2025年02月28日

「人のせいにする教育から自己決定できる教育へ…」

「人のせいにする教育から自己決定できる教育へ…」松坂桃李さん主演のドラマ「御上先生」監修のアドバイザーが講演会で教育制度の変革を訴え 長野・上田市
2/27(木) SBC信越放送

学校教育のあり方を問う話題のドラマ「御上(みかみ)先生」。
そのドラマの監修も務めている教育アドバイザーが26日、上田市で講演しました。

教育関係者などおよそ230人が拍手で迎えたのは、教育アドバイザーの工藤勇一(くどうゆういち)さん。
工藤さんは、松坂桃李さんが主演してSBCで放送中のドラマで、日本の教育のあり方を問う「御上先生」の学校教育監修を手掛けています。

都内の中学校などで校長を務めていた際には、定期テストや宿題を廃止するなど学校改革にも取り組んできました。

工藤さん:
「教育というのはキーワードは自己決定です。
子どもの自己決定をどれだけ繰り返すことができるように支援をするか。
これが教育なのに、自己決定させなければ人のせいにする子どもしか育ちません」

急速に進むデジタル化や人口減少など社会構造が変化し、先が見通せない時代を生きる上で、自分で物事を判断し、行動に移す能力が欠かせないという工藤さん。

しかし今の日本の教育は、教師や親が子どもに手をかけすぎて、主体性が育たないと指摘します。

工藤さん:
「特に日本の教育は社会性を重視して、人に迷惑をかけるなということをものすごく重視する教育なので、あれをするなこれをするな、そうすると子どもたちはそのうちこう聞いてきます。
お母さんこれやっていいのと聞きます。
なぜかというと臆病になってしまうので、リスクを負うことをやりたがらないから、やっていいかと確認をとるんですね。
人のせいにできますよね、自分で決定してないので。人のせいにできるという教育ですね」

教育する側から押し付けるのではなく、子どもが何を学びたいか選べる仕組みづくりが重要と話しました。

工藤さん:
「僕らは命令形をやめようって決めたんですよ。
そこで考えたのがこの3つのセリフですね。
飛び出していった子どもをつかまえて『どうした』って『あの先生大嫌いだから』ってめちゃくちゃなこと言うんですよ。
それに対して『どうするよこの後』っていうと、びっくりしますね。
子ども言われたことないんですよ。
でも自己決定した子どもは先生に感謝するんですよ。
その場所を僕らは与えてあげるってことをやっていくんですね」

根本的に国の教育制度の在り方を変えていく必要があると訴える工藤さん。

そのうえで教員一人一人が教育とは何か主体的に考えることで日本を変えていけるとメッセージを送りました。

信越放送
posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「本を読んでも何も残ってない」…勉強熱心な人ほど犯しやすい「絶対にしてはいけないこと」

「本を読んでも何も残ってない」…勉強熱心な人ほど犯しやすい「絶対にしてはいけないこと」
2/27(木) 現代ビジネス:哲学者・山野弘樹さん

先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。
でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう

気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。
※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。

「何も考えられていなかった」学生時代の体験

実は昔、「考えるってどういうことなのか」という問題に強烈な仕方で直面したことがありました。
この実体験は、「考える」という営みについて根本的に考え直すきっかけを私に与えてくれたものなので、このエピソードをお話しすることを通して、「考えるとは何をすることなのか」という問いに答えていきます。

私は勉強があまり得意ではなかったのですが、高校生のときから世界史の授業だけは好きでした。
まるでたくさんの映画を観ているような気持ちで学ぶことができたのです。
そんな私が上智大学の史学科に入れたことは幸運なことでした。
そしておそらく、私は史学科生の中でもとりわけ真面目に講義を受講していた学生の一人でした。

私は大学という環境で自分の知力を高めていくために、とにかくたくさんの本を読もうと決心しました。
そして、今思い出すと恥ずかしいのですが、私は古本屋で買いあさった本を片っ端から読んでいくと、それを次々に塔のように積み上げていったのです。

読了した本の高さが高くなればなるほど、私は自分の知力も向上しているような気がしました。
今思えばただの自己満足なのですが、当時はその光景を見ると、心の底から満足することができたのです。

大学2年生の夏休みのある日、私は友人と3人で大阪旅行に行きました。
私は東京駅から友人と新幹線に乗り、お喋しゃべりをしながら大阪に着くのを楽しみにしていました。
そのときにも、当時読み進めていた歴史学の本を持参していました。

道中、「何を読んでいるの」という話になり、その本の内容を紹介しているうちに、私は話の流れで「17世紀のヨーロッパは進歩していた」と述べました。
それに対して、その友達が次のように質問をしてきたのです。
「どうして17世紀のヨーロッパが進歩していたと言えるのか?」。

本を読んでいる「つもり」になっていた

今思えば、例えば科学史や政治史の観点から「進歩」について何らかの説明を加えるということもできたように思います。
ですが、すっかり「読書愛好家」になっていた私の頭は、「その話は、どの本の何ページに書いてあっただろうか?」という発想しかできなくなってしまっていました。
まるで様々な著者の主張を切り張りしたかのような頭の中身だったのです。

しかも人間の記憶力は脆弱なので、本に書かれている表現がどのようなものであったのかを覚えているわけがありません(終始「えーっと、あの本にはなんて書いてあったかな……」という状態です)。
すなわち、このときになって、初めて私は「自分の頭で何かを考える」ということがまるでできないという事実に直面することになったのです。

それでは、私はその間、一体何をしていたと言うのでしょうか?

さらに連載記事<「何を、どのように勉強すれば良いのか」…意外と知られていない「思考力を高める方法」>では、地頭を鍛える方法について解説しています。ぜひご覧ください。

山野 弘樹(哲学研究者)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする