2009年05月07日

考えると怖いこと・・

長距離鉄道通勤者にとっての「知恵」として欠かせないのが、各駅のトイレの場所・エスカレータの位置、4月以前は喫煙所の場所。

私の場合は、行きも帰りも先頭車両に乗ることが「好都合」でした。
笑われるかもしれませんが、「出物腫れ物所嫌わず」というように トイレの場所は必至の知識でした。

鉄道を利用していると「人身事故のため遅滞とか運転停止」とかに出会うことが多くあります。

初めは、自殺のためなどと聞くと 「人の迷惑を考えてから 死んで欲しいな」などと怒りの感情の方が多かったのですが・・・・・

職場の同僚の話によると数年前から 小だぬきの心配発言が増えていたとのこと。

@ 死にたい気持ちは分かるけれど、時間帯を選んで欲しいな・・・
A もっと綺麗な死に方があるハズなのに・・・
B 時々、電車に吸い込まれそうな感覚になるよね・・・・

自殺を肯定するような発言が、初発症前にあり、京浜東北線の人身事故と聞くたびに顔を見て
小だぬきでなくホットしたと、言われ出した頃が 受診のタイミングだったのかもしれません。

今日は縁起でもないですが「自殺願望」について書きます。

この症状は、私に限ってかもしれませんが
「死にたい」と思うのではなく 何かの場面で「ここで飛び込んだらラクかな・・・」とか「睡眠薬の残りのハルシオンを飲んだら寝たままラクになれるかな・・・」などと 深い考えではなく「ラクになれるかな・・・」程度で実行してしまう恐怖なのです。

高校生のとき 鉄道自殺が学校近くであり、酷い自殺死体の状況や肉片を見ているだけに、鉄道に飛び込むことだけは その情景を思い出して止めることはできました。

問題は、不眠の時 内科で出されていた「ハルシオン」が大量にのこっていたため平成18年の3月にとうとう200錠以上をまるでお菓子を食べるがごとく飲んでしまったのです。
胃が最初に反応して 嘔吐感で吐き出したのと 次の日内科主治医に申告したときの胃洗浄の苦しさと血液検査、ラクになれるどころか「地獄の苦しみ」でした。

幸い嘔吐感のおかげで殆どが排出されていたので 後遺症は残らなかったのですが、あの時の気持ち悪さと苦しさは記憶に刻まれています。
また、ハルシオンそのものも 時間の経ったものが多く 効力が弱くなっていたのでしょう。

よくTVドラマや報道で 「死を望んで」とか「人世に絶望して」などと書かれていますが、私自身の体験からいうと「死ぬ」ことを前提にではなく「今より少しでもラク」になれればとの思いで 一歩踏み出してしまうのです。

この「自殺願望」との闘いは、数ヶ月を要したのですが、やっと「寿命がくれば誰でもイヤでも死ななくてはならないのだから、寿命までは生き抜こう!!」との気持ちになれました。

法学部で法医学講座を履修すると 各死体の特徴や性病などの特徴を学ぶのですが、それも「自殺願望との闘い」の武器になってくれたと思います。

あえて今なら断言できます。自殺したら「将来の幸せ・楽しみなどの可能性」を自ら絶つことになります。

どんな時でも「明けない夜はない」「やまない雨はない」と信じて「どっこいいきている」道をえらびましょう
posted by 小だぬき at 14:26 | Comment(6) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
娘が言った事がありました

「私は幸せになりたいとか、良い生活をしたい、とか思わない。ただ、『死にたい』と思わないようになりたいだけなんだ」

絶句してしまいました・・・

でも、「死にたい、死にたい」と思っていたわけですから、ありがたい一言でもありますよね

Posted by manii at 2009年05月07日 19:15
「死にたい」といっているうちは、話しを聞くだけでも 大部解消されるハズです。

「死にたいと思わないようになりたいだけなんだ」一歩も二歩も前進の言葉ですね。

体験者として「何故死にたがるか」いまはわかりません。私の場合は「現実逃避でラクになりたいだけだったから」
「死にたい」という時は、話しを聞いて、甘えたいのシグナルとも思えるのですが、自傷行為になったら即座に大学に連絡してくださいね。
Posted by 小だぬき at 2009年05月08日 00:47
小だぬきさん

消えてしまいたい、投げ出したい願望は
あるかもしれません。

何もかも投げ出したい・・・

でも、そう思えば思うほど
苦しくなっていくし・・・

妹の子供たちみていると、
母がいない寂しさとても伝わるし・・・

今、ここにいるだけで、ありがたいかも。

あまりしっかりした親じゃないけれど
いまのちゃいねで許してもらっています。

まったり乗り切りたいです。

いいときもある、そうでないときもある

ま、いいか

Posted by ちゃいね at 2009年05月08日 01:04
ちゃいねさんはちゃいねさんらしく生活していくことが大切だと思います。

どんな困難や辛さがあっても 明日の幸せのための準備期間と思いたいものです。

妹さんのお子さんたちも 子どもなりに母親の死を受け止め 前進して行くと信じましょう。
「どっこい生きている」ことによって きっと未来は開けると信じたい小だぬきです。
Posted by 小だぬき at 2009年05月08日 02:21
フラちゃんです。

お題目をみて、読まないでおこうと思いつつ
つい、一通り読んでしまいました。

どこかに共感するところが私にもあった頃は、人生でどこかであったと思います。

でも、客観的に考えると「自殺」って馬鹿げてると言われそう、みんな「生きるため」に毎日をいきているんだって言われる声が聞こえそうです。
私自身、そう思ってやってきたから共感できるが、表面では、100%否定する言動をとってしまうのかなって思います。

実際、残された遺族からすると発する言葉がなくなってしまうんですね。こうしてあげればとの後悔が募るんだと思います。

まとまりなくなり、ごめんなさい。
Posted by フラちゃん at 2009年05月08日 12:18
ふとしたことから自殺する・・、悲しいことです。家族・親戚・友人などの悲しみを考えると 私は「もうラクになろう」などとは思わないと思います。

「他人を大事にできる人は、自分をも大切にできる人」
お互い、「どっこいいきている」ことを大切にていきましょうね。
Posted by 小だぬき at 2009年05月08日 13:09
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