2024年09月30日

紀州ドン・ファン殺人事件に『ロス疑惑事件』の二の舞懸念 元木昌彦氏が検察側に指摘

紀州ドン・ファン殺人事件に『ロス疑惑事件』の二の舞懸念 元木昌彦氏が検察側に指摘
2024年09月30日 日刊ゲンダイDIGITAL

【元木昌彦 週刊誌からみた「ニッポンの後退」】

「これは完全犯罪だ」
 紀州ドン・ファン殺人事件の初公判の冒頭陳述で、検察側はそう主張した。

 つまり、自白も物的証拠もないが、状況証拠から鑑みて、須藤早貴被告(28)が犯人に違いないと考えられるから、裁判員の皆さんは我々の苦しい胸中を察して、何とか被告を有罪にしてくださいと“懇願”したように、私には思える。

 事件は2018年5月24日に起きた。
「紀州のドン・ファン」と呼ばれていた資産家で好色だった77歳の野崎幸助が、和歌山県田辺市の自宅で急性覚醒剤中毒のために亡くなった。

 家にいたのは、資産目当てに野崎と結婚した須藤(当時22)だけだった。

 警察は事件当初から、須藤を“本ボシ”と見て、野崎が飲んだビールグラスやビール瓶、覚醒剤の入手先などを徹底的に調べ、事件当日、外出していたお手伝い、野崎の会社の従業員全員、取引先などを聴取した。

 また、須藤が結婚後に和歌山に住むことを拒み、野崎は周囲に「離婚したい」と漏らしていた“事実”。
その後、離婚届を須藤に送っていたこともつかんだ。

 須藤は、結婚直後の2月に、ネットで「完全犯罪」という言葉を検索。

 離婚届が送られてきてからは、「薬物」「老人 死亡」などのキーワードで検索していたことも判明している。

 覚醒剤についても、須藤は、「覚醒剤 過剰摂取」などの言葉を検索し、4月7日には密売サイトを通じて致死量の3倍もの3グラム以上を注文していたこともつかんだ。

 2人だけの密室。動機は数十億ともいわれる資産欲しさ。
すべての「状況証拠」は、犯人が須藤早貴だということを指し示しているようだが、覚醒剤は発見されていない。

 事件から3年が経った21年4月、殺人罪などの容疑で須藤は逮捕、その後起訴された。
だが、黙秘しているため、悪名高い「人質司法」によって3年以上保釈は認められていない。

 12月12日に和歌山地裁で判決が出るそうだが、状況証拠だけで有罪にできるものなのだろうか?
 それで思い出すのは週刊文春が連続追及して話題になった三浦和義の「ロス疑惑事件」である。

 妻に多額の保険金をかけて殺したのではないか。
1985年、メディアが大騒ぎしたためもあって、警視庁は三浦を逮捕・起訴した。
状況証拠だけで有力な物証も自白もなかったのに1審は有罪。
私は週刊現代の編集長だったが、2審判決の前に、「状況証拠だけでは無罪」と誌面で主張し、その通りに逆転無罪判決。
最高裁まで持ち込まれたが、2003年に無罪が確定した。

 須藤は、札幌市の男性(当時61)から約2980万円を詐取した件でも訴えられているが、「私の体を弄ぶために払ったと思う」と、カネを受け取ったことは認めている。

 須藤が体を武器に、男たちからカネを巻き上げてきた“性悪”であることは間違いない。
数十億といわれた資産目当てに野崎と結婚したが、離婚するといわれて殺しを計画したという“推理”も成り立たないわけではない。

 しかし、須藤の弁護士が冒頭陳述でこう述べている。

「あやしいから、やっているに違いない。もしそう思ってしまうなら結論が決まり、この裁判をやる意味はありません」

「疑わしきは罰せず」は刑事訴訟の基本原則である。
検察は裁判員たちの情に訴えるのではなく、確たる証拠を示して有罪判決を勝ち取るべきであることは言うまでもない。 (文中敬称略)

(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)
posted by 小だぬき at 10:39 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コメ不足をもたらした、日本の「マクロ的」な大問題…「自給率を上げよ」で解決するはずがない理由

コメ不足をもたらした、日本の「マクロ的」な大問題…「自給率を上げよ」で解決するはずがない理由
9/28(土) ニューズウィーク日本版

<コメ不足の背景には、天候や需要の急拡大といった一時的な要因だけでなく、日本人にとってコメがもはや高級品になりつつあるなどの大きな変化もあった>【加谷珪一(経済評論家)】
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今年の夏以降、コメ不足が顕著となっており、一時は小売店の棚から商品が消えるという事態にまで発展した。
政府は天候不順やインバウンドの増加による需要拡大が原因であり、新米の出荷が始まれば品薄は解消されると説明していたが、新米の出荷が始まっても品薄は改善せず、商品が棚に並んでも価格が大幅に高くなるなど、市場の混乱が続いている。

近年、コメに限らず多くの食品が品薄になったり、価格が高騰するケースが相次いでいるが、こうした現象が発生するたびに、一時的な要因なので消費者は冷静に対応する必要があるといった指摘が行われる。

だが一時的、偶発的要因で多くの商品が次々と品薄になったり、価格が高騰することはあり得ない。
こうした現象の背後には、ほぼ確実にマクロ的な要因が存在していると考えるべきだ。

コメについていえば、天候不順によって生産が減ったことや、インバウンドの増加で外国人向け消費が拡大したのは事実である。
だがそれだけの理由で、スーパーの棚から商品が消えたり、新米価格が1.3〜1.5倍に急騰するのは不自然である。

コメ不足と価格高騰の最大の理由は、日本人がコメを食べなくなり、市場が縮小して価格変動(ボラティリティー)が拡大したことである。

■現代の日本人にとって、もはやコメは高級品に

コメの需給や価格について政府が厳密に管理する食糧管理制度(いわゆる食管制度)は1995年に廃止されたものの、引き続き政府はコメの需給や価格について一定の管理を行っている。

需要が減るなかで生産量を維持すれば値崩れするので、政府は生産量を調整する減反を実施してきた。
制度としての減反も2017年度に終わっているが、補助金などを通じて生産量を調整する仕組みは現在も存続しており、コメの生産量は年々減っている。

経済学的に見ると、規模が縮小する市場では、生産量や需要にごくわずかな変化が生じただけでも商品価格が激しく上下変動する(ボラティリティーが高くなる)。
備蓄米を放出しないなど政府の運用に問題はあるが、日本人がコメを食べなくなっている以上、市場が小さくなるのは当然であり、単価を上げなければ農家も経営を維持できない。

コメを食べなくなったのは嗜好の変化だけでなく、経済的要因も無視できない。
コメを小売店で購入し、自宅でといでおいしく炊き上げるには、相応の手間と設備が必要であり、生活に追われる低所得層はこうした生活を享受することが難しくなっている。

つまり、おいしいご飯を炊くには一定以上の経済力が必要であり、今の日本においてコメはもはや高級品となりつつあるのが実情だ。

■「自給率を上げよ」「コメを守れ」で問題は解決しない

今回のコメ不足をきっかけに、「自給率を上げよ」「コメを守れ」という勇ましい意見も出ているが、そもそも日本人がコメを食べなくなっている(食べられなくなっている)のに、自給率を上げて市場を拡大するのは至難の業である。

コメ以外の食品についても、世界的な人口増加と経済拡大に生産が追い付いていないという現実が背景にあり、もはや食料品は全世界的な争奪戦となっている。
一連の問題は自給率の低下といった単純な話ではなく、国家全体の購買力に関わる問題であり、日本経済が本格回復しない限り、慢性的なモノ不足が続く可能性がある。


posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする