2024年08月07日

「平和宣言」【全文】「希望を胸に行動し、核抑止力に依存する為政者に政策転換を」広島市長・松井一実

「平和宣言」【全文】「希望を胸に行動し、核抑止力に依存する為政者に政策転換を」広島市長・松井一実
2024年8月6日 テレビ新広島

平和宣言

皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。
また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。
ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。
こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。
こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。
不可能ではないでしょうか。

平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。

戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。
この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。

また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。

1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。
かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。
このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。

皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。
そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。

争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。
そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。


昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。
これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。
世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。
そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。

NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。
同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。
さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。
また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。

令和6年(2024年)8月6日
広島市長 松井 一實


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国連グテーレス事務総長挨拶【全文】「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」

国連グテーレス事務総長挨拶【全文】
「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」
8/6(火) 広島ニュースTSS


広島平和記念式典に寄せる国連事務総長挨拶 
代読:国連軍縮担当上級代表 中満泉

79年前の8月6日、1発の原子爆弾によって、この街は破壊されました。
あの日の恐怖が二度と繰り返されぬよう、世界は思いを一つに、あらゆる努力をしなくてはなりません。

この式典は、核兵器の惨劇に完全な終止符を打つべく、より一層の覚悟を持つ場なのです。

核兵器、そしてその使用の威嚇は、歴史の教科書上だけの話ではありません。

これらは現実の国際関係において、日常的なレトリックとして再び姿を現しています。

これらは私たちにとって、今まさに、現実世界で起きている脅威なのです。

このことは紛れもない事実です。

かつて、私たちを軍縮と平和に向け、集団的な努力に導いた広島の教訓が、今や隅に追いやられつつあるのです。

しかし、ここ広島では、核兵器のもたらす真の代償、そして真の愚かさについて、至る所で気づかされます。

私たちは記念碑を前に、被爆者の方々の言葉に耳を傾けます。
そうすることで、今後も絶えず、この追悼の式が毎年行われていくことの意義を確信出来るのです。

広島の皆さまは、何十年にもわたって、核兵器が二度と使用されぬよう、たゆまぬ活動を続けてこられました。

私たち国連は、皆さまが献身的に活動を続ける姿に感銘を受け、1945 年の惨事から学んだ教訓を、生かし続けなくてはならないと、痛感しています。

核兵器のいかなる使用も、壊滅的な人道的結末をもたらすということ。

核兵器の脅威をなくす唯一の道は、核兵器の完全な廃絶であるということ。

核兵器のいかなる使用も容認できないということ。

「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」ということ。

そして今こそ、軍縮が必要だということ。

昨今、世界的な不信と分断は深まる一方です。

核戦争を起こさずに冷戦を終わらせることができたのは、単なる幸運に過ぎなかったという事実に、あまりにも多くの人が気づいていません。

私たちは、同じような「運試し」をすることはできません。

しかし無謀にも、一部の人々が再び、核による威嚇を行っています。

世界は声を一つに、この決して容認できない行為を非難しなければなりません。

そして私たちは、軍縮を実現するための、新たな解決策を見つけなければなりません。

来月ニューヨークで開催される「未来サミット」は、各国が、多国間主義、持続可能な開発、そして平和に向けた取り組みを今一度新たにし、実行可能で将来を見据えた「未来のための協定」を採択する重要な機会となります。

紛争防止、軍縮、そして核兵器のない世界の実現は、これらの取り組みの中心に据えられなくてはなりません。

国連はこれからも絶えず、広島の人々、そして被爆者の皆様とともに歩み続けます。

私たちは 1945 年 8月 6日の教訓を、決して忘れません。

ノーモア・ヒロシマ。ノーモア・ナガサキ。


2024年(令和6年)8月6日

国際連合事務総長 アントニオ・グテーレス

広島ニュースTSS
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