私が就職活動をした 昭和51年・52年も大変な就職氷河期でした。
高校から大学の7年間、団塊の世代の影響をうけて 市立高校の入学時寄付金反対やべ平連活動、革新市政を作る会などに個々人が参加していました。教室でも放課後でも政治を語ったし、正直「革命」を夢見た最後の世代でしょうか??
民青(民主青年同盟)から 学内班の講師を頼まれたことも多々。当時は思想信条の違いを超えて連帯しようとする機運が残っていたのです。
日本共産党と下部組織の民青が 公然と主導権をとろうと政治的に 無党派層のべ平連や離党・分派した人々を「極左冒険主義」「暴力集団」と規定して 敵対行動が目立つようになり、団塊の世代の闘い」に機動隊暴力が入っても 警察より分派セクト攻撃を開始したために 闘いが敗北しました。
日本大学総長の乱脈経理追及や東大医学部の医局改革運動、学費値上げ反対、ベトナム戦争の日本の補給基地・修理基地化・B52爆撃機の発進基地反対などで 全国に広がった全国共闘会議が
いつの間にか 権力と共産党から弾圧されるという誠に変な時代を青年期過ごしました。
今年、選挙によって「政権交代」がされました。その担い手は 今一度 日本を立て直したいと民主党に「夢」を託した 団塊世代前後の世代です。
私の過ごした青年期と比べ、今の学生に「学生自治会」はあるのだろうかと疑問に思うほど 何の活動も団結も見えてこない。報道されるのは、集団暴力とか集団強姦などの破廉恥事件ばかり。
リクルートスーツを着て 従順に就職面接を繰り返すだけ。
私たちは、就職時 思想転向という自己の苦しみを乗り越えながら社会にでたのです。
それが結果的に 試験で合格し、面接でも堂々と行政批判をして 落ちたら落ちたで良いと考えていた若者を「自分がある、主張もできる」という理由で、度量があった教委と校長のおかげで教職に合格・採用された仲間が多くいました。
それ以後の 高度成長を先頭になって支えたのも 団塊の世代前後です。
今の不況は 大企業の冒険心のなさと我が社主義が 引き起こしているとしか思えないし、従業員を数としかみない経営陣と人事の「人を見る目」の曇でしょうね。
火曜から師走、結果はともかく「採用して貰う」ではなく 自由な発想で派遣でもバイトでも働き「採用したい」といわせるんだという反骨心もあっていいと思う小だぬきです。
目的によって連帯する柔軟な社会を作ろうではありませんか・・・。なんでもいいのです。趣味でも政治でも町内会・PTA活動でも ともに助け合いできたねという達成感を積み上げることが 権力者の横暴への抵抗に通じるのですから・・・。
有名な「孤立を怖れず、連帯を求む」日大全共闘、秋田明大氏のアジ演説??
2009年11月29日
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