http://www.okiinfo.com/tokusyu/tokusyu040.html
今からちょうど60(64)年前、日本は戦争をしていました。第ニ次世界大戦です。沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所となり、沖縄本島は米軍の上陸によって南北に分断されてしまいました。
南北約130qの細長い沖縄本島に打ち込まれた砲弾の数だけでも、艦砲弾約60万発、地上砲弾約17万発と言われ、山の形が変わるまで「鉄の暴風」が3ヶ月以上も吹き荒れました。自分たちの住んでいる土地に米軍が上陸し、戦場となり、20数万人の人々が悲惨な最期を遂げています。軍人よりも沖縄県民の犠牲者がはるかに多いのが、沖縄戦の特徴です。
(中略)
しかし、1991年に地方自治法が改正され、沖縄県では、沖縄戦が年ごとに忘れ去られていることの反省と、世界の恒久平和への希求、戦没者の霊を慰めることを目的として、慰霊の日を休日と定める県条例が制定されました。これにより、沖縄県庁、市町村役場、公立の小・中学校、高校などは公休日となっています。
あれから今年(2005年)で60年。
沖縄から世界へ「命どう宝」(ぬちどうたから)を。
日本で唯一地上戦があった沖縄。多くの尊い命が奪われ、戦争の惨禍を体験したことから、一切の戦争をなくしたい私たちの想いを慰霊の日に託し世界へと発信し続けています。
「何よりも平和を大事にし、生きとし生けるものが共に睦びあう沖縄の心」命どう宝(ぬちどうたから)に平和の願いを込めて、私たちはふるさとからメッセージします。
2005年6月 シネマ沖縄