朝の日記に世界史的視点の大切さを書きました。補足として、日本の軍隊の特殊性も検討の必要があります。
旧憲法での「統帥権独立(軍の運用・編成・作戦)」の名目の元、政治と軍が解離して海軍の軍令部、陸軍の参謀本部の独断先行と連携なき武器開発や作戦を許した「責任」の所在です。
大本営で陸海軍の統一指導・運用が真になされたのかも検討課題になるでしょう。
天皇陛下の「終戦の詔書」で戦争終結をしたのなら、陛下の「開戦の詔書」で開戦をしたことになります。
でも、実態は「天皇陛下の裁断・詔書」は、内閣の補弼(助言・決定)のもとに下され、終戦の詔書に限り、慣例を破り陛下ご自身の決断でした「異例」な決定だと 国民は知っていたからこそ、終戦(敗戦)後の天皇陛下の戦争責任をGHQすら問えなかったし 国民も反皇室にはならなかったとみるのが常識的解釈のように小だぬきは思うのです。
大元帥である天皇陛下の名のもとに軍の統帥権独立の主張を乱用させた政治や軍首脳部に責任があることは明白な事実だと思うのです。
田母~元空幕長の論文で抜けている点が、当時の軍の在り方の問題と軍主導の国家体制の是非、国際情勢の分析でしょう。
今、マスコミや政府が解任理由に挙げている「政府見解との違い」だけなら 問題の根は浅いし是正もきくのですが、戦前の軍と自衛隊との違いを明確にしなければ 将来に禍根を残すことになるのでしょう。
文民統制とは、軍事に素人の政治家や官僚が 軍隊を運用するのではなく、政治の目的・理念に基づいて軍隊が運用されることだと思うのですが・・・・。
アメリカはシビリアンコントロールの見本のように言われていますが、自国民を守る・保護するためなら現地司令官の決断で救出活動を行う軍隊です。
それは、一人でもアメリカ人のためには救出する、犠牲を厭わないという国家理念が存在するからでしょう。
日本の文民統制の議論が迷走するのも政治に 自衛隊をはじめ国民に「国家・国民としての理想・理念」なきままにアメリカの補完部隊としての位置づけのままズルズルと自衛隊を拡大してきたツケのように思うのです。
今こそ、政治家は「日本」としての国家理念・理想を国民に問う まともな政治家達に変わって欲しいと願うのです。
このようなことを書くと 小だぬきは右翼だなどと言われそうですが、23万人の武装集団としての自衛隊が現実に存在する以上、国家理念・国家理想の明確化は避けて通れないでしょう。それが共有できてこそ文民統制も愛国心も根付くのだと思います。
2008年12月08日
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