この3月末で退職した「小学校」から 19日の運動会招待状が届きました。
まだ、私物も学校にあるのでとは思いつつ、退職校に行ける自信など まだないのです。
K市の駅で降りたのも 休職・退職までに数回、事務の方との 改札口待ち合わせでした。
今も「校内費納入口座」「組合費納入口座」を解約できないまま 残金が残っている状態。
まだまだトラウマが深いということでしょうか・・・・。
前校長には、家族の病状(父・弟)を 報告したのですが、介護休暇の申し出も却下。
その時は 「発達ルーム」の担任でしたが、各種手続きで年休を取ったときも 後で「担任でないとクラスがおさまらない」との皮肉。
「発達ルーム」1ヶ月目から 約10ヶ月、病院との連絡と勤務の狭間に心身が耐えきれず、うつ病初発症をして、病休→復帰→休職、退職に至りました。
職員の現状を助けるというより、前任者の引き継ぎの肝心な点を意図的に無視した曲解など 前Y校長への怒りは 生涯忘れないだろうと思います。
前の年には拠点校初任者指導教員をやらせて、勤務形態や職員構成の違う2校を掛け持ちさせて、労りの言葉一つなかった人です(その時から出勤拒否症状が出始めました)
今のN校長には、限りなく要望を聞いて下さり感謝しているのですが、Y校長のアンチ情報のみが引き継がれていることを知り、現職復帰1年で 心が折れてしまいました。
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うつの治療をはじめて 2年9ヶ月になるのですが、現職復帰期間の約1年で 症状をこじらせてしまったようです。
その時、再発症の自分の障害程度を知りたくて 障害者手帳・障害年金の申請をしたら 2級認定になり、私もビックリしたものです。
区役所や県の福祉課、組合本部福利担当からも 2級認定が下りる状態で よく復職し勤務できていましたね。「お疲れ様です」「いまは じっくりと健康を取り戻すことだけを考えて静養してくださいね」と温かい言葉を頂けたおかげで、退職する決意ができました。
休職中の新教頭さんや事務の方の支えも 嬉しかったです。
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でも、まだ「学校」に自分が行けないのは・・・・・。
不思議ですね、個人ごとには会いたいのですが、組織としての「学校」を未だに拒否する心身。
うつが寛解と言われるまでは 「ムリしない、焦らない」で いきたいと思います。
2009年09月04日
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