まだ、頭がボーッとしているのですが、10時発の「スーパーひたち」に乗れるように 往復割引き券を購入しました。
無事にご先祖様を家に連れてきたいと思います。
その関連でいうと 臓器移植法A案が昨日可決されましたが 私たち全員に「脳死=死」を受け入れろの法律は、未だ違和感を持ちます。
ニュースで「脳死状態」のお子様を持つ、お母さんが「目が開かないだけで 身体も髪の毛も成長している」 この法律で「死」扱いになるのは承認しがたい・・・。
率直な「問題提起」です。
臓器移植で助かる命の裏で 「脳死」判定でなくなる命もあることを 厳粛に考えなければなりません。
私も伯母や友人、教え子、同僚の「死」に立ち会ったとき、たとえ「ゾンビ」でもいいから「生き返って欲しい」と真から思いました。
河野太郎さんらが推進した「臓器移植法」ですが、運用では「移植提供者承認者のみ 脳死を死とする」とする 「A案改正案」で初めて欲しい。
例え脳死状態でも 「我が子の成長を肌で感じ、医学の進歩にわずかでも希望を持つご家族への強制、バッシング」だけは 厳に慎んで欲しいと願っています。
まずは、ドナーカードの保護者承認のみに限定して欲しい。
今、移植を待つお子さんを持つ親御さんも 相手からの心からの同意なしにまで「移植」を願う人はいないと信じます。
機械的に命を弄ぶことがないように ドナーカードの改正、医師の「倫理」で 家族の意思を強制するような「臓器移植」だけが先行する事態にならないことを 願うしかありません。
私に限ってかもしれませんが、なくなった親族・知人には、幽霊でも会いたいというのが本音ですから。
【関連する記事】
バテていませんか?
早目におやすみ下さいませ
私の実家は田舎にもかかわらず、約40年前にはお墓が納骨堂になりました
長男の嫁である母にとって、それはおそらく歓迎すべき事だったと思います
お墓の管理という仕事が一つ減ったわけですから
が、その後もお寺さんとの付き合い、年忌等非常にタイヘンでした
父は私が二十歳の時に癌で亡くなりましたので、それからの母の苦労は並大抵ではなかったと思います
なんせ、我が家は三人姉妹で、親不孝にも、全員家を出たのですから
私たちの親の世代は、それでも、どうにかお墓を始めとする先祖代々のものを守ってきてくれました
でも、私たちの世代ではどうでしょう?
田舎の土地や家など、価値も無く、正直なところジャマにしかなりません
子ども達は皆、都会へ出ている・・・
そうなると、永代供養・・・?
私はこういう問題を自分の子どもの世代に残したくありません
今後はそういう問題も増えてくるでしょうね・・・
私の代で「無縁墓」になってしまうことです。七夕の願いCもなんとか・・・。
でも、先祖を大事にするということと「墓」の有無は本来関係ない 心の問題とも思います。
私が動ける内にと思い、お墓の清掃を十分にして、ご先祖を実家の仏壇に移してきました。
自分の心の安定のためです。
本当に爆睡しそうです。いつも心温まるコメントをありがとうございます。