この日のマスコミ・国民は、大本営(現統合幕僚本部?)の発表に歓喜したと記録に残っています。
政府見解・村山談話・河野談話に欠けている視点は、この日の国民の「歓喜」をどうとらえるかという点です。
帝国主義(領土拡張、他国収奪)の弱肉強食時代の「日本」の置かれた位置、アメリカ・イギリス・オランダ・フランスなどの先進帝国主義の「日本」に対する政策などを 日本史の立場と同時に世界史の立場で 開戦が避け得たか・・・・、を問題のスタートとする所を、学者・政治家・マスコミは意図的に避けているとしか思えない風潮は 「負の歴史を繰り返さない」ために「歴史を学ぶ」態度として許されるのかと思うのです。
確かに戦争中は軍の独走とか虚偽戦果での国威高揚などの問題点は多々あるとしても、「勝てば官軍、負ければ賊軍」のように 日本のみを斬罪すれば「事が収まる」問題ではないと思うのです。
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<論点として>



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敗戦の日(8/15)を起点として戦争を見るのではなく、今日(12/8)を起点として論議・国民意識を語らなければ、玉砕戦や特攻隊・国民生活の窮乏・国土の焦土化などの本質がぼやかされたままになると思うのです。
確かに戦史に学ぶまでもなく、現イラクやアフガニスタン、私の世代のベトナム戦争を見るだけでも「悲惨で残酷な愚かしい行為」です。しかし、巨大な軍事力に対してでも「自国の独立・尊厳」を守るために戦わざる得ない戦争も過去多くあったのも事実ではないでしょうか・・・・。
「左翼・右翼」などという政治信条で物事を見る視点を捨て、今日の持つ意味を冷静に世界史的に見る視点を取り戻さなければ 真の意味の「独立国」にはなり得ないと思う小だぬきです。
そうでなければ戦死された方、爆撃被害を受けた方、沖縄県民、戦犯になった方々、原爆被害者、他国の民間被害者などの「死」の意味が 矮小化され、戦争指導者や指揮官だけの資質や作戦の愚作のみに「勝てば官軍」「負ければ賊軍」のまま、いつまでも自国の総括をしないままであり続ける「日本」なのか・・・・。
「日の丸」強制・処分や「愛国心」を強要する政治ですが、日米戦争一つ 本気で総括せず、また北朝鮮への拉致被害者や尖閣列島・東シナ海、北方領土等々の「主権・独立」に関わる問題に本気で取り組もうとする姿勢が見えない 政府与党に「日の丸」や「愛国心」を語る資格があるのかと疑問を投げかけたいと思うのです。
自国の歴史に責任を持ち学ぼうとしない「政治家」だからこそ 「日米戦争」後、「アメリカのいいなり」国家になり 平然としているのでしょう。
やはり「チェンジ」がキーワードになると思う今日です。