2008年12月19日

バリアフリーの街作りを・・・

私が「うつ病」、両親が老齢化してから  やっと「この街を変えなくちゃ」という気持ちになっています。

昔は、道路が子ども達の遊び場だったし、近所の主婦の井戸端会議の場所でした。

昭和39年の東京オリンビックを境に 高速道路や各地の道路の舗装化が進みました。それに伴いだんだんと道路が人間優先から車両優先に代わり 今に至っています。

若い頃は「人身事故」を防ぐために「横断歩道」を歩きましょう、「歩道橋」を渡りましょう・・・・の呼びかけに なんら抵抗がなかったのですが、今になってみると「発想が逆」だったのではと思います。

人間が平面を歩き、自動車が事故防止のために地下を通るべきだったのではないかと・・・・。

腰や膝も弱ってきている今、手すりをつかみながら「よいしょ、よいしょ」と階段を踏みしめて歩くとともに「人間に優しい街」だろうか??の視点がでてきました。

駅なども主要駅・基点駅では、エスカレーター上下やエレベーター設置が進んでいますが、その他多くの中小駅では 未だ階段・連絡通路です。

また、駅の表示版の字が見えにくかったり、自動発券機や自動販売機に移行し 「私鉄や地下鉄の乗り換えはどう買うのだろう」などと 悩むこともでてきています。

身近の公園も 今までは自然を残した自然公園だったものが、わざわざ自然を壊しコンクリートの公園になり オマケに階段だったり、球技不可になったりしている。

変な話、チョットした段差でもつまづくことも多くなり始めると、この不況で「公共工事」が必要なら、人に優しい街作りのための「公共工事」であって欲しい。

信号にしても視力・聴力障害のある方には 不親切なほど、歩行時間が短い。

人に優しい街づくりを 是非とも摸索したいもののだと思います。
posted by 小だぬき at 09:51 | Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「段差」とは大切な問題です。母が生前、何気なく乗って一人で買い物に行くバスの入り口ステップで足を踏み外して怪我をしました。そのとき、私はその場にいなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。お年寄りになってくると、1cmの段差にも躓きます。私も、最近、透析が始まってから、筋力が衰えてくるとよく言われているので、外歩きや自宅の階段に気をつけています。特に、暗いところから明るいところ、明るいところから暗いところという明暗のある場所での段差は見失いがちですね。ところで、今、大阪で、一晩だけの温泉保養を楽しんでいます。
Posted by parmerhuse at 2008年12月20日 08:27
parmerhuseさん、恥ずかしながら 今段差で転ぶ危険は老両親より私の方が大きいのです。春先と夏に転倒して 一時意識が遠のいた記憶があるのです。注意力散漫だったのかな・・・。障害者になって、年齢を重ねることによって見えてくるものがありますね。その素朴な疑問を大切にしていきたいと思っています。うんと温泉を楽しんできてください。
Posted by 小だぬき at 2008年12月20日 09:26
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