2009年07月26日

自民党の終焉・国民目線のなさ

自民党の麻生首相は、日本青年会議所(JC)の会合であいさつし、「日本は高齢者、65歳以上の人たちが元気。介護を必要としない人は8割を超えている」とした上で、「この人たちは働くことしか才能がない」と演説しました。
細田幹事長は、「国民の程度」と発言しました。
この2人の本音を合わせると「国民は働くことしか能が無いのだから黙って働いて、年貢を納め、75歳になったら死ね」(後期高齢者医療で)と言うことになります。

以前、国家公務員の定年延長は、年金支給開始の繰り上げかと書きましたが、やはり本音は そこにあるようです。
65歳(何故、今の定年の60歳といわないのか、意図は透けてみえます)は元気、だから「どんな形でも働いてもらい、年金は その後でいいでしょう・・・・(金持ちにしか通用しない論理)

欧米のように67歳の年金支給でもいいし、働けるならもっと先延ばしをしていい との発想のようです。

まるで「年金額」も「老人にたいする姿勢」にしても 欧州各国との理念の違いを無視して形だけ同じにしようということは、人間は「死ぬまで働いて生活は自己責任」「年金額で生活しようとする国民は愚かだ」といっているのに等しい暴言です。

細田幹事長まで、自民党を敗北させるような「国民の程度」の低さが問題だと 自分達の借金赤字国家にした責任・霞ヶ関のいいなりになり 天下りや税金の浪費を許してきたことを 棚に上げ、責任を「国民の程度」の問題にする無責任。

両氏のような「国民目線のなさ」に、政権交代で「将来の夢」をみたいとする「国民」が怒らなければ それこそ「国民の程度の低さ・質の悪さ」と歴史に汚名を残すことになるでしょう。

今の60歳(私は、以前の55歳に戻しても当然と思いますが)まで 国家社会のために働いてくれてありがとう。これからの生活は 国家が憲法24条に規定されている「健康で文化的な最低限の生活を保障」しますから、「自分の第2の人世」を生活の心配をなく 充実させて下さい。という生活にするのが政治の責任だと思います。

財源にしても 国民が毎年納める年金掛け金の総額を 国家機関の運用で赤字をだしたのなら、赤字を自分たち社保庁の責任において補填していくのが 長年高い掛け金を払い続けている国民の素朴な願いではないでしょうか??

国民年金の納入率の低さを 国民に責任転嫁する方がおかしいのです。
今の「国民年金の水準」なら「生活を削ってまで 保険料を支払うのはどうも・・・」という 国民の悲鳴だし、いつだったか例にだした芸能人が未納に気付き、支払申請をしても「あなたは今から納入しても受給資格はない」と支払意思を示した人まで門前払いする 硬直性。

国自ら「国民年金」の土台を崩しているように思うのです。

国民年金受給資格の年数が足りなくても、60歳皆保険で徴収し 「年金は支給できないけれど、一時金は納入額に応じて支払う」制度に直すだけでも 「年金」の信頼性が増すと思うのは わたしだけでしょうか?

今、現実問題として 65歳はまだ元気なことは 確かです。そのような人に「働くしか能がない」という、総理大臣を持つ国民の不幸は もうなくしたい。
若い世代でも 派遣切り・リストラで職のない国で、老人・初老にどう働けというのでしょうか・・・。

国民一人一人が「この国に生まれて良かった」ということが実感できるように、大切な 「主権者の一票一票の積み上げ」をしていこうではありませんか!!
posted by 小だぬき at 07:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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