ご飯を食べるときに「いただきます」と言う「深い理由」を知っていますか
2/16(日) 現代ビジネス
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。
日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか?
昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。
2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。
※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。
日本人の往来観
アエノコトも正月も、神を迎えて送るという行事です。
この「迎え」と「送り」は日本の常民がずうっと大事にしてきた「神迎え・神送り」のしきたりのプロトタイプです。
したがって、たいていの日本の祭りではこのパターンがくりかえされた。
第1講で述べたように、日本の神々は客神ですから、これは客を迎えて、また送るという行為と同じです。
「迎えて、送る」。あるいは「呼んで、帰す」。あるいは「来たり、去ったり」。ここには「去来」とか「往来」とか「往還」(これは仏教用語)といった、日本人が大好きなデュアルな「行ったり来たり」の動向があります。
道のことを「往来」と呼び、手紙のことを「往来物」と呼んだのも、こうした日本人の好きな去来観が反映します。
私は日本の社会文化の特質を見るときは、たいていこのデュアルでリバースな「出入り」に注目してきました。
とはいえ、ふだんの客の迎え送りと、正月とは異なります。正月は特別なのです。
そこには正月がハレの行事であるという認識がかかわっています。
ハレとは「晴」のことで、浄化された格別の非日常性のことです。
今日では「晴れ」は天候のいい日のことをさしますが、もともとは雨模様が長くつづいたあとに、すかっと空が晴れたときのことを意味していた言葉です。
これに対してふだんの日々はケにあたります。「褻」と綴る。
柳田国男は「ハレ=殊」と「ケ=常」というふうにもみなしました。
わかりやすくは「ハレ」がフォーマル(よそゆき)、「ケ」がカジュアル(ふだん)です。
宗教社会学では「ハレ=聖」「ケ=俗」ともみなします。
このハレとケが対応して一年や一生を律していると考えるのが、日本人のライフスタイルを民俗学的にとらえた基本の見方です。
餅と「いただきます」
正月にお餅がクローズアップされるのは、もともと神饌として神々に捧げたものだからでした。
今日でも神社の多くが神饌を神前に恭しく供えます。まさにコメ信仰のあらわれのひとつです。
鏡餅はその供え餅のカジュアル化でした。
餅は蒸したモチ米に水分をまぜ、これを臼に入れて杵で搗いてつくります。
ふかふかとしておいしい餅ができますが、すぐ固まっていく。しかしカビに気をつけさえすれば、貴重な保存食になります。
古代では、餅は白鳥伝説とつながっていました。
白鳥伝説というのは、日本列島にさまざまな白鳥が毎年飛来するところから、日本人の魂は白鳥が遠くから運んでもたらしてきた穀物霊なのかもしれないと想像していたところから生まれたもので、記紀神話や昔話にいろいろの伝承が記されています。
たとえば『豊後国風土記』には、富者が正月に搗いた餅が余ったので、枝にかけて弓矢の標的として遊んだところ、その餅が白鳥と変じて飛び去った。しばらくしてその富者の田畑は荒廃して、家が没落したという話がのこっています。
餅をおろそかに扱ったため、天罰がくだったという話です。
こうした伝承がそのまま広がって、近世には「おてんとうさま」と「お米」が結びつき、「ごはん」は「いただくもの」(戴くもの)になったのです。
「いただきます」はコメ信仰がもたらした「戴きます」という行儀にちなむものなのです。
餅を「めでたいもの」として扱ったので、その後に栄えたという話もいろいろのこっています。
『大鏡』には醍醐天皇の皇子が誕生したので、50日目に餅をつくって口に含ませたところ、皇子がすくすく育ったという話があって、以降、「50日の餅」として伝わっていったとされます。
似たようなことは、『吾妻鏡』に3色餅(白・黒・赤)をつくってふるまったところ、一族が大いに栄えたという話になっている。餅は決して粗末に扱ってはならないのです。
これらは全国の団子餅の起源となったもので、そこに「あんこ」(餡)をまぶしたり、中に詰めこんだり、あるいはちょっと炙って甘み醤油をかけたりして(みたらし団子)、餅文化をたのしみました。
稲魂から餅のことまで話がすすんできましたが、ここに「イノリ」が「ミノリ」につながった歴史が累々と積み重なっています。
イノリ(祈り)は土地や植物や稲魂や田の神に向けられたもの、そこには産土を敬うものがあります。
大地へのイノリであって、育まれるものへの祈りです。ミノリ(稔り・実り)は充実や充填をあらわします。
成熟であって、実現です。
このたわわの稔りに対して、祈ってきた者たちの感謝がおこってきたのでした。
それは収穫の歓びであり、次の1年のサイクルの再起動を誓わせます。
ここでふたたびイノリとミノリが交歓されます。
さらに連載記事<日本人なのに「日本文化」を知らなすぎる…「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった「日本とは何か」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。
松岡 正剛(仏教学者)