55歳になって 気恥ずかしいのですが、トップは両親紹介です。
<父親紹介>
大正15年生まれで高等小学校卒。戦時中 志願して海軍の海兵団に入隊。上官に恵まれ、終戦ギリギリまで「長男だから」と特攻要員に組み入れられずにいたが、終戦間近に一式陸攻の6名の搭乗員の一人として特攻出撃を待つも辛うじて出撃前に敗戦。
戦後は 関東電気○○(株)→○○精糖に。私が小学校の頃に大合理化があり、その時の組合委員長。闘争ニュースや社宅の人間関係が微妙になった頃、私が小学校卒業。
父の読書量や知識は、未だに衰えを見せず「生きる力」と学歴とは関係ないなと思うほど 今だに太刀打ち出来ない教養人。
貧乏だったのにも関わらず息子には「本物の食事・映画・観劇など」に連れていってくれ、「本物を知らなければ、偽物に惑わされる」が口癖でした。
<母親紹介>
昭和5年生まれ、小学校卒。戦時中は准看護婦として傷病兵の看護。
父との結婚の経緯は 共に言い分が異なり不明。
小さい時、近くの映画館で「モスラ」や「ゴジラ」、縁日によく連れていってもらいました。小学校・中学校に忘れものや傘を届けに来てくれる時、方向が分からなくなった方向音痴は今も健在。
父が3交代勤務だったので、昼間寝ている時 騒ぐと叱られたものです。歳とともに性格が丸くなり 雑学は結構多いです。
父の影響を受けたのか、私も組合書記局・青年部委員、執行委員、地区協議長・副議長などを長年やってきました。
エピソードを上げればきりがないのですが、私が 今 病を持ちながらも生きる支えになっているのも「苦労人」の父母の存在が大きいことは確かです。
2008年10月25日
この記事へのトラックバック
私の両親、舅姑ともほぼ同世代です
が、私と小だぬきさんの年齢が離れているのは、私が末っ子のせいかぁ・・・
私が「乳離れ」自立していない証拠かもしれません。私は 気だけはmaniiさんと同じ位の精神年齢であるかも知れませんね。
娘さんも私より早く、両親に感謝しているとおもいますよ。