「クリスマスも正月も祝う」日本の不思議な価値観
神道、仏教、キリスト教と受け入れられた背景
宇野 仙 : 駿台予備校地理科講師
2024/12/26 東洋経済オンライン
日本史と地理は、別々の科目として学びますが、多くの接点があります。
『日本史と地理は同時に学べ!』を上梓した駿台予備校地理科講師の宇野仙氏が日本で多様な宗教が受け入れられている背景を解説します。
多様な宗教が生活に根付く
多くの日本人は、年末年始にキリスト教の行事であるクリスマスを祝います。
テレビでは「クリスマス特番!」と題し、クリスマスプレゼントを渡し合う光景が流れます。
その数日後の正月になると、今度は神社に「初詣」という形でお参りに行きます。
「神様、今年も良い年でありますように」と祈るわけです。
一方で、葬式の際にはお坊さんを呼び、お寺にお墓を作ってもらう人がほとんどです。
もっと言うのであれば、「結婚」と聞くと多くの日本人は「ウェディングドレスを着て教会で式を挙げる」イメージを抱くのではないでしょうか。
教会で式を挙げるのも、クリスマスと同じくキリスト教の文化ですよね。
日本人の日常生活には、なぜたくさんの宗教が受け入れられているのでしょうか?
地理と日本史の両方の観点から、このような不思議な状況が発生することになった原因をお話ししていきたいと思います。
そもそも、宗教はどのようにして生まれ、どうして人々の間で信仰されるようになったのでしょうか?
いちばんの要因として挙げられるのは、共同体を維持するうえで有効だからです。
人口が増えると、人々が仲良く暮らす必要性が自然と高まります。
例えば、飢えで苦しんでいる人がいるとしましょう。そして、その人の前をちょうど通りかかったあなたの手には、パンがあります。あなたもお腹が空いているので、自分のパンを分け与えるかどうか少し悩みます。
そんなときに、神様を信じている人であれば、パンを分け与える選択を取りやすいでしょう。
「もし死後の世界があったとして、『あのとき、どうしてあの人を助けなかったのだ?』と聞かれたらどうしよう」と思えば、自分のパンを分け与える選択をするわけです。
神様を信じていれば、人々は助け合うことができるようになる。
だから宗教は、国を統治するために必要なものとして機能します。
これが、全世界的に宗教が発生し、それが広まった理由なのではないかと言われています。
稲作文化の日本でも宗教は不可欠
日本においても、宗教は不可欠でした。日本は稲作文化なので、共同で農業をする必要があり、手と手を取り合って稲作を行わないと、全国民が飢えてしまうリスクがあったのです。
米は栄養価が高く、非常に優れた食糧です。一方で、戦乱の元になってしまうリスクが大きい食糧であるとも言えます。
また、川から水を引いて稲作をするためには、大規模な灌漑工事や関係者の利害調整のコミュニケーションが必須になります。
水源や水路を決めなければなりませんし、上流で水を取りすぎてしまうと下流でなかなか取れなくなってしまうので、場所ごとに引く水の量に対する取り決めを設けることも必要です。
水路の整備に付随する作業を滞りなく進めるには、全体の指揮を執るリーダーの存在が不可欠です。
リーダーの指揮のもと、灌漑工事をしたり、水の配分を決めたりする必要が生まれたことが、身分の差をつくることにつながった1つの要因ではないかとされています。
そして、そうしたリーダーの誕生や身分の差は、不満や怒りの感情を生みやすいため、当然ながら戦乱をもたらすことになります。
稲作文化がある中国やインドでも同様の現象は発生していたのですが、日本の場合は特に顕著でした。
日本は、山の多い地形で、川もほかの国に比べて多くの急流があります。
急流である分、灌漑の整備も大規模になりがちです。
また、山が多いということは平地も少なく、農業に適した土地と、そうでない土地で差が出てしまいます。
そうすると、農業に適した土地を人々の間で奪い合う状況が発生するわけです。
それが、日本の数々の騒乱につながった、と考えられます。
そしてそんな日本において、宗教は必要不可欠なものだったと考えられます。
さて、そもそも昔から日本人の多くは、日本古来の考え方であり八百万の神を祀る「神道」と、ブッダを開祖として輪廻転生と解脱を説く宗教である「仏教」の2つを同時に信仰していました。
このような状況が発生したのは、6世紀のこと。大陸から伝えられた仏教の扱いをめぐり、当時の日本の有力者の意見は2つに分かれました。「仏教を広めるべきだ」という蘇我氏と、「広めるべきではない」という物部氏の対立です。
神道も仏教も日本の統治に必要だった
この対立こそ、いわゆる「崇仏論争」と呼ばれる争いです。
最終的には蘇我氏が勝利し、先にも触れた通り、現在の仏教と神道が結び付いた日本の不思議な宗教観になったというわけです。
神道と仏教は、両方とも日本の統治に向いていました。
神道は、天皇の威光を示すために必要でした。
そして、人々が規律を守って生きるために、「不殺生(生き物を殺してはならない)」という仏教の考え方も必要だったのです。
このように、必要なもの同士が手を取り合うことで、現在の日本の独特の宗教観が形成されたと考えることができます。
少し時代が飛んで、戦国時代から江戸時代にかけて、今度はキリスト教が日本に到来しました。
イエズス会のフランシスコ・ザビエルをはじめとして、宣教師たちによってキリスト教が広められたのです。
ところが、キリスト教の場合、仏教とは違って神道と融合することはありませんでした。
神道だけでなく、キリスト教は仏教とも融合していません。
その理由は、いろいろと考えられますが、有力な説としては、「仏教と神道が共に多神教なのに対して、キリスト教は一神教だった」ということです。
仏教も、神道も、複数の神様を信仰しています。日本において仏教と神道、ともに信じる人が多かった理由の1つは、「(多神教であるため)仏教を信じるからと言って、神道を捨てることにはならなかったから」と考えられるのです。
それができたからこそ、仏教と神道は両方日本で受け入れられてきたわけです。
1つの神を信じるキリスト教
ところが、キリスト教を信じることは、複数の神様ではなく、1つの神様のみを信じなければならないことを意味します。
つまり、神道や仏教は捨てなければならないということです。
そのため、キリスト教は日本の宗教との融合は進まなかったと言われています。
しかし、逆に言えば、日本人は多様な宗教を受け入れてきたからからこそ、同時に「キリスト教も受け入れる」ということができたのではないかと言われています。
今、キリスト教のしきたりも日本人の文化として受け入れられているのは、こうした理由からなのではないかとされています。
いかがでしょうか? 年末年始のシーズンは、さまざまな宗教に触れることが多い時期です。
こんな時期だからこそぜひ、改めて歴史を学んでみてもいいのではないでしょうか。
宇野 仙 駿台予備校地理科講師