森永卓郎「もうすぐ死ぬ人は、何でもやれる
」ステージ4末期がんでも100m走者のように全力疾走できるワケ
2024年08月18日 PRESIDENT Online
■思わず唖然……テレビ局社員が放った言葉
いまやる、すぐやる、好きなようにやる。それが、社会に出てから44年間、貫いてきた私の信条です。
周りに忖度(そんたく)せずに、自分が正しいと思うこと、好きなことをする。
私はお金を稼ぐ手段というよりも、「遊び」に近い感覚で仕事に取り組んできました。
だからかもしれません。末期がんを宣告されたいま、やり残したことはほとんどないと言い切れるのは――。
「来年の桜は見られないと思います」
昨年11月23日、私にステージ4の末期がんの疑いがかかりました。
ただ当初は自覚症状がまったくなかったので、自分ごととして受け止められませんでした。
専門医にセカンドオピニオンを求めましたが、2人とも同じ見立て。
その後、年末にがんが確定し、抗がん剤治療で体調が一気に悪化しました。
考えられない。しゃべれない。飲めない。食べられない……。
朦朧(もうろう)とするなか、はっきりと死を意識しました。
がん宣告を受けた多くの人が延命を望み、長らえた時間でおいしい物を食べたり、旅行に出かけたりしたがるそうです。
しかし死を意識した私にそうした欲求は一切わきませんでした。
その代わり真っ先に、何が何でも未完成の新著を刊行し、真実を世に問わなければ、と強く思ったのです。
運良く「気付薬」のような点滴が効き思考能力が戻り、会話ができるようになると、息子に口述筆記してもらいました。
完成した『書いてはいけない』で、私は「ジャニーズの性加害」「財務省のカルト的な財政緊縮主義による国民の洗脳」、そして「日本航空123便墜落事故の闇」という日本の3つのタブーに切り込みました。
私がメディアに出演しはじめて四半世紀が経ちます。
私はコメンテーターの役割を「本当のことを言うこと」と受け止め、仕事をしてきました。
しかし現場では政権やテレビ局に都合がよく聞こえのいい発言をする識者が重宝されます。
逆に、本当のことを言えば、疎まれ、干されてしまう場合もあります。
近年、この傾向が顕著になってきました。
2〜3年前ですが、あるテレビ局のプロデューサーに「本当のことを言うコメンテーターは使わない」と直接言われ、唖然(あぜん)とした覚えがあります。
実際、本当のことを書いた『書いてはいけない』は、発売3カ月で24万部を超えるベストセラーになったにもかかわらず、大手メディアからは軒並み無視されました。
それでも私が本当のことを言い続ける原点は、毎日新聞の記者だった父の存在です。
私が大学生だった1977年に、毎日新聞が事実上倒産し、父は退職しました。
失業後、生活が一気に苦しくなった。そんな時期に父に大きな仕事が舞い込んできました。
世界的に有名な作家の作品の翻訳を依頼されたのです。
大金が転がり込んでくる。これで貧乏から脱却できる。家族みんながホッとしましたが、ぬか喜びに終わりました。
父が編集方針で出版社と対立して話が流れてしまったのです。
父は何カ月もかけた手書きの原稿用紙の束を焼却炉に放り込むという暴挙に出ました。
隣で原稿が燃える様を見ながら私は、父はお金よりも自分の信念や正義に従って、正しく生きようとしているのだろうと感じたのです。
そんな父の姿に私は影響を受けたのでしょう。
■年収3000万円で“悪行”に勤しんだ過去
しかし残念ながら、信念を貫き通せたわけではありません。
いま声を大にして「お金よりも正義」と訴えるのは、悪行を続けた反動でもあるんです。
私は銀行の子会社のシンクタンクで長く働きました。
年収は3000万円近く。まともな仕事をしていては、そんな大金を稼げるわけがありません。
ロクでもない仕事のほうが給料が高いのが、世の中の大原則です。
たとえば、特定の産業の利益になるようなレポートを書いたり、クライアントの望む結果をあたかも予測モデルから算出されたようにシミュレーションするような悪行に手を染めてきました。
原発を推進する講演を行って、一度で100万円のギャラをもらった経験もあります。
さすがにそれは反省してすぐに手を引きましたが……。
このままではいけないとはわかりつつ、何度煮え湯を飲まされても歯を食いしばってガマンしてきたのは、子育てにお金が必要だったからです。
そして二十数年前、子供たちが成人してシンクタンクを辞めました。
ようやく足かせから解き放たれ、お金より正しさを優先できる状況になりました。
もちろんその信念はがんを宣告されても変わりません。
いえ、死が間近に迫り、ただでさえ外れかけていたタガが、完全に外れました。
健康だったときは、マラソンを走る感覚で仕事をしていました。
マラソン走者はペース配分を考えたり、水分補給のタイミングを意識したりしなければなりません。
しかし余命宣告後は100メートル走のランナーになったような感覚で仕事に取り組んでいます。
短距離走者は、余計なことを考えず走ることだけに集中します。
それと同じで、残された短い時間で、やりたいことを好きなようにやるぞという心境です。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。
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森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授