2009年12月19日

冤罪事件での裁判官の問題

最近明かになってきた「えん罪」の数々。

警察の逮捕・取り調べ・送検での取り調べ方法や証拠、自白偏重が問題になって改善策がこうじられようとしています。
1つでも「えん罪」がでれば、警察捜査の信頼性が揺らぐということでしょう。

検察の警察へ補充捜査の指示もなく、自白による起訴も問題でしょう。

でも、もっとも問題なのは、「疑いは被告人の利益に」という原則を踏み外して「えん罪判決」をした裁判官にあるのではないでしょうか??

被告人につく国選弁護人の熱意・努力によって やっと再審の決定がでる現状は 恐ろしい限りです。

なぜ、裁判所では「有罪判決」がでて、最高裁の上告棄却で「えん罪」が確定してしまったのか・・・。

このメカニズムが明らかにならないと 今の裁判員制度で 裁判官はえん罪の責任逃れ・裁判員を共犯?にする「暗黒裁判」になりかねません。

本当に「疑いは被告人の利益」になる訴訟指揮が 現実に実現しているのか 検証する必要があります。

あと、警察捜査に合わせて「推定有罪」で報道するマスゴミのあり方も問われる所です。
無罪の可能性も考えずに 「生い立ちや家族」まで 共犯者のごとく報道するマスコミ、おかしくありませんか・・・・。客観報道というのは 警察・検察情報の垂れ流し報道ではなく、冷静な裏付け・証拠をもとに
報道するものではありませんか・・・・・

ネットや手紙で 卑怯にも匿名で マスゴミ報道に便乗して「批難・中傷」をする無責任な「一般国民」の多さも問題です。
そういう匿名での輩は、逮捕時には被疑者家族への誹謗中傷、えん罪が解れば捜査当局への誹謗中傷に 矛盾を感じず 付和雷同するのでしょう。

無罪が証明された人の収監されていた年月は 戻ってきません。自分の身に置き換えると「失った時間を返せ!!」と叫びたくなるでしょう。

最悪、警察捜査での自白・検察官の安易な起訴・弁護人の無気力・裁判官の予断などが重なり、刑が確定して じっと出所を待つ人が1人でもいないことを願うしかありません。

今マスコミに必要なのは、自分達の報道を含め、えん罪をうんだ捜査過程、裁判所の法廷指揮などを丹念に検証することではないでしょうか・・・。
posted by 小だぬき at 10:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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