2009年11月12日

死しても国に遺棄される戦没者遺骨

64年以上前の「太平洋戦争」の激戦地 サイパン島(戦闘後、B29爆撃機の日本焦土化基地)の遺骨が 下記記事のように「英霊」ではなく「荷物」として扱う厚労省の職員と国・マスコミの鈍感さには呆れるを通り超し「怒り」すら感じます。

多くの戦没者は、満足な補給も受けられず「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓に縛られ、日本・家族のために徴兵され、飢餓と闘いながらも最前線で命を落とした「平和なら良き父親になれた」方々です。
遺骨の中には日本赤十字社の看護師の方々もいらっしゃるハズです。

今、太平洋戦争・大東亜戦争の是非は歴史にまかせるとして、不幸な時代に生まれ兵士として闘わざる得なかった人々がいた事実は曲げようがありません。

遺骨収集が驚くほど蔑ろにされていることと、今回の厚労省職員の手荷物扱いは、徴兵で死に遺骨になっても国に遺棄される これが「愛国心」を盛んにいう「政府、行政」の本当の姿なのか・・・

国民は、為政者にとっては、消耗品・ただの員数でしかないのか・・・。
私は 戦没者の皆さんは、国によって二度殺されているという気持ちが拭えません」
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戦没者遺骨、空港カートで運搬=手荷物と一緒
                                          職員ら処分厚労省
     2009年11月12日07時16分 / 提供:時事通信社


 厚生労働省の職員が先月、戦没者の遺骨をサイパン島から成田空港に持ち帰った際、空港のカートで手荷物と一緒に運んでいたことが11日、分かった。同省は「不適切な対応だった」と遺族に向けて謝罪し、職員3人を厳重注意処分とした。

 
  同省によると、処分は2日付。遺骨を運んだ援護企画課外事室の職員2人を文書による厳重注意とし、上司も監督責任を問い口頭注意とした。


 職員2人は北マリアナ政府の要請を受け、サイパン島に保管されていた遺骨二十数柱を受け取り、10月23日に帰国した。


 遺骨は紙製の箱に納められていたが、2人は空港に備え付けてあるトランクなどを載せるカートを使用。箱を縦や斜めに置き、手荷物と一緒に運んでいた。


 本来は専用の台車に箱を並べ、白い布で覆うことになっていたが、いずれも用意しておらず、2人は軽装だったという。空港で目撃した人の指摘を受け、同省が調査していた。


 同省は従来と異なる航空会社を利用したため、台車などを手配できなかったと説明。「遺骨の取り扱いについて注意を徹底したい」としている。

posted by 小だぬき at 13:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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