SNSを規制したところで「魔女狩り」がなくならない根本的な理由(古市憲寿)
3/6(木) デイリー新潮
世論が荒れている。誰かが炎上したかと思ったら、すぐに別のターゲットに火がつく。もはや「人のうわさも75時間」という時代だ。
この世情において、改めて注目されているのがSNSである。
2024年の東京都知事選や兵庫県知事選でもSNSは選挙に大きな影響を与えたといわれている。
自民党には選挙におけるSNS規制に前のめりの議員がいる。
本当に自民党がSNS規制でもしようものなら、まさにSNS世論にまきをくべるようなもので、センスがないと思う。
「選挙に負けそうになったから新しいメディアを弾圧する既得権益集団」との烙印が押され、そのイメージを変えるのは難しいだろう。
確かにSNSに差別やデマが溢れているのは事実だ。だが本当にそれはSNS特有の問題なのだろうか。
SNSでの誹謗中傷は「現代の魔女狩り」と呼ばれたりするが、本当の魔女狩りも、実は新しいテクノロジーの到来とともに起こった。本である。
15世紀半ば、グーテンベルクが活版印刷を実用化したことで、本というメディアが安価で手に入るようになった。
聖書が大量に刷られ、教会が独占していたキリスト教の解釈にも疑問が呈され、それがやがて宗教改革につながった、というのは有名な話だ。
だが本の普及には負の側面もあった。
それを象徴するのが1468年に出版された『魔女に与える鉄槌』という一冊だ。
作者のハインリヒ・クラーマーはドミニコ会の修道士。陰謀論に傾倒したヤバい人物で、サタンに率いられた魔女が世界を破壊しようとしている、と信じていた。
だが地元の教会当局はまともで、クラーマーの告発を信じず、むしろ彼に教区を離れるよう命じた。
そこでクラーマーが書き始めたのが『魔女に与える鉄槌』だ。[
妄想と憎悪に満ちた一冊は、ヨーロッパでは記録的なベストセラーになった。
当初は聖職者も懐疑的だったが、あまりにも本が売れてしまったことで教会も態度を変えていく。
同書は増刷や翻訳が繰り返され、大量の模倣書も生み出した。
魔女狩りの原因を一冊の本だけに求めることはできないが、印刷技術が魔女狩りを過熱させ、ヨーロッパ中に広めたのは事実だろう(ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS』)。
魔女狩りは「暗黒の中世」ではなく、近世に起きた惨劇である。
中世の迷信深い人ではなく、新しい技術が陰謀論を流布し、犠牲者を増やした。
その意味で現代のQアノンに通じる点もある。
SNS規制というなら、本などのオールドメディアも規制すべきだろう。そうでないとフェアではない。結局、人類は技術が発達しようと同じようなことを繰り返してきたのだ。
だが希望もある。魔女狩りによる死者は少なくとも数万人といわれる。
SNSの誹謗中傷が人を殺すことはあるが、かつての魔女狩りと比べれば死者数ははるかに少ない。その意味で人類は着実に進歩している。これでも多少は平和で理性的になったのだ。
古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。
「週刊新潮」2025年3月6日号 掲載