことが言われている。一つは、供給が不足もう一つは需要の増加である。

コメの流通業界は、2023年産米の作況指数は平年作以上だったが、猛暑の影響で品質が低下し一等米の比率が減少したと説明している。
一等とか二等とかいうコメの等級は、一定量のコメの中に、粒のそろったコメ(整粒)の比率が高いか低いか、白濁した粒など被害を受けた粒の比率がどのくらいなのか、などで決定される。

イネの穂が出た後に高温が続くと、コメの内部に亀裂が生じてしまう“胴割れ粒”やでんぷんの形成が悪く白く濁ったように見える“乳白粒“などが生じる。
胴割れ粒は精米にする際に割れてしまう。この割合が多いと精米歩留まりが低下し、商品としての評価が下がる。
コメの流通業界の主張をわかりやすく説明すると、「見た目の悪い割れたコメや被害のあったコメなどを流通段階で取り除いたので、消費者への供給量が少なくなった」というのだろう。

指摘されないファクトがある。

2023年産米の作況指数101だった。
だが、これはコメの生産量が前年より多かったことを意味しない。
作況指数というのは一定の面積当たりの収量(“単収”という)の良し悪しだからである。
コメの作付面積が減少していれば、作況指数100でも、生産量は前年を下回る。

JA農協と農林水産省は、コメの需要が毎年10万トンずつ減少するという前提で減反(生産調整)=作付面積の減少を進めてきた。
前年比10万トン減少という前提でコメの作付面積を減らしていれば、作況指数が前年並みの100でも、昨年の9月から今年の8月までに供給される作年(2023年)産のコメの量は前年(2022年)産に比べ10万トン少なくなる。

現に、作況指数101にもかかわらず、2023年産のコメ生産量は前年の670万トンから9万トン減少した。
猛暑による影響を云々する前に、2023年産のコメ供給量は減反で減少していたのである。

■わずかな需要増で「コメ不足」になった

需要の増加として挙げられているのは、インバウンドによるコメの消費増である。

しかし、毎月300万人の旅行者が日本に7日間滞在して日本人並みにコメを食べたとしても、消費量の0.5%増に過ぎない。
ほかにも、「国際的な小麦価格の高騰でパンの値段が上昇し、相対的に安くなったコメの消費が増加した」とか、「南海トラフ地震への恐怖から消費者がコメの備蓄のため買いに走っているのだ」とかという説明が行われている。

確かに、最近のコメ不足がこれらの要素によって引き起こされたことは事実だろう。
しかし、これらは、コメの全体需給の大きな部分を占めるものではない。
足しあげても1割にもならない。
問題は、こうしたわずかな生産や消費の変動でコメが足らなくなるほど、生産量が減らされていることである。

■農作物は不作のほうが売上高は増加する

JA農協と農林水産省は、なぜ、ここまでコメの生産量を減らしたのか。

食料、なかでも必需品であるコメの「商品」としての特徴がある。
胃袋は一定なので、毎日の消費量に限界がある。
テレビの価格が半分になると、もう一台買おうという気になるかもしれない。
しかし、コメの値段が半分になったからといって、コメを倍食べようという人はいない。
コメの値段が高くても低くても消費量はそれほど変わらない。

消費量が大きく動かないので、生産量が増え、それを市場でさばこうとすると、価格を大幅に下げなければならない。
“豊作貧乏”と言われる現象である。
逆に、長雨などで不作になると、一定量は食べなければならないので、価格は高騰する。
不作になると売上高は増加する。食料需要の特色から、供給がわずかに増えたり減ったりするだけで、価格は大きく変動する。

この食料についての経済学を利用したのが、JA農協と農林水産省が推進してきたコメの減反政策である。
減反とは農家に補助金を与えてコメの供給を減らして米価を上げるものだ。
需要の特性から、わずかな供給の減少でも米価や売り上げを大きく上げることができる。

実際に、減反は水田面積の4割に及んでいる。

また、減反は生産を抑える政策なので、コメの面積当たり収量(単収)を増加させる品種改良は、研究者にとってはタブーになった。
単収とは生産性に他ならない。
今では、減反開始時に日本と同じ水準だったカリフォルニアのコメ単収は、日本の1.6倍、情けないことに、1960年頃は日本の半分しかなかった中国に追い抜かれてしまっている。

水田面積全てにカリフォルニア米ほどの単収のコメを作付けすれば、長期的には1700万〜1900万トンのコメを生産することができる。
単収が増やせない短期でも、900万トン程度のコメは生産できる。
国内だけでこれを処理しようとすると、米価は暴落する。
このため50年以上にわたる減反政策でコメ生産を減少させ、米価を維持してきた。
現在、JA農協と農林水産省は、主食用のコメの生産量を650万トン程度に抑制することを目標にしている。

■JA農協発展のための減反政策

減反はJA農協発展の基礎である。

米価を高く支持したので、コストの高い零細な兼業農家が滞留した。
かれらは農業所得の4倍以上に上る兼業収入(サラリーマン収入)をJAバンクに預金した。
また、農業に関心を失ったこれらの農家が農地を宅地等に転用・売却して得た膨大な利益もJAバンクに預金され、JAは預金量100兆円を超すメガバンクに発展した。
減反で米価を上げて兼業農家を維持したこととJAが銀行業と他の事業を兼業できる日本で唯一の法人であることとが、絶妙に絡み合って、JAの発展をもたらした。

「米価が下がると農家が困るのではないか」「コメ生産が維持できなくなるのではないか」という指摘がなされる。しかし、コメ生産を維持するために、コメ生産を減少させる(減反である)というのは矛盾していないか。

また、アメリカやEUは農家の所得を保護するために、かなり前から高い価格ではなく直接支払いという政府からの交付金に転換している。
よく私は「欧米では農業保護のやり方を高い価格ではなく財政からの直接支払いという方法に転換したのに、なぜ日本ではできないのですか?」という質問を受ける。
農家にとっては、価格でも直接支払いでも、収入には変わらない。なぜ、日本の農政は価格に固執するのか? 
それは、欧米になくて、日本にあるものがあるからである。JA農協である。

アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。
しかし、これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が金融業などの経済活動も行っていることである。
このような組織に政治活動を行わせれば、農家の利益より自らの経済活動の利益を実現しようとする。
その手段として使われたのが、高米価・減反政策である。

米価を下げても主業農家に直接支払いをすれば、主業農家だけでなくこれに農地を貸して地代収入を得る兼業農家も利益を得る。
しかし、直接支払いが交付されない農協にとっては、価格低下で販売手数料収入は減少するし、零細兼業農家が農業をやめて組合員でなくなれば、JAバンクの預金も減少する。農協にとっては良いことがないのだ。

■農林水産省は政府備蓄米の放出を拒否

減反政策によって、コメの全農と卸売業者との取引価格(相対取引価格)は、60キログラムあたり、2021年産1万2804円から、2022年産1万3844円、2023年産1万5306円(7月は1万5626円)となり、この2年間で20%も上昇した。
農林水産省としてはシナリオ通り米価を上昇させて満足しているところだろう。

去る7月19日の記者会見で坂本農林水産大臣は、昨年(2023)産米の相対取引価格について、「令和5年産米の6月の相対取引価格は、最近の中では平成24年産の同時期の1万6293円に次ぐ価格となっています」と述べ、卸売業者が全農に支払う価格が10年ぶりの高水準になっていることを認めた。

さらに、坂本大臣は、今年(2024)産の早期米(他の産地よりも早く出荷されるコメ、早場米ともいう。)の概算金(JA農協が農家に支払う仮払金)の価格について、「令和6年産の早期米の概算金の大幅上昇について、鹿児島県産コシヒカリの7月末までの概算金が、60kg当たり1万9200円など、前年産に比べ6000円高い価格で決定されていることは報道により承知しています」と述べている。31%の価格上昇である。

それでも坂本大臣は、「私自身は、需給が引き締まっているということで、特段、これによってさまざまな対応をするというような状況にはないと思っています。」と述べているのである。
米価の上昇はJA農協と農林水産省にとって成果以外の何物でもない。
コメが不足したからといって、備蓄米を放出すれば、供給が増えて米価は低下する。大阪府の吉村洋文知事の備蓄米放出という要請を大臣は拒否した。

■減反廃止はフェイクニュース

なお、減反は廃止されたのではないかとよく質問される。
結論から言うと、これは安倍晋三元首相のフェイクニュースである。

2014年農林水産省、JA農協、自民党農林族によって減反政策の見直しが行われた。
国から都道府県等を通じて生産者まで通知してきたコメの生産目標数量を廃止するだけで、減反政策のコアである補助金は逆に拡充した。

この政策変更にほとんど関与しなかったのに、安倍首相は政権浮揚のため「40年間誰もできなかった減反廃止を行う」と大見栄を張った。
この時、減反を見直した自民党農林族幹部も、大臣をはじめ農林水産省の担当者も、「減反の廃止ではない」と明白に否定していた。
面白いことに、2007年に安倍内閣は全く同じ見直しをして撤回していたのである。
しかし、2007年当時だれも減反廃止とは言わなかった。廃止ではなかったからだ。

減反廃止が本当なら、米価は暴落するはずだ。
農業界は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、永田町はムシロバタで埋め尽くされる。もちろん、そんなことは起きなかった。

後に安倍首相は、私の論文を基に国会の予算委員会で減反廃止を否定する農林族議員との主張の違いを指摘され、「違いはない。私はわかりやすく言っただけ」と発言を撤回した。これは、NHKテレビで中継された。

■本当にコメ不足は解消されるのか

農林水産大臣は、8月2日の記者会見で、「収穫の早い産地は、今月には新米が出回り始め、9月からは主産地の出荷も始まります。
消費者の皆様方におかれましては、安心していただき、普段どおりにお米をお買い求めいただきたいと思います」と述べている。
9月になれば新米(2024産米)が供給されるので、コメ不足は解消されるという報道も見られる。

しかし、そうだろうか?

まず、需給のファクツを押さえておこう。
基準年を1昨年の9月から昨年の8月までとして、これに対する生産と需要の変化を見よう。

既に述べたように、昨年の9月から今年の8月までの期間の供給主体となる作年(2023年)産のコメは減反により前年(2022年)産より9万トン少なかった。
これに猛暑による精米歩留まりの減少が20万トンであったとすると、供給量は前年に対し29万トン少なくなる。
消費について農林水産省は、インバウンド等で11万トン増加しているとしている。

以上から、コメの不足量は40万トンとなる(これは農林水産省が公表している民間在庫量の減少41万トンと符合する)。これを今年産の早期米等で早食いすれば、40万トンの不足は次の期(今年の9月から来年の8月まで)に持ち越されることになる。

■再来年も52万トン不足する

では、次の期のコメの需給はどうなのだろうか?

この期間の供給の主体となる今年産の供給量もコメの需要が毎年10万トンずつ減少するという前提で減反しているとすれば、基準年に供給された2022年産(670万トン)に比べ20万トン少なくなるはずである。
しかし、根拠は明らかではないが、農林水産省は669万トンになるという見通しを公表している。
農林水産省の見通しが正しいとすれば、基準年に比べ供給量は1万トンの減少となる。

インバウンドの需要が今年と同様であるとしても、基準年比では11万トン増である。
つまり今年産米が農林水産省の見通し通りだったとしても、基準年より12万トンの不足(減反を予定通り行っているとすれば31万トンの不足)がある。
これに今年産米を先(早)食いした40万トンの不足が加わる。減反を考慮しなくても次の期の不足は52万トンとなる。

■猛暑の影響でさらに不足が拡大する

さらに、今年産のコメが猛暑の影響を受けるかどうかは、これからわかる。
胴割れ米等が起きるのは穂が出てから10日間に高温にさらされていたかどうかである。
今年も昨年並みの高温だった。また、台風の影響により、イネの倒伏や日照不足による不十分な登熟が起きる可能性がある。
今年も昨年と同様の被害を受けているとすれば、不足は72万トンとなる。一等米の比率は年々低下しているので、これでは済まないかもしれない。

この不足分を来年産から早食いするとすれば、その次の期に不足は持ち越される。永遠に不足が続く。

■コメ不足を解消するには「減反廃止」しかない

減反を止めれば、この問題は解消できる。

1700万トン生産して1000万トン輸出していれば、国内の需給が増減したとしても輸出量を調整すればよいだけである。国内でコメ不足は起きない。平成のコメ騒動は冷夏が原因と言われているが、根本的な原因は減反である。

当時の潜在的な生産量1400万トンを減反で1000万トンに減らしていた。それが不作で783万トンに減少した。しかし、通常年に1400万トン生産して400万トン輸出していれば、冷夏でも1000万トンの生産・消費は可能だった。

コメの輸出が増えている。今ではカリフォルニア米との価格差はほとんどなくなり、日本米の方が安くなる時も生じている。減反を廃止すれば価格はさらに低下し、輸出は増える。国内の消費以上に生産して輸出すれば、その作物の食料自給率は100%を超える。

上記の場合、コメの自給率は243%となり、全体の食料自給率は60%以上に上がる.
最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止によるコメの増産と輸出である。
平時にはコメを輸出し、危機時には輸出に回していたコメを食べるのである。
平時の輸出は、財政負担の必要がない無償の備蓄の役割を果たす。

しかし、減反は廃止できない。
農林水産省が目を向けるのはJA農協であって国民ではないからだ。
コメ不足を解消する最善の政策は農林水産省の廃止ではないか。
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山下 一仁(やました・かずひと)
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
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2024年08月30日

暑いのでお風呂は「シャワー」で済ませてしまいます。シャワーだけと入浴するのとで何か違いはありますか?

暑いのでお風呂は「シャワー」で済ませてしまいます。シャワーだけと入浴するのとで何か違いはありますか?
8/29(木) ファイナンシャルフィールド

気温が高い日は、面倒だったり入浴後に汗をかいてしまうことが嫌だったりしてシャワーだけで済ませてしまう人も多いでしょう。
お風呂と一口にいっても、気になるのがシャワーと入浴それぞれどのくらいの水道・光熱費がかかっているかです。

本記事では、シャワーだけと入浴にかかる水道・光熱費を紹介するとともに、それぞれの入浴方法のメリットを紹介します。
夏の暑い日に、シャワーだけでも問題ないか気になっている人はぜひ参考にしてください。

▼「シャワーだけ」vs「お湯をためる」1人暮らしはどっちがお得? それぞれの水道代・ガス代を比較

シャワーだけと入浴にかかる水道・光熱費
まずは、シャワーだけと入浴にかかる水道・光熱費を紹介します。

■シャワーだけで済ます場合の水道・光熱費

経済産業省 資源エネルギー庁が運営する「省エネポータルサイト」によると、シャワーを1日1分使用すると水道代は年間で1140円かかり、1分間の水量は12リットルであるとされています。
ガスの使用量は年間12.78立方メートルで、ガス代にすると約2070円です。

もし1日1回のお風呂でシャワーを10分間使用すると、年間の水量は120リットルとなり、水道代は1万1400円、ガス代は2万700円、合計で3万2100円かかると分かります。
1日あたりの水道・光熱費になおすと、およそ87.94円です。

■入浴にかかる水道・光熱費

一般家庭の浴槽の容量は約200リットルで、シャワー10分間の1.67倍ほどの湯量であると分かります。
そのため、入浴にかかる費用は先ほど算出したシャワーにかかる費用に1.67をかけると計算可能です。
つまり、年間の水道代は1万9038円、ガス代は3万4569円、合計で5万3607円です。
1日あたりの水道・光熱費は、およそ146.86円と分かります。

ただし、湯船にお湯をためても頭や身体を洗うのにシャワーを使用する場合は、湯船にお湯をためた分の水道・光熱費に、シャワーで使用した分の水道・光熱費が上乗せされることを考慮する必要があります。

シャワーだけと入浴のメリット
次に、シャワーだけと入浴のメリットをそれぞれ紹介します。

■シャワーだけのメリット

シャワーのメリットは手軽に利用できることです。
短い時間で汚れや汗を洗い流せるため、効率よく爽快感を得られるでしょう。
シャワーを使用する時間を短縮できれば、水道・光熱費の節約にもつながります。
近年、水流の使い分けや節水ができるシャワーヘッドも登場し、シャワーだけでもお風呂タイムを快適に楽しめます。

■入浴のメリット

入浴で身体を温めることは、健康によいとされています。
温熱作用によって血管が拡張し、血流がよくなることで栄養や酸素が全身に行き渡りやすくなります。
新陳代謝が活発になることで、老廃物の排出や気分のリフレッシュにもつながるでしょう。

また、湯船につかって全身に水圧をかけることでも血流の流れはよくなります。
具体的には、滞留している血液を水圧で押し戻すことで、足のむくみを解消する効果があります。

さらに、快適な睡眠を得るためには、入浴によって身体を芯から温めて、入浴後に体内の熱を少しずつ発散していくことが重要です。
疲労や冷えなどの不調があるときも、ゆっくり湯船につかって身体を温めることをおすすめします。

ただし、温度の高い湯船にいきなりつかったり、首までつかってしまったりすると心臓に負担がかかるため注意しましょう。

シャワーだけと入浴にはそれぞれメリットがある

水道・光熱費の観点で見ると、シャワーだけの場合は1日およそ87.94円、入浴する場合は1日およそ146.86円以上のコストがかかるので、シャワーだけのほうが節約できると考えられるでしょう。
ただし、家族世帯で続けてお風呂に入る際は、シャワーだけより入浴のほうがお得になる可能性があります。

もっとも、シャワーだけと入浴には、それぞれ異なるメリットが存在します。
シャワーは忙しいときでも手軽に汗や汚れを洗い流せるメリットがあり、水道・光熱費の節約にもなります。
一方で、入浴は身体を芯から温める健康促進効果が期待できるので、その日の体調によって選ぶとよいでしょう。

出典
経済産業省 資源エネルギー庁 省エネポータルサイト 無理のない省エネ節約 風呂・トイレ

執筆者:FINANCIAL FIELD編集部
ファイナンシャルプランナー
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覚えておいてほしい、クレジットカードを不正に利用されてしまった時の対処方法

覚えておいてほしい、クレジットカードを不正に利用されてしまった時の対処方法
8/30(金) INTERNET Watch

3Dセキュアやモニタリングによる不正検知など、クレジットカード会社は不正利用を防ぐさまざまな対策を講じています。
しかし、手口が巧妙化するにつれて、いつか被害に巻き込まれてしまうことがあるかもしれません。

 そこで今回は、万が一クレジットカードの不正利用が疑われる場面に遭遇した場合、どのように対処したら良いのかについて解説します。

■ まずはセルフチェック、分からないときは迷わず問い合わせを!

 ユーザーがクレジットカードの不正利用に気付くタイミングは、利用明細が手元に届くなど利用履歴を確認する瞬間がもっとも多いようです。
「利用日に心当たりがない」「知らない店舗での利用がある」「海外に渡航していないのに海外での利用がある」など、きっかけはさまざまです。
こうした身に覚えのない履歴を発見した場合、被害の拡大を防ぐ意味でも迅速な対応が重要になります。

 身に覚えのない履歴を発見したときは、クレジットカード会社に連絡する前に、まずは下記のような、よくある不正利用の誤認ケースに当てはまっていないか、セルフチェックしてみてください。
実は勘違いで正規の利用だったなら、それはそれで安心できます。
このようなセルフチェックのポイントは、クレジットカード会社のウェブサイトで掲載していることも多いので、ご利用のカードに応じて参照してみてください。

よくある「身に覚えのない」ケースと勘違いしやすいポイント

●利用日に心当たりがない!
実際に利用(購入)した日付と利用明細書に記載されている日付が異なることもあります。

●海外に渡航していないのに海外での利用がある!
オンラインでの利用の場合、請求会社が海外の可能性もあります。

●知らない店舗での利用がある!
実際の利用店舗名ではなく、商業施設や運営会社の名称が表記される場合もあります。
また、加盟店がスマートフォンやタブレット端末で決済した場合、実際の利用店舗名とは 異なる名称が表記される場合もあります。

●家族カードの利用履歴がある!
基本的に家族カードによる利用も本会員の明細に記載されます。

 セルフチェックをしていただいたうえで、やはり不正利用が疑われる、という場合には、早急にクレジットカード会社の担当窓口に連絡しましょう。

 連絡を受けたクレジットカード会社は基本的な対応として、まず該当の取引について確認を行います。
最近では、ユーザーからの問い合わせを受ける前にカード会社側で不信な取引を検知できていることも多く、例えばアメリカン・エキスプレスでは、ほとんどの不正利用をお問い合わせをいただく前に検知しています。

 実際に、不正利用と確認された場合には、該当するカードの利用を停止して再発行の手配を行います。
また同時に不正利用の内容を確認して、その請求を差し止めます。
再発行されたカードは通常1週間程度で受け取ることができますが、カード番号も変更されますので、公共料金など定期的な支払いにクレジットカードを利用している場合には注意が必要です。

 クレジットカードの利用停止や再発行には一定の手間や時間が取られるものですが、不正利用が疑われる中で、問い合わせを躊躇した結果、被害の拡大につながってしまう可能性も否定できません。
適正な取引を判断するためのチェックポイントを抑えていただき、少しでも気になる取引を発見した場合は、クレジットカード会社へ問い合わせることをお勧めします。

 また、クレジットカードの不正利用は詐欺罪や窃盗罪などに問われる可能性のある犯罪です。
そのため、カード会社では、カード会員に警察への被害届提出を要請する場合もあります。
警察へ被害届を提出しなければ補償が受けられないこともあります。

■ 不正利用の被害は補償される

 原則として、クレジットカードの不正利用による被害は補償されます。
つまり、クレジットカード会社による調査の結果、不正利用の事実が確認されれば、請求が取り下げられ、既に支払った後であれば返金手続きが行われます。

 補償制度はクレジットカード会社によって異なりますが、次にあげるようなケースでは不正利用の被害が補償されないこともあるため、注意が必要です。


ユーザーの故意、または重大な過失によって不正利用が発生した場合

 故意にクレジットカード情報を他者に教えた、暗証番号やワンタイムパスワードを教えた、クレジットカードを放置したなど、管理に明らかな問題がある場合には補償の対象外になることがあります。

補償期間外に発生した損害

 多くのクレジットカード会社では補償に期限を設けています。アメリカン・エキスプレスでは不正利用の届出から遡って60日以内となっています。

会員規約に違反する使用

 クレジットカードを他人に貸すなど会員規約に違反したことで発生した不正利用は、被害を補償しません。

■ 不正利用を確認するためにユーザーができること

 不正利用に対する補償期間を規定しているクレジットカード会社が多いため、不正利用の発見が遅れると被害を補償してもらえない場合があります。
週に1度など定期的に利用明細を確認し、店舗での利用であればクレジットカードの利用控えやレシート、非対面であればメールなどの利用情報と照らし合わせて確認する習慣をつけることが大切です。
最近は各クレジットカード会社がアプリなどを通して、簡単に利用明細を確認できるようになっています。
アメリカン・エキスプレスのモバイルアプリでも、決済が完了したものについては即座に利用履歴に反映され確認できるようになっています。

 利用明細を確認した際に、もし利用日と請求日の日付が異なっていることがあれば要注意です。もし実際にカードを利用した店舗と請求者の名称が異なっていても、利用控えなどに請求者の名称が記載されているはずなので、利用明細に記載されている請求が正しいかどうかを確認できます。

 家族カードを発行している場合には、定期的にご家族の方と利用状況について確認するように心がけることが大切です。

 法人カードの場合、ユーザーである社員と利用明細を確認する担当者が異なるケースも多く、不正利用の発見が遅れてしまうことがあります。
ユーザーはいつ、どこで、いくら利用したかの記録をきちんと残しておく習慣をつけ、利用明細を確認する担当者はかならず請求の証拠となるレシートなどを確認するようにしてください。

 なお、クレジットカード会社の検知システムによって、不正利用が疑われる取引があった場合にはSMS等を通じてユーザーに連絡をすることがあります。
常に最新の連絡先をクレジットカード会社に登録しておくと良いでしょう。

■ 加盟店、そしてクレジットカード会社も不正利用対策を強化している

  クレジットカードの不正利用は、ユーザーだけが被害に遭うわけではありません。
偽造カードや不正に入手したクレジットカード情報で商品を購入されてしまう加盟店も損害を被ることがあります。
これまで加盟店は不正利用の被害に遭っても、損害を補償されていませんでした。
しかし、現在では3Dセキュアなどの対策をきちんと導入していれば、加盟店の被害も補償されるように変わりつつあります。

 また、クレジットカード会社でも、モニタリングによる不正検知機能を充実させることで、不審な利用の検知率が向上しています。
クレジットカードを不正利用される前に不審な取引を検知できれば、被害を最小限に抑えることに繋がるでしょう。

 今後ますますクレジットカードの利用者は増え続け、利用シーンも拡大することが予想されます。
これまで計4回にわたってご紹介してきた不正利用の動向や対応策などを参考にしていただき、ユーザーの方には万が一の場合に対応できる仕組みがあることを知っていただいた上で、ご自身でできる防止策などにも少し意識を向けていただけると、より安全にクレジットカードを利用いただけると思います。
クレジットカード会社も、加盟店と一体となり、不正利用されないための仕組みや最新のセキュリティ機能を導入するなどで、皆さんが安心してクレジットカードを利用できる環境を推進してまいります。

INTERNET Watch,
朝比奈 孝弘(アメリカン・エキスプレス フロード リスク マネジメント)
posted by 小だぬき at 12:16 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月31日

巨大台風が招く「気象病」…怖いのは風雨だけじゃない

巨大台風が招く「気象病」…怖いのは風雨だけじゃない
8/30(金) 日刊ゲンダイDIGITAL

気圧の急激な低下はさまざまな不調を招く

 巨大台風10号の接近・上陸で日本列島は大騒ぎだ。
中心気圧935ヘクトパスカルは統計史上最強クラス。
上陸後、やや勢力は衰えたものの、進路にあたる地域では猛烈な風雨による被害が懸念されている。

週末は列島大荒れ予報

 しかし、台風が怖いのは風雨だけではない。台風接近に伴う気圧の急激な低下はさまざまな不調を招く。
いわゆる「気象病」だ。

弘邦医院の林雅之院長が言う。
気象病とは、気圧差、寒暖差、湿度によって引き起こされる不調のことですが、台風による気象病は気圧差が最も大きな要因です。
頭痛、耳鳴り、めまい、倦怠感、消化器不調や古傷の痛み、スマホやパソコンなどを続けて普段から首凝りや肩凝りを自覚している人は症状がひどくなったりします。
うつ症状などメンタル面にも影響します

 人間の体で最も気圧の変化をとらえるのは耳の奥にある内耳。
不順な天候や台風などで気圧の急変が内耳から脳に伝えられ、血圧や脈などを自動調整する自律神経が過剰に反応する。
結果、本来のバランスが崩れて、不調を引き起こす。

「気象病は女性に多いと言われますが、それは生理でホルモンバランスが崩れやすく、自律神経が乱れやすいからです。
実際、月経前症候群の女性は症状が重くなりがちといわれ、生理と気象病が重なるようだと注意が必要です」

 そもそも気圧とは空気の押す力のこと。
普段は意識しないが、地上の人間は空気により普段15トンの力がかかっているとされる。
気圧が1ヘクトパスカル低下すると海面が1センチ上昇するとされ、体内の60%が水分の人間の体にも気圧変化は大きな影響を及ぼす。

 通常の地上の気圧は1013ヘクトパスカル程度だが、台風の接近により12〜24時間で通常の気圧から20〜30ヘクトパスカル低下する場合も少なくない。

「高い空を飛ぶ飛行機内でお菓子の袋がパンパンに膨らむのを見ることがあるでしょう。
それと同じで気圧が急激に下がると体は膨張します。
気圧の低下が大きいということは膨らみがより大きくなるということです。
このとき体液の分布も変わり、体がむくむ。
血管の外側に体液が溜まり、血管内では血流障害が起きやすくなります」

■改善には漢方薬を飲んで体を動かす

 気象病は自律神経が乱れやすい人がかかりやすいため、本来は時間をかけて生活習慣や食事などを改善することが必要だ。
しかし、すぐに気象病に備えたい人、短期で症状を改善したい人は、まずは耳の血流を改善するストレッチがおすすめだ。

「痛みの出ない範囲で、両側の耳たぶを横に引っ張って離したり、つかんだ耳たぶを前後に回したりすることで耳の血流を改善するのもひとつの方法です」

 むろん、全身の血流を改善するため意識して体を動かすこともプラス。
手足のグーパーを繰り返したり、軽いストレッチをしたり、第二の心臓と言われるふくらはぎのマッサージも手だという。

「気象病の人はリラックスモードである副交感神経が優位になっていて、『動きたくない』という気持ちになっています。
意識して動いて刺激することで交感神経を元の状態に戻すことはメンタル的にも良いと思います」

 なお、低気圧の気象病には、体内の水分バランスを整える、漢方薬の五苓散が頻用されている。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする