2025年01月01日

新年のスタート

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新年のスタート
今年、年男の72歳になる小だぬき。
本年もよろしくお願い致します。

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2025年01月02日

箱根駅伝を往復ボーっと観る人は危ない…和田秀樹「テレビ視聴パターンでわかる脳がヨボヨボになる人の特徴」

箱根駅伝を往復ボーっと観る人は危ない…和田秀樹「テレビ視聴パターンでわかる脳がヨボヨボになる人の特徴」
2025年01月02日 PRESIDENT Onli

■テレビは脳の老化を速める「老化促進マシーン」

テレビの見方には、注意が必要です。

テレビはちょっとでも悪いことをした人をまるごと人格否定して、「いい人/悪い人」の二元論的な価値観を視聴者に押し付ける傾向があります。それこそボーッとテレビを見続けていたら、そうした押し付けによって思考力が低下し、前頭葉が劣化して心身の老化が進行してしまう恐れがあります。


特に、ワイドショーを見てコメンテーターたちの言うことに「そうだそうだ!」なんて言っている人は、うつになりやすい思考パターンを持っていると言えます。


年末年始の特番を見続けるのも禁物です。テレビの前に座るのが習慣になり、実はその時間何もしていないのに、“何かをしたような”気になってしまう。正月2日3日と、箱根駅伝の往路復路をテレビで完全制覇したとしても、自分自身はこたつの中で暖まっているだけでしかない。


その意味では、テレビは脳の老化を速める「老化促進マシーン」であると言っても過言ではないのです。

そこで、もしもワイドショーを見るのなら、コメンテーターの一人になったつもりで、叩かれている側を擁護してみるとか、他のコメンテーターに“反論”してみるのが、メンタル的にも脳科学的にもお勧めの「テレビの見方」です。

■「それは本当だろうか?」と常に考え脳を活性化させる

ある意見に反論するとは、どういうことか。

反論するためには相手の言うことをそのまま鵜吞みにせず、「この人たちはこう言っているけれども、それは本当だろうか?」と疑う力が必要になります。
「どの部分がおかしいと思うのか」と考え、「実際はどうなのか」と調べてみる。
こうした作業が前頭葉を活性化させるのです。

また、どんな罪を犯した人でも、そこに至った理由があるはずです。
もちろん犯罪そのものは許されるものではありませんが、その背景には成育環境の影響もあるかもしれませんし、複雑な事情があるのかもしれません。

しかし、「こいつだけは許せない」「こんな悪人は人間ではない」という硬直した見方を続けていると、それ以上は思考停止して何も考えられなくなってしまいます。

一見わかりやすいレッテルや決めつけ、また脳にとってラクな考え方に流されるのではなく、常に意識して疑い、考えを巡らせ、問いかけてみる。
それこそが自分自身の老化の進行を食い止め、うつ的な思考に陥るのを防いでくれるのです。

■「常識」や「当たり前」を疑ってみる

テレビの刷り込みを信じたい人に見てとれるのは、「皆と同じ意見だと安心する」「一人だけ違う意見を持つのは不安」という同調意識です。

それは「常識」と言われるものを重んじて、異端を許さないという同調圧力にもつながります。

しかし本来、人間というのは全員が同じ意見を持つことなどあり得ません。
それなのに「皆と意見を揃えるべきだ」などと考えているとストレスは溜まっていくばかりです。
あまりに強い同調圧力が常に存在している状態はストレスのもとになり、うつ病などの精神疾患にもつながりかねません。

ですから、うつにならないためには、その社会で「常識」とか「当たり前」とされるものを疑ってみることも大事です。

本書(『50代うつよけレッスン』)で詳述した、注意すべき「12の不適応思考」の「かくあるべし思考」を思い出してください。「〜すべきである」「〜しなければならない」といった道徳的な考えに強く縛られる思考パターン、いわゆるそれが、常識に囚われた生き方です。
まずはその常識を、疑ってみる。疑うことで、自分の思考が次第に解放されていくのを実感してみましょう。

■常識から解放されるためにするべきこと

年をとれば常識から解放されるかといえば、そうとも限りません。

一部では、いまだに年老いた親を介護施設に預けることを良しとしない50代の人たちもいますが、「育ててもらったから」という義務感や「年老いた親を介護施設に預けるのはかわいそう」といった感情論で介護を引き受けた結果、その重圧で苦しんでいる人は少なくありません。

症状の軽いうちはまだ何とか対応できても、重症化すると義務感や感情論だけでは親を支え切れなくなり、介護負担が増えるにつれて共倒れになってしまうケースもあります。
お互いに助け合える親族が多いならまだしも、そうでないなら介護施設を利用することは、けっして悪いことではないはずです。

それに、一口に介護施設と言ってもいろいろあります。
入居条件や施設の中身、費用などはまったく違いますが、たとえば、生活保護を受給している方であっても老人ホームに入ることは可能です。

公的機関や社会福祉法人が運営する特別養護老人ホーム(特養)、また条件によっては民間が運営する有料老人ホームに入居できるケースもあります。
事前にケースワーカーや入居希望の施設に入居条件をきちんと確認しておく必要がありますが、「生活保護だから、老人ホームには入れない」と思い込まずに、まずは調べてみることが大事です。

このように、事前に知っておいたほうがいい情報はたくさんあるのです。
常識から解放されるためにも、情報調べは有益です。

■テレビの情報番組が本来やるべきこと

そもそも生活費がなくて困っている人は、生活保護を受ける権利があります。

先日、某ワイドショーで、昨今の物価高によって貯金もなく持ち家もない年金受給者が生活に困窮しているという報道を見ました。

番組では、毎月6万円の年金では生活していくのが苦しいと言っている人を取材していましたが、実は年金を受給している人でも、最低生活水準を満たしていない場合は生活保護を受けることができます。

最低生活費が13万円ぐらいですから、毎月6万円の年金を受給していて他に収入がない場合、差し引いた7万円が生活保護として支給されるのです(ただし、子どもが援助可能と見なされたり働ける状態と判断された場合や、売却して生活費に充てられる財産を保有している場合は支給されません)。

また基本的に医療費も無料になります。本来ならば、テレビの情報番組はこうしたことをきちんと伝えるべきです。
そうなれば、今まさに苦しんでいる人もラクになるでしょう。
年金生活者が物価高にあえいでいるのであれば、その人たちがどうしたら助かるのかを伝えるのが、メディアの役割のはずです。

■最低限の生活が保障されている日本

生活保護は、憲法25条の「生存権」で保障されている国民の権利です。

日本が民主国家であり、先進国である以上は当然の権利ですから、何も恥ずかしいことはありません。
資産や自分の能力を活用しても最低限の生活が維持できないときには、国民は権利の行使として生活保護を利用できるのです。

そもそも消費税が導入されて以来、国に税金を払っていない人はいないはずですから、生活保護を受けることに罪悪感を抱く必要もないのです。

ひょっとしたら、そんな情報を流したら生活保護を受給したい人が増えて国の財政に影響してしまうという圧力がかかっていて、テレビ局が忖度(そんたく)しているのではないかと私は見ています。

とにかく覚えておいていただきたいのは、私たちの住む日本という国は、税金を払っている以上は最低限の生活が保障される国だということです。
ですから、年金が少ない人は堂々と自治体に行って生活保護を申請したらいいのです。

そうすれば、今困っている人ももう少しラクな暮らしができるはずですし、月に一回ぐらいは外食で美味しいものも食べられるはずです。

とにかく、困っているときは一人で何とかしようとせず、周りの人に相談して、助けを求めること。
どんなことにも、何かしらの方法はあります。
常識を疑い、一人ひとりが自分らしく生きていく術を身につけていくことが、50代以降の後半生には肝心です。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医

和田秀樹こころと体のクリニック院長。
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2025年01月03日

「わかっちゃいるけれど、やめられない」習慣の隠れ原因はこの4つ!「脱ダラダラ習慣!1日3分やめるノート」の著者に聞く

「わかっちゃいるけれど、やめられない」習慣の隠れ原因はこの4つ!「脱ダラダラ習慣!1日3分やめるノート」の著者に聞く
1/2(木) たまひよONLINE

今回のテーマは「なかなかやめられない習慣」についてです。
「たまひよ」アプリユーザーに聞いたリアルなエピソードとともに、認知行動療法にくわしい中島美鈴さんにアドバイスを伺いました。

お菓子や漫画、SNSなど、つい手が伸びるものがいっぱいの現代

最初にみんなの「なかなかやめられない習慣」から紹介します。

「マンガがとにかくやめられない。買ってばかりで売らないから貯まる一方…」(びぃばぁ)
「毎日のお菓子」(みい)
「甘いものは控えたいが、それを楽しみに日々頑張れているのでやめられない」(ちーくんまま)
「お菓子のドカ食い」(たけ)
「胃が弱いのに辛い食べ物が大好き過ぎて、やめれない」(caho)
「ネットサーフィンは時間の無駄だとわかっていてもやめられない」(あーと)
「夜更かししてスマホを触って、ネットサーフィンしてしまう」(きゃさりん)
「スマホのゲーム」(ミーママ)
「空いた時間、ずっとYouTubeを観てしまう」(小春)
「ソーシャルメディアのスクロール」(ミミ)
「夜更かししてドラマや映画を観てしまう」(さーやん)
「家だとズボン履くのが億劫で、Tシャツ1枚で過ごしてしまうこと。宅配便などが来た時に毎回焦りながら出ているので、履く習慣をつけたい」(ピヨちゃん)
「爪を噛む癖がやめられません」(あっ)
「どうにもできない将来のことをいろいろ心配してしまう癖」(たまこ)
「1日1回、夫を怒ること」(ころ)

やめたい行動の隠された“動機”について考えてみて

「自分にとってよくない」とわかっているのにやめられないのはなぜでしょうか。
その理由と、どうすればやめたい習慣をやめたり減らしたりできるのか、『脱ダラダラ習慣!1日3分やめるノート』の著者である中島美鈴さんにお聞きしました。

「お菓子にネットにSNSに動画にドラマ…私たちの生活には、楽しいご褒美がたくさんありますよね。人類史上、最も誘惑の多い時代なのではないでしょうか。

ここで『ご褒美』として、これらが私たちの疲れを癒してくれ、リフレッシュにつながるのならば、問題はないわけです。

しかし、『誘惑』でしかなくて、困った結果になるとわかりながらもやめられないようになっているとしたら、もうこれはすでにご褒美ではありません。

付き合い方を考える段階にきているといえるでしょう。

私たちが『自分にとってよくない』とわかりながらも、やめられない習慣があるときには、たいていその悪い結果を上回るほどの『隠れたメリット』があるのだそうです。

たとえば、太るとわかりながらも食べすぎてしまうお菓子を想像してみると、うなずけますね。

やめられない習慣の背景には、その『隠れたメリット(動機)』が4つあると言われています。


1つ目は、そのものが欲しかったとか、それがあると、ある活動が楽しくなるなどの動機です。
おなかが空いているからお菓子を食べている場合が、これに当たります。映画館でポップコーンがあると、さらに楽しく鑑賞できる場合もこれに当たります。

2つ目は、社会的な理由です。
久しぶりに会う友だちとカフェで甘いものを一緒に食べるとより親密になれるのが、それに当たります。
インスタ映えするためにお菓子を注文するのもこの理由によるものです。

3つ目は、現実逃避という動機です。
ストレスフルな1日の終わりにチョコレートケーキをドカ食いすれば、嫌な気持ちから逃げることができますよね。

4つ目は、身体感覚です。
スナック菓子の歯応えは、イライラした気持ちをぶつけるのにいいでしょうし、甘いお菓子は体の緊張を緩めてくれます。

さて、あなたのやめられない習慣には、どんな隠れたメリットがあったでしょうか? 

みなさんがやめたいと考えている習慣は、これらの4つのどれかにあてはまるはずです。このメリットに気づくことができれば、今度は、それ以外の方法でメリットを満たせるように工夫すればいいのです。

つまり、お菓子の代わりに、同じようなメリットをもたらす別のものを見つけるのです。

おなかが空いていた人は、お菓子ではなく栄養のあるご飯を食べればいいでしょうし、友だちと親密になるためには、散歩やランチなど、方法はいろいろあるでしょう。

現実逃避で何も考えられないほど追い込まれた人の中には、筋トレに集中したという人もいれば、カラオケで発散したという人もいます。体の緊張を緩めるのが目的ならマッサージやサウナもいいでしょう。

こうして別の行動に置き換えていくことで、ただ痩せ我慢するより無理なくやめることができるでしょう。

まずは、自分の『やめられない習慣』の背景を知ること。そこからスタートしてください」(中島美鈴さん)


背景を知ることが大事なんですね。
やみくもに「自分はダメだ」と落ち込まずに、「自分は何を求めているのだろう?」「自分はこの時間に何をしたいのだろう?」などと考えてみることから始めてみようと思いました。

(取材・文/橋本真理子、たまひよONLINE編集部)
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2025年01月04日

「人権」が「超あいまい」で「非常に危険」な概念だと断言できる「恐ろしい理由」

「人権」が「超あいまい」で「非常に危険」な概念だと断言できる「恐ろしい理由」
1/3(金)  現代ビジネス

クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由?

価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。
法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。

※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。

人権は人類の中だけで通用する

人が、他の動物でなく人間であるがゆえに生来持つものとされるのが人権である。
人類は自分たちだけに人権という特別な権利を与えた。
そして他の動物には、自分たちの生存や快適な生活を脅かさない限りでの道徳的権利を認めてきた。

人間は自らを「霊長類の頂点」と勝手に余裕綽々で思い込んで、他の諸動物たちに慈悲をたれているのである。

人間が自分たちに与えている人権と、動物たちに認めている権利とは、根本的に違う。
厳密には、現状では動物という種に「福祉」を認めているだけなのだ。

動物の権利とは、人間の視点から存続させることが望ましいと考えられる種を存続させるために、その種全体に対して与えられるものである。

たとえば鯨、イルカ、マグロ、トラ、イリオモテヤマネコ、トキ、サーバルキャット等々、種として今後も残って欲しい生き物については福祉もしくは道徳的権利を認め、人間はそれらを保全する道徳的義務を負う(とはいえゴキブリには福祉を認めず殺しまくっているが)。

但しあくまでも「霊長類の頂点」人間様の都合が最優先である。
あくまでも種として、しかも人間の生活に支障を来さない範囲で存続して欲しいと虫のいいことを求めるので、繁殖しすぎたり住宅地に入り込んだり畑を荒らしたりするようになると、今度は人間が間引きをする。
エゾシカやニホンジカがいい例だ。
間引かれる個体には動物権はない。

それに比べると、人権には個別性がある。
つまり個人が国家や他人、多数者に対して「私を押しつぶすな、差別するな、人として平等に扱え」と主張する根拠となっている。
だから個人は、人間集団の中での平等要求、普遍性要求も持っている。

人権はそもそも、キリスト教的自然法思想(とくにロック)に端を発している。
その思想によれば、人は生まれながらに生命・自由・財産への自然権を持っており、それは国家というものが成立する以前から存在する権利であった。
その自然権こそが人権の母胎なのだといわれている。

したがって、地球上に人類を脅かすより高知能の生命種がまだいない現在のところ、人類という種を存続させるために人権が主張されているわけではない。
人権とは、あくまでも人類の内側でのみ通用する、個人やマイノリティの「切り札」なのである。
だから、それは人間社会の中で生きる限りにおいてこそ、一人一人にとって大切な、守られるべきものなのだ。

北海道の山中で自分に襲いかかるヒグマに対して「私には人権としての生存権があるんだぞ」と喚いても無駄である。
かりにそのヒグマに言語が理解できたとしても「だから何? お前ら人間だって俺らを撃つべさ」と返されてガブリだろう。

人権は恣意的に認められてきた

しかし歴史的事実としては、人権ははじめから万人に認められていたわけではなかった。
ヨーロッパでは、当初はそもそも人と見做されない奴隷が存在したし、はじめに国王に反抗してその権力を制限し、自らの特権を認めさせたのは貴族だけであった(1215年のマグナ・カルタ)。

その後、イギリスでは権利請願(1628年)、権利章典(1689年)を経て市民にも人権が認められ、アメリカのヴァージニア権利章典(1776年)において人間が生来もつとされるロック型の自然権が実定法化された。
そして、アメリカ独立に触発されたフランス革命と人権宣言(1789年)に至って身分制は解体され、「すべての人」が人権において自由でありかつ平等であると謳われた。

しかし革命時、〈すべての人〉は文字通りの万人ではなかった。
人間と訳されているフランス語hommeは英語のmanと同じく同時に男性を示すもので、革命政府は実は男性、しかも白人男性にしか人権を認めなかったのだ。
革命に歓喜して「これからは女も男と平等の人権を持てる!」と思い込んで女性の権利について演説した女性は、革命政府によってギロチンに送られた。

近代の入り口では、人権は白人の成人男性だけのもので、女性と植民地の人々には認められていなかったのである。
後者の人々にも人権が認められるには、第二次世界大戦の終結を待たねばならなかった。

戦後は国際的な人権の実定化によって、人権の持ち主の範囲が広がり、その内容も拡張された。
世界人権宣言(1948年)、国際人権規約(A・B規約)(1966年)、人権差別撤廃条約(1969年発効)等々によって、開発途上国の視点にたつ経済的・社会的権利、旧植民地などの視点に立つ民族自決権などの集団的権利までも認められるようになった。

とはいえ、条約や宣言があっても、現実の差別や権利の不均衡が完全に解消されているわけではない。
また、元はキリスト教に端を発している自然権・人権の観念であるから、現代に至っても全世界の人々すべてが受け容れているわけではないという限界がある。

人間が、人間に対して人権を認める場合も、動物に対して福祉もしくは道徳的権利を認める場合も、普遍的ではないのである。
人間の中でも歴史の過程でその都度支配的な層が、自分たちに好都合なように権利を認めるからである。

現在は地球上で人類が支配する世界がまあ安定しており、余裕があるから、一応万人に人権が、そして人類にとっていろんな意味で存続してほしい動物種に道徳的権利が認められている。
だが、もしそんな余裕がなくなってきたら……?

さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。

住吉 雅美
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女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」

女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」
住吉 雅美

価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。
法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。

※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。

もし「一億総ヒーロー化」法が施行されたら

道を歩いていて、いろいろ困っている他人、たとえば怖いお兄さんたちに絡まれている他人と遭遇した時、あなたは自ら積極的に助けるだろうか? 

状況にもよるだろうが、おそらく自分一人で助けると断言できる人はそういないと思われる。
せいぜいこっそり警察に通報するとか、周りに多数の味方がいるような場合ならちょっと後ろの方で一緒に助けに入る、といったところだろう。

2018年に、新幹線車中で突如ナタを振り回し乗客を襲った者を自らの危険も顧みず身体を張って止め、無念にも絶命された勇気ある男性がおられたが、このように崇高な義務感をもって救助行動をすることは、一般人にはなかなかできない。

にもかかわらず、こういう時には誰もが積極的に救助しなければならないという法律ができたらどうだろうか? 
『僕のヒーローアカデミア』のオールマイトみたいな命がけで人助けをするヒーローになれ、と求められたらどうだろう。
実はそういう法律が施行されているところがあるのである。

発端は1964年、ニューヨークの住宅街であった。
キティ・ジェノヴィーズという女性が帰宅途中に男に襲われ、悲鳴を上げたが、周辺の数ある住宅からは誰も出てこない。
誰も出てくる気配がないとわかった男は彼女に30分も暴行を加え続け、結果、彼女は無残にも殺されてしまった。

ところが、その後に驚くべきことがわかった。
彼女が死に至るまでに、住宅の中にいた38人もの人々が彼女の悲鳴をたしかに聞いていたのだ。
しかも警察に通報する人もいなかった。
「窓から外を見ても、特に何事もなかったから」との理由だった。
おそらく巻き込まれたくなかったのだろう。

この事件は「キティ・ジェノヴィーズ事件」と呼ばれ、ニューヨーカー、そして全米に衝撃を与えた。
他人への無関心、事なかれ主義がここまでひどくなったのかと人々は嘆いた。
この事件が契機となり、アメリカでも危険に陥っている人を救助することを、市民に法的に義務づけてはどうか、という議論が持ち上がった。

「ビビリ」や「ヘタレ」に救助義務は重い?

新約聖書の「ルカによる福音書」にこういう話がある。追いはぎに遭って身ぐるみ剝がされ、しかも大怪我を負わされた人を通りがかりの誰もが見て見ぬふり(中には聖職者もいた)する中、一人のサマリア人が助け、自宅に連れてゆき介抱した。
サマリア人は翌日には被害者を宿屋に連れて行き、自分が費用を払うからこの人を介抱してあげてくれと主人に頼んだ、という話である。

これは「善きサマリア人」と呼ばれるたとえ話で、ここから「善きサマリア人の法(Good Samaritan Law)」という法原則が英米法に定着した。

「善きサマリア人の法」とは病者、負傷者その他窮地に立たされている人を救うために無償で善意の行動をとった場合、たとえ結果が失敗であっても救助者の責任を問わない、という内容の民事上の法理である。
今日ではカナダの各州、アメリカで施行されている。
救助義務の義務づけはドイツやフランス、イタリア、スペインにも見られる。

ここではより一般的に、救助義務を法律で強制することの是非について考えてみよう。
法が制裁をもって救助義務を国民に直接強制するとした場合、どういうことになるだろうか。
それは道徳なき社会を矯正するために法を道具として使うということだが、各個人には救助するか否かを選択する自由があるべきなのに、それを根底から否定することになってしまう。

たしかに、窮地にある人を勇気をもって救助する行為は気高く美しい。
だが、自分の身が可愛いから余計なことに巻き込まれたくないとか、たとえ小心者、冷血漢、ビビり、ヘタレと罵られようが、自分の事情を最優先することに価値をおく生き方だってあってよい。
別に人はヒーローとして生きなくたってよいのだ。

また、救助義務の起源がキリスト教であるところから、非信者にとって受け容れられない宗教的道徳を一般的に強制することは、信仰の自由に反するという考えもある。

むしろ、「救助しない自由」も認めつつ、それでも「救助する自由」を選ぶ人に安心して救助活動ができるような支援をするために法律を使う、という方がよいのではないか。
つまり、救助行為に伴う損失を補塡もしくは軽減するような法律を整備するのである。

救助活動の際に怪我をしたら、その治療や休業などによる経済的負担に対して費用償還すること、救助の際にやむを得ず行なった破壊や毀損などについて行為者を免責することなどである。

こういう法制度がしっかりしていれば、救助しようかどうか迷う人の中には背中を押される人も出てくるかもしれない。

健康で勤勉で勇気があって他人に優しい……みんながそういう人ならいい。
でも、そんな人々だけからなる国なんてたぶんないし、そんな国にそもそも法律はいらないだろう。

この世はダメ人間だらけ。
法律はダメ人間に無理難題を押し付けちゃいけない。そうしたらみんな壊れちゃうから。
この世の法律とは、ダメ人間をそのままに、いかにして害をなさぬように導くか、その技だと考えてはダメですか?

さらに連載記事<「真面目すぎる学生」が急増中…若者たちを「思考停止」させる「日本の大問題」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。

*本記事の抜粋元・住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)では、自由・平等・人権・アナーキズムなど、様々なテーマから「当たり前を疑う思考」を解説しています。
ロンドンブーツ1号2号・田村淳さんも「こんな授業を受けたかった!」と大絶賛。楽しく学べる、法哲学の入門書です。
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2025年01月05日

「これしかない」は危険信号!環境の変化に強い人が必ず持つ『複数の選択肢』

「これしかない」は危険信号!環境の変化に強い人が必ず持つ『複数の選択肢』
2025年01月03日 ダイヤモンドオンライン

変化が激しく先行き不透明の時代には、私たち一人ひとりの働き方にもバージョンアップが求められる。
必要なのは、答えのない時代に素早く成果を出す仕事のやり方。それがアジャイル仕事術である。
『超速で成果を出す アジャイル仕事術』(ダイヤモンド社)は、経営共創基盤グループ会長 冨山和彦氏、『地頭力を鍛える』著者 細谷 功氏の2人がW推薦する注目の書。
著者は、経営共創基盤(IGPI)共同経営者(パートナー)でIGPIシンガポール取締役CEOを務める坂田幸樹氏。
業界という壁がこわれ、ルーチン業務が減り、プロジェクト単位の仕事が圧倒的に増えていくこれからの時代。
組織に依存するのではなく、私たち一人ひとりが自立(自律)した真のプロフェッショナルになることが求められる。
本連載の特別編として書下ろしの記事をお届けする。

■単一の選択肢がもたらすリスク

 将棋界を代表する棋士の一人である羽生善治九段は、どんな局面でも柔軟に対応する「オールラウンダー」として名高い存在です。
特定の戦法に固執せず、対局ごとに最適な手を選び取るそのスタイルは、現代の不確実なビジネス環境にも多くの示唆を与えてくれます。

 予測不可能な今の時代、私たちは日々変化する環境の中で意思決定を迫られています。
そうした中、最終的に選べるのは一つだとしても、最初から選択肢が一つしかない状況では、環境の変化に対応できず、結果として成功を手放してしまうリスクが高まります。

 例えば、「一つの専門スキル」だけに依存する人は、そのスキルが需要の高い時期には非常に効率的に仕事をこなせるように見えます。

 しかし、技術が陳腐化したり、業界が変化すると、仕事を失うリスクが高まります。
一方で、他のスキルや資格も身につけていれば、新たなキャリアチャンスをつかむ余地が広がります。

 選択肢を一つしか持たないことは、一見すると効率的に見えるかもしれません。
しかし、変化が常態化している現代では、それがかえって大きなリスクとなり得るのです。

■複数のオプションを生み出す「戦略的思考」

 環境の変化に適応するためには、複数のオプションを戦略的に生み出す思考法が重要です。
思いつきで選択肢を増やしても効果は限定的なため、ここで役立つのが「軸」を活用したフレームワーク思考です。

 例えば、旅行プランを考える場合、目的地を「国内」「海外」「近場」、目的を「観光」「リラックス」「アクティビティ」、期間を「日帰り」「1泊2日」「長期滞在」、さらに予算を「高級」「節約」「バランス型」と設定すると、多様な選択肢が効率よく洗い出せます。
これらの組み合わせにより、近場でリラックスする日帰りプランや、海外でアクティビティを楽しむ長期プランなど、幅広い案が生まれます。

 この手法はビジネス戦略の策定にも応用可能です。
「誰に」「何を」「どうやって」を軸に整理すれば、顧客層、提供価値、実行手段の観点から多角的に考えられるようになります。

 こうした戦略的思考を日常的に取り入れることで、単なるアイデア出しから一歩進んだ、具体的で実行可能な選択肢を生み出せるようになります。

■選択肢を持つことがもたらす未来

 複数のオプションを持つことは、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代において、成功確率を高めるだけでなく、不測の事態への対応力を強化します。

 選択肢が複数あれば、一つの方法が失敗しても、すぐに次の手に切り替えることができます。
また、新たな視点や軸を取り入れることで、さらに多様な選択肢を生み出すことが可能になります。

 選択肢を持つための第一歩は、意思決定の前に「軸」を整理し、その軸に基づいて多様なオプションを検討する習慣を身につけることです。
軸に基づき情報を集め、整理し、比較・評価するというプロセスを通じて初めて、論理的な意思決定が可能になります。


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"自分軸"で考える、今年こそ「後悔しない生き方」

"自分軸"で考える、今年こそ「後悔しない生き方」
改めて問いかけたい「人生で何が最も大切?」
マーク・マチニック : 経営コンサルタント
2025/01/04  東洋経済オンライン

めまぐるしく過ぎ去っていく現代社会。変化に戸惑い、不安を抱えながら、自分を見失ってしまう人も多いのが現状です。
だからこそ、改めて自分自身の人生を見つめ直してみませんか(本記事は、アメリカの経営コンサルタント、マーク・マチニック氏の著書『後悔しない生き方 人生をより豊かで有意義なものにする30の方法』から一部を抜粋したものです)。

何から始めるかを選択する

年が明けるたびに、人びとは「新年の抱負」という恒例の行事に取り組む。
紙に書きとめる人もいれば、頭の中で記憶するだけの人もいる。

ただし、やろうと思うだけで、実行をいつまでも延期する人が少なくない。
いずれにしろ、誰もが新しい年に達成したい目標を考える。

たとえば、体重を落としてスリムになる、もっとお金を稼ぐ、転職する、新しい友人をつくる、仕事とプライベートのバランスをとる、古い写真をスクラップブックに入れる、健康的な食生活を実践する、長期休暇をとる、もっと運動する、大切なことを先延ばしにしない、などなど。

しかし、多くの人にとってこうした「to-doリスト」の最大の問題は、項目をたくさん掲げすぎることだ。
その結果、それらをすべて達成することは不可能に近いという厳しい現実に直面する。

一度に多くのことをしようとすると力が分散して、どの項目も達成できずに後悔することになる。
また、リストの項目をすべて達成する方法を考えるのに時間をかけているうちに身動きがとれなくなり、ほとんど何も達成できなくなる。
そしてそれもまた後悔の原因になる。では、どこから始めればいいのか?

数年前、ある男性が「人生を好転させる方法を教えてほしい」と相談を持ちかけてきた。
目標に向かって邁進(まいしん)するために、日々の課題をてきぱきと片づけていきたいというのだ。

どんな課題でも成し遂げるという自信家だが、最近はどうも仕事がはかどっていない様子だった。
一例として、毎日、百通を超えるメールを受信していたが、優先順位が高い十通ほどのメールを開いて読むだけだった。

残りは未開封のまま月末までため込み、翌月の最初の日に数千通の未読メールを一気に処理して、幸先のいいスタートを切っているという幻想に浸っていたのだ。

しかし、こんなやり方では問題が解決するどころか、状況が悪化する一方だった。
それだけでなく、彼は新規のベンチャー事業を育成しながら、退職した2人分の仕事を抱え込んでバタバタしていた。

さらに、出席しなければならない会議がいくつもあり、大事な作業の時間を奪っていた。
おまけに、毎晩、職場で片づけられなかった仕事を家に持ち帰って処理していたので、家族と過ごす貴重な時間が少なくなっていた。
ストレスで疲れ果ててフラストレーションがたまっていたのは当然だ。

私の助言は「何から始めるかを選択する」というごく単純なものだった。
そこで彼にこう言った。

「あなたのto-doリストの中で、やり遂げなければ後悔のもとになる項目をひとつ選んでください」

「では、残りの項目はどうするのですか?」と彼は尋ねた。

「残りの項目を忘れるようなことはないでしょう」と私は答えた。

「しばらくの間、最も集中しなければならないことを見つけるだけです。
現時点での問題は、リストの項目が多すぎて、どこから始めていいかわかっていないことです」

彼は私のアドバイスに完全に納得したわけではなかったが、受信メールの処理から実行に移すことにした。

当初の目標は、週に2回、1時間ずつメール処理をして1カ月にたまる未読メールを半分に減らすことだった。
ところが、いざやってみると、最初の1カ月で未読メールを70パーセント減らし、翌月には85パーセントも減らすことができた。

受信メールの処理が効率的にできるようになったので、リストの次の項目により多くの時間をかけられるようになった。
こうしてまもなく、いつもバタバタして課題を終えられずに後悔するパターンから自分を解放することができた。

多くのことを下手にするより、ひとつのことを上手にするほうがいい。
to-do リストに取り組むときは、全項目を一気に片づけようとしてはいけない。
リストのどの項目が最も満足感を与え、投資した時間に対する見返りを最大にするかを考えよう。

最も優先順位の高いものを選び、そこから始めよう。

【自分自身に問いかけてみよう】
●あなたの現在のto-doリストはどんな状況か?
●出発点を選ぶとすると、どの項目を選ぶか、そしてその理由は何か?

いちばん大切なことを優先する

人生ではさまざまなことを交互にしなければならない。
まるで曲芸のお手玉のようだが、空中に投げるボールが多すぎると落とす恐れがある。

数年前、仕事で遠方に出張していたために、子どもたちの始業式に出席できなかったことがある。
それまで毎年、当日の朝、子どもたちと一緒に早起きをして朝食の準備をし、前庭で記念撮影をしていた。
かなり前からカレンダーにしるしをつけていたのだが、クライアントとの打ち合わせの日程を変更できなかったのだ。

子育てをしながら働いていると、子どもの特別な行事に必ず出席することは至難のわざである。
しかし、私は「どんなことがあっても、始業式には絶対に出席する」と心の中で誓いを立てていた。

それだけに、「今回は出席できない」と子どもたちに伝えるのはたいへんつらかった。
そして、子どもたちをがっかりさせたのは残念だったが、それ以上に自分に対する誓いを守れなかったことのほうがもっと残念だった。

どんなに用事が多くても、後悔せずに生きたいなら、いちばん大切なことを優先しなければならない。
この経験は私にとって重大な教訓となり、それ以来、家族と質の高い時間を過ごすことをつねに優先してきた。

難しいこともあるが、なるべく出張を減らし、地元かインターネットでできる業務に専念している。
さらに、息子と放課後にキャッチボールやサッカーをし、娘のバンドのセッションを見学し、家族で旅行をし、家事を分担するよう配慮している。
当然、子どもたちの始業式には必ず出席している。

人はみな自分の価値観を持って生きているが、その価値観と相いれない困難な決定を迫られることがある。
そんなときに自問すべきことは、「いちばん大切なことは何か」ということだ。

そうすれば自分の価値観を優先し、本当に大切なことに取り組むことができる。
たとえば、仕事に励むことと家族と一緒に過ごすことはどちらも大切だが、そのふたつが重なり合ったときはどちらを優先するかを考えなければならない。
その答えが見つかれば、一方を犠牲にする決定をくだしても、後悔しながら人生を振り返ることはない。

「人生でいちばん大切なことは何か?」といつも自問し、それを優先しよう。

[自分自身に問いかけてみよう】

●人生の中で、何が最も大切か?
●ある優先事項が他の優先事項と重なったとき、そのジレンマをどう解決するか?

毎日を最大限に生きる

人生に残された時間はかぎられている。
どんなに長生きしようとしても、永遠に生きることはできない。
人はみな、いずれ死ぬ。いくら頑張っても、この現実を変えることはできない。

過去に戻れればどんなにいいかと夢想しても、私たちは現在に生きる以外にすべはなく、今この瞬間を最大限に活用する方法を考えなければならない。

浪費した時間は失われた時間であり、すべて後悔の原因になる可能性がある。
私たちが問うべきことは、「自分は時間の中でさまよう放浪者か、発見という使命を遂行する探検家か」ということである。

もし答えが後者なら、傍観者ではなく参加者として人生に立ち向かうべきだ。
私たちは漠然と日々を送るのではなく、毎日を大切にするために全力を尽くさなければならない。

時間の使い方についても計画的になろう。無計画に時間を過ごしていると、何も成し遂げることができず、いずれ後悔することになる。

数年前の夏、祖母が91年に及ぶ幸せな生涯を閉じた。
私が知るかぎり、この人ほど毎日を大切にして生きる方法を熟知している人はいなかったように思う。

死ぬ間際まで世界中を旅し、政治運動をし、慈善活動にも熱心だった。
人生に情熱を燃やし、笑うのが大好きだった。
遊び好きで、ユーモアがあり、美しく、愛情に満ち、思いやりがあり、親切だった。
遠方のパーティーにも出席して場を盛り上げていた。

毎朝、6時になると歌いながら活動を開始し、周囲の人たちに好影響を与えた。
来る日も来る日も思う存分に生きていた。

祖母について感心したのは、恐怖感や嫌悪感を交えずに死について率直に話していたことだ。
「毎日を大切に生きているから、いつ死んでも後悔しない」と明言していたのが印象に残っている。

祖母は亡くなる1年ほど前に飛行機で大陸を横断し、西海岸にいる私たちのもとを訪ねてくれた。
身体は見るからに衰弱していたが、精神的にはしっかりしていた。

「気分はどう?」と尋ねたときの答えは、今でも忘れられない。
「私のことは心配しなくていいのよ。素晴らしい人生を送ってきたから」と言い、さらにこう続けたのだ。

「いっぱい旅行をした。素晴らしい男性とめぐり合って充実した結婚生活を送ることができた。
22人の素晴らしい孫とひ孫がいるし、その倍くらいの数のめいとおいがいる。健康にも恵まれ、たいへん幸せだった。これ以上何を望むことがあるかしら。

楽しい思いをたくさんしたし、やりたいことはすべてやった。
だから、私が死んだとき、お願いだから泣かないでほしいの。私の死を悼んで無駄な涙を流さないでね。毎日を精いっぱい生きてきたから、後悔なんてまったくしていないわ」

「人生は一度きり」目標や理想を追い求めよう

毎日を大切にすることは、誰にでもできることだ。
しかし、それを現実にするには、単にお題目を唱えているだけではできない。たゆまぬ努力、積極的な生き方、冒険心、行動力が必要になる。

人生は一度きりだ。今日から精いっぱい生きよう。
毎日を最大限に生きよう。すべての日を思い出に残る有意義なものにする方法を見つけよう。

自分が信じる目標や理想を追い求めよう。
行ったことのない場所へ行こう。愉快な人と付き合おう。たまにはちょっと贅沢をしよう。好奇心を持って学び続けよう。大きな声で笑おう。

人生を最大限に生きるために、毎日を大切にしよう。

【自分自身に問いかけてみよう】
●毎日を大切にするために何をしているか?
●それを現実にする際に、どんな試練に直面するか?
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2025年01月06日

財務省「国は赤字」と危機感を煽るが…「国の家計簿」を検証したら見えてきた、ニッポンの本当の台所事情【経済評論家が解説】

財務省「国は赤字」と危機感を煽るが…「国の家計簿」を検証したら見えてきた、ニッポンの本当の台所事情【経済評論家が解説】
1/5(日) THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)

「国は巨額の借金を抱えている」という言葉に、底知れぬ不安を感じている人も多いと思います。
しかし、「国際収支統計」という統計資料にある「経常収支」から数字を読み解いていくと、認識と違う結果が見えてくるかもしれません。経済評論家の塚崎公義氏が解説します。

経常収支は貿易収支、サービス収支などの合計

「国際収支統計」という統計があります。
日本人(ここでは日本にいる個人および法人の意味、以下同様)が外国人と行った取引を記録したものです。
そのなかで最も重要なもののひとつに「経常収支」があり、その内容は「貿易収支」「サービス収支」「第1次所得収支」「第2次所得収支」を合計したものです。

「貿易収支」は輸出から輸入を差し引いたものです。
かつての日本は貿易収支が大幅な黒字でしたが、最近では多くの輸出企業が「輸出より、売れるところで作る」という方針に変わっているため、貿易収支はおおむねゼロ(原油価格で増減する)となっています。

「サービス収支」は、インバウンド旅行者が国内で支払う飲食費、宿泊費等々から、日本人旅行者が海外で支払う飲食費、宿泊費等々を差し引いたものです。
インバウンドの消費は、日本人が働いて外国人が楽しんで対価を日本に払っているわけで、自動車等の輸出と同じようなものだ、ということで「サービス輸出」と呼ばれるのです。
かつては赤字でしたが、インバウンドが増加したので、最近では大体ゼロと考えてよいでしょう。

「第一次所得収支」は、日本人が海外から受け取る利子や配当から、日本人が外国人に支払う利子や配当を差し引いたものです。
日本は、過去の貿易収支黒字が莫大な海外資産となっているため、利子や配当の受け取りが巨額であり、第一次所得収支は大幅な黒字となっています。

「第二次所得収支」は、途上国への援助が中心ですから、小幅な赤字です。

以上を合計した経常収支は、大幅な黒字となっています。

経常収支は「日本国の家計簿」

経常収支が重要なのは「日本の家計簿」だからです。
家計簿が黒字ならば、給料の範囲内で暮らせているので、家計の財産は増えているでしょう。
同様に、経常収支が黒字ならば、日本が海外に対して持っている財産が増えているのです。

項目別に見ても、経常収支と家計簿は似ています。
輸出とサービス輸出は、日本人が働いて外国人が楽しんで、対価を日本人が受け取るのですから、家計簿の給料と似ています。
輸入とサービス輸入は、外国人が働いて日本人が楽しんで、対価を日本人が支払うのですから、家計簿の消費と似ています。第1次所得収支は銀行預金の利子、保有株式の配当、住宅ローンの利払いですし、第2次所得収支は赤い羽根共同募金ですね。

もっとも、違いもあります。
通常の家計簿は、現金(および銀行預金)を管理するためのものなので、株を買ったり、自動車を買ったり、住宅ローンを返したりするとマイナスになるかもしれませんが、経常収支は海外の実物資産や負債などを含めた「純資産トータル」を管理するためのものなので、そこは家計簿と違います。

投資家が海外の銀行から預金を引き出して、その金で海外の株を買っても、海外に工場を建てても、海外からの借金を返しても、純資産内部での出入りなので、経常収支には含まれないのです。

経常収支黒字は「我慢の対価」

家計簿が黒字だということは、贅沢を我慢して給料の範囲内で暮らした、ということです。
その結果、金持ちになったとしても、周囲から批判されるべきものではありません。経常収支黒字も同じです。

かつて、米国から日本の経常収支黒字を批判されたとき、「賭けマージャンで勝ち続けたら友人がいなくなる」と心配した人がいましたが、家計簿の黒字と賭けマージャンの勝ちは違います。
賭けマージャンの勝ちは他人が働いた金を使って自分が贅沢をするわけですから、友人がいなくなるのは当然であって、家計簿の黒字とはまったく異なるのです。

当時の米国は、「日本が製品を輸出しすぎるから米国製品が売れず、米国民が失業している」ことを批判していたのです。
それなら素直にそういってくれればよかったのに(笑)。

経常収支黒字が円高をもたらすとは限らない

経常収支黒字は、日本人が外国人との間で受け取る外貨が支払う外貨より多いことを示しています。
そうであれば、受け取った外貨を売る人が増えてドル安円高になりそうですが、そうとは限りません。

輸出企業は、受け取った外貨を売って社員に給料を支払いますし、輸入企業は輸入代金のドルを買うので、輸出入の貿易収支はドルの値段に直結します。
しかし、日本の経常収支が黒字なのは海外からの利子配当収入が多いからです。
投資家は海外から利子配当を受け取ってもドルを売るとは限らず、「利子配当を使って海外の株を買い増そう」などと考える場合も多いので、ドル安円高になるとは限らないのです。

最後になりましたが、日本は経常収支黒字が続いているので、海外に持っている純資産は巨額です。
資産が巨額で、借金は少額です。
「国は赤字で借金が巨額だ」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、それは「地方公共団体ではない、中央政府」が民間部門との取引で赤字で借金をしているということですから、日本国と諸外国との取引についての話ではありません。

誤解を避けるために「中央政府は」と言うべきだと筆者は考えているのですが、財務省は危機感を煽るために「国は赤字」と言っているのかもしれませんね(笑)。

今回は、以上です。なお、本稿はわかりやすさを重視しているため、細部が厳密ではない場合があります。ご了承いただければ幸いです。

塚崎 公義
経済評論家
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2025年01月07日

失敗から自己肯定感を回復させる最もよい方法

失敗から自己肯定感を回復させる最もよい方法
2025年01月06日 ダイヤモンドオンライン

奇跡は自分のなかにある、だから生まれ変わりさえすれば、きっと人生の逆転劇を起こせるに違いない――。
「やればできる!」と思考が変わる話題のベストセラーが日本に上陸。31歳、一度は人生をあきらめた著者が再起できたのは、古今東西の成功者たちが持つ「6つのマインド」にあった。
3000冊を超える本を読み、抽出された「プラス思考」「決断力」「切実さ」「愚直さ」「謙虚さ」「根気」を武器に、一度しかない人生、「なりたい自分」になる方法を1冊に凝縮。
新刊『たった一度でもすべてをかけたことがあるか』から成功につながるノウハウを紹介する。

■自分との約束を守るのが成功の始まり

 失敗から自己肯定感を回復させる最もよい方法は、新たな挑戦をして成功することです。
何かに失敗したとしても、その失敗から教訓を得て、他のことで成功すれば、自己肯定感は高まります。
ここでも「小さなことから始める(P96)」の法則が当てはまります。
小さなことから成功していくほうが易しいからです。

 なかでも読書は、最もお勧めできる方法です。
本にはさまざまな失敗と成功の実例が載っています。
本を読んで、そこに書かれた方法のうち、自分がすぐにできそうなことをひとつずつ実行していけば、達成感を味わうことができます。
実際、一冊の本を読むだけでも、何かを達成したことになります。

 自分で知識が足りないと思う分野に関する本から、まずは手に取ってみましょう。
印象に残った記述をメモしたり、写真を撮ってもいいでしょう。気に入った本を1、2冊選んで、手元に置いて繰り返し読んでみましょう。

 失敗によってダメージを受けた自己肯定感は、小さな成功で回復させることができます。
努力が成功に結びつけば、再びその気分を味わいたくて努力するようになります。
些細なことに見えても、何か成功を経験してみましょう。

 成功は遠くにあるものではありません。
自分との約束を守るのが成功の始まりです。
早起きしようと決めたら、あとは布団をはね除けて起き上がればいいだけです。

(本記事は、『たった一度でもすべてをかけたことがあるか』から抜粋、一部編集したものです)
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2025年01月08日

今の日本には「専門医」より「かかりつけ医」が必要

今の日本には「専門医」より「かかりつけ医」が必要
受診先を1箇所にまとめる利点は意外と大きい
菊池 大和 : きくち総合診療クリニック
2025/01/06 東洋経済オンライン

日本は今、地域医療の危機を迎えています。
2025年には、団塊の世代が後期高齢者となり、認知症患者も大幅に増えることが予想されています。

このままでは近い将来、患者さんがかかりつけ医を見つけられなくなり、地域医療が崩壊してしまうかもしれません。

『「総合診療かかりつけ医」がこれからの日本の医療に必要だと私は考えます。』の著者、菊池大和医師が現状と課題、真のかかりつけ医の必要性、そして地域医療を守るための方策について伝えています。
本稿では、同書から一部を抜粋、編集してお届けします。

厚生労働省の「かかりつけ医」とは?

一般の人に「あなたには、かかりつけ医がいますか?」と尋ねたら、どんな答えが返ってくるでしょうか。

もちろん人それぞれ違うでしょうが、「風邪をひいたら、歩いて3分の内科に行くけど、花粉症の季節にはその先の耳鼻科に行く。
1年に1回の健康診断には一駅先のレディースクリニックに行く。どれもかかりつけ医と言えばかかりつけ医だけど……」という曖昧な答えも多そうです。

厚生労働省は一般の人に向けて、「上手な医療のかかり方」について情報を発信してます。
そこには「かかりつけ医」とは何か、ということも紹介されています。

かかりつけ医とは、
1 健康に関することを何でも相談できる

2 必要な時は専門の医師・医療機関を紹介してくれる

3 身近で頼りになる医師

というところを呼ぶそうです。

あらためて問いますが、皆さんの勤務する病院やクリニックは、この3点を満たしていますか?
 研修先の医療機関は、この条件に当てはまっていますか? 
さらに、そこはあなたの家族が病気になったときに自信を持って紹介できる医療機関であり、かかりつけ医になりえますか?

現状から目をそらさずに考えてみてください。
すべての条件に当てはまる医師は極めて少ないはずです。

「それは仕方がないよ。医師は自分の専門分野をしっかり診るのが仕事だから」と言いたくなるかもしれません。

しかし、開業するのがこのような医師ばかりだったら、患者さんはかかりつけ医が見つけられず、困ってしまいます。
現実に多くの患者さんが、病気ごとにいくつものクリニックに通院しながら、「私の本当のかかりつけ医は誰だろう?」といぶかしく思っているケースは多いのです。

そういう患者さんは複数のクリニックにかかっているぶん、トータルで受ける検査の数も多くなるので、医療費も多く支払っています。結果的に医療費の問題を加速させています。

「どんな症状でも、まず診察」

複数のクリニックで受診している人が、「病名がわからないから、どこに行けばいいかわからない」ような体調不良が起きたときに、「ここかな?」と思って、いつも受診しているクリニックに行ったところ、「うちでは診られない」と断られてしまう……。

このようなことは日常茶飯事です。

医師がみんな断ってしまったら、最終的に誰が診るのでしょうか。

「どんな症状でも、まず診察」する真のかかりつけ医が必要です。

患者さんの健康を守るのが医師の仕事です。
そして患者さんにとっては、まずは近くのクリニックで受診するのが理想でしょう。
そこから診察・治療がスタートするのです。

にもかかわらず「かかりつけ医がいない」「かかりつけ医が誰かわからない」「自分(患者さん)はかかりつけ医だと思っていたのに、医師のほうはそう思っていなかった」という事態が蔓延しています。

医学生、研修医の方々、これから開業しようと思っている医師の皆さんは、この実情をよく考えてほしいと思います。
「なんでも診る」「いつでも診る」医師こそが、厚生労働省のいう「かかりつけ医」ではないでしょうか。

あなたの地域に住む、次のような高齢者の姿をイメージしてください。

75歳、1人暮らしの男性。

高血圧・脂質異常症で2カ月に1回、内科クリニックに通院している。
ほかに、腰痛で整形外科クリニックに月1回、過去に軽い脳梗塞になったことがあるので、経過観察として脳神経外科クリニックに月1回、白内障など眼の病気の定期検診のために眼科クリニックに月1回通院している。

最近は少しもの忘れも出てきて不安がある。
歩くときに膝が痛くなってきた。運転免許証はすでに返納し、通院は歩きやバス。子どもは遠くに住んでいる。

さて、この状況で私からいくつか質問するので、考えてみてください。

Q 「なんとなく体調が悪い」場合、男性はどこのクリニックを受診すると思いますか?

Q 「なんとなく体調が悪い」のに、いつも通院している内科で「異常なし」と言われたら、男性はどうすると思いますか?

Q もの忘れが進行して今より心配になってきたら、男性はどこに行くと思いますか?

Q 不調があって受診をしたいつもの内科で「検査が必要ですね。でもうちではできないので、○○病院に紹介状を書きます」と言われ、その病院が遠くにあった場合、男性は1人で行くことができると思いますか?

Q 夜間や休日に持病の腰痛が急に悪化したら、男性はどうするでしょうか? いつもの整形外科でレントゲンを撮影して、「異常はない」と診断され、痛み止めを処方されたものの、よくならないと感じたときにはどうするでしょうか?

Q 腰や膝の痛みで4つのクリニックに思うように通院できなくなったら、男性はどうすると思いますか?

Q いつも通院している内科の院長先生が高齢などを理由に急に閉院したら、男性はどうすると思いますか?

20年後も変わらない日本の地域医療

矢継ぎ早に問われて不快になってしまったら申し訳ないのですが、この問いに「たしかに、こうなったら不安だろうな」「どうしたらいいか、わからないだろうな」と思った方も多いはずです。

「総合診療かかりつけ医」がこれからの日本の医療に必要だと私は考えます。

これこそが、今の、そして医療体制が変わらなければ10年後、20年後も変わらない日本の地域医療の光景です。

複数のクリニックに通院し、普段と違う不調が起きたときに「どこに行ったらいいか」「どうやってそこにたどり着けるか」困る人があふれる事態があるのです。

「いつでも、なんでも、だれでも、まず診る総合診療クリニック」が自宅の近くにあれば、こういう問題を減らすことができます。

今すぐ全国にそういうクリニックを増やす必要があると提言しているのは、このためです。
専門クリニックも大事ですが、それ以上に、人を診る、総合診療かかりつけ医のほうが大事なのです。


菊池 大和 きくち総合診療クリニック
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なぜ「袴田事件」のような冤罪はつくられ続けるのか?  "冤罪弁護士"の著者がその理由を解き明かす!

なぜ「袴田事件」のような冤罪はつくられ続けるのか?  "冤罪弁護士"の著者がその理由を解き明かす!
1/7(火) 週プレNEWS

1980年に最高裁で死刑判決が確定してから実に44年を経て、再審で無罪が確定した通称「袴田事件」。
司法の誤りによって袴田巌さんという無実の人の人生を奪い、長期にわたって死の恐怖にさらし続けたこの事件は、死刑判決の冤罪という絶対にあってはならない過ちの恐ろしさと、それを生んだ日本の司法制度の問題を浮き彫りにした。

「冤罪」はなぜつくられ続けるのか。それを防ぐ方法はないのか。
冤罪事件に取り組む若き弁護士が、冤罪を生み出すメカニズムを解き明かし、過ちから学ぶ道を示すのが西愛礼氏の『冤罪 なぜ人は間違えるのか』だ。
* * *
――元裁判官でもある西さんが冤罪という問題に向き合おうと思われたきっかけは?

西 
直接のきっかけは弁護士として「プレサンス元社長冤罪事件」という事件を担当したことでした。

2019年12月、大阪に本社を置く東証1部上場(当時)の不動産会社「プレサンスコーポレーション」の創業社長(当時)である山岸忍さんが、ある学校法人の移転に伴う用地買収に関して「業務上横領」の共犯として大阪地検特捜部に逮捕、起訴され、248日間にもわたる身体拘束を受けた事件です。

しかし、裁判の過程で検察側の無理な「見立て」や、それに合わせた強引な取り調べの事実が次々と明らかになり、2021年10月に山岸さんの無罪が確定しています。

それ以前、私がまだ駆け出しの裁判官として刑事事件を担当していた頃から、無罪判決が出たときに冤罪を生んだ原因を検証する制度が存在しないことには疑問を感じていました。

しかし、実際に弁護士として山岸さんの冤罪事件に関わり、なんの落ち度もない人が逮捕され、自由を奪われ、犯人扱いされて名誉も汚され、自分が育ててきた会社までも失ってしまう......という冤罪事件の悲惨さ、理不尽さを改めて実感しました。

二度とこうした事件を起こしてはいけないという思いから、冤罪の救済や冤罪の研究に取り組むようになったのです。

――本書を読むと、そのプレサンス元社長冤罪事件でも、冤罪を生んだ検察側から謝罪や反省の言葉はなく、自分たちの過ちを認めてすらいないように感じます。正当な理由もなく、人の財産や権利を奪う行為は、普通「犯罪」と呼ばれますよね?

西 
そうですね。そこで、取り調べの録画などから、大阪地検特捜部の取り調べには机を叩く、怒鳴るといった威圧的、脅迫的な行為があったとして、担当の検察官(当時)を刑事告発しました。
しかし、これを大阪地検が不起訴としたため、改めて刑事裁判で扱うよう裁判所に付審判請求を申し立て、これが認められました。

ちなみに、同じ大阪地検特捜部が起こした冤罪事件として知られる「郵便不正・厚生労働省元局長冤罪事件」(村木事件)では、証拠のフロッピーディスクを改竄した検察官と、それをかばった上司がそれぞれ証拠隠滅と犯人隠避で有罪判決を受けていますが、検察官の不適切な取り調べが「刑事事件」として扱われるのはこれが初めてです。

――その大阪地検特捜部がプレサンス元社長冤罪事件で冤罪を繰り返した。また、警視庁公安部と東京地検も「大川原化工機事件」では3人の会社役員を冤罪で逮捕して長期間にわたり勾留。
そのうちのひとりが勾留中に適切な病気の治療を受けられずに亡くなるという、悲惨な出来事も起きています。
なぜ冤罪は繰り返されてしまうのでしょうか?

西 
本書にも書いたように、"人質司法"と呼ばれる長期勾留の常態化、警察や検察側の見立てに合わせた強引な取り調べと自白への依存、階層化された組織の中で異論が排除される傾向や思い込みによる「確証バイアス」など、冤罪が生まれる背景にはさまざまな要因があります。

しかし、実際に冤罪事件が起きると、例えば「あれは大阪地検特捜部の問題だ」といったように、特定の組織の問題や検察官、裁判官といった個人の資質の問題に矮小化されてしまい、それに対する批判は起きても、司法全体として「過去の冤罪から学び、将来の冤罪を防ぐために生かそう」という意識や取り組みにつながっていない。

例えば、村木事件も担当検察官を処罰し、大阪地検特捜部の問題だと矮小化され終結してしまいました。
取り調べの録音・録画のような再発防止策が講じられても、すぐに形骸化してしまっています。
その結果、プレサンス元社長冤罪事件という同じような過ちが繰り返されてしまいました。

もうひとつ、私がこの本でも強調しているのが「人は誰でも間違える」という現実を前提に考えることの大切さです。
どんなに優秀な人も、どんなに努力している人も間違える可能性があるという大前提に立てば、刑事事件における冤罪を完全に防ぐことは不可能です。

ところが日本の司法の中には一種の「無謬性神話」というか「自分たちに与えられた国家権力は国民の信頼に支えられている以上、絶対に間違ってはならない」という意識があって、それが「冤罪という過ちから学ぶ」という反省と学びにつながることを妨げている面もあるように感じます。

――司法だけでなく、メディアや、その報道に触れる人たちにも冤罪を生んでしまう要因がありそうですね。

西 
そうですね。「推定無罪」や「疑わしきは被告人の利益に」という原則があります。
それは、私たち法律家だけでなく、メディアの報道やそれを受け取る人たち、さらにSNSなどを通じて個人的に発信する人たちも同じで、「人は誰でも間違える」以上、誤認逮捕や冤罪も起こりえるのだから「逮捕」=「犯人」ではないという前提で考える必要があります。

――袴田巌さんの無罪が確定した今、この冤罪事件が日本の死刑制度を巡る議論にもつながってゆくのでしょうか

西 
徐々にそうした議論が広がっていくのだと思いますが、まだまだ足りないと感じます。

袴田さんは世界一長く収監された死刑囚としてギネスの認定記録にもなっていて、その人が再審で無罪になり、死刑判決の決め手となっていた証拠が捜査当局の捏造だったと裁判所が認定したという、本当にトンデモない事件。
そんな事例を生んでしまった日本でこそ検証や研究を率先して行ない、その議論を世界中に広げるべきだと考えます。


■西 愛礼(にし・よしゆき)
 1991年生まれ、神奈川県川崎市出身。一橋大学法学部卒業。裁判官を経て弁護士に転身。後藤・しんゆう法律事務所(大阪弁護士会)所属。プレサンス元社長冤罪事件弁護団、角川人質司法違憲訴訟弁護団、日弁連再審法改正実現本部委員などを務める。イノセンス・プロジェクト・ジャパン、刑法学会・法と心理学会所属。守屋研究奨励賞・季刊刑事弁護新人賞。初の著書『冤罪学』(日本評論社)は専門書ながら、多くの読者から注目された

■『冤罪 なぜ人は間違えるのか』インターナショナル新書 1056円(税込)
 最高裁の死刑判決から44年の時を経て、ようやく無罪が確定した袴田事件。
司法の誤りによって無実の人の生活を奪い、最悪の場合、命すら奪いかねない「冤罪」の悲劇はなぜ繰り返されてしまうのか? 
実際に「プレサンス元社長冤罪事件」などの冤罪事件を担当し「冤罪学」の必要性を提唱する若き弁護士、西愛礼氏が、冤罪の生まれる背景やメカニズムを解き明かし「過去の冤罪から学び、将来の冤罪を防ぐ道」を示す一冊
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2025年01月09日

「孤独死を恐れてはいけない…」ひとり暮らしの終末期、自宅で「清々しく逝く」ための戦略

「孤独死を恐れてはいけない…」ひとり暮らしの終末期、自宅で「清々しく逝く」ための戦略
1/7(火) 現代ビジネス

累計188万部の大人気シリーズ『おとなの週刊現代』が大幅リニューアル!週刊現代で大反響だった記事の中から、相続や在宅介護など、「死後の手続きと生前準備」にまつわる記事を、加筆のうえ、ピックアップ。

〈第1部 知らないと損する死後の手続きの新常識〉、〈第2部 今日から始める生前準備のすべて〉、〈第3部 身の回りの整理整頓。人生の最期を考える〉の三部構成からなる『おとなの週刊現代 2024 vol.4 死後の手続きと生前準備』 (講談社MOOK) より一部抜粋・再編集して、人生の最期で失敗しないためのノウハウをお届けする。

一人暮らしでもハードルは高くない

妻に、夫に先立たれた。生涯独り身で、面倒を見てくれる身寄りも近くにいない……。
それでも慣れ親しんだ自宅で最期の時を迎えることを諦めなくていい。前出の柳本氏が話す。

「一人暮らしの方が終末期を自宅で過ごすためには、
(1)食事と排泄のケア、(2)清潔維持、(3)痛みや苦しみの緩和という3つの環境を整える必要がありますが、さほどハードルは高くありません。
基本的にこれらは、訪問介護と看護、訪問診療を利用すれば賄うことができるのです」

多少手が動かせれば、ヘルパーがいない時も、部屋の灯りやテレビ、空調設備の電源などは手元に置いたリモコンで管理できる。

「寝たきりで手が動かせない場合でも、ヘルパーや訪問看護士などに、どのように空調やテレビのオンオフを管理するか指示しておけば、独居の方でも最期まで自宅で生活を送れると思います」(前出・株式会社ウィズ代表・看護師の武藤直子氏)

家の戸締まりも心配しなくていい。置き場所を決めておけば、訪問したヘルパーや看護士がそれを使って家に入れるようにしておける。
不安なら合い鍵を渡しておいて、管理してもらうこともできる。

地域の繋がりを活用する

いまでは多くの自治体で在宅死の制度が整いつつある。
だから、「自宅で逝く」と決めたら、役所と地域包括支援センターに連絡しておこう。
利用できるサービスや制度、依頼可能なヘルパーや訪問看護士、看取り医を紹介してもらうことができる。

ただ、一部の地域ではヘルパーや訪問看護士が不足しているケースがある。
もしくは、すでに利用者が多すぎて新規の依頼を受け付けていない自治体もある。
もし、既存の制度とサービスを頼れないのであれば、「地域の繋がり」を活用するといい。

普段から世話になっているかかりつけ医やデイケアの職員に在宅死の意志をはっきりと伝えれば、適切な人を紹介してもらうことができる。
長い付き合いであれば、彼らもきっとその意志を尊重してくれるはずだ。

環境さえ整えれば、あとは自分の体の状態から予算などをケアマネと相談しながら、自宅で旅立つための生活を組み立てていけばいい。

好きな時間に好きなものを食べ、眠くなったら寝る。酒やタバコも在宅医と相談すれば、多少はたしなむことができる。
病院や老人ホームなどの施設と違って、一日のリズムを自分で決められることが大きな喜びであり、穏やかな最期を迎える秘訣なのだ。

「逝き方」にこだわる

だからこそ、家で自分らしい最期を迎えるという覚悟が重要になってくる。前出の東郷医院院長の東郷清児氏は、「独りで生きていく」という確固たる意志が「孤独死」とは違って、患者に強い生命力を与える、と語る。

「私が診療していた乳がん患者の女性(70代)は、都内の自宅で一人暮らしをしていました。ある日、彼女は肺に水が溜まって呼吸困難になりましたが、入院して肺の水を抜く処置をしたら元気になって退院できた。『また肺に水が溜まることがあったら、少しの間入院して治療を受ければまた家に戻れますからね』と言ったら、『もう絶対に病院には行きませんから、よろしくお願いします』と頭を下げたのです。そしてその2週間後、我々スタッフとご友人が見守るなか、自宅で息を引き取りました。

死を受け入れていた彼女にとって何が大切だったのかを考えさせられました。自宅で最期を過ごすその中に、きっと彼女にとっての生きる意味があったと思うのです」

逝き方は「生き方」でもある。一人で慣れ親しんだ家で最期を迎える―。そこには「孤独死」にない充足感と幸せがあるのだ。

週刊現代(講談社・月曜・金曜発売)
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【問題】マイナスにマイナスを掛けるとなぜプラス?「抜け毛」問題で考えると即納得だった!

【問題】マイナスにマイナスを掛けるとなぜプラス?「抜け毛」問題で考えると即納得だった!
1/8(水) ダイヤモンド・オンライン

 洋菓子店を営む30代女性・マリさん。
1年前に独立したものの、数学が苦手だった彼女はいろいろな壁にぶち当たっていた。
そこで大人向けの数学塾を経営する堀口先生に教えを請い、救いの手を求めることに。
今回は「マイナスとマイナスをかけると、なぜプラスになるのか」という数学の疑問をわかりやすく紐解いていく。
※本稿は、堀口智之『1杯目のビールが美味しい理由を数学的に証明してみました。』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。

● マイナス×マイナスはなぜプラス?
誰もが最初につまずく数学の疑問

 マリさん
 マイナスでつまずいたところを思い出しました!「マイナスとマイナスをかけるとなぜプラスになるのか」という疑問です。

 堀口先生
 たしかに。これは、誰もがつまずくところですよね。では、学んでいきましょうか。

 まず、マイナスをかけ算する前に、かけ算の意味について考えていきましょう。
3×4と4×3はなぜ等しいんだと思いますか?

 マリさん
 え、かけ算は順番を入れ替えても答えは変わらないんですよね?

 堀口先生
 はい。それは学校で習いましたよね。でも、その理由は?

 マリさん
 3個のリンゴが4皿と、4個のリンゴが3皿か〜。うーん等しいのはわかりますが、なぜと言われると混乱します。

 堀口先生
 その「●●が●●個ある」っていう考え方も、基本としてとても大切です。
しかし、型として覚えているだけなので、理由を聞かれても困るかもしれませんね。

 マリさん
 はい。困りました。

 堀口先生
 実は、歴史を振り返ってみると、かけ算は面積を測ることと重要なつながりがあるんです。
それこそ紀元前3000年頃から始まったエジプト文明。
ナイル川の氾濫や洪水が頻繁にあったと言われています。
そんなとき、自分たちの土地が流されて、どこからどこまでが自分の土地と言えるのかわからなくなったことがあったわけです。
だから、土地の面積を測る必要がありました。
かけ算を活用したら面積は測れますよね。つまり、縦×横です。

● かけ算の順番を変えても答えは変わらない でも、−2個ってどういう意味?

 堀口先生
 例えば、その面積が3m×4mと、4m×3mって面積は違いますか?

 マリさん
 いえ、同じです。

 堀口先生
 立つ場所を変えれば、どちらが縦でも横でもよいですね。
 面積は簡単に求めることができるわけです。

 堀口先生
 これが、かけ算の順番を変えても答えが変わらない理由です。

 マリさん
 なるほど、納得しました!

 堀口先生
 では、次に、こんな問題を出してみましょう。
 先ほど3×4を、3個のリンゴが4皿、と解釈されましたが、同様に考えると、(−2)×3っていくつになると解釈できそうですか?

 マリさん
 えっと、−2が3個あるから、−6ですか?

 堀口先生
 はい。その通り!じゃ、3×(−2)は?

 マリさん
 あれ?3が−2個分って……?よくわからなくなりますね。

 堀口先生
 ですよね。でも、かけ算って順番が逆になっても答えは一緒ですよね。

 ということは、先ほどと同じ問題になります。
3×(−2)=(−2)×3なので、答えが同じ−6にならないとおかしいですね。
3がマイナス2個分と考えると混乱しますが、答えは−6とならざるを得ないわけです。
一度そのような法則やルールを決めたら、そのルールに従うように演算の答えも考えていく必要があるんですね。

 マリさん
 なるほど。数学が論理って言われている理由が理解できる気がします。

● マイナス●個がわからないなら 数値線上で考えてみよう!

 堀口先生
 もう少し式を変形してあげると、その式の持つ意味がより深くわかってくることでしょう。
3×(−2)についてもう少し説明しますね。
−2=(−1)×2ですから、つまり−2は、−1が2個分といえます。
よって、3×(−2)=3×(−1)×2=3×2×(−1)と変形できますね。つまり、6×(−1)となるわけです。

 ここで−1をかけるということがどういうことにつながるのかを一緒に考えていきましょう。数直線で考えます。

 堀口先生
 6×(−1)は数値線上で6が−6に移動することになります。
つまり、6が−1個あるとは、原点を中心に180度回転する、もしくは、原点について対称となる位置にその数を移動させることなんです。
つまり、−1個あるとは、回転だったのです!

 マリさん
 −1個ある、と考えてしまうと混乱しますが、マイナスは数直線上においての回転、と考えるということですね。
つまり、「×(−2)」は、「2×(−1)」と考えてしまえば、2倍したものを回転させる、となるわけですね。

 堀口先生
 その通りです!つまり、(−1)×(−1)はどのように考えるんでしょうか。

 マリさん
 −1にある点を原点を中心にして回転させるのであれば、1に戻る……!すごい!!

 堀口先生
 はい。素晴らしい!(−1)×(−1)=1になる理由がわかりましたね。

● マイナス同士のかけ算は 日常的な話でも説明は可能!

 マリさん
 マイナス同士をかけ算すると、プラスになることはわかりましたが、でも、日常的な話ではなくて、数学で説明しているだけのようにも聞こえます。
ああ、数学が嫌だった理由を思い出してきました……!

 堀口先生
 数学は合理的にできているので、先ほどのような説明をしたのですが、たしかに数学的すぎましたね。
でも、現実でもきちんと説明できるんですよ。
先ほどマイナスは、時間軸を想定するからこそ考えられるという話をしました。
では、時間が経つと、減っていくものって何があるでしょう。

 マリさん
 時間が経つと減る……?お金ですか?

 堀口先生
 お金も減りますね。あと、最近私、抜け毛がひどいんですよ。悲しいことに。

 マリさん
 先生もそういったこと気にされるんですね。

 堀口先生
 いや、人からどう見られるかってやっぱり大事じゃないですか。
もちろん、髪の毛が減っても、自信は減らないのですが(笑)。
視線は多少気になるわけです。
で、この抜け毛ってマイナスのかけ算で計算できるんですよ。

 マリさん
 えっ!いきなりきましたね。

堀口先生
 1日10本ずつ髪の毛が減っていくとしたら、3日後にはどうなりますか?

 マリさん
 10×3=30本減っているでしょうか。

 堀口先生
 そうですね。今、減る方向で考えているので、このように式を立てましょうか。

 (−10)×3=−30

 となるわけですね。
では、3日前ならどうなりますか?

 マリさん
 3日前ってことは未来ではなく過去だから、−3日とおけばよいってことですかね。

 そうすると、

 (−10)×(−3)=30

 となりましたね。

 つまり、過去は30本ほど今より毛量が多かった?

 堀口先生
 はい、その通りです。マイナスとマイナスのかけ算がこれでできましたね。

● 企業コストで考えれば さらにわかりやすくなる!

 マリさん
 すごい。現実に応用できましたね。わかりやすかったです!

 堀口先生
 もっと事例はありますね。
例えば、企業でも様々なコストがありますが、そのコストを減らすと結果的に企業にとってみればプラスに働きます。
わかりやすいように具体的に数字を入れてみましょうか。

 売上100万円。コストが90万のとき、利益は10万円ですね。

 数式に落とし込めば、

 100万−90万=10万となります。

 では、コストを5万円下げてみましょう。すると、どうなるでしょう。


 100万−(90万−5万)となるわけです。

 2種類計算方法があります。

 100万−85万=15万

 と、もう一つ。分配法則を使えば、

 100万−90万−(−5万)

 となるわけですね。この3つ目の項が−(−5万)となります。

 −(−5万)=(−1)×(−5万)=+5万と解釈できますから、コストを下げると、利益に対してプラス5万円として働くことは理解できるのではないでしょうか。

 マリさん
 こんな風にマイナスとマイナスのかけ算がプラスになる事例を考えたことはありませんでした。

 堀口先生
 マイナスをかけるとなったとき、マイナス個ある、という風に解釈されるとよくわからなくなりますが、時間軸で考えてみたり、コストが減る、というシチュエーションを考えてみれば、現実的にも理解できますね。


堀口智之
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2025年01月10日

「陰謀論」はなぜ蔓延るのか? 「スピリチュアル」 と混じり合うことで生まれるとてつもなくマズい現象とは

「陰謀論」はなぜ蔓延るのか? 「スピリチュアル」 と混じり合うことで生まれるとてつもなくマズい現象とは
1/9(木) 集英社オンライン

2021年、トランプ大統領の支持者たちが起こしたアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件。
あのときの加害者たちが信じていたのは「選挙は盗まれた」という根拠のない主張だ。
世界中で多くの人たちが信じ込んでしまう「陰謀論」はそもそもなぜ拡大していくのだろうか。

笑えない陰謀論の話

陰謀とは、密かに計画される悪事のことです。
表では公正な競争を装いながら、その裏で企てられる談合のようなケースが該当します。

近頃、随分とネガティブなニュアンスがついたものの、この陰謀や陰謀論という言葉そのものは、本来であればもうすこし気軽に使用できたもののはずです。

しかし、そうも言えなくなってきました。

アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件、ハインリヒ13世を名乗る貴族出身の男が起こしたドイツクーデター未遂事件、そして日本国内におけるワクチン接種会場への不法侵入事件等、陰謀の可能性を考えるのではなく、それを真実であると確信した人々による反社会的活動が後を絶たないからです。

現行法に優越する真理を確信する者たちの反社会的行動が、もはや民主主義を危機に陥れているのは明らかです。

そこで本書では、推測に過ぎない陰謀を真実だと確信し、しかも社会や他者にそれを強要する者を「陰謀論者」とし、そして彼らが確信するその説を「陰謀論」と鍵括弧をつけ記すことで、意味を限定して使いたいと思います。

彼らの思考回路を理解するためには、推理小説やサスペンスドラマをイメージすればよいと思います。

これらの作品では、次から次へと不可解な出来事や情報という「点」が見つかっていきます。
この怪しい「点」が蓄積されていった中盤から終盤にかけて、「点と点が繋がって真犯人が見つかる/謎が解明される」というカタルシスがあり、しかもそこから霧に包まれていた視界が広がるように、一気に物語は全貌を現します。

安倍晋三元首相銃撃事件を例にとって説明すると、たとえば「山上容疑者の立ち位置からは右前頸部に銃弾を当てることはできない」「動機が不可解」といった数々の疑問という名の「点」と、「現場付近のビル屋上にあった白いテントが事件からほどなくして消えている」

「山上容疑者による銃声を調べると空砲であった」といった、あたかも推理小説におけるヒントのような怪しげな「点」が繋がることで、「山上容疑者の銃撃は空砲だ。

確たる動機を有した真犯人に依頼されたスナイパーが、白いテントから狙撃したに違いない」といったように、まさに推理小説やサスペンスドラマのような一つのストーリーが完成してしまうわけです(もちろん、これらの「点」には多くの虚偽が含まれています)。

こうしたコミュニティには、同じような考えを持った人々が集うため、やはり似たような情報が次から次へと流れ込んできます。

能動的に検索して情報を得ることもありますが、アルゴリズムにより自らが求める情報が選別されるわけなので、結局のところは受け身の状態で都合のよい情報を受け取っているのと大差ありません。

そして、数多の真偽が不確かな「点」を積み重ねるうちに、あたかも点と点が繋がるように一つの線でストーリーが繋がってしまい、そのことをもって点たちには信憑性があると認識してしまうわけです。

もちろん、繋がったからといって正しいとは全く限りません。

「陰謀論」と相性のよいスピリチュアル

それでは、そんな「陰謀論」と相性のよいスピリチュアルとは何でしょうか。
色々な説明の仕方がありますが、私は「仮説構成体」を補助線にするのがよいと思っています。

いつも勉強がはかどらないのに、なぜか今日は長時間できてしまう。
いつもはいじめっ子に立ち向かえないのに、今日は歯向かうことができた。
こうした上手く説明ができないことは、日常生活には沢山あります。

しかし、「やる気」や「勇気」という目には見えない言葉や概念を導入してみるとどうでしょうか。
やる気がでたから勉強ができる、勇気が湧いたから立ち向かえる、といったように上手く説明ができてしまいます。

このように、それがあると上手く説明できる言葉や概念が仮説構成体です。

スピリチュアルの世界もまた、「仮説構成体のようなもの」を補助線とすれば、その界隈と無関係の私たちにも大まかに理解ができます。

頭の中にある考えが突然浮かんだという不思議な現象については、神から「波動」を受け取ったから(物理学における波動とは別物です)とか、宇宙の意思と「チャネリング(交信)」したから、といった具合です。

「やる気」「勇気」が「波動」「チャネリング」に変わっただけです。

人間は思ったよりも容易に神秘体験をしてしまうようで、しかもその威力は絶大です。
そんな神秘体験とそれを説明する「仮説構成体のようなもの」が分かち難く結びついてしまえば、自ずとそれは「仮説」ではなく「真実」となり、やる気や勇気と同じように、ありありと波動やチャネリングが実感できるようになるのでしょう。

しかし、だからこそ「陰謀論」と結びつくと非常にマズイことがおきます。

波動やチャネリングによって、神や宇宙意思といった世俗を超越した何かの声を聞いてしまえば、「陰謀論」の正しさが、これ以上ないくらい強力に裏付けられるからです。

その界隈で組み立てられた強引な推論に対し、それは正しいというお墨付きを超越的な何かから受け取ってしまえば、そこに疑いを挟むのは難しいでしょう。

仲間たちとともに過ごす充実した日々

そんなスピリチュアルと混ざりやすい「陰謀論」の界隈では、規範だけでなく壮大な物語も得られます。

ここで記す物語とは、人間が目的に向かって歩む日々のことを指します。
それもただの目的ではなくて、確たる価値基準により生じた目的です。

この目的が社会全体で共有されたとき、それは大きな物語となります。
一刻も早く近代化を目指すべきだ、一致団結して戦争に勝利しよう、成長を続ける日本とともに豊かな生活を実現しよう、といったものです。

が、現代社会ではそのような皆が共有する壮大な物語が消滅してしまったのは周知のとおりです。

ところが、「陰謀論」界隈の住人になれば、そんな物語が簡単に手に入ります。
たとえば、芸能界の裏側には闇の組織が存在していて、彼らの悪事を暴こうとした芸能人たちは殺されてしまったとするものです。

彼らは闇の組織と戦うという使命感を胸に、今日もネット上で活動を続けています。
正義感を胸に宿し、仲間たちとともに過ごす日々は充実しているに違いありません。

しかし、だからこそ彼らは自分の「真実」を社会や他者に強要してしまうという、反社会的な活動に及びがちです。

規範・使命感・物語・仲間・選民意識といったものが軒並み手に入る魅力的な共同体ですが、その副作用もまた甚大なのです。
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物江潤(ものえ じゅん)

1985(昭和60)年、福島県生まれ。早稲田大学理工学部社会環境工学科卒。東北電力、松下政経塾を経て、2024年10月現在は福島市で塾を経営する傍ら社会批評を中心に執筆活動に取り組む。著書に『空気が支配する国』『デマ・陰謀論・カルト』など。

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2025年01月11日

選挙の「当選確実」はなぜ開票直後に出せるの?出口調査による予測がほぼ間違えないワケ

選挙の「当選確実」はなぜ開票直後に出せるの?出口調査による予測がほぼ間違えないワケ
堀口智之:和から株式会社代表取締役
2025年01月10日 07時30分ダイヤモンドオンライン

洋菓子店を営む30代女性・マリさん。
1年前に独立したものの、数学が苦手だった彼女はいろいろな壁にぶち当たっていた。
そこで大人向けの数学塾を経営する堀口先生に教えを請い、救いの手を求めることに。
今回は、「当確が早いのはなぜ?」「出口調査って偏ってない?」など選挙に関する疑問を「確率」を使って徹底解説!意外と知らない選挙のあれこれを数学的に考えていく。
※本稿は、堀口智之『1杯目のビールが美味しい理由を数学的に証明してみました。』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。

開票が始まってすぐに当選確実が出るのはなぜ?

堀口先生
 実は、選挙も確率が応用されています。
投票所が閉じた瞬間に当確が1秒でわかることってありますよね

マリさん
 たしかに。テレビを見ていても、開票が始まったばかりにも関わらず、「当選確実」といった報道が出ることがあって、不思議に思っていました。全然開票してないですよね?

堀口先生
 あれは、出口調査をやっているんですよね。
有権者が投票所を出た直後に、「誰に投票したのか?」を匿名で尋ねます。
このデータから、全体の投票傾向を予測していくのです。
適当な人数をピックアップして、そこから全体の傾向を推定していくわけです。

マリさん
 なるほど。まさに確率っぽいですね

堀口先生
 確率っぽいというより、まさに確率そのものです(笑)。
投票するか、しないかの2択ですから、二項分布としても考えることができます。
例えば、投票した人のうち100人にアンケートをとりました。
このとき、仮にAさんという方に、50人が投票したことがわかったとします。
このとき、日本人全体でどのくらいの人が投票したのかが一発でわかってしまうのです

マリさん
 えっ!たった100人で、ですか?
投票権を持っている大人の100万分の1くらいしかアンケートとっていないのに、わかるわけがないと思ってしまいます。

堀口先生
 そうですよね。でも、わかるのです。
もう少し正確に言えば、だいたいどのくらいの人がAさんを支持しているのかがわかります。
例えば、もう一度100人にアンケートをとるとどうなると思いますか?

マリさん
 それはやはり50人くらいがまた「Aさん」と答えそうです。
でも、先ほどが50人だったからといって、今度は30人かもしれないし、もっと少なくて10人くらいしかいないかもしれませんよ?

堀口先生
 おっ!鋭いですね。
このように、何度か投票した方にアンケートをとると、回答の比率がブレます。
しかし、そのブレ方に法則が出るのです。
実は、このとき、標準偏差が5人であると計算できます。
つまり、平均から±1σ(σ標準偏差)の範囲となる45人〜55人になる確率が約68%であることがわかり、±2σの範囲となる40人〜60人になる確率がなんと約95.4%となるわけです。

「起こらない」ではダメ?
確率を言葉にするのは難しい!

マリさん
 ということは……?

堀口先生
 そう、「39人以下になる確率」と「61人以上になる確率」が合わせてだいたい4.6%くらいしかありませんから、39人以下になる確率は2.3%となるわけです。

マリさん
 では、30人以下が支持する確率はずっと低いということですか?

堀口先生
 その通りです。もっと言えば、±3σの範囲で言えば、35人〜65人となる確率が99.73……%となりますので、Aさんに投票した人が34人以下となる確率は、0.14%以下です。つまり、ほぼありえないわけです。

マリさん
 ということは、さっき私が話した30人となる確率は?

堀口先生
 ほぼありえないです。
でも、“起こらない”という確定的なものではないので「起こらない確率が極めて高い以上、ほぼ起こらないということにしておきましょう」というニュアンスにしておいた方がよいですね。

マリさん
 うーん、確率を言葉にするのは難しいですね。「起こらない」ということじゃダメなんですか?

堀口先生
 実は、その言葉、大切な気づきを与えてくれるんです。
ある科学者がワクチンの危険性についてテレビでアナウンサーに聞かれたとき、こんな発言があったと記憶しています。
「このワクチン、危険性はない、と言い切れるんですか?」この質問に対してある科学者は、「危険性はないとは言い切れないです」と答えました。
このやりとりを聞いたら、どう思いますか?

マリさん
 とても危険なものなんだ、と感じます

堀口先生
 そうですよね。
でも、確率で考えれば、1%、0.1%、0.00001%。どれも小さいけれど、0ではありません。
何か物事には必ず危険はつきものです。
例えば、滑り台だってそうですよね。滑り台の一番高いところの柵の間から子供が落ちるかもしれません。

マリさん
 たしかに。そう考えたら危険です。

堀口先生
 でも、それをやめますか?

マリさん
 やめることはしないですね。
だって、子供の遊び場がなくなりますよ。
シーソーもジャングルジムもすべて撤去になりかねません。

「出口調査=国民の意見」とは限らない
データが偏ってしまう可能性は?

堀口先生
 そういうことですね。リスクとリターンを必ず天秤にかけているんです。

マリさん
 メリットとデメリットの天秤は、日常の中でもよくありますね。

堀口先生
 さて、脱線してしまいました。
元の話に戻りましょう。
つまり何が言いたいかといえば、確率を0にすることはできないので、ある程度の許容できる確率のラインを決めてしまうことが大切です。
選挙の当選確実かどうか、という情報は間違えてはいけない情報です。
ですので、より確率が高い段階で決めたいところですね。
0.14%程度の過ちは許容することを前提に考えるのであれば、100人中50人がAさんに投票したという出口調査の結果に対して、34人以下となることはほぼありえない。
つまり、「35%以上の票は確実に得られた!」として、その選挙の当確ラインが35%の得票率なら、その時点で報道すればよいわけですね

マリさん
 なるほど。でも、少しもやっとします。

堀口先生
 どこがでしょうか?

マリさん
 私の周りでは今の政権についてそれほど批判的にとらえている人はいない印象ですが、しかし、SNS上では批判的な意見が多いです。
つまり、出口調査の結果が実際の国民の意見とは限らないわけですよね?
データが偏ってしまったらどうするんですか?

堀口先生
 実は、データが偏らないように、出口調査は2000以上の投票所で実施されていたり、出口から出てきた人に連続で聞かないようにしたりなどのルールを元に運用されています。
例えば連続で聞いてしまうと、その2人が友人だったりするわけです。
そうなると、投票結果もだいたい似たようなものになる可能性はありますよね。

マリさん
 たしかに。偏りがないように調整してくれているのですね。
いやー、勉強になります。
選挙の中で確率がこんなにも活用されていたとは。
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騙されやすい人は、こんな「狂った世界線」の中にいる

騙されやすい人は、こんな「狂った世界線」の中にいる
1/10(金) ロケットニュース24

私が狂っているのか。皆が狂っているのか。日本が狂っているのか。世界が狂っているのか。地球上にいる全員が狂っているのか。そんなことを思う毎日。

とりあえずネット全体が狂ってる。
いや、私の環境が狂っているのか。

Facebook開いたら、100%の確率で、詐欺広告が出てくる。秒で名誉毀損レベルの、有名人を使った嘘ニュースの詐欺広告が、およそ3投稿ごとに表示されるのだ。

・騙されやすい人は、どんどん騙される環境になっていく
それらは、どんどんパワーアップしていく。

私は自らネット犯罪の世界に飛び込み、犯罪の仕組みや状況を把握するのを、もうかれこれ10年以上も続けているベテラン「迷惑メール評論家」でもある。

そのように詐欺などの世界に飛び込んでいくと、“ターゲティング広告” 的な作用によって、ますます詐欺広告だらけになっていく。

嘘に騙されやすい人は、次から次へと “嘘” が追ってくるような仕組みになっているのが今のインターネットである。

ふと、なんのために私はFacebookを開いているのだろうか……と思うことがある。実際の知人の投稿すら嘘に見える。

あまりにも嘘が多すぎるため、もうなんだか麻痺してきている私もいる。まるで「虚構新聞」を見ているようだ。

・どんな嘘ニュースが流れてくるのか?

ちなみに私の世界線では、

■タモリが起訴
■キムタク、有罪を認める
■石破茂首相が告発
■高市早苗が告発
■孫正義が起訴
■中居正広を日銀が提訴
■黒柳徹子を日銀が提訴
■大谷翔平を日銀が提訴
■千鳥の大悟、重体
■水卜ちゃん指名手配
■小島よしお逮捕される
■笑福亭鶴瓶が後悔
■投資家テスタさんが300万円を100億円にする極意を教える

そんなニュースが、本当に3投稿ごとに表示されている。

私が今見ている狂ったFacebookは、上記の嘘ニュースに「マジで?」と反応してしまった人(=騙されやすい人)も、同じような状況になっていることだと思われる。

なぜなら重ね重ね説明するが、上記のように、“ターゲティング広告” 的な作用によって、どんどん “似たような広告(嘘だらけの詐欺広告)が追ってくる” からだ。

つまり私が見ている世界線は、普通の人ではなかなか行き着けないであろう「騙されやすい人が見ている世界線」でもあると言える。

・相手の目的は金と個人情報

ニュースを見ると、読売新聞をはじめとした有名新聞社のニュース(のフリをした嘘サイト)であるが、結局のところ最終的には「いま4万円ほど投資すれば、あとはAIが勝手に株などを運用してくれて大金持ちになれる」という “うまい話” に行き着く。

大金持ちになるためには、4万円程度の手付金以外にも、パスポートや免許証やマイナンバー。銀行口座にクレジットカードに住所に電話番号……と、すべての個人情報を捧げなければならない。

もちろん、大金持ちになれるというのは嘘であるし、上記の芸能人を使ったニュースも嘘である。

支払った4万円なんて返ってこないし、教えてしまった個人情報は悪用されるのがオチ。
これがいわゆる “なりすまし投資詐欺” というやつである。

いずれにしても、こういう詐欺は、
“騙される人がいるから無くならない。”
のである。

もっと砕けて言えば「詐欺師が儲かり続けるから無くならない」のだ。

・一体誰が狂っているのか

以前の記事にも書いたが、こんな “なりすまし投資詐欺” に対し、昨年2024年の4月、ホリエモンこと堀江貴文氏と、zozo創設者の前澤友作氏が、自民党の合同勉強会に出席し、実情を訴えた。

「ずっとなめられている。規制しないとだまされてしまう人が出る」と堀江氏。
「シンプルにプラットフォーム規制を」と前澤氏が提言。

しかし、結局のところ何も政府は具体的な法整備をせず、上記のように政治家である石破首相や高市早苗氏まで “なりすまし投資詐欺” の題材に使われる始末。

警視庁がさかんにデータを公開していることからもわかるように、ネット犯罪の件数は年々右肩上がり。いったいどこまで増え続けるのかと不安になるが、ストップするはずがないのである。

なぜならば法整備をしない限り、日本の警察も、日本の政府も、そして日本の政治家も、日本のトップも、この詐欺師たちに何も手が出せないからである。

私が見ているFacebookの世界線は、明らかに狂っている。

だが、こんな狂った状態を放っておくリアルな世界線もまた、虚構の世界以上に狂っていると私は思う。

日本は今、まんべんなく狂っている。


執筆:迷惑メール評論家・GO羽鳥
こちらもどうぞ → 『GO羽鳥の【実録】迷惑メールシリーズ』
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2025年01月12日

税務署に「狙われやすい人」5つの特徴とは?

税務署に「狙われやすい人」5つの特徴とは?
2025年01月11日 ダイヤモンドオンライン

人生100年時代、お金を増やすより、守る意識のほうが大切です。
相続税は、1人につき1回しか発生しない税金ですが、その額は極めて大きく、無視できません。
家族間のトラブルも年々増えており、相続争いの8割近くが遺産5000万円以下の「普通の家庭」で起きています。

本連載は、相続にまつわる法律や税金の基礎知識から、相続争いの裁判例や税務調査の勘所を学ぶものです。
著者は、相続専門税理士の橘慶太氏。相続の相談実績は5000人を超えている。
大増税改革と言われている「相続贈与一体化」に完全対応の『ぶっちゃけ相続【増補改訂版】 相続専門YouTuber税理士がお金のソン・トクをとことん教えます!』を出版する。
遺言書、相続税、贈与税、不動産、税務調査、各種手続という観点から、相続のリアルをあますところなく伝えている。2024年から贈与税の新ルールが適用されるが、その際の注意点を聞いた。

■どんな人が税務署に狙われるのか?

 本日は「相続と税務署」についてお話をします。
年末年始、相続について話し合った方もいらっしゃるかと思います。ぜひ参考にしてください。

 本日は「税務署に狙われやすい人、5つの特徴」というお話をしていきます。

■@富裕層
 1つ目の特徴はズバリ「富裕層」、いわゆるお金持ちですね。
資産規模が大きい人ほど、税務調査が入りやすい傾向があります。
税理士の間では、資産が3億円を超えてくると、かなり高い確率で税務調査が行われると言われています。
また、基礎控除を少し超えるくらいの規模の方でも調査が入ることがあります。

「大きな財産がないから大丈夫」というわけではありません。
地域によっても“富裕層”の基準は変わります。
例えば、東京の港区や世田谷区など、全国的にお金持ちが多い地域とそうでない地域とでは、基準が変わります。
仮に同じ財産規模でも、その地域の「富裕層」に入ってしまうと、やはり調査対象になりやすいという傾向があります。

■A経営者・個人事業主
 2つ目の特徴は会社の経営経験がある方、もしくは個人事業主としてビジネスをしていた方は、調査に入りやすいですね。
私が立ち会った調査を振り返ってみると、経営者だった方が非常に多いです。
会社経営をしていた方の場合は、個人の財産だけでなく会社の財産もチェックされ、株主名簿を見せてほしいなど、法人と個人との間で何か不自然な取引がなかったか確認されます。

 歯科医や弁護士など、個人で開業している専門職の方も同様です。
要するに、自分で事業を行っていた経歴がある方は、注意が必要ということですね。

 さて、残り3つの特徴を見ていきましょう。

B海外への送金(または受け取り)の経験がある
 3つ目の特徴は、海外への送金(または受け取り)の経験のある方です。
海外にお金を送ったり、海外からお金を受け取ったりしたことがあると、かなり高い確率で調査対象になると考えていいでしょう。
100万円を超える送金や受金があると、銀行から税務署に報告が上がります。
送金理由が「親族への贈与」といった場合は、特に問題視されやすいです。
最近は海外との取引について税務署が非常に敏感になっていますので、該当する方は気をつけてください。

C生前の高収入に比べて相続財産が不自然に少ない
 4つ目の特徴は、高収入だった方です。
税務署は「KSKシステム」という国税総合管理システムを使って、その方が生前中どれくらい稼いでいたか、資産をどの程度持っていたかを把握しています。
たくさん稼いでいたはずなのに、申告された相続財産が極端に少ないと「何か隠している」と疑われる。
 実際には、被相続人が生前にたくさん使い切ってしまっただけでも、税務署側にはわかりません。
使い道がギャンブルであろうが何であろうが自由ですが、「少ないな」と思われると、やはり調査対象になりやすいわけです。

 所得水準がそれほど高くないのに、たとえば3000万円、4000万円といったまとまったお金を持っているとします。
自分で貯めたわけじゃないと疑われるわけです。
「このお金、元々どこから来たの?」という話になります。

 たとえば25歳や30歳くらいの若い方が不動産を購入した場合、住宅ローンを組まないで抵当権が設定されていなかったりすると、「この年齢で現金一括払い?」と不自然に思われます。
普通は銀行が貸し倒れを防ぐため抵当権を設定するんですが、それがないと「親から資金援助があったんじゃないか?」と推測されます。
資金援助があれば本来は贈与の申告をする必要がありますし、親から借りているなら貸付金として申告しなければなりません。
つまり、亡くなった方だけでなく、家族全体の財産構成までチェックされることがポイントです。

D所得・年齢に不釣り合いな財産を持つ親族がいる
 5つ目の特徴は、所得水準や年齢に見合わない財産を持つ親族がいるケースです。
例えば、小さいお子さんの通帳に明らかに不釣り合いな金額が入っているとします。
働いていない子供なのに、なぜこんなにお金があるんだろう、となるわけです。
年間110万円を超える贈与には本来申告が必要ですし、それをしていなければ、子供名義の財産も相続財産として扱われ、後々問題になる可能性があります。
名義預金と呼ばれるパターンですが、こういった不自然な財産の動きがあると、当然税務調査の対象になりやすいというわけですね。

 年末年始、相続について話し合った方もいらっしゃるかと思います。ぜひ参考にしてください。


(本原稿は『ぶっちゃけ相続【増補改訂版】』の一部抜粋・追加編集を行ったものです)

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周りの人の言動を気にしすぎてしまう…臨床心理士が解説する、3つの原因と対処法

周りの人の言動を気にしすぎてしまう…臨床心理士が解説する、3つの因と対処法
1/10(金) ヨガジャーナルオンライン

周りの人のちょっとした言動を気にしすぎていませんか?
「小さいことをいつまでもくよくよ気にしている自分が嫌だ」と思い悩んでいる人もいるかもしれません。
今回は周りの人の言動が気になってしまう原因と対処法について解説します。

■周りの人の言動を気にしすぎるのはなぜ?

まずは、周りの人の言動が気になる3つの原因について解説します。

■■他者に嫌われたくない

周りの人の言動を気にしすぎる原因の1つは「他者に嫌われたくない」こと。

自分の意思と周りの人の意思がずれるとケンカになったり、嫌われたりするかもしれません。
そんな事態にならないために、徹底して周りの人の言動をキャッチし、それに合わせてしまうのです。

■■過去のトラウマ

周りの人の言動を気にしすぎる原因の2つ目は「過去のトラウマ」です。

例えば、過去にみんなの前で失敗をして、笑われたり、からかわれたりした体験があると、「二度とあんな思いはしたくない」と考えます。
その結果、周りの人が自分のふるまいに対して、悪いことを言っていないかを過剰に気にするようになります。

■■完璧主義

周りの人の言動を気にしすぎる原因の3つ目は「完璧主義」です。

いつも「絶対に失敗しちゃダメだ」「100点じゃないとダメだ」と考えています。
もちろん、周りの人からも高い評価を得なければ満足できません。
万が一にも悪い評価をつけられはしないかと、いつも気にしています。

■周りの人の言動を気にしすぎない対処法

ここからは、周りの人の言動を気にしすぎない対処法を3つご紹介します。

■■色々な考え方を持ってみる

周りの人の言動を気にしすぎる人は、「周りの人の言動に合わせられないと嫌われるに違いない」「油断していると笑われるに違いない」などネガティブな確信を抱いています。

しかし、もっと別の考え方もできるかもしれません。例えば、

「この程度のことで嫌われることはないだろう」
「嫌われたならそれまでの関係だったんだ」
「私が〇〇しても、××さんは笑わないだろう」
「笑われても一緒に笑えばいい」
などです。

ほかにも色々な考え方ができるでしょう。

柔軟に考えることで「周りの人の言動を気にしなければ」という気持ちは少しずつ和らいでいきます。
自分では考えられない人は、家族や友人に「あなたならどう考える?」と尋ねてみても良いかもしれません。

■■小さな成功体験を重ねる

周りの人の言動を気にする人は、自分の選択に自信がなく、他者の選択に頼りがちです。

自分の選択に自信が持てるように、小さな成功体験を重ねましょう。

例えば、
・自分の食べたかったお菓子を買ってみる
・自分の行きたかった映画を観に行ってみる
・気になっていた喫茶店に入ってみる
・自分の好きなぬいぐるみを買ってみる
など、
自分の意思を実現してみるのです。

自分の選択の結果、ポジティブな体験ができれば、少しずつ自分の選択に自信がつきます。
その結果、周りの言動ばかりに振り回されなくなっていきます。

■■あえて失敗してみる

周りの人の言動を気にしすぎる人は、あえて失敗してみるのも1つの手。

例えば、次のような失敗です。

・周りの人の意見にあえて違う意見を言ってみる
・シャツのボタンをわざとつけ忘れてみる
・完璧ではない書類を提出してみる

わざと失敗しても、「思ったより笑われなかった」「完璧じゃなくても問題なかった」などの体験を重ねることで、「そこまで周りの言動を気にしすぎなくてもよかったんだ」と実感できます。

■おわりに

「いつもより周りの言動が気になる」という場合は、心身の調子を崩しかけている可能性があります。
意識的に休息をとりましょう。
周りの言動が気になりすぎて、日常生活も苦しい場合は、医療機関の受診をおすすめします。

ライター/佐藤セイ(臨床心理士)
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2025年01月13日

「置かれた場所で咲きなさい」そんなよくある自己啓発本の助言を、禅僧が真正面から否定するワケ

「置かれた場所で咲きなさい」そんなよくある自己啓発本の助言を、禅僧が真正面から否定するワケ
1/12(日) プレジデントオンライン

ネガティブな気持ちになった時、それを乗り越える方法はあるのか。
禅僧の南直哉さんは「そもそも人生とはネガティブなもの。無理な前向き思考は自分を追い詰めることになる。無理して前向きに生きようとしてはいけない」という。
南さんの著書『新版 禅僧が教える心がラクになる生き方』から紹介する――。

■人生はネガティブで当たり前

 「私はネガティブなんです」「もっと前向きに生きたいのに、自信がなくてどうしてもポジティブになれないんです」とおっしゃる方が最近増えました。

 率直なところ、そもそも人生とはネガティブなものなのに、今さら何を言っているのかなと思います。
ところが、話を聞いてみると、どの方もそれなりに安定した生活を送っていて、大変な問題が起きているようには見えません。

 それで、何がどうネガティブで、何に対して自信がないのかを具体的に聞いていくと、当の本人もよくわからないのです。

 「楽しくない人生はネガティブだ」と考えて、漠然と悩んでいるだけのことも多いように見受けます。
また、「最近うまくいってなくて」とぼやく人もいます。

 何がうまくいってないのかを聞いてみると「いや、いろいろ考えてしまって……」と口ごもり、「いろいろ」の内容が言えません。
ただなんとなく、このままではいけないと思っているにすぎないのです。

 私には、悩んでいる人たちが、「ネガティブ」「うまくいかない」などの言葉を自分に貼りつけた時点で安心して、考えることをやめてしまっているように見えます。

 しかし、生きることへの違和感があるのなら、その「ネガティブ」や「いろいろ」の中身をきちんと考えなければ先へ進めません。

 自分が何に困っていて、何が欲しいのか。

自分がどんな状況にいて、どう変えたいのか。

 それを見極めるためには、置かれた状況を冷静に見て、具体的に考えていく根気が必要です。

■「よりマシなほう」を選ぶ生き方

 今、人生の問題を解決するとうたう本や情報は、世の中にあふれています。

 しかし、人生は複雑なものです。
人はそれぞれ環境も条件も違います。
考える手間を省いて、出来合いのノウハウをあてはめようとしても、うまくいくはずがありません。
即効性を期待して、インスタントにやろうとすればするほど、失敗します。

 残念ながら、何十年もかけて自分の中で育ってきた問題が、一発で解決することなどあり得ないのです。

 たとえば、坐禅体験を一度しただけで、悟りを開けると思う人はいないでしょう。
プチな修行ではプチな結果しか得られないように、インスタントな解決を求めれば、それなりの成果しか出ないのは当然です。

 それでも、どうにかしたい状況があるのなら、自分が「これは!」と思ったことを実際に試し、少しずつ修正していくしかありません。

 それは面倒なことでしょう。ただし、手間と時間と根気をかける価値はあります。
手間暇をかけたからといって、問題が解決するとは限りません。また、やり続けるにはストレスもかかります。

 しかし、それでも続けていくうちに、問題をなんとかいなして感情をなだめ、「べき」を見つける道筋は見えてくるはずです。

 問題や感情に振りまわされて、ストレスを感じるのか。

手間暇をかけることに、ストレスを感じるか。

 生きていくうえで、どちらを選ぶのかという話です。

 「損得」を棚上げにして、できることはやったのだという「納得」が得られるまで持ちこたえられれば、私は上出来だと思います。

■「置かれた場所」で咲けなくていい

 「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を初めて知ったとき、私は思わず笑ってしまいました。
「幸運にも自分が置かれたい場所に置かれたのならともかく、誰かに一方的に置かれた場所でただ咲けとは、いったい何を言っているのだろう」と思ったのです。

 その「置かれた場所」とは、「たまたま置かれた」にすぎない場所です。それを絶対的なものと捉えて、しかも「そこで咲け」と言うのですから、なんとも過酷な話です。

 たとえどんなに理不尽で厳しい立場に置かれようが、それを受け入れ、我慢して自己実現に努力せよと言うのであれば、私から見れば差別的ですらあります。

 また理屈を言うようですが、たとえば南北戦争前のアメリカでも、黒人は「置かれた場所」で咲かなければいけなかったのでしょうか。

 ただ、このタイトルの本が大ヒットした理由はわかります。

 このように言われたら、自分が苦しい立場に置かれていても、諦めがつくからです。

 仏教では、すべての物事は、ひとつの条件によって成立している「仮のもの」だと考えます。
人間関係も、仕事も、家庭も、常に一定の条件でしか成立しないあいまいなものです。

 今、自分がどんな場所に置かれ、どんな状況にあろうと、それは一時的な状況だと捉えるのが、仏教の視点です。

■人間関係も、仕事も、家庭も仮のもの

 たとえば、同僚や上司との人間関係がうまくいかなければ、それは深刻な問題かもしれません。しかしそこを辞めれば、職場の人間とは一切の関係がとぎれます。

 また、学校でどんないじめに遭っていたとしても、転校したり卒業したりすれば、いじめた相手とは縁が切れます。
家族でさえ一緒にいるから「家族」なのであって、離婚したり、生まれてすぐ親子が離れ離れになったとしたら、赤の他人同士です。

 たとえ、自分でその場所を選んだのだとしても、予想に反して「たまたま」つらい場所だったということはよくあります。それならば、別の場所を探してもいいし、もうしばらくその場所に居続けると決めてもいい。そこにいるかいないかは、自分自身で選べます。
本当につらいのは、その選択の余地がないときです。

 「自分の居場所がどこにもない」と言う人がいますが、居場所がなくて当たり前なのです。

 すべては「仮の宿」であり、一時的な場所ですから。

■いまの自分を受け入れる

 どんな場所も人間関係も、「絶対」ではありません。
そこに行けば一生安心と言える居場所など、この世にはあり得ません。

 もし「自分の居場所が欲しい」と思うのなら、自分で探すか、居場所を確保するために、ここと決めた場所が少しでも居心地がよくなるよう工夫するしかありません。

 「いや、今いる場所で咲こうとするくらいの根性がなければダメだ」と言うのは、「今いる場所」や「自分」が、絶対的な存在だと勘違いしているだけです。

 「誰か」の価値基準を無条件に受け入れて、そこで咲けるよう努力しろと言う。これは、仏教の立場ではかなりおかしな話なのです。

 置かれた場所で咲かなくてもかまわない。

 ただ、やり方によっては咲くこともある。その程度のスタンスで「置かれたところ」にいれば十分だと私は思います。

----------
南 直哉(みなみ・じきさい)
禅僧

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突然の【こむら返り】激痛の原因は?正しい対処と予防方法も紹介

突然の【こむら返り】激痛の原因は?正しい対処と予防方法も紹介
2025年1月13日 ココカラネクスト

 皆さんは、寝ているときに突然足がつって目が覚めてしまった経験はありませんか?
運動中や就寝中に突然起こる激痛に悩まされるのはつらいですよね。

「足がつる」とは、足の筋肉の痙攣のことで、「こむら返り」ともいいます。

この記事では、こむら返りが起きたときの対処方法と予防方法についてご紹介します。

「こむら返り」は体からの危険信号

1.こむら返りの原因

こむら返りとは、筋肉の過度な収縮によって痛みを伴う痙攣が起きていること。
つまり、筋肉が縮みすぎてしまっている状態です。
では、なぜ筋肉が痛いほど縮んでしまうのでしょうか。以下の原因が考えられます。

(1)筋肉の疲労
(2)水分不足
(3)ミネラルバランスの乱れ
(4)冷え(※1)
(5)自律神経の乱れ(※2)
(6)糖尿病や甲状腺機能低下症など何らかの病気

その他、加齢やストレスもこむら返りの原因となることがあります。

1-1.春はこむら返りが起きやすい?

筋肉の疲労やミネラルバランスの乱れなど、さまざまな原因で起こるこむら返り。実は、とくに春はこむら返りが起こりやすいと考えられています。

私たちのからだは、暑さや寒さを感じると、自律神経を働かせて体温を調節します。
そのため、寒暖差が激しい春は自律神経のバランスが乱れがちになるのです。(※3)

また、春は就職、引っ越しなど身の回りの大きな変化がありストレスもたまりがち。ストレスもまた、こむら返りの原因のひとつであるため、春はこむら返りのリスクが高まる季節と考えられます。

2.こむら返りの正しい対処法

こむら返りが起こったとき、あまりの痛みにあわててしまうこともしばしば。
できるだけ早く痛みを軽くしたいですよね。
そこで、こむら返りが起こったときの正しい対処法と、普段からできる予防方法を合わせてご紹介します。

2‐1.痙攣が起こったとき

(1)筋肉を伸ばすストレッチをする:
こむら返りが起こったとき、筋肉は縮んでいる状態です。そのため、筋肉を優しく伸ばしてあげると、痛みがやわらぎます。

例1:つま先をつかんで、ゆっくりすねの方に引いてふくらはぎを伸ばす
例2:立った状態で壁に両手をつき、体重をかけながら痛い方の足を伸ばす

(2)痛いところをさする:
すぐにストレッチをするのが難しいときは、痛いところをさするだけでも痛みがやわらぎます。

2‐2.日常的な予防方法

こむら返りが起きたときに対処することも必要ですが、そもそもこむら返りが起こらないように予防することも大切です。
普段の生活のなかで、予防のためにできることをご紹介します。

(1)水分補給を心がける:運動前や就寝前はとくに意識する

(2)足を冷やさない:寝るときに靴下を履く

(3)ミネラルを摂る:海藻類、ナッツ類、乳製品、大豆製品などを摂る

(4)筋肉をほぐすストレッチをする:ふくらはぎや太ももの筋肉をストレッチする


取り組みやすい予防法から実践し、少しずつ習慣化していけるといいでしょう。

3.こむら返りの対策には漢方薬もおすすめ

予防法を試しても、こむら返りが何度も繰り返されてつらいという方には、漢方薬の服用もおすすめです。

漢方薬は対症療法だけではなく、体質の改善に働きかけることで、つらい症状の根本的な解決にも役立ちます。

また、セルフケアを毎日続けるのは苦手という方でも、お薬を服用するだけなので手軽に継続できるというメリットがあります。


こむら返りの対策には、「血液や水分の循環をよくして筋肉をゆるめる」「筋肉に酸素や栄養を届け、疲労を軽減する」「からだを温めて筋肉をゆるめる」などの働きがある漢方薬を選びます。

<こむら返りの対策におすすめの漢方薬>

●芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
:筋肉の緊張をゆるめて、痙攣で生じた痛みをすばやく緩和するため、こむら返りが起きたときに頓用で使用されます。

●疎経活血湯(そけいかっけつとう)
:栄養を補って血液や水分の循環を改善し、冷えている部分を温めて、関節痛や神経痛、筋肉の引きつりや痛みをやわらげます。

4.予防と対処のダブルで撃退!こむら返りはもう怖くない

とても痛いこむら返り。普段からできる予防法と、起きたときの対処法のダブル対策でこむら返りに苦しまない生活を目指しましょう。

漢方薬を上手に取り入れて、万全の対策を!

参考サイト
(※1)倉敷平成病院だより栄養科通信 vol. 135「『こむら返り』を予防するポイント」http://www.heisei.or.jp/blog/?p=9425  
(※2)一般社団法人公衆保健協会 検査室「検査室だより」https://www.hoken-k.or.jp/kc/files/bulletin/202205.pdf
(※3)一般社団法人 新潟県労働衛生医学協会 新潟ウェルネス「春と自律神経の乱れについて」https://www.niwell.or.jp/news/health/000052.html

[文:あんしん漢方]

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

※この記事は2024年10月10日の再投稿(再編集)記事です

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2025年01月14日

最低賃金引き上げが話題だが…「行き過ぎた弱者保護」に潜む、弱者を苦しめるリスク【経済評論家が解説】

最低賃金引き上げが話題だが…「行き過ぎた弱者保護」に潜む、弱者を苦しめるリスク【経済評論家が解説】
1/12(日) THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)

安心して暮らせる社会には、さまざまに配慮された法律や社会保障制度が不可欠です。
しかし、あまりにも「弱者保護」が行き過ぎると、社会全体の負担が大きくなり、本末転倒になりかねません。

経済評論家の塚崎公義氏が解説します。

最低賃金が高額化すると、企業が「雇わない」選択をする懸念も

「経済には温かい心と冷たい頭脳が必要だ」というのが筆者の信条です。
そんな筆者が書いた本稿は、もしかしたら「弱者を保護する政策」に反対しているかのような印象を与えるかもしれず、読者は筆者を冷たい人間だと思うかもしれません。

しかし、筆者は被災地に寄付をしたりしますし、心の温かい人間だと自負しています。
子育ては、温かい心だけだと子どもを甘やかすことになり、子どもが立派に育たない可能性があるので、冷たい頭脳も必要です。それと似ているかもしれません。

最低賃金の引き上げが話題になっていますが、これは温かい心から出てくる政策だといえます。
しかし、最低賃金が高くなりすぎると「それなら雇わない」という企業が増えることで失業者が増え、かえって労働者が困ることになるかもしれません。

貧しい人のため、狭い家の家賃を安くするという政策も温かい心から出てくるのでしょう。
しかしそうなると、貸し手は「それなら金持ち向きの広い家を建てよう」と考えるので、狭い賃貸住宅が減ってしまい、貧しい人は家が借りられない、といったことにもなりかねません。

女性の重労働を禁止しよう、というのも温かい心から出てくる政策ですね。
しかし、そうした政策が実行に移されると、企業が男性ばかり雇うことになり、女性の失業率が上がってしまうかもしれません。

女性のなかには「どうしてもお金がほしいから、時給が高い重労働を積極的に行いたい」という人もいるでしょうし、「男性ライバルより頑張って働いて出世競争を勝ち抜きたい」という人もいるでしょうが、そうした人々からすれば「余計なお世話」ですね。

弱者保護が「弱者全体の利益」になるとは限らない

筆者は、弱者保護を一律に否定するものではありません。
弱者保護が弱者全体としてメリットになる場合も多いからです。
そのあたりの状況をしっかり勘案して政策を立案すべきだ、といっているだけです。

たとえば最低賃金を10%引き上げた場合、雇用が20%減ってしまうのであれば、労働者全体の収入が激減してしまいますから、最低賃金は導入すべきではありません。
しかし、最低賃金を10%引き上げても雇用が1%しか減らないのであれば、労働者全体としての所得は大きく増えますから、引き上げてもよいでしょう。
1%の労働者は失業するでしょうが、その人たちには失業手当を手厚く支払ってあげればよいのですから。

狭い家の家賃を安く統制したとしても、今ある狭い家が取り壊されるわけではないでしょう。
したがって、短期的には貧しい人にメリットがあります。
貧しい人が困るのは、現存する狭い家が古くなって取り壊されるときですから、それまでに経済を成長させて貧しい人を減らす自信があるなら、試みる価値はありそうですね。

女性の重労働を禁止することで、短期的には女性の失業が増えるかもしれませんが、企業行動の変化を期待するという選択肢もあるでしょう。
労働力希少(労働力不足と呼ぶ人が多い)の世の中であれば、企業は「女性を軽労働に使い、男性を重労働に使う」ようになるかもしれません。

そうなれば、女性の失業率は上がらないかもしれません。
重労働の方が賃金が高い場合には、男性の方が所得が高くなってしまうという問題はありますが、賃金格差が小さければ、女性にとって悪い話ではないでしょう。

「行き過ぎた弱者保護」が皆を不幸にする可能性

過ぎたるは及ばざるが如し、といわれます。
受験生が勉強するのはいいことですが、睡眠時間を削って勉強して体調を崩してしまうようなことは避けるべきでしょう。
経済政策も同じです。やりすぎてはいけません。

失業者を保護するために、失業手当を増額するのは、温かい心から出てくる政策ですね。
しかし、失業手当が高くなると、「苦労して働くよりも失業手当をもらって楽に暮らしたい」という人が増えてくるかもしれません。

そうなると、働いている人が払う雇用保険の保険料が値上がりするので、一層多くの人が働くのをやめて失業手当で暮らすようになるかもしれません。
そうした悪循環が続くと、経済全体としての生産量が減り、国民全体が貧しい生活を強いられることにもなりかねません。

もうひとつ、弱者を保護するためには、強者に負担を強いることが必要ですが、それが行き過ぎると皆が貧しくなる可能性もあるので、要注意です。

たとえば末期がん患者を1日延命する薬が1億円だったとします。「貧しい人も長生きできるように」ということで健康保険で薬が使えるようになると、何が起きるでしょうか。

1億円というのは国民1人あたり1円ですから、1万人の末期がん患者を100日延命するために、国民1人あたり100万円の負担になります。
そうなると、人々は消費を減らしますから、大不況が来て、全員が不幸になってしまうかもしれません。
さすがに、そんな政策は採用できないでしょう。

今回は、以上です。なお、本稿はわかりやすさを重視しているため、細部が厳密ではない場合があります。ご了承いただければ幸いです。


塚崎 公義
経済評論家
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本格的な冷え込み…怖いのは「湿度の低下」「水分不足」 基礎疾患を持つ人は特に注意を 医師が語る

本格的な冷え込み…怖いのは「湿度の低下」「水分不足」 基礎疾患を持つ人は特に注意を 医師が語る
1/13(月) よろず〜ニュース

 冷え込む日が増えてきました。
寒さとともに脳卒中、心筋梗塞などの循環器疾患が急増しており、高血圧、糖尿病、脂質異常症などの基礎疾患をお持ちの患者さんは気をつけて生活をしなければなりません。

 短時間での寒暖差は非常に危険です。
過度の血圧の変動、血管の収縮伸展が体内循環のバランスを崩すことにより、血管に過度の負荷がかかり、不幸の転機を来すことがあります。
外出時には、防寒対策をしっかりと行い、屋内においても特にトイレ、お風呂場、脱衣所などの温度差が少なくなるように工夫をすることが大切です。

 寒さとともにやってくるのが、湿度の低下です。
そして、それとともに猛威を振るうのが、ウィルス感染です。
新型コロナウィルスや新興感染症などの例外はありますが、一般的にウィルス感染が大流行するのは、寒くて、乾燥する冬の季節です。

 最近は気密性の高い住宅やマンションが増えて、屋内で極端に湿度が低下することは少なくなったかもしれませんが、湿度は50%〜60%が適切だとされています。
70%以上になりますと、カビなどが繁殖しやすい状況になりますので注意が必要です。

 また、鼻閉などにより開口して睡眠をとる人は、口腔内が極度に乾燥し、ウィルス、細菌に感染したり、粘膜損傷による痛み、出血を来すことがあります。
不織布マスクもいいのですがガーゼ、小さなタオルなどをマスクの中に入れることにより、呼気の中に含まれる水分が再吸収され、口腔内、鼻腔内の乾燥を防ぎ、ウィルス、細菌感染の防御にも役立ちます。

 起床時には外れていることが多いのですが、就寝時の上記のようにマスクをつけて睡眠することにより、起床後の口腔内の乾燥を劇的に改善することも可能です。

 さらに寒さは、内臓の動きにも負担をもたらせます。
消化管の動きが悪くなり、便秘が増悪します。
また、汗をかきにくいので水分摂取が少なくなることも要因の一つです。
起床後に白湯などをのみ、水分摂取と内臓を温めることもお勧めです。

◆谷光利昭 
兵庫県伊丹市・たにみつ内科院長。
外科医時代を経て、06年に同医院開院。
診察は内科、外科、胃腸科、肛門科など。


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記事に関する報告


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2025年01月15日

“粘着質”な値上げは’25年以降も続く見込み 「ラッシュの“再来”ともいえる状況」

“粘着質”な値上げは’25年以降も続く見込み 「ラッシュの“再来”ともいえる状況」
2025年01月14日 女性自身

「’24年通年の値上げ品目数は1万2千520品目と、’23年の3万2千396品目からは減少する形となり、怒濤の値上げラッシュも一段落という見方もありました。

しかし、“粘着質”な値上げは’25年以降も続く見込みで、今年1月から4月にかけては約6千品目が値上がりする予定。
この数字は前年同月時点から約5割の増加となり、ラッシュの“再来”ともいえる状況です」

こう分析するのは、毎月『「食品主要195社」価格改定動向調査』を発表している、帝国データバンク情報統括部の飯島大介さんだ。
昨年12月以降の値上げでまず目立つのは、パックご飯。

サトウ食品は12月2日出荷分から「サトウのごはん」の全64商品を11〜14%値上げ。越後製菓でも同時期にパックご飯などを12〜15%値上げしている。
上記2社に追随するように、テーブルマークも1月6日納品分からパックご飯全製品にあたる22品に対し、9〜18%も価格を引き上げたのだ。

「昨夏から秋にかけて、インバウンド需要などによる米不足で米価格が上昇しました。
いまでこそ店頭に米が並ぶようになりましたが、新米価格は高止まりした状態が続いています。
さらにパックご飯の場合は、プラスチック容器など包装資材の高騰による影響も大きく、各社一斉値上げに踏み切ったという印象です。

単身者ばかりでなく、共働き世帯のニーズも高まり、近年10%ほど市場が伸びていただけに、業界にとっては痛手です」(飯島さん、以下同)

忙しい朝の救いの手となるパックご飯ばかりでなく、今年4月にかけ、朝食に関連する食品の値上げが数多く控えている。
まず、米価上昇に呼応するように、米を使用した冷凍食品だ。

ニチレイフーズは2月1日納品分から、「焼きおにぎり10個入」「本格炒め炒飯」など、家庭用冷凍食品のすべての米飯商品を対象に10〜30%もアップ。
冷凍食品を主力とする他社も、3月に値上げを実施する予定だ。

「トラック不足のなか、冷凍車まで手配しなければならないなど、物流コストがネックになっています。
また、冷凍食品は大規模工場で製造されるため、賃上げによる人件費の増加も大きいです」

和食に欠かせないみそ汁やふりかけも値上げへ。
永谷園は原材料価格の高騰などを理由に、2月1日納品分から市販用の即席みそ汁(11品)、ふりかけ(4品)などを6〜16%引き上げる。

朝は洋食派という人にとって大きな負担増となるのが、パンの値上げだ。
山崎製パンは、1月1日出荷分から「ロイヤルブレッド」「超芳醇」「ダブルソフト」など食パンを平均5%、「薄皮つぶあんぱん(4個入)」「ルヴァンバターロール(6個入)」など菓子パンを平均5.3%値上げした。
敷島製パン(Pasco)も1月1日納品分より食パンを1〜5%、菓子パンを2〜5%値上げ。

「世界的に見て、小麦粉の価格は一時より安定してきていますが、円安、物流コストの増加、人件費の高騰、パンを加工するためのイースト菌、バターなど油脂類、砂糖やあん、チョコレートなど副資材系の値上げなど、複数の値上げ要因が関係しています」

朝食でパンと共に楽しみたいコーヒーもジリジリと値上げが続いている。
味の素AGFでは3月1日納品分より、「ブレンディ」シリーズなどスティック45品、インスタントコーヒー35品、レギュラーコーヒー30品などに対し、価格を15〜30%上昇する見込みだと発表している。

「コーヒー豆は“半世紀ぶりの高値”といわれているほど。気候変動により、ブラジルでは香り高いアラビカ種の生産量が落ちました。
そのためアラビカ種よりも風味が劣るものの、収穫量が多く安価なロブスタ種に需要が集中。
ところがそのロブスタ種の産地も高温や干ばつの影響を受けて生産量が落ち込んでおり、双方とも高値になっています」

やはり朝食の定番であるヨーグルトにも値上げの波が。
森永乳業は「森永アロエヨーグルト」シリーズ7品を1月6日出荷分から、8.3〜12.7%引き上げ。雨量不足によるアロエの生育不足、包装資材や物流コストの上昇も一因だとしている。

一連の値上げは朝食代にどれだけ影響するのか。
夫婦2人の家庭で、和食(パックご飯・即席みそ汁・冷凍食品のおかずなど)、洋食(食パン・コーヒー・ヨーグルト・冷凍食品のおかずなど)を1日おきに食した場合を試算すると、1カ月で3千357円、年間ではじつに4万284円もの負担増となることに。

さらに朝食関連以外の深刻な値上げも待ち構えている。

「世界的なカカオ不足のため、チョコレート製品の値上げが続いています。

2月のバレンタインデーは、価格上昇のほか、チョコレートの大きさが小さくなる、包装や物流の際に隙間ができる丸形よりも、無駄がない四角形のチョコレートが主流になる、などの影響が出るかもしれません」

4月には大手ビール各社がビールや缶チューハイの価格を見直し。アサヒビールは主力の「スーパードライ」や第3のビール「クリアアサヒ」などの卸向け出荷価格を5〜8%値上げするが、春の行楽シーズンや晩酌を直撃することになりそうだ。

再び猛威を奮いはじめた値上げラッシュに対応するためにできることはーー。節約アドバイザーの丸山晴美さんが行っている日々の節約術を聞いてみた。

「パン類の値上げを前に、私はホームベーカリーでパンを活用しています。
強力粉は業務スーパーなら1キロ200円ほど。ホームベーカリーでは生地だけ作ってピザや惣菜パン、菓子パンなどに加工してバリエーションを増やしています。

ほかに、小松菜や春菊などの野菜は、100円ショップで2袋100円で販売されている種を使用。
プランターや鉢植えで栽培すると、1カ月ほどで収穫できます。
節約ばかりでなく、自分で作る楽しみも味わえますよ」

味は同じなのに、形が悪いという理由で廃棄されてしまう規格外やB級品の野菜も無駄にできない。

「通販サイトでは『Kuradashi』『タダヤサイ』などが有名です。
また、話題の品や新製品のサンプルが、無料もしくは格安で入手できるのが『サンプル百貨店』。
アイスコーヒーセットやレトルト食品、化粧品や日用品、サプリメントなど幅広い品ぞろえです」

年の初めにあたり、格安スマホへの乗り換えや保険の見直しなど、1回の契約手続きや設定変更で、継続的な節約につながる固定費の削減も必須だ。
カットできる項目がないか、今一度チェックしてみよう。

気づいたら昨年より支出が大幅に増えてしまっていた、というような事態を招かないためにも、値上げの現実から目を背けない姿勢が大切だ。

女性自身
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2025年01月17日

“なかなか始められない”を改善するコツ10選

“なかなか始められない”を改善するコツ10選
1/16(木) GOETHE

行動科学マネジメントの第一人者、石田淳さんが誰がやっても成果を出せる実践的メソッドを指南した『始める力』。
その一部を抜粋して紹介した記事をまとめてお届け! ※2024年7月〜8月掲載記事を再編。

1.英会話、資格の勉強、ダイエット、禁煙…始めたいのにできない人には共通の傾向があった

なにかを始めようとするとき、それが仰々しいものである必要はありません。
立派な態度で臨む必要もありません。
ちょこちょこ始めてすぐに撤退したっていいし、途中で尻尾を巻いて逃げ出したって構いません。

「何事も中途半端にやってはいけない」などと、訓辞を垂れる人がときどきいます。
極めるまでやる覚悟がないなら、安直に手を出すなと言うのです。

でも、そういう人に限って、実際には自分自身が「始められていない」ことが多いように思うのですが、どうでしょう。
自分が「始めていない」言い訳を正当化して、他人に押し付けているようにしか、私には思えません。

「今さら、そんなことしたって無意味だって」

「あと、10年早けりゃね。おまえ、いくつになったんだよ」

あなたの周りに、こんなことを言って足を引っ張る人がいても、あなたにやりたいことがあるなら、そんな言葉は無視して構いません。

そもそも、忙しい現代人に「物事を極める」時間などありません。
極めなくたって、中途半端にやるだけだって、なにもしない人よりも確実にスキルはアップしていきます。

2.行動科学の専門家が指摘。人は「続けなきゃ」と思うから「始められない」

なにか始めたいことがあるのに躊躇している人に、勘違いしないでほしいことがあります。
「始めたからにはやめられない」ものでもないし、「始めたことをやめてしまうのはマイナス」でもないということです。「始める」とは、それだけで、あなたの人生に確実なプラスをもたらす行動なのです。

なにかを始めたあとには、必ず2つの選択肢が待っています。

ー 1 始めたことを続けるか

ー 2 始めたことをやめるか

多くの人が、「1」でなければならないと考えてしまいます。
しかし、実際には、このどちらであってもいいのです。意外に思われるかもしれませんが、始めたことを、やめてもいいのです。なぜなら「続けなくていい」という答えが出たのですから。

一番まずいのが、「もう続ける必要ないんじゃないか」と思いながらやめないこと。
つまり、ずるずると答えを出そうとしないことです。
ところが、仕事でも恋愛でも、そういうケースがかなり見受けられます。

3.「始められない人」は、“足を引っ張る環境”になっていないか客観的に見定めよ

「ハードルも充分に低くしたし、やる気マンマンなのに上手く始められない」

こんなときは、あなたを取り巻く環境を見直す必要がありそうです。

資格試験に挑戦中の女性を思い出してください。
早く起きて勉強しようと思っているのに、ベッドがあるから二度寝をしてしまった彼女。
自宅からカフェへと環境を変えただけで勉強習慣を身につけることができました。

環境は、とても重要な要素なのです。

ある30代の主婦は、年々増加していく体重をどうにかしようと考えていました。
美容上の理由もあるけれど、なにより健康のために。というのも、市の健康診断ではじめて「血糖値が高め」と指摘されたのです。

まだ、30代。小学校に通う育ち盛りの子どもが3人います。少なくとも、これから20年間は大病知らずで過ごしたいところです。

彼女は、運動か減食か、どちらの手法を選ぶか大いに迷いました。
そして、子どもの頃から運動とは無縁だったので、減食のほうが自分には向いていると判断しました。

「減食したほうが食費も減らせるしね」

しかし、減食しやすい環境が整っているかというと、そうではありませんでした。というのも、育ち盛りの三人の子どもたちのために、どうしてもこってりと食べ応えのある食事を用意することになります。
しかも大量につくって、子どもたちが残した分は「もったいない」と自分が食べてしまうことが多いのです。

このように、家庭には、それを大事に思うがゆえの「足を引っ張る環境」が存在しがちです。

4.“なるはや”は最悪! 部下も自分も動きやすくなる「MORSの法則」とは

なにかを始めるということは、「小さな行動」を取ることです。

「とにかくダイエットしなくちゃ」

「仕事の勉強を始めないと……」

こんなふうに考えていてもなにも始まらないのは、それが具体的行動に落とし込めていないからです。

部下指導が上手くいかないときなども、そこに具体的行動が欠如しているケースがほとんどです。

「できるだけ早くやっておいてね」

「限界まで頑張ってみろよ」

こんな指示は、行動科学マネジメントでは「最悪」と判断されます。曖昧もいいところだからです。

「できるだけ」って、どのくらいのことなのか。

「早く」って、いつまでのことなのか。

「限界まで」って、どこまでを言うのか。

「頑張る」って、そもそもなにをどうするのか。

まったくわかりません。
こんな曖昧な指示で部下が正しく動けると思うほうがどうかしています。

セルフマネジメントも同様です。
あなたが、なにかを始めようというときには、自分に具体的行動で指示を出してあげなくてはなりません。

では、「具体的行動」とは、どのように規定していけばいいのでしょうか。

5.成長を確認するには「累積」グラフが効果的。行動科学マネジメントが教える「始めかた」

曖昧さを徹底的に排除する行動科学マネジメントでは、物事の評価に「数値化」が欠かせません。

当然のことながらグラフも多用します。
しかし、いわゆる折れ線グラフではなく、累積グラフを好んで用います。

たとえば、ある営業スタッフの成績が、「先月は7件の契約が取れたけれど、今月は3件だった」としましょう。

そのときに、ただの折れ線グラフなら、「今月は先月よりダメだ」となります。

これだけ経済が冷え込んで、右肩上がりの成長など望めないのですから、前の月より成績が振るわないことがあるのは当然です。
にもかかわらず、「今月は先月よりダメだ」という思いは、その営業スタッフに重くのしかかります。
まるで、自分がどんどん悪い方向へ向かっているように錯覚してしまうのです。

グラフをつくっている上司は、それで部下が発奮してくれると考えるのでしょう。
しかし、結果は逆で、部下を潰すことになっていきます。

でも、行動科学マネジメントで用いる累積グラフなら、そうはなりません。

6.行動科学マネジメントの第一人者が教える、部下が結果を出せない理由

行動科学マネジメントでは、人が良い結果を出せない理由は2つしかないと考えています。

ー 1 やり方がわからない

ー 2 やり方はわかっていても続け方がわからない

どんなことであっても、これら2つの理由さえ払拭(ふっしょく)してあげれば、誰でも良い結果が出せるというのが、行動科学マネジメントの理論です。

仕事で「あいつはダメだ」という評価を下されている人は、本当にダメなのではなく、仕事のやり方がわからないか、やり方はわかっても続けられないかのどちらかです。だから、その方法を教えてあげればいいのです。

「仕事のやり方がわからないなんて、そんな基本的なことを言っている場合なのか?」

「そんな人間を、会社は育てなければならないのか?」

私の指摘に、多くのマネジャーや経営者は嘆息するのですが、取引先での挨拶一つだって、「明確に教えてもらわなければわからない」のです。

あなただって、そうでしょう。
今は当たり前にできていることも、どこかで誰かに正しく教えてもらったからできるようになったはずです。

7.ググった時点で始めている! 行動科学マネジメントの「考える」と「始める」の大きな違い

なにかを始めるとき、いったいどの段階をもって、それを「始めた」と言えるのでしょう。

行動科学マネジメント理論では、いくら頭の中で綿密な計画を立てていても、それが頭の中で行われている限り、始めたことにはなりません。
どんな小さなことでもいいから、“行動”を起こしたときに、「始まった」と判断します。

たとえば、あなたが「中国語を勉強しよう」と思ったとしましょう。

「どこの教室に通えばいいかな」

「それとも、NHKの講座を聴くのがいいか」

「そもそも、もう中国語は時代遅れだろうか」

などと、頭の中でいくら考えていても、それは始めたことにはなりません。

一方、具体的に情報収集を行ったなら、始めたと言えるでしょう。

たとえば、グーグルの検索ボックスに「中国語」と打ち込んだ瞬間に、あなたは始めています。
なにか参考書はないかと、書店に足を運んだ瞬間に、あなたは始めています。

「ダイエットしなくちゃ」とため息ばかりついているうちは「始められないダメな人」でも、体重計を購入するという行動が起こせれば、立派に始めています。

自分では意識もしないような小さなことでも、なにかしら行動したなら始めているのです。

8.「自己効力感」(“できそうだ”の気持ち)を高める4つの法則とは

ただの平地で走り幅跳びしたら3メートル先まで跳べる人でも、高いビルの屋上から2メートル先のビルの屋上に跳び移ろうとしたら身がすくんで動けなくなります。「落ちるかも」と思うからです。

なにかを始めるときに、「できないかも」と思ってしまうのは非常に損なことです。
実際にできるかできないかはやってみなければわかりません。
でも、やってみるそのスタートにおいて腰が引けていては、本当ならできることでも失敗してしまうでしょう。

だから、どんなことに対しても「できそうだ」という気持ちで臨むに限ります。

この、「できそうだ」という気持ちのことを、心理学の専門用語で「自己効力感=セルフエフィカシー」といいます。

あなたがなにかを始めるに当たっては、自己効力感をいかに高められるかが大きなポイントになります。

私自身、1か月先の締め切りが「守れそうにない」と感じることもある一方で、3日間で終わらせなければならないハードな仕事でも、根拠はないけれど「できそうだ」と感じることがあります。

そして、「できそうだ」と感じたことは本当にできるため、次の大きな自信を生み出してくれます。

9.「PST分析」で分かったダイエットが続かない理由。「すぐ」&「確か」な結果に人間は動きがち

「あとで得られる結果は、目先の結果に負けてしまう」

これも、「始めたことが続かない」大きな理由になります。

今度は、ダイエットに挑戦しては挫折を繰り返す、女性会社員のSさんに登場してもらいましょう。

Sさんは、とにかく甘いもの好き。とくにケーキには目がありません。会社でのストレスフルな時間を過ごしたご褒美に、夕食後にケーキを食べるのが最大の楽しみです。でも、ケーキを食べ過ぎたら太るのはわかっています。

実際にケーキのせいで体重は増え続け、スマートな同僚と同じ制服を着ていると、自分の「ぽっちゃり」がどんどん目立つようになって嫌になります。
脚が長くてもともとのスタイルは悪くないSさんですから、やせたらかなりイケルという自覚があります。だから、やせたいのです。ケーキを食べるのをやめたいのです。

このときの、Sさんの先行条件(A=Antecedent)は、「やせたい」「かっこ良く制服を着こなしたい」というものです。

行動(B=Behavior)としては、「ケーキを食べる」ではなくて、「ケーキを食べる代わりにノーカロリーのガムを噛む」などにしたいわけです。

では、それらの行動の結果(C=Consequence)はどうなるでしょうか?

10.ポジティブシンキングはマイナス効果しかもたらさない…「自己効力感」との違いとは?

世の中には、妙に余裕を感じさせる人間が存在します。
多くの人がビビってしまうような案件でも、「自分ならできる」と言わんばかりの人たちです。

しかし、よく見ていくと、そうした人の中には2つのタイプがあることがわかります。

ー ただ大風呂敷を広げているだけのタイプ。

ー 本当にやり遂げてしまうタイプ。

前者はいわゆる「はったり」で、後者は「自己効力感」の高い人。
スポーツ選手も2つのタイプがいて、本番で良い成績を残せるのは、自己効力感の高い人です。

自己効力感を持てれば、気分良く始められる。

気分良く始めれば良い結果につながり、さらに自己効力感を高められる。

このプラスのスパイラルをつくり出せたら、もう怖いものなしです。
ぐだぐだ悩むことなく、どんどん新しい挑戦をしていけるようになります。

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2025年01月18日

日本人がここまで貧乏になったのは「田中角栄のせい」である…養老孟司が見抜いた"不景気の根本原因"

日本人がここまで貧乏になったのは「田中角栄のせい」である…養老孟司が見抜いた"不景気の根本原因"
1/17(金) プレジデントオンライン

日本の景気が良くならないのはなぜか。
解剖学者の養老孟司さんと精神科医の名越康文さんとの対談を収録した『虫坊主と心坊主が説く 生きる仕組み』(実業之日本社)より、一部を紹介する――。

■こんなもん生かしたって無駄だなと思う

 ――「人間ってなんで死ぬんですか?」と問われたら、何と答えますか?

 【養老】まあ、歳とったらわかるよ。こんなもん生かしたって無駄だなと思う。

 ――死ぬことは怖くないですか?

 【名越】30歳の頃は、死ぬのが怖かった。いまは、死ぬ途中が怖いかなと思う。痛い目に遭うのが嫌だから。

 【養老】夜寝るでしょ。そのまま意識が戻らなかったらどうする? 保育園の子が言ってるよ。「死ぬのが怖い」って。僕は目が覚めなかったらどうしようって思わない。

 【名越】僕がずっと16年間通ってたお寺のすごい和尚さんが、この間遷化されたんです。
東京から日帰りでお葬式に行って座っていたときに、僕もこのままで一緒に連れてってくれたらどれだけ楽だろうと思ったけどね。

 ――死んだら星になると言うじゃないですか。そういうのを聞いていたらそちら側に行くのか、とか。でも考えていると、わからなくなる。

 【名越】星を見ながらずっと浸っていたら、だんだん慣れてくるかもしれないよ。

 【養老】あれも俺だと思えばいいじゃない。星が言ってるよ。遠くに置かないでくれってさ(笑)。

■死んだら抱えていた問題はきれいに全部消える

 ――自然と一体化する、いいですね。

 【養老】自分の場合はこのままいっても、低め安定で、そのまま低め低めをいくんだろうなと。

 【名越】テンションが高くて判断が早い人は社会的には目立つし重宝もすると思うのですが、そういう人ばかりだと切れ味は良いけれど、単純な価値観が幅を効かせるようになって、より賢い者の知恵に全部持って行かれるような気がして仕方ありません。

 【養老】きょう散歩してても、いろんな雑念が浮かぶんですよ。
ほんとうに知り合いが大勢死んだなあと思って。
同級生は何人も死んだ。僕の場合は、死がもっと具体的ですよ。
医学部の同級生って付き合いが長いから、大学時代も長かったし、学部でも同じ時間を過ごしたし、その後もつきあいがあった。
そういう連中がみんないないから、喋る相手がいない。何か言おうと思っても、みんな死んじゃったんだから。

 それとね、あいつは、こういう問題を抱えていたなあということもときに思い出すわけ。でもさ、死んだら、問題も綺麗に全部消えたなと思った。

■日本人にとっての「死の理想像」とは

 【名越】その人がいなくなれば問題はなくなるんですよね。本当そう思いますよ。

 【養老】その人の胸にあった問題が、死んでしまえば消えちゃうんですよね。問題自体が根底から消えちゃうから。

 【名越】その問題が普遍的だと思っているでしょう。でもその自我があるわけで、自分が亡くなったらその問題もなくなる。あたかもその問題が確固としてあると思っちゃってるから。

 【養老】日本人の死の理想像ってね、西行と芭蕉に尽きると思って。うろうろして、どこで死んだかわからない。何が孤独死だよって。日本人の男は昔から孤独死に決まってんだって。あとは鴨長明。似たようなもんでしょ。方丈の庵をつくってしまったから。

 【名越】鴨長明は、悲惨なものを見すぎたっていうことがプラスされていそうです。

 【養老】そうですね。酷い時代だったから。

 【名越】ほんとうに酷い。そこが大事。

 【養老】西行は鴨長明よりも少し先輩だけど、いずれにしても大変な時期。でも芭蕉は天下泰平の時期。

 【名越】僕もできるだけ移動していたいです。同じ場所にいるのはイヤ。ずっと移動していたい。

■個体が滅びるだけで、細胞レベルでは滅びない

 ――「生物はなぜ死ぬんですか?」って問われたら、どう答えますか?

 【養老】(しばらく考えて)死んでんのかな、ほんとに。考え方次第でしょう。繋がってるじゃないですか、最後なんかね。

 【名越】あーー、なるほど。

 【養老】たとえば細胞って繋がってるんですよ。
最近は情報化社会だから、DNAが繋がっているというんだけど、生物の初めからずっとDNAは変わらない。
生物の初めから変わらないものがもう一つあって、それは細胞そのものなんです。

 そうでしょう。細胞が再生して、それが受精卵になってまた細胞をつくって、一度も切れてない。死んだと思ってるのは、その個体をつくる生物ですね。個体が滅びるだけで、細胞レベルでは滅びないんですよ。

 【名越】そこまで広げていったら、「死ぬ」「死なない」の二択でいけば、死なない、ということになる。

 【養老】時代を遡ると、血縁が中心だったので、血縁共同体があった。
そうすると、それは結局、共同体全体が血の繋がりになっているので、共同体の人は自分と同じなんです。
だから個体の死というのは重要じゃない。天皇家がそうでしょ。ずっと繋がっている。

 【名越】Y染色体がずっと繋がっていると言わずとも。

 【養老】個体になぜ寿命の制限を設けたかっていう疑問があるかもしれないけど、それは別に作ったわけじゃない。自然にそうなったんだよ。

 ――人工的に生命を作ることは可能なんでしょうけれど、どうなると思いますか?

 【養老】いまのところはできてないね。もし作ることが可能になっても、やらない方がいいと思うよ。どうせろくなことにならないから。できることをやるっていうのが人間の悪い癖だと思ってるから。できるようになったら当分考えたらいいんだよ。

 【名越】5世代ぐらい考えたらいい。無理だろうけれど。

 【養老】人間は「できる」ってことをやっちゃうんだよ。なんだか知らないけど、悪い癖だよな。

■日本のGDPが上がらなくなった本当の理由

 【養老】でも珍しくやらないこともあったんだよね、日本人。
日本のGDPが全然上がらなくなって、ドイツに抜かれて4位(2023年のGDP。IMF発表)になったって大騒ぎしているでしょう。
なぜそうなったか。大きな理由は公共事業をやらなかったからですよ。
橋本龍太郎内閣以降だったと思うんだけど、公共事業を抑制したんですよ。それが不景気の原因だと思う。

 それは政府が独自に決断したんじゃなく、政治が国民の顔を見て決めたことだと思う。
いつまでも田中角栄式で開発を積極的にやって、自然をこれでもかこれでもかといじるのはもう駄目だろうということをみんなが知ったんだよ。
それで公共事業を減らしたんじゃないか。そしたら当然GDPは下がりますよ。

 【名越】GDPがその国の幸福度的なものを測るということではないことに気づいて、日本人が最初に“一抜け”したかもしれない。

 【養老】GDPが下がってもいい、損してもいいから、無理な発展はしなくていいという判断を国民がしたのかもしれない。道路を通したり、大きな建物を作ったりするじゃないですか。すると自然を破壊するから、それで本当に良いんだろうかという疑問がわきあがってくる。
自然保護のためにやめろって言うと、経済はどうするんだという反論はでてきますよ。でも、そのくらいの工事して一体どれくらい儲かるのか。

■養老先生の本がたくさん出るのは「出版社のせい」

 【名越】多分調べられると思いますよ。実際に経済活動として成立しているものはどれだけあるのか。

 【養老】僕がその分払うからやめとけって。なにもしない方がいいだろうという。そうすると無駄な経済活動なんてしなくてすむ。

 【名越】無駄な経済活動ってどれだけあるんだろうね。

 【養老】中国なんて遥かに遅れて、高度成長した。
でも日本だけだろう、エネルギーを使わないで公共工事を抑えて自然破壊も最小限にしているのは。
国民の実質賃金が上がらないけど、国民は辛抱している。
そのことを国連で日本の大使が演説したらいいんだよ。日本の国民は自然破壊がよくないことをわかってるから、やらないんだよって。

 【名越】養老先生って若いころからそうですよね。論文を量産するのを途中からやめたでしょう。

 【養老】もう初めから嫌だった。

 【名越】養老先生はそこが一貫している。本性の部分でやらないよっていう。

 【養老】僕の本がたくさん出ているって言われているけどさ、それは出版社のせいだよ。やれやれというから。でも付き合いでしょうがないから。

 昨日おとといと和歌山に行っていたから、きょうも(この対談をするために都内に)来たくないけどしようがないから(笑)。

 【名越】ハハハハハ、もうヘトヘトですよね。

-
解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司、
精神科医 名越 康文
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2025年01月19日

分数の割り算はなぜひっくり返して掛けるのか? 子どもに聞かれてわかりやすく説明する方法

分数の割り算はなぜひっくり返して掛けるのか?
 子どもに聞かれてわかりやすく説明する方法
1/18(土) 東洋経済オンライン

分数の割り算は、分母と分子をひっくり返して掛け算にする。
それは知っていてもなぜかと聞かれるとうまく答えられない大人も少なくないのでは? 
 算数のなかでもややこしい「分数の割り算」とそれを学ぶ理由について、東大教授で渋滞学の第一人者である西成活裕先生と文系ライターの郷和貴氏の会話形式で解説します。

※本稿は『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく算数を教えてください!』から一部抜粋・再構成したものです。

■分数の割り算を攻略! 〜分数で割る〜

 西成先生:
分数の割り算は、四則演算の中では別格のラスボスです。
分数の割り算の解き方はわかっていても、その意味をちゃんと理解している人って、大人でもそう多くないと思います。

 郷さん:
仲間がいてよかった(笑)。

 西成先生:
たとえば「6 ÷1/2」を考えていきましょう。ガムをイメージしてください。「ガム6枚の中にガム1/2枚分のカタマリがいくつあるか」。

 郷さん:
ガム1/2枚分のカタマリ……。あ、ガムを半分にちぎるということですか! 

 西成先生:
はい。1枚を友だちと分けるとすぐに味がなくなるし、ちっちゃい風船しかつくれなくてイラっとするやつです(笑)。
ちょっと質問を変えましょうか。

 「ガムが6枚あります。それぞれ半分にすると何枚になりますか?」。

 郷さん:
え……。半分にするから2枚になる。それが6セットあるから、「6×2」で12枚ですか? 

 西成先生:
そうです。質問を変えましたが、実はさっきと同じことを意味しています。
つまり「6÷1/2=6×2=12」というわけです。
このように、1より小さい分数である数を割ると、割られる数よりも増えるんです。まずこのイメージをしっかり持ってほしいと思います。

 郷さん:
なるほど。

 西成先生:
ここで分数の割り算の計算式を紹介しておくと、「÷A/B」とあったら、「×B/A」に変換するだけ。
分数をひっくり返して、割り算を掛け算にするんです。

 郷さん:
そういえばアメリカの学校だと「keep,change,flip(そのまま、変える、ひっくり返す)」というフレーズをひたすら覚えさせられるって聞いたことがあります。

 西成先生:
詰め込み教育ですね(笑)。
たしかにそうですね。割られる数はそのままで、÷を×に変え、分数はひっくり返す。この手続きさえ覚えていれば分数の割り算は計算できます。

 1問、例題を解いてみますね。

■分数の割り算を攻略! 〜整数で割る〜

 郷さん:
分数を整数で割るときは? 

 西成先生:
整数を分数に置き換えて、ひっくり返して掛け算をすればOKです。

 西成先生:
このような解き方もあるし、「2等分されたものをさらに3等分する」という式の意味からちゃんと考えていくと、実は先ほどやった分数と分数の掛け算の話にいきつきます。つまり、2等分したものの1つを、さらに3等分したと。

 郷さん:
あ、そうか。「2×3」だから6等分ですね。

 西成先生:
正解です。

■分数の割り算を攻略!〜計算を真に理解〜

 西成先生:
計算式はいま教えた通りですけど、大事なことは「なぜ?」ですね。
仮に計算式を忘れても、自力で計算式を導きだせるように説明をします。

 まず、割り算は分数に変換できますよね。
割る数が整数だろうと分数だろうとその原則は変わりません。
だったら思い切って分数の形にしてみましょう。

 郷さん:
だいたんな発想! 

 西成先生:
「A÷B=A/B」ですから、「1/2÷2/5」を分数にするとこのような分数になります。

 郷さん:
分数の中に分数はあり? 

 西成先生:
全然ありです。こういう分数を連分数といいます。
真ん中の横線を長めに書くとちょっと数学者っぽくなります。
ちなみにこの状態で答案用紙に答えを書いても数学的には正解ですが、先生によっては怒るかもしれません(笑)。

 分母の2/5をすっきりした形にしたいと思います。
ここで、6年生で習う武器を伝授します。
「逆数」というものです。「A×□=1」の□にあたる数のことを、Aの逆数と呼びます。
Aが整数の場合、Aの逆数は1/Aです。なぜかわかりますか? 

 郷さん:
えっと……□を逆算すると、□=1÷Aだから。

 西成先生:
あるいはもっと単純に「Aに1/Aを掛けたら、約分でAとAが消えて1しか残らないから」と考えてもかまいません。

 そしてAが分数x/yの場合、Aの逆数はy/xです。分数をひっくり返したものですね。こちらも、x/yにy/xを掛けたらxとyが両方とも約分で消えて、1しか残らないからです。

■逆数を掛けると分子だけがすっきり残る

 西成先生:
では、改めて分母の2/5をよく見ます。
この連分数を一番すっきりさせる方法は、分母を1にすること。分母を1にすれば分子しか残りませんからね。では2/5を1にするにはどうすればいいのか。

郷さん:
あ、ここで逆数を掛けるのか! 

 西成先生:
そう。2/5の逆数は5/2です。
しかし、分母だけ掛け算すると意味が変わるので、分子にも同じように5/2を掛け算します。すると分母は1になり、「1/2×5/2」という分子だけが残ります。

 郷さん:
だから逆数を掛けるんですね!  ちょっと感動。

 西成先生:
ほかにもいろんな説明のしかたがありますけど、たぶんこれが一番納得感があると思うんです。

 郷さん:
「分母をすっきりさせるために逆数を掛けた」で説明できますからね。これを娘に説明する日が待ち遠しい(笑)。

 西成先生:
「逆数」とか「分数の性質」とか、教科書では断片的に知識を学んでいくことになるので、「これってなんの役に立つの?」と思う場面が多いと思います。
でも、そういう知識って、ロールプレイングゲームでいうアイテムや武器みたいなもので、分数の割り算のようなラスボスと戦うときに使うことになるんです。

西成 活裕 :東京大学先端科学技術研究センター教授
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2025年01月20日

中居騒動でフジが露呈「日本的組織」の根深い問題

中居騒動でフジが露呈「日本的組織」の根深い問題
いか富士テレビ本社ビル富士テレビ本社ビル

フジテレビが開局以来の危機に揺れている。
人気タレントの中居正広氏が女性とのトラブルを「女性セブン」などの週刊誌に報じられたことを機に、フジテレビの幹部がトラブルのもとになった会食の場を意図的に設けていた可能性が浮上してきたからだ。

海外メディアも積極的に報じ始めた

1月14日には米投資ファンドの「ダルトン・インベストメンツ」とその関連会社が、フジ・メディア・ホールディングスの取締役会に対して、「われわれは憤慨している」などと強い調子の書簡を送付。
第三者委員会の設置や再発防止策の策定などを求めた。

すでに海外メディアが騒ぎ始めており、フランスの大手日刊紙「Le Figaro」が「日本のボーイズグループの元スター、『性的問題』でテレビ番組から外される(Une ex-star d’un boys band japonais écartée des plateaux télévisés pour ≪ un problème sexuel≫)」という見出しの記事を出し、ジャニー喜多川氏の性的虐待の話とともに紹介した。

【画像4枚】米投資会社は「われわれは憤慨している」と激高、書簡をフジに送付した。
その他にも、アメリカの金融系通信社の「Bloomberg」などが前述の投資ファンドの書簡と絡めた報道をしている。

フジテレビも記者会見を実施、しかし…

フジテレビは1月17日、港浩一社長が記者会見を行ない、改めて週刊誌の記事にある幹部の関与を否定し、第三者が入る調査委員会を新たに設置することを明言したが、はたしてどこまで真相に迫れるのかは不明だ。

そもそも、記者クラブ加盟社しか参加できず、映像配信もないクローズドな会見に批判の声が上がっている。

このようなエンターテインメント業界における類似の事例としては、大物映画プロデューサーであったハーヴェイ・ワインスタインによる性暴力、性的虐待の事件が思い浮かぶ。

ワインスタインは、自身が設立した新興プロダクションの成功によって、映画業界に多大な影響力を持つようになったが、2017年にニューヨーク・タイムズやニューヨーカーの記事で会社の女性スタッフや、若い女性俳優などに性的暴行や虐待を繰り返していたことなどを暴かれた。

当時の記事によれば、セクハラ告発者の女性8人と金銭的和解を行なったというもので、口止め料を支払い守秘義務を含む示談契約を結んでいた例もあった。そのため長年発覚しなかったという。

その手口は、仕事と偽って自社の事務所やホテルの部屋に、複数の人が集まるミーティングやパーティが開かれると思わせて呼び寄せ、いざ到着するとそこにはバスローブ姿のワインスタインだけがいて、マッサージや性行為を要求するというものであった。

「#MeToo運動」が世界的な運動に発展していくきっかけとなった事件であり、覚えている人も多いだろう。

ワインスタイン事件以降、絶大な地位と権力がある人物が、その立場を悪用したときに何が起こるのか、なぜ性的な嫌がらせや性的虐待が企業や業界、ひいては社会において野放しにされてしまうのか、といった問題意識が人口に膾炙し始めた。

そして似たような被害を受けた人々が積極的に告発をするようになった。
この一連の現象は「ワインスタイン効果」と呼ばれている。

中居騒動でも「ワインスタイン効果」は起きるのか

もし、今回の中居氏のトラブルが週刊誌の報道の通り、フジテレビ幹部のとりなしと関係するもので、同様の行為を組織として、あるいは個人ベースでも相応の役職者が容認していたのであれば、とてつもない衝撃が走るだろう。

一般に、テレビ局は映画会社よりも企業規模が大きいため、相当数の人々がこの異常な慣習を知っていたことが容易に想像できるからだ。

だとしたら、なぜ週刊誌が取り上げるまでスキャンダルが表に出ず、その後、多くの報道が行われるようになっても、暖簾に腕押しといったような鈍い反応しか返ってこないのか。
以前、筆者はジャニーズ問題でも同様の指摘をした(「日本的な通過儀礼」ジャニーズが他人事でない訳)。

とくに日本では、企業などの社会組織が「運命共同体」としての性格を帯びることが密接に関係している。これは社会学者の小室直樹が言っていたことである。

小室は、日本の社会組織は「運命共同体的性格」を持ちやすく、さらに「共同体構造は、天然現象のごとく不動のものにみえてくる」と述べ、「共同体における慣行、規範、前例などは意識的改正の対象とはみなされず、あたかも神聖なるもののごとく無批判の遵守が要求される」とした(『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』ダイヤモンド社)。

「日本では、企業は経営者と従業員との運命共同体である。(略)共同体は彼らの社会生活のすべてであり、独特のサブカルチ
ャーを発達させ、一種の小宇宙を形成する」――共同体のメンバーになると、次第に共同体の外部に対する敏感さが失われ、関心のほとんどが内部に集中するようになってしまう。

そして、仮に世間を震撼させる不祥事が起こっても、内部にばかり目が向いているので、まず共同体が求める要請が絶対視され、犯罪行為ですら黙認される事態が起こり得るのだ。
そうなると、告発するという発想そのものが消え失せるのだ。

戦時中の日本軍では、似たような状況は多発していた

この二重規範(ダブルスタンダード)とでもいうべき日本の特色は今に始まった話ではなく、かつて評論家の山本七平が旧日本軍の内務班で体験したリンチと非常に似通っている。

すさまじい暴力が横行していた一方で、暴力の禁止が厳命されていた矛盾である。

たとえば私が入営したのは、「私的制裁の絶滅」が厳命されたころで、毎朝のように中隊長が、全中隊の兵士に「私的制裁を受けた者は手をあげろ」と命ずる。

中隊長は直属上官であり、直属上官の命令は天皇の命令である。軍人は忠節を尽くすのが本分だという。
忠節とか忠誠とかいう言葉が、元来は、絶対に欺かず裏切らず、いわば懺悔の対象のような絶対者として相手を見ることなら、中隊長を欺くことは天皇を欺くこと、従って軍人勅諭に反するはずである。

だが昨晩の点呼後に、整列ビンタ、上靴ビンタにはじまるあらゆるリンチを受けた者たちが、だれ一人として手をあげない。
あげたら、どんな運命が自分を待っているか知っている。
従って「手を挙げろ」という命令に「挙手なし」という員数報告があったに等しく、そこで「私的制裁はない」ことになる。

このような状態だから、終戦まで私的制裁の存在すら知らなかった高級将校がいても不思議ではない。(一下級将校の見た帝国陸軍/文春文庫)

つまり、実際に目の前に理不尽な暴力が存在しているものの、それは内部的には実数としてカウントされる出来事とは把握されず、外部に訴え出ることなどは考慮の外となる。

この二重規範は、今日、日本の企業内で起こる諸問題においても変わらない。
今回報じられた"システム"のエピソードが事実であり、何ら改善されず放置されていたとすれば、それは決して特殊なものではなく、前述した日本の多くの社会組織が抱える共同体的悪夢の一例といえるだろう。

中居氏のトラブルから始まったフジテレビをめぐる疑惑がここまで人々の高い関心と怒りを誘い、とりわけ事案の重大性に対する認識の薄さと自浄作用のなさに批判が集中しているのは、身近な職場などで同種の根本的な問題が威圧や暴言といったハラスメント、性的嫌がらせなどを温存させていることに気付いているからなのだろう。
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2025年01月21日

「加工」してない「正直」は食えたものじゃない

「加工」してない「正直」は食えたものじゃない
1/20(月)Books&Apps

「正直者は得をする」という言葉がある。
素晴らしい言葉だし、事実でもあろう。

「正直」の対義語は「うそつき」だろうが、少なくともうそつきは世渡りの大敵であり、これは是が非でも避けなければならない。
極端な例外を除いて、うまく世渡りを続けている人は皆、正直さを大切に思っていると私は確信している。

ただし、「正直」はただ積み重ねれば得をするものではないとも思う。むしろ、無思慮に正直を積み重ねてまずいことになったり、損をすることも多いと思う。

では、どう「正直」であるべきか?

私は、正直ってやつはそのままではロクなもんじゃないと思っている。

いわば、「加工」してないと「正直」は食えたものじゃない、という側面もあるように思うのだ。
まずは以下をご覧いただきたい。

とある日の生放送中、5分休憩から戻ってモニターに目をやった瞬間、寒気がするほどの罵詈雑言の数々が、殺意を持って画面上から這い出てきた。

『生きている価値ないよ』『はよ消えろ』『ゴミクズ』『存在価値ないよ』

5分足らずで100件近く、この類いのブラックワードが立ち並び、僕に襲い掛かった。

中には通報したら逮捕されるのではないか、という度を超えたものも存在したため、数人をその場でBAN制裁した。

上掲は、子どもを相手取ってネットの実況をやっていた方の記事からの抜粋だ(残念ながら、この方のブログは消滅してしまって、私の手元に残った文章はこれだけである)。

ここに書かれている子どもたちの反応は、きわめて「正直」なものだ。
子どもの正直はときに残酷で、誰からも咎められるおそれがないとわかった時、その残酷さが剥き出しになる。

しかし、このような反応は世間で許されるものではない。
たとえ「正直」でも、こういう物言いを繰り返している人は損をするし、子どもはそのことを学んでいかなければならない。

小中学生が動画の荒れたコメント欄に書き込む時の「正直」と、社会人が世間で期待される「正直」には大きな違いがある。

これは、何かを非難する時に限ったことではない。
「カネが欲しい」「異性が欲しい」「承認欲求をみたしたい」といった欲求はどこにでもあろうが、その「正直」を無加工でゴロンと目の前に差し出された時、人はしばしばドン引きする。

プリミティブな欲求に正直であることは決して悪いことではないが、アウトプットする時、世間や第三者に受け入れられやすいかたちで「加工」できなければ、その正直さが仇になることもあるだろう。

ちなみに、「正直」の「加工」とは、「嘘」をつくことではない。

嘘をつけば、他人に対して嘘を貫かなければならなくなる。
嘘がばれなくても、隠しとおすために精神的負荷や記憶的負荷がかかり続けるのは大問題だ。
だから「正直」を「加工」したつもりで嘘をついてしまう人は、じきに行き詰まる。

もちろん、「正直」の「加工」が自己欺瞞であってもならない。

自己欺瞞は、自分自身に対して嘘をつく所作である。これにも精神的負荷がかかるし、(精神分析でいう)防衛機制のメカニズムから考えて、自分自身の認知や認識に盲点をつくってしまうおそれが高い。

だから、自分の内心にある「正直」の一番似つかわしい部分を点検したり、社会的に最も似つかわしい姿にフォルムチェンジさせたりして、自己欺瞞に陥らず、なおかつ自分自身と「正直」が喧嘩しないような均衡点を探さなければならない。

人のなかの「正直」とは、必ずしも一面的ではない。たいていは多面的だ。そのことを利用すれば、「正直」の「加工」は決して無理ではない。

たとえば「カネが欲しい」の場合、カネが欲しいという正直を無加工でゴロンと差し出すのでなく、カネを稼ぐ過程でやりたいことや、自分が得意なことと関連付けて語ったり考えたりしたほうが良い場面がある。

そうした関連づけを自分の内心と矛盾しないかたちでできる人と、関連づけできずに無加工で差し出してしまう人では、主観的には同じ正直者でも、社会や第三者に受け入れられる確率、その正直が報われる確率は違ってくる。

加工に失敗し、嘘をつかざるを得なくなってしまうのは厳しいことだ。
つい、他人や自分自身に嘘をついてしまう人のなかには、正直の加工がうまくないせいでそうなっている人が一定の割合でいるように思う。

「異性が欲しい」「承認欲求をみたしたい」なども同じだ。
これらの正直を、無加工で出して構わない場面が無いわけではない。
とはいっても、多くの社会関係のなかでは、適切に加工ができていなければその正直はひんしゅくを買うだろう。ろろろろろ

自他に嘘をつかないかたちで・これらの正直をうまく加工して出せる人ほど、異性や承認にかえって手が届きやすい。

たとえば嘘をつくことなくモテている人は、だいたい正直の加工やフォルムチェンジが上手い。
彼らが正直を積み重ねて得をしているのは事実だが、その正直とは、まるで精密機械部品のようにしっかり加工されていて、しかも、社会関係のなかでの正直の積み重ね方も上手いのである。

逆に、どれほど正直を積み重ねていても、無加工の欲求を無分別に言い散らかしているだけの人は、絶対にモテない。異性や承認がどんどん遠ざかってしまうだろう。世の中は、だいたいそんな風にできている。

「正直」の社会化

ここまで、正直を加工するという表現を使ってきたが、もう少しそれらしい表現をするなら、正直の社会化、ということになるだろうか。

プリミティブな欲求やエモーションを生のまま出すのでなく、場面のTPOや相手の立場や理解力などに即したかたちで加工してはじめて、正直は人間関係のなかで受け入れられるものになる。
あるいは、受け入れられる確率の高いものになる。
め社会的動物としての人間は、そうやって正直の適切な加工を幼少期から学び始めて、生涯をかけて学び続けていく。

こうした正直の社会化は、年齢が高くなったり社会的立場が変わったりすると求められる度合いが高くなるため、小中学生に求められる度合いと就活中の若者に求められる度合いとアラフィフの中年に求められる度合いはかなり違う。
SNSなどでも、フォロワー数が1000人と10000人と100000人では違うだろう。

正直を適切に加工する技量が年齢や社会的立場に追随できなくなると、正直をとおして得をするのは難しくなり、損をしやすくなる。

社会人の生え抜きコミュニティでは、えてして、そういう正直の加工がハイレベルに行われ、それが当たり前になっていたりする。

なるほど、彼らは正直を積み重ねて得をしている。
だが単に正直だから得をしているわけではなく、正直を精密機械部品のように加工し、社会関係のなかで注意深く運用しているから得をしているのである。

「正直者が馬鹿を見る」という言葉もあるが、馬鹿をみやすいのは、正直の社会化がうまくやれない人や、正直の社会化に失敗したあげく嘘をつかざるを得なくなってしまう人ではなかったか。

正直の社会化の程度や技量が、絶えず、皆に問われているのだと思う。

コミュニティの背景をよく読み、節度を守って。

なお、正直を加工すると言っても限度があるし、どんな加工がどの程度まで許容されるのかは、コミュニティの背景によってかなり変化し得る。

たとえばBlueskyのタイムラインで許容されやすい正直の加工と、X(旧twitter)のタイムラインで許容されやすい正直の加工は、おそらく異なっている。
時代や政治情勢によっても左右されるかもしれない。
だからコミュニティの背景や状況をしっかり踏まえておくのも、正直の加工に際して大切なことだと思う。

とはいえ、そうやって周りをキョロキョロ見渡しながら、自分のうちにあったはずの正直に加工を加えすぎてしまうと、やがて、自己欺瞞や嘘とどこが違うのか、甚だ怪しい境地にたどり着いてしまうかもしれない。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。やりすぎて嘘になってしまっては元も子もありません。


――『シロクマの屑籠』セレクション 2018年11月31日投稿 より

***
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
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2025年01月22日

司法は国民を守ってくれない…”国家賠償請求訴訟”で明らかに「おかしい判決」がまかり通る日本司法の闇

司法は国民を守ってくれない…”国家賠償請求訴訟”で明らかに「おかしい判決」がまかり通る日本司法の闇
1/21(火) 現代ビジネス

「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? 
ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。

残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。
彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。
とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。
それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。

裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。

大勢に従う日本の判決

日本の裁判官には、最高裁判例や従来の下級審判例の有力な方向に追随する傾向がきわめて強い。
問題になっている争点に関連する判例群の批判的な検討を行わず、事大主義的に大勢に従う傾向ということである。
その典型的かつ大規模な例として、国家賠償請求訴訟の一類型である水害訴訟を挙げることができる。

当初は、水害訴訟では多くは原告が勝訴していた。
ところが、最高裁の否定判決(1984年〔昭和59年〕1月26日)が出るや、下級審判例の流れは一変し、逆に、すべてが棄却されるようになってしまった。

ここで問題なのは、最高裁判例の事案が「溢水型」、つまり、堤防は壊れないが水があふれた事案、また、改修途上の未改修の河川に関する事案であったにもかかわらず、その後の下級審判例が、「破堤型」、つまり、堤防が決壊した事案、また、改修途上の河川ではない、必要な改修が行われたはずの河川に関する事案についてまで、原告の請求を棄却するようになってしまったことである。
最後には、無用な堰が放置されていたことが原因で堤防が壊れたという、これが国家賠償でなければ何が国家賠償なのかという事案まで棄却されてしまった(1987年〔昭和62年〕8月31日東京高裁判決。多摩川水害訴訟。なお、第一審は認容していた)。
さすがに、この判決は、最高裁によって破棄された(1990年〔平成2年〕12月13日)(以上につき、詳しくは、古崎慶長「河川管理責任の『つまずきの石』」ジュリスト898号24頁以下参照)。

日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。
元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。

「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」

これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。
法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。

日本の裁判所、裁判官にはほとんど期待できない

日本の裁判は精密司法であるとか、日本の裁判官は優秀であるから信頼できるなどといった法律家集団の自画自賛的な言葉がそのままに信じられないものであることが、おわかりになるのではないかと思う。
判例には必ず「射程距離」というものがあり、それを厳密に読んでいく作業は、法学のイロハである。

しかし、前記のような下級審判例の流れは、多くの下級審裁判官がこの作業をまともに行っていなかったことを示している。また、水害訴訟はともかく棄却しておきさえすれば安全、へたに認容して最高裁の逆鱗に触れたら大変という裁判官たちの心情も、容易に読み取れる。そうでなければ、一般人が常識で考えても明らかにおかしい多摩川水害訴訟控訴審判決のような判断が、出るわけがないのである。

このような傾向は、すなわち、時代や社会の流れが悪い方向へ向かっていったときにその歯止めになって国民、市民の自由と権利を守ってくれるといった司法の基本的な役割の一つについて、日本の裁判所、裁判官にはほとんど期待できないことを意味する。
追随、事大主義を旨とする裁判官が、時代の雰囲気、「空気」に追随し、判例の大勢に従って流されていってしまうことは、明らかだからである。
その意味では、国民、市民としても、個々の判決の結論だけをみてそれを評価するという姿勢は変えていく必要があるだろう。
つまり、裁判官の全体としての姿勢も大切だということだ。
国民、市民の自由と権利が侵害されていくときに踏みとどまってくれることは、追随型の裁判官にはまず期待できないが、独立型の裁判官であればそれが期待できるからである。

アメリカのみならず、日本においても、2013年の特定秘密の保護に関する法律の成立により、国民、市民の基本的人権、各種の自由、ことに知る権利や表現の自由を制限する方向への政治の動きが明らかになり始めている今日、この点はことに強調しておきたい。

日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。
元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。

「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」

これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。
法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。


瀬木 比呂志(明治大学教授
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2025年01月23日

話の輪に入れない寂しさやもどかしさは、一人でいる時間より圧倒的

話の輪に入れない寂しさやもどかしさは、一人でいる時間より圧倒的
kanon. 2025/01/22

さびしいと聞いて連想するのは、1人でいるときや、急に何かを失ったときだ。
大切なものをなくしたときは喪失感がさびしさを呼び寄せる。
確かに私も何かをなくせば寂しさは感じるが、私にはそれを超える寂しさを感じる瞬間がある。

それは、複数人でいるときである。
人がいるのになぜ寂しさを感じるのか不思議だろう。私も不思議だ。
しかし、1人でいるときではなく、人といるときのほうが圧倒的に寂しさを感じやすい。
そんなときの向き合い方について考えてみようと思う。

みんなと違うから距離を置かれた。
13歳で知った現実のさびしさ
◎          ◎
人といるとき、どんな寂しさを感じるのかというと、話に入れない疎外感を寂しさと感じている。
3人以上のグループでいるとき、最初は共通の話題で話しているつもりでも、一度聞き役になると私に発言権はなくなる。
私以外の人で話は進み、会話に参加しようと思う頃にはすでに違う話題で花が咲いているのだ。

私の場合、少し考えてから話す癖があり、話を聞いている間にも話を深める情報を自分の中から探している思考回路が進行形で回っている。
衛星放送のようなタイムラグをおいてから話し始めても、地上波では話が進んでいた、そんな感覚だ。
自分が話に入れないとなると、一気に輪から追い出されたようにシャットアウトされ、再び話に参加する気力がなくなる。
そういうときはとても楽しそうでいきいきしている会話になっていくので、なおさら話の輪には入れない。
私がいないほうが話が弾むのなら、このまま帰ってしまおうかとも思うほどだ。

私は目の前で広げられている話を聞いているだけなので、ドリンクは誰よりも早くなくなり、手持ち無沙汰になり、話が終わるタイミングをひたすら待ちぼうけすることになる。
もちろん、早く終わらないかと思えばその分だけ長く話が広げられ、ドリンクバーを頼んでいようものなら、おかわりに向かう途中でも話が終わらない。

こんなときは、小休憩をつく目的で席を立つか、先に行ってくるように促してため息をつくかの2択である。
人といるので、周りの人からは友達の集まりだと思われているだろう。私だってそう思う。
しかし、テーブルを囲んで話し始めると、その場にいる権利をなくすのだ。
◎          ◎
いるのにいないような感覚。まさにさびしいと思うであろう。
学生のときも社会人のときも、同世代と話していると必ずと言っていいほど遭遇してきた。
さびしさを感じないようにするためには、こういった場に行かないことだと、さびしさを感じるたびに再認識し、自分に言い聞かせた。

1人のほうがよっぽど心地が良い。
家に帰ってソファーに身を沈めると、心の底からそう思う。
私にはこれが合っていると深くうなづき、社交辞令のまた会おうという文字を無表情で打ち込む。
若干の嫌味を含めた表情で送信ボタンをタップする。

人といるときに感じるさびしさは、何かを失ったために感じるさびしさとは種類が違う。
なくしたというよりも、手に入れられないというほうが正しい表現に近い。
目の前にあるものを掴めないのは、おあずけを食らった犬のようだ。
きっと表情もなんとも言えない表情をしているだろう。
◎          ◎
今まで1人をさびしいと思ったことはほとんどない。むしろ好きでそちらを選んできたほうだ。
人といるときのさびしさは、和らげる方法があるのだろうか。
もしあるならば、情報として知っておくぶんには役に立つだろうか。

さびしいと思うことを完全になくそうとは思っていない。
私はどんな行動をするかで変えられる範囲だと思っているので、対処できる範囲で向き合える。
長年感じてきたための経験値を持っているため、臨機応変に気持ちの切り替えができることも、いい武器となっているかもしれない。

私がさびしいと感じるのは、人といるとき、話の輪に入れずもどかしさを感じているときである。
1人でいるときよりも何倍も疎外感という名のさびしさを覚え、いるのにいないような不思議な時間の過ごし方で時が過ぎるのを待っている。

さびしさと向き合ったとき、無理やり解消してなかったことにするのではなく、私が持っている対処法で乗り越えていこうと思う。
せっかくいい武器を持っていると自画自賛できるのだから使ってみようではないか。
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2025年01月24日

ひろゆき氏 男性が女性をAEDで救命→強制わいせつの指摘に「危うきに近寄らず…」

ひろゆき氏 男性が女性をAEDで救命→強制わいせつの指摘に「危うきに近寄らず…」
1/22(水) 東スポWEB

 2ちゃんねる開設者で実業家のひろゆき氏(47)が22日にX(旧ツイッター)を更新。
思わぬところで訴えられるリスクについてつづった。

 ひろゆき氏は、救命救急士の男性が道で倒れていた女性をAEDを使用して救助したものの、強制わいせつ罪で被害届けを出された…という事例を報じる「ABEMA news」の動画を貼付。

「過去に女性にAEDを使って救命した男性が『強制猥褻罪』の被害届を出されて、警察に事情聴取されたことがある。
和解で決着したとのことですが、リスクがあるのは事実なんですよね」と指摘した。

「ABEMA news」によると、男性は心肺停止状態の女性の上の衣服を脱がし、毛布内でAEDパッドを使用し、心臓を蘇生させた。
男性は病院まで同行し、名刺を渡して帰ったものの、その後警察から事情聴取されたという。
訴えようとしたのは女性の母親で、救助された女性の説得で被害届を取り下げたという。 

 それでも、ひろゆき氏は「『危うきに近寄らず』になってしまうのは、致し方ないかと。。」と、どこで訴えられるかわからない現状を嘆いている。

東スポWEB
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「やりたくないことはやらない」が正解…和田秀樹が「高齢者」になる前に「徹底すべし」と説く"生活態度"

「やりたくないことはやらない」が正解…和田秀樹が「高齢者」になる前に「徹底すべし」と説く"生活態度"
2025年01月23日 PRESIDENT Online

自信を持って生きるにはどうしたらいいか。
精神科医の和田秀樹さんは「『やりたくないことはやらない』という習慣を身につけておかないと、年齢を重ね体力や気力が落ちて、いろいろなことができなくなる自分が情けなくなってしまう。
自分の得意なことを伸ばしていく方が合理的で、成果が出るようになれば自然と自信が湧いてくる」という――。
※本稿は、和田秀樹『仕事も対人関係も落ち着けば、うまくいく』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

■変えられないものは諦めないと、焦りや不安が生まれる
変えられるものを変える

私が精神科医として用いている治療法のひとつに「森田療法」があります。

森田療法とは、精神科医の森田正馬先生によって創始された精神療法で、不安や恐怖を排除するのではなく、「あるがまま」に受け入れることによって、症状の安定化を目指すという療法です。

森田療法の基本的な考え方に、「変えられないものは成り行きに任せて、変えられるものを変える」という方針があります。

緊張や不安に振り回されない自信を育てるには、森田療法の考え方が役立ちます。

「変えられないもの」とは、生まれや育ち、学歴や仕事のキャリアなど、どうやっても変更できないものを指します。
「変えられるもの」とは、物ごとに対する向き合い方や取り組み方、考え方、視点など、自分の意志で変更や修正が可能なものが該当します。

変えられないものを変えようとしても、焦りや不安が生まれるだけです。

大事なポイントは、変えられないものと、変えられるものを分けて考え、変えられないものは諦めて、変えられるものに意識を集中することにあります。
それが自分の感情に振り回されない「自信」を育てるための最初の一歩となります。

森田療法の代表的な一例を紹介します。

人前に出ると、極端に緊張して、顔が真っ赤になることに悩む女性が、私のところに相談にきました。
彼女は、赤い顔を人に見られるのが恥ずかしくて、「こんな状態では、みんなに嫌われてしまう」と考えて、不安になっていたのです。
社交不安障害の一つである「赤面恐怖症」の典型的な症状といえます。

彼女の考え方を整理すると、人前に出ると緊張する→緊張すると顔が赤くなる→赤い顔を見られるのは恥ずかしい→こんな恥ずかしい自分は周囲に嫌われるに違いない→誰にも好かれることはないだろう……ということになります。

■自分に自信を持てれば、気にならなくなる

私は彼女に対して、こう語りかけました。
「私は精神科医を長年やっていますが、緊張して顔が赤くなっても、周囲から好かれている人を何人も知っています。
でも、もっとたくさん知っているのは、顔が赤くならないのに、周囲の人たちから嫌われている人です」

彼女は、顔が赤くなることを悩んでいますが、一番の心配は「このままでは、誰からも好かれないのではないか」ということです。

精神科医としては、顔が赤くならなくなったとしても、人に好かれるとは限らないことを伝えてから、次のようなアドバイスをします。

「人の性格や気質は簡単には変えられませんから、顔が赤くならないようにすることは難しいと思いますが、周囲の人に嫌われて、誰からも好かれないだろう……という不安は解消できます。

愛想をよくするとか、相手を思いやるなど、人に好かれる努力を続けていけば、少なくとも、人から嫌われる心配はなくなりますよ」

顔が赤くなることばかり気にしていたのでは、いつまで経っても、心配や不安がなくなることはありません。

変えられないものに執着するのではなく、変えられるものから変えていく……と発想を切り替えれば、人から好かれる体験をすることによって、次第に心配や不安が治まるだけでなく、自分に自信が持てるようになります。

自分に自信を持てれば、自然と顔が赤くなることも、気にならなくなるのです。

■自分の得意なことを伸ばしていく方が、合理的な考え方
やりたくないことはやらない

自分が苦手なことや、やりたくないことばかりしていると、緊張や焦りが絶えることなく続きます。
仕事であれ、プライベートであれ、最終的にうまくいけばいいのですから、自分に無理をしてまで、やりたくないことをやる必要はありません。

自分の得意なことを伸ばしていく方が、合理的な考え方といえます。

我慢の生活を続けるとストレスが溜まりますが、得意な分野に全精力を注いでいけば、成果を生み出すことにつながります。

成果が出るようになれば、自然と自信が湧いてくるものです。

私は高齢者を対象とした精神科医をやっていますが、若い頃から「やりたくないことはやらない」という習慣を身につけておく必要があると考えています。

世間の人は、「ご高齢になったら、もうやりたくないことは、やらなくていいですよ」などといいますが、年齢を重ねると体力や気力が落ちてきて、いろいろなことができなくなる自分が情けなくなったりします。
若い頃から習慣にしていないと、なかなか思い通りにはいかないのです。

ワガママと見られたり、自分勝手といわれても、ストレスで身体を壊すことを考えたら、あまり気にすることはありません。

自分らしく生きるためには、好きなことや、得意なことを徹底的にやるというのも大事な選択だと考えています。

■「いろいろ試して、一番いいものを選ぶ」と思えるか
一度で「うまくいく」と考えない

大事な仕事に取り組むときに、緊張したり、不安になる人には、「一回で絶対に成功しないといけない」と考えている人が多いように思います。

「一度で決めたい」と強く思い込んでしまうと、緊張感が生まれて、焦りや不安に悩まされます。
こうした状況に自分を追い込むことは、短絡的で拙速な思考に走ってしまう原因にもなります。

「一度で決める」という考え方は、自分のプライドや美意識、周囲の目などが深く関係していますが、一度で決めても、最後に決めても、結果は同じことです。

最終的にうまくいけばいい……と意識を切り替えれば、心理的な余裕が生まれて、さまざまな選択肢を検討することが可能になります。

多くの選択肢を試すことができれば、さらにいい結果につながることもあるのです。

「無理して一度で決めない」という視点を持つことは、「いろいろ試して、一番いいものを選ぶ」ことを意味しています。
この考え方は、幅広いことに応用することができます。

自分の健康のためにサプリメントを飲む場合には、ビタミンCやトリプトファン(必須アミノ酸の一種)など、世間でいいといわれているものを選ぶ傾向がありますが、それが必ずしも自分に合っているとは限りません。

いろいろ試してみて、自分の調子が良くなるものを選ぶのではなく、みんながいいというものに執着して、最初に選んだものを飲み続ける人が多いのです。

一度で「うまくいく」と考えないことは、自分の考え方の幅を広げて、柔軟性を持つことに役立ちます。

思考の柔軟性がないことを、一般的には「頭が硬い」といいます。
頭が硬いと、融通が効かなくなりますから、自信を育てることが難しくなってしまうのです。

■怒りをエネルギーに変えるつもりでアイデアを考え続ける
「まぁ、いいか」と思わない

自分の思い通りにならないことや、気に入らないことは日常的に起こりますが、それをスルーし続けていると、フラストレーション(欲求不満)が蓄積して、メンタルに影響が出ます。

自分が納得できないことがある場合、それをやり過ごしたり、忘れようと思っても、事態はあまり変わりません。

一つひとつのことに、「どうすれば、この状況を改善できるのか?」を考えて、慎重に善後策を練ることを心がける必要があります。

自分の提案が受け入れられなければ、すぐに頭を切り替えて、どんな内容であれば、却下されないのかを考えます。

不本意な転勤を命じられたら、転勤先の職場で、どうやったら成果が出せるのかを真剣に検討してみることです。

「ごく当たり前のこと」と思うかもしれませんが、頭に血が上っていたり、気持ちが動転していると、何も考えられず、思考停止の状態になる人がほとんどです。

「運命だから仕方がない」と諦めてしまうと、何も改善されないまま、残念な状況が続くことになります。

自分の意に反する出来事に遭遇したら、そこで立ち止まって、怒りをエネルギーに変えるつもりでアイデアを考え続けることが大切です。

「まぁ、いいか」と思ってしまうと、いつまで経っても、不満や怒りを持ち続けることになって、前向きな思考ができなくなってしまうのです。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
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2025年01月25日

不眠と睡眠不足、体に悪いのはどっち?…「不眠ぎみで、すっかり睡眠不足」 その言葉、医学的には誤りです

2025年1月23日 読売新聞
医療・健康・介護のコラム
不眠と睡眠不足、体に悪いのはどっち?…「不眠ぎみで、すっかり睡眠不足」 その言葉、医学的には誤りです

 こんにちは。精神科医で睡眠専門医の三島和夫です。
睡眠と健康に関する皆さんからのご質問に科学的見地からビシバシお答えします。

 「最近不眠ぎみで、すっかり睡眠不足です」という相談を受けることがあります。
お悩みの内容は分かります。でも、医学的には不眠と睡眠不足は全く逆の現象です。
どちらも日常生活で経験することが多く、大切な睡眠問題なのでしっかりと解説します。 

精神疾患が潜むことがある「不眠」

「最近不眠ぎみで、すっかり睡眠不足」…その言葉、医学的には誤りです

 「不眠(眠れない)」も「睡眠不足(寝不足)」も一般用語になっています。日常の場面でもしばしば使いますよね。
この二つは混同されて使われていますが、睡眠医学では全く別モノで、体に及ぼす悪影響も異なります。

 不眠(不眠症)は、寝床に入っても「寝つけない」「途中で目を覚ます(中途覚醒)」「朝早く目が覚める(早朝覚醒)」などの不眠症状が出現し、そのために日中に眠気や 倦怠けんたい 感、頭重、頭痛、いらいら、作業能率の低下などの不調が出てくる睡眠障害です。

 不眠の多くは心配事やストレスなどによる一過性(数日から1、2週間)のもので、さほど心配いりません。

 60歳以降の中高年でみられる慢性不眠は、加齢によって睡眠が浅くなるのに加えて、痛みやかゆみ、頻尿など睡眠を妨げる体の病気が主な原因となります。

 より若い世代で慢性不眠がみられる場合には、うつ病や不安障害などメンタルヘルス問題が原因のことが多く要注意です。いずれにしても、不眠症は文字通り、眠ろうとしても「眠れない」のが特徴です。

生活習慣病のリスク高める「睡眠不足」

 一方で、寝床に入れば眠れるのに、そもそもその寝る時間が短いのが睡眠不足です。
睡眠不足の多くは就寝時刻が遅い(遅寝)ために起こります。

 遅寝の原因はさまざまですが、長時間労働で帰宅が深夜などのやむを得ない事情による遅寝は少数派です。
むしろ、スマホなどを漫然と夜ふけまで見るなどの夜型生活が主な原因です。

 睡眠不足の人はいったん寝床に入ればあっという間に眠りに入り、その後も爆睡できますが、睡眠不足が解消される前に出社や登校時刻を迎えて睡眠不足を蓄積してしまいます。
つまり、睡眠不足は眠れるのに「眠らない」のが特徴です。

 睡眠不足は不眠症と同等、もしくはそれ以上に健康への悪影響があることが明らかになっています。
数日程度の睡眠不足でも耐糖能(血糖を下げる力)が低下し、夜間血圧が上昇するなどの身体機能の変化が生じることからも分かるように、生活習慣病のリスクを高めます。

 また、記憶や処理機能などの認知機能の低下を招き、長期的には認知症のリスクを高めることも明らかになっています。

睡眠の質が異なる「不眠」と「睡眠不足」

 不眠と睡眠不足の違いは「眠れない」、「眠らない」だけではありません。
不眠と睡眠不足はともに睡眠時間が短いのですが、睡眠の質が全く異なります。

 不眠症では深い睡眠(深いノンレム睡眠)が著しく少なくなり、浅いノンレム睡眠とレム睡眠が主体になります。
またいったん寝ついても、夜間に何度も中途覚醒するなど寝続ける力が弱くなります。

 逆に、睡眠不足では深いノンレム睡眠は増加し、逆に浅いノンレム睡眠やレム睡眠は減少します。

 深いノンレム睡眠中は大脳皮質の活動が低下し、いわゆる脳の冷却(クールダウン)が行われます。
睡眠時間が制限される中で、もっとも効率よく脳を休ませるために深いノンレム睡眠が増加する(せざるを得ない)のでしょう。

 一般的に、健康な若年成人では深いノンレム睡眠は全睡眠時間の15〜20%を占めますが、重度の睡眠不足時にはその割合が50%以上を占めることもあります。

「短くても深く眠れば良い」は誤り

 「睡眠時間は短くても深く眠れば良い」などと主張する人もいますが、睡眠医学的には明らかに誤りです。
睡眠不足の人はもともと深く眠っているにもかかわらず、先に挙げたような健康への悪影響が生じるのです。

 言葉尻を捉えるようですが、「最近不眠ぎみで、すっかり睡眠不足です」は誤った表現であることがお分かりいただけたと思います。

 中高年に多い不眠症、働く世代に多い睡眠不足、ともにメカニズムも対処法も異なります。
対策については本コラムの過去記事をご参照ください。(三島和夫 精神科医)
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2025年01月26日

「職場の嫌いな人、苦手な人」に疲弊しない人間関係のコツ・ベスト1

「職場の嫌いな人、苦手な人」に疲弊しない人間関係のコツ・ベスト1
1/25(土) ダイヤモンド・オンライン

 自分は将来どうなるだろう……。
そんな不安を持つ人は少なくないのではないだろうか。
「いつまで第一線でいられるか」「いつまで他人と競えばいいのか」「いまいる友達は60歳になっても友達か」「気力体力はどうなるか」「お金は?」「いまのうちにやるべきことは?」など疑問がつきない。

そこで本連載では、2025年に60歳を迎える奥田民生の10年ぶりの本『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』の中から、民生流の「心の持ち方、生きるヒント」を紹介する。
「力まず自然体でカッコいい大人」代表の奥田民生は、これまでどのように考え、どのように働き、どのように周りとの関係を築いてきたのか。その言葉を見ていこう。(構成/ダイヤモンド社・石塚理恵子)

● 「ケンカしたあと仲良くなる」は本当か?

 若いときはいろんなことでケンカをする。

 俺もどうでもいいケンカから結構マジなやつまでいろいろあった気がするけど、いまとなっては詳しい理由を思い出せない。
 多分、どうでもいいことだろう。

 でもよく会う友達とはケンカ別れしたままってわけにもいかないから、多分、仲直りはしたと思う。
 だってなんだかイヤでしょう? 気持ちも悪いし。
 そういうときは俺から謝ることもあれば、相手が気を遣って謝ってくれたこともあったと思う。

● ケンカをしたら仲良くなるのか?

 ドラマやアニメでは、河原で殴り合ってケンカをしたら前よりもっと仲良くなった、みたいな話があるけど、俺の場合、殴り合いのケンカはしないし、そこまでのケンカにまずならない。

 ケンカなんてもともと仲がいいからするものだから、前より仲良くなるはずもない。

 よく、男同士のケンカは仲直りが早くて、女同士は引きずるなんて話を聞くけど、俺が思うにケンカを引きずるような相手とは、そもそも仲良くなかったんじゃないかと思う。

 「仲がいいから」「友達じゃなくなるのがイヤだから」、だから人は早く仲直りをしようとする。

 俺は絶交も絶対しない。

 せっかく友達になったのにそんなの意味がないからだ。

● ケンカをするより仲間になる

 ケンカは20代前半くらいまではしていたけど、この歳になるとケンカらしいケンカはまずしない。
 もちろん仕事仲間と多少の揉めごとはあったりするけど、それは仕事上のことだからしょうがない。

 ただ俺にとって仕事は遊び、遊びは仕事でもあるわけだから、「遊んでるのに揉めてどうする」という思いがある。

 だから楽しく仕事をする(遊ぶ)ためには、多少のことには目をつぶるようにして、自分を制しているところはあるかもしれない。

● 人間関係をうまくやるコツ

 この歳になるととにかく揉めたくないと思ってしまう。
 それに最近は「苦手だな」と思うより「仲間になろう、仲良くなろう」と思うようにもなってきている。

 でもそれとは矛盾するようだけど、無理やり仲良くならなくてもいいかなとも思っている。

 他人にすごく嫌われたくはないけれど、多少だったらいいかと思えるようになってきた。

● いい塩梅でバランスをとる

 ただ、自分が歩み寄ることでその場の雰囲気がよくなるなら、断然自分から歩み寄る。
 自分が引くことでうまくいくなら、そうすることは俺はぜんぜん苦ではない。

 大人になるとこのあたりは自分の許せる範囲で、無意識にバランスをとるようになるものだ。

(本稿は奥田民生『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』からの抜粋記事です。)
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2025年01月27日

人生の限りある時間、一流は「目の前の仕事と勉強」に使う。では、超一流は何に使う?

山口 周
人生の限りある時間、一流は「目の前の仕事と勉強」に使う。では、超一流は何に使う?
1/26(日) ダイヤモンド・オンライン

 「あなたは人生というゲームのルールを知っていますか?」――そう語るのは、人気著者の山口周さん。
20年以上コンサルティング業界に身を置き、そこで企業に対して使ってきた経営戦略を、意識的に自身の人生にも応用してきました。
その内容をまとめたのが、『人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』。
「仕事ばかりでプライベートが悲惨な状態…」「40代で中年の危機にぶつかった…」「自分には欠点だらけで自分に自信が持てない…」こうした人生のさまざまな問題に「経営学」で合理的に答えを出す、まったく新しい生き方の本です。
この記事では、本書より一部を抜粋・編集します。

● 私がブログを書き始めた理由

 先述した通り、私は30歳を境にコピーライター・クリエイターとしての自分の将来性に見切りをつけて電通を退社し、米国の戦略系コンサルティング会社に転職しました。

 仕事はさすがに厳しく、連日、深夜まで働く日々が数年にわたって続きましたが、同時にやりがいもあり、また幸いにもウマの合う同僚にも恵まれ、30代の半ばの頃には「このままいけばパートナーになるのかなあ?」などとぼんやりと考えていました。

 当然のことながら、当時は自分の時間資本の全てを目先のコンサルティングの仕事と、その仕事で成果を出すための短期的な勉強のために投入していました。

 しかし、そんなある日、上司に当たるパートナーの人たちのあまりの多忙ぶりを見るにつけ、ふと考えてしまったのです。それは「なぜコンサルティング会社のパートナーは、職位が上がれば上がるほど、忙しそうなのか?」「そもそも自分は10年後にこうなりたいと思っているのか?」という問題です。

 悶々と考えた結果は非常にシンプルでした。
それは「自分の時間を他人に売るというコンサルティングのビジネスモデルの構造上、自分の価値が上がれば上がるほど、機会費用が大きくなるから」ということです。
平たく言えば、偉くなると「何もやっていない時間=アイドルタイムのコストが高くなる」のです。

 もとからマイペースな性格で、キャリアの最終ステージではゆっくりと思索と著述に携われればいいなあ、などと考えていた自分にとって、これは大きな気づきでした。
このまま、目先の仕事に粉骨砕身して頑張ることは、身動きの取れない袋小路に自分を追い詰めることになる、と気づいてしまったのですから。

 さて、ではどうすればいいのでしょうか?
このとき、まさに自分をクライアントとして、ビジネスモデルのトランスフォーメーションを考えたわけです。

 結論はすぐに出ました。
「自分の時間を切り売りする」というビジネスモデルに依存する以上、市場価値が上昇すれば、同時に機会費用も増大する、という循環問題からは脱却できません。

 この構造から抜けるためには「自分以外の何かに働いてもらう」しかありません。
そこで私の場合、それを「自分の生み出したコンテンツ」にまずは設定し、40代からはコンサルティングのウェイトを半分に落として、著作やコンテンツ制作に関する領域のウェイトを重くすることを考えて、時間資本の資源配分を見直すことにしました。

 具体的な内容を記せば、まずは論点を立ててテーマを設定し、書籍やレポートや人からのインプットを分析して文章にまとめ、それをブログや冊子として定期的に発信する、ということを始めたのです。

 1週間に1回、必ずまとまった論考をブログとして上げる、ということを自分のノルマにして、それをずっと続けていたところ、5年ほど経ったタイミングでプロの編集者の方から「とても内容が面白いので本にしませんか?」と声をかけていただき、それが最初の本の出版につながったのです。

 そして、この最初の出版が、次の出版、また次の出版へと数珠のようにつながり、やがて、それまで行っていた営利企業向けのコンサルティング以外の仕事、例えば文化施設や自治体のアドバイザー、公的機関における講演、ラジオ番組のパーソナリティ、果ては世界経済フォーラムのような国外の機関の研究メンバーなどの仕事へとつながり、仕事のポートフォリオも収入のポートフォリオも大きく変わったのです。

 私のポートフォリオの転換に関して言えば、確かに「運が良かった」ということはあるかもしれません。
しかし、自分から不確実性の中に身を投げ出していかなければ「運を人生に取り込む」ことすらできません。

 本書で何度も指摘していることですが、現在のように不確実性の高い時代においては、不確実性をむしろポジティブに取り込むことが重要になってきます。
イニシアチブ・ポートフォリオの考え方は、まさにこの「不確実性をポジティブに人生に取り込む」ためのフレームワークなのだということができるでしょう。
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2025年01月28日

顔と名前を《覚えてもらいやすい人》が、密かに実践している“3つの行動”… メリットは「人間関係」全般に

顔と名前を《覚えてもらいやすい人》が、密かに実践している“3つの行動”… メリットは「人間関係」全般に
1/27(月) LASISA

会ったことのある人から、また名刺を渡されそうになる悲劇
顔と名前を覚えてもらうために、すぐできるちょっとした一工夫とは?

 仕事や日常生活においては「名前や顔をすぐに覚えてもらえる人」と「なかなか覚えてもらえない人」がいます。
どうすれば相手の記憶に残る存在になれるのか。
顔や名前を覚えてもらいやすい人が実践している3つの行動を紹介します。
相手に覚えてもらえるだけでなく、コミュニケーションがスムーズになりその後の関係構築も楽になるはずです。

 初対面の場では、まず相手に好印象を与えることが重要です
そのために大切なのが「目を合わせて話す」こと。目を合わせることで、自然と親近感が生まれます。
相手に対して「こちらに興味を持ってくれている」という印象を抱かせ、「自分もこの人のことをもっと知りたい」「覚えておきたい」と思ってもらえるきっかけになるのです。

 ただし、じっと見つめ過ぎると相手にプレッシャーを与えてしまいます。
適度に視線を外しながら、会話の要所要所でしっかりと目を合わせるように心掛けましょう。
特にあいさつや自己紹介の際に目を合わせると、相手に好印象を与えられます。

 なお、初対面の人と目を合わせるのは難しいと感じる人は、相手の目と目の間(眉間の辺り)や鼻などを見ると、相手は目が合っているように感じてくれるのでおすすめです。

 顔や名前を覚えてもらいやすい人は、初対面での自己紹介が上手です。
名前を一度伝えただけでは、相手の記憶に残りにくいので「〇〇と申します」と伝えた後、もう一言付け加えてみましょう。

 自己紹介後、「よくある名字なんですが、人気スポーツ選手の〇〇(自分の名字)と同じで、下の名前は有名アイドルの××と同じなんです!」「実は〇〇という名字、××県に多いそうなんです」など、何かしら付け加えることで場が温まり、距離感が縮まります。

「〇〇という名字は覚えにくいと思うので、この顔だけでも覚えていただければ」と表現して、あえて顔を覚えてもらうのもアリです。
また、会議中などに「〇〇も一つ意見をよろしいでしょうか?」と、会話の中で自分の名前を使うのも一つの手です。

 余裕があれば、相手の名前を呼ぶこともやってみましょう。
「××さんはどう思いますか?」と相手の名前を積極的に声に出すことで、自然と相手もこちらの名前を言う流れとなり、自分の名前も覚えてもらいやすくなります。

 さらに、覚えてもらいやすい人は、会話の中でも「何か印象的な話」を残しています。
自分にまつわるユニークなエピソードや趣味などをさらっと話すことで「〇〇さんといえば□□だよね」と相手に覚えてもらえるきっかけになるのです。

 ここで大事なのが、伝え方。
「私、カフェ巡りが好きなんです」だけでは「へぇ、そうなんですね」で終わってしまうので、「カフェ巡りが好きなんですが、絶対に30分以上は滞在しないようにしています」などと、相手から「え、どういうこと?」と興味を持ってもらえるように話してみましょう。自然と会話が続いていきます。

 またの出身地を使うのもおすすめです。
「私、〇〇県出身なんですけどちょっと訛(なま)っていませんか? 大丈夫ですか?」「〇〇県出身なのでこの食べ方にはちょっとこだわりがあって」と地名を絡ませると、「あ、そこ観光で行ったことあります」「△△で有名なところですよね」などと会話が続き、印象が残りやすくなります。

 もちろん、相手の話にも耳を傾けて共感を示すことも大切です。
「この人とは話しやすかったな」と思ってもらえるように、楽しい時間や共感を共有しましょう。
相手の記憶に残る大きな要素となります。

 顔や名前を覚えてもらいやすい人になるには、ほんの少しの工夫がポイントです。
上記のどれかを意識するだけでも、あなたの存在感は確実にアップします。

 初対面の相手に覚えてもらえることで、仕事や人間関係もスムーズに進みやすくなります。
ぜひポイントを取り入れて「忘れられない人」を目指してみてください。


オダカシオリ
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2025年01月29日

「治療あきらめるのか」と絶望 高額療養費見直し、がん患者の訴え

「治療あきらめるのか」と絶望
 高額療養費見直し、がん患者の訴え
1/28(火) 朝日新聞デジタル

 患者が負担する月ごとの医療費の限度額を定める「高額療養費制度」の上限引き上げを政府が検討していることを受け、患者から不安の声が上がっている。

特に、高額な治療を長期にわたって受けざるをえないがん患者らは、「治療を続けられなくなる」と深刻な懸念を抱いている。

 52のがん患者団体で作る、全国がん患者団体連合会(全がん連)が1月17〜19日に緊急に行った「高額療養費制度の負担上限額引き上げ反対に関するアンケート」には、3日間で患者やその家族、医療従事者ら3623人の声が寄せられた。

 高額療養費制度は、公的医療保険の「セーフティーネット」として機能している。
高額な治療を受け、窓口での支払いが高くなっても、上限があることで、自己負担を一定額に抑えることができる。
月々の自己負担の上限は、その人の年齢や所得区分によって決まる。

 政府は、増え続ける社会保障費の伸びを抑えるため、2025年度当初予算案で、高額療養費制度を見直し、自己負担限度額の計算に使う基礎的な部分の金額の引き上げを盛り込んだ。

政府案では、25年8月に所得区分ごとに2.7〜15%を引き上げ。
さらに、26年8月と27年8月にも区分を細分化して引き上げる。
最終的には、中間的な収入の人で現行から5万8500円増の月13万8600円となる層がある。

 患者への影響は大きい。

全がん連が行ったアンケートの中で、
がん患者の30代女性は「突然の病で働くことができなくなり、高額療養費制度に助けられているが、治療費は毎月限度額いっぱいの支払いです」と訴える。
生活費も含めれば夫だけの収入ではままならないため周りからお金を借りていると明かす。
「私の医療費が高くなってしまえば子どもの学費も出してあげられない」とつづる。

 全がん連の天野慎介理事長は、「近年、長く高額な薬を飲み続けることを前提とした治療が増えている。
こうした治療は続けなければ長期生存がかなわない。
高額療養費が引き上げられれば、患者への影響は甚大で、生活が成り立たなくなったり、治療をやめたりするケースが出てくるおそれがある」と話す。

 全がん連は昨年末、負担上限額引き上げの軽減や影響の緩和策を求める要望書を厚生労働相らに提出。アンケートも今後、厚労相に提出予定だという。

朝日新聞社
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2025年01月30日

「もう面倒臭い、大変、危ない」週刊誌の女子大生ヌード企画に参加、風俗店で働いていた女子大生の20年後の姿

「もう面倒臭い、大変、危ない」週刊誌の女子大生ヌード企画に参加、風俗店で働いていた女子大生の20年後の姿
1/28(火) 文春オンライン

 20年前、有名私立大学に通いながら東京・五反田の風俗嬢として働いていたミホ(仮名)。
名門大学の女子大生ばかりを集めた週刊誌のヌード企画にも参加していた彼女は、“快楽主義者”であることを公言し、好奇心からその世界に入ったことを明かしていた。

 そんな彼女は現在どこで何をしているのか。
当時からルポライターとして彼女を取材していた小野一光氏が上梓した 『風俗嬢の事情』 (集英社文庫)より一部抜粋して、ミホの近況について紹介する。(全2回の1回目/ 続きを読む )
◆◆◆
 そんなミホに、20年ぶりに連絡を入れることにした─。

 これまで一切、連絡を取っていない。
就職をして忙しいだろうと思っていたし、新たな生活を邪魔してはいけないとの思いもあった、と思う。
そうしてフェードアウトするように、記憶の枠外に押し出していた。

 まあ、いまさら連絡を入れたとしても、8割がたは音信不通だろうなと予想しながら、当時の手帳に記していた、いまとは違う〇×〇で始まる携帯電話番号を、現在の090で始まるように変換し、通話ボタンを押す。

「はい、もしもし……」

 2コールほどで女性が出た。まさか……。

「あの、突然のお電話すみません。××ミホさんの携帯でよろしいでしょうか?」

「はい。そうですが……」

 一瞬だが、頭が真っ白になった。どうしようと慌てながら、必死で言葉を絞り出す。

「あの、すみません。以前、取材でお会いしたライターの小野一光と申します」

「え、あの、なんの取材でしょうか?」

 電話の向こうの声色から、こちらがいったいなにを言っているのかわからない戸惑いが伝わってくる。

「あ、あの、その昔、風俗の取材で……」

「え? ああーっ、あのときの……?」

  そうです。そのライターの小野です」

「うわーっ、ご無沙汰してます」

 それから私は、いまもライターを続けていること、当時取材した女性のその後を取材したいと考えていること、とりあえず結果はノーでも構わないので、説明のために一度会えないかということを話した。

「あ、まあ、いまは東京にいるんで、別に構わないですけど……」

 ミホは突然の、しかも20年ぶりの電話にもかかわらず、その週の週末に会うことを承諾してくれた。
それは、まったく予想もしていない展開だった。

 その夜、週末の待ち合わせ場所について送った私からのショートメールに、ミホから返信があった。

〈ビックリしましたけど嬉しいです! お店了解しました。
まだ行ったことがなくて気になっているお店でしたので、楽しみです〉

 自分はなんて幸せ者なんだろう。心の底からそう思った。

敬語を使うようになっていたミホ

「お久しぶりでーす」

 待ち合わせ場所の居酒屋。
数日ぶりに会うような気軽さでミホは現れた。
年齢なりに目尻に皺は刻まれているが、体型は変わらず、ショートヘアに化粧っ気のない素顔も昔のままだ。
クリクリと動く大きな瞳も健在である。変わらないねえ。

 まずは再会を喜び、近況を報告しあった。
彼女は大学卒業後に勤めた会社にそのまま在籍していて、北海道や関西などに転勤後、いまは実家のある東京に戻ったものの、実家ではなく職場に近い町で一人暮らしをしているという。

「じつは、関西にいるときに結婚しようと思って、家を建てて住んでたんですけど、ちょっとそれが失敗して……」

 さすがに大学時代とは違い、ミホは敬語を使うようになっていた。それがなかなかに新鮮だ。

「離婚したってこと?」

「いや、籍は入れなかったんですよ。一緒に住んで、向こうの両親に挨拶したりしてたんですけど……」

「いくつのとき?」

「29のときかな。向こうは××に勤める人でした。あははは」

 彼女はCMのテーマソングに記憶がある食品メーカーの名を挙げた。

「まあちょっと、浮気もあったし、仕事ぶりもなんか怪しい感じがあったし」

 同居期間は1年ほどだったそうだ。

「籍を入れてたら大変だったかもしれないけど、入れてなかったから、別れるのは楽っちゃあ楽でしたね。
で、家も土地も私名義だったので、そのまま住み続けられたし……」

 その家は、東京に転勤になったいまも所有しているとのこと。
さすが大企業に勤めているだけのことはある。
私は話題を変えるため、彼女について驚いたことを口にした。

すでに連絡がつかなくなっている子もいるなかで

「でもさあ、電話が変わってないのはびっくりしたよ」

「ふふっ、よく言われるんですけど、私、1回も電話番号変えたことないんですよ」

「だって、俺の手元に残ってた番号って、〇×〇で始まる番号だったからね」

「はははは……」

「まさか本当に連絡がつけられるとは思わなかったよ」

「ああー、いや、懐かしいなって」

  それからしばらく飲食店をやっている彼女の実家の話をした。
ご両親はいまも変わらず商売を続けているとのことで安心する。
いま考えると、あの当時にそこまでよく話してくれたなと思うが、かなり私生活に踏み込んだ話をしていたのだ。

 私は、ふだんもよく飲んでいるというミホのために、日本酒を注文した。片口から彼女の盃に酒を注ぎながら言う。

「それにしても、あの頃はまさか将来、40代のミホちゃんと飲むことがあるとは、想像もしなかったなあ」

「ははは、ですよね」

「20年後に再会するとは……」

「ははは、どっかで野垂れ死んでるんじゃないかな、ぐらいな。ははははは」

「だけどちゃんとした会社に勤めてたからさあ、そんなに心配はしてなかったよ」

「なんかあの頃で思い出すのは、ちょっと一緒に仕事した××大学のあの子……」

 ミホが挙げたのは、彼女と一緒に週刊誌上で女子大生ヌードを披露した女の子だ。
お嬢様大学に通う正統派美女だった彼女もまた、デリヘル嬢だった。
私がフランスの雑誌から日本の女子大生風俗嬢の取材を申し込まれた際に、出演してもらったりしたが、大学卒業後の行方は知れず、すでに連絡がつかなくなっていることをミホに伝えた。

「そうなんですねー」

「まあ、過去を忘れたいのかもしれないしね」

「あ、それはそれでいいと思いますよ。人それぞれだし」

 会った日は連休初日の土曜日。
この連休中は全部休みなのかと尋ねた私に、半分は仕事の予定が入っていると答えたミホは、感慨深げに声にする。

「いやーっ、サラリーマンですよ、ほんとに。
自分にサラリーマンできるって思わなかったんですけどね、ふふふ。
いまは絶対に最後まで勤め上げて、退職金もらってやるぞって思ってますね。
私のときは、同期の女の子が五人いたんですけど、私以外は全員辞めましたから」

「まあねえ、それも人それぞれかも」

「そうですね。入社して3年目くらいまでは、給料やっすい(安い)なあ〜って思ったりしてましたもん」

「そのときに、昔やってた仕事に戻ろうって気持ちは?」

「いやあ〜、それはなかったよ。これが本当の収入なんだよな〜っていう」

「(風俗の仕事は)大学3年のときに辞めたんだっけ?」

「いや、結局は最後の4年まで。へへへ……」

「五反田の店?」

「いや、その後に転々としてたことがあって……大塚? そこでやっぱり同じような隠れマンション(ヘルス)の仕事と、大学の最後のほうまで私、根岸(台東区)に住んでたんで、ちょっとだけ、3カ月だけ、吉原に行ったんです」

本番行為があるソープランドで

 吉原といえば、とくに注釈を加えずとも、それだけで本番行為があるソープランドを指している。
まったく知らないミホの過去についての情報に驚いた。

「働いてみました。でも、こーれは、体持たねえわ、って……ははは。で、就職活動を始めるときに、『すいません。就職活動あるんで』って……」

 店に伝えた退店願いの部分は、青息吐息の口調で言う。

「それは4年生のとき?」

「いや、3年の2月とか3月ですね」

「そうなんだ。でも、稼げたっしょ?」

 ソープランドでは、月に200万円くらいの収入を上げている女性もいることから、そういう話題に持っていった。

「いや、そうでもなかった。安い店だから。もう、あの世界はピンキリですよ」

「でも、なんでそっち(ソープランド)に行ってみようと思ったの?」

「いや、きょ、興味本位。あっは、ははははは……。たしかに興味本位。1回くらい行ってみよっか、みたいな。はははは……」

 自分の若気の至りに対する、恥ずかしさも混じった照れ笑いだ。

「けっこう大変だった?」

「大変でした。あの、マットってあるじゃないですか……」

 ミホは周囲を気にして小声で囁く。

「もう面倒臭い、大変、危ない、滑る〜って感じなんですよ」

 ソープランドではマット上に寝た男性客の上で、女性がローションを使用して体を密着させる、前戯ともいえるマットプレイがある。
当然ながら、ローションを使用するため、かなり滑りやすい“危険な”状態になるのだ。

「同じ店に、ちょっと年かさのお姉さんがいたんですよ。
で、『初めてなんです〜』って言ったら、『頑張ってね〜、大変だけど』って。
それで歳を聞かれて、『22です』と言ったら、『あら、うちの娘と一緒だわ』なんて言われて、『ちょっと待って、お母さ〜ん』って感じですよ。
それを聞いて、これは私、この世界からは、早急に足を洗わんとならんな、と思いました。はははは」

「過去を探られるとまずいと…」20年前に週刊誌の女子大生ヌード企画に参加した女性が40代になって明かす、唯一の後悔 へ続く

小野 一光/Webオリジナル(外部転載)
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「過去を探られるとまずいと…」20年前に週刊誌の女子大生ヌード企画に参加した女性が40代になって明かす、唯一の後悔

『風俗嬢の事情』より#2#1
「過去を探られるとまずいと…」20年前に週刊誌の女子大生ヌード企画に参加した女性が40代になって明かす、唯一の後悔
小野 一光
2025/01/28 文春オンライン

 20年前、有名私立大学に通いながら東京・五反田の風俗嬢として働いていたミホ(仮名)。
名門大学の女子大生ばかりを集めた、週刊誌上でのヌード企画にも参加していた彼女は、“快楽主義者”であることを公言し、好奇心からその世界に入ったことを明かしていた。

 そんな彼女は現在どこで何をしているのか。
当時からルポライターとして彼女を取材していた小野一光氏が上梓した『風俗嬢の事情』(集英社文庫)より一部抜粋して、ミホの近況について紹介する。(全2回の2回目/最初から読む)

◆◆◆

「後悔したことは?」「特にないです」

 そこで私は気になったことを質問する。

「でも、基本的に(求めるのは)おカネではないの?」

「そん、なにではないですね、じつは……」

「興味というか、いろんな世界を見てみたいということ?」

「そこが大きかったと思う。まあ、一通り経験してみて、それを一生の仕事にするでもなく、体験入学みたいな」

「その後に、後悔したことってあった? やんなかったらよかったなあ、とか……」

「とくにないです」

 私の言葉にかぶせるような即答だった。

「そりゃあ、バレたら大変でしょうけど」

「でも、バレてはないでしょ?」

「うん。バレたらワーッてなりますからぁ」

「当時は、バレることってけっこう怖かった?」

「それは気を遣いましたねえ。それに、ふつうの会社員だったらいいんですけど、公職とかは無理だと思いました」

「それは将来の仕事でってこと?」

「そうそう。政治家とか議員とか、そういうのはもう無理だわって」

「過去を探られるとまずい、と」

「ちょっと前に、ある公共的な団体で役員をやってたことがあって、そのときに、議員に立候補すればって言われたんですけど、無理って、即座に断りましたね」

「こういうSNSの時代とか、想定してなかったですから」

「そっかあ、大丈夫だと思うんだけど……あっ、そういえば裸の写真を撮られる仕事もやってたんだよね」

「そうそう。どこで出るかわからないし」

「そこはちょっと後悔ってことはない? 形に残るものをやってしまったっていう」

「そうですね。そこはある、かな。形に残る写真はマズかった、っていう……」

 当時はなにも考えていなかったことが、自分の未来の可能性を狭める原因になってしまった、ということはわかる。
ただまあ、それを学生時代に予見しろというのも、なかなかに酷な話ではある。そこで聞く。

「当時は全然考えてなかったんだよね?」

「そうですねえー、ははは。こういうSNSの時代とか、想定してなかったですから」

「まあ、もう、20年も前だから大丈夫だよ」

「ははは、そう思いたい……」

 その昔、彼女の裸の写真を撮った方々は、過去の話として、そっとしておいてあげてください、と願う。
私は話題を変えた。

自分で稼ぐ道はリスクがあってもいけない

「ところでさあ、これまでの40年の人生のなかで、性欲がいちばん強かったのって、いつ頃だった?」

「あーっ、35くらいかしら、ふふふふ」

「そのときは特定の彼氏がいて?」

「あ、そうですね」

「どうしてそのときがいちばん強いと?」

「うーんそれは1年間くらいで、短期間なんですよ。ホルモンの関係かなあ。
いまのこの歳になったら、もうそんなに性欲はなくて、やるとしても、清潔な場所でやりたいな、とか、ははは。
車内とか野外とかはもういいやって。
あと、やる前は身ぎれいにしときたいとか……。だからいきなりとかは無理ですね、はははは……」

「自分のなかで高校とか大学とかその後も、いろいろ回ってきてみてさあ、なにか結論というか、教訓とかって生まれたりした?」

「結局あれですよ、なにかなあ、あの、自分の稼ぎで生きていく道を見つけなければならないってことですよ。それは安定してなければいけないし、リスクがあってもいけない」

「まあ、それが就職後の生活を続けさせたっていうかさあ……」

「そうです」

風俗経験により、自分のなかに安定志向が芽生えた

「それってさあ、風俗で働いて、周りの人を見たからっていうこと? さっきのお母さんみたいな歳の人とか……」

「それもあります。たしかに。あと、同じ店にいたんですよね。国立大学を出てて、で、その人の彼氏がぁ、『注射器持ってるのよ』なんてこと言ってて。
ちょ、待て待て待て、それやめたほうがいいよ、みたいな。巻き込まれないうちにやめろ、みたいな。だから、どんなに頭が良くっても、高学歴でも、ちょっと踏み違えたら転落してしまうというのは、よく見ました」

「だからこそ、自分はちゃんと持ってないとダメだと思った、と」

「うん。それにこの仕事は、確実に危うい路線だと。
で、年齢制限じゃないけど、稼げる上限年齢ってあるじゃないですか。
どっかで病気をするかもしれないし、なにも社会保障を受けられない状況だということで、ここに、この仕事に人生を委ねるべきじゃないっていうのがあって……」

「つまり風俗経験により、自分のなかに安定志向が芽生えたってことだよね」

「そうですね。ほんと10代、20歳になるまでは、生きていければなんでもいいって思うわけですよ。
それでもやっぱり、現実社会を垣間見た時期だったんですよね。
これって、結局真面目に生きてたほうが、後々いいんではないかって結論になったんです」

 もっともな意見である。
だがそこで、置き去りにされている話を蒸し返すことにした。

「社会を知るきっかけになったことはわかるんだけど、風俗って肉体を酷使する仕事じゃない。いろんな男が自分の体を通り過ぎていくっていう嫌さはなかったの?」

「まあ、そんときはあんまり。仕事って割り切ってたから。仕事。給料。それだけ」

「つまり嫌悪感はなかったわけね?」

「たまにはあるんですよ。不潔な人が来たときとか。そういう生理的な面での嫌悪感はどうしてもあるんで。エーッ、みたいな」

本番への抵抗はなかった

「いま現在の性に対する考え方とか行動って、20代前半まで風俗の仕事をやってたことと、なにか関係してるってことはある?」

「いつも困るのは、こう……、ふふふっ、『どこで覚えてきたの?』って、えへへへ」

 照れ笑いだ。つまりエッチの際のテクニックが、半端ではないということだろう。

「そんなんねえ、『この歳になったら、そらあしょうがないわよ』とかって言って誤魔化すんですけどね」

「やっぱ違うのかねえ?」

「なんなんですかねえ。控えめにしてるつもりなのに。あんまりそんなにねえ、技はさらさないようにしてるつもりなんですけど」

「そうだよねえ。(ソープランドでの)マットプレイをするわけでもないのにねえ」

「ははは、そうそう」

「あ、そういえばさっきソープの話が出たときに聞いてなかったんだけど、ソープといえば本番があるわけじゃん。それに関しては抵抗なかったの?」

「あまりこだわりはなかったですね。一緒やん、みたいな。あと他の“嬢”の人たちが言ってたのは、結局そっちのほうが楽だと」

「それは自分もそう思ったの?」

「うん。ただ、全体的に体力はいりますけどね。この歳になったら、もう無理だと思う」

 そこで突飛な質問を思いついた。

「いま、コロナ禍でいろんな業界が大変なことになってるけど、もしもミホちゃんの会社が業績悪化で潰れちゃうとするよね。そのときって、たとえば熟女風俗の仕事をするっていう選択肢はあったりする?」

「えーっ、ないわぁ。それはない」

「もう一生ない?」

「うん」

「終わりかあ。もうその季節は終わったってことね」

「うん。いくらでもなんかその、仕事はあると思うんで。コンビニとかスーパーのバイトでも、自分一人だったらなんとでもなりますからねえ」

プラスマイナスでいうと「イーブンですね」

「当時、風俗と訣別したのは、どういう理由だったの?」

「結局、就職ってことでしょうね。これでもう、後ろ暗いことはできないなって、それだけの話でしょう」

「やっぱでも、後ろ暗いはあるんだね」

「後ろ暗いはありますよね、それは。人に言えないって時点で」

「でもさあ、逆にその後ろ暗さに、面白さを感じてたってのもあったんじゃ……」

「そうそうそう。それもあった。裏の世界も知りたいって……。で、知ってないと、世の中に出て騙されるっていうのもあるのかなって思った。上手い言葉に乗せられて、とか」

「やってみて思ったの?」

「うん。そういうことを知らないと、世の中にはいろんな、上手いけど危険な話ってあると思うから」

「やってみて良かった、悪かった? プラスマイナスでいうとどっち?」

「イーブンですね。対価について習いました」

「マイナスな点は、人に言えないという……」

「そうそう。あとは、公職に就けないということかな。
あ、逆にプラスになったことという点で、もう一つありました。ははは。日常生活で、キモい男性に対処するのが上手になったと思う。えへへへへっ。対処できる枠は確実に広がりました」

「やっぱけっこう多かった?」

「もっ、そういう人は多いですよぉ。ほんと、いろんな人がいるなーって感じ」

この世にはどうにもならない矛盾がある

 こちらに気を遣ってか、おどけた言い方になってはいるが、実際、常識を超えた男の裏面を見てきたことだろうと想像した。
ただ、そんなミホであるが、いまだにニュースなどで風俗業界に絡む事件があると、つい気にして見てしまうのだという。

「なんか気になっちゃうんですよね。やっぱりふつうのサラリーマンになった私からすると、早く足を洗いなよ、とか、お日様の下を歩こうぜってなるけど、そうはいかない人もいるし……。
いまはたとえば、自分の学費を払うためにやってる子とかもいるじゃないですか。あれはねえ……。なんとかならんかなあ、とかって思ったりしますね。でもしょうがない。勉強する時間を捻出するためには、時短で稼ぐしかないですしね」

 彼女自身が社会を経験したことで、もどかしくとも、この世にはどうにもならない矛盾があることを理解しているのだろう。
そういう点では、風俗で働いた経験をマイナスではなくイーブンにしているミホの話は、現在、そうした矛盾のなかで苦しむ女性を、少しは楽にできるのではないかと思った。

人に言えない分、自分のなかで貴重な体験をしてるなって

「自分が風俗で働いてたことって、誰か言った人はいる?」

「いまも昔もいないですね。どこでバレるかわからないと思ってたから」

「でもそれ、苦しくなかった?」

「いや、人に言えない分、自分のなかで貴重な体験をしてるなって思ってたから。面白いことだな、って」

「それはそれで、人に言えないくらいはしかたないなって?」

「うん。で、どうしても面白いことがあれば、人の話としてね……。それはもう面白い話がいっぱいありましたよ。こんな人がいた、あんな人がいたって」

「そらそうだなあ。なかなかふつうの生活をしてたら見れるもんじゃないもんねえ」

「そうそうそう」

「でもさあ、男性に幻滅したりはしなかった?」

「いや、それはそれで、こういう人もいるよな。こういうことを隠していかなければいけない男の人もいるよな、っていうふうに思ってましたね。
で、風俗のいいところは、そういう人たちを受け入れてることだと思ってました。そういう人たちを締め出していたら、世の中の性犯罪者が増えて、被害に遭う人がいっぱいいるって思いますもん。これ必要悪。以上。みたいな。ふふふふ」

 もちろん、現在の生活が安定しているから言えること、との見方もあるだろう。
だが、それを差っ引いても、女にも男にもある、“どうしようもない部分”を容認している彼女について、素直に、たいしたものだとの感想を抱いた。

 それだけでも、20年ぶりに会った価値は、ある。

 聞けば、ミホも私と同じく、いまだに喫煙を続けているマイノリティだという。食事もそろそろ終わりそうなところで、私は切り出した。

「じゃあ、ちょっとどこか近くの、煙草が吸えるバーにでも行こうか」

「あ、いいっすねえ」

 旧交を温める、幸せな夜はまだまだ続く。
posted by 小だぬき at 06:00 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月31日

かつて家庭の中心だったビデオテープが、もう再生できなくなる…“家に眠っている思い出”をどうすべき?

かつて家庭の中心だったビデオテープが、もう再生できなくなる…“家に眠っている思い出”をどうすべき?
2025年01月27日 SPA!

一般的に「2025年問題」といえば、団塊の世代(1947〜1949年生まれ)が全員「後期高齢者」になる年で、かつ国民の3人に1人が65歳以上になるため、超高齢化社会に突入する転換期だと捉えられている。

 さらに’25年はトランプ米大統領の就任や、参院選もあり、日本でも世界でも混乱が必至な状況だ。しかし、2025年問題はほかにもある。

 私たちの身近な生活に影響を及ぼしそうなニッチだけど大問題なテーマを紹介しよう!

◆ビデオテープ&デッキが再生不可能になってしまう

 1980年代から1990年代後半まで映像メディアの主役だったVHSビデオが消滅の危機にある。
耐用年数や生産終了で今後、再生が困難になるからだ。これがビデオの2025年問題だ。

「ビデオデッキの部品供給はメーカの企業努力に依存しており、長くて10年。生産終了が’16年なので、’25年でちょうど10年になります。また磁気テープも耐用年数は20年と言われており、劣化で再生できない可能性があります」

 そう語るのは放送機器や映像技術に詳しい小寺信良氏。

「’19年にユネスコなどが文化的価値のある映像の保存について『磁気テープは’25年までにデジタルデータ化されなければ大半が永遠に失われかねない』と警鐘を鳴らしたことがきっかけです」

 ’25年に一斉に視聴不能になるというわけではないが、家にビデオテープが眠っている場合、どうすべきなのか。

「早めにデジタルデータに変換し、クラウドにアップするなどしてアーカイブすべきでしょう」(小寺氏)

◆著作権が他者にあるテープだと業者にダビング依頼することはできない

 こうしたなか、ビデオテープからデジタル化する業者も活況のようだ。
同サービスを行うカメラのキタムラの広報担当者は次のように話す。

「最近、需要が増え始めました。’23年より2桁アップでサービスの利用が伸びています。入学式や結婚式のような記念日系のビデオが多いですが、なかには謎のビデオテープが押し入れから出てきて『何が入っているか確かめたい』というケースもあります」

 ちなみに同社では保存状態の良好なテープの場合、店頭受け付けでDVD化の料金は1780円〜だ(60分まで)。

 ただし、映画やAVのような著作権が他者にある作品は業者へのダビング依頼はNG。青春時代を共に過ごした思い出のビデオ作品は、脳裏に焼きつけておくしかない!?


【小寺信良氏】
インターネットユーザー協会代表理事。18年間テレビ業界に在籍。放送機器、映像技術、著作権等に精通

取材・文/週刊SPA!編集部  

posted by 小だぬき at 09:38 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする