2025年02月01日

フジ会見で感じた記者の「ずさんさ」第一報と第二報の違いは「誰でも…」新潮社執行役員の違和感

フジ会見で感じた記者の「ずさんさ」第一報と第二報の違いは「誰でも…」新潮社執行役員の違和感
1/31(金) 日刊スポーツ

 新潮社出版部執行役員の中瀬ゆかり氏(60)が30日、TOKYO MX「5時に夢中!」(月〜金曜午後5時)に木曜コメンテーターとして生出演。
「週刊文春」が中居正広氏(52)の女性トラブルについて一部報道内容を訂正して謝罪したことについて言及した。

 「文春の一連の記事はずっと私も読んでいますから、第一報が出た時の情報とと第二報として出だ情報が明らかに違ったんですよ」と切り出した。

 「あれ、シチュエーションというか設定が変わってるなと思ったんだけど、そこは文春も前回報じた時から変わりましたとは書かずに、橋下(徹)さんの言葉を借りれば“しれっと上書き”じゃないけども、そのままフワッとさせて書いてたんですよ」と語った。

 そして「その記事を読んでたら、なんだ中居さんが呼んだんだっていうのは、誰でも読み取れる力があれば、そこをごまかしているわけじゃないんで、読めるようにはなっていたわけですよ」と続けた。

 その上で「っていうことは、あの(フジテレビ2回目の)記者会見で、記事を読まずに、でも文春のソースに乗っかっているのに、普通だったら記者で質問しようとしたらそこは丁寧に読んでおくじゃないですか。
そこをソースにするんだったら。
だから本当にみんな、紙(誌面)は読まないんだなってちょっと思いましたけどね」と語った。

 さらに「そこで文春さんがちゃんと書く時に第一報とシチュエーションが違いましたって書いた上でそれ(記事)を書いていたら何の問題もなかったけど、そこをふわっとさせちゃったがために、今回の訂正につながっちゃっている。
それは後手後手になっている」と話した上で「もしそれを読まずに(記者が質問を)やっていたとしたら、そっちもずさんだと思います」とした。

 週刊文春(電子版)は、昨年12月25日に「中居正広9000万円SEXスキャンダルの全貌 X子さんは取材に『今でも許せない』と…」と見出しを付けた記事を配信したが、28日までに訂正文を追加。

「【訂正】本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について『X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた』としていましたが、その後の取材により『X子さんは中居に誘われた』『A氏がセッティングしている会の”延長”と認識していた』ということがわかりました。お詫びして訂正いたします。
また、続報の#2記事(1月8日発売号掲載)以降はその後の取材成果を踏まえた内容を報じています」としていた。
その後、誌面でも訂正、謝罪している。
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2025年02月02日

冤罪の原点「免田事件」が私たちに問うもの

冤罪の原点「免田事件」が私たちに問うもの
本人が死去しても晴れない「冤」を雪ぐために
高峰 武 : 元熊本日日新聞記者・熊本学園大学特命教授
2025/02/01 東洋経済オンライン

「被告人は無罪」――たった6文字の言葉だが、冤罪を訴え続けている一人の人間にとっては何ものにも代え難い、万斛(ばんこく)の思いがこもる言葉であろう。

2024年9月26日、静岡地裁(國井恒志裁判長)は「袴田事件」の再審判決公判で確定死刑囚の袴田巌さん(88)に無罪を言い渡した。
事件発生から58年、死刑確定してからでも44年が経過していた。何という時間の長さだろうか。

事件の発生は1966年6月。静岡県清水市のみそ製造会社の専務宅から出火、焼け跡から専務ら4人の遺体が見つかった。
強盗殺人、放火事件として捜査した静岡県警は同年8月、元プロボクサーで同社従業員の袴田さんを逮捕。袴田さんは公判で無罪を主張したが、静岡地裁は1968年に死刑判決、1980年に最高裁で確定した。

その後、事件は複雑な経過をたどる。
2度目の裁判のやり直し・再審請求で静岡地裁が再審開始を決定、袴田さんを釈放したものの、東京高裁が取り消す。
これに対して最高裁が差し戻したため東京高裁で審理がやり直され、再審開始となったのだった。

2024年9月の再審無罪判決で國井裁判長は捜査陣による「証拠の捏造」を挙げたが、検察はこれに強く反発、控訴を断念した際の検事総長談話でも「重大な事実誤認」と最後まで納得しなかった。

検察はその後、事件を検証する「報告書」を公表したが、事件の根底を剔抉(てっけつ)するに十分なものではなかった。
無辜(むこ)の人を罰しない司法をどう作り上げるか、死刑制度はこのままでいいのかなど、冤罪事件が浮き彫りにする課題への取り組みは待ったなしである。

原点としての免田事件

「被告人は無罪」という言葉を、確定死刑囚として日本で初めて聞いたのは免田栄さんである。
1983年7月15日のことだ。
私はその時、判決言い渡しがあった熊本地裁八代支部で地元熊本日日新聞社の社会部記者として取材していた。

死刑が確定した後に再審無罪となったのは袴田さんで戦後5人目だが、その嚆矢(こうし)が免田さんなのである。
免田さんの後、財田川事件(香川県)、松山事件(宮城県)、島田事件(静岡県)、そして今回の袴田事件と続く。

免田事件はどんな事件だったのか。

 1948年12月30日未明、熊本県人吉市の祈祷師(きとうし)白福角蔵さん方で一家4人が殺傷されているのが見つかった。夫婦2人が死亡、幼い姉妹が重傷を負った。
捜査は難航したが、聞き込みなどから不審者として免田さんが浮上、翌1949年の1月16日、強盗殺人容疑で逮捕される。

免田さんは公判で無罪を主張したが、1950年3月、死刑判決が下される。
1952年1月、最高裁で確定した。
以後、免田さんは再審請求を繰り返し、6度目の請求で、上記した再審無罪となったのだが、逮捕時23歳の青年だった免田さんは無罪判決時は57歳。自由を奪われた時間は1万2599日に及んだ。

「初」という意味では2つの「初」を免田事件は持つ。
わが国で初めての確定死刑囚の再審無罪、そして1949年1月1日に施行された戦後の新しい刑事訴訟法下での重大事件第1号。私たちが事件を「冤罪の原点」と呼ぶのはこのためである。

再審無罪判決の後、免田さんとの交流を続け、再審公判、判決をともに取材した熊本日日新聞社の同僚の甲斐壮一さんを中心に若い仲間と『検証・免田事件』(日本評論社)を皮切りに4冊の本を出版してきたのだが、2018年に免田さんの妻・玉枝さんから「自宅にある資料を冤罪防止に活用してくれないか」と相談を受けた。

その時、免田さんは93歳、玉枝さんも80歳を超え、福岡県大牟田市の高齢者施設に入っていたので、申し出の趣旨はよく分かった。
取り急ぎ、免田さんの自宅に雑然と置かれた資料を持ち帰ったのだが、2人で始めた整理・保存の作業は驚きの連続だった。

ロートル記者の再出発

こんな公文書があった。
1952年、死刑が確定した直後、福岡刑務所から遺体の引き取りなどを確認する文書は、その事務的な書きぶりゆえに免田さんの死に現実味を帯びさせていた。
免田さんが再審請求をしたので死刑の執行が止まった、とする通知もあった。

今、法務当局は死刑執行と再審請求は関係ないとの立場だが、ここには恣意的運用を続ける法務行政の姿がある。

その他の資料群も圧巻だった。
No3とだけ書かれた綴りは、第1回公判から死刑判決までの公判調書と証人調書、891ページ。すべて手書きである。

なぜ自分が死刑になったのか。裁判記録を写すことで一語一語、確認したのだろう。
疑問の箇所には「誘導尋問」などと赤線が引かれてあった。このほか、家族にあてた400通の手紙もあった。

34年に及ぶ死刑囚としての実相。
一部を除いて、正直、知らなかったものばかり。
免田事件をともに取材したRKK熊本放送の牧口敏孝さんも加え、3人で免田事件資料保存委員会をつくったのだが、言葉を換えれば3人のロートル記者の社の垣根を越えた再出発だった。

免田事件とは何か。その答えは免田さん自身の言葉の中にあったのだが、それに気付くまでには長い時間が必要だった。

まずは最初の問題意識。言葉で言えば、司法上の免田事件、と言うこともできようか。

なぜ、捜査が誤ったのか。ここにあったのは、@見込み捜査、A自白の強要、B物証の軽視――だ。
怪しいと警察が思った者を引っ張ってくる。
そしてシナリオに沿った自白を強要する。
免田さんによれば、一番最初の手書きの自白は警察官が手を添えて書かせたもの。
「メンタサカイ」と署名が片仮名になっているのはそのためという。

物証の軽視では、再審判決が「古色蒼然たる物的証拠」として無罪の柱にしたのは第一審からあった物証と3次再審での未開示記録などだった。
免田さんはよく言っていたものだ。「一人の警察官の仕事は最高裁判決に類する」と。 

次は、なぜ34年間も間違いが正されなかったか、である。

実は間違いに気付いた裁判官はいたのである。
1956年、3回目の再審請求を受けた熊本地裁八代支部の西辻孝吉裁判長は、独自の調べも行い、免田さんのアリバイを認定して再審開始を言い渡した。しかし福岡高裁がこれを取り消す。
「裁判の安定」を壊すというのがその理由だった。

「間違っていたら正す」

誰のための「裁判の安定」か。
それまで「開かずの門」とも言われた再審の扉が開くのは、1975年の最高裁の「白鳥決定」まで待たねばならなかった(「白鳥決定」とは、証拠の総合評価と「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が再審にも適用されるとし、再審開始の要件を柔軟にする判断を明示したもの)。

実は、免田さんの再審開始決定を出した西辻裁判長と「白鳥決定」を主導した団藤重光・元最高裁判事が私の取材に同じ言葉を語っている。
「もし間違っていたならそれを正すのが司法の信頼をつくることになる」。
しかしこの言葉は果たして今の司法の世界で多数派になっているのかどうか。

免田さんは裁判記録を書き写しながら言葉の勉強もしていた(写真/免田事件資料保存委員会)

社会の側の問題もある。免田さんは無罪判決後、2つの行動を起こす。

一つは自分の再審無罪判決に再審を申し立てた。異例のことだ。
趣旨は、再審法をめぐる不備を指摘するものだった。

もう一つは、自分に“人並みの年金”がないのはなぜか、と問い続けたことだ。
年金は事前納付制で国民にはあまねく周知したというのが国の説明だったが、死刑囚だった免田さんには年金制度の説明を受けた記憶はない。

2013年、死刑囚で再審無罪になった人に国民年金が払われる特例法がようやくできたのだが、これとて社会の側が動いた結果ではなかった。

「水俣病が起きて差別が起きたのではなく、差別のあるところに水俣病が起きた」

これは、水俣病問題と50年にわたって向き合い続けた原田正純医師の言葉である。
人を人として思わなくなったところに水俣病が起きた、というのであるが、その伝で言えば、人を人と思わなくなったところに免田事件が起きた、ということでもある。

それは他ならぬ免田さんから教えられたことであった。
2013年、米寿のお祝いの会を熊本市のホテルで開いたのだが、その時、免田さんがこう言ったのだった。

「再審は人間の復活なんです」

長年、免田事件の取材を続けてきたのだが、このことに気付くのが遅れてしまったというのが正直な感想だ。
免田事件しかり、水俣病しかり、ハンセン病しかり、強制不妊しかり。
ここには「人として扱われなかった」、「戦後憲法の傘の中になかった」、こういう人たちの存在があったのである。

免田さんは2020年12月5日、95歳で死去、玉枝さんも2024年10月18日、88歳で死去した。
免田事件資料保存委員会をつくった後、『生き直す 免田栄という軌跡』(弦書房)、『検証・免田事件〔資料集〕』(現代人文社)を出版したが、新たな資料集を出版すべく今、作業を進めている。

私たちの手元には、免田さんが獄中で読んだ1100冊の本がある。
どんな時期にどんな本を読んだのか。「死刑囚の読書日記」とでも呼ぶべき例のない解読作業はもう少し続きそうだ。加えて新しい資料も出てきた。

私たちは司法の役割を否定するものではない。しかし、間違うことがある。それはいくつもの事例が教えていることだ。

再審制度をめぐってようやく国会議員の間で改正に向けた具体的な動きが出てきた。
戦後80年を迎えるが、刑事訴訟法の再審の条項だけがほぼ戦前のまま残されている。
確定死刑囚が5人も無罪になるという事態を放置していいはずがない。しかもそれ以外にも少なくない冤罪被害者がいる。

私たちは昨年、一昨年と熊本大学で免田事件をめぐる集会を開いたのだが、この会場に事件の現地、熊本県人吉・球磨地域から来た人が挙手をして「今でも免田が犯人と思っています」と語った。
しかもこの声は2年続けて上がった。冤罪は死んでも晴れない。冤を雪(すす)ぐことの困難さがここにはあった。

一方で、希望の種はある、とも思うのだ。
免田事件でも、死刑判決の間違いに気づいた裁判官は前記したようにいた。
袴田事件でも一審段階で無罪の心証をとった裁判官はいたのである。
その「目」をどうやって多数の「目」にするのか。それは私たちが問われていることである。
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2025年02月03日

「あなたがホームレスでない理由」を説明できるか…「努力してきたから」が不正解とわかる路上生活者のリアル

「あなたがホームレスでない理由」を説明できるか…「努力してきたから」が不正解とわかる路上生活者のリアル
2025年02月02日 PRESIDENT Online』 

ホームレスはどのような人が陥るのか。
リディラバ代表理事の安部敏樹さんは「彼らは自堕落だから路上生活に追いやられたわけではない。
最初から『資産』がなくて、抜け出そうにも抜け出せない人たちだ」という――。
※本稿は、安部敏樹『みんながんばってるのになんで世の中「問題だらけ」なの? 知識ゼロからの社会課題入門』(NewsPicksパブリッシング)の一部を再編集したものです。

以下は、安部さんと「おば」(架空のキャラクター)との会話の一部である。

■道で寝ている人たちだけがホームレスではない

【おば】「ホームレス=道で寝てる人」じゃないの?

【安部】日本は野宿生活、屋外生活、いわゆる路上生活をする人々を「ホームレス」と定義してる。
ただ、それだと実態を表しきれてはいなくて。
たとえばイギリスの定義で「ホームレス」は、いろんな理由が重なって貧困状態に陥って、「家を失ってる状態」のことなんだよね。

【おば】家を失っている「状態」?

【安部】路上生活者は、ホームレスの「一部の形態」であって、もっとも極まった状態とも言える。
ただ、その形態は貧困の度合いや世代によっても違うし、もっと多様に存在してるんだよね。
実際に今、若い世代のホームレスは路上にいないんだよ。

【おば】路上にいないホームレス……いまいちピンと来ない。
でもたしかに、路上で見かけるのはおじさんばっかだわ。

【安部】おじさんばっかりっていうのは実際そうで、路上には若い人たちもいなければ、女性もほとんどいない。
東京都の路上生活者の95パーセントくらいは男性で、平均年齢も60歳を超えているという調査結果もあるんだよ。

【おば】たしかにそんなイメージかも。でも、なんで⁉

■若いホームレスは「ネカフェ」を拠点にしている

【安部】ホームレスの若い人たちは、スマホで日雇いの仕事を見つけて、ネットカフェで生活しているケースが多い。
都内だけで一晩に4000人いるって言われてる。

【おば】ネカフェで寝てても「ホームレス」なんだ。

【安部】ホームレスの典型は、路上生活者。
でも、ネットカフェで寝泊まりするいわゆる「ネカフェ難民」、カプセルホテルとか友人の家を転々としている人も含まれる。
大阪の西成とか東京の山谷とか、「ドヤ街」と呼ばれる街の簡易宿泊所で暮らす「日雇い労働者」も本来の意味のホームレスに含まれるんだよね。

【おば】ホームレスって、路上にいて仕事もしてない人たちかと思ってた。

■女性のホームレスをあまり見かけない理由

【安部】それから女性は、路上生活にまで至るケースが少ないんだよね。
路上生活では男性以上に襲われるリスクも高いし。男性だと職を失うと、離婚したり実家を追い出されたりすることがあるけど、女性は家事手伝いとして親元にいやすいとも言われていて。

【おば】そんなところに男女の差が……。

【安部】ただその背後には、女性はホームレスになりづらいぶん、「DVを受けていても家庭から離れられない」みたいな、別の問題があるんだけどさ。
「安心して過ごせる個人的な場所がない」という点では、ホームレス予備軍ではあるよね。

【おば】つらいわ。目に見えなかったり、予備軍だったり。
若者も女性も、路上にはいなくてもしんどい状態にある人たちはいるってことか。
イメージしていたホームレスとは違うけど。

【安部】ホームレスが「極まった」状態が路上生活で、誰もが路上生活者になるわけじゃないよ。
そしてホームレスに至ったとしても、そこから抜け出せる人もいれば、抜け出せない人もいる。

■「資産」がない人はホームレスになりやすく、抜け出しにくい

【安部】ホームレスになるか・ならないか、一度なっても抜け出せるか・抜け出せないかは、広い意味での「資産があるか・ないか」が大きいよね。

【おば】「資産」って? お金があればそもそもホームレスにならないんじゃない?

【安部】いや、「資産」はお金だけじゃないの。
住居もそうだし、家族や友だちといった人間関係、学歴、仕事、健康、自尊心とかも、立派な「資産」。
「資産」を失っていくことがホームレスへの道のりなんだよね。
「失っていく」って言ったけど、「最初からない」人もいる。

【おば】最初から「資産」がない?

【安部】たとえば親がいなくて「家族」という資産がない。
持病があって「健康」という資産がない。
現場や実態調査では、ホームレスになる人には知的障害や、発達障害を含め精神障害の人が多いとも言われていて。

【おば】発達障害? なんで?

【安部】身体障害は目に見えたり、わかりやすかったりするから、家族や社会が保護するケースも多い。
けど、精神障害、中でも発達障害はぱっと見わかりづらいし、昔は理解も進んでいなかった。
だから「個人の責任」として社会から、それに家族からも弾かれてしまいがちなのよ。

【おば】家族からもかあ。
でも、私も発達障害という言葉を知ったの、大人になってからだわ。
知らなかったら「なんでそんなこともできないの!」って思うのかも。

【安部】仕事が続かなくてあきれられたりね。
ホームレスって、中卒、高卒と「学歴」がない人も多いんだけど、その中には児童養護施設出身者も多くて。
若年ホームレスの約10パーセントが、児童養護施設で育ったというデータも出てきてる。

【おば】いやあ、厳しい。

■「住み込みの職場」の落とし穴

【安部】そもそも親がいないと家を借りるのも、自分で家賃を払うのも難しいから、高校を卒業したらすぐ施設を出て、住み込みで働くケースが多いんだよ。
だけど、会社が倒産したとか、ブラック企業で心身の調子を崩したとか、人間関係がうまくいかないとか、1回つまずくと仕事も住む場所も一気に失っちゃうわけです。

【おば】家もあって仕事もあって、住み込みの職場いいじゃん! って思ってたけど、そんな落とし穴が……。

【安部】旅館の住み込み、寮とか社宅とか、日本の企業って「住居と職場の一体型」がけっこうある。
だけど、仕事を失うと同時に家を失っちゃうんで、ホームレスになりやすい構図ではあるんだよね。
職場と住居が同じだと、人間関係もひもづいてくるし。

【おば】「資産」を一気に失っちゃうわけだ。
てか、その前に仕事も住まいも同じような環境って息苦しいだろうな。
いやなヤツとかいたらストレスたまるじゃん。

【安部】そうなのよ。住居と職場の一体型ではなくても、けっこう「資産」って連動してて、アリ地獄みたいに、一歩足をとられると抜け出せない構造がある。

【おば】アリ地獄⁈

【安部】「資産を失っていく」ケースで言えば、病気や怪我をして健康という資産を失うことで働けなくなったとか。
事業に失敗して借金を抱え、職も失い、離婚することになったとか。
家族が亡くなって精神的に病んで仕事もままならなくなってしまうとか。

【おば】ひ、悲惨。

【安部】健康、家族、仕事、何か一つの資産を失ったことがトリガーとなって、ほかの資産も失ってしまうことになる。

■「家族」という資産があるかは運次第

【おば】もし今私が病気になって働けなくなったら……実家とか家族に頼るかな。

【安部】だよね。つまりおばちゃんには家族という資産があるわけです。でも、それがない人たちもいるんですよ。

【おば】いざというときに実家を頼れないって、考えただけで不安だわ。

【安部】最初から「資産」がないケースで言えば、親がいなくて施設に入ることもあるけど、親が働かない、虐待をする、中卒から働かせて搾取するみたいなパターンもある。
親にお金がないから大学に行けず学歴もなく、仕事も非正規雇用などで安定しない。
住まいも仕事も転々として、人間関係が希薄になり、結婚をして自分の家族を築くこともハードルが高いし、帰れる場所もない。

【おば】き、厳しすぎる。もはや運としか言いようがない、生まれる家、家族っていう資産の影響、大きすぎない?

【安部】デカいデカい。けっきょく日本は子育てを家族に任せる家族主義が色濃く残ってるから、家族という資産があるかないかは雲泥の差がある。

【おば】私でさえ、大きい家に住んでる子とか海外よく行ってる子とか、実家が太い子うらやましい! って何度も思ったわ。
もっとお金持ちの家に生まれたかったーって。けどそんなレベルの話じゃないね。

【安部】努力しなかったからだとか、自己責任だって言うけど、そもそものスタートラインが全然違うんだよね。

【おば】生まれる家は選べないもんね。世の中全然平等じゃないじゃん!

■昔は筋トレ、今はスマホが必須

【おば】とはいえさ、家族のスタートラインがすべてなの? 
ある程度その後の本人の意志とか努力だって関係するでしょ? 
路上のホームレスのおっちゃんたちってよくお酒飲んで寝てるけど、なんで働かないの? 
バイトでもなんでも働こうと思えば働く場所はあると思うし、昼から酒飲む前にもっとやることあるでしょう? って思うんだけど……。

【安部】まあそう思うよね。
ただホームレスの人には働きにくい理由がいくつかあって。まず家=住所や住民票がないと、アルバイトであっても安定した仕事にはつけない。履歴書が埋まらないんで、書類応募の時点でハードルがあるしね。

【おば】今どき、アルバイトなら履歴書なくてもネットでも応募できるんじゃないの?

【安部】まさに。今は住所がなくても、電話番号、スマホがあれば仕事にありつけるケースも多い。
だからネカフェで生活する若い人たちは、食費を削ってでもスマホだけは死守してる。日雇いでも仕事を見つけるために。

【おば】若い人たちはなんとなくイメージできるけど、路上で見かけるようなおっちゃんたちがスマホを使いこなして、仕事を得るって想像しがたいな。

【安部】時代によって、ホームレスのあり方もずいぶん変わってきてるんだよね。昔はドヤ街で日雇い労働者として、建設作業員とか肉体労働に出るのが、働くホームレスの王道コースだったのよ。
家を失っても働く意欲のある人は、体力をつけなきゃと筋トレしてたわけ。

【おば】仕事を得るために筋トレ!

■人との関わりが減るとIQが下がる

【安部】でも過去30年くらいで産業構造が変わって機械化も進み、そもそも肉体労働が減った。
代わりに主要産業になったのがサービス業。
だからコミュニケーション能力が求められるようになった。
でも、そもそもそういう仕事って、家族や友人という資産を失って、対人関係につまずいてきた人たちには難しいじゃない?

【おば】就活の面接でも、やたら求められるよねえ、コミュニケーション能力。

【安部】毎年企業が就活生に求めるもののランキング上位に必ず入ってくるからね、コミュ力は。
日本で収入が高いコンサル業も、数少ない成長産業である観光業もけっきょくは「サービス業」であって、高いコミュニケーション能力が求められるわけだから。
人間関係を築くのだって、コミュ力は必要だしね。

【おば】なんか、人間関係含め、コミュ力ないと人生詰まない⁈

【安部】現代においては生きづらいですよね。
しかも、コミュニケーションが苦手だからって、人とまったく話さずに生きていくと弊害もある。
路上生活は人との関わりが減るから、IQが下がるっていう研究もあるんだよね。

【おば】IQって変わるものなの?

【安部】路上生活の環境って、屋根もベッドもないし、安心して眠れないじゃない?
しかもいつ誰に襲われるかもわからない。寝てたら布団に火をつけられることもある。

【おば】勝手に「自分が襲われたら怖い」って思ってたけど、ホームレスのおっちゃんたちが襲われてるのか。

【安部】うん。一時期ずいぶん問題になったよ。
結局ストレスが半端ないんだよね。
常に見知らぬ他人の目にさらされているし、食事もままならず十分な栄養もとれない。
糖尿病とか高血圧とか身体の不調も出てくる。
心身が休まる場所がなく、常に緊張状態にあるわけよ。
それらが重なって精神疾患を発症してIQが下がると言われていて、そうなるともっと働きづらくなる。

■なぜホームレスは酒を飲むのか

【おば】日中ずっと寝てるように見えるのは、夜ぐっすり眠れてないってこと?

【安部】そう。酒を飲むのも、そういうストレスからの現実逃避なんすよ。

【おば】お酒を飲むのも、現実逃避……。

【安部】おばちゃんもストレス発散することあるでしょう?

【おば】ええ、ありますとも。ぱあーっと飲んで記憶を飛ばしたくなることが!

【安部】誰でも人生にアップダウンはあって、大きなプレッシャーを感じたり、どん底だと思ったりしたことがあるでしょ? ホームレスの人はずっとその底辺の状態にいる感じ。
お先真っ暗で、抜け出し方も、明日の自分がどうなるかもわからない。そりゃあ、心がこわれちゃうし、IQも下がるし、お酒に依存もしちゃうよね。

【おば】なんでもっと後先考えないんだろう? って疑問だったけど……。

【安部】目の前の現実が厳しいと、1年後とか数年後とか未来のことは考えられなくなるじゃない?

【おば】自暴自棄になって、先のことなんてどうでもよくなるね。
眠たいときやお腹すいたとき、体調が悪いときもほかのことは考えられない。

【安部】でしょ? 住所もない、スマホもない。頼れる家族も友だちもいない、未来が見えない。空腹で寝不足。そんな状態でいきなり働けって言っても無理なんすよ。

【おば】それは無理だわ。体調不良の日に働けないもの。

【安部】働く前に、満たしていかなきゃいけないことがある。
ホームレスの実態は「働かない人」ではなく「働きたいけど働けない人」なんだよ。

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安部 敏樹(あべ・としき)
一般社団法人リディラバ代表理事
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2025年02月04日

豊昇龍の「早すぎる」横綱昇進で露呈…わずか10分で終了した、横綱審議委員会の「無意味さ」

豊昇龍の「早すぎる」横綱昇進で露呈…わずか10分で終了した、横綱審議委員会の「無意味さ」
2/3(月)  現代ビジネス

大関・豊昇龍の横綱昇進が決定した。
今回の横綱昇進については、審判部の中でさえ見送りを支持する声が多数を占めたという報道も出ている。

その理由や背景に関して、前編記事『「格下相手に3敗」豊昇龍の横綱昇進は早すぎるのではないか…慎重に判断すべきだった「2つの理由」』で詳述しているが、横綱昇進の条件を満たしていても2023年1月には終盤戦に3敗目を喫したことを受けて貴景勝の昇進が見送られたケースもあり、必ずしも昇進させねばならないわけではない。

ここで私が疑問に感じているのは、横綱審議委員会のことである。

特に気になるのは今回の決定が全会一致だったということだ。
今回の議案は審判部の中でも意見が割れていた。
だが横綱審議委員会のメンバーは9人居るにもかかわらず全員が賛成というのは一体どういうことなのか。

ファンの間でさえ慎重論が少なからずあるのに、このメンバーの間では同じ見方が通ってしまっている。

そして、この会議はなんと10分程度で終了しているという点だ。

本当に「最後の砦」と言えるのか?

議論を尽くしたうえで、様々な視点から慎重派と昇進派が議論を行い、その結果全会一致ということであれば内容次第では理解できないことは無い。

ただ、ものの10分で会議が終了しているのだから、ほとんど意見交換されていないということだ。
私が最も驚いたのはこの点だった。
これほど議論を尽くさねばならない議題なのに、横綱審議委員会を形式的に開催し、そして終了させてしまったわけだ。

仮にどんなに成績が優秀でも、品格に優れていても、 横綱昇進が重い意味を持つ決定であることは先にも述べた通りだ。
だからこそその是非はどんなに小さな可能性であったとしても検討すべきことである。

横綱というのは孤独な地位なのだ。
年6場所制に移行してから歴代横綱は実にその半数が昇進後に何らかの不祥事を起こしているのである。

周囲の力士はおろか、師匠や後援者でさえ物申しにくい関係性になってしまう。
仮に意見したとしても横綱自身が自らを律していなければ衝突が起きかねない。
実力以外の部分、特に品格の部分については昇進時の精査が必要なことは確かなのだ。

昇進後に周囲と微妙な関係性になりうるという意味においても、相撲内容や成績面をチェックするという意味でも、横綱審議委員会が果たす役割は本来大きいのだ。
最後の砦としての組織なのだから、機能すればこの上なく頼りがいがあると言えるだろう。

しかし、今の彼らは果たしてどうだろうか?

10分で横綱昇進の議事を終える組織が最後の砦なのだろうか?

横審の存在意義とは

振り返ると最近の横綱審議委員会はその職責を果たしているとは言い難いと常々感じてきた部分があった。
それは、照ノ富士の現役続行に向けて否定的な姿勢を見せることは無かったことである。

照ノ富士は立派な横綱ではあったのだが、引退までの2年間は千秋楽まで出場したのは3場所のみだった。
その3場所は全て優勝しており、役力士が登場する終盤戦に強さを見せていたという側面はあるにしても、四分の一しか皆勤しない横綱に対して9人居る横綱審議委員が激励はおろか苦言すらなかったのは疑問だ。

照ノ富士を守るという意識が働いている部分はあったのかもしれないが、横綱審議委員は横綱という地位を守るという視点も必要だと思う。
何故なら横綱の推挙や激励などという形で保たれるのは横綱の強さだからだ。

膝を痛め、糖尿病を患いながら満身創痍で横綱の職責を果たす照ノ富士を目の当たりにしながら苦言を呈すのは難しいことだとは思う。
一人のファンとして言いづらいことだし、相撲ファンから批判を受けることもあるだろう。

私だってやりたいかと言われたらやりたくはない。
ただ、言いづらいことを言い、否定的な側面も考えながら決定を下すという、誰しもやりたくないことを遂行するのが横綱審議委員会なのだ。

そして横綱審議委員会そのものに疑問を抱いたのが、豊昇龍の横綱昇進に際してある委員が「モンゴル横綱は全員が全員、横綱の品格ではなかったでしょ?」と発言したことだ。

ヘイトスピーチとの指摘も

この発言はヘイトスピーチであると指摘する声もある。
品格に欠ける行為をモンゴル出身横綱が行ったことは確かにあった。
だが、豊昇龍の昇進に向けて人種を一括りにしてこのような発言をするのは、デリカシーに欠けると私は思う。

日米野球の観戦に訪れたことが原因で引退に追い込まれた横綱、拳銃を一時期所持して処分を受けた横綱、生活態度を咎められて失踪しそのまま廃業した横綱。品格に欠ける行為は日本人力士だって過去に行ってきたのだ。

組織として機能を果たしていないどころか、相撲の評判を落としかねない発言をする委員さえ居る横綱審議委員会。
現実的にはこのまま存続するとは思う。
ただ、私たちが横綱審議委員会を審議するという目線を持たねば形式的に存続する団体になることは間違いないだろう。

審議らしい審議を受けないまま横綱に昇進した豊昇龍は気の毒と言わざるを得ないが、ファンの不安を吹き飛ばすような今後の活躍に期待したい。

そして横綱審議委員会には品格を持ち合わせる組織であることを願いたい。

西尾 克洋(相撲ライター)
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宗教が「誰にとっても必要」である理由…多くの人がわかっていない「人間の真の幸福」

宗教が「誰にとっても必要」である理由… 多くの人がわかっていない「人間の真の幸福」
2/3(月) 現代ビジネス

「恨み」、「嫉妬」、さらには金銭欲にとりつかれた「ケチ」といった心理的苦悶、死への恐怖… こうしたさまざまな苦しみの解決方法を、仏教ではその苦しみごとに説いています。

それは、宗教がじつは「誰にとっても」必要とされることの理由へとつながります。

仏教哲学の第一人者である竹村牧男さん(東洋大学元学長)がわかりやすく説明してくださいます。
【*本記事は、竹村牧男『はじめての大乗仏教』(1月23日発売)から抜粋・編集したものです。 】

「恨み」も「嫉妬」も「ケチ」も、心の苦しみ

心理的苦悶は、たとえば仏教におけるさまざまな煩悩・随煩悩の心や善の心の説明に接し、心のはたらきようを学び理解し、そのうえで適切な対応を進めていくことで、何らかの軽減が可能かと思われます。

大乗仏教のなかに、心のありようを詳しく分析している唯識説というものがあります。

唯識とは、世界はただ識のみにおいて成立していると説くもので、インド大乗仏教思想の、一つの主要な流れを構成しました。
唐の時代の玄奘三蔵がこれをインドで学び、中国に導入して法相宗が成立するのですが、その法相宗の根本聖典に『成唯識論』という書物があります。
インドの世親(Vasubandhu)の著『唯識三十頌』の詳細な注釈書です。
『唯識三十頌』には、唯識説のあらゆる教理がわずか三十の詩に盛り込まれているのです。

今、その『成唯識論』の煩悩・随煩悩の説明のなかから二、三紹介しますと、
たとえば恨みの心とは、「あるとき怒りの心を発して、以来、憎しみの心を懐いて捨てられず、怨みを結ぶ心であり、恨まないというよき心を邪魔し、身心を熱く悩ますように作用する。すなわち、恨みを結んだ者は、心に耐えることができなくて、つねに熱く悩むからである」とあり、

嫉妬の心とは、「自分の名声や実利を求めて、他人が栄えることに耐えられず、妬みかつその人を忌避しようとする心であり、嫉妬しないというよき心を邪魔し、憂鬱になり心がふさぐよう作用する。
すなわち、嫉妬の者は、他人が栄えることを見聞すると、深く憂慼の心を懐いて安隠でないからである」とあります。

けち(慳=ものおしみ)の心とは、「財と教えとに深く執着して、それらを他人に恵み与えることができず、隠しもち惜しむ心であり、ものおしみしないというよき心を邪魔し、なんでも溜め込むことになるよう作用する。すなわち、ものおしみしケチな者は心に多く惜しみがちで、財と教えとを蓄積して、捨てることができないからである」とあります。

その他、煩悩の心は六つ(その中の悪見を開けば十)、随煩悩の心は二十が分析され、善の心としては十一が分析されています。 その内容は、「第四章 世界の分析」の心所有法の説明(本書、120~122頁)をご参照ください。

心理的苦悶を軽減、解消していくためには、これらの説明その他、心理学をはじめとする関係資料を参考にしながら、自己に波立つさまざまな心をうまく統御しながら苦悶を放ち、平静な心をたもつことが大切でしょう。

しかし、自分の心を自分で制御していくことは、かなりむずかしいことであることも事実です。
自分で自分の心をどうにかしようとするとき、自己は二つに分裂することになり、本当の自己が見失われ、ますます収拾がつかなくなる可能性さえあります。

むしろ自分で自分をどうこうしようとは思わず、その感情はそれとして、ともかくそのつどしなければならないことに集中していくことによって、自然と心が調って来るという事情もあるかと思います。
これは有名な森田療法(森田正馬が開発した神経症の対処方法)の極意でもありましょう。

またこの心理的苦悶に関しては、自分だけで悩むのではなく、親や先生や上司や同僚・友人など、他者の助けがあるとき、苦しみの症状は軽減するでしょう。

なお、苦は実際には上記の分類により必ず単独に起こってくるというわけではなく、むしろ常に複合的に絡まっていると思いますので、対処の方法も複合的になるであろうことは容易に察せられるものと思います。
特に心理的苦悶は、いずれの苦にもつきまとっているに違いありません。

いつかは必ず死ぬ… 実存的苦悩

最後に実存的苦悩とは、一言で言えば死の問題に発するものです。
あるいは、必ず死ななければならない自己をどう受け止めるかの問題です。
死ななければならない自己を深く認識したとき、その自己にいったいどういう意味があるのかが、切実に問われてくることでしょう。

もっとも、死とは寿命の終了という現象に関してのみ、見出されるものでもありません。
むしろ社会的にひどいいじめを受けたり、周りから無視されたりしたとき、自己の死ということを覚えずにはいられないことでしょう。
事業の失敗とか、失恋とか、もはや立ち直れないほどに打ちのめされたときには、死を想わずにはいられないでしょう。
こうして、人生の途次において、生きている自分とは何なのかが、深く問われてくる機会もあるものです。

上述のさまざまな苦については、医療・経済・行政の改善や自心の制御などによって、何らか解決されることもあると思います。
しかしこの死の苦痛、実存的苦悩の問題は、どんな社会的な仕組み、社会的な措置によっても解決されることはありません。

結局、この問題の解決は、ただ宗教のみが授けてくれるものです。
岸本英夫が宗教を定義して、「究極的な問題の解決にかかわる」と述べていたことも、これに関わってのことです。

そうだとすると、宗教は人間存在にとって、非常に重要なものと言わなければなりません。
自分が死ぬ、このことは誰にとっても真実であり、ゆえに誰にとっても苦悩であるはずです。
自己を見つめれば見つめるほど、そのことに突き当たるはずです。
ここに、その問題の解決を提供する宗教の大きな意味があるのです。

逆にこの問題の解決を得られれば、根本的な安心に到達し、その結果、他の身体的、経済的、社会的な苦しみも、受容できたり軽減したりすることでしょう。
じつは人間にとっての真の幸福のありかは、実存的苦悩の解決ということにあることを想うべきです。

宗教の本質がそこにあるとして、ではこの問題はどのように解決されるのでしょうか。
死の問題を解決するとして、この世での寿命が際限なく延長されることは、あり得ない話でしょう。
来世によき再生があるとすれば、たしかにこの問題の解決につながるに違いありません。
そのことが信じられるのであれば、そういう安心もありうるのだとは思います。

しかし、自分が来世にどこに生まれるかは、現世において生きている我々にとっては、まったく不明で、もしかしたらきわめて苦しい世界(地獄など)に生まれるかもしれず、また人間として生まれるとも限らず、動物(畜生)などになってしまうのかもしれません。
あるいは現代という境位にあっては、神、仏が信じられないのと同様、生死輪廻や極楽往生ということ自体も、なかなか信じられないことでしょう。
そうしたなかで、死の問題の解決はどのように得られるのでしょうか。

死の恐怖とは、自己が無になることに基づくのであり、ではこの自己にどういう意味があるのか、との苦悩に基づくものでしょう。
そこで、この世における自己の意味が自分に何らか了解・納得できたら、一つの宗教的な安心が得られるということになります。

そのように、宗教とは、まさに自己とは何かを究明するものなのであり、したがってやはり宗教は本来、誰にとっても重要、必要なものなのです。

"Self-Affair Investigation" の道...... 西田幾多郎の宗教論

このことを明確に指摘しているのが、日本最大の哲学者・西田幾多郎です。 以下、このことに関わる西田の言葉を、その最晩年の論文「場所的論理と宗教的世界観」から引用しておきましょう。

*

道徳の立場からは、自己の存在ということは問題とならない。
如何に鋭敏なる良心と言えども、自己そのものの存在を問題となせない。
何となれば、如何に自己を罪悪深重と考えても、道徳は自己の存在からであるが故である。
これを否定することは、道徳そのものを否定することに外ならない。
道徳と宗教との立場が、かくも明に区別すべきであるにもかかわらず、多くの人に意識せられていないのである。 (『西田幾多郎全集』〔旧版〕第十一巻、岩波書店、三九三頁)

*

西田は、道徳(あるいは倫理)と宗教とは、立場がまったく異なっていると指摘します。
道徳の世界では、どのように行為すれば善と認められるかが課題であって、その前提に自己の存在は自明のこととして、何ら疑われていません。
しかし宗教の世界では、どう行為するか以前に、その自己の存在そのものが問題となり、自己とは何かの深い了解が追求される世界だというのです。

宗教の問題は、我々の自己が、働くものとして、いかにあるべきか、いかに働くべきかにあるのではなくして、我々の自己とはいかなる存在であるか、何であるかにあるのである。

…… 人は往々、唯過ち迷う我々の自己の不完全性の立場から、宗教的要求を基礎づけようとする。
しかし単にそういう立場からは、宗教心というものが出て来るのではない。
相場師でも過ち迷うのである、彼も深く自己の無力を悲しむのである。
また宗教的に迷うということは、自己の目的に迷うことではなくして、自己の在処に迷うことである。 (同前、四〇六~四〇七頁)

ここに、前に指摘された道徳と宗教の違いについて、解りやすくかつはっきりと説かれています。

人生のある場面で、どうすればよいのか、そのことに関して深く迷い、自己の無力を嘆くとしても、そこではいまだ自己そのものがそもそも何であるのかの問題意識はなく、それだけでは宗教の境域に達してはいません。
宗教の世界ではその自己そのものが問題となり、自己とはいかなる存在であるか、また自己のありかはどこか(自己が何に依拠して存在しているのか)が大きな疑問となるのだと強調しています。

言い換えれば、生老病死という根本的な苦しみを抱いている自分、死というものを迎えなければならない自己とは、一体どういう存在なのか。
自己の意味はどこにあるのか。 それが宗教の問題だというのです。
そのように、道徳(生き方)よりもっと手前にある問題として宗教というものがあるのだと、西田は指摘しています。

西田は他にも、「それ(宗教)は対象認識の知識的問題でないことはいうまでもなく、我々の意志的自己の当為(すべきこと)の道徳的問題でもない。
我々の自己とは何であるか、それはどこにあるのであるか、自己そのものの本体の問題、その在処の問題である」(同前、四一二頁)と説いています。

禅ではよく「脚下照顧」(足許を照らし顧みよ)といい、「己事究明」(自己というものを究明する)ということをいいます。
宗教とは、この「己事究明」の道そのものに他なりません。

神がいるにせよいないにせよ、信仰の道にせよ修行の道にせよ、自己とは何かを深くうなずけたとき、実存的苦悩は解消し、苦の根本が解決されるが故に、他のさまざまな苦しみも解消され、あるいは耐えられたりすることでしょう。
ただ一回限りのこの人生において、これ以上に大事なことはないと言ってもよいのではないでしょうか。

とすれば、本来、宗教は誰にとっても重要なことなのです。
真の宗教は、けっして忌避すべきものではなく、むしろ真剣に問い、取り組むべきものなのです。
わたしは宗教というものを、以上のように考えています。


竹村 牧男(仏教学者)
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2025年02月05日

乗客の体調不良でバスが停車。「遅れるのに運賃はそのまま?」と怒鳴る中年女性2人を降車させた運転手の言葉

乗客の体調不良でバスが停車。「遅れるのに運賃はそのまま?」と怒鳴る中年女性2人を降車させた運転手の言葉
2/4(火) 週刊SPA!

 電車やバスといった公共交通機関は、時に体調不良の乗客の対応などで遅延が発生するが、それは誰も責められない、仕方のないことだろう。
 だが、そんな遅延の状況に対して、周囲に苛立ちをぶつける理不尽な乗客がいる。
今回は、そんな乗客を目撃したという岡田直人さん(仮名・30代)に話を聞いた。

突然、車内で倒れた女性

 都内某所の寒い冬の日、岡田さんは仕事が終わってバスで帰路についていた。
平日の夕方ごろ、退勤ラッシュの混み合う時間帯だったため、「座席は空いていなかったのでつり革につかまって立っていた」という。

 そして岡田さんが乗車してから2つ先のバス停で、30歳前後の女性が乗車してきた。

「ショートカットでパンツスーツ姿の華奢な女性だったのですが、バスが発車してからしばらくして、その女性が運転席付近でいきなり倒れてしまったんです。

 明らかに体調が悪そうで、苦しそうに顔をゆがめていました。
私は最初は何が起きたのか気づかなかったんですが、バスの運転手さんが車内放送で状況を知らせてくれました」

 ベテラン感のある40代ほどとみられる運転手は冷静に次のようにアナウンスしたそうだ。

「こちらの車内で体調不良を訴える方がいらっしゃいます。救急車を手配しますので、このバスはしばらく停車いたします。大変申し訳ありませんが、ご理解いただきますようお願いいたします」

運転手の毅然とした対応

 突然停車したバス内で、倒れた女性を心配そうに見つめる乗客が多いなか、車内の中ほどに座っていたとみられる買い物袋を提げた中年女性2人組が不満げな表情を浮かべていたという。

「主婦のような2人組は、周りに聞こえるような大きな声で『遅れるのに運賃はそのままなの?』や『こんな対応、普通じゃありえないわよね!』などと怒鳴り散らかしていました。
体調不良の人が優先されることは当たり前ですし、仕方のないことなので、非常識な人だなと思いましたね」

 ほかの乗客たちも怪訝そうにその主婦2人組を見つめていて、主婦たちは明らかに周囲から浮いていたそうだ。

 しかし、この2人組の文句を聞いた運転手は毅然とした態度を変えることはなかったという。

「運転手さんはその女性2人組に『乗車賃は結構です。この場でお降りいただいて構いません』とピシャリ。
運転手さん、よく言った!と思いましたね(笑)。
その2人のせいで車内の雰囲気が悪くなっていたので、運転手さんのこの言葉ですごくスッキリしました」

主婦二人組が降車して空気が一変

 運転手の言葉を聞いた2人は、ムッとした表情で何も言わずにバスを降りていったそう。

「運転手さんが主婦たちを降車させてくれたおかげで、車内の雰囲気も一気に変わりました。

 20代と思われる若い男女2人が、倒れた女性のもとに駆け寄って、『無理しないでくださいね。楽な姿勢になりましょう』と声掛けをし、カバンから未開封の水やタオルを取り出して倒れた女性を介抱し始めました」

 岡田さんによると、この男女は対応に手慣れた様子だったことから看護学生のようだったという。

 そしてバスが停車してからおよそ20分後、無事に救急隊が到着し、女性は病院へ搬送された。
バスは再び動き始め、車内は安堵と一体感に包まれた。

毅然とした態度が求められる時代

 公共交通機関を利用するなかで、誰しもが予期せぬ状況に遭遇する可能性はある。
そういった場で周囲の迷惑を鑑みない乗客が現れた場合、今回のエピソードの運転手のように、毅然とした態度が求められるのかもしれない。

(取材・文=瑠璃光丸凪/A4studio)
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2025年02月06日

石破首相は「世界に誇れる制度」を壊している…「"高額療養費見直し"は実は現役世代が危ない」と医師が懸念する理由

石破首相は「世界に誇れる制度」を壊している…
「"高額療養費見直し"は実は現役世代が危ない」と医師が懸念する理由
2025年02月05日 PRESIDENT Online

入院などで医療費が高額になった患者の自己負担を一定に抑える「高額療養費制度」について、政府は今年8月より負担額を引き上げる方針を決めた。
石破茂首相は「現役世代の保険料負担を軽減するため」と説明するが、高齢者の在宅医療に従事する医師の木村知さんは「今回の『改悪』で被害を受けるのは高齢者よりも現役世代だ」という――。

■世界に誇るべき制度の危機

ことは緊急事態である。
よって本稿では「小難しい理屈」をクドクドこねるつもりはない。いや、理屈をこねるまでもなく、この国に生きている人すべてが、とりあえず緊急に反対の声を上げるべき大問題が、今勃発している。

それは、昨年末に石破政権が閣議決定した「高額療養費見直し」のことだ。
すでにSNSをはじめネットでも大きな話題となっているので、ここでは制度の詳細を説明することは割愛し、「見直し」の概略を簡単に述べるにとどめる。

わが国には、国民皆保険制度にくわえて高額療養費制度という、万が一、病気になったときでも、かかる医療費の自己負担額を軽減するための、世界に誇るべき制度がある。

しかし政府は、医療費が高額になった患者さんの自己負担を一定に抑えるセーフティーネット機能をもつ「高額療養費制度」を見直し、今年8月から2027年8月までに年収区分を細分化して段階的に引き上げる方針を示したのである。

もしこの政策が強行されれば、平均的な年収区分(約370万〜770万円)で最も負担が重くなるケースでは、現行の月約8万円が13万9000円と、なんと約6万円もひと月の負担が跳ね上がることになる。

■治療費の増加は新たな病気を引き起こす

がん患者さんをはじめとした継続的な治療が必要な人にとって、これは文字どおり「死活問題」だ。
現行制度のもとでさえ、疾患そのものの負担にくわえて、治療費と生活費双方の負担が重くのしかかっている患者さんに、さらなる追い討ちをかける今回の「見直し」は、制度本来の意義を踏みにじる「改悪」と呼ぶべきだろう。

今以上に治療にかかる費用が増えることになれば、それを工面するために、食費をはじめとした生活費を削らねばならなくなる。
かりにそれでなんとか治療を継続できても、食生活や生活環境の悪化は必至。
むしろ新たな病気を生み出してしまうことにさえなりかねない。

この当然の理屈を理解できない人など、よもやいるまい。

「全国がん患者団体連合会」が今月17日〜19日におこなった緊急アンケートには、読むだけで思わず息が詰まる切実な声が寄せられている(東京新聞、1月29日付より抜粋)

■「高齢者医療費の削減」が目的ではない

・手取りは月20万円ほど。半分が毎月飛び、生活はすでにカツカツ(20代女性患者)
・小学生、未就学児の子どもがいる。子どものためのお金を優先させ、治療を断念する可能性もある(30代男性患者)
・ひとり親で、下の子は8歳。両親も兄弟もおらず、子どもの成人まで生きる必要があるが、治療を諦めざるを得なくなる(40代女性患者)
・母は「学生の親」兼「患者」。
学費を優先して治療を諦めることで死んだら困る(10代男性・患者家族)

当然ながらSNSでもこの政府方針にたいして批判が沸騰、ネットでの緊急署名活動でも多くの賛同者が名乗りを上げたが、石破首相は1月28日の国会答弁において、方針変更はしない考えを示した。
まさに「カネのない病人」には生きる権利は認めないと言っているのと、まったく同じ。
石破首相には、悲痛な叫びがまったく聞こえなかったようだ。

私はこれまで、高齢者にかかる医療・介護費を削減するために延命処置を見直すべきなどとする「経済的優生論者」の政治家やインフルエンサーの言説にたいする批判を寄稿してきたが、これらの記事には少なからぬ読者から、若者の負担を減らすため高齢者医療費は削減すべきとの意見が寄せられてきた。
だが今回の「改悪」は、実は「高齢者医療費の削減」を主眼としたものではない。

■むしろ“まだ働ける年齢層”が狙い撃ちされている

私の勤務先では主として在宅医療をおこなっているが、その機能ゆえに患者さんの多くは高齢者だ。
そして治療についても、抗がん治療をはじめとした高度な医療はおこなわない(おこなえない)し、高価な薬剤を使うこともまずない。
したがって今回の「高額療養費改悪案」についていえば、直接大きな被害を受ける人はほぼいない。

つまり逆に言えば、今回の「改悪案」は70歳未満の病気を抱えた人を狙い撃ちにしたものと言えるのだ。
年齢という属性によって命の軽重を差別する意見を野放しにしていると、そのうちその対象は、高齢者から障害者や病人という「社会にとってお荷物」とのレッテルを貼り付けられた人へと広がっていく。
これも過去何度も私が指摘してきたことだが、まさにそれが現実のものとなりつつあるのだ。

先に示したアンケートでもわかるとおり、今回のターゲットは老若男女関係ない。
もちろん右や左といったイデオロギーこそ、まったく関係ない問題である。
疾患を抱える当事者はもちろんのこと、その家族までも追い詰め、まさにこの国に生きる全世代の命と生活に大きな負の影響をおよぼすことになる。
「社会が崩壊する」といっても、けっして大袈裟ではないだろう。

■民間医療保険の負担がのしかかる

もはや他人事ではない。
持病がなくとも、なんらかの事故に遭い継続的な医療を要する身体になるかもしれない。
いくら健康に気をつけていても、その「危険」は自分の意思と努力だけで避けられるものとはかぎらないのである。
今、当事者でなくとも、いつかは必ず自分も当事者になると考えるべきだろう。

それでも、もしかしたら「私には関係ないわ」と思う人もいるかもしれない。
「十分な蓄えがあるから、病気や怪我で長期休業や失職してもなんら困らないよ」とか「いざという場合のために手厚い民間医療保険に入っているから自己負担が増えても全然平気」という人もいるかもしれない。

だがこうした財力と余裕のある人は、いったいこの国にどれだけいるだろうか。

民間医療保険といえば、わが国では、国民皆保険と高額療養費制度そして混合診療の原則禁止によって、これまではその役割が限定的であったといえる。
それが今回の「改悪」によって公的給付が削減されれば、民間医療保険の市場拡大につながるだろう。
万が一の保障を民間医療保険に委ねようと考える人の増加が「期待」されるからだ。

だがこうした保障のためにさらなる保険料を支払える人は、いったいこの国にどれだけいるだろうか。

■あす突然「持たざる者」になってしまうかもしれない

そもそも今回の「改悪」によって、どのくらいの人たちにどれほど負の影響がおよぶことになるのか、精緻な試算はなされたのだろうか。
予想以上の反発を受けてか、福岡資麿厚生労働相は患者団体への意見聴取を新たに検討する意向を示しているが、命と生活が脅かされる当事者にたいして、石破首相をはじめとした本案に賛成の議員たちは、いったいどんな言葉をかけるつもりだろうか。

どんなに負担が増えても困らないごく一部の大金持ちと、新たな市場拡大による利権獲得を心待ちにしている一部の企業経営者、
この2者に該当しない、その他のこの国に生きる大多数の人たちは、ぜひ「自分ごと」として大反対の声をあげてほしい。

今は生活に困っていない人でも、それなりに裕福な暮らしをしている人でさえも、病気を抱えた瞬間から一気に「持たざる者」になる可能性はある。
もし自分がその境遇になったときに、病気を満足に治療することも、最低限の生活を営むことも、許してもらえない国になってもいいのか。

石破首相はやっと過ちに気づいたのか、4日の衆院予算委員会で政府方針を再考する意向を示したようだが、さらに声を高めて「白紙撤回」にまでもっていかねばならない。
それだけでなく、政府がこのような改悪案を二度と出してくることのないよう、この際、徹底的に議論し尽くそうではないか。
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木村 知(きむら・とも)医師
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2025年02月07日

わずか3週間で人は獣になる…世界恐慌が露わにした「人間が持つ恐ろしい本性」

わずか3週間で人は獣になる…世界恐慌が露わにした「人間が持つ恐ろしい本性」
2/6(木) THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)

安定した情勢が、一気に不安定になり先行きが見えなくなると、人々は強いストレスから通常時には考えもつかないような判断を下すようになります。
世界恐慌時には、人々の価値観は瞬く間に激変しました。
本記事では、モーガン・ハウセル氏の著書『SAME AS EVER この不確実な世界で成功する人生戦略の立て方』(三笠書房)より一部を抜粋・編集し、世界恐慌時の人々の価値観の変動について、ご紹介します。

世界恐慌は「人間の本性」をここまでむき出しにした

1929年に始まった世界恐慌は、ただ経済が崩壊したというだけでなく、その結果、人々の価値観が瞬く間に激変したという点で、非常に興味深い。

1928年、アメリカ国民は史上稀に見る圧倒的大差(選挙人団の獲得票数が444票)でハーバート・フーヴァーを第31代アメリカ大統領に選出した。
だが、1932年、彼らは圧倒的大差(選挙人団の獲得票数が59票)でフーヴァーを大統領職から退かせた。

そこから、状況は一変した。金本位制が廃止され、実質的に金の所有が禁じられた。公共事業が急増した。

税金で老齢年金を賄おうとする試みはそれまで何十年も進展しておらず、第一次世界大戦後の最も過激化した時期には、公的老齢年金推進の支持者が国会議事堂の芝生で逮捕される事件まで起こった。

世界恐慌は、いわばそのスイッチを切り替えた。
非主流派のアイデアが突如として受け入れられたのだ。
1935年、下院で372対33票、上院で77対6票で社会保障法が可決された。

一方で、経済危機のもと、1933年に第32代アメリカ大統領に就任したフランクリン・ルーズベルト打倒を目論んだ裕福な実業家たちが起こしたとされるクーデターが勃発した。

スメドリー・バトラーという海兵隊大将が独裁者として君臨したが、その行動は当時ヨーロッパを席巻していたファシストに通ずるものがあった。

こういう出来事は、人々がお腹いっぱいに食べられ、安定した仕事につけているときには起こらない。
人々は人生がひっくり返され、希望が打ち砕かれ、夢が不確かなものになって初めて、こう言うのだ。

「前に聞いた突拍子もないアイデアはなんだったかな?今、やってみるのはどうか。
どうせ何もうまくいっていないんだ。やってみてもいいんじゃないか」

コメディアンのトレバー・ノアは、母国である南アフリカのアパルトヘイトについて、かつてこう述べた。

「絶望と恐怖の絶妙なバランスがわかる人は、人々になんでもさせることができる」

渦中にいない限り、このことを理解するのは非常に難しい。
また、リスクや恐怖や絶望に自分がどう反応するかもわからない。

1930年代のドイツほど、このことを強く痛感させる場所はない。
当時、ドイツでは世界恐慌を前にして凄まじいハイパーインフレが起こり、紙幣による富がすべて無と化した。

『What We Knew(私たちが知っていたこと)』(未邦訳)という著書は、第二次世界大戦を経験したドイツ国民へのインタビューを中心に、どこよりも先進的で文明的な文化を誇っていた国が、いかにして急激に変化し、人類史上最悪の残虐行為を犯すに至ったかを解き明かそうとしている。

[聞き手]:
インタビューの冒頭で、ほとんどの大人はヒトラーが講じた措置を歓迎したとおっしゃいましたね。

[ドイツ国民]:
ええ、それはもう。1923年に起こったインフレを思い出してみてください……(通貨が)一兆倍に暴騰したのです……そこにアドルフ・ヒトラーが新しいアイデアを持って権力を握った。
それで多くの人の暮らし向きが実際によくなったんです。
何年も失業していた人も仕事につけるようになった。
そりゃあ、国民みんなが賛成しますよ。自分を緊急事態から救いだして、よりよい生活に導いてくれる人がいたら、その人を支持するようになるものです。そんなときに、人々がこう言うと思います?

「これはまったくのでたらめじゃないか。そんなの反対だ」

いや、言わないですよ。

強いストレスがかかると「3週間で人は獣になる」

強制収容所(グラーグ)に15年間にわたり収容された、詩人のヴァルラーム・シャラーモフはかつて、ストレスと不安にさらされたごく普通の人々が、いかにあっという間に正気を失ってしまうかについて書いた。

善良で正直で愛情深い人も、基本的な生活必需品を剝奪されたら、生きるためならなんだってするような、モンスターに変わり果ててしまう。

強いストレスがかかると、「3週間で人は獣になる」と、シャラーモフは書いている。

歴史家のスティーヴン・アンブローズは、第二次世界大戦中の兵士たちの変化について記録している。
基礎訓練を終えた兵士たちは、自信と虚勢に満ちあふれ、前線に加わることや戦うことを熱望した。
しかし、いざ銃撃されると、すべてが変わった。

アンブローズはこう書いている。

「訓練で戦闘に備えられるわけがない」

銃の撃ち方や命令への従い方は教えてもらえるかもしれない。
しかし、「機関銃の砲火が飛び交う戦地で、銃弾の破片の雨が降りしきる中、無力に横たわる方法を教わることはできない」。
実際に経験するまで、誰も理解できないのだ。

これらは極端すぎる例である。
しかし、ストレス下にある人々が、ストレスのかからないときなら決して受け入れないようなアイデアや目標に飛びつくことは、歴史のそこかしこで起こっている。

第二次世界大戦後、94パーセントの税率が適用された。

1920年代までは低税率が最も人気のある経済政策であり、増税を提唱する者は片隅に追いやられていた。
しかしその後、世界恐慌と戦争の二重苦ですべてが崩壊した。

1943年、フランクリン・ルーズベルトは年間40万ドル相当までを実質的な所得の制限とし、それ以上の所得には94パーセントの税を課した。翌年、ルーズベルトは圧倒的大差で再選を果たした。

第40代アメリカ大統領レーガンが行なった社会福祉支出の抑制、規制緩和と大幅減税である「レーガン革命」も同じだ。

1964年の時点では、アメリカ国民のほぼ80パーセントが政府に高い信頼を寄せていた。
だが、1970年代に入り、高インフレと高失業率が何年も続いたことで、政府こそ問題の原因であり、解決策になっていないと糾弾する政治家に、国民は耳を傾けるようになった。

ここでの大きなポイントは、たとえば5年後や10年後に、人々がどんな政策を求めるようになるかは、まったくわからないということだ。
予期せぬ苦難は、平穏なときには想像もしないようなことを人々にさせ、考えさせる。

著者:モーガン・ハウセル
翻訳:伊藤みさと
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2025年02月08日

なぜ引き上げ?「生きるか死ぬか」がん患者取材でみえた『高額療養費』の必要性

なぜ引き上げ?「生きるか死ぬか」がん患者取材でみえた『高額療養費』の必要性
2/7(金) テレビ朝日系(ANN)

高額な治療を受けた場合に、患者の自己負担が重くならないよう医療費に上限を設けた『高額療養費制度』。
政府は、その上限額を段階的に引き上げる方針を固めました。

千葉県に住む濱島明美さん(51)。
29歳のときに乳がんと診断され、一度は良くなりましたが、6年前に再発しました。
現在は『ステージ4』。内臓や骨への転移も見つかり、3週に1度通院して治療を受けています。

濱島明美さん
「薬代、医療用麻薬だった、痛み止めだったり、フェスゴ(がん細胞の増殖抑制)注射を受けているので、大体10万円近い金額です。それが高額療養費制度で4万4000円を毎月支払っています」

この自己負担額が、いま、大きく引き上げられようとしています。

濱島明美さん
「『えっ』と思いました。
いまでも切り詰めるというか、その分を確保しなきゃと働いているのに(自己負担が)上がると、いま、3週間に1度行っているけど、2カ月に1度とか3カ月に1回とか。治療の回数を減らす、ペースを減らそうかなと思いました。
『あなた本当に庶民の暮らしをわかってるんですか』と言いたいです」

濱島さんの場合、将来的に毎月の負担額が6万円以上になる可能性があります。

濱島明美さん
「ほぼ家賃と変わらない額が、毎月、医療費。がんだけでかかるとなると、やっていけないと思います。
3週間に1度、薬を入れることで、がん細胞がおとなしくなっている。
押さえつけられていると思うので、2〜3カ月空けることで、がん細胞がまた増えてきて、悪さをするっていのか、いろんな所に飛んだり、もっと悪いことが起こる可能性はあります。本当に生きるか死ぬかの問題だと思います」

なぜ、いま、負担額が引き上げられようとしているのでしょうか。

大きな要因が、2023年12月、閣議決定された『こども未来戦略』です。

当時の岸田政権は、少子化対策などに投じる費用3.6兆円のうち、1.1兆円を、社会保障費を減らすことで賄うことにました。そのなかで、具体的な削減対象として目を付けたのが、『高額療養費制度』だったのです。

医師らで作る団体は、強く反発しています。

全国保険医団体連合会 本並省吾氏
「未来のために、子どもたちのために、国民全体で拠出しようという考えではなく、まさに、いま苦しんでいる患者からお金を巻きあげる。
負担をしたり、治療中断を招いて、それで得た財源で子育て支援に使う。本当におかしいと思う。
白紙撤回を、引き続き、求めていきたい」

現在の制度は、年収に応じて、負担の上限額が5段階に分けて定められています。
それを細分化したうえで、すべての人の負担を引き上げようというのが、政府の考えです。

肺腺がん患者(50)
「当事者の生の声も聞かずに、そして深い審議がないまま、制度を決めていくことには反対。
限度額引き上げは、病気を抱えながら、子育てする親たちにとっては過酷すぎます。
『生きるのをあきらめろ』『子どもの明るい未来はない』。みんな絶望しています」

去年11月、厚生労働省の審議会が引き上げの議論を始め、結論を出したのは、12月末でした。

国会では与野党から質問が相次ぎました。

自民党 長坂康正衆院議員
「医療の進歩により、高額な薬剤が普及し、医療費が増加していくなかで、制度を見直していくことは重要。
当事者の不安の声に対して真摯に向き合うことも重要」

福岡資麿厚生労働大臣
「当事者の方々の声と、制度の持続可能性の確保という課題、両方を満たすことのできる解を見いだしてまいりたい」

政府は、修正も視野に入れていて、野党は、早く決断するよう求めています。

立憲民主党 岡本充功衆院議員
「高額療養費の見直しは、するべきだと思います。
でも、今回のはあまりにひどい、本当にひどい。
ここで決断すれば、多くの患者さんが救われる。彼ら彼女らの思いを、受け止めてやるべきですよ。政治決断をするべきです」

福岡資麿厚生労働大臣
「高額療養費のあり方については、さまざまな声を真摯に受け止めながら、どういう解決方法があるか、しっかり検討してまいりたい」

◆高額療養費制度の見直しによって、自己負担額の上限が、どれくらい増えるのでしょうか。

引き上げは、今年8月から2027年にかけて、段階的に行われる想定です。
患者の年齢や年収によって違いますが、70歳未満で、年収が約370万円〜770万円の場合のひと月の自己負担額の上限、現在は、8万100円ほどですが、今年8月からは 8万8200円ほどとなります。

来年8月からは、年収の区分が細分化され、それぞれで自己負担額の上限が変わってきます。

年収約370万円〜510万円の場合の自己負担額は、8万8200円程度(約8000円増)
年収約510万円〜650万円の場合の自己負担額は、11万3400円程度(約3万3300円増)
年収約650万円〜770万円の場合の自己負担額は、13万8600円程度(約5万8500円増)

なぜ、見直しが検討されているのでしょうか

背景にあるのは、岸田政権時代に決めた少子化対策で、児童手当の拡充などに3.6兆円が必要になります。
そのうち、1.1兆円を社会保障費の削減で賄うとしていて、その一つとして、高額療養費の見直しが検討されてきました。

野党側は「がんや難病の治療が続けられなくなる」として、撤回を求めています。
石破総理は、4日の衆議院予算委員会で「あらゆる可能性はある」として、引き上げ案の修正も視野に調整を進めるとしています。

テレビ朝日
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2025年02月09日

土日の“寝だめ”は、逆に疲れる。医師がすすめる「土日の良い睡眠」3ケ条

土日の“寝だめ”は、逆に疲れる。医師がすすめる「土日の良い睡眠」3ケ条
2025年02月08日 SPA!

知らず知らずのうちに隙間時間を埋められ、平日は「24時間、戦えますか」状態の現代人。しかし、休日に寝ているだけでは、疲労は蓄積するばかり。“休み下手”な日本人の溜め込んだ疲労を吹き飛ばす休養法を手に入れ、「休む」を改革せよ!

◆男性は睡眠に対して“老化の進行が早い”!?

疲労回復のため、睡眠時間を確保しても、翌朝どうも疲れが取れていない……。
この理由を睡眠専門医の渥美正彦氏は、「特に男性は睡眠に対して“老化の進行が早い”から」と指摘する。

「女性は『女性ホルモン』の影響で10年の執行猶予があるのですが、男性はその恩恵を受けられないので、中年になると浅い眠りの“ノンレム睡眠”になりがち。
さらに朝の活気がなくなり、疲労感をより感じやすくなります」

日々の睡眠に不安を感じたからといって、休日に寝だめをして体力を回復しようとするのは早計だ。

「実は、休日の寝だめは日頃から6時間以上寝ている人じゃないと意味がないことがわかっています。
平日の睡眠時間が足りていない人は、寝だめをするとかえって睡眠の質が悪くなるかもしれません」

◆寝だめは1〜2時間にして10分でも外に出るべし

では、疲労回復を促す、“即効性あり”の眠り方とは?

「寝だめをするなら、普段の睡眠時間+1〜2時間に抑えるのが効果的。
週明けに時差ボケと同じような状態になってしまうのを避けるために、夜更かしを避けて起床時間を変えないのも重要です」

体内時計をリセットするために、日光を浴びるのも非常に有効。
外出するのが億劫でも外に出たほうがいいそうだ。

「だからといって、長時間散歩をする必要はありません。晴れの日なら10〜15分で十分です。
日光を浴びるだけならカーテンを開けて窓際にいればいいだろうと考える人がいますが、よっぽど快晴でない限りは光が弱くて難しい」

また、オシャレな空間を演出してくれる間接照明が、睡眠の質を高める際にも大いに貢献してくれるという。

「常に明かりにさらされている現代人は、夜になっても体内時計が夜だと認識しにくいので、布団に入ってもすぐに寝つけないことも。
そこで間接照明の出番。夕食後に間接照明に切り替えて、夜を演出するといいですよ。家族には不評ですが(苦笑)、私はお風呂の電気もつけていません。

寝スマホは肘が伸びるくらい距離が保てるならばNGではありませんが、SNSなどの双方向性のコンテンツは避け、動画やラジオなども、話し声が深い眠りの妨げになるので、流しっぱなしはやめましょう」

睡眠時間はもちろん、寝やすい空間の確保も急務だ。

土日の睡眠3か条

@10〜15分でも日中は外に出る

A間接照明を導入する

B寝だめは1〜2時間まで


【睡眠専門医 渥美正彦氏】
精神科と神経内科での臨床経験を生かし、患者の脳と心の問題に対応。著書に『子どもの発達障害がよくなる睡眠の教科書』など

取材・文/週刊SPA!編集部 
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2025年02月10日

生活保護基準“引き下げ”のため政府が「物価偽装・統計不正」? 行政裁判で「国の敗訴」が相次いでいる理由

生活保護基準“引き下げ”のため政府が「物価偽装・統計不正」? 行政裁判で「国の敗訴」が相次いでいる理由【行政書士解説】

2/9(日) 弁護士JPニュース

20の裁判所が厚生労働省による保護基準の改定を「違法」と判決

福岡県の生活保護受給者が、自治体による生活保護費の減額処分の取消しと損害賠償を求めた訴訟で1月29日、控訴審の福岡高裁は、一審の福岡地裁判決を変更し、減額処分を取り消しました(国家賠償請求は棄却)。
松田典造裁判長は、判決理由において「厚生労働省が改定をした判断は、生活保護法に反し違法」と指摘しました。

国や自治体等による公権力の行使の適法性を争う行政訴訟で、原告側が勝つことは容易ではありません。
しかし、この生活保護費減額をめぐる同種の裁判では、当初こそ敗訴が続いたものの、ここ最近は勝訴が相次いでいます。全体でも原告判決が敗訴判決を大きく上回る「異例事態」となっています。

実は、これには、明確な理由があります。
近年「統計不正」が話題になることが多くなりましたが、生活保護費減額の過程でもそれに類することが行われていたという事実が、裁判を通じて明らかになったからです。(行政書士・三木ひとみ)

「生活保護費で生活できない…」悲痛な声が相次ぐ背景

「私は、今はまだ何とか仕事をしていますが、体調が悪いのに病院にも行けないギリギリの生活です。
高齢で職場から退職を促されています。
それでも、せっせと貯金に励んできたので無職になっても、貯えでしばらくは生活ができそうです。
しかし、もし貯金がなくなったら、生活保護を申請できますか?」

上記は、私の事務所に実際に寄せられた相談の一つです。
同じような内容の相談が、日々寄せられています。

今はまだ何とか生活できていても、受け取れる公的年金が少なく、将来的に貯蓄が尽きて生活保護に至るリスクは、高齢化社会において必然ともいえます。

いざ、資産が尽きて収入も途絶え、生活保護申請が通っても、支給明細を見て「これで、どうやって生活しろというのですか?」
「そもそも、介護施設からの請求額の方が、生活保護費よりも多いのに、どうすればいいのですか?」とおっしゃる方もいます。

物価高が家計を直撃している昨今は、さらに多くの声が寄せられるようになりました。
それもそのはずです。2013年から2015年にかけ、生活保護の基準額が不当に減額されてしまったからです。

「裁判する元気があるなら働け」は現実を無視した的外れな非難

2013年から2015年にかけ、国が史上最大幅の生活保護の基準額引き下げを行ったことは、憲法25条が保障する生存権の侵害にあたり違憲だとして、全国で訴訟が提起されています。
また、最近は地裁・高裁レベルで勝訴判決が相次いで出されています(2025年2月4日現在、地裁18件・高裁2件)。

裁判の勝因として、本来は生活保護受給者が日常的に買う機会の少ないパソコンやテレビといった電化製品の値下がりにより、実態に見合わない保護費減額が行われたという報道が目立ちますが、問題は、なぜそのような減額が行われてしまったのかという「理由・プロセス」です。

生活保護費を減らすという「目的」のもと、それを「達成」するために、物価偽装、統計不正が行われました。
また、その不正が容易にわからないような巧妙な計算がなされたのです。

あってはならないことが起きたこと、そして今なお、その状態が継続し国民の生存権が侵害されている事実を、一人でも多くの方に知ってほしいと思っています。

生活保護に関する裁判の報道があるたび、「裁判する元気があるなら働け」といった非難の声が上がります。
しかし、これからお伝えする内容を知れば、それが現実を無視した的外れな非難でしかないことがわかるはずです。

2013年の生活扶助基準改定で行われた「秘密工作」

2013年に生活扶助基準改定が行われましたが、この改定で厚生労働省は「ゆがみ調整」と「デフレ調整」を実施しました。

生活保護世帯は、居住地、世帯人数、年齢で細かく世帯類型が設定されているので、世帯類型ごとに基準額が「高すぎる」「低すぎる」といった「ゆがみ」が生じます。
それを是正しようとしたのが「ゆがみ調整」です。

「デフレ調整」とは、物価の変動に合わせて生活扶助費の金額を変える考え方です。

これら2つの調整が正常に行われていれば何の問題もないのですが、2013年の改定では、正常とは言えない調整が行われました。

厚労省は、生活保護基準を評価、審議する専門の部会として設置されている生活保護基準部会にも知らせず、世帯類型ごとの増額率や減額率を2分の1にする「2分の1処理」を実行していたのです。
マスコミにも一切公表しない「秘密工作」でした。

厚労省の官僚が官房副長官に渡した「秘密文書」の内容とは?

この厳重な秘密工作が発覚したのは、北海道新聞による粘り強い調査の賜物でした。
2013年の生活扶助基準改定に関する情報公開請求を行った北海道新聞の編集委員・本田良一氏が、いったんは開示を拒否されながらも、審査請求(※)を行い、結果として政府に開示させたきわめて重要な資料の一部がこちらです(【画像】参照)。
※行政庁の処分に対する不服申し立ての手段(行政不服審査法2条参照)

タイトルは「生活保護制度の見直しについて」。
冒頭には、「取扱厳重注意」と表示されていた文書です。
これは、当時、厚生労働省の社会・援護局長だった村木厚子氏と、同局保護課の課長だった古川夏樹氏が、世耕弘成内閣官房副長官(現・衆議院議員)と面談したときに提示したものです。

生活保護基準部会委員には示されなかったデフレ調整の内容や2分の1処理の説明も見られます

この画像の、大きな矢印の左側(A検証結果を完全に反映した場合の平均値)が「デフレ調整」と「2分の1処理」の二重の統計不正を実行する前の数値、右側が実行後の数値です。この「ビフォーアフター」が、2013年生活扶助基準改定の悪辣さの核心部分なのです。

なお、「A検証結果を完全に反映した場合の平均値」自体も、算出の起点となる年度を2008年とした点に問題があります。このことは次項で説明します。

内閣官房副長官はこれを知りながら、生活保護基準部会の委員や国民に真実を伝えませんでした。

特に、この「2分の1処理」は、本来ならば増額改定となるはずの世帯類型までも減額改定に変えてしまう「手品」のようなものです。
その結果、平均6.5%・最大10%の生活扶助基準の引き下げが決められ、3回に分けて実行されました。

この史上最大の生活保護基準引き下げに対して、現在、全国29都道府県、1000名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に争っています。

「物価偽装」はどのように行われたのか

「デフレ調整」は、消費者物価指数(CPI)を指標に調整されるものです。
まず、このCPIの算出プロセスに3つの問題がありました。

第一の問題は、そもそも、算出の起点を2008年としたのが不適切だったということです。
「前回見直し以降の物価動向を勘案する」と称して、異常に物価が上昇した2008年を起点としていたのです。

CPIを見ると、2008年は前後数年に比べて著しく物価が上昇したことが分かります(【図表】参照)。
しかし、この物価上昇に合わせた生活保護基準額の引き上げは行われていません。
したがって、2008年を起点として物価の下落を判断することは不合理です。

第二の問題は、計算の元となるデータが、より大きな物価下落の結果を導くよう設定されていたことです。
計算で使う各品目の支出額割合の数値が、「生活保護世帯の平均値」ではなく「一般世帯の平均値」になっていました。

生活保護世帯と一般世帯との消費を見ると、家電製品などで大きな差が出ます。

ところが、厚労省の計算で使われた各品目の支出額割合の数値の元データは「家計調査」です。
家計調査で把握するのは「一般世帯」の平均の数値なので、生活保護世帯の暮らしぶりに見合わないものになっていたのです。

「生活保護世帯の平均」を算出するならば、生活保護受給世帯を対象とした「社会保障生計調査」の結果を基にすべきだったのです。

物価下落率を現実の2倍以上に見せる「計算式の使い分け」
第三の問題は、恣意的な計算式の使い分けです。

総務省統計局は戦後一貫して国際基準に則った「ラスパイレス算式」を使用してきました。
これにより算出された当時の物価下落率は2.35%でした。
ところが、生活扶助相当CPIの算出では、2008年〜2010年の期間について「パーシェ算式」 、2010年〜2011年の期間について「ラスパイレス算式」と、異なる2つの計算式を使い分けていました。
その結果、生活保護世帯の物価下落率は4.78%と2倍以上もデフレ効果があるという数値が算出されました。

2008年〜2010年の期間では「パーシェ算式」が利用されましたが、2008年の物価に比べ2009年、2010年の物価は下落していますから、「パーシェ算式」で2009年、2010年のいずれを基準にしても2008年の物価指数は実際よりも高くなります。
2つの計算式を部分的に利用して一つのデータ軸に乗せると、結果そのものが破綻します。

恣意的に選んだ「家計調査」のデータを基に、さらにこの恣意的な計算を行うことで、「2008年=104.5、2010年=100、2011年=99.5」という大幅な物価下落を表す「生活扶助相当CPI」という独自の指標を厚労省は作り上げたのです。その結果、生活保護費が総額580億円引き下げられました。

「引き上げ」のはずが…恣意的操作で「引き下げ」になる世帯も

特に、60歳以上の単身構成者世帯については、前述の「2分の1処理」がされなければ、扶助費は居住地の違いなく上がることになっていました。

それなのに、裁判でも違法認定されているデフレ調整により、60歳以上の単身高齢者世帯までほぼ減額になってしまったのです。
この結果、生活保護受給世帯の家計が苦しいなら節約すればいい、ということでは済まされない問題が生じています。

単身高齢者で介護施設などに入所されている方が、現状の生活保護費(最低生活費)では施設からの請求額を支払えないという問題が全国各地で起きています。
私の事務所には、実際に、介護施設に入所している生活保護受給者の親族の方から、こうした相談が寄せられていました。

また、身寄りのない生活保護受給者が介護施設に入所しているケースで、施設側から保護費では足りないと聞いた経験が幾度もあります。

低すぎる保護費が「不正受給」を招く…役所が“黙認”するケースも

生活保護を受給中の方は、収入や生計の状況に変動があった際はすみやかに生活支援課に届け出る必要があります(生活保護法61条)。この収入には、他者からの経済援助も含まれます。

しかし、施設入所中の生活保護受給者の方が、施設からの請求額を支払えないため、慣習的に親族が差額を支払うことが常態化し、役所もこれを黙認しているケースを、行政書士としてたくさん、目にしてきました。

「他の生活保護受給者の方のご家族も、皆さん払っていますよ」などと言われると断れず、やむなく親族が経済援助を行い、それを収入申告せずに保護費を満額もらっていると、のちのち「不正受給」として問題になってもおかしくありません。
そして、それを役所が黙認しているというのは、本来、大問題です。
しかし、問題の元凶は不当に減額された生活保護費にほかなりません。

社会の不条理のもと現実を生きる術

とはいえ、現状、「厚労省が悪い」「生活保護費減額が不当にされたからだ」と現場で叫んでも仕方がありません。
この場合の対処法としては、「生活保護受給者に対して、親族らが経済援助をすれば、その援助分が収入とみなされ、収入分は保護費から減額されます。問題解決にはならないし、親族は経済援助できません」と毅然と伝えるか、単に「親族は経済援助できません」とケースワーカーに伝えることです。

行政書士も、同様に対応しています。
「後見人たる行政書士は、生活保護受給者の方が生活保護費で賄えない施設代を代わりに支払うことはできません」と役所に伝えます。
すると、病院と施設で協議され、結局は生活保護費で賄える請求額に変更される、あるいはオムツ代など、生活保護制度上、通常の保護費とは別に支給できる名目の費用が支給される、といった対応がなされます。

介護施設などに入っていない、賃貸住宅などで生活される生活保護受給者の方からも、「昨今の物価高騰による光熱費を支払ったところ、月半ばにして食費が全くなくなってしまった」という相談が増えました。
この場合も、何日も食事をせずにいるわけにはいかないので、迷わずケースワーカーに連絡、相談するべきです。

何らかの事情で、明日の食事もない、お金も食料も全くない状況であれば、生活保護申請中でも生活保護受給中でも、役所にしっかりとその状況を伝えれば、対応してもらえます。

人は毎日食事をしなければ、生きていくことができません。
日本では、憲法25条において、生存権が保障されています。
明日の食事に困る状況であれば、迷わず、すぐに役所に相談です。大丈夫、助けてもらえます。

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三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ行政事務所)
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2025年02月11日

備えておいてよかった。もしものときに必要なアイテム、家にありますか?

備えておいてよかった。もしものときに必要なアイテム、家にありますか?
2025.2.10 GINGER

最近よく撮影現場などで話題になる2025年7月大災害発生説。
昨年あたりからちらほら話に出てはいましたが、今年になってこの真偽をめぐる考察がさらに加速してきた模様。
あなたの周りでもトピックスになっているのではないでしょうか?

南海トラフや富士山噴火などによる大地震説、惑星衝突説…といろいろ噂されていますが何しろ大きな災害がやってきて、日本は全国的に壊滅状況になるというなんとも背筋が凍りつくお話。
この予言がピンポイントに当たるかはさておき、確かに南海トラフ地震ももうずいぶんと前から心配されていますし、いつ起こってもおかしくないところまで来ているようです。
さてあなたは大災害に向けて万全の対策をとっていますか?

南海トラフ地震は駿河湾から日向灘沖にかけてのプレートを震源域とする大規模巨大地震のこと、約100年から150年周期で繰り返し起こっているのだそう。前回大きな地震があったのは1944年と1946年なので約80年経過しています。
つまりいつ何時起こってもおかしくない状況になっているということ。
この地域(静岡県から宮崎県にかけて)で同時に起きる場合もあるし、時間差で起こることも考えられます。
最大震度7、10mを超える大津波が想定されているそうです。
大規模な災害の場合停電や断水など、ライフラインの断絶は避けれず、かつ復旧に相当の時間を要すのではないかといわれています。
ということは復旧までの間を乗り切る備蓄が必要になってきます。

では具体的にはどのくらい用意しておけば良いのでしょうか?
内閣府のガイドラインでは3日分の非常用備蓄と定めていますが、よくよく読むとこれは最低限の話らしく、可能なら一週間程度の備蓄が望ましいという奨励をしています。
3日は最低ライン。大都市が被災したら1ヵ月はかかるんじゃないか、なんてこともいわれています。
やはり1週間から10日は自助できるくらいは用意をしないといけないようです。

水はひとり1日3L(飲料や調理用)+生活用水が1日10から20L(結構大量ですね!)の確保が必要なんだそう。
これは意外とハードル高い。手っ取り早く大容量となると、お風呂の水は抜かないで有効利用した方が良さそうですね。
1週間となると、21Lの飲料水はペットボトル10本。余裕を持って6本入りのケース 2箱。1ヵ月となると8箱。置くところを考えなきゃですが、水がないと生きてはいけないからほんと死活問題。
これは是が非でも用意しましょう。
あとは食料品。外食ばかりで冷蔵庫を開けても何にもないなんていうひとは要注意。災害が起きたら自助するしかありません!

備蓄品をイザ揃えようとすると、つい缶詰や長期保存ができる特別なものを思いつきがちですが、日頃からいつもの物をちょっと多めに買うという癖をつけておくのも大切なんですって。
たとえば身近に手に入るインスタントラーメンやレトルト食品など。食べ慣れたものの方が非常時に落ち着く、なんていう効果もあるみたいです。
いつものアレなら家に多めにあっても良いですよね。

賞味期限をわかるところに表にしておいて、古い順から使っていくローリングストックをすれば無駄になりません。
そして野菜不足になるから野菜ジュース、野菜スープなども有効。
玉ねぎジャガイモ、かぼちゃなどは常温でも長持ちする野菜は積極的に買う習慣をつけておくと良いですね。

さて、調理に必需なのはガスコンロ。ガスボンベも多めに用意しておきましょう(1週間ひとり6本必要説あり)。
キャンプ用品には簡単に美味しく調理できる便利器具などあります。
キャンプグッズから災害対策アイテムを探すもの手。
ランタンやヘッドランプといった照明グッズ、充電バッテリーなども使いやすくかつ機能性やデザイン性に優れているものが多いですよ。
様々な情報は携帯から入ってきますからモバイルバッテリーは携帯電話を生かしておくための必需品です。こちらもマストハブ。

あとは衛生を保つためのグッズ。絶対用意しなきゃなのが簡易トイレ。
我慢は大敵、体調が悪くなります。これは気兼ねなく使えるよう結構数を買っておいた方が良さそうです。
その他マスク、ウエットティッシュ、消毒用アルコール、生理用品。

そしてあると便利なのがラップなんですって。
お皿の上に敷いたら洗わなくて済むので水の節約に、また体に巻くと暖が取れるなど、いろいろな使い道があるそうです。
似たような発想ですが、薄くて軽くてかさばらないのに暖かい防寒用のアルミシートもあると助かる一枚なんだとか。

いったい何から揃えよう! 悩んでいるひとは首相官邸ホームページに“災害の「備え」チェックリスト”なるものがあるので参考にしてみてはいかがでしょうか。
チェック項目が一目で見れるので、わかりやすいです。

かくいう私も災害避難リュックはずいぶん長いことアップデートしていなく、先日チェックしたら見事に期限切れアイテム続出! 近々買い替えと買い足しをしようと思っています(思い立ったら吉日なので今月中に)。
とある有名な占いの方によると「牡羊座に土星が入る5月25日までが食料など備蓄品を確認するのにいいタイミング」なのだとか。
星占いは天体の動きによって導き出されるものなので、なんだかんだみんな(ひとも地球も)影響を受けるような気がしますよね。

災害や天変地異についての様々なお告げ、ちょっと怖いような気もしますが「防災について考えてり取り組むナイスなきっかけ」と前向きに捉えると、かなり有益なのではないかと思います!

TEXT=青木貴子

独創的な空間の香り「FUE
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2025年02月12日

健康効果をアップする【お風呂の入り方】「お湯の温度は40℃」「お湯につかるのはトータル10分」「かけ湯は10回が目安」「食後30分〜1時間は避ける」

健康効果をアップする【お風呂の入り方】「お湯の温度は40℃」「お湯につかるのはトータル10分」「かけ湯は10回が目安」「食後30分〜1時間は避ける」
2/10(月) 女性セブンプラス

冬の寒い日はいつも以上に、お風呂の温かさが身にしみる。
体を温めるだけでなく、自律神経を整えるなどの健康効果もさまざまある入浴だが、気づかぬうちにかえって体に負担をかけ、寿命を縮めているかもしれない。
日本人が長寿であるゆえんは毎日のお呂習慣?

年を重ねるにつれ自覚する老化現象や不調といえば、関節の痛み、睡眠の質の低下、免疫力や気力の低下などがあげられるだろう。
それらを改善するための手段として推奨されるのが、「湯船につかる入浴」だ。
近年ではさまざまな調査から、認知症予防効果も期待されると話すのは、東京都市大学教授で温泉療法専門医の早坂信哉さんだ。

「日本人が長寿であるゆえんは諸説ありますが、そのひとつにお風呂があることがさまざまな研究でわかってきました。
多くの自宅に浴槽があって、毎日お風呂に入る習慣があるのは日本人だけで、体の健康はもちろん心の安定にも寄与していると考えられる。

高齢者約3200人を対象とした6年間の追跡調査で、冬に毎日浴槽入浴している人は、そうでない人に比べて、24%ほどうつの発症率が低いという結果が出たほか、20才以上の約3000人を対象に行った調査では、毎日浴槽につかって入浴する人はそうでない人と比べて幸福度が高いという結果があります。
これによって、認知症予防にも効果が期待できるのではないかと研究を進めているところです」

私たちを健康長寿へと導いてくれる入浴だが、間違った方法ではかえって逆効果となる。

お湯の温度は「40℃」かけ湯は「10回」

「この時期は、“低い温度だと体が温まらない”と、お湯の温度を41〜42℃に設定するかたがいますが、それだと、交感神経が優位になってしまい体が興奮して、リラックス効果を得られなくなってしまいます。

お風呂の最大のメリットは血流の流れをよくすることなので、40℃のお湯にトータル10分つかるのが理想です」(早坂さん)

ナビタスクリニック川崎院長の谷本哲也さんは、ヒートショックリスクの観点から温度への注意を促す。

「急に熱いお風呂に入ると、血圧が急激に上がってヒートショックを起こす危険があります。シニアのかたや高血圧のかたは、熱すぎるお湯は避けましょう」

入浴時に汗をかいて代謝をよくしようと、半身浴や長風呂を習慣にしている人もいるかもしれない。
しかし、前述の通り入浴時間はトータルで10分がいい。

「延べ時間なので、5分つかって、1回湯船から出て、髪や体を洗ってまた5分つかってもいい。
10分ほどで体温は約0.5〜1℃上がり、血液の流れをよくするには充分です。

お風呂には体を温める温熱作用と、血液やリンパの流れをよくする静水圧作用、それから、筋肉を休めてリラックス効果を得る浮力作用があります。
半身浴でお湯を半分にしてしまうと、効果も半分になる。長風呂は皮膚の乾燥にもつながりますし、特にこの時期は温まるどころか冷えてしまうこともあります」(早坂さん・以下同)

早坂さんは、お風呂で汗をかいてもダイエット効果はないと否定する。サウナでかく汗も一緒だ。

「お風呂に長く入るとたしかに汗をかきますが、運動による発汗とは仕組みが異なり、私はこれを“受け身の汗”と呼んでいます。
運動では、体を動かして脂肪が燃焼し体温が上がって汗をかく一方、お風呂の場合はお湯の熱で体温が上がるだけで、脂肪が燃焼しているわけではない。
同じ汗でも、身体活動の強さは運動の半分以下で、お風呂で汗をかいたからやせるとはいえません」

自宅での入浴では湯船に入る前に、かけ湯をする習慣がない人は多い。
体や髪を洗い流してそのまま、かけ湯をしたとしても2〜3回では不足している。

「かけ湯をきちんとする人は案外少ないのですが、血圧の急上昇を防ぐ目的もあるので、手足の末端から体の中心まで念入りにかけてほしい。回数だと10回くらいで、多めがいいです」

脱衣所は20℃を保つ

血圧の急上昇、急低下からなるヒートショックを予防するには、浴室や脱衣所の温度にも気を配りたい。
脱衣所は暖めても、浴室はお湯が張ってあるから何もしない、というのは危険。

「脱衣所はできれば20℃以上を保つと安心です。浴室は、服を脱ぐ前に温かいシャワーをかけ流したり、湯船の蓋をあけてお湯張りをするなどして暖めることも忘れずに」

お風呂に入るなら、一番風呂が清潔だと感じるかもしれないが、皮膚を荒らしてしまう可能性がある。

「皮膚が丈夫なかたなら問題ありませんが、かゆみがある、乾燥してかさついているなどという場合には、避けた方がいい。一番風呂には塩素が入っていることがあるので肌を刺激してしまいます。
お湯の中にミネラルなどの不純物も入っていないので、皮膚がピリピリすることもある。
2番目以降は、前の人が入ったことで分泌物が溶け出し塩素量も減って、お湯がマイルドになります」

皮膚を刺激し、乾燥させる

皮膚を刺激しないという点においては、髪の毛や体の洗い方、お湯につかる順番も重要だ。

「大半の人が湯船に入る前に体を洗いますが、クレンジングでお化粧を落としてかけ湯をしっかりしたら、一度湯船につかった方がいい。
体が温まって毛穴が開き、汚れが落ちやすくなるのです」

洗う際にはくれぐれも、ゴシゴシこするような洗い方はしてはいけない。

「皮膚には常在菌がいて、バリア機能もあり、病原菌から体を守っています。
こすりすぎ、洗いすぎによってそれらを落としすぎてしまうと、逆に有害な菌が付着しやすい状態になりかねません。
韓国式あかすりのような、こすりすぎもおすすめしません。
細菌は極めて小さいので、わずかな傷からも侵入し、リンパ節炎や皮膚が炎症を起こす蜂窩織炎を招くこともある。
石けんをしっかり泡立ててやさしく洗ってください」(谷本さん)

皮脂を落としすぎることも肌にとってはダメージとなる。

「洗いすぎはもちろん、石けん類やシャンプーに界面活性剤が含まれていると、皮脂がとれすぎて乾燥につながります。
頭皮や体の中心部分は皮脂が多いので比較的気にしすぎる必要はありませんが、手足の末端は加齢とともに皮脂が減ってくるので石けんで洗うとかゆみが出ることもあり、お湯につかるだけでも清潔に保てます。

そもそも、夏場やにおいの気になる箇所は別として、毎日石けんをつけて洗う必要はない。
肌のかゆみを感じたら、石けん洗いを控えるだけで改善することもあります」(早坂さん)

谷本さんもこう続ける。

「汗やあかでベトベトでなければ、シャワーで軽く流すだけでも医学的には充分です。
石けんをつけて洗うとしても、首やわき、股部分など汚れが気になるところだけでいいと思います」

食後と運動後のお風呂は禁物

お風呂から上がったとき、のどの渇きを覚え水をキュッと飲む。それはすでに脱水している状態だ。

「のどが渇いたと感じる前に水分補給することが大切。
特にシニアのかたは、のどの渇きを感じにくいため、入浴前か後にコップ1杯の水分補給をしてほしい。
入浴中に脱水症状でふらつき、転倒する危険もあります」(谷本さん)

早坂さんは、入浴時には想像以上に水分が失われると指摘する。

「1回の入浴で800mlの汗が出るという研究もあるので、お風呂に入る前に必ずコップ1〜2杯の水を飲んで水分補給しておきましょう」(早坂さん・以下同)

ここ数年、サウナで汗を積極的に出して代謝を高める健康法がブームとなっているが、体にとっては負担が大きい。

「特にサウナに入ってから、水風呂に入り“ととのう”ことは、50代以降の女性にはおすすめしません。
サウナ自体、高温で乾燥するので皮膚に対する刺激も強く、水風呂に入って血圧が急に上がってヒートショックを起こすリスクもあります。
サウナを楽しみたいなら、温度の低いミストサウナがおすすめです。

お風呂から出る直前に水をかける温冷交代浴は、温泉療法として取り入れられることもありますが、サウナと同様に血管に負荷がかかるので、もし行うとしても30℃くらいのぬるま湯をかける程度にするのがいい。
水をかけることで体温が急激に下がり、体が体温を戻そうと熱を作るので“温かさが持続している”ように感じますが、熱が奪われているだけなので錯覚です」

サウナや温冷交代浴は、自宅のお風呂よりも設備が整った温泉や銭湯などで利用、実践する人が多いだろう。
温泉での注意点はほかにもある。

「温泉に行くと、せっかくだからと長く入ろうとか、たくさん入ろうと、欲張るかたがたくさんいます(笑い)。
ですが、温泉は成分が濃く、家庭のお風呂よりも体を温める作用が強い。1日3回までにしてください。
入浴時間もそれぞれ、汗をかいたら出るくらいがベスト。
無理をして入りすぎると熱中症のような状態になるので、汗をかいたらいったん湯船から出ましょう。トータル10分という時間も、あくまで自宅の場合なので、温泉は例外です」

お風呂に入るタイミングとして、飲酒後は御法度なのは広く知られているが、食後すぐや、運動後すぐも避けるべきだ。

「食後は血液が胃腸に集まっていて、血圧が下がりやすくなっています。
そのタイミングでお風呂に入ってしまうと、皮膚の表面に血液が偏ってしまうので、消化不良が起きることがある。食後30分〜1時間は避けましょう。

ウオーキングやランニングをした後に、すぐお風呂に入ると汗も冷えずにいいと思うかもしれません。
しかし運動直後も、血液が筋肉に集中しているので、食後と同様で、30分くらいは入らないようにしてください」

“風呂キャンセル”は睡眠の質低下に

最近、“風呂キャンセル界隈”といって、入浴やシャワーが面倒だから入らない、という人が増加している。
だが、早坂さんは「お風呂の健康効果を考えれば毎日入ってほしい」と話す。
では、夜は疲れて面倒だから朝に入るという入り方でもいいのだろうか。

「やはり夜の方がいいですね。睡眠に直結するため、日中の緊張状態からリラックスした状態に切り替えて、睡眠の質を向上させる効果が期待できます。

また、お風呂から上がって1時間半後くらいに体温が下がるので、そこで入眠すると睡眠の質がよくなります。
布団に入る1時間半前を目安に入浴するのがいいでしょう」

寒い季節は何かと注意が必要なお風呂。
ここまで論じてきた正しい入浴法は、どの季節も同じというわけではない。

「例えば、お湯の温度は、夏だと40℃は少し熱いと感じ、すぐに汗が出てしまうこともあるでしょう。その場合には、入る時間を短くしたり、温度を38〜39℃に下げてもいい。
ただし、血管が広がって血流がよくなる作用は弱くなります。
これを補うために、血管を広げる効果が期待される炭酸系の入浴剤などを活用するのも手です。

夏場で、お風呂から上がっていつまでも汗がひかないというときは、お湯の温度を少し下げてみて」

入浴後はすみやかに保湿し、肌の乾燥を防ごう。体を冷やさないよう、すぐに着替えることも意識してほしい。

正しい知識を得れば、体も心も健康になる入浴。いまの季節にあった入浴法を実践しよう。

今日から実践
健康効果をアップする入浴法10か条

・脱衣所は20℃以上を保って
・お湯の温度は40℃
・つかる前の「かけ湯」は10回を目安に
・お湯につかるのはトータル10分程度に
・肩までつかって
・シャンプーや体を洗う前に一度つかるのがベター
・スマホなどタブレットの持ち込みはNG
・肌が弱いなら一番風呂より二番風呂
・運動の直後30分程度は控える
・食後30分〜1時間は避けて

※女性セブン2025年2月13日号>
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2025年02月13日

「これはもう人間のやることじゃない」“鬼畜”の所業に三崎優太氏怒り「次に犠牲になるのは…」

「これはもう人間のやることじゃない」“鬼畜”の所業に三崎優太氏怒り「次に犠牲になるのは…」
2/11(火) 日刊スポーツ

 元「青汁王子」こと実業家の三崎優太氏が11日、X(旧ツイッター)を更新。
ウサギを暴行した容疑で男が逮捕された件をめぐり、怒りとともに私見をつづった。

 広島県・大久野島で、ウサギ2匹を蹴って死なせたり、別のウサギ2匹の口にハサミを差し込んで傷つけるなど暴行を加えるなどしたとして、広島県警竹原署は25歳の会社員の男を動物愛護法違反の疑いで10日、再逮捕した。
男は容疑を認めているという。
男は1月21日、ウサギを蹴っているところを同法違反の疑いで現行犯逮捕されていた。
環境省によると同島では昨年11月以降、計99匹のウサギが死んでいるのが確認されており、警察では関連を調べている。

 三崎氏はこの件をうけ「ウサギの口にハサミを突っ込み、蹴り殺し、99匹の動物を虐殺した鬼畜が逮捕された。
これはもう人間のやることじゃない」と記述。
そして「でも、愛護動物殺傷罪の最高刑は『たった懲役5年』と軽い。もっと厳罰化しなければ、次に犠牲になるのは人間かもしれない」と記した。

 この投稿に対し「本当にそうですよね!」「厳罰化賛成です」「マジで許せない」「本当に人間のすることじゃないですよね」「過去こういった犯罪は次は人がターゲットになっている」「悲しすぎます」などとさまざまな声が寄せられている。
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”上”の意向に沿わない裁判官は冷や飯を食べている…ぬぐい切れない司法への「不信感」と「本来あるべき姿」

”上”の意向に沿わない裁判官は冷や飯を食べている…ぬぐい切れない司法への「不信感」と「本来あるべき姿」
2/12(水) 現代ビジネス

「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
 ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。

残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。
彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。
とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。
庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。
それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。

裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。

『絶望の裁判所』 連載第57回
『日本のメディアが作り出した「ステレオタイプ」に騙されるな!…元判事が暴く「裁判官のリアル」』より続く

司法本来のあるべき姿

最後に、日本の裁判所のあり方、現状について、総括的なまとめの考察をしておきたい。

私は、日本の国民、市民は、裁判所が、三権分立の一翼を担って、国会や内閣のあり方を常時監視し、憲法上の問題があればすみやかにただし、また、人々の人権を守り、強者の力を抑制して弱者や社会的なマイノリティーを助けるという、司法本来のあるべき力を十分に発揮する様を、まだ、本当の意味では、一度としてみたことがないのではないかと考える。

これは、私だけの意見ではない。
海外の学者や知識人が日本の社会や政治のダイナミクスを分析するときには、おおむねこのような意見が述べられている。
もちろん、左派の人々に限らない。リベラルあるいは中立的な政治思想の持主のみならず、保守的な人々でさえ同じような分析を行っている。アメリカで私が聴いたアジア法専科の大学院生たちの分析も同様であった。

日本の裁判所、裁判官は、これまでは、広い意味における社会秩序の維持や利害の調整という側面において、それなりの貢献をしてきた。
だから、国民、市民の裁判所、裁判官に対する評価は、たとえば政治家や行政官僚に対する評価よりは高い。
にもかかわらず、人々の間には、司法のあり方、裁判のあり方に対する不満や不信がくすぶり続けている。

日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。
元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。

「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」

これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。
法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。

裁判官は最高裁事務総局の言いなり!?

それはなぜだろうか?

その理由について、この書物では、私の33年間の裁判官経験、それよりは10年ほど短い研究者、学者としての経験に基づき、さまざまな分析を行ってきた。

先の不満や不信については、前近代から超近代までが隣り合わせに雑居しているという日本社会の独特のあり方や、人々の意識のもち方にも一つの原因はあるだろう。
しかし、そうした部分、つまり誤解に基づく部分を捨象してもなお、人々の不満や不信には理由があると私は思う。
それは、前記のとおり、人々が、まだ、司法のあるべき姿を本当の意味では一度もみていないからであり、だからこそ、人々は、よくはわからないが何だか変だ、憲法に書いてあることや学校で学んだことと実際の裁判のあり方とはどこかが違う、と感じているのではないだろうか?

法科大学院の学生たちと話してみて私が驚いたことの一つは、多くの普通の学生が、裁判官は判決の内容によって左遷されるなどの不利益を被ることがあるのではないかという疑いを抱いていることであった。
「最高裁や事務総局の意向に沿わない裁判官が冷や飯を食っているって本当ですか?」と尋ねる学生が、何人もいるのである。
「どこでそういうことを聞いたの?」と私が尋ねると、「どこで聞いたのかなあ? はっきりどこで聞いたかってことは覚えてないけど、でも、みんなそう言ってますよ。ねえ……」と言って、仲間の顔を見る。すると、仲間も、こっくりとうなずく。

これが、法科大学院のごく普通の学生たちの一般的な認識なのであり、また、おそらくは、日本の知識人、控え目にいってもその多数の、一般的な認識、少なくとも疑問なのではないだろうか?

そして、私は、学生たちの質問に対して、胸を張って「いや、そんなことは全然ないよ」とは、到底答えられないのである。

また、司法制度改革が行われ、弁護士数も裁判官数も増加しているにもかかわらず、前記のとおり、地裁における民事新受事件の数が全体として減少傾向にある事実にも留意すべきであろう。
こうした現象は、はしがきにも記したような国民、市民の司法に対する失望が何ら改善していないことをうかがわせるものではないだろうか?
一体何のための司法制度改革、裁判所・裁判官制度改革であったのかが、問われなければならないであろう。

『裁判官の「不祥事」は驚くほど多い!…痴漢、児童買春、ストーカー…「法の番人」である裁判官たちの不祥事は「司法の危険信号」!』へ続く

日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。

「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」

これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。

瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)

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2025年02月14日

手取りを増やすどころかこっそり減らされている…荻原博子「現役世代を苦しめる"すり替え課税"の正体」

手取りを増やすどころかこっそり減らされている…荻原博子「現役世代を苦しめる"すり替え課税"の正体」
2/13(木) プレジデントオンライン

政府は「手取りを増やす政策」を掲げているが、本当に実現するのか。
経済ジャーナリストの荻原博子さんは「政府は一度手にした税金を手放したくない。実は現役世代の手取りをこっそり減らす増税が進行している」という――。

■「手取りを増やす」の裏で「こっそり増税」

 103万円の非課税枠を178万円まで引き上げることで「手取りを増やす」という国民民主党の主張に多くの人が賛同し、昨年の衆議院選挙では同党は大きく議席を伸ばしました。

 ただ、国民民主党、公明党、自民党で三党合意したはずの「手取りを増やす政策」は、合意文書の中に「178万円をめざす」とあったために、「めざしましたが、127万円が精一杯でした」という言い訳ができるようになっており、それ以上に上げる議論は、いまだに出てきていません。

 その一方で、「手取りを増やす」どころか、「手取りを減らす」ことになる増税のほうは、国民の見えないところで粛々と進んでいます。

 そこで、一般の人々が気づかないまま、実質増税されている“ステルス増税”や、これから増やされそうなものは何があるのか見てみましょう。

■「インボイス制度」は、消費税増税への布石

 前岸田政権は「増税はしない」と国民に言いながら、2023年10月から「インボイス制度」を導入しました。
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インボイス制度とは

複数税率に対応した仕入税額控除の方式を言い、買い手が、この「仕入税額控除」を適用するためには、インボイスの入手と保存が必要となる。売り手がインボイスを交付するためには、事前にインボイス発行事業者の登録を受ける必要がある。
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 この「インボイス制度」が導入されたことで、買い手側は、インボイス登録をしていない業者との商取引を行うと「仕入税額控除」が認められず、買い手が負担する消費税が増えてしまうのです。
そのため、これまで年間売上が1000万円に満たなかったために免税となっていた業者や個人事業主は、そのままでは商取引が困難になるため、インボイス登録を行うことになり、必然的に納税しなくてはならなくなりました。

 ただ釈然としないのは、一定額以下の売り上げの業者が免税になるというのは、消費税を導入した時点の約束だったこと。消費税の導入には反対が多く、その対策として国は、年間売上げ3000万円以下の事業者を免税対象にしました。
それでなんとかみんなをなだめ、消費税をスタートさせたのです。
ただ、その時点ではあまりにも免税事業者が多かったため、透明性の高いヨーロッパの国々のような「インボイス制度」は導入できませんでした。

 では、なぜ30年も経って「インボイス制度」を導入したのでしょうか。
消費税は、スタート時点の3%から現在の10%まで引き上げられましたが、国はこの先も15%、20%と税率を引き上げていきたい。
そのためには、ヨーロッパの国々のような複数税率ができる「インボイス制度」を導入せざるを得なくなったということでしょう。

 2023年10月、自民党政府は多くの野党の反対を押し切って「インボイス制度」を導入。
そのため、これまで免税だった事業者も、消費税を納めることになりました。

 ただ、急に全額払えといわれても対応できない事業者も多いので、国は2026年9月までは免税業者の仕入れの80%までを控除可能とし、2029年9月までは50%を控除可能としました。

 つまり、対象の事業者は、2026年と2029年までの間に、2段階で実質増税になるということです。

 しかも「インボイス制度」の導入で、この先、消費税がまだまだ上がっていく可能性が出てきたのですから、私たち国民も十分に用心すべきでしょう。

■「復興特別税」は10年で終わるはずが終わらない

 日本を襲った未曾有の災害である東日本大震災から復興するため、その財源確保としてつくられたのが「復興特別税」です。
所得税、住民税、法人税に上乗せするという形で、復興のための税金が徴収される仕組みです。

 このうち住民税は、2014年から年間1000円を10年間負担してきました。所得税は2013年から2037年まで、税額に2.1%を上乗せするという形で税金が徴収されています。
法人税については、2012年から2014年まで事業所に課税されて、すでに終わっています。

 だとすれば、当然ですが期間が10年と決まっていた住民税も、2023年には徴収を終わってしかるべきです。

 ところが政府は、2024年6月から、日本国内に住む個人全員の住民税に、年1000円の「森林環境税」を課すことを決めたのです。
「復興特別税」としての住民税徴収は終わるはずでしたが、そのまま「森林環境税」と名前を変えて徴収し続けられているのです。

 明らかに、一度手にした税金は名目を変えてでも手放したくないという、政府の思惑が透けて見えます。

 すでに自治体では、環境保全を名目にした税金を導入しているところが多くあります。
たとえば、横浜市民は2007年から神奈川県が決めた森林確保のための「水源環境保全税」を払い、これとは別に横浜市独自の「横浜みどり税」を2009年から徴収されています。
ここに、さらに国から「森林環境税」を取られるとなれば、環境を名目に三重に課税されるということ。

 それぞれ使い道は違うといいますが「復興」のための税金を「環境」にすり替えるのには、かなり無理があると言わざるを得ません。

■「防衛費」のために、ステルス増税

 前述した「復興特別税」の所得税については、5年間で計43兆円という巨額な費用を捻出しなくてはならない「防衛増税」のために使われます。

 そのため、復興のため上乗せしてきた税率を1%下げる代わりに、新たに1%分を防衛費に回すという、わけのわからないことになっています。

 しかも、この税金の徴収は2037年には終わるはずだったのに、課税期間も大幅に延長されて、最大14年から20年にしようという案が検討されています。

 まさにこれは、「復興」を口実としたステルス増税でしかありません。

 さらに、「防衛費」のために増税されるのは、所得税だけではありません。

 政府は、「防衛費」のために、2026年4月から法人税に「防衛特別法人税」という名で4%の付加税を課し、たばこ税なども順次引き上げていく方針を打ち出しています。

 「法人税」が上がると、それだけ会社の利益が減りますから、社員の福利厚生や給料にも響きかねません。

 「たばこ税」については、2025年度の与党税制大綱では、法人税同様に2026年4月から実施するとしています。紙巻きたばこより税額が低い加熱式たばこを2026年の4月と10月に増税し、たばこ全体の増税は2027年から29年に行われる予定で、1箱30円程度の増税になりそうです。

 こうした増税は、岸田文雄前首相が防衛費のGDP(国内総生産)比を従来の1%程度から2%に引き上げたため、2027年度まで累計総額43兆円の防衛費を捻り出さなくてはならないために行われるもので、ほかにも隙あらば増税ということになりそうです。

 怖いのは、アメリカのトランプ新大統領が、防衛費はGDPの2%ではなく3%と言い出すこと。
そうなるとアメリカに逆らえない日本は、さらに庶民への増税を強めていくことになるでしょう。

■シニアを狙った、隠れ増税

 今、日本で一番金持ちなのは、シニア世代です。ですから、シニアを狙った増税も当然行われています。

 2024年1月から、生前贈与をする場合には7年経過しないと、相続税に“持ち戻し”されることになりました。

 子どもや孫などに贈与しても、年間110万円までは基礎控除として税金がかかりません。
なぜかと言うと、贈与税が非課税となる「暦年課税制度」があるからです。
そのため、この制度を利用して死後に相続税がかかりそうな現金を分け与える「生前贈与」を選ぶ高齢者は、実際にかなりいるようです。

 この「暦年課税制度」では、これまでは亡くなる前3年間に相続した分については、「持ち戻し」といって相続する財産にカウントすることになっていました。これが、2024年から7年になっています。

 たとえば、子どもに毎年110万円ずつ無税贈与していた父親が死亡したとします。
この場合、2023年までは持ち戻しが3年だったので、3年分の330万円を相続する財産に加えればよかったのですが、2024年からは7年になっているので、7年分の770万円を相続する財産に加えなくてはならない。
つまり、相続する財産が440万円増え、課税額が増える=増税になるということです。

■長く勤めた人ほど損をする⁉

 さらに、退職金にも増税しようという案が出ています。
現在、勤続年数が20年までだと、1年につき退職所得(退職金)から40万円が控除され、20年を超えて勤めた人は、控除が1年あたり70万円になっています。これを、一律40万円にして、長く勤めた人に増税しようという案です。

 2024年の税制改正では、結果的に先送りになりましたが、退職金にかかる所得税を増税する案は、今後も検討されていくでしょう。

 これらの負担増は、直接税金に関わる増税ですが、実は、税金と同じような役割を果たしている社会保険料の負担を増やすのも、ある意味「ステルス増税」と同じで、次々と出てきています。

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荻原 博子(おぎわら・ひろこ)
経済ジャーナリスト

大学卒業後、経済事務所勤務を経て独立。
家計経済のパイオニアとして、経済の仕組みを生活に根ざして平易に解説して活躍中。著書多数。
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2025年02月16日

故・森永卓郎さんが「ろくでもないビジネス」と喝破していた「エリート集団」の「職業の名前」…そのヒドすぎる「嘘」と「詐欺」

故・森永卓郎さんが「ろくでもないビジネス」と喝破していた「エリート集団」の「職業の名前」…そのヒドすぎる「嘘」と「詐欺」
2/16(日) 現代ビジネス

今年1月28日、経済アナリストの森永卓郎氏が死去した。
原発不明がんと闘いながらも、亡くなる直前までメディアに出演し続け、世界経済の行方に多くの警鐘を鳴らしてきた。

「AIバブルは崩壊する…」「日経平均はこれから大暴落する…」
彼がこう語った背景には一体何があるのか。

そして残された私たちは、この先行き不透明な社会をどう乗り越えていくべきなのか。激動の時代を生き抜くための戦略と覚悟とは。

森永卓郎氏と、息子の康平氏がいまの日本のさまざまな病巣についてガチンコで語り合った『この国でそれでも生きていく人たちへ』より一部抜粋・再編集してお届けする。

『この国でそれでも生きていく人たちへ』連載第7回

『学歴がなくても社会で勝ち抜いていける「シンプルなスキル」…森永卓郎さんの最期の言葉』より続く。

投資銀行の素顔

息子の康平は外資系の投資銀行(金儲けのためなら何でもする金融機関)で働いた経験を持っているが、私は投資銀行の人とはこれまであまり接点をもってこなかった。

最近になって投資銀行の人との付き合いもできたのだが、話を聞いているといろいろと考えさせられた。

投資銀行と聞くと、ものすごく優秀な人材が集まっている、というイメージを持つ人もいるかもしれない。
理系の大学、大学院を優秀な成績で出ていて、数学に精通し、金融工学を駆使して高度な金融商品を開発したり、顧客に高付加価値の商品を提案している、といったイメージだ。

ただ、実際に投資銀行の人に会ってみると、良くも悪くも普通の人で拍子抜けした。高度な数学知識を持つ人などほとんどいないのだ。

そもそも、話を聞く限り、彼らのビジネスモデルは非常にシンプルで理解しやすいものだった。

外資系銀行の“ろくでもないビジネス”

要は、彼らは次の3つをやっているに過ぎない。

1つ目は「相場操縦」だ。マーケットに介入し、自分たちが儲かるような相場を作っている。

2つ目は「M&A」。会社を買収し、転売して利益を出す。

3番目は、いろいろなデリバティブ取引を活用して、「低リスク高利回り」をうたうインチキ金融商品を販売すること。

1についてはもちろん法律に触れない範囲でやっているわけだが、誰が見てもグレーな仕事だろう。

2についても、M&Aが本当に経済の役に立っているかどうか疑わしいと私は考えている。もちろん、経営が悪化した会社を買収し、そこに資本やノウハウを注入して再建することはあり得る。
ただ、いわゆる「外資系のハゲタカ」は、そんな面倒くさいことはやらない。バラバラに解体して転売するだけだ。

3つ目についても、「低リスク高利回り」は名ばかりで、実際には「ハイリスクハイリターン」商品だ。
リーマン・ショックはこうしたデリバティブ商品の暴落がきっかけになったので、こうした商品を売ること自体、経済を不安定にする行為だろう。

要するに、3つともろくなビジネスではないということだ。

いわゆる「ハゲタカ」の仕事は、ひと言で言えば詐欺そのものだ。
「非常に優秀なエリート集団」というのも嘘だし、ビジネスモデルも詐欺。
結局、「ハゲタカ」だけが儲かるようになっているわけだ。

『森永卓郎さんが最期まで猛批判していた“日本をダメにした”竹中平蔵の「大罪」と「インチキ」』へ続く。


森永 卓郎(経済アナリスト・獨協大学経済学部教授)


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2025年02月17日

ご飯を食べるときに「いただきます」と言う「深い理由」を知っていますか

ご飯を食べるときに「いただきます」と言う「深い理由」を知っていますか
2/16(日) 現代ビジネス

「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。
日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか?

昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。
2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。

※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。

日本人の往来観

アエノコトも正月も、神を迎えて送るという行事です。
この「迎え」と「送り」は日本の常民がずうっと大事にしてきた「神迎え・神送り」のしきたりのプロトタイプです。
したがって、たいていの日本の祭りではこのパターンがくりかえされた。

第1講で述べたように、日本の神々は客神ですから、これは客を迎えて、また送るという行為と同じです。
「迎えて、送る」。あるいは「呼んで、帰す」。あるいは「来たり、去ったり」。ここには「去来」とか「往来」とか「往還」(これは仏教用語)といった、日本人が大好きなデュアルな「行ったり来たり」の動向があります。

道のことを「往来」と呼び、手紙のことを「往来物」と呼んだのも、こうした日本人の好きな去来観が反映します。
私は日本の社会文化の特質を見るときは、たいていこのデュアルでリバースな「出入り」に注目してきました。

とはいえ、ふだんの客の迎え送りと、正月とは異なります。正月は特別なのです。
そこには正月がハレの行事であるという認識がかかわっています。

ハレとは「晴」のことで、浄化された格別の非日常性のことです。
今日では「晴れ」は天候のいい日のことをさしますが、もともとは雨模様が長くつづいたあとに、すかっと空が晴れたときのことを意味していた言葉です。

これに対してふだんの日々はケにあたります。「褻」と綴る。
柳田国男は「ハレ=殊」と「ケ=常」というふうにもみなしました。
わかりやすくは「ハレ」がフォーマル(よそゆき)、「ケ」がカジュアル(ふだん)です。
宗教社会学では「ハレ=聖」「ケ=俗」ともみなします。

このハレとケが対応して一年や一生を律していると考えるのが、日本人のライフスタイルを民俗学的にとらえた基本の見方です。

餅と「いただきます」

正月にお餅がクローズアップされるのは、もともと神饌として神々に捧げたものだからでした。
今日でも神社の多くが神饌を神前に恭しく供えます。まさにコメ信仰のあらわれのひとつです。
鏡餅はその供え餅のカジュアル化でした。

餅は蒸したモチ米に水分をまぜ、これを臼に入れて杵で搗いてつくります。
ふかふかとしておいしい餅ができますが、すぐ固まっていく。しかしカビに気をつけさえすれば、貴重な保存食になります。

古代では、餅は白鳥伝説とつながっていました。
白鳥伝説というのは、日本列島にさまざまな白鳥が毎年飛来するところから、日本人の魂は白鳥が遠くから運んでもたらしてきた穀物霊なのかもしれないと想像していたところから生まれたもので、記紀神話や昔話にいろいろの伝承が記されています。

たとえば『豊後国風土記』には、富者が正月に搗いた餅が余ったので、枝にかけて弓矢の標的として遊んだところ、その餅が白鳥と変じて飛び去った。しばらくしてその富者の田畑は荒廃して、家が没落したという話がのこっています。
餅をおろそかに扱ったため、天罰がくだったという話です。

こうした伝承がそのまま広がって、近世には「おてんとうさま」と「お米」が結びつき、「ごはん」は「いただくもの」(戴くもの)になったのです。
「いただきます」はコメ信仰がもたらした「戴きます」という行儀にちなむものなのです。

餅を「めでたいもの」として扱ったので、その後に栄えたという話もいろいろのこっています。
『大鏡』には醍醐天皇の皇子が誕生したので、50日目に餅をつくって口に含ませたところ、皇子がすくすく育ったという話があって、以降、「50日の餅」として伝わっていったとされます。

似たようなことは、『吾妻鏡』に3色餅(白・黒・赤)をつくってふるまったところ、一族が大いに栄えたという話になっている。餅は決して粗末に扱ってはならないのです。

これらは全国の団子餅の起源となったもので、そこに「あんこ」(餡)をまぶしたり、中に詰めこんだり、あるいはちょっと炙って甘み醤油をかけたりして(みたらし団子)、餅文化をたのしみました。

稲魂から餅のことまで話がすすんできましたが、ここに「イノリ」が「ミノリ」につながった歴史が累々と積み重なっています。
イノリ(祈り)は土地や植物や稲魂や田の神に向けられたもの、そこには産土を敬うものがあります。
大地へのイノリであって、育まれるものへの祈りです。ミノリ(稔り・実り)は充実や充填をあらわします。
成熟であって、実現です。

このたわわの稔りに対して、祈ってきた者たちの感謝がおこってきたのでした。
それは収穫の歓びであり、次の1年のサイクルの再起動を誓わせます。
ここでふたたびイノリとミノリが交歓されます。

さらに連載記事<日本人なのに「日本文化」を知らなすぎる…「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった「日本とは何か」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。


松岡 正剛(仏教学者)
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がん闘病中の岸博幸氏、高額療養費引き上げに怒り「ふざけんじゃねえ」 2年利用し「いかに優れた制度か」

がん闘病中の岸博幸氏、高額療養費引き上げに怒り「ふざけんじゃねえ」 2年利用し「いかに優れた制度か」
2/16(日) スポニチアネックス

 元経産官僚で経済学者、慶大大学院教授の岸博幸氏(62)が16日放送のテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」(日曜正午)に出演。
医療費が高くなった患者の負担を抑える「高額療養費制度」の負担上限額の引き上げについて、がん闘病中の立場からコメントした。

 岸氏は2023年1月、人間ドック受診がきっかけで多発性骨髄腫が判明。
その後出演した番組の中で「余命10年」と宣告されたと公表した。

 患者負担上限額の引き上げについて「真面目に、ふざけんじゃねえよと思ってます」と憤りを吐露。
自身も高額療養費制度を2年間使っていると明かし、「この制度がいかに優れた制度か誰よりも実感しているつもり」と話した。

 「私は年とってるからいいですが、この制度の一番影響受けるのは40〜50代で家庭を持っていて子育てにお金がかかる世代、これ一番影響がある。
本当に重篤な病気の人が治療を諦める、特に働いている若い世代が。そういうバカなことを平気でやるんですか?理解できません」と政府方針への怒りを語った。

 社会起業家の安部敏樹氏が高額な治療薬の問題が背景にあると説明すると、「そこは新しい薬をどこまで医療保険が適用するかっていう問題だから、そこは分けて考えた方がいい」と岸氏。
「大事な問題は今国民の2人に1人はがんにかかる時代なんです。長期の治療が必要なんです。そういう現実を考えないとダメです」と訴えた。

 社会学者の古市憲寿氏が「岸さんぐらいお金があっても治療費高いなと思うってことですか?」と聞くと、岸氏は「まずね、俺お金ないから。大学教授の給料は安いです」と笑いを誘っていた。
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2025年02月18日

森永卓郎さんが最期まで猛批判していた”日本をダメにした”竹中平蔵の「大罪」と「インチキ」

森永卓郎さんが最期まで猛批判していた”日本をダメにした”竹中平蔵の「大罪」と「インチキ」

2/17(月) 現代ビジネス

今年1月28日、経済アナリストの森永卓郎氏が死去した。
原発不明がんと闘いながらも、亡くなる直前までメディアに出演し続け、世界経済の行方に多くの警鐘を鳴らしてきた。

「AIバブルは崩壊する…」「日経平均はこれから大暴落する…」

彼がこう語った背景には一体何があるのか。
そして残された私たちは、この先行き不透明な社会をどう乗り越えていくべきなのか。
激動の時代を生き抜くための戦略と覚悟とは。

森永卓郎氏と、息子の康平氏がいまの日本のさまざまな病巣についてガチンコで語り合った『この国でそれでも生きていく人たちへ』より一部抜粋・再編集してお届けする。

『この国でそれでも生きていく人たちへ』連載第8回

『故・森永卓郎さんが「ろくでもないビジネス」と喝破していた「エリート集団」の「職業の名前」…そのヒドすぎる「嘘」と「詐欺」』より続く。

くだらない人々

「ハゲタカ」はとにかく高収入だ。30代で億単位の報酬を得る場合もある。

その億単位の報酬を何に使っているかというと、実のところ大したことに使っていない。
高級レストランで高級ワインを飲むとか、愛人を作る、高級外車に乗る、クルーズ旅行に出かけるとか、そんなところだ。

日本ではあまりないが、海外の投資銀行では、ドラッグに手を出す人間もいると聞く。

要するに、くだらない人間ばかりだということだ。

そういう人間として微塵も尊敬できない、教養のかけらもない人間たちが、高い報酬を得ているのみならず、政府に接近して政策決定に影響を及ぼしているのだ。

ハゲタカと金融庁の出来レース

これがいまの日本の偽らざる姿なのだが、こうした実態はまだまだ知られていない。
秘密保持契約を結んでいるため、見聞きしたことを喋ってくれる人がいないせいだろう。

私は小泉政権下で竹中平蔵氏が断行した不良債権処理の一部始終を知っているが、当時、外資系の投資銀行、いわゆる「ハゲタカ」はインチキばかりやっていた。
金融庁と手を組み、日本の銀行業界を追い詰めるほうに加担していたのだ。

栃木県の足利銀行は2003年に破綻している。私はその時、たまたま所用があって足利銀行を訪ねていたが、行員に聞くと、金融庁がいきなり乗り込んできて、片端から不良債権認定していったそうだ。
融資先のゴルフ場をゴールドマン・サックスに売却する計画も周到に準備されていたという。

金融庁は「ハゲタカ」とグルだった。
金融庁が不良債権だと認定した資産は、二束三文で猛烈なスピードで売却されていった。要するに「出来レース」だったわけだ。

外資系投資銀行が「ハゲタカ」と呼ばれるようになったのは、こうした経緯によるものだ。

竹中平蔵氏が進めた「不良債権処理」とは、マグロの解体ショーのようなものだった。
「不良債権を大量に抱える、倒産寸前の会社を整理した」というよりは、「健全に経営している会社まで潰してハゲタカに売り渡した」と言うほうが正しい。
腐ったマグロを処理したというより、美味しいマグロを切り売りしたので、「ハゲタカ」とそのお友達だけが美味しい思いをしたわけだ。

とくに狙われたのは、資産をたっぷり持っていた建設、流通、不動産業だった。

ハゲタカと政府は癒着している

私が大学を卒業したのは1980年だが、そのころの日本は世界でもっとも外資系企業が少ない国だった。
だが、いまや日本でも外資系企業ばかりになってきている。
都心のビルを見ても入居しているのは外国企業ばかり。
政府も外資を規制するどころか、積極的に誘致している。

最近、政府が「政策保有株はダメだ」と言い出したが、また日本企業を外資に売り渡すのではないかと懸念している。

政策保有株とは、大企業が付き合いで持っている株のこと。
日本には関係の深い会社同士で株を保有しあう慣習があったが、これは投資ではなく、経営の安定が目的だった。
ハゲタカに株を買い占められないように、日本企業同士で株を持ち合っていたのだ。

ただ、いまになって、「不効率な慣習だから政策保有株は売りなさい」と言い始めた。
要するに、ハゲタカが日本企業を買いやすくなるということだ。

結局のところ、日本でハゲタカが跋扈しているのは、政治と癒着しているからだ。

中央官庁の政策を議論している審議会のメンバーを見れば、グローバル企業関係者や、彼らとビジネスでつながっている論者ばかりがズラッと並んでいる。

こうした仕組みを通じて、ハゲタカの意見ばかりが政策に拾われる。
その一方、国民の意見はまったく反映されない。

日本がダメになるのは当然というべきだろう。

『「農家をバカにする」政治家と庶民との隔たり…森永卓郎さんが「日本の馬鹿政治家」に最期の伝えたかったこと』へ続く


「農家をバカにする」政治家と庶民との隔たり…森永卓郎さんが「日本の馬鹿政治家」に最期の伝えたかったこと

森永卓郎氏と、息子の康平氏がいまの日本のさまざまな病巣についてガチンコで語り合った『この国でそれでも生きていく人たちへ』より一部抜粋・再編集してお届けする。

『この国でそれでも生きていく人たちへ』連載第9回

『森永卓郎さんが最期まで猛批判していた“日本をダメにした”竹中平蔵の「大罪」と「インチキ」』より続く。

農家をバカにする政治家

日本の政治家は、急に馬鹿なことを言い出すことがある。
政治家たちの感覚が、一般庶民の問題意識とずれてしまっているのだ。

そのことを象徴するのが、静岡県の川勝平太元知事の暴言事件だった。

2024年4月、川勝元知事が県庁職員に「毎日野菜を売ったり、牛の世話をする仕事とは違い皆さんは知性が高い」などと発言して辞任に追い込まれたが、そうした発言が出てくるのは、富裕層やエリート層とばかり付き合っていて、現場を知らないことが原因だろう。

私は農家の仕事も、県庁職員の仕事も、どちらもやったことがあるが、農家のほうがはるかに知的な作業をしている。

農業が相手にするのは大自然だ。だから、農業ではいつ何が起きるかまったく予想がつかない。

県職員は知らない農業の過酷さ

私の畑はそんなに広くはないが、それでも毎日が「自然との戦い」だ。
風や大雨は日常茶飯事だし、虫や病気も襲ってくる。

カラスやタヌキ、アライグマといった害獣もやってきて、作物を食べていく。
農業とは、ありとあらゆる敵との知恵比べにほかならない。

とくにカラスは頭がいいので、スイカにカラスよけのネットをかけていても、地面に頭を突っ込んでネットを持ち上げ、隙間から侵入して食べていく。
しかも、スイカが一番おいしいときを狙ってやってくるのだ。

日本の法律では、勝手にカラスを殺してはいけないことになっている。
だからカラス対策としては追いかけ回して追い払うしかない。

私の場合、農業1年目にできたスイカは、ほとんどカラスに食われてしまった。
2年目はかなり追い払ったが、3年目はカラスがリベンジする番だった。
どんどん知恵をつけていくので、追い払うだけでもひと苦労なのだ。

対する県庁職員の仕事といえば、先を予想できる単純作業が中心だ。
上司の顔色を窺い、ルーチンワークをこなしているだけの職員も多いだろう。
そんな県庁の人間に、農家を馬鹿にする権利があるとは思えない。

そもそも県庁職員が食べていけるのは、農家が食料を作ってくれるおかげだ。
自分は誰のおかげで食べていけるのか、一度考え直したほうがいいのではないだろうか。

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2025年02月19日

絶望感が半端ない…。「冤罪」をテーマにした海外映画の傑作(5)妻は病んで人生崩壊...無自覚な悪が恐ろしい

絶望感が半端ない…。「冤罪」をテーマにした海外映画の傑作(5)妻は病んで人生崩壊...無自覚な悪が恐ろしい
2/17(月) 映画チャンネル

身に覚えのない罪を被せられ、投獄される恐ろしさを想像したことがあるだろうか。
無罪を主張する声が、差別や偏見、権力などに押しつぶされていく絶望感…。
平凡な人生がいかに大切かを考えずにはいられない。今回は、冤罪をテーマにした映画を5本セレクトしてご紹介する。第5回 。(文・シモ)

『間違えられた男』(1956)

監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:マクスウェル・アンダーソン、アンガス・マクファイル
原作:マクスウェル・アンダーソン『The True Story of Christopher Emmanuel Balestrero』、ハーバート・ブリーン『A Case of Identity』

出演:ヘンリー・フォンダ、ヴェラ・マイルズ

【作品内容】

 バンドのベーシストとして生計を立てるマニー(ヘンリー・フォンダ)。
 妻のローズ(ヴェラ・マイルズ)の歯の治療代を工面するために、保険会社を訪問すると、窓口係に不審な顔をされる。
以前、保険会社の強盗に入った男と瓜二つだったのだ。
 警察に逮捕され釈放までこぎつけたマニー。
彼は、妻のローズと共に証人を探すが、すでに証人2人は死んでしまっていて…。

【注目ポイント】

 本作は、1953年にニューヨークで起きた実話をもとに作られたサスペンス映画である。
顔が似ているというだけで、犯人に仕立て上げられてしまう男の悲劇。
ヒッチコック特有のユーモアを交えた一連のサスペンス映画とは異なり、冤罪に巻き込まれた男の一部始終をシリアスに描いているのが特徴だ。

 主人公のマニーは、連続する強盗事件の犯人と顔が似ているという理由だけで逮捕される。
逮捕を決定づけるのは、客観性を欠いた2人の刑事の独断的な判断である。

 例えば、バレストレロが刑事に書くように求められたメモの書き間違い。
マニーのメモが、犯人の残したものと同じだというのだ。

 指紋を取られ、留置所に閉じ込められるマニー。
彼の上半身がぐるぐると回転するショットは、彼の絶望的な気持ちを現わしているようで真に迫る。

 最終的には、真犯人が現われて彼の疑いは晴れるのだが、妻は精神を一時的に病んでしまう…。
それにもかかわらず、彼を犯人と思い込んで窮地に追いやった者や、誤認逮捕した警察による謝罪の言葉はない。

 冤罪のために元の生活が壊される恐ろしさや、記憶違いによって冤罪に加担する者の無自覚な悪に、身につまされる作品である。

シモ

***********************
小だぬき
日本でも「松本サリン事件」で河野義行さんが冤罪になった経過・問題点を扱った優れた作品があります。

タイトル       日本の黒い夏[冤罪]

脚本・監督    熊井 啓
キャスト     中井貴一(当時報道の指揮をとった新聞社社会部キャップ)
                          寺尾 聰(冤罪被害者の河野義行さん)

DVD紹介文   1994年6月27日夜、長野県松本市で起きた「松本サリン事件」は、多数の死者を出す大惨事になった。
        そして事件の第一通報者である一市民とその家族は、被疑者不詳のまま。警察により家宅捜査ヲ受け    た。殺人容疑をかけられて・・・。
        「日本の黒い夏 冤罪」は、実際に起きた事件を題材に、罪の無い被害者を冤罪へと陥れ、迫害していく警察・マスコミ・そして市民たちの姿を鋭く描く。
日常と隣り合わせにある恐怖を抉り出すクライムサスペンス・ムービーの決定版!!

小だぬきが忘れられない理由
・母校、神奈川大学工学部教授が「サリンはちょっと科学知識があれば作れる」と証言したことにより 河野さん犯人説が補強された。
・オウム真理教の「地下鉄サリン事件」が起こり オウムの犯行とわかるまで、河野さんは犯人視される。
・いつ自分が冤罪にされるかは 「運」が左右するという危うい現実を突きつけられたこと。       

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2025年02月20日

寒波襲来で要注意。入浴時のヒートショックを防ぐ7つのポイントとは?横浜市消防局が呼びかけ

寒波襲来で要注意。
入浴時のヒートショックを防ぐ7つのポイントとは?横浜市消防局が呼びかけ
2/19(水) ハフポスト日本版

強い冬型の気圧配置の影響で、寒い日が続いてます。

気象庁によると、3連休を含む2月24日頃にかけて冬型の気圧配置が続き、北⽇本から⻄⽇本にかけて⽇本海側を中⼼に⼤雪となる見込みです。23⽇頃にかけては冬型の気圧配置の強まりや寒気の程度などによって警報級の⼤雪となる恐れがあります。

寒波襲来を受け、横浜市消防局は19日、入浴時のヒートショックを防ぐポイントをまとめた4コマ漫画をXに投稿しました。

4コマ漫画は東京都市大学と横浜市都筑消防署による共同事業で、東京都市大学創作サークルarteが制作しました。

それでは、入浴時のヒートショックを防ぐポイント7つを見てみましょう。

@お湯を張る時に浴室を温めよう。

A脱衣室を温めよう。

Bお湯の温度は41度以下に。

C入浴前に家族に一言報告を。

D入浴前に水分を取ろう。

Eかけ湯をしてから入浴しよう。

Fお湯に浸かるのは10分以内に。

皆さんは、いくつのポイントを守れていましたか?

まだまだ厳しい寒さが続く2月。ヒートショックに気をつけて過ごしましょう。
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2025年02月21日

開催まで2カ月を切ったのに…巨額の公費をつぎこんだ大阪万博が盛り上がりに欠けるワケ

開催まで2カ月を切ったのに…巨額の公費をつぎこんだ大阪万博が盛り上がりに欠けるワケ
2025年02月20日 PRESIDENT Online

開催まで2カ月を切ったのに…巨額の公費をつぎこんだ大阪万博が盛り上がりに欠けるワケ

大阪・関西万博が2025年4月13日、ついに開幕する。
『ルポ 大阪・関西万博の深層 迷走する維新政治』(朝日新書)の執筆を担った朝日新聞記者の箱谷真司さんは「大阪への注目が高まるのは嬉しいことだが、巨額の公費をつぎ込んだからには成果は厳しく問われるべきだ」という――。
※本稿は、朝日新聞取材班『ルポ 大阪・関西万博の深層 迷走する維新政治』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■シンボルは344億円の「世界一高い日傘」

海風の心地よさをかき消すような、強い日差しが注いでいた。
数分歩くとシャツに汗がにじみ、秋の訪れはまだ感じられない。

2024年10月11日午後3時。大阪湾に浮かぶ人工島・夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)では、開幕が約半年後に迫った大阪・関西万博の会場建設が急ピッチで進んでいた。

目を引いたのが、万博のシンボル・大屋根リング。
1周2キロ(直径675メートル)で、高さは12〜20メートル。世界最大級の木造建築物とされ、会場中心部を取り囲むように建つ。
建設費は344億円に上り、野党の国会議員が「世界一高い日傘」と批判するなど、物議をかもした。

リングの75段の階段を上がり、来場者が歩ける空中歩廊に着いた。
すでに1周はつながり、芝生を張る作業が続いていた。
そこから会場中心部を見渡すと、「万博の華」と言われる各国のパビリオン(展示館)を建てる現場が見えた。

完成した海外パビリオンはなく、大半は鉄筋の足場が組まれていた。
数十のクレーンが立ち並び、重機の鈍いエンジン音や「カンカンカン」と金属をたたく音が響く。
長袖・長ズボン姿の作業員らは、木製の板を運んだり、施設の外装をチェックしたりしていた。

■コンセプトは「未来社会の実験場」

「準備はこれから正念場を迎える。建設工事は順調に進んでいるが、開幕までにしっかり間に合うよう気を引き締めたい」

万博を主催する2025年日本国際博覧会協会(万博協会)の副事務総長・高科淳はリング上で、報道陣にそう話した。
2カ国のパビリオンが着工していなかったが、開幕までに工事が間に合わないと申し出た国はないという。

成功のために欠かせない前売り入場券の売り上げは、この時点で約700万枚。
開幕までの目標の半分ほどにとどまっていたが、「魅力的なコンテンツがたくさんあるので、ちゃんと届く形での発信もしっかりやりたい」と語った。

万博には大規模で総合的なテーマを扱う登録博(旧一般博)と、規模は比較的小さくて特定のテーマに絞った認定博(旧特別博)がある。
今回は登録博で、日本では1970年の大阪万博、2005年の愛知万博に次いで3回目となる。

テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、コンセプトは「未来社会の実験場」。

約160カ国・地域が参加して、自国の科学技術や文化、歴史を伝える。
パナソニックホールディングスや住友グループなど13企業・団体のパビリオンもある。
メディアアーティストの落合陽一ら8人のプロデューサーも、それぞれパビリオンを手がける。

半年の期間中に、350万人のインバウンド(訪日外国人客)を含めて2820万人の来場者を見込んでいる。経済波及効果は2兆〜3兆円とはじいた。

■「負の遺産」とも呼ばれた会場の夢洲

会場の夢洲は、人気観光地のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)や海遊館(水族館)から数キロ圏内にある。
広さは阪神甲子園球場約100個分(390ヘクタール)で、万博ではその約4割(155ヘクタール)を使う。

夢洲はかつて、大阪市が湾岸部に開発をめざした「新都心」の一部として位置づけられたが、バブル崩壊によって計画は頓挫した。
2008年に開催をめざした「大阪五輪」の選手村の建設予定地にもなったが、誘致合戦で北京に敗れた。

廃棄物などの埋め立て地として本来の役割は果たし続けてきたが、埋め立て後の本格的な活用策はなかなか定まらず、「負の遺産」とも呼ばれた。

そんな夢洲への万博誘致を推し進めたのが、大阪維新の会だった。
東西2極の1極を担い、成長する大阪をめざすべきだと訴える地域政党だ。

■大阪経済の起爆剤として浮上した一手

当初のかけ声は、「東京五輪後の経済の起爆剤に」。日本は1964年に東京五輪、70年に大阪万博を開き、国中が沸いた。
そんな高度経済成長期の夢を再び追うかのように、大企業の東京への流出などで衰退した大阪経済を底上げする一手として浮上したのが、今回の万博だった。

維新と「蜜月」を築いた安倍政権も、開催を後押しした。
2018年の博覧会国際事務局(BIE)総会で開催が決まると、祝福ムードが大阪を包んだ。

私は1991年に生まれ、大学卒業までの22年間、関西で暮らした。
朝日新聞の記者になってからは北海道、茨城、東京で計7年勤め、2021年4月から大阪を拠点にして、万博の取材を続けている。

久しぶりに関西に戻った当初は、コロナ禍のまっただ中。
「ステイホーム」「三密(密閉・密集・密接)の回避」が叫ばれ、社会活動の本格的な再開がまだ見通せなかった。
万博をめぐっては、コロナ禍の影響で参加国・地域を増やすための誘致活動の遅れが問題になっていたが、世の中の大きな関心事ではなかった。

■万博開催への相次ぐ疑問と批判

空気が変わったと感じたのは、2023年7月だった。

各国が独自に建てるパビリオンの建設遅れが表面化し、国民から大きな批判を招いた。
さらにその後、公費が3分の2を占める会場建設費の2回目の上ぶれが決まり、当初想定の2倍に近い最大2350億円に膨らんだ。建設の現場では爆発火災が起きた。

近年はインターネットが発達し、世界中の情報を手軽に知ることができる。
海外旅行も昔より普及した。そんな時代に万博を開く意義についても、疑問の声が相次いだ。

細胞(赤色)と水(青色)をモチーフにした公式キャラクター「ミャクミャク」が腕を突き上げるポスターは街中にどんどん増えたが、開催に向けた機運はなかなか高まらなかった。

大阪で強い地盤を誇る維新も、万博への批判が一因となって低迷する。

府内の首長選などでは、公認した候補が相次いで敗れた。
大阪維新の会を母体とする国政政党・日本維新の会は一時、野党第1党をうかがう勢いだったが、立憲民主党や国民民主党が躍進した24年10月の衆院選で、議席を減らした。

■巨額の公費をつぎ込んだ成果のゆくえ

大阪・関西万博は2025年4月13日、ついに開幕する。

有名歌手のコンサート、大相撲、花火大会……。パビリオンでの展示以外にもさまざまな催しがあり、「明るいニュース」を見聞きする機会も増えると思う。
関西出身の私にとっても、大阪への注目が高まるのは嬉しいことだ。

一方で、巨額の公費をつぎ込んだからには、成果は厳しく問われる。
人口減が急速に進むなか、お金や人材といった限られた資源の使い道は、これまで以上に真剣に考えないといけない時代だ。東京五輪をめぐる談合事件を受け、巨大イベントの開催に厳しい視線が注がれている状況でもある。

万博が終われば、主催側は「成功」をしきりにアピールするだろう。
だがそれを額面通りに受け取って良いのか、公費に見合うイベントだったのか、貴重な機会を十分に生かし切れたのかは、一人ひとりが考えるしかない。

(朝日新聞取材班)
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2025年02月22日

泉房穂氏 103万円の壁“満額”引き上げで起こること予測「国民が助かって経済が回り始める」

泉房穂氏 103万円の壁“満額”引き上げで起こること予測「国民が助かって経済が回り始める」
2/21(金) スポニチアネックス

 前兵庫県明石市長の泉房穂氏(61)が21日、ニッポン放送「泉房穂の情熱ラジオ」(金曜後6・00)に大阪のスタジオから生出演し、年収103万円の壁引き上げをめぐる議論で、渋い回答を連発する自民党に苦言を呈した。

 国民の手取りを増やす政策を掲げる国民民主党は与党側に対し、所得税が課税されるボーダーラインを現在の103万円から178万円へ引き上げることを要求。
これに与党は123万円という回答を出したまま、ほぼ膠着(こうちゃく)状態が続いている。

 2カ月ぶりに再開された協議では、自民が年収200万円以下の国民に対しては壁を160万円に設定するほか、引き上げ対象を年収500万円以下に絞るとすることなどを提案したが、国民民主だけでなく、公明からも却下される事態に。
自民は新たに、年収による制限を500万円から850万円に引き上げ、新たに交渉に入る方針だ。

 両サイドのやりとりとその報道について、泉氏は「マスコミの報道の一部ですけど、今回出てきた案を、“160万案”なんて書いているマスコミがそれなりにありますけど、間違いですよ」と指摘。

「160万というのは見せかけで、200万までの年収の方ですから、本当にごく一部なんです。
500万の年収の方についても気持ちだけですし、2年間限定ですし。
本当に不利だけで、500万以上の方にはゼロ回答なんですから。

“与党 実質ゼロ回答”と報道すべきなのに、“与党 160万案”なんて書くと、見出ししか見ない方は“160や!”と思いかねないですから」と、国民へのミスリードに懸念を示した。

 引き上げ額178万円の国民民主案で試算した場合、税収が7兆円減るとされているが、泉氏は「7兆円かかるということは、国民は減税になって助かる」と説明。

「7兆円損ではなくて7兆円、国民が助かって、経済が回り始めるという解釈もできる」と、どん底に落ち込んだ日本経済の回復も期待できると分析した。
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2025年02月23日

爆破事件で「多数の死者」を出し、学生同士でも殺し合い… 過激なテロの嵐となった「学生運動」とはなんだったのか【昭和100年目の真実】

爆破事件で「多数の死者」を出し、学生同士でも殺し合い… 過激なテロの嵐となった「学生運動」とはなんだったのか【昭和100年目の真実】
2/21(金) 歴史人

■─時代を揺るがした2つの安保闘争─

 1960年代の学生運動は、六〇年安保と大学紛争という2つのピークを経験した。
日米安保条約をできるだけ対等なものに改定しようとした岸信介(きしのぶすけ)政権に対し、社会、共産の野党、労働団体や全日本学生自治会総連合(全学連)の学生らなどに反対運動が広がった。

昭和35年(1960)5月、自民党が改定安保条約の批准を国会で強行可決したことに対し、岸首相退陣を求めるデモ隊が連日、国会議事堂や首相官邸周辺に繰り出した。
6月15日、警官隊と衝突したデモ隊の中にいた東京大学文学部生の樺美智子が死亡。
岸批判は頂点に達し、政府はアイゼンハワー米大統領の訪日を延期。
批准手続きを終えると岸は退陣を表明し、六〇年安保闘争は終わった。

 学生運動が再び活発化したのは60年代末。東京大学や日本大学をはじめとする全国の大学で学生処分や学費値上げ、大学の不正経理などに抗議する運動が起き、校舎をバリケード封鎖するストライキが広がった。

 多くの大学で、共産党の路線に批判的な新左翼党派や、既存の党派や学生自治会を批判して直接行動をめざす学生らが参加する「全学共闘会議」(全共闘)が運動の主体となった。
昭和44年1月には東大の安田講堂を占拠した全共闘の学生を機動隊が排除する「安田講堂事件」が起き、その年の東大入試が中止された。
加熱する武装闘争方針が引き起こしたテロリズム運動は過数化し、新左翼党派は過激派(察用語では「極左暴力集団」)と呼ばれた。
ヘルメットや角材で武装した学生同士が衝突し、殺し合う「内ゲバ」(内部ゲバルト=暴力)が多発した。

 昭和45年3月、日本初のハイジャック事件が起きた。赤派が日航機「よど」号を乗っ取り、韓国経由で北朝鮮に渡った。「よど号」グループは後に、北朝鮮による欧州での日本人拉致事件にかかわったと報道されるに至る。

 昭和47年2月には連合赤軍が長野県軽井沢町の「あさま山荘」で管理人の女性を人質に立てこもった。
10日後に警察が山荘に突入して5人を逮捕したところ、犯人グループは群馬県の山岳ベースなどで仲間14人を殺害していたことが判明した。

 昭和49年からは連続企業爆破事件が起きた。
8月には東京・丸の内の三菱重工ビルで時限爆弾が爆発。8人が死亡しけが人は400人近くにのぼった。
三井物産や大成建設など大企業が次々とねらわれ、いずれも「東アジア反日武装戦線」を名乗る予告電話の直後に発生した。昭和50年に全国指名手配された桐島聡は、49年後の令和6年(2024)1月25日、入院中に本名を名乗り、4日後に死亡した。
偽名を使って逃亡生活を続けていたとみられる。

 1960年代末には米国やフランス、西ドイツなど欧米各国でも学生運動が盛り上がった。
第2次世界大戦後に多数の子どもが生まれ、世界で「ベビーブーマー」、日本で「団塊の世代」と呼ばれた世代が大学に進学した時期にあたる。
共産圏でも、チェコスロバキアで1968年に起きた民主化運動「プラハの春」や、中国での文化大革命時に登場した「紅衛兵」も、学生やその世代が運動を担った。

監修・文/北野隆一

『歴史人』2025年3月号『昭和100年目の真実』より
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長年連れ添ったパソコンが壊れて気づいた、替えの効かない自分の存在

長年連れ添ったパソコンが壊れて気づいた、替えの効かない自分の存在
2025.2.23 かがみよかがみ

恋人に「あなたは話が面白いから、なんか書いてみれば」と言われ、とある文学賞を教えられた。
書いてみればと言われて書いてみて、書けてしまったので私は調子に乗った。
調子に乗って他の公募にも挑戦した。

かがみよかがみもその1つだ。
鳴かず飛ばずだったが、かがみよかがみは違った。
採用に私は舞い上がった。調子に乗って舞い上がり、そうして2024年は書いて書いて書きまくった1年になった。

◎ ◎

かがみよかがみは投稿だけが楽しみではない。
他のかがみすとさんのエッセイを読むのも楽しみだ。
かがみよかがみでの投稿を通じ、ZINEを出すというエッセイを読んだ。
ZINEは個人が出す冊子のことだそう。そういう道もあるんだなと思うと同時に、かがみすとさんの行動力に感服した。

年末の楽しみの1つに好きな占い師さんの半年占いがある。
自分の2025年前半の占いを読んでいて、そうだ私もZINEを出そうと思った。
それから頭の中はZINE一色になった。
怒濤の勢いでコンセプトから内容を書き上げ、タイトルまで決めた。
ZINEとして出すにはまだ内容が足りないものの、あまりの勢いに自分で自分が恐ろしくなった。
ちょっと落ち着こうと筆を置いた。そして私はクリスマス、年末年始を過ごしていた。

◎ ◎

お正月も過ぎ、世の中が通常運転になってきた。
私も通常運転に筆を取ったが、筆が乗らない。というか書けない。
書けたとしても微妙な出来だ。
私はスランプになってしまった。ZINEはさておき、かがみよかがみには締め切りがある。
私はかがみよかがみと出会った時点で定年まであまり期間がなく、いつからか全部のテーマに応募するんだと決めていた。他の誰でもない自分との約束だ。

でも書けないものは書けない。思わず私は頭を抱えた。
すると頭の手触りに違和感を覚えた。最後にお風呂に入ってから3日くらい経っていた。
ダルい、疲れた、寒い、光熱費が……などと、何かと理由を付けて風呂をキャンセルしてしまう。

お風呂に入れないような状態の時は食事もままなっていなかったり、外出できなくて買い出しに行けなかったりと、生活がままなっていない。
そもそもの生活がままなっていないのに執筆なんてできるわけがない。
食べて、お風呂に入って、寝る。まずはそこからだろう。

まず生活を整えようと決意を新たに、お風呂に入るべく原稿のデータを保存しようとしたら、パソコンが動かない。
見たことのないフリーズだ。私はまた頭を抱えたのであった。

◎ ◎

パソコンは壊れてしまった。
古いから仕方がないのだが、前触れもなく突然の別れだった。
書きかけの原稿も、今まで送った原稿も、採用されたときの編集者さんからのコメントも、ZINEの原稿も消えてしまったみたいだ。
まだそれを受け入れられず、どうにかならないかなとぼんやりしてしまう。ついでに半年分の家計簿も消えた。

それは見たくない現実が大半なので、あまり痛くない。
USBにもデータがあるにはあるが、MacOSのWordで作成しているから、互換性の問題がある。
すぐ手が出せるような安価なパソコンではデータが開けない。
せめてPDFにしておけばコンビニで印刷できたのに。
後悔や反省点はいくらでもあるのだが、10代の頃からの付き合いなので、とにかくさみしい。
大学のレポートから原稿、家計簿に至るまでお世話になったパソコンには感謝してもしきれない。

ただ、壊れたのが自分じゃなくてパソコンで良かった。
記憶を頼りにこの原稿を書き直しているように、自分さえ壊れなければなんとかなる。
データが消えても自分で考えたことはなくならないし、受け取った言葉も消えない。

でも自分が壊れてしまったら元も子もない。
かがみよかがみの定年はすぐだけど、そこから先の人生の方が長い。
自分は替えが利かないのだから。他でもない長い付き合いになる自分を労って、生活を整え、やりたいと思ったことをやりきれるような土台を作っていきたい。

■馬須川馬子のプロフィール
毒親育ち。今は親から離れ、自分を育て直しています。ノンフィクションの作文が好きで、社会復帰のための活動の一環として投稿活動しています。
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2025年02月24日

江原啓之「人生のすべてに無駄はなく、どんなことにも間違いはない」

江原啓之「人生のすべてに無駄はなく、どんなことにも間違いはない」
2025.2.22 TOKYO FM 

スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。

2月16日(日)の放送では、リスナーから届いたさまざまな相談に、江原がアドバイスを送りました。

<リスナーからのメッセージ>

私はこれまでに流産を3回、妊娠8ヶ月を迎えた頃に、死産を経験しています。
祈るような気持ちで何度も治療をして、子どもを授かったと分かったときの喜びはひとしおでした。
絶対にお腹のなかで守っていくと決めたのに、ここまで大きく育ってくれた子をなぜ火葬しないといけないのか、頭では分かっていても、心の整理ができない状況が続きました。

ただ、命の儚さや尊さを深く感じることができるのは、私にとって貴重な学びになりました。
治療中に声をかけてくれた病院スタッフさんのあたたかさや、小さな赤ちゃんのお見送りのために可愛い服や棺を作ってくれる方、骨がちゃんと残るように心を配ってくださった火葬場のスタッフさん……。
見渡せば本当にいろいろな方の素晴らしいお仕事のもと、私は生かされているなと感じました。
江原さんの「人生は経験と感動」という言葉が沁みました。

この経験がなかったら、この感動もなかったのだなと思うと、「どうして私ばかり」という気持ちが和らいだ気がしました。そしてまだまだ世の中には、経験しないと分からないことがたくさんあるなと感じています。
自分という存在の小ささや、視野の狭さに、時折恥ずかしい気持ちで申し訳なくなる瞬間がやってきますが、一つひとつ自分のものにして吸収していきたいです。

出産を通しての子育てなのか、里親なのか養子縁組なのか、いつかどんな形になるか分かりませんが、子育てという経験ができたらいいなと思います。

<江原からのメッセージ>

悲しみはありますけれど、素敵なお話ですね。
私は「スピリチュアル子育て」(三笠書房)という本も書いているのですが、子育てはボランティアなんです。
子どもを持とうと思っただけでも、十分ボランティアをしたことになるんですよ。

「生まれたときを1歳とする」という数え年ってありますよね。
つまり、お腹のなかに入ったときから寿命が始まっているんです。
そう考えると、この世に出られなくても、例えば相談者さんのようにお腹で8ヵ月まで迎えたのであれば、その子を8ヵ月育てたのです。
あなたの子は、実際にいたのです。
ですから、向こうの世界(あの世)に還ったときには、お子さんに会えるんですよ。

多くの人に「子育てはボランティア」なのだという意識をしっかり持ってほしいと感じます。
そうすれば我が子に「ああしろ」「こうしろ」と妙な期待を抱いたりせずに、その子がその子らしく、自分を活かして生きていけるようにしてあげることができると思います。そのほうが大事です。

相談者さんが立派だなと思うのは、出産を通じた子育て、里親制度、養子縁組などの形にかかわらず、子育てをしたいという意思があるところです。
ペットだってそうですが、お腹を痛めて産まなくても、大事な家族なんですよ。
それが平和で、世の中が本当に愛に満たされることになるわけです。

だからと言って、子どもを一生懸命持とうって思うことが悪いわけではありません。
私の知人にも、不妊治療をした末に子どもを授かった方がいます。
しかし、あるときその方が私にこう言ったんですよ。
お子さんが幼稚園に通うようになったときに、「私、気づいたの。人の子も自分の子も一緒だって」と。
「今は子どもを授かったけれど、そうでなくても良かったかなと思う。養子を迎える選択でも良かったかもしれない」と、ボソッとおっしゃったとき、私は「ああ、成功した!」と思ったんです。

すべてに無駄はなく、人生は経験と感動です。
どんなことにも間違いはなく、そこに辿り着いてくれたら良いのです。

相談者さんも今はおつらいかもしれませんが、あちら(あの世)に逝ったときにはまたお子さんに会えます。
まだまだお若いのですから頑張って。たくさんの愛に満たされて、いっぱい経験と感動を得てください。

●江原啓之 今夜の格言
「人生に無駄はありません」

<番組概要>
番組名:Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り
放送日時:TOKYO FM/FM 大阪 毎週日曜 22:00〜22:25、エフエム山陰 毎週土曜 12:30〜12:55

出演者:江原啓之、奥迫協子
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2025年02月25日

12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」 プレイバック「昭和100年」

12歳の少年が見た昭和41年 「紫電改のタカ」と戦争体験「祖父はあの時代を語らない」 プレイバック「昭和100年」
2/24(月) 産経新聞

<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。
ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。>

近所の駄菓子屋のおじさんは元海軍の飛行機乗りで、戦時中にゼロ戦で活躍した話を子供たちによくしてくれる。
一番すごいのは太平洋上で米軍機3機に囲まれたが、全部撃ち落として帰還したという話だ。
学校でも戦記漫画がはやっていて、僕は「紫電改のタカ」や「0戦はやと」などが大好きだ。

定食屋のおじさんも陸軍で大陸にいたが、後方で食事などを作っていたらしく、面白い話は少ない。
やはり花形はゼロ戦だろう。
ただ、担任の先生は、自分が戦争に行ったわけでもないのに、そういう話が嫌いらしく、「おまえは戦争に賛成なのか」などと言う。
別に賛成しているわけじゃないし、漫画の主人公やおじさんたちだって、そんなこと一言も言ってない。

そう言えば、僕のおじいちゃんも南方のどこかの島に行っていたらしいが、詳しい話は聞いたことがない。
娘であるお母さんもあまり聞いたことがないらしく、僕にも聞くなというので聞いてない。

今年は6月にザ・ビートルズという英国のバンドが来日して騒ぎになった。
学校ではよく知らない子も多かったが、いとこのお姉さんは会場の日本武道館の近くまで行ったらしい。
2年前の東京五輪のときにできた武道の聖地を外国人が使うことに批判もあった。
僕もあんなに髪を長くしてガチャガチャした歌を歌う人たちはあまり好きではない。

それよりもこの年は飛行機の事故が5件も起きたのが大きなニュースだった。
2月に羽田沖に全日空機が墜落して133人が死亡、3月はカナダの旅客機がまた羽田で着陸に失敗して64人が死亡、その翌日に英国の旅客機が富士山上空で乱気流に巻き込まれて墜落、124人が死亡した。

英国の旅客機は前日の事故でコース変更があって、その影響で富士山の上を飛ぶことになったという。
さらに8月には訓練中の日本航空機が羽田空港を離陸直後に墜落して5人が死亡、11月には再び全日空機が四国の松山沖に墜落して50人が亡くなった。

旅客機のパイロットには元軍人さんも多いらしいが、旅客機とゼロ戦は全然違うのだろうか。
今年から日本人の海外旅行の回数が年に1回から無制限になり、外国に行く人も増えているというが、僕はやっぱり飛行機が怖い。ゼロ戦になんか死んでも乗れないと思う。

ただ、この年は交通事故死者数が年間1万3千人を超えて、日清戦争の戦死者1万7千人に近づいたことから「交通戦争」という言葉も流行語になった。結局、空も陸も安心できない。


やはり羽田だけでは狭いらしく、7月に新空港の建設地が千葉県成田市の三里塚という所に決まった。テレビで見たら田畑があって人も住んでいて、こんな場所に広い空港が本当に造れるのか心配になった。

学校では先日、「戦争の悲惨な話を周りの大人から聞いてきなさい」という宿題があって、「またか」と思った。
僕がひねくれているのかもしれないが、なぜ悲惨な話だけなのか。もし僕があの時代に生きていたら、本当に悲惨な経験なんて子供に聞かせたくないと思うし、あらためて思い出したくもないと思う。

駄菓子屋のおじさんの話が誇張されていることぐらい子供だってわかっているし、武勇伝にしないと、きっと悲しい経験を思い出してしまうのだと思う。

それでも先生がうるさいので、勇気を出して僕のおじいちゃんに聞いてみた。
おじいちゃんは嫌がる様子もなく、「どこに行ったかも、何をしたのかも、ぜーんぶ忘れてしまったよ」と笑っていた。

※ 昭和40年代には戦争で戦った人たちが普通にいた。
総務省の恩給統計によると、当時は125万人前後だったが、平成23年度に10万人、令和元年度に1万人を割った。
昨年度末では1千人程度となっている。
「戦記漫画」も昭和40年代には「少年マガジン」「少年サンデー」などで人気だったが、市民団体などから「戦争賛美」との声が上がり、急速に減っていった。
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2025年02月26日

ゆうちょ銀だけの4つの利点

メガバンクにはない!ゆうちょ銀行だけのメリット4つ
2025年02月24日 All About

全国各地にあるゆうちょ銀行。
実は、メガバンク(都市銀行)にはないメリットがたくさんあるのです。
知られざる(?)そのメリット4つを紹介します!

さまざまな場所で見かける「ゆうちょ銀行」。
口座を持っている人も、持っていない人も、ちょっと気になる存在なのでは?
今回はメガバンク(都市銀行)にはない、ゆうちょ銀行だけのメリット4つについて、お伝えします。

■メリット1:窓口が15時まででなく、16時まで開いている

ときには店舗の窓口を利用したいこともあるもの。
メガバンク(都市銀行)など、一般的な銀行の場合は、窓口の営業時間は15時までですが、ゆうちょ銀行は16時まで。
ちょっと遅めの時間まで窓口が開いていると、助かりますね!

■メリット2:ゆうちょ銀行内のATMなら基本的に時間外手数料が無料

ゆうちょ銀行や郵便局にある「ゆうちょATM」では、土日や休日、夜間関係なく入出金手数料が無料です(営業時間内に限る。また一部ATMでは料金がかかる場合もある)。

ただし、駅やショッピングセンターにある「ゆうちょATM」は、「平日の8時45分から18時まで」と「土曜日の9時から14時まで」以外の時間では、入出金の際に110円の手数料がかかる点には注意。
コンビニのATMでも、手数料がかかる時間帯がありますので要確認です。

■メリット3:ATM数が圧倒的に多い!

ゆうちょ銀行のATMは、全国で約3万2000台(2021年3月末時点)と、圧倒的に多いのも特長です。

メガバンク・都市銀行すべてをあわせたATMが約2万台(※2021年9月末時点。みずほ銀行、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、りそな銀行、埼玉りそな銀行の合計)と比べても、多いことがわかりますね。
ゆうちょ銀行のATMは全国各地にあり、旅行先や出張先でも使えます。

■メリット4:通帳だけでもATMで出金が可能

メガバンク・都市銀行では、現金を引き出す際にキャッシュカードが必要ですが、ゆうちょ銀行の場合は、キャッシュカードはもちろんのこと、通帳だけで引き出すことも可能です。

例えば、遠方に住む家族同士、それぞれ通帳とカードを持って入出金するなど、便利に使えますね。

以上、ゆうちょ銀行のメリット4つをお伝えしました。改めて魅力に気づいた方、ぜひ便利に活用してみてください!


文:西山 美紀(ファイナンシャルプランナー)
出版社に勤務し、編集・マーケティングに携わった後、フリーライターとして独立。女性誌やビジネス誌などで、貯蓄法や子育てにかかるお金の貯め方などをテーマに取材し、原稿・コラム執筆などを行っている。
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「独裁者なき全体主義」と日本社会を覆う“正義中毒”

「日産バッシング」は異常である――昭和の大作家が警告した「独裁者なき全体主義」と日本社会を覆う“正義中毒”
2025.02.26 情報提供:Merkmal

開高健(1930〜1989年)は、日本を代表する作家であり、優れたジャーナリスト、随筆家でもあった。ベトナム戦争の最前線を取材し、南米アマゾンの奥地で怪魚を追い求める旅に出るなど、彼の作品には常に現場で得た生々しい体験と鋭い洞察が息づいている。
開高の文章は、単なる美文にとどまらず、人間の本質を抉り出す知性と皮肉、そしてユーモアに満ちており、時代を超えて多くの読者に刺激を与え続けている。

そんな開高が日本人の集団心理について残した言葉がある。

「日本人は独裁者なき全体主義者なんですが、一度誰かをやっつけていいんだ、コテンパンに叩いていいんだということになると、どいつもこいつもがモラリストのような顔をしてぶったたくので、見ているとおかしくてしようがない」(開高健・文、ジョージ・オーウェル『動物農場』ちくま文庫)

この言葉は、日本社会における同調圧力と「正義」の暴走を的確に言い当てている。
特定の対象が批判される状況が生まれると、人々は一斉に糾弾に回り、正義の名の下に「ぶったたく」行為が正当化される。その姿は、ジョージ・オーウェルの風刺小説『動物農場』に描かれた革命後の動物たちの姿と重なる。

『動物農場』では、動物たちは「人間の搾取」という共通の敵を倒すために団結するが、革命後は支配者が変わっただけで、かつての抑圧構造が内部で再生される。
新たな「正義」を掲げた支配層――豚たち――は、かつての敵に取って代わる存在となり、反対意見を持つ者を「裏切り者」として糾弾し、排除する。
正義が権力と結びついたとき、批判の矛先は「異端」へと向かい、個人の視点は消えてしまう。

この構造は、近年のホンダと日産の統合話をめぐる世論、特に「日産に対する異常なまでのバッシング」にも明確に表れている。
開高健が見抜いた「独裁者なき全体主義」は、現代の日本社会においてなお強く作用し続けている。

集団心理と「正義中毒」のメカニズム

2024年に浮上したホンダと日産の統合話は、モビリティ業界にとって極めて重要な局面を迎えている。
両社は日本を代表する自動車メーカーであり、それぞれ独自の技術と市場戦略を築いてきた。
しかし、統合の話が報じられると、日産に対して「身売り」「ホンダに頼るしかない」といったネガティブな論調が一気に広がった。

興味深いのは、このバッシングが単なる経済的合理性を超えて、感情的かつ道徳的な批判へと変質していったことだ。

「経営の失敗」
「ゴーン事件のツケ」
「日本企業としての矜持を失った」

といった声が飛び交い、日産がまるで「罪人」であるかのように扱われ、社会的に「裁く」流れへと発展していった。
まさに開高健が指摘した「モラリストのような顔をしてぶったたく」現象そのものだ。

なぜ日本社会では、このような一斉攻撃が起こるのか。その背景には、集団心理と「正義中毒」ともいえる心理的メカニズムが存在している。

日本社会は調和を重んじる文化を基盤にしており、異端を排除することで秩序を保とうとする傾向がある。
特定の企業や人物が「叩いてもよい存在」として認定されると、人々はそれに同調することで、自己の正当性と集団への帰属意識を強めていく。

特にSNSが普及した現代では、感情的な反応が瞬時に拡散され、冷静な分析よりも「正義感」に基づく攻撃が支持を集めやすい。
日産バッシングも、事実確認や経済的合理性を無視し、「正義の側」に立つことで得られる快感が優先された結果だ。

もうひとつの重要な要素は、集団における「排除の論理」である。
誰かを叩く側に回ることで、自分が標的にされるリスクを回避しようとする心理が働く。
この構造は、オーウェルの『動物農場』における「粛清」の描写と驚くほど一致している。

モビリティ産業の未来を阻む危機

日産バッシングの背景には、日本のモビリティ業界における構造変化も影響している。
電動化、自動運転、コネクテッド技術などの急速な技術革新によって、従来の自動車メーカーは生き残りをかけた競争を迫られている。

ホンダと日産の統合話は、この変化に対応するための合理的な戦略の一環として検討されたものであり、単なる「経営不振による救済策」ではない。
しかし、経済的背景を無視し、「かつての名門が堕ちた」という感情的な物語に世論が流された結果、建設的な議論が封じられた。

この問題はモビリティ業界に限らず、日本の経済社会全体にも通じる。感情的な反応に基づく判断を繰り返すことで、新たな可能性を自ら閉ざしてしまう危険性がある。

では、「正義中毒」と同調圧力から脱却し、より建設的な議論を行うにはどうすればよいのか。

まず重要なのは、特定の企業や個人を断罪するのではなく、その背後にある構造や文脈を理解するために「問い」を立てる姿勢だ。

日産の統合話も、単なる「経営不振」の問題として切り捨てるのではなく、「日本のモビリティ産業全体の競争力を高めるために何が必要か」という視点から議論を進めるべきだ。

感情的な反応に流されることなく、経済データや業界動向を基に冷静な分析を行うことも欠かせない。
例えば、ホンダと日産の統合が技術共有や開発コスト削減にどの程度寄与するのかを定量的に評価し、その結果に基づいて議論を深める必要がある。

さらに、異なる意見や視点を受け入れる寛容さも求められる。
『動物農場』のように「正義」を掲げた側が新たな支配者となり、異端を排除する構造を繰り返さないためには、多様な意見が共存し、対話を通じて新たな知見を生み出せる環境を整えることが不可欠だ。


モビリティ業界を阻む「正義」の暴走


開高健が指摘した「独裁者なき全体主義」は、現代の日本社会にも根強く残っている。


日産バッシングに見られるように、誰かを「悪」と決めつけることで自己の正当性を主張し、正義の名の下に攻撃を正当化する構造は、オーウェルの『動物農場』が描いた支配の再生産と変わらない。


しかし、モビリティ業界を取り巻く環境が複雑化するなかで、こうした集団心理に流されることは、未来を閉ざす行為にほかならない。


経済的合理性を重視し、多様な視点を尊重しながら冷静な議論を重ねることで、日本社会は「正義」という名の独裁を超え、より豊かな未来を切り開くことができる。


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2025年02月27日

高校無償化めぐり「悪行に加担した共犯者」 自公と合意の日本維新の会を京大教授・藤井聡さん痛烈批判

高校無償化めぐり「悪行に加担した共犯者」 自公と合意の日本維新の会を京大教授・藤井聡さん痛烈批判
2/26(水) 中日スポーツ

  テレビ番組のコメンテーターとしても知られる京都大教授の藤井聡さんが26日、X(旧ツイッター)を更新。
高校授業料の無償化で与党と合意した日本維新の会を、「悪行に加担した共犯者になった…」と痛烈な言葉で非難した。

 維新は25日夜、自民・公明と党首会談をした。
教育無償化について、2025年度のに国公私立を問わずに支援金を支給し、私立高校への支援は2026年4月から所得制限なく45万7000円を上限に引き上げることなどで正式合意した。

 これに伴い、2025年度予算案が成立する見通しとなった。
その一方で、国民民主党が主張しているいわゆる「年収の壁」の引き上げやガソリンの暫定税率廃止は、停滞してしまっている。

 藤井さんは、自公維の3党首会談を伝えるネット記事を引用し、「維新は高校無償化と引き換えに予算案への賛成を合意.これで『年収の壁178万への引き上げ案』は絶望的…」とつづった。

 「客観的に言えば」と前置きした上で、「これで維新が『一部国民だけを利する政治的主張の実現』の為に『大多数の国民の為の大減税をつぶす財務&自公の悪行』に加担した共犯者になった事になります…」と批判した。

 この投稿に、「そう思われて仕方ないでしょう。がっかり」
「『手取りを増やす(国民生活を豊かにする)』よりも『無償化(増税化)』を選んだと言うことですね」
「年収の壁はどうなった?維新は178万円はやるべきって言ってなかったか?」などの声が寄せられた。

中日スポーツ
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「独裁者なき全体主義」と日本社会を覆う“正義中毒”

「日産バッシング」は異常である――昭和の大作家が警告した「独裁者なき全体主義」と日本社会を覆う“正義中毒”
2025.02.26 情報提供:Merkmal

開高健(1930〜1989年)は、日本を代表する作家であり、優れたジャーナリスト、随筆家でもあった。
ベトナム戦争の最前線を取材し、南米アマゾンの奥地で怪魚を追い求める旅に出るなど、彼の作品には常に現場で得た生々しい体験と鋭い洞察が息づいている。
開高の文章は、単なる美文にとどまらず、人間の本質を抉り出す知性と皮肉、そしてユーモアに満ちており、時代を超えて多くの読者に刺激を与え続けている。

そんな開高が日本人の集団心理について残した言葉がある。

日本人は独裁者なき全体主義者なんですが、一度誰かをやっつけていいんだ、コテンパンに叩いていいんだということになると、どいつもこいつもがモラリストのような顔をしてぶったたくので、見ているとおかしくてしようがない」(開高健・文、ジョージ・オーウェル『動物農場』ちくま文庫)

この言葉は、日本社会における同調圧力と「正義」の暴走を的確に言い当てている。
特定の対象が批判される状況が生まれると、人々は一斉に糾弾に回り、正義の名の下に「ぶったたく」行為が正当化される。その姿は、ジョージ・オーウェルの風刺小説『動物農場』に描かれた革命後の動物たちの姿と重なる。

『動物農場』では、動物たちは「人間の搾取」という共通の敵を倒すために団結するが、革命後は支配者が変わっただけで、かつての抑圧構造が内部で再生される。
新たな「正義」を掲げた支配層――豚たち――は、かつての敵に取って代わる存在となり、反対意見を持つ者を「裏切り者」として糾弾し、排除する。
正義が権力と結びついたとき、批判の矛先は「異端」へと向かい、個人の視点は消えてしまう。

この構造は、近年のホンダと日産の統合話をめぐる世論、特に「日産に対する異常なまでのバッシング」にも明確に表れている。
開高健が見抜いた「独裁者なき全体主義」は、現代の日本社会においてなお強く作用し続けている。

集団心理と「正義中毒」のメカニズム

2024年に浮上したホンダと日産の統合話は、モビリティ業界にとって極めて重要な局面を迎えている。
両社は日本を代表する自動車メーカーであり、それぞれ独自の技術と市場戦略を築いてきた。
しかし、統合の話が報じられると、日産に対して「身売り」「ホンダに頼るしかない」といったネガティブな論調が一気に広がった。

興味深いのは、このバッシングが単なる経済的合理性を超えて、感情的かつ道徳的な批判へと変質していったことだ。

「経営の失敗」
「ゴーン事件のツケ」
「日本企業としての矜持を失った」

といった声が飛び交い、日産がまるで「罪人」であるかのように扱われ、社会的に「裁く」流れへと発展していった。
まさに開高健が指摘した「モラリストのような顔をしてぶったたく」現象そのものだ。

なぜ日本社会では、このような一斉攻撃が起こるのか。その背景には、集団心理と「正義中毒」ともいえる心理的メカニズムが存在している。

日本社会は調和を重んじる文化を基盤にしており、異端を排除することで秩序を保とうとする傾向がある。
特定の企業や人物が「叩いてもよい存在」として認定されると、人々はそれに同調することで、自己の正当性と集団への帰属意識を強めていく。

特にSNSが普及した現代では、感情的な反応が瞬時に拡散され、冷静な分析よりも「正義感」に基づく攻撃が支持を集めやすい。
日産バッシングも、事実確認や経済的合理性を無視し、「正義の側」に立つことで得られる快感が優先された結果だ。

もうひとつの重要な要素は、集団における「排除の論理」である。
誰かを叩く側に回ることで、自分が標的にされるリスクを回避しようとする心理が働く
この構造は、オーウェルの『動物農場』における「粛清」の描写と驚くほど一致している。

モビリティ産業の未来を阻む危機

日産バッシングの背景には、日本のモビリティ業界における構造変化も影響している。
電動化、自動運転、コネクテッド技術などの急速な技術革新によって、従来の自動車メーカーは生き残りをかけた競争を迫られている。

ホンダと日産の統合話は、この変化に対応するための合理的な戦略の一環として検討されたものであり、単なる「経営不振による救済策」ではない。
しかし、経済的背景を無視し、「かつての名門が堕ちた」という感情的な物語に世論が流された結果、建設的な議論が封じられた。

この問題はモビリティ業界に限らず、日本の経済社会全体にも通じる。
感情的な反応に基づく判断を繰り返すことで、新たな可能性を自ら閉ざしてしまう危険性がある。

では、「正義中毒」と同調圧力から脱却し、より建設的な議論を行うにはどうすればよいのか。

まず重要なのは、特定の企業や個人を断罪するのではなく、その背後にある構造や文脈を理解するために「問い」を立てる姿勢だ。

日産の統合話も、単なる「経営不振」の問題として切り捨てるのではなく、「日本のモビリティ産業全体の競争力を高めるために何が必要か」という視点から議論を進めるべきだ。

感情的な反応に流されることなく、経済データや業界動向を基に冷静な分析を行うことも欠かせない。
例えば、ホンダと日産の統合が技術共有や開発コスト削減にどの程度寄与するのかを定量的に評価し、その結果に基づいて議論を深める必要がある。

さらに、異なる意見や視点を受け入れる寛容さも求められる。
『動物農場』のように正義」を掲げた側が新たな支配者となり、異端を排除する構造を繰り返さないためには、多様な意見が共存し、対話を通じて新たな知見を生み出せる環境を整えることが不可欠だ。

モビリティ業界を阻む「正義」の暴走

開高健が指摘した「独裁者なき全体主義」は、現代の日本社会にも根強く残っている。

日産バッシングに見られるように、誰かを「悪」と決めつけることで自己の正当性を主張し、正義の名の下に攻撃を正当化する構造は、オーウェルの『動物農場』が描いた支配の再生産と変わらない。

しかし、モビリティ業界を取り巻く環境が複雑化するなかで、こうした集団心理に流されることは、未来を閉ざす行為にほかならない。

経済的合理性を重視し、多様な視点を尊重しながら冷静な議論を重ねることで、日本社会は「正義」という名の独裁を超え、より豊かな未来を切り開くことができる。
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2025年02月28日

「本を読んでも何も残ってない」…勉強熱心な人ほど犯しやすい「絶対にしてはいけないこと」

「本を読んでも何も残ってない」…勉強熱心な人ほど犯しやすい「絶対にしてはいけないこと」
2/27(木) 現代ビジネス:哲学者・山野弘樹さん

先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。
でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう

気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。
※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。

「何も考えられていなかった」学生時代の体験

実は昔、「考えるってどういうことなのか」という問題に強烈な仕方で直面したことがありました。
この実体験は、「考える」という営みについて根本的に考え直すきっかけを私に与えてくれたものなので、このエピソードをお話しすることを通して、「考えるとは何をすることなのか」という問いに答えていきます。

私は勉強があまり得意ではなかったのですが、高校生のときから世界史の授業だけは好きでした。
まるでたくさんの映画を観ているような気持ちで学ぶことができたのです。
そんな私が上智大学の史学科に入れたことは幸運なことでした。
そしておそらく、私は史学科生の中でもとりわけ真面目に講義を受講していた学生の一人でした。

私は大学という環境で自分の知力を高めていくために、とにかくたくさんの本を読もうと決心しました。
そして、今思い出すと恥ずかしいのですが、私は古本屋で買いあさった本を片っ端から読んでいくと、それを次々に塔のように積み上げていったのです。

読了した本の高さが高くなればなるほど、私は自分の知力も向上しているような気がしました。
今思えばただの自己満足なのですが、当時はその光景を見ると、心の底から満足することができたのです。

大学2年生の夏休みのある日、私は友人と3人で大阪旅行に行きました。
私は東京駅から友人と新幹線に乗り、お喋しゃべりをしながら大阪に着くのを楽しみにしていました。
そのときにも、当時読み進めていた歴史学の本を持参していました。

道中、「何を読んでいるの」という話になり、その本の内容を紹介しているうちに、私は話の流れで「17世紀のヨーロッパは進歩していた」と述べました。
それに対して、その友達が次のように質問をしてきたのです。
「どうして17世紀のヨーロッパが進歩していたと言えるのか?」。

本を読んでいる「つもり」になっていた

今思えば、例えば科学史や政治史の観点から「進歩」について何らかの説明を加えるということもできたように思います。
ですが、すっかり「読書愛好家」になっていた私の頭は、「その話は、どの本の何ページに書いてあっただろうか?」という発想しかできなくなってしまっていました。
まるで様々な著者の主張を切り張りしたかのような頭の中身だったのです。

しかも人間の記憶力は脆弱なので、本に書かれている表現がどのようなものであったのかを覚えているわけがありません(終始「えーっと、あの本にはなんて書いてあったかな……」という状態です)。
すなわち、このときになって、初めて私は「自分の頭で何かを考える」ということがまるでできないという事実に直面することになったのです。

それでは、私はその間、一体何をしていたと言うのでしょうか?

さらに連載記事<「何を、どのように勉強すれば良いのか」…意外と知られていない「思考力を高める方法」>では、地頭を鍛える方法について解説しています。ぜひご覧ください。

山野 弘樹(哲学研究者)
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「人のせいにする教育から自己決定できる教育へ…」

「人のせいにする教育から自己決定できる教育へ…」松坂桃李さん主演のドラマ「御上先生」監修のアドバイザーが講演会で教育制度の変革を訴え 長野・上田市
2/27(木) SBC信越放送

学校教育のあり方を問う話題のドラマ「御上(みかみ)先生」。
そのドラマの監修も務めている教育アドバイザーが26日、上田市で講演しました。

教育関係者などおよそ230人が拍手で迎えたのは、教育アドバイザーの工藤勇一(くどうゆういち)さん。
工藤さんは、松坂桃李さんが主演してSBCで放送中のドラマで、日本の教育のあり方を問う「御上先生」の学校教育監修を手掛けています。

都内の中学校などで校長を務めていた際には、定期テストや宿題を廃止するなど学校改革にも取り組んできました。

工藤さん:
「教育というのはキーワードは自己決定です。
子どもの自己決定をどれだけ繰り返すことができるように支援をするか。
これが教育なのに、自己決定させなければ人のせいにする子どもしか育ちません」

急速に進むデジタル化や人口減少など社会構造が変化し、先が見通せない時代を生きる上で、自分で物事を判断し、行動に移す能力が欠かせないという工藤さん。

しかし今の日本の教育は、教師や親が子どもに手をかけすぎて、主体性が育たないと指摘します。

工藤さん:
「特に日本の教育は社会性を重視して、人に迷惑をかけるなということをものすごく重視する教育なので、あれをするなこれをするな、そうすると子どもたちはそのうちこう聞いてきます。
お母さんこれやっていいのと聞きます。
なぜかというと臆病になってしまうので、リスクを負うことをやりたがらないから、やっていいかと確認をとるんですね。
人のせいにできますよね、自分で決定してないので。人のせいにできるという教育ですね」

教育する側から押し付けるのではなく、子どもが何を学びたいか選べる仕組みづくりが重要と話しました。

工藤さん:
「僕らは命令形をやめようって決めたんですよ。
そこで考えたのがこの3つのセリフですね。
飛び出していった子どもをつかまえて『どうした』って『あの先生大嫌いだから』ってめちゃくちゃなこと言うんですよ。
それに対して『どうするよこの後』っていうと、びっくりしますね。
子ども言われたことないんですよ。
でも自己決定した子どもは先生に感謝するんですよ。
その場所を僕らは与えてあげるってことをやっていくんですね」

根本的に国の教育制度の在り方を変えていく必要があると訴える工藤さん。

そのうえで教員一人一人が教育とは何か主体的に考えることで日本を変えていけるとメッセージを送りました。

信越放送
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