2025年04月01日

「認知バイアス」には記憶をゆがめる可能性がある

あなたの記憶はどこまで信用できますか?注意が必要な「後知恵バイアス」を解説
栗山 直子 : 東京科学大学リベラルアーツ研究教育院/環境・社会理工学院 講師
2025/03/31  東洋経済オンライン

「人が今まで生きてきた中での個人的な経験の記憶」を指す“自伝的記憶”は、書き換えられがちです。
自分についての記憶なので、間違っているわけないと思われるかもしれませんが、正確ではない部分もあります。
※『世界は認知バイアスが動かしている』から一部抜粋・編集のうえ、解説します。

事件の目撃証言は信用できない

フォルスメモリは実際には起こらなかった出来事や事実に基づかない内容を本人が本当の記憶として信じ込んでしまう現象です。
目撃証言に関するロフタスとパーマの有名な実験があります。

参加者に自動車事故の映像を見せた後、質問の仕方を変えることで、事故の様子に関する記憶がどのように変化するかを調べました。

その結果、「車が衝突したときの速度はどれくらいでしたか?」と聞かれたグループは、「車が接触したときの速度はどれくらいでしたか?」と聞かれたグループに比べて、車がより速く走っていたと答える傾向が見られました。
同じ映像を見ながら「衝突」と「接触」の言葉の違いだけで映像の記憶が全く変わってしまうのです。

1週間後に追加の実験を実施していますが、その実験結果も「衝突」と「接触」では記憶が変わる可能性を示唆しています。
実験参加者全員に「事故映像でガラスが割れるのを見ましたか?」と質問しました。
実際の映像ではガラスは割れていませんでしたが、1週間前に「接触したとき」と聞かれたグループは51人中7名が「見た」と答えました。

一方、「衝突したとき」と聞かれたグループは50人中16人が「見た」と答えました。
つまり、人間は聞かれ方によって答え方が変わったり、間違って思い込んでしまったりする可能性があります。

ですから、事故や事件の事情聴取、裁判の目撃証言など信ぴょう性が問われる状況では、聞き方や取り調べの方法を慎重に考えなければいけません。
人は自分でも気づかずに記憶を書き換えて答えてしまう傾向があるのです。
昔を思い出して、自分の経験や出来事を語る自伝的記憶があまりあてにならないといわれているのもこのバイアスによるものです。

幼少期の記憶はつくり変えられる

お伝えしたように、昔を思い出して、自分の経験や出来事を語る自伝的記憶があまりあてにならないのもフォルスメモリと無縁ではありません。
自伝的記憶とは、「人が今まで生きてきた中での個人的な経験の記憶」を指します。
そして、この自伝的記憶は書き換えられがちです。意図せずに、記憶を再構成する傾向が見られます。

大学生を対象にした実験があります(Huffrick et al.(1995))。
大学生の家族や友人に協力してもらって、幼少期の出来事の情報を収集しました。その上で大学生にインタビューを実施したところ、多くの実験参加者が本当は自分が体験していない出来事を追加して自分の経験だと説明しました。

これは、思い出話などを繰り返し思い出したり、家族から聞いたりすることによって、覚えていないものについても、「そんなことがあったなあ……」と自分が覚えている記憶と書き換えられてしまうからです。その結果、フォルスメモリを形成してしまいます。

自分についての記憶ですから、間違っているわけないと思われるかもしれませんが、自伝的記憶は正確ではない部分があります。
人は、このようにつねに記憶を書き換えてしまうリスクを抱えているのです。

「後知恵バイアス」が記憶をゆがめる

後知恵バイアスは物事が起きた後に(答えを知った後に)、「そうなると思っていた」「予測ができた」と考える心理的傾向です。

たとえば、スポーツや選挙で自身の予想と異なる結果が出た際、「予想は外れたけど、こうなる可能性があることもわかっていた」と感じたことはないでしょうか。
強がりや負け惜しみではなく、無意識にこう思ってしまうのも、後知恵バイアスの典型例です。

有名な研究としては、リチャード・ニクソン大統領の1972年の中国・ソ連外交に関するアンケート調査があります。
ニクソンの北京訪問を前に、どんな結果をもたらすかいくつかの具体的な出来事を示してその出来事が起こるかどうかについて調査参加者に予想してもらいました。
そして、ニクソン訪中の結果を知った後で再度予測を思い出してもらいました。

結果としては、事前の調査で提示していた出来事について、実際に起きたことに対して自分の予想を過大評価して「高い確率で予想していた」と、起きなかったことに対しては「もともと低い確率で予想していた」、つまり最初から起こりそうもなかったと思っていたと記憶を書き換える傾向にありました。

たとえば、訪問前に「失敗に終わる」と予想していた人が、「私は成功を信じていた」などと考え始めたのです。
人間は後から結果や知識を与えられると、知覚や記憶を無意識に変化させてしまうことがあるのです。
私たちの予測の精度は自分たちが思っている以上に悪いともいえます。

裁判の証言はあてにならない訳

後知恵バイアスは、実際に起きた事件や事故、裁判にも影響を与えることがあります。
ある川で起きた鉄砲水による水難事故をめぐる刑事裁判がありました。
争点は、鉄砲水発生の予兆である川の濁りを被告側が事前に認識し、事故を回避できる可能性があったかどうかでした。

事故前に撮影された川の写真は、濁りの有無について評価が分かれるものでした。
事故前に現場にいた関係者は写真を見て、「水は濁っていた」と証言しましたが、本当に川が濁っていたのかどうか、写真だけでは断定できる要素がありませんでした。

「鉄砲水が起きたことを知っているため、濁っているように感じているのではないか」と考えた弁護側は認知心理学の専門家に証言を依頼します。
そこで、専門家は実験を行い、影響を調べました(Yama, Akita & Kawasaki(2021))。

世界は認知バイアスが動かしている 情報社会を生きぬく武器と教養

実験参加者を2つのグループに分け、河川の写真を示しました。
水の濁りが鉄砲水の予兆であることをあらかじめ伝え、濁りの程度を評価するように求めました。
ただ、片方のグループには「実際に鉄砲水が起きた川」として写真を見せ、もう一方にはその情報を与えず、評価がどう左右されるかを検証しました。

平均値を比較したところ、鉄砲水が発生した川という結果を事前に知らされたグループの方が、より強く濁りを評価する傾向が出ました。
条件を変えた別の実験でも同様のデータが得られており、同じ写真でも、結果を知ることで濁りが強く見えることがわかりました。
典型的な後知恵バイアスであり、そうしたバイアスに基づく発言は実際の裁判でも起きる可能性を示しています。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする