2008年12月27日

子供達の安全と交流の難しさ

今日は、通院日。3泊4日で贅沢な食事をした後だけに「血液検査」が心配になる小だぬきです。

旅館・ホテルでは、他人の子ども達と会話したり、交流ができたり、顔見知りになった人達と会話できるのに・・・・。
一つだけ後悔したのは、エレベーターで一緒になり3日間お友達になれた外人さんと英語で会話できなかった点です。学生時代は 英語を学習したはずなのにまるで単語が出てこないのには 自分ながら情けなく感じました。彼が片言の日本語で話してくれたので、お互いに「笑顔と身振り手振りで交流」を持てたのは良かったのですが・・・。学生時代に「きちんと学習しなかった」ことが悔やまれます。

<子供達の安全と交流の難しさ>

休職前に「安全主任」をしていたのですが、子ども達が犯罪被害者にならないために過剰な「他者警戒」の指導をしていたのではと「反省」し始めています。
ホテル内では、無邪気な子ども達に気軽に話したり、温泉での「水泳指導」(本当はダメなのですが)ができるのに・・・・。
一歩外にでると事情が急変します。現役時代に出張先の学校への行き方を聞こうと「話しかけていいものか」と悩んだものです。近所の顔見知りの子ども達なら問題なく聞けるのですが、全く他所の土地だと聞きづらくなっているし、子ども達も「学校の指導通り」一歩距離を置くので 何か潤いのない殺伐さを感じることが多かったものです。
自分が「安全主任」だっただけに、「大人をみたら 用心しろ!!」と「大人不審」を植え付けてしまっていた、過剰な警戒心を持たせてしまったのではと反省するのです。

何でもそうですが、「建前」「保護」「正義」「予防」などが 徹底すればするほど 人間関係が「表面だけ」の潤いのない社会になっていくのだなぁと 珍しく「曖昧さ」も大切かなぁと思う朝です。
posted by 小だぬき at 07:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック