2025年03月01日

都内ではスギ花粉の飛散がピーク入り 今年の傾向と対策を紹介

都内ではスギ花粉の飛散がピーク入り 今年の傾向と対策を紹介
2025年03月01日 集英社オンライン

春めき始めた都内ではスギ花粉の飛散がピーク入り。今や国民病とも言える「花粉症」、今年の傾向や対策について、花粉症治療に詳しい日本医科大学学院医学研究科の大久保公裕先生に話を聞いた。

■花粉症が低年齢層で増えているのは外遊びをしなくなったから

くしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどつらい花粉症の症状。花粉症とは、スギやヒノキなどの花粉が体内に入った際に起こるアレルギー性の症状のことを指す。

花粉が鼻や目の粘膜に入ると、体が異物(アレルゲン)と認識し、ヒスタミン等のアレルギー症状の原因物質が生成される。原因物質が神経や血管に作用、くしゃみや鼻水、目のかゆみなどが引き起こされるのだ。

環境省による「花粉症環境保険マニュアル2022」(10年毎に調査を実施)によると、全国の耳鼻咽喉科医とその家族を対象とした鼻アレルギーの全国調査では、花粉症の有病率は、1998年は19.6%、2008年は29.8%、2019年は42.5%で10年ごとにほぼ10%増加している。

特に低年齢層で有病率が増加している理由のひとつに、生活様式や食生活の変化が関わっているようだ。大久保医師が解説する。

「子どもの花粉症が増えたのにはさまざまな原因はありますが、一番は生活様式の変化です。今の子どもたちは外遊びの時間が減って、砂場で遊んだり、土のグラウンドでドロドロになって遊んだりということは少なくなっています。外の細菌と触れる機会が少なくなり、免疫に変化に生じてしまい、花粉に免疫反応を起こす子が多くなったと言われています。

今後ますます花粉症の子どもは増えていくので、全体的に花粉症の有病率は上がっていくことは確実です」(大久保公裕先生、以下同)

■温暖化により高止まりする飛散量

東京都が発表している令和6年度東京都花粉症対策検討委員会の飛散花粉数の経年変化(図1)によると、2023年からほぼ横ばいになっているのがわかる。

「夏が暑かった翌年はよく飛散する」「表裏がある(飛散量が多かった翌年は少ない)」と言われているが、近年異常な暑さが続く影響で、飛散量は高止まりしてしまっているのだ。

「花粉症の大きな原因となっているのは、1960年頃に最も多く植えられたスギとヒノキの人工林です。これらの木が生長し、成木の割合が増えていて、花粉がたくさん飛ぶのです。極端な話これらのスギが花粉を出すのをやめる2100年頃には花粉症患者は減るのではないでしょうか(笑)。
つまり今、日本で生きる我々にとって花粉から逃れる術はありません」

■加湿器を活用して室内の花粉の飛散を防ぐ

では気になる対策だが、外出時はマスクやメガネなどで体内に入り込むのは防ぐ、外出から帰ったら玄関先で花粉を払い室内に持ち込まないようにする以外に、できることがあるのだろうか?

「花粉は気をつけていても室内にも入り込みます。ただし加湿ができれば花粉は地面に落ちて飛散しません。室内が乾燥していると花粉が舞い、症状が出やすくなります。朝起きてすぐに花粉の症状がつらい人にはまず加湿器の使用をオススメします」

食生活では、腸内環境を整え免疫機能を正常なバランスに保つ食品を摂ることが花粉症対策に有効と言われている。

「研究でわかっているのは、腸内環境を整えるもの、例えば乳酸菌を含む食べ物、納豆などの発酵食、抗酸化作用のあるポリフェノールを含むココアやべにふうき茶などを摂ることで花粉症の予防につながります。免疫機能を正常なバランスに保つことが大切です」

■市販薬は第2世代の抗ヒスタミン薬を

一度発症すると、ずっとつきあっていかなければならない花粉症。
レーザー治療などさまざまな治療方法がある中で注目されているのが「舌下免疫療法」だ。

アレルギーの原因物質(スギ花粉など)を含んだ錠剤を1日1回、舌の下に1分間保持した後、飲み込むという治療法で、3年くらい継続しての治療が必要だ。

「3年以上と時間はかかり、薬を飲み続けないといけませんが、アレルギー症状のある人は試してみる価値はあると思います。特に子どもの頃から始めれば大人になってから症状に悩む時間を減らせるため、小さなお子さんにはオススメです。」

舌下免疫療法は花粉が飛散するシーズンの前に治療を始める必要があり、時間がかかるため、季節中の花粉症の対策としては、やはり薬の服用や点眼薬が一般的だ。

特に鼻水がとまらない、ムズムズするなど鼻の症状は、生活クオリティの低下や仕事のパフォーマンスに影響する場合があるので、内服薬に頼りたいところ。

「根治を目指すなら舌下免疫療法、重症患者は病院に来ていただきたいというのが大前提です。だけど花粉症に悩む全国民が耳鼻咽喉科に来られても困るのも本音。国としても軽症の患者はOTC薬(市販薬)で対処してほしいという思惑があり、第二世代の抗ヒスタミン薬を市販薬として解禁しました」

では市販薬では何がいいのだろうか。ドラッグストアにはさまざまな薬が並んでいる。

筆者の同僚に話を聞くと、

「鼻水を止める薬ってなんだか口の中が乾くイメージがある」(50代男性)

「花粉症の薬を飲むと、眠気が襲ってきて、午後の会議などで仕事にならない」(40代・男性)

というマイナスなイメージをもっている人が多いのだが、だが実際にはこれらの症状は、第1世代の抗ヒスタミン薬の特徴だ。

「アレジオン、アレグラ、クラリチンEXなど第2世代の抗ヒスタミン薬は眠くなりにくく、口も乾きづらいので、学校や仕事などがある現役世代にとっては第2世代が抗ヒスタミン薬のほうがいいと思います」(大久保先生)

実際に「花粉や黄砂など刺激の多いシーズンやじんましんが出そうなときの対応として、抗ヒスタミン薬を取り入れています。なので、以前は処方箋だったのが薬局で購入できるようになったのはうれしい限り」(50代・男性)という声もある。

「服用は症状がひどくなってからではなく、早めに飲み始めてください。また、もちろん症状がつらい場合は専門のクリニックを受診しましょう」(大久保先生)

花粉症は春に限らず、夏や秋も発症する。自宅は加湿をきちんとして、食生活は腸内環境を整える食事を心がけ、日中は花粉症薬を服用し、花粉症に負けない体づくりを心がけよう。

取材・文/百田なつき
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2025年03月02日

なぜ災害時にデマ生まれる?

災害時、SNSで飛び交うデマに惑わされないために知っておきたいこと。被災地入りしたボランティアがデマにより窃盗グループと疑われたケースも......
2025年03月02日 週プレNEWS

2016年の熊本地震ではSNS上で「ライオンが動物園を抜け出して町を歩いている」という情報が広がり、2022年の静岡豪雨ではドローンから撮ったという現地の被害の写真が拡散された。いずれも偽情報だ。

なぜ災害時にデマは生まれ、拡散されてしまうのか? 現地のリアルなSOSを発信する活動を続けているジャーナリストの堀 潤さんと、社会学者の関谷直也さんのおふたりに話を聞いた。

* * *

■SNS時代はデマとの闘い?

地震国であり台風や水害に毎年襲われる災害大国・日本。

昨年、元日に起こった能登半島地震は各地に甚大な被害をもたらし、石川県珠洲市の一部など、いまだ水道が復旧していない地域も残されている。

インターネットが生活のインフラとなった現代は、災害と同時に誤情報や偽情報、フェイク画像もSNSで拡散され、結果、大切な情報がデマに紛れてしまう事態も起こる。

非常時において、私たちはどのような態度で情報に接すればよいのだろうか。

2月に新書『災害とデマ』を刊行したジャーナリストの堀 潤さんはこう話す。

「災害時には社会が持ついろいろな問題が凝縮して現れます。さまざまな災害現場を取材した経験をまとめておきたいと思い、本のテーマにしました。

取材していると、メディアの暴力性や権威主義的な姿勢に気づかされる瞬間があります。
メディアの中にいる立場だからこそ、自分から変えたいという気持ちはずっと持っていました。

そのためにNHKを退職し、市民メディアを立ち上げ、模索してきました。
みんなで解決策を考えたいと思いながら書いた本です」

堀さんがNHKで報道番組を担当していたときに東日本大震災が起こった。
日々、ニュースの現場に立ち、自身もTwitter(現X)で情報を発信。2012年に市民参加型ニュースサイト『8bitNews』を立ち上げ、13年にNHKを退局した。

その後はフリーランスのジャーナリストとして、東京電力福島第一原発事故を巡る検証やドキュメンタリー映画の製作、生成AIによる「認知戦」の現場取材などを続けてきた。

災害が発生すると堀さんは自分のLINE IDをSNSで公開し、「情報発信の支援が必要な人は連絡をください」と被災者に呼びかける。

「LINEには短時間で多くの切実な反応が返ってきます。そこから連絡をくださった人と直接やりとりし、どの情報が今、耳を傾けるべきSOSなのかを精査します。必要だとわかれば一緒に発信をしながら、私が現場に急行する。

玉石混交の情報の渦の中から、どれが本当のSOSなのかを見つけ、速やかに発信し、救援・支援につなげる――今の時代に必要なのは、市民の皆さんと一緒につくる、こうした報道の形だと信じて、この12年間、活動を続けてきました」

東日本大震災が発生した2011年、14.6%だったスマートフォンの個人保有率は、今や78.9%に及ぶ。
災害時に情報へアクセスしやすくなった半面、ネット上に流れる「デマ」も問題になってきた。

今やインターネットは生成AIによる認知戦の戦場と呼べる。フェイク画像、フェイクニュースがさまざまな思惑で投稿され、拡散されてゆく。

2016年の熊本地震では「動物園からライオンが逃げた」というデマが写真とともにSNSに投稿され、1時間で2万以上転載された。
その結果、熊本市動植物園には問い合わせが殺到した。
堀さんは動植物園の現場にいた松本充史さんに取材し、当時のつらい気持ちを聞いている。

「熊本県警は地震発生から3ヵ月後に、神奈川県在住の20歳の男を偽計業務妨害の疑いで逮捕しています。
災害時にデマを流した容疑で逮捕されたのは、全国でも初めてのことでした。
今や簡単にフェイク画像・情報を発信できる時代です。対策を考えるためにも、当事者と対話してみたいと思いました」

こうした思いから堀さんが取材を申し込んだのは「くろん」というハンドルネームの男性だ。

「2022年9月に静岡県を襲った台風15号関連の豪雨災害が起きたとき、静岡県内で多数の住宅が水没したという、偽の画像をSNSで拡散させた人物です。

男性はインプレッション(閲覧・表示)数が1000を超えた段階で、この画像が生成AIで作られた偽情報であると明かし、謝罪を投稿しました。
同時に、こうしたフェイク画像が簡単に作られ、拡散していく現状への警鐘だとも語っていたんです。

私はこの台風15号の現場を取材している最中だったので、本当に水害で苦しんでいる人が誤情報で傷ついたことも知っています。
一方で、この男性が言うとおり、誰もが生成AIでディープフェイクを作ることが可能になっています。
何が有効な対策なのか、この男性と対話することで、考えてみたいと思いました」

くろん氏はどのようにAIに指示を出したか、どうすればSNSで「バズる」のかについて語ったという。

「話してみると、男性は悪いことをしたとは思っていなかった。
むしろ種明かしをすることで啓蒙したと考えているようでした。

男性が言っていた対策は『よく見る・よく調べる・専門家の判断を待つ』という、基本的なことでした」


また、堀さんは「デマが人々を動かすことよりも危機感を抱かせることがある」と言う。

「ある程度のリテラシーを身につけた人たちが『情報を簡単に信じてはいけない』と距離を置くことで、本当のSOSも遠ざけてしまう可能性です。

ほかの例では、2018年の西日本豪雨の際に、窃盗グループが被災地に入ったというデマが拡散されました。
広島県警が否定しましたが、これによりボランティアを警戒する動きが出てきたのです」

SNSで偽情報を拡散した人は、良かれと思って、軽い気持ちで転載したはずだ。
けれど災害時のような緊急事態のときほど、情報の発信者や時間を確認し、冷静に判断することが必要だろう。

■災害時の「流言」にはパターンがある

デマにダマされることを恐れるあまり、必要な情報までシャットアウトするのでは本末転倒だ。
では専門家は「デマ」のメカニズムについて、どう考えているのだろうか。

『災害情報――東日本大震災からの教訓』などの著書がある、社会学者で東京大学教授の関谷直也さんは「災害時などに広がる『流言』は平安時代にもありました」と語る。

「災害時に流れる噂について、一般的に『デマ』という人もいますが、研究者はデマとは区別して『流言』と呼びます。
災害後に根拠のない話が広まるのは『流言』で、『デマ』は誰かをおとしめようと悪意を持って流されるものです。

問題となる『流言』にはいくつかの種類があります」

流言の例をいくつか挙げてみよう。

動物の異常現象など、災害を予知できたとするもの、災害の再来に関するもの、災害後の犯罪などに関するもの、人種など特定のグループに対する差別的なもの――などだ。

「災害の直後は何が起こっているかわからないので、誰もが『不安』です。
なぜこんな目に遭ったのかという『怒り』もあります。
同時に、また災害が来るぞ、気をつけろといった類いの流言を伝えて誰かの役に立ちたいという『善意』の気持ち。これら社会心理を背景に流言が広まります。

被災地に外国人窃盗団が来ているといった流言も不安や怒りだけでなく、注意喚起を促す気持ちが含まれています。
そうした流言が生まれる地域には、外国人技能実習生が増えているなど、何かしらの背景があります。
リアルな要素が災害時に不安、怒り、善意などの気持ちと結びつくことで流言になるんですね。

一方の『デマ』は誰かをおとしめるために悪意をもって伝える言説を指しますから、みんなが被災しているような状況で、特定の人物に向けたデマはあまり流れないんです」

「デマ」は「デマゴギー」の略語だ。
本来は政治的な目的で、意図的に虚偽の情報を流すことをいう。
語源は古代ギリシャの扇動的民衆指導者を表した言葉だといわれている。
一般的な虚偽情報を指す「デマ」は和製英語で、日本独特の用法だという。

「流言は多くの人が無意識に思っていること、感じていることから生まれます。
『地震の前に地震雲が出ていた』といった流言を『後予知の流言』といいますが、そこには『災害が起こることを、予測できるのではないか』という願望があるんですよね」

突然の災害が起こったとき、自分の中で納得のできる理由を求める心理が働く。同時に次に起こる災厄に対して防ぐ方策を見つけたいという思いもあるだろう。

「流言はあくまで人づてに広がります。
ある話が人を介して語り継がれるときに、無意識に持っている要素がつけ加えられ、変質していくんです」

多くの人が共有している社会的な無意識と結びついているからこそ、流言は非常時に人を惹きつける。
その言説をいきなり信じるのではなく、正誤を判断するためには、どうしたらよいのだろうか。

「『流言は智者に止まる』という、中国の思想家・荀子の言葉があります。
不確かな情報は賢い人のところで止まるという意味です。
流言を防ぐことはできません。正しいかどうか確信が持てない情報は拡散しないことをひとりひとりが心がけるのが大切です」

目の前の情報が流言のパターンにはまっていないか、信頼できる発信者なのかを確認してからでも、拡散するのは遅くないのだ。

「SNSは便利なツールですが、救助情報の発信には向いていません。現在の技術では、SNSで救助要請しても正確な位置情報がわからないので実動につながらないんです。

2017年の九州北部豪雨災害のとき、Twitterで200件ほどの救助要請があり、4200万人ほどに拡散されました。その中で実際に救助につながったのは数件です。うまくいったのは限定的なケースでした」

■現場取材の大切さ

今まで見てきたように、正誤入り乱れるインターネットの情報の海で、どうすれば良いコミュニケーションが取れるのか。

堀さんの活動に戻ろう。
届いた情報をひとつずつ精査し、自分自身が現地に足を運ぶことで、被災者の声を届け、支援につなげている。

「大事なのは小さな主語を使うことだと思っています。
『被災者は◯◯だ』と言ってしまうと、地域や立場によって『自分は違う』と感じる人が必ず出てきます。
能登半島でも、復旧の状態は一律ではありません。いろいろな事情が混在しています。

だから私は『△△に住む、◯◯さんの場合は』と、なるべく主語を小さくして報道したいんです」

小さな主語で報道するためには、取材対象への丁寧な取材と、人間関係の構築が欠かせない。堀さんのこれまでの活動があってこそだろう。

「デマ拡散の当事者である男性と話したとき、『記者が実際に災害現場に行って行なう報道活動に価値がある』と言っていました。くしくも自分が大事にしていることを言われたんです(笑)。

自分がNHKにいたからこそ思うのですが、これまでのマスメディアは権威的で裸の王様でした。
多くの人が参画しやすい環境を持ったメディアをつくることで、価値観が共有できると思っています」

堀さんの著書に掲載されている被災者の写真はどれも笑顔だ。

「現場では、被災された方々の生活者としての日常に出会います。
時に冗談を言い、笑い合い、励まし合う姿。
しかし、メディアが短絡的に切り取りがちなのは悲しみ、苦しむ『被災者』の姿です。
今こそ、愚直な姿勢で現場の本当を伝え続けたいです」

『災害とデマ』堀 潤・著 インターナショナル新書 1045円(税込)

取材・文/矢内裕子
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2025年03月03日

春の疲労・だるさの正体「自律神経の乱れ」対策5つ

春の疲労・だるさの正体「自律神経の乱れ」対策5つ
問題は「急性ストレスの慢性化」防ぐ方法とは?
<2025/03/02>
君塚 靖 : えむでぶ倶楽部ニュース編集部 記者

環境が変わることが多い春は自律神経の乱れに注意だ

心臓や胃腸の動き、体温、血圧、発汗などは、ヒトの意識とは無関係にコントロールされており、この調節を担っているのが自律神経だ。

そして、ヒトは疲れてくると自律神経系に変化が生じやすく、特に春先は要注意だという。
どんな対策が必要か、自律神経に詳しい倉恒弘彦氏(大阪公立大学医学部代謝内分泌病態内科学客員教授)に話を聞いた。

春先に自律神経が乱れやすい訳

自律神経が、文字通り「失調」した状態となる自律神経失調症とは、脳が受けたストレスが原因で自律神経のバランスが崩れ、内臓が円滑に機能しなくなった状態を指す。

疲れやすい、動悸、立ちくらみ、発汗、血圧上昇(変動)、下痢や便秘、片頭痛、肩こり、手足の冷えなど、さまざまな症状が表れる。

春先は入社や入学、異動などで環境が変わることが多いが、このような環境変化にうまく適応できないと、自律神経のバランスが崩れて失調症状が出てくる。
倉恒氏は「新しい環境に対応しようとする4月に症状が出やすいが、そこから遅れて5月の連休明けに症状が出ることもある。いわゆる五月病と呼ばれるものだ」と話す。

症状が出てから対策をとることも大事だが、今から環境の変化で起こる問題を頭に入れ、事前対策をとったほうがいい。

正常→重症化のメカニズム

自律神経には交感神経と副交感神経がある。

交感神経の活動が高まると心拍数は早くなり、血管が収縮して血圧が上昇する一方、胃腸の動きはゆるやかになる。
対して、副交感神経の活動が高まると体は逆の方向に働く。

簡単に説明すると、環境にもっとも適した状態が@正常で、自律神経が良好に保たれている状態を示す。

そして、環境が変わると交感神経の活動が活発になり、緊張状態に陥る。これがAの急性ストレスがかかった状態だ。
環境が変わったときだけでなく、職場で過剰労働をさせられたり、人間関係でトラブったりしたりしたときも同じことが起こる。

「ただ、急性ストレスは体の正常な反応で、帰宅してリラックス状態になれば@に戻る。@とAを行き来するのであれば、まったく問題ありません」(倉恒氏)

ところが、自宅にいてもリラックスができない状態が続くと、Bの慢性ストレスへと移行する。
これは交感神経、副交感神経に関係なく、自律神経の活動そのものが低下した状態だ。

「仕事を家に持ち帰って続けていたり、すごくストレスを感じる翌日のことを考えたりすると、家でも急性ストレス状態のままでリラックスできない。その状態が続くと慢性ストレスへと移行してしまう」(倉恒氏)

その倉恒氏が「もっとも重い状態」と指摘するのは、Cの疲弊状態だ。

一見、リラックスできているようだが、自律神経の活動が低下して正常な動きができなくなっている状態で、出社できなくなったり、仕事に集中できなくなって単純なミスが続いたり、夜眠れなくなったり、食欲がなくなったり……といった、まさに“うつ”のような症状が表れる。

したがってCに行かないようにすることが、自律神経の健康を保つために必要になる。
倉恒氏によると、Cに進まないための対策として、以下の点を挙げる。

・アロマ、ストレッチなどでリラックスする

・意識的に休養(休息)を取る

・十分な睡眠を取る

・活動のONとOFFをしっかりする

・朝は朝日を浴び、朝食をきちんと摂る

特に大切なのは「朝」の過ごし方

「大事なのは、自分の体調に合わせたケアをすること。
例えば運動は自律神経の正常化に役立つが、体調によってはやりすぎがかえって逆効果になる。
同じく、リラックス法も合う・合わないがあるので、自分が心地よいと思う方法を探してやってほしい」(倉恒氏)

休息にもなるのでリラックスすることは大事だが、ただだらだらと過ごすのではなく、ON・OFFの切り替えは必要だ。

「特に大切なのは朝。起きたら交感神経の駆動をかけたほうがいい。
目覚めたらカーテンを開けて朝日を浴びる。その後、熱いシャワーを2〜3分浴びればさらにスイッチが入る。朝食も欠かさないでほしい」(倉恒氏)

こうしたケアをしても、Cの状態から抜け出せない場合は、医療機関で診てもらったほうがいいとのこと。
また、すでに病院にかかっている人は、運動や日々の過ごし方について、かかりつけ医に相談したうえで実践したほうがいいそうだ。

ところで、自分が@からCのどの状態にいるのか。それを「見える化」する方法もある。

自律神経の状態を調べる手法は複数あり、倉恒氏が患者に勧めているのは「心拍変動解析」というもの。心拍計のデータを活用し、心拍間隔の周波数を分析する。保険がきかないため自費になるが、調べてくれる医療機関もある。

また最近では、手軽に計測できるスマホアプリも登場している。

ただ、倉恒氏によると、こうした機器を使わなくても、心拍数の変化を見れば、自律神経バランスの状態がある程度はわかるという。

例えば、Aの急性ストレスとBの慢性ストレスでは、心拍数が上がっていることが多い。
個人差はあるが、自宅で安静にしているときでも100を超えている場合は要注意だ。

自律神経と「睡眠の質」の関係

倉恒氏は、慢性疲労の病因・病態の解明や診断指針を作成する厚労省の研究班の代表を長年、務めてきた。
現在も、大阪公立大学医学部附属病院生活習慣病・糖尿病センターの慢性疲労外来で、診療を続けている。

その両者の経験から、「睡眠」の重要性を感じているという。

自律神経活動と、睡眠効率(中途覚醒がどの程度あったかなどの指標)の間には、正の相関関係が確認されている。
倉恒氏は、「副交感神経活動が活発になっていると、睡眠は良質になる」と指摘する。

自律神経を正常に保つためには、良質な睡眠でいかにリラックスできるかが重要だ。

寝る前にはスマホを使わないようにして、照明を落として交感神経を刺激しないようにする。
朝は、先に挙げたとおり朝日を浴び、朝食を摂ることで交感神経の活動が活発になり始める。

自律神経バランスと自律神経活動量は、24時間で同じ変動を繰り返している。
心身が健康状態にある人の自律神経バランスをみると、日中は交感神経が活性化し、寝ている間は収まっている。

対して、副交感神経は睡眠中に活動が活発になり、リラックスしている状態が続いている。

出口の見えないストレスを感じたら

先に自律神経の健康の保つための、日常生活のケアのポイントを伝えたが、そもそも「問題(ストレス)になっている環境」を変えなければ、なにも始まらない。

だが、職場での人間関係や、労働環境、仕事量、上司・部下との関係などが原因で生じるストレスは、個人の努力では解決しにくい。

従業員が50人以上いる事業所では毎年1回、ストレスチェックを実施することが義務付けられている。
ストレスチェックで「高ストレス群」と判定され、メンタルヘルス不調の兆候が強く確認された場合、産業医と面談することが推奨されている。

ストレスの出口が見えればいいが、先が見通せない場合は、こうした制度を利用して、環境を変えていくことも大事だ。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月04日

【元銀行員が教える】役所に死亡届を出したら口座は即凍結!?ATMで勝手にお金を引き出すとバレる?相続で知っておきたい「預金払戻し制度」

【元銀行員が教える】役所に死亡届を出したら口座は即凍結!?ATMで勝手にお金を引き出すとバレる?相続で知っておきたい「預金払戻し制度」
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2025年1月20日に総務省統計局から公表された「人口推計(2024年(令和6年)8月確定値。2025年(令和7年)1月概算値)(2025年1月20日公表)」によると、2025年1月1日現在、総人口は1億2359万人で、前年同月に比べて56万人減っています。
一方、65歳以上の人口は増加しており、特に75歳以上の人口は前年同月より約69万人増えています。

高齢者の増加に伴い、今後「相続」に関する問題が増えると予想されます。

本記事では、銀行口座の名義人が死亡した際の口座凍結や預金払戻し制度、口座から預金を引き出すリスクについて解説します

役所に死亡届を提出しただけで銀行口座は即凍結されない

役所に死亡届を提出しただけでは、銀行口座がすぐに凍結されるわけではありません。
実際には、親族が銀行に連絡し「口座の名義人が死亡した」と伝えた時点で口座が凍結されます。

稀なケースとして、銀行関係者が新聞の訃報や葬儀情報から名義人の死亡を知り、親族に確認して口座を凍結することもあります。

また、同じ銀行の複数の支店で取引がある場合、一度の手続きで他の支店の口座も含めて口座が凍結されることがあります。

ただし、名義人の死亡に関する情報は、他の銀行間で共有されないため、相続人は故人が取引していたすべての金融機関に届け出る必要があります。

預金口座が凍結されると引き出しができなくなる

銀行に死亡の連絡をすると、相続手続き完了するまで口座が凍結され、すべての入出金ができなくなります。

そのため、以下のような影響が生じます。

・亡くなる直前の入院費や葬儀費の清算ができない

・口座引き落としによる支払いが停止される

・振り込みによる受取ができなくなる

・電気、水道、ガス、携帯電話料金の未払いにより、延滞料の発生やライフラインが止まる可能性がある

このような影響を回避するため、事前の対策が必要です。


口座凍結前に勝手にATMで預金を引き出すリスク

銀行に死亡の届出をしない限り、口座は使用できます。

そのため、銀行へ連絡する前にATMで預金を引き出そうと考える方もいるかもしれません。

しかし、以下のようなリスクやトラブルが起こる可能性があります。

親族間でトラブルが起こる可能性がある

相続手続きをすることなく、凍結前に口座から預金を引き出す行為は、他の相続人から「不正行為」とみなされることがあります。

引き出された預金は「相続財産」として、遺産分割協議の対象となるものです。
そのため、無断で引き出すと、親族間の不信感を招き、深刻なトラブルに発展することもあります。

相続放棄ができなくなる可能性

相続では、故人の財産(プラス)の負債(マイナス)の両方を承継します。

借金が多額の場合、家庭裁判所に申述すれば「相続放棄」も可能です。

しかし、口座凍結前に名義人以外が預金を引き出すと、財産も負債も受け継ぐ「単純承認」とみなされ、相続放棄や限定承認の手続きができなくなる可能性があります。

そのため、相続財産の内容が不明な状態で預金を引き出すのは避けた方が賢明です。

しかし、葬儀費や故人の医療費など、手続きのためにまとまった資金が必要になることがあります。

次の章では、口座凍結後でも預金の一部を引き出せる「預金払戻し制度」について解説します。

「預金払戻し制度」の利用で預金の一部払い出し制度を利用する

「預金払戻し制度」とは、相続発生後に口座が凍結されても、家庭裁判所の判断を経ずに相続人が一定額を引き出せる制度です。
2019年7月に施行された「改正相続法」により新設されました。

【単独で払戻しができる金額】
払戻し可能額は、以下の計算式で決まります。

・相続開始時の預金額×1/3×払戻しをする相続人の法定相続分

ただし、1つの金融機関から払戻しが受けられるのは150万円までです。

制度新設の背景

相続が発生すると、以下のような問題が生じていました。

・口座が凍結され、預金が引き出せない

・遺産分割協議に時間がかかり、相続手続きが長引く

・葬儀費や生活費の立替額が大きく、喪主の負担が増える

このような問題を解決するため、一定額の預金を相続人が単独で引き出せるようになりました。

なお、この制度により払い戻された預金は、後日の遺産分割協議において調整されます。

「預金払戻し制度」が利用できるかどうかは、金融機関によって異なります。
事前に取引銀行へ確認しておきましょう。

相続に関するトラブルを防ぐために生前から対策をしておきましょう

相続が発生すると、口座の凍結や手続きの負担が大きくなります。

家族と話し合い、必要な制度の確認をしておきましょう。

生前から対策することで、相続後のトラブルを防ぎ、安心して手続きを進められます。


参考資料
・総務省統計局「人口推計(2024年(令和6年)8月確定値、2025年(令和7年)1月概算値)(2025年1月20日公表)」
・法務省「相続に関するルールが大きく変わります」
・一般社団法人全国銀行協会「ご存知ですか?遺産分割前の相続預金の払戻し制度」
・裁判所「司法統計年報」
・e-GOV法令検索「民法」
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2025年03月05日

サンド伊達「ビックリしてね……」能登半島地震から1年以上が経過も未だに存在し続ける避難所

サンド伊達「ビックリしてね……」能登半島地震から1年以上が経過も未だに存在し続ける避難所
3/4(火) ニッポン放送

2月22日(土)、お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおと富澤たけしがパーソナリティを務めるラジオ番組「サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送・毎週土曜13時〜15時)が放送。
テレビ番組のロケで久し振りに訪れた能登半島。震災発生から1年以上が経過した能登の現状をリスナーに向け報告する一幕があった。

サンドウィッチマン、東島衣里アナウンサー

伊達:
最近報道されてないような気がするんですけど、まだまだ家が潰れた状態のまま残っているところがいくつもあったり、もちろん仮設住宅も沢山ありましたし。
で、2024年1月1日の地震のあとに、9月に豪雨被害もあったんですよ。

富澤:はい。

伊達:
それで1階部分が流されたりとかして被害に遭ってる方が多くて。
その人達がまだね、体育館に避難してるんですよ。皆さん、知ってましたかね?

富澤:
そう。避難所が体育館にあって。「まだ避難所があるんですか?」って聞いたら、「そっちは豪雨被害の方たちが比較的入っていて」って。

伊達:
大雨の被害の方々がまだ体育館にいるっていうね。これは正直、我々知らなかったんですよ。ニュース見てるつもりでしたけど。ビックリしてね……。

能登半島地震や豪雨の報道が軽減したことにより、自身らも知り得ない被災地の現実を目の当たりにしたという。
更には現地で被災者との交流も行ったというサンドのふたりが、「トイレ使いました」と声を掛けられたとことも報告した。

伊達:
東北魂の義援金で気仙沼市に寄贈しましたトイレトレーラーが震災直後、輪島市に走って行ってくれたんですよ。

富澤:役立ってますよ。

伊達:
役立ってましたよ、凄く。「輪島市でもあのトレーラーを買おう」って、予算をあげるみたいなことを言ってましたよ。

富澤:
各県にあればね、なにかあった時に助かりますから。税金をそういところに使ってほしいですね。

自身らが開設した被災者支援のための「東北魂義援金」で購入されたトイレトレーラーが、被災地で活躍していることを伝え聞いた富澤は「もっと全国的に普及してほしい」と、強く訴えかけると共に1日も早い復興を願うのであった。
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2025年03月06日

日本社会を支配する「暗黙のルール」…日本人が呪縛されている「恐るべき慣習」の正体

日本社会を支配する「暗黙のルール」…日本人が呪縛されている「恐るべき慣習」の正体
3/5(水) 現代ビジネス

なぜ日本は停滞からなかなか抜け出せないのか? その背景には、日本社会を支配する「暗黙のルール」があったーー。
社会学者・小熊英二さんが、硬直化した日本社会の原因を鋭く分析します。

※本記事は小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書、2019年)から抜粋・編集したものです。

「社会の慣習」とは何か

本書が対象としているのは、日本社会を規定している「慣習の束」である。これを本書では、「しくみ」と呼んでいる。

慣習とは、人間の行動を規定すると同時に、行動によって形成されるものである。
たとえていえば、筆跡や歩き方、ペンの持ち方のようなものだ。
これらは、生まれた時から遺伝子で決まっているのではなく、日々の行動の蓄積で定着する。
だがいったん定着してしまうと、日々の行動を規定するようになり、変えるのはむずかしい。

人間の社会は、その社会の構成員に共有された、慣習の束で規定されている。
遺伝子で決まっているわけではなく、古代から存在するものでもないが、人々の日々の行動が蓄積され、暗黙のルールを形成する。
それは必ずしも法律などに明文化されていないが、しばしば明文化された規定よりも影響力が大きい。
ただしそれは永遠不変ではなく、人々の行動の積み重ねによって変化もする。

こうしたものは、自然科学の対象ではなかった。
自然科学は永遠不変の法則を探究する。
日々の行動の蓄積によって変化するようなものは、自然科学の対象にならない。

自然科学にあこがれて始まった社会科学も、永遠不変の法則を人間界のなかに探ろうとした。古典経済学は、その1つである。

アダム・スミスは、人間は交換によって利益を追求する永遠不変の天性があるのだ、という公理を設定した。
公理は設定するものであって、証明することはできない。
アダム・スミスも、この公理を証明しようなどとはしていない。とはいえこうした公理を出発点に据えたことで、経済学は自然科学を模倣した学問になりえた。

社会の「暗黙のルール」を探る

だが社会学という学問は、そうではなかった。
ウェーバーやジンメル、デュルケームといった社会学の始祖たちが研究対象にしたのは、1つの社会が共有している暗黙のルールだった。
古典経済学では説明できない人間の行動も、こうした暗黙のルールから説明できると彼らは主張したのである。

有名な例は、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。
ウェーバーは、当時のドイツの農場労働者が、経済学的には説明できない行動をとっていたことを指摘することから、この本を始めている。
賃金を出来高払いにしても、彼らは今日の生活に必要な分を稼いだら、それ以上働こうとはしなかったのだ。

これは不合理な行動にもみえる。とはいえ、明日には死ぬかもしれないなら、今日のうちに明日の分まで働くのは馬鹿げている。
明後日にどうなるかわからない社会で、出来高払いで労働効率があがったら、その方がむしろ不合理だ。それが合理的な行動なのは、未来が安定して続くという信念が、共有されている社会においてだけである。

ここからウェーバーは、資本を蓄積しようとする行動は、特定の未来観を暗黙のルールとして共有した社会からしか生まれないと考えた。
そこから彼は、キリスト教各宗派の未来観を調べ、プロテスタントの一派を信じる社会から資本主義が発生したと主張した。その研究の方法論としては、宗教テキストを個別的に分析して、その社会の根底的な原理を探る方法がとられた。

なおウェーバーの著作で、日本語で「倫理」と訳されているドイツ語はEthikである。
これは「エチケット」の語源としても知られる古代ギリシア語のエートスの派生語で、日々の行動の蓄積で体得された規範を指す。
ペンの持ち方やスプーンの使い方といった「エチケット」も、日々の行動の蓄積で体得し、暗黙のルールとなるものだ。

ウェーバーは、こうした集合的な慣習が、ドイツ人が生まれた時から身につけている民族性Volkscharakterであるなどとは考えなかった。
だが同時に、これが人々の行動を規定しており、一朝一夕では変えられないとも考えていた。

このような、1つの社会が共有している暗黙のルールを探る研究は、さまざまに行なわれてきた。
有名なものを挙げるなら、教育学の領域で知られるピエール・ブルデューの仕事、社会保障の領域で著名なイエスタ・エスピン‐アンデルセンの仕事などがある。

とはいえ、1つの社会を規定している「しくみ」を何と呼ぶかについては、統一的な名称はない。
ウェーバーはエートスEthikと呼び、ブルデューはハビトゥスhabitusと呼び、エスピン‐アンデルセンはレジームregimeと呼んだ。だがいずれも、日本語としてなじみのある言葉ではない。

そこで本書では、暫定的にこれを「しくみ」と呼ぶことにした。
日本の読者を相手に、ラテン語や英語を使う必要もないだろうと考えたからである。

さらに連載記事<なぜ日本は「停滞」から抜け出せないのか…その「根本的な原因」>では、日本社会を支配する「暗黙のルール」の正体に迫っていきます。ぜひご覧ください。

小熊 英二(社会学者)
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2025年03月07日

SNSを規制したところで「魔女狩り」がなくならない根本的な理由(古市憲寿)

SNSを規制したところで「魔女狩り」がなくならない根本的な理由(古市憲寿)
3/6(木) デイリー新潮

 世論が荒れている。誰かが炎上したかと思ったら、すぐに別のターゲットに火がつく。もはや「人のうわさも75時間」という時代だ。

 この世情において、改めて注目されているのがSNSである。
2024年の東京都知事選や兵庫県知事選でもSNSは選挙に大きな影響を与えたといわれている。
自民党には選挙におけるSNS規制に前のめりの議員がいる。
本当に自民党がSNS規制でもしようものなら、まさにSNS世論にまきをくべるようなもので、センスがないと思う。
「選挙に負けそうになったから新しいメディアを弾圧する既得権益集団」との烙印が押され、そのイメージを変えるのは難しいだろう。

 確かにSNSに差別やデマが溢れているのは事実だ。だが本当にそれはSNS特有の問題なのだろうか。
SNSでの誹謗中傷は「現代の魔女狩り」と呼ばれたりするが、本当の魔女狩りも、実は新しいテクノロジーの到来とともに起こった。本である。

 15世紀半ば、グーテンベルクが活版印刷を実用化したことで、本というメディアが安価で手に入るようになった。
聖書が大量に刷られ、教会が独占していたキリスト教の解釈にも疑問が呈され、それがやがて宗教改革につながった、というのは有名な話だ。

 だが本の普及には負の側面もあった。
それを象徴するのが1468年に出版された『魔女に与える鉄槌』という一冊だ。
作者のハインリヒ・クラーマーはドミニコ会の修道士。陰謀論に傾倒したヤバい人物で、サタンに率いられた魔女が世界を破壊しようとしている、と信じていた。
だが地元の教会当局はまともで、クラーマーの告発を信じず、むしろ彼に教区を離れるよう命じた。

 そこでクラーマーが書き始めたのが『魔女に与える鉄槌』だ。[
妄想と憎悪に満ちた一冊は、ヨーロッパでは記録的なベストセラーになった。
当初は聖職者も懐疑的だったが、あまりにも本が売れてしまったことで教会も態度を変えていく。
同書は増刷や翻訳が繰り返され、大量の模倣書も生み出した。
魔女狩りの原因を一冊の本だけに求めることはできないが、印刷技術が魔女狩りを過熱させ、ヨーロッパ中に広めたのは事実だろう(ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS』)。

 魔女狩りは「暗黒の中世」ではなく、近世に起きた惨劇である。
中世の迷信深い人ではなく、新しい技術が陰謀論を流布し、犠牲者を増やした。
その意味で現代のQアノンに通じる点もある。
SNS規制というなら、本などのオールドメディアも規制すべきだろう。そうでないとフェアではない。結局、人類は技術が発達しようと同じようなことを繰り返してきたのだ。

 だが希望もある。魔女狩りによる死者は少なくとも数万人といわれる。
SNSの誹謗中傷が人を殺すことはあるが、かつての魔女狩りと比べれば死者数ははるかに少ない。その意味で人類は着実に進歩している。これでも多少は平和で理性的になったのだ。


古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2025年3月6日号 掲載
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2025年03月08日

山本太郎議員「鬼畜の所業」「派遣要請を握り潰した」「解散総選挙を優先させた」能登への自衛隊派遣めぐり“怒りの追及”

山本太郎議員「鬼畜の所業」「派遣要請を握り潰した」「解散総選挙を優先させた」能登への自衛隊派遣めぐり“怒りの追及”
3/6(木) ABEMA TIMES

 6日、参議院予算委員会にて、れいわ新選組の山本太郎議員が能登半島への自衛隊派遣について追及した。

 山本議員は2024年9月に石川県能登地方において発生した記録的大雨による土砂災害を受け、11月に馳知事が自衛隊の災害派遣要請を求めたが、防衛省から緊急性・公共性・非代替性という自衛隊災害派遣の3要件を満たさないと回答された経緯を説明。

 そして「とてつもない土砂量、その撤去の多くを事実上ボランティアに丸投げすることになった。
その後、12月6日、16日、本委員会で私が総理に自衛隊派遣の検討をお願いしても『石川県から派遣要請を受けていない』の一点張り。
総理は検討することさえ拒んだ。
馳知事の大きな間違いは、被災自治体としてさっさと正式に要請すればよかったものを、災害派遣の決定権限もない自民党の重鎮たちに水面下でお伺いを立て続けたことだ」と述べ、被災自治体からの自衛隊派遣の要請を過去に断った事例が直近10年にはないことを確認した。

 その上で「政府は正式に派遣要請をされる前に知事に派遣要請を諦めさせた、握り潰したとも言える。
『そうじゃない』と言うのであれば、そもそも派遣要請も出されていないのに、一体何の権限で、防衛省幹部は『3要件に当てはまらない、まだ満たしていない』と評価して、それを大臣に伝えたのか?」として防衛省幹部の参考人招致を求めた。

 さらに「本来、県民の命を預かる知事は、こんな水面下でのお伺いなしに直接自衛隊の派遣要請をする権利あるはずだ。
自衛隊派遣が必要なほどの災害なのに、解散総選挙を優先させた、その批判をかわすために、派遣要請が出されぬよう水面下で画策することはあまりにも不適切、鬼畜の所業だ。
被災地の復旧復興を、永田町と霞ヶ関で、邪魔しないでいただきたい」と述べ、石破総理に「お弁当を届けたり、重機で泥のかき出しをしているのは災害NPOだ。
総理、もう一度知事とお話し合いいただけないか。本当に大丈夫なのかということを確認いただけないでしょうか」と要請した。

 石破総理は「私どもは鬼畜の所業をしたつもりは全くない。
今(山本)委員が言ったように、実態を常に把握するのは大事なことだ。
この国会の場で山本委員からこのような指摘を受けたので、私自身、しばしば馳知事とは連絡を取っているが、実情がどうなっているかというのを把握させてもらう」と回答。

 山本議員は「ただし、知事ははっきり言って現場を知らない。現場を見ていただきたい、総理にも。岩手の山火事にも視察に行っていただきたいし、そして能登にももう一度入っていただきたい。よろしくお願いします」と述べた。

(ABEMA NEWS)
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2025年03月09日

高齢者が悪い、若者が悪い…「自己責任論」で疲弊して誰も責任を取らなくなった日本社会の現実

高齢者が悪い、若者が悪い…「自己責任論」で疲弊して誰も責任を取らなくなった日本社会の現実
3/8(土) 現代ビジネス

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。
ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

経営とは、誰のものか。はたして、企業や社長のものなのだろうか。

〈経営を「企業のお金儲け」と同一視する「二重の間違い」も蔓延している。

経営するのは企業だけだと思い込むのは無知と傲慢のなせる業だ。
学校経営、病院経営、家庭経営……はどこに消えたのか。
むしろ世の中に経営が不足していることこそが問題なのである。
現代の学校や病院や家庭が不合理の塊なのは誰もが知っていることではないか。

また人類のさまざまな側面に関わる広義の経営において、利益・利潤や個人の効用増大が究極の目的になりえないのも明らかだ。
比較的それらを重視する企業経営においてさえ、本来それらは二次的な目的にしかなりえない。〉(『世界は経営でできている』より)

『世界は経営でできている』で気鋭の経営学者は、経営を「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だという。

そして、そのような経営はすっかりみられなくなった。

〈世界から経営が失われている。

本来の経営は失われ、その代わりに、他者を出し抜き、騙し、利用し、搾取する、刹那的で、利己主義の、俗悪な何かが世に蔓延っている。
本来の経営の地位を奪ったそれは恐るべき感染力で世間に広まった。

プラトンの時代からドラッカーの登場まで、人類史における本来の経営は「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げるさまざまな対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だったはずだ。〉(『世界は経営でできている』より)

〈しかし現代では、経営ときいて「価値創造を通じて対立を解消しながら人間の共同体を作り上げる知恵と実践」を思い浮かべる人は少数派になった。

人生のさまざまな場面において、経営の欠如は、目的と手段の転倒、手段の過大化、手段による目的の阻害……など数多くの陥穽をもたらす。〉(『世界は経営でできている』より)

経営概念、世界の見方・考え方を変えない限り、人生に不条理と不合理がもたらされ続けているのだ。

「価値は有限でしかありえない」のか?

〈日本には「価値は有限でしかありえない」という誤った観念が普及した。
(中略)
価値は有限だとする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。
いかにして価値を掠め取ったかを自慢するだけの書物が街に溢れた。
多くの人は経営の概念を誤解し経営を敵視するようになった。
そうするうちに本来の経営の概念は狡知の概念と入れ替わってしまった。

もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。
善人に対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎることになる。

こうした誤った推論により、日本の現状を誰かのせいにする言説が流行した。
若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い……。

現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往している。
自己責任論という名の、責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられてきた。
誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのようだ。〉(『世界は経営でできている』より)

価値を有限だと思い、何かを誰かと奪い合うのは、個人と社会にとって大きな損失である。

そのことを理解して、初めて日本や世界が豊かになる方法を考えることができるのかもしれない。

現代新書編集部
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2025年03月10日

自己肯定感がすごく上がって、人生が激変する「朝の習慣」ベスト・1

自己肯定感がすごく上がって、人生が激変する「朝の習慣」ベスト・1
3/9(日) ダイヤモンド・オンライン

 「人生を、劇的に変えることができたらいいのに」。
そんなふうに考えたことがある人もいるのではないだろうか。
しかし、現実はそんなに甘くない。
そのためには、「奇跡的な幸運か、死に物狂いの努力が必要に違いない」と諦めている人も少なくないだろう。
しかし、コーチングスクール「ホリシニクスアカデミー」の学長で、1分朝活グループを主宰する三宅裕之氏は、「毎日1分間日記を書くだけで、奇跡のように人生が激変する」と語る。
それは一体どのような日記なのだろうか。
三宅氏の『奇跡が起きる 毎朝1分日記』をもとに、その内容と奇跡が起こる理由を解説する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

● 「毎朝1分日記」の効果とは?

「毎朝1分間日記を書くだけで、奇跡のように人生が激変する」
そう言われた時、あなたはどう思うだろうか?

 素直に「そんなことで人生が激変するならやってみようかな」と思う人もいれば、「なんでそんなことで激変するんだ」と考えた人もいるだろう。
「そんなわけないじゃん」と一蹴した人もいるかもしれない。

 ちなみに筆者は、「なんでそんなことで激変するんだ?」と疑問に思った派だ。

 自己啓発本などで、「自分の考えをノートに書き出そう」と謳っている本は多々あるが、自分と向き合い考えを書き綴るのは、それなりに労力が必要で大変だ。

一方で、三宅氏は「1分間で書けることでいい」と語る。

 一体、1分間で何を書き、それがどのような効果をもたらすのだろうか。

● 前日の「グッド」と今日の「チャレンジ」を書くだけ

 本書によると、毎朝1分日記に書くことは、「たった2つ」だ。

・前日にあった「グッド」(よかったこと、感謝したこと、気づいたこと)

・今日やりたい「チャレンジ」(挑戦したいこと、変えたいこと)(P.49-50)

 この「グッド」と「チャレンジ」のもとになっているのは、アメリカの教育学者ピーター・クライン氏が組織を活性化するために考案した「グッド&ニュー(いいこと、新しいこと)」というゲームだそうだ。

組織のメンバーが一人ずつ、24時間以内にあった「いいこと」と「新しいこと」を発表し合い、互いに拍手を送ります。

メンバーの相互理解を深めたり、コミュニケーションが活発になったりする効果はもちろん、発表に向けて常に「いいこと・新しいこと」を探す習慣が身につくことから、メンバー一人一人のものの見方がポジティブになる効果もあることがわかっています。(P.50)

 三宅氏は「毎日1分日記では、これをさらにわかりやすくするために、『グッド&チャレンジ』に改良しました」と語る。

「ニュー」ではなく「チャレンジ」にしたのは、単に新しいだけではなく、あなた自身にとって前向きでプラスのできごとを見つけてもらうため。
また、新しくないこと、たとえばいつものメンバーによる会議などでも、そこで何かに挑戦したり、やり慣れた方法を変えたり、誰かをサポートしたりといった「チャレンジ」をしていただきたいという思いからです。(P.51)

● 「グッド」を書くために、「グッド」を探す

 そんなに毎日「グッド」な出来事はあるだろうか、と考えてしまうところではあるが、三宅氏によるとほんの小さな「グッド」で良いのだそうだ。それは次のようなものだ。

<昨日のグッドの例>

・妻のチキンカレーがおいしかった、感謝
・彼が新しい髪型を「かわいいね」と言ってくれた
・7時間ぐっすり眠れた。日中すっきり
・デスク周りのそうじができた。私エラい
・部下の和田さんの強みを具体的にほめることができた
・娘が「シチューおいしい!」と言い、おかわりしてくれた
・読みたい本をひとまずネット書店のオンラインカートに入れた
・駅のエスカレーターを使わずに階段を上ってみた(P.52-53)

 さらには、「昨日は何もグッドが無かったなぁ」という日こそ、「普段は意識していない大切なことに目を向けられる大チャンス」なのだそうだ。

あなたを支えてくれている家族や同僚の存在。勤め先の忘れかけていた魅力。
毎日仕事があるということや、健康で過ごせていること。交通機関がいつも通りに動き、快適に移動できること。(P.53)

 こうした「忘れてしまいがちだけど、実は世界中のほとんどの人々から見てうらやましく、称賛されるようなこと」はたくさんある。

 毎日「グッド」を書き出すことは、そんな「普段は意識していない大切なこと」に気づけるチャンスでもあるのだ。

● 小さなステップの積み重ねが人生を変える

 一方、「今日やりたい『チャレンジ』は、『今日はこれに挑戦するぞ、これを変えるぞ』という決意表明」と三宅氏は語る。

 「そんなに毎日、何かにチャレンジする余裕なんてないよ!」と言いたくなるところだが、別に大きなチャレンジである必要はないという。

最初のうちはほんの小さな一歩でかまいません。
目安として、日記と同様に1分間程度でできることから始めてみましょう。
「ビジネス書を読む」ではなく「最初の2ページだけ読む」。
「30分間体を動かす」ではなく「腕立て伏せを1回だけやる」。
「ダイエットをする」ではなく「ごはんをお茶わん4分の1だけ減らす」でいいのです。

もっともっと気軽にできること、たとえば「通勤経路で曲がったことのない角を曲がってみる」とか、「駅前の本屋さんで読んだことのない雑誌を立ち読みしてみる」といった、小さな小さな決意表明でも十分です。(P.54)

 確かに、この程度であれば面白がってチャレンジできそうだ。
しかし、この程度のことが本当に何か人生に影響するのだろうか。

 三宅氏によると、アメリカの作家スティーブン・ガイズは、「最初の一歩は小さければ小さいほど優れていること、そしてバカバカしいほど小さなステップの積み重ねが、やがて人生を変えるという真実を発見した」と語っているそうだ。

 「このように、自分自身で書き込んだ今日のチャレンジを毎日毎日達成し、それをグッドとして振り返ることで、自己肯定感はどんどん上がっていく」と三宅氏は説明する。

 自己肯定感が上がることで「自分はやれる」という自信が高まる。
そして、結果的に毎朝書き込むチャレンジの内容も大きなものへと変わっていくのだそうだ。

● 同じ場所で立ち止まるより、小さな一歩を重ねよう

 このような、小さな積み重ねが、自分を「動ける人」に変えてくれるという「毎朝1分日記」。

 どれだけ小さな一歩であったとしても、一歩ずつでも毎日動けば、1年後、2年後に人は思わぬところまで進んでいける。

 一方で、動かない人はいつまでも同じ場所にとどまることになる。その差は歴然だ。

 大きな奇跡が起きなくても、死ぬような思いで努力をしなくても、きっと人は変わっていける。

 毎朝1分日記はそう思わせてくれる力を持っているものだった。

 さてはて、実際に人生は変わるのか? 早速明日から試してみたいと思う。


ダイヤモンド社書籍オンライン編集部
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2025年03月11日

大阪万博の“2億円トイレ“に「怒りで震えています」「明細を国民に見せて」元宝塚女優が大激怒

大阪万博の“2億円トイレ“に「怒りで震えています」「明細を国民に見せて」元宝塚女優が大激怒
3/10(月) 毬谷友子のXから

 宝塚歌劇団出身の女優毬谷友子(64)が10日、X(旧ツイッター)を更新。
4月13日から開幕する「大阪・関西万博2025」のトイレについて私見を述べた。

 「これがなんだかわかりますか? 2億円かけて作られた 万博のトイレだそうです」と書き出した上で、万博のトイレとみられる写真を公開。
続けて「さすがに我慢の限界です。怒りで震えています。明細を国民に見せて下さい」と投げかけた。

 さらに別の投稿では「何処かの運動会の仮説トイレかと思った」「大型台風が来たら、あっという間に吹き飛ぶのではないでしょうか?」「しかも、よく見ると 男女兼用の個室ばかり並んでいます。。。。ありえない。
犯罪に狙われたらどうするのでしょうか。。」などと連投した。

 一連の投稿に対し「万博のトイレ 2億円ですか トイレだけでどれだけの中抜きがあるんでしょうね」「どうせ行く気は無いから どんなトイレでも かまわないけど さすがに、これは ぼったくりと中抜きね!」「日本の2億円には重みが全く無いのですね…いくら何でもこれが2億円って。。。明細書を出して欲しいです」などと書き込まれていた。

 吉村洋文大阪府知事は先月21日、Xで2億円かかるなどと指摘されている大阪・関西万博のトイレについて言及。
吉村氏は「万博トイレ2億円!について説明します」と書き出し、「まず小さいトイレでなく大規模トイレです。2箇所あり、平米単価は77万円と64万円です。
建設物価調査会の調査では21〜22年の公共トイレ施設の平米単価は98万円です」とつづった。

 そして「このトイレは若手建築家256点の中から公募で選ばれました。若手建築家が魂を込めたトイレです」などと説明していた。
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2025年03月12日

糖尿病は「治せる」、しかも意外に速く、必要なことや血糖値がすぐ改善しやすい人とは

糖尿病は「治せる」、しかも意外に速く、必要なことや血糖値がすぐ改善しやすい人とは
3/11(火) ナショナル ジオグラフィック日本版

薬を使わずに血糖値が正常な状態が続く「寛解」は可能

血糖値の管理は、すべての糖尿病患者にとって極めて重要だ。
糖尿病は慢性疾患であり、多くの場合、生涯にわたる薬物治療が必要となる。
ただし多くの人にとって、2型糖尿病は食事、運動、睡眠習慣の改善によって逆転させられる。(Sébastien Agnetti)

 糖尿病は体を弱らせて生命を脅かす慢性疾患であり、失明、腎不全、心疾患のリスクを高める。
しかし近年、この病気が必ずしも一生付き合わなければならないものではないことが明らかになりつつある。

 世界保健機関(WHO)によれば、世界では8億3000万人以上が糖尿病を患っており、そのうち95%以上が2型糖尿病だ。2型糖尿病は、1型とは異なり、成人になってから発症する傾向にある。
また、米国人の約3分の1が糖尿病予備群だが、そのうち80%以上は自分がそうだと気づいていない(編注:日本の厚生労働省の「令和5年国民健康・栄養調査」では「糖尿病が強く疑われる者」の割合は男性16.8%、女性8.9%)。

「2型糖尿病とは、たとえて言うなら自宅にシロアリがいるようなものです。最初はあまり症状が出ませんが、時間がたつにつれ、内部に深刻なダメージを与えるようになるのです」と、米ジョスリン糖尿病センターの医師オサマ・ハムディ氏は言う。

「しかし幸いなことに、早期の発見と介入によって、病状の進行を逆転させたり、寛解(症状が軽くなったり消えたりした状態)を促したりできることがわかってきました」と氏は話す。

 2型糖尿病の進行を逆転させるために必要なことや、寛解が一般に想像されるよりも早く起こり得る理由について、以下に説明しよう。

2型糖尿病はなぜ起こる?

 2型糖尿病は、インスリン抵抗性(効きにくくなった状態)やインスリン分泌の異常によって引き起こされる。

 インスリンとは、食べたものが分解されてブドウ糖(グルコース)になり、血液中に入った際に膵臓から分泌されるホルモンのことだ。
インスリンが血液中のブドウ糖(血糖)を細胞内に取り込ませるおかげで、細胞にエネルギーが供給される。この働きにより、血糖値が下がる。

「2型糖尿病になると、このプロセスが適切に機能しません」と、米ネブラスカ大学医療センターの糖尿病・内分泌・代謝部門助教、シドニー・ブラウント氏は説明する。

 細胞でインスリン抵抗性が起きたり、膵臓が十分なインスリンを作れなかったりすると、血液中の余分なブドウ糖が臓器や全身の血管にダメージを与える。

po「血管の損傷こそが、糖尿病が四肢切断、勃起不全、透析、認知症、失明、心臓発作、脳卒中の主要な原因となる理由なのです」と、米テキサス大学医学部准教授エリザベス・ボーン氏は言う。糖尿病はまた、腎臓病、神経障害、数種類のがんの原因にもなる。

 ただし幸いなのは、「2型糖尿病の原因の大部分が、元に戻せる代謝異常であること」だと、米タフツ大学フリードマン栄養科学政策学部のフード・イズ・メディスン研究所所長であり、心臓専門医でもあるダリウシュ・モザファリアン氏は述べている。

 これはつまり、適度な減量、ストレスを減らす、健康的な食事、そして運動量を増やすことなどが、「臓器や組織の正常な機能を回復させるうえで役立つ」ことを意味するのだと氏は言う。

なぜ減量は糖尿病を逆転させうるのか

 減量は糖尿病の寛解を促す最も効果的な方法だ。
なぜなら「インスリン抵抗性が内臓脂肪の多さと密接に関連している」からだと、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校デビッド・ゲフィン医科大学院の教授であるO・ケンリック・ドゥルー氏は言う。


 そのメカニズムは完全には解明されていないものの、「内臓脂肪は、血液中のブドウ糖を吸収する臓器と影響し合うことで、2型糖尿病につながるインスリン抵抗性をそれらの臓器に引き起こすことがわかっています」と、ドゥルー氏は言う。

 この関係は、BMI(体格指数)が高いと2型糖尿病のリスクが大幅に上昇することを示す長期的な研究によっても裏付けられている。

 一方、減量と運動による生活改善でBMIが10%減るとインスリン感受性が57%上昇することを示した研究や、7%以上の減量で糖尿病の発生率が58%下がることを示した研究もある。

 ただし、BMIが必ずしも健康状態を総合的に測る最善の指標になるわけではないと、専門家は強調している。

おすすめの運動は

 運動も糖尿病に大きな影響を与える。
なぜなら、「体を動かすことは体重の減少につながり、また筋肉を強化して、血液中のブドウ糖をより取り込みやすくする」からだと、ドゥルー氏は言う。

 運動はまた、血流からブドウ糖を取り込む筋肉細胞の能力を高めてインスリン感受性を向上させる。
「だからこそ、私はいつも食後の散歩を勧めているのです」とボーン氏は言う。

 米国糖尿病学会は、中程度の強さの運動を週に少なくとも2時間半、高強度の運動ならその半分の時間(1時間15分)行い、そこに週に2回以上の筋力トレーニングを加えることを推奨している。

食事と生活習慣

 食事の内容を変えることもまた、「食後の血糖値の急上昇を抑え、消化を遅くすることによって」血糖値の改善につながると、ボーン氏は言う。

 食事の改善点としてはたとえば、総カロリー摂取量を減らすことや、体内で血糖値を急上昇させる可能性がある白いパン、白米、白いパスタなどの精製された穀物の摂取を制限することなどが挙げられる。

「また、添加された糖分の摂取を完全にやめることも重要です。添加糖類はエンプティーカロリー(栄養価のないカロリー)であり、GI値(食後の血糖値の上昇度)が高いからです」とハムディ氏は付け加える。

 トルティーヤ、クラッカー、麺類、一部のシリアル、トウモロコシやジャガイモといったでんぷん質の野菜などもGI値が高く、摂取を控えた方がよい食品に含まれる。

 食物繊維とタンパク質の摂取量を増やすことも重要だ。
食物繊維はブドウ糖の吸収を遅らせ、満腹感を高める効果があり、タンパク質は筋肉量を増やすのに役立つ。

「加工度が低く、脂肪分の少ない肉を選ぶようにしましょう」とボーン氏は言う。
「また、1日にコップ8杯分の水を飲むことを心がけてください。水は腎臓が余分な糖を排出するのを助けます」

 減量や食生活の変化に加えて、生活習慣の改善も欠かせない。「睡眠不足や過度なストレスは血糖値を上昇させます。1日7〜9時間は睡眠時間を確保し、リラックス法を実践してストレスを軽減しましょう」とボーン氏は話す。

 これらすべてに取り組むことが「最良の結果につながります」と、米スタンフォード大学の内分泌学者で糖尿病の治療を専門とするサン・キム氏は言う。

2型糖尿病の逆転にかかる期間は

 こうした多角的なアプローチの効果は十分に証明されており、ハムディ氏によると、ジョスリン糖尿病センターでは糖尿病の寛解に特化したプログラムが開発されているという。
「このプログラムに参加した患者の80%は、2年以内に糖尿病の寛解を達成しています」

 また、糖尿病の逆転にそれほど長い期間がかからない人もいる。
「糖尿病を患う期間が短く、減量率が高いほど、よりよい結果が得られます」とハムディ氏は言う。

 実際、2型糖尿病の発症リスクをもたらした元々の原因である余分な体重を減らせば、数日から数週間で血糖値が寛解レベルに達する可能性もあると、氏は述べている。

 血糖値の急上昇が食生活によって引き起こされている場合には、食事の改善でも同様の効果が得られる。
「2型糖尿病と診断されてから日が浅い人は、食事を変えることで急速に血糖値を正常化できる可能性があります」とキム氏は言う。
「特に、1日に炭酸飲料を6本飲むような習慣を突然やめた場合などには、大きな効果が期待できます」

 ただし、血糖値を健康的なレベルに戻すのは始まりに過ぎない。
糖尿病が寛解とみなされるのは、「血糖値が糖尿病の診断基準を下回る状態が、糖尿病の薬を使うことなく少なくとも3カ月間続いた場合です」とキム氏は言う。

 つまり、寛解レベルの血糖値を達成したうえで、それを維持する必要があるのだ。
しかも、体重が大幅に増えたり、不健康な食生活に戻ったりした場合には再発の可能性もある。

「2型糖尿病は予防できるということを、くれぐれも忘れないでください」とブラウント氏は言う。
「予防こそが最良の薬なのです」

文=Daryl Austin/訳=北村京子
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2025年03月13日

サラリーマンに大ピンチ! 退職金増税であなたの退職金はいくら減る? 政府の説明に専門家は「詭弁、ないしはウソ」と断言

サラリーマンに大ピンチ! 退職金増税であなたの退職金はいくら減る? 政府の説明に専門家は「詭弁、ないしはウソ」と断言
3/12(水) デイリー新潮

 給与所得者を狙い撃ちする「退職金増税」、いわゆる“サラリーマン増税”について石破茂首相が国会で言及した。
そもそも退職金税制とはどのような仕組みなのか。
なぜ財務省は「優遇制度見直し」を諦めないのか。
「雇用の流動化が促進される」という説明について、専門家は「詭弁、ないしはウソ」と断言する。

 ***
 財務省がもくろむ「退職金税制の見直し」についての質問が国会で飛んだのは、3月5日のこと。

「拙速な見直しはいたしませんが、慎重な上に適切な見直しをすべきだ」
 石破首相はそう答弁し、将来的な見直しを否定しなかったのだった。

 現行制度では、退職金から控除額を差し引いた金額の2分の1に所得税と住民税が課せられる。勤続20年までは1年あたり40万円の控除額だが、勤続20年を超えると、控除額が毎年70万円に拡大される。

 この「勤続20年の壁」を取り払い、20年以降も控除額を一律40万円とする案などがこれまで検討されてきた。
もちろん、当の退職者にとっては大幅な増税となる。

退職所得に課税の軽減措置が取られている理由

 税理士で「不公平な税制をただす会」共同代表の浦野広明氏が解説する。

「退職所得に課税の軽減措置が取られているのは、退職金が会社に長年勤務したことに対するねぎらいであるとともに、老後の生活資金だからです。
また、他の所得などと合算して課税してしまうとその年の所得だけが跳ね上がり、納税額が増えてしまうのは不適当だからという配慮もあります」

 最近は早期退職制度で割増金が上乗せされることがあるが、その割増金も「退職金」に含まれる。
小規模企業共済や個人型確定拠出年金(iDeCo)など、契約に基づいて受け取る一時金も同様である。

退職金2000万円の場合、101万円の増税

「政府が退職金課税の軽減措置の見直しを検討している背景には、労働市場が流動化し、転職する人が増えていて実態にそぐわないこと、また成長分野への労働移動の円滑化を目指すという目的もあるようです」
 と、浦野氏が続けて語る。

「報道を見ていると、勤続20年を超えた場合でも退職所得控除を1年あたり40万円に据え置くよう見直すことばかりが注目されていて、『2分の1課税』についてはほとんど言及されていません。
この『2分の1課税』もなくなる可能性は大いにあります」

 退職金への税金は退職金から控除額を差し引いた“2分の1”に課せられる。
この「2分の1課税」が撤廃されると、退職金から控除額を差し引いた金額全てに税金が課せられることになる。
それに加えて控除額優遇もなくなった場合のシミュレーションは以下の通りである。

「勤続38年、退職金2000万円だと、現行制度での退職所得控除額は〈40万円×20年〉+〈70万円×18年〉=2060万円ですから、納税額は0円。
一方、見直し後(2分の1課税もなくなる場合)の退職所得控除額は〈40万円×38年〉=1520万円まで引き下がり、2000万円-1520万円=480万円が課税対象となり、所得税は53万2500円、住民税は48万円で、合計101万2500円の増税となります」(同)

「2分の1課税」の優遇措置が残されたとしても約40万円の増税。実際に見直しが実行される際には「激変緩和措置」が取られるようだが、当事者にとっては看過し難い負担増である。

「国の増収額は2000億円から5000億円」

 一方、
「平均的なサラリーマンの増税額がおよそ40万円だとすると、国の増収額は2000億円から5000億円ほどになるでしょう」

 そう話すのは、京都大学大学院教授で元内閣官房参与の藤井聡氏。同氏は、この見直しにより「雇用の流動化が促進される」という政府の展望に疑問を投げかける。

「そもそも人が『転職するか否か』という重い決断をするにあたっては、実にさまざまな要因が存在します。
現状への不満、新天地への期待が主要因であると考えられますが、『退職金の課税額』がその中で主要な役割を果たすとは到底考えられません。
従って、『雇用の流動化』は相当に無理のある理由であり、おおむね詭弁、ないしはウソと断定せざるを得ない」

 3月13日発売の「週刊新潮」では、増税ばかり推し進めようとする財務省の思惑について詳しく解説する。

「週刊新潮」2025年3月20日号 掲載

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2025年03月14日

「日本財政破綻は真っ赤な噓」「ただ搾取で終わるのに憤り」勢い増す怒りの財務省解体デ

「日本財政破綻は真っ赤な噓」「ただ搾取で終わるのに憤り」勢い増す怒りの財務省解体デモ
3/13(木) 産経新聞

東京・霞が関の財務省前で同省の政策を批判するデモが12日夕に開かれ、参加者が減税や積極財政主義への転換を口々に訴えた。
同様の活動は複数の個人・団体によって行われ、地方にも広がっている。

「財務省解体デモ」としてネットでも注目が高まり、石破茂首相も国会で言及。「反財務省」の動きが勢いを増している。


この日のデモは、「元祖!財務省前デモ」という名称で2023年9月から、活動を行っている政治経済評論家の池戸万作氏(41)が主催。

千葉県知事選に立候補した候補者が財務省前で選挙活動を始めたり、雨が強まったりするというトラブルもあったが、約30人が参加した。

池戸氏は冒頭、「『日本はこのままだと財政破綻する。だから国債発行をしてはいけない』ということがしきりに財務省を中心にいわれているが、こうしたことが真っ赤な噓だということで活動を行っている」と話した。その後、参加者が次々とマイクを握った。

千葉県の大学2年の女性(20)は「これだけ日本人が汗水たらして働いているのに、ただ搾取されて終わるのに憤りを感じた」と初めて参加した。

演説では、「1995年からの推移ではほかのG7(先進7カ国)の実質賃金は上がっているが、わが国は上がっていない。うちらばっかり、なぜお金を払わされるんだ!」と訴え、今後の選挙では減税を訴える政党に投票するよう呼び掛けた。

石破首相が4日の衆院財務金融委員会で「国民の皆さまのご不満、お怒りというものが体現されている」と述べるなど、デモの存在感が高まっているが、池戸氏は政治家への浸透を課題に挙げる。

「国会議員に関してはまだ(浸透が)薄い。国会議員が活動に出てきてもらってかまわないと思っている。

そうした活動にしていきたいし、夏の参院選で財務省を分割だったりとか、財務省関連の法律改正を訴える政党が伸びてくるような状況をつくりたい」と話した。
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2025年03月15日

「自分のやり方に固執する人」をどう説得するか?

「自分のやり方に固執する人」をどう説得するか?
変化が苦手な人には「3つのバイアス」がある
西 剛志 : 脳科学者(工学博士)、分子生物学者
2025/03/13  東洋経済オンライン


どんな職場にも、「昔ながらのやり方」を頑なに変えない困った人はいるものですが、脳科学者の西剛志氏によれば、変化が苦手な人には特有の3つのバイアスがあるそうです。

自分のやり方に固執する人の背中をそっと押してあげるにはどんな方法があるのでしょうか。

西氏の著書『結局、どうしたら伝わるのか? 脳科学が導き出した本当に伝わるコツ』から一部を抜粋・編集して、3つのバイアスへの対処法を解説します。

「人生を変えることができるんでしょうか?」

そんな質問をされたことがあります。

質問した人は、ずっと人生を変えたいと思いながら、変えられないことに苦しんでいるというのです。

「人生を変えたい」
そう願っている人も多いと思います。

一方で、
「人生を変えることには怖さがある」

そう思っている人も多いと思います。

変化することには、期待と不安が両立しています。

だから、変わりたいけど、変われない。

仕事で何か新しいことにトライしたい。
そう思っても、これまでのやり方をなかなか変えられない人もいると思います。

転職する、結婚する、離婚する、引っ越しする……、したいけどできない。

変化することが苦手な人にはどんな脳の特性があるか、それを知ることが変化することの第一歩です。


変化が苦手な人に特有のバイアスがあります。

そのバイアスがあることを理解しておくと、他人のことでも、そしてそれが自分のことでも、変化への対策を練ることができます。

変化が苦手な人が持っているバイアスは主にこの3つです。

1 現状維持バイアスが強い
2 サンクコスト効果が強い
3 確実性効果が強い

もし会社で自分の部下や上司がこの3つのバイアスを持っているようであれば、あなたがいくら「新しいことに挑戦しよう!」「変化していくことが大切です!」と伝えたとしても、たぶん伝わっていません。

まずは、この3つのバイアス所持者かどうかを知るところからスタートです。
そのうえで、どう伝えていくかを考えていく必要があります。

長いスパンで見れば「やって後悔したほうがいい」

現状維持バイアスとは慣れ親しんだ状態を変えることを嫌う心の傾向のことをいいます。

「やらずに後悔するくらいなら、やって後悔したほうがいい」という言葉がありますが、現状維持バイアスが強い人にはこの言葉は当てはまりません。
理由は、やって後悔のほうが、やらずに後悔より痛みが大きいからです。

現状維持バイアスが生まれるのは、行動することでの後悔(痛み)を避けたいからです。
ただし、この後悔は時間軸で変わります。

人は、最近あったことを振り返るなど、短期的な視点では「やった後悔(行為後悔)」を思い出しやすいのですが、人生を振り返るといった長期的な視点では「やらなかった後悔(不行為後悔)」を思い出しやすいことがわかっています。

これは現状維持バイアスが強い人でも、その傾向があるのです。
なので、長いスパンで見ると、「やらずに後悔するくらいなら、やって後悔したほうがいい」という言葉は、正しいということになります。

後悔しないように現状維持したのに、長期的には現状維持したほうが後悔につながってしまうのです。
なので、現状維持バイアスが強い人に挑戦や変化を促すときは、時間軸を変えて、長いスパンで話をしていくことが効果的です。
(出所:『結局、どうしたら伝わるのか? 脳科学が導き出した本当に伝わるコツ』より)

ちなみに、このバイアスが相手や自分にあるかどうかを調べる方法があります。
日々の行動を観察すると、現状維持バイアスが強いかどうかがわかります。
以下の項目にあてはまるかどうか、チェックしてみてください。

現状維持バイアス度チェック】

□レストランに入ったときに定番ものを注文しがち
□最新の商品にあまり興味がない
□ファッションや髪型がここ最近変わっていない
□つい、いつもと同じ場所や宿泊先に旅行しがち
□ルーチンワークが好き

3つ以上チェックがつくようなら、現状維持バイアスが高いと思われます。

「未来」から逆算して「現在」を見る

変化が苦手な人が持っているバイアスの2つめはサンクコスト効果です。このバイアスはコツコツと努力をしてきた人ほど強く持っているバイアスです。

サンクコスト効果とは、信じてコツコツと積み上げてきたことがもし間違いだったと明らかになっても、かけてきたコストがムダになることを恐れて、いまの行動を正当化しようとする脳の働きです。

たとえば、レストランで料理を頼みすぎてしまい、途中でお腹がいっぱいになっていても、もったいないと無理して食べることも、サンクコスト効果です。

仕事で進めてきた案件が、このままだとうまくいかないと明らかになっても、ここまでやってきたのだからとストップせずに続ける選択をする。これもサンクコスト効果です。

「もうここまで来たから後戻りできない」

そんなドラマの台詞に出てきそうなバイアスが、サンクコスト効果です。

人生においても、「ここまで自分の人生で蓄積してきたものを捨ててまで新しいことに挑戦するのにはハードルがある」と考えるのも、サンクコスト効果が影響しています。

ちなみに、この場合、「現状維持バイアス×サンクコスト効果」という感じで、ひとつのバイアスだけが判断や選択に影響しているわけではなく、いろいろなバイアスがそこに影響を与えているのです。

サンクコスト効果は多くの人が持っているバイアスです。
なので、自分も、相手もサンクコスト効果を持っているという前提でいたほうがいいと思います。

「サンクコスト効果が働いている」と思ったときは、視点を変えることがポイントです。

サンクコスト効果は、いってみれば過去から現在までに視点をあてたバイアスです。でも変化は未来にあります。

この先1年後、3年後、10年後を考えたときに、目の前にあるバイアスがどう未来に影響を与えるか、を考えてみるとバイアスの影響を逃れられる可能性があります。

たとえば、このままの状態でいったら3年後にはどうなっているか? そのイメージを明確にしていきます。
変化が苦手な人には、未来に視点をあてて伝えていくのです。

過去から現在を見るのではなく、未来から逆算して現在を見るのです。それが変化をしていく第一歩です。

現状維持バイアスも、サンクコスト効果もそこから逃れるには、視点を未来に向けることです。未来から見て「いまはこのままでいいのか」を考えることなのです。
(出所:『結局、どうしたら伝わるのか? 脳科学が導き出した本当に伝わるコツ』より)

「高確率と思える」ほうを選択したくなる

変化を阻害するバイアスの3つめは確実性効果の強さです。このバイアスにはこんな特徴があります。

くじを引いて当選したら5万円がもらえるとします。そのとき、当選確率が変化するとしたら、どれが一番うれしいですか?

1 90%から100%に上がったとき
2 40%から50%に上がったとき
3 1%から11%に上がったとき

多くの人は1と答えます。あたりまえといえばあたりまえなんですが、確実にもらえるほうがうれしいわけです。

しかし、当選する確率の上がり幅が同じであっても、成功率の上昇率がまったく異なります。

1 90%から100%に上がったとき→11%の成功確率アップ
2 40%から50%に上がったとき→25%の成功確率アップ
3 1%から11%に上がったとき→1100%の成功確率アップ

確実性効果が高い人は、ビジネスの分野でも1をとる人が多くなり、2や3はほとんど選びません。

しかし、ビジネスの世界では、サブスクや動画配信、AIなど従来なかった産業やビジネスが大きく発展しています。

「成功体験」よりも、今後伸びる「可能性」

確実性効果が高い人は、過去に成功している既存のビジネスをやろうとしますが、新しいビジネスはなかなかやろうとしません。

確実性効果が低い人ほど、成功体験ではなく今後伸びる可能性があれば、そこに投資しようと思います。

結果よりも伸びる可能性を見ることで、新しいビジネスでは成功しやすくなります。
過去の成功体験に固執してしまうのも、この確実性効果によります。

成功する確率が高そうなほうを選択したくなる。
でもビジネスの場合、その確率が高いものは、その分利益が薄くなることが往々にしてあります。

また、前回の成功が今回の成功につながるかわからないケースも多々あります。

それでも、高確率と思えるほうを選択したくなる。
でも伸び率が高いもののほうが、長期的に大きな利益を生むことがあります。
こういったバイアスが選択を誤らせることもあるのです。

西 剛志 脳科学者(工学博士)、分子生物学者

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2025年03月16日

日本をこれから襲う「インフラ崩壊」…深刻な人口減少社会で「建設業界」に起きること

日本をこれから襲う「インフラ崩壊」…深刻な人口減少社会で「建設業界」に起きること
3/15(土) 現代ビジネス

この国の人口はどこまで減っていくのだろうか。
今年1年間の出生数が70万人割れになるかもしれず、大きな話題となっている。

そんな衝撃的な現実を前にしてもなお、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。

100万部ベストセラーシリーズの最新作『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。

※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。

この30年で建設投資は20兆円減少

建物や建築物というのは完成したら終わりとはいかない。
完成後にこそ真価が問われる。
だが、どこまで人口減少による将来的な需要減を織り込んでいるのかと心配になるビルや商業施設、道路などが少なくない。

国交省によれば、建物や建築物の生産高である建設投資は1992年度の約84兆円がピークだ。
2021年度は58兆4000億円となる見通しで、ピーク時より30.5%減である。生産年齢人口(15歳~64歳)がピークを迎えたのが1995年なので、おおむね生産年齢人口の減少に歩調を合わせるように縮小を続けてきたということになる。

一般財団法人建設経済研究所の「建設経済レポート」(2022年3月)によれば、建築工事受注高も長らく減少傾向にあった。2012年度以降は景気回復に伴って増加傾向に転じたが、2018年度で再び頭打ちとなっている。土木工事も2018年度以降は準大手や中堅の受注高が減っている。

本格的な人口減少社会を前にしてすでに縮小傾向を示し始めている建設業だが、生産年齢人口は今後急カーブを描きながら減少していく。普通に考えれば、建設需要が現行水準を維持することは考えづらい。

老朽化による政府投資の拡大

しかしながら、建設業の場合には明るい材料がある。
政府投資の拡大が見込まれるのだ。
社会インフラの多くが高度経済成長期以降に整備されており、老朽化が目立つようになってきた。更新が喫緊の課題となっている。

例えば、全国に約72万ヵ所ある道路橋梁の場合、建設後50年を経過する施設の割合は、2019年3月時点の27%から、2029年3月には52%へと跳ね上がる。

トンネルや港湾岸壁、水門といった河川管理施設なども大規模に手を入れなければならない時期を迎えている。
いずれも国民の安全・安心確保や社会経済活動の基盤となっている。
人口が減るからといって朽ちるに任せるわけにはいかない。

社会インフラの更新には相当な時間と膨大な予算を要するので、民間投資の縮小を幾分かはカバーするだろう。

河合 雅司(作家・ジャーナリスト)
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2025年03月17日

貯金ができないのは「年収が低いから」ではない…インフレ貧乏になっていく「安物買いの銭失い」という悪癖

貯金ができないのは「年収が低いから」ではない…インフレ貧乏になっていく「安物買いの銭失い」という悪癖
2025年03月16日 PRESIDENT Online

お金が貯まる人、貯まらない人の違いはどこにあるのか。
消費経済ジャーナリストの松崎のり子さんは「出費を抑えようと、安くていいものを手に入れようとする。それがお金が貯まらない“落とし穴”になっている」という――。

■「いいモノが安く買えた時代」は終わった

物価高が止まらない。節約できない必需品にあたるコメの売価は下がらないままだし、キャベツも白菜も相変わらず高い。
おまけに、4月にはビール大手4社が揃ってアルコール飲料を値上げする予定だ。

むろん値上げは食品だけにとどまらず、ティッシュやトイレットペーパーの値上げも予定されている。
そうなると家計のために1円でも安いものを探したいのが人情だ。
チラシを見比べたり、ネットで情報収集したりと、庶民はそのための努力を惜しまない。
今や、安さは価値そのものなのだから。

しかし、安さにも2種類あるのはご存じだろうか。
良い安さと悪い安さ、いや、正統な安さと不当な安さと書くほうが正確かもしれない。この違いを見極めておかないと、大事なお金を守れない。長らく日本では、性能がよく、かつ安いモノが手に入ったものだ。しかし、今や「安かろう、悪かろう」の時代にいよいよ突入している。

■デフレ時代、激安商品は当たり前

1900年以降のデフレ時代はなかなか給料が上がらず、その懐にあわせて安い店や業態がたくさん生まれた。
高く値をつけても売れないし、激安価格で客を引き付けるしかなかったからだ。

私たちになじみ深い100円ショップチェーンが誕生したのもその頃だ。
均一ショップの安さの理由はいくつかあるが、人件費や製作コストが安い海外生産の商品を大量に仕入れすることで原価を抑え、100円でも販売することができた。
また、利用客の支払いも現金のみにすることで、キャッシュレス決済手数料の負担もなかった。

その頃よく見かけたディスカウントストアも、商品を大量に現金買い付けすることで仕入れコストを抑え、破格の店頭価格をつけることができた。
ショップ内の品ぞろえを見てみるとさほど安くない商品も混じっていたが、目玉商品を店頭に積み上げて客を呼び込み、通常価格の商品も合わせ買いをしてもらうことで利益を確保できたのだ。

外食産業に目を向ければ、牛丼1杯が280円という時代もあった。
当時は比較的安い輸入牛肉を確保できたことや、店舗で働く人員の人件費が今より安く済んだことも大きい。
また、当時は牛丼チェーン同士で安さを競いあっていた。
「安さ」で客を惹きつけ、自分の店のファンになってもらうための先行投資のような値付けもあっただろう。

■「安さ」に正当性があった

同じく、マクドナルドのハンバーガーも長らく100円を切っていた。こちらも、原材料費や輸送費、人件費等が抑えられた時代背景とともに、安さでファミリーや学生層を取り込み、子どもの頃からハンバーガーショップに行く習慣をつけてもらうという目的もあっただろう。

ここで触れてきた業態の「安さ」には、良いとまでは言わないが、理由に正当性はある。なぜ安くなっているのかのまっとうな説明ができるからだ。

他にモノが安く売られる条件を整理すると、次のようなものが挙がるだろう。

1 大量に仕入れたために早く処分したい
2 色や味など人気がなく、売れ行きが悪い
3 消費期限・使用期限が迫っているので期限までに売り切りたい
4 パッケージの改定や、商品が廃版になるので早く店頭から処分したい
5 新製品・新サービスのスタートなので多くの人に手に取ってほしい
6 決算時期前に在庫を一掃し、売り上げの数字も立てたい

また、店側も安売りのための工夫が欠かせない

1 現金決済だけにして、そのぶん安くする(キャッシュレス対応などのコストを省く)
2 段ボール箱を切って並べるだけの陳列など、人手をかけず効率化する
3 売れ筋の商品だけに絞り込んで、あれこれ商品数を増やさない
4 人流は多いが家賃の高い立地には出店しない

安く売られる理由は一つではなく、さまざまな要因が共存するものだが、理屈がはっきりわかるような「安さ」は消費者にとっても納得がいく。
逆に、安さの理由が判然としないケースは注意したほうがいいのだ。

■「ネットだから安いのだろう」は大丈夫か

正当ではない安さ、とはどういうものだろうか。
例えば「他に比べて妙に安い」と感じる製品には一定の注意が必要だ。
たとえば、最近モバイルバッテリーの発火事故が増えていると耳にする。スマートフォン用のモバイルバッテリーが火を噴き、火災になったという例は少なくなく、消費者庁も注意喚起を行っている。

報道によれば、そういう商品は価格もかなり安めだという。
発火事故の頻発を受け、モバイルバッテリーは平成30年から電気用品安全法の規制対象となり、国内での販売にはPSEマークが必須だが、ネット通販ではそのマークがない製品も混じっているらしい。安い商品には、そうしたものが一部含まれるというのだ。

私たちは、「ネット通販では販売店よりも安く買えるのが当たり前」と考える。
店舗や販売員がいない分、安くできるはずだからというのが理由で、それは先の「正当な安さ」ともいえるのだが、そのぶん相手がどんな業者なのか見えにくい。
そこを逆手にとって、詐欺まがいの取引に使われることもある。
相場よりあえて安い商品価格を出してエサにするのだ。購入したものの商品が届かないまま業者と連絡が取れなくなったとか、お金だけならともかく、個人情報やカード番号も抜かれたのではないかと危惧されるケースもあるとか。

■「安心」は買えない

「不当」ではないが、グレーな安さもある。
冒頭でコメ高騰について書いたが、フリマアプリで市価より安くコメが売られている場合はどうだろう。
売主が生産者や販売店ならともかく、一般人の場合だと躊躇してしまう。
食品管理の基準にのっとった保存・保管などが担保されているか心配だからだ。

売り手に悪気がないとしても、その「安さ」が安心できる安さであるかは別の話になる。
品物の取引において、業者から買うよりフリマアプリなどの個人間取引の方が安いのは、業務上必要なコストが省かれるせいだ。
安い反面、販売した品物の補償なども期待できない。万が一トラブルが起きた時も、個人間で解決するしかなく、手間も時間もかかる。そのリスクも含んだ上の「安さ」だと理解しておかなくてはならないのだ。

話が変わるが、住宅ローンで固定金利にするか変動金利にするか悩んだ時に、金利差は安心料の有無と考えるといいと聞いた。
金利はこれ以上、上がりませんという長期の安心料を払う=固定金利、今後金利が上がるかもしれないが、とにかく今の安さを優先=変動金利という関係で見るとわかりやすいと。
いずれを選ぶかはローン利用者それぞれの考え次第だが、現在の金利動向を見ていると、これも「不安があるが故の安さ」の一例かもしれない。

■「安さ」を求めるほど、何かが犠牲に

デフレ時代に正当だった安さの根拠は、令和の時代には通用しなくなってしまった。
どんどん原材料費が高騰し、為替で円安が長引けば国外での生産メリットが薄れ、更には国内外の人件費は今後も上がっていくだろう。

2025年も食品を中心に値上げラッシュが起きているが、調査会社帝国データバンクのレポートでは、円安以外にも、原材料以外の包装資材を含めた値上げ、物流費や人件費などのコスト、原油や電気・ガス代などエネルギー価格などを複合要因に挙げている。

どう楽観的に見ようとしても、これらがすぐに解消するわけはなく、「安さ」を追求しようとすれば価格据え置きで量を減らすステルス戦略か、あるいは質を落とすしかない。

先日も、昔のコートを処分しようと思ったところ、明らかに今どきの服より素材や造りがいいと気づいた。それはそうだろう。
すべてのコストが上がっているのだ、価格を安くしようとすればするほど、数年前の商品より質を下げざるを得ないだろう。デフレ時代は、安いながらもよいものを消費者に届けようという経営努力が通じたものだ。
しかし、インフレ時代で安さを追求すれば、そのぶん質をある程度犠牲にせざるを得ない。

■「安物買いの銭失い」がいちばん危険

飲食店なら、まず人件費を節約する方向に動くだろう。
注文はモバイルで、配膳はロボット、社会保険料の負担が発生する長期バイトではなくスポットワーカーを雇うというように。
安めのビジネスホテルも、タオル類の交換はしてくれず、宿泊客が自らドアの外に出す光景は珍しくなくなった。
接客という「質」は、安さとともに求めてはいけない。サービス=ゼロ円の時代は過去になったのだ。

昔の洋服の話をしたが、これから生産される商品は、同じ質を保とうとすればこれまで以上に高額になるだろう。
それなら中古品を安く買ったほうがいい。
逆に、常識外れの安値を見たら、それは理屈に合わないと考えるべきだ。何らかのリスクを示す黄信号かもしれない。
先に書いたモバイルバッテリーなどのアイテムや、妙に安い食品なども同様だ。「安かろう、悪かろう」と同じ意味の言葉があったではないか、それは「安物買いの銭失い」という。
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松崎 のり子(まつざき・のりこ)
消費経済ジャーナリスト
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2025年03月18日

「ほかの国では考えられない」 日本へ移住した外国人 暮らしてみて驚いた“当たり前”とは

「ほかの国では考えられない」 日本へ移住した外国人 暮らしてみて驚いた“当たり前”とは
3/17(月) Hint-Pot

 世界的に見ても、ユニークな文化を持つ日本。
移住してくる外国人は、どのようなことに驚くのでしょうか。
2024年、外交関係を樹立して60周年を迎えたカリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴ共和国出身のニコラスさんは、日本に住んでトータル6年近くになります。
母国から約1万4400キロ離れた日本を訪れて驚いたことは、なんだったのでしょうか。
 ◇ ◇ ◇
まったく新しいカルチャーに飛び込むためJETに応募

 幼い頃から他国のさまざまなカルチャーを学ぶことが好きだという、トリニダード・トバゴ出身のニコラスさん。
ニコラスさんが日本へ移住したきっかけは、JETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Programme/語学指導等を行う外国青年招致事業)の存在を知ったことでした。

 地球のほぼ裏側に位置する日本とトリニダード・トバゴですが、日本行きへの迷いは一切なかったといいます。
それというのも、トリニダード・トバゴでは毎週、日本を紹介するドキュメンタリー番組が放送されており、ニコラスさんもよく視聴していました。

 そして、まったく違う文化を持った未知の国である日本に、とても深い関心を抱いていたといいます。
日本を「行きたい国」リストにずいぶん前から入れていたそうです。

「日本はとても遠く、なかなか簡単に行くことができません。JETプログラムへの参加は、本当にマジカルな機会を掴んだと思いました」

日本はゴミの仕分けが細かすぎる?

 こうしてALT(Assistant Language Teacher/外国語指導助手)のサポートをする仕事で、大分県に派遣されたニコラスさん。
ドキュメンタリーを観ていたこともあり、日本の文化にはある程度慣れ親しんでいましたが、日本での暮らしは当初、驚きの連続だったそうです。

「驚いたことは本当にたくさんあって数え切れませんが、ナンバー1はゴミの分別でした。
母国ではゴミを仕分けることがなく、なんでもまとめて捨てていたんです。
しかし、日本ではかなり細かく仕分ける必要があり、捨てる曜日も決まっていることに驚きました」

 多くの外国人が日本での生活で苦労することのひとつといわれるのが、ゴミの分別です。
日本では、自治体ごとに細かなルールは異なりますが、可燃ゴミや不燃ゴミの違いがわからなかったり、指定の袋を使用することを知らなかったりと、トラブルになりがちです。

 また、住んでいる場所によっては、前日の夜に出してはいけないといったルールも。
日本のゴミ分別に関する決まりの厳密さは、世界でもトップクラスだといわれています。
そのため、日本へ来る前にアメリカにも数週間滞在していたニコラスさんでも、戸惑いを隠せませんでした。

「他人のことを思いやる国民性だと思いました」

さらに、日本の交通事情にも驚いたといいます。

「日本には車、バス、電車、自転車などさまざまな交通機関があり、そこまでひどい渋滞が起こらないことにもびっくり。
電車やバスがほぼ遅れずに来るという点は、本当に素晴らしいですね。
母国では、ほとんどの人が車を使います。
自転車に乗る人はほぼいませんし、大人も子どもも歩かず車で移動します。
そのため、どこもかしこも渋滞ばかり。
日本では、通学や買い物のために歩く人が多いことにも驚きました」

 かつては、トリニダード島全域に政府が運営する鉄道がありましたが、1968年にすべて廃止され、現在は車や小型バスでの移動がほとんどだといいます。
車での移動が多いため、クラクションの音が街中に響き渡るのも日常の風景です。

「日本は、本当に静かです! クラクションの音はもちろん、バスや電車の中でうるさく話をする人がいないし、夜になったら掃除機をかけたり、洗濯機を回したりもしない。
法律で決まっているわけではなく暗黙のルールがあり、それを守っている人が多い。
ほかの国では考えられないくらい、他人のことを思いやる国民性だと思いました」

チップがないのに日本の接客はすごい

 そして、やはり驚いたのは、日本のホスピタリティの高さです。
トリニダード・トバゴのホテルやレストランでは、10〜20%程度のチップを渡す必要があります。
一方、日本ではチップ文化がないにもかかわらず、素晴らしい接客を受けることができることに感激したそう。

「ファストフード店ですらも、日本は接客が素晴らしい。チップがないのに、こんなにいいサービスを受けられるなんて、日本以外にはないと思います。
驚いたといえば、レストランで店員さんを呼ぶときに、他国なら『すみません!』とアピールする必要があります。しかし、日本では呼び出しボタンを押せばいいだけの店が多いことにびっくり。初めてそのシステムを見たときは、信じられませんでした」

 日本人にとっては当たり前のサービスでも、ニコラスさんが驚いたことはほかにも。

「コンビニエンスストアで税金が支払えるシステムが整備されている点も、驚きでした。
母国では、役所などに行かないと税金が払えないんです。日本では光熱費など、なんでもコンビニで支払えて、本当に便利だと思いました」

 日本の利便性の高さに、移住早々から度肝を抜かれていたというニコラスさん。

和栗 恵
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「人生」の選択に迷ったら…「思考実験」を「人生の岐路」で用いる方法

「人生」の選択に迷ったら…「思考実験」を「人生の岐路」で用いる方法
3/17(月) 現代ビジネス

「たとえば、全宇宙が1個のバケツだと考えてみたらどうだろう?」
「猫のかわりに人間を入れてみたらどうだろう?」

空間、重力、量子、確率……

目に見えず、手でも触れない未知のものに囲まれている人類は
とりあえずどこかに歩きはじめるため思考実験によってその正体の見当をつけてきた


思考実験とは

自然を拷問にかけ、極限まで追い込んで隠れた真理を「白状」させる行為だ。

仮説をどう立てるかも、設定をどう変えるかも、頭の中では自由自在。

だから思考実験は奇想天外で面白い。

人生の岐路でも役に立つその手法を思考実験の「名作」を通して学ぼう

*本記事は、工学博士でありながら家業の旅館の経営者(現在は旅館の経営は引退)という異色のキャリアをお持ちの榛葉豊氏の著書『思考実験 科学が生まれるとき』(講談社ブルーバックス)を抜粋、編集したものです。

思考実験を人生の岐路で用いるには

進学、就職、結婚、転職、引っ越し、手術など、人生にはさまざまな岐路があります。
受かった大学に入るか、浪人するか、それとも専門学校に進むか。
婚約者とこのまま式を挙げてもいいのだろうか。
余命2年と宣告されたが、リスクの高い手術を受けるべきだろうか。年齢と術後の生活の質を考えると……。

こうした岐路に立たされたとき、予測困難な未来に至るどの道を選ぶか、ほかには道はないのだろうかと迷い悩むのは普通のことです。
科学や人文学での理論や原理の選択と決定、そして法則の確立も、本質的にはそれらと同様です。
実験・観察によって理論を比較検討するステージに入る前に、または、実験ができない場合に、頭の中で行う吟味が思考実験でした。

では科学ではない日常の生活で、選択の問題に直面したときに、思考実験の発想を生かすにはどうしたらよいでしょうか。

考えられるのは以下のような道筋です。それぞれについてみていきましょう。

1.どんな状況か?:経験、観察、調査・情報収集

2.選択肢は何か?:アブダクション、直感

3.何が起こるか?:理系の思考実験、シミュレーション

4.どれが幸せか?:文系の思考実験

5.どれを選ぶか?:意思決定理論


1.どんな状況か?

まずは、自分の置かれている状況をできるだけ的確に認識しなくてはなりません。
そして問題はどういうところにあるのかについて、把握します。
問題解決のための困難がどういう点にあるのかの分析も必要です。

次に、その問題に類似・関連した出来事についての経験・体験を思い出します。
自分自身の体験のほか、自分以外の人や、歴史などからの情報収集も非常に大切です。
科学でいえば、過去の観察事実の収集と分類です。

2.選択肢は何か?

状況を把握したら、どのような対処法がありそうかを考えます。科学でいえば、仮説を立てることに相当します。
そのためには直感に頼ることもよくありますが、「経験の森」から仮説を思いつく、第1章で述べたアブダクションも常套手段です。そのようにして対処法をいくつか見つけ出したら、選択肢として並べます。

効用を最大化する思考実験と意思決定

3.何が起こるか?

選択肢が並べられたら、どの対処法をとると、どのような帰結になるかを予想します。
科学では、この推論が原理を吟味するための思考実験ということになります。
この部分はシミュレーションといったほうが適切なケースもあるでしょう。
思考実験なのか、シミュレーションなのか、どちらの比重が大きいかは、問題によります。
思考実験という色合いが強い場合は、その推論は、設定条件を実際よりも強く極端にしたほうがよい場合が多いでしょう。そのほうが、帰結がはっきりするからです。

4.どれが幸せか?

それぞれの選択肢について、思考実験によってその帰結が推測されたら、その帰結の、あなたにとっての「効用」を検討します。つまりは満足度です。
それは金銭的損得かもしれませんし、主観的幸福度かもしれません。効用は数値化できることもあれば、順位くらいでしか表現できないこともあるでしょう。
いずれにしても、この選択はあなたの問題なのですから、効用は他人や社会にとってではなく、あなたにとってのものでなくてはなりません。
それも、いま選択に迷って思いつめているあなたではなく、選択の結果が明らかになるであろう未来の、あるいはさらにその先の人生でのあなたにとってです。
場合によっては「幸福」というより、自分が信じるものに照らしたときの「納得度」が効用となることもあるかもしれません。

ある選択肢を採用したときの効用がどのようなものになるか考えることは、まさに文系の思考実験そのものです。
あなたが何を求めているのか、あなたはどうなったら幸せなのか。単純な思い込みを排し、状況設定をマッハのいう変化法のようにいろいろと変えて、トロッコ問題のように思考実験をして探究し、浮き彫りにするのです。
ひたすら結婚することを求めていても、あなたにとっての幸せはそこにはないのかもしれません。人生経験を積んだ将来の幸福の基準は、いまとは異なったものになっていることも考えられます。

5.どれを選ぶか?

あなたにとっての効用を吟味したら、いよいよ最終段階です。
いわゆる意思決定理論にもとづいて、選択をすることになります。
複数の選択肢からどれか一つを選び出す意思決定のしかたには、さまざまな決定原理、いわばセオリーがあります。
どのようなものがあるのかを知ることは、あなたの意思決定を出たとこ勝負のヤマ勘ではなく、一定の理論に裏打ちされたものにしてくれます。本書では、意思決定理論のさまざまな方法をご紹介いたします。

*      *      *

はじめから読む<あの時「屋根から転落した瓦職人」がいなければ「人類史上最も偉大な物理学者」は「生まれなかった」かもしれないという「衝撃の事実」>では、アインシュタインの「自由落下するエレベーター」について詳しく解説をしています。


榛葉 豊(工学博士・元旅館経営者)
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2025年03月19日

倉本聰×江原啓之「日本はブレーキのない車。感謝を忘れた心と自然破壊という悲劇」「便利であることと、豊かさは似て非なるもの」

倉本聰×江原啓之
「日本はブレーキのない車。感謝を忘れた心と自然破壊という悲劇」「便利であることと、豊かさは似て非なるもの」
3/18(火) 婦人公論.jp

北海道・富良野の大自然の中に暮らす倉本聰さんを、江原啓之さんが訪ねました。
倉本さん原作の『ニングル』がオペラ化され、江原さんがその舞台に演者として立ったことがご縁なのだとか。
作品に込められた「真の豊かさとは何か」について、語り合います
(構成:丸山あかね 撮影:本社・武田裕介)

* * * * * * *

◆日本社会はブレーキのない車

江原
 アイヌ語で「ニン」は「小さい」、「グル」は「人」という意味で、『ニングル』はアイヌに伝わる小人伝説がもとになっているということですが。

倉本
 面白そうだと調べていくなかで、ニングルを見たという人に遭遇しましてね。
3人組のお婆さんたちが娘時代に見たと言っていて、「髭が生えていた」とか「裃(かみしも)を着ていた」とか「下駄を履いていた」といった話をしてくれたんです。

江原
 へぇ〜。

倉本
 神主のような装いだったと証言する人もいました。
ニングルが電車に乗ろうとしているところを目撃した人もいて。

江原
 ワハハハハ。

倉本
 コロポックルは妖精だけど、ニングルは自然界の神なのかもしれないと感じたことが、小説を書こうという発想につながりました。
人間社会がおかしくなったのは便利さを追求したからだと思い始めた頃と、時期が重なっていたんです。
たとえばテレビのチャンネルをリモコンで操作する。
人間は知能が発達したことによって、サボることを覚えたというのが持論です。

江原
 便利であることと、豊かさは似て非なるものですよね。

倉本
 「豊か」を辞書で引くと、「リッチであること」のあとに「且つ幸せであること」と記されています。
ならば便利であることが幸せをもたらしたのかといったら、そんなことはない。
もたらされたのは、感謝を忘れた心と自然破壊という悲劇でしょう。
このことに気づいてほしいという思いから生まれた作品が『ニングル』なのです。

江原
 インターネットやメールの発達によって、人々は直接的な対話を失ってしまいました。
とはいえ私も文明の進化の恩恵を受けて暮らしているので、大きなことは言えないというのがつらいところです。

倉本
 僕だって寒ければヒーターをつけるし、原稿は手書きですが、人と連絡をとりあう手段には電話を使っています。
時代が進化するのは世の常で、そのこと自体が悪いわけではない。
問題は日本という国がブレーキのない車だということですよ。

江原
 このあたりで止めておこうと考える聡明さに欠けていると。

倉本
 最近、頭に来ているのは夜桜のライトアップです。
月の光に照らされる夜桜にこそ情緒があるわけで、ライトを煌々とつけて余計なエネルギーを消費して喜んでいるなんて言語道断。
第一、下からライトをあてるのは、スカートの中を覗いているようなもので、実に下品な発想だと思いますね。
もっとも、金があれば何をしてもいいという風潮が下品なわけですけれど。

◆英霊たちに申し訳なくてたまらない

江原
 人々の欲望がエスカレートする一方で、この国の若い人の死因で最も多いのが自死だというのですから皮肉なものです。

倉本
 僕も時々、もう死にたいと思いますよ。
こんなに人々の心が汚れている世の中に生きていたくない、とね。

江原
 でも先生、だからこそ『ニングル』のような作品が必要なのではありませんか?

倉本
 僕は自分の仕事を「心の洗濯屋」だと思っていますが、洗濯した端から汚れてしまうんですから、やりきれませんよ。

江原
 どうにもならないところまで来ているということなのでしょうか?

倉本
 逆に江原さんに訊きたいですよ。

江原
 スピリチュアリズムは、たましいを磨いて綺麗なものへと浄化させるための考えなのですが……。
残念ながら、人は行きつくところまで行かなければ、綺麗なものが出てこないのだろう、と思うのです。

倉本
 躓き転んでいることに気づくべきなのに、鈍感すぎると。

江原
 ええ。私は先生の『歸國(きこく)』という作品によって開眼しました。
終戦から65年を経た終戦記念日の深夜に、南の海で玉砕した英霊たちを乗せた汽車が東京駅に到着するというところから始まる舞台ですが、「こんな日本のために戦ったわけじゃない」という英霊たちの悲痛な叫びや切ない思いに触れ、号泣してしまいました。

倉本
 僕は終戦直後の渋谷を知っているんです。
今のスクランブル交差点のある場所は瓦礫(がれき)の山で、戦争のすさまじさを物語っていました。
その同じ場所で若者がチャラチャラしているのを見ると、腸(はらわた)が煮えくり返るというか、英霊たちに申し訳なくてたまらないんですよ。

江原
 私は『歸國』には、ずいぶんと大勢の人が出演しているのだなと思いながら鑑賞していたのですが、実際の登場人物は少なかったのですよね。

倉本
 ハハハ。その話を伺ったとき僕は、「ならば飲みに行くだろうから、近所の飲み屋に『安くしてやってくれ』と頼まなくちゃ」とか言って受け流していたけれど、その実、嬉しかったんです。

江原
 英霊は先生に感謝して、喜んでいたと思います。

倉本
 そうですか。舞台『歸國』は劇場のキャットウォークに英霊が並んで、一斉に客席に銃を向けているところで終わるという演出に変えて、再演したいと思っています。

江原
 ぜひ、拝見したいです。

◆進化ばかりに囚われず、もっと足元を見てほしい

倉本
 僕は、オペラには『ニングル』より『歸國』のほうが向いているんじゃないかという気がしたんだけど。

江原
 『歸國』のオペラ化も実現したいです。
英霊に銃を突きつけられた人たちが、大切なことに気づいてくれると信じて。
感動する人がいる限り希望があると思うのです。

倉本
 自分も何か行動に移さなければいけない、という観る人の思いが感動につながるのだろうという気はします。

江原
 私たちにできることって何だと思われますか?

倉本
 高齢者は、何もなくても心豊かに暮らしていた時代のことを下の世代に伝える義務があるでしょう。
若い人たちには、進化ばかりに囚われず、もっと足元を見て生きてほしい。
いずれにしても僕にできることがまだ残っていると思っています。

江原
 それこそが希望です。
これからも健筆を振るわれ、人々の心が洗われるような作品を世に送り出してください。
私も人々に心が浄化されたと言っていただけるような歌声を、届けていきたいと思います。
今日は貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。

(構成=丸山あかね、撮影=本社・武田裕介)
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2025年03月20日

「若い時は重宝したけど…」年齢を重ねて感じるようになった“夜行バスの欠点”「翌日使い物にならない」「隣席ガチャに外れたら」…お得さを取るか、リスクを避けるか

「若い時は重宝したけど…」年齢を重ねて感じるようになった“夜行バスの欠点”「翌日使い物にならない」「隣席ガチャに外れたら」…お得さを取るか、リスクを避けるか
3/19(水) マネーポストWEB

 物価高で燃料費や人件費の高騰などもあり、「夜行バス」にもじわじわと値上げの波が押し寄せている。
とはいえ、まだまだ新幹線や飛行機よりも安く長距離移動ができる手段として、重宝されている。
夜に出発して翌朝に目的地に到着するため、現地での時間を最大限活用できることもメリットの一つだ。

 特にお金のない学生時代にお世話になった人は多いだろうが、そんな人たちも社会人になって夜行バスから遠ざかるようになったケースは少なくないようだ。
年齢を重ねることで気になるようになった、夜行バスの“欠点”とは、一体何か。

遊ぶ時間よりも、睡眠の質を重視したい

 東京都在住のTさん(30代男性)は、学生時代に北は北海道から南は九州と、日本全国を巡るのが趣味だった。
夜行バスにもよくお世話になったというが、「今はもう夜行バスに乗れない」と言う。
大きな理由は「体力」の問題。

「学生時代の貧乏旅行で、月に一度は乗っていました。
例えば函館まで新幹線だと2万3000円ほどかかりますが、夜行バスなら7000円ぐらいと激安。
しかも深夜に新宿を出発して、寝ている間に現地に到着しているので、時間も効率よく使えます。

 当時は現地に朝7時に到着して、そこからまた次の深夜バスが出る23時ぐらいまで目一杯遊ぶ気力と体力がありました。
でも30歳を過ぎると、夜行バスの座席で寝るのはキツイ」(Tさん)

 時間的な意味合いでいえば学生のほうが時間に余裕があり、社会人は限られた時間を効率的に使いたいはずだが、Tさんは、「遊ぶ時間の多さよりも、睡眠の質を確保したい」という。

「夜行バスは座席をリクライニングして寝ることになりますが、起きたら腰が痛むようになりました。
学生時代はバスの座席でも熟睡できて、体力も普通に回復していた感じがありましたが、今はもう無理ですね。
寝る時は布団で寝たい。お金を払ってでも、ゆっくりとしたスケジュールで旅行したいです」(同前)

結局、新幹線を使ったほうが安くついた!?

 埼玉県在住のIさん(30代女性)は、「案外コスパが良くないことに気づいてしまった」と持論を述べる。
「タイパは良いと思うんですけどね……」と、夜行バスの“費用対効果”に疑問を抱くようになったというが、どういうことか。

「タイパについては、睡眠がそのまま移動時間になるので、時間当たりの移動距離の効率はかなりいいと思います。
でも、コスパの面が微妙な気がしていて。
たとえば私の住んでいる大宮から大阪まで最安で5000〜6000円台、高いと1万円ぐらいします。やっぱり安いのは平日。
でも、私のような会社勤めだと結局休日にしか使えず、安さの恩恵をMAXでは受けられない。
さらに、土日を使って夜行バスで旅行すると、月曜日の自分が使い物にならず、仕事の効率が極端に下がるんですよね」

 最近USJに遊びに行き、久しぶりに夜行バスを利用したというIさんが、その「翌日」の自分を振り返る。

「閉園が21時で、新幹線の最終便が21時15分。ギリギリまでいたいとなると間に合わないので、夜行バスを使うことを思いついたんです。
夜行バスなら、22時ぐらいの大阪発があって、閉園までいられるし、その後も少し大阪グルメを楽しめると思い、めちゃくちゃメリットあるなぁと思いました。

 でも、翌日は仕事。
疲れすぎてマッサージに行き、7000円払った時には、『夜行バスで1万円、マッサージ代で7000円……。
こんなことなら、東京から大阪までの新幹線代1万5000円のほうが安かった』と後悔したんですよね。
その教訓をもとに、今では体力任せのスケジュールは組みません」(Iさん)

「隣席ガチャ」を恐れる人も

 東京都在住のSさん(40代男性)は、海外で長距離バスをよく利用してきたため、夜行バスにも抵抗がなく、20代の頃、関西での単身赴任中は頻繁に使っていた。
しかしある時から、「隣に知らない人がいるのが気になるようになった」という。何があったのか。

「夜行バスはお金も時間も節約できるし、もともと長距離バスが好きだったので、むしろ自分は夜行バスに向いていると思っていました。
でもある時、隣り合わせになった乗客の男性が、ものすごく貧乏ゆすりをするタイプで……。気にしないようにしようと思って視界に入れないようにしたり、音楽を聴いたりしても、微妙な振動が伝わってきて、ものすごくイライラした時間を過ごしてしまったんです」

 隣の人を選べないのが夜行バス。その後もSさんは隣人にも悩まされた。

「イビキをかく人は珍しくないですし、靴を脱いだ時の足のニオイ問題もありました。
もちろん自分だって誰かの不快な原因になっているかもしれないですし、お互い様ですよね。
ただ決定打は、何かゲームをしながらずっと独り言を言っている人でした……。
一睡もできず朝を迎えた時の疲労感がすごかった。“隣席ガチャ”がちょっとトラウマになりました。

 若い頃は気にならなかったのですが、年齢を重ねると、夜は気持ちも体も休めたいのに、隣で誰かが活動していると、ぜんぜん休めない。
毎回ではありませんが、安さをとるか、そうした隣席ガチャのリスクを取るか。最近はリスクを取りたくないので、あまり使わなくなりました」(Sさん)

 ただし、Sさんは「夜、高速道路を走るバス移動は好きなので、たまに乗りたくなる」といい、「座席が広かったり、個室感があったりするラグジュアリーな高速バスには興味がある」とも。

 お財布だけでなく、身体との相談も必要な夜行バス。それぞれの思い出があるようだ。
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2025年03月21日

つい言ってしまうけど後悔する言葉8選

つい言ってしまうけど後悔する言葉8選
えらせん作家  3/21(金)

こんにちは、えらせんです。
今回は「つい言ってしまうけど後悔する言葉」というテーマで話していきます。
何気なく発した言葉が、相手を傷つけたり、関係を悪くしてしまうことがあります。
自分では悪気がなくても、相手には違った意味で伝わることもありますよね。
今日は、「言わなきゃよかった…」と後悔しやすいフレーズと、代わりにどう伝えればいいかを紹介します。

1.「まぁ普通に考えたら…」

「普通はこうだよね」と言われると、「じゃあ自分は普通じゃないの?」と感じる人もいます。
そもそも「普通」は人それぞれ。意見を伝えたいときは、「僕はこう思うけど、どうかな?」のように、自分の意見として伝えると柔らかくなります。

2.「で、結局何が言いたいの?」

話が長く感じたときに、つい言ってしまうかもしれませんが、これを言われると相手は一気に話す気をなくします。
相手が話を整理できていないと感じたら、「今の話、こういうことかな?」と要約しながら聞くと、スムーズに進みます。

3.「みんなそう思ってるよ」

その「みんな」って誰? 証拠は?ってなりますよね。
「みんなが言ってる」と言われると、なんとなく納得してしまいそうですが、実際には「みんな」ではなく、「自分がそう思っている」だけの場合も多いです。
伝えたいときは、「僕はこう思うよ」と、自分の意見として伝えるほうが誠実です。

4.「そんなことも知らないの?」

自分が知っていることでも、相手が知らないことはあります。
「そんなの常識でしょ」と言われると、相手は萎縮してしまい、聞きたいことも聞けなくなります。
知らないことを教えてもらうのが学び。ポジティブに教える姿勢が大切です。

5.「そんなつもりじゃなかったんだけど」

何かを指摘されたときに、「そんなつもりじゃなかった」と言いたくなる気持ちは分かります。
でも、大事なのは「相手がどう感じたか」。「そうだったんだね、気づかなかったよ」と、一度受け止めることが大切です。

6.「私って○○なタイプだから」

「私ってサバサバ系だから」「僕、こういうの無理なタイプで」など、自分を枠にはめる発言は、聞いている側には押し付けがましく感じることがあります。
自分の特性を伝えたいなら、「こういう場面が苦手で…」と、具体的に伝えるほうが自然です。

7.「冗談なのに本気にしないで」

冗談を言ったつもりが、相手が本気で傷ついてしまったときに、こう言ってしまうことがあります。
でも、本当の「冗談」は、相手も笑えるもの。
「ごめんね、そんなつもりじゃなかった」と、素直に謝るほうがスマートです。

8.「前のほうがよかったな」

髪型や服装、仕事のやり方など、つい「前のほうが良かった」と言いたくなることもありますが、言われた側は「今の自分はダメなの?」と感じてしまうことも。
「新しい雰囲気もいいね!」と、今の姿を肯定する言い方のほうが、お互い気持ちよく過ごせます。

まとめ

言葉は、使い方次第で相手を傷つけることも、安心させることもできます。
つい言ってしまいがちなフレーズも、少し意識を変えるだけで、良い関係を築くことができます。
今日から意識してみるだけで、コミュニケーションがぐっと円滑になるはずです。


次回はもっと面白い記事を書くので、お楽しみに!「いいね」と「フォロー」をお願いします。(感想やご意見は、インスタDMまでお待ちしています。プロフィールから飛べるので、お気軽にDMいただければうれしいです)
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2025年03月22日

これは「地獄の大増税」への布石である…政府が進める「私立高校無償化」の甘美なウソにだまされてはいけない

これは「地獄の大増税」への布石である…政府が進める「私立高校無償化」の甘美なウソにだまされてはいけない
3/21(金)  プレジデントオンライン

公立・私立を問わず、所得制限なしに、高校の授業料が無償化されることになった。

早稲田大学公共政策研究所の渡瀬裕哉さんは「教育の無償化ではなく『税負担化』だ。増税につながるだけでなく、教育の質を悪化させる愚策ではないか」という――。

■私学の教育無償化が全国で行われることに

 自民・公明・日本維新の会が来年度予算に賛成したことで、私学の教育無償化が全国的に行われることになった。
そして、日本維新の会はさらに大学無償化まで実現するように推し進めるという。

 この教育無償化は「教育税負担化」と言い換えて良い。
石破首相は「歳入・歳出両面の措置を徹底的に行い、安定的かつ恒久的な財源を見いだすことは政府の責務だ」としている。このような発言は将来的な増税によって賄うシグナルのようなものだ。

 大阪府で私学の教育税負担化を行ってきた大阪維新の会(≒日本維新の会)は「増税ではなく行政改革で予算を捻出してきた」と主張している。
大阪府は来年度予算でも高校や大阪公立大学の授業料税負担化のために約297億円を計上している。
ただし、実際にはアベノミクスによる税収増や消費税増税効果による歳入増があり、なおかつ教育税負担化予算を計上しなければ一部見直しが可能であった過去から継続する法人税超過課税を放置している現実を無視した話なので「行革で云々」は話半分だ。

 そして、大阪府はみずからが導入した教育税負担化について、国による高校授業料無償化の拡充によって府の財政負担は、2025年度に約37億円、2026年度に約254億円を削減できるとしている。
つまり、大阪府は自分勝手に始めた政策の負担を最終的には国に背負わせることに成功したということだ。
すでに高等教育の税負担化を実現している東京都の予算額である約600億円を足し合わせると、約900億円弱の負担が東京・大阪の二大都市から消えることになる。

■結果として、永遠に続く「サブスク払い」となる

 日本全体で私立高校の教育税負担化を実現するためには約6000億円が必要とされている。
東京・大阪の約900億円は全予算の約15%を占めているが、他の道府県はそのような過剰な予算捻出は予算の優先順位等の観点から行われていない。
都市部の金満自治体の感覚をそのまま他の道府県にまで押し付けた場合、本来はそのような予算が無かった地域にも新たな予算バラマキが行われることになる。

 当たり前であるが、政府与党はこのような恒久的な予算支出を増税の好機と捉えるであろう。
教育税負担化の約2倍の恒久的支出である防衛増税は、今回の自公維の賛成によってしっかりと恒久増税化の道筋がつけられていることからもお察しだ。
結果として、この手の予算支出は永遠に続くサブスク払いとなって国民全員の税負担となって返ってくるものだ。

 仮に日本維新の会が「行政改革によって予算を捻出する」というなら、今すぐ与党入りして来年度の骨太の方針にその旨明記し参議院議員選挙で審判を受けるべきであるが、その見通しも無さそうだ。
実に無責任な政治の有様であり、政府与党による増税の仕込みは着々と進むだろう。

■そもそも、日本の高校進学率は98%超

 さて、教育税負担化は実際にはどのような効果が期待できるのであろうか。
そもそも日本の高校進学率は98%超であるため、教育税負担化を実施したところで統計的に有意な差がもたらされないだろう。

 むしろ、これ以上の高校進学率の上昇を望むならば、6000億円もの予算を投じて私立高校の授業料を税負担化するよりも、国民に対する義務教育の延長や奨学金の拡充によって達成するほうがはるかに合理的である。
誰がどう見ても当たり前の話であり、その教育税負担化のための予算の一部でも使って公立学校の環境改善に投じたほうが良い結果が得られるだろう。

 筆者は親が教育に支出する行為は、社会規範や道徳心を育むことにつながると考えるため、教育に対する過剰な税負担にはそもそも反対の立場であるが、私立の教育税負担化という天下の愚策に比べればはるかにマシである。

■塾・予備校への実質的な「補助金」

 次に、教育の質という点ではどうだろうか。
世界の15歳の子どもたちの学習到達度を図るPISAにおいて、日本はほぼ常に上位国となっている。
2022年ランキングでは日本は数学リテラシー5位、科学リテラシー2位、読解力3位である。日本よりも上位の国はシンガポール、マカオ、香港、台湾、アイルランドなどの小都市国家のみだ。
つまり、現行の日本の中学校までの教育水準は諸外国と比べてほぼトップの成績を残している。

 日本の公立教育が優れているのか、それとも日本人自体の資質がそうさせるのかはわからないが、このような状況が高校進学した途端に激変するとは到底思えない。
したがって、現在の教育システムを変更して、新たな税負担を講じて私立学校に通わせる必要があるとは言いがたい。

 一方、私立高校の授業料税負担化は、中長期的にその教育内容を悪化させていくことになるだろう。
これは何も難しい話ではなく、当たり前の商売の常識を持っていればわかることだ。
価格は商品の良し悪しを判定するためのツールである。
したがって、授業料の価格システムが破壊された場合、親の学校教育に対する期待値の判定は、ブランドネームのみに左右される極めて権威主義的な状態が蔓延することになる。

 ただし、最初はある程度は学校選択の方法として機能するかもしれない。
しかし、私立学校の売り上げの大半を占める授業料が政府の税金で賄われる以上、本来の顧客である家庭よりも政府の顔色が重視され、授業内容はおざなりになっていくだろう。

 そして、元々私立学校に通わせる親はさらに予備校・学習塾にも通わせており、結果として予備校・塾産業がさらに栄えるだけになる。
なぜなら、そちらは「価格」がついていて、その価値がわかるようになっているからだ。
そのため、教育税負担化は、私立の腐敗が蔓延するだけでなく、学習塾・予備校への実質的な補助金になるだろう。
まさに学校の破壊に拍車をかけるものだ。

■子育て・教育以前に、結婚する若者の人数が減少

 一部の政治家は、私立学校の教育税負担化で「公立学校が淘汰されることになるから良いのだ」という人々もいる。
たしかに、彼らの本音が、公立学校の土地を売り払いかつダメ教員を削減したい、ということであれば、多少は気持ちが分からんでもない。
しかし、上述の通り、不必要かつ無用な問題を新たに生み出す行為に追加で予算を投じることは間違っている。

 よりオブラートに包んだ「少子化で学校が過剰に存在しすぎるようになるため」という建前を掲げる場合はなおさらだ。
それらの話を住民に説明して納得を得ることが地方自治であり、国の制度化することによって一気にそれを進めることを是とするなら、その政治家は地方自治を語る資格がない。早々に地方自治体が持つ全権限を国に移譲して問題を解決してもらうべきだ。

 最後に、教育税負担化は「少子化対策に寄与する」ので、全国民が税負担することは当然だ、という主張にも疑問を呈したい。
子どもが生まれない原因は、若者の手取りが減少して子育て・教育以前に結婚する若者の人数が減少しているからだ。
労働法制の硬直化による年功序列制度、若者に対する税金・社会保険料の過剰請求、これらによって彼らの給与・手取りは異常に安い価格に抑えられている。
仮に石破首相が恒久的な支出に対する恒久的な財源(=増税)で、教育税負担化を賄おうとするなら本末転倒甚だしいことだ。

■「少子化対策に寄与する」はウソである

 また、少子化の原因は女性の高学歴化・高キャリア化が進むことで晩婚化・晩産化が進んでいることにもある。
女性のキャリア志向が高まる中で、そのキャリアを一時中断するコストとリスクは非常に高い。
したがって、キャリア形成に重要な若年段階で子どもを持つことは忌避されるのは当然だ。
これは単なる構造問題であって良い・悪いという問題ではない。
その結果として長子の晩産化が進みつつある中、「第二子・第三子を私立高校に税負担で通わせられるようになったから子どもを産みます」ということを期待することは妥当だろうか。

 現在でも高校進学率98%超であり、結局は学習塾・予備校産業に追加で家計支出が行われる可能性に鑑み、私立高校の教育税負担化が出生率に影響を及ぼすとは考えがたい。

 以上のように、私立高校の教育無償化=教育税負担化には日本国民の公益に追加で資するメリットらしきものが見当たらない。
むしろ、デメリットのほうが大きいように考えられる。
この政策を推進する人々が夏の参議院議員選挙で大敗し、私立高校の教育無償化という愚策が撤回されることを望んでいる。
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渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや)
早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員
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2025年03月23日

犯罪なのに…日本で「いじめ」がなくならない「本当の理由」

犯罪なのに…日本で「いじめ」がなくならない「本当の理由」
3/22(土) 現代ビジネス

いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。

普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、日本・日本人の謎や難題に迫る話題書『日本の死角』を読みはじめている。

「学校」という病

最近、また「いじめ」が大きなニュースとなっている。なぜいまだに根本的な解決にいたっていないのだろうか。

話題書『日本の死角』では、「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」という論考でそのテーマを深く掘り下げている。一部を紹介したい。

***
最も根幹的な問題は、「学校とはなにか」ということであり、そこからいじめの蔓延とエスカレートも生じる。

わたしたちが「あたりまえ」に受け入れてきた学校とはなんだろうか。
いじめは、学校という独特の生活環境のなかで、どこまでも、どこまでもエスカレートする。

先ほど例にあげた横浜のいじめが、数年間も「あたりまえ」に続いたのも、学校が外の市民社会とは別の特別な場所だからだ。
社会であたりまえでないことが学校で「あたりまえ」になる。

学校とはどのようなところか。

日本の学校は、あらゆる生活(人が生きることすべて)を囲いこんで学校のものにしようとする。
学校は水も漏らさぬ細かさで集団生活を押しつけて、人間という素材から「生徒らしい生徒」をつくりだそうとする。

これは、常軌を逸したといってもよいほど、しつこい。
生徒が「生徒らしく」なければ、「学校らしい」学校がこわれてしまうからだ。

たとえば、生徒の髪が長い、スカートが短い、化粧をしている、色のついた靴下をはいているといったありさまを目にすると、センセイたちは被害感でいっぱいになる。

「わたしたちの学校らしい学校がこわされる」

「おまえが思いどおりにならないおかげで、わたしたちの世界がこわれてしまうではないか。どうしてくれるんだ」

というわけだ。

そして、生徒を立たせて頭のてっぺんからつま先までジロジロ監視し、スカートを引っ張ってものさしで測り、いやがらせで相手を意のままに「生徒らしく」するといった、激烈な指導反応が引き起こされる。

この「わたしたちの世界」を守ることにくらべて、一人ひとりの人間は重要ではない。
人間は日々「生徒らしい」生徒にされることで、「学校らしい」学校を明らかにする素材にすぎない。

多くのセンセイたちは、身だしなみ指導や挨拶運動、学校行事や部活動など、人を「生徒」に変えて「学校らしさ」を明徴するためであれば、長時間労働をいとわない。

その同じ熱心なセンセイたちが、いじめ(センセイが加害者の場合も含む)で生徒が苦しんでいても面倒くさがり、しぶしぶ応対し、ときに見て見ぬふりをする。私たちはそれをよく目にする。

ある中学校では、目の前で生徒がいじめられているのを見て見ぬふりしていたセンセイたちが、学校の廊下に小さな飴の包み紙が落ちているのを発見したら、大事件発生とばかりに学年集会を開いたという(見て見ぬふりをされた本人〈現在大学生〉の回想より)。こういったことが、典型的に日本の学校らしいできごとだ。

こういった集団生活のなかで起きていることを深く、深く、どこまでも深く掘りさげる必要がある。

学校では自由が許されない

さらにそれが日本社会に及ぼす影響を考える必要がある。
学校の分析を手がかりにして、人類がある条件のもとでそうなってしまう、群れたバッタのようなありかたについて考える必要がある。

学校で集団生活をしていると、まるで群れたバッタが、別の色、体のかたちになって飛び回るように、生きている根本気分が変わる。
何があたりまえであるかも変わる。こうして若い市民が兵隊のように「生徒らしく」なり、学習支援サービスを提供する営業所が「学校らしい」特別の場所になる。

この「生徒らしさ」「学校らしさ」は、私たちにとって、あまりにもあたりまえのことになっている。
だから、人をがらりと変えながら、社会の中に別の残酷な小社会をつくりだすしくみに、私たちはなかなか気づくことができない。

しかし学校を、外の広い社会と比較して考えてみると、数え切れないほどの「おかしい」、「よく考えてみたらひどいことではないか?」という箇所が見えてくる。

市民の社会では自由なことが、学校では許されないことが多い。

たとえば、どんな服を着るかの自由がない。
制服を着なければならないだけでなく、靴下や下着やアクセサリー、鞄、スカートの長さや髪のかたちまで、細かく強制される。
どこでだれと何を、どのようなしぐさで食べるかということも、細かく強制される(給食指導)。社会であたりまえに許されることが、学校ではあたりまえに許されない。

逆に社会では名誉毀損、侮辱、暴行、傷害、脅迫、強要、軟禁監禁、軍隊のまねごととされることが、学校ではあたりまえに通用する。
センセイや学校組織が行う場合、それらは教育である、指導であるとして正当化される。

正当化するのがちょっと苦しい場合は、「教育熱心」のあまりの「いきすぎた指導」として責任からのがれることができる。生徒が加害者の場合、犯罪であっても「いじめ」という名前をつけて教育の問題にする。

こうして、社会であたりまえに許されないことが、学校ではあたりまえに許されるようになる。

現代新書編集部
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2025年03月24日

〈ヤマザキ春のパンまつりの噂〉」白いお皿は「2階から落としても割れない」「余ったお皿を割るバイトがある」…春のパンまつり担当社員に真相を聞いてみた!

〈ヤマザキ春のパンまつりの噂〉」白いお皿は「2階から落としても割れない」「余ったお皿を割るバイトがある」…春のパンまつり担当社員に真相を聞いてみた!
2025年03月23日 集英社オンライン

1981年から開催されている「ヤマザキ春のパンまつり」は、今年で45周年を迎えた。
春のパンまつりや応募してもらえる「白いお皿」について、SNSではさまざまな噂や都市伝説が存在するが、その真偽を春のパンまつり担当社員へ聞いてみた。

■春のパンまつりはフランスの村を救う春祭?

山崎製パン株式会社が1981年から開催している「ヤマザキ春のパンまつり」。
対象商品を買ってシールを集めると、上質な白いお皿がもらえるというキャンペーンで、毎年高い人気を誇っている。

そもそも、パンのイベントで白いお皿をプレゼントしようと考えた経緯はなんだったのか。

「1981年の第1回目の『春のパンまつり』キャンペーンを実施するにあたり、パンを食べる朝の食卓をイメージして、パン食文化の本場であるフランスのデュラン社製(現在はアルク社)の真っ白なお皿を採用しました」(春のパンまつり担当者、以下同)

この白いお皿は清潔感とスマートさにあふれた、おしゃれなお皿として人気を博しており、以後継続して景品としているという。
春のパンまつりが始まって45年経った現在も春のパンまつりは、白いお皿がもらえるキャンペーンとして定着しているそうだ。

今年で45周年となる「春のパンまつり」だが、この白いお皿に関して、インターネット上ではさまざまな噂が飛び交っている。

例えば「白いお皿を作るフランスの街では『日本の奇祭がフランスの村を救う』と喜ばれている」というのも。その真相は?

「例年の白いお皿のプレゼント枚数は、平均1,200万枚です。なので、雇用に多少貢献することはあるかもしれませんが、村を救うほどではないと実感しています」

■白いお皿が丈夫な理由は…

また、白いお皿にはその強度に関していくつもの都市伝説がある。
「白いお皿を他のお皿とぶつけると、他のお皿が割れる」や「白いお皿は丈夫すぎて2階から落としても割れない」「隕石から獲れた成分でできているらしい…」などの噂は本当なのだろうか。

「白いお皿の材質は全面物理強化ガラスで、一般のガラスに比べて丈夫にできていますが、決して割れないというわけではありません」

一般的な陶器のお皿よりは強度があるため、このような噂が出回ったのだろう。

また、毎年たくさんの応募があるお皿に対しては「余ったお皿を割るバイトがある」など、とても信じられないような都市伝説もネット上で見かけることがあるが、実際に、白いお皿が余った場合の行方も聞いてみた。

「白いお皿は全てフランスで製造し、船で日本に運んでおり、春のパンまつり開始前に一度に運ぶのではなく、期間中も含めて複数回に分けて運搬しています。

さらに、全国各地の20箇所を超える工場の営業スタッフが、各地域の対象商品の売れ行きや交換率を元に算出した予測枚数を本社に集約し、過不足の無い様に努めています」

このように丈夫な白いお皿はキャンペーン参加者の手元へ届けられており、長年愛用されているようだ。

「家族三世代に渡って春のパンまつりに参加しているなど、多くのありがたいお声をいただき大変感謝しています。
また、45年間歴代の全種類ではありませんが、90年代からの白いお皿を全て持っている方もいるそうです」

■毎年デザインの異なる白いお皿が誕生する理由

同社の定番特典になっている春のパンまつりでもらえる白いお皿だが、お皿のデザインが毎年若干違っているのに驚く人も多いだろう。

白いお皿のデザインはどのようにして考えられているのだろうか。また、白以外の色のお皿にすることや、カラフルな柄を入れるなど、大胆なデザイン変更の案が出たことなどはあったのだろうか。

「1981年の第1回目から約40年以上にわたり、毎年アルク・フランス社の代理店を通じてお皿のデザインを提案いただいています。
2025年の特典『白いデリシャスボウル』については、昨年の春のパンまつりキャンペーンがまだ行われている3月頃から流行やトレンドなどを基にデザインの検討に入り、8月頃には10種類程度に絞りました。

さらに消費者モニターからのご意見を参考に、サイズや使い勝手について検討を重ね、11月に決定しました。

また、柄に関して言えば、翌年に長野冬季オリンピックを控えていたことから、1997年の特典は長野冬季オリンピックのマスコットキャラクターをプリントしたお皿です。こちらは柄の入った唯一の白いお皿でした。

1981年の第1回からこれまでの白いお皿の交換枚数は約5億9千万枚を数え、一昨年は約1,120万枚、昨年は約1,280万枚と非常に多い交換枚数を維持しており、45回目を迎えても毎年楽しみにしてくださっているお客様がいらっしゃるものと考えておりますので、今後も白いお皿の特典を続けています」


――今年で45周年を迎える「ヤマザキ春のパンまつり」。日本人に親しみのあるイベントである以上、これからも噂や都市伝説が生まれるかもしれないが、長くにわたりさまざまな世代から愛されているからだろう。

取材・文/十六夜瑠奈(A4studio)
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2025年03月25日

老後「まだまだこれから」「第二の人生!」と言い出す人が決定的に見落としていること

老後「まだまだこれから」「第二の人生!」と言い出す人が決定的に見落としていること
3/24(月) ダイヤモンド・オンライン

 作家・エッセイストの嵐山光三郎83歳が老境を語る。
芥川龍之介ら天才は若くして一気に坂を登りつめ、まるで崖から落ちるように死んでしまった。
だが、ジジイになるまで生き残った者は、ヨロヨロと下り坂を楽しめばいい──。
「楽しみは人生の下り坂にあり」と見いだし、「落ちめの快感は、成り上りの快感に勝る」と喝破した。
本稿は、嵐山光三郎『爺の流儀』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を抜粋・編集したものです。

● 自転車旅行で発見 「楽しみは下り坂にあり!」

 私が「下り坂の極意」を体感したのは、自転車旅行からだった。

 55歳のとき、友人の坂崎重盛(編集部注/エッセイスト)と、自転車で『奥の細道』を走破した。
それもママチャリでである。
いっぱいある仕事をうっちゃって、ママチャリに乗ってダラダラと自転車旅行をし、山の湯につかって芭蕉翁の気分を追体験した。それをテレビ番組のクルーが撮影して放送した。

 自転車に乗っていると、風が顔にあたり、樹々や草や土の香りがふんわりと飛んできて、光や音や温度を直接肌に感じ、それは気持ちがいい。
自動車で移動したのでは、こんな快感は味わえない。

 それでも、登り坂はきつい。

 若いころの体力はなく、たいした登り坂でもないのに、自転車から降りて、引いていく始末だ。
ぜいぜい息をきらして登りきると、つぎは下り坂になる。下り坂はペダルをこがなくてもよく、気分爽快だ。
そのとき、

 「楽しみは下り坂にあり!」

 と気がついた。
そしてまた坂道を登るたびに「つぎは下り坂だ」とはげましている自分に気がついた。

 いま、町にあふれるジジイ指南書は、そのほとんどが上昇志向である。
なんらかの形で上昇し、難しい坂を登りきろうという発想で下降志向のものがない。
下り坂がこんなに楽しいのになぜなのだろうか、と考えた。

 人間は、年をとると、「まだまだこれから」だとか「第二の人生」だとか、「若いモンには負けない」という気になりだし、こういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。

年をとったら、ヨロヨロと下り坂を楽しめばいい。
落ちめの快感は、成り上りの快感に勝る。

実篤(編集部注/武者小路実篤)の語録に、

   桃栗三年柿八年
 だるまは九年
   俺は一生

 がある。
ここにある発想は持続する不屈の意志である。
時流などはどうだってよい、退歩しつつ、自分の思った通り生きるという姿勢である。

● 武者小路実篤に見る 「望ましい死」

 武者小路実篤は志賀直哉が死んだときから呆けはじめ、原稿も誤字脱字が多くなり、文章のなかでは同じ言葉の繰り返しが多くなった。
主語述語がおかしい文章で、「武者さんの原稿はどんなものでも直すべきではない」と小島政二郎(編集部注/小説家、随筆家、俳人。1994年、100歳没)が言ったこともあって、雑誌「心」には文意不明の詩が掲載された。
しかしそれはそれでいい。下り坂を降りきって、村の細道で脱輪してしまったってかまわない。

 実篤の耳が遠くなったのは米寿(88歳)を祝うころからで、絵や画賛にも以前のような力がなくなった。
89歳のときには「もうじき90歳になると思っているが出来るだけ長生きしたい」とノンキなことを語っている。

 実篤の決定的な老化は、昭和53年1月25日、妻の安子を見舞った翌々日であった。
子宮癌で入院していた妻を、車椅子に乗って見舞いに行き、ベッドの安子と長い間手をとりあっていた。
安子は夢うつつのまま、幻として脳裡に浮かんだ黒葡萄を「召しあがれ」と言って実篤に差し出し、実篤はショックのあまりその翌々日から失語の人となってしまった。

 安子は2月に死に、実篤は安子の死を知らされぬまま2カ月後の4月9日に息をひきとった。
夫婦とも呆けて死ぬのなんて、なんと幸せなことだろうか。
ぼけることは死の恐怖を克服する効用がある。

 ワイズマンという人は「望ましい死」に関して「まず、それぞれの人が望んでいた死であり、つぎに親しい人々と心ゆくまで別れを惜しむことの死であり、さらに心残りや苦しみの少ない死である」と規定している。
実篤の死はワイズマンによる「望ましい死」の典型だろう。
人口ピラミッドグラフは、60代あたりを頂点にして山型のカーブを描いていく。頂点を過ぎると下降していきます。

● ジジババブームが もたらした害悪

 天才は、若くして一気に坂を登りつめ、まるで崖から落ちるように死んでしまう。芥川龍之介がそうでした。
それはそれなりに天寿をまっとうしているが、われらジジイは、坂をだらだらと下るなかに楽しみを見つける。
マウンテンバイクで、カナダのスキー場のてっぺんから降りたことがある。カナダのスキー場は夏場はマウンテンバイク場に変わる。

 そのときは崖のような急斜面を、ブレーキをかけながら命からがら降りた。ひとつ踏みはずせば崖からまっさかさまに落ちて転落死になる。

 降り終わったときは、情けないことに、ブレーキをかけつづけたため両手が赤く腫れあがっていた。
下り坂といっても、ときには命がけだ。
どうやって人生後半の坂を降りていったらよいのか、これはそう容易なことではなく、降りる技術は、登る技術にも増して熟練がいる。
退歩していく自分を受容しつつ文化的であること。これは、年をとってからではもう遅く、その人なりに練習しておいたほうがよい。

 年をとると、なにがおこるかわかったものではない。下り坂には、十分気をつけて用意周到の準備がいる。

 いまの日本は、ジジババブームで、60代70代は、椅子からベッドまで新商品を売るターゲットになっている。
80代をすぎると、もう、欲しい物はなくなり、商品が価値ではなくなる。
ジジババブームは、老害政治をひきおこし、若い連中に憎まれる。
日本にはずっとこの伝統があり、財界もまたしかりだ。
白髪の老人を理想化して、知識人の典型とみるいっぽうで、老化して皺だらけになった体を蔑視する。

 うっかり老人が権力を手放すと、それっきりなめられるということも昔からそうなっており、下り坂は右も左も敵だらけだから、悠々と下るには体力も精神力も必要となる。

嵐山光三郎
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2025年03月26日

意外と知らない、レポート・論文が書ける人と書けない人の「大きな違い」《「絶対知っておきたいコツ」の正体…!》

意外と知らない、レポート・論文が書ける人と書けない人の「大きな違い」《「絶対知っておきたいコツ」の正体…!》
3/25(火) 現代ビジネス

学期末や卒業前になると噴出する「レポート・論文ってどう書いたらいいんだろう」という疑問――。

テーマをどう選べばいいか、なぜ文章が書き出せないのか、良い論文と悪い論文の決定的な違いとは、絶対やっちゃダメなこととは……新刊『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』では、指導経験豊富な大学教授が「極意」を書き尽くしている。

テーマをどう選ぶか

論文やレポートを書くとき、まずは「テーマ」をどうするか。ここに悩む人が多そうです。

では書ける人はどんなことを考えているかというと……。

〈文系の論文を書くにあたって、テーマ決めは、ある意味、最重要ポイントです。
論文を書く作業が楽しくなるかどうか、また最終的に良い論文が仕上がるかどうかは、すべてこの一点にかかっているといっても過言ではありません。
ですから、論文のテーマを決める際には、細心の注意が必要です。

テーマを決める際の心得は、実は一つしかありません。それは何かと申しますと……

自分にとって興味のあることについて書く

これです。そして、これ以外ないです。

論文というのは、どのような種類のものであれ、それを書く前段階として相当長い時間をかけてコツコツと調べものをしなければならないのですから、うっかり自分の興味から外れたテーマを選んでしまったりすると大変。
「論文、書かなくちゃ……」と思うだけで苦痛を感じるようになってしまいます。
それだけに、テーマを決める際には「自分はこのテーマに本当に興味が持てるだろうか?」と繰り返し自問することが重要です。
間違っても、「人からすすめられて……」といった安易な決め方をしてはいけません。
あくまで自分本位に決めてください。〉(『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』より)

2つの型がある

テーマが決める際に、論文の「型」も知っておくと便利です。

『 ゼロから始める 無敵のレポート・論文術 』では2つの型を紹介しています。

自分に合った型があるかもしれませんので、知っておくとよいでしょう。

〈大まかな話をしますと、文系/文化論系の論文には二つのタイプがあります。
「論争型」と「伝記型」です。

まず論争型論文について説明します。

これは私がこれまで生きてきた中で得た実感の一つなのですが、およそ天の下のことにはたいてい、表と裏の二面があり、その二面のどちらにもそれなりの正当性がある、というところがあります。
もっと簡単にいえば、どんな話題にせよ、それぞれ相応の説得力を持った賛否両論が成り立つものだ、ということですね。

たとえば、この本を書いている私はかなり真面目な人間でありまして、それは間違いなく私の長所だと思います。
しかし、真面目な人間であるがゆえに損をすることもたくさんある。
一部の人たちは、私のことを「真面目なばかりで、付き合いが悪い。つまらん奴だ」と思っているでしょうし、自分でもそう思うことがあります。
実際、真面目であるために、豪放なことができない。人の目を気にするあまり、自分の思うような生き方ができないところもある。
つまり真面目であることは、私にとって大きな短所でもあるわけです。

とすると、一般論として真面目であることは長所であるともいえるし、また短所であるともいえることになる。
同じことに対して、二つの正反対の評価を下すことができて、しかもその両方とも、ある意味では当たっているということです。

ことほどさように、世の中のことにはたいてい賛否両論があり、そのそれぞれの言い分にまっとうな根拠があることが多いんですね。だからこそ、双方の立場から論争をすることができる。

(中略)

賛否両論が巻き起こっているような社会問題を取り上げるのではなく、特定の国(本書の場合はアメリカ)の歴史や文化に関連の深い人物や事物について、その伝記的な事実を掘り起こしていくタイプの論文だってあり得るはず。

主に伝記的な事実を扱うので、とりあえずこれを「伝記型論文」と名づけておきますが、私のゼミ生がかつて取り組んだ卒論のテーマでいいますと、「ブルース音楽が白人社会に与えた影響」「アメリカ初の全国紙USA TODAYの成立史」「ブロードウェイ・ミュージカルの歴史」「ラルフ・ネーダーと消費者運動」「雑誌広告の変遷」「ボーイ・スカウト運動の発展史」「マクドナルドの歴史」「アメリカ現代写真とフォトジャーナリズムのルーツ:アンリ・カルティエ=ブレッソンからロバート・フランクまで」「ソウル・ミュージックの歴史」「アメリカにおける女子教育の変遷」「スミソニアン博物館の歴史」「ジョン・ケージの音楽」「保安官制度から見るアメリカ警察組織」「カリフォルニア・ワインの歴史」といったあたりが伝記型論文の代表例ということになるでしょうか。
またこれは人物・事物ではありませんが、「アメリカにおける清潔概念」といったテーマも伝記型論文の範疇に入ります。〉『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』

一文目をどう書き出すか

こうしてテーマや型を決めたら、どう書き出すか。一文目をどう書いたらいいかわからないという人もいるでしょう。

〈ゼミ生に卒論指導をしていて、一番てこずるのは、実際に本文を書き出させることです。
テーマ決め、資料収集、ネタ・カード作り−ここまでは割と順調に進むのですが、「では、そろそろ本文を書いてみなさい」というと、途端に渋り出す。急に頑固になって、なかなか書き出そうとしない……。

ま、その気持ちはわからないでもありません。ゼミ生たちとしても、何しろ一生に一度の卒論ですから、「傑作を書きたい」という気持ちがあるのでしょう。
で、そんな思い込みがあるゆえに、最初の一行を書くのが逆に怖くなってしまう。
はたしてこの一行が「傑作」の名に値する一行か? と考え始めると、途端に不安になって、書いては消し、書いては消し……。

わかります。よーくわかります。
なぜなら、我々プロの研究者も同じだからです。
論文を書く度に、今度こそ傑作を書こうと思い、その思いが余って最初の一行が書き出せない。その繰り返しです。

私はゼミ生たちに次のようなアドバイスをすることにしています。

自分が書こうとしている論文の内容を、口頭で、友人に説明してみなさい

このアドバイスのポイントは「口頭で」というところにあります。
論文の書き出しに迷ったら、まず筆(パソコン)を措いて、口で説明してみろ、ということですね。
しかも指導している私に対してではなく、もっと気楽に話せる友人に。もちろんこの場合、本物の友人でなくてもかまいません。
頭の中に思い浮かべた空想上の友人でもいい。
とにかくその友人に向かって自分が卒論で何を調べているか、またその過程でどんなことがわかったかについてざっくばらんにしゃべってみる。

人間、人に向かって何かをしゃべるとなると、自然に話に起承転結をつけるものです
つまりごく自然にストーリーを作って、それを上手に物語るものなんですね。
逆に、起承転結のない話を人にするのは至難の業。
ですから、「仮に今、自分が調べていることを友人に説明するとしたら、自分はいったいどこから、どういうふうに話し出すだろうか……」と考えることは、とりわけ論文の書き出しを決めるときには非常に参考になるんです。

ただ、その際に重要なことは、あなたが語りかけようとしているその友人には、あなたが論文のテーマに選んだ事柄についての予備知識がまったくない、と仮定することです。
つまり、何も知らない人に向かって自分が書こうとしていることを説明するつもりになる、というところがミソなんですね。〉(『ゼロから始める 無敵のレポート・論文術』より)

現代新書編集部
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2025年03月27日

どんなに頭の良い人でもこれを知らないと"カモ"になる…情報と時間に追われる現代人に必要な「心理学の知識」

どんなに頭の良い人でもこれを知らないと"カモ"になる…情報と時間に追われる現代人に必要な「心理学の知識」
2025年03月26日 PRESIDENT Online

現代社会は情報に溢れている。
どうすれば情報に振り回されずに生きていけるのか。
東京科学大学講師で認知心理学者の栗山直子さんは「どんなに頭の良い人でも、思い込みに囚われていては失敗をする。
現代を生きる私たちは『認知バイアス』について知る必要がある」という――。
※本稿は、栗山直子『世界は認知バイアスが動かしている』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。

■認知バイアスを知らない者がカモになる時代

「情報の豊かさは注意の貧困をもたらす」

ノーベル経済学賞受賞者で人工知能(AI)の生みの親でもあるハーバート・サイモン(1916〜2001)は、生前にこのような言葉を残しました。
情報が増えれば増えるほど、一つひとつの情報に振り向けられる注意が減るというトレードオフの状態になるということです。
なぜなら、人間の脳のキャパシティは昔も今も変わらないからです。
注意力を失った人間はどうなるか。
ますます「バイアス(=思い込み)」に囚われやすくなります。

ITの発展により情報は指数関数的に増えています。
そんな「情報氾濫の時代」において、「思い込みに囚われた人類」が情報に踊らされ、大統領選、ネット炎上、株価暴落、大ブームなど、世界を大きく動かしています。

情報が氾濫している時代だからこそ、情報にアクセスするだけの能力にはあまり意味はありませんし、どんなに頭の良い人でも、思い込みに囚われていては失敗をします。
そして、思い込みは直感的であり、感情的なものです。
意識をしなければ、自分でもコントロールできるものではありません。
現代を生きる私たちにとって、認知バイアスを知らないことは、ことのほかヤバいことなのです。

■認知バイアスがもたらした「イタリアの53番」の悲劇

ここでは私の恩師である故・山岸侯彦先生からご教示いただいた事例を紹介していきましょう。
卑近な例でいえば、「イタリアの53番」と呼ばれる認知バイアスがもたらした悲劇があります。

2005年、イタリアでは数字を当てるナンバーズくじで「53番」が2年にわたって、あたり目になっていませんでした。
このくじは一カ月の売り上げが7億ユーロ近く(当時の為替レートで900億円以上)あることもあり、多くの人が関心を寄せていました。

当然、くじを買う人の中には「次は53番が絶対に出るはず」と考え、多くのお金を投じる人もいましたが、そのことでいくつかの悲劇が生まれます。
大損して妻と息子を射殺した後に自殺したり、家族の全貯金を使い込んで入水自殺したり、少なくとも4件の自殺・殺人が確認されています。

確かに2年も出ていない番号であれば、「次こそ53番が出る」と興奮する気持ちはわかります。
ただ、くじの結果はランダムです。続けて53番が出ることもあれば、2年どころか5年、10年にわたって53番が出なくても全く不思議ではありません。

くじでは当たり前ですが、結果は一回ごとに常にリセットされるので、これまでの出目によって次の結果を修正する機能はありません。
それにもかかわらず、賭ける側はあたかも法則があるように考えてしまいます。
同じように、ルーレットが続けて偶数を出していると、「次は奇数が出るのでは」と思いがちですが、次に奇数が出るか偶数が出るかの確率は同じです。

これらは認知バイアスのひとつで「賭博者の誤謬」と呼びます。もし、当時この認知バイアスが広く知れ渡っていれば、そこまで熱くならず、悲劇も防げたはずです。

■「起業家の成功物語」に踊らされてしまう理由

もうひとつ、知らないと判断を誤りかねないバイアスもお伝えしておきます。
ビジネスの世界で多くの人が陥りがちなのが「生存者バイアス」です。
人は判断する際に失敗したケースを無視して、成功した事例のみに注目して、誤った結論を導いてしまう現象です。

たとえば、メディアではスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなど起業家の成功物語を盛んに取り上げます。
彼らが起業によって世の中を大きく変えたのは事実ですが、起業して彼らのようになれなかった人たちも当然います。むしろ、99.9%はなれません。

ただ、失敗事例にはあまり焦点が当たらないので、成功事例だけに注目して過大評価してしまい、リスクを見落としがちです。
企業が新しい商品を開発したり、新規事業に参入したりするときもこの罠によくはまります。

たとえば、あなたの会社が社運を賭けて新商品を開発する際、既存商品を買ってくれた人にアンケート調査をして、高評価を得たとします。
しかし、だからといって、「よし、イケる」と判断するのは早計です。これこそ「生存者バイアス」だからです。

確かに、この結果はかつてあなたの会社の商品を買ってくれた人がもう一回買ってくれるかどうかの参考にはなるかもしれませんが、新規顧客の獲得につながるかどうかはわかりません。
そもそもこの調査では買おうと思わない人がなぜ買わないかがわかりません。
この買った人だけの調査で社運を賭けるのはあまりにも危険です。

■「減税」を「税の恵み」と表現した大統領

認知バイアスは私たちの生活のあらゆる場面に潜んでいます。
あらゆる決断には認知バイアスが関わっているといっても言い過ぎではありません。
知らないことで悲惨な結果を招くことはありますが、知っていれば自分の強みにすることができます。

認知バイアスをうまく使っているのが政治家です。
政治家が使うバイアスで有名なのが「フレーミング効果」です。
これは情報の発信側が現実を切り取り、認識の枠組みをつくる効果です。
受け手はその切り取られた枠組みで評価をせざるを得なくなります。

たとえば、2001年、米国のジョージ・ブッシュ大統領は一般教書演説で減税について語りましたが、彼はスピーチ中、「減税」をそのまま「減税」とは呼ばずに、「税の恵み」と表現しました。それも5回もです。

聞き心地のよい言葉に言い換えることで、「減税して当たり前だろ」と思っていた人たちに対して「ブッシュ大統領にありがたいことをしてもらっている」と印象を変えることができたのです。

■認知バイアスの活用で納税率を向上

また、政治家以外にも、最近、行政の政策立案者は認知バイアスを活用しています。
英国では他国に先駆けて行政サービスの改善に認知バイアスの理論を活用しようとして2010年に「行動洞察チーム」を設置しました。

チームでは納税率を上げるために未納者に新しい通知書を作成し、そこに「あなたの近隣の90%の人々はすでに税金を納めています」と記載しました。
こう書くことで多くの人は「近所の人が払っているならば、自分も払わなければ」という気になります。
厳しい罰則を新たに定めたわけではなく、文書の内容を工夫することで、納税率が向上し、納税の遅延も大幅に減少したのです。

「人はみんなが選択した判断を好む」という社会的証明と呼ばれる認知バイアスをうまく用いています。
「みんな払っていること」を認識させることで、何も強制せずに、行動を促したわけです。

■時間に追われる現代人にこそ必要な教養

私たちが生きている現代は常に時間に追われています。
多くの情報から必要な情報を取捨選択したり、その情報に基づいて判断したり意思決定したりする際にも、時間をかけないで情報を精査しなければいけません。

人間の思考は合理的ではありません。経験則で判断します。理屈ではなく、過去の経験に依存しがちです。
実際、素早く決めなければいけない場合は、あまり考えている時間がないので、経験則による判断が必要になります。これは人間の生きる知恵でもあります。

ただ、時間がないからと経験則で判断してばかりいると、認知バイアスの落とし穴に気づけず、痛い目に遭う可能性もあります。
そして、ときには生命や財産がリスクにさらされたり、人間関係を壊しかねなかったりするほどのダメージを負うこともあります情報があふれ、時間がない今の時代こそ、「教養としての認知バイアス」を知る必要があります。

実際、最近は認知バイアスへの関心の高さから、海外では大学も教育に力を入れています。
ハーバード大学はオンラインコースで、認知バイアスに関する講義を2024年の9月に実施しており、それは認知バイアスに関する科学的知見や職場でのバイアスの影響を軽減するための戦略を学べる内容になっていました。
ペンシルベニア大学やスタンフォード大学でもこれまで認知バイアスに関連する授業が開かれていて、もはや認知バイアスは「必須の教養」となりつつあるのです。
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栗山 直子(くりやま・なおこ)
東京科学大学リベラルアーツ研究教育院/環境・社会理工学院 講師
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2025年03月28日

「高齢者の花粉症」は最悪の場合死を招く…体に異常な負荷がかかる、絶対にしてはいけない「くしゃみの止め方」

「高齢者の花粉症」は最悪の場合死を招く…体に異常な負荷がかかる、絶対にしてはいけない「くしゃみの止め方」
2025年03月28日 PRESIDENT Online

花粉症の季節にどんなことに気を付ければいいのか。
東北医科薬科大学教授で法医学者の高木徹也さんは「骨が弱くなっている高齢者は、くしゃみの止め方を間違えると人体に余計な負荷がかかって骨折や失神を招くおそれがある。
これがもし運転中だと、死に直結してしまう」という――。
※本稿は、高木徹也『こんなことで、死にたくなかった 法医学者だけが知っている高齢者の「意外な死因」』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

■高齢者、バイアグラ服用で目立つ「腹上死」

「腹上死」という言葉をご存じでしょうか。
これは性交渉中に死亡することの俗語ですが、法医学の分野を世に広めた功労者でもある、大先輩の上野正彦先生も研究していたテーマです。

腹上死は突然死全体の0.6〜1.7%を占めるという報告もあるようですが、日本国内の割合は正確には把握されていません
一部の論文では、腹上死の75%が不倫関係にあったと報告されていますが、これまでの私の解剖経験では、高齢者による非常に若いお相手との性交渉時、そして、近年認可された勃起不全治療薬「バイアグラ」の服用時が目立つ印象があります。

腹上死が「腹の上で死ぬ」ことを指すため、男性が「正常位」での性交渉時に死ぬことだと思っている方も多いようですが、正常位以外でも、また、男性でなく女性が死亡する場合も「腹上死」と表現します。

さらに、今回は高齢者に焦点を当てて解説しますが、若年者でも発生する可能性があることを理解していただきたいと思います。

■腹上死は射精後に起こることが多い

性交渉は、男性の場合、肉体的に陰茎の勃起と射精という一連の流れで行なわれます。

勃起から射精までの過程は、自律神経の副交感神経から交感神経への切り替わりが俊敏に起こる反射によって行なわれるため、全身にも負荷がかかる行為です。
そのため、射精の際に心筋梗塞などの虚血性心疾患、くも膜下出血や脳内出血などによって死亡することがあります。

経験上、腹上死の多くは射精後に起きていることが多いことからも、自律神経の過剰な反射が大きく関与していると考えています。

また、これは性交渉だけでなく自慰行為でも発生します。
アダルトビデオを流したまま下半身だけ裸の状態で死亡しているケースを解剖することも、多々あります。

■バイアグラで血圧が下がり、急性脳梗塞を発症

「えっと……旦那さんは性行為中に亡くなりました」

ちなみに、高齢者が性交渉中に死亡した際、私たち法医学者にとって最も厄介なのは、ご家族への説明です。
パートナー同士での性交渉中の死亡であれば近親者の方々の悲しみに配慮するのみなのですが、内密のお相手との性交渉中に死亡した場合は、ご家族への説明に苦慮します。
保険金や遺産相続が絡んだ裁判に巻きこまれることもありました。

歳を重ねると、勃起力は低下します。それでも性的活力の高い人は、バイアグラに代表される勃起不全治療薬を服用して性交渉を行ないます。

高齢者がバイアグラを服用して、性交渉中に死亡するケースは増えています。
このような場合では、もともと高血圧や心疾患を有していて、降圧薬を服用している人が多く、バイアグラを併用することで急激に血圧が低下し、急性脳梗塞などで死亡していることが多いようです。

バイアグラによる腹上死は、用法・用量を守って服用することで防ぐことが可能です。お医者さんや薬剤師さんの指導には、必ず従うようにしましょう。

△このような危険を避けるには……

・過剰な性的興奮を伴う性交渉は避ける。
・異常を感じたらすぐに連絡が取れる環境で性交渉を行なう。
・勃起不全治療薬と降圧薬を併用しない。

■トイレは「高齢者の病死」が起こりやすい危険な場所

「高齢者が、自宅のトイレから出たところの廊下に、下半身裸の状態で死んでいるのを家族が発見しました」

警察からこうした検案依頼の連絡を受けて、現場へ行く機会は少なくありません。

「うつ伏せの体勢で、手に携帯電話を握りしめていました」といった現場の状況もよく報告されます。
またこのような状況のとき、便器内に用を足した痕跡がない、もしくは用を足していても少量だけ、という点で共通していることが多いです。

ところで、人は死亡すると心臓の停止に伴って血液の循環が停止し、重力に従って体内の低い位置に血液が移動します。
仰向けに亡くなった方であれば背中に、うつ伏せで亡くなった方であれば胸や腹部あたりに体内の血液が溜まるわけです。

溜まった血液は外表から観察することができますが、これを「死斑」といいます。
死斑が出ている部位や色調、発現の強さを観察することで、死後の経過時間だけでなく、死亡状況や死因を判断することができます。
特に、死斑の色調が赤黒く、濃く発現している場合、病死であれば脳血管系疾患、いわゆる「脳卒中」が強く疑われます。

先ほどのようなトイレから出た状態で亡くなっている人は、死斑が顔面や身体の前面に赤黒い色で濃く発現していることが多いのです。
また、ご遺体をつぶさに観察すると、膝に擦りむいたような痕が確認できることがあります。


現場検証をした警察からすると、助けを求めているように見えるので事件性を疑いたくなるようですが、私たち法医学者は「脳血管系疾患による病死ですね」とアッサリ判断することになります。

■きばりすぎで血圧が上昇し、脳の血管が…

歳を重ねると副交感神経の反射が弱くなり、腸の動きが悪くなります。
そのため、便が腸に留まる時間が長くなって便が硬くなり、出にくくなります。

さらに本来であれば、便が直腸という器官に到達すると、直腸の神経が反応して大脳を刺激し便意を感じますが、これも感じにくくなります。
加えて、排便するときに必要な腹筋や肛門の筋肉の働きが弱くなるため、便を押し出しにくくなります。

また生活習慣病によって、腸に向かう血管に動脈硬化症が生じると、余計に腸の動きが悪くなり、便秘になってしまいます。

このような理由から、高齢者はトイレで長い時間「きばる」のです。
きばれば血圧は上昇し、脳血流が増加。
これにより、動脈硬化の進行によって脳に形成されていた動脈瘤が破裂して、脳血管系疾患を起こすことがあります。

なお、脳血管系疾患を発症すると激しい頭痛に襲われますが、すぐに心臓停止や意識消失には至りません。頭痛に耐えながらトイレから這いずり出て、携帯電話で助けを呼ぼうとして倒れこむので、ご遺体の膝に擦りむき傷ができるわけです。

日常的に使用するトイレも、高齢者にとっては突然死しかねない場所であることを理解して、用を足すときには気をつけてほしいですね。

△このような危険を避けるには……

・食物繊維が含まれる食事など、便通がよくなる食生活を心がける。
・家族は高齢者が便秘になりやすいことを理解する。
・便通が悪い場合には医師に相談し、適切な処方を受ける。

■「高齢者の花粉症」は命に係わる

花粉の季節、花粉症の方はくしゃみが止まらなくなってしまいますね。

海外でくしゃみをすると「God bless you.(神のご加護を)」と声をかけられます。
これは、くしゃみで「身体から魂が飛び出る」と信じられていたことや、過去に流行した「ペスト(黒死病)」の初期症状がくしゃみだったことに由来するそうです。

本来、くしゃみは気管や肺などの気道内に、微生物や細菌、ウイルスなど外部からの異物が侵入するのを防ぐ機能です。
また、花粉やハウスダストによるアレルギー、鼻粘膜の血管運動、自律神経の反射、刺激物による反射など、さまざまな原因でも生じます。

くしゃみをすると、唾液は2〜3メートル、噴霧したガス状であれば7〜8メートルほどの距離まで飛ぶと言われています。
そのスピードは時速50キロメートル以上。さらに、くしゃみ一回で消費するエネルギー量は、約4キロカロリーだそうです。

数値で見るとたいしたことはないと思われるかもしれませんが、瞬時にこのような症状を引き起こせば、人体には相当な負荷がかかるものです。
くしゃみは多くの筋肉を使うため、連発すれば体力を消耗し、通常の呼吸がしにくくなることもあります。

さらに、前触れがないため自分でコントロールすることができず、ほかの行動ができなくなったり、目をつぶったりしてしまいます。
飲み物を持っているときにくしゃみをして、勢いでこぼしてしまった経験はないでしょうか? 
飲み物をこぼす程度で済めばいいのですが、高齢者の場合、予期せず生じるくしゃみによって、なんと生命の危険にさらされることがあります。

■くしゃみの止め方が悪いと失神、骨折を招く

一つは、くしゃみによる失神です。

くしゃみの仕方や体勢によっては、首に負担がかかり意識を失うことがあります。
これは、首と顎の境目に位置する「頸動脈洞」という部位に、刺激が及ぶためです。
「頸動脈洞」には、脳への血流を監視する機能があり、刺激が加わると脳の血流を下げようとして脈を遅くさせます。この反射によって脳血流が低下し、失神してしまうのです。

これが死に直結することはなくとも、失神が原因で転倒や転落、溺水、交通事故などの重大な二次被害につながることがあります。
実際に、「運転中のくしゃみによる失神が原因である」と裁判で認定された交通死亡事故もありました。

もう一つの危険性は、肋骨骨折。
くしゃみの負担は、呼吸運動を司る肋骨にかかりやすいので、骨が弱くなっている高齢者は危険です。
肋骨は呼吸で大きく動かす骨なので、骨折すると痛みで呼吸が浅くなり、二次的に肺炎や呼吸不全など重篤な合併症を併発する可能性があります。

このように、くしゃみは身体に相当な負荷がかかるのですが、だからといって、くしゃみを無理に止めようとするのはやめましょう。
たとえば、口や鼻を手で強く圧迫するようにして覆うなどすると、さらに負荷がかかって、気道の損傷やぎっくり腰などほかの傷病を併発することもあるので、絶対にやってはいけません。

△このような危険を避けるには……

・くしゃみが続くようなら、耳鼻咽喉科系の病院を受診する。
・くしゃみの後に身体の痛みを感じたら、整形外科系の病院を受診する。
・口や鼻を無理やり押さえてくしゃみをしない。

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高木 徹也(たかぎ・てつや)
法医学者、東北医科薬科大学教授
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2025年03月29日

テストの点数でも、足の速さでもない…成績表で"5"を取るために教師が小学生に求める「理不尽な評価基準」

テストの点数でも、足の速さでもない…成績表で"5"を取るために教師が小学生に求める「理不尽な評価基準」
3/28(金) プレジデントオンライン

日本の学校は、テストの結果だけで子供の成績をつけなくなった。
公平性が増したように見えるが、どのような問題があるのか。
木村草太『憲法の学校 親権、校則、いじめ、PTA――「子どものため」を考える』(KADOKAWA)から、木村さんと教育社会学者の内田良さんの対談の一部を再編集して紹介する――。(第4回)

■“子供に寄り添った授業”がやりにくくなる

 教育現場では、今まさに劇的な変化が進んでいる。
全国の自治体や学校では、授業の進め方やルールなどを統一する「授業スタンダード」と呼ばれるものが広がりつつある。
教師の長時間労働などの背景を研究し、現場のリアルな声を発信してきた教育社会学者の内田良(うちだりょう)さんと議論した。

 【木村】
気になっているのは、「授業スタンダード」の導入です。
授業方法から挨拶などの生活指導まで、「こういう方法でやりなさい」というスタンダードが下りてきて、教師の裁量が低下する。
裁量性が広い双方向・探究型授業を行おうとするがゆえに、ノウハウが求められて、結果的にスタンダードが導入されるという事態になっています。

 ただ、教育法学でも憲法学でも、現場の教師の裁量は非常に重要だと言われているんです。
裁判官は子ども一人ひとりの顔は知らないし、どんな子なのかも分からない。
他方で現場の教師は、その教室の専門家として、時間をかけて子どもたちへの理解を積み重ねている。
その専門家としての判断を裁判官や法律家は尊重する必要があるし、裁判所にとっても、授業の方法が裁量を逸脱しているかどうか、違法性を認定することには非常に慎重になる。

 ところが、授業スタンダードが設定されると、「この子はもう少しゆっくり喋(しゃべ)ってあげた方がいいな」とか「この子たちは、この知識がないから、それを定着させてから次のプロセスに入ろう」といった判断が許されなくなってしまう。

■保護者に説明しやすいメリットもあるが…

 「メガホン」というウェブメディアが実施した教職員向けアンケートを目にしたのですが、それを見ると、現場の教員は、スタンダードに関して、メリットよりもデメリットを強く感じているようです。

 唯一のメリットと言えば、保護者に説明が出来ることぐらいだと。(メガホン「【教職員アンケート結果】学校や自治体で授業のやり方を統一する「授業スタンダード」どう思う?)」

 【内田】
授業スタンダードのメリットはその1点なんですよね。
「管理しています」という証拠として説明責任を果たせる。
例えば、鉛筆が1本なくなったと低学年の子どもが言い出すことがあります。こういう時のために、持ってくる鉛筆は5本と決めて、毎朝本数を確認しておく。すると、日中に1本消えたのだから学校で落としたと言える。

 こうした明確な説明がつきやすいと、何かトラブルが起きた時の説明もしやすいんです。「ちゃんと指導しています」という証拠になる。
そのため、嫌がる教師がいる一方で、コミットしてしまっている教師も多い。

■子供が“教師の顔色”をうかがうようになる

 【木村】
探究型・双方向型授業の問題点と重なるのが、全人格的評価です。

 【内田】
かつてテストの点数だけで評価していたのをやめて、観点別評価に変えていきましょうという仕組みですね。
子どもの力はテストだけで測定しちゃいけないだろうと。
具体的には、関心、意欲、態度が重視されるようになりました。
この子は授業中、こんなに元気よく発表しているじゃないか、それを評価に組み込んで評価の枠を広げましょうという趣旨です。
 この仕組みはおっしゃる通り問題があって、要するに教師の権限が広がって、子どものあらゆる側面を評価できるようになってしまうんです。
態度が悪い子どもを指導する、あるいは指導しなくとも、子どもは教師の顔色をうかがいながら学校生活を過ごすようになる。

 【木村】
じゃあ、どんな子どもが高いスコアを取れるかというと、実はテストが得意な子どもなんです。
評価軸ごとにノウハウを磨いて、それを満たすように振る舞うには、テスト対策と同じ能力が必要ですから。もともと目指していたものとは、乖離していく。

 【内田】
例えば苦手な教科は終わった後に質問しに行くことで意欲をアピールして、みたいなテクニックが生まれます。
それでスコアを上げて、推薦入試を狙うと。

■“体育が得意”なだけでは「5」が取れない

 【木村】
私の子ども時代には、「体育」が「5」の子どもはクラスのスポーツのヒーローだったわけですが、今「体育」が「5」の子どもは違います。
技能が出来るだけでは「4」までしか取れなくて、その後の振り返りで、「目標は◇◇だった」「○○の点ができなかった」「今後は、それを改善するために、△△に取り組みたい」みたいなことを表現できないといけない。
これはやはりずれていると思うんです。人格の評価は、技能の評価とは別で考えないといけない。

 【内田】
テストの点数だけで評価すると言うと冷たく聞こえますが、裏返すと「それ以外は自由でいいよ」という話じゃないですか。最低限の知識はテストで評価させてもらうから、他は好きにしていいよ、と。
この方が子どもにとっても良かったんじゃないかという感覚があります。

 テストの点数は悪くても意欲がある子どもに対しては、例えば教師が休み時間に声をかければいいわけですよね。
「この前の発表、良かったよ」とか。声をかけて褒めてあげれば、すごく自信が付くし、前向きに生きていけるはずなんです。「テストはダメだったけど、先生に褒められたもん」と思える。
それを数字化しようとするからおかしなことになる。「全人格的にあなたは『1』です」とか……。

 【木村】
たまったものではないですよね。

■教育は「技能を身に着けること」が目的である

 【木村】
『虎に翼』というドラマに道男(みちお)くんというキャラクターが出てきます。
戦災孤児が生活のために犯罪を犯してしまったのだけれど、更生していくという設定なのですが、寿司職人になって料理の技術は上がっても、接客と経理は出来るようにならない。

 普通のドラマだったら、彼は努力を積み重ねて成長するところでしょうが、『虎に翼』では無理なものは無理。
すると、「じゃあ私が手伝うわ」って他のキャラクターが出てくる。
得手不得手があって、個性を補い合いながら社会で生きている。人間って、そういうものであるはずなんです。

 それなのに全人格的評価は、「技能も人格も全部優れていて初めて高く評価されます」という仕組みになっていて、逃げ場がない。
教育は技能を身に着けることが目的であって、プロセスは自由でいいという発想に立ち返る必要があります。

■子供も教師も幸せにならない

 【内田】
こういう主張をすると、「テスト至上主義」というレッテルを貼られてしまいます。

 【木村】
「テスト至上主義」という批判は、多くの場合、批判対象がずれているんです。
昔、大学入試共通テスト改革で「1点刻み」の入試から抜け出す、という主張があったのですが、合格者の定員が決まっている以上、合否を分ける最後の線引きが1点差になるのは必然です。
「1点刻み」をやめたいなら定員を無くすしかない。

 【内田】
テストや偏差値が悪者扱いされてきた歴史には、確かにそれなりの理由がある。
では今が良くなっているかというと、そうは思えない。
現状は、偏差値がなくなったわけではなくて、すべてが偏差値になっているだけなんですよね。

 【木村】
そうなんです。教師側の負担も増えることになります。これまでは期末試験をやって採点すればよかったことが、毎日出欠を取って、手を上げた回数とかを記録しなければいけない。誰も幸福じゃないんです。

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木村 草太(きむら・そうた)
東京都立大学大学院法学政治学研究科教授
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内田 良(うちだ・りょう)
教育社会学者、名古屋大学大学院 教授
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月30日

高い!運べない!どうする“引っ越し難民”…なぜ今、引っ越しできないのか、その理由とは?

高い!運べない!どうする“引っ越し難民”…なぜ今、引っ越しできないのか、その理由とは?
3/29(土) TOKYO MX

TOKYO MX(地上波9ch)朝の情報生番組「おはリナ!」(毎週月〜金曜7:00〜)。「ライプラ!」のコーナーでは、昨今問題視されている“引っ越し難民”について取り上げました。

◆引っ越し難民が急増中! その要因は?

異動や進学などで引っ越しを検討する人が多い3月。
インターネットの料金比較サイトを調べてみると、ここ数年の3月の引っ越し料金の相場は、年々上昇しています。
また、トラックドライバーの不足による手配の難しさもあり、希望した日程に引っ越しができない、いわゆる“引っ越し難民”が増加しています。

千葉県柏市にある大手引っ越し会社「アート引越センター」の関東コンタクトセンターに伺ってみると、午前中からスタッフが見積もり依頼の電話対応に追われていました。
担当者によると、引っ越し業界にとって3月は通常より約2倍〜3倍の需要があるかき入れ時。
しかし、それは嬉しい悲鳴かと思いきや、「2024年問題を受けまして、計画的な受注をおこなっております」と話すのは、同社業務部の高鍋部長。

去年4月にトラックドライバーの時間外労働が制限されたことにより、流通業界や運送業界が人手不足に陥っているという2024年問題。
その影響で今年は高まる需要に応えられなかったこともあったそうで、高鍋部長は「1日の引っ越しの稼働件数に関しましては、(2024年問題が)影響を大きく与えております。
受注のキャパシティを超えたときには、その日の対応が難しい」と話します。

企業側でも引っ越しルートの最適化やドライバーの求人掲載を増やすなどの対応をおこなっていますが、ピーク時の人員不足や資材・人件費の高騰による価格の上昇は今後も起こり得るということです。

そうしたなか、3月末に引っ越しを予定しているという30代女性に話を伺ってみると、現住居から車で約15分の場所への引っ越しを業者に依頼したところ、117万円という見積もり金額が提示されたということです。
その後、複数の業者から見積もりを取るなどして、結果的に費用は40万円まで下がったそうですが、当時は退去日が迫り、引っ越し難民になる恐怖が頭をよぎったそうです。

◆一時的に荷物を保管できる「トランクルーム」 引っ越し時に短期利用

今後も引っ越し難民の増加が懸念されているなか、荷物の置き場所が見つからない人に向けたあるサービスが注目を集めています。
それは物置代わりにレンタルして荷物を置くことができるトランクルームです。

トランクルーム「Quraz(キュラーズ)」では、引っ越しした際に荷物を置くスペースがなくなった人や物件の入居日と退去日の調整がつかず、一時的に荷物を保管しなければならなくなった人からの問い合わせが急増。
シニアマネージャーの池田さんは、「そもそも2月、3月は引っ越し時の一時保管にお使いいただく短期利用の方が、平年と比べて40%ほど増える時期の1つになっています。
そして、(今年は)前年比二桁増といった形で非常に好調に推移しています」と現状を解説。

また、利用者に話を聞いてみると「引っ越しの退去日と入居日がずれているので、利用させていただきました。
キレイで台車が自由に使えるというところで、運び出しとかもすごくスムーズにできたなと思っていて、便利だなと思っています」との声がありました。

なお、キュラーズのトランクルームは家族の荷物が丸々入る広さの4畳タイプで月額4万2,490円(+税)。
その他、月額3,000円程度で借りられるロッカーサイズから8畳の大容量サイズのものまで、さまざまなサイズがあるそうです。
また、引っ越しに利用する人などに向け、住居からトランクルームまで荷物を運ぶシャトルバスのサービスを無料でおこなっているということです。
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2025年03月31日

【習慣化のコツ】「三日坊主で終わる人」と「努力が続いていく人」の決定的な違い

【習慣化のコツ】「三日坊主で終わる人」と「努力が続いていく人」の決定的な違い
2025年03月30日 04時06分ダイヤモンドオンライン

「毎朝1分間日記を書くだけで、奇跡のように人生が激変する」と語る人がいる。
コーチングスクール「ホリシニクスアカデミー」学長で、1分朝活グループを主宰する三宅裕之氏だ。
その真偽はさておき、こう言われたときにそもそも「毎朝1分日記を書く」こと自体、非常にハードルが高いと感じた人も多いのではないだろうか。
しかし、三宅氏は「毎朝1分日記は誰でも続けられる」と語る。
それはいったいなぜか。三宅氏の著書『奇跡が起きる 毎朝1分日記』をもとに、その理由を解説する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

■毎日日記を書き続けるのは難しい

 地道に物事を継続できる人とできない人がいる。

 筆者は完全に後者だ。三日坊主ならぬ「一日坊主」で、「今日からこれをするぞ!」と決めても、その日だけで終わるという経験が多々ある。

 なんなら世の中の大半のことはきちんと継続できたら達成できるのではないか、と思うくらいに物事を続けるのは難易度が高いものだ。

 大手筆記具メーカーがX(旧・ツイッター)で行ったアンケートでは、日記をつけたことがある人は86%もいた一方、全体の80%の人が「三日坊主で終わった経験がある」と答えた、と本書には書かれている。

 納得の回答である。むしろ、続けられる人が稀有な存在と言ってもいいだろう。

 しかし、三宅氏は「毎朝1分日記にはそんな心配はありません。誰でも、必ず続けられるのが毎朝1分日記なのです」と語る。

 その理由はなんだろうか。

■書くことが決まっていると、日記は続けやすい

 日記を続けられるかどうかの鍵を握るのは「習慣化のメカニズム」である、と三宅氏は指摘する。

「毎朝1分日記が、誰にでも続けられる理由はここにある」と語る三宅氏。
その理由の1つに、「1分しかかからないから行動がたやすい」ことを挙げる。

 用意するのは、ノートとペンの2つだけ。家にある普通のノートでいいそうだ。

 そして、日記に書き込むのは次の2つだけでいい。
 このように、書くことが決まっているというのもポイントだ。

■朝のルーティーンに組み込むことで習慣化を

 次にポイントになるのは「毎朝」1分日記であることだ。

 これは前述した人が行動できるかどうかの3要素、「実行しやすさ」「モチベーション」「きっかけ」のうち、「きっかけ」と関係しているという。

 また、習慣を身につけるには、同じような状況(時間、場所)で同じ行動を繰り返すと、より習慣になりやすいという研究結果があるのだそうだ。

 そのため、会食があったり、帰宅時間がまちまちだったり、お酒を飲んで酔っ払ってしまったりと、なかなかルーティーン化が難しい夜の時間帯よりも、朝の方が「状況の安定性」を最も手に入れやすい。

 だからこそ、三宅氏は、「習慣化に最適なタイミングこそ、朝なのです」と主張する。

■脳のゴールデンタイムにクリエイティブな作業を

 日記を朝に書く理由は、他にもある。

 脳科学の世界では、目覚めてからの約2時間を「ゴールデンタイム」と呼ぶそうだ。

 これらのことから、三宅氏は「毎朝1分日記は朝書くからこそ、続けることができ、自分自身の感情を自分でコントロールでき、ポジティブでクリエイティブな内容にすることができるのです」と語る。

■毎朝1分日記を書く習慣が集中力アップにつながる

 さらに、毎朝1分日記には副次的な効果もあるという。

 毎朝1分日記は、1分という限られた時間で、自分の思考をノートに書き込むものだ。

 そのため、「1分間に集中して物事を考え、ページ上に整理する。
そんな訓練を毎朝続けるうちに、脳はいきなり集中力を高め、エンジン全開で走り始める方法を学ぶ」というのだ。

 他にも、SNSで「毎朝1分日記を始めます!」と宣言してしまったり、「毎朝続けられたら○○する」というごほうびを意識したりすることで、毎朝続けることができるようになるそうだ。

 そして何より、「実行できない日があっても、次の日にまた実行すれば、OK」というのもいい。
ただし、実行できない期間が1週間を超えると、習慣作りが難しくなるそうなので、そこだけ注意したいものだ。

 こうしてみると、「毎朝1分日記を書くこと」のハードルは思ったより高くなさそうだし、続けることのメリットも大きいように感じる。

 三日坊主の筆者ではあるが、これなら続けられるかもしれない。
何より、フリーランスであるが故に、朝ダラダラしてしまう生活習慣を変えるきっかけになるかもしれないと感じられた。

 いつまで続けられるかわからないが、ひとまず明日から始めてみようと思う。
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なぜ豊かだった日本はここまで衰退してしまったのか「不幸の正体」

なぜ豊かだった日本はここまで衰退してしまったのか「不幸の正体」
3/29(土) 現代ビジネス

経営者、従業員、高齢者、若者……「みんな苦しい」のは一体なぜなのか?

私たちを支配する「苦しさ」にはごくシンプルな原因があり、ちゃんと対処する方法がある。
経営学の道具を使えば、人生が大きく変えられる。どういうことだろうか。

15万部ベストセラー『世界は経営でできている』で大きな話題を集めた気鋭の経営学者・経営者の岩尾俊兵氏による渾身の最新作『経営教育』(角川新書)では、「みんな苦しい」の謎をあざやかに解き明かす。
(※本記事は岩尾俊兵『経営教育』から抜粋・編集したものです)

ここで「日本企業はなぜ価値創造の民主化を捨ててしまったのか?」「アメリカ企業はいかにして価値創造の民主化を取り入れたのか?」という二つの疑問に答えていきたいと思います。

日本企業が価値創造の民主化を捨ててしまった原因を考える前に、そもそも価値創造の民主化が生まれた背景を考える必要があります。
筆者はそれが戦後の「人間の脳みそ以外に資源がない」という状況にあったと考えています。
しかも、誰もが豊かさを渇望していて需要が大量にあり、朝鮮戦争の特需もありました。
「何を作れば売れるか」も欧米を真似すればいいので明らかでした。
欧米というゴールに向かって全力疾走すれば勝てる時代です。

需要が明らかで働けば働くほど豊かになれる状態でしたから、まさにヒトこそが価値の源泉だったわけです。
同時に、農地改革や財閥解体、公職追放などによって、地主や株主は権力を失いました。
1945年の前後10年の時期に、賃金と物価は約200倍になりましたが、株価と地価はせいぜい10~100倍にしかなりませんでした。

インフレは、相対的にはカネがヒトよりも価値がない状態です。
ヒトのほうが価値を持つからこそ、給料も物価も上がっていくわけです。
こうしたインフレ状況は「自分の労働力こそが富の源泉だ」という信念を社会全体に浸透させたと思われます。

このとき、経営には大原則があります。
それは「希少資源を持つ会社は成功する」という原則です。
ですからインフレ下では希少資源であるヒトを集めて最大限活用する価値創造の民主化が成功したわけです。

しかし、総合GDPがアメリカに次いで世界第2位、一人当たりGDPもスイスに次いで世界第2位という、両者を合わせて考えれば日本の豊かさが頂点に達した80年代から大変化が起こります。

カネとヒトの価値逆転という不幸

この時期の前後に、
@変動相場制(第二次ニクソンショック以降)、
Aグローバル化(冷戦終結以降)、
B資本主義という、「通貨価値が上下に大きく変動する3要素」が揃いました。

変動相場制によって通貨に価値の裏付けがなくなります。
グローバル化によって通貨が世界中を移動するようになりました。
さらに、資本主義によってなんでもお金で買える世の中になったわけです。
これら三つとも、お金の価値が極端に上がるか/極端に下がるかという状況をもたらします。

お金に価値の裏付けがなくなれば、お金の価値は下がるのが普通でしょう。
しかし、1980年代から2020年代までの40年間で、日本だけが半分の20年も通貨価値が上がってしまうデフレになりました。
日本以外の先進国はせいぜい1~2年のデフレしか経験していないのにもかかわらず、です。

その背景には国際政治と日本自身のパニックがありました。

まず、1985年のプラザ合意によって円高誘導が決まります。
さらに、80年代後半には冷戦終結によって日本のお隣に中国という低賃金国が出現することになりました。

日本の円が高くなることが決まっているのだから、円をなるべく使わないほうが得します。
では円を使わざるをえないものは何か。
それは日本人の給料であり、日本での生産費用であり、日本製品であり、日本企業の株です。
では代わりに誰を雇って、どこで生産をして、何を買うか。

当然ながら、中国で人を雇って、中国に生産拠点を移し、アメリカ製品を買って、アメリカの株に投資するということになります。

こうして日本企業は高くなった円を国内で吸い上げて海外で使うようになったわけです。
個人投資家も同様です。日本株よりもアメリカ株という風潮は今でも続いています。

日本は33年連続で対外純資産額世界1位です。
前ページのグラフ(図6‐4)から分かる通り、国外に持っている資産と負債を差し引きすると資産が400兆円以上も多いのです。
アメリカと対比するとさらに興味深いです。アメリカは対外純負債2000兆円ほどですから、日本はアメリカと比べても2400兆~2500兆円もの大金を海外に対して持っているということになります。

こうして日本には対外的な円高と国内的なデフレが同時にやってきました。
きっかけは国際政治でした。
とはいえ、日本企業も日本人も高まり続ける円の価値に踊らされてこれを海外に投資するだけで、国内で価値を創るという仕事を重視しなくなりました。
日本で「生産をしない」のだから国内総「生産」=GDPが下がるのは当たり前です。

しかも、日本ではカネの価値が2倍、3倍、4倍と急激に上がったのに対して、ヒトの価値創造能力はそこまで急激には上がりませんでした。
ですから、実際にヒトよりもカネを重視する投資思考が成功を収めるようになりました。

経営の原則は「希少資源を持つ会社は成功する」です。
平成日本では希少資源がヒトからカネへと180度変わってしまいましたので、価値創造の民主化を愚直に続ける会社が競争に勝てなくなったのです。

カネが希少資源に変わってしまったら成功するのは「希少なカネの使い方が上手い企業」でしょう。
ですから、円高・デフレ下の平成日本ではカネを守るための経営戦略、カネを守るためのファイナンス、カネを守るためのコーポレートガバナンスが流行しました。
カネを守る術はアメリカが先行していましたから、闇雲にアメリカに追従する似非経営が流行してしまったのです。
しかもたちが悪いことに、それが経営の原則からして「実際に成功する」という状況だったのです。

実際、昭和の有名経営者といえば本田宗一郎や松下幸之助のような「ヒトが集まってくるリーダー」、平成の有名経営者といえば「カネが集まってくる(投資家ウケする)インフルエンサー」というイメージではないでしょうか。
こうして日本企業は価値創造の民主化を捨てていったわけです。

岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)
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