2009年08月03日

昔、こんなに暑かった??

川崎市もコンクリート道路に高層マンション、オマケに歩いていると エアコンの室外機の温風。
街自体が熱を貯め込む悪循環に陥っていないか・・・、と思うこの頃。

小だぬきは「耐え難きを耐え」などという高尚な精神ではなく、単にエアコンホースの修理に物ぐさでエアコンを使っていないだけなのですが、気象庁の発表する最高気温と身体に感じる熱では相当な開きがあるようです。

今の小だぬき家の室温37度。これでも ちょっと外出しただけで帰宅したら涼しく感じるのですから コンクリートやエアコン室外機で暖められた地面近くの温度は 相当高くなっているのでしょう。

より地面に近いお子さんや乳母車の赤ちゃん達の熱中症対策は より注意する必要があるようです。

私が産まれたのは 羽田空港近く、すぐ川崎に引っ越したのですが、今思い出すとこんなに暑かったかな・・・・と記憶が今一つハッキリしないのです。

土の道路が多く、当時は木造建物。近くには畑があり、よくなしやイチジクなどを「無許可」で頂いた時代。
自然の森や林が方々にあり 日陰に入ると涼しかったという記憶があるのです。

交通もトロリーバス(架線を使ったバス)と自転車中心の生活。

「昔は良く感じる物だ・想い出は純化される」といいますが、扇風機すら高級品だったあの頃の想い出の一つは お祭りの時にだされた氷柱の冷たさです。また日陰での土のひんやりした感覚も思い出されます。

確かに今は、何でも近代化されビル群や舗装道路、車の多さ・・・・。各家庭でのエアコン設置なども進んでいます。

昭和20年〜30年代に幼少期を育った者には、自然と嫌でも共生する生活を送ったものです。風鈴や網戸、うちわ、打ち水の風情は 生きる知恵として定着したものでしょう。

それが高度成長政策、昭和39年の東京オリンピックを境にして 地域の変貌が激しくなり、今では中都市を旅行しても 駅前は、ミニ都市のような町並みになっています。

ローカル線での不便を覚悟してミニ駅で下りて、郵便ポスト以外何もない風景に触れることが 最高の贅沢とも感じられる昨今です(過疎地に住んでいらっしゃる方の苦労は並大抵では ないでしょうが・・)

地球温暖化が言われている今、何が必要で 何がなくてもなんとかなり、何が不要か エアコン生活にまだ入れない小だぬきは考えるのです。

2011年の地デジ放送開始なども5000万台以上の廃棄TVがでるとのこと。こんな環境に悪いことはないでしょう。アナログ電波帯を空けることのメリットが 携帯需要だけなら、アナログと地デジ併用でも良いはずです。

これ以上、環境悪化を防ぐために「何をどう規制するか」が 真剣に問われなければならない時代に入ったと思います。
posted by 小だぬき at 16:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は九州の出身です
しかし、子どもの頃、こんなに暑くはありませんでした
気温が30℃を超すのは、ひと夏の内、数日だったと思います

小学生の頃は、帽子も被らず、毎日朝から晩迄外で走り回っているか、水に入っていましたし、中学生の頃は、外で部活(バスケ)をやっておりました

が、熱中症なんて、聞いた事もありませんでした
今は、家の中にいても、熱中症にかかる時代です

私はクーラーが好きではないので、家も車もなるべくつけないようにしています
でも、どこに行っても、クーラーがガンガンかかっております

こんな中で育つ子ども達、大丈夫でなんでしょうか?
Posted by manii at 2009年08月04日 07:00
maniiさん、ありがとうございます。

私の記憶と重なる所があり、やっぱり今の「日常」が 何か変と・・・

異常気象が言われて久しいのですが、その原因を作ったのも人間なのですよね。

多少不便になっても「地球に優しい」生活に戻らなければ・・と思う今日この頃です。
Posted by 小だぬき at 2009年08月04日 08:07
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