私の性格・思考の偏りに「のめり込む」があります。
小説で言えば、松本清張さんの小説に共感を覚えると全作品読破。森村誠一さんに共感すると全巻読破、気にいるとその作者に「恋」をしたようにのめりこんでしまうのです。
西村京太郎さん、清水義範さん、赤川次郎さんなどの読書も同じでした。
精神医学では、斉藤茂太さん、なだいなださん、岸田秀さん。
ルポでは、斉藤茂男さん、鎌田慧さん、佐高信さん。
写真で言えば、カメラのこだわりと「暗室」、今はデジカメとプリンターに移行していますが、以前は押し入れを暗室にして 1枚1枚 自分で定着液・乾燥までして満足のいくまで挑戦したものです。
今、過去でも 何かに挑戦しだすと 自分なりに租借する・納得しなければできるまで 拘る・のめり込む傾向があるようです。
法学部時代は、「刑法」と「憲法」に・・・、教職時代は「仮説実験授業」や「水道方式」「作文の会」・・・・に。
その時、その時の流行に乗れずに「自分の拘り」で 研修・研究をしてしまう癖があったようです。
指導主事や管理職にも「黙っていればいい」ものを おかしい・疑問だと「言ってしまう」悲しい??習性がありました。
前にも書きましたが、憲法と「実生活の乖離」が気になり出すと、私の大学法学部の口癖「今日の少数派は、明日の多数派」で 数多くの解釈改憲、施策放棄、理念棚上げが気になってしまうのです。
旅行でも単純にお風呂に入り、名所見学をしてリフレッシュすればいいものを 事前調べや現地の本屋さんでの郷土本購入などで 行った先のことを調べたくなる思考回路。
うつという病気になり 「無」の時間、「空白の時間」に 自分の中の「のめり込み、拘り、納得感の追求」の強さに気づきました。
そのためかも知れませんが、edita・あし・置き手紙で友達・知り合いになった方々の中の 「アフィリエイト」「競馬」「LOTO」なども 「のめり込み」の自分を克服しなければ、行き着くまで行ってしまう自分の性格の怖さで 一歩踏み込めない自分がいます。
少なくとも、今まで拘ったり納得するまで調べようとしたことは 無駄ではなく 今の自分の土台になっていると思っていますが、これからは うつ寛解のために「拘り」「集中」の他に「柔軟さ」」「見切り」ということも身につけなければと思う日々です。
再発症の時「うつ」関連の書籍を読みまくった時期があります。
その時の主治医のキツイ一言「うつを知ることによって治るのなら うんと読んでください」「でも 私はプラスにはならないと思うわ」「その道の専門家に身を任すことも大事ですよ」「小だぬきさんは 教育ではプロでも 医学では素人ということを忘れないでね」と・・・・。
選挙時も 各党のマニフェストを手に入れ 赤ペンをいれていたなぁ・・・・。
主治医のいうように「収得選択」できる柔軟さをもたないと 寛解は遠いかな・・・・と、今日は素直に反省する小だぬき。
でも、これが難しいんだなぁ・・・・。
2009年10月02日
この記事へのトラックバック
私は、小説や映画の登場人物になり代わって考える癖があります
「もし、私だったら・・・?」です
その時々のシチュエーションで、どうするのがベストなのか?
自分だったら、どうするのか?
なり代わるのは、戦国武将、アメリカ大統領、原子力潜水艦の艦長、FBIやCIAの捜査官、テロリスト等老若男女問いません
だから、映画をみると、非常に疲れます(笑)
最近は、実在の人物でもありますね〜
とりあえず、今その立場で物事を考えたくないのが、鳩山総理と長妻厚労相、広島県福山市鞆の住人の方々ですね
私は 小説と映画は分けて考えています。小説の映画化作品は どうしても原作の感動とズレが大きくなるものですから・・・。別のものとして楽しみ 後で「どうなのだろう、この決断と行動は」と考えてしまいます。
この時間、オリンピックの招致演説を日本が始めるようですが、今の時点では この人達の視点には反対です。
鳩山氏、長妻氏と同じように考えたくないとの気持ちもわからないではないのですが、あまりにも官庁機能に依存して思いつきで施策をすすめた以前の政府よりはマシだと思っています。
「自分の頭で考える」ことが大切になってきた時代の転換点。
私のように 拘りすぎるのも問題ですが、他人まかせの言動というのも困りますよね。
過去の戦争でも「熱烈支持」したのは、国民でしたから・・・
maniiさんの貴重なコメント、いつも感謝しています。
私のチェック(偏り・理屈)のために大切な友達。これからもよろしくお願いいたします。
現在の鳩山総理、長妻大臣の立場になりたくない、と書いたつもりだったのです
国は勿論、党内も自分も問題続出ですもの
各閣僚がマニフェストに忠実になればなるほど、国会で足下をすくわれるのでないかと心配しています。